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2008/07/24のBlog
[ 21:17 ]
[ 介護保険 ]
介護保険法第1条に「…その能力に応じた日常生活を営むことができるよう…」とあり、介護保険の目的は自立の支援であると思われる。
制度のなかで「これこれ以外の」(外出・生活)援助をしてはいけない」とうたってはいない。
「してはいけない」とうたうと「どうして趣味のための外出介助をしてはいけないのか」ということになるだろう。
その場合、答は「してもいい」しかありえない。
それでこういう表現になる
介護保険では算定されない=算定外である
算定しない=算定外というのは問題をテク二カルなことにすり替えているだけで、実際は「してはいけない」と言っているのだ。
「介護はこれだけでいい」と言っているのだ。
穏健に言うと、この表現は算定される介助が算定されない介助よりも人間にとって必須であるという優劣の判断を示している。
また、財源がないから必須(と思われる)の介護しかしないというなら、『介護保険の目的は「人の存在に必須と思われる介護(介助)を提供する』とうたったほうが真実であり誠実だと思う。
財源について言うなら、福祉はお金の余裕があるからする・余裕がなかったらしないというものなのだろうか。
________________________________
介護保険法
第1章 総論
(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
制度のなかで「これこれ以外の」(外出・生活)援助をしてはいけない」とうたってはいない。
「してはいけない」とうたうと「どうして趣味のための外出介助をしてはいけないのか」ということになるだろう。
その場合、答は「してもいい」しかありえない。
それでこういう表現になる
介護保険では算定されない=算定外である
算定しない=算定外というのは問題をテク二カルなことにすり替えているだけで、実際は「してはいけない」と言っているのだ。
「介護はこれだけでいい」と言っているのだ。
穏健に言うと、この表現は算定される介助が算定されない介助よりも人間にとって必須であるという優劣の判断を示している。
また、財源がないから必須(と思われる)の介護しかしないというなら、『介護保険の目的は「人の存在に必須と思われる介護(介助)を提供する』とうたったほうが真実であり誠実だと思う。
財源について言うなら、福祉はお金の余裕があるからする・余裕がなかったらしないというものなのだろうか。
________________________________
介護保険法
第1章 総論
(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
2008/07/19のBlog
[ 13:43 ]
[ 考える―その他 ]
私が福祉サービスを受けるようになってから最大の疑問は、
≫なぜ行政はサービスを必要とする私の意見を聞かずに、提供するサービスを決めてしまうのか≪
ということだった。
昨日仕事から帰ってきた夫が1冊の岩波新書を見せながら話す。
この本にはこう書かれていると。
≫当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも―国家も、家族も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。≪
そうよ、そうなのよ。
私が言いたかったことは。
なんでサービスを必要としている人に「どんなサービスが必要か」を尋ねないのは、本当にその人の存在を無視した僭越な振る舞いなのよ。
そんな人間の存在を無視した行為を行政が国があるいは他人がするのはとんでもない越権行為なのだ。
そんな権利は誰にもない。
そして介護保険制度あるいは障害者自立支援法で、サービスに制限を加えるのは対象者の生活自体に対する干渉=これも越権行為になる。
