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バルジの小競り合い
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2005/05/28のBlog
【被害者無罪】

 自分たちさえ気に入らなければ何をやっても許されるとでも思っているのでしょうか。

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中国副首相、突然の帰国 「靖国発言」が原因 報道官、対日強硬に転換

 【北京=伊藤正】中国の呉儀副首相が二十三日、小泉純一郎首相との
会談を急遽(きゅうきょ)取りやめて帰国した問題は、改善軌道に乗りつつ
あった日中関係を再び緊張させた。中国外務省は二十四日、靖国神社参
拝をめぐる小泉首相や武部勤自民党幹事長の発言が副首相の緊急帰国
の理由だったと認め、日本側の批判に真っ向から反論、対決姿勢をにじま
せた。
 -----------------------(中略)-----------------------
 中国外務省は二十三日夕、「重要な緊急公務を処理するため」との報道
官談話を出したが、数時間後、孔泉報道官の談話で「日本の指導者の靖
国神社参拝に関する発言」を批判した。その談話では、副首相帰国の理
由との指摘は避けていたが、孔報道官は二十四日午後の記者会見では、
名指しは避けつつも小泉、武部両氏の「靖国参拝批判は内政干渉」との
発言を手厳しく非難した。
 -----------------------(中略)-----------------------
 二十四日付の中国各紙は前夜の孔泉報道官談話を一斉に報道、インタ
ーネット上には再び対日批判の書き込みが殺到した。孔報道官は対日戦
勝六十周年という敏感な年に、日本の指導者が歴史を反省しない言動を
重ねるのは無責任とし、反日デモ発生当時と同様、責任は日本側にある
との立場を強調した。
 -----------------------(後略)-----------------------
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 遅ればせながら先の副首相ドタキャンの件、毎度懲りずにあきれさせてくれますね中国。外交上、非礼を正当化するいかなる理由も存在しません。そんな理屈が許されるのだったら先に領海侵犯された日本は、世田谷を徘徊する野良犬を「一日総理大臣」として胡錦濤との首脳会談に送り出し、かつこれをドタキャンしてもまだおつりがきます。

 この件に関して朝日新聞がまた立派な社説を書いてます。以下にその内容を見ていきましょう。

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 首相との会談を当日になってキャンセルするのは極めて異例だ。理由を明
確にしなかったのもマナーに欠ける。ただ、最近の経過を振り返れば、中国
ばかりを責めることはとてもできない。
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 最近の経過など関係ありません。繰り返し言いますが、外交上、非礼を正当化するいかなる理由も存在しません。中国的詭弁を用いるのならば小泉首相は「彼ら(中国)はウィーン条約にて課せられている在外公館保護義務を守りもしなかった上に未だにこの件で謝りもしない。この中国側の態度が靖国答弁を行った理由だ。原因は中国の側にある」と釈明できますし、これを朝日論説委員的見地に立つのであれば「最近の経過を振り返れば、日本ばかりを責めることはとてもできない」と言うことができます。中国の行った完全なる非を他の事象と比較して相対的に語ること自体が不毛なことであるのがわからないのでしょうか?この論説委員は。
 もちろん日本政府がこのような態度を取ることはありません。先方とは違ってまだ品性がありますから。

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 実際、中国はその後、各地に広がった反日デモを抑え込んだ。日本公館
が投石などの被害を受けたことに謝罪はしていないが、原状回復を約束した。
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 この論説委員は頭がどうかしているんじゃないですか?在外公館および在外邦人への暴力行為を抑えるのは治安管理を受け持つ国家としての最低限守らねばならない 当 た り 前 の 行 為 です。その当たり前の行為を行えなかった場合に謝罪するのもまた最低限守らねばならないルールです。つまりそれをしない中国は現在進行形で「最低な国家」です。原状回復?はあ?そんなものはルール以前の問題でしょう。残念な事にこの論説委員は中国政府と同程度の倫理観しかないようだ。

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 この問題を「内政干渉」と切り捨ててしまうのには無理がある。侵略戦争
の加害者である日本が戦死者をどう追悼するか。そのやり方をめぐって被
害者が感情を傷つけられていると言うなら、そうした思いを解く努力をする
道義的な責任は加害者側にある。
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 そのような「道義的責任」があるから「内政干渉」じゃないと?私にはその論理がまったく理解できません。道義的責任があろうとなかろうと内政干渉は内政干渉です。国際ルール上行ってはなりません。
 それに小泉首相はそうした思いを解くため事あるごとに参拝の理由を説明しているではないですか。この論説委員はハナっから「道義的責任=参拝中止」と結果ありきで考えているからわけのわからない文章になるのです。小泉首相が(中国の言うような)戦争美化のために参拝を行っているわけではない以上、まずは参拝の真意を理解してもらうことが優先されるべき事ではないですか?それにいかに被害者だからといって他国の一個人に行為を強制するいかなる権利も有していません。

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 ましてA級戦犯の戦争責任は、日本がサンフランシスコ講和条約で東京
裁判の判決を受け入れたことで、国際的に決着のついたことである。その
責任をあいまいにする靖国参拝に、当事者でもある中国が不信を表明する
のを「干渉」とはねつけるわけにはいかない。
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 なぜ参拝が「責任をあいまいにする」行為になるんでしょう?意味不明です。死刑囚の墓を参ったらそれは(死刑囚の犯した)刑事責任をあいまいにする行為になりますか?バカも休み休み言ってください。産経新聞も指摘していますが、A級戦犯の戦争責任とこれらの人々をどう追悼するかは別次元の問題です。

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 日本が植民地支配した韓国も同じだ。
 首相は01年の金大中大統領との会談で、靖国神社に代わる追悼施設
の検討を約束した。その金氏は最近の講演で「その約束が実践されなけ
ればならない」と改めて求めた。
 戦死者の追悼の仕方は内政問題と言うなら、なぜこんな約束をしたのか。
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 だから「検討」でしょ(w。検討の約束なんかしたところでその結果どのようなアクションを取るかは日本側が決めることなんだから、これを根拠に靖国参拝が外交問題であると決め付けることはできないでしょう。結局日本側が決める問題として処理されているのですから。
 この件は福田元官房長官の諮問委員会で何度か話し合われましたが結局自民党内の反対多数でほぼ消滅した状態です(この結果からも靖国問題が内政問題であることを物語っているように思います)。こう見ると韓国とのコンタクトは「近隣諸国への配慮」という名の単なる判断の一基準に過ぎなかったと見るのが普通のように思います。ちなみに「検討」はしたのですから金氏との約束も果たしています。くれぐれもいちゃもんをつけないでくださいね。

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 靖国参拝に意欲を燃やした中曽根元首相が取りやめたのも、この問題が
内政にとどまらないと気づいたからだ。
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 これは凄い!この論説委員は中曽根元総理の心が読めるらしい、それもはっきりと(断定しちゃってるし)。彼はエスパーですか?
 しかし言わせてもらいますと、この件において中曽根元総理が何を考えていたかなんてどうでもいいことです。国家方針として決まった事であるならさておき、過去において中曽根元総理が個人的に考えていた内容に、なぜ現在の小泉首相の行動が規定されなければならないのですか?わけがわかりません。

