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T is for Travel ~タは旅のタ~
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2007/09/10のBlog
[ 10:40 ] [ ダはダイアリのダ ]
週末の台風が過ぎ去って、今朝の多摩川は水は多めであるもののほぼ平時に戻っていました。比較のために同じ二子玉川駅からの今日の画像を載せてみます。この写真は9/7の一枚目の写真とほぼ同じところを撮しています。ちょっと角度が違うのが残念ですが。
この写真は9/7の3枚目の写真とほぼ同じところです。
日頃余り注意をしてみていなかったのだけど、ここには橋があったのでした。台風の時は完全に水没していたんですね。
2007/09/07のBlog
[ 10:25 ] [ ダはダイアリのダ ]
ニュースでも流れているように台風9号の影響で多摩川が増水している。
今朝8:50AM出勤途中。東急二子玉川駅にて。
写真は上流側。
他の中小河川は特に水位が激しく上昇しているようには見えなかったが、奥多摩方面で大雨が降ったから多摩川はすごい状態。
これは下流側。
世田谷区玉川(このあたりだ)で避難勧告も出ているらしい。
昔の狛江水害のニュース映像が頭をよぎった。水門も改良されているだろうからあの頃のようなことはもう無いのだろうが、自然の猛威はしばしば人の知恵を嘲笑うもの。
普段はバーベキューを楽しむ人がいる河原も完全に水没。
世田谷側の堤防。人がいるのがわかる。急に増水したら危ないんじゃないだろうか?
2007/09/06のBlog
[ 02:34 ] [ ┣ アメリカの車窓から ]
「一日中温泉に入っているのも何だし、近くに何かないかとホテルの部屋のベッドでAAA(米国自動車協会)のガイドブックを見ていた。Dulce、アパッチの本部(Head quarter)と書いてある。本部というのは多分部族の行政の中心と云うことだろう。つまり首都である。地図を見るとここから50マイルほど南のニューメキシコ州に入ってすぐのところだ。ネイティブアメリカン文化好きの妻には、これはちょっと無視できない町である。話をしたら案の定行ってみたいという。これまでにも居留区内の町に泊まったり、観光地になっている場所を訪れたりしたことはあるが、首都というのは多分はじめてである。いったいどんなところなんだろう?
Pagosa SpringsからUS84を南に35マイル走り、途中US64を右折してさらに13マイル。約一時間のドライブで着いたDulceの町は、ハイウェー沿いにガスステーションとスーパーマーケットとホテルが目立つだけの寂しいところだった。別に高層ビルの林立する都市を想像していたわけでもないし、羽根飾りを付けたテントが原野に並んでいる場所を想像するほど時代錯誤な人種差別主義者なわけでもない。ただ高名なアパッチ族の首都と、この寂しい場所がどうにも結びつかないのだ。」
マーケットの横の道路沿いの平屋の建物の前に、シール(国印・部族印?)をあしらった看板が立っていました。Jicarilla Apache Tribe(ヒカリア・アパッチ族)と書かれています。ここはアパッチの中でもヒカリア族の中心地というわけです。アパッチと云うのは6部族の総称で、ヒカリアはそのひとつ。元々このコロラド州とニューメキシコ州一帯で、移動しながら狩りをしていた民族だそうです。やがて白人がこの土地に現れ、簡単に書くことが躊躇われるような悲しい抗争の歴史を経て、1886年に降伏。現在はこのDulce(発音はダルシとかデューシと聞こえる)を中心とする居留区に定住しています。
Dulceの人口は2600人強。そのうち90.5%がネイティブアメリカン。その次に多い白人が全人口の3.5%ですから、ほとんどネイティブアメリカンだけが住んでいる町なのです。
ガイドブックにミュージアムがあると書かれていたので、ホテルのロビーにある観光案内に立ち寄って場所を聞きました。ほんの数分のところにあるそこは、ハイウェイ沿いに置かれたトレーラハウスのような建物でした。中にはいるとガラスのショーケースの中に彼等の作品が展示されています。たくさんかかっている独特の文様の籠が目につきます。Jicarillaはスペイン語で「小さな籠」のことだそうです。これがその小さな籠なのでしょう。作品には数字がついています。実はこれ売り物なのです。結構いい値段が付いていました。
ショーケースの上にノートが置いてありました。来訪者が名前とどこから来たかを書くノートでした。何気なくめくっていたら、驚いたことに日本人の名前と東京の住所がありました。ロッキーの山の中で、大きな町からも結構遠くて、日本のガイドブックには当然載っているはずもない、失礼ながら取り立てて見るものはないこんな辺鄙な場所だというのに、日本人はやってきているのでした。ふらっと立ち寄るようなところではないから、きっとネイティブアメリカンの文化を研究している人たちなのでしょう。それにしてもこんなところで、日本人の痕跡を見るとは!
