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2008/06/30のBlog
[ 01:19 ]
[ 国道男 2008 ]
いつの間に、こんなビデオが出回っています。
「昔取った杵柄」というヤツです。
その昔、ドラムを8年ほどやっていたことがありまして、久しぶりにドラム遊びをやりました。
先日、仲良しの大学教授が作ったオリジナル曲をレコーディングしました。
完パケ記念に、その先生が編集した曲のPVが出回っております。
ドラムを叩いているヤツが僕です。
「サラリーマン兼学生」の身分で忙しいハズなんですが、こんなことまでやってるんで、とてもじゃないけど国道遊びをする時間はないんです。
最近、ブログ更新も控えめになり、めっきりご無沙汰していて、スミマセン…
国道男の副業の副業
「昔取った杵柄」というヤツです。
その昔、ドラムを8年ほどやっていたことがありまして、久しぶりにドラム遊びをやりました。
先日、仲良しの大学教授が作ったオリジナル曲をレコーディングしました。
完パケ記念に、その先生が編集した曲のPVが出回っております。
ドラムを叩いているヤツが僕です。
「サラリーマン兼学生」の身分で忙しいハズなんですが、こんなことまでやってるんで、とてもじゃないけど国道遊びをする時間はないんです。
最近、ブログ更新も控えめになり、めっきりご無沙汰していて、スミマセン…
国道男の副業の副業
2008/06/22のBlog
[ 20:32 ]
[ 走破日誌2008年 ]
今日は、半日休みが取れたので、土砂降りのなか、行ってきました国道へ。
雨の国道撮影は無理なので、横着してビデオカメラを回しながら走りました。
ターゲットは、現在の東海道、国道1号。
「天下の険」として、その昔、旅人を悩ませた箱根峠を越す国道です。
↓↓ムービーはこちら(Youtube内)↓↓
国道1号 神奈川県箱根町
そして今は、正月に行なわれる箱根駅伝の第5区を走るランナーを苦しませている道です。
箱根山のすべてが観光地や温泉郷になっているので、日曜の午後は山を下って帰路につくマイカーで混雑します。
この渋滞にハマると、抜け道も逃げ道もないので、かなりヘコみます。
渋滞を避けるには、午前中に山を下りるか、御殿場方面に下りるのがいいでしょうか…
今回のムービー撮影は、そんな「下山渋滞」とは反対方向、山登り方向になります。
小田急ロマンスカーの終点、箱根湯本駅前から出発して、いくつかの温泉郷を経由しながら宮ノ下へ向かいますが、今回はその前半戦。
箱根駅伝の第5区を走ろうとしている方には、参考になるかもしれません♪
後半戦もお楽しみに。
雨の国道撮影は無理なので、横着してビデオカメラを回しながら走りました。
ターゲットは、現在の東海道、国道1号。
「天下の険」として、その昔、旅人を悩ませた箱根峠を越す国道です。
↓↓ムービーはこちら(Youtube内)↓↓
国道1号 神奈川県箱根町
そして今は、正月に行なわれる箱根駅伝の第5区を走るランナーを苦しませている道です。
箱根山のすべてが観光地や温泉郷になっているので、日曜の午後は山を下って帰路につくマイカーで混雑します。
この渋滞にハマると、抜け道も逃げ道もないので、かなりヘコみます。
渋滞を避けるには、午前中に山を下りるか、御殿場方面に下りるのがいいでしょうか…
今回のムービー撮影は、そんな「下山渋滞」とは反対方向、山登り方向になります。
小田急ロマンスカーの終点、箱根湯本駅前から出発して、いくつかの温泉郷を経由しながら宮ノ下へ向かいますが、今回はその前半戦。
箱根駅伝の第5区を走ろうとしている方には、参考になるかもしれません♪
後半戦もお楽しみに。
2008/06/17のBlog
[ 00:25 ]
三河、遠州、南信州を結ぶ、ということから名付けられた三遠南信道路は、長野県飯田市と静岡県浜松市を結ぶ自動車専用の国道474号として整備される予定になっている。
この計画路線の沿道は、道路整備がいっこうに進まない「交通過疎地」で、道路という地元にとって大切な生活基盤の早期整備が望まれている地域だ。
その昔、飯田・浜松間を流れる天竜川を使った舟運が盛んであったり、江戸時代に頻繁に往来のあった秋葉信仰のための街道が整備されていたり、自動車社会になる前までは、それなりの交通量があったようだ。
