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クラシック音楽のひとりごと
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2005/10/26のBlog
爽やかな秋。
秋晴れの空、サラッとした空気。気分の良い一日でありました。

久しぶりに今日はバッハを。

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068。カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏。
もう今さら何をか言わんや、というほどの大名盤。1960年の録音なので、もう45年も前のレコードになってしまった。

全4曲ともに素晴らしい演奏なのだが、とりわけ2番と3番は、いつ聴いても感動する。その感動の質は、遙か高みを目指した崇高で高貴な精神に触れて、襟元をつい正してしまうようなもの。本当に正しく美しいものには、あれこれと言っても仕方ないような気がする、そんな感動。

さて、リヒターは、オケを鍛えに鍛え、出来る限り技術的に高い演奏をすることで、バッハに近づこうとしている感じ。その点では、宗教的な演奏のようにも思える。

オケの響きは、峻厳で気高く、無駄な音がない。
厳しく、禁欲的で、真剣勝負の迫力が伝わる演奏。


序曲のスケールの雄大さは、他番ではなかなか聴けない素晴らしさ。響きはやや硬いのだが、目指すものはあくまでも高き理想。金管の強烈な音も特徴的。通奏低音は芯があってなかなか品が良い。


それに続く第2曲のエア(アリア)の何と静謐で美しいこと!。
序曲の峻厳さがあるだけに、この楽章の安らぎは格別だ。穏やかな音楽の中に、心を込めた祈りが響いてくる。
弦楽合奏のアンサンブルは完璧。この静謐さと統一性こそ、リヒターの目指すものだったんだろう。
通奏低音がまた慎み深くも真摯に、この最高の安らぎの音楽を支えている。

第3曲からは見事な舞曲。そう、本来バッハの管弦楽組曲は舞曲なのだ。
しかし、リヒターはその通俗の極みでもある踊りの音楽を、真摯な祈りの演奏にしてしまうのだから、恐れ入る。

古楽器団体の、様々な解釈の演奏でバッハの管弦楽組曲を聴いてきました。
久しぶりに、リヒターのバッハを聴くと、その真面目さが、ちょいとやり過ぎじゃないか思います。

しかし、リヒターの真剣さには頭が下がります。
若い頃、この熱さ・真面目さ・志操の高さに憧れの感銘を持って聴いたものです。
中年になった今、久しぶりにリヒターの管弦楽組曲を聴くと、若い頃の元気が蘇ります。
「レコード」とはいいものです。
リヒターのレコードなのに、「ボクのレコード」なのであります。
2005/10/25のBlog
この頃、クラリネット曲をよく聴いております。
音色が何とも云えず、良いんですね。
温かいのに寂しいというか、相反する要素を持つ音色が、とても良いです。

で、今日はブラームスのクラリネット三重奏曲。
またまた「秋はブラームス」であります。


ブラームスは晩年に創作力の減退を感じて、大曲の作曲をやめようとしたらしいのだが、クラリネットの名手ミュールフェルトを知って、クラリネットを含む室内楽曲を全部で四曲作り上げた。先日エントリーしたクラリネット五重奏曲が作品115。この三重奏曲は114になる。
録音があまり多くないが、この三重奏曲も、ブラームスらしい渋い名曲だと思う。

演奏は、カール・ライスターのクラリネット、フェレンツ・ボグナールのピアノ、ヴォルフガング・ベトヒャーのチェロ。1997年の録音。Nimbus原盤だが、ブリリアントの「ブラームス室内楽曲全集」12枚組に入っていた。2年前に購入した際は、激安だった。3000円ちょっとで買えたはず。

第1楽章はイ短調のアレグロ。チェロのふくよかな響きで始まる。クラリネットが登場すると一気に哀愁を帯びてくる。ライスターの音が、何とも味わい深い。しみじみと滋味溢れるというか、たっぷりとした情感に包まれていると云うか、素晴らしい音色。この音に身をゆだねているだけで、気分が落ち着く。
ただ、旋律は哀しく寂しく、ブラームスの晩年らしい響きだ。胸の奥に一杯に詰まった感情が溢れてしまって、少しずつ零れてくる・・・・・そんな音楽。ライスターのクラリネットはもちろん、ピアノもチェロもいい音で支えている。

第2楽章はアダージョ。優美で暖かい主題を、クラリネットがこれもしみじみと歌う。チェロがそれを受け継ぐのだが、その歌い方も上品で慎ましく、まったく好ましい。旋律は美しいのだが、やや渋め。大声を上げないが、品良く、作曲家の心映えを伝える音楽と言うべきだろうか。クラリネット、ピアノ、チェロとも、楽器の持ち味を生かし、表情豊かな好演。

第3楽章はアンダンティーノ・グラツィオーソ。三者の会話が楽しい。渋く哀愁を帯びたこの曲の中で、この楽章だけが弾むような音楽だ。ライスターのクラリネットはここでもひたすら美しい。