サービスに制限を加えるというのは、日常の買い物に少し遠い店へは外出介助を認めないとか、社会活動のための外出に、移動支援は最重症(=寝たきり)患者にしか移動支援を認めないとかいうことをさす。
こういう制限は、「高齢者や障害者には近所で日常品の買い物とお役所、選挙に行くこと以外は出かける必要がない」と言っているに等しい。
寝たきりに近い重症でも出かけなければならない(どういうときだろうか?)ことしか支援しないというのは、人に必要な外出はそれだけだと言っているのと同じだ。
こういう制度が人(高齢者・障害者)の移動の自由を奪っていく。
介護は介護保険で認められることだけとか、障害者の自立は法律が決めたことという考えが定着していく。
これは本当におかしなことではないだろうか。
この本には次のように書かれている。
≫ふつう私たちは「自立」というと、他人の世話にならず単独で生きていくことを想定する。だがそのような自立は幻想にすぎない。
どの人も自分以外の他人によってニーズを満たしてもらわなければ、生きていくことができない。社会は自立した個人の集まりから成り立っているように見えて、その実、相互依存する人々の集まりから成り立っている。
人生の最初も、最期にも、人と人とが支え合い、お互いに必要を満たしあって生きるのはあたりまえのことであり、だれかから助けを受けたからといって、そのことで自分の主権を侵される理由にはならない。
人々が相互依存して生きている社会で、他人の助けを得ないことが、なぜ理想とされるのか。だれからも助けを得ない人は、豊かな人生を送っているとはいえない。
障害を持った人が、必要な助けを必要なだけ得られる社会は、どんな人も安心して生きていける社会だ。それは、障害の有無にかかわらず、私が私の人生の主人公であることを貫くためである。障害者運動から生まれた「自立」の概念は、非障害者を標準にできあがった、それまでの「自立」観を、大きく変えた。
★ 当事者主権は、こうしたパラダイム転換からもたらされた。
この社会で「お客様」であり、「厄介者」であり、「お荷物」であるとは、どういうことだろう
。超高齢化社会のなかで、だれもがいつかは「障害者」となり、ハンディを抱えこむことが予想されるとき、人生のうちで依存する者もおらず、人に依存する必要もない一時期にだけ合わせてつくられた社会のしくみを、根本的に考え直す時機が来ている。≪
そう、私の考えを普遍化していくとこういうことになる。
「誰もが相互依存している社会」
関連blog 夫のblog
[ 01:28 ]
このところ真夏というにふさわしい暑さが続く。
エアコンを一昨日から使いはじめる。
昨日ヨガのとき天井からの冷風を感じた。
そして今朝、突然右腰jの裏側、奥のほうの腱が引きつる。
みるみる痛くなり姿勢を変えようとするとびりびり痛い。
泣きたくなった。本当に泣く。
洗面所の棚にあったシップをはる。
痛みは引かない。
パーキンソン病の薬も効いてこない。
ああ、なんでこんなになるの。
気を紛らすためとなんとかするためにマッサージの人、PT,ヨガの先生に対策を尋ねる。
共通しているのは「あたためる」、冷えはよくない、ひたすらあたためる。
あとは、ゆっくりストレッチ、ミネラルを補給
お風呂にゆっくり入ってからストレッチをした。
少し軽減。
眠る。
また眠る。
夕方遅く、やっとお薬がちゃんと効いてきて動けるようになる。
パーキンソン病の薬が効くと痛みも大分なくなった。
やっぱり、病気が痛みを増幅するのかな。
エアコンを一昨日から使いはじめる。
昨日ヨガのとき天井からの冷風を感じた。
そして今朝、突然右腰jの裏側、奥のほうの腱が引きつる。
みるみる痛くなり姿勢を変えようとするとびりびり痛い。
泣きたくなった。本当に泣く。
洗面所の棚にあったシップをはる。
痛みは引かない。
パーキンソン病の薬も効いてこない。
ああ、なんでこんなになるの。
気を紛らすためとなんとかするためにマッサージの人、PT,ヨガの先生に対策を尋ねる。
共通しているのは「あたためる」、冷えはよくない、ひたすらあたためる。
あとは、ゆっくりストレッチ、ミネラルを補給
お風呂にゆっくり入ってからストレッチをした。
少し軽減。
眠る。
また眠る。
