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国道のある風景
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2007/11/09のBlog
[ 17:59 ] [ 用語 ]
国道には番号が振られていますが、一体、何号まであるのでしょうか?

という質問を頂きました。

はい、507号までです。ただし、欠番があります。

という風に答えられますが、ちょっと解説いたします。
それを語るには、ちょっとだけ、歴史の話をしなければなりません。

以下、うんちくが苦手な方は、読み飛ばしてください。

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国道整備の始まり、1級国道と2級国道
第二次大戦の敗戦後、日本に進駐した連合軍によって、道路整備が進められることになりますが、このとき、「1級国道」と「2級国道」の優劣を付けて、国道を整備することになりました。
1級国道とは、ご想像の通り、国土の骨格を成し、都道府県庁所在地を連絡するような国道です。当初は、1号から40号までが制定されました。
2級国道とは、1級国道の補助的な役割を担ったり、港湾や空路とも連絡したりするような国道です。2級国道は全て3桁の番号が割り当てられ、当初は101番から244号までが制定されました。
つまり、この時点では、1号から40号の1級国道と、101号から244号までの2級国道がありました。

増える1級国道と2級国道
その後、国道は必要に応じて、1950年代から60年代にかけて、追加指定がされました。
特に重要な国道は1級として、そうでない国道は2級として指定されていきます。
この時点では、1号から57号の1級国道と、101号から271号の2級国道がありました。

1級・2級の区分の廃止と沖縄返還
1965年に1級と2級に区分する方法が廃止されました。
これ以降に追加された国道は、すべて3桁とすることになりました。
ただし、1972年に沖縄が日本復帰した時は、特例として「鹿児島=那覇」を国道58号として2桁番号に指定されました。

国道番号の追加の経緯
1970年、272号から328号が追加。
1972年、58号と329号から332号が追加(全て沖縄の国道)
1975年、330号から390号
1982年、391号から449号
1993年、450号から507号

ところが、まだある欠番
109号 →108号と統合したために欠番になりました。
110号 →1級国道として昇格し、48号となったために欠番になりました。
111号 →1級国道として昇格し、45号となったために欠番になりました。
214号から216号 →3路線が統合して57号となったために欠番になりました。

ということで、正解は…
というような経緯を経て、国道番号は以下のようになっています。
「国道は、1号から58号までと、101号から507号までがあります。
ただし、109から111と、214から216は欠番です」

2007/11/05のBlog
[ 00:03 ] [ 国道男 2007以前 ]
丹後半島をぐるっと回るR178。
かなり大回りするので、走破がついつい後回しになっていて、ようやく行くことが出来ました。

この日は、沿道のあちこちで、神社の例大祭が行なわれていて、おみこしも国道を通っていました。

車を停めた、この地点も、実はおみこしが国道を通っていたために、交通整理係の方に車を停められたところでした。
ちょうどその脇に、車を停めておけるスペースがあったので、急きょ車から降りて、カメラを持って、国道をおみこしが通る光景を収めようとしました。

