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T is for Travel ~タは旅のタ~
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2007/05/20のBlog
[ 23:00 ] [ ダはダイアリのダ ]
米国時代の同僚で、娘と仲良しの女性を出迎えに成田。前回の成田はアメリカから娘を連れ帰ったとき。いろいろあって、複雑な思いが交錯して、できればあのときのことは思い出したくない。もちろんそれは成田のせいじゃないのだけど、なんとなくイヤな気持ちで空港に着きました。
Arrivalで娘と二人で彼女を探していたら、すでに税関を出て銀行で両替をしていた彼女が、娘を見つけて底抜けに明るい笑顔で駆け寄ってきました。なんだか重かった気持ちが軽くなりました。感謝しなくては。
成田から大宮にバスで移動。渋滞に巻き込まれて随分時間がかかってしまいました。夕食のテーブルを囲んだときにはもう8時半になっていました。成田到着から大宮まで、実に5時間です。成田はどこに行くにも遠くて、やっぱりあんまり簡単に行ける場所じゃないです。
2007/05/18のBlog
3年ぶりのゴルフ。朝5時起きで、栃木県まで行きました。
なんでも関東だか日本だかで一番難しいと評判のコースだそうです。グリーン回りは妙に深い大人の背丈ほどの深さのあるバンカーだらけで、一度入ると3-4打は固い。フェアウェイは池とか谷とかに向かって傾いていて、ちょっとボールが逸れるだけでコロコロと落ちていってしまう。その谷を脱出するのがまた大変。そもそもすごい傾斜のところから打たなければならないし、前方も側方も木が行く手を遮っていて、転がすしかないなんてところもありました。グリーンに乗っても安心も出来ません。グリーンは広いし、ピンの位置がメチャクチャ難しくて、バンカーからやっとの思いでグリーンの一番端にのせ、登りなのでしっかり打ったら、ピンを越えてそこからが急なくだり、あれれという間にグリーンからこぼれて反対側のバンカーに・・・。
3ホール回ったくらいでもう疲れてしまい、18ホール終えた頃にはくたくたでした。一緒に回った仲間たちは普通のコースなら90台で回るような腕を持っているのですが、この日は軒並み+20-30。僕は20年前のデビューのスコアよりも悪い、まさに天文学的な数字を叩いてしまいました。スコアの絶対値はこんなところに書く訳にはいきません!
良いコースだったのか、面白いコースだったのか、きれいなコースだったのか、私には評価する余裕はありませんでした。少なくとも3年ぶりにゴルフをやるような人間がプレーするコースではない、ということだけは確かでした。
2007/05/17のBlog
[ 23:00 ] [ ダはダイアリのダ ]
3泊4日で東北地方に修学旅行に行っていた娘が帰ってきました。海外に行く学校だって珍しくないご時世なのに、なかなか地味です。
地元のおばあちゃんに教えられながら、わらの馬を作った。川に入ってヤマメのつかみ取りをして、採った魚に自分で串を刺して焼いて食べた。ホウレンソウの収穫をした。田圃に入って田植えをした、などなど。
修学旅行と言うよりは、体験学習の旅と云う印象です。

京都のお寺をまわっただけの僕の時代の修学旅行は、30数年経った今ではほとんど記憶に残っていないけれど、こういうのはきっと何10年後も憶えているんだろうな。
「田植えが一番面白かったよー。」とはしゃいでいる娘が少しうらやましくなりました。
もっとも、わんこそばには閉口したようで、もう一生そばは見たくないそうです。
2007/05/13のBlog
[ 23:00 ] [ ダはダイアリのダ ]
近所で何カ所かマンションが建設中です。散歩がてら、モデルルームをのぞきに行ってみました。生活感のないモデルルームであることを差し引いても、最近のマンションというのは素敵ですね。一目惚れしてしまいました。
支柱がなくて壁面全面が窓であるとか、ガーデンチェアだって置けそうな幅のあるベランダまで床がフラットだとか、足をほとんど伸ばして入れる浴槽のサイズであるとか、新しいマンションっていいなあ。