もはやすることもなくなって入った大きくて真新しいスーパーマーケットの入った正面に「壁」があって、ヒカリアの「出現」の神話が書かれていました。あるいはもっと長いテキストからの抜粋なのかも知れません。僕にはちょっとわかりにくい文章ですが、大筋は以下のようなものだと思います。
「はじめ、ハクトシン(精霊)たちは地下の暗闇に住んでいた。黒いハクトシンは動物と鳥と人間を創った。それからハクトシンたちは両面が色の異なる羽根を持った山を創り、光を地下の世界に送ったのである。アパッチの精霊である聖なる少年はこの光に満足せず、黒いハクトシンと白いハクトシンを説得して、空に太陽と月を放出するよう説得した。ところが、あるときシャーマン達がハクトシンを怒らせてしまった。太陽と月は穴を通って地球の上に逃げ出してしまった。シャーマンと動物たちは太陽と月を呼び戻すことが出来なかったので、彼等はハクトシン達に従うことを決めた。さて、ハクトシン達は4つの色のついた土で出来たマウンドを築いた。それは成長して山になった。次にハエと蜘蛛が地上の世界に送られ、太陽の4本の光線を持ち帰った。ハクトシン達はその太陽の光の筋ではしごを作った。聖なる少年ははしごを登って人々と動物たちを地上へと導いた。地上にたどり着いたとき、人々は「出現の穴」を取り囲んでふさいでしまった。こうして選ばれた人々だけが地上の世界の誕生したばかりの土地にたどり着いたのである。彼等は自分たちを「地下から出現した人々」と呼んだ。」
私たち日本人と彼等ネイティブアメリカンは共通の祖先を持つモンゴロイドらしいので、民俗学者なら日本の神話との共通点を見いだしたりするのでしょうか。「逃げ出した太陽と月」と「天の岩戸に隠れた天照大神」は共通のコンセプトから来たものなのか?とか・・・。
車を走らせていたら、丁度下校時間で子供達が学校から出てきました。ほとんど全員が黒い髪でした。古代に遠く離れた親戚なのだと云うことが自然に理解できる光景でした。ネイティブアメリカンの歴史をちゃんと勉強してみたくなりました。
2007/09/05のBlog
16のプールにはそれぞれ名前が付いています。Tranquility(静寂)、Columbine、Aspen、Boulder(全部コロラドの町の名前)、Sunset Social Club、Overlook(見晴台)など多分それぞれのプールにちなんでつけたのだろうと思われます。例えば、お湯が流れ落ちるようになっているプールは、そのものずばりWater Fall(滝)でした。
その中でひとつだけBurg(どこかの地名?)と云う名のとんでもないプールがありました。サンホアン川にわずかに石積みをして小さなプールのようにしてあります。湯船の水は要するに川の水。しかも、ロッキーの雪解け水です。表示によれば水温はわずかに3℃・・・。とても浸かる水温ではありません。足だけ入れてみましたが、痛みしか感じませんでした。
もっとも眺めの良いのは、Clouds in my Coffeeと云うプール。一番高いところにあり、敷地全体を見渡すことが出来ます。ここで肘をついてうつぶせになって、いつまでもいつまでもお湯に浸かって景色を眺めていました。
夜になるとナトリウム灯がともります。オレンジ色の光が湯気に煙って、なんとも幻想的な雰囲気になります。
あまりの居心地の良さにここに2泊もしてしまいました。イメージは高級そうな温泉リゾートですが、車が横付けできるモーテル形式の部屋があり、そこなら一部屋あたり$120くらいで、親子3人なら十分な広さです。
プールに東洋人らしい女性ばかりのグループがいました。遠目で見ただけだったので、年齢はわかりません。娘が「日本語で話していたよ。」と言います。「へえ、こんな山の中に、日本人の女性だけってどういうグループなんだろうね。」と僕が言うと、「駐在員の奥様方の旅行なんじゃないの?ゴルフ場もあるみたいだし。」と妻。それが正解なら何とも優雅なもんですが、彼女たちは大はしゃぎをしてる様子でもないので、どうも違うみたいです。

