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T is for Travel ~タは旅のタ~
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2007/04/18のBlog
[ 02:52 ] [ ┣ ベイエリアの小さな旅 ]
夜のサンフランシスコ港、ピア39に行ってみました。時刻は午後11時を少し回ったところ。ピアの入り口に大きなカニがありました。カニと言えばこの少し先の有名なフィッシャーマンズの看板ですが、あちらは平面こちらは立体のカニです。何度もここには来ているのだけど、このカニには覚えがありません。最近の作品なのかな?
サンフランシスコ港の桟橋(ピア)は、ベイブリッジの近くにあるフェリービルディングを起点に海に向かって左側が奇数、右側が偶数の番号が付けられています。観光地として開けているのは奇数の方で、ピア39はここからすぐ西側のピア41から43付近、通称フィッシャーマンズワーフにかけてのエリアとともに、サンフランシスコ観光の目玉の一つです。
木製の床が張られた桟橋を歩いて先端に向かいます。ほとんどひと気がありません。ピア39の夜がこんなに静かだとは思いもしませんでした。ここにはレストランや土産物屋などが全部で100以上あって、深夜まで営業しているレストランがいくつかありますから、全く無人と言うことではないのですが、昼間はたくさんの観光客で大混雑なので、この静けさはかなり異質に感じます。
桟橋にあるおもちゃ屋はもちろんすでにしまっていました。無人の店はウィンドウディスプレイだけが闇に浮かび上がっていました。いかにもサンフランシスコらしいビクトリア様式の家が飾られていました。
ピアの先端付近から、フィッシャーマンズワーフ側の海を眺めると、灯台のような建物が建っている小さな島が見えます。これは海上レストランなのだと、トラベルチャンネル(旅行専門のチャンネル)でやっていました。ここへ行くには港から小さなボートで行くのだとか。なかなかロマンチックな趣向ではありますが、このレストランのそばにはアザラシだかオットセイだか(Seal)のコロニーがあります。写真の左に写っている平たい台がそれで、大量のSealがオゥオゥと鳴き声を上げているし、それに臭い。果たしてレストランに影響はないのでしょうか?
2007/04/17のBlog
[ 15:23 ] [ ┣ ベイエリアの小さな旅 ]
最近、桜とかクリスマスツリーとか近場の話題ばかり書いています。「旅」系のBLOGを標榜する当BLOGとしては、この状況はいかがなものか・・・。そんな訳で、ちょっと気合いを入れ直して旅の話もきっちり書こうと思います。どれくらいこの決意が続くかは定かではないですが。

サンマテオからUS101を南へ。10分ほどのウィップル・アベニューで降り、ミドルフィールド・ロードを右折し小さな市街地に入ると、小さいながら印象的なドームを持つ建物が見えてきます。
この街の名前はレッドウッドシティ。レッドウッドとは別名セコイア。カリフォルニアに自生する巨大な杉のことです。この町は10年ほど前までは寂れた感じのする町だったのですが、再開発事業ですっかり様変わりしました。
レッドウッドシティはサンマテオ郡の首都です。だから市の中心部には郡政府関係の役所が集まっています。アメリカには州(State)と市(City)の間に郡(County)と云う行政単位があります。カリフォルニアは面積が日本より少し大きく、そこに58のカウンティがあります。日本は47都道府県だから、面積的には郡はほぼ日本の都道府県に相当する行政単位と言えそうですが、カバーする人口が少ないからか、それとも州の力が強くて郡にはあまり権限がないのか、横浜の官庁街と較べるとかなりこぢんまりとしています。
歴史をひもとくと、19世紀はじめこのあたりはArgüelloと言う家の牧場で、その弁護士だったSimon Mezesと言う人間が、現在の町の基礎を作ったとのこと。そして1856年にサンマテオ郡が出来たときに、郡都になって現在に至ります。
街のランドマークのドームの建物は、現在は歴史博物館になっている旧サンマテオ郡裁判所(Court House)です。1858年からこの場所にあったそうですが、1906年のサンフランシスコ大地震で大破され、現在のビルは1910年に再建された建物です。歴史の浅いアメリカではこれでも立派な歴史的建造物です。この一帯は再開発事業ですっかり変貌し、Court House自身もいつのまにかライトアップされています。
裁判所の前には新しくシネマコンプレックスが出来ました。もともとレッドウッドシティには湾岸沿いに大きなシネコンがありますから、人口わずか75,000人の街に2つめのシネコンと云うことになります。映画はアメリカでは今でも娯楽の主役のひとつです。金曜日の夜ともなると映画館の周りは家族連れや恋人同士で溢れます。このあたりは、公共交通機関が便利とは言えないので、車を持たない高校生の遊び場もショッピングモールか映画館くらいです。
そんな訳で、映画館の需要は日本に較べればはるかに大きいのですが、さすがにシネコン過密状態です。生き残りの鍵は「映画の後行ける場所」の提供だと思います。隣町のサンマテオもダウンタウンの再開発でシネコンを作り、ショッピングモールに客を奪われていた商店街がレストランを中心に活性化しました。レッドウッドシティも同じシナリオを描いているのでしょうが、果たしてどうでしょう?
