ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
クラシック音楽のひとりごと
Blog
[ 総Blog数:1209件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2005/06/09のBlog
イシュトバン・ケルテスの未完成。
オケはウィーン・フィル。1963年録音のDECCA盤。
ケルテスとしてはレコードでビューして間もない頃。
この10年後にケルテスはテルアヴィブで水難事故に遭って夭逝してしまう。
だから「未完成」以後の10年が、ケルテスの全盛期であったのだ。

冒頭のチェロとコントラバスのが聞こえるか聞こえないか、というピアニシモ(我が家のオーディオシステムでは、これをきちんと聴こうとすると、フォルティシモで部屋が割れそうになる(^^ゞ・・・)・・・・やがて、例のオーボエとクラリネットのユニゾンが始まる。
その静謐さは、いつ聴いても大変美しい。

そして弦が活躍し始め、音量も増大してゆくのだが、時折ビックリするようなアクセント(いや、これはアタックと言っていいくらい爆発的)で、スフォルツァンドが出てくる。

金管も打楽器も含めての大音響。特にティンパニの強打は凄まじい。
まるで優美でなく、豊かな情感もない。
繊細でもなく抒情的でもない。
爆発的な音量で、管弦楽が叫ぶ。

恐ろしい穴がポッカリと口を開けているような音楽。
覗いたら、そのまんま吸い込まれて、死の淵に追いやられていってしまうような音楽。


第2楽章も同じ。確かに、遅いところでは、かなり遅くケルテスは演奏させる。
それはロマンティックだし、情感豊かでもある。オケは天下のウィーン・フィルだ。

ところが、ここでも例のアクセント(アタック)が出る。
そして音楽が息せき切って奔流となって、盛り上がってゆく。

やはり、コワイ音楽になっている。
シューベルトってこんなに恐ろしい音楽を書いたのかしら?
もっと、優しく流れるような、きれいな旋律を歌い上げるような、そんな音楽を書いたのではなかったのかしら?

夭折した作曲家は、この音楽を書いたときにすでに死の前兆を感じていた・・・・とでも言いたげなケルテスの指揮。
ケルテスも死神に捕らえられて早死にしたのは、出来すぎた話かな(^^ゞ。

このレコード(あとでCDを買い直しました)、初めて聴いたときは夜中でありまして、ヘッドホンで聴いておりました。その時の印象は今も変わりません。
恐ろしかった。途中で聴くのをやめようかとさえ思いました。
これはコワイ演奏であります。
夜中、独りで聴いていると、つい後ろを振り返ってしまうような演奏(^^ゞ。
この未完成の中には、「何か」がおります・・・・。

ボクは臆病者であります・・・(^^ゞ。

なお、カップリングの5番は優美きわまりない爽快な演奏です。
怖いアクセントは出てきません。安心してお聴きください。

7年前だったか、インマゼール指揮のアニマ・エテルナという古楽器団体のシューベルト演奏が話題になったので、何枚か購入しました。
で、驚きました。これ、ケルテスの未完成そっくり。
(と、ボクには思えました)

ケルテスは30年以上も前に、今日の演奏スタイルを先取りしていたんじゃないのか?
今はそんな風に思っています。
2005/06/08のBlog
またもやハイティンクであります。
好きなんだから仕方ありません。
しかも、ブルックナーの「ロマンティック」(^^ゞ。

このブログで、3度目の登場であります。
 ○ブロムシュテット盤
 ○マズア盤
そのくらい好きで、しょっちゅう聴いている証拠だということです。

「ロマンティック」に限らず、スケールの大きい管弦楽を聴きたいとき、ボクはついつい、ハイティンクの指揮した演奏を取り出してしまう。
相性が良いんだろう。


ハイティンクが振ると、どんな音楽も誠実で暖かくなる。
楽曲の素晴らしさを余すところなく汲み上げて、目の前に示してくれる職人芸に優れているのだと思う。
妙な演出もしないし、盛り上がる部分で見得を切るようなところもない。

ただひたすら終結に向かって、その音楽の持つ素晴らしさを、表現し続ける。
ハイティンクが振ると、音楽のどの部分もその特徴が明らかになる。
美しいところは美しく、悲鳴を上げるところは悲鳴を。
しかし、度を超すことはない。音楽は常に豊かで円満だ。