翌日娘と16全部のプールの制覇を狙い、あちこちのプールにちょっとずつ入っていたときに、そのグループの2人の女性と一緒になりました。
娘と日本語で話していたら、彼女たちが驚いたような顔で話しかけてきました。
「日本の方ですか?」
よく見ると二人とも10代と言っていいほどの若さで、奥様という雰囲気では全然ありません。どういう人たちなんでしょう?
「サンフランシスコ在住でコロラドの旅行中なんです。」返事をすると、
「ずっとここにいるけれど、日本人にあったのは初めてです、びっくりしました。」と言います。
ずっと・・・って、居心地がよいのはわかるけど、こんな小さくてショッピングモールもないような温泉町なんて、若い女性がずっといる様なところではないでしょう。
「あなた方も旅行なんですか?」と聞くと、彼女たちがなぜそこにいるか教えてくれました。
「私たちダイハツ陸上部なんです。今日はお休みなので、ここで休憩です。」
そういえば、スポーツニュースかなにかでパゴサスプリングスの名前を聞いたことがありました。
「そうか、高地トレーニングですね?」
「ええ、毎日車で近くの3000mを越える峠まで連れて行ってもらって走るんです。まだ2週間くらい続くんですよ。」
うわ、それは大変だ。慰安旅行のゴルフ三昧か?なんて想像してしまって申し訳なかったです。彼女たち長距離の選手だそうです。名前は聞けませんでした。いくら何でも、若い女性に風呂の中(もちろん水着です)でおっさんが名前を聞く、というのはかなり躊躇われるシチュエーションな訳で・・・。およそ日本人のいないようなロッキーの山の中で出会ったというのも何かの縁です。それ以来、ダイハツ陸上部、応援しています。

Pagosa Springs, アラモサから西に90マイル、デュランゴから東に60マイル、サンタフェから北に150マイル。温泉&モーテルの”The Springs”は町の中央の4th Streetの橋で川を渡ったところ。
2007/09/04のBlog
「アラモサからハイウェーUS160を西へ走った。これから4000m級の山々が立ち並ぶSan Juan(サンホアン)山脈を越えるのである。途中崖崩れで道路を修復している場所を通った。朝からずっとはっきりしなかった空模様が、どうやら雨か雪になりそうである。地図によれば、この先の峠Wolf Creek Passは標高10857フィート(3309m)もある。目指すPagosa Springsはその峠を下りきったところだ。本格的な雨になる前に峠を越えたい。自然アクセルを踏む足に力が加わった・・・。
緊張して峠に差し掛かったのに、Wolf Creek Passは思いかげずに広く開けた峠だった。スキー場があるからだろうか、道路はきちんと整備されたハイウェイ規格の広い道幅である。シエラのような急なヘアピンの続く道路を想像しいていた僕は少々拍子抜けである。峠で少しだけ車を降りてみた。天候が悪いので遠くまでは見渡せないが、幅の広い雪のピークが近くにあるのが見える。この峠が3300mを越えているのだから、あの山は3500m近い高山だ。そう、峠の緩やかさと快適さに惑わされてはいけない。ここは4000m級の山々の連なる巨大なロッキー山脈の一部なのだ・・・。」
峠を過ぎると後ろ向きに流れていた川が、前を向いて流れていきます。コロラド川の支流サンホアン川です。目指すPagosa Springsはこの川沿いにあります。
