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2007/12/10のBlog
[ 16:41 ]
[ オランダ旅行記-11,2007 ]
だいぶオランダ旅行記というかアムステルダム旅行記は短縮してしまいましたが(笑)ドイツ旅行記と比較すると、かなりの手抜きですが。ただ、やはり自分は比較するとオランダよりもドイツの方が好みですね。まぁ人それぞれ好みがあると思いますが自分は、やはりドイツが好きですね。ドイツ、それから北欧、それとチェコなど中欧~東欧ですかね(笑)今回で海外旅行6回目であり欧州旅行6回目ですが、本当に毎回毎回、素晴らしく楽しくて仕方ありません(笑)日本で節約生活をし欧州で金を落としてる感が凄くありますが(笑)どうしても自分好みの音楽とサッカーを追及すると欧州しかないんですよね…帰国日は時間ギリギリまで寝て空港に向かいました。
本当にアムステルダム・スキポール空港はアクセスが良いです。中央駅からこれだけ近いと本当に素晴らしいです。今まで自分が訪れた街の中ではアムステルダムが最も、アクセスが良いと思います。コペンハーゲンの空港もアクセスは良く近かったですが。ウィーンもそこそこ近かった気がしますね。本当にアムステルダム・スキポール空港のアクセスは素晴らしいです。しかも地理的にも、この空港はヨーロッパの空の玄関でもありますね。フランクフルトやパリと並んで非常に多くの線が飛んでます。アムステルダムから南米も結構、行けるみたいですね。自分はKLMのEチケットでしたので機械のネットみたいなやつでチェックインしましたが、非常にスムーズですね。
KLMですが、今回初めて乗りましたが好印象です。めちゃめちゃ日本語が上手でイントネーションもしっかりしるオランダ人のスチュワーデスがいたりもしましたし(笑)日本人が喋ってるんじゃないか!?と思えるくらいに日本語うまいオランダ人でしたね(笑)行きもそうでしたが、やはり帰りも飛行機だけ、KLMを利用してる人、空港だけオランダを利用してる人が結構多かった気がしますね。前回、前々回の帰国の際は成田の税関でスーツケース空けさせられ、中身調べられましたが、今回の帰国の際、成田の税関ではスーツケースの中身全部空けさせられ調べられるという事はありませんでした(笑)ただ、やたら、しつこく質問されましたが(苦笑)
今回で6度目の欧州旅行でありドイツは5回目でしたが、やはり次回もドイツが確実に視野に入ってきます(笑)イタリアやスペインやフランスやスイスも興味ありますし、東欧方面のハンガリーやクロアチア、バルト三国やロシアも興味あるので行ってはみたいんですがね…なかなか足が伸びません(笑)欧州以外ですと中東しか興味ないですし…中東と言ってもUAEとバーレーンとイスラエルだけですが。
次回の欧州旅行は、来年の何月になるか分かりませんが、ドイツはベルリン。そして初めて海外に行った時の感動を再び思い出す為にも初心に戻り、イングランドに行きたいですね。これで今回の旅行記を終えます。毎度の事ながら自己中心的な偏った、ツーリストにならない旅行記を(笑)最後まで読んで頂いた方、コメントくださった方々、ありがとうございました!
次回の欧州旅行は、来年の何月になるか分かりませんが、ドイツはベルリン。そして初めて海外に行った時の感動を再び思い出す為にも初心に戻り、イングランドに行きたいですね。これで今回の旅行記を終えます。毎度の事ながら自己中心的な偏った、ツーリストにならない旅行記を(笑)最後まで読んで頂いた方、コメントくださった方々、ありがとうございました!