今日のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」も、スケール雄大で豊麗な音楽になる。

もともと、豊かにオケが鳴るように書かれているんだろうし、構造も雄大なのだろう。
しかし、それを1時間以上にわたって維持し続けて、聴き手に飽きさせない、浸らせてくれる指揮者は、そうはいない。

指揮者の解釈を聴きたければ、ボクは別のCDを取り出す。
「ロマンティック」を面白く聴きたければ、他にもCDがある。

休日や仕事の終えた後の、ホッとしているとき、安心して身を任せられるのはハイティンクだ。

しかも、オケはウィーン・フィルで、さらにフィリップスの名録音。
ホルンはステージ左奥で甘く歌い、オーボエは中央の中奥で、独特の鼻にかかったような切ない響きを作り出す。
ファゴットはその右手で、渋い音色を紡ぎ出す。
ヴァイオリン群は艶のある、輝くような(フィリップスの録音だからハデハデにはならないが)音色で、歌い上げる。
オケの最強奏でも崩れない録音はさすがフィリップス。

ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ盤もよし。
そしてこのハイティンク/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。

今後もずっと永く大切にしていきたい1枚であります。

2005/06/07のBlog
早朝のジョギング、ここ数週間は、走ったりサボったりであります。
踵の痛みがなかなか消えないので、無理をしないことにしたのであります。
このトシですから、体が壊れるほど走っては何にもなりませんから。
この1年、あまり体重は変わりませんが、体型は変わりました。
ズボンのベルトが確実に1穴縮んでいます。
病気も全くしなくなりました。

さて、暑くなってきますと、僕の住む街では、地下水がさらに美味しくなります。
気温が上がるほど、蛇口から出る水(実はポンプで汲み上げている地下水)が冷たく感じるんです。
もちろん、冷蔵庫で冷やして飲む方がもっと旨いんでしょうが、取りあえず、走った後に蛇口をひねってコップ2杯、ゴクゴクッ・・・・最高であります。


今日聴いたレコードは(最近は、LPばかり聴いておりますが)、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503。
演奏は、ピアノがアリシア・デ・ラローチャ、管弦楽はショルティ指揮のロンドン・フィル。1977年12月録音で、日本盤は1979年暮れの新譜。
カップリングは27番のピアノ協奏曲。

ラローチャのピアノが、きれい。
きれいな音。清らかで、光りながら転がるような音色。

「うちぬき水」のような清冽さ。キーンと冷やしきった水ではなく、自然の冷たさを持った水のような味わい。
ジョギングで見かける、朝露に濡れた草木のような、気持ち良い音色。

こんな音でモーツァルトを弾いてくれたら、それはもう、至福の境地。
テンポはゆったりとして、急ぎすぎない。
「おおらか」と言うよりは、モーツァルトの音楽を心から慈しみながら、清冽な音色で弾き通す。そんな感じ。

バックのショルティも、しっとりと、豊かにオケをならして、しかもよく歌う。
インテンポでまっしぐらに進んでゆくいつものショルティではなく、ラローチャにそっと寄り添う大人の音楽をつくってゆく。

第1楽章の木管が饒舌。というより、それぞれのプレイを楽しんでいる感じ。
悪い意味ではなく、楽しそうに「にぎやか」に演奏してる様子が分かる。

録音が素晴らしい。
アナログ最末期の、DECCAらしい名録音。
これ、LPだから、こんなに良い音なのかな?

キングレコード、SLA1236のレコード番号。
翌年、ロンドン・レコードが創立され、DECCA原盤の新譜はキングからロンドン・レコードに移った。その最後のレコードで、重さも十分。
アナログ最末期のレコードは随分軽量になっていったから、その点では貴重な盤であります。
2005/06/06のBlog
毎晩10時頃には眠くなり、床に入ります。
そして4時過ぎに目を覚まし(目が覚めてしまい (^^ゞ・・)、5時半からジョグに出かけます。
6時間程度しか寝られません。寄る年波のせいであります。
もっと寝たいのに、寝られません。特に「二度寝」が出来なくなりました。
困るのは、夜中に目覚めてしまったときです。例えば、今・・・12時50分。
どうしよう。・・・・このまま寝られず、朝まで・・・・・(^^ゞ