第4楽章のアレグロ。表情を様々に変化させながら、クラリネット・ピアノ・チェロがそれぞれよく歌う。アンサンブルも完璧。お互いに合奏を楽しんでいる様子が伝わってくる。もちろんリードしているのはライスターなのだろうが、クラリネットのペースに、ピアノもチェロもよくついているなぁと思う。


それにしても、ライスターのクラリネットの響きは甘くふくよかで美しい。哀愁漂う、時に涙がこぼれるような哀しみをたたえた響き。
ああ、エエなぁ・・・・・・・。
まったく「秋はブラームス」であります。
特にクラリネットの音色は、深まりゆく秋にふさわしいようで・・・。
2005/10/24のBlog
ここのところ出張や休日出勤で忙しかったので、ちょいと疲れ気味です。
こういうときは、モーツァルトで癒されるのも良いんですが、ベートーヴェンの強烈な個性に叱咤激励されるのもエエですな。

勇気を鼓舞されるのなら7番シンフォニーが特にイイです。

そこで今日はベートーヴェンの交響曲第7番イ長調作品92。
リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏。1988年2月、フィラデルフィアのメモリアル・ホールでの録音。ムーティ/フィラデルフィアのベートーヴェン全集からの1枚。

ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団のベートーヴェンは、発売された当初からさして話題にもならず、今や忘れ去られた演奏かもしれない。ひょっとして廃盤なのではないだろうか?
もったいないくらい、しかしこれは良い演奏で、特にフィラデルフィア管弦楽団が素晴らしい。弦の柔らかく練り絹のような響きだけでなく、明るく輝かしい管楽器がよく溶け合った、見事なアンサンブル。そして、躍動するサウンド。

ベートーヴェンにしては、音が少し明る過ぎるかなとも思うが、何も重く厚みのある響きだけが、あえて言えばドイツ的な響きのオケだけが、ベートーヴェンでもあるまい。キラキラと輝くアメリカン・サウンドのベートーヴェンも良いものだ。

尤も、EMIの録音が、ホール全体の響き、オケのマスとしての響きを重んじる録音傾向なので、個々のキラキラした響きよりも、オケ全体のマイルドな響きが優先されて、かえってそれがアメリカン・サウンドを抑え気味に聴かせてくれる。
いわば、輝かしいのにマイルドな、素晴らしいオケの響きになっている。

第1楽章の序奏部から、密度の濃い表現。主部のヴィヴァーチェでは、グイグイと推進力に富んだ演奏になって、一種の快感を味わえる。独特の、音量の強調が見られるのも面白い。ムーティ独特の解釈だと思うが、聴きながらハッとするクレッシェンドが効果バツグン。

第2楽章は、フィラデルフィアの弦楽アンサンブルが、非常に美しい。管楽器も見事に溶け合って、とても綺麗。色彩感に富んだ抒情とでも言おうか、痛切な旋律が、哀しいというより、実に美しく輝いている。しかも、ムーティらしくよく歌わせる。

第3楽章は圧巻。リズムが弾んで実に切れ味がよいのに、よく聴いていると、カンタービレの音楽になっている!スゴイ。
リズムの切れ味がよいと「歌」がおろそかになり、「歌」を優先すれば、リズムがやや鈍重になるのが普通だろう。
ところが、ムーティの指揮で聴くと、歌に満ちているのに、リズムの切れ味抜群なのだ。これは、スゴイことなんじゃないかと、秘かにボクは感心している。

第4楽章も素晴らしい。
速い、とにかく速い。快速特急。一気呵成にコーダまでもってゆく。
第2楽章の速度から第3楽章、第4楽章へと、どんどんギア・チェンジして、驀進してゆく。聴き手の感情を刺激し、昂奮させるような設計。聴いていて元気が出る。
グイグイ速くなってゆくのに、音楽のフォルムが全く崩れないのはさすがフィラデルフィア管弦楽団。オケの能力の高さが、こういうところで生きる。

あぁ、イイ音楽を聴いたなぁ。良いオーケストラだなぁと思わせる演奏。
そして、ボクは、素晴らしいベートーヴェンに勇気を鼓舞されたのであります。

2005/10/23のBlog
冷え込んできました。低気圧に寒冷前線の通過。
冷たい雨も降りました。
一気に冬支度であります。

今日は松山へ出張。車中ではずっとモーツァルトを聴いていた。
特に良かったのはクラリネット協奏曲イ長調K622。モーツァルトの数ある協奏曲、最後の作品であり、死の直前の大傑作。
演奏はジャック・ランスロのクラリネット、ジャン=フランソワ・パーヤール指揮パイヤール室内管弦楽団。1963年頃の録音のERATO盤で、カップリングはランパル/ラスキーヌのフルートとハープのための協奏曲。往年の決定盤だ(今もかな?)。長いことレコードで愛聴していたのを、1986年のCD再発時にすぐに購入した覚えがある。
久しぶりに聴いたが、涙がこぼれるほど感動した。

この世にこんな美しい音楽があってエエんか?