そろそろまとまったローンを組める限界の年齢だし、この辺でマンションも良いかもね、などと、海千山千の担当者と話している間に、なんだかほとんど購入する雰囲気になってしまいました。冷静にならねば。こういうところへは準備なしで無防備のまま入ってはいけません。例え何千万円もするものでも、きれいなモデルルームを見せられて、営業の甘い言葉を聞いているうちに、「衝動買い」に近い状況になってしまうんですね。ちなみに私はセレブではありません。マンションを買うときは莫大な借金をして、これから定年までずっと毎月たくさんの返済をしなければならない、ごく普通の会社員に過ぎません。そんな厳しい状況すら話を聞いているうちに、取るに足らない事柄に思えてきてしまいます。恐ろしい・・・。
まあいずれ近いうちに家は買わなければならないのだと思いますが、今日のところはまず冷静に。
2007/05/12のBlog
[ 23:00 ] [ ダはダイアリのダ ]
17年前の14形ブラウン管テレビが壊れました。テレビを見ていたら突然画像が消え、そのまま帰ってこなくなってしまいました。
テレビなしの一人暮らしは夜がとっても長いので、早速ヨドバシに行きました。液晶で地デジ対応ははずせません。調査するとシャープの15型が6.7万円。ポイント10%なので実質6万円相当です。外国製だともう少し安いのもあるようですが、やっぱり液晶はシャープでしょ。

売り場に行くとありました。シャープの15型。しかし、いかにも小さい。パーソナルテレビのコーナーだったのだけど、まわりにあるのは17とか20とかばかりです。
こうなると20型くらいの大きいヤツが欲しくなります。同じシャープの20型、ハイビジョン、地デジ液晶テレビには、11.8万円の値札が付いていましたが、「ご相談ください」の黄色い表示付。多分3000円とか5000円くらいは安くなるかも知れませんが、予算を遙かにオーバしています。
取りあえず、そばにいた店員に20型の値段を「ご相談」してみました。そうしたら「お待ちください」とカウンターの方に消えていって、なかなか帰ってきません。5分近くも待たされたでしょうか。忘れた頃に戻ってきた彼が提示した金額は、なんと「8.5万円、ポイント20%。」頭の中で計算すると、実質6.8万円と云うことになります。15型との差はわずかに8000円。30秒で決断してしまいました。

そんな訳で20型のテレビを持って部屋に戻って早速地デジを見てみました。ノイズもゴーストもなし、さすがにきれいですね。今までの放送とは全く別物だ。確かにこれじゃアナログは生き残れないと云うことが即座に理解できました。政府の「2011年の強制デジタル化」に、強引なんじゃないの?と反発していましたが、今日ですっかり宗旨替えしてしまいました。
2007/05/10のBlog
[ 23:30 ] [ ダはダイアリのダ ]
湘南新宿ラインの大崎駅で何人か乗ってきたなかに、黒いスーツをビシッと着た天海由希似の美人がいました。彼女は電車に乗り込むなりキョロキョロしたり、手元の小さな紙をのぞき込んだりしています。
(田舎から出てきたばかりなのかな?)彼女が扉の上の湘南新宿ラインの路線図と見比べている紙をのぞき見ると英語の路線図でした。なるほど外国人でしたか。東洋系なので日本人とまるで区別がつきません。彼女の顔を見ながら中国?韓国?と考えていたら、目が合ってしまいました。
“Are…you….foreigner?”
彼女が戸惑いがちに話しかけてきました。いや、僕外国人じゃないから・・・。
苦笑しながら、「日本人だよ。」と答えると、「あ、ごめん。だって、顔が日本人じゃないから・・・。」などとおっしゃいます。うーん、日本人と区別のつかない顔をしているくせに、日本語が一言もしゃべれない東洋人のオネーサンに、東京の真ん中で外国人扱いされるってのは、純粋日本人としていかがなもんなのでしょう・・・。
ちょっと前にアメリカで、メキシコ人のニーチャンに、「生まれはどこ?僕はユカタンなんだけど、君は?」などと同胞扱いされたことがあります。顔がインディオ系なのかなあ・・・。それともアメリカ暮らしで肥大化した体格の問題?あるいは態度がでかいのかなあ?いずれにしても、欧米系には決して間違えられないので、あまり嬉しくないです。あ、これ差別発言?
