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2005/06/14のBlog
[ 05:24 ]
[ 協奏曲 ]
梅雨入り宣言が出たのに、はやくもカラ梅雨状態。
午後の日差しのまぶしかったこと!
夏らしく、キラキラしてました。
で、今日の1曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲であります。
ブラームスで一番好きな曲はと訊かれたら、悩んだ末に「ヴァイオリン協奏曲」と答えるだろうと思う(ピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番も実に捨てがたいから)。
世に言う「4大ヴァイオリン協奏曲」、ブラームスの協奏曲が最もとっつきにくかった。
メンデルスゾーンは中学校の音楽鑑賞以来お馴染み、だいたい冒頭の名旋律は一度聴いたら忘れないだろう。
チャイコフスキーは、クラシックを聴き始めたときからのお気に入り。
ネスカフェ・ゴールド・ブレンドのCMで盛んに使われていたから(ヴァイオリニストは江藤俊哉だったかな?)、これも直ぐに好きになった。
ベートーヴェンのVn協奏曲は、繰り返して何度も登場する主題が大変高貴で、これも直ぐに覚えた。鼻歌で口ずさむほど好きになった。
それに比べて、ブラームスは初心者には難しかった。
旋律が時に埋もれてしまう書法(つまり、内声部が充実しているということなのだが、初心者には理解できなかった)が、難しかったのだろう。
しかし何回かレコードを繰り返して聴いていると、第1楽章の充実、第2楽章の哀愁、終楽章の爆発・・・病みつきになった。
同曲異演のレコードやCDも買い込んでどんどん聴いた。
ムター、パールマン、シェリング、オイストラフ、P・ツィンマーマン、チョン・キョン・ファ・・・・などなど、まだまだ。
今日は、男性的なミルシテインのヴァイオリン独奏、オイゲン・ヨッフム指揮のウィーン・フィルの演奏で聴いた。
第1楽章、序奏部がすんでミルシテインの独奏が現れると、フワッと音楽が浮き立つように感じる。
トゥッティの部分は迫力満点だし、ピアニシモが美しい。
ミルシテインのヴァイオリンの音色が澄み切って、しなやかな一本の線のように立ちのぼる。管弦楽も、それにあわせて繊細に響く。
カデンツァはミルシテイン自身の作で、上品なもの。ここから第1楽章の終わりまではもう絶品の美しさ。
第2楽章の、オーボエ!ステージの奥から、少し鼻にかかったような優しい音色のウィンナ・オーボエが響く。決して前に出ない。
だって、前にはミルシテインがヴァイオリンを下げて、目を伏せて自分の出番を待っているから。
(この録音は1973年、もう30年以上も前のアナログ録音で、しかもDGの録音。そんなに鮮やかな録音ではないが、雰囲気はよく出ている。オーボエのソロの間、ミルシテインが目を伏せて立っているのが、見えるような録音)
第3楽章は剛毅溢れる名演。指揮はヨッフム。おっとりとした容貌からは想像できないほど、本来はエネルギッシュな演奏行う指揮者(EMIに録音したブラームスやブルックナーの全集はスゴイ)だ。ミルシテインのヴァイオリンも絶好調、VPOも一体となって爆発的に駆け抜ける。爽快。
梅雨時のカラッとした夜空を眺めながら。
今夜のミルシテイン、最高でありました。
午後の日差しのまぶしかったこと!
夏らしく、キラキラしてました。
で、今日の1曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲であります。
ブラームスで一番好きな曲はと訊かれたら、悩んだ末に「ヴァイオリン協奏曲」と答えるだろうと思う(ピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番も実に捨てがたいから)。
世に言う「4大ヴァイオリン協奏曲」、ブラームスの協奏曲が最もとっつきにくかった。
メンデルスゾーンは中学校の音楽鑑賞以来お馴染み、だいたい冒頭の名旋律は一度聴いたら忘れないだろう。
チャイコフスキーは、クラシックを聴き始めたときからのお気に入り。
ネスカフェ・ゴールド・ブレンドのCMで盛んに使われていたから(ヴァイオリニストは江藤俊哉だったかな?)、これも直ぐに好きになった。
ベートーヴェンのVn協奏曲は、繰り返して何度も登場する主題が大変高貴で、これも直ぐに覚えた。鼻歌で口ずさむほど好きになった。
それに比べて、ブラームスは初心者には難しかった。
旋律が時に埋もれてしまう書法(つまり、内声部が充実しているということなのだが、初心者には理解できなかった)が、難しかったのだろう。
しかし何回かレコードを繰り返して聴いていると、第1楽章の充実、第2楽章の哀愁、終楽章の爆発・・・病みつきになった。
同曲異演のレコードやCDも買い込んでどんどん聴いた。
ムター、パールマン、シェリング、オイストラフ、P・ツィンマーマン、チョン・キョン・ファ・・・・などなど、まだまだ。
今日は、男性的なミルシテインのヴァイオリン独奏、オイゲン・ヨッフム指揮のウィーン・フィルの演奏で聴いた。
第1楽章、序奏部がすんでミルシテインの独奏が現れると、フワッと音楽が浮き立つように感じる。
トゥッティの部分は迫力満点だし、ピアニシモが美しい。
ミルシテインのヴァイオリンの音色が澄み切って、しなやかな一本の線のように立ちのぼる。管弦楽も、それにあわせて繊細に響く。
カデンツァはミルシテイン自身の作で、上品なもの。ここから第1楽章の終わりまではもう絶品の美しさ。
第2楽章の、オーボエ!ステージの奥から、少し鼻にかかったような優しい音色のウィンナ・オーボエが響く。決して前に出ない。
だって、前にはミルシテインがヴァイオリンを下げて、目を伏せて自分の出番を待っているから。
(この録音は1973年、もう30年以上も前のアナログ録音で、しかもDGの録音。そんなに鮮やかな録音ではないが、雰囲気はよく出ている。オーボエのソロの間、ミルシテインが目を伏せて立っているのが、見えるような録音)
第3楽章は剛毅溢れる名演。指揮はヨッフム。おっとりとした容貌からは想像できないほど、本来はエネルギッシュな演奏行う指揮者(EMIに録音したブラームスやブルックナーの全集はスゴイ)だ。ミルシテインのヴァイオリンも絶好調、VPOも一体となって爆発的に駆け抜ける。爽快。
梅雨時のカラッとした夜空を眺めながら。
今夜のミルシテイン、最高でありました。
2005/06/13のBlog
[ 05:08 ]
[ 管弦楽曲 ]
梅雨入りしたというものの、四国伊予路は土曜日に降っただけで、晴れが続いております。渇水・・・・大丈夫なんでしょうか。
今日は、バッハの管弦楽組曲第1番ニ長調 BWV1066。
4つの組曲の中で最も好きなのはこれ。
中でも最も気に入っているコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
LPであります。
これは、1969年、バイエルンのキルヒハイムにあるフッガー城「糸杉の間」での録音。
この、フッガー城「糸杉の間」はルネサンス時代に作られたもので、理想的な柔らかい響きを伴うという。
その要因は黄金分割の原理による空間設計にあると考えられているらしい。(黄金分割が何か、よく分からないのだが。。。。(^^ゞ)そこから、黄金の楽団(コレギウム・アウレウム)の名称が生まれたという。
とにかく、音が柔らかい。しかも残響がこの上なく美しい。
この優しく柔らかい残響は、ほかのCDやレコードにはないものだ。
コレギウム・アウレウム合奏団独特の(糸杉の間独特のと言うべきか)、素晴らしい音。
ヴァイオリンは柔らかく豊満な響き。
倍音成分が豊かなのだろう、残響が天空に昇ってゆく感じが見える(聴こえる)。
ヴィオラやチェロの響きも深々として、これも大変豊満。
チェンバロは控えめな音量で、デリケートな音色を響かせる。
素晴らしいのは木管。
