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2005/06/18のBlog
[ 05:12 ]
[ 管弦楽曲 ]
蒸し暑さが増してきました。
朝のジョギング、踵の痛みもあって最近は1勤1休状態なんですが、走ったあとはやはり爽快です。
ただ、汗は相当かきます。
走る前にコップ2杯の水を飲むんですが、家に帰る頃には汗でグショグショ喉も渇ききるほど。
この時期のジョグは、結構こたえますな(^^ゞ。
さて、暑い日にはヘンデルの「水上の音楽」。
この夏も何回聴くことになるのやら。
好きなんだから仕方ない、しかも聴くと涼やかな風が部屋に満ちるのだから、こんなに良い音楽はそうはない。
今日の「水上の音楽」はコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
例によってフッガー城の糸杉の間での素晴らしい録音。
1971年7月、もう34年前になってしまった。
CDでも買い直しているのだが、今日はLPで。ジャケットが涼しそうだから(^-^)。
コレギウム・アウレウム合奏団は、いわゆるオリジナル楽器での演奏が出始めた頃、盛んに録音していた団体。指揮者はいない。コンサートマスターのフランツ・ヨーゼフ=マイヤーが中心で、大学で教えるような先生クラスが集まっていたという。この「水上の音楽」には後に大家となるバルトルド・クイケンがトラヴェルソで参加している。
いつもながら、柔らかい音。どこまでも伸びてゆく名録音。
糸杉の間が素晴らしいのだろう。ホンマに気持ち良くなる録音。
古楽器のひなびた音、柔らかく繊細な音、きれいに伸びてゆく倍音が、実に美しく録られていると思う。
テンポはゆったり。
最近のオリジナル楽器の演奏と比べるとロマン的に聞こえてしまうほど遅い。
リズムもそんなに弾まないし、アンサンブルも少し怪しいところがある。技巧的にも危なっかしい(当時はそう思わなかったのだが、最近の古楽器演奏を聴いていると、やはりこの時期だからか、技術イマイチなのが分かってしまった・・・)。
組曲ニ長調でのホルンなど、相当怪しい。窮屈に、しかし必死に吹いているのがよく分かる。苦労してるなぁ。
でも、(だからと言うべきか)味わいは格別。もう、みんなが仲良く楽しみながら演奏しているのが伝わってくる。指揮者がいないのが良いのだろう、みんなが「さぁ、合わせようぜ」とアンサンブルを楽しんでいるのがビンビン伝わってくる。
だから、音楽は全く晴朗。おおらかでノビノビしている。
ゆっくり呼吸しながら、水辺の遊びを楽しんでいる感じ。
ヘンデルだもんね、やはり、おおらかでなくちゃ。
バッハなら、峻厳さを求めたくなることもあるが、ヘンデルは、にこやかに朗らかにやって欲しいと思う。
最後に置かれた組曲ト長調ではクイケンのトラヴェルソが大活躍。
これが実に上手く、しかも情感たっぷり。
メヌエットの哀愁は、ちょっと他の演奏では味わえないのではなかろうか。
朝のジョギング、踵の痛みもあって最近は1勤1休状態なんですが、走ったあとはやはり爽快です。
ただ、汗は相当かきます。
走る前にコップ2杯の水を飲むんですが、家に帰る頃には汗でグショグショ喉も渇ききるほど。
この時期のジョグは、結構こたえますな(^^ゞ。
さて、暑い日にはヘンデルの「水上の音楽」。
この夏も何回聴くことになるのやら。
好きなんだから仕方ない、しかも聴くと涼やかな風が部屋に満ちるのだから、こんなに良い音楽はそうはない。
今日の「水上の音楽」はコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
例によってフッガー城の糸杉の間での素晴らしい録音。
1971年7月、もう34年前になってしまった。
CDでも買い直しているのだが、今日はLPで。ジャケットが涼しそうだから(^-^)。
コレギウム・アウレウム合奏団は、いわゆるオリジナル楽器での演奏が出始めた頃、盛んに録音していた団体。指揮者はいない。コンサートマスターのフランツ・ヨーゼフ=マイヤーが中心で、大学で教えるような先生クラスが集まっていたという。この「水上の音楽」には後に大家となるバルトルド・クイケンがトラヴェルソで参加している。
いつもながら、柔らかい音。どこまでも伸びてゆく名録音。
糸杉の間が素晴らしいのだろう。ホンマに気持ち良くなる録音。
古楽器のひなびた音、柔らかく繊細な音、きれいに伸びてゆく倍音が、実に美しく録られていると思う。
テンポはゆったり。
最近のオリジナル楽器の演奏と比べるとロマン的に聞こえてしまうほど遅い。
リズムもそんなに弾まないし、アンサンブルも少し怪しいところがある。技巧的にも危なっかしい(当時はそう思わなかったのだが、最近の古楽器演奏を聴いていると、やはりこの時期だからか、技術イマイチなのが分かってしまった・・・)。
組曲ニ長調でのホルンなど、相当怪しい。窮屈に、しかし必死に吹いているのがよく分かる。苦労してるなぁ。
でも、(だからと言うべきか)味わいは格別。もう、みんなが仲良く楽しみながら演奏しているのが伝わってくる。指揮者がいないのが良いのだろう、みんなが「さぁ、合わせようぜ」とアンサンブルを楽しんでいるのがビンビン伝わってくる。
だから、音楽は全く晴朗。おおらかでノビノビしている。
ゆっくり呼吸しながら、水辺の遊びを楽しんでいる感じ。
ヘンデルだもんね、やはり、おおらかでなくちゃ。
バッハなら、峻厳さを求めたくなることもあるが、ヘンデルは、にこやかに朗らかにやって欲しいと思う。
最後に置かれた組曲ト長調ではクイケンのトラヴェルソが大活躍。
これが実に上手く、しかも情感たっぷり。
メヌエットの哀愁は、ちょっと他の演奏では味わえないのではなかろうか。
2005/06/17のBlog
[ 03:24 ]
[ 交響曲 ]
雨上がりの蒸し暑さ。
今日の午後は太陽が照りつけて、一気に気温が上昇、梅雨時らしい暑さだった。
そして、ジュリーニの訃報。享年91歳。
ジュリーニは高齢であったし、隠退して長かったので、いつかはこの日が来るとは思っていたとはいえ、寂しい。残念。哀しい。
ジュリーニは、ボクがクラシック音楽に目覚めたときからの、一種アイドルだった。
ハンサムで、慈愛に満ちた表情。
無骨ではあるが、作品の本質にひたすら迫ろうとする気迫が背中から発する指揮姿。
シカゴ響とのマーラー。ドヴォルザーク、シューベルト、ブルックナー(これだけEMI盤)の9番交響曲シリーズ。
ロサンゼルス・フィルとのベートーヴェン・シリーズ。
1970年代後半から80年代前半、ボクの愛聴盤が相次いだ。
ジュリーニが演奏すると、とにかく音楽は「歌う」のだった。
「音楽はまず旋律だ。歌だ。」と言っているかのように、彼のレコードやCDは、歌に満ちていた。
そして、落ち着いたテンポ。
ゆったりと包容力があって、旋律線がよく分かるテンポ。
決して慌てず、性急にならず、深い呼吸でじっくりと作品の素晴らしさを表出するそのテンポが良かった。
母性的な包容力、愛の深さを感じさせるテンポだった。
今夜は、ジュリーニのために、ロサンゼルス・フィルと録音した「英雄」を聴いた。
確かロスPOの常任になって初めて録音した1枚で、1978年の録音。
第2楽章は、まさにゆったりと、ジュリーニのためにあるかのような演奏。
17分13秒間、ジュリーニの葬送行進曲だ。
当時、すでに大指揮者であったジュリーニを迎え、喜び勇んで、溌剌と演奏するロサンゼルス・フィルの熱気が伝わってくる。
「ああ、ジュリーニはこんなにも愛されていたんだなぁ」と実感した。
ジュリーニの遺したレコード・CDが我が家のラックには沢山。
あれこれ聴き直しながら、彼の冥福を祈りましょう。
このブログでも既に何回もジュリーニの演奏を書いております。
シューベルトの「グレート」シカゴ響盤
マーラーの交響曲第9番
ドヴォルザークの交響曲第8番
ドヴォルザークの「新世界」コンセルトヘボウ管
