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rosebud パーキンソン病とともに
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2008/08/04のBlog
暇があるとぼーっとあるサイトを眺める。
ネパリ・バザーロというフェアトレードのインターネットショップ「ベルダ」
ここの服やなにかはネパールの女性たちがつくっている(のだと思う。)
これらの女性が自立した生活を送れるようフェアトレード(対等な取引?)しているのだ。

昨年あたりからここの服が気に入っている。
私はもう10年以上「大地を守る会」から野菜やお米を買っているのだけど、そこで時々雑貨や洋服も紹介する。
ここでネパリ・バザーロを知った。

サイトを見れば分かると思うけど、ここの服はナチュラルだ。
手織り綿などの素朴な布地。
そして身体を自由にする形。
草木染のような自然な色あい。

この夏の私のスタイルはネパリのロングドレスと麦さんの麻のショルダー
それに何年か前に買ったラフィアの帽子

ロングドレスは背中でクロスした紐を引っ張って身体にあわせて着る。
小柄な私が着ると目いっぱい長い。
秋に着たいのはポシェットつきのチュニック。
でもこれもサイズが大きそう。



2008/07/31のBlog
[ 20:36 ] [ 福祉サービス全般 ]
SophiaがALS患者のための小冊子コピーを参考にと送ってくれた。
ハトポッポさんが分担してくれる「チャートと簡単な説明」もこういうようなものだと思う。
一般の患者が知りたいことには、これで十分なのだろう。これ以上書くのは困難だし返って混乱するだけかもしれない。

だが私は疑問に思う。
小冊子の説明では患者は全てサービスが受けられるという印象を持つだろう。
これは真実ではない。
制度の目的は難病患者や障害者への援助を保障するものであっても、実際に運用するときは「~以外は援助しない」という制限条項として機能することになるのではないか。

「~以外」の線引きになるのは症状の程度ということになるけれど、ご存知のようにパーキンソン病の症状判定基準はまちまちである。
制度によって違い医師によって違う。

誰に援助が必要か必要でないかを第三者は決められないのではないか。
決められるとしたら援助を必要とする当人だけだと思う。

ところが現在の制度は当人以外の第三者がどんどん決めていく。
これはどうしてなのだろうか。

これからますます社会福祉は後退していくだろう。
制度はますます理念を放棄し制限ばかりになるだろう。
つまり、「援助が必要な人を援助しよう」というヒューマンな考えは消えたということだ。
今すぐでないとしても、その方向は既に選択されている。
そういうときに、私たち援助が必要な人はどう考えていけばいいのだろうか。
2008/07/29のBlog
私は人に話をするのが下手だ。
肝心なことが言えなくてどうでもいいことばかり言ったりする。
説明描写も下手だ。
文章だとやっと言いたいことが書けるような気がする。
それでも情感に欠ける文章だと夫は言う。

医師に自分の状態をできるだけ正確に話すこと。
これは私にとって至難の業だ。
はじめの頃は感情的な辛さばかり訴えていた
。医師に何を話すべきかわかっていなかったのだろう。
主治医は「どういう状態だったのですか?」とか「いつもですか?」とか問い返していた。
それで、具体的に(数字などをあげて)話さなくてはならないのがわかった。



私はまめな性格ではないので、そのときそのとき一番困っていることを言うようにした。
それでも話しても対策がなさそうなことは繰り返して言わなかったりもする。
これはとてもよくない。

今の主治医に替わってからの3年間、私は主治医にオンのときのすくみと転倒を訴えてきた(つもりだった。)
でもそれがあまり伝わっていなかったのが障害年金の診断書再提出でわかった。
彼女はジスキネジアのことを主に気にかけDBSを勧める。
ジスキネジアより私の問題は、薬の量や緊張に過敏に反応する脚の筋肉。
もしかしたら主治医はこのことを分かっていないかもしれないと今突然思った。 私っ

てどうして肝心なことが言えないのだろう。

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以下はもぐもぐタイムさんから戴いたコメントをご本人の許可を得てここに載せます。

≫肝心なことがいえない!
私もいつもいつも自分の事ではそう思っています。
つたない私の経験から、(私自身のことと重なるかもしれませんが)毎日をどう生きるかの姿勢と密接に結びついているように思っています。