と、困りつつブログを書いてます・・・やれやれ(^^ゞ。


最近はアナログ・ディスクばかり聴いております。
針音や雑音、汚れや埃のパチパチ・ノイズが多いレコードもあるんですが、それがまた良いというか・・・・トシのせいかもしれません。
妙に懐かしくて、例の、「ヒゲ」に気をつけながらターン・テーブルにレコードを乗せたり、ブラシでクリーニングしたりする儀式を楽しんでいます。


で、連日のモーツァルト、交響曲第40番ト短調であります。


今日はジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏で。
1967年録音というから、もう40年近く前になってしまった。
レコードは、CBSソニーが「ベスト・クラシック100」と称していた2000円盤。
1982年頃に発売していたもの。
ジャケットは、セル/クリーヴランドの大阪万博記念の来日公演の写真であります。

演奏は、第1楽章から峻厳そのもの。峻厳に聞こえるのは、低弦のリズムの刻みが厳しいからだと思う。
特に、ヴィオラの刻みがきっちりとしていて、緩みがない。
その上にヴァイオリンが優美な旋律を奏でてゆく。ヴァイオリンが優美なのは、レガートを多用しているからだろう。

そして、最も特徴的なのは、あの有名な冒頭の旋律(例の「哀しみにシンフォニー」であります・・・(^^ゞ・・)が何度も出てくるのだが、ヴァイオリンで弾かせるところでセルはルバートをかけているのだ。
聴き手をドキッとさせる演出。
何か恐ろしいものをのぞき込んだようなゾクゾク感。あるいは、その恐怖を避けて通ろうとしているような感覚。
フッとためるような演出だから、得も言われぬ「はかなさ」さえ感じさせる・・・・。
この何回も反復する旋律で、ルバートをかけた演奏・・・・さぁ、セルの時代は当たり前だったのかどうかは知らないが、我が家にはこの演奏しかないなぁ。

第2・3楽章のアンサンブルの緊密さは快感。
第2楽章でのヴァイオリン群は、実にスマート。人数を感じさせない。こういうのを評論家たちは「室内楽的」と称したんだろう。
第3楽章での、木管のアンサンブルも気持ち良い。フルート・オーボエ・ファゴットが次々に登場して、見事な技術を聴かせる。そんなに歌ってはいないのだが、味わい深い。

終楽章は、「速い」。いや、タイミングを見ると、実はそんなに速くない。4分40秒だ。
しかし、実時間より速く感じる。
弦楽が、何かから一斉に逃げててゆくような演奏。
何かコワイものがあって、そこからどんどん逃げ出してゆく。
第1楽章で感じた、何か恐ろしいものを避けようとしているかのよう・・・。


モーツァルトは疾走する。
その疾走感を表出したのがセルなのだ。

だから、セルはボクにとって大切なモーツァルト指揮者であります。
2005/06/05のBlog
蒸し暑くなってきました。
四国伊予路は好天が続いておりますが、木曜日の雨以来、湿度が上昇しています。
朝晩の風、特に田んぼを渡ってくる風は爽やかで心地よいのですが、日中は30度前後まで気温が上がっているようです。
田植えも進んでいます。我が家の南面には、日本の「田園」風景が広がります。
この日差し、湿度を思うと、もうすぐ、梅雨入りでしょう。

さて、カートリッジを替えてから、アナログ・ディスクばかり聴いております(^-^)。


今日は、イシュトバン・ケルテス指揮ウィーン・フィルのモーツァルト交響曲第40番ト短調。
1972年の録音だから、夭折したケルテスの最晩年の演奏になる。
このLPの発売は1986年。
CDがいよいよLPを駆逐し始める頃、キングが最後に発売した名盤シリーズのうちの1枚、当時2000円(この価格だとミドル・プライス盤だった)。


ケルテスは、ウィーン・フィルとの例のデビュー盤、ドヴォルザークの「新世界」という超名盤の他にも、シューベルトやブラームスの交響曲全集という素敵なアルバムがあった。
このモーツァルトも、ケルテスらしい爽快で生き生きと弾む素晴らしい演奏だ。

第1楽章からケルテスは落ち着いたテンポをとって、正攻法でウィーン・フィルをドライブしてゆく。
そのしっかりした足取りを聴きながら、「あぁ、あのころの演奏スタイルだなぁ」とノスタルジーを感じる。
リズムは爽やかに弾んで、またVPOの弦が全く綺麗。輝くような色艶。
レコードのせいか、ふっくらと暖かみもある。ロマンティックな味わいも濃厚。
安心して身を任せられる。