夕方遅く、やっとお薬がちゃんと効いてきて動けるようになる。
パーキンソン病の薬が効くと痛みも大分なくなった。
やっぱり、病気が痛みを増幅するのかな。
2008/07/15のBlog
[ 02:51 ]
[ 福祉サービス全般 ]
Apple福祉ページのトップはアイコンは落ちぼろぼろの状態だった。
急に思い立ち、せめて今あるコンテンツだけでもきちんと整理したトップにしたい。
そう思ってトップページの改変に取り掛かる。
まずタイトルを「介護・福祉」から「福祉情報」に変えた。
今現在は「患者支援情報」にしようかと考えている。
患者の立場から言えば、介護も福祉もNPOも全て”患者支援”である。
「介護」というのも介護保険で認められることだけが「介護」ではない。
患者が必要とする支援の項目を挙げてみる。
その項目の下に当てはまるサービスを入れていくことにしよう。
試しに挙げてみたのは
「医療費助成」
「就労支援」
「移動支援」
「生活援助」
「補助具」
「障害年金」
「手当て」
「優遇・割引など」
「その他の患者支援」
「サービス給付」と「現金(?)給付」という分類もある。
なかでも公的制度から軽視されているのは「移動」ではないか。
しかし、上記コンテンツを私一人で整備することはできないだろう。
眼の問題と体力・年齢もある。
他の場所("Message from Almond"など)に書いた記事を集めるのも一仕事。
誰か私を手伝ってくれる人はいないだろうか。
そう、患者にはこういう”支援”も必要なのよね。
急に思い立ち、せめて今あるコンテンツだけでもきちんと整理したトップにしたい。
そう思ってトップページの改変に取り掛かる。
まずタイトルを「介護・福祉」から「福祉情報」に変えた。
今現在は「患者支援情報」にしようかと考えている。
患者の立場から言えば、介護も福祉もNPOも全て”患者支援”である。
「介護」というのも介護保険で認められることだけが「介護」ではない。
患者が必要とする支援の項目を挙げてみる。
その項目の下に当てはまるサービスを入れていくことにしよう。
試しに挙げてみたのは
「医療費助成」
「就労支援」
「移動支援」
「生活援助」
「補助具」
「障害年金」
「手当て」
「優遇・割引など」
「その他の患者支援」
「サービス給付」と「現金(?)給付」という分類もある。
なかでも公的制度から軽視されているのは「移動」ではないか。
しかし、上記コンテンツを私一人で整備することはできないだろう。
眼の問題と体力・年齢もある。
他の場所("Message from Almond"など)に書いた記事を集めるのも一仕事。
誰か私を手伝ってくれる人はいないだろうか。
そう、患者にはこういう”支援”も必要なのよね。
2008/07/12のBlog
[ 01:54 ]
[ 病気について ]
しばらく前から思っていることだけど、若年性患者ってちょっとハイ・テンションのようだ。
異常に元気過ぎたり、陽気すぎたり。
感受性の揺れが大きい。
これは神経内科医たちも指摘している。
ドーパミン補充療法を長く続けているせいのようだ。
パーキンソン病は脳内化学物資ドーパミンがつくられなくなって起きるのだが、これは「動くこと」だけでなく「感情反応」にも影響を及ぼす。
患者と親しい人が言う。若年性患者には共通した特徴があると。
過剰反応と心の余裕のなさ。
なるほど。
異常に元気過ぎたり、陽気すぎたり。
感受性の揺れが大きい。
これは神経内科医たちも指摘している。
ドーパミン補充療法を長く続けているせいのようだ。
パーキンソン病は脳内化学物資ドーパミンがつくられなくなって起きるのだが、これは「動くこと」だけでなく「感情反応」にも影響を及ぼす。
患者と親しい人が言う。若年性患者には共通した特徴があると。
過剰反応と心の余裕のなさ。
なるほど。
2008/07/09のBlog
[ 23:53 ]
[ 患者をめぐる問題 ]
Appleの掲示板をめぐってAppleが揺れに揺れた。
パーキンソン病患者(と家族)がつくっているサイト"Apple"は会則も総会もないメンバーの自由意志によるグループだ。