しかし、中央構造線という地盤崩落が激しい地帯という特性から、現代の土木技術でも地形を征服することができず、道路整備は遅れている。
そのために、飯田・浜松間は、自動車社会から取り残され、かつて交流のあった信濃と遠州は断絶状態にある
。
さらに、舟運の要であった天竜川も、戦後復興期の電力をまかなうために作られた佐久間ダムの建設によって、舟の道は断たれた。
それでも、三遠南信道路の計画が持ち上がって以降、両地域の交流を活性化させようという動きが現れるなど、この道路への期待は大きい。
国境を接する信濃国・南信濃村と遠州国・水窪町では、毎年、国境の峠で行なわれる綱引きの勝ち負けによって、その年の国境線を決める、という伝統行事が現在でも続けられていて、小さい規模だが交流が続けられている。
ただ、完成してもどれほどの利用者がいるか、採算はとれるのか、交通需要はどれほどあるのか、など道路整備の意義を疑問視する声も存在する。
特に、豊橋や浜松から、飯田を経由して中山道へ抜ける物流ルートとして使われているR257やR153は既に整備が進んでいて、トラックでも平均50km/h以上は出せる道路になっていることから、飯田・浜松をつなぐルートを新たに作る必要があるかどうか、という議論がある。
また、JR飯田線という、別の交通手段もある。
そのような物流や観光客誘致の側面での議論がある中、道路整備が遅れていてことで不便を感じている地元の利便性向上のために、取りあえず緊急性が高いと思われる草木トンネルと矢筈トンネルが、まず先に1994年に完成した。
そのため、この2つのトンネルだけが、R474である、という状況が15年近くも続いた。
今年4月に新たに開通した、中央道・飯田山本ICからR151交点までの区間で、比較的緩やかな地形の中を通る。
走ってみると、中央道に直接つながっているわりには、交通量はかなり少なく、全線がつながるまではこのような状態が続くのだろう、という感じだ。
天竜峡などへ向かうと思われる観光バスが数台通る程度だった。
とりあえず全線開通までは、こんな調子が続くのだろうか。
いつ全通するかは、分からないが…
この計画路線の沿道は、道路整備がいっこうに進まない「交通過疎地」で、道路という地元にとって大切な生活基盤の早期整備が望まれている地域だ。
その昔、飯田・浜松間を流れる天竜川を使った舟運が盛んであったり、江戸時代に頻繁に往来のあった秋葉信仰のための街道が整備されていたり、自動車社会になる前までは、それなりの交通量があったようだ。
しかし、中央構造線という地盤崩落が激しい地帯という特性から、現代の土木技術でも地形を征服することができず、道路整備は遅れている。
そのために、飯田・浜松間は、自動車社会から取り残され、かつて交流のあった信濃と遠州は断絶状態にある
。
さらに、舟運の要であった天竜川も、戦後復興期の電力をまかなうために作られた佐久間ダムの建設によって、舟の道は断たれた。
それでも、三遠南信道路の計画が持ち上がって以降、両地域の交流を活性化させようという動きが現れるなど、この道路への期待は大きい。
国境を接する信濃国・南信濃村と遠州国・水窪町では、毎年、国境の峠で行なわれる綱引きの勝ち負けによって、その年の国境線を決める、という伝統行事が現在でも続けられていて、小さい規模だが交流が続けられている。
ただ、完成してもどれほどの利用者がいるか、採算はとれるのか、交通需要はどれほどあるのか、など道路整備の意義を疑問視する声も存在する。
特に、豊橋や浜松から、飯田を経由して中山道へ抜ける物流ルートとして使われているR257やR153は既に整備が進んでいて、トラックでも平均50km/h以上は出せる道路になっていることから、飯田・浜松をつなぐルートを新たに作る必要があるかどうか、という議論がある。
また、JR飯田線という、別の交通手段もある。
そのような物流や観光客誘致の側面での議論がある中、道路整備が遅れていてことで不便を感じている地元の利便性向上のために、取りあえず緊急性が高いと思われる草木トンネルと矢筈トンネルが、まず先に1994年に完成した。
そのため、この2つのトンネルだけが、R474である、という状況が15年近くも続いた。
今年4月に新たに開通した、中央道・飯田山本ICからR151交点までの区間で、比較的緩やかな地形の中を通る。
走ってみると、中央道に直接つながっているわりには、交通量はかなり少なく、全線がつながるまではこのような状態が続くのだろう、という感じだ。