ところが、カメラの電池が切れていて、電池交換の間におみこしは行ってしまいました…

まだ走ったことのない道路を走る感動は、こうしたアクシデントも含めて、とても心に残ります。
そして、心に残った道路は、もう一度走りに行きたい、と思います。

走破を終えた国道でも、もう一度、行きたいと思う国道があります。
このR178は、そんな国道だと思います。
また、行きましょう…
2007/11/04のBlog
今日からR441の紹介です。
R441は、愛媛県大洲市が起点で、高知県四万十市(旧中村市)が終点。
大洲市から、肱川流域の山間部を走る幅員の狭い峠をいくつか越えたあと、四万十川に寄り添いながら、中村市に向かう国道です。
今回は、西土佐村で四万十川に沿って走る区間を紹介します。
なお、広見町から西土佐村までの区間はR381と重複していて、このブログでも既に紹介済みです。
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四万十川と吉野川の合流地点(高知県四万十市)
中村市と合併した西土佐村は、四万十川流域の村で、現在は四万十市という名称に変わった。
山間部を蛇行する四万十川は、西土佐村で南向きに流れを変える。
この地点で支流の吉野川が合流し、ここに旧・西土佐村の中心部、江川崎地区がある。
R381とR441の2つの国道が分岐する江川崎地区には、鉄道駅もあって、愛媛と高知を結ぶ交通の要衝になっている。
写真の橋は、四万十川の支流、吉野川を渡る新川崎橋で、写真左手には四万十川との合流地点がある。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
四万十川(高知県四万十市)
急峻な山間部を流れる四万十川は、蛇行を繰り返す川としても有名だ。
蛇行する川には、カーブの外側の「淵」と内側の「瀬」が出来る。
比較的平坦な地形が出来やすい「瀬」の部分に集落が続く。
四万十川に沿って走る国道も、「瀬」を走ったり、「淵」を走ったりする。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
津大橋(高知県四万十市)
これまで四万十川の右岸を走ってきた国道は、津大橋で左岸に渡る。
川の両岸には集落があって、両岸に道路が通っているが、津大橋より南側には道路は片側のみになる。
津大橋のある津野川地区は、目黒川と合流する地区で、比較的大きな集落がある。
津大橋を渡ると、国道は幅員の狭い未整備の区間が続く。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図

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R441データ
起点:愛媛県大洲市
終点:高知県中村市
経過地:広見町、西土佐村
距離:110.9km(道路時刻表'05参考)
2007/10/30のBlog
[ 00:34 ] [ 用語 ]
日本国憲法では特に明記されていないが、国によっては「移動の自由」が憲法に明記されているところもあります。
「移動の自由」のことを「交通権」と言ったりします。
日本国では、憲法第22条の「居住移転の自由」などを根拠とする主張がされているそうです。

しかし、この「移動の自由/交通権」を行使するには、いくつかの問題点があると考えています。

(1)「移動の自由」には格差があること
自由に移動するためには、移動のための手段が必要です。
ある程度の所得があって、健康な人であれば、車に乗ったり、電車に乗ったりすることができます。
しかし、離島のように交通費がかさむ所に住む人や、身体に障害などがあって、自由に移動できない人もいます。
一般的には、移動の自由をなかなか行使できない方々に対して、公的支援がなされています。
離島航路の税金投入や、駅のバリアフリー改修などがそうです。
さらには、「移動の自由」の地域格差を解消することを根拠として、道路整備も進められています。

(2)「移動の自由」の行使に必要なインフラ
人が移動するためには、「道」が必要です。
陸路、鉄路、海路、空路…いろんな「道」が整備されている必要があります。
これらのうち、どの「道」を選択できるか、という選択肢の広さによって、自由度が増します。
逆に、選択肢が少なければ自由度が減り、「移動の自由」の行使が難しくなります。
移動の自由を保障するためには、道路や公共交通機関の整備が必要になってきます。
つまり、「移動の自由」という個人の権利を保障するためには、公共による投資が必要だという考えです。
多額の税金を投入して、「移動の自由」を保障すべきかどうか、という議論に展開して行きます。

(3)そもそも「移動の自由」は必要か?
交通機関が無かった昔は、移動するには徒歩のみが頼りでした。
徒歩では移動距離に個人差があります。
徒歩しかない時代には、「移動」というのはごく限られた人しかできなかったものです。
「自分の足で移動したい人は、どうぞ自分で。自分の足で歩けない人は、移動できないのが当たり前」というのが、昔の話。
現代では交通機関が発達して、移動距離に個人差がなくなり、誰でも旅ができるようになりました。
また、「人」だけでなく「物」も移動するようになり、色んな物を手にできる時代になりました。
こうした便利な交通機関があることを前提にして成り立つ「移動の自由」は、そもそも必要なのか、というふうに思います。

