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2008/05/09のBlog
[ 20:07 ]
きずなとして、5月5日~6日に大阪研修に行ってきました。長くなりそうなので、少しずつ書きます。
今回の研修は、「ホームレス支援全国ネットワーク」(※)による総会及び研修会への参加で、2日間にわたって大阪市西成区にある「大阪市立大学・都市研究プラザ」(写真の建物の3階)で行われました。1階が100円ショップで、店の中にある扉からしか入れないというまるで秘密基地のような会場でした。ちなみにいわゆる釜ヶ崎はすぐそこにあるという立地。JR天王寺駅からも余裕で歩いてこられるところ。
きずなからは理事長、副理事長、ポルト湘南・辻堂施設長、きずな相談室相談員、ポルト湘南・茅ヶ崎スタッフの計5名+神奈川県立保健福祉大学の学生2名という7名で参加しました。10人乗りのレンタカーで4日の夜12時ごろ茅ヶ崎を出発。免許は7人全員持っていながら、運転要員は2人(うち1人は理事長…お疲れ様です…)という厳しい状況の中で、しかもGW中に行って帰ってくるというなかなか条件だけでも大変な研修でした。
しかし、研修は苦労して参加したかいがあるものだったと思います。全国の支援団体(北海道から沖縄まで優に40は超える団体)が集ったため、知り合いになって話を聞くだけでも刺激になります。毎年、同じく全国の野宿当事者及び支援者が集う「全国地域寄せ場交流会」という会もありますが、全国ネットは実際に宿泊所などを運営する事業者も多いのでカラーが違うのもおもしろかったです。(あ)
(続く)
(※)2007年6月に、ホームレス支援活動の相互の連絡、連携等を図るため支援団体および個人による全国的なネットワークを目指して設立された団体。
今回の研修は、「ホームレス支援全国ネットワーク」(※)による総会及び研修会への参加で、2日間にわたって大阪市西成区にある「大阪市立大学・都市研究プラザ」(写真の建物の3階)で行われました。1階が100円ショップで、店の中にある扉からしか入れないというまるで秘密基地のような会場でした。ちなみにいわゆる釜ヶ崎はすぐそこにあるという立地。JR天王寺駅からも余裕で歩いてこられるところ。
きずなからは理事長、副理事長、ポルト湘南・辻堂施設長、きずな相談室相談員、ポルト湘南・茅ヶ崎スタッフの計5名+神奈川県立保健福祉大学の学生2名という7名で参加しました。10人乗りのレンタカーで4日の夜12時ごろ茅ヶ崎を出発。免許は7人全員持っていながら、運転要員は2人(うち1人は理事長…お疲れ様です…)という厳しい状況の中で、しかもGW中に行って帰ってくるというなかなか条件だけでも大変な研修でした。
しかし、研修は苦労して参加したかいがあるものだったと思います。全国の支援団体(北海道から沖縄まで優に40は超える団体)が集ったため、知り合いになって話を聞くだけでも刺激になります。毎年、同じく全国の野宿当事者及び支援者が集う「全国地域寄せ場交流会」という会もありますが、全国ネットは実際に宿泊所などを運営する事業者も多いのでカラーが違うのもおもしろかったです。(あ)
(続く)
(※)2007年6月に、ホームレス支援活動の相互の連絡、連携等を図るため支援団体および個人による全国的なネットワークを目指して設立された団体。
2008/04/30のBlog
[ 08:18 ]
今日で4月も終わりです。
シェルターは2月・3月と満員が続き、きずなの他施設をシェルター的に活用して何とかしのいできました。怒涛の数ヶ月が過ぎ、少し落ち着いてきたところです。
さて、今年度から生活保護制度で重要な変化がありました。従来はシェルターなどからアパート契約する際に、敷金・礼金・業者への仲介手数料・日割及び前家賃は転居費用として役所から支給されていましたが、火災保険料や保証会社への保証代行料は支給されず自己負担となっていました。生活費の中からその費用を捻出して、場合によってはきずなとしても貸付を行って、多くの人がアパート生活を始めて行きました。