私の場合は、どこか深いところでいつも遠慮があるのです。
生きていることそのこと事態への遠慮というか一歩引いているのを感じています。それは、子どもの頃から家族の中でもそうでした。
だから、考えていることや感じていることの7~8割しか表現しないできました。それが今でも残っています。
ただ、もしかしたら日本人の特色?なのかもしれないとも思っています。
幼い頃から多様な異文化の環境であったら、表現することを意識的につくってきたのではないか?そしてそれが自然な姿になっていたかもしれないと、そんなことも思います。
2008/07/24のBlog
[ 22:12 ] [ 映画・本・音楽・写真 ]
夫のblogを見た。
タイトルは「水のように必要な音楽」

"YOU TUBE"から拾ってきたミュージック・クリップというか映像。
画質も音もよくない。
でも最高!

音楽が
男たちが

昔、夫の隣でいつも聴いていた曲
観ていた男たち
私のアイドルだった男たち

自分を全開で表現しきった男たちのなんと魅力的なこと
1995年のボブ・ディラン
ゴールドのジャケットのもう若くはない彼

APPLE屋上のジョンには言葉がない
この映画は観たっけ

アイルランドの景色が流れて
懐かしいロリー・ギャラガー

U2もこの頃はよかった
彼らもアイリッシュ

みんなみんなセクシーな男たち

あ、グレース・ジョーンズは女だった。
すばらしく天才のジャニスも




[ 21:17 ] [ 介護保険 ]
介護保険法第1条に「…その能力に応じた日常生活を営むことができるよう…」とあり、介護保険の目的は自立の支援であると思われる。

制度のなかで「これこれ以外の」(外出・生活)援助をしてはいけない」とうたってはいない。
「してはいけない」とうたうと「どうして趣味のための外出介助をしてはいけないのか」ということになるだろう。
その場合、答は「してもいい」しかありえない。

それでこういう表現になる
介護保険では算定されない=算定外である

算定しない=算定外というのは問題をテク二カルなことにすり替えているだけで、実際は「してはいけない」と言っているのだ。
「介護はこれだけでいい」と言っているのだ。

穏健に言うと、この表現は算定される介助が算定されない介助よりも人間にとって必須であるという優劣の判断を示している。

また、財源がないから必須(と思われる)の介護しかしないというなら、『介護保険の目的は「人の存在に必須と思われる介護(介助)を提供する』とうたったほうが真実であり誠実だと思う。

財源について言うなら、福祉はお金の余裕があるからする・余裕がなかったらしないというものなのだろうか。
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介護保険法
第1章 総論

(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。

2008/07/19のBlog
[ 13:43 ] [ 考える―その他 ]


私が福祉サービスを受けるようになってから最大の疑問は、

≫なぜ行政はサービスを必要とする私の意見を聞かずに、提供するサービスを決めてしまうのか≪

ということだった。

昨日仕事から帰ってきた夫が1冊の岩波新書を見せながら話す。
この本にはこう書かれていると。

≫当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも―国家も、家族も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。≪

そうよ、そうなのよ。
私が言いたかったことは。
なんでサービスを必要としている人に「どんなサービスが必要か」を尋ねないのは、本当にその人の存在を無視した僭越な振る舞いなのよ。
そんな人間の存在を無視した行為を行政が国があるいは他人がするのはとんでもない越権行為なのだ。
そんな権利は誰にもない。

そして介護保険制度あるいは障害者自立支援法で、サービスに制限を加えるのは対象者の生活自体に対する干渉=これも越権行為になる。
サービスに制限を加えるというのは、日常の買い物に少し遠い店へは外出介助を認めないとか、社会活動のための外出に、移動支援は最重症(=寝たきり)患者にしか移動支援を認めないとかいうことをさす。
こういう制限は、「高齢者や障害者には近所で日常品の買い物とお役所、選挙に行くこと以外は出かける必要がない」と言っているに等しい。

