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2005/08/12のBlog
[ 16:43 ]
[ 長崎市 ]
平和公園は、世界恒久平和を願う長崎市のシンボルゾーンです。
毎年8月9日には平和祈念像の前で、
原爆で亡くなった方々の慰霊祭と、平和祈念式典が行われます。
写真は、平和の泉です。
変化する噴水の水は、平和のシンボル、鳩のはばたきを象っています。
手前にある石には、被爆した少女の手記が、そのまま写されています。
「のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水がほしくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
体内まで焼けただれた被爆者は、「水を」「水を」とうめきながら
亡くなっていきました。
奥に小さく写っているのが、平和祈念像です。
毎年8月9日には平和祈念像の前で、
原爆で亡くなった方々の慰霊祭と、平和祈念式典が行われます。
写真は、平和の泉です。
変化する噴水の水は、平和のシンボル、鳩のはばたきを象っています。
手前にある石には、被爆した少女の手記が、そのまま写されています。
「のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水がほしくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
体内まで焼けただれた被爆者は、「水を」「水を」とうめきながら
亡くなっていきました。
奥に小さく写っているのが、平和祈念像です。
こちらは、長崎の鐘です。
原爆の殉難者の冥福を祈り、
再び原爆が地球で炸裂しないように、
この鐘を鳴らし続けようということで、作られました。
また、平和の泉から祈念像の間には、
世界各国から平和を願って贈られた像やモニュメントが並んでいます。
原爆の殉難者の冥福を祈り、
再び原爆が地球で炸裂しないように、
この鐘を鳴らし続けようということで、作られました。
また、平和の泉から祈念像の間には、
世界各国から平和を願って贈られた像やモニュメントが並んでいます。
平和祈念像です。
この像は、神の愛と仏の慈悲を象徴し、
上を指した右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を表し、
かるく閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っています。
戦争も原爆も、とても憎いものです。
けれど、人間を憎んではいけないのだと私は思います。
人を憎み続けるのは、とてもパワーのいることで、
同時に自分の心をもえぐることだと思うのです。
そんなに大変な思いをして誰かを憎み続けるくらいなら、
その誰かを許すことに力を使ったほうがずっといいと思う。
山本周五郎さんの小説の中で、
「ここからここまでは許すけど、ここから先は許さない、というのは、
許したことにはならない。許すのならば、すべてを許さなければ」
という一節があるそうです。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」と叫べば、
「リメンバー・パールハーバー」と叫び返されてしまう。
どちらももう二度と起こってはいけないのだから、
お互いすべてを許し、手を取り合って、
「ノーモア・ウォー(War)」と叫び、
世界の平和に向かって前進していけたら、どんなに素敵でしょう。
世界中から戦争と核兵器がなくなることを祈って・・・
しつこいかな、と思いながらも、
今週は平和を願ってこのような記事ばかり書かせていただきました。
戦争や核兵器のこと、犠牲者の方々の声を知れば知るほど、
言葉が見つからなくて、何かが足りない、うまくいかないと悩みながらも、
特に8月9日の記事は祈るような気持ちで書かせていただきました。
たくさんの方々からアクセスしていただき、コメントをいただき、
本当に感動しました。どうもありがとうございました。
来週からは、またいつものららら生活に戻ります。
ちなみに平和公園は今年の1月にも載せたことがあります。
写真はこちらのほうがいいので、よかったらご覧下さい。
この像は、神の愛と仏の慈悲を象徴し、
上を指した右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を表し、
かるく閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っています。
戦争も原爆も、とても憎いものです。
けれど、人間を憎んではいけないのだと私は思います。
人を憎み続けるのは、とてもパワーのいることで、
同時に自分の心をもえぐることだと思うのです。
そんなに大変な思いをして誰かを憎み続けるくらいなら、
その誰かを許すことに力を使ったほうがずっといいと思う。
山本周五郎さんの小説の中で、
「ここからここまでは許すけど、ここから先は許さない、というのは、
許したことにはならない。許すのならば、すべてを許さなければ」
という一節があるそうです。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」と叫べば、