2007/12/09のBlog
[ 21:00 ]
[ オランダ旅行記-11,2007 ]
もう、この時期は陽が暮れるのが早いので…16時を過ぎれば暗くなってきますね。18時には日本の深夜0時みたいな暗さではありますね。雨が降ってるという事もあるとは思いますが(笑)雨ばかりで曇り空だった事もあるので、あっという間に1日が暗くなってしまった感じですね(苦笑)4月にアムステルダムに来た際は本当に晴天で暑いくらいだったんですが、今回は滞在中、雨降ったりやんだりでした(笑)知人ともせっかく会ったのに外の公園とかで、のんびりと過ごしたかったんですが結局、カフェや夜はパブで飲みまくってました(笑)アムステルダムですと、かなり飲食店も多いですからね、それに何よりも英語が問題なく全員通じると言うのが非常に良いです。ドイツですと、英語喋る人は喋りますがね(笑)
かなりオランダ旅行記、短縮してしまっています(笑)当初、アムステルダムに2泊するなら1日はデンハーグに行ってみたりとか考えてはいましたが天候と知人との久々の再会で盛り上がり過ぎた為にアムステルダム内から出られなくなりました(笑)と言う事もあり、せっかくオランダに年に2回も来たのに、アムステルダム以外の街には行った事がないと言う非常に、もったいない事をしています…ドイツ国境辺りの街とかも興味ありましたが結局行かず…オランダに行く前にベルギーに1泊とか考えましたが、金銭的な事を考え断念しましたね。ベルギーも興味はあるので行ってはみたいです。何泊もする気はないですがブリュッセル、ブルージュ、アントワープなど素晴らしい街もありますし、オランダよりも食事は美味しいと思いますし(苦笑)
確か、この日はインドカレー屋に夕飯行ってましたね(笑)店員がインド人の男とオランダ人女性でオランダ人女性は美女であり「ニホン デスカ?オゲンキ デスカ?」と日本語喋ってきた美女だったので、非常に好印象だったんですがカレーも重かったですね(苦笑)量も凄い量ありましたし…食べきれず気持ち悪くなってました(笑)値段も安くはないですからね。かと言って、4月にアムスに来た時に食べたステーキ屋は、ありえない肉の硬さに味の無さでしたので(笑)まだ今回のカレーの方が遥かに良かったですね。当たり前の話ですが、やはり日本にある外国料理屋の料理は日本人向けに作られていますね。アムスの街中のあちこちにあるファーストフードの自販機のFEBOも飽きますし(笑)
オランダは非常に面白いですが食事が厳しいと思います。まぁ歩きながら食べれる軽食的なものは、そこそこな味で食べれますが、ジャンク過ぎて厳しいですね。トルコ料理屋もドイツのより若干、重たい気がします(笑)決して、不味くないんですが重いです(苦笑)結局、この日も友達と飲み昔話に花が咲きすぎてしまいました。結構な量、ビール飲んでましたね。かなりオランダ旅行記は短縮してしまっていますが、非常に素晴らしい街だと思います。気に入る気に入らないは人それぞれの価値観だとは思いますが、アムスの運河の街並みの美しさは、多くの人が理解出来ると思いますね。次回、オランダにいつ行くかは分かりませんが自分の好きな街には違いないです。
2007/12/08のBlog
[ 20:57 ]
[ オランダ旅行記-11,2007 ]
アムステルダムに到着した翌日は午前中から友達とアムステルダム観光へ(笑)約3年住んでる在住の知人に案内してもらいましたが、雨…雨…雨…(笑)ずっと雨でした。とりあえずはアンネフランクの家にまで行く事にしました。酷い雨でしたが(笑)昔からの知人と東京でなくアムステルダムの街を歩くと言うのが非常に新鮮で歩いてるだけでも楽しかったですね。それに、ここまで日本語を喋ってませんでしたし、そういう事もあり、かなり喋っていましたが(笑)アムスは運河に溢れているので、地図を見ながらでないと訳分からなくなります(笑)道、1本違うだけで違ってしまいますから通りの名前を把握しなければなりません。このアンネフランクに関しての知識は多くの人が知ってると思うので解説文は掲載しません。
アンネの家 Anne Frankhuis
第2次世界大戦中、アンネ・フランク一家がナチスから隠れ住み2年間を過ごしました。有名な「アンネの日記」の舞台は現在記念館として公開。
住所・Prinsengracht 263, Amsterdam
交通・ウェステルマルクトから徒歩2分。トラム13、14、17、20番でWestermarkt下車。
開館・1/2~3/14、9/15~12/30 9:00~19:00、3/15~9/14 9:00~21:00、休日・9月22日、料金・EUR 7.50
アンネの家の前には観光客が多くいましたが雨という事もあり知人曰く、普段よりは並んでないとの事で、せっかくでしたので中にも入りました。
第2次世界大戦中、アンネ・フランク一家がナチスから隠れ住み2年間を過ごしました。有名な「アンネの日記」の舞台は現在記念館として公開。