寝たきりに近い重症でも出かけなければならない(どういうときだろうか?)ことしか支援しないというのは、人に必要な外出はそれだけだと言っているのと同じだ。

こういう制度が人(高齢者・障害者)の移動の自由を奪っていく。
介護は介護保険で認められることだけとか、障害者の自立は法律が決めたことという考えが定着していく。

これは本当におかしなことではないだろうか。

この本には次のように書かれている。

≫ふつう私たちは「自立」というと、他人の世話にならず単独で生きていくことを想定する。だがそのような自立は幻想にすぎない。
どの人も自分以外の他人によってニーズを満たしてもらわなければ、生きていくことができない。社会は自立した個人の集まりから成り立っているように見えて、その実、相互依存する人々の集まりから成り立っている。
人生の最初も、最期にも、人と人とが支え合い、お互いに必要を満たしあって生きるのはあたりまえのことであり、だれかから助けを受けたからといって、そのことで自分の主権を侵される理由にはならない。
人々が相互依存して生きている社会で、他人の助けを得ないことが、なぜ理想とされるのか。だれからも助けを得ない人は、豊かな人生を送っているとはいえない。

障害を持った人が、必要な助けを必要なだけ得られる社会は、どんな人も安心して生きていける社会だ。それは、障害の有無にかかわらず、私が私の人生の主人公であることを貫くためである。障害者運動から生まれた「自立」の概念は、非障害者を標準にできあがった、それまでの「自立」観を、大きく変えた。

★ 当事者主権は、こうしたパラダイム転換からもたらされた。
この社会で「お客様」であり、「厄介者」であり、「お荷物」であるとは、どういうことだろう
。超高齢化社会のなかで、だれもがいつかは「障害者」となり、ハンディを抱えこむことが予想されるとき、人生のうちで依存する者もおらず、人に依存する必要もない一時期にだけ合わせてつくられた社会のしくみを、根本的に考え直す時機が来ている。≪


そう、私の考えを普遍化していくとこういうことになる。

「誰もが相互依存している社会」

関連blog 夫のblog






このところ真夏というにふさわしい暑さが続く。
エアコンを一昨日から使いはじめる。
昨日ヨガのとき天井からの冷風を感じた。
そして今朝、突然右腰jの裏側、奥のほうの腱が引きつる。
みるみる痛くなり姿勢を変えようとするとびりびり痛い。 
泣きたくなった。本当に泣く。

洗面所の棚にあったシップをはる。
痛みは引かない。
パーキンソン病の薬も効いてこない。
ああ、なんでこんなになるの。

気を紛らすためとなんとかするためにマッサージの人、PT,ヨガの先生に対策を尋ねる。
共通しているのは「あたためる」、冷えはよくない、ひたすらあたためる。
あとは、ゆっくりストレッチ、ミネラルを補給

お風呂にゆっくり入ってからストレッチをした。
少し軽減。
眠る。
また眠る。
夕方遅く、やっとお薬がちゃんと効いてきて動けるようになる。
パーキンソン病の薬が効くと痛みも大分なくなった。

やっぱり、病気が痛みを増幅するのかな。

2008/07/15のBlog
[ 02:51 ] [ 福祉サービス全般 ]
Apple福祉ページのトップはアイコンは落ちぼろぼろの状態だった。
急に思い立ち、せめて今あるコンテンツだけでもきちんと整理したトップにしたい。
そう思ってトップページの改変に取り掛かる。

まずタイトルを「介護・福祉」から「福祉情報」に変えた。
今現在は「患者支援情報」にしようかと考えている。
患者の立場から言えば、介護も福祉もNPOも全て”患者支援”である。

「介護」というのも介護保険で認められることだけが「介護」ではない。
患者が必要とする支援の項目を挙げてみる。
その項目の下に当てはまるサービスを入れていくことにしよう。
試しに挙げてみたのは
「医療費助成」
「就労支援」
「移動支援」
「生活援助」
「補助具」
「障害年金」
「手当て」
「優遇・割引など」
「その他の患者支援」

「サービス給付」と「現金(?)給付」という分類もある。

なかでも公的制度から軽視されているのは「移動」ではないか。

しかし、上記コンテンツを私一人で整備することはできないだろう。
眼の問題と体力・年齢もある。
他の場所("Message from Almond"など)に書いた記事を集めるのも一仕事。

誰か私を手伝ってくれる人はいないだろうか。
そう、患者にはこういう”支援”も必要なのよね。