天竜峡などへ向かうと思われる観光バスが数台通る程度だった。
とりあえず全線開通までは、こんな調子が続くのだろうか。
いつ全通するかは、分からないが…
2008/06/15のBlog
[ 19:26 ]
[ 走破日誌2008年 ]
自宅…東名…富士…R1…浜松…R152…佐久間…R473…東栄…R151…阿南…R418…南信濃…R152…(接続県道)…R474(草木トンネル)…(引き返し)…(接続県道)…R152…上村…R474(矢筈トンネル)…(接続県道)…R256…飯田…R151…飯田…R474(飯喬道路)…飯田…R153…駒ヶ根…中央道…自宅
昨日の晩から、家出をしてきました。
行き先は、4月に開通したばかりのR474。
長野県飯田市と静岡県浜松市(旧・引佐町)を結ぶ自動車専用道路を整備するために指定された国道で、未だ全通していない国道です。
その自動車専用道路は、「三遠南信道路」と名付けられているので、地図によっては「R474」と書かれているか「三遠南信道路」と書かれているか、まちまちです。
この路線は、日本列島の大断層「中央構造線」をまたぐように通るが、地質がもろいために道路整備が進まず、いつ全通するのかまったく見通しの無い路線です。
これまでに整備を終えたのは、
1:R152の未通区間である青崩峠を連絡する草木トンネル
2:陸の孤島状態だった上村と飯田市街を結ぶ矢筈トンネル
いずれも、南信州の陸の孤島の村々を結ぶために先行して作られたトンネルです。
そして、今回開通したのは、
3:R151から中央道に接続する区間
飯田市南側の丘陵地帯をぬって走ります。
いったいいつになったら完成するか分からない国道ですが、こいつか完成するまで、国道走破率100%は達成できない、ってことになりますね。
その前に、多額の建設費を投じて作るべき高速道路かどうかを検討して欲しいですね。
写真は、R474草木トンネルの北側。
将来はインターチェンジの一部になる構造になっているようです。
なにやら、「作りかけの国道」という感じですが、そのまま15年近く経ってます。
昨日の晩から、家出をしてきました。
行き先は、4月に開通したばかりのR474。
長野県飯田市と静岡県浜松市(旧・引佐町)を結ぶ自動車専用道路を整備するために指定された国道で、未だ全通していない国道です。
その自動車専用道路は、「三遠南信道路」と名付けられているので、地図によっては「R474」と書かれているか「三遠南信道路」と書かれているか、まちまちです。
この路線は、日本列島の大断層「中央構造線」をまたぐように通るが、地質がもろいために道路整備が進まず、いつ全通するのかまったく見通しの無い路線です。
これまでに整備を終えたのは、
1:R152の未通区間である青崩峠を連絡する草木トンネル
2:陸の孤島状態だった上村と飯田市街を結ぶ矢筈トンネル
いずれも、南信州の陸の孤島の村々を結ぶために先行して作られたトンネルです。
そして、今回開通したのは、
3:R151から中央道に接続する区間
飯田市南側の丘陵地帯をぬって走ります。
いったいいつになったら完成するか分からない国道ですが、こいつか完成するまで、国道走破率100%は達成できない、ってことになりますね。
その前に、多額の建設費を投じて作るべき高速道路かどうかを検討して欲しいですね。
写真は、R474草木トンネルの北側。
将来はインターチェンジの一部になる構造になっているようです。
なにやら、「作りかけの国道」という感じですが、そのまま15年近く経ってます。
2008/06/13のBlog
[ 22:10 ]
[ ブログUP待機中 ]
写真の整理が済んで今後UP予定の国道です※08/06/13 更新
R439(徳島県東祖谷山村R438交点から高知県大豊町まで)
現在UP中R493(高知県奈半利町から高知県東洋町まで)
R193(徳島県上那賀町から徳島県海南町まで)
R195(高知県物部村)
R353(新潟県塩沢町)
R118(福島県会津若松市)
R401(福島県会津若松市から福島県南郷村まで)
R294(福島県長沼町R118交点から福島県会津若松市まで・一部R49重複)
R454(青森県五戸町R4交点から青森県大鰐町R7交点まで・一部R103、R102重複)
R232(北海道天塩町R40交点から北海道留萌市終点まで)