管弦楽組曲第1番ニ長調に登場するのはファゴット1本とオーボエ2本。トリオが何カ所か出てくるが、その木管の絡みは絶品だ。
ファゴットは左右のスピーカー中央で、太々とした音。
オーボエがセンターからやや右寄りに定位して、素晴らしい歌を響かせる。
残響が豊かなので、木管特有の柔らかさ・ふっくらした甘さが伝わってくる。
コレギウム・アウレウム合奏団は、古楽器では初期の部類に属する団体だろう。
演奏は、現在のようなハイスピード・ハイテンポではなくて、ゆったりと落ち着いたテンポで進んでゆく。
ドイツ的と言えそうな演奏だが、決して堅くはならない。
残響の豊かさのゆえか、大変柔軟性に富んだ演奏になっている。
レコードを買ってから25年。
あれから何枚の管弦楽組曲第1番を聴いたことだろうか。
今でも、ぼくのベスト・ワンは、このコレギウム・アウレウム合奏団の演奏であります。
CDでも購入しております。ボクの持っているCDはBMGから出ている国内盤で、2枚組。BWCD8803~04という番号。2400円の廉価盤。
音はLPと変わりません。素晴らしい音です。
今日は、バッハの管弦楽組曲第1番ニ長調 BWV1066。
4つの組曲の中で最も好きなのはこれ。
中でも最も気に入っているコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
LPであります。
これは、1969年、バイエルンのキルヒハイムにあるフッガー城「糸杉の間」での録音。
この、フッガー城「糸杉の間」はルネサンス時代に作られたもので、理想的な柔らかい響きを伴うという。
その要因は黄金分割の原理による空間設計にあると考えられているらしい。(黄金分割が何か、よく分からないのだが。。。。(^^ゞ)そこから、黄金の楽団(コレギウム・アウレウム)の名称が生まれたという。
とにかく、音が柔らかい。しかも残響がこの上なく美しい。
この優しく柔らかい残響は、ほかのCDやレコードにはないものだ。
コレギウム・アウレウム合奏団独特の(糸杉の間独特のと言うべきか)、素晴らしい音。
ヴァイオリンは柔らかく豊満な響き。
倍音成分が豊かなのだろう、残響が天空に昇ってゆく感じが見える(聴こえる)。
ヴィオラやチェロの響きも深々として、これも大変豊満。
チェンバロは控えめな音量で、デリケートな音色を響かせる。
素晴らしいのは木管。
管弦楽組曲第1番ニ長調に登場するのはファゴット1本とオーボエ2本。トリオが何カ所か出てくるが、その木管の絡みは絶品だ。
ファゴットは左右のスピーカー中央で、太々とした音。
オーボエがセンターからやや右寄りに定位して、素晴らしい歌を響かせる。
残響が豊かなので、木管特有の柔らかさ・ふっくらした甘さが伝わってくる。
コレギウム・アウレウム合奏団は、古楽器では初期の部類に属する団体だろう。
演奏は、現在のようなハイスピード・ハイテンポではなくて、ゆったりと落ち着いたテンポで進んでゆく。
ドイツ的と言えそうな演奏だが、決して堅くはならない。
残響の豊かさのゆえか、大変柔軟性に富んだ演奏になっている。
レコードを買ってから25年。
あれから何枚の管弦楽組曲第1番を聴いたことだろうか。
今でも、ぼくのベスト・ワンは、このコレギウム・アウレウム合奏団の演奏であります。
CDでも購入しております。ボクの持っているCDはBMGから出ている国内盤で、2枚組。BWCD8803~04という番号。2400円の廉価盤。
音はLPと変わりません。素晴らしい音です。
2005/06/12のBlog
[ 04:21 ]
[ 器楽曲 ]
職場の同僚で、クラシック・オタクが一人おります。
コイツは全くのオタクで、特に現代物に強いんです。
現代音楽を殆ど聴かないボクにとっては変人にしか見えません。
いわゆる「ゲテモノ趣味」ですな。(現代音楽ファンの方には申し訳ない・・・(^^ゞ)
先日も、ヘンツェの自作自演の交響曲全集(DG盤)を、ジャケット違いを見つけたから買い直したと言って、1組余ったとボクにくれました。
全く同じ音源のCDです。ジャケットだけ違います。それでも買い直す、その根性がオタクです(^^ゞ。
もっとも、現代音楽だけでなく幅広くクラシックを聴く同僚ですので、ダブリ買いもしょっちゅう起こりまして・・・。
かく言うボクも、ダブリ買いは日常茶飯事。
全集が出たからと言っては、単品物が余り、箱物で買ったらやはり今までの単品が余る。
さらに、CDショップで目に入るとつい買ってしまう習性をお互い持ちつつ、情けないことにお互いに老化してきているので、ついつい我が在庫を忘れてダブリ買い。
帰宅してから「ギャァッ」と言うこと数知れず・・・・(^^ゞ。
こういう友人がいるのは、しかし有り難いものです。
互いのダブリ買いをカバーできるんです。
「おまえ、○○持っとるか?」「いや」「ほんなら、余っとるけん、あげようわい」・・・。
こういう会話で話がまとまります。CDがまた1枚増えた(^-^)。
もっとも、お互いに盤鬼。こんな会話も行われます。
「おまえ、○○持っとるか?」「当たり前やろ。まぁまぁエエ演奏じゃったなぁ」「そか。ほうじゃわいのう、持っとるわいのう」
そして、内心思うわけです。「コイツ、またダブリ買いしよったな・・・ニヤっ」
今日のCDは、その貴重な友人がダブリ買いした貴重な一枚。
ボクにとっては大当たりでありました。
マーラーの巨人」のピアノ独奏用編曲版。
ピアノ独奏は岡城千歳。
ブルーノ・ワルターが編曲した4手用連弾版に基づいて、さらに岡城千歳が編曲したもの。
岡城自身がカナダで設立した「ジャトー(城)レーベル」から、2002年の発売。
「巨人」のピアノ版ってどんなものかいな?と好奇心で聴き始めたら、もう第1楽章でブッ飛んだ(^^ゞ。
ピアノの音色がもの凄くきれい。録音も全く素晴らしい。
岡城のナイフの切れ味のようなピアノが、鮮やか録られている。
低音はずっしりと、高音がキラキラと輝くように。
特に高音は、朝日を浴びた輝かしさ。
上等なレストランの食卓に朝日が差し込んで、真っ白い磁器の皿や、磨き上げたステンレスのナイフやフォークがまぶしく輝いている・・・そんな感じの音。
爽快で、涼やかで、聴き手をハッとさせるような燦めく音。
技巧も素晴らしい。よく指が回ること。
しかも、編曲がまた素敵だし、聴いていて実に面白い。
木管や金管に高音を割り当てているのだが、その高音部が輝くばかりに美しい。
上へ上へと突き抜けて、しかも冴え冴えとしている。
マーラー好きな人には退屈しない1枚と思います。
こんな良い音のピアノ録音、初めて聴いたような気がします。
素晴らしい。
我が同僚にして変人友人のダブリ買い = 老化 に感謝(^-^)。
コイツは全くのオタクで、特に現代物に強いんです。
現代音楽を殆ど聴かないボクにとっては変人にしか見えません。
いわゆる「ゲテモノ趣味」ですな。(現代音楽ファンの方には申し訳ない・・・(^^ゞ)
先日も、ヘンツェの自作自演の交響曲全集(DG盤)を、ジャケット違いを見つけたから買い直したと言って、1組余ったとボクにくれました。
全く同じ音源のCDです。ジャケットだけ違います。それでも買い直す、その根性がオタクです(^^ゞ。
もっとも、現代音楽だけでなく幅広くクラシックを聴く同僚ですので、ダブリ買いもしょっちゅう起こりまして・・・。
かく言うボクも、ダブリ買いは日常茶飯事。
全集が出たからと言っては、単品物が余り、箱物で買ったらやはり今までの単品が余る。
さらに、CDショップで目に入るとつい買ってしまう習性をお互い持ちつつ、情けないことにお互いに老化してきているので、ついつい我が在庫を忘れてダブリ買い。
帰宅してから「ギャァッ」と言うこと数知れず・・・・(^^ゞ。
こういう友人がいるのは、しかし有り難いものです。
互いのダブリ買いをカバーできるんです。
「おまえ、○○持っとるか?」「いや」「ほんなら、余っとるけん、あげようわい」・・・。
こういう会話で話がまとまります。CDがまた1枚増えた(^-^)。