このシネコンのビルに、日本のビアードパパ(Beard Papa)がオープンしました。日本と全く同じ味のシュークリームが提供されています。アメリカ全体がそうなのか、それともベイエリアだけなのかはわかりませんが、少なくともベイエリアではシュークリーム(英語ではCream Puff)と言うものをあまり見かけません。草履のように巨大なエクレアなら町のベーカリーにあります。でもこれは極端に甘くて全然おいしくない。そもそもあんな砂糖のかたまりのようなクリームは、カスタードクリームじゃない。いくら一般的に味音痴らしいアメリカ人だって、アメリカのエクレアと日本のシュークリームのクオリティの差は歴然です。
だから、ビアードパパのオープン当初は、店の外まで行列が出来るくらいの人気だったそうです。1月にカリフォルニアに行ったときに、人の家に招かれ、手みやげにここのシュークリームを買いに行きました。夜7時を過ぎる時間だったのに、店の中には10人近い客、しかも全員アメリカ人、がいて店員は大忙しでした。
2007/04/13のBlog
調布の国領近傍ではすっかりメジャーになった野川の桜ライトアップが、今年は4/5に行われました。
アークシステムという元地元の照明会社が、野川沿いの桜をドイツ製の最新鋭の照明機器でライトアップするのです。1シーズンで一日だけ、しかも3時間限定のライトアップです。一説によると費用はこの3時間だけで500万円にもなるのだとか。一企業がボランティアで負担できる限界と云うことなのだと思います。
僕が最初にこのライトアップを見たのは確か2001年でした。立ち話をしたアークシステムの人が、会社の花見の宴会のために桜を照明したのが始まりだったと話してくれました。今はそのアークシステムも野川沿いからどこかへ移転したそうですが、このイベントだけは継続してやってくれているのだそうです。ありがたいことです。
照明器具は雨が大敵なので、開催日は直前にならないと決まりません。桜の開花情報が出てから、毎日HPで開催日をチェックしていました。今年は当初の予定日の4/4に雨が降って一日順延になりました。中にはライトアップの予定が変わって断念した人もいたでしょうが、僕は仕事の予定を無理矢理合わせてしまいました。社会人としていかがなものか、とも思うのですが、無理してでも見たいと思わせるほどに、このライトアップは素晴らしいのです。
ハロゲン・・・いやこの白い光はメタルハライドでしょうか、野川にかかる4つの橋の間の河原に照明器具をずらりと並べて、強力な光で両岸の桜を下から照らしています。なんて表現すれば良いのでしょう。青白い光に照らされた桜は、昼間の太陽光に照らされたピンクの優しい仮面を脱ぎ捨てて、桜本来の魔性をさらします。まるで舞台装置のような、静謐で凄絶な美しさ。あるいはこの世のものでない妖艶さ。とにかくぼんぼりや提灯とは次元の違う夜桜なのです。
照明された桜は野川の水面に反射して逆さ桜になります。もっとも西よりの橋の先では流れが淀んで鏡面のような水面になっているので、桜がくっきりと反射します。
桜の白と夜空の黒のコントラストが強すぎるからでしょうか、フォーカスが取りにくく、どうしても桜がシャープに写りません。しかも手持ちではギリギリのシャッタスピードなので、若干の手ぶれもあるのかも知れません。三脚を立てて撮影するほど空いていないし、橋の欄干や遊歩道の手すりもたくさんの人が触れるから微小震動していてカメラが固定出来ません。その厳しい条件下で、100枚近くシャッタを押しまくりました。ここに掲載した写真は、その100枚の中でフォーカスが比較的合って、ブレも小さい写真です。でもどうも出来が納得できないんだよなあ。来年は腕を上げて再挑戦です。だから是非来年もアークシステムさんにはすばらしいライトアップをお願いします。
2007/04/12のBlog
[ 03:03 ] [ 一枚の切符から ]