R273(北海道上川町R39交点から北海道紋別市終点まで)
R44(北海道釧路市起点から北海道根室市終点まで)
R336(北海道浦河町起点から北海道浦幌町R38交点まで)
R476(福井県美山町・福井豪雨被害)
R429(岡山県総社市R180交点から岡山県津山市R53交点まで)
R52(静岡県清水市R1交点から山梨県南部町R469交点まで)
R152(長野県大鹿村から長野県上村R474交点まで)
R474(長野県喬木村から長野県上村R152交点まで)
R434(山口県周南市起点から山口県錦町R187交点まで)
R57(熊本県三角港)
R266(熊本県三角町・天門橋)
R383(長崎県平戸市)
R373(兵庫県赤穂市起点から岡山県大原町R429交点まで)
R168(和歌山県新宮市R169交点から奈良県五条市R24交点まで)
R418(岐阜県恵那市笠置ダムから岐阜県恵那市R19交点まで)
R306(三重県藤原町R365交点から滋賀県彦根市R8交点まで)
R489(山口県徳地町R376交点から山口県阿東町R9交点まで)
R378(愛媛県伊予市R56交点から八幡浜市R197交点まで)
R494(愛媛県川内町R11交点から高知県池川町R439交点まで)
R33(高知県仁淀川橋)
R468(圏央道あきる野インター)
R152(長野県上田市大屋橋)
R42(三重県鳥羽市から三重県伊勢市R23交点まで)
R23(三重県伊勢市終点のみ)
R354(群馬県玉村町・玉料橋)
R256(長野県南木曽町R19交点から南木曽町清内路トンネルまで)
R107(岩手県宮守村R283交点から岩手県北上市R4交点まで)
R361(起点:岐阜県高山市R158交点から岐阜県高根村まで)
R290(栃尾市R351交点から魚沼市R252交点まで)
R1(静岡県薩た峠)
R399(福島県飯舘村)
R429(岡山県大原町R373交点から兵庫県波賀町R29交点まで)
R23(三重県・愛知県境、木曽三川)
R461(茨城県里美村R349交点から十王町R6交点まで)
R458(山形県寒河江市、大江町付近)
R17(群馬県渋川市、吾妻新橋)
R120(栃木県日光市金精峠)
R287(山形県長井市R113交点から山形県白鷹町R348交点まで)
R348(山形県長井市起点から山形県山形市まで全線・R287重複区間含む)
R286(宮城県川崎町・山形県山形市境 笹谷峠)
04/01整理完了R7(山形県鶴岡市)
04/29整理完了R146(群馬県長野原町起点付近)
06/13整理完了ブログへUPするペースより、過去の写真整理のペースの方が早いようです。整理された写真がどんどん溜まります。
2008/06/07のBlog
[ 19:58 ]
[ 3代目ワンダーランド号 ]
車には、
1. 初年度の車検、
2. 6ヶ月後の任意の点検、
3. 12ヶ月後の法定点検(義務だが罰則はナシ)
4. 18ヶ月後の任意の点検
5. 2年後の車検
という風に細かく点検をするように定められています。
もちろん、罰則がないので、点検をやらなくてもいいので、走行距離が少ない人が全部やる必要は無いかもしれません。
でも、事故が起きてからでは遅いので、こまめに点検することは悪いことではありません。
ワンダーランド号は1年で6万キロを走っていて、過酷な労働をさせているので、こまめに点検をしています。
本日、18ヶ月点検(6ヶ月点検とも言う?)のために、日産ディーラーに連れて行きました。
1)ドライブシャフトの交換
12ヶ月点検の時に問題となった、グリスが漏れて調子が悪かったドライブシャフト。
部品代と工賃で8万円になるとのことで、そのお金を工面できたので、今回、ちゃんと交換しました。
コーナリング出口での再加速や、高速走行時の段差通過など、駆動輪に負荷が掛かる状態のときに、異音や振動が発生していました。
ココが治ったので、時速90kmで控えていた高速走行も、やっと人並みの速さで流すことができそうです。
ちょっとした峠道でもトラックに追い付かれずに済みそうです。
ちなみに、ドライブシャフトは左右で1対になっていて、今回交換したのは左側。
右側で、また同じ問題が起きたら…
もう、財布は許してくれないでしょう。
2)テンションロッドの交換
前輪のサスペンションの部品のうち、前後方向の加重を支えるのがテンションロッド。
ロッド内には潤滑油が充填されているのだそうだが、今回、部品が老朽化して潤滑油が漏れているとのこと。