もっとも、お互いに盤鬼。こんな会話も行われます。
「おまえ、○○持っとるか?」「当たり前やろ。まぁまぁエエ演奏じゃったなぁ」「そか。ほうじゃわいのう、持っとるわいのう」
そして、内心思うわけです。「コイツ、またダブリ買いしよったな・・・ニヤっ」
今日のCDは、その貴重な友人がダブリ買いした貴重な一枚。
ボクにとっては大当たりでありました。
マーラーの巨人」のピアノ独奏用編曲版。
ピアノ独奏は岡城千歳。
ブルーノ・ワルターが編曲した4手用連弾版に基づいて、さらに岡城千歳が編曲したもの。
岡城自身がカナダで設立した「ジャトー(城)レーベル」から、2002年の発売。
「巨人」のピアノ版ってどんなものかいな?と好奇心で聴き始めたら、もう第1楽章でブッ飛んだ(^^ゞ。
ピアノの音色がもの凄くきれい。録音も全く素晴らしい。
岡城のナイフの切れ味のようなピアノが、鮮やか録られている。
低音はずっしりと、高音がキラキラと輝くように。
特に高音は、朝日を浴びた輝かしさ。
上等なレストランの食卓に朝日が差し込んで、真っ白い磁器の皿や、磨き上げたステンレスのナイフやフォークがまぶしく輝いている・・・そんな感じの音。
爽快で、涼やかで、聴き手をハッとさせるような燦めく音。
技巧も素晴らしい。よく指が回ること。
しかも、編曲がまた素敵だし、聴いていて実に面白い。
木管や金管に高音を割り当てているのだが、その高音部が輝くばかりに美しい。
上へ上へと突き抜けて、しかも冴え冴えとしている。
マーラー好きな人には退屈しない1枚と思います。
こんな良い音のピアノ録音、初めて聴いたような気がします。
素晴らしい。
我が同僚にして変人友人のダブリ買い = 老化 に感謝(^-^)。
2005/06/11のBlog
[ 08:00 ]
[ 器楽曲 ]
夜来の雨。
今朝は、アスファルトに流れる雨を自動車が轢いて走る音が大きく聞こえます。
ようやく四国地方も梅雨でしょう。
田植えのすんだ田んぼから渡ってくる風が、やや冷たく湿っているのもこの時期ならでは。
今日一日は蒸し暑さから解放されるかもしれません。
今朝は。某オークションで激安ゲットしたセット物、DENONのマイ・クラシック・ギャラリーからの一品。
「フランス近代ピアノ名曲選」からドビュッシーの小品をいくつか聴いた。
「夢」、「アラベスク第1番」、「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」、「レントより遅く」、「花火」・・・・・もう定番中の定番。
クラシック音楽に親しむようになった学生時代から、大好きなピアノ曲。
このトシで言うのも実は恥ずかしかったりするのだが、でも、時々取り出して無性に聴きたくなる(^^ゞ。
ドビュッシーの管弦楽曲は不得意科目だが、ピアノ曲は好き。
繊細で、囁くような、ため息のように響くピアノ。
軽やかで、弾むような、そして夢見心地の音楽。
フランスパンやシャンパンが軽やかに弾けるような音楽。
どぎつくない、淡い色彩がとても良い。
ピアニストは、ご当地フランスのジャック・ルヴィエ。ペルルミュテールなどに師事したパリ音楽院出身の人らしい。
繊細なタッチで、淡々と弾いてゆく。
ドビュッシーは、この淡々とした演奏が良い。
ピアノの音がきれい。
清涼水のように透明なのだが、実は見えないベールがかかっている様な感じの音色。
音が突き抜けすぎないのが良い。
リズムは軽く弾んで、でも弾けすぎない品の良さ。
こういう演奏で、ドビュッシーをゆったり聴くのは、雨の朝の幸福であります。
休日の朝、こんなしとしと雨だと、心が落ち着きますな。
今朝は、アスファルトに流れる雨を自動車が轢いて走る音が大きく聞こえます。
ようやく四国地方も梅雨でしょう。
田植えのすんだ田んぼから渡ってくる風が、やや冷たく湿っているのもこの時期ならでは。
今日一日は蒸し暑さから解放されるかもしれません。
今朝は。某オークションで激安ゲットしたセット物、DENONのマイ・クラシック・ギャラリーからの一品。
「フランス近代ピアノ名曲選」からドビュッシーの小品をいくつか聴いた。
「夢」、「アラベスク第1番」、「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」、「レントより遅く」、「花火」・・・・・もう定番中の定番。
クラシック音楽に親しむようになった学生時代から、大好きなピアノ曲。
このトシで言うのも実は恥ずかしかったりするのだが、でも、時々取り出して無性に聴きたくなる(^^ゞ。
ドビュッシーの管弦楽曲は不得意科目だが、ピアノ曲は好き。
繊細で、囁くような、ため息のように響くピアノ。
軽やかで、弾むような、そして夢見心地の音楽。
フランスパンやシャンパンが軽やかに弾けるような音楽。
どぎつくない、淡い色彩がとても良い。
ピアニストは、ご当地フランスのジャック・ルヴィエ。ペルルミュテールなどに師事したパリ音楽院出身の人らしい。
繊細なタッチで、淡々と弾いてゆく。
ドビュッシーは、この淡々とした演奏が良い。
ピアノの音がきれい。
清涼水のように透明なのだが、実は見えないベールがかかっている様な感じの音色。
音が突き抜けすぎないのが良い。
リズムは軽く弾んで、でも弾けすぎない品の良さ。
こういう演奏で、ドビュッシーをゆったり聴くのは、雨の朝の幸福であります。
休日の朝、こんなしとしと雨だと、心が落ち着きますな。
2005/06/10のBlog
[ 06:00 ]
[ 交響曲 ]
一日中蒸し暑い日でありました。
梅雨も間近。
ただ、四国の今年は雨が今まで少ないので、やや心配。
10年前の「渇水」の記憶があるだけに・・・・。
雨が欲しいなと思います。
さて、今日の1曲は、マーラーの「大地の歌」。
カラヤン/ベルリンPOの演奏、テノールはルネ・コロ、メゾ・ソプラノはクリスタ・ルートヴィヒ。録音は1973年と翌年の2回に分けて行われたらしい。
カラヤンの描くマーラーは、全く美しい。耽美的なマーラーだと思う。
そもそもマーラーの音楽には耽美的な面が強いと思うが、その特徴を前面に押し出している演奏。
マーラーの書いた素晴らしい音楽を食材として、カラヤンが天下の名器BPOの名手たちを駆使して、最高の料理を作り上げたという感じ。
圧倒的な管弦楽。独唱の二人も素晴らしい。贅沢な料理だよなぁ・・・・(^-^)。
まず、ソロ楽器が上手い。
もう、めちゃくちゃ上手い。しかも、妖しい雰囲気を醸し出しつつ、徹底的に磨き上げた音楽を聴かせてくれる。
フルートのソロは、やや太めの音。夜の霧の中に溶けてゆくような、雰囲気豊かな音で、ソプラノやテノールの背後で奏でてゆく。
オーボエやイングリッシュ・ホルンもそう。ソロが前面に出てくることはなく、歌手の背後で、妖しく歌う。その歌が、独唱にピッタリと寄り添っている。
歌がないときのソロでさえ、歌手が前にいて、その後ろで響かせている感じ。
これも音はやや太め。金属的な突き刺すような音は全くなく、やや抑えめの音が実に良い。
フルートとオーボエが、ボクには特徴的に聞こえるのだが、ホルンやトランペット、ファゴットも、雰囲気そのものは同じ世界だ。
独唱の二人は、絶好調といって良いと思う。
コロのテノールは、様々なオペラで聴いたとおり、素晴らしく伸びやかな声。
ルートヴィッヒはさらに素晴らしい。潤いのある声。
水に濡れたような声で歌う終楽章の「告別」は圧倒的だ。
抑えめの歌唱が、美しい。
カラヤンのマーラーについては、1980年頃は、「人工的なマーラー」「美しさだけのマーラー」「表面的」などと、悪評が多かったように思う。
アンチ・カラヤン派には、「カラヤンのマーラー」は格好の標的だったのだろう。
極めつけは「一流のニセモノは、二流・三流のホンモノを上回る」。
(これは某評論家が使った表現。言い得て妙だが、しかし、まぁヒドイ評だな。ただ、彼は「カラヤン嫌い」ではなかったはずだ。最近全く見かけないがどうしているのか?)