モーツァルトの交響曲第39番
モーツァルトの交響曲第40・41番
今日の午後は太陽が照りつけて、一気に気温が上昇、梅雨時らしい暑さだった。
そして、ジュリーニの訃報。享年91歳。
ジュリーニは高齢であったし、隠退して長かったので、いつかはこの日が来るとは思っていたとはいえ、寂しい。残念。哀しい。
ジュリーニは、ボクがクラシック音楽に目覚めたときからの、一種アイドルだった。
ハンサムで、慈愛に満ちた表情。
無骨ではあるが、作品の本質にひたすら迫ろうとする気迫が背中から発する指揮姿。
シカゴ響とのマーラー。ドヴォルザーク、シューベルト、ブルックナー(これだけEMI盤)の9番交響曲シリーズ。
ロサンゼルス・フィルとのベートーヴェン・シリーズ。
1970年代後半から80年代前半、ボクの愛聴盤が相次いだ。
ジュリーニが演奏すると、とにかく音楽は「歌う」のだった。
「音楽はまず旋律だ。歌だ。」と言っているかのように、彼のレコードやCDは、歌に満ちていた。
そして、落ち着いたテンポ。
ゆったりと包容力があって、旋律線がよく分かるテンポ。
決して慌てず、性急にならず、深い呼吸でじっくりと作品の素晴らしさを表出するそのテンポが良かった。
母性的な包容力、愛の深さを感じさせるテンポだった。
今夜は、ジュリーニのために、ロサンゼルス・フィルと録音した「英雄」を聴いた。
確かロスPOの常任になって初めて録音した1枚で、1978年の録音。
第2楽章は、まさにゆったりと、ジュリーニのためにあるかのような演奏。
17分13秒間、ジュリーニの葬送行進曲だ。
当時、すでに大指揮者であったジュリーニを迎え、喜び勇んで、溌剌と演奏するロサンゼルス・フィルの熱気が伝わってくる。
「ああ、ジュリーニはこんなにも愛されていたんだなぁ」と実感した。
ジュリーニの遺したレコード・CDが我が家のラックには沢山。
あれこれ聴き直しながら、彼の冥福を祈りましょう。
このブログでも既に何回もジュリーニの演奏を書いております。
シューベルトの「グレート」シカゴ響盤
マーラーの交響曲第9番
ドヴォルザークの交響曲第8番
ドヴォルザークの「新世界」コンセルトヘボウ管
モーツァルトの交響曲第39番
モーツァルトの交響曲第40・41番
2005/06/16のBlog
[ 02:55 ]
[ 交響曲 ]
ここのところ、仕事が忙しく、青息吐息状態であります。
「人間、忙しいうちが花よ」と言ってはみるものの、なんだかんだと責任を負わされて、ついでに部下の面倒まで見る(尻ぬぐいをさせられる)のは、やはりこたえますなぁ・・・・(^^ゞ。
「これは、オメェの仕事だろうが!」という言葉を呑み込んで、常に微笑を絶やさず前向きに仕事を続けるのは、しかしストレスにはなります。ガハハ。
さて、常に微笑みを絶やさないモーツァルト最後の交響曲「ジュピター」。
聴けば聴くほど、傑作だなぁと思います。
終楽章のフーガなど、もう言葉を失う見事さ。
澄み切った青空、透きとおった水、稜線に輝く旭日・・・・・そんな純粋な何物かを想像させる音楽。
今日は、アバド/ロンドン響の演奏で聴いた(カップリングは40番)。
LPのデータによれば、録音は1979年10月12日。僅か1日でセッションが終わっている。
第1楽章。第1主題の提示が終わってヴァイオリンがトゥッティで入ってくるところ、気合い十分。
もの凄い勢いでグイッと力強く入る。ジュピターの開始を強烈に印象づける導入だ。しかし、重くはならない。いや、かえってアバドは意識的に軽めの音を出させていると思う。オケの音色は、明るく軽やかだ。澄んだ青空だ。
第2楽章、例の弱音器つきのアンダンテ・カンタービレ。演奏は際だって美しい。アバドは繊細に、しかししっかりと歩みつつ、骨太の歌を歌わせる。優美な旋律なのに、アバドの歌は男性的だ。背筋がピンと伸びているカンタービレは、実に心地よい。
第3楽章メヌエットのトリオが聴かせる。木管が自然な歌を気持ち良く奏でる。
終楽章のフーガは徐々に盛り上がって劇的な緊張感が生まれてゆく。
終結部の壮大なフーガは見事だよなぁ。拍手。
アバドは各所で繰り返しを行っているので、トータルで35分以上かかる。ジュピターにしてはやや長めかな。
しかし、見通しのよい設計で、鑑賞後の爽快感が大きい。
これは、ガッチリとした構成の中でアバドが逞しく歌い上げた演奏だなと思う。
LPジャケットのアバドの顔が良いんです。
アバド壮年期の気合いの入った顔。イイ顔です。
「さぁ、やったるぞい」って感じでしょうか。
こんな顔で仕事しなくちゃイケマセンね。いやはや。
というわけで、仕事しましょ・・・。
「人間、忙しいうちが花よ」と言ってはみるものの、なんだかんだと責任を負わされて、ついでに部下の面倒まで見る(尻ぬぐいをさせられる)のは、やはりこたえますなぁ・・・・(^^ゞ。
「これは、オメェの仕事だろうが!」という言葉を呑み込んで、常に微笑を絶やさず前向きに仕事を続けるのは、しかしストレスにはなります。ガハハ。
さて、常に微笑みを絶やさないモーツァルト最後の交響曲「ジュピター」。
聴けば聴くほど、傑作だなぁと思います。
終楽章のフーガなど、もう言葉を失う見事さ。
澄み切った青空、透きとおった水、稜線に輝く旭日・・・・・そんな純粋な何物かを想像させる音楽。
今日は、アバド/ロンドン響の演奏で聴いた(カップリングは40番)。
LPのデータによれば、録音は1979年10月12日。僅か1日でセッションが終わっている。
第1楽章。第1主題の提示が終わってヴァイオリンがトゥッティで入ってくるところ、気合い十分。
もの凄い勢いでグイッと力強く入る。ジュピターの開始を強烈に印象づける導入だ。しかし、重くはならない。いや、かえってアバドは意識的に軽めの音を出させていると思う。オケの音色は、明るく軽やかだ。澄んだ青空だ。
第2楽章、例の弱音器つきのアンダンテ・カンタービレ。演奏は際だって美しい。アバドは繊細に、しかししっかりと歩みつつ、骨太の歌を歌わせる。優美な旋律なのに、アバドの歌は男性的だ。背筋がピンと伸びているカンタービレは、実に心地よい。
第3楽章メヌエットのトリオが聴かせる。木管が自然な歌を気持ち良く奏でる。
終楽章のフーガは徐々に盛り上がって劇的な緊張感が生まれてゆく。
終結部の壮大なフーガは見事だよなぁ。拍手。
アバドは各所で繰り返しを行っているので、トータルで35分以上かかる。ジュピターにしてはやや長めかな。
しかし、見通しのよい設計で、鑑賞後の爽快感が大きい。
これは、ガッチリとした構成の中でアバドが逞しく歌い上げた演奏だなと思う。
LPジャケットのアバドの顔が良いんです。
アバド壮年期の気合いの入った顔。イイ顔です。
「さぁ、やったるぞい」って感じでしょうか。
こんな顔で仕事しなくちゃイケマセンね。いやはや。
というわけで、仕事しましょ・・・。
2005/06/15のBlog
[ 02:29 ]
[ 管弦楽曲 ]
昔話ばかりで、恐縮であります。
どうも、過去へ過去へ話が向かってしまうのは、トシのせいでしょうか。
ホンマ回顧録のようなブログになっておりまして、お恥ずかしい次第です。
小学校の給食の時間。クラシック音楽を聴いていると、ふと思い出すんです。
食パン2枚に牛乳(低学年の頃は脱脂粉乳だった記憶もある(^^ゞ)。
簡単なおかずにアルミの食器、先割れスプーン。
旨いと思った記憶は全くないので、相当不味かったのかもしれません。
冬場になると、マーガリンが固くなってなかなかパンに塗れなかったのをよく覚えています。
埼玉県入間市の、東京都西多摩郡と接している田舎の小学校でありました。
その給食の時間に、いわゆる「お昼の放送」が流れておりました。
だいぶ昔の小学校です。「健全な音楽」ということでもあったのでしょう、流れる音楽はクラシックの小品と決まっていました。
(まさかジュリーやショーケンって訳にもいかなかったでしょう・・・・・(^^ゞ・・・)