しかし、『昨今の賃貸住宅の実態を見ると、地域差はあるものの、火災保険料についてはほとんどの物件で契約時及び更新時に負担を求められ、また、保証人が得られない者については保証会社等を利用しないと物件が借りられないという実態がある。このため、ホームレスや入院中の精神障害者等が居宅設定する場合において、これらの費用が負担できないという理由で在宅での生活に入れないといった事態が生じている。
したがって、このたび、新たに住居を設定する場合や転居する場合に自立助長の観点から、 従来の敷金等及び契約更新料の 範囲内でこれらの費用を認定できるよう所要の改正を行うことと している。』(社会・援護局関係主管課長会議資料(平成20年3月3日開催 「重点事項」より)という趣旨で、この4月からこの2つのお金も条件次第では役所から支給されるようになりました。
実際に、4月から数人の方が火災保険料と保証代行料を支給されてアパートに入りました。神奈川県域の家賃上限は46000円、その家賃だと火災保険は15000円~20000円、保証代行料は20000円~30000円程度が相場です。平均して4万円くらいの自己負担が減るのですから、ほとんど何もない状態からアパート生活を始める際には大きな差が出ます(それとは別に布団代・家具什器費という一時金は支給されますが)。
きずなとしても貸したお金の回収に困ることも多々ありましたので(「私たちは借金取りか」と情けなくなることも)、今回の改訂は非常に喜ばしい、有意義なことだと思います。
シェルターは2月・3月と満員が続き、きずなの他施設をシェルター的に活用して何とかしのいできました。怒涛の数ヶ月が過ぎ、少し落ち着いてきたところです。
さて、今年度から生活保護制度で重要な変化がありました。従来はシェルターなどからアパート契約する際に、敷金・礼金・業者への仲介手数料・日割及び前家賃は転居費用として役所から支給されていましたが、火災保険料や保証会社への保証代行料は支給されず自己負担となっていました。生活費の中からその費用を捻出して、場合によってはきずなとしても貸付を行って、多くの人がアパート生活を始めて行きました。
しかし、『昨今の賃貸住宅の実態を見ると、地域差はあるものの、火災保険料についてはほとんどの物件で契約時及び更新時に負担を求められ、また、保証人が得られない者については保証会社等を利用しないと物件が借りられないという実態がある。このため、ホームレスや入院中の精神障害者等が居宅設定する場合において、これらの費用が負担できないという理由で在宅での生活に入れないといった事態が生じている。
したがって、このたび、新たに住居を設定する場合や転居する場合に自立助長の観点から、 従来の敷金等及び契約更新料の 範囲内でこれらの費用を認定できるよう所要の改正を行うことと している。』(社会・援護局関係主管課長会議資料(平成20年3月3日開催 「重点事項」より)という趣旨で、この4月からこの2つのお金も条件次第では役所から支給されるようになりました。
実際に、4月から数人の方が火災保険料と保証代行料を支給されてアパートに入りました。神奈川県域の家賃上限は46000円、その家賃だと火災保険は15000円~20000円、保証代行料は20000円~30000円程度が相場です。平均して4万円くらいの自己負担が減るのですから、ほとんど何もない状態からアパート生活を始める際には大きな差が出ます(それとは別に布団代・家具什器費という一時金は支給されますが)。
きずなとしても貸したお金の回収に困ることも多々ありましたので(「私たちは借金取りか」と情けなくなることも)、今回の改訂は非常に喜ばしい、有意義なことだと思います。
2008/04/15のBlog
[ 03:26 ]
この4月から、JR東海道線の辻堂駅近くに新しい無料低額宿泊施設「ポルト湘南・辻堂」を開設しました。15人定員の小さな施設です。
もともと老人ホームとして使用されていたということで、手すりやスロープなど高齢者向けの改造もされています。ここはポルト湘南・茅ヶ崎とは異なり、なかなか地域で生活することが難しい高齢者の住まいとして想定されています。