録音も今から30年前のものとは思えない、鮮明で奥行きも深い。
DGの録音は時に乾いてスカスカとしたものがあるのだが、これは潤いもあって、十分な鮮度だと思う。
「名曲」の「名演」の「名録音」。
これはボクにとっての名盤であります。
梅雨も間近。
ただ、四国の今年は雨が今まで少ないので、やや心配。
10年前の「渇水」の記憶があるだけに・・・・。
雨が欲しいなと思います。
さて、今日の1曲は、マーラーの「大地の歌」。
カラヤン/ベルリンPOの演奏、テノールはルネ・コロ、メゾ・ソプラノはクリスタ・ルートヴィヒ。録音は1973年と翌年の2回に分けて行われたらしい。
カラヤンの描くマーラーは、全く美しい。耽美的なマーラーだと思う。
そもそもマーラーの音楽には耽美的な面が強いと思うが、その特徴を前面に押し出している演奏。
マーラーの書いた素晴らしい音楽を食材として、カラヤンが天下の名器BPOの名手たちを駆使して、最高の料理を作り上げたという感じ。
圧倒的な管弦楽。独唱の二人も素晴らしい。贅沢な料理だよなぁ・・・・(^-^)。
まず、ソロ楽器が上手い。
もう、めちゃくちゃ上手い。しかも、妖しい雰囲気を醸し出しつつ、徹底的に磨き上げた音楽を聴かせてくれる。
フルートのソロは、やや太めの音。夜の霧の中に溶けてゆくような、雰囲気豊かな音で、ソプラノやテノールの背後で奏でてゆく。
オーボエやイングリッシュ・ホルンもそう。ソロが前面に出てくることはなく、歌手の背後で、妖しく歌う。その歌が、独唱にピッタリと寄り添っている。
歌がないときのソロでさえ、歌手が前にいて、その後ろで響かせている感じ。
これも音はやや太め。金属的な突き刺すような音は全くなく、やや抑えめの音が実に良い。
フルートとオーボエが、ボクには特徴的に聞こえるのだが、ホルンやトランペット、ファゴットも、雰囲気そのものは同じ世界だ。
独唱の二人は、絶好調といって良いと思う。
コロのテノールは、様々なオペラで聴いたとおり、素晴らしく伸びやかな声。
ルートヴィッヒはさらに素晴らしい。潤いのある声。
水に濡れたような声で歌う終楽章の「告別」は圧倒的だ。
抑えめの歌唱が、美しい。
カラヤンのマーラーについては、1980年頃は、「人工的なマーラー」「美しさだけのマーラー」「表面的」などと、悪評が多かったように思う。
アンチ・カラヤン派には、「カラヤンのマーラー」は格好の標的だったのだろう。
極めつけは「一流のニセモノは、二流・三流のホンモノを上回る」。
(これは某評論家が使った表現。言い得て妙だが、しかし、まぁヒドイ評だな。ただ、彼は「カラヤン嫌い」ではなかったはずだ。最近全く見かけないがどうしているのか?)
録音も今から30年前のものとは思えない、鮮明で奥行きも深い。
DGの録音は時に乾いてスカスカとしたものがあるのだが、これは潤いもあって、十分な鮮度だと思う。
「名曲」の「名演」の「名録音」。
これはボクにとっての名盤であります。
2005/06/09のBlog
[ 04:54 ]
[ 交響曲 ]
イシュトバン・ケルテスの未完成。
オケはウィーン・フィル。1963年録音のDECCA盤。
ケルテスとしてはレコードでビューして間もない頃。
この10年後にケルテスはテルアヴィブで水難事故に遭って夭逝してしまう。
だから「未完成」以後の10年が、ケルテスの全盛期であったのだ。
冒頭のチェロとコントラバスのが聞こえるか聞こえないか、というピアニシモ(我が家のオーディオシステムでは、これをきちんと聴こうとすると、フォルティシモで部屋が割れそうになる(^^ゞ・・・)・・・・やがて、例のオーボエとクラリネットのユニゾンが始まる。
その静謐さは、いつ聴いても大変美しい。
そして弦が活躍し始め、音量も増大してゆくのだが、時折ビックリするようなアクセント(いや、これはアタックと言っていいくらい爆発的)で、スフォルツァンドが出てくる。
金管も打楽器も含めての大音響。特にティンパニの強打は凄まじい。
まるで優美でなく、豊かな情感もない。
繊細でもなく抒情的でもない。
爆発的な音量で、管弦楽が叫ぶ。
恐ろしい穴がポッカリと口を開けているような音楽。
覗いたら、そのまんま吸い込まれて、死の淵に追いやられていってしまうような音楽。
第2楽章も同じ。確かに、遅いところでは、かなり遅くケルテスは演奏させる。
それはロマンティックだし、情感豊かでもある。オケは天下のウィーン・フィルだ。
ところが、ここでも例のアクセント(アタック)が出る。
そして音楽が息せき切って奔流となって、盛り上がってゆく。
やはり、コワイ音楽になっている。
シューベルトってこんなに恐ろしい音楽を書いたのかしら?
もっと、優しく流れるような、きれいな旋律を歌い上げるような、そんな音楽を書いたのではなかったのかしら?
夭折した作曲家は、この音楽を書いたときにすでに死の前兆を感じていた・・・・とでも言いたげなケルテスの指揮。
ケルテスも死神に捕らえられて早死にしたのは、出来すぎた話かな(^^ゞ。
このレコード(あとでCDを買い直しました)、初めて聴いたときは夜中でありまして、ヘッドホンで聴いておりました。その時の印象は今も変わりません。
恐ろしかった。途中で聴くのをやめようかとさえ思いました。
これはコワイ演奏であります。
夜中、独りで聴いていると、つい後ろを振り返ってしまうような演奏(^^ゞ。
この未完成の中には、「何か」がおります・・・・。
ボクは臆病者であります・・・(^^ゞ。
なお、カップリングの5番は優美きわまりない爽快な演奏です。
怖いアクセントは出てきません。安心してお聴きください。
7年前だったか、インマゼール指揮のアニマ・エテルナという古楽器団体のシューベルト演奏が話題になったので、何枚か購入しました。
で、驚きました。これ、ケルテスの未完成そっくり。
(と、ボクには思えました)
ケルテスは30年以上も前に、今日の演奏スタイルを先取りしていたんじゃないのか?
今はそんな風に思っています。
オケはウィーン・フィル。1963年録音のDECCA盤。
ケルテスとしてはレコードでビューして間もない頃。
この10年後にケルテスはテルアヴィブで水難事故に遭って夭逝してしまう。
だから「未完成」以後の10年が、ケルテスの全盛期であったのだ。
冒頭のチェロとコントラバスのが聞こえるか聞こえないか、というピアニシモ(我が家のオーディオシステムでは、これをきちんと聴こうとすると、フォルティシモで部屋が割れそうになる(^^ゞ・・・)・・・・やがて、例のオーボエとクラリネットのユニゾンが始まる。
その静謐さは、いつ聴いても大変美しい。
そして弦が活躍し始め、音量も増大してゆくのだが、時折ビックリするようなアクセント(いや、これはアタックと言っていいくらい爆発的)で、スフォルツァンドが出てくる。
金管も打楽器も含めての大音響。特にティンパニの強打は凄まじい。
まるで優美でなく、豊かな情感もない。
繊細でもなく抒情的でもない。
爆発的な音量で、管弦楽が叫ぶ。
恐ろしい穴がポッカリと口を開けているような音楽。
覗いたら、そのまんま吸い込まれて、死の淵に追いやられていってしまうような音楽。
第2楽章も同じ。確かに、遅いところでは、かなり遅くケルテスは演奏させる。
それはロマンティックだし、情感豊かでもある。オケは天下のウィーン・フィルだ。
ところが、ここでも例のアクセント(アタック)が出る。
そして音楽が息せき切って奔流となって、盛り上がってゆく。
やはり、コワイ音楽になっている。
シューベルトってこんなに恐ろしい音楽を書いたのかしら?
もっと、優しく流れるような、きれいな旋律を歌い上げるような、そんな音楽を書いたのではなかったのかしら?
夭折した作曲家は、この音楽を書いたときにすでに死の前兆を感じていた・・・・とでも言いたげなケルテスの指揮。
ケルテスも死神に捕らえられて早死にしたのは、出来すぎた話かな(^^ゞ。
このレコード(あとでCDを買い直しました)、初めて聴いたときは夜中でありまして、ヘッドホンで聴いておりました。その時の印象は今も変わりません。
恐ろしかった。途中で聴くのをやめようかとさえ思いました。
これはコワイ演奏であります。
夜中、独りで聴いていると、つい後ろを振り返ってしまうような演奏(^^ゞ。
この未完成の中には、「何か」がおります・・・・。
ボクは臆病者であります・・・(^^ゞ。
なお、カップリングの5番は優美きわまりない爽快な演奏です。
怖いアクセントは出てきません。安心してお聴きください。
7年前だったか、インマゼール指揮のアニマ・エテルナという古楽器団体のシューベルト演奏が話題になったので、何枚か購入しました。
で、驚きました。これ、ケルテスの未完成そっくり。
(と、ボクには思えました)
ケルテスは30年以上も前に、今日の演奏スタイルを先取りしていたんじゃないのか?