クシコスの郵便馬車、天国と地獄、くるみ割り人形、ペール・ギュント、金と銀、金婚式、スケーターズ・ワルツ乙女の祈り・・・・・そして、今日の「ペルシャの市場にて」も
お昼の放送の定番でありました。
これらの曲を今でも懐かしく思い出しては時々聴くんですから、ボクのクラシック好きは、小学校当時にその下地が出来ていたのかもしれません。
もちろん、家は貧しかったので(と言うより、いくら「高度成長」とはいえ日本全体がまだまだ貧しく慎ましい時代だったのです)、ボクら子供にピアノを習わせるような余裕もなかったですし、そもそも我が家には、ふつうの歌謡曲がテレビを通じて流れるだけでありました。
それにしても、この「ペルシャの市場にて」・・・・。
異国情緒豊かな音楽です。旋律も郷愁を誘います。
ふと望郷の念にかられます。「ふるさとは遠きにありて思うもの・・・・」
中間部の民謡風のところなど、全く素晴らしいです。
オーケストレーションも見事なものだと思います。
今日の演奏はロビン・ステープルトン指揮のロンドン・ジョフ・ラブ・オーケストラ。
ロンドン市内のオーケストラ・プレーヤーを録音用に集めた団体だということです。
非常に上手いですし、録音も1978年、アナログ末期の雰囲気豊かな録音。
収録曲も良いです。マドンナの宝石、白鳥の湖や、さっき書いた「給食の音楽」が何点か入っています。
古いCDですから、廃盤かもしれませんが、上品で心地よい小品集に仕上がっていますので、お薦めであります。
最近、クラシック音楽の「小品」は流行らなくなっているようです。小品を集めたCDもあまり出なくなっています。
でも、昔聴いた音楽は、今も懐かしく聴けるものです。
このCD、ジャケットもきれいです。これからも、時々取り出しては聴き続けるだろうと思います。
きっと、固いマーガリンや先割れスプーンを思い出しつつ(^-^)。
どうも、過去へ過去へ話が向かってしまうのは、トシのせいでしょうか。
ホンマ回顧録のようなブログになっておりまして、お恥ずかしい次第です。
小学校の給食の時間。クラシック音楽を聴いていると、ふと思い出すんです。
食パン2枚に牛乳(低学年の頃は脱脂粉乳だった記憶もある(^^ゞ)。
簡単なおかずにアルミの食器、先割れスプーン。
旨いと思った記憶は全くないので、相当不味かったのかもしれません。
冬場になると、マーガリンが固くなってなかなかパンに塗れなかったのをよく覚えています。
埼玉県入間市の、東京都西多摩郡と接している田舎の小学校でありました。
その給食の時間に、いわゆる「お昼の放送」が流れておりました。
だいぶ昔の小学校です。「健全な音楽」ということでもあったのでしょう、流れる音楽はクラシックの小品と決まっていました。
(まさかジュリーやショーケンって訳にもいかなかったでしょう・・・・・(^^ゞ・・・)
クシコスの郵便馬車、天国と地獄、くるみ割り人形、ペール・ギュント、金と銀、金婚式、スケーターズ・ワルツ乙女の祈り・・・・・そして、今日の「ペルシャの市場にて」も
お昼の放送の定番でありました。
これらの曲を今でも懐かしく思い出しては時々聴くんですから、ボクのクラシック好きは、小学校当時にその下地が出来ていたのかもしれません。
もちろん、家は貧しかったので(と言うより、いくら「高度成長」とはいえ日本全体がまだまだ貧しく慎ましい時代だったのです)、ボクら子供にピアノを習わせるような余裕もなかったですし、そもそも我が家には、ふつうの歌謡曲がテレビを通じて流れるだけでありました。
それにしても、この「ペルシャの市場にて」・・・・。
異国情緒豊かな音楽です。旋律も郷愁を誘います。
ふと望郷の念にかられます。「ふるさとは遠きにありて思うもの・・・・」
中間部の民謡風のところなど、全く素晴らしいです。
オーケストレーションも見事なものだと思います。
今日の演奏はロビン・ステープルトン指揮のロンドン・ジョフ・ラブ・オーケストラ。
ロンドン市内のオーケストラ・プレーヤーを録音用に集めた団体だということです。
非常に上手いですし、録音も1978年、アナログ末期の雰囲気豊かな録音。
収録曲も良いです。マドンナの宝石、白鳥の湖や、さっき書いた「給食の音楽」が何点か入っています。
古いCDですから、廃盤かもしれませんが、上品で心地よい小品集に仕上がっていますので、お薦めであります。
最近、クラシック音楽の「小品」は流行らなくなっているようです。小品を集めたCDもあまり出なくなっています。
でも、昔聴いた音楽は、今も懐かしく聴けるものです。
このCD、ジャケットもきれいです。これからも、時々取り出しては聴き続けるだろうと思います。
きっと、固いマーガリンや先割れスプーンを思い出しつつ(^-^)。
2005/06/14のBlog
[ 05:24 ]
[ 協奏曲 ]
梅雨入り宣言が出たのに、はやくもカラ梅雨状態。
午後の日差しのまぶしかったこと!
夏らしく、キラキラしてました。
で、今日の1曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲であります。
ブラームスで一番好きな曲はと訊かれたら、悩んだ末に「ヴァイオリン協奏曲」と答えるだろうと思う(ピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番も実に捨てがたいから)。
世に言う「4大ヴァイオリン協奏曲」、ブラームスの協奏曲が最もとっつきにくかった。
メンデルスゾーンは中学校の音楽鑑賞以来お馴染み、だいたい冒頭の名旋律は一度聴いたら忘れないだろう。
チャイコフスキーは、クラシックを聴き始めたときからのお気に入り。
ネスカフェ・ゴールド・ブレンドのCMで盛んに使われていたから(ヴァイオリニストは江藤俊哉だったかな?)、これも直ぐに好きになった。
ベートーヴェンのVn協奏曲は、繰り返して何度も登場する主題が大変高貴で、これも直ぐに覚えた。鼻歌で口ずさむほど好きになった。
それに比べて、ブラームスは初心者には難しかった。
旋律が時に埋もれてしまう書法(つまり、内声部が充実しているということなのだが、初心者には理解できなかった)が、難しかったのだろう。
しかし何回かレコードを繰り返して聴いていると、第1楽章の充実、第2楽章の哀愁、終楽章の爆発・・・病みつきになった。
同曲異演のレコードやCDも買い込んでどんどん聴いた。
ムター、パールマン、シェリング、オイストラフ、P・ツィンマーマン、チョン・キョン・ファ・・・・などなど、まだまだ。
今日は、男性的なミルシテインのヴァイオリン独奏、オイゲン・ヨッフム指揮のウィーン・フィルの演奏で聴いた。
第1楽章、序奏部がすんでミルシテインの独奏が現れると、フワッと音楽が浮き立つように感じる。
トゥッティの部分は迫力満点だし、ピアニシモが美しい。
ミルシテインのヴァイオリンの音色が澄み切って、しなやかな一本の線のように立ちのぼる。管弦楽も、それにあわせて繊細に響く。
カデンツァはミルシテイン自身の作で、上品なもの。ここから第1楽章の終わりまではもう絶品の美しさ。
第2楽章の、オーボエ!ステージの奥から、少し鼻にかかったような優しい音色のウィンナ・オーボエが響く。決して前に出ない。
だって、前にはミルシテインがヴァイオリンを下げて、目を伏せて自分の出番を待っているから。
(この録音は1973年、もう30年以上も前のアナログ録音で、しかもDGの録音。そんなに鮮やかな録音ではないが、雰囲気はよく出ている。オーボエのソロの間、ミルシテインが目を伏せて立っているのが、見えるような録音)
第3楽章は剛毅溢れる名演。指揮はヨッフム。おっとりとした容貌からは想像できないほど、本来はエネルギッシュな演奏行う指揮者(EMIに録音したブラームスやブルックナーの全集はスゴイ)だ。ミルシテインのヴァイオリンも絶好調、VPOも一体となって爆発的に駆け抜ける。爽快。
梅雨時のカラッとした夜空を眺めながら。
今夜のミルシテイン、最高でありました。
午後の日差しのまぶしかったこと!