「リメンバー・パールハーバー」と叫び返されてしまう。
どちらももう二度と起こってはいけないのだから、
お互いすべてを許し、手を取り合って、
「ノーモア・ウォー(War)」と叫び、
世界の平和に向かって前進していけたら、どんなに素敵でしょう。
世界中から戦争と核兵器がなくなることを祈って・・・
しつこいかな、と思いながらも、
今週は平和を願ってこのような記事ばかり書かせていただきました。
戦争や核兵器のこと、犠牲者の方々の声を知れば知るほど、
言葉が見つからなくて、何かが足りない、うまくいかないと悩みながらも、
特に8月9日の記事は祈るような気持ちで書かせていただきました。
たくさんの方々からアクセスしていただき、コメントをいただき、
本当に感動しました。どうもありがとうございました。
来週からは、またいつものららら生活に戻ります。
ちなみに平和公園は今年の1月にも載せたことがあります。
写真はこちらのほうがいいので、よかったらご覧下さい。
2005/08/11のBlog
[ 20:56 ]
[ 長崎市 ]
今日もまた、原爆関連の場所をご紹介させていただきます。
原爆落下中心地にある、爆心地公園です。
写真の真ん中に、小さいですが、塔が写っているのが見えますか。
こちらが原爆落下中心碑です。
この中心碑の上空約500メートルで原爆が爆発しました。
原爆落下中心地にある、爆心地公園です。
写真の真ん中に、小さいですが、塔が写っているのが見えますか。
こちらが原爆落下中心碑です。
この中心碑の上空約500メートルで原爆が爆発しました。
公園内に、女性が赤ちゃんを抱えている像があります。
一見、平和な印象を受けるこちらの像ですが、
よく見ると、赤ちゃんは目をつぶり、だらりと腕を下げています。
見ていると悲しくなってきますが、
これも同じ過ちを犯さないようにという意味があるのでしょうね。
一見、平和な印象を受けるこちらの像ですが、
よく見ると、赤ちゃんは目をつぶり、だらりと腕を下げています。
見ていると悲しくなってきますが、
これも同じ過ちを犯さないようにという意味があるのでしょうね。
2005/08/10のBlog
[ 21:52 ]
[ 長崎市 ]
明治元年(1868年)創立の山王神社は、
爆心地から南東約800メートルの高台にあり、
原爆の被害を受けました。
社殿は爆風で跡形もなく吹き飛ばされましたが、
昭和25年(1950年)に再建され、現在に至っています。
爆心地から南東約800メートルの高台にあり、
原爆の被害を受けました。
社殿は爆風で跡形もなく吹き飛ばされましたが、
昭和25年(1950年)に再建され、現在に至っています。
昨日のブログで写真だけ紹介させていただいた、
山王神社の二の鳥居です。
山王神社には、一の鳥居から四の鳥居まで、四つの鳥居がありました。
二の鳥居は、1924年(大正13年)に建てられましたが、
原爆により、一方の柱をもぎとられてしまいました。
強烈な熱線により鳥居の上部は黒く焼かれ、
残された笠木は、反対方向にずれてしまっています。
山王神社の二の鳥居です。
山王神社には、一の鳥居から四の鳥居まで、四つの鳥居がありました。
二の鳥居は、1924年(大正13年)に建てられましたが、
原爆により、一方の柱をもぎとられてしまいました。
強烈な熱線により鳥居の上部は黒く焼かれ、
残された笠木は、反対方向にずれてしまっています。
山王神社のある坂本地区はことごとく灰じんと帰しましたが、
この鳥居は強烈な爆風に耐え、
1945年8月9日の惨禍を語りつぐかのように、
今もなお一本の柱で立ち続けています。
(安全性を考慮して、柱の部分と基礎部分には、
補強工事を施してあるそうです)
もぎとられたもう1本の柱は、すぐそばで横たわっています。
この鳥居は強烈な爆風に耐え、
1945年8月9日の惨禍を語りつぐかのように、
今もなお一本の柱で立ち続けています。
(安全性を考慮して、柱の部分と基礎部分には、
補強工事を施してあるそうです)
もぎとられたもう1本の柱は、すぐそばで横たわっています。
こちらは山王神社の2本の被爆クス。
原爆の影響で、主幹の部分が折れ、一時枯れ木同然となりましたが、
次第に樹勢を盛り返し、現在は胸高幹囲がそれぞれ6メートル(左)と
8メートル50センチ(右)もあるのです。
四方に伸びた枝は交錯して一体となり、東西40メートル、
南北25メートルの大樹冠を形成しています。
風を受けて聞こえる被爆クスの葉のざわめきは、
「日本の音風景100選」に選ばれています。
原爆の影響で、主幹の部分が折れ、一時枯れ木同然となりましたが、
次第に樹勢を盛り返し、現在は胸高幹囲がそれぞれ6メートル(左)と
8メートル50センチ(右)もあるのです。
四方に伸びた枝は交錯して一体となり、東西40メートル、
南北25メートルの大樹冠を形成しています。
風を受けて聞こえる被爆クスの葉のざわめきは、
「日本の音風景100選」に選ばれています。
2005/08/09のBlog
[ 00:44 ]
[ 長崎市 ]
先日、あるテレビ番組で、核に関する討論が行われていました。
そのなかで、ある著名な方がこう発言していました。
「僕は北朝鮮は嫌いだけれども、
核を持っているという点で、彼らは正しいんですよ。
核を持つことによって、『あの国を攻撃したら危険だ』と
思われるわけでしょう?