住所・Prinsengracht 263, Amsterdam
交通・ウェステルマルクトから徒歩2分。トラム13、14、17、20番でWestermarkt下車。
開館・1/2~3/14、9/15~12/30 9:00~19:00、3/15~9/14 9:00~21:00、休日・9月22日、料金・EUR 7.50
アンネの家の前には観光客が多くいましたが雨という事もあり知人曰く、普段よりは並んでないとの事で、せっかくでしたので中にも入りました。
アンネの家の後はレンブラントへ…写真は「レンブラント広場」の銅像です、もうずっと雨だったので、広場でゆっくりとか出来なかったのが非常に厳しかったですが…レンブラントに関しての説明も不要ですね、多くの人が知っていると思いますし、アムステルダムの人・オランダ人の多くが、この天才画家・レンブラントが大好きでしょう。レンブラントが、この街そのものなんだ!と言ってるオランダ人もいましたし。本当、天気が良ければ、この広場で座ってゆっくりとかしたかったんですがね…雨も雨だったので、早々と広場からは退散してしまいました(笑)4月にアムスに来た時は本当に晴天で真夏の暑さでしたので、オランダ・雨!という印象がなかっただけに今回は完全に雨にやられました(笑)
お次はゴッホ博物館まで行きました。普段、なかなか博物館とか美術館とかは行きませんが海外だと行ってしまいます(笑)ゴッホに関しても説明は不要だと思いますが…アンネ、レンブラント、ゴッホと余りにも世界的に有名過ぎてオランダに興味ない人でも知ってる名ばかりでしょう。自分は絵に関して詳しいわけではないので音楽の様に語る事は出来ませんが(汗)この博物館の内装は凄まじかったですね。オランダ人は絵や花と言った、芸術面で優れた人が多いですし国民も好きな人が多いみたいです。素晴らしいです。やはり、このゴッホ博物館も人が多かったですね。オランダ人の若い世代とかも絵の勉強をしてる人が結構、多くいるみたいですね。
ここの広場とかも凄く良かったんですが…やはり雨。。。雨。。。の状態だったので、雨に打たれながら広場にいる事は出来ないので早い段階で引き上げてしまいました(笑)晴天の天気だったら、この広場は本当に素晴らしいと思いますね。結局、アムステルダム滞在中は雨降らない日はなく1日中、降ってるとかはありませんでしたが、まぁ雨ばかり降ってましたね(笑)ヨーロッパに雨はつき物というのは、分かりきった事ですがね(笑)この辺りの通りの家などは、かなり高級感あり素晴らしかったですね!雨も酷かったので、この近くのカフェに入り休みましたが、ここのカフェでも長時間友達と談笑してしまったので、あっという間に陽が暮れてしまいました(笑)
2007/12/07のBlog
[ 20:57 ]
[ オランダ旅行記-11,2007 ]
とりあえずアムステルダムらしい運河の素晴らしい街並みのエリアを散歩しつつ、友達と談笑ばかりでした(笑)今年の4月以来の約半年ちょい振りの再訪でしたが、やはりアムステルダムの街並みは本当に素晴らしいですね。美しいです。友達の日本人女性は既に3年近くアムステルダムに住んでいますが、まぁアムステルダムの良い部分と微妙な部分と色々と聴く事も出来て良かったですね。外食はまずしない様です(笑)外食、安くないですし、決して美味しいとは思えませんので実際に住んだら自炊になるでしょうね。個人的には、そんなに住み心地が良さそうだとは正直、思えませんが(笑)ただ街並みとしては本当に美しいと思いますね。
4月に訪れ半年後に2度目の再訪と言う事もあり、書くネタがありませんのでアムステルダムの歴史を再度、引用しておきます。
『アムステルダムは13世紀に漁村として築かれた。伝説によればアムステルダムは犬を連れて小さなボートに乗った二人の猟師がアムステル川の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(ダムを作った:Dam in the Amstel)というのが街の名前の由来。1300年(または1301年)に自由都市となり、14世紀にはハンザ同盟との貿易により発展した。16世紀にはスペインのフェリペ2世やその後継者に対する反乱が起こり、それはオランダ独立に繋がる80年戦争へと発展していった。
『アムステルダムは13世紀に漁村として築かれた。伝説によればアムステルダムは犬を連れて小さなボートに乗った二人の猟師がアムステル川の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(ダムを作った:Dam in the Amstel)というのが街の名前の由来。1300年(または1301年)に自由都市となり、14世紀にはハンザ同盟との貿易により発展した。16世紀にはスペインのフェリペ2世やその後継者に対する反乱が起こり、それはオランダ独立に繋がる80年戦争へと発展していった。