(4)移動がもたらす影響
物理学的には、静止している物が水平方向に移動を開始する時、必ずエネルギーを必要とします。
そのために、どんな交通機関でもエネルギーを必要とし、資源を必要とし、温暖化ガスを出す機関もあります。
人間が「移動したい」という欲求を持つ限り、エネルギー確保の問題に必ず直面します。
それが石油由来のエネルギーであれば、必ず温暖化問題に直面します。
ちなみに、エレベーターのような垂直方向の移動であれば、地球の重力エネルギーを活用できます。

つまり…
「移動の自由」を得るために、自由に移動できる幸福を得るために、人類はもっと、相当な努力をしなければならないのではないか…
と、ちょっと思っています。
それができなければ、人類は「移動の自由」をあきらめるべきではないか…
とも思っています。

きっと、道はその幸福を実現する役に立っている、と信じています。
2007/10/28のBlog
松丸地区と吉野地区をつなぐ(愛媛県松野町)
松丸町と吉野生村が合併してできた松野町は、松丸地区と吉野地区の2つの市街を持つ。
2kmほど離れている両地区をつなぐ国道は、吉野川(広見川)と並行して走る。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

三間川沿いの水田地帯(愛媛県鬼北町)
四万十川の支流、吉野川が流れる鬼北盆地は、三間町、広見町、松野町から成る。
三間町からは三間川が流れ、広見町からは吉野川が流れ、この盆地でそれぞれが合流し、松野町を経て、四万十川の本流に向かう。
広見町と日吉村が合併して鬼北(きほく)町となったが、この盆地の名が由来だ。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

R441との分岐点(愛媛県鬼北町)
高知県西土佐村と愛媛県広見町の間を重複してきたR381とR441は、写真の交差点で分岐する。
写真には青看板があるが、これはR381とR320の交差点(T字型)を示すもので、R441との交差点(ト字型)は、その手前にある。
R441交差点には信号が無いが、鬼北町(旧広見町)の中心部へはR441に入る。
R381は、青看板のある交差点でR320とぶつかったあと、R320と重複して宇和島市を目指す。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

R441(愛媛県鬼北町)
R381と別れたR441は、すぐにJR予土線の踏切を渡って、古い集落の中へと入っていく。
この狭い道をぬって行くと、鬼北町の役場のある中心部へ向かう。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図

R381の紹介はおしまい
R381は、R320とT字でぶつかり、R320と重複して宇和島市へ向かいます。
今回のR381の紹介はこれで終わり。
次回からは、また高知県西土佐村に戻って、中村市へ向かうR441を紹介します。

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R381データ
起点:高知県須崎市
終点:愛媛県宇和島市
経過地:窪川町、大正町、西土佐村、広見町
距離:43.4km(道路時刻表'05参考)

R441データ
起点:愛媛県大洲市
終点:高知県中村市
経過地:広見町、西土佐村
距離:110.9km(道路時刻表'05参考)
2007/10/25のBlog
吉野川の蛇行区間(愛媛県松野町)
高知県四万十市に河口を持つ四万十川は、高知県と愛媛県にまたがる一級河川だ。
その支流の1つ、吉野川(広見川とも言う)は愛媛県に源流を持つ川で、高知県境付近から四万十川の合流付近にかけては、大きく蛇行を繰り返す川だ。
この吉野川に沿う国道も大きくカーブを繰り返しながら走り、対岸のJR線もカーブを繰り返す。
山の斜面が川に落ち込む渓谷となっているので、沿道には集落は少ない。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

真土地区(愛媛県松野町)
蛇行する川のカーブ地点には「瀬」と「淵」ができ、「瀬」の部分は比較的平坦な地形で、集落も出来ている。
真土地区はそんな集落の1つだが、集落は国道とは対岸にあり、JR予土線の駅がある。
写真は「淵」の部分だが、川の合流地点でもあって、小さな平地部ができていて、水田などが広がっている。
集落は斜面麓に張り付くように集まっている。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

吉野地区(愛媛県松野町)
松野町は、松丸町と吉野生(よしのぶ)村が合併して、その両名を合わせて出来た。
その吉野生村の中心部が吉野地区で、JR予土線の吉野生駅に旧村名が使われている。
坂を下ってくる国道からは、吉野地区の全容を眺めることができ、黒を基調にした屋根の家屋が連なっている。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