 いやー、さすがは朝日新聞。かなりのクオリティでした。

 それにしてもどうしてでしょう。昭和53年のA級戦犯合祀後から昭和60年まで歴代総理が何度も靖国参拝を行っているのに、A級戦犯が合祀されているという理由だけで参拝によって感情を傷つけられる人々がなぜこの間に一言も文句を言わなかったんでしょうか?もう心はズタズタでしょうに(w。
 また、戦後日本ではA級戦犯容疑者であった岸信介がその後総理大臣となり、A級戦犯として禁固7年を言い渡されていた重光葵もその後外相に返り咲いたというのに、なぜ非常に傷つきやすいナーバスな心の持ち主の中国がこの事に対してなんら文句を言わなかったんでしょう?不思議でなりませんね。

 答えは簡単です。中国にとっては靖国を含めた歴史問題なんて単なる外交カードでしかないのです。もちろん傷ついてなどいやしません。そして彼らは何かやらかすたびに被害者面をして自らを正当化する。中国外務省の孔泉報道局長は24日の会見で「(小泉首相との会談取り消しで)日本に謝罪しないのか」との米国人記者の質問に次のように答えたそうです

「中国における抗日戦争の意味をご存じですか。8年間の戦争で死傷者3500万人、直接的な損失は1000億ドル、間接的な損失は6000億ドルに達した」

 この米国人記者もこのような詭弁を公の場で堂々とコメントする中国人の品のなさに驚いたことでしょう。そんなことで自らの非礼を正当化できるのだったら今後中国が日本に何をやっても正当化されることになります。
 それに戦後GHQが発表した第2次世界大戦における中国側犠牲者の数は180万人前後です。それを約20倍も水増しする中国人の頭にはどうやら「理性」というものがないようだ。中国側の出してくる数字は全くあてになりません。お願いですから文化大革命で自分たちが虐殺した人数まで含めないでもらいたい。

 このコメントからもわかるように、結局中国政府の理屈とは「俺達は過去の被害者なんだから何をやっても許される」といったものでしょう。つまり「被害者無罪」です。「愛国無罪」もそうですが、やはり無法者の考えることはなんでも似たような論理構造になりますね。ある意味お笑いです。
 そして朝日新聞もこの中国の「被害者無罪」を必死に擁護しています。社説内で「加害者が被害者の(自らの感情を傷つけられたとする)思いを解くよう努力」しなければならない「道義的責任」を高尚に語っておきながら、先の反日暴動で発生した被害に対して日本側に謝罪および賠償をしなければならない中国側の「道義的責任」には全く触れないところにその必死さが現れていますね。この論説委員は自分の書いた文章を読み直すこともしないのでしょうか?

 国際社会においては「被害者無罪」の論理は通用しません。中国には今後きちんと国際ルールを遵守することを期待したいです。そして朝日新聞論説委員には結果ありきで文章を作成しないことと、自分の文章をきちんと読み直すこと、それだけを期待したいですね。文章の内容に関してはもう諦めていますから。


※朝日新聞社説リンク切れの場合はこちら(『mumurブログ』様)
※産経新聞社説リンク切れの場合はこちら(『mumurブログ』様)

2005/05/25のBlog
【愛国心って悪いのか?】

 いつもながら古いネタですが、改正教育基本法に表記する「愛国心」の表現内容で一悶着あったようです。

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「愛国心」両論併記 教育基本法改正で文科省 自公に仮要綱案提示

 教育基本法の改正法案の作成を進めている文部科学省は十一日、
法案のたたき台となる「仮要綱案」を、自民・公明両党でつくる「与党教
育基本法改正に関する検討会」(座長・保利耕輔元文相)に提示した。
自公で意見が分かれている「愛国心」の表現については、自民側の「国
を愛する」と、公明側の「国を大切にする」が併記されたままで、昨年六
月に公表された同検討会の中間報告から大きな進展はなかった。

 --------(中略)--------

「教育の憲法」とされる基本法の改正をめぐっては、森喜朗元首相ら文
教族の強い意向で「国を愛する心」を醸成するとの表現を盛り込みたい
自民に対し、「国家主義の復活につながる」として「国を大切にする心」
を主張してきた公明には、二つの衆院補選で与党候補を勝利させた勢
いを受けて、都議選を前にした安易な妥協は避けたいとする思惑もある。
 文科省は当初、両論併記を避けた形で仮要綱案を作成する方針をとっ
ていた。先月二十八日には、同省の下村博文政務官が「法案の形にな
っており、両論併記にはしていない」と述べ、「国を愛する心」での一本
化を強くにじませていた。
 しかし、十一日に一部で「国を愛する心と表現する」と報じられると、公
明党本部に支持者から批判の電話が殺到。公明幹部が態度を硬化さ
せると、文科省はすぐさま報道を否定する文書を持って神崎武法代表ら
を回り、火消しにやっきになった。こうした状況が、文科省に二の足を踏
ませた側面は否めない。

 --------(後略)--------

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 なんか表現内容に関して揉めているようですが、結局実際の教育内容が同じであれば大して意味もないような気もしますが・・・。しかし話が「愛国心」自体の是非に及んだ場合はまた別です。

 「愛国心」とはなんだろうと聞かれると恐らく誰からも似たような答えが返ってくることでしょう。それはつまり「国を愛する心」という答えが。この際の「国」とは、これに代わる表現として「郷土愛」等が出されたように、日本の文化やそこに住む人々までをも含む広汎な概念であるように思います。
 これだけを見た場合、「愛国心」はそれ自体別段悪い概念とは思われない。上記のような「国」を愛する精神にはむしろ慎ましやかさすら感じます。では「愛国心」に関して、一部の人々はなぜこれを否定するのでしょうか。

 主な理由としては記事の如く「愛国心は国家主義の復活につながる」という論理があるようです。 国家主義を辞書で引くと次のように記されています。

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こっか-しゅぎ こく― 4 【国家主義】

国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の
権利・自由をこれに従属させる思想。
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 なるほど。つまり国を愛することに伴い、行為の価値基準を個人の権利や自由よりも国家に重きを置いてしまうことにつながる、というわけですか。
 これはこれで「それは飛躍し過ぎだろ」みたいな突っ込みがきそうですが構わず先に進めます。

 ここで「国家主義」に関連して二つほど指摘したいことがあります。その一つは「場合によっては個人の権利・自由より国家を優先すべきケースもあるのではないか」ということです。
 例えば先に成立した有事関連法では国民の「努力義務」(有事の際は国や自治体からの要請を強制はしないけれども極力これを受ける形で努力してね、といったこと)も記されました。仮にお隣の某敵性国家が日本に侵略してきたとして、その進攻を食い止めるために設営する自衛隊の防御陣地が(その必要性により)個人所有の土地にも食い込んでしまうといった場合、自治体などから土地提供の要請が所有者に対してなされます。所有者がこれを拒んでも法的に処罰されることはありませんが、常識的に考えた場合には土地の提供を行うべきだと思います。というのも、その土地に陣地設営ができず敵の突破を許してしまうことに伴い(後方の)より多くの人々の権利や自由が蹂躙されてしまうことを、我々は明確に想定できるからです。個人の権利や自由はそれぞれの国家が個別に法的に保障しているものです。これは普遍的に人類共通のものでないことは中国や北朝鮮を見れば明白です。そのためこれを保障している国家が危機に瀕しているのに関わらず、自らの権利および自由の侵害だといってその要請を拒む態度は本末転倒です。個人の権利や自由は尊重すべきものといえども、その結果公共の福祉に大きな損害をもたらす場合にはやはりある程度の制限は設けられるべきであると思います。
 ではこういった特例的な状況における個人の権利や自由の制限を支持する立場も「国家主義」に相当するのか、というと私は違うと思います(これが国家主義であったら現在のほとんどの国々が国家主義でしょう。スイスなんか超国家主義になってしまいます)。むしろ「国家主義」とは平時においてさえも恒常的な「国家優先」を主張する思想ではないかと思います。