オランダ共和国はその宗教的寛容さで知られるようになった。スペインやポルトガルのユダヤ人が、アントワープから豪商が、フランスから来たユグノーが安住の地を求めてアムステルダムにやって来た。フランドルからの豊かで洗練された移住者はオランダ語の基礎を作り、オランダの商業パワーの礎を築いた。17世紀はアムステルダムの黄金の時代と考えられている。17世紀当初、アムステルダムは世界中でもっとも裕福な都市であった。アムステルダムの港から出発する商船は、北アメリカ大陸、アフリカ大陸、現在のインドネシアやブラジルまでも含めた広大なネットワークを築いていた。アムステルダムの貿易商はオランダ東インド会社(VOC)やオランダ西インド会社(WIC)の主要な地位を占めていた。
これらの特許会社は後世のオランダ植民地を形成する海外権益の基礎となった。アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であり、世界を牽引するファナンシャル・センターであった。アムステルダム証券取引所は世界初の常設取引所でもあった。アムステルダムの人口は1500年には10,000人を少し超えるくらいであったが、1570年には30,000人に、1600年には60,000人に、1622年には105,000人に、1700年にはほぼ200,000人に急増した。それから150年程度は人口はほぼ横ばいであったが、第二次世界大戦前の100年で人口は4倍に急増し800,000人となり、それ以降はほぼ一定の人口である。18世紀と19世紀前半にはアムステルダムの繁栄にも陰りが見えた。オランダ共和国のイギリスやフランスとの相次ぐ戦争はアムステルダムの富を搾取した。
ナポレオン戦争の頃が不運のどん底であった。しかし、1815年にオランダ王国を建国した頃から徐々に復興しはじめた。19世紀終わりは、2回目の黄金の時代と呼ばれることもある。新しい国立美術館、アムステルダム中央駅、コンセルトヘボウが建てられた。同じ頃、産業革命もこの地に到達した。アムステルダム・ライン運河が開通し、アムステルダムからライン川へ直行ルートが開かれた。また北海運河が開通し、北海への最短ルートを提供した。この二つのプロジェクトの完成が、欧州内陸部と外部の通商を活発にさせることとなった。』
そもそも海外に興味を持ったのは自分は音楽とサッカーからですが、入り口は音楽やサッカーであれ、こう国や街の歴史にも興味を持っていくと言う事は良い事だと思います。
そもそも海外に興味を持ったのは自分は音楽とサッカーからですが、入り口は音楽やサッカーであれ、こう国や街の歴史にも興味を持っていくと言う事は良い事だと思います。
2007/12/06のBlog
[ 20:57 ]
[ オランダ旅行記-11,2007 ]
ドイツをたっぷりと満喫した後は今年の4月に続き2度目のオランダ・アムステルダムへ…。アムスには先輩の日本人女性が住んでいる事もあり、行く事にしました。4月に行った際は予定が合わずで会えずでしたので(笑)Düsseldorf⇒AmsterdamのICEで行きました。4月はOberhausenから乗りましたが、前回は無かったんですが今回はオランダ国境でパスポートチェックありましたね。ドイツ⇒オランダ間はパスポートチェックは滅多にないと聞いていましたが、最近は、こういう時代ですから強化してるのかも知れませんね。特にICEでの事件というかありましたからね。予定通りに13時35分頃、Amsterdam Cに到着しました。知人がホームまで迎えに来てくれていたので再会!日本以外で会うのは初めてなので、もう何年も前からの知人なだけに、なんか変な感じでした(笑)
今年4月以来の約半年振りの2度目の計アムステルダムでしたが、やはり、この中央駅の外観は素敵です。そこに絡むトラムも絵になります。4月に来た時よりも駅の工事が進んでいましたね(笑)友達と、かなり喋りこんでしまって、かなりダラダラと喋りながらホテルにまで行きました。やっぱ欧州の街に知人が住んでいると本当に気持ち的に安心出来ますし、落ち着きますね。自分もベルリンかハンブルグに住みたいくらいです(笑)その為にはドイツ語が必要ですから厳しい現実ですが。4月にアムステルダム来た時は、もの凄く真夏の様な暑さでしたが、やはり今回は寒かったです。4月のアムスが初アムスだったのでオランダに雨というイメージが無かったんですが今回はやられましたね(笑)
今回のホテルですが、やはりアムステルダム中央駅から徒歩圏内のホテルは値段が高いんですが、メトロとか乗るのも面倒なので、いわゆるDamrak沿いを真っ直ぐ行った所にある、こちらの『CORDIAL』に宿を手配しました。チェックインに行ったら早速、レセプションのおじさんが日本語で『コンニチワ!アムス ハ ハジメテ?』と(笑)オランダ人らしいです(笑)オランダ人は結構、日本語で話しかけてきますね。4月にアムスに行った時の旅行記でも書きましたが、アムスのホテルは家みたいな感じがします。部屋の広さとしては狭いですし、ベットも幅がなく狭いんですが、かなり造りがクールです。ただベットが、もう少し大きければ!と(笑)幅がないので寝返りうったら落っこちてしまいそうなので(笑)