どこの無料低額宿泊施設でも共通の課題として、入居者の高齢化・長期滞在化があるようです。就労による「自立」が困難で、しかも金銭管理能力や生活スキルが高くない場合、地域でアパート生活をすることが難しい方が少なくありません(ただし、適切なアフターフォローがあれば、アパート生活ができるという方も同様に少なくありませんが―もっともアフターフォローを行う機関・財政的裏付けが少ないこともあり、結果的にこの種の施設のニーズが非常に高くなっています)。
少しでも住まいの選択肢を増やせるよう、民間の私たちができることを追求していったら、こういう施設の形になりました。
ポルト湘南・茅ヶ崎やきずなシェルターとともによろしくお願い致します。(あ)
もともと老人ホームとして使用されていたということで、手すりやスロープなど高齢者向けの改造もされています。ここはポルト湘南・茅ヶ崎とは異なり、なかなか地域で生活することが難しい高齢者の住まいとして想定されています。
どこの無料低額宿泊施設でも共通の課題として、入居者の高齢化・長期滞在化があるようです。就労による「自立」が困難で、しかも金銭管理能力や生活スキルが高くない場合、地域でアパート生活をすることが難しい方が少なくありません(ただし、適切なアフターフォローがあれば、アパート生活ができるという方も同様に少なくありませんが―もっともアフターフォローを行う機関・財政的裏付けが少ないこともあり、結果的にこの種の施設のニーズが非常に高くなっています)。
少しでも住まいの選択肢を増やせるよう、民間の私たちができることを追求していったら、こういう施設の形になりました。
ポルト湘南・茅ヶ崎やきずなシェルターとともによろしくお願い致します。(あ)
2008/02/12のBlog
[ 10:46 ]
昨年10月から月に1度、小田原の教会を会場として無料鍼灸会が行われています。
鍼灸師のN先生(写真の赤いTシャツの方)は、10数年の長きにわたって小田原から東京山谷に通って無料鍼灸会をしてきた方です。山谷での活動を引き上げて、これからは地元で野宿者を主な対象とする無料鍼灸会を行うことに。小田原パトのKさんから情報を入手し、さっそく私たちも小田原で野宿からアパートに入った方々を誘って参加しています。私もこの機会に鍼治療を初めて受けたのですが、N先生の腕がいいのでしょう、ファンになってしまいました。いや~効きます。
中には1回受けてみて次からは「いいや」という人もいますが、続けて受けてみようと思う人もいるようです。今のところ野宿からの参加は少ないのですが、アパートに入った方々の交流の場の1つになればいいなあと思っています。(あ)
鍼灸師のN先生(写真の赤いTシャツの方)は、10数年の長きにわたって小田原から東京山谷に通って無料鍼灸会をしてきた方です。山谷での活動を引き上げて、これからは地元で野宿者を主な対象とする無料鍼灸会を行うことに。小田原パトのKさんから情報を入手し、さっそく私たちも小田原で野宿からアパートに入った方々を誘って参加しています。私もこの機会に鍼治療を初めて受けたのですが、N先生の腕がいいのでしょう、ファンになってしまいました。いや~効きます。
中には1回受けてみて次からは「いいや」という人もいますが、続けて受けてみようと思う人もいるようです。今のところ野宿からの参加は少ないのですが、アパートに入った方々の交流の場の1つになればいいなあと思っています。(あ)
2007/11/26のBlog
[ 22:51 ]
少し前になりますが渋谷で「ミリキタニの猫」という映画を見てきました。
ジミー・ツトム・ミリキタニという1920年生まれの日系アメリカ人路上画家と、その映画を撮影・監督したリンダ・ハッテンドーフという女性との交流・交流を通じた彼の変化を描いたドキュメンタリー映画です。ミリキタニ氏はニューヨークで野宿状態を20年以上続けながらも絵を描き続け、絵を売って生計をたててきました。9・11をきっかけにリンダさんの家に彼が住み始め、そこから生活保障を受けて高齢者アパートに住めるようになりました。
ミリキタニ氏が野宿状態にあったからといって、これは「ホームレスとその自立」に焦点をあてた映画ではありません。あくまでもミリキタニさんという個人に焦点をあてた映画です。興味深い対象としてとりあげたミリキタニ氏がたまたま「ホームレス」だったということですね。