これは、モーツァルトの死の1カ月前に完成された作品。
モーツァルトは自分の死期を悟っていたのか(悟っていたとしか思えないのだが)、この協奏曲は、もう天上の音楽としか云いようがないほど、枯れているにもかかわらず美しい。この世の煩悩だの妄執だのを超越した、彼岸の音楽と言っても良いかもしれない。
転調はあまりないし、感情的な激烈なところは皆無。
もう、気品漂う、あの世の音楽とでも言いたくなる。

自分の葬式にはこの協奏曲の第2楽章を流して欲しいものだと、今日、出張の車中でしみじみボクは思ったのであります。

ランスロのクラリネットが実にイイ。
クラリネットにしては、少し軽めの音色。馥郁として柔らかいのだが、しっとりだとか、暗いということはない。明るく、やや軽さを帯びた音色。フランス系の管楽器奏者の特徴だとは思うが、明るく爽やか。メロウな響きの中に、気品があるのが心地よい。

クラリネットの高音部の抜けるような美しさは、色で例えればレモン色がかった白。ツンと突き抜けるような音色が、たまらなく綺麗。
もちろん、低音部では太い音で朗々と歌う。高音から低音に移る瞬間が、その音色の鮮やかな変化が、また何とも云えず美しい。

第1楽章の序奏部、パイヤール室内管弦楽団のテンポはやや速め。これも、明るく爽やかで柔和な伴奏だ。クラリネットが登場すると、一気に音楽が充実する。軽さだけでなく、気品や情緒が感じられるようになる。

第2楽章は、この協奏曲の白眉。モーツァルトが書いた音楽の中でも屈指の美しさ(とボクは思っている^^)。ゆったりと静かに流れる伴奏に乗って、過去を振り返るような、しみじみとした音楽をクラリネットが心ゆくまで歌ってゆく。後ろ髪を引かれるような音楽。これで、いろいろなものとのお別れなんだ・・・・とでも云っているかのような音楽。ランスロのクラリネットが、余剰たっぷりに演奏してゆく。軽さよりも高貴さを感じさせる演奏だ。

終楽章は、シンプルなロンド。闊達なクラリネットの動き、柔らかく刺激音のない伴奏。彼岸の音楽と云うにふさわしい。耳を澄ますと、時折「魔笛」のフレーズのような音楽も聞こえる。
ランスロもパイヤールも、全く美しく終曲まで持ってゆく。美しいのは演奏家の手柄と云うより、作曲の凄さだとは思うが。

クラリネットの響きには哀愁があります。
深まりゆく秋にふさわしい楽器かもしれません。
2005/10/22のBlog
爽やかな季節。早朝のジョギングでは、肌寒さを感じるようになった。
またハーフパンツにTシャツで走っているのだが、走り始めてから汗をかき始める10分間は結構寒い。
今朝はまだ西空に月が輝く時刻からジョギングを始めたので、少し震えるようだった。

ジョギングを始めて1年半、体調がすこぶるよろしい。
まず、メシが旨い。特に朝飯が美味い。食欲旺盛で困るほど(^^ゞ
そして病気をしなくなった。元々健康体なのだが、ジョギングを始めてから、風邪も引かなくなった。
夜もすぐに眠くなる。(これは、トシのせいか?・・・・・・(^^ゞ・・・)
足腰も鍛えられた。階段を上るのは4階ぐらいまでは平気になった。
歩くのも苦にならない。外出の時も、車を控えることが増えた。

ダイエットのために始めたのだが、あまり体重は減っていない。メシの食い過ぎかな?
体脂肪がちょいと減って、ウェストも少し締まったようにも思うのだが、劇的に痩せたということはない。中年太りに歯止めをかけている程度に過ぎないな(^^ゞ。

でも、朝のジョギングは空気も旨いし、何より汗をかいた後の気分が良い。
景色も今はとても綺麗。
今朝は快晴の空。東の空がだんだん明るくなり始め、南の四国山地が徐々に姿を現すのは絶景ではある。今朝の石鎚山は、特に綺麗だった。

(ジョギングの後、我が家の前の田んぼから撮ったものが、今日の写真であります。朝日を受けて少し明るく見える中央の山が、石鎚です。640×480サイズですので、拡大して見て下さい。画像サイズが大きくて重かったらゴメンナサイ)

さて、爽やかな朝といって思い出すクラシック音楽は、グリーグのペールギュント組曲、「朝」である。
わずか4分の曲だが、何と爽やかで気分の良い音楽だろう。
北欧の雰囲気も十分で、冷涼な空気が部屋に入ってくるよう。
冒頭の木管の響きから、弦楽合奏まで、全く素晴らしい曲と思う。

初めて聴いたのは、小学校6年生の音楽の時間。鑑賞教材として、この「朝」と「オーゼの死」、そして「山の魔王の宮殿で」の3曲を聴いたのを覚えている。
特に「朝」と「オーゼの死」が良かった。旋律が特に気に入った。

以来、ペールギュント組曲は、大好きな曲。
今朝は、北欧ものを得意としたカラヤン/ベルリン・フィルのシンフォニックな演奏で。1982年1月のデジタル録音。第1・2組曲で、8曲を収めている。