今はそんな風に思っています。
2005/06/08のBlog
[ 05:10 ]
[ 交響曲 ]
またもやハイティンクであります。
好きなんだから仕方ありません。
しかも、ブルックナーの「ロマンティック」(^^ゞ。
このブログで、3度目の登場であります。
○ブロムシュテット盤
○マズア盤
そのくらい好きで、しょっちゅう聴いている証拠だということです。
「ロマンティック」に限らず、スケールの大きい管弦楽を聴きたいとき、ボクはついつい、ハイティンクの指揮した演奏を取り出してしまう。
相性が良いんだろう。
ハイティンクが振ると、どんな音楽も誠実で暖かくなる。
楽曲の素晴らしさを余すところなく汲み上げて、目の前に示してくれる職人芸に優れているのだと思う。
妙な演出もしないし、盛り上がる部分で見得を切るようなところもない。
ただひたすら終結に向かって、その音楽の持つ素晴らしさを、表現し続ける。
ハイティンクが振ると、音楽のどの部分もその特徴が明らかになる。
美しいところは美しく、悲鳴を上げるところは悲鳴を。
しかし、度を超すことはない。音楽は常に豊かで円満だ。
今日のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」も、スケール雄大で豊麗な音楽になる。
もともと、豊かにオケが鳴るように書かれているんだろうし、構造も雄大なのだろう。
しかし、それを1時間以上にわたって維持し続けて、聴き手に飽きさせない、浸らせてくれる指揮者は、そうはいない。
指揮者の解釈を聴きたければ、ボクは別のCDを取り出す。
「ロマンティック」を面白く聴きたければ、他にもCDがある。
休日や仕事の終えた後の、ホッとしているとき、安心して身を任せられるのはハイティンクだ。
しかも、オケはウィーン・フィルで、さらにフィリップスの名録音。
ホルンはステージ左奥で甘く歌い、オーボエは中央の中奥で、独特の鼻にかかったような切ない響きを作り出す。
ファゴットはその右手で、渋い音色を紡ぎ出す。
ヴァイオリン群は艶のある、輝くような(フィリップスの録音だからハデハデにはならないが)音色で、歌い上げる。
オケの最強奏でも崩れない録音はさすがフィリップス。
ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ盤もよし。
そしてこのハイティンク/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。
今後もずっと永く大切にしていきたい1枚であります。
好きなんだから仕方ありません。
しかも、ブルックナーの「ロマンティック」(^^ゞ。
このブログで、3度目の登場であります。
○ブロムシュテット盤
○マズア盤
そのくらい好きで、しょっちゅう聴いている証拠だということです。
「ロマンティック」に限らず、スケールの大きい管弦楽を聴きたいとき、ボクはついつい、ハイティンクの指揮した演奏を取り出してしまう。
相性が良いんだろう。
ハイティンクが振ると、どんな音楽も誠実で暖かくなる。
楽曲の素晴らしさを余すところなく汲み上げて、目の前に示してくれる職人芸に優れているのだと思う。
妙な演出もしないし、盛り上がる部分で見得を切るようなところもない。
ただひたすら終結に向かって、その音楽の持つ素晴らしさを、表現し続ける。
ハイティンクが振ると、音楽のどの部分もその特徴が明らかになる。
美しいところは美しく、悲鳴を上げるところは悲鳴を。
しかし、度を超すことはない。音楽は常に豊かで円満だ。
今日のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」も、スケール雄大で豊麗な音楽になる。
もともと、豊かにオケが鳴るように書かれているんだろうし、構造も雄大なのだろう。
しかし、それを1時間以上にわたって維持し続けて、聴き手に飽きさせない、浸らせてくれる指揮者は、そうはいない。
指揮者の解釈を聴きたければ、ボクは別のCDを取り出す。
「ロマンティック」を面白く聴きたければ、他にもCDがある。
休日や仕事の終えた後の、ホッとしているとき、安心して身を任せられるのはハイティンクだ。
しかも、オケはウィーン・フィルで、さらにフィリップスの名録音。
ホルンはステージ左奥で甘く歌い、オーボエは中央の中奥で、独特の鼻にかかったような切ない響きを作り出す。
ファゴットはその右手で、渋い音色を紡ぎ出す。
ヴァイオリン群は艶のある、輝くような(フィリップスの録音だからハデハデにはならないが)音色で、歌い上げる。
オケの最強奏でも崩れない録音はさすがフィリップス。
ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ盤もよし。
そしてこのハイティンク/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。
今後もずっと永く大切にしていきたい1枚であります。
2005/06/07のBlog
[ 04:58 ]
[ 協奏曲 ]
早朝のジョギング、ここ数週間は、走ったりサボったりであります。
踵の痛みがなかなか消えないので、無理をしないことにしたのであります。
このトシですから、体が壊れるほど走っては何にもなりませんから。
この1年、あまり体重は変わりませんが、体型は変わりました。
ズボンのベルトが確実に1穴縮んでいます。
病気も全くしなくなりました。
さて、暑くなってきますと、僕の住む街では、地下水がさらに美味しくなります。
気温が上がるほど、蛇口から出る水(実はポンプで汲み上げている地下水)が冷たく感じるんです。
もちろん、冷蔵庫で冷やして飲む方がもっと旨いんでしょうが、取りあえず、走った後に蛇口をひねってコップ2杯、ゴクゴクッ・・・・最高であります。
今日聴いたレコードは(最近は、LPばかり聴いておりますが)、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503。
演奏は、ピアノがアリシア・デ・ラローチャ、管弦楽はショルティ指揮のロンドン・フィル。1977年12月録音で、日本盤は1979年暮れの新譜。
カップリングは27番のピアノ協奏曲。
ラローチャのピアノが、きれい。
きれいな音。清らかで、光りながら転がるような音色。
「うちぬき水」のような清冽さ。キーンと冷やしきった水ではなく、自然の冷たさを持った水のような味わい。
ジョギングで見かける、朝露に濡れた草木のような、気持ち良い音色。
こんな音でモーツァルトを弾いてくれたら、それはもう、至福の境地。
テンポはゆったりとして、急ぎすぎない。
「おおらか」と言うよりは、モーツァルトの音楽を心から慈しみながら、清冽な音色で弾き通す。そんな感じ。
バックのショルティも、しっとりと、豊かにオケをならして、しかもよく歌う。
インテンポでまっしぐらに進んでゆくいつものショルティではなく、ラローチャにそっと寄り添う大人の音楽をつくってゆく。
第1楽章の木管が饒舌。というより、それぞれのプレイを楽しんでいる感じ。
悪い意味ではなく、楽しそうに「にぎやか」に演奏してる様子が分かる。
録音が素晴らしい。
アナログ最末期の、DECCAらしい名録音。
これ、LPだから、こんなに良い音なのかな?
キングレコード、SLA1236のレコード番号。
翌年、ロンドン・レコードが創立され、DECCA原盤の新譜はキングからロンドン・レコードに移った。その最後のレコードで、重さも十分。
アナログ最末期のレコードは随分軽量になっていったから、その点では貴重な盤であります。
踵の痛みがなかなか消えないので、無理をしないことにしたのであります。
このトシですから、体が壊れるほど走っては何にもなりませんから。
この1年、あまり体重は変わりませんが、体型は変わりました。
ズボンのベルトが確実に1穴縮んでいます。
病気も全くしなくなりました。
さて、暑くなってきますと、僕の住む街では、地下水がさらに美味しくなります。
気温が上がるほど、蛇口から出る水(実はポンプで汲み上げている地下水)が冷たく感じるんです。
もちろん、冷蔵庫で冷やして飲む方がもっと旨いんでしょうが、取りあえず、走った後に蛇口をひねってコップ2杯、ゴクゴクッ・・・・最高であります。
今日聴いたレコードは(最近は、LPばかり聴いておりますが)、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503。
演奏は、ピアノがアリシア・デ・ラローチャ、管弦楽はショルティ指揮のロンドン・フィル。1977年12月録音で、日本盤は1979年暮れの新譜。
カップリングは27番のピアノ協奏曲。
ラローチャのピアノが、きれい。
きれいな音。清らかで、光りながら転がるような音色。
「うちぬき水」のような清冽さ。キーンと冷やしきった水ではなく、自然の冷たさを持った水のような味わい。
ジョギングで見かける、朝露に濡れた草木のような、気持ち良い音色。
こんな音でモーツァルトを弾いてくれたら、それはもう、至福の境地。
テンポはゆったりとして、急ぎすぎない。
「おおらか」と言うよりは、モーツァルトの音楽を心から慈しみながら、清冽な音色で弾き通す。そんな感じ。
バックのショルティも、しっとりと、豊かにオケをならして、しかもよく歌う。
インテンポでまっしぐらに進んでゆくいつものショルティではなく、ラローチャにそっと寄り添う大人の音楽をつくってゆく。
第1楽章の木管が饒舌。というより、それぞれのプレイを楽しんでいる感じ。
悪い意味ではなく、楽しそうに「にぎやか」に演奏してる様子が分かる。
録音が素晴らしい。
アナログ最末期の、DECCAらしい名録音。
これ、LPだから、こんなに良い音なのかな?