峠を下りきってUS84と合流してすぐ、思いもかけずにちゃんとした町が突然現れました。旅行の前に調べたガイドブックには、温泉があって、ゴルフコースがって、ハイキングがあって、何件かのレストランやホテルの記述があったのだから、それなりのサイズの町であることはわかっていたはずです。しかし、アメリカで温泉と言えば、人里離れた一軒宿であることがほとんどだし、ましてやここはロッキーの山の中。温泉以外は何もないところだと勝手に思いこんでいました。ダウンタウンには、小さいながらも映画館があって、映画のはねる時間には結構な数の若者たちが映画館の前でたむろしていました。
ニューメキシコ州境にほど近いこの土地は、昔はネイティブアメリカンのナバホ族、ユテ族、アパッチ族の土地でした。「Pag-Osah」は彼等の言葉で”癒しの水”。伝説によれば、彼等がこの川原に集まって神への祈りを捧げている最中に温泉が湧きだし、試みに病人(ペストだという)を入れたとことたちどころに回復したと言います。
19世紀になると、アメリカ陸軍や鉄道関係者等がこの温泉の効能に目をつけ、1881年には最初のバスハウスが建設されました。Pagosa Springsの町がアメリカ合衆国の町として行政組織に組み入れられたのは、そのすぐ後のことです。現在のリゾートホテルは、1990年代の初めにすっかり荒廃していたのを現在のオーナーが買い取って、復興させたものです。折しもアメリカは「健康ブーム。」リゾートは順調に大きくなって今に至るというわけです。
Pagosa Springs “The Springs”は町の中心サンホアン川の河岸段丘にあります。段丘の上の段にモーテルとバスハウスが、崖の下の川岸の広いエリアに温泉の池があって、それを囲むように16コの温泉プールが作られています(今は18コに増えたらしい)。源泉の温度は58℃。16のプールはそれぞれ、32℃~45℃くらいに温度を制御されています。泉質は分析表を見ると、ナトリウムと硫酸塩を多く含んでいるようです。温泉分類では、硫酸塩泉芒硝泉でしょうか。
敷地の真ん中の温泉の池には、わずかに水没する橋が架かっています。橋を渡るときに、くるぶし程度までお湯につかります。趣向を凝らした足湯というわけ。橋の向こうのプールは崖の下に作られていて、ここだけはプールと云うよりは日本の露天風呂に近い雰囲気でした。
(後編に続く)
2007/08/29のBlog
ゴーストランチからは、ぺダーナル山(Pedernal)がよく見えました。「Pedernal(1936)」、「Deer's Skull with Pedernal(1936)」などオキーフの画にしばしば登場する山です。この日は雲が多く、残念ながら、オキーフの画の乾いたニューメキシコの青空ではありませんでした。
このあたりは、赤い岩の浸食された崖を持つ山あるいは台地がたくさんあります。最上部の土色、その下の明るい茶色、下部は赤土の赤、そしてその間の白っぽく見える層とのコントラストは人工物、いやケーキか何かのような印象すら受けます。
オキーフの描いた赤い丘がどれかはわかりませんでしたが、きっとこの中のどれかを、いやもしかするとみんな描いたのかも知れません。
ゴーストランチからほど近い丘には、大きく凹にえぐれた崖がありました。どういう自然の作用でこのような崖が出来たのかは定かではありません。崖のところまで行くと音が響くと云うようなことが案内板に書いてありました。ちょっと遠いので崖の下まで行くことは断念。その音響効果は確認できませんでした。
ところで、オキーフのもう一つの家があったアビキューの村はゴーストランチから20kmほどサンタフェ方向に戻った、幹線道路からはずれて少し低い丘を上ったところにひっそりとあります。ゴーストランチはこの村にあるのだと思いこんでいて、ここに迷い込んでしまったのでした。