「朝」のスケール豊かで、しかも爽快なベルリン・フィルの響き。
「オーゼの死」は、演出巧みなカラヤンの指揮で、涙をしぼって。
「山の魔王の宮殿で」の、厚みのあるオーケストラ音楽、さすがBPO。
ラストの「ソルヴェイグの歌」の、どこまでも美しく歌わせるカラヤンの指揮。レガートがとても優美に聞こえる。ゴージャスな気分にもさせてくれる。

走り終わった後の爽快な気分も良し。
こういう名曲の名演奏を聴いた後の気分も良し。
いやはや、我ながら小市民的感慨でありますなぁ・・・・・・・・。




ジョギングを終えて、朝食の後に、ゆっくりと聴く「ペールギュント」組曲。
ささやかではありますが、幸福を感じるものです。

2005/10/21のBlog
気温がだいぶ下がってきました。
朝の目覚めのとき、「寒い」と感じるようになってきました。
このくらいの時期、これから1・2カ月、クラシック音楽を聴くのにはホンマに良い季節ですな。
寒くもなく暑くもなく、心地よく音楽に浸れます。
秋は良いもんです。


・・・・・・・で、今日もブラームスであります(^-^)。

ブラームスのクラリネット五重奏曲ロ短調作品115。

ペーター・シュミードルのクラリネットと、新ウィーン八重奏団の演奏。
ウィーン・フィルのメンバーで、エーリッヒ・ビンダー(第1ヴァイオリン)、マリオ・バイヤー(第2ヴァイオリン)、ヨゼフ・シュタール(ヴィオラ)、フリードリッヒ・ドレツァル(チェロ)の面々。
1980年4月、ウィーンのソフィエンザールでの録音。DECCA盤。


第1楽章アレグロ。開始早々のクラリネットの音色が物寂しい。過去を回顧したモノローグか。それに合わせて、2本のヴァイオリンの響きがはかないほどに寂しい。ヴァイオリン二台のオクターブによる旋律のはかなさは格別だ。
人生は辛かったなぁ・・・とでも云っているような回想的な音楽。ブラームスの音楽は、後ろ髪を引かれる思いの音楽だと思うが、この第1楽章はその典型かと思う。
シュミードルのクラリネットはまさにウィーン・スタイル。柔和でふくらみのあるまろやかな音色が素晴らしい。

第2楽章アダージョ。弱音器をつけた弦の音が、艶消しのような味わいのある美しさ。その上を、シュミードルのクラリネットが漂うように歌う。朗々というより、ポツポツと語るような歌。シャンソンのように、語りの入った歌とでも云おうか。新ウィーン八重奏団のメンバーが表情豊かに、その歌を支える。ヒソヒソと弦も語るようだ。好演。
ときおり、第1ヴァイオリンが高音で歌い抜くところもある。その歌がまた淋しさを助長してゆく。
ブラームスが抱いてきた苦悩や届かない憧れを表現しているのか、変化のない単調な旋律の中にさえ、しみじみとした味わいが宿っている。

第3楽章はアンダンティーノ~プレスト・ノ・アッサイ・マ・コン・センティメント(長いな(^^ゞ)。スケルツォ楽章だ。といいながら、あまりなごやかな音楽になっていないのはブラームス流。ただ、弦楽の演奏は、前の2つの楽章に比べて、くだけてなごやかなものになっていると思う。シュミードルも、技巧の限りを尽くしているのが聴き取れる。ハッとするクラリネットの響きが、随所に聴かれる。

終楽章コン・モート。ブラームス得意の変奏曲。チェロの響きが泣かせる。深々とした響きに包容力がある。もちろん、ヴィオラもヴァイオリンも素晴らしいのだが、クラリネットが絡むと、安らぎさえ感じさせる。このあたりのシュミードルの演奏は見事だと思う。重すぎず、軽くもなく、漂うような音色で儚さを演出してゆく。巧いなぁ。


カップリングはモーツァルトのクラリネット五重奏曲。こちらも素晴らしい名演であります。
この2曲を入れたレコード・CDには良いものが多いですな。A・ボスコフスキーのも良かったし、プリンツのも素晴らしかったと思います。
これらについては、またいずれ。
2005/10/20のBlog
この秋、ブラームス作品をよく聴いています。

今日は、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102。
しょっちゅう聴く協奏曲ではないのだが、今日は久しぶりに取り出してみた。
懐かしい1枚。

ヴァイオリンはギドン・クレーメル、チェロはミッシャ・マイスキー。
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルの演奏。
1982年9月、ウィーンのムジークフェライン・ザールでのライヴ録音。
(DGに移籍したこの頃のバーンスタインは、ライヴ録音ばかりだった)

ブラームス生誕150年を記念してDGが発売した「ブラームス大全集・協奏曲編」からの1枚。(ポリーニのピアノ協奏曲2曲とムターのヴァイオリン協奏曲が一緒に入っている4枚組LP)