 もう一つは、愛国心がその対象とする「国」と国家主義がその対象とする「国」とは果たして同一の概念なのか?ということです。
 最初のほうで触れたように「愛国心」がその対象としている「国」とは土地や文化、人々を含む広汎な概念を包括した存在であると思います。それに対して「国家主義」にて述べられる「国」とは、概念的には国家の「体制」に近いより政治的な存在ではないかと思います。なぜなら、「愛国心」がその対象とする「国」は喫急な事態以外は個人の権利や自由を制限しないからです。日本の文化が日常的に個人を制限することを求めますか?郷土が求めますか?ありえません。制限される個人の自由といえば、地域環境を守るための「煩雑なゴミ分別」くらいなものじゃないですか?「愛国心」がその対象としている「国」とは受動的な「状態」に過ぎません。
 これに対して「国家主義」がその対象とする「国」は能動的な行為主体であるため、日常的に個人の権利および自由の制限を加えることが可能です。国家の機密を守るためにマスコミの行動を制限したり、国家に批判的な人間を探し出すために日常的に盗聴を行うことなどは代表的なものだと言えます。ここで言う「国(国家)」は上記「愛国心」が対象とする「国」と同一かといわれればこれは明らかに違います。

 いろいろと脈絡なく続けましたが、結局は「愛国心」自体は悪性の概念ではなく、また色々と指摘されている懸念は「愛国心」とは別次元で対処すべき事柄ではないかと私には思われます。
 恒常的な国家主義を標榜する者は、結局愛国心があろうとなかろうとそもそもにして個人の権利や自由に対して無頓着なんです。愛国心を持ったがゆえに無頓着になったのではない(少なくともそのような論理的帰結を私は見出せない)。これはこれで愛国心とは切り離して、個人の権利や自由を尊重することの重要性を別途たっぷりと教え込んでやればいいし、そのレベルに留まる話です。ここを飛び越えていきなり愛国心に矛先を向けるのは飛躍ではないかと私には思われる。仮に「愛国心」が対象とする「国」をあらゆる物事に優先すると考えたとしても、ここから恒常的に国家主義を標榜する思想は出てきません。「愛国心」の言う「国」は政治的存在を意図しないのだから当然です。
 個人の権利や自由を軽視する傾向を有する人間なんてものは何も国家主義者だけに限った話ではなく、そこら辺で「平和、平和」(麻雀ではありません)と叫んでいる連中にも大差なく見受けられるものです(確か以前、イラクに派遣された自衛隊員の無事を祈り、黄色いリボンを配る運動が派遣反対派の抗議によって中止せられた事件がありましたが、この派遣反対派の方々には溢れんばかりの国家主義的性向が認められますね。ただ「国家」と「平和」を入れ換えただけだ)。このような人間にとっては「愛国心」なんてアクセサリーに過ぎません。

 また、多くの人々は「愛国心」の懸念点ばかりをあげつらうが、これには大変なメリットも存在すると思います。経済にせよ安全保障にせよ、国家が危機を迎えた時にこれを打開する原動力とは何かを問うた場合、真っ先に挙げられるのは「愛国心」ではないかと私には思われます。
 それに、国家主義の勃興でもそうですが、国が誤った方向に進もうとした際にこれを阻止する原動力もやはり「愛国心」でありうるのではないのかと思います(他にも「イデオロギー」などあるでしょうが)。国がまさに誤ろうとしているの時に、これに無関心な国民を「愛国心を有している」などといえるでしょうか?本当に国のことを思っているのであればその人は国家の進む方向に疑問を呈すことでしょう。
 そういう意味で、国民が「愛国心」を有していない国家は最終的には救われない、と私には思われます。


2005/05/14のBlog
【天秤の片皿しか見ない人々】

 古い話題ではありますが

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遺体100体を発掘、旧フセイン政権時代のクルド人処刑跡か--サマワ

米国の法医学専門家らから成る国際調査団は4月30日までに、イラク
南部サマワの集団墓地でクルド人とみられる遺体約100体を発掘した。
AP通信が伝えた。発掘された遺体は一部に過ぎず、埋葬されている遺
体は推定1500体に上るという。80年代に旧フセイン政権に集団処刑
された人たちとみられる。

 同通信によると、発掘された遺体のほとんどは女性や子供で、少なく
とも10体は乳幼児だった。十数体の近くでクルド人であることを示す身
分証明書が見つかったほか、クルド人の民族衣装が多数発掘されたと
いう。

 --------------------(中略)--------------------

 暫定政府の人権相だったアミン氏(クルド人)は、旧政権によるクルド
人虐殺で50万人が死亡し18万2000人が行方不明のままだと指摘。
英BBC放送は同様の埋葬地がイラク全土に約300カ所あると伝えて
いる。

 --------------------(後略)--------------------
===============================================================


 当時、血眼になってイラク戦争に反対した方々は、彼らの希望が叶えられることによってこのような最悪政権が存続しえたことに関して一体どのように弁明する気なのか?

 1988年にクルド人制圧のために行われた「アンファル作戦」では毒ガスが使用され、ハラプチャでは約5000人が虐殺され、負傷者は1万人を数えた。大量破壊兵器による被害としては先の大戦以降最悪のものである。
 また国連人権特別報告書によると、この作戦で行方不明者となったクルド人は確認されたものだけで1万6000人を超え、アムネスティ・インターナショナルでは10万人、ヒューマン・ライツ・ウォッチは最高15万人と行方不明者数を見積もっている。

 また、イラクにおける人権状態が最悪であったことも現在では概ね明らかにされている。
 2002年3月にイラクでの調査活動を行った国連人権委員はイラク国民の置かれている状況に関して「大統領を支持しないというそれだけで処刑される恐れがある」と報告している(「イラクの政治・法体制は、人権尊重とは相容れないものであり、むしろ国中で見られる組織的・体系的暴力を内含している。そして事実上国民全体に影響を及ぼしている」-国連人権委員会イラク特別報告官マックス・ファン・デル・ストール-)。
 また、アムネスティ・インターナショナルは1970年代よりイラクの劣悪な人権状況に対して警告を発し続けてきた。彼らが2001年に発表した報告書「イラクにおける政治囚の組織的拷問」には、当時のイラク当局が行った凄惨な拷問の内容が記されている。

 オックスフォード・リサーチ・インターナショナルが2004年に行ったイラクでの世論調査によると、今回の戦争でイラク国民が一番評価したのは「フセイン政権の打倒」だった。イラク戦争に反対した方々は、仮に戦争が行われなかった場合にはこのような最悪の政治体制が維持されていたことに関して一体どのような釈明を行うつもりなんでしょうか?
 文化情報局員の監視のもとTVカメラに作り笑顔を見せる子供たちを見て「彼らの幸福を奪ってはならない!」などと叫んでいた反戦論者の姿は、私にとって非常に「痛々しい」ものでした。

 このように言うと「戦後現在のイラクの治安状態は混乱していて毎日のように人が死んでいるじゃないか!」と食って掛かる方がいらっしゃるかと思うがこの主張はピントがずれている。
 確かにアメリカはイラク戦での電撃勝利の後、引き潮のように第1線部隊を引き上げてしまい、隠蔽武器庫の探索や逃亡軍人の追跡等は行わなかった。現在ではその逃亡軍人たちが武装勢力を指揮し、隠していた武器を用いて治安の混乱を図っているといわれている。その意味では現在の治安状態の混乱はキッシンジャーも指摘しているようにアメリカによる戦後統治(見通し)の杜撰さに起因するものだが、しかし逆に戦前の段階で安定的な戦後統治の見通しが立ってさえいれば上記主張は戦争を否定しない。「円滑な戦後統治の見通しがたっているんだったら戦争してもいいです」という話になる。

 私はここでイラク戦争の「正当性」に関して述べるつもりはないが、少なくとも当時フセイン政権の行っていた蛮行を見る限り、(たとえ開戦の事情がどのようなものであれ)結果的にこの戦争は「妥当だった」と考えている。
 ジョンズ・ホプキンス大学教授のフォアド・アジャミ博士はアメリカの国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』(ちなみにこれはリベラル派の雑誌)にて次のように述べている。

 「確かに戦争は惨苦を伴うが、ここで攻撃を中止し、フセイン独裁の継続を許すことのもたらす恐るべき結果と比べれば、それさえも卑小なものであり、力の行使そのものに対する非難を甘受しつつ、世界の秩序を力で守るのが大国の宿命だ」 

 イラク戦争は、「戦争に伴う惨苦」と「今後行われたであろうフセイン政権の蛮行」とを同じ秤にかけた場合、ベストではなかったがベターではあった。
 では必死に戦争反対を主張した方々はどうなのか?フセイン政権が今後も多くの人々を惨殺し、あるいは拷問にかけるかもしれないのに戦争さえ防げればただそれだけで満足だったとでも言うのか?まったくもってアホらしい話です。
 しかし彼らとてフセイン政権の蛮行を喜んで認めるほど先天的に残虐なわけではないでしょう。ただ彼らは秤のもう一方にのせられた事実、それも自らにとって都合の悪い事実をひたすら無視していただけに過ぎない、と私には思われます。仮に彼らに対して、戦争の代わりにどのようにしたらフセイン政権の蛮行をやめさせることができるのかを問うても、答えは返ってこないでしょう。 最近話題になったアブ・グライブ刑務所での(米兵による)囚人虐待が、フセイン政権時代に行われた「大量処刑」よりも大きく取り扱われるのはなんとも滑稽な話です(どちらもあってはならない行為ですがその程度差は明らかに違います)。

 いずれにせよ今回の反戦論者たちにとってはイラク人の今後なんて「どうでもいい事」だったんでしょうね。上記で述べてきたところから考えて「彼らは自己満足のために反戦を主張していたに過ぎないのではないか?」と私はどうしても勘ぐってしまう。その証拠に、戦争に反対した人々の多くは自衛隊のイラク派遣にも反対しています。自衛隊が援助を行わない場合にイラク(サマワ)の人々をどのように救済するのかに関して、明確でかつ現実的に実施可能な方策を彼らから聞くことは未だありません。 当然です。

イラク人の事なんてハナからどうでもよかったんですから。


※イラク戦争の正当性に関しては私も若干思うところがあるのですが、これに関してはまた後ほど述べたいと思います。

2005/05/07のBlog
【凶暴パンダの飼育法】

 ある日、私は想像できうる限りの最低国家を思い描いてみました。

 -他国に武力侵攻して現地住民を虐殺し、
 -武力を背景に何かと言いがかりをつけては周辺地域の緊張を高め、
 -非民主的な政治制度をとり、国民の諸々の人権を侵害し、
 -国家指導者にとって都合の良い方向で絶えず情報統制を行い、
 -教育内容に関しては政府の意向以外の導入は許されず、
 -自国の安定統治のためには他国を平気で悪魔化し、
 -他国の主権を無視しては脅迫まがいの放言を行い、
 -国際的なルールを無視しては開き直り、
 -年々軍事費を増大させては周辺国を不安がらせ、
 -国際貢献は行わないくせに要求だけは人一倍に行う

 思いつくまま挙げてみたらアラ不思議、中国になってしまいました。

 まあ中国にも経済面、学術文化面で良い点は様々あるでしょうが、そういった分野を除いた国家の体制だけを見た場合、はっきりいって中国の存在はアジアにとって害悪でしかないように思えます。日本はそんな悪性国家から悪し様に罵られているんだからこれ以上の光栄はないと考えるべきでしょう。

 さてその中国ですが、大型連休中のデモ阻止には何とか成功したようです。やればできるじゃん中国。しかしまあそれも当然といえば当然ですか。なんてったって彼らは首都のど真ん中で自国民を平気でぶち殺すような人たちなんですから。デモの鎮圧なんて朝飯前でしょう。

 それにしても先月のデモ(暴動)における中国当局の姿勢は滑稽なものでした。デモ隊をスピーカーで先導する警察官(まるでバスガイド)、日系商店への攻撃をただ静かに眺める公安担当者、日本大使館(領事館)に侵入しようとする暴徒を "防盾で" 必至に抑える武装警官。暴徒にもみくちゃにされながらもこれを鎮圧する姿勢を全く見せないので、私はてっきり彼らをバグダット帰りの「人間の盾」か何かだと思ってしまいました。その涙ぐましいほどの非暴力的姿勢は微笑ましいくらいです(とりあえず武装している意味がないだろ)。
 この暴動に伴い日本に関わる各種施設はボロボロにされましたがそれでも「結果責任は日本側にある」と開き直った姿にはずいぶんと驚かされました。ジャカルタ市内での(日中首脳会談後の)会見では一国の指導者(胡錦濤)が、民間企業への破壊行為や在中邦人への暴行、他国の外交施設保護を義務付けるウィーン条約違反をわびるどころか「日本が反省するべき」とものの見事に逆切れして見せてもくれました。しかしその一方で地元当局を通しての補償の申し入れをコソコソと行ってもいます。こういった妙に「屁タレ」な部分も中国の特徴ですね。やるなら徹底的にやれよ、と言いたくなります。
 しかしこういった中国の屁タレ行為は日本との更なる関係悪化を防ぐという意味では理にかなっています。日本は最大の貿易相手国の一つですから中国にとってもこれ以上の関係悪化は経済的な損失を招くおそれがあります。そこから見えるのは、信念よりも実利を優先する中国の政治姿勢です。

 よく「中国は誇り高いから~云々」と主張する評論家や専門家がいらっしゃいますが私はそうは考えません。事実このフレーズは中国が素直でない場合、特に「素直に非を認めない」際などに良く使われるように感じます。これは「誇りが高い」などとは言いません。「モラルがない」のです。虚勢や傲慢は誇りではない。
 では彼らはモラルを投げ打って何を優先するのでしょうか?それはやっぱり「実利」でしょう。実際に中国はその後デモを厳しく取り締まっていますが、それはこれ以上デモを放任しておくのは厳しく取り締まるのと比べて「得にならない」と判断したに過ぎません。仮に日本側が今回の暴動に大した反発も見せず、また中国に対する各国メディアの厳しい批判が存在しなかったならば、中国当局は現在のようにデモを厳しく取り締まったでしょうか?そんなことはありえません。なんの「得」にもなりませんから。もし「暴動は許されない行為」との信念を有していたならばとっくの昔に取り締まっていたはずですし、そもそも「ガス抜き」としてデモを煽ったりはしません。

 そういった意味で私はこれ以上中国側に謝罪しても意味がないと考えています。彼らは謝罪を誠意の表出としてではなく、まず損得勘定の「得」として受け止めるんですからこれを再度得ようとするのは当然のことです。日本の誠意は伝わりません。仮に中国側の姿勢軟化を期待して下手に出たところで得られる結果は全く逆のものになるでしょう。これは今までの歴史が証明してくれています。このためもしも小泉首相のAA会議でのスピーチが中国側のウケを狙った部分があったとしたならば、私はこれを評価できません。
 確かにスピーチの内容はすばらしいものだったと思います。おそらく中国との諍いなかった状態でこのスピーチをされたならば国内で(スピーチに対する)評価が分かれたりはしなかったでしょう。日本の過去の行為に対する反省・謝罪箇所はほんの導入部分に過ぎませんし、それ以降はとても発展的な内容が展開されています。しかしスピーチの内容がすばらしくても、これを受け取る側の意識状態によってはその受け止め方が異なってくる場合もあります。今回の場合で言えば、国際会議の場で小泉首相が行った反省と謝罪の異例の弁は(仮に首相にその気はなくても)見る人によっては「日本側が中国側に(暗に)謝罪した」とうつりかねない、ということです。これが結構怖いことだ私は感じています。

 今回、欧米各国メディアでは中国に批判的な論調が目立ちました。これは概ね日本にとっては心強い材料となりましたが、しかしこれら論調の中にはいくつもの事実誤認が見受けられました。特に目立ったのは「日本は真に謝罪すべき」といったもので、これは日本が過去20回以上にもわたって中国側に謝罪した事実を正確に踏まえていない結果だと思います(特にドイツのメディアが酷かったみたいですね)。しかしこれはある意味しょうがないことで、つまり欧米各国にとって日中関係は基本的に「どうでもいい事」なんだと思います。遠く離れ、自分達にはあまり縁のないアジアの出来事に強く関心を寄せる人間はそういないでしょう。こういった人々は往々にして深く関係しない物事を表面的に捉えがちです。そのため、小泉首相が反省と謝罪の弁を(導入部分であっても)述べたというそれだけで「日本が中国に謝った(だから日本が悪い)」と安直に捉えられないかを私はとても心配しています。
 しかし逆に言えば、日本は過去に行った謝罪とアジア全域に行った援助の実績をもっと広くアピールするべきでしょう。相手が損得勘定をその行為基準としているならば、日本にたかると中国が損をする状況を作り出しやればいいわけです。各国に対して中国がトンデモ国家であることを広く認知させれば、おのずと中国も世界の目を気にして素直にならざるを得ません。日本は常任理事国入りに関してもそうですが、中国側の同意を得るために中国に対して直接誠意を示しています。これは勿論必要なことですが、その労力と比べて得るものは少ないと私は考えます。中国がアジア唯一の常任理事国であることの影響力を容易に薄めるような選択をするとは考えられませんし、それが日本であれば尚更です。それよりも外堀をしっかりと固めて中国が賛成せざるを得ないような状態を醸成するのがより現実的な方法ではないかと思います。



いつもはふてぶてしい凶暴パンダも腹が減ったら案外素直になるものです。であればこのパンダとの安定した関係を望むなら周りの笹の葉を減らして目の前に餌をチラつかせてやればいい。問題は日本にそんな骨太な外交力があるかのどうか・・・町村外相に期待します。
2005/04/17のBlog
【お爺ちゃんの不平不満】

 最近は韓国ネタのエントリが多すぎてちょっと反省しているのですが、話題に事欠かないのだからしょうがない。そう考えている最中にもネタが投下されます。
(リンク切れの場合はこちらを参照ください〔『murmurブログ』様〕)

 今日はこのコラムに関していちいち突っ込んでみたいと思います。

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ドイツにはすでに多くの場所にユダヤ人関連の記念館がある。 にもかか
わらず、ドイツ政府は首都ベルリンの、ソウルでいうと世宗路(セジョンノ)
ほどの要地に、ユダヤ人追悼公園を新しく建設している。
 -------------------- (略) --------------------
1970年12月、厳しい寒さの中でドイツ首相のビリー・ブラントは、ポー
ランドの首都ワルシャワの過去のユダヤ人集団居住地(ゲットー)で、膝
をついてナチス・ドイツの蛮行を謝罪した。 ドイツ首相ゲルハルト・シュレ
ーダーは最近、ブッヘンバルトのユダヤ人収容所解放60周年を迎え、ま
たユダヤ人犠牲者らとその家族に謝罪した。
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 ドイツ人は国家として『ユダヤ人絶滅』を企画・実行するという「国家犯罪」を犯したわけです。これに対して謝罪するのは当然です。それで?日本はどんな国家犯罪を犯したのです?社会資本整備や衛生管理、教育の普及を通しての識字率の向上を行うことが「国家犯罪」ですか?いい加減に歴史を学んでください。

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ドイツ人の過去の反省は終わりがない。 日常生活の一部であるようだ。
日本人が韓国に向かって、「首相が変わる度に韓国に謝罪しろというの
か」と話すのとは対照的である。 東京の銀座や新宿に、強制連行された
朝鮮人勤労者や慰安婦、南京大虐殺の犠牲者の霊を慰める追悼碑を一
つ建てるのを期待するのは、西から日が昇るのを待つのと同じように見え
る。
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 日本による韓国に対する謝罪と賠償は「日韓基本条約」にて既に完了しています。それであるにも関わらず氏は未来永劫にわたる謝罪を暗に求める。やはり直情的過ぎるが故に極度に思慮浅い人間に対して「国家間の合意」が意味する重要性を理解していただくことはおよそ無理な話のようだ。どんなに説得力のある人間でも理性を失ったチワワに「おかわり」を求めることはできない。
 それにしても例述している歴史事象に南京大虐殺や強制連行、従軍慰安婦を持ち出しているところを見ると、この問題に関して彼がいかに無駄に歳だけを食っていたかわかると言うものです。南京大虐殺に関してはこれを実際に証明する物証は非常に乏しいばかりか『南京安全区国際委員会』の資料はじめ、大虐殺を否定するものが数多く出てきている。また「慰安婦」に関してその争点となっているのは「日本軍による組織的強制の事実があったかどうか」である(もしも慰安婦利用による道義的責任が問題なのであれば、当時の世界中の軍隊が等しく断罪を免れず、また、つい最近まで公娼制度が存在した韓国はさしずめ「下半身のたるんだ犯罪民族」です)のに対し、これを証明するなんらの物証も出てきていませんし、壊れたスピーカーのように繰り返している「強制連行」ですが要は徴用でしょう? 内地の人間が徴兵で戦地へ赴いている時にも彼らはまだ徴用で済んでおり、同じ「日本人」としては恵まれていたと言うべきでしょう。彼らに徴兵が適用されるのは1944年になってからです。
 「徴用」に関してそこまでうるさくぎゃーぎゃーと言うのであればいっそのこと太平洋諸島でのたれ死んできてください。

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オランダ言論人イアン・ブルマは、ヒットラーのドイツと昭和天皇の日本が
1930年代と40年代にした蛮行を、両国国民がどのように記憶、反省、
克服していているかを比較研究した結果を「Wages of Guilt」という本
に記した。
 -------------------- (略) --------------------
ブルマは、戦後のドイツは軍人精神、人種的純潔性、国家のための犠牲
などナチスドイツの残滓を清算しようと最善を尽くしたが、日本はそうでない、
と指摘した。 日本がドイツとの同盟に郷愁を覚えるが、ドイツは困惑すると
いう。
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 私はここで取り上げられているイアン・ブルマの著書を読んでいないのと、また韓国人は得てして存在しないフレーズを行間から勝手に導き出す「特殊能力」の持ち主ですから言及は避けますが、強いて突っ込むならば「軍人精神、人種的純潔(純血?)性、国家のための犠牲」がどういった論理回路を経ると「ナチスドイツの残滓」になるでしょうか?軍人精神はどこの軍隊でも持っていますし、日本には人種的純潔(純血?)主義など持ち合わせてはいません。その証拠に占領地では組織的な人種差別などしていません(されたと思い込んでいる朝鮮人ならいます)。
 また「国家のための犠牲」ですが、先の大戦は「総力戦」です。日本やドイツだけでなく、イギリスやフランス、ポーランドの国民もまた戦争に死力を尽くしたのです。どちらも国家のための犠牲が存在したと言う意味では違いはありません。違ったのは、一方は勝利し、一方は敗北した結果だけです(そして前者の犠牲は美化され、後者の犠牲は貶められるか、また他者を貶める材料に使われてきた)。
 まあ、その後に続く「ドイツの困惑」の文脈も含めて、ブルマの記述に対する金永煕氏の解説は、その論理の稚拙さから推測して彼の一方的な主張なのでしょう。もういい年なんだからくだらないことは自重しなさい。

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ドイツと日本の差は文化的なものか、政治的なものか。 ブルマは政治的
なものと見ている。 「生まれながら危険な国民はいない。危険な事態があ
るだけだ。危険な事態は自然の法則や歴史、国民性の結果ではなく、政
治形態の結果だ」。

日本の大臣らは政治家だ。 度重なる妄言で、韓国人と中国人の過去の
傷に塩を塗る文部科学相と外相も政治家である。 靖国神社参拝を強行し、
韓国と中国をずっと刺激することにサディズム的快感を感じる小泉首相は
彼らのボスだ。 過去に対する日本の道徳的不感症が政治的な問題だとい
うのに一理あると思われる。 一級戦犯出身で首相を務めた岸信介の孫・
安倍晋三がいま、自民党幹事長代理として右翼政治勢力を率いているの
を見てもそうだ。
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 氏はここまでを自分で書いておきながら相当鬱憤がたまって胃がムカムカしてきたのでしょう。ここからはおじいちゃんの感情が一気に噴出し、胃のムカムカ和らげる「ガスター10」タイムに突入します。
 直情的であってもしょうがありません。思慮浅くてもしょうがありません。だって胃が痛いんだから。

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しかし政治を左右するのは政治文化であり、政治文化の土台はその国
の文化水準、意識水準、知的水準である。 すべて文化的常識(Cultural
literacy)だ。 マッカーサー将軍は1945年の日本を、精神年齢12歳程
度の子どもに例えた。 日本には、ヨーロッパ文明の啓蒙主義的、ヒューマ
ニズム的伝統を受け継ぐゲーテのような人物も、ナチス暴政を避けて海外
に亡命したトーマス・マンのような作家もいない。 経済大国の知的後進性
が問題である。

日本政治家らの言行を見ると、日本は精神的、文化的、知的発達障害に
かかったようだ。
 -------------------- (略) --------------------
歴史教科書は、両国の市民社会、特に若いネチズンの交流と対話を広め
ていけば、日本右翼の偏狭で前時代的な歴史記述は立つ場所を失うはず
だ。 日本の右翼が韓流に熱狂する日本女性や若者を見て危機意識を感じ
るのを見ると、歴史的真実は明確にわれわれの方である。

金永煕(キム・ヨンヒ)国際問題記者

2005.04.15 20:48
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 後の部分は品性を失ったお爺ちゃんの愚痴なので詳細に見るに値しません。がしかし、その内容は大いに笑いを誘ってくれます。

 金永煕氏は、自身に耳障りな発言をする日本の政治家たちの精神的、文化的、知的水準を(自身が気に入らないが故に)低いものと評価し、これは国家の水準が同様に低いためにもたらされたものであるとして日本の「知的後進性が問題である」と分析しています。その際に氏は「マッカーサー将軍は1945年の日本を、精神年齢12歳程度の子どもに例えた。」やら「日本には、ヨーロッパ文明の啓蒙主義的、ヒューマニズム的伝統を受け継ぐゲーテのような人物も、ナチス暴政を避けて海外に亡命したトーマス・マンのような作家もいない。」やら述べていますが、マッカーサーのくだりに関して、元帥が日本を12歳と評した分野は科学、芸術、神学、文学の点に関してであって精神年齢ではない。逆に原文を都合よく変形させる氏の精神年齢がむしろ12歳でしょう。
 またゲーテやトーマス・マンに関するくだりですが、「ヒューマニズム」とは韓国への謝罪を、その必要性と義務の有無とは無関係に、率先して行うことを意味するのではない(韓国ではどうなのか知りませんが)。それに日本では言論の自由が完全に認められています。別にこの自由を求めて亡命など行う必要はない。私は日本政府の暴政を避けて海外に亡命した人を全く知りませんが、韓国国内の言論弾圧に耐えかねて亡命を悩んだ人間なら知っています(『East Asia Watch News』様)。まるで乞食から風呂に入るよう説得されているようで失笑を禁じえませんね。
 恐らく金永煕氏は、マッカーサー元帥が日本を「12歳」と評した分野が「科学、芸術、神学、文学の点」であることを念頭に置いた上でゲーテやトーマス・マンを引き合いに出したのでしょうが、彼はこれら偉人達を純粋な学問的比較のためではなく、ただ単に「非人道性」や「ナチスへの抵抗」という意味においてのみ利用しているため、はっきり言ってかなりピントがズれています。自分の論理補強のためにはどんな曲解でも行う。さすがは韓国人です。

 最終的に金永煕氏は日本を「精神的、文化的、知的発達障害にかかったようだ」と評し、自分たちが正論を述べているが故に「交流と対話を広めていけば、日本右翼の偏狭で前時代的な歴史記述は立つ場所を失うはずだ」と考え、また自分たちが正しいとする論拠として「日本の右翼が韓流に熱狂する日本女性や若者を見て危機意識を感じ」ているから、としています。
 彼は頭がおかしいのでしょうか?なぜ「日本の右翼が韓流に熱狂する日本女性や若者を見て危機意識を感じ」ていることが韓国における歴史主張の正当性を示すことにつながるのかが全くわかりません。文化的流行への危機意識がなぜ学術分野における事実の証明と結びつくんです?(それ以前に「危機意識」?( ゚Д゚) ハァ??? )私はこういった拙劣な論理をネットで堂々と披露する韓国知識人の精神が理解できません。金永煕氏はマゾヒストなんでしょうか?孫のためにもいい加減にしておきなさい。

 それにしても「精神的、文化的、知的発達障害」ですか。なかなか面白いことを言いますね。

 先週、ドイツに留学している親類から連絡が来ました。韓国の反日デモがドイツのニュース番組でも報道されたとの事です。そこで映しだされた映像というのは、「軽トラの荷台にひしめき、半狂乱で叫び続け、挙句の果てにトラックから落ちかかっている韓国人」や「日本領事館(大使館?)前で絶叫しながら日本国旗を燃やし、その燃え残りを食いちぎろうする、およそ文明人とは思えない行動をとっている韓国人」などだったそうです。これを見た親類は次のように言いました。

 「その姿はまるで精神障害、知的障害を患っているかのようだった」



※ 私はイアン・ブルマに関して詳しくは知りませんが、日本の政治形態や国民性
 について調べる以前に、先の大戦ではたった数日間しか矛を交えておらず、物
 的及び人的損害も最小の部類であったにもかかわらず、236人という戦勝国中
 最多の日本人BC級戦犯を処刑した自国民の残虐性についてまずは調べろよ、
 と愚痴りたいですね。



2005/04/12のBlog
【今から見れば何とでも言える】

 相も変わらずネタ的には新しくないのですが。

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ドイツ人学者も「独島の国際問題化は不公平」

ドイツ人日本学教授が、独島(トクト、日本名:竹島)をめぐる日本の
主張を激しく批判した。 批判者は、独デュースブルク大学東アジア研
究所のフロリアン・クールマス教授(56)だ。