アビキューは道路も舗装されていない実に素朴な村でした。村に入るとすぐ広場があって、立派なアドビ作りの教会と店が一軒ありましたが、観光客はおろか村人の姿も見えません。村の入り口に、「ここは生活の場であって観光地ではない、写真撮影は禁止」という主旨のサインがありました。オキーフの家目当ての観光客が土足で生活の場に踏み込んでくるのをここの村人たちは好まないのです。私たちも彼らの生活を妨害することのないように、そっと立ち去ったのでした。
ニューメキシコ アビキュー(Abiquiu)付近の土地の様子を表すのに最もふさわしい言葉は、やっぱり「荒野」なのだと思いました。風化の激しい赤い丘、まばらに生える丈の低い灌木。川も湖もあって水も植物もないわけではないのですが、乾いた荒涼とした印象を人に与える風景です。ここはアメリカの偉大な女流画家ジョージアオキーフが愛した荒野です。
アビキューはサンタフェからおよそ100km。その村のはずれに、ゴーストランチ(Ghost Ranch)という周りの荒野とは別世界のような緑の場所があります。ランチ(牧場)という名前は付いていますが、今はカンファレンスセンタになっていて、信仰や民俗学に関するセミナが開かれているようです。ゴーストという不気味な名前は、この土地に幽霊の伝説が多くあることに由来するそうです。
ジョージアオキーフは晩年、こことアビキューの村の二カ所に家を持って住んでいました。ランチの入り口には、オキーフの絵のモチーフである牛の頭蓋骨が描かれていました。
ジョージアオキーフ(Georgia O'Keeffe,1887-1986)は、蘭や芥子の花をアップで画面一杯に描いた一連の画(「Oriental Poppies (1928)」「Petunia (1925)」など)、荒野と牛や鹿の頭蓋骨を描いた画(「Ram’s Head & Hollyhock」「Cow's Skull with Calico Roses」など)で知られるアメリカモダニズムの女流画家です。妻が好きだったので、オキーフのカレンダーが毎年うちにかかっていたから、私もすっかりオキーフの虜になってしまいました。
色々問題があるかも知れないので、画の写真やリンクをここに載せることはしません。是非、ジョージアオキーフで検索して、彼女の衝撃的で印象に強く残る画を鑑賞してください。
オキーフがニューメキシコをはじめて訪れたのは1929年のこと。以来何度もニューメキシコを訪れ、夫と死別した3年後の1949年には、ここアビキューに移住し、以後1986年サンタフェで死ぬまでニューメキシコの荒野で過ごしたのでした。
ランチの周辺は浸食された乾いた岩山ですが、ここだけがみずみずしい緑に溢れていてまるで奇跡のようです。木陰のある木、芝生に置かれたベンチ、居心地の良さそうなアドビ作りの建物。庭には枯山水までありました。砂漠版枯山水という感じで、日本のものとは似てもにつかないのですが。
2007/08/27のBlog
Joyful Journey Hot Springsからさらに32mile北上したSalidaと言う町にも温泉があると、ジェイソンのガイドブックに書いてありました。旅の目的地はむしろ南西方向なので、かなりの寄り道になるのだけど、温泉があると言うので行ってみました。

Salidaの町の中心部には、古い建物がたくさん残っていました。人口8500人ほどの小さな町なのですが、地図を見ると鉄道が通っているので、交通の要衝だったのでしょう。
アメリカの田舎を走っていると、古い建物・町並みをHistoric Districtと称して保存している町を多く見かけます。アメリカは歴史の浅い国ですから、ネイティブアメリカンの遺跡を除けば、せいぜい200年くらいの建物でも古い部類になります。それ故、少なくとも1700年の文明の歴史を誇る日本民族から見ると、なぜこんな程度の建物を後生大事に保存するんだろう?と思うこともあります。まあそれでも、古い物をどんどん壊し、出来の悪い東京のコピーを乱造している、日本の地方都市の没個性化を考えると、ずっと健全に思えます。