ロビーで友達を待たせていたので急ぎで荷物整理して降りて、友達と、まず食事に(笑)ホテルから中央駅に行く途中の街並みと言うか通りですね。こんな感じの通りは、かなり好きです。道広いですし、車・自転車・歩行者と道が分かれてるのが素晴らしいです。日本は無いですからね。渋滞であり歩行者の通りを自転車が走りますし(苦笑)今更、どうこう言っても仕方ないですが。とりあえず友達と、かなり昔の話とかで盛り上がっていたので観光が出来なくなってました(笑)とりあえず昼食と言っても、やはりオランダは食事が厳しいですね(苦笑)基本ジャンクですし、レストランも重いです。なのでカフェに入りサンドウィッチ系食べましたが…まぁ評価は出来ません(笑)パンは美味しいですがね。
友達にも聞かれましたが、人それぞれ、オランダの印象はあると思いますが、自分としては、やはりオランダサッカー、それからオランダのメタル・ダッチメタルですね。なかなかダッチメタルを挙げる人は少ないと思いますが。風車やチューリップや運河などが先でしょう。もちろんゴッホやアンネフランクなどありますがね。個人的にはオランダのメタルですね。Within tempptationを筆頭に今回でドイツで見たEpicaもそうですし。メンバーの国籍はバラバラですがオランダ名義になっているIMPERIA、それからAfterforever、大御所であればThe Gatheringでしょう。他にもAutumn、DejaFuse、まぁ挙げればキリがないです。AfterforeverとIMPERIAが激しくみたいです。
2007/12/05のBlog
[ 20:57 ]
[ ドイツ旅行記-11,2007 ]
こんな感じでDüsseldorfの街中も川が流れていたりしますね。個人的に街中に川が流れてる街並みは好きだったりします。そういう事もあり水の街とか好きですね!ドイツの街は街中に川が流れる街多いです。ベルリンもシュプレー川とか流れていますから、実はベルリンも水の街でもあったりします。もちろんハンブルグも本当に素晴らしいですし。街の人ですが、Düsseldorfはブランドショップも多いと言う事で、やはり、その辺りにいる人はお洒落な人が多かったですね。結構、ショッピングにやってくる外国人観光客も多いみたいですね。この日は日曜と言う事もあり、閉まってるお店も多かったですが、それでもDüsseldorfは小さいキオスク的な店とかは深夜の1時過ぎても営業していましたし便利だと思いますね。
まぁ普段であっても、そんなに人が多いわけではないですし、東京や埼玉の様な満員電車もないわけで(笑)ドイツ語が喋れれば、数年間でもいいのでドイツに住み仕事をしてみたいくらいです。旅行で行くのと実際に住むのでは違うと思いますし、憧れだけでは住めないと思いますが、ここまでドイツ5回程、訪れていますが、肌は合うと思います。日本の様な面倒な、シガラミとかなさそうですし(笑)ただドイツ語と言うものが絶対的な条件だと思いますがね。だいぶ短くまとめてしまっていますが、この日は昼過ぎまでDüsseldorfの旧市街観光をして、その後、列車でWuppertalにまで行き、Wuppertalで夕方まで過ごしてましたが、Wuppertalに関しての記事は省略します(笑)
Wuppertalに行く前にDüsseldorfの、いわゆるイマーマン通りの日本通り的なエリアに行き渡航してから初の日本食を食べに行きました(笑)途中、見かけた日本の本屋です(笑)ここの本屋は日本で出ている本は、ある程度、手に入りそうです。在住の日本人の方と日本マニアなドイツ人向けですかね、日本のヴィジュアル系バンドの某雑誌も並んでました(笑)Düsseldorfは、結構、ゴスやコスプレした女の子が多いです(笑)まぁドイツ人ですから、身長は非常に大きいですが、それでもゴスな女の子は可愛らしかったですね(笑)ドイツ人女性、非常に良いです。たまに10代の子が『コンニチワ!モシモシ!』とか言ってきたりしましたね(笑)
このTAKUMIと言う店で昼食食べました(笑)渡航してから初めての日本食でしたので、味はなんてことない日本で普通に食べられるラーメンと白米とからあげのセットでしたが、渡航してからトルコ料理やドイツ料理の重たいものばかり食べていたので、かなり美味しく感じました(笑)日本食はやっぱ凄いなぁ~!と思えた瞬間ですね。ここは有名なのか、次々と日本人客が入ってきましたね。店員も全員、日本人ですし完全に日本語のやりとりでしたし。値段の方は、もちろん日本で食べるよりも明らかに高いですがね。この後、Wuppertalに行き夜はKaastに行ったりして遊びDüsseldorf滞在最終日でありドイツ滞在最終日を思い切り満喫しました(笑)翌日からはオランダ行きです。