決まりごとがなくても8年間続いてきたのは、主要メンバー間のコミュニケーションが取れていたことと、人材に恵まれたこと、主要メンバーが数人なのでコンパクトに物事が進められるのが幸いしたのだと思う。
主要メンバー(senior)の間ではグループの性格・方針など暗黙の了解が得られていたのだが、若い世代(junior)が参加するにつれ暗黙が暗黙のままになってしまったのだ。
今回のトラブルはそれが原因ではなかったけれど、トラブルの過程でそれが明らかになった。
どうにかしなきゃ、Appleは昔のようではない。
さまざまな意見が問題を混乱させる。
トラブルとそのことに振り回され疲れる。
頭も痛けりゃ眼も痛い。
ああ、さんざしのお酒が飲みたいな。
先日もうもう亭で飲んださんざしと杏のお酒。
さんざしって名前に覚えがある。
そう、プルーストだ。
「さんざし」という名を刻んだのは。
パーキンソン病患者(と家族)がつくっているサイト"Apple"は会則も総会もないメンバーの自由意志によるグループだ。
決まりごとがなくても8年間続いてきたのは、主要メンバー間のコミュニケーションが取れていたことと、人材に恵まれたこと、主要メンバーが数人なのでコンパクトに物事が進められるのが幸いしたのだと思う。
主要メンバー(senior)の間ではグループの性格・方針など暗黙の了解が得られていたのだが、若い世代(junior)が参加するにつれ暗黙が暗黙のままになってしまったのだ。
今回のトラブルはそれが原因ではなかったけれど、トラブルの過程でそれが明らかになった。
どうにかしなきゃ、Appleは昔のようではない。
さまざまな意見が問題を混乱させる。
トラブルとそのことに振り回され疲れる。
頭も痛けりゃ眼も痛い。
ああ、さんざしのお酒が飲みたいな。
先日もうもう亭で飲んださんざしと杏のお酒。
さんざしって名前に覚えがある。
そう、プルーストだ。
「さんざし」という名を刻んだのは。
2008/07/05のBlog
[ 00:29 ]
[ ことば・旅 ]
感覚的に我慢ができない表現がある。
「煮詰まる」 お料理で本当に煮詰まるのはいいんだけど、比喩的に使うのが嫌なの だ。
「おかずになる」
「ものにする」
「おいしい」 これも食べ物がおいしいのはいいの。私もしょっちゅう使う。
業界の人が使うのが嫌。
※"ものにする"を除いて、食べ物や料理に関する言葉に問題があるようだ。
「どつぼにはまる」
「みそもくそも一緒にする」
「他人のふんどしで相撲を取る」
※こちらは生理的現象に関係がある。
あら、食べ物も後のほうも「生理的な行為」に関する言葉だった。
なんだか典型的でつまらないなあ。
要するに生理的現象に関する言葉を比喩に使うのが嫌いなのだ。
生理的用語を本来のことがらに使うのは別に嫌じゃない。
生理的表現をほかのことに使う神経がたまらない。
あ、そうそう。
「空気を読む」という表現も嫌い。
実際には、読めないものを「読む」というのが嫌なのだ。
ある潔癖さがあって、こういうプリミティブな(?)比喩が嫌いなのかもしれない。
あるジャンルの表現はそのジャンルの中だけで使ってほしいのだ。
だがしかし、この世間には、「みそもくそも一緒に」とか「他人のふんどしで相撲を取る」としか言いようのない状況がある。そういう時は仕方がない。
決然として、これらの表現を使うのみ。
「煮詰まる」 お料理で本当に煮詰まるのはいいんだけど、比喩的に使うのが嫌なの だ。
「おかずになる」
「ものにする」
「おいしい」 これも食べ物がおいしいのはいいの。私もしょっちゅう使う。
業界の人が使うのが嫌。
※"ものにする"を除いて、食べ物や料理に関する言葉に問題があるようだ。
「どつぼにはまる」
「みそもくそも一緒にする」
「他人のふんどしで相撲を取る」
※こちらは生理的現象に関係がある。
あら、食べ物も後のほうも「生理的な行為」に関する言葉だった。
なんだか典型的でつまらないなあ。
要するに生理的現象に関する言葉を比喩に使うのが嫌いなのだ。
生理的用語を本来のことがらに使うのは別に嫌じゃない。
生理的表現をほかのことに使う神経がたまらない。