熊谷駅の南口をまっすぐに5分-10分ほど歩くと、荒川にぶつかります。この荒川の堤防沿いに2kmに渡って500本のソメイヨシノが植えられています。この堤防はその名も桜堤。河川敷が広くて遠くまで見渡せるので、端から端まで全部の桜が一望できてなかなか壮観です。
熊谷駅からまっすぐ来た道が堤防にぶつかる付近は、焼きそばだとか焼きイカだとかの匂いが充満し、赤いぼんぼりもずらりと並んでいて、すっかりお祭り気分になっています。桜をゆっくり眺めるのなら、少し南側に歩いて、堤防の外から河川敷に入る車道を越えたあたりがベストでしょう。
そもそも熊谷桜堤の起源は、安土桃山時代くらいまで遡るそうですが、もちろんその頃の桜はとっくに枯れてしまっています。明治になって別の場所に復興されたけど、その桜も大正年間の大火で焼失します。現在の桜は、戦後再度植樹されたものだそうです。熊谷の桜は由緒あるけれど紆余曲折もあったのです。
4/4熊谷に所用があったついでに、桜堤をはじめて訪れてみました。冷たい雨が降っていたので、満開にもかかわらず人影はまばらです。天気が良ければ万単位の人出があるそうなので、桜をしっかり眺めるためには、むしろこの氷雨は好都合だったのかも知れません。
2007/04/11のBlog
目黒区にある東工大本館前に桜並木があります。ここは大学構内だから、出店も提灯もありません。耳障りな自家発電機の音もしないから、桜の舞い散る音さえ聞こえてくるような気がします。もっとも午後になると、学生たちが花見コンパを始めるので、東工大の桜を観賞するなら午前中がお薦めです。

4/1の朝、すっかり新しくなった東急目黒線の大岡山駅を出て、横断歩道を渡るともう目の前が大学正門です。正門の右手には奇抜なデザインの百周年記念館、左手奥には理科系の文書に関しては有数の蔵書を誇る大学図書館の白い建物が見えます。目的の桜並木はその図書館の向こう側、時計台のある本館前にあります。
桜並木は100mほどの長さの場所なので、本数はたいしたことはありません。しかし、一本一本が大人が2-3人でないと抱えられないほどの大木で、結構離れて立っているのに、大きく枝を張った枝が空を覆いつくすほどに花が咲いています。東工大が大岡山に移転したのが1923年。その時植えたものだとすれば、樹齢はおよそ85年と云うことになります。ソメイヨシノは寿命が60年であるという説がありますし、弘前にあると言う最古のソメイヨシノでも樹齢100年強ということだから、ここの桜はソメイヨシノとしてはかなりの老木の部類に入ると言うことになります。
桜の咲くこのエリアは門からも電車からも見えません。だからここの桜の存在は昔はあまり知られていませんでした。今はWEBがありますから、昔よりは知っている人も多くなったと思いますが、それでも近所の目黒川・洗足池・等々力渓谷・桜坂などに比べると桜の名所とまでは言えません。でも、花の見事さ、木の大きさ、雰囲気をぶちこわす提灯や出店がないこと、そしてゆっくり桜を観られる静けさ。トータルとして東工大の桜が一番じゃないかなと僕は思います。
昨年その桜並木に木製のデッキが建設されました。それまでは幅の広い花壇を挟んで両側に桜が並んでいたのですが、根が露出していてそこを人が通るから、木にとって良い環境とは言えませんでした。その花壇と桜の根を覆って広い木製のデッキを建設したのです。その結果、桜の根は保護され、人は桜の間を歩けるようになったのでした。デッキを歩き、空を見上げると桜越しに本館の白い時計台が見えました。
2007/04/10のBlog
東京近郊はそろそろ桜の季節も終わりです。季節はずれの話題にならない前に、桜の話をしておこうと思います。

川崎の南武線の宿河原から商店街をほんの数分歩いたところに、二ヶ領用水宿河原線という人口の川が流れています。この流れに沿って、北は宿河原-登戸間の南武線鉄橋付近から、南は久地駅北側東名高速高架まで約2km、用水の両岸が桜並木になっています。川を覆うように両側から桜の枝が伸び、川面には桜の花びらが流れていて、なかなか風流な趣になっています。