夏らしく、キラキラしてました。
で、今日の1曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲であります。
ブラームスで一番好きな曲はと訊かれたら、悩んだ末に「ヴァイオリン協奏曲」と答えるだろうと思う(ピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番も実に捨てがたいから)。
世に言う「4大ヴァイオリン協奏曲」、ブラームスの協奏曲が最もとっつきにくかった。
メンデルスゾーンは中学校の音楽鑑賞以来お馴染み、だいたい冒頭の名旋律は一度聴いたら忘れないだろう。
チャイコフスキーは、クラシックを聴き始めたときからのお気に入り。
ネスカフェ・ゴールド・ブレンドのCMで盛んに使われていたから(ヴァイオリニストは江藤俊哉だったかな?)、これも直ぐに好きになった。
ベートーヴェンのVn協奏曲は、繰り返して何度も登場する主題が大変高貴で、これも直ぐに覚えた。鼻歌で口ずさむほど好きになった。
それに比べて、ブラームスは初心者には難しかった。
旋律が時に埋もれてしまう書法(つまり、内声部が充実しているということなのだが、初心者には理解できなかった)が、難しかったのだろう。
しかし何回かレコードを繰り返して聴いていると、第1楽章の充実、第2楽章の哀愁、終楽章の爆発・・・病みつきになった。
同曲異演のレコードやCDも買い込んでどんどん聴いた。
ムター、パールマン、シェリング、オイストラフ、P・ツィンマーマン、チョン・キョン・ファ・・・・などなど、まだまだ。
今日は、男性的なミルシテインのヴァイオリン独奏、オイゲン・ヨッフム指揮のウィーン・フィルの演奏で聴いた。
第1楽章、序奏部がすんでミルシテインの独奏が現れると、フワッと音楽が浮き立つように感じる。
トゥッティの部分は迫力満点だし、ピアニシモが美しい。
ミルシテインのヴァイオリンの音色が澄み切って、しなやかな一本の線のように立ちのぼる。管弦楽も、それにあわせて繊細に響く。
カデンツァはミルシテイン自身の作で、上品なもの。ここから第1楽章の終わりまではもう絶品の美しさ。
第2楽章の、オーボエ!ステージの奥から、少し鼻にかかったような優しい音色のウィンナ・オーボエが響く。決して前に出ない。
だって、前にはミルシテインがヴァイオリンを下げて、目を伏せて自分の出番を待っているから。
(この録音は1973年、もう30年以上も前のアナログ録音で、しかもDGの録音。そんなに鮮やかな録音ではないが、雰囲気はよく出ている。オーボエのソロの間、ミルシテインが目を伏せて立っているのが、見えるような録音)
第3楽章は剛毅溢れる名演。指揮はヨッフム。おっとりとした容貌からは想像できないほど、本来はエネルギッシュな演奏行う指揮者(EMIに録音したブラームスやブルックナーの全集はスゴイ)だ。ミルシテインのヴァイオリンも絶好調、VPOも一体となって爆発的に駆け抜ける。爽快。
梅雨時のカラッとした夜空を眺めながら。
今夜のミルシテイン、最高でありました。
2005/06/13のBlog
[ 05:08 ]
[ 管弦楽曲 ]
梅雨入りしたというものの、四国伊予路は土曜日に降っただけで、晴れが続いております。渇水・・・・大丈夫なんでしょうか。
今日は、バッハの管弦楽組曲第1番ニ長調 BWV1066。
4つの組曲の中で最も好きなのはこれ。
中でも最も気に入っているコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
LPであります。
これは、1969年、バイエルンのキルヒハイムにあるフッガー城「糸杉の間」での録音。
この、フッガー城「糸杉の間」はルネサンス時代に作られたもので、理想的な柔らかい響きを伴うという。
その要因は黄金分割の原理による空間設計にあると考えられているらしい。(黄金分割が何か、よく分からないのだが。。。。(^^ゞ)そこから、黄金の楽団(コレギウム・アウレウム)の名称が生まれたという。
とにかく、音が柔らかい。しかも残響がこの上なく美しい。
この優しく柔らかい残響は、ほかのCDやレコードにはないものだ。
コレギウム・アウレウム合奏団独特の(糸杉の間独特のと言うべきか)、素晴らしい音。
ヴァイオリンは柔らかく豊満な響き。
倍音成分が豊かなのだろう、残響が天空に昇ってゆく感じが見える(聴こえる)。
ヴィオラやチェロの響きも深々として、これも大変豊満。
チェンバロは控えめな音量で、デリケートな音色を響かせる。
素晴らしいのは木管。
管弦楽組曲第1番ニ長調に登場するのはファゴット1本とオーボエ2本。トリオが何カ所か出てくるが、その木管の絡みは絶品だ。
ファゴットは左右のスピーカー中央で、太々とした音。
オーボエがセンターからやや右寄りに定位して、素晴らしい歌を響かせる。
残響が豊かなので、木管特有の柔らかさ・ふっくらした甘さが伝わってくる。
コレギウム・アウレウム合奏団は、古楽器では初期の部類に属する団体だろう。
演奏は、現在のようなハイスピード・ハイテンポではなくて、ゆったりと落ち着いたテンポで進んでゆく。
ドイツ的と言えそうな演奏だが、決して堅くはならない。
残響の豊かさのゆえか、大変柔軟性に富んだ演奏になっている。
レコードを買ってから25年。
あれから何枚の管弦楽組曲第1番を聴いたことだろうか。
今でも、ぼくのベスト・ワンは、このコレギウム・アウレウム合奏団の演奏であります。
CDでも購入しております。ボクの持っているCDはBMGから出ている国内盤で、2枚組。BWCD8803~04という番号。2400円の廉価盤。
音はLPと変わりません。素晴らしい音です。
今日は、バッハの管弦楽組曲第1番ニ長調 BWV1066。
4つの組曲の中で最も好きなのはこれ。
中でも最も気に入っているコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。
LPであります。
これは、1969年、バイエルンのキルヒハイムにあるフッガー城「糸杉の間」での録音。
この、フッガー城「糸杉の間」はルネサンス時代に作られたもので、理想的な柔らかい響きを伴うという。
その要因は黄金分割の原理による空間設計にあると考えられているらしい。(黄金分割が何か、よく分からないのだが。。。。(^^ゞ)そこから、黄金の楽団(コレギウム・アウレウム)の名称が生まれたという。
とにかく、音が柔らかい。しかも残響がこの上なく美しい。
この優しく柔らかい残響は、ほかのCDやレコードにはないものだ。
コレギウム・アウレウム合奏団独特の(糸杉の間独特のと言うべきか)、素晴らしい音。
ヴァイオリンは柔らかく豊満な響き。
倍音成分が豊かなのだろう、残響が天空に昇ってゆく感じが見える(聴こえる)。
ヴィオラやチェロの響きも深々として、これも大変豊満。
チェンバロは控えめな音量で、デリケートな音色を響かせる。
素晴らしいのは木管。
管弦楽組曲第1番ニ長調に登場するのはファゴット1本とオーボエ2本。トリオが何カ所か出てくるが、その木管の絡みは絶品だ。
ファゴットは左右のスピーカー中央で、太々とした音。
オーボエがセンターからやや右寄りに定位して、素晴らしい歌を響かせる。
残響が豊かなので、木管特有の柔らかさ・ふっくらした甘さが伝わってくる。
コレギウム・アウレウム合奏団は、古楽器では初期の部類に属する団体だろう。
演奏は、現在のようなハイスピード・ハイテンポではなくて、ゆったりと落ち着いたテンポで進んでゆく。
ドイツ的と言えそうな演奏だが、決して堅くはならない。
残響の豊かさのゆえか、大変柔軟性に富んだ演奏になっている。
レコードを買ってから25年。