さて、晩年、交響曲を書かなくなったブラームスだが、実は5番目の交響曲の構想はあったという。
この二重協奏曲がそれであったらしい。大ヴァイオリニスト、ヨアヒムの助言を受けるうちに二重協奏曲に変化していったとのこと。途中でヨアヒムとの仲が険悪になったらしいが(どうもブラームスと夫人の仲を疑ったらしい・・・・ヨアヒムの嫉妬だなぁ)、ヴァイオリンを夫人に、チェロをヨアヒムに見立てて「和解の協奏曲」にブラームスは仕立てたのだと・・・。なるほどね。

さて、録音は1982年と云うことで、バーンスタイン絶好調のとき。この演奏も、全体的にはバーンスタインのペースで進んでいる。

第1楽章の序奏部からして遅い。壮大なスケール、たっぷりしたテンポで始まる。
この雄大さは、終曲までずっと続く。

オーケストラの響きも非常に豊か。録音方法によるのかもしれないが、オケの厚みが十分で、低音の響きも重々しい。バーンスタインのベートーヴェン全集もこんな音だったが、ウィーン・フィルの輝かしい高音はそのままに、低音方向に音が伸びてゆく感じのオーケストラ。このあたり、バーンスタインの好みなのかもしれない。

クレーメルのヴァイオリンが、いつもながら透明でクール。非常に真摯で潔癖な演奏ぶりが好ましい。
音色は碧く澄んだ感じの爽やかさ。しかも、柔軟で、どんな曲想にも対応できるしなやかさもある。

マイスキーのチェロは、艶やかでロマンティック。感情の表出が大きいチェロだと思う。クレーメルがクールだとすれば、マイスキーのはホットな感じ。

二人のそれぞれのソロを聴いていると、個性の差に違和感を覚えるのだが、合奏になるとピタッと合う・・・・・。呼吸が合っている。
こんなに違うのになぁ・・・・息が合うのが不思議な感じがする。
でも、だから音楽は面白いのかもしれない。

第1楽章の雄大さ、第2楽章の抒情とカンタービレ、終楽章のエキゾチック。
指揮とソロ2人。三者三様なのだが、とっても面白く聴ける演奏であります。
オケも美しく、重量級のバーンスタインが、個性豊かな二人のソロを暖かく包むこむような演奏であります。

2005/10/19のBlog
四国の田園では、ほぼ稲刈りが終わりました。自宅周辺には農家が多く、我が家の南側には一面の田んぼが広がっています。今は、刈り取りも終わって、切り株の後が黄色く残るだけになりました。
今年は、まずまずの出来だったようです。昨年は台風の連続襲来と水害で苦しみましたが、今年は良かったなぁ。
農家では刈り取った稲を干したり、脱穀、籾すりなど、収穫後の作業に追われています。そんな風景を見ていると、田舎にも晩秋の雰囲気が漂ってきます。

さあ、今日は本年度の豊作を、ベートーヴェンの「田園」とともに喜ぼうと思います。
演奏はクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー。
1986年9月、ウィーンのムジークフェライン・ザールでの録音。アバドのベートーヴェン全集の一環として録音されたもの。

これは発売直後に購入したCD。バブル時代の盛期だったと思うが、円高が進んでいてレギュラーの輸入盤が2000円ちょっとで買えるようになった頃だったように思う。(だから、買う気になったと思うのだが)

カップリングは「合唱幻想曲」でピアノはアバドの盟友マウリツィオ・ポリーニ。


初めてこの「田園」を聴いたときに、響きが薄いなと感じた。オケの厚みがあまり感じられない。ウィーン・フィルってこんな音だったっけかな?と違和感を感じながら聴いたことを思い出す。デジタル録音のせいではないかなとも思ったものだ。当時(1988年頃)、所持するCDの数も多くなかったし、再生装置も貧しかったので、CDやデジタル録音はこんなものかなとも思っていたものだ。

しかし、その後アバドの録音をいろいろ聴いているうちに、この響きこそ、アバドが目指すものなのだと気がついた。特に、ベートーヴェン全集のベルリン・フィルとの再録音を聴くに及んで、ハッキリと分かった。

アバドの目指すベートーヴェンの音は、スッキリと澄みきった、モコモコしない、抜けの良い爽快な音なのだ。やや細身の弦の音に、管楽器も濁らないオケの響き。
オケの厚みを押し出すよりは、少々薄くても、各楽器の固有の響きが濁らずに聴き手に届くように細心の注意を払う・・・・そんなオーケストラ音楽。

これに慣れると、実に心地よく、快適なベートーヴェンを味わえる。
ベルリン・フィルとの再録音、あまり聴いていないのだが(今のところ、あまり好みではない)、このウィーン・フィル盤は素晴らしいと、だから思う。

第1楽章のゆったりしたテンポ。気持ちよく胸がいっぱいになるフレージング。第1楽章は遅いのがボクは好きだ、アレグロ・マ・ノン・トロッポなのだが、遅い方が情感があって良いと思う。アバドの採るテンポは、ヨッフム/ロンドン響盤と双璧の遅さ。(フルトヴェングラーは別格ね^^;)
ゆったりと気持ちよく、弦も管も歌ってくれる。この「歌」がアバドらしい。

