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[ 09:57 ]
[ 祭り ]
貰い物画像ですがUPしました。
今年の天下祭りは横町の「石橋」(しゃっきょう)です。
去年は上町の「日本武尊」二代仲秀英作でした。
横町の「石橋」の作人は未だ不明です。
装束は明治十二年購入時に新調したと墨書きがあります。
今回の着付けはσ(^^)が担当しましたが、
今となっては直しが効かないので参考までに
申し上げます。
一番上に着ている袖の長い装束は法被(はっぴ)と申します。
この法被の袖上に紐が付いていましたが元から切れておりました。
石橋の出で立ちは法被の袖をタタミます。
そして側次(そばつぎ)の様にして着付けます。
着付け時裁縫道具を持っていかなかったため
そのままにしてしまいました。
袖をたためば見事な刺繍の小袖を見せることができましたね。(^^ゞ
今年の天下祭りは横町の「石橋」(しゃっきょう)です。
去年は上町の「日本武尊」二代仲秀英作でした。
横町の「石橋」の作人は未だ不明です。
装束は明治十二年購入時に新調したと墨書きがあります。
今回の着付けはσ(^^)が担当しましたが、
今となっては直しが効かないので参考までに
申し上げます。
一番上に着ている袖の長い装束は法被(はっぴ)と申します。
この法被の袖上に紐が付いていましたが元から切れておりました。
石橋の出で立ちは法被の袖をタタミます。
そして側次(そばつぎ)の様にして着付けます。
着付け時裁縫道具を持っていかなかったため
そのままにしてしまいました。
袖をたためば見事な刺繍の小袖を見せることができましたね。(^^ゞ
2005/10/24のBlog
[ 18:04 ]
[ 社寺参拝紀行 ]
今回は東総方面・香取郡と八日市場市付近をうろついていました。
かなりの収穫でしたし、系統も判別できる資料も得る事が出来ました。
香取郡の彫工は元々嶋村流ですから天保時代以降、
後藤流の台頭で仕事が激減しています。
嶋村本流は八代に当たる俊表と俊正が他流で修行し、構図・作風が以前と激変しました。
香取彫工の後継はどの様に対応したのでしょうか、興味深いです。
そのなかでいち早く対応していたのが鈴木家です。
鈴木家元祖は鈴木市右衛門鶴鳴ですが、倅・多門豊賢を後藤安五良常善の元に修行に出します。
その後藤安五良常善の作が八日市場市に三個所あります。
その内の二個所に鈴木市右衛門鶴鳴の作が有るのです。
文政年間頃は鈴木市右衛門鶴鳴まだ存命していますから、後藤安五良常善の作を観て
自分たち嶋村の流儀は遅れていることに気が付いたのだと想います。
上の画像は飯野観音(佐倉市)の向拝竜で鈴木市右衛門鶴鳴の作です。
かなりの収穫でしたし、系統も判別できる資料も得る事が出来ました。
香取郡の彫工は元々嶋村流ですから天保時代以降、
後藤流の台頭で仕事が激減しています。
嶋村本流は八代に当たる俊表と俊正が他流で修行し、構図・作風が以前と激変しました。
香取彫工の後継はどの様に対応したのでしょうか、興味深いです。
そのなかでいち早く対応していたのが鈴木家です。
鈴木家元祖は鈴木市右衛門鶴鳴ですが、倅・多門豊賢を後藤安五良常善の元に修行に出します。
その後藤安五良常善の作が八日市場市に三個所あります。
その内の二個所に鈴木市右衛門鶴鳴の作が有るのです。
文政年間頃は鈴木市右衛門鶴鳴まだ存命していますから、後藤安五良常善の作を観て
自分たち嶋村の流儀は遅れていることに気が付いたのだと想います。
上の画像は飯野観音(佐倉市)の向拝竜で鈴木市右衛門鶴鳴の作です。
2005/10/16のBlog
[ 10:21 ]
[ 祭り ]
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[ 17:03 ]
[ 江戸囃子 ]
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[ 13:19 ]
[ 祭り ]
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[ 15:31 ]
[ 江戸囃子 ]
2005/10/04のBlog
[ 13:04 ]
[ 江戸囃子 ]
2005/10/02のBlog
[ 15:45 ]
[ 社寺参拝紀行 ]
今回は全て参拝したことがあり、問題なく拝見できた。
近くまで行って拝見できなかった寺院もあったが
ヨシ ! としましょう。