あれから何枚の管弦楽組曲第1番を聴いたことだろうか。
今でも、ぼくのベスト・ワンは、このコレギウム・アウレウム合奏団の演奏であります。
CDでも購入しております。ボクの持っているCDはBMGから出ている国内盤で、2枚組。BWCD8803~04という番号。2400円の廉価盤。
音はLPと変わりません。素晴らしい音です。
2005/06/12のBlog
[ 04:21 ]
[ 器楽曲 ]
職場の同僚で、クラシック・オタクが一人おります。
コイツは全くのオタクで、特に現代物に強いんです。
現代音楽を殆ど聴かないボクにとっては変人にしか見えません。
いわゆる「ゲテモノ趣味」ですな。(現代音楽ファンの方には申し訳ない・・・(^^ゞ)
先日も、ヘンツェの自作自演の交響曲全集(DG盤)を、ジャケット違いを見つけたから買い直したと言って、1組余ったとボクにくれました。
全く同じ音源のCDです。ジャケットだけ違います。それでも買い直す、その根性がオタクです(^^ゞ。
もっとも、現代音楽だけでなく幅広くクラシックを聴く同僚ですので、ダブリ買いもしょっちゅう起こりまして・・・。
かく言うボクも、ダブリ買いは日常茶飯事。
全集が出たからと言っては、単品物が余り、箱物で買ったらやはり今までの単品が余る。
さらに、CDショップで目に入るとつい買ってしまう習性をお互い持ちつつ、情けないことにお互いに老化してきているので、ついつい我が在庫を忘れてダブリ買い。
帰宅してから「ギャァッ」と言うこと数知れず・・・・(^^ゞ。
こういう友人がいるのは、しかし有り難いものです。
互いのダブリ買いをカバーできるんです。
「おまえ、○○持っとるか?」「いや」「ほんなら、余っとるけん、あげようわい」・・・。
こういう会話で話がまとまります。CDがまた1枚増えた(^-^)。
もっとも、お互いに盤鬼。こんな会話も行われます。
「おまえ、○○持っとるか?」「当たり前やろ。まぁまぁエエ演奏じゃったなぁ」「そか。ほうじゃわいのう、持っとるわいのう」
そして、内心思うわけです。「コイツ、またダブリ買いしよったな・・・ニヤっ」
今日のCDは、その貴重な友人がダブリ買いした貴重な一枚。
ボクにとっては大当たりでありました。
マーラーの巨人」のピアノ独奏用編曲版。
ピアノ独奏は岡城千歳。
ブルーノ・ワルターが編曲した4手用連弾版に基づいて、さらに岡城千歳が編曲したもの。
岡城自身がカナダで設立した「ジャトー(城)レーベル」から、2002年の発売。
「巨人」のピアノ版ってどんなものかいな?と好奇心で聴き始めたら、もう第1楽章でブッ飛んだ(^^ゞ。
ピアノの音色がもの凄くきれい。録音も全く素晴らしい。
岡城のナイフの切れ味のようなピアノが、鮮やか録られている。
低音はずっしりと、高音がキラキラと輝くように。
特に高音は、朝日を浴びた輝かしさ。
上等なレストランの食卓に朝日が差し込んで、真っ白い磁器の皿や、磨き上げたステンレスのナイフやフォークがまぶしく輝いている・・・そんな感じの音。
爽快で、涼やかで、聴き手をハッとさせるような燦めく音。
技巧も素晴らしい。よく指が回ること。
しかも、編曲がまた素敵だし、聴いていて実に面白い。
木管や金管に高音を割り当てているのだが、その高音部が輝くばかりに美しい。
上へ上へと突き抜けて、しかも冴え冴えとしている。
マーラー好きな人には退屈しない1枚と思います。
こんな良い音のピアノ録音、初めて聴いたような気がします。
素晴らしい。
我が同僚にして変人友人のダブリ買い = 老化 に感謝(^-^)。
コイツは全くのオタクで、特に現代物に強いんです。
現代音楽を殆ど聴かないボクにとっては変人にしか見えません。
いわゆる「ゲテモノ趣味」ですな。(現代音楽ファンの方には申し訳ない・・・(^^ゞ)
先日も、ヘンツェの自作自演の交響曲全集(DG盤)を、ジャケット違いを見つけたから買い直したと言って、1組余ったとボクにくれました。
全く同じ音源のCDです。ジャケットだけ違います。それでも買い直す、その根性がオタクです(^^ゞ。
もっとも、現代音楽だけでなく幅広くクラシックを聴く同僚ですので、ダブリ買いもしょっちゅう起こりまして・・・。
かく言うボクも、ダブリ買いは日常茶飯事。
全集が出たからと言っては、単品物が余り、箱物で買ったらやはり今までの単品が余る。
さらに、CDショップで目に入るとつい買ってしまう習性をお互い持ちつつ、情けないことにお互いに老化してきているので、ついつい我が在庫を忘れてダブリ買い。
帰宅してから「ギャァッ」と言うこと数知れず・・・・(^^ゞ。
こういう友人がいるのは、しかし有り難いものです。
互いのダブリ買いをカバーできるんです。
「おまえ、○○持っとるか?」「いや」「ほんなら、余っとるけん、あげようわい」・・・。
こういう会話で話がまとまります。CDがまた1枚増えた(^-^)。
もっとも、お互いに盤鬼。こんな会話も行われます。
「おまえ、○○持っとるか?」「当たり前やろ。まぁまぁエエ演奏じゃったなぁ」「そか。ほうじゃわいのう、持っとるわいのう」
そして、内心思うわけです。「コイツ、またダブリ買いしよったな・・・ニヤっ」
今日のCDは、その貴重な友人がダブリ買いした貴重な一枚。
ボクにとっては大当たりでありました。
マーラーの巨人」のピアノ独奏用編曲版。
ピアノ独奏は岡城千歳。
ブルーノ・ワルターが編曲した4手用連弾版に基づいて、さらに岡城千歳が編曲したもの。
岡城自身がカナダで設立した「ジャトー(城)レーベル」から、2002年の発売。
「巨人」のピアノ版ってどんなものかいな?と好奇心で聴き始めたら、もう第1楽章でブッ飛んだ(^^ゞ。
ピアノの音色がもの凄くきれい。録音も全く素晴らしい。
岡城のナイフの切れ味のようなピアノが、鮮やか録られている。
低音はずっしりと、高音がキラキラと輝くように。
特に高音は、朝日を浴びた輝かしさ。
上等なレストランの食卓に朝日が差し込んで、真っ白い磁器の皿や、磨き上げたステンレスのナイフやフォークがまぶしく輝いている・・・そんな感じの音。
爽快で、涼やかで、聴き手をハッとさせるような燦めく音。
技巧も素晴らしい。よく指が回ること。
しかも、編曲がまた素敵だし、聴いていて実に面白い。
木管や金管に高音を割り当てているのだが、その高音部が輝くばかりに美しい。
上へ上へと突き抜けて、しかも冴え冴えとしている。
マーラー好きな人には退屈しない1枚と思います。
こんな良い音のピアノ録音、初めて聴いたような気がします。
素晴らしい。
我が同僚にして変人友人のダブリ買い = 老化 に感謝(^-^)。
2005/06/11のBlog
[ 08:00 ]
[ 器楽曲 ]
夜来の雨。
今朝は、アスファルトに流れる雨を自動車が轢いて走る音が大きく聞こえます。
ようやく四国地方も梅雨でしょう。
田植えのすんだ田んぼから渡ってくる風が、やや冷たく湿っているのもこの時期ならでは。
今日一日は蒸し暑さから解放されるかもしれません。
今朝は。某オークションで激安ゲットしたセット物、DENONのマイ・クラシック・ギャラリーからの一品。
「フランス近代ピアノ名曲選」からドビュッシーの小品をいくつか聴いた。
「夢」、「アラベスク第1番」、「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」、「レントより遅く」、「花火」・・・・・もう定番中の定番。
クラシック音楽に親しむようになった学生時代から、大好きなピアノ曲。
このトシで言うのも実は恥ずかしかったりするのだが、でも、時々取り出して無性に聴きたくなる(^^ゞ。
ドビュッシーの管弦楽曲は不得意科目だが、ピアノ曲は好き。
繊細で、囁くような、ため息のように響くピアノ。