第2楽章もゆっくりで気持ちよい。遅いと言っても、リズムが弾まないとか、響きがおっとりしているわけではない。あくまでもオケの紡ぎ出す響きは爽快で、弦も管もよく歌う。しかも、遅いのに推進力を感じさせる爽やかさ。アバドの指揮の賜物だろう。
最後の、様々な鳥を模した音楽の何と繊細に美しく響くこと。

第3・4楽章はリズムも弾んで迫力も十分。ここではオケは十分に厚い。荒らしの迫力など、ダイナミックレンジが大きく、相当なものだ。ホルンの野趣溢れる響きも気持ちよい。

終楽章もまたゆったり。神への感謝が、息長いフレージングでしみじみと語られる。ああ、エエ音楽やなぁ。良い一年だったなぁ。
そんな想いで、今日はアバドの「田園」を聴きました。
2005/10/18のBlog
西条祭もすんで、深まりゆく秋を感じています。
今日の夕暮れも全く綺麗だった。
真っ暗になる直前の10分間は、黄金の時間でありました。

深まる秋には、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488。

今日は、エリック・ハイドシェックのピアノ、アンドレ・ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管弦楽団の演奏で。1962年録音のEMI盤。
1300円盤として、随分若い頃世話になったセラフィム盤のLPで聴いたものだったが、10年ほど前にCD2枚組になったので買い直したもの。
20、21、23、25、27番の5曲を収めている。

ハイドシェックはこの録音当時、26歳の若さ。
この若さで素晴らしいK.488を聴かせてくれる。すごいピアニストだと思う。

ひと頃、盛んに来日しては、話題になったピアニストでもある。愛媛県の宇和島市にもやって来て演奏会を開いたりもしていた(ボクは行っていないが)。

第1楽章のアレグロ。序奏からして速い。まさにアレグロ、快速なテンポで管弦楽が奏でる。その速さの感じは、新幹線に乗っているときの、外の風景がどんどん飛んでゆくあの感覚に似ている。何かに急かされているような印象を受ける。ただ、このテンポ感に慣れてしまうと、一種快感でもある。
ハイドシェックのピアノが登場しても、その速さの感覚は同じ。どんどん飛ばしてゆく。ただ、ハイドシェックのテンポは伸縮自在で、天衣無縫。速いところは大変速く、遅いところではかなり遅く、速度の差が大きい。ゆったりとロマンティックに歌うところや、情感豊かに奏でるところもあれば、サッサと飛ばしてしまうところもあって、聴いていてたいそう面白い。
若武者が颯爽と演奏している印象。悪く言えば好き勝手に弾いているようなところがある。
ヴァンデルノート指揮のパリ音楽院管は、ニュアンス豊かで繊細な管弦楽を聴かせる。ただし、アンサンブルが怪しい。もっとも、この怪しさが微妙な雰囲気を生んで、協奏曲としては聴くには結構面白いから不思議でもある。

第2楽章は、これはモーツァルトの書いた「秋のアダージョ」であり、「秋のもの想い」だと思う。テンポはやや速め。沈思黙考と云うよりは、淡々と哀しみを吐露してゆく感じの演奏になっている。情緒纏綿たる演奏ではなく、感傷があまりべとつかないのが良い。特にピアノのソロがデリカシーに満ちていて、美しい。ハイドシェックの音色はクールで透明感があるのに、エッジがやや丸く鋭利ではない。いかにもモーツァルト向きだと思う。管弦楽も、第1楽章同様、ニュアンス豊かで雰囲気たっぷりでよい。

終楽章のアレグロ・アッサイも快速。ハイドシェックのピアノはますます好調で、自由闊達で自在な運びを聴かせる。一気に弾ききるのだが、ニュアンス抜群。特にテンポの収縮が随所にあるので、非常に面白く聴ける。これも第1楽章同様だ。


このモーツァルト演奏、「面白いな」という印象で聴き始めるんですが、だんだんハイドシェックに乗せられて、「実は、これこそモーツァルトにふさわしい演奏なのではないか」と、聴き手がその気になってしまうところがあります。まんまと罠にはまってしまったような感覚。
そんな風に思いながら聴いていると、やはりハイドシェックは天才だなと思いますし、このピアノをサポートし続けたヴァンデルノートもただ者ではないなと思うのであります。
未聴の方には、是非一度お試し下さいと、勧めたくなります。
2005/10/17のBlog
西条祭はボクの廻りでは無事に終了しました。
この「無事に」というのが大切なことであります。
怪我・喧嘩・急性アルコール中毒・・・・危険が一杯ありますので、お祭りはコワイんです。
後半は天気も回復、良いお祭りでありました。
肩や背中の痛みは、数日続きますが・・・・・。