みんなが持てば、お互い怖いから、戦争なんて起こらないんですよ」
60年前、広島、長崎を焼き尽くした原爆。
その悪魔的な破壊力を目の当たりにした瞬間から、
「核兵器の圧倒的破壊力は、敵の攻撃意図を阻止する」
という、核による核抑止論が生まれ、
核を恐れるがゆえ、核に依存するという矛盾に満ちた時代が始まりました。
被爆者の方々の願いとは裏腹に、人類はずっと、核時代を生きているのです。
一見、平和な世の中。でも、この平和は、いつ崩れていくかわからない、
脆弱なものに思えてなりません。
そのなかで、ある著名な方がこう発言していました。
「僕は北朝鮮は嫌いだけれども、
核を持っているという点で、彼らは正しいんですよ。
核を持つことによって、『あの国を攻撃したら危険だ』と
思われるわけでしょう?
みんなが持てば、お互い怖いから、戦争なんて起こらないんですよ」
60年前、広島、長崎を焼き尽くした原爆。
その悪魔的な破壊力を目の当たりにした瞬間から、
「核兵器の圧倒的破壊力は、敵の攻撃意図を阻止する」
という、核による核抑止論が生まれ、
核を恐れるがゆえ、核に依存するという矛盾に満ちた時代が始まりました。
被爆者の方々の願いとは裏腹に、人類はずっと、核時代を生きているのです。
一見、平和な世の中。でも、この平和は、いつ崩れていくかわからない、
脆弱なものに思えてなりません。
そんな中、新聞で、ヒロシマの語り部、沼田鈴子さんのことを知りました。
沼田さんは、21歳の夏、婚約者を戦争で失い、
その1ヵ月後、ご自身も被爆し左足を太ももから切断しました。
その年の夏から60年、沼田さんは静かな怒りを胸に、一本の足を松葉杖で支え、
北海道から沖縄、さらにはアメリカやイタリア、中国など、21カ国に及ぶ国々を訪れ、
ひたすら平和行脚を続けてこられました。
足や腕の筋肉が衰えると松葉杖を使えなくなり、
6年前から車椅子に切り替えられたそうですが、
沼田さんの気概は、まったく衰えていません。
沼田さんは、おっしゃいます。
「平和の種は、一粒ずつまくしかありません。私の証言も、一粒の種まきです」
沼田さんは、21歳の夏、婚約者を戦争で失い、
その1ヵ月後、ご自身も被爆し左足を太ももから切断しました。
その年の夏から60年、沼田さんは静かな怒りを胸に、一本の足を松葉杖で支え、
北海道から沖縄、さらにはアメリカやイタリア、中国など、21カ国に及ぶ国々を訪れ、
ひたすら平和行脚を続けてこられました。
足や腕の筋肉が衰えると松葉杖を使えなくなり、
6年前から車椅子に切り替えられたそうですが、
沼田さんの気概は、まったく衰えていません。
沼田さんは、おっしゃいます。
「平和の種は、一粒ずつまくしかありません。私の証言も、一粒の種まきです」
本当の人間の強さって、こういうことじゃないでしょうか?
戦争のない本当に平和な世の中って、
こういうふうにして作られていくんじゃないでしょうか?