吉野地区の市街(愛媛県松野町)
旧吉野生村の中心部であった吉野地区の中を走る国道は、まさに旧集落の中を走るので、幅員が狭い。
駅や郵便局などもある集落で人通りもある。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間


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R381データ
起点:高知県須崎市
終点:愛媛県宇和島市
経過地:窪川町、大正町、西土佐村、広見町
距離:43.4km(道路時刻表'05参考)

R441データ
起点:愛媛県大洲市
終点:高知県中村市
経過地:広見町、西土佐村
距離:110.9km(道路時刻表'05参考)
2007/10/21のBlog
今日からR381の紹介です。
R381は、高知県須崎市が起点で、愛媛県宇和島市が終点。
須崎市からR56と重複して窪川町に向かい、窪川町から四万十川に沿って進み、四万十川中流の西土佐村で四万十川と別れて愛媛県に入ったあと、広見町からはR320と重複して宇和島市に至る国道です。
今回は、西土佐村で四万十川と別れるところから紹介します。この区間はR441とも重複しています。
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旧・西土佐村の中心部、江川崎地区(高知県四万十市)
四国山地から発する四万十川は、幾度も流れの向きを変えながら、四万十市(旧・中村市)で大平洋に注ぐ川だ。
四万十川の支流、吉野川(広見川とも呼ばれる)は愛媛県から流れ出る川で、四万十川とは西土佐村の江川崎地区で合流する。
この合流地点に、村の中心部があり、R441との交点がある。
四万十川も吉野川も、川の蛇行が激しく、深い谷を作っていて、ところどころに出来る河岸段丘上に集落が出来ている。
四万十川沿いは基本的に山深い地域であるが、江川崎地区より上流側は鉄道も通り、下流側よりも開けている。
西土佐村は、中村市と合併して、「四万十市」となった。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との交差点

吉野川沿いの河岸段丘(高知県四万十市)
高知県東部の深い山間部を流れる四万十川と支流の吉野川は、何度も蛇行を繰り返しながら谷を作っている。
谷は、深く急峻で、ところどころに出来る河岸段丘上に集落や田畑が集まっている。
国道も吉野川に沿って進むので、川の蛇行に併せて、大きなカーブが連続する。
川を挟んだ対岸には、JR予土線が通る。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間

高知県・愛媛県境(高知県四万十市・愛媛県松野町境)
吉野川沿いに進んでいく国道は、途中で高知県と愛媛県の県境を越える。
県境付近でも河岸段丘上の集落が並んでいて、集落の中に県境がある、というところだ。
(04.05.03.撮影)Yahoo地図
R441との重複区間


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R381データ
起点:高知県須崎市
終点:愛媛県宇和島市
経過地:窪川町、大正町、西土佐村、広見町
距離:43.4km(道路時刻表'05参考)

R441データ
起点:愛媛県大洲市
終点:高知県中村市
経過地:広見町、西土佐村
距離:110.9km(道路時刻表'05参考)
2007/10/20のBlog
[ 21:56 ] [ 国道男 2007以前 ]
1週間ぶりです、ご無沙汰しております。

この間、皆さまから寄せられたコメントを拝見し、とても考えておりました。
「返事を書かなきゃ…」と思いつつ、放置しておりました。

本来は、頂いたコメントの1つ1つにお返事をすべきですが、恐らく同じ回答を繰り返してしまうことになってしまうので、恐縮ですが、まとめて回答いたします。

…といっても、まだまだ、考えが固まっていないところです。
つまり、何かが分かるまで、国道を走り続けるしかないような気がします。
--
国道を走りながら見える日本の風景は、綺麗なものもあるし、汚いものもあります。
もちろん、国道からの風景だけが、日本の風景ではないです。
でも、道から見える風景は、その町や村を代表する風景でもあります。
特に、通行人にとっては、道から見える風景は、その町を知るための大切な情報源になります。
その風景がきれいなら、通行人は足を止めて、単なる「通行人」から「訪問者」になってくれます。
訪問者は、その地域に何らかの足跡を残し、地域に刺激を与えます。