キングレコード、SLA1236のレコード番号。
翌年、ロンドン・レコードが創立され、DECCA原盤の新譜はキングからロンドン・レコードに移った。その最後のレコードで、重さも十分。
アナログ最末期のレコードは随分軽量になっていったから、その点では貴重な盤であります。
2005/06/06のBlog
[ 00:43 ]
[ 交響曲 ]
毎晩10時頃には眠くなり、床に入ります。
そして4時過ぎに目を覚まし(目が覚めてしまい (^^ゞ・・)、5時半からジョグに出かけます。
6時間程度しか寝られません。寄る年波のせいであります。
もっと寝たいのに、寝られません。特に「二度寝」が出来なくなりました。
困るのは、夜中に目覚めてしまったときです。例えば、今・・・12時50分。
どうしよう。・・・・このまま寝られず、朝まで・・・・・(^^ゞ
と、困りつつブログを書いてます・・・やれやれ(^^ゞ。
最近はアナログ・ディスクばかり聴いております。
針音や雑音、汚れや埃のパチパチ・ノイズが多いレコードもあるんですが、それがまた良いというか・・・・トシのせいかもしれません。
妙に懐かしくて、例の、「ヒゲ」に気をつけながらターン・テーブルにレコードを乗せたり、ブラシでクリーニングしたりする儀式を楽しんでいます。
で、連日のモーツァルト、交響曲第40番ト短調であります。
今日はジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏で。
1967年録音というから、もう40年近く前になってしまった。
レコードは、CBSソニーが「ベスト・クラシック100」と称していた2000円盤。
1982年頃に発売していたもの。
ジャケットは、セル/クリーヴランドの大阪万博記念の来日公演の写真であります。
演奏は、第1楽章から峻厳そのもの。峻厳に聞こえるのは、低弦のリズムの刻みが厳しいからだと思う。
特に、ヴィオラの刻みがきっちりとしていて、緩みがない。
その上にヴァイオリンが優美な旋律を奏でてゆく。ヴァイオリンが優美なのは、レガートを多用しているからだろう。
そして、最も特徴的なのは、あの有名な冒頭の旋律(例の「哀しみにシンフォニー」であります・・・(^^ゞ・・)が何度も出てくるのだが、ヴァイオリンで弾かせるところでセルはルバートをかけているのだ。
聴き手をドキッとさせる演出。
何か恐ろしいものをのぞき込んだようなゾクゾク感。あるいは、その恐怖を避けて通ろうとしているような感覚。
フッとためるような演出だから、得も言われぬ「はかなさ」さえ感じさせる・・・・。
この何回も反復する旋律で、ルバートをかけた演奏・・・・さぁ、セルの時代は当たり前だったのかどうかは知らないが、我が家にはこの演奏しかないなぁ。
第2・3楽章のアンサンブルの緊密さは快感。
第2楽章でのヴァイオリン群は、実にスマート。人数を感じさせない。こういうのを評論家たちは「室内楽的」と称したんだろう。
第3楽章での、木管のアンサンブルも気持ち良い。フルート・オーボエ・ファゴットが次々に登場して、見事な技術を聴かせる。そんなに歌ってはいないのだが、味わい深い。
終楽章は、「速い」。いや、タイミングを見ると、実はそんなに速くない。4分40秒だ。
しかし、実時間より速く感じる。
弦楽が、何かから一斉に逃げててゆくような演奏。
何かコワイものがあって、そこからどんどん逃げ出してゆく。
第1楽章で感じた、何か恐ろしいものを避けようとしているかのよう・・・。
モーツァルトは疾走する。
その疾走感を表出したのがセルなのだ。
だから、セルはボクにとって大切なモーツァルト指揮者であります。
そして4時過ぎに目を覚まし(目が覚めてしまい (^^ゞ・・)、5時半からジョグに出かけます。
6時間程度しか寝られません。寄る年波のせいであります。
もっと寝たいのに、寝られません。特に「二度寝」が出来なくなりました。
困るのは、夜中に目覚めてしまったときです。例えば、今・・・12時50分。
どうしよう。・・・・このまま寝られず、朝まで・・・・・(^^ゞ
と、困りつつブログを書いてます・・・やれやれ(^^ゞ。
最近はアナログ・ディスクばかり聴いております。
針音や雑音、汚れや埃のパチパチ・ノイズが多いレコードもあるんですが、それがまた良いというか・・・・トシのせいかもしれません。
妙に懐かしくて、例の、「ヒゲ」に気をつけながらターン・テーブルにレコードを乗せたり、ブラシでクリーニングしたりする儀式を楽しんでいます。
で、連日のモーツァルト、交響曲第40番ト短調であります。
今日はジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏で。
1967年録音というから、もう40年近く前になってしまった。
レコードは、CBSソニーが「ベスト・クラシック100」と称していた2000円盤。
1982年頃に発売していたもの。
ジャケットは、セル/クリーヴランドの大阪万博記念の来日公演の写真であります。
演奏は、第1楽章から峻厳そのもの。峻厳に聞こえるのは、低弦のリズムの刻みが厳しいからだと思う。
特に、ヴィオラの刻みがきっちりとしていて、緩みがない。
その上にヴァイオリンが優美な旋律を奏でてゆく。ヴァイオリンが優美なのは、レガートを多用しているからだろう。
そして、最も特徴的なのは、あの有名な冒頭の旋律(例の「哀しみにシンフォニー」であります・・・(^^ゞ・・)が何度も出てくるのだが、ヴァイオリンで弾かせるところでセルはルバートをかけているのだ。
聴き手をドキッとさせる演出。
何か恐ろしいものをのぞき込んだようなゾクゾク感。あるいは、その恐怖を避けて通ろうとしているような感覚。
フッとためるような演出だから、得も言われぬ「はかなさ」さえ感じさせる・・・・。
この何回も反復する旋律で、ルバートをかけた演奏・・・・さぁ、セルの時代は当たり前だったのかどうかは知らないが、我が家にはこの演奏しかないなぁ。
第2・3楽章のアンサンブルの緊密さは快感。
第2楽章でのヴァイオリン群は、実にスマート。人数を感じさせない。こういうのを評論家たちは「室内楽的」と称したんだろう。
第3楽章での、木管のアンサンブルも気持ち良い。フルート・オーボエ・ファゴットが次々に登場して、見事な技術を聴かせる。そんなに歌ってはいないのだが、味わい深い。
終楽章は、「速い」。いや、タイミングを見ると、実はそんなに速くない。4分40秒だ。
しかし、実時間より速く感じる。
弦楽が、何かから一斉に逃げててゆくような演奏。
何かコワイものがあって、そこからどんどん逃げ出してゆく。
第1楽章で感じた、何か恐ろしいものを避けようとしているかのよう・・・。
モーツァルトは疾走する。
その疾走感を表出したのがセルなのだ。
だから、セルはボクにとって大切なモーツァルト指揮者であります。
2005/06/05のBlog
[ 04:35 ]
[ 交響曲 ]
蒸し暑くなってきました。
四国伊予路は好天が続いておりますが、木曜日の雨以来、湿度が上昇しています。
朝晩の風、特に田んぼを渡ってくる風は爽やかで心地よいのですが、日中は30度前後まで気温が上がっているようです。
田植えも進んでいます。我が家の南面には、日本の「田園」風景が広がります。
この日差し、湿度を思うと、もうすぐ、梅雨入りでしょう。
さて、カートリッジを替えてから、アナログ・ディスクばかり聴いております(^-^)。
今日は、イシュトバン・ケルテス指揮ウィーン・フィルのモーツァルト交響曲第40番ト短調。
1972年の録音だから、夭折したケルテスの最晩年の演奏になる。