私は、私よりはるかに頭がよく、偉い方の意見だとしても、
「核兵器を持っていれば、戦争は起こらない」なんていう考え方は、
間違っていると思います。
十分有り得た米ソ・米中の戦争が
核保有によって起こらなかったことを挙げて
「核を持て」などというのは、無責任です。
キューバ危機など、何度も危機の瀬戸際にあったことを忘れてはならないのです。
「あの国が手放さないのならば、わが国も核を手放すわけにはいかない」
「自分の国が持っているのに、よその国に持つなとは言えない」
こうやって、いいわけしながら核を保有する国が30カ国もあるのです。
戦争のない本当に平和な世の中って、
こういうふうにして作られていくんじゃないでしょうか?
私は、私よりはるかに頭がよく、偉い方の意見だとしても、
「核兵器を持っていれば、戦争は起こらない」なんていう考え方は、
間違っていると思います。
十分有り得た米ソ・米中の戦争が
核保有によって起こらなかったことを挙げて
「核を持て」などというのは、無責任です。
キューバ危機など、何度も危機の瀬戸際にあったことを忘れてはならないのです。
「あの国が手放さないのならば、わが国も核を手放すわけにはいかない」
「自分の国が持っているのに、よその国に持つなとは言えない」
こうやって、いいわけしながら核を保有する国が30カ国もあるのです。
そういう世の中を相手に、
沼田さんのように一粒一粒種をまいていくのは気の遠くなる作業で、
しかもまいた種が必ず芽を出してくれるとは限りません。
けれど、私は思うのです。沼田さんは、正しいのだと。
原爆を落とされて、
「もう二度と雑草の一本も生えることはないだろう」と言われた長崎の街。
60年後の今、
長崎の街はあんなにも美しい姿で、ちゃんと私の目の前に存在します。
人も自然も、本当に強い。
長崎の街は、言葉を発することなく、しかし雄弁に、それを私に教えてくれたのです。
現在の長崎の美しい街並みは、
沼田さんが間違っていないことを証明してくれていると思います。
沼田さんのように一粒一粒種をまいていくのは気の遠くなる作業で、
しかもまいた種が必ず芽を出してくれるとは限りません。
けれど、私は思うのです。沼田さんは、正しいのだと。
原爆を落とされて、
「もう二度と雑草の一本も生えることはないだろう」と言われた長崎の街。
60年後の今、
長崎の街はあんなにも美しい姿で、ちゃんと私の目の前に存在します。
人も自然も、本当に強い。
長崎の街は、言葉を発することなく、しかし雄弁に、それを私に教えてくれたのです。
現在の長崎の美しい街並みは、
沼田さんが間違っていないことを証明してくれていると思います。
2005/08/08のBlog
[ 17:16 ]
[ 長崎市 ]
毎年長崎では、広島が被爆した8月6日に、
平和への願いを込めて、ピーススフィアコンサートが行われます。
長崎から日本中へ、長崎から世界へ。
さだまさしさんが愛を込めて歌うこのコンサートに、
今年、私も行ってまいりました。
会場は、稲佐山の頂上付近にある、稲佐山公園野外ステージ。
開演は16:30からでしたが、早くから大勢の方々が並んでいました。
なかには会場内に入れず、
外でお聴きになった方もいらっしゃったようです。
小さな雑草がびっしりと茂った土の上に、バスタオルを敷いて、
コンサートが始まるのを待ちました。
山の上とはいえ、15:00前から待っていたので、とても暑かったです。
平和への願いを込めて、ピーススフィアコンサートが行われます。
長崎から日本中へ、長崎から世界へ。
さだまさしさんが愛を込めて歌うこのコンサートに、
今年、私も行ってまいりました。
会場は、稲佐山の頂上付近にある、稲佐山公園野外ステージ。
開演は16:30からでしたが、早くから大勢の方々が並んでいました。
なかには会場内に入れず、
外でお聴きになった方もいらっしゃったようです。
小さな雑草がびっしりと茂った土の上に、バスタオルを敷いて、
コンサートが始まるのを待ちました。
山の上とはいえ、15:00前から待っていたので、とても暑かったです。
でも、そんな暑さも、コンサートが始まると気にならなくなりました。
ホストは、さださん、さださんの妹さんである佐田玲子さん、
チキンガーリックステーキ。
ゲストは9年連続でこのコンサートに参加されているという加山雄三さん、
スターダスト☆レビュー、岩崎宏美さん、りんけんバンド、
長崎で絶大な人気のフリーウェイハイハイ。
音楽っていいですよね。
何万人もの人が、同じ曲を聴いてひとつになれるってすばらしい。
ホストは、さださん、さださんの妹さんである佐田玲子さん、
チキンガーリックステーキ。
ゲストは9年連続でこのコンサートに参加されているという加山雄三さん、
スターダスト☆レビュー、岩崎宏美さん、りんけんバンド、
長崎で絶大な人気のフリーウェイハイハイ。
音楽っていいですよね。
何万人もの人が、同じ曲を聴いてひとつになれるってすばらしい。
さだまさしさんは、歌はもちろんのこと、トークもすばらしかったです。
さださんの言葉のなかで、とても心に残ったものがあったので、
ここで紹介させてください。
平和を守るのは、力仕事だ。
戦う必要はないけれど、
誰かがやってくれると思って何もしないのは、間違いだ。
本当に、その通りだと思いませんか?