木管も美しい。ケルテスはクラリネットを含む第2版の楽譜を採用しているが、演奏効果が十分に発揮されている。

面白いのは終楽章。いままでの落ち着いたテンポ・演奏だったものが、高速にギア・チェンジ。
オケを一気に開放して、盛り上げてゆく。
速い。
オケもそれに応じて、疾走する。
「ああ、そうだ、モーツァルトの短調は奔る哀しみだった」・・・・。そんなことを思い出させる演奏。

聴き終わったあとの満足度も大きい。

イイ音楽を聴かせてもらいました。
この指揮者が早く死んでしまったのが、全く惜しい。せめて、ベートーヴェンの何枚か、正規に録音してくれなかったものか。
まぁね、あの時代、そうそうベートーヴェン全集など簡単に録音できるものではなかったし、DECCA・ウィーン・フィルにはイッセルシュテット盤があったしね(^^ゞ。

無い物ねだりであるのは分かっているんですがね、惜しいな。
この人のブラームスやシューベルトが素晴らしいだけにね、ベートーヴェンを聴いてみたいですな。
2005/06/04のBlog
先日カートリッジを新しくしました。大変久しぶり。
(ここでは書けないくらい、長い間、カートリッジを替えぬままLPを聴いておりました。)

新しいカートリッジは、オーディオ・テクニカ製のVM型。
某オークションに「送料込み1万円即決」で出品されていたので、GET。
今まではもう少し上等のMC型を2種類、取り替えては楽しんでいたのだが、さすがに経年劣化が激しかったようだ。

というのは、新しいので聴くLPはまるで別物だったから。
アナログらしくトロッとした音。
VM型なので、各楽器の繊細さ・空間的広がりは今一歩のように思うが、豊麗で屈託ない鳴りっぷりは大層心地よい。
何より、弦が柔らかいのは気持ちいいし、長時間聴いても疲れないのはアナログならではだと思う。


今日は、レコードでしか持っていないハイティンクの「グレート」。
シューベルトの交響曲第9番「グレート」は、あれこれ聴いてきて、ジュリーニ/シカゴSOの演奏が最高かなと思うのだが、シューベルトのこの曲そのものが素晴らしいので、他の指揮者でも十分楽しい。
何より、クラシックは聴き比べが楽しいので(^-^)。

尤も、このハイティンク盤、CDでいつか買い直そうと思っているうちに見かけなくなってしまった。
15年ほど前にフィリップスが出した1700円の廉価盤で見たくらいで、瞬く間に廃盤になってしまった(^^ゞ。
先日、某オークションで出品されていたが、何とまあ2000円以上の高値で取引されていた\(◎o◎)/!。
大好きなハイティンク盤が高値だと、ミーハーとしては何となく嬉しい気持ちもしたが。


さて、その演奏は、ハイティンク/コンセルトヘボウ管のコンビらしく、やや暗めだがオケの持つ豊かな音を生かし切って、誠実きわまりないものだ。

第1楽章の序奏部は、息の長い悠揚迫らぬテンポでスケール豊か。
主部に入る部分では少々アッチェランドするが、速くなりすぎないところも良い。
歌心も十分だが、正確なリズムの刻みも忘れないハイティンクならではの正直さ。

第2楽章は木管と弦楽のバランスが美しい。
オーボエの音色など、「あぁコンセルトヘボウ管の音!」。
豊かに膨らんでゆく弦楽も、気持ち良い。いつまでも浸っていたい音、音。

第3楽章になると、俄然、弦が豊かに歌い出す。
ヴァイオリンもビオラも、低弦群も、期待通りに歌ってくれる。
テンポは速すぎず遅すぎず、ハイティンクらしい着実な足取り。

第4楽章は、見事な盛り上がりで終結してゆく。
迫力あるクライマックスだが、決して騒ぎすぎないのはいつものハイティンク。


他の演奏と比べて飛び抜けた特徴はないですし、ここがスゴイという部分もそうあるわけではないです。
ただ、全曲を聴き終わったときの充実感は、いつものハイティンクの演奏と同じです。
「ああ、また聴きたいなぁ」と思わせる演奏。
何度も何度も味わっているうちに、ジワジワと旨さが染み出してくるような演奏。