軽やかで、弾むような、そして夢見心地の音楽。
フランスパンやシャンパンが軽やかに弾けるような音楽。
どぎつくない、淡い色彩がとても良い。
ピアニストは、ご当地フランスのジャック・ルヴィエ。ペルルミュテールなどに師事したパリ音楽院出身の人らしい。
繊細なタッチで、淡々と弾いてゆく。
ドビュッシーは、この淡々とした演奏が良い。
ピアノの音がきれい。
清涼水のように透明なのだが、実は見えないベールがかかっている様な感じの音色。
音が突き抜けすぎないのが良い。
リズムは軽く弾んで、でも弾けすぎない品の良さ。
こういう演奏で、ドビュッシーをゆったり聴くのは、雨の朝の幸福であります。
休日の朝、こんなしとしと雨だと、心が落ち着きますな。
今朝は、アスファルトに流れる雨を自動車が轢いて走る音が大きく聞こえます。
ようやく四国地方も梅雨でしょう。
田植えのすんだ田んぼから渡ってくる風が、やや冷たく湿っているのもこの時期ならでは。
今日一日は蒸し暑さから解放されるかもしれません。
今朝は。某オークションで激安ゲットしたセット物、DENONのマイ・クラシック・ギャラリーからの一品。
「フランス近代ピアノ名曲選」からドビュッシーの小品をいくつか聴いた。
「夢」、「アラベスク第1番」、「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」、「レントより遅く」、「花火」・・・・・もう定番中の定番。
クラシック音楽に親しむようになった学生時代から、大好きなピアノ曲。
このトシで言うのも実は恥ずかしかったりするのだが、でも、時々取り出して無性に聴きたくなる(^^ゞ。
ドビュッシーの管弦楽曲は不得意科目だが、ピアノ曲は好き。
繊細で、囁くような、ため息のように響くピアノ。
軽やかで、弾むような、そして夢見心地の音楽。
フランスパンやシャンパンが軽やかに弾けるような音楽。
どぎつくない、淡い色彩がとても良い。
ピアニストは、ご当地フランスのジャック・ルヴィエ。ペルルミュテールなどに師事したパリ音楽院出身の人らしい。
繊細なタッチで、淡々と弾いてゆく。
ドビュッシーは、この淡々とした演奏が良い。
ピアノの音がきれい。
清涼水のように透明なのだが、実は見えないベールがかかっている様な感じの音色。
音が突き抜けすぎないのが良い。
リズムは軽く弾んで、でも弾けすぎない品の良さ。
こういう演奏で、ドビュッシーをゆったり聴くのは、雨の朝の幸福であります。
休日の朝、こんなしとしと雨だと、心が落ち着きますな。
2005/06/10のBlog
[ 06:00 ]
[ 交響曲 ]
一日中蒸し暑い日でありました。
梅雨も間近。
ただ、四国の今年は雨が今まで少ないので、やや心配。
10年前の「渇水」の記憶があるだけに・・・・。
雨が欲しいなと思います。
さて、今日の1曲は、マーラーの「大地の歌」。
カラヤン/ベルリンPOの演奏、テノールはルネ・コロ、メゾ・ソプラノはクリスタ・ルートヴィヒ。録音は1973年と翌年の2回に分けて行われたらしい。
カラヤンの描くマーラーは、全く美しい。耽美的なマーラーだと思う。
そもそもマーラーの音楽には耽美的な面が強いと思うが、その特徴を前面に押し出している演奏。
マーラーの書いた素晴らしい音楽を食材として、カラヤンが天下の名器BPOの名手たちを駆使して、最高の料理を作り上げたという感じ。
圧倒的な管弦楽。独唱の二人も素晴らしい。贅沢な料理だよなぁ・・・・(^-^)。
まず、ソロ楽器が上手い。
もう、めちゃくちゃ上手い。しかも、妖しい雰囲気を醸し出しつつ、徹底的に磨き上げた音楽を聴かせてくれる。
フルートのソロは、やや太めの音。夜の霧の中に溶けてゆくような、雰囲気豊かな音で、ソプラノやテノールの背後で奏でてゆく。
オーボエやイングリッシュ・ホルンもそう。ソロが前面に出てくることはなく、歌手の背後で、妖しく歌う。その歌が、独唱にピッタリと寄り添っている。
歌がないときのソロでさえ、歌手が前にいて、その後ろで響かせている感じ。
これも音はやや太め。金属的な突き刺すような音は全くなく、やや抑えめの音が実に良い。
フルートとオーボエが、ボクには特徴的に聞こえるのだが、ホルンやトランペット、ファゴットも、雰囲気そのものは同じ世界だ。
独唱の二人は、絶好調といって良いと思う。
コロのテノールは、様々なオペラで聴いたとおり、素晴らしく伸びやかな声。
ルートヴィッヒはさらに素晴らしい。潤いのある声。
水に濡れたような声で歌う終楽章の「告別」は圧倒的だ。
抑えめの歌唱が、美しい。
カラヤンのマーラーについては、1980年頃は、「人工的なマーラー」「美しさだけのマーラー」「表面的」などと、悪評が多かったように思う。
アンチ・カラヤン派には、「カラヤンのマーラー」は格好の標的だったのだろう。
極めつけは「一流のニセモノは、二流・三流のホンモノを上回る」。
(これは某評論家が使った表現。言い得て妙だが、しかし、まぁヒドイ評だな。ただ、彼は「カラヤン嫌い」ではなかったはずだ。最近全く見かけないがどうしているのか?)
録音も今から30年前のものとは思えない、鮮明で奥行きも深い。
DGの録音は時に乾いてスカスカとしたものがあるのだが、これは潤いもあって、十分な鮮度だと思う。
「名曲」の「名演」の「名録音」。
これはボクにとっての名盤であります。
梅雨も間近。
ただ、四国の今年は雨が今まで少ないので、やや心配。
10年前の「渇水」の記憶があるだけに・・・・。
雨が欲しいなと思います。
さて、今日の1曲は、マーラーの「大地の歌」。
カラヤン/ベルリンPOの演奏、テノールはルネ・コロ、メゾ・ソプラノはクリスタ・ルートヴィヒ。録音は1973年と翌年の2回に分けて行われたらしい。
カラヤンの描くマーラーは、全く美しい。耽美的なマーラーだと思う。
そもそもマーラーの音楽には耽美的な面が強いと思うが、その特徴を前面に押し出している演奏。
マーラーの書いた素晴らしい音楽を食材として、カラヤンが天下の名器BPOの名手たちを駆使して、最高の料理を作り上げたという感じ。
圧倒的な管弦楽。独唱の二人も素晴らしい。贅沢な料理だよなぁ・・・・(^-^)。
まず、ソロ楽器が上手い。
もう、めちゃくちゃ上手い。しかも、妖しい雰囲気を醸し出しつつ、徹底的に磨き上げた音楽を聴かせてくれる。
フルートのソロは、やや太めの音。夜の霧の中に溶けてゆくような、雰囲気豊かな音で、ソプラノやテノールの背後で奏でてゆく。
オーボエやイングリッシュ・ホルンもそう。ソロが前面に出てくることはなく、歌手の背後で、妖しく歌う。その歌が、独唱にピッタリと寄り添っている。
歌がないときのソロでさえ、歌手が前にいて、その後ろで響かせている感じ。
これも音はやや太め。金属的な突き刺すような音は全くなく、やや抑えめの音が実に良い。
フルートとオーボエが、ボクには特徴的に聞こえるのだが、ホルンやトランペット、ファゴットも、雰囲気そのものは同じ世界だ。
独唱の二人は、絶好調といって良いと思う。
コロのテノールは、様々なオペラで聴いたとおり、素晴らしく伸びやかな声。
ルートヴィッヒはさらに素晴らしい。潤いのある声。
水に濡れたような声で歌う終楽章の「告別」は圧倒的だ。
抑えめの歌唱が、美しい。
カラヤンのマーラーについては、1980年頃は、「人工的なマーラー」「美しさだけのマーラー」「表面的」などと、悪評が多かったように思う。
アンチ・カラヤン派には、「カラヤンのマーラー」は格好の標的だったのだろう。
極めつけは「一流のニセモノは、二流・三流のホンモノを上回る」。
(これは某評論家が使った表現。言い得て妙だが、しかし、まぁヒドイ評だな。ただ、彼は「カラヤン嫌い」ではなかったはずだ。最近全く見かけないがどうしているのか?)
