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クラシック音楽のひとりごと
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2005/11/20のBlog
今日も休日出勤でありました・・・・・。
黄昏時の帰路、自宅近くで買い物帰りの家内と遭遇。近所のスーパーでなにやら沢山買い込んできたらしい。インスタント・コーヒーもある。ネスカフェ・ゴールドブレンドの瓶が見えた。
ああ、「違いがわかる男」か・・・・。

ボクはコーヒーをよく飲む。時間があればレギュラー・コーヒーだが、インスタントで済ませることも多い。学生の頃は、貧乏だったので、金があるときだけ「ゴールド・ブレンド」が買えた。そして、TVコマーシャルよろしく、「違いが分かる男」を気取ったものだ。松山善三、遠藤周作、北杜夫、野村万作・・・・・そして江藤俊哉。

クラシック音楽を聴き始めた頃、そのコマーシャルは江藤俊哉だった。彼がヴァイオリンを弾き、そのあと旨そうにゴールドブレンドを飲む。実にカッコ良かった。そのバックに流れる音楽が、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だった。
あの第1楽章の主題のトゥッティ。
TVコマーシャルにクラシック音楽が使われるのはしょっちゅうだが、あのチャイコフスキーは、ホンマに決まっていた。素敵だった。テレビの貧しいスピーカーから流れ出す音楽が、実に豊かに聞こえたものだ。あれ以来、インスタント・コーヒーを飲むとき、時々チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が響く・・・・・。

などと思いをめぐらせながら家内と帰路についた。そうだ、今夜はチャイコフスキーを聴こう。

クラシック好きにