ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | DoblogMusic | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
唐丸見聞ログ
Blog
[ 総Blog数:407件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2005/03/22のBlog
[ 11:48 ] [ 日本の蘭 ]
日本春蘭開花の時期がきました。
地の山取春蘭はもう満開です。

春蘭花物銘品
日本春蘭(富士の夕映え)朱金花
日輪銘(朱金覆輪花)珍品です。
極紅(紅色花)まだ蕾で色づきも途中。
なかなか紅色に発色せず、飼育管理が難しい品種です。
肖像権の侵害ということなので削除しました。

郷土芸能に対して人それぞれの考え方があるのは理解しています。
その伝承過程で正しく伝わったかははなはだ疑問である、と思われるモノもありますが、
伝統芸能は音だけではなく、見た目の姿(出で立ち・仕様)も含まれます。
しかし無形の郷土芸能であるからといって、明らかに違っていることを伝承することが
郷土芸能の道ではナイと想います。

無形であるがゆえ時代によって変化するのは当たり前のことです。
みんなの「なかよしクラブ」でやる郷土芸能なら内容に無関心、それでもよいでしょう。
昔の地域芸能団体はもっと芸を磨いていたし、発表の場も沢山ありました。
しかし情報が不足でしたから自己流の創作になってしまったのです。

ナニのために今回のように毎年発表するのでしょう。
団体の親睦のためだけですか、芸能の向上をみんなに観てもらうことも含まれるのでしょう。
知っていても出来ないという団体もあるし、何も知ろうとしない団体もあります。
何を知っていて出来ないのかは団体の体制・体質なのでしょうが、
誰かが指摘しなければ波紋は広がらないし気が付かないでしょう。

4つほどコメントがあり、σ(^^)を知っている人でしょうが私も不快ですから削除しました。

批判と指摘は少し意味合いが違うのですがされた側はたしかに不快でしょう、
しかし、無料といえども芸能の発表をする限りは覚悟しなければなりませんし、
発表公演とはそうモノなのです。

自己満足に終始するなら、地域の祭り場で囃していればそれでよいワケです。
発表とは指摘を受ける場所でもあるのです。
本当は指導的立場である団体が初歩的な指摘をされること自体に指摘はしないのですか?
それとも邦楽演奏のことは知らないのですか?・・・なら少しは許せますが(*^_^*)
2005/03/21のBlog
読売新聞地域版・千葉2 12版に掲載されました。

この人形は仲秀英二代目作で嘉永三年九月の墨書きがあるので、デビューは四年以降でしょう。
二代目は嘉永四年に亡くなっていますから、最晩年の作(行年三九才)です。
二代目の作と想われるのが青梅の「武内宿禰」、墨書き発見をためらっていますが二代秀英に相違有りません。
実はこの2つしか発見されていないのです、他の仲秀英は全て三代以降です。
三代は事故で五五才くらいで亡くなっておりますが、
その後は店の従業員達で製作・修理をしていたようで四代はだれも名跡していません。
ですから弥勒町の「源義家」は当然三代仲秀英になります。
丸ビル展示の正面画像。
四方幕も値打ちモンで下絵の「雲竜」は狩野探水齊筆・製作は江戸末期の中国製、
当時中国の刺繍技術は世界一で、日本では製作出来ませんでした。

刺繍の方法は違いますが、同じ下絵の四方幕が青梅の「武内宿禰」に着いています。
弥勒町の木札墨書きです。
新聞と同じ頭内部の墨書きです。
2005/03/18のBlog
[ 12:41 ] [ 彫刻(木製) ]
05.03.18 後藤本流

初代茂右衛門正綱 根本惣八(広宣)・吉田茂八(徳章)門人婿入り・東都産橋本町住。

二代茂右衛門正道 広宣長男(喜平次)。

三代茂右衛門正常 広宣二男(市蔵、後に惣八改は根本家)

四代茂右衛門正響 正常門人・磯辺歳重(磯辺知英長男)・後に五楽と改、画人となる。

五代茂右衛門正綱 正響門人・源次郎・羽州産・江戸芳町後に東都本所石原埋堀住。

六代茂右衛門正義 正常門人・磯辺正寿(長坂猪之助友雅)・本所報恩寺橋住。

七代茂右衛門不明 長坂系・東都住・後藤恒徳の伯父。

八代茂右衛門不明 長坂系・東都住

九代茂右衛門正國 二代正道系(根本、竹井)・後藤市造・常州筑波狸渕住、ここから常州住。

十代茂右衛門正忠 正國門人(平治・吉蔵・寅蔵うちの一人)・常州笠間住。

十一代茂右衛門は系統では正忠門人・後藤縫之助・藤原正重(常州笠間住)であるが、名跡した記録はない。
縫之助は明治三十四年に没するが茂右衛門は十代で途絶える。
2005/03/17のBlog
[ 12:44 ] [ 社寺参拝紀行 ]
江戸彫工後藤家の系譜は初代~五代まで判明、六・七・八・九代は不明。
十代は正忠(笠間住)
この六・七・八・九代を解き明かそうと思っているのである。

※後藤本流は四代正響より磯辺家が深く関わっている。
江戸彫工系譜を細かく調べていくと磯辺分家の正寿(三代茂右衛門正常門人)後藤正義が長坂家初代。
私の推察ではこの長坂家及び磯辺家の門人が後藤本流を継承していったと考えます。


※五代茂右衛門正綱(源次郎)の門人は
江戸・武州・相模方面が多く(江戸彫工系譜は明治中頃相模の後藤系彫工が編集)
彫工系譜に後藤本流六代以降が載らない原因がある。


※四代茂右衛門正響は磯辺本家・後妻男・歳重が名跡。

※後藤正義は三代茂右衛門正常の門人で磯辺家系図では「磯辺正寿」、後に篠沼家へ婿入りしている。
三代茂右衛門正常門人・本所報恩寺橋住は長坂友雅と後藤正義が同じ師匠と住所、
後藤正義は磯辺隆顕(杢齊次男)・後藤猪之助とある。
長坂猪之助初代友雅と磯辺分家二男・(正寿)正義は同一人物と私は思っている。

茂右衛門六代は茂右衛門正義かも。(確立高い(^^ゞ)


では七代は?
※京橋・後藤恒俊の門人・恒徳の七代孫との刻銘は磯辺・長坂系の門人に親類がいて
七代茂右衛門を名跡したゆえ、刻したのであろう。(恒徳の出身は何処か?)
長坂猪之助(後藤猪之助)の門人は数多く、七代目を探すのは困難を極めるが、
七代孫・恒徳の刻銘がヒントになる、今後の課題デス。(05.03.14)


1.又吉(本所報恩寺橋住)は初代猪之助と同じ住所なので実子なのか?
長坂二代は友雅門人・友恒(駒込産)が名跡している。

2.長坂猪之助の門人・卯之助は後に同一人物の後藤正義門人となっている。
なぜなのだろう?

3.友徳(友雅門人・久四郎・上州佐位郡伊勢崎産)
恒徳・七代孫の刻銘(墨書き)は伊勢崎神社・本殿に在ると記憶しているが、
恒徳も伊勢崎産なのでは? しかも○徳が同じなのである。

十代後藤正忠は長寿でかなりの歳で名跡している。
彼の師匠は誰なのか?

05.03.16
佐原市田宿区・荒久区の山車彫刻は十代茂右衛門・後藤正忠である。
田宿区の玉簾修繕の際 [箱の裏蓋に墨書き]があり、
十代正忠は二代茂右衛門正道の流れで磯辺系ではナイことが判ると想う。
正忠の師匠が九代茂右衛門であるから九代から二代茂右衛門正道(初代正綱・男)の流れに移ったのであろう。

初代茂右衛門正綱は根本広宣(惣八)・徳章門人で吉田徳章(茂八)へ婿入り後藤家を創立。
[根本家]は広宣門人・宣稀(弥三郎・遠州産・名人ナリ)に継承するが以後不明。
同じ広宣門人・宣能(竹井伝吉・常州筑波住)から竹井・根本を交互に名跡している。
四代まで筑波住が確認できる。

筑波といえば筑波狸渕彫工に後藤市(一)造(三)・藤原正國が居る。
この後藤市造も上手で、十代正忠の門人後藤縫之助と構図・作風が酷似している。
後藤市造の門人は後藤平治・後藤吉蔵・後藤寅蔵、この中に十代正忠が居る。


とすれば、後藤恒徳の「東都住九代」の意味も解ける。
結果、八代までの茂右衛門は東都住で長坂系ですね。
2005/03/13のBlog
[ 17:48 ] [ 江戸囃子 ]
壽獅子オコシの場面を少々・・・
フラッシュたかずにスローシャッターですから、かなりブレています。
ご了承願います。
[ 17:38 ] [ 江戸囃子 ]
今日は午前中「小篠会」の練習日で午後は佐倉囃子の発表会がありました。
フルメンバーですが、会長は観客席に居りました。
2005/03/07のBlog
[ 18:11 ] [ 江戸囃子 ]
最近は祭囃子について多くは語らないようにしています。
この世界の人は思いこみが激しいですから言葉も慎重に選ばなければナリマセン。
特に東京都下が地盤の新囃子(江戸囃子に入る)には慎重にならざるを得ません。

一時期我々も先代朗童の笛を愛用していましたが、今は誰一人として使用していません。
σ(^^)と○○さんはネットで売ってしまいました。

ナゼ皆さんあんなに高額であった篠笛を使用しなくなってしまったのでしょう、
それは我々が演奏している江戸祭囃子には不向きなんですね。
音律が違うのと明るさがありません。
ところが都下及び神奈川には朗童至上主義の方が多いのです、埼玉方面一部にも居ります。
ある掲示板で朗童の笛のハナシから、江戸囃子と江戸祭囃子はどう違ってだれが変えたのだ、
で私は返答するのに疲れましたね。

そういえば朗童の笛を探してくれと頼まれていましたが、未だ手に入りません。
何人か持っている人は知っているのですが会うことが出来ないので連絡がとれないのです。

あるナンデモやろうという囃子連が佐原囃子と水口囃子を演奏するに現朗童の笛をわざわざ買い求めに行っているらしい。
共に連管で演奏する祭囃子、佐原囃子はピッチを合わせるため一人の笛師がまとめて製作するのが普通です。
しかも6孔笛の名残、筒音を多用するのです。
管尻の長い朗童は7孔の天賦流、筒音は想定していませんから筒音は音程が合っていませんよ、と言ったらマズイですか?(^^ゞ
とりあえずご忠告申し上げます。
>間之町の半纏ですが、杯は人形に掛けているのだと思います。でも、今の半纏のメインは「杯にあ」ぢゃないですら…残念。

↑日光の手前 !
「たまりらっきょう」で有名な上澤梅太郎商店の在るところ。

間之町の人形は「猩々」(しょうじょう)ですから盃は普通に思い付きますね。
「あ」は間之町の"あ"でよろしいかと、あいうえお50音順の一番目ですからこれもヨシ。
から判断すると江戸時代ではナイ模様、間之町にも粋な人が居たんデスネ。
半纏のデザインを替えた理由に、
山車人形売却に関するイヤな思い出を払拭したい気持ちがあったのでしょうか。

山車の順番は江戸時代の祭礼時には決まっていた。
一番(横町)・上一番(加美町)・上二番(二番町)・仲町一丁目・仲町二丁目・肴町・間之町。
二番町の神酒所破風には「上二」の飾り金具がまだ附いています。

横町に関してはYK'Sさん、文化課や歴博に電話やメールをしていますね。
ただ相手先が迷惑がって応答してくれないのが実情だとおもいます。
正式に調査を依頼するとけっこう費用が掛かるので、
公の機関にハナシを取り付ければ安く済む目論みですね。(*^_^*)
社長は人形頭の目の部分からペンライトで覗いても墨書きらしきものは無いと言っていました。
頭内部額(ひたい)部に墨書きが有ると見えないのでナントモ云えませんが・・・。
まあ、三代原舟月であってホチイです、肴町もね。
σ(^^)に云わせればそのハズなんですから。(^^ゞ
2005/03/05のBlog
屋台に改造してしまったのが二番町ですが、人形は残っています。
売ってしまったのは屋台の方でして、売り先は四街道市内黒田です。

人形を売っ払っちまったと想われるのが間之町です。
町内の財産ですから人形を売っ払っちまってもモンダイはないのですが、・・・。

σ(^^)は小学生低学年のころ、祭りになると町内に展示してあったのを記憶しており、
赤い大振り毛がやけに印象的でした。
販売の方法に後ろめたいところがあり公表できないのでしょう、私には思い当たるフシがありますが、
もう数十年前に故人となっておりますので語るつもりはゴザンセン。

>あまり大切に扱われなかったのは、推測ですが、購入時ポンと大金を出してくれた大店が、その後振るわなくなったり、潰れたり…

それは確かにあります、私が子どもの頃は3.4年に一回の祭りでしたが
大店の呉服屋が祭りに掛かる費用を全て立て替えます。
呉服屋はお揃いのネルの生地や付属品が売れますから祭りは儲かります。
建て替えた費用は町内で3.4年掛け分割して返していくシステムでした。
ですから祭りをやるには金が掛かったのです、現在は各自所得が上がったし大店と云われた呉服屋も存在しません。

これだけの文化資産があるのに、山車の素性・略歴を理解しようとしない新町住民の文化的レベルに ? です。