だから、道からの風景は、決しておろそかにしてはいけないと、思うのです。

でも、風景は、僕一人では作れないし、守れない。
僕ができることは、「日本の風景」をカメラに収めて、ブログで公開することだけ。

地域の人が、地域の手で、時間をかけて作っていくしかないです。
このブログを見た人に、是非、日本の風景を作り守ってもらいたいと願います。
--
というのが、今、分かったことです。

これを頂いたコメントに対するお返事、ということにさせてください。

今後もまた、これまでと同じように、国道を紹介する記事を書いていく予定です。
ですが、書く時間がなかなか取れないので、散発的な記事更新になります。
その点を御容赦下さい。
いつもご訪問のみなさま、毎度ありがとうございます。

免許取得後15年に渡り、精力的に全国を回ってきました。
国道走破は、自分の専門領域に関する見聞を広げることに役立っています。
また、それをブログを通じて公開することで、より多くの人に「日本」を伝えたいと思い、半人前ながらの調査もしてまいりました。
さらには、「道」を通じて、人類が長い年月をかけて築いてきた交通という文明について考えたり、道路という公共事業や災害対策について考えたり、してきました。
ご訪問の皆様にも、道路について考えてもらったり、道路に親しんでもらいたい、という願いも込めて、ブログを展開してきました。

この僕自身の「道に対する思い入れ」と、皆様の暖かい応援に励まされ、国道走破を続けております。

しかし、15年も走り回ってもなお、まだ見ぬ日本が残されています。
残すところ、未走破の国道はあと9%というところまで来ました。

ここに来て、僕は、残り9%の走破も含め、国道走破そのものについての意義に疑問を持ち始めました。
具体的には、
1)国道走破は自己満足であり、何も生まないこと。
2)車のスピードでは速すぎて、見聞の広がりはあまり期待できないこと。
3)車によって自然破壊、地球破壊などに影響を及ぼしていること。
などなど…

そして何より、当初、「日本を知りたい」という目的だったところが、「国道を走破したい」という目的に変わっていることに、違和感を感じております。
国道を走破するのに、いろんなものが犠牲になっている気がしております。

実はこのことは、もっと前から、2、3年ほど前から、悩んできたことです。
車で通るだけだった国道走破から、カメラを持って車から降りてみる国道走破にチャレンジしたのも、その悩みから生まれた解決策の一つでした。
それでもやはり、まだ悩みは解決できません。

このたび、初心に返るべく、何をすれば世の役に立つのか、考え直したいと思っております。
しかし、その方法がまだ分かりません。
国道走破を継続することも1つの方法かも知れませんが、もっと他に方法があるかも知れません。
もっと、生産的なことにチャレンジしたいところですが、知恵が無く、非常に悩んでいるところです。

以上、最近、ブログ更新がおろそかになっている理由でもありますが、皆様のご意見やご感想などもいただければ幸いです。
どうかよろしくお願いいたします。

追伸
ということを言い訳にして、しばらくの間、これまでのように、更新がまばらになります。
2007/10/14のBlog
[ 20:45 ] [ 走行日誌2007年 ]
嵐山PA…関越道…小千谷IC…R291…柏崎…R252…柏崎…R8…柏崎…R116…出雲崎…R352…出雲崎…R402…巻…R460…阿賀野…R49…津川IC…磐越道…磐梯河東IC…R49…会津若松…R294…黒羽…R461…大田原…R4…矢板IC…東北道…首都高…自宅

昨夜は、柏崎まで走って、道の駅で就寝しました。
朝はとても寒くて、何度も目が覚めてしまい、寝不足のまま国道撮影スタート。

出雲崎から日本海沿いを走ってきました。
天気が良く、佐渡島が良く見えました。
写真は、信濃川の分水路、「大河津分水路」を渡る、R402の野積橋。
橋の向こうは、もう日本海です。

その後は、会津を越えて福島県に入り、東北道に乗って帰ってきました。