クールマス教授は今月2日、スイスの権威紙ノイエ・チュルヒャー・ツァ
イトゥング(NZZ)に「独島または竹島、大韓海峡内の権利と歴史」な
る文を寄稿した。 同文でクールマス教授は「独島問題を国際法廷で
争おう」とする日本の主張に対し「公平で意味のある提案だろうか」と
問うた後、子細に反論した。

まず、独島が日本領土だとソウルで発言して物議を醸した駐韓日本
大使を「外交官に極めて重要な資質たる礼儀を兼ね備えていない」と
指摘した。

また、独島問題を歴史的な脈絡から探るべきだと主張した。 韓国が
独島問題をオランダ・ハーグにある国際司法裁判所(ICRC)で争うこ
とに反対していることについても「敗訴の恐れに注目するのは、この問
題の歴史的背景をしっかり把握できていないからだ」と論じた。 クール
マス教授は「過去の国際法は、韓国の正常な状態を失わせ、韓日併
合をなし遂げる道具となった」とし「韓国でハーグは極めて苦痛の記憶
と結び付いている」と指摘した。 また「高宗(コジョン)皇帝は、1907
年にハーグで行われた第2回国際平和会議に3人の特使を派遣した。
1905年に日本が乙巳条約(第二次日韓協約)を結び、韓国の外交
権を奪ったことに抗議するためだ。 しかし、日本は国際社会の同意の
下、ハーグ会議での韓国代表を務めることで、韓国の主権はく奪が国
際法によって適法とされた」と論じた。 さらに「露日戦争を終結させるた
め、セオドア・ルーズヴェルト米大統領の仲裁によって1905年に締結
されたポーツマス条約のせいで、韓国は日本の被保護国になった」と
指摘し「これがきっかけでルーズヴェルト大統領はノーベル平和賞を受
賞したが、韓国は主権を喪失した」とルーズヴェルト大統領を批判した。

クールマス教授は「韓半島は沖縄や北海道の次に日本が求めた膨
脹政策の目標地だった」とし「日本は1870年代以降、韓国の力を弱
めるために体系的な工作を行い、国際法を極めて悪賢く利用した」と
分析し、この時点で国際法は、強大国の命令に従って反映されていた
と指摘した。

クールマス教授は1971年5月に日本に留学し、17年間日本で日本
学を研究した。 大学では現代日本語と日本の文化・歴史を講義してお
り、ドイツでも屈指の日本通学者だ。
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 お隣の民族は本当に「権威」をかざすのが好きですね。

 このニュースに関しては一部ガセネタとも受けとれる情報(『藤沢生活』様)もあります。仮にこれが、韓国人記者による原文に対する恣意的脚色の賜物だったとしたら、マスコミですら疑義をはさむ役目を放棄した「堕落した民族」の典型として、もう彼らには何も言うことはありません。
 ただ、この寄稿文の原文内容がどのようなものであったかは別として、この記事にて取り上げられている要点に関して私見を述べてみたいと思います。

 まず、去る2/23に高野紀元・駐韓日本大使が竹島を日本領土であるとの発言を行ったことに対し、「外交官に極めて重要な資質たる礼儀を兼ね備えていない」との指摘がなされていますが、これは日本政府が従来より掲げている方針で、大使は政府機関より派遣されている立場上、これをただそのまま繰り返したに過ぎない。仮にニ国間で対立している問題があったとして、これに関して自国側の主張を行うことが「礼儀知らず」であるのなら、大使はこの「礼儀」とやらをふまえた上で一体どのように発言すればよかったのでしょうか?領有問題をはぐらかしてゴニョゴニョと独り言をつぶやくべきだったのか?それとも「竹島は韓国のものですオメデトウ」とでも言うべきだったのでしょうか?クールマス教授がこれを実際に主張したのであれば、教授の言う「礼儀」とやらを是非伺ってみたい。
 まあ、この部分に関しては上記の通り原文には載ってないとの指摘もなされていますので、実際にクールマス教授が主張したのかは怪しいです。この主張部分の発想に関しては思慮の足りない一部の韓国人のそれと一致してもいますしね。

 また、記事には「独島問題を歴史的な脈絡から探るべき」との主張がなされ、その理由として「過去の国際法は、韓国の正常な状態を失わせ、韓日併合をなし遂げる道具となった」と述べ、その具体例としてか『ハーグ密使事件』に触れています。
 しかしクールマス教授による(?)この論法はあまりに抽象的過ぎます。まずそもそも日本政府が竹島の島根県編入を閣議決定した1905年2月22日の段階では大韓帝国はまだ立派な独立国家でした。日本が大韓帝国の外交権を握ったのはその後の1905年11月17日の第2次日韓協約においてです。従って大韓帝国が日本の竹島編入に異議があったのであれば国際的に大いに発言できる立場にあったわけです。
 また、クールマス教授が挙げた『ハーグ密使事件』の例は、大韓帝国が(彼らの意思に反する形で)最終的に日本の保護国化が決定されたことを象徴する一例ではあっても、竹島が大韓帝国の意思に反して日本に編入されたことを示すものではない。上述のうち、前者は国家の被保護国化に関する問題であるのに対し後者は(国家主権に関わるという意味では同じかもしれないが)ニ国間における特定地域の領有権に関する問題であるため、両者に対して同一体系の国際法が適用されるのかどうかさえ疑わしい。仮に両者には個別に違った法論が適用されるのであればクールマス教授の論法は「ある問題にて適用された国際法の正当性が疑わしいから、当時における全ての国際法は当てにならない」という意味に解釈でき、ほとんど屁理屈に近い。
 いずれにせよ、竹島の日本編入における国際法的論拠に不当性が見出せるというのであれば、クールマス教授は(「国際法に裏打ちされた、大韓帝国の意思に反する被保護国化」などという竹島には直接リンクしない事象を持ち出すような回りくどいことなどせず)これをさっさと示すべきです。
 しかし仮に、国際法的争点を抜きにして歴史的争点のみで領有権を争うことになっても日本政府は受けてたつ気でいるようですけどね。

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1.我が国の一貫した立場
(1) 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も
明らかに我が国固有の領土である。

 -------------------(後略)-------------------
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 また、上記の記事にておいて私が最も違和感を感じるのが、教授が当時の日本の行為を現在の価値観から一方的に評価している点です。
 クールマス教授は「日本は国際社会の同意の下、ハーグ会議での韓国代表を務めることで、韓国の主権はく奪が国際法によって適法とされた」とし、更に「1905年に締結されたポーツマス条約のせいで韓国は主権を失った」とした上で当時のアメリカ大統領、セオドア・ルーズヴェルトを批判しています。ならば私は逆に教授に伺いたい「国際法が大韓帝国の主権を保障してさえいれば、大韓帝国のその後は安泰だったのか(独立を保ち続けることができたのか)」と。

 当時の国際状況はまさに弱肉強食でした。弱小国は列強の植民地となることが当然であった時代です。以前のエントリーでも取り上げましたが、国際法専門家の中でも以下のような現実的な主張を行う学者もいます。

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<ケンブリッジ大学Crawford教授>
そもそも当時の国際社会では、国際法は文明国相互の間にの
み適用される