ミリキタニ氏は(漢字で三力谷、広島の苗字だそうです)第二次世界大戦中に強制収容所に入れられ、抵抗の証として米国市民権を放棄、戦後も市民権が回復されることなく(実はリンダさんの調査で、1950年代には市民権が回復されていたことがわかった)、住み込みの両料理人として生きてきたことが、2人の交流を通じて明らかになってきます。住み込み仕事を失ってからは、80歳を超えるまで野宿。誇り高く最初は頑なに生活保障を受けることも拒否していましたが、少しずつ周囲を信用し受け入れていく様子がユーモラスに描かれています。その中でアメリカにいる親戚とも連絡がつき、強制収容所で離れ離れになっていた姉も健在でいることがわかりました。
ミリキタニ氏の絵は上手下手という観点で見れば下手だと思いますが、色のうつくしさ・絵から伝わってくる躍動感はすばらしい。絵とともに人生がある・書かずにはいられない気持ちが伝わってきます。周囲との関係が変化するにつれて、絵の題材も変わってきます。これまで強制収容所の絵を執拗に描いていたのが、リンダさんとともに訪れた強制収容所ツアーで過去を精算できたのでしょう、収容所の絵が解放的に変わります。
何よりすごいと思ったのは、ミリキタニ氏の姿勢がぐんぐん変わっていくこと。最初野宿状態のミリキタニ氏は、背中がまるまって肩が上がり苦しそうな姿勢でした。加齢のためだろうと思っていたのですが、最後の方では背がしゃきっと伸びている!
これは環境の変化だけでは説明できないと思います。積年の怒り・恨みが消化され、開放されたのにともなって姿勢も変わってきたに違いないとしみじみ感じました。
福祉業界でよく使われるエンパワメント(誰もがみな、生まれながらに持っている素晴らしい力を十分に発揮すること)の具体化です。そしてミリキタニ氏に絵という表現手段があったからこそ、それだけの変化が現われてきたのではないでしょうか。
現場の忙しさにかまけて、福祉とか援助を超えたところにある人間どうしの共感・交流の重みを忘れてはいけないと、ミリキタニ氏が描くかわいいとはお世辞にもいえない・でも魅力的な猫を見て感じています。(あ)
ジミー・ツトム・ミリキタニという1920年生まれの日系アメリカ人路上画家と、その映画を撮影・監督したリンダ・ハッテンドーフという女性との交流・交流を通じた彼の変化を描いたドキュメンタリー映画です。ミリキタニ氏はニューヨークで野宿状態を20年以上続けながらも絵を描き続け、絵を売って生計をたててきました。9・11をきっかけにリンダさんの家に彼が住み始め、そこから生活保障を受けて高齢者アパートに住めるようになりました。
ミリキタニ氏が野宿状態にあったからといって、これは「ホームレスとその自立」に焦点をあてた映画ではありません。あくまでもミリキタニさんという個人に焦点をあてた映画です。興味深い対象としてとりあげたミリキタニ氏がたまたま「ホームレス」だったということですね。
ミリキタニ氏は(漢字で三力谷、広島の苗字だそうです)第二次世界大戦中に強制収容所に入れられ、抵抗の証として米国市民権を放棄、戦後も市民権が回復されることなく(実はリンダさんの調査で、1950年代には市民権が回復されていたことがわかった)、住み込みの両料理人として生きてきたことが、2人の交流を通じて明らかになってきます。住み込み仕事を失ってからは、80歳を超えるまで野宿。誇り高く最初は頑なに生活保障を受けることも拒否していましたが、少しずつ周囲を信用し受け入れていく様子がユーモラスに描かれています。その中でアメリカにいる親戚とも連絡がつき、強制収容所で離れ離れになっていた姉も健在でいることがわかりました。
ミリキタニ氏の絵は上手下手という観点で見れば下手だと思いますが、色のうつくしさ・絵から伝わってくる躍動感はすばらしい。絵とともに人生がある・書かずにはいられない気持ちが伝わってきます。周囲との関係が変化するにつれて、絵の題材も変わってきます。これまで強制収容所の絵を執拗に描いていたのが、リンダさんとともに訪れた強制収容所ツアーで過去を精算できたのでしょう、収容所の絵が解放的に変わります。
何よりすごいと思ったのは、ミリキタニ氏の姿勢がぐんぐん変わっていくこと。最初野宿状態のミリキタニ氏は、背中がまるまって肩が上がり苦しそうな姿勢でした。加齢のためだろうと思っていたのですが、最後の方では背がしゃきっと伸びている!