このLPの発売は1986年。
CDがいよいよLPを駆逐し始める頃、キングが最後に発売した名盤シリーズのうちの1枚、当時2000円(この価格だとミドル・プライス盤だった)。
ケルテスは、ウィーン・フィルとの例のデビュー盤、ドヴォルザークの「新世界」という超名盤の他にも、シューベルトやブラームスの交響曲全集という素敵なアルバムがあった。
このモーツァルトも、ケルテスらしい爽快で生き生きと弾む素晴らしい演奏だ。
第1楽章からケルテスは落ち着いたテンポをとって、正攻法でウィーン・フィルをドライブしてゆく。
そのしっかりした足取りを聴きながら、「あぁ、あのころの演奏スタイルだなぁ」とノスタルジーを感じる。
リズムは爽やかに弾んで、またVPOの弦が全く綺麗。輝くような色艶。
レコードのせいか、ふっくらと暖かみもある。ロマンティックな味わいも濃厚。
安心して身を任せられる。
木管も美しい。ケルテスはクラリネットを含む第2版の楽譜を採用しているが、演奏効果が十分に発揮されている。
面白いのは終楽章。いままでの落ち着いたテンポ・演奏だったものが、高速にギア・チェンジ。
オケを一気に開放して、盛り上げてゆく。
速い。
オケもそれに応じて、疾走する。
「ああ、そうだ、モーツァルトの短調は奔る哀しみだった」・・・・。そんなことを思い出させる演奏。
聴き終わったあとの満足度も大きい。
イイ音楽を聴かせてもらいました。
この指揮者が早く死んでしまったのが、全く惜しい。せめて、ベートーヴェンの何枚か、正規に録音してくれなかったものか。
まぁね、あの時代、そうそうベートーヴェン全集など簡単に録音できるものではなかったし、DECCA・ウィーン・フィルにはイッセルシュテット盤があったしね(^^ゞ。
無い物ねだりであるのは分かっているんですがね、惜しいな。
この人のブラームスやシューベルトが素晴らしいだけにね、ベートーヴェンを聴いてみたいですな。
四国伊予路は好天が続いておりますが、木曜日の雨以来、湿度が上昇しています。
朝晩の風、特に田んぼを渡ってくる風は爽やかで心地よいのですが、日中は30度前後まで気温が上がっているようです。
田植えも進んでいます。我が家の南面には、日本の「田園」風景が広がります。
この日差し、湿度を思うと、もうすぐ、梅雨入りでしょう。
さて、カートリッジを替えてから、アナログ・ディスクばかり聴いております(^-^)。
今日は、イシュトバン・ケルテス指揮ウィーン・フィルのモーツァルト交響曲第40番ト短調。
1972年の録音だから、夭折したケルテスの最晩年の演奏になる。
このLPの発売は1986年。
CDがいよいよLPを駆逐し始める頃、キングが最後に発売した名盤シリーズのうちの1枚、当時2000円(この価格だとミドル・プライス盤だった)。
ケルテスは、ウィーン・フィルとの例のデビュー盤、ドヴォルザークの「新世界」という超名盤の他にも、シューベルトやブラームスの交響曲全集という素敵なアルバムがあった。
このモーツァルトも、ケルテスらしい爽快で生き生きと弾む素晴らしい演奏だ。
第1楽章からケルテスは落ち着いたテンポをとって、正攻法でウィーン・フィルをドライブしてゆく。
そのしっかりした足取りを聴きながら、「あぁ、あのころの演奏スタイルだなぁ」とノスタルジーを感じる。
リズムは爽やかに弾んで、またVPOの弦が全く綺麗。輝くような色艶。
レコードのせいか、ふっくらと暖かみもある。ロマンティックな味わいも濃厚。
安心して身を任せられる。
木管も美しい。ケルテスはクラリネットを含む第2版の楽譜を採用しているが、演奏効果が十分に発揮されている。
面白いのは終楽章。いままでの落ち着いたテンポ・演奏だったものが、高速にギア・チェンジ。
オケを一気に開放して、盛り上げてゆく。
速い。
オケもそれに応じて、疾走する。
「ああ、そうだ、モーツァルトの短調は奔る哀しみだった」・・・・。そんなことを思い出させる演奏。
聴き終わったあとの満足度も大きい。
イイ音楽を聴かせてもらいました。
この指揮者が早く死んでしまったのが、全く惜しい。せめて、ベートーヴェンの何枚か、正規に録音してくれなかったものか。
まぁね、あの時代、そうそうベートーヴェン全集など簡単に録音できるものではなかったし、DECCA・ウィーン・フィルにはイッセルシュテット盤があったしね(^^ゞ。
無い物ねだりであるのは分かっているんですがね、惜しいな。
この人のブラームスやシューベルトが素晴らしいだけにね、ベートーヴェンを聴いてみたいですな。
2005/06/04のBlog
[ 04:22 ]
[ 交響曲 ]
先日カートリッジを新しくしました。大変久しぶり。
(ここでは書けないくらい、長い間、カートリッジを替えぬままLPを聴いておりました。)
新しいカートリッジは、オーディオ・テクニカ製のVM型。
某オークションに「送料込み1万円即決」で出品されていたので、GET。
今まではもう少し上等のMC型を2種類、取り替えては楽しんでいたのだが、さすがに経年劣化が激しかったようだ。
というのは、新しいので聴くLPはまるで別物だったから。
アナログらしくトロッとした音。
VM型なので、各楽器の繊細さ・空間的広がりは今一歩のように思うが、豊麗で屈託ない鳴りっぷりは大層心地よい。
何より、弦が柔らかいのは気持ちいいし、長時間聴いても疲れないのはアナログならではだと思う。
今日は、レコードでしか持っていないハイティンクの「グレート」。
シューベルトの交響曲第9番「グレート」は、あれこれ聴いてきて、ジュリーニ/シカゴSOの演奏が最高かなと思うのだが、シューベルトのこの曲そのものが素晴らしいので、他の指揮者でも十分楽しい。
何より、クラシックは聴き比べが楽しいので(^-^)。
尤も、このハイティンク盤、CDでいつか買い直そうと思っているうちに見かけなくなってしまった。
15年ほど前にフィリップスが出した1700円の廉価盤で見たくらいで、瞬く間に廃盤になってしまった(^^ゞ。
先日、某オークションで出品されていたが、何とまあ2000円以上の高値で取引されていた\(◎o◎)/!。
大好きなハイティンク盤が高値だと、ミーハーとしては何となく嬉しい気持ちもしたが。
さて、その演奏は、ハイティンク/コンセルトヘボウ管のコンビらしく、やや暗めだがオケの持つ豊かな音を生かし切って、誠実きわまりないものだ。
第1楽章の序奏部は、息の長い悠揚迫らぬテンポでスケール豊か。
主部に入る部分では少々アッチェランドするが、速くなりすぎないところも良い。
歌心も十分だが、正確なリズムの刻みも忘れないハイティンクならではの正直さ。
第2楽章は木管と弦楽のバランスが美しい。
オーボエの音色など、「あぁコンセルトヘボウ管の音!」。
豊かに膨らんでゆく弦楽も、気持ち良い。いつまでも浸っていたい音、音。
第3楽章になると、俄然、弦が豊かに歌い出す。
ヴァイオリンもビオラも、低弦群も、期待通りに歌ってくれる。
テンポは速すぎず遅すぎず、ハイティンクらしい着実な足取り。
第4楽章は、見事な盛り上がりで終結してゆく。
迫力あるクライマックスだが、決して騒ぎすぎないのはいつものハイティンク。
他の演奏と比べて飛び抜けた特徴はないですし、ここがスゴイという部分もそうあるわけではないです。
ただ、全曲を聴き終わったときの充実感は、いつものハイティンクの演奏と同じです。
「ああ、また聴きたいなぁ」と思わせる演奏。
何度も何度も味わっているうちに、ジワジワと旨さが染み出してくるような演奏。
たぶんCDでも印象は変わらないでしょう。
この演奏は当分LPで、大切に聴いていこうと思います。