二ヶ領用水は江戸時代初期1611年(宿河原線は1629年)に徳川家康の命で作られた、川崎の新田開発のための農業用水です。
水源は多摩川中流域の2つの取水堰で、その一つ宿河原取水堰は、1974年の台風の時に川の流れを妨げて、対岸の堤防の決壊を招いた原因とされました。ニュースで家がゆっくりと川に飲まれる映像を見た憶えのある人もいるでしょう。
高度経済成長期以降、二ヶ領用水は周辺の宅地化とともに、農業用水としての役割が減りました。一方で、生活排水の流入で水質悪化がすすみ、どぶ川に近い状態になっていたようです。現在は周辺住民の「水辺の癒しの空間」として、水質も改善され再生されつつあります。水面のすぐ近くに遊歩道と云うべきか露台と云うべきか、水と親しめる場所が作られています。
西の登戸駅方向、南武線の鉄橋に向かいます。商店街を少し離れると、人出もまばらになり、ゆっくりと桜を楽しむことができます。沿線のまわりには畑もあって、一昔前のこのあたりの風景がこんな感じだったのかも知れません。南武線の鉄橋はくぐることが出来ますが、鉄橋の高さは人の背丈よりもかなり低く、背の高い人でなくてもかなり腰を折らないと通れません。電車が来ると頭の真上を通り抜ける訳で、かなりスリルがあるんじゃないかと思います。
このあたりで引き返し、今度は宿河原商店街から東側に向かいます。ここから川崎市緑化センターまでの間が、桜並木のメインです。たくさんの人が散策しています。緑化センターを過ぎてもう少し歩くと、用水の上を東名高速道路が通ります。桜はこのあたりで終わりです。
東名をくぐった先で、用水はもう少し大きな川に合流します。実はここまで辿ってきたのは二ヶ領用水宿河原線と云う言わば支流で、この合流した川が二ヶ領用水本川と呼ばれる本流です。合流点付近には、宿河原線を流れてきた桜の花びらが溜まっていました。
[ 01:47 ] [ ダはダイアリのダ ]
BLOG更新の停止を宣言してから2ヶ月半、やっとここに帰ってきました。
個人的な事情をここに細々と書く気はありません。抽象的な言い方ですが、記憶が心の中でかさぶたになるのをこの2ヶ月半待っていたのでした。
もし人が自分に起こったすべての出来事を記憶から消すことが出来ないとしたら、人の心は押しつぶされてしまうに違いありません。でももちろん僕たちの心は「忘れる機能」を持っています。
僕の辛い記憶はまだ消えてはいないけれど、触れさえしなければ痛みを発することはなくなったと思います。だから、こうしてまたここに帰ってきました。

たまに自分のBLOGを覗いていました。毎日カウンタは結構回っていました。こんなつたないBLOGでも更新を待ってくれている人がいると言うことだと思います。ありがたいと思います。
また前のように、いろいろな話をここでしていこうと思います。
あらためてよろしくお願いします。
2007/01/30のBlog
[ 13:55 ] [ ダはダイアリのダ ]
悲しいことがありました。
大切なものを失いました。
今はまだ日常を取り戻せないでいます。
ここに戻ってくるには少し時間が必要です。
だからしばらくの間バイバイ。
2006/12/29のBlog
[ 18:13 ] [ 記憶の空間・記憶の時間 ]
山手線の新大久保の駅を降りて大久保通りを東に進み明治通りを過ぎた先の左側、戸山ハイツに隣接して緑深い戸山公園があります。その公園の中央にそびえているのが、通称「箱根山」。実はこの山は東京山手線内の最高峰なのです。
僕は小学校にあがるまでこの周辺で育ちました。いまでこそ国際的?な場所になってしまった新大久保ですが、40年前はごく普通の住宅街でした。その頃、この箱根山には母親に連れられてよく来たものでした。
戸山ハイツの高層住宅の中を横切ると、箱根山を周回する遊歩道に出ます。ここから山に登る道がつけられています。