録音も今から30年前のものとは思えない、鮮明で奥行きも深い。
DGの録音は時に乾いてスカスカとしたものがあるのだが、これは潤いもあって、十分な鮮度だと思う。
「名曲」の「名演」の「名録音」。
これはボクにとっての名盤であります。
2005/06/09のBlog
[ 04:54 ]
[ 交響曲 ]
イシュトバン・ケルテスの未完成。
オケはウィーン・フィル。1963年録音のDECCA盤。
ケルテスとしてはレコードでビューして間もない頃。
この10年後にケルテスはテルアヴィブで水難事故に遭って夭逝してしまう。
だから「未完成」以後の10年が、ケルテスの全盛期であったのだ。
冒頭のチェロとコントラバスのが聞こえるか聞こえないか、というピアニシモ(我が家のオーディオシステムでは、これをきちんと聴こうとすると、フォルティシモで部屋が割れそうになる(^^ゞ・・・)・・・・やがて、例のオーボエとクラリネットのユニゾンが始まる。
その静謐さは、いつ聴いても大変美しい。
そして弦が活躍し始め、音量も増大してゆくのだが、時折ビックリするようなアクセント(いや、これはアタックと言っていいくらい爆発的)で、スフォルツァンドが出てくる。
金管も打楽器も含めての大音響。特にティンパニの強打は凄まじい。
まるで優美でなく、豊かな情感もない。
繊細でもなく抒情的でもない。
爆発的な音量で、管弦楽が叫ぶ。
恐ろしい穴がポッカリと口を開けているような音楽。
覗いたら、そのまんま吸い込まれて、死の淵に追いやられていってしまうような音楽。
第2楽章も同じ。確かに、遅いところでは、かなり遅くケルテスは演奏させる。
それはロマンティックだし、情感豊かでもある。オケは天下のウィーン・フィルだ。
ところが、ここでも例のアクセント(アタック)が出る。
そして音楽が息せき切って奔流となって、盛り上がってゆく。
やはり、コワイ音楽になっている。
シューベルトってこんなに恐ろしい音楽を書いたのかしら?
もっと、優しく流れるような、きれいな旋律を歌い上げるような、そんな音楽を書いたのではなかったのかしら?
夭折した作曲家は、この音楽を書いたときにすでに死の前兆を感じていた・・・・とでも言いたげなケルテスの指揮。
ケルテスも死神に捕らえられて早死にしたのは、出来すぎた話かな(^^ゞ。
このレコード(あとでCDを買い直しました)、初めて聴いたときは夜中でありまして、ヘッドホンで聴いておりました。その時の印象は今も変わりません。
恐ろしかった。途中で聴くのをやめようかとさえ思いました。
これはコワイ演奏であります。
夜中、独りで聴いていると、つい後ろを振り返ってしまうような演奏(^^ゞ。
この未完成の中には、「何か」がおります・・・・。
ボクは臆病者であります・・・(^^ゞ。
なお、カップリングの5番は優美きわまりない爽快な演奏です。
怖いアクセントは出てきません。安心してお聴きください。
7年前だったか、インマゼール指揮のアニマ・エテルナという古楽器団体のシューベルト演奏が話題になったので、何枚か購入しました。
で、驚きました。これ、ケルテスの未完成そっくり。
(と、ボクには思えました)
ケルテスは30年以上も前に、今日の演奏スタイルを先取りしていたんじゃないのか?
今はそんな風に思っています。
オケはウィーン・フィル。1963年録音のDECCA盤。
ケルテスとしてはレコードでビューして間もない頃。
この10年後にケルテスはテルアヴィブで水難事故に遭って夭逝してしまう。
だから「未完成」以後の10年が、ケルテスの全盛期であったのだ。
冒頭のチェロとコントラバスのが聞こえるか聞こえないか、というピアニシモ(我が家のオーディオシステムでは、これをきちんと聴こうとすると、フォルティシモで部屋が割れそうになる(^^ゞ・・・)・・・・やがて、例のオーボエとクラリネットのユニゾンが始まる。
その静謐さは、いつ聴いても大変美しい。
そして弦が活躍し始め、音量も増大してゆくのだが、時折ビックリするようなアクセント(いや、これはアタックと言っていいくらい爆発的)で、スフォルツァンドが出てくる。
金管も打楽器も含めての大音響。特にティンパニの強打は凄まじい。
まるで優美でなく、豊かな情感もない。
繊細でもなく抒情的でもない。
爆発的な音量で、管弦楽が叫ぶ。
恐ろしい穴がポッカリと口を開けているような音楽。
覗いたら、そのまんま吸い込まれて、死の淵に追いやられていってしまうような音楽。
第2楽章も同じ。確かに、遅いところでは、かなり遅くケルテスは演奏させる。
それはロマンティックだし、情感豊かでもある。オケは天下のウィーン・フィルだ。
ところが、ここでも例のアクセント(アタック)が出る。
そして音楽が息せき切って奔流となって、盛り上がってゆく。
やはり、コワイ音楽になっている。
シューベルトってこんなに恐ろしい音楽を書いたのかしら?
もっと、優しく流れるような、きれいな旋律を歌い上げるような、そんな音楽を書いたのではなかったのかしら?
夭折した作曲家は、この音楽を書いたときにすでに死の前兆を感じていた・・・・とでも言いたげなケルテスの指揮。
ケルテスも死神に捕らえられて早死にしたのは、出来すぎた話かな(^^ゞ。
このレコード(あとでCDを買い直しました)、初めて聴いたときは夜中でありまして、ヘッドホンで聴いておりました。その時の印象は今も変わりません。
恐ろしかった。途中で聴くのをやめようかとさえ思いました。
これはコワイ演奏であります。
夜中、独りで聴いていると、つい後ろを振り返ってしまうような演奏(^^ゞ。
この未完成の中には、「何か」がおります・・・・。
ボクは臆病者であります・・・(^^ゞ。
なお、カップリングの5番は優美きわまりない爽快な演奏です。
怖いアクセントは出てきません。安心してお聴きください。
7年前だったか、インマゼール指揮のアニマ・エテルナという古楽器団体のシューベルト演奏が話題になったので、何枚か購入しました。
で、驚きました。これ、ケルテスの未完成そっくり。
(と、ボクには思えました)
ケルテスは30年以上も前に、今日の演奏スタイルを先取りしていたんじゃないのか?
