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2008/06/07のBlog
[ 00:17 ]
[ 国道男 2008 ]
国道男の父の父、つまり祖父は、6月3日の夜、永遠の旅に発ちました。
この日の朝、僕は大阪で出会った方に案内されて、大阪の水路を巡る船に乗せてもらいました。
前日、話が盛り上がって、急きょ船遊びをすることになったのですが、こんな楽しい出張になるとは予想外でした。
そのおかげで、大阪を出発する時間が大幅に遅れて、昼過ぎに大阪を出発。
帰宅が遅くなると、翌朝の出勤が辛いので、大阪からトイレ休憩以外の休憩はまったく取らずに、高速道路を突っ走って帰ってきました。
家に着く直前の大井松田インター付近を走行中の19時半頃、胸ポケットに入れてあった携帯電話にメール着信がありました。
高速走行中なのでメールは読まず、「いったい誰からだ?どうせ会社からだろうな」などと思いながら、軽い気持ちでいました。
帰宅して車庫入れを終えてから、そのメールを開くと姉からでした。
「おじいちゃん、かなり調子が悪く予断を許さない状況。見舞いに行って。」
姉の旦那は医者で、祖父の主治医でもあって、祖父の容態は姉から逐一報告が来るようになっています。
体調不良で入院してから3ヶ月、あまり容態は良くないものの、意識ははっきりしているので、家族みな「その日」が来るのはもっと先のこと、と思っていました。
この「予断を許さない」とは、いったい何なのか、よく分からないまま、「明日から会社だし、見舞いに行くのは土日か…」なんて考えていました。
ところが、今度は父から連絡が。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。病院に行きたいんで、乗せて行ってくれ。」
帰宅して玄関を開けた、まさにその瞬間のことでした。
大阪の水路で雨やら水しぶきをかぶって、ちょっと生臭い服を着たまま、すぐさま両親を車に乗せて病院へ向かいました。
車内にいる3人、誰も何も言わず、信号待ちがとても長く感じました。
早く病院に着きたい…
早くおじいちゃんに会いたい…
「その日」はもう近い…
おじいちゃん、病院に着くまではなんとか…
そんなことを、純粋に願いながら、片道たったの10分の病院への道に車を走らせました。
病院に着くと、足腰の悪い母と父を病院の玄関先でまず降ろして、僕はちょっと離れた駐車場に車を置きました。
車を置くと、病院までは走って行きました。
夜遅い病院のメイン入口は閉鎖されているので、守衛さんのいる通用口から入り、
「○○の孫ですが、何号室ですか?」と守衛に告げると
「4階に行って、ナースステーションに聞いてくれ」とのこと。
ナースステーションの夜はけっこう暇そうで、2人のスタッフが談笑していたのですが、こっちはそれどころじゃない。
「○○の孫ですが、何号室ですか」
「421号室です」
やっと着いたよ、おじいちゃんのところへ。
病室にはすでに、おじいちゃんの子供である叔父や叔母なども集まっていましたが、全員が集まってるわけではありませんでした。
僕は病室に着くや、すぐにおじいちゃんのベッドの脇に行きました。
口元に呼吸器が付けられ、その脇には、なにかブクブクと言う管が付けられていました。
でもちゃんと、おじいちゃんは呼吸をしていました。
意識は全く無く、誰が声をかけても、ピクリとも動きません。
でも、呼吸だけはしていました。
主治医である義兄は、祖父とは血縁関係はないので、冷静に黙って様子を見ていました。
しかし、「もうダメなの?」とか「どこが悪いの?」とか、親族がもっとも知りたい質問には、とても客観的で頼りがいのある回答をしてくれました。
冷たいような答えですが、それがかえって親族を冷静にさせていたように思います。
病院にいること1時間。
ぞくぞくと親族が集まってきます。
そして、みな、一様におじいちゃんの呼吸を確認すると安心していました。
呼吸をしていることが、親族を安心させていました。
みな黙って座っているのではなく、親族同士の雑談なんかもしながら、「その日」はきっとまだ先のことのような雰囲気になっていました。
ただ僕は、ベッドの脇で鳴っている「ブクブク」が妙に気になり、それがとても不快でした。
僕は黙ってソファーに座って「ブクブク」を聞いているのは嫌だったので、ソファーから立ち上がっておじいちゃんの脇に立った時のこと。