さださんの言葉のなかで、とても心に残ったものがあったので、
ここで紹介させてください。
平和を守るのは、力仕事だ。
戦う必要はないけれど、
誰かがやってくれると思って何もしないのは、間違いだ。
本当に、その通りだと思いませんか?
山の天気は変わりやすく、途中雨がパラついたりもしたけれど、
そのあと美しいピンク色の夕焼けが現れ、
コンサートが終わりに近づくころには、空に星が瞬いていました。
今年で19年目を迎えるこのコンサートは無料でしたが、
さださんが、このコンサートとともに平和への願いの両輪として行っている
「ナガサキピーススフィア貝の火運動」に、寄付をしました。
この運動は、「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」という
さだまさしさんの呼びかけにより、1995年に発足しました。
以来、全国に約150名のボランティアが生まれ、
平和情報を発信する場として、
ナガサキピースミュージアムが建設されました。
そのあと美しいピンク色の夕焼けが現れ、
コンサートが終わりに近づくころには、空に星が瞬いていました。
今年で19年目を迎えるこのコンサートは無料でしたが、
さださんが、このコンサートとともに平和への願いの両輪として行っている
「ナガサキピーススフィア貝の火運動」に、寄付をしました。
この運動は、「長崎に平和発信ミュージアムをつくろう」という
さだまさしさんの呼びかけにより、1995年に発足しました。
以来、全国に約150名のボランティアが生まれ、
平和情報を発信する場として、
ナガサキピースミュージアムが建設されました。
「貝の火」とは宮沢賢治の作品です。
動物の王様の印「貝の火」を神から授かった善良なウサギが、
周囲にそそのかされて次第に増長し、
たった6日でその火がが消えてしまうというお話です。
貝の火運動は、平和を守る火を消さないことを願って、
この名がついたそうです。
このコンサートが行われた8月6日、
doblogのブロガーさんのなかにも、
広島の被爆60年目と平和をテーマとした記事を
お書きになられた方が大勢いらっしゃって、ひとつひとつの記事に感銘を受けました。
明日、8月9日は、長崎が被爆した日です。
*写真*
1・・・ずいぶん早くから並んでいる人々。長蛇の列でした。
2・・・やった!けっこうステージの近くだぞ~!
3・・・稲佐山の頂上はすぐそこ。頂上にはテレビ塔と展望台があります。
4・・・野外だから、バッタがたくさんいました。
私の背中にも大きなのがとまっていたので、いっしょに音楽を聴きました。
5・・・来年は20回記念。ぜひまた来させてください!
開演後は、撮影禁止だったため、みんながひとつになった素敵な写真は残念ながらありません。
動物の王様の印「貝の火」を神から授かった善良なウサギが、
周囲にそそのかされて次第に増長し、
たった6日でその火がが消えてしまうというお話です。
貝の火運動は、平和を守る火を消さないことを願って、
この名がついたそうです。
このコンサートが行われた8月6日、
doblogのブロガーさんのなかにも、
広島の被爆60年目と平和をテーマとした記事を
お書きになられた方が大勢いらっしゃって、ひとつひとつの記事に感銘を受けました。
明日、8月9日は、長崎が被爆した日です。
*写真*
1・・・ずいぶん早くから並んでいる人々。長蛇の列でした。
2・・・やった!けっこうステージの近くだぞ~!
3・・・稲佐山の頂上はすぐそこ。頂上にはテレビ塔と展望台があります。
4・・・野外だから、バッタがたくさんいました。
私の背中にも大きなのがとまっていたので、いっしょに音楽を聴きました。
5・・・来年は20回記念。ぜひまた来させてください!
開演後は、撮影禁止だったため、みんながひとつになった素敵な写真は残念ながらありません。