さて、今日はブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77。レオニード・コーガンのヴァイオリン独奏、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルの伴奏によるもの。1967年、モスクワ録音のメロディア盤らしい。
日本ビクターの名曲全集からの1枚。これも古本屋で入手したもの。

レオニード・コーガンは、1982年に亡くなっている(当時58歳、まだ若くして心臓麻痺で亡くなったから話題になったはず)。ボクはクラシック音楽を聴き始めた頃で、コーガンの名前しか知らない存在だった。最近、古本屋で偶然見つけて初めて聴いた次第。
指揮も、今は亡きキリル・コンドラシン。

驚くべき技術の高さ、そしてクールな感覚の演奏。

第1楽章のアレグロ・ノン・トロッポ。コンドラシン/モスクワ・フィルの管弦楽が大変力強い。豪快で迫力満点。しかも速い。グイグイ進んでゆく。
冒頭の部分は、厳かな始まり方をするのだが、それ以後は、短調ではあるが悲愴な感じはなく、どちらかというと楽天的な性格のオーケストラ。オーボエなどアッケラカンとして、あまり思い入れなどはない。録音のせいか、少し弦楽の高音が乾いた感じがするのは残念。

ソロが始まると、空気が一変。まさに「一閃」とでも言うべきか。
コーガンのソロの切れ味が抜群で、研ぎ澄まされた鋭利な刃物が閃くようなヴァイオリン。

鋭い。

耳につく・耳に痛いという意味ではなく、演奏の技術・精度が高く、大編成のオケと堂々と渡り合う力量を誇示しつつ、オケの面々を睥睨するようなヴァイオリン・・・・という意味(巧く書けないのだが(^^ゞ)。
仕上げは端正で流麗、ヴァイオリンの音色も非常に美しい。
音色は至ってクールで、透明感がある。やや細身のヴァイオリンだと思うが、一貫して、細身であって、曲想によって太くなったり細くなったりしない。常に細身の音色で最後まで貫いている潔さを感じる。

野球で言うと、バットの真っ芯で捉えたライナーがそのまま糸を引いて真っ直ぐにスタンドに向かって伸びてゆくホームラン・・・・・・(表現が悪いが)。フワッと弧を描くようなものではなく、一直線の当たり。

コーガンのヴァイオリンは、筋がピンと通っている。それが、姿勢の良さ、端正な仕上げ、演奏の潔癖さとして聴き手に伝わってくるのだと思う。男性的な演奏だ。

第2楽章は、オーボエのソロが美しい。オーボエがかなりのオンマイク。よく歌うが、少し明るすぎるかなと思った(そう感じたのは、こちらの体調のせいかもしれないが)。
ソロ・ヴァイオリンは、ここでも第1楽章と同じように、筋の通った演奏。高音の持続音が、特に美しい。細身で、冴え冴えとして、輝かしい音色。どこまでも伸びてゆく高音から、キラキラと燦めきがこぼれ落ちてくる感じ。ため息が出るほど綺麗。

第3楽章は、独奏とオーケストラが一体となった熱い演奏。コーガンはクールに独奏を続けているのだが、コンドラシン/モスクワ・フィルは熱い。このアンバランスがまた面白い。最後までコーガンはコーガンなのだ。筋を通すオトコなのだ。


レオニード・コーガン。名演奏家を紹介した雑誌や書籍でよく耳にした名前であったんですが、聴くのは初めてでありました。
素晴らしいヴァイオリニストを、また一人見つけた思いでありました。

嬉しいものです。
僕の愛するヴァイオリニストがまた一人増えました。
こういう幸福感、エエもんです。
2005/10/15のBlog
[ 17:24 ] [ 近況など ]
yurikamome122さんが、私に「思い出バトン」を下さいました。
少しだけ書いてみようと思います。
(次の人に渡せなかったらゴメンナサイ)

Q1・小学校・中学校・高校で思い出のある時期は?

あまりにも昔になりすぎて、小中学校の頃はもう断片的にしか覚えていません。辛かった記憶がないので、楽しかったんでしょう。
高校では2・3年生のとき。高校生活を満喫しました。修学旅行も、文化祭も、部活動も、体育大会も、すべてが楽しかった。受験勉強でさえ、今では良い思い出になっているんですから、時間が経過するというのは、すごいことだと思います。

Q2・一番お世話になった先生は?

恩師は沢山います。
小学校低学年の担任、吉川綾子先生。優しく躾けていただきました。
高学年では森田兵次郎先生。よく殴られましたが、非常に大事にしてもらいました。
中学校では柴崎先生。青春ドラマから出てきたような先生で、人生をよく語ってくれました。
高校では加美越生先生。担任として、課外活動の顧問として、本当にお世話になりました。「こういう大人になりたい」と思わせる先生でした。指導はいい加減で、生徒に任せっぱなし(先生は何もしなかったんじゃないか?と思わせるほど)、でも本質を捕まえていらっしゃる先生でありました。
大学では吉村正先生。監督であり、人生の師であり、今もボクが最も恐れる先生であります。大学を卒業して何年になるのでしょうか、こうして書いているだけでも怖い先生であります。今も、電話がかかるとボクは直立不動で受けております。