とにかく、「恵比寿で山手線に乗り換えれば良いよ」、「ちょっと歩くかも知れないけどね」、などと教えてあげているうちに恵比寿に着きました。彼女が「ホーム違うでしょ?登るの?降りるの?」と聞くから、「知らない。この駅降りたことない。とにかく山手線と書いてある方に行けばわかるよ。」と答えたら、「あ、なんだ。このあたりに住んでいるんじゃないんだ・・・」と言われてしまいました。ええ、ええそうですよ。格好見ればいくら外国人でもそんなことすぐわかるじゃん。都心に住むセレブにはどうみても見えんでしょう。まあでも彼女かなりの美人だったから、これくらいの失礼発言は許します。
2007/05/07のBlog
[ 23:30 ] [ ダはダイアリのダ ]
今日から新職場。
今度の職場は研究所です。24年前に入社したとき配属されたのが研究所でした。そのときはわずか1年で事業部に転出したので、実に23年ぶりの復帰です。もちろん当時とは全く様子が違います。
第一印象は、「随分静かな職場だな。」でした。
事業部と言うところは、スケジュールにしばられる製造職場はもとより、例え設計部門であってもお客様からの要求や現場からのトラブル対応でいつも追いまくられています。怒号が飛び交う・・・は大袈裟ですが、あちこちで議論やら検討やらを大声でやっていますから、結構うるさいのです。
今度の職場は、みんな黙々と自分の仕事に打ち込んでいて、雑談も冗談も聞こえません。よく言えば落ち着いた知的な雰囲気が漂う、悪く言えばおとなしく覇気が感じられない職場だと思いました。
移動してくる前に、今度の職場の上司と話す機会がありました。どうやら僕の役割のひとつは、職場に「事業部的」活気を注入することのようです。ここにも何人かは事業部出身のメンバーがいます。彼等を巻き込んで、少し暴れてみようかな。ちょっと楽しくなってきました。
2007/05/05のBlog
[ 23:00 ] [ ダはダイアリのダ ]
昨日と今日で北埼玉の寮から神奈川の寮への引越。普通なら一日で済む距離ですが、GW中で渋滞しているかもしれないからと、クロネコヤマトの提案で二日に分けての作業になりました。
4日の日に北埼玉の寮にクロネコヤマトが2人来てあっという間に運び去っていきました。翌5日は神奈川の寮にやっぱり二人で来て、あっという間に運び込んで去ってきました。さすがはプロ、疲れを知らない働きぶりでした。部屋に荷物を運び込んだあと、トラックに戻るのは駆け足です。確かにダラダラ歩いて戻られたら印象悪いけれど、一日何件もこれやっているのだから、かなりしんどい仕事かも知れない。
荷物を運び入れてもらった後、早速開梱を始めました。前の寮は片側の壁面がすべて作りつけの収納家具だったのですが、今度の寮は収納スペースが全然足りません。机やイスもありません。ニトリに行って棚や机を買ってきました。結構な散財です。
2007/05/03のBlog
雪解けの頃の後立山連峰の山腹には、雪がとけて岩肌が顔を出した、雪形と呼ばれる独特の形が現れます。古来よりそれは安曇野の人々に対する自然からの春のサインでした。人々は雪形の出現に合わせて、田圃の代掻きをはじめたり、種まきをしたりしたと言います。
白馬村の岩岳スキー場から八方尾根に抜ける道に架かる白馬大橋からは、白馬乗鞍岳から白馬三山を経て、五竜岳の遠見尾根に至る稜線を一望できます。
ガイドブックを片手にじっくりと残雪と顔を出した尾根の模様を眺めていたら、なるほど色々と見えてきました。
もっとも有名な雪形は白馬岳(しろうまだけ)から白馬乗鞍岳に至る稜線、三国境と呼ばれる峠の下あたりに見える「代馬」です。この馬の雪形は田圃の代掻きの時期を示すサイン。だからこの馬は田圃の代掻き馬で、「しろうま」。山の名前にも村の名前にも一般に使われている「白馬」の字は、明治時代、陸軍測量部が地図を作るときに間違って当てた字だそうです。その結果、代馬→しろうま→白馬→はくば、と地名があらぬ方向に変化してしまいました。写真の通り雪形の馬は、白い馬じゃなくて黒い馬だし、「はくば」というリゾート丸出しのロマンチックな響きは、どうにも座り心地の悪い感じがします。