前輪左側のテンションロッドを交換しました。
決して安いものではないのですが、壊れてからじゃ遅いので、交換しました。
…な感じで、またも高い修理代となってしまいました。
いつもいつも高い修理代を日産ディーラーに払っているのですが、それを心配した整備士さんも、
「いつもいつもすみません、高い修理代を払わせちゃって」
「まあいいんですよ、酷使している車だし、車齢11年なんでガタも多いでしょうから」
次の点検は、車検時。
整備士さんも気にかけていて、
「この車、車検、通します?」
「もちろんです、長く乗りたいので」
「けっこう、修理代にお金つぎ込んでますものね、愛着あるでしょう」
っつうわけで、いつもお世話になっている整備士さんには、車検の時もお世話になることにいたします。
1. 初年度の車検、
2. 6ヶ月後の任意の点検、
3. 12ヶ月後の法定点検(義務だが罰則はナシ)
4. 18ヶ月後の任意の点検
5. 2年後の車検
という風に細かく点検をするように定められています。
もちろん、罰則がないので、点検をやらなくてもいいので、走行距離が少ない人が全部やる必要は無いかもしれません。
でも、事故が起きてからでは遅いので、こまめに点検することは悪いことではありません。
ワンダーランド号は1年で6万キロを走っていて、過酷な労働をさせているので、こまめに点検をしています。
本日、18ヶ月点検(6ヶ月点検とも言う?)のために、日産ディーラーに連れて行きました。
1)ドライブシャフトの交換
12ヶ月点検の時に問題となった、グリスが漏れて調子が悪かったドライブシャフト。
部品代と工賃で8万円になるとのことで、そのお金を工面できたので、今回、ちゃんと交換しました。
コーナリング出口での再加速や、高速走行時の段差通過など、駆動輪に負荷が掛かる状態のときに、異音や振動が発生していました。
ココが治ったので、時速90kmで控えていた高速走行も、やっと人並みの速さで流すことができそうです。
ちょっとした峠道でもトラックに追い付かれずに済みそうです。
ちなみに、ドライブシャフトは左右で1対になっていて、今回交換したのは左側。
右側で、また同じ問題が起きたら…
もう、財布は許してくれないでしょう。
2)テンションロッドの交換
前輪のサスペンションの部品のうち、前後方向の加重を支えるのがテンションロッド。
ロッド内には潤滑油が充填されているのだそうだが、今回、部品が老朽化して潤滑油が漏れているとのこと。
前輪左側のテンションロッドを交換しました。
決して安いものではないのですが、壊れてからじゃ遅いので、交換しました。
…な感じで、またも高い修理代となってしまいました。
いつもいつも高い修理代を日産ディーラーに払っているのですが、それを心配した整備士さんも、
「いつもいつもすみません、高い修理代を払わせちゃって」
「まあいいんですよ、酷使している車だし、車齢11年なんでガタも多いでしょうから」
次の点検は、車検時。
整備士さんも気にかけていて、
「この車、車検、通します?」
「もちろんです、長く乗りたいので」
「けっこう、修理代にお金つぎ込んでますものね、愛着あるでしょう」
っつうわけで、いつもお世話になっている整備士さんには、車検の時もお世話になることにいたします。
[ 00:17 ]
[ 国道男 2008 ]
国道男の父の父、つまり祖父は、6月3日の夜、永遠の旅に発ちました。
この日の朝、僕は大阪で出会った方に案内されて、大阪の水路を巡る船に乗せてもらいました。
前日、話が盛り上がって、急きょ船遊びをすることになったのですが、こんな楽しい出張になるとは予想外でした。
そのおかげで、大阪を出発する時間が大幅に遅れて、昼過ぎに大阪を出発。
帰宅が遅くなると、翌朝の出勤が辛いので、大阪からトイレ休憩以外の休憩はまったく取らずに、高速道路を突っ走って帰ってきました。
家に着く直前の大井松田インター付近を走行中の19時半頃、胸ポケットに入れてあった携帯電話にメール着信がありました。
高速走行中なのでメールは読まず、「いったい誰からだ?どうせ会社からだろうな」などと思いながら、軽い気持ちでいました。
帰宅して車庫入れを終えてから、そのメールを開くと姉からでした。
「おじいちゃん、かなり調子が悪く予断を許さない状況。見舞いに行って。」
姉の旦那は医者で、祖父の主治医でもあって、祖父の容態は姉から逐一報告が来るようになっています。