たぶんCDでも印象は変わらないでしょう。
この演奏は当分LPで、大切に聴いていこうと思います。
2005/06/03のBlog
カートリッジを買い換えたので、まずまずの音でLPを聴けるようになりました。

今日は貴ノ花の葬儀。訃報を伝えるニュースを見るたびに涙がこぼれました。
貴ノ花はリアルタイムで応援し続けた力士であります。
悲壮感ただよう相撲。土俵際の粘り腰。常に真正面から(たとえ首を痛めていても)ぶつかってゆく正攻法の姿勢。良かったなぁ。好きだったなぁ。

何度もニュースで取り上げられた北の富士との取り組みと決まり手の「かばい手」。物言いが付いた場面、テレビの前で必死に貴ノ花を応援していた。
かばい手で負けた翌場所(だったはず・・・)、今度は北の富士の「華麗な」出足を利用して、土俵上を回転するように上手投げ。北の富士をブン投げた一番は爽快だった。
そして、1975年春場所の北の湖との優勝決定戦。座布団が舞う初優勝も、テレビの前で釘付けになっていた。

今日取り出したのは、フォーレのレクイエム。
安らぎと静謐さに溢れた、音楽史上の奇跡のような作品。
ロマン派の持つ、誇張や絶叫や爛熟や陶酔とは正反対の、ひめやかで繊細でデリケートな作品。

ジャン・フルネ指揮ロッテルダム・フィルの演奏で、バリトンはベルナルト・クリュイセン、ソプラノはエリー・アメリング。
合唱はオランダ放送合唱団。

1975年3月の録音。貴ノ花初優勝の頃の、フィリップスの美しい録音。


フルネのテンポ設定は、やや速め。
優しく穏やかに、しかし淡々と音楽をつくってゆく。
透明で繊細なこのレクイエムを、甘くべとつかぬよう、華麗になりすぎぬよう注意深く進めてゆく。
そのための、速めのテンポなのだろう。

合唱は巧いし、独唱も素晴らしい。
クリュイセンの声が良い。少しヴィブラートがかかりすぎるのが気になるが、声が透き通るようなバリトンで、惚れ惚れする。
アメリングは、もう、可憐でデリケートで、優しさに満ちあふれた歌唱。絶品だなぁ。
「ああ、イエスよ」この部分だけでも、何回も聴き直したい。
フルネの演奏には、アメリングが必要だったのだと、しみじみ思った。

B面の「アニュス・デイ」からはオケも合唱も絶好調。
豊かに伸びてゆく合唱も良ければ、コルゼンパのオルガンも良い。
弦と管もよく融けあって、素晴らしい安息を迎える。
アナログらしい柔らかい音が部屋に広がってゆくのも気持ち良い。


少年時代のボクのヒーロー、貴ノ花も安息でいられますように。
2005/06/02のBlog
[ 05:11 ] [ 声楽曲・オペラ ]
「クラシック音楽のひとりごと」と称しつつ、左側のジャンルを見ると、オーケストラ音楽ばかりであります。交響曲が殆どで、管弦楽曲・協奏曲がいくつか。室内楽や器楽は、いやはや・・・(^^ゞ。
そこで、今日は声楽曲を取り出してみました。
といっても、素人らしいCDしかありませんが(^^ゞ。


鮫島有美子「日本のうた」。発売は1985年。

この年の1月、ボクは結婚し、11月には長男が誕生した。
友人の中では最も早い結婚だったが、何せ当時は薄給の身。
生活はなかなかしんどかった。

結婚して間もなくは下高井戸に住み、数ヶ月で東村山市に引っ越した。
東村山に住む恩師が1年間海外研修になったので、その留守宅を管理するかわりに家賃不要で住まわせてくれるという、全く有り難い話だった。

家内に結婚披露宴のお色直しを1回我慢してもらってようやく買ったDENONのCDプレーヤー。
なかなかソフトは増えなかった。CDは1枚3500円から4000円もしたから。

そういうとき、レコード屋でベストセラーを続けていたのが、このCDだった。
鮫島有美子というソプラノは初めて聞く名前だったが、ジャケット写真は清楚な美人だし、収録曲はお馴染みのものばかりだったので、欲しくてたまらなかった。
特に、最後の曲「花の街」は思い出深い曲だったので、家内にねだって、3300円を捻出してもらったことを覚えている。もう20年前のことだ。