ホテルが集まっている一角に目的のSalida Hot Springs Aquatic Centerがありました。正面がガラス張りの妙に立派な建物です。中にはいると、これはインドアプールです。25mの普通の・・・。温泉と言うよりは、アスレチッククラブです。
カウンターの女性(スタッフは全員ほとんどスポーツクラブのインストラクターのような格好をしている)に、「ここは温泉?入れるの?」と聞くと、「ここの温泉プールはスケジュールを決めて運営されていて、この時間はスイミングスクールの時間帯で、一般の人は入れない、フリーに入れるのは明日の昼からだ。」と言います。次の町に行く予定があるので、明日の昼間では入れません。ちょっと残念な気もしますが、仕方がありません。まあいいか、と帰ろうとしたら、「見学だけならどうぞ」と入れてくれました。

25mプールに手を入れてみると、お湯じゃなくて水でした。30℃以下かも知れません。これは単にプールの水源が地下水と言うだけです。奥にプールにつながって浅い場所があったので、手を入れてみるとわずかに温度が高くなっています。こちらで35℃-37℃程度。これで暖まろうと思ったら、3時間は入っていないとダメかも。
お湯に触らせてもらっただけで、プールを出ました。HPの分析表によればここは炭酸泉みたいです。炭酸泉は基本的に温度が低く、暖めると肝心の炭酸ガスが抜けてしまうので、ぬるいのは仕方ないかも知れませんね。でもまるっきりプールと言うのはなあ・・・。温泉文化が根付いていないアメリカではまあこんなことがあっても不思議ではありません。
ところで、Salidaの町の側にそびえる小山に、「5」という数字が大きく書いてあります。頂上に何か白い建物が見えるので、この数字はこの施設が何かを示す記号なのでしょうか?よくわかりませんでした。この謎が解けたのは翌日のこと。
Salidaから西へ行ったところにDel Norteと言う小さな町があって、やっぱり町のそばにそびえる丘の上文字が書いてありました。今度は「D」という文字です。他の州ではこういうのは見たことがないように思います。コロラド特有の物なのでしょうか?
さすがに気になって、立ち寄った土産物屋の女主人に「あのDの文字はどういう意味?」と聞いてみると、「Del NorteのDよ!」という答え。それでわかりました。昨日の文字は5じゃなくて、「S」つまりSalidaのSです。何のためのそんな大きな目印が、丘の上に必要なのか、肝心なことは聞きそびれましたが、まさか大文字焼のような宗教的なものと言うこともないでしょう。このあたりじゃ軽飛行機が足がわりなのだろうから、そのための目印なのかも知れません。想像ですけれど。

Salida Hot Springs Aquatic Center, West Rainbow Blvd (US50)沿い、Comfort Innの隣。
2007/08/24のBlog
アラモサ(コロラド州)の町を抜けると、道はまっすぐ荒野に続いていた。ひたすら北に向かい、右にサングレ・デ・クリスト山脈の巨大な山並みが現れてきた頃、その温泉はポツンとあらわれました。ここの地名はMineral Hot Springsそのまんま「温泉」。このあたりには温泉以外に何もないのでしょう。
温泉の名はJoyful Journey Hot Springs Spa(喜びの旅温泉)。キリスト教的匂いのぷんぷんする名前ですが、意外にも施設の中に宗教色は感じません。まだ新しく清潔なバスハウスを抜けると、屋根付きのプールがあります。キリスト教というよりはむしろ異教の神殿をモチーフにしたような建物です。