(ここでは書けないくらい、長い間、カートリッジを替えぬままLPを聴いておりました。)
新しいカートリッジは、オーディオ・テクニカ製のVM型。
某オークションに「送料込み1万円即決」で出品されていたので、GET。
今まではもう少し上等のMC型を2種類、取り替えては楽しんでいたのだが、さすがに経年劣化が激しかったようだ。
というのは、新しいので聴くLPはまるで別物だったから。
アナログらしくトロッとした音。
VM型なので、各楽器の繊細さ・空間的広がりは今一歩のように思うが、豊麗で屈託ない鳴りっぷりは大層心地よい。
何より、弦が柔らかいのは気持ちいいし、長時間聴いても疲れないのはアナログならではだと思う。
今日は、レコードでしか持っていないハイティンクの「グレート」。
シューベルトの交響曲第9番「グレート」は、あれこれ聴いてきて、ジュリーニ/シカゴSOの演奏が最高かなと思うのだが、シューベルトのこの曲そのものが素晴らしいので、他の指揮者でも十分楽しい。
何より、クラシックは聴き比べが楽しいので(^-^)。
尤も、このハイティンク盤、CDでいつか買い直そうと思っているうちに見かけなくなってしまった。
15年ほど前にフィリップスが出した1700円の廉価盤で見たくらいで、瞬く間に廃盤になってしまった(^^ゞ。
先日、某オークションで出品されていたが、何とまあ2000円以上の高値で取引されていた\(◎o◎)/!。
大好きなハイティンク盤が高値だと、ミーハーとしては何となく嬉しい気持ちもしたが。
さて、その演奏は、ハイティンク/コンセルトヘボウ管のコンビらしく、やや暗めだがオケの持つ豊かな音を生かし切って、誠実きわまりないものだ。
第1楽章の序奏部は、息の長い悠揚迫らぬテンポでスケール豊か。
主部に入る部分では少々アッチェランドするが、速くなりすぎないところも良い。
歌心も十分だが、正確なリズムの刻みも忘れないハイティンクならではの正直さ。
第2楽章は木管と弦楽のバランスが美しい。
オーボエの音色など、「あぁコンセルトヘボウ管の音!」。
豊かに膨らんでゆく弦楽も、気持ち良い。いつまでも浸っていたい音、音。
第3楽章になると、俄然、弦が豊かに歌い出す。
ヴァイオリンもビオラも、低弦群も、期待通りに歌ってくれる。
テンポは速すぎず遅すぎず、ハイティンクらしい着実な足取り。
第4楽章は、見事な盛り上がりで終結してゆく。
迫力あるクライマックスだが、決して騒ぎすぎないのはいつものハイティンク。
他の演奏と比べて飛び抜けた特徴はないですし、ここがスゴイという部分もそうあるわけではないです。
ただ、全曲を聴き終わったときの充実感は、いつものハイティンクの演奏と同じです。
「ああ、また聴きたいなぁ」と思わせる演奏。
何度も何度も味わっているうちに、ジワジワと旨さが染み出してくるような演奏。
たぶんCDでも印象は変わらないでしょう。
この演奏は当分LPで、大切に聴いていこうと思います。
2005/06/03のBlog
[ 05:23 ]
[ 声楽曲・オペラ ]
カートリッジを買い換えたので、まずまずの音でLPを聴けるようになりました。
今日は貴ノ花の葬儀。訃報を伝えるニュースを見るたびに涙がこぼれました。
貴ノ花はリアルタイムで応援し続けた力士であります。
悲壮感ただよう相撲。土俵際の粘り腰。常に真正面から(たとえ首を痛めていても)ぶつかってゆく正攻法の姿勢。良かったなぁ。好きだったなぁ。
何度もニュースで取り上げられた北の富士との取り組みと決まり手の「かばい手」。物言いが付いた場面、テレビの前で必死に貴ノ花を応援していた。
かばい手で負けた翌場所(だったはず・・・)、今度は北の富士の「華麗な」出足を利用して、土俵上を回転するように上手投げ。北の富士をブン投げた一番は爽快だった。
そして、1975年春場所の北の湖との優勝決定戦。座布団が舞う初優勝も、テレビの前で釘付けになっていた。
今日取り出したのは、フォーレのレクイエム。
安らぎと静謐さに溢れた、音楽史上の奇跡のような作品。
ロマン派の持つ、誇張や絶叫や爛熟や陶酔とは正反対の、ひめやかで繊細でデリケートな作品。
ジャン・フルネ指揮ロッテルダム・フィルの演奏で、バリトンはベルナルト・クリュイセン、ソプラノはエリー・アメリング。
合唱はオランダ放送合唱団。
1975年3月の録音。貴ノ花初優勝の頃の、フィリップスの美しい録音。
フルネのテンポ設定は、やや速め。
優しく穏やかに、しかし淡々と音楽をつくってゆく。
透明で繊細なこのレクイエムを、甘くべとつかぬよう、華麗になりすぎぬよう注意深く進めてゆく。
そのための、速めのテンポなのだろう。
合唱は巧いし、独唱も素晴らしい。
クリュイセンの声が良い。少しヴィブラートがかかりすぎるのが気になるが、声が透き通るようなバリトンで、惚れ惚れする。
アメリングは、もう、可憐でデリケートで、優しさに満ちあふれた歌唱。絶品だなぁ。
「ああ、イエスよ」この部分だけでも、何回も聴き直したい。
フルネの演奏には、アメリングが必要だったのだと、しみじみ思った。
B面の「アニュス・デイ」からはオケも合唱も絶好調。
豊かに伸びてゆく合唱も良ければ、コルゼンパのオルガンも良い。
弦と管もよく融けあって、素晴らしい安息を迎える。
アナログらしい柔らかい音が部屋に広がってゆくのも気持ち良い。
少年時代のボクのヒーロー、貴ノ花も安息でいられますように。
今日は貴ノ花の葬儀。訃報を伝えるニュースを見るたびに涙がこぼれました。
貴ノ花はリアルタイムで応援し続けた力士であります。
悲壮感ただよう相撲。土俵際の粘り腰。常に真正面から(たとえ首を痛めていても)ぶつかってゆく正攻法の姿勢。良かったなぁ。好きだったなぁ。
何度もニュースで取り上げられた北の富士との取り組みと決まり手の「かばい手」。物言いが付いた場面、テレビの前で必死に貴ノ花を応援していた。
かばい手で負けた翌場所(だったはず・・・)、今度は北の富士の「華麗な」出足を利用して、土俵上を回転するように上手投げ。北の富士をブン投げた一番は爽快だった。
そして、1975年春場所の北の湖との優勝決定戦。座布団が舞う初優勝も、テレビの前で釘付けになっていた。
今日取り出したのは、フォーレのレクイエム。
安らぎと静謐さに溢れた、音楽史上の奇跡のような作品。
ロマン派の持つ、誇張や絶叫や爛熟や陶酔とは正反対の、ひめやかで繊細でデリケートな作品。
ジャン・フルネ指揮ロッテルダム・フィルの演奏で、バリトンはベルナルト・クリュイセン、ソプラノはエリー・アメリング。
合唱はオランダ放送合唱団。
1975年3月の録音。貴ノ花初優勝の頃の、フィリップスの美しい録音。
フルネのテンポ設定は、やや速め。
優しく穏やかに、しかし淡々と音楽をつくってゆく。
透明で繊細なこのレクイエムを、甘くべとつかぬよう、華麗になりすぎぬよう注意深く進めてゆく。
そのための、速めのテンポなのだろう。
合唱は巧いし、独唱も素晴らしい。
クリュイセンの声が良い。少しヴィブラートがかかりすぎるのが気になるが、声が透き通るようなバリトンで、惚れ惚れする。
アメリングは、もう、可憐でデリケートで、優しさに満ちあふれた歌唱。絶品だなぁ。
「ああ、イエスよ」この部分だけでも、何回も聴き直したい。
フルネの演奏には、アメリングが必要だったのだと、しみじみ思った。
B面の「アニュス・デイ」からはオケも合唱も絶好調。
豊かに伸びてゆく合唱も良ければ、コルゼンパのオルガンも良い。
弦と管もよく融けあって、素晴らしい安息を迎える。
アナログらしい柔らかい音が部屋に広がってゆくのも気持ち良い。
少年時代のボクのヒーロー、貴ノ花も安息でいられますように。