さっきまでの呼吸が止まったように感じました。
間隔の長い呼吸なので、「次の呼吸」がいつ来るか、または、もう来ないのか、とてもハラハラしていたのですが、とうとう次の呼吸が無くなってしまいました。
「あれ、呼吸してないよね…」というと、雑談していた人もみな黙り、
「ね、呼吸してないよね」
「…ホントだ」
という感じで、みなシーンと静まり返りました。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。」という連絡を受けた、ちょうど1時間後のことでした。
ホントに1時間、ぴったり。
主治医である義兄は、かなり有能らしい…ということは、これで分かったのですが。
おじいちゃんの呼吸が止まった。
近しい親族がみな集まった中で、おじいちゃんは呼吸を止めて、旅立った。
みな集まるまで、なんとか呼吸を続けていたおじいちゃん。
確かに、さっきまで、生きていた。
でも、もう動かない。
その境目の瞬間を見てしまった。
「その日」はやってきてしまった。
正式に死亡を確認したのも、主治医の義兄。
悲しい、という気持ちは無かった。
なんか、あっけなかった。
「次の呼吸」を期待して見守っていたのだが、その「次の呼吸」が無くなった…ただそれだけ。
涙は出てこなかった。
この日の午前中、大阪で船に乗っていた時のハイテンションが続いていたのだろうか。
それとも、94年を生きたおじいちゃんの「死」とはそういうものなのだろうか。
方丈さんの都合で、通夜は日曜、葬儀は月曜。
それまで、おじいちゃんは、自宅に帰って、安らかに眠っています。
6月3日。
大阪の街を船で案内してくれた人と出会い、
その結果、休憩無しで高速道路を走るハメになり、
そのおかげで、おじいちゃんの旅立ちを見送ることができた、
という日になりました。
この日の朝、僕は大阪で出会った方に案内されて、大阪の水路を巡る船に乗せてもらいました。
前日、話が盛り上がって、急きょ船遊びをすることになったのですが、こんな楽しい出張になるとは予想外でした。
そのおかげで、大阪を出発する時間が大幅に遅れて、昼過ぎに大阪を出発。
帰宅が遅くなると、翌朝の出勤が辛いので、大阪からトイレ休憩以外の休憩はまったく取らずに、高速道路を突っ走って帰ってきました。
家に着く直前の大井松田インター付近を走行中の19時半頃、胸ポケットに入れてあった携帯電話にメール着信がありました。
高速走行中なのでメールは読まず、「いったい誰からだ?どうせ会社からだろうな」などと思いながら、軽い気持ちでいました。
帰宅して車庫入れを終えてから、そのメールを開くと姉からでした。
「おじいちゃん、かなり調子が悪く予断を許さない状況。見舞いに行って。」
姉の旦那は医者で、祖父の主治医でもあって、祖父の容態は姉から逐一報告が来るようになっています。
体調不良で入院してから3ヶ月、あまり容態は良くないものの、意識ははっきりしているので、家族みな「その日」が来るのはもっと先のこと、と思っていました。
この「予断を許さない」とは、いったい何なのか、よく分からないまま、「明日から会社だし、見舞いに行くのは土日か…」なんて考えていました。
ところが、今度は父から連絡が。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。病院に行きたいんで、乗せて行ってくれ。」
帰宅して玄関を開けた、まさにその瞬間のことでした。
大阪の水路で雨やら水しぶきをかぶって、ちょっと生臭い服を着たまま、すぐさま両親を車に乗せて病院へ向かいました。
車内にいる3人、誰も何も言わず、信号待ちがとても長く感じました。
早く病院に着きたい…
早くおじいちゃんに会いたい…
「その日」はもう近い…
おじいちゃん、病院に着くまではなんとか…
そんなことを、純粋に願いながら、片道たったの10分の病院への道に車を走らせました。
病院に着くと、足腰の悪い母と父を病院の玄関先でまず降ろして、僕はちょっと離れた駐車場に車を置きました。
車を置くと、病院までは走って行きました。
夜遅い病院のメイン入口は閉鎖されているので、守衛さんのいる通用口から入り、
「○○の孫ですが、何号室ですか?」と守衛に告げると
「4階に行って、ナースステーションに聞いてくれ」とのこと。
ナースステーションの夜はけっこう暇そうで、2人のスタッフが談笑していたのですが、こっちはそれどころじゃない。
「○○の孫ですが、何号室ですか」