この温泉の周辺はちょっとした湿地のようになっています。ときおりウサギなども見え隠れしていました。そこに木製のデッキが作られていて、他に二つのプールがあります。プール間を結ぶのは木製の渡り廊下です。
特筆すべきは景色です。プールを囲むフェンスはガラス(アクリル?)製で、雪をかぶったサングレ・デ・クリスト山脈がよく見えます。ここから広大な荒野を横切って山まで、何一つ人工建造物が見えません。まさに絶景の露天風呂です。
僕ら家族の他には先客が二組4人。彼らが帰ってしまったとは、僕らだけでこの絶景の露天風呂を占有しました。人があまりいないせいかも知れないけれど、お湯はとてもきれいです。水温は源泉が49℃-64℃、プールが37-42℃の適温に保たれています。泉質は従業員に聞いてみたところ、「リチウム泉」だと言っていました。HPを見ると、そのほかナトリウム、カリウム、硼素なども多く含まれているそうです。
しかしここの売りは効能云々ではなく、やっぱりこの景色でしょう。この贅沢な自然環境。なかなかないように思います。
ただし場所が極端に辺鄙なので、簡単には行けるところではありません。道はきちんとしているので、RVでも到達困難と云うことはないのですが、なにしろ大きな都市や有名な観光地から遠い。コロラドスプリングスあたりに在住の人ならともかく、旅行でこんなところまで行く日本人はいなかろう、と思ったらいらっしゃいました。驚きました。zo.chikaさんの一日一膳と云うBLOGの5/20/2007の項に記述があります。素晴らしい写真がたくさんありますので、是非行ってみてください。

Joyful Journey Hot Springs Spa, Mineral Hot Springs, Colorado (Alamosaから80km北、US285と州道17の合流点側からローカルなダート道を入る)、大人$12、水曜日定休。宿泊も出来るが・・・。
2007/08/22のBlog
[ 02:21 ] [ 一枚の切符から ]
花火大好きです。
高校時代からずっと厚木の鮎祭り花火大会、アメリカ時代は独立記念日のファイアーワークを毎年観てました。今年はアメリカに遊びに行っていた娘を成田に迎えに行く日と厚木の花火が重なってしまったので、あきらめていたのだけど、浅草に娘たちを連れて行く日に東京湾華火祭があったので、見に行くことにしました。
結論。混んでてうんざり。以上。
レインボーブリッジと花火が重なる台場海浜公園は人人人。道は確保されているのだけど、通り抜けることもままならない。道ばた近くの芝生に陣取った女性が「しゃがんでください!」と金切り声を上げ続けているけど、通行人に向かって土台無理な注文で、なにやら辺り一帯が騒然・険悪な雰囲気になっていて花火を楽しむどころじゃない。
海側の良い場所は、きっと午前中から場所取りをしなければならないくらいだったのでしょう。こんな猛暑で一日日向に座っていたら間違いなく熱中症になってしまう。命をかけて観るもんでもないでしょ。こんなもん。
来年はまた厚木だな。
早々に台場海浜公園や潮風公園での花火見物はあきらめ、公園を出たところの歩道で観てました。前に公園の木があるので、低いスターマイン系統はほとんど見えません。でもまあ大きい花火はきちんと見えたので、満足度50%くらいはあげても良い。写真はそんな程度の満足度の場所からだから、なんだかしょぼいのばかりでした。
帰りに大混雑が予想されるゆりかもめは避け、新木場駅に車を停めてりんかい線で台場まで来たのですが、そのりんかい線も花火終了直後はやっぱりものすごく混んでいました。時間差をつけるためにVenus Fort。ここにははじめて来ましたが、南カリフォルニアあたりのモール(設計者の意図は中世ヨーロッパの町並みなのだそうだが・・・)が屋内にすっぽり入ったようでちょっとびっくりでした。もっとも売っている物は中高生のレンジにはまるで入らない高級品ばかりで、娘たちの購買意欲はまるで盛り上がりません。ターゲットが女性とうたっているので(そもそも男性がターゲットのモールないと思うが)、当然僕が興味を惹く店などありません。食事をしたら、結構良い時間になっていて、さすがに電車も空いたと思われるので帰ることにしました。