これは環境の変化だけでは説明できないと思います。積年の怒り・恨みが消化され、開放されたのにともなって姿勢も変わってきたに違いないとしみじみ感じました。
福祉業界でよく使われるエンパワメント(誰もがみな、生まれながらに持っている素晴らしい力を十分に発揮すること)の具体化です。そしてミリキタニ氏に絵という表現手段があったからこそ、それだけの変化が現われてきたのではないでしょうか。
現場の忙しさにかまけて、福祉とか援助を超えたところにある人間どうしの共感・交流の重みを忘れてはいけないと、ミリキタニ氏が描くかわいいとはお世辞にもいえない・でも魅力的な猫を見て感じています。(あ)
2007/11/07のBlog
[ 11:16 ]
このところ、シェルターへの女性の入所が相次いでいます。3部屋中2部屋に女性が2名ずつ入ることも珍しくない状態です。シェルターには入らなくても、生活保護申請に同行したり、関係団体の女性施設に入所してもらって相談を継続していくというような方も目だって増えています。どうしたことかと戸惑いつつも、これもまた「埋もれていたニーズを引き出した」ということなのだろうと解釈しています。
特に、旅館などに住み込みで働いていたが仕事を失って野宿状態という50代の女性が増えている感があります(といってもここ1,2ヶ月で3人程度ですが)。これまで女性の野宿者が少なかった要因の一つに住み込み就労があったと思われるのですが、そこもすでに限界を迎えているのだろうと感じます。
旅館での仕事を失ったある女性は、旅館でも仲居のような仕事が減り、若い派遣スタッフや通いのみの職場が増えていると言っていました。住み込みの仲居の仕事があったとしても、どちらかといえばランクの高い旅館なので就職にあたって連帯保証人が必要なので、まずそこで躓くと。この方はシェルターから2軒ほど旅館に面接に行きましたが、採用にあたって連帯保証人が2人必要ということで諦めざるを得ませんでした。
女性であるために生活保護制度は利用しやすい反面、結婚という制度から外れた女性のサバイバルの厳しさは他人事ではないな、といっそう感じるこのごろです。(あ)
特に、旅館などに住み込みで働いていたが仕事を失って野宿状態という50代の女性が増えている感があります(といってもここ1,2ヶ月で3人程度ですが)。これまで女性の野宿者が少なかった要因の一つに住み込み就労があったと思われるのですが、そこもすでに限界を迎えているのだろうと感じます。
旅館での仕事を失ったある女性は、旅館でも仲居のような仕事が減り、若い派遣スタッフや通いのみの職場が増えていると言っていました。住み込みの仲居の仕事があったとしても、どちらかといえばランクの高い旅館なので就職にあたって連帯保証人が必要なので、まずそこで躓くと。この方はシェルターから2軒ほど旅館に面接に行きましたが、採用にあたって連帯保証人が2人必要ということで諦めざるを得ませんでした。
女性であるために生活保護制度は利用しやすい反面、結婚という制度から外れた女性のサバイバルの厳しさは他人事ではないな、といっそう感じるこのごろです。(あ)
2007/11/06のBlog
[ 10:12 ]
先日相談の約束があったため藤沢市内の某駅に降りました。
そこは地下が広いフロアになっている駅なのですが、何か数十人もの人が集って集会のようなものをしていました。平日の朝っぱらからなんだろう…と思っていると、そこから人が団子状に散らばってビラまきを始めました。善男善女という風貌の方々が慣れないながらも熱心にまいていたものは、「みんなでつくろう安心の街藤沢」というビラと「安全・安心のまち 藤沢」というシールが貼られた洗濯洗剤(写真)。
警察と地域の防犯協議会が地元の住民と一緒になって防犯を呼びかけているのでした。どうりでさっきから野宿者を見かけないわけだ!とこれを受取って納得がいきました。私が相談を受けるはずの人も見当たりません。周囲を探しましたが、おそらくほとぼりが冷めてからでないと出て来れないでしょう。私が野宿者の立場だったら、このキャンペーンはちょっと、というかかなり怖いです。悪いことをしているわけではなくても、わが身の異端さを感じざるをえないでしょう。