体調不良で入院してから3ヶ月、あまり容態は良くないものの、意識ははっきりしているので、家族みな「その日」が来るのはもっと先のこと、と思っていました。
この「予断を許さない」とは、いったい何なのか、よく分からないまま、「明日から会社だし、見舞いに行くのは土日か…」なんて考えていました。
ところが、今度は父から連絡が。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。病院に行きたいんで、乗せて行ってくれ。」
帰宅して玄関を開けた、まさにその瞬間のことでした。
大阪の水路で雨やら水しぶきをかぶって、ちょっと生臭い服を着たまま、すぐさま両親を車に乗せて病院へ向かいました。
車内にいる3人、誰も何も言わず、信号待ちがとても長く感じました。
早く病院に着きたい…
早くおじいちゃんに会いたい…
「その日」はもう近い…
おじいちゃん、病院に着くまではなんとか…
そんなことを、純粋に願いながら、片道たったの10分の病院への道に車を走らせました。
病院に着くと、足腰の悪い母と父を病院の玄関先でまず降ろして、僕はちょっと離れた駐車場に車を置きました。
車を置くと、病院までは走って行きました。
夜遅い病院のメイン入口は閉鎖されているので、守衛さんのいる通用口から入り、
「○○の孫ですが、何号室ですか?」と守衛に告げると
「4階に行って、ナースステーションに聞いてくれ」とのこと。
ナースステーションの夜はけっこう暇そうで、2人のスタッフが談笑していたのですが、こっちはそれどころじゃない。
「○○の孫ですが、何号室ですか」
「421号室です」
やっと着いたよ、おじいちゃんのところへ。
病室にはすでに、おじいちゃんの子供である叔父や叔母なども集まっていましたが、全員が集まってるわけではありませんでした。
僕は病室に着くや、すぐにおじいちゃんのベッドの脇に行きました。
口元に呼吸器が付けられ、その脇には、なにかブクブクと言う管が付けられていました。
でもちゃんと、おじいちゃんは呼吸をしていました。
意識は全く無く、誰が声をかけても、ピクリとも動きません。
でも、呼吸だけはしていました。
主治医である義兄は、祖父とは血縁関係はないので、冷静に黙って様子を見ていました。
しかし、「もうダメなの?」とか「どこが悪いの?」とか、親族がもっとも知りたい質問には、とても客観的で頼りがいのある回答をしてくれました。
冷たいような答えですが、それがかえって親族を冷静にさせていたように思います。
病院にいること1時間。
ぞくぞくと親族が集まってきます。
そして、みな、一様におじいちゃんの呼吸を確認すると安心していました。
呼吸をしていることが、親族を安心させていました。
みな黙って座っているのではなく、親族同士の雑談なんかもしながら、「その日」はきっとまだ先のことのような雰囲気になっていました。
ただ僕は、ベッドの脇で鳴っている「ブクブク」が妙に気になり、それがとても不快でした。
僕は黙ってソファーに座って「ブクブク」を聞いているのは嫌だったので、ソファーから立ち上がっておじいちゃんの脇に立った時のこと。
さっきまでの呼吸が止まったように感じました。
間隔の長い呼吸なので、「次の呼吸」がいつ来るか、または、もう来ないのか、とてもハラハラしていたのですが、とうとう次の呼吸が無くなってしまいました。
「あれ、呼吸してないよね…」というと、雑談していた人もみな黙り、
「ね、呼吸してないよね」
「…ホントだ」
という感じで、みなシーンと静まり返りました。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。」という連絡を受けた、ちょうど1時間後のことでした。
ホントに1時間、ぴったり。
主治医である義兄は、かなり有能らしい…ということは、これで分かったのですが。
おじいちゃんの呼吸が止まった。
近しい親族がみな集まった中で、おじいちゃんは呼吸を止めて、旅立った。
みな集まるまで、なんとか呼吸を続けていたおじいちゃん。
確かに、さっきまで、生きていた。
でも、もう動かない。
その境目の瞬間を見てしまった。
「その日」はやってきてしまった。
正式に死亡を確認したのも、主治医の義兄。
悲しい、という気持ちは無かった。
なんか、あっけなかった。
「次の呼吸」を期待して見守っていたのだが、その「次の呼吸」が無くなった…ただそれだけ。