この箱根山一帯は元々は江戸時代尾張藩の下屋敷だった場所で、東海道53次の宿場町をシミュレートした町並みのある広大な庭園が広がっていたそうです。この箱根山は当時の築山です。明治になって徳川家から明治政府の所有地となり、ここは陸軍戸山学校や旧陸軍軍医学校防疫研究室など軍の施設となりました。戦後になってから、箱根山を中心に公園として整備され現在に至っています。
山手線内最高峰と言っても標高はわずかに44.6m、西新宿の高層ビルよりも低いのです。雑草に覆われた階段を登ると、5分もかからぬうちに山頂に達します。頂上には、巨大な一本足の丸テーブルのような屋根の丸いベンチがあったのですが、台風か雷かで倒壊して、現在の六角形の藤棚のような建造物が建てられたそうです。
僕が箱根山を約40年ぶりに訪れたのは、数年前の夏のことです。勢いよく茂った雑草と背の高い木に遮られて、残念ながら山頂からの眺望は全くありませんでした。360°ぐるっと見渡せて、淀橋浄水場とかが見えて、眺めがすごくよかった記憶があるんですが、ここはまるで別の場所みたいに思えます。
僕の記憶の中には、どこかヨーロッパの田舎の村ような箱根山の景色が残っていました。箱根山の斜面は明るく開放的な草原で、その中に緩い勾配の道が通っています。その先の山の麓には教会があって、その横には野外音楽堂があるのです。
箱根山から下りながら、僕はその教会を探してみました。山の麓の周回道路沿いに確かに教会はありました。しかしそこら一帯は見通しの悪い林に囲まれていて全然開放的な草原ではありません。
野外音楽堂らしき遺物は、そこから少し離れた児童公園の横に残っていました。すり鉢状になった地形の真ん中になにやら構造物があります。ここも周りは鬱蒼とした森です。
どうにも納得できなくて、両親に聞いてみたのですが、二人と記憶があやふやで、ここが当時どんな様子だったのか覚えていない様子です。
高校生の時に読んだ森村桂さんが書いた小説に、このあたりが舞台の話があります。あるいはその本の印象と自分の記憶がごっちゃになってしまって現実とは違う風景を頭の中に作り出したのかも知れません。なんだかどんどん自信がなくなっていきました。
実家のアルバムには幼い頃のあのあたりの風景が写っている写真があるいはあるかも知れません。正月に実家に行ったときに調べてみようと思います。
2006/12/25のBlog
[ 02:41 ] [ ダはダイアリのダ ]
イヴの夜だというのに一人でホームタウンの町田から北埼玉に戻ってきました。ぼやいてみたとことで、明日は仕事があるのだから仕方がありません。幸せに見える男女でいっぱいの町に出る気にはさすがになれず、ただ黙々と電車に乗って、まっすぐに北埼玉に帰ってきました。今日はそんなイヴの電車の中で見た光景を三つ。題してイヴ三景。

6時過ぎの小田急線の急行にはこれから新宿に出ようかという男女がたくさん乗っていました。途中の駅から20代前半とおぼしき男女が乗ってきて空いていた座席に座りました。女性はファーの付いた白いかわいらしいコートで、膝に置いた手の爪は金色のネイルエナメルで、いかにも今日のためにおしゃれをしてきたという感じです。男性は紺のダッフルコートの普段着、彼女の装いとはかなりちぐはぐです。
並んで座ると、男性の方がすぐにDS Liteを取り出し、タッチペンで操作をはじめました。女性はそれをのぞき込んで微笑み合ったりしています。こういうのが新しいデートの形なんだな、と何気なくぼんやりみていると、男性はどうやらDSに夢中になってしまったようです。DSに向かってニヤッとした笑顔を浮かべて、ひたすら操作しています。それを見た女性は一瞬笑顔が消えて冷たい顔になりましたが、それでもせっかくのイヴの夜を台無しにしたくはなかったのでしょう、またすぐに笑顔を作り直してDSの画面をのぞき込み、なにやら一生懸命彼に話しかけています。男性はそれには答えているようなのですが、うっすら笑顔を浮かべたまま、目は画面から離れません。何度か話しかけた後、とうとう女性は携帯をとりだしてメールかなんかを打ち始めました。それ以上観察するのは気が引けたので、もう彼らの方は見なかったのですが、電車が新宿に着いてホームに出ると、前をその二人が改札の方へ、仲良く腕を組んで歩いていくのが見えました。最近はこんな特別の日のデートでも、服装も合わせず、会話もせず、ゲーム機に夢中になっていても良いんですね。