これは5/3の写真です。首のあたりはまだはっきりしないから、時期的にはもう数日あとが良いかも。
五竜岳には四つの菱形が合わさった雪形が見えます。これは甲斐の武田家の家紋のいわゆる「武田菱」になぞらえられています。北の唐松岳の優美な山容に対して、ゴツゴツしていて男性的と形容される五竜岳の雪形が、勇壮な武田軍を連想させる武田菱と云うのは少しできすぎのような気もしますね。もう少し南にくだったところからは、もっとはっきりと四つ菱の形が認識できました。その時車を運転していたのが、山なんかにまるで興味のないヤツだったので、残念なことに写真を取り損ねてしまいました。
大町の付近からは鹿島槍ヶ岳が良く見えます。山腹に鶴と獅子の雪形がくっきり見えました。
昔から安曇野を訪れるのは夏山の季節でした。山に雪の多く残るこの時期は、僕の登山技術ではかなり危険です。だから、いままでGWの安曇野にはあまり近づいたことはありませんでした。こんなにはっきりした雪形を見たのは多分はじめてかもしれません。
2007/05/02のBlog
GWの飯山の付近ではリンゴの花がほぼ満開でした。松本ではまだ3分咲きって感じでした。同じ長野県でも随分違います。
リンゴも桜と同じバラ科です。属はリンゴ属とサクラ属で違いますが。他にもきれいな花をつける木は、梅も桃もみんなバラ科(両方ともサクラ属)です。寒い地方ではこれらのバラ科の木が一斉に花をつけるんですね。何とも華やか。
リンゴの他にも白い花が咲いていました。木が棚になっているからブドウ?いや木も葉も違いますね。梨かなあ。ちなみに梨もバラ科(ナシ属)。
少し大降りの白い花がこちらも満開でした。
[ 23:00 ] [ 一枚の切符から ]
安曇野からひとつ山を越えた飯山に菜の花公園という場所があります。緩やかな丘の上一面が黄色い花をつけた菜の花畑です。
丘の下には千曲川がゆったりと流れています。唱歌「朧月夜」の「菜の花畑」はこのあたりの風景だそうです。作詞の高野辰之の故郷が、長野県下水内郡豊田村。この菜の花公園から飯山線で少し南にくだった替佐駅のあたりだとか。見わたす山の端(は)、里わの火影(ほかげ)、蛙(かわず)のなく音(ね)・・・大正のはじめの頃の日本の原風景の残滓くらいならば今でも感じることができます。
このあたりは菜の花畑が至る所に広がっています。千曲川の河川敷にも広い菜の花畑がありました。菜の花畑の中の小道を幸せそうな笑顔を浮かべた二人が散策していました。黄色い花に囲まれた顔はみんな優しげに見えます。春の野原では「マルクスだってキンポウゲを振りながら散歩する」(意味不明か?)くらいだから、こんなにたくさんの黄色い花に囲まれたら、誰もが楽しくなっても不思議はありません。
菜の花って「野沢菜」の花だって知ってましたか?野沢菜と菜の花の漬け物を売っていたおばちゃんに教えてもらいました。種をまいて2ヶ月ほどで出てきた菜が野沢菜で、それを収穫せずに一冬越させると、地中のカブ(野沢菜はカブの変種)から新しい茎が育ち、花をつけます。それが菜の花なのだそうです。知らなかったなあ。
WEBで詳しく調べると、「菜の花」とはアブラナ属全般の花の呼称だそうです。だから正確には菜の花=野沢菜ではなく、菜の花⊃野沢菜ということ。アブラナはもちろん、野沢菜もハクサイもカブもチンゲンサイもミズナもコマツナもみんなアブラナ科なので、放置すればみんな菜の花を咲かせるのかもしれません。
菜の花畑の向こうに、桜が満開の花をつけていました。ピンクと黄色と背景の山(木島平か?)の緑のコントラストは、なるほど一級の被写体かもしれません。先生と呼ばれている男性を中心に、たくさんのアマチュアカメラマンが三脚をたて、桜と菜の花に陽があたるのを辛抱強く待っていました。
2007/05/01のBlog
[ 23:30 ] [ 一枚の切符から ]
松本から上高地に向かう野麦街道の途中の奈川渡ダムにある梓川テプコ館に行ってきました。その名が示すように、東京電力のPR施設なのですが、普通じゃなかなか見られない発電所を見学することが出来るので、前から行ってみたいと思っていました。