今はそんな風に思っています。
2005/06/08のBlog
[ 05:10 ]
[ 交響曲 ]
またもやハイティンクであります。
好きなんだから仕方ありません。
しかも、ブルックナーの「ロマンティック」(^^ゞ。
このブログで、3度目の登場であります。
○ブロムシュテット盤
○マズア盤
そのくらい好きで、しょっちゅう聴いている証拠だということです。
「ロマンティック」に限らず、スケールの大きい管弦楽を聴きたいとき、ボクはついつい、ハイティンクの指揮した演奏を取り出してしまう。
相性が良いんだろう。
ハイティンクが振ると、どんな音楽も誠実で暖かくなる。
楽曲の素晴らしさを余すところなく汲み上げて、目の前に示してくれる職人芸に優れているのだと思う。
妙な演出もしないし、盛り上がる部分で見得を切るようなところもない。
ただひたすら終結に向かって、その音楽の持つ素晴らしさを、表現し続ける。
ハイティンクが振ると、音楽のどの部分もその特徴が明らかになる。
美しいところは美しく、悲鳴を上げるところは悲鳴を。
しかし、度を超すことはない。音楽は常に豊かで円満だ。
今日のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」も、スケール雄大で豊麗な音楽になる。
もともと、豊かにオケが鳴るように書かれているんだろうし、構造も雄大なのだろう。
しかし、それを1時間以上にわたって維持し続けて、聴き手に飽きさせない、浸らせてくれる指揮者は、そうはいない。
指揮者の解釈を聴きたければ、ボクは別のCDを取り出す。
「ロマンティック」を面白く聴きたければ、他にもCDがある。
休日や仕事の終えた後の、ホッとしているとき、安心して身を任せられるのはハイティンクだ。
しかも、オケはウィーン・フィルで、さらにフィリップスの名録音。
ホルンはステージ左奥で甘く歌い、オーボエは中央の中奥で、独特の鼻にかかったような切ない響きを作り出す。
ファゴットはその右手で、渋い音色を紡ぎ出す。
ヴァイオリン群は艶のある、輝くような(フィリップスの録音だからハデハデにはならないが)音色で、歌い上げる。
オケの最強奏でも崩れない録音はさすがフィリップス。
ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ盤もよし。
そしてこのハイティンク/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。
今後もずっと永く大切にしていきたい1枚であります。
好きなんだから仕方ありません。
しかも、ブルックナーの「ロマンティック」(^^ゞ。
このブログで、3度目の登場であります。
○ブロムシュテット盤
○マズア盤
そのくらい好きで、しょっちゅう聴いている証拠だということです。
「ロマンティック」に限らず、スケールの大きい管弦楽を聴きたいとき、ボクはついつい、ハイティンクの指揮した演奏を取り出してしまう。
相性が良いんだろう。
ハイティンクが振ると、どんな音楽も誠実で暖かくなる。
楽曲の素晴らしさを余すところなく汲み上げて、目の前に示してくれる職人芸に優れているのだと思う。
妙な演出もしないし、盛り上がる部分で見得を切るようなところもない。
ただひたすら終結に向かって、その音楽の持つ素晴らしさを、表現し続ける。
ハイティンクが振ると、音楽のどの部分もその特徴が明らかになる。
美しいところは美しく、悲鳴を上げるところは悲鳴を。
しかし、度を超すことはない。音楽は常に豊かで円満だ。
今日のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」も、スケール雄大で豊麗な音楽になる。
もともと、豊かにオケが鳴るように書かれているんだろうし、構造も雄大なのだろう。
しかし、それを1時間以上にわたって維持し続けて、聴き手に飽きさせない、浸らせてくれる指揮者は、そうはいない。
指揮者の解釈を聴きたければ、ボクは別のCDを取り出す。
「ロマンティック」を面白く聴きたければ、他にもCDがある。
休日や仕事の終えた後の、ホッとしているとき、安心して身を任せられるのはハイティンクだ。
しかも、オケはウィーン・フィルで、さらにフィリップスの名録音。
ホルンはステージ左奥で甘く歌い、オーボエは中央の中奥で、独特の鼻にかかったような切ない響きを作り出す。
ファゴットはその右手で、渋い音色を紡ぎ出す。
ヴァイオリン群は艶のある、輝くような(フィリップスの録音だからハデハデにはならないが)音色で、歌い上げる。
オケの最強奏でも崩れない録音はさすがフィリップス。
ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ盤もよし。
そしてこのハイティンク/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。
今後もずっと永く大切にしていきたい1枚であります。
2005/06/07のBlog
[ 04:58 ]
[ 協奏曲 ]
早朝のジョギング、ここ数週間は、走ったりサボったりであります。
踵の痛みがなかなか消えないので、無理をしないことにしたのであります。
このトシですから、体が壊れるほど走っては何にもなりませんから。
この1年、あまり体重は変わりませんが、体型は変わりました。
ズボンのベルトが確実に1穴縮んでいます。
病気も全くしなくなりました。
さて、暑くなってきますと、僕の住む街では、地下水がさらに美味しくなります。
気温が上がるほど、蛇口から出る水(実はポンプで汲み上げている地下水)が冷たく感じるんです。
もちろん、冷蔵庫で冷やして飲む方がもっと旨いんでしょうが、取りあえず、走った後に蛇口をひねってコップ2杯、ゴクゴクッ・・・・最高であります。
今日聴いたレコードは(最近は、LPばかり聴いておりますが)、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503。
演奏は、ピアノがアリシア・デ・ラローチャ、管弦楽はショルティ指揮のロンドン・フィル。1977年12月録音で、日本盤は1979年暮れの新譜。
カップリングは27番のピアノ協奏曲。
ラローチャのピアノが、きれい。
きれいな音。清らかで、光りながら転がるような音色。
「うちぬき水」のような清冽さ。キーンと冷やしきった水ではなく、自然の冷たさを持った水のような味わい。
ジョギングで見かける、朝露に濡れた草木のような、気持ち良い音色。
こんな音でモーツァルトを弾いてくれたら、それはもう、至福の境地。
テンポはゆったりとして、急ぎすぎない。
「おおらか」と言うよりは、モーツァルトの音楽を心から慈しみながら、清冽な音色で弾き通す。そんな感じ。
バックのショルティも、しっとりと、豊かにオケをならして、しかもよく歌う。
インテンポでまっしぐらに進んでゆくいつものショルティではなく、ラローチャにそっと寄り添う大人の音楽をつくってゆく。
第1楽章の木管が饒舌。というより、それぞれのプレイを楽しんでいる感じ。
悪い意味ではなく、楽しそうに「にぎやか」に演奏してる様子が分かる。
録音が素晴らしい。
アナログ最末期の、DECCAらしい名録音。
これ、LPだから、こんなに良い音なのかな?
キングレコード、SLA1236のレコード番号。
翌年、ロンドン・レコードが創立され、DECCA原盤の新譜はキングからロンドン・レコードに移った。その最後のレコードで、重さも十分。
アナログ最末期のレコードは随分軽量になっていったから、その点では貴重な盤であります。
踵の痛みがなかなか消えないので、無理をしないことにしたのであります。
このトシですから、体が壊れるほど走っては何にもなりませんから。
この1年、あまり体重は変わりませんが、体型は変わりました。
ズボンのベルトが確実に1穴縮んでいます。
病気も全くしなくなりました。
さて、暑くなってきますと、僕の住む街では、地下水がさらに美味しくなります。
気温が上がるほど、蛇口から出る水(実はポンプで汲み上げている地下水)が冷たく感じるんです。
もちろん、冷蔵庫で冷やして飲む方がもっと旨いんでしょうが、取りあえず、走った後に蛇口をひねってコップ2杯、ゴクゴクッ・・・・最高であります。
今日聴いたレコードは(最近は、LPばかり聴いておりますが)、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503。
演奏は、ピアノがアリシア・デ・ラローチャ、管弦楽はショルティ指揮のロンドン・フィル。1977年12月録音で、日本盤は1979年暮れの新譜。
カップリングは27番のピアノ協奏曲。
ラローチャのピアノが、きれい。
きれいな音。清らかで、光りながら転がるような音色。
「うちぬき水」のような清冽さ。キーンと冷やしきった水ではなく、自然の冷たさを持った水のような味わい。
ジョギングで見かける、朝露に濡れた草木のような、気持ち良い音色。
こんな音でモーツァルトを弾いてくれたら、それはもう、至福の境地。
テンポはゆったりとして、急ぎすぎない。
「おおらか」と言うよりは、モーツァルトの音楽を心から慈しみながら、清冽な音色で弾き通す。そんな感じ。
バックのショルティも、しっとりと、豊かにオケをならして、しかもよく歌う。
インテンポでまっしぐらに進んでゆくいつものショルティではなく、ラローチャにそっと寄り添う大人の音楽をつくってゆく。
第1楽章の木管が饒舌。というより、それぞれのプレイを楽しんでいる感じ。
悪い意味ではなく、楽しそうに「にぎやか」に演奏してる様子が分かる。
録音が素晴らしい。
アナログ最末期の、DECCAらしい名録音。
これ、LPだから、こんなに良い音なのかな?
キングレコード、SLA1236のレコード番号。
翌年、ロンドン・レコードが創立され、DECCA原盤の新譜はキングからロンドン・レコードに移った。その最後のレコードで、重さも十分。
アナログ最末期のレコードは随分軽量になっていったから、その点では貴重な盤であります。