高崎線の中では小学校低学年と思われる男の子とまだ幼稚園かなと思われる女の子を連れたお母さんが乗っていました。お母さんはメールをやっているのか、サイトを見ているのか、携帯を目の高さに持ち上げてずっと画面を見たきりです。女の子は退屈のあまり、いすから半分ずり落ちながら、上着の裾を持ち上げおなかを出したり隠したりしています。公衆の面前でかなりお行儀の悪い仕草なのですが、お母さんはそれに全く注意を払いません。男の子の方は野球のデータブックのようなものを見ていました。でもすぐに飽きてあとはただぼーっと斜め上の空間を見ています。僕が電車に乗った赤羽から彼らが降りて行った駅までたっぷり15分はあったでしょう。その間お母さんは一度も携帯から目を離さず子供の方を一度も見ませんでした。最近は親子関係もこれで良いんですね。

携帯とゲーム機が作り出した、あるいはぶっ壊した日本の新しい人間関係を見て、なんだか納得いかないもやもやしたものを感じていた僕ですが、高崎線の中で一つだけイヴの夜らしい光景を見ることが出来ました。
大宮を過ぎたあたりだったでしょうか、大きな箱、多分ケーキなのでしょう、を抱えた女性が乗ってきました。その瞬間のことです。座って本を読んでいた白いダウンのコートを着た、大柄で木訥そうな青年がすっと立ち上がりその女性に「どうぞ座ってください」と声をかけました。彼女はお年寄りではないのです。まだ30代後半か40代前半くらいの女性です。でも大きな箱を抱えていて、女性ですから男性のように腕力(脚力?)がないから、電車が揺れると危ないのです。だから彼は何の躊躇もなくさっと席を譲りました。女性の方はちょっと面食らったようですが、すぐにきれいな笑顔で「ありがとう」と言って彼が譲ってくれた席に座りました。僕は近くに立ってその一部始終を見ていたのですが、それはとても良い光景でした。
先日、長いこと海外で暮らしている女友達が言っていました。「日本では空港の手荷物の受け取り場所で、重いトランクを女性である自分が取らなければならない。駅の長い階段でも誰も助けてくれない。」と。この間町田のデパートのエレベータで、女性を先に降ろそうと僕が端によって待ったら、うしろに乗っていたおっさんが、それがさも当たり前のように女性を押しのけて降りていきました。こんな風に男性が女性を守ると言う意識の低い日本です。
そして日本の女性の側も多分、男性に気を遣われることになれていない。エレベータでもビルのドアでもレディファーストの意識で女性に「どうぞ」と声をかけると、胡散臭いと言うような目で見られたり、あるいは逆に過剰に恐縮されたりすることが良くあります。素敵な笑顔と「ありがとう」を軽く返すことが日本の女性には、失礼な言い方かも知れませんが、まだ難しいことであるように思えます。
だから、この高崎線の青年の行動とそれを笑顔で快く受けた女性の行動は、僕にはとてもさわやかに映りました。イヴの夜にちょと心が温かくなるような素敵な光景でした。
2006/12/22のBlog
[ 01:47 ] [ ┣ アメリカの車窓から ]
引き続き、アメリカ時代の古い写真から、ツリーの写真です。
LAのユニバーサルスタジオのツリーです。特に大きいものではないけれど、イベントをやっていてにぎやかでした。
こちらは同じユニバーサルスタジオの入り口の赤いツリー。
毎年点灯式がニュースになるニューヨークロックフェラーセンタの有名なツリーです。遠くから撮影したので小さく見えますが、25mくらいはあるはずです。もうちょっとましな写真があったはずなのですが、見あたりません。それにDCのツリーの写真もあるはずなのですが、それも見つかりません。もし見つかったらここで紹介します。来年かな?