ワクワクして家に帰って、聴いたその声。
期待に違わぬ澄み切ったソプラノ。
透明感のある、でも決して冷たくない声。

CDの、雑音のない音に感動もした。無音の空間に、鮫島のソプラノが伸びてゆく。
伴奏のヘルムート・ドイチェのピアノも、それまで持っていた歌曲の「レコード」とは別格の美しさだった。
「CDはスゴイ」・・・・ボクはそう思ったものだ。

「花の街」を聴くのは中学校3年生以来だった。
中学3年生の音楽の授業、最初に習ったのがこの曲だった。
担任の先生が中野先生(結婚して田村先生になっていた)という音楽の先生で、とてもきれいな先生だった。産休に入る直前だった。

中野先生が産休に入ったら、当然担任が交替する。
その担任は大河原先生(ボクらは「鬼瓦先生」と呼んでいた)と決まっており、大河原先生はコワイ・恐ろしい教師として中学校では有名だったので、ボクたちはイヤでたまらなかった。

そういうときに、「花の街」を歌った。
良い歌だった。夢見るように暖かい・・・・・・旋律も歌詞も。
「輪になって、輪になって」・・・。
中野先生とのお別れの歌だった。

春だった。進級したばかりの春だった。
野球部にいたボクは、県大会出場を目標に、日々白球を追っていた。
高校受験なんていっても、埼玉県西部の武蔵野の、桑畑と茶畑に囲まれた田舎町のこと、そう切迫することもなく、ボクらは明るい未来を夢見ていた。

間もなく新しく担任になった鬼瓦先生は、実は全く良い先生だった。
僕の兄も担任してくれていた大ベテランの先生だったのだ。
この先生のもとで、ボクらは高校に向かってゆく「受験生」になった。


時は流れ・・・・・ボクが大学を卒業して間もなく、「鬼瓦」先生の訃報が届いた。
早い逝去だった。


「花の街」を聴くと、こういう、もろもろのことを思い出します。
音楽ってすごい・・・としみじみ思います。

2005/06/01のBlog
気温が上昇しています。もう夏です。
早朝のジョギング、南に向かって走ると西日本最高峰、石鎚山(標高1982メートル)が目の前に広がります。
最も美しいのは、お正月の冠雪の石鎚なんですが、夏は夏で、青々と輝く雄姿はまた格別。
走りながら、何とも言えぬイイ気分になります。
ジョギング・ハイの状態なんでしょうが、どこまでも走って行けそうで爽快であります。

さあ、そういう日は、R・シュトラウスのアルプス交響曲を。
ハイティンク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏で。
1986年発売の国内盤。
ただし輸入盤仕様で、ペラ紙の日本語解説がジャケットの間に挟んでありました。
(CD発売当初は、そんな国内盤が多かったと思います。)

この音楽、実に「こけおどしの音楽」だと思います。悪口ではなくて、イイ意味で、外面的なこけおどしクラシック音楽。
R・シュトラウスは凄いなと思います。
日の出、滝の音、雨粒、牧場ののどかな風景、花の開く音、霧が足下に広がってくる音・・・・・挙げればキリがないくらい、もの凄い描写力。
管弦楽で描けないものなんかない。スゴイ。
鳥の声だの、雷だの、多くの作曲家が標題音楽に取り組んでいるが、このアルプス交響曲は、その最高峰だと思う。凄すぎる。


そんな、絢爛豪華な外面的音楽を、しかし、ハイティンクは誠実に、虚飾なく(いや、虚飾だらけのこの曲をひたすらそのままに)運んでゆく。
オケも、ホールも素晴らしいコンセルトヘボウ。
木管も金管も美しく溶け合い、ホールの空間にどこまでも伸びてゆく。

フィリップスの名録音はここでも最高。
各楽器を明瞭に捉えながら、ホール全体を鳴らしてゆく。

日の出の雄大さ、山頂の爽快さ、雷雨の恐怖。
R・シュトラウスの描き出した音楽を、そのまんま、眼前に示してくれる。


何にもしないようでいて、楽曲の良さを、聴き手に余すところなく伝えてくれる。
これ、最高の技術じゃないでしょうか。

このCDの解説書、小石忠男が書いています。
ちゃっちいペラ紙なんですが、聴きながら読み進んでゆくと、アルプス交響曲が理解できる優れもの。
こういう解説書が常に付いているのなら、国内盤も悪くないなと思います(^-^)。
2005/05/31のBlog
[ 05:08 ] [ 管弦楽曲 ]
仕事が不調の時。長いことやっていれば、そんな時もあります。
部下の失敗の責任を取らざるを得ないこともあります。
これも仕方ありませんな。