Q3・得意教科

日本史。
大学入試では、日本史で満点を取ることが、合格の条件だったので。
(他の教科の出来が悪すぎた・・・・・(^^ゞ)

Q4・苦手教科

物理。
友人とともに、テストでは「零戦はやと」を飛ばしておりました。
必死で公式を覚えても6点。覚える数を絞ったら、25点。
2つだけにしたら52点。
不思議な教科でありましたな。

Q5・思い出に残っている学校行事

高校の文化祭。成功に終わった後の感動は、猛烈なものがありました。
前夜祭・中夜祭・後夜祭と続いた夜空は今も鮮明に覚えています。
準備にほぼ3カ月。
「門」の制作は大変でした。
ボクはプログラム・ポスター班のチーフで、2万人以上の入場者を目指して必死でありました。
あのときの仲間は、今も年に2回ほど逢います。
ボクは遠くに引っ越しましたので、なかなか逢えませんが。

Q6・クラスでのキャラ

中学校までは、やらされ学級委員。イイ子で優等生だったんですな。
高校以降は、斜に構えたフリをするナンバー2や3。

Q7・学校時代の呼び名は?

苗字で呼ばれていました。

Q8・好きな給食

あまりに昔のこと、記憶がありません。
小学校までしか給食はありませんでした。パンばかりだったですよ。
時に「ソフトめん」なんていうアホらしいうどんがありましたが。
給食は、美味しかった記憶がないので、不味かったんでしょうね。
食パンがぱさぱさだったことはよく憶えています。


Q9・つなぐ人

ちょいと思いつかないので、これにて。
失礼します。

西条祭は雨の中、始まりました。
昨晩から一睡もせず、だんじりを担いでおりました。
これを書いている今、ようやく寝られそうです。
おやすみなさ。
明日も西条祭統一運行のため、ブログは書けません。
肩がもうすでに破壊されている状態であります。
2005/10/14のBlog
キンモクセイの香りが漂っています。
昨日の黄昏の美しさ。夕陽と鰯雲と西空、その色が日没までに刻々と変化してゆくのを、西向きの車の中から眺めておりました。
この美しさは1年に何回もないでしょうなぁ。・・・・・ホンマ、秋です。

さて、秋と言えば、今日から西条祭の開幕であります。出撃します。
1年ぶりに、だんじりを担ぐ「肩の痛み」を味わおうと思います。


そして秋といえば、ブラームス!。

今日は交響曲第4番ホ短調。
イシュトヴァン・ケルテス指揮ウィーン・フィルの演奏。1972年11月の録音。

ブラームスの4番は、最もブラームスらしい交響曲。全体的に内省的で、旋律は哀愁漂い、ヒソヒソ囁いたり、ブツブツ呟くようなところが随所にあって、これぞブラームスと言いたくなる名品。完成したとき、ブラームス52歳。もちろん、最後の交響曲。このあと12年間の晩年、ブラームスは交響曲を作曲しなかった。

だから、老人の音楽のような演奏が多かったような気がする。人生を振り返り、「ああ、もう最後なんだなぁ」とでも言うような。(尤も、これではマーラーか(^^ゞ)

しかし、ケルテスは、そんな年寄りブラームスにしない。

第1楽章から、実に精力的。ウィーン・フィルの輝くような弦が生き生きとしている。水の上ではねる魚のように、若々しい音楽。
DECCA録音がまた瑞々しいので、ケルテスの意図がよく伝わってくる。
新鮮で颯爽としたブラームス。
後ろ向きのブラームスでない、後ろ髪を引かれてついつい振り返るブラームスではない。推進力も十分。グイグイとオケをドライブしてゆく。

第2楽章のアンダンテ・モデラート。力強いホルンが印象的。この楽章は、優しい挽歌なのだろうが、ケルテスは挽歌にしない。瑞々しい若者の抒情のような音楽にしてゆく。クラリネットも、ヴァイオリンも、そんな風に聞こえるのは、ボクだけかな?

第3楽章アレグロ・ジョコーソは弾むようなスケルツォ。金管も木管も弦楽も、キラッと華やかで躍動的だ。渋いブラームスではなく、といってハデハデでもない。そのギリギリのところで若者の音楽を作るのがケルテス流なのだと思う。ここでもウィーン・フィルの音色が素晴らしい。

第4楽章、パッサカリア。情緒纏綿に歌わせるやり方もあるのだろうが、ケルテスはやや速めのテンポで、推進力のある音楽を聴かせてくれる。木管の音色が味わい深い。
くすんだ色ではなく、もちろん原色を塗りたくったものでもなく、オーケストラ全体によく融けあいつつも、しっかり自分の音を出しているといった風情。こういうのを、自発的アンサンブルと言うのだろう。

ケルテスのブラームスは、生気溢れて瑞々しい青年の音楽。
ケルテス43歳。このブラームス全集が白鳥の歌になった。
残念なことだ。

このLP、ジャケットのケルテスの視線