涙は出てこなかった。
この日の午前中、大阪で船に乗っていた時のハイテンションが続いていたのだろうか。
それとも、94年を生きたおじいちゃんの「死」とはそういうものなのだろうか。
方丈さんの都合で、通夜は日曜、葬儀は月曜。
それまで、おじいちゃんは、自宅に帰って、安らかに眠っています。
6月3日。
大阪の街を船で案内してくれた人と出会い、
その結果、休憩無しで高速道路を走るハメになり、
そのおかげで、おじいちゃんの旅立ちを見送ることができた、
という日になりました。
この日の朝、僕は大阪で出会った方に案内されて、大阪の水路を巡る船に乗せてもらいました。
前日、話が盛り上がって、急きょ船遊びをすることになったのですが、こんな楽しい出張になるとは予想外でした。
そのおかげで、大阪を出発する時間が大幅に遅れて、昼過ぎに大阪を出発。
帰宅が遅くなると、翌朝の出勤が辛いので、大阪からトイレ休憩以外の休憩はまったく取らずに、高速道路を突っ走って帰ってきました。
家に着く直前の大井松田インター付近を走行中の19時半頃、胸ポケットに入れてあった携帯電話にメール着信がありました。
高速走行中なのでメールは読まず、「いったい誰からだ?どうせ会社からだろうな」などと思いながら、軽い気持ちでいました。
帰宅して車庫入れを終えてから、そのメールを開くと姉からでした。
「おじいちゃん、かなり調子が悪く予断を許さない状況。見舞いに行って。」
姉の旦那は医者で、祖父の主治医でもあって、祖父の容態は姉から逐一報告が来るようになっています。
体調不良で入院してから3ヶ月、あまり容態は良くないものの、意識ははっきりしているので、家族みな「その日」が来るのはもっと先のこと、と思っていました。
この「予断を許さない」とは、いったい何なのか、よく分からないまま、「明日から会社だし、見舞いに行くのは土日か…」なんて考えていました。
ところが、今度は父から連絡が。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。病院に行きたいんで、乗せて行ってくれ。」
帰宅して玄関を開けた、まさにその瞬間のことでした。
大阪の水路で雨やら水しぶきをかぶって、ちょっと生臭い服を着たまま、すぐさま両親を車に乗せて病院へ向かいました。
車内にいる3人、誰も何も言わず、信号待ちがとても長く感じました。
早く病院に着きたい…
早くおじいちゃんに会いたい…
「その日」はもう近い…
おじいちゃん、病院に着くまではなんとか…
そんなことを、純粋に願いながら、片道たったの10分の病院への道に車を走らせました。
病院に着くと、足腰の悪い母と父を病院の玄関先でまず降ろして、僕はちょっと離れた駐車場に車を置きました。
車を置くと、病院までは走って行きました。
夜遅い病院のメイン入口は閉鎖されているので、守衛さんのいる通用口から入り、
「○○の孫ですが、何号室ですか?」と守衛に告げると
「4階に行って、ナースステーションに聞いてくれ」とのこと。
ナースステーションの夜はけっこう暇そうで、2人のスタッフが談笑していたのですが、こっちはそれどころじゃない。
「○○の孫ですが、何号室ですか」
「421号室です」
やっと着いたよ、おじいちゃんのところへ。
病室にはすでに、おじいちゃんの子供である叔父や叔母なども集まっていましたが、全員が集まってるわけではありませんでした。
僕は病室に着くや、すぐにおじいちゃんのベッドの脇に行きました。
口元に呼吸器が付けられ、その脇には、なにかブクブクと言う管が付けられていました。
でもちゃんと、おじいちゃんは呼吸をしていました。
意識は全く無く、誰が声をかけても、ピクリとも動きません。
でも、呼吸だけはしていました。
主治医である義兄は、祖父とは血縁関係はないので、冷静に黙って様子を見ていました。
しかし、「もうダメなの?」とか「どこが悪いの?」とか、親族がもっとも知りたい質問には、とても客観的で頼りがいのある回答をしてくれました。
冷たいような答えですが、それがかえって親族を冷静にさせていたように思います。
病院にいること1時間。
ぞくぞくと親族が集まってきます。
そして、みな、一様におじいちゃんの呼吸を確認すると安心していました。
呼吸をしていることが、親族を安心させていました。
みな黙って座っているのではなく、親族同士の雑談なんかもしながら、「その日」はきっとまだ先のことのような雰囲気になっていました。