2007/12/04のBlog
[ 20:57 ]
[ ドイツ旅行記-11,2007 ]
Düsseldorf滞在最終日の日はDüsseldorfの街の観光をしよう!という事にしました。そもそもDüsseldorfに4泊しておきながら、NRWの他の街での用事ばかりで、Düsseldorfに寝に帰っていた状態だったので(笑)そういう時に限って朝から雨なわけです(苦笑)午前中は激しい雨だったのでネットカフェで時間潰し、雨があがった昼前から動きました。まずは旧市街方面へ向かいましたね。旧市街方面へ向かうと、こんな感じの紅葉的なものも見れましたね。Düsseldorfも落ち着いた良い街だと思います。結構と言うかかなりブランド品のショップがあるので、他のドイツの街とは少し違うかも知れませんね。銀座か?という感じの通りもありましたし。
ここでDüsseldorfの歴史でも引用しておきます。
『デュッセルドルフ郊外のネアンデルタール(市中心部から東へ約10km、メットマン市とエアクラート市の間)では、先史時代のネアンデルタール人の骨が発見された。(発掘は1856年。)デュッセルドルフの街は、12世紀より文献にその存在が確認され、ベルク伯領のもとで1288年に都市特権を得た。1815年よりプロイセン領となり、産業革命の進展とともに発展した。第一次世界大戦後の1921年、ドイツの賠償金支払い遅延などを理由に、フランス・ベルギー軍がデュッセルドルフを軍事占領した。(この際、近隣のデュースブルクも占領されている。その2年後には、ルール地方のほぼ全域を占領されたが、1925年までに撤退した。
『デュッセルドルフ郊外のネアンデルタール(市中心部から東へ約10km、メットマン市とエアクラート市の間)では、先史時代のネアンデルタール人の骨が発見された。(発掘は1856年。)デュッセルドルフの街は、12世紀より文献にその存在が確認され、ベルク伯領のもとで1288年に都市特権を得た。1815年よりプロイセン領となり、産業革命の進展とともに発展した。第一次世界大戦後の1921年、ドイツの賠償金支払い遅延などを理由に、フランス・ベルギー軍がデュッセルドルフを軍事占領した。(この際、近隣のデュースブルクも占領されている。その2年後には、ルール地方のほぼ全域を占領されたが、1925年までに撤退した。
第二次世界大戦後は、まずアメリカ、その後イギリスの軍政下におかれた。1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立すると、ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都に定められた。
有名な出身者
ノルベルト・ブルクミュラー - 作曲家。
フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ - 哲学者、著作家。ユダヤ系。
フローリアン・シュナイダー - クラフトワーク創設者の一人。
ハインリヒ・ハイネ - 詩人、作家、ジャーナリスト。ユダヤ系。
ジョン・ハーツ - 国際政治学者。ユダヤ系。
ハインリヒ・ハイネは有名ですね。確かハイネ通りと言うのもありましたし、ハインリヒ・ハイネ大学と言うのもあるみたいですね。
有名な出身者
ノルベルト・ブルクミュラー - 作曲家。
フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ - 哲学者、著作家。ユダヤ系。
フローリアン・シュナイダー - クラフトワーク創設者の一人。
ハインリヒ・ハイネ - 詩人、作家、ジャーナリスト。ユダヤ系。
ジョン・ハーツ - 国際政治学者。ユダヤ系。
ハインリヒ・ハイネは有名ですね。確かハイネ通りと言うのもありましたし、ハインリヒ・ハイネ大学と言うのもあるみたいですね。
ライン川沿いは非常に綺麗でしたし、旧市街の町並みも非常に綺麗でしたね。ただ、天候が悪く雨降ったりやんだりの繰り返し状態だったのが、ちょっと残念でしたが。雨宿りしたりもしていましたし(笑)時期が時期という事と雨が降ったりやんだりの天候だったので、自分が欧州の好きな部分の1つでもある、美しい空・雲と言うのが見れなかったのが残念ではありましたね。去年の8月のドイツ・デンマーク・スウェーデン旅行時の空は本当に感動的な空の色と雲でしたからね。Düsseldorfは日本人が多く住まれているとの事ですが、余り街中では日本人は見かけませんでしたね。まぁ中央駅周辺に住まれているわけじゃないでしょうけど。まぁでも羨ましいです。自分も仕事でドイツに住みたいくらいです(笑)