腹が立つのは、その失敗をボクが謝罪している時に、失敗の当人が横でヘラヘラしている時です。怒りをグッとこらえて、まあ何とかその場を収めるわけですが、いやはや後々までイライラしますな。

「こらぁ、こちとらオマエのせいで頭下げてんだ。横でヘラヘラしてんじゃねえぞっ。このくそバカがぁっ」と、埼玉弁と伊予弁の混じった怒りをぶつけたり・・・・・・・・・・
しませんよ。
この年ですから、もう口に出したりはしません。心で思っても、決して口にはしません。
顔で笑って心で泣いて・・・。トシを取るのは難しいもんです(^^ゞ。


さて、そういう時は、「惑星」です(^-^)。特に「火星」!
気分がスッキリします。


で、今日はマゼール/フランス国立管の「惑星」。


「火星」がドロドロしていて、もうマゼールの面目躍如。
特にラストのティンパニの強打が延々と続く部分など、マゼールでなくしては誰が出来るだろう。
音圧も最高、録音も1981年のデジタル初期のものとしては、最上級。
スピーカーから重量サウンドが迫ってくる。その快感。
物理的な快感のような気もするが、気持ち良いのは確か。

ところが一転、「金星」では神秘的な雰囲気をたたえながら、ヴァイオリンのソロがエロティシズムをまき散らす。
デリケートなピアニシモ。
「火星」との落差が激しい。ダイナミックレンジも広大。

「木星」は、辺りを払う威容。
中間部の例の盛り上がる部分では、意外にマゼールは淡々と進める(やや期待はずれ。もっと、強烈な指揮を期待している聴き手を裏切る)。
しかし、堂々とした印象は最後まで変わらない。
テンポはかなり速く、7分26秒で「木星」終了。
それでも素っ気なさを感じないのは、フランス国立管の音圧の強さのためかもしれない。

「土星」から終曲「海王星」までは、本来この曲が持っている魔術性、神秘性、妖しい雰囲気が十分に出ている。
あ、これは決して「変な演奏」という意味ではなく、マゼールの指揮が、「惑星」という曲が持つ神秘的な部分を、意味深く表出しながら聴き手に迫ってくるということ。

マゼールの「惑星」録音はこの演奏だけだったと思うし、フランスのオーケストラの「惑星」もそんなに多くないはず。

このレコードが発売された時の宣伝文句は「惑星戦争に終止符!」だった。
当時、「惑星」は人気抜群で(今もかな?)、特に冨田勲がシンセサイザー録音を発表してからは、クラシック界もどんどん録音をしていたように思う。
1970年代後半から1990年頃までは、毎年のように「惑星」の新譜があって、ボクら「惑星」好きには有り難かった。
だから「終止符!」とブチ上げたのだろうが、確かに素晴らしいレコードだったと思う。

最近、魅力的な「惑星」が減っているのは寂しいことだ。

ついでに言うと、マゼールのCBS録音の音の良さ、当たりはずれが大きいです。
この「惑星」は素晴らしい。マーラー全集も良いです。
70年代のクリーヴランド管とのベートーヴェンは最悪です、我が家では。
蛇足でしたが(^^ゞ。
2005/05/30のBlog
フルーティストで好きなのは、オーレル・ニコレであります。

クラシック音楽を聴き始めた頃は、バッハなどのバロックを聴いておりました。
廉価盤でお世話になったのが、ルドルフ・バウムガルトナー指揮のルツェルン祝祭管弦楽団。オイロディスク原盤で、当時、日本コロムビア(DENON)から盛んに新譜が出ていました。
尤も売れなかったんでしょうね、直ぐに廉価盤になるんです。
ブランデンブルク協奏曲全曲のLPなんか、確か発売後1年で5000円が3000円に値下がりしてました(^^ゞ。
そのバッハのブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲(大好き!)でフルートを受け持っていたのが、オーレル・ニコレでありました。