ただ僕は、ベッドの脇で鳴っている「ブクブク」が妙に気になり、それがとても不快でした。
僕は黙ってソファーに座って「ブクブク」を聞いているのは嫌だったので、ソファーから立ち上がっておじいちゃんの脇に立った時のこと。
さっきまでの呼吸が止まったように感じました。
間隔の長い呼吸なので、「次の呼吸」がいつ来るか、または、もう来ないのか、とてもハラハラしていたのですが、とうとう次の呼吸が無くなってしまいました。
「あれ、呼吸してないよね…」というと、雑談していた人もみな黙り、
「ね、呼吸してないよね」
「…ホントだ」
という感じで、みなシーンと静まり返りました。
「おじいちゃん、あと1時間と、もたない。」という連絡を受けた、ちょうど1時間後のことでした。
ホントに1時間、ぴったり。
主治医である義兄は、かなり有能らしい…ということは、これで分かったのですが。
おじいちゃんの呼吸が止まった。
近しい親族がみな集まった中で、おじいちゃんは呼吸を止めて、旅立った。
みな集まるまで、なんとか呼吸を続けていたおじいちゃん。
確かに、さっきまで、生きていた。
でも、もう動かない。
その境目の瞬間を見てしまった。
「その日」はやってきてしまった。
正式に死亡を確認したのも、主治医の義兄。
悲しい、という気持ちは無かった。
なんか、あっけなかった。
「次の呼吸」を期待して見守っていたのだが、その「次の呼吸」が無くなった…ただそれだけ。
涙は出てこなかった。
この日の午前中、大阪で船に乗っていた時のハイテンションが続いていたのだろうか。
それとも、94年を生きたおじいちゃんの「死」とはそういうものなのだろうか。
方丈さんの都合で、通夜は日曜、葬儀は月曜。
それまで、おじいちゃんは、自宅に帰って、安らかに眠っています。
6月3日。
大阪の街を船で案内してくれた人と出会い、
その結果、休憩無しで高速道路を走るハメになり、
そのおかげで、おじいちゃんの旅立ちを見送ることができた、
という日になりました。
2008/06/04のBlog
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日曜の夜は赤松PAに停泊して、スダレのベッドで快適に眠りました。
翌朝の昨日は、大阪港やら内部河川を見て周り、夕方に居酒屋で人に会いました。
話が盛り上がって、今日は居酒屋のマスターに誘われて、大阪の川にモーターボートを出してくれることになりました。
帰宅時間が遅くなりそうですが、大阪で船に乗れるなんて、めったにないチャンスなんで、期待してます。
昼には帰路につきます。
日曜の夜は赤松PAに停泊して、スダレのベッドで快適に眠りました。
翌朝の昨日は、大阪港やら内部河川を見て周り、夕方に居酒屋で人に会いました。
話が盛り上がって、今日は居酒屋のマスターに誘われて、大阪の川にモーターボートを出してくれることになりました。
帰宅時間が遅くなりそうですが、大阪で船に乗れるなんて、めったにないチャンスなんで、期待してます。
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2008/06/01のBlog
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昨日の仕事の後は、三田の方々と酒を飲み、良い感じに酔って、旅館で眠りました。
これまで一緒だった、東京の先生や学生たちとは、今朝、旅館で別れて、それ以降、いつもの一人旅です。
神戸大阪近郊の未走破国道を消化して、京都府内を周り、綾部の温泉につかったところです。
明日は、朝から大阪見学で、夕方には人に会うことになっていて、ホテル泊です。
今日は今回唯一の車中泊なんで、スダレに囲まれたベッドを楽しみます。
昨日の仕事の後は、三田の方々と酒を飲み、良い感じに酔って、旅館で眠りました。
これまで一緒だった、東京の先生や学生たちとは、今朝、旅館で別れて、それ以降、いつもの一人旅です。
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明日は、朝から大阪見学で、夕方には人に会うことになっていて、ホテル泊です。
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