エレベータで地下5階まで降りて、ダム堰堤の内部のトンネル通って外に出るとそこは、ダムの堰堤の基部でした。高さ155m(日本で3番目に大きいアーチダム)のダムの壁が目の前にそびえて、要するにこのすぐ向こうに高さ155m分の水があるわけです。アーチ式ダムは、アーチ形状で水の重さを支えています。水平方向だけでなく垂直方向もアーチ形状なので、ダムの壁に背をつけて見上げると堰堤がオーバーハングしていて、頭の上に覆い被さっている様子がわかります。
地下発電所には発電機が4つ並んでいました。なるほどでかい。昼は水の力で発電し、夜は余剰の電気でタービンを逆に回して、水を汲み上げ電気を蓄えるいわゆる揚水型の発電器です。ところで、夜電力需要が落ちて電気が余って電気代が安くなるのは日本特有の現象だそうです。だからこの揚水システムも外国の視察団にはメリットが理解されないのだとか。
大きな水圧がかかり、高速で回転する発電器は、わずかな回転軸の狂いが振動を招いて致命的な結果をもたらすそうです。ものが巨大なので、精度のサイズに対する比率は精密機械並みです。
外にはすでに役目を終えた発電器の水車が展示されていました。写真は半分に切断された水車の羽根です。切断面から水車の羽根の水のあたる場面を覗いています。底面や左右の側面の表面は、無数の小さな凹みでざらざらしています。ここは新品のときにはツルツルでピカピカだったのですが、水の中で水泡が破裂する時に出す衝撃波が固い金属を少しずつ削ってこのようなざらざらの表面になったのだそうです。水(あるいは空気?)の力というのはすごいものです。
2007/04/29のBlog
サンフランシスコからベイブリッジをオークランドに向かい、湾の中の中継点であるイェルバ・ブエナ島(Yerba Buena Island)の出口で降り、この島と陸続きで1939年のサンフランシスコ万博の時に作られた人工島トレージャーアイランドに向かう道を辿ります。林がとぎれ、フロント越しに海が見えると、誰もが感嘆の声を上げます。目の前にはサンフランシスコのスカイラインが遮るものなく広がっています。
前に ここからの夜景を紹介しました。今回は夕暮れの写真を紹介します。
一枚目はサンフランシスコの中心部です。立ち並ぶ高層ビルがシルエットになっています。
晴れていれば、ダウンタウンの右手遠く、二枚目の写真のようにゴールデンゲートブリッジが見えます。ゴールデンゲートブリッジの良くあるアングルはもちろん美しいけれど、こんな風に真横から見てもやっぱりこの橋は美しい橋です。

この写真を撮ったのはトレージャーアイランドの海軍基地(今は閉鎖)のゲートの手前にある駐車場からです。車10台ほどの小さな駐車スペースですが、この景色を見るために次々と人がやってきます。20分の時間制限があるので、停まれないほど混むことはありません。
もっとも時間制限などなくても、ここにはそう長くいることはできません。なぜなら、強烈に寒いのです。湾の真ん中にあって、人工島だから凹凸がないし、だから冷たい水を渡って冷えた風が、まともに吹き付けるのです。みんな車で乗り付け、写真を撮ったらそそくさと引き上げていきます。
車がなくても、MUNI(サンフランシスコの路線バス)で来られるのですが、帰りのバスを待つ間に凍えてしまうかも知れません。やっぱり車がないと厳しい観光スポットです。
写真を繋いでパノラマ写真にしてみました。左からベイブリッジ、そのすぐ脇にちょっと小さくて見えにくいですがサンフランシスコ港の中心フェリービル(一枚目の写真なら、真ん中あたりの水際に赤いネオンのついているフェリービルが見えます)、三角形のビルはサンフランシスコの名物ビル高さ256mのトランスアメリカ、ずっと右に行ってビルがとぎれた先の海峡に架かる橋がゴールデンゲートブリッジ、さらに右に行って灯りのついている小島が監獄島アルカトラズ。写真の右端に写っている大きな島は、かつて中国や日本からの移民の入国検査をしたエンジェルアイランドです。
このブログのタイトル写真を写したときの写真を使って、夜景のパノラマも作ってみました。夕暮れのパノラマの左2/3程度がカバーされています。夕焼けの写真では山に重なって見えないゴールデンゲートの右の橋脚も夜景なら見えていますね。