「421号室です」
やっと着いたよ、おじいちゃんのところへ。
病室にはすでに、おじいちゃんの子供である叔父や叔母なども集まっていましたが、全員が集まってるわけではありませんでした。
僕は病室に着くや、すぐにおじいちゃんのベッドの脇に行きました。
口元に呼吸器が付けられ、その脇には、なにかブクブクと言う管が付けられていました。
でもちゃんと、おじいちゃんは呼吸をしていました。
意識は全く無く、誰が声をかけても、ピクリとも動きません。
でも、呼吸だけはしていました。
主治医である義兄は、祖父とは血縁関係はないので、冷静に黙って様子を見ていました。
しかし、「もうダメなの?」とか「どこが悪いの?」とか、親族がもっとも知りたい質問には、とても客観的で頼りがいのある回答をしてくれました。
冷たいような答えですが、それがかえって親族を冷静にさせていたように思います。
病院にいること1時間。
ぞくぞくと親族が集まってきます。
そして、みな、一様におじいちゃんの呼吸を確認すると安心していました。
呼吸をしていることが、親族を安心させていました。
みな黙って座っているのではなく、親族同士の雑談なんかもしながら、「その日」はきっとまだ先のことのような雰囲気になっていました。
ただ僕は、ベッドの脇で鳴っている「ブクブク」が妙に気になり、それがとても不快でした。
僕は黙ってソファーに座って「ブクブク」を聞いているのは嫌だったので、ソファーから立ち上がっておじいちゃんの脇に立った時のこと。
さっきまでの呼吸が止まったように感じました。
間隔の長い呼吸なので、「次の呼吸」がいつ来るか、または、もう来ないのか、とてもハラハラしていたのですが、とうとう次の呼吸が無くなってしまいました。
「あれ、呼吸してないよね…」というと、雑談していた人もみな黙り、
「ね、呼吸してないよね」
「…ホントだ」
という感じで、みなシーンと静まり返りました。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。」という連絡を受けた、ちょうど1時間後のことでした。
ホントに1時間、ぴったり。
主治医である義兄は、かなり有能らしい…ということは、これで分かったのですが。
おじいちゃんの呼吸が止まった。
近しい親族がみな集まった中で、おじいちゃんは呼吸を止めて、旅立った。
みな集まるまで、なんとか呼吸を続けていたおじいちゃん。
確かに、さっきまで、生きていた。
でも、もう動かない。
その境目の瞬間を見てしまった。
「その日」はやってきてしまった。
正式に死亡を確認したのも、主治医の義兄。
悲しい、という気持ちは無かった。
なんか、あっけなかった。
「次の呼吸」を期待して見守っていたのだが、その「次の呼吸」が無くなった…ただそれだけ。
涙は出てこなかった。
この日の午前中、大阪で船に乗っていた時のハイテンションが続いていたのだろうか。
それとも、94年を生きたおじいちゃんの「死」とはそういうものなのだろうか。
方丈さんの都合で、通夜は日曜、葬儀は月曜。
それまで、おじいちゃんは、自宅に帰って、安らかに眠っています。
6月3日。
大阪の街を船で案内してくれた人と出会い、
その結果、休憩無しで高速道路を走るハメになり、
そのおかげで、おじいちゃんの旅立ちを見送ることができた、
という日になりました。
2008/06/04のBlog
[ 10:48 ]
[ 走破日誌2008年 ]
2008/06/03のBlog
[ 07:57 ]
[ 走破日誌2008年 ]
綾部…R173…瑞穂…R9…八木…R477…京都…R367…京都…R171…大山崎IC…名神…吹田JCT…中国道…吉川IC…R428…神戸…R43…大阪
日曜の夜は赤松PAに停泊して、スダレのベッドで快適に眠りました。
翌朝の昨日は、大阪港やら内部河川を見て周り、夕方に居酒屋で人に会いました。
話が盛り上がって、今日は居酒屋のマスターに誘われて、大阪の川にモーターボートを出してくれることになりました。
帰宅時間が遅くなりそうですが、大阪で船に乗れるなんて、めったにないチャンスなんで、期待してます。
昼には帰路につきます。
日曜の夜は赤松PAに停泊して、スダレのベッドで快適に眠りました。
翌朝の昨日は、大阪港やら内部河川を見て周り、夕方に居酒屋で人に会いました。
話が盛り上がって、今日は居酒屋のマスターに誘われて、大阪の川にモーターボートを出してくれることになりました。