最後にクリスマスイルミネーションを一つ。シェイクスピアフェスティバルで全米的に有名なオレゴン州Ashlandのイルミネーションです。
[ 01:37 ] [ ┣ ベイエリアの小さな旅 ]
古い写真で恐縮なんですが、アメリカ時代に撮りためた写真を探したら結構クリスマスツリーが写っていたので紹介しようと思います。

最初はSan Mateoのショッピングセンタのツリーです。ここは2Fまで吹き抜けになっていて、結構立派な背の高いツリーが飾られています。12月になるとこのツリーの周りで、コーラスとかハンドベルのコンサートが開かれます。サンタが子供と一緒に写真を撮ってくれるサービスにはいつも列が出来ています。
・・・って、書いたのですが、あれ?もしかすると、これ別のショッピングセンタのツリーかもしれません。ベイエリアにはショッピングセンタがたくさんあるのでわからなくなってしまいました。
サンフランシスコエンバカデロ地区のハイアットホテルのツリーです。
サンフランシスコの中心ユニオンスクエアのツリーは、どうやら対スペイン戦争の戦勝記念の塔を覆って作るみたいです。
2006/12/19のBlog
新宿の三井ビルのディスプレイです。大きなツリーとか派手なものはないのですが、何となく暖かみのあるディスプレイでした。
京王線と小田急線の多摩センタの駅前のイルミネーションは、電球が37万個使われているのだそうです。中央の青いLEDのツリーを中心に、街路樹が電飾で飾られています。
シンデレラの馬車とか、場所柄キティの人形とかも飾られていました。
周囲はショッピング街なので、夕方はかなりの人出です。
[ 23:54 ] [ 一枚の切符から ]
クリスマスとは関係ないですが、東京ベイエリアと言えばレインボーブリッジ。これも撮影対象からははずせません。東京タワーが橋の向こうに見えましたが、特にイルミネーションがクリスマスバージョンと言うことはないのかな?せっかくの夜景ですが、見ている人間は数名です。昼は騒がしくて軽薄な台場ですが、夜は意外にも静かで良いところです。
ゆりかもめで新橋方向に引き返し、新橋の一つ手前の汐留の電通ビルの横、カレッタ汐留と云う場所らしいのですが、には東儀秀樹氏プロデュースのBlue Oceanなるディスプレイが展開されています。海を表現した青の発光ダイオードが幻想的な風景を作り出していました。
下まで降りるとこんな感じです。あたりには波の音や音楽が流れています。イルミネーションと音と音楽が一帯になって非日常の空間を構成しているということでしょうか。
照明をバックに人物が影絵のようになって、一昔前のドレンディドラマのような雰囲気のある画像になりそうでした。男女が見つめあった(ように見える)うまいシャッターチャンスを捉えたと思ったのですが、焦ってシャッタを切ったから、ぶれてしまいました。残念。