やがて、クラシックの知識が増えてきます。
オーレル・ニコレは、1950年から9年間ベルリン・フィルの首席フルート奏者であったこと、しかも、フルトヴェングラーが認めて首席にしたこと等を知るに及んで、信頼感は絶大になりました。
「フルトヴェングラーが認めたのか・・・・しかもニコレは24歳の若さ・・・・」

ボクは基本的にミーハーです(^^ゞ。
(このブログ、いわゆる名曲の名演奏が殆どであることでお分かりかと思います)

ですから、早い時期にニコレの演奏するバッハのフルート・ソナタ全集を手に入れております。伴奏は、カール・リヒター。アルヒーフ原盤の名演奏であります。


今日は、レコード・プレーヤーが不調なので、CDでニコレを。
伴奏・共演は藤原真理のチェロ、クリスティアーヌ・ジャコテのハープシコード。
DENONのクレスト1000シリーズで再発されたものだ。

最も長いBWV1030ロ短調ソナタ。ニコレのフルートは自在で闊達。
音は豊かで、時には太く、時にはデリカシーの固まりとなってゆく。
緩徐楽章の優しさは最高。いつまでもこの時間が続けばいいのにと思う。

無伴奏のBWV1013は、いっそうニコレのフルートを味わえて良いのだが、チェロとハープシコードが加わるホ長調とホ短調のソナタは、音の厚みが出て楽しい。
わが藤原真理のチェロが良いのは勿論だが、ジャコテのハープシコードの音色が素晴らしい。
彼女は、バウムガルトナーのブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲でもハープシコードを担当していた。上品で、決して饒舌になることがない、きれいな音色のハープシコード。この人の通奏低音があれば、ニコレも楽しかっただろうなと思う。


10年ほど前、ホームセンターでジャコテの平均律第1巻2枚組とゴルトベルク変奏曲をGETしました。2枚組で500円、4枚1000円。このジャコテの演奏がとても良いんです。
これについては、また、いつか。
2005/05/29のBlog
マーラーの交響曲第1番「巨人」。
名指揮者でマーラーの愛弟子であったブルーノ・ワルターは「これは、マーラーの『ウェルテル』だ」と言ったとか。
確かに、この交響曲は若きマーラーの青春譜だろう。
ボクにとっての青春譜でもある。

クラシック音楽に親しんでから、長い間マーラーを理解できなかった。
曲があまりにも膨大で長過ぎること。
内容が混沌としていて何が言いたいのか分からなかったこと。
声楽が入ってきて歌詞も含めて理解できなかったこと・・・・等々。

そんなボクにでも、親しみやすかったのは第1番の「巨人」だった。
比較的早い時期に、ワルター/コロンビア響やバーンスタイン/ニューヨーク・フィルのレコード(いずれもCBSソニー盤)を買って、聴いていたと思う。
(もちろん中古盤LPなのだが・・・・・)

第3楽章など馴染みのあるメロディだったし、終楽章の爆発は若いボクを奮い立たせたものだ。
第1・2楽章も親しみやすい旋律が出てくるし、木管も鳥のさえずりを思い出させて親しみやすかった。

ワルターやバーンスタインはもちろん今でも愛聴盤。
今日は、しかしワールト指揮のオランダ放送フィルを選んでみた。
1993年10月16日、アムステルダム・コンセルトヘボウでのライヴ録音。


ワールトを取り出した理由は演奏のぬくもりと若々しさ。
ワールトは、ヒューマンで暖かい。
テンポはさほど揺らさないが、遅い部分では十分な歌心をもってこちらに迫ってくる。

ライヴの一発録音なのだろう、演奏者も必死なのが分かる。
トランペットやホルンは時々苦しそうだし、音程が「ありゃ?」と思わせる部分もあるのだが、全体的には大健闘。
弦は全く美しい。
ソロヴァイオリンの美しさは絶品。

ホールの良さもあるのだろうが(なんてったってコンセルトヘボウだもの)、自然でバランスがよい好録音。
終楽章の爆発も十分。
録音が良いので、音楽のフォルムが崩れないのがイイ。


入手したのは最近なんですが、これから長い付き合いをしていきたい演奏です。
「巨人」は自分の青春でもあります。
一生感動、一生青春・・・・・(^-^)。