この2つのパノラマは是非クリックして、大きな画像で見てください。
ところで、ここからの帰り道には恐怖が待っています。来た道を戻り、ベイブリッジに乗ってサンフランシスコに帰るのですが、島からベイブリッジの本線に合流する加速レーンが、異常に短いのです。その上、ここにはストップサインがあります。だから、一時停止の後、車をわずかな加速レーンでフル加速しなければなりません。
ベイブリッジはインターステート80と言う高速道路だから、当然みんな100km/h近い速度で走っています。速度ゼロからスタートして、速度を合わせて合流するのは決死の覚悟が必要です。加速が間に合わなければ橋に激突する前に車を停めなければならず、そうなるともう誰か親切な人が入れてくれるまで加速レーンの終わりのところで立ち往生することになってしまいます。
要するに車の0-100km/h加速性能を試しているようなものですね。レンタカーを借りて観光して、この島へ行く場合には、大排気量の加速性能の良い車を借りることをお薦めします。
[ 01:19 ] [ ダはダイアリのダ ]
連休初日、寮で引越の準備です。クロネコヤマトに段ボールを20箱持ってきてもらって、それをあらかた使ってしまいました。まだPCは梱包してないし、最終的には段ボール30にはなるでしょう。かなりな数です。
ここに越してきたときは父親の乗用車を借りて、梱包もせずに一人で運び込んだのですが、わずか10ヶ月で随分ものが増えてしまいました。増えたものの筆頭は電気製品です。空気清浄機、加湿器、アクティブスピーカ、HD/DVDレコーダ・・・。要するにおもちゃ・・・です。異動が急だったので、家の準備が出来ず、また独身寮にはいるのですが、こんなにたくさんの荷物が今度の寮にはいるのでしょうか。部屋の大きさが同じくらいあると良いのですが。

自分のアメリカから帰国の引越が昨年の7月、家族のアメリカからの引越が今年の1月、そして今回の引越。このわずか1年弱の間に3回の引越です。
引越貧乏というのでしょうか、1月のアメリカからの引越はなんと170万円もかかりました。諸事情あってこれは自腹です。今回の引越は異動に伴うものなので、会社持ちですが、1年以内に家を買って寮を引き払う約束になっています。だから後数ヶ月で、今度は自腹でもう一度引越をしなければなりません。

お金もかかるし、手間もかかるし、せっかくのGWも半分くらいなくなっちゃうけれど、地元に近いところに戻れるので、何となく気持ちが浮かれています。さっき本屋に行って、今度引っ越す寮の近所の情報を仕入れてきました。荷物が片付いたら、カメラを持って探検に出かけようかと思います。
2007/04/25のBlog
[ 00:56 ] [ ダはダイアリのダ ]
先週末、上司に呼ばれ5/1付けで異動を命ぜられました。連休中に現在北埼玉単身赴任中の寮を引き払い、連休明けに新しい職場に出頭(?)するようにとの指示でした。
今度の職場は東京の南の端にあります。そこはもう四半世紀近く前、僕が社会人生活をはじめた場所です。

アメリカから帰国して10ヶ月。プライベートでたくさんのことがありました。その影響もあって、この北埼玉の製作所ではエンジニアとしての経験を生かせるような仕事は与えられませんでした。結局ここで僕は何もまともなことが出来ませんでした。

だから、今回の異動は僕にとっては人生のリスタートです。
歳をとって何となくものごとの先が見えるようになって、ものごとに「挑戦」する気持ちをなくし、斜に構えてものごとを見るようになっている自分がいました。「それはやっても無理なんじゃないの?」「頑張っちゃってもさ、無駄だよ。」などなど。
今度の仕事は、ある分野の顧客の技術的な課題に、解を提案して、実際にそれを実現していくと言うようなチャレンジャブルな仕事です。
これまでの自分の経験や知識が生かせる仕事ではありますが、もちろんちゃんと勉強をしなければ最新の技術にはついていけません。もう一度若い頃のように、死にものぐるいに、がむしゃらに、やってみたくなりました。