帰宅時間が遅くなりそうですが、大阪で船に乗れるなんて、めったにないチャンスなんで、期待してます。
昼には帰路につきます。
2008/06/01のBlog
[ 19:59 ]
[ 走破日誌2008年 ]
三田…R176…池田…R173…川西…R477…亀岡…R372…亀岡…R423…池田…R173…瑞穂…R9…福知山(引き返し)…R9…丹波…R27…舞鶴…R177…舞鶴港(引き返し)…R177…舞鶴…R27…綾部
昨日の仕事の後は、三田の方々と酒を飲み、良い感じに酔って、旅館で眠りました。
これまで一緒だった、東京の先生や学生たちとは、今朝、旅館で別れて、それ以降、いつもの一人旅です。
神戸大阪近郊の未走破国道を消化して、京都府内を周り、綾部の温泉につかったところです。
明日は、朝から大阪見学で、夕方には人に会うことになっていて、ホテル泊です。
今日は今回唯一の車中泊なんで、スダレに囲まれたベッドを楽しみます。
昨日の仕事の後は、三田の方々と酒を飲み、良い感じに酔って、旅館で眠りました。
これまで一緒だった、東京の先生や学生たちとは、今朝、旅館で別れて、それ以降、いつもの一人旅です。
神戸大阪近郊の未走破国道を消化して、京都府内を周り、綾部の温泉につかったところです。
明日は、朝から大阪見学で、夕方には人に会うことになっていて、ホテル泊です。
今日は今回唯一の車中泊なんで、スダレに囲まれたベッドを楽しみます。
2008/05/30のBlog
[ 21:56 ]
[ 走破日誌2008年 ]
[ 14:51 ]
[ 走破日誌2008年 ]
今日から、神戸・大阪出張です。
いつもの国道家出と違って、荷物が多いです。
出張先で交流する学生たちとパーティがあって、ライブ演奏をすることになり、スネアやらペダルやら譜面台やら、ドラム関係の機材が載ってます。
一応仕事なので、デッかいビジネス鞄なんかもあったり、車中泊用の寝袋があったり、後部座席は満載です。
今夜中には神戸に入ります。
神戸までは時速90キロの旅です。
いつもの国道家出と違って、荷物が多いです。
出張先で交流する学生たちとパーティがあって、ライブ演奏をすることになり、スネアやらペダルやら譜面台やら、ドラム関係の機材が載ってます。
一応仕事なので、デッかいビジネス鞄なんかもあったり、車中泊用の寝袋があったり、後部座席は満載です。
今夜中には神戸に入ります。
神戸までは時速90キロの旅です。
2008/05/28のBlog
[ 20:56 ]
[ 国道男 2008 ]
とある教授と、その学生たちとの付き合いで、大阪・神戸へ行くことになりました。
神戸にある大学の学生たちと、ちょっとした交流会があり、それに参加することになりました。
大阪に行ったついでに、自分の研究テーマの参考になりそうな方々にお会いしたり、ちょっぴり国道走破を楽しんだり…
なんて、段取りを考えています。
もちろん、会社の勤務外なので、欠勤扱いになります。
だったら、遊びますよ、大阪で。
---
神戸にある大学の学生たちと、ちょっとした交流会があり、それに参加することになりました。
大阪に行ったついでに、自分の研究テーマの参考になりそうな方々にお会いしたり、ちょっぴり国道走破を楽しんだり…
なんて、段取りを考えています。
もちろん、会社の勤務外なので、欠勤扱いになります。
だったら、遊びますよ、大阪で。
---
2008/05/26のBlog
[ 23:14 ]
[ 四国 ]
今日からR439の紹介です。R439は、徳島県徳島市が起点で、高知県四万十市(旧中村市)が終点。
四国の北東から南西に向かって縦断する国道ですが、急峻な四国山地を通るため整備が遅れていて、「酷道」として有名な国道です。
国道マニアの間では「ヨサク」という愛称で親しまれていますが、徐々に整備が進んで快走できる区間が増えています。
徳島市からはR438と重複して剣山まで登ってきますが、剣山でR438と分岐して、秘境の村、東祖谷山村へ向かいます。
今回は、R438との分岐点からR32交点まで紹介します。
-----
R438、R439交点付近からの眺め(徳島県三好市・旧東祖谷山村)四国第二の高峰、剣山の山頂には大剣神社があって、中世から信仰登山が盛んな山だ。
山頂へ向かうロープウェイ乗り場があるのが、R438とR439の交点だ。
交点付近は峠頂に近く、見晴しの良い場所だ。
写真下方にクネクネと走る道がR439で、これより祖谷(いや)川の峡谷に沿って進む。