一緒に配るものが洗剤というのも「社会浄化」にひっかけているのでしょうが、きつい冗談だと思いました。なかなか笑って受取れないものがあります。(あ)
そこは地下が広いフロアになっている駅なのですが、何か数十人もの人が集って集会のようなものをしていました。平日の朝っぱらからなんだろう…と思っていると、そこから人が団子状に散らばってビラまきを始めました。善男善女という風貌の方々が慣れないながらも熱心にまいていたものは、「みんなでつくろう安心の街藤沢」というビラと「安全・安心のまち 藤沢」というシールが貼られた洗濯洗剤(写真)。
警察と地域の防犯協議会が地元の住民と一緒になって防犯を呼びかけているのでした。どうりでさっきから野宿者を見かけないわけだ!とこれを受取って納得がいきました。私が相談を受けるはずの人も見当たりません。周囲を探しましたが、おそらくほとぼりが冷めてからでないと出て来れないでしょう。私が野宿者の立場だったら、このキャンペーンはちょっと、というかかなり怖いです。悪いことをしているわけではなくても、わが身の異端さを感じざるをえないでしょう。
一緒に配るものが洗剤というのも「社会浄化」にひっかけているのでしょうが、きつい冗談だと思いました。なかなか笑って受取れないものがあります。(あ)
2007/11/05のBlog
[ 22:09 ]
横浜市の某区でのパトロールは、月1回ペースです。
前回のパトロールではこんな光景に出会いました。小屋住まいのNさん宅です。
板の上に広げられているのは小粒ですが、くるみです。
このくるみはそう中身がたくさん入っていない種類だそうですが、毎年買ってくれる人がいるそうです。まわりの果実?を水で腐らせて種だけにし、さらに乾かしている過程。
秋になると銀杏を拾ってきて、やはり外の臭い果実を取り除いて売るという人によく出会います。今日も平塚駅前でもくるみを路上販売している人がいました。
都会の片隅で、地道な生産活動が行われています。(あ)
前回のパトロールではこんな光景に出会いました。小屋住まいのNさん宅です。
板の上に広げられているのは小粒ですが、くるみです。
このくるみはそう中身がたくさん入っていない種類だそうですが、毎年買ってくれる人がいるそうです。まわりの果実?を水で腐らせて種だけにし、さらに乾かしている過程。
秋になると銀杏を拾ってきて、やはり外の臭い果実を取り除いて売るという人によく出会います。今日も平塚駅前でもくるみを路上販売している人がいました。
都会の片隅で、地道な生産活動が行われています。(あ)
2007/10/24のBlog
[ 00:56 ]
NPO法人湘南ライフサポート・きずなも、設立して5周年になりました。
もう日はないのですが、5周年のお祝いイベントのお知らせです。
昨年8月にポルト湘南・茅ヶ崎の4周年イベントにも出演してくださった寿[kotobuki]のお2人が今年も来てすばらしい歌声を披露して下さいます。会場はポルトに近い中華料理屋です。簡単な食事も用意しますので、平日の参加しにくい時間帯ではありますが、どうぞお気軽にご参加下さい。
★日時:2007年10月25日(木) 午後5時30分~8時
★場所:大連菜館2階 神奈川県茅ヶ崎市旭が丘2-32
(ポルト湘南・茅ケ崎より徒歩3分)
★辻堂駅南口より浜竹・若松町経由茅ヶ崎行きまたは茅ヶ崎駅南口より若松町経由
辻堂行きのバスで「桜道」バス停下車。バス停の真ん前が会場です。お車の場合は会場に4台ほど停められますし、ポルトにも数台駐車出来ます。
★会費:無料
当日、直接会場にいらしても結構ですし、ご希望があれば事前にポルトの見学なども可能です。
もう日はないのですが、5周年のお祝いイベントのお知らせです。