丁度、この日はDüsseldorfにあるサッカーチーム・Fortuna Düsseldorf 1895の試合がDüsseldorfホームでありました。寒かったので見に行ってませんが(笑)Fortuna Düsseldorfですが、詳しい事は調べていないので分かりませんが歴史はあるチームで今現在はRegional rega、いわゆる3部に沈んでいるそうです(笑)3部は余りにも寂しいです。ホームでの試合の平均動因数は1万人ちょいみたいですね。ただNRW州のクラブと試合になれば入るでしょう。現に今季、3部に降格してきたEssenとの試合は3万弱入っていたそうです。Fortuna Düsseldorには2部に昇格してもらってFC Kolnとの対戦をしてもらいたいです(笑)激しい事になりそうです(笑)3部ではありますが、この日は中央駅にFortuna Düsseldorのユニフォームを着たサポが大勢集まっていましたね。この国の国民も本当にサッカーが好きです。
2007/12/03のBlog
[ 20:57 ]
[ ドイツ旅行記-11,2007 ]
Leaves' Eyesが終わった後は、まずLeaves' Eyesのグッズを購入しに行きました。ロングの長袖シャツとバッヂなどの小物が結構あったので購入しておきました。この画像のが購入した長袖シャツです。この長袖シャツは、デザインがクールです。真正面にLivが載ってます。このシャツは何かのライブの時に今後着ていきたいと思いますね。Leaves' Eyesですが年内のショウは自分が見に行った、このKrefeld公演がラストみたいです。来年からは大規模な米国ツアーも控えています。日本への来日は正直、厳しいと思いますね(苦笑)来日してもらいたいんですがね。自分としても再度、Leaves' Eyesは、しっかりと頭から前のエリアでショウを見たいです。Blind GuardianまでKönig Palast内の売店で飲み食いする事にしました(笑)
この会場はシステマティックで、まずお金をKronen Karteというカードに変えます。その際に人差し指を押して指紋を採取しレジで会計する際に再度、指紋を採取し一致した所で会計が成り立ちますので本人以外が使えない様にされてますので落ちていたKronen Karteとか盗んだKronen Karteは使えません(笑)これは確かSchalkeのスタジアムもこの方法だったと思います。とりあえず15ユーロをKronen Karteに変え売店へ行きビールとSchnitzel(シュニッツェル)を購入しました。激美味!めちゃめちゃ美味かったです!この辺りは日本のライブハウスや会場で食べるものより美味いと思います。Schnitzelはかなり好きです。パンも美味しいですしカツレツが美味かったです、他にもソーセージやポマスなども(笑)結局、ビールは3杯飲んでましたね。ここのレジ打ちの女性が全員、美女で素晴らしかったです(笑)ドイツ人女性素敵です。
意外とLeaves' EyesからBlind Guardianまでの転換時間が長く40分程度あったので、ロビーでのんびり飲み食い出来ましたね。そうしてる間に、やっと到着した感じのタオルマフラーやユニを身に付けたままのドルトムントサポーターやシャルケサポーターやフランクフルトサポーターが現れました(笑)自分と同じくサッカー観戦した後に、Blind Guardianを見にKREFELDまで来た同じ部類の人間もいました(笑)サッカー好きでありメタル好き。素晴らしいです!日本じゃ、なかなかいないんですよね。スタジアムまで観戦に行くサッカー好きでありメタルのライブまで足を運ぶ熱い連中が(笑)ドイツにはいるんです!メタラー兄ちゃんに「シャ~~ルケェ~!」と言われてました(笑)
そうこうしてるうちに、Blind Guardianが始まりました。Blind Guardianは10月の我が地元・埼玉スーパーアリーナで開催された【LOUDPARK】で、ほんの3週間前に見たばかりでしたが、やはり日本で見るのとドイツで見るのとでは訳が違います。しかも、このKREFELDという街はBlind Guardianの地元でもあります。もうライブ始まる前からオーディエンスのボルテージは最高で(笑)『Guar~dian!!Guar~dian!!Guar~dian!!Guar~dian!!』の大合唱でした(笑)サッカーのサポに通ずる雰囲気もありましたね(笑)LoudparkではBlind Guardianは前方エリアで見てましたので、ここでは後方で椅子に座って見てましたが格好良かったです。Loudparkの時より、かなり鋭かったです(笑)こちらもYoutubuでUPされてますね。
小さめのライブハウスが、もちろん好きですが、合い間に大会場を組み込んでショウを見ると、また違って楽しめますね。こういう自分好みのバンドのショウがドイツは頻繁にありますし、毎月2公演くらいは見に行きたいショウがありそうです。日本だと好みなバンドが来日しないので、本当に見に行く回数が、ここ数年、急激に減少していますね(笑)Blind Guardianのショウもオーディエンスの盛り上がりとバンドとテンションとが凄まじく最高でした。Blind Guardian&Leaves' Eyes@König Palast Krefeld 10,11,2007、本当に素晴らしい空間でした。 この場にいれた事を本当に嬉しく思えますね。結局、この日もREの最終でKrefeldからDüsseldorfに帰りました(笑)