あ、そうそう。
「空気を読む」という表現も嫌い。
実際には、読めないものを「読む」というのが嫌なのだ。
ある潔癖さがあって、こういうプリミティブな(?)比喩が嫌いなのかもしれない。
あるジャンルの表現はそのジャンルの中だけで使ってほしいのだ。
だがしかし、この世間には、「みそもくそも一緒に」とか「他人のふんどしで相撲を取る」としか言いようのない状況がある。そういう時は仕方がない。
決然として、これらの表現を使うのみ。
2008/07/04のBlog
[ 01:18 ]
[ 薬剤 ]
患者からの要望でLドーパの50mg錠が開発された。
4年前の秋に製薬会社に要望書を出してようやっと実現した。
Lドーパ製剤は今まで100mg錠と250mgしかなかった。
若年性の患者の多くが1回に1/2錠以下をのんでいるのにもかかわらず。
中には固くて割れにくかったり均等に割れないものもある。
ある大手の製薬会社に割りやすいように割線をもう少し深くしてくれないかと要望した。答えは「お金がかかる」だった。
ヨーロッパには以前から4分割できる錠剤がある。
なぜ低用量が必要かというと、1回に飲む量が多すぎると血中濃度のカーブが急になりジスキネジアが出やすくなる。
血中濃度のカーブをできるだけなだらかに適切な値にすることで、1日中いい状態をずっと保てることになるのだ。
この「Lドーパの適切な血中濃度を一定に保つ」ことがパーキンソンン病患者、特に若年性患者の悲願だと言ってもいい。
そのための薬剤・治療法の開発が欧米では行われている。
だが日本の製薬会社や医療行政は患者の苦痛を少しでも少なくすることにあまり熱心ではないようにみえる。
日本ではなぜか”血中濃度の一定化”は最優先にはならない。
大手の製薬会社は関心を示さなかったが、ジェネリックの会社が開発することになった。
ドパコール50mg錠は、日本において患者の要望を取り入れたという点で、画期的なできごとだと思う。
この50mgドパコール実現に貢献したのははAppleのハトポッポさん。
今、製薬会社に送った要望書を読み返して、その精緻さ・徹底性に改めて感銘を受けた。
この要望書作成だけでも立派な仕事だと思う。
ましてや実現させたのだから本当にすばらしい。
こういうことをするのが真に患者のための活動と言える。
4年前の秋に製薬会社に要望書を出してようやっと実現した。
Lドーパ製剤は今まで100mg錠と250mgしかなかった。
若年性の患者の多くが1回に1/2錠以下をのんでいるのにもかかわらず。
中には固くて割れにくかったり均等に割れないものもある。
ある大手の製薬会社に割りやすいように割線をもう少し深くしてくれないかと要望した。答えは「お金がかかる」だった。
ヨーロッパには以前から4分割できる錠剤がある。
なぜ低用量が必要かというと、1回に飲む量が多すぎると血中濃度のカーブが急になりジスキネジアが出やすくなる。
血中濃度のカーブをできるだけなだらかに適切な値にすることで、1日中いい状態をずっと保てることになるのだ。
この「Lドーパの適切な血中濃度を一定に保つ」ことがパーキンソンン病患者、特に若年性患者の悲願だと言ってもいい。
そのための薬剤・治療法の開発が欧米では行われている。
だが日本の製薬会社や医療行政は患者の苦痛を少しでも少なくすることにあまり熱心ではないようにみえる。
日本ではなぜか”血中濃度の一定化”は最優先にはならない。
大手の製薬会社は関心を示さなかったが、ジェネリックの会社が開発することになった。
ドパコール50mg錠は、日本において患者の要望を取り入れたという点で、画期的なできごとだと思う。
この50mgドパコール実現に貢献したのははAppleのハトポッポさん。
今、製薬会社に送った要望書を読み返して、その精緻さ・徹底性に改めて感銘を受けた。
この要望書作成だけでも立派な仕事だと思う。
ましてや実現させたのだから本当にすばらしい。
こういうことをするのが真に患者のための活動と言える。
Appleの記事
文中に「要望書」が読めるようにリンクをはってある。
文中に「要望書」が読めるようにリンクをはってある。