(04.05.06.撮影)Yahoo地図
R438、R439交点(徳島県三好市・旧東祖谷山村)剣山登山の入口、ロープウェイ乗り場があるところが、R438とR439の交差点だ。
峠の頂に近いところで、標高は1400mほどある。
峠にやってくるまで、人家のない林道のような道を登ってくるのだが、峠に来て土産物店や茶屋などがあって、賑わっている。
(04.05.06.撮影)Yahoo地図
祖谷川の源流域(徳島県三好市・旧東祖谷山村)日本三大奇橋の1つに数えられる、西祖谷山村の「かずら橋」は、祖谷川に架かる吊り橋だ。
その源流は剣山にあって、R438と別れたR439は、その源流域を走る。
峠からしばらくは山腹を走るが、いずれ祖谷川の渓谷まで降りてくる。
(04.05.06.撮影)Yahoo地図///////////
R439データ起点:徳島県徳島市
終点:高知県中村市
経過地:神山町、木屋平村、東祖谷山村、大豊町、吾北村、池川町、吾川村、東津野村、大正町
距離:341.2km(道路時刻表'05参考)
2008/05/11のBlog
[ 20:11 ]
[ 3代目ワンダーランド号 ]
いくつかの理由があって、ワンダーランド号に簾(すだれ)を装着してみました。
後部座席の窓ガラスの形に合わせて、簾をカット。
吸盤でペチャッと窓ガラスにくっつけています。
---
後部座席の窓ガラスの形に合わせて、簾をカット。
吸盤でペチャッと窓ガラスにくっつけています。
---
理由1・冷房効率中古で購入した当初から、エアコンの効きが悪いワンダーランド号。
言ってみれば「弱冷房車」のような車内で、汗だくになって運転するハメになります。
少しでも冷房効率を高めるために、日除けをしなければならない…ってことです。
理由2・安眠スモークを貼っていない車内は「透け透け状態」なので、目隠しが必要です。
特に、車中泊の時は必須です。
以前から、同等のものを窓にくっつけていましたが、簾の方がカッチョ良い…ってことです。
理由3・盗難防止大学と会社、自宅、その他、と、最近何かと移動が多いので、ワンダーランド号を駆使しています。
同時に、会社用の荷物、研究用の荷物、その他の荷物、と持ち運ぶ荷物が増えてきて、それをいちいち全部運ぶのが面倒なので、使わない荷物は車に残していたりします。
そういう雑多な後部座席の状態では車上荒らしに狙われやすいので、隠さなければ…ってことです。
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2008/05/09のBlog
[ 22:54 ]
[ 国道男 2008 ]
瀬戸内海航路の潮待ち港として、古代から要衝の地にあった鞆の浦(広島県福山市)は、世界遺産級の歴史遺産、特に江戸時代の港の設備が残された町として有名です。
しかし、町内を通る県道がとても狭く、乗用車同士のすれ違いも困難な状態です。
船が使われた時代には問題にならなったのでしょうけど、自動車社会になった今ではとても不便な路地です。
この路地から自動車を排除するために、古い港を埋め立てて橋を造る計画があるそうです。
そして、古い遺産や歴史的景観を壊してまで橋を造るべきかどうか、訴訟にまでなっているそうです。
…そんなニュースを聞いて、福山市出身者としては、ちゃんと見ておきたい!
ということで、行ってまいりました。
でも、駐車場がどこも満杯で、車を止められなかったので、仕方ないのでビデオカメラをダッシュボードの上において、サーッと流してきました。
その映像をどうぞ。
(ムービー) 鞆の浦の市街地の路地 (youtubeにジャンプ)
しかし、町内を通る県道がとても狭く、乗用車同士のすれ違いも困難な状態です。
船が使われた時代には問題にならなったのでしょうけど、自動車社会になった今ではとても不便な路地です。
この路地から自動車を排除するために、古い港を埋め立てて橋を造る計画があるそうです。
そして、古い遺産や歴史的景観を壊してまで橋を造るべきかどうか、訴訟にまでなっているそうです。
…そんなニュースを聞いて、福山市出身者としては、ちゃんと見ておきたい!
ということで、行ってまいりました。
でも、駐車場がどこも満杯で、車を止められなかったので、仕方ないのでビデオカメラをダッシュボードの上において、サーッと流してきました。
その映像をどうぞ。
(ムービー) 鞆の浦の市街地の路地 (youtubeにジャンプ)