この国際法を適用するまでの文明の成熟度を有さない国家には
適用されない。言い換えるなら、文明国と非文明国の関係は、文
明国相互においてと同様に国際法において規定されない。
それ故、前者(文明国・非文明国間)においては後者(文明国
間)で必要とされる手続きは必ずしも必要でない
。極論すれ
ば、文明国と非文明国との関係の一類系として登場する、植民
地化する国と植民地化される国の最終段階では、必ず「条約」の
形式を必要とするとさえ言えない。

当時において重要だったのは、特定の文明国と非文明国の
関係が「他の文明国にどのように受け止められるたか」である。

単純化して言えば、植民地化において「法」が存在していたのは、そ
の部分(他の文明国が受容したか?)のみである。
この意味において、韓国併合は、それが米英を初めとする列
強に認められている。

仮にどのような大きな手続き的瑕疵があり、非文明国の意志に反し
ていたとしても、当時の国際法慣行からすれば「無効」とは言え
ない

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 この時代にあってロシアは南下政策をとり、満州を占領した後に朝鮮にも手を出してきた。ロシアは北朝鮮における森林伐採権と鉱山採掘権を取得し、更に竜岩浦を占領してこれを軍港とし、その上これよりさらに南下したところの鎮海湾までも軍港にしたいと要求を出すに至ります。このような状況下にありながら、国際法さえ保障してくれれば大韓帝国の独立は保たれ続けた、などと本気で考えているのでしょうか?どう見てもアホくさい話です。そして仮に朝鮮半島がロシアの手中に入り、その上当時の世界随一の海軍兵力をここに召致させられたならば、遼東半島の軍港も含めて日本は多方向からなるロシアの脅威にさらされることになります。こうなった場合、恐らく日本は終わっていたでしょう。

 日本においては国家の存亡を左右する重要性が朝鮮にはあったのに対して、クールマス教授の「韓半島は沖縄や北海道の次に日本が求めた膨脹政策の目標地だった」とする評価は安直さに過ぎます。それならば教授は、当時の征韓論者であった西郷隆盛の失脚をどのように説明する気なのでしょうか?伊藤博文をはじめ、当初日本は朝鮮の併合には明らかに消極的でした(お金がかかりすぎますからね)。この点からもその論理の安直さが感じられます。少なくとも当時の日本は、教授の故国が生み出した「フューラー」がズデーテン地方やポーランド、そしてロシアとこれに従属する東欧衛星諸国に対して抱いていたような単純な領土拡大の野心などは持ち合わせてはいませんでしたが。

 クールマス教授は当時の国際法を批判しています。しかし私が思うに法の解釈なんてものはその時々によって如何様にも変化するものです。はっきり言えるのは、「解釈はその時代に裏打ちされたものである」ということです。そういった意味で国際法も結局は現実的な視点に立たざるを得ないのではないでしょうか。現実離れした理想を要求する法なんてものはそもそも受け入れられるわけがない(罰則規定もないし)。
 そして、当時の国際情勢を汲んであげることもせずに、現在の価値観で一方的に(当時の事象を)批判することほど滑稽なことはありません。

 あ、でも、この中央日報の記事が、教授の寄稿文の内容を恣意的に脚色したものであったならば、クールマス教授、ゴメンナサイ!


※この記事に関しては色々な批判的視点があったのが面白かったです。
 何が不公平なのか(『雑記帳』様)
 「独島の国際問題化は不公平」(『静止状態における思考記録』様)
2005/04/08のBlog
【稚拙なアジびら】

 朝っぱらからお隣がやかましい(『敬天愛人』様)。来春から使用される中学教科書の検定結果が五日、文部科学省から発表され、自らの「嗜好性」に反する内容が気に食わない一部の、いや多くの思慮の足りない方々が、朝っぱらご苦労にも声を張り上げて頑張っているわけだ。
 中でも私がこのお隣の方々に関しておかしく感じるのは、日本にも自分たちと一致した価値観を有する「良心勢力」なるものが存在し、逆に好みにそぐわない「右翼勢力」と区別しようとする思考方法です。彼らはその「良心勢力」へ一心に期待を傾け、ただでさえ甲高い電波声をさらに張り上げています。
 しかし努力している彼らには大変申し訳ないが、そんなことをしたところで日本国民一般に及ぼす影響というのは、その品性のなさによって朝食のコーヒーがちょっぴりマズくなる程度のものです。こうしたお隣の行為は、日本人に「狂犬チワワ」に似た不快感を感じさせるだけで、結局チワワ自身の腹も膨れはしない。全く無意味な行為です。

 と思っていたのですが、驚くことに日本からその「良心勢力」が名乗りを上げました。

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「つくる会」 こんな教科書でいいのか

中学生が来年度から使う教科書の検定が終わった。「新しい
歴史教科書をつくる会」が主導した歴史と公民の教科書も修
正をしたうえで、合格した。
 「つくる会」の教科書が初めて登場したのは4年前の検定だ
った。今回は2度目の検定にあたる。
 歴史教科書では、日本武尊(やまとたけるのみこと)の神話
に2ページを割いていたが、今回はなくなった。特攻隊員の遺
書も消えた。全文を載せていた教育勅語も一部の要約になった。
 しかし、天皇の重視は変わらない。実在するかどうかわから
ない神武天皇の東征が1ページも書かれている。
 何よりも問題なのは、光と影のある近現代史を日本に都合よ
く見ようとする歴史観が貫かれていることだ。

 今回、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を
解放軍としてむかえたインドネシアの人々」という囲み記事が
新たに登場した。日本が占領した地域の代表者らを集めた
「大東亜会議」もくわしく説明している。
 一方で、中国への侵略、朝鮮半島の植民地支配については
後ろ向きだ。沖縄戦についても、ひめゆり部隊や集団自決など
の悲劇には一言も触れていない。
 検定で修正されたものの、当初、満州国は関東軍だけでな
く「現地人政治家」も加わって建国された、となっていた。韓国
併合についても、一部に併合を受け入れる声もあった、と書か
れていた。検定意見を受けて修正された個所は、近代以降の
近隣諸国との関係を中心に、124カ所にのぼった。
 「つくる会」の会報は今回の歴史教科書の申請本について
「旧敵国のプロパガンダから全く自由に書かれている教科書」
と自賛している。しかし、アジアの人々に強いた犠牲を「プロパ
ガンダ(宣伝)」で片づけることはできない。
 日本を大切に思うなら、他国の人が自分の国を大切にする
心にも敬意を抱くべきだ。そうであってこそ、周りの国と互いに
理解を深めることができる。
 「つくる会」の歴史教科書は、そのバランスを欠いている。4
年前、朝日新聞は社説で、教室で使うにはふさわしくないと主
張した。今回も同じことを言わざるをえない。

 検定についても指摘しておきたい。
 竹島について、「つくる会」の公民教科書は当初、「韓国とわ
が国で領有権をめぐって対立している」と書いていた。それが
検定の結果、「韓国が不法占拠している」に修正された。
 政府見解の通りにしなければ合格しないからだが、検定でそ
こまで求める必要があるのだろうか。これでは、国定教科書と
差がなくなる。
 「検閲」ではなく、事実や通説との違いを直す役割に徹する。
検定は、本来そうしたものであるべきだ。
 重要なのは、どの教科書で学ぶかである。保護者や教師も
目を凝らし、国際社会を生きる子どもにふさわしい教科書をそ
れぞれの地域で選んでほしい。
=======================================================

 そうです。自称「アジアの味方」、朝日新聞です。
 前半は「つくる会」教科書の記述内容に対する指摘で、太平洋戦争時に日本がアジアに与えたプラス面が前回と比べて増え、マイナス面(あるいは戦争の悲惨さを訴える記述)が減ったことに関して触れて