昨年8月にポルト湘南・茅ヶ崎の4周年イベントにも出演してくださった寿[kotobuki]のお2人が今年も来てすばらしい歌声を披露して下さいます。会場はポルトに近い中華料理屋です。簡単な食事も用意しますので、平日の参加しにくい時間帯ではありますが、どうぞお気軽にご参加下さい。
★日時:2007年10月25日(木) 午後5時30分~8時
★場所:大連菜館2階 神奈川県茅ヶ崎市旭が丘2-32
(ポルト湘南・茅ケ崎より徒歩3分)
★辻堂駅南口より浜竹・若松町経由茅ヶ崎行きまたは茅ヶ崎駅南口より若松町経由
辻堂行きのバスで「桜道」バス停下車。バス停の真ん前が会場です。お車の場合は会場に4台ほど停められますし、ポルトにも数台駐車出来ます。
★会費:無料
当日、直接会場にいらしても結構ですし、ご希望があれば事前にポルトの見学なども可能です。
2007/10/02のBlog
[ 16:07 ]
今年も9月末の平日の朝6時半~8時に、横浜市により、横浜駅周辺の野宿者を対象とした結核検診が行われました。駅近くの公園です。
横浜駅周辺の野宿者は、パトロールで出会えている限りでは、最近多くて60名あまり。この結核検診があった日の夜は30名あまりと変動がかなりあります。野宿が長い人も多いです。
年1回行われており今年で5回目ですが、今回の受診者はたったの5名。16名(04年)→17名(05年)→10名(06年)→5名(07年)という結果になっており、来年は継続するかどうか検討していくと横浜市職員が話していました。
前々日の夜や当日の朝にパトメンバーが野宿者に呼びかけて回りましたが、こちらとしては受けてもらいたい人に限って受けていない現状です。逆にパトメンバーと付き合いが深く、「俺は毎年検診を受けてるから大丈夫なのはわかってるけど、受ける人が少ないと検診自体がなくなっちゃうから来てるんだ。みんなそれをわかってない」と悔しそうに話していくおじさんもいました。
横浜にいる野宿者が少なくなっているわけではないと思うのですが、プレハブ越冬が横浜市の財政削減のため廃止され、さらに法外援護としてのパン券制度が著しく制限されるに及んで、こういった行政の野宿者施策に関わること自体を避ける雰囲気が横浜市の野宿者の中に広がっているような気がしました。
後2ヶ月もすれば越冬の季節です。個人的には湘南・県域の野宿者にばかり目が向きがちですが、野宿者数全国第3位の横浜市の野宿者施策の動向は影響力が大きいです。注意して見ていかねばと思った次第です。(あ)
横浜駅周辺の野宿者は、パトロールで出会えている限りでは、最近多くて60名あまり。この結核検診があった日の夜は30名あまりと変動がかなりあります。野宿が長い人も多いです。
年1回行われており今年で5回目ですが、今回の受診者はたったの5名。16名(04年)→17名(05年)→10名(06年)→5名(07年)という結果になっており、来年は継続するかどうか検討していくと横浜市職員が話していました。
前々日の夜や当日の朝にパトメンバーが野宿者に呼びかけて回りましたが、こちらとしては受けてもらいたい人に限って受けていない現状です。逆にパトメンバーと付き合いが深く、「俺は毎年検診を受けてるから大丈夫なのはわかってるけど、受ける人が少ないと検診自体がなくなっちゃうから来てるんだ。みんなそれをわかってない」と悔しそうに話していくおじさんもいました。
横浜にいる野宿者が少なくなっているわけではないと思うのですが、プレハブ越冬が横浜市の財政削減のため廃止され、さらに法外援護としてのパン券制度が著しく制限されるに及んで、こういった行政の野宿者施策に関わること自体を避ける雰囲気が横浜市の野宿者の中に広がっているような気がしました。
後2ヶ月もすれば越冬の季節です。個人的には湘南・県域の野宿者にばかり目が向きがちですが、野宿者数全国第3位の横浜市の野宿者施策の動向は影響力が大きいです。注意して見ていかねばと思った次第です。(あ)
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