Venus Fortを出たところで、娘が「あ、まだ花火が上がっているみたいだ!」と声を上げました。指さす方を見ると、このビルにある観覧車のイルミネーションが、向かいの総ガラスのビルに反射してまるで花火のように見えていたのです。間違いなくこれが今日一番の花火でした。
外国人の東京観光の定番と言えば・・・やっぱり浅草でしょう。8/11やっぱり暑い暑い中浅草まで出かけたのでした。
地下駐車場から地上に出ると、雷門の前の交差点にはきっちり人力車がいました。人力車はRIKISHAと英単語にもなっているくらいアメリカ人でもポピュラーです。でも客は日本人の女性ばかりでした。外国人観光客には運賃がちょっと高いのかな。
雷門の提灯は浅草のシンボル。記念写真を撮っている観光客がたくさんいました。もちろん我々も。雷門、正式名称は「風雷神門」。武蔵守平公雅なる人物によって942年に建てられました、何度も焼失再建を繰り返し、1865年に先代の門が焼失してからは長く再建されず、1960年に松下幸之助によって再建されたのが現在の門だそうです。結構新しい建物なんですね。
仲見世はいつものように大混雑でした。この仲見世は17世紀頃からここにあるというのだから、随分古い商店街です。舟和で定番の芋ようかんを買って囓りながら歩きました。外国人受けしそうな派手目の日本土産を売る店がずらりと並んでいるのですが、日本で言えばまだ中学生の娘の友人は、むしろキティちゃんに夢中です。まだまだ子供と言うことでしょう。
門や門前町ばかりが有名な浅草寺ですが、もちろん立派な本堂があります。
本尊の観音様は628年に隅田川で漁師の網にかかったもので、その像をお祭りしたのが浅草寺の始まりなのだそうだです。ただしその観音様は秘仏で、一般に公開されることはありません。現在の本堂は戦争で焼失した後の再建で、1958年の建築です。
宝蔵門脇の五重塔はもっと新しく1973年の再建です。そう言えば浅草寺に五重塔が出来たというニュースを聞いた覚えがあります。この門のそばにはいつでも屋台がでていて、小さなお祭りのようです。夏祭りの雰囲気を娘の友人に味わってもらうことが出来ました。お好み焼き屋、お面屋、ヨーヨーつり・・・。
でもやっぱり浅草寺というと七味唐辛子だな。境内には一軒だけ屋台の七味唐辛子売りが出ていました。有名な「やげん堀」じゃないみたいですが、浅草に来る度にここで買っています。今回は大辛ワンパック買ってみました。
2007/08/21のBlog
今回の鎌倉行きは、鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りが目的でした。毎年立秋の前日(今年は8/7)から源実朝の誕生日である8/9まで開催されます。境内にずらっと四角くて、和紙を貼ったぼんぼりが並んでいます。それぞれには、鎌倉在住の名士が絵を描いたり、書をしたためたり。夕方になるとそれに灯がともり、なんとも幽玄な雰囲気になる・・・はずなのですが、とにかく人が多い。ぼんぼりを撮影するために携帯電話のカメラを目の前に差し出されるから、ゆっくり書画を鑑賞することもできません。
境内で三脚を立てて写真を撮ることは禁じられています。灯りの揺れるぼんぼりの色と雰囲気を出すために、石灯籠の上にカメラを置かせてもらって、シャッタを切りました。少し斜めからの絵ですが、スローシャッタで人が流れて、幽玄な雰囲気が少しは伝わるでしょうか?
入り口付近にあったのは武宮恵子さんの絵。やっぱり「地球(テラ)へ」でした。