2007/12/02のBlog
[ 20:57 ]
[ ドイツ旅行記-11,2007 ]
Dortmund Hbfに戻り、Blind Guardian&Leaves eyesのショウを見る為にKrefeldまで行かなければならなかったんですが電車が大きく遅れてました(苦笑)DortmundからDuisburgまで行き乗り換えてDuisburgからKrefeldというルートなんですが…REの電車が予定より30分遅れ(汗)Duisburgに到着してもKrefeld行きのREが30分遅れ(汗)なんとかKrefeld Hbfに到着しましたが予定より1時間遅れで開演に間に合わず…Krefeld Hbfの外に出て即効でタクシーに乗りKÖNIGPALASTまで行ってもらいました。何もこの日に電車遅延しなくても!!と思いましたが(笑)KÖNIGPALASTに到着し走って入り口へ(笑)チケット切ってもらい場内ロビーに行ったら既にロビーにまでLiv Kristineの歌声が聞こえてきてました(泣)Leaves' Eyes、頭から間に合いませんでした(滝汗)
スタンディングエリアに入ろうと思ったら入り口の係員にチケット見せたら、『このチケットでは入れないわ!チケットに書いてあるゲートの扉から入ってね!』と言われ、Block 114へ(笑)このKÖNIGPALASTは1階がスタンディングフロアで2階が椅子席でLoudparkの埼玉スーパーアリーナと同じ感じです。椅子席でもいいので、とにかく既に始まっていたLeaves' Eyesを見たいので走りました(笑)場内からはNorwegian Lovesongが聞こえてきていましたね(滝汗)電車遅延が悔やまれます(笑)やっと場内に入り後方からLeaves' Eyesを見始めました。場内に入ってからは丁度、MCでその後『Solemn Sea』をプレイしてくれたのには、かなり感動しましたね。
いつも好きなバンドは前のエリアで見ていましたので、今回のLeaves' Eyesに限っては、後方で見てみよう!と言う事で後方で、じっくり見ました。本物のLiv Kristineだ!!ゴシックメタル界の女王!!って言う感じの風格も後方から見てても感じ取れましたね。『Solemn Sea』に続き『Ocean's Way』をかましてくれました。近くにいた人にLeaves' Eyes、これで何曲目ですか?と聞いたら、まだ始まったばかりだよ!との事だったので頭からは見逃しましたが、序盤から見れていたみたいです。本当にLiv Kristineの歌声は素敵でした。貫禄が違いますし、EPICAも素晴らしかったですが、Liv Kristineの声は素晴らしい!この時のライブの模様がYoutubeでUPされてますね(笑)
Leaves' Eyesですが今更、説明も必要ないと思いますが、一応。このLiv Kristineは元THEATRE OF TRAGEDYのボーカルであり、夫のAlexanderとのバンドです。メンバーはノルウェー人とドイツ人の構成なのでノルウェーとドイツの共存ですね。Liv Kristineはノルウェー・スカンジナビアの女王!と自分は言ってますが、そう表現して良いでしょう(笑)他のシンフォニック・ゴシックメタルバンドと違うのは、それこそ独特な匂いとフォークの要素ですね、もっと言えば楽曲にノルウェーのスカンジナビアの大自然・大地が見えてきそうな雰囲気もあります。Liv Kristineのステージ衣装なども、そういった雰囲気があったりします。ちなみに今年の【Metal Female Voices Fest】のヘッドライナーでもありました。
頭から見ていないのでちゃんとしたセットリストは分かりませんが…『Lovelorn』『Secret』『Vinland Saga』『Farewell Proud Men』『The Thorn』『Tewilight Sun』『Misseri』『New Found Land』はプレイしていましたので自分的には大満足です。特に『Farewell Proud Men』『Misseri』は強く印象に残っていますね。音源でLeaves' Eyesを聞くとLiv Kristineの声は素晴らしいんですがマイクエフェクト・いわゆるボーカルエフェクトが強くかかっているで生で聞いた時の歌声はどうなのか!?という感じはありましたが、そんな心配は不要でしたね。素晴らしく透き通った伸びやかな歌声で本当に素晴らしかったです。ラストに『Elegy』をプレイしてくれました。ラストに『Elegy』は本当に素晴らしかったですね。歌・演奏・楽曲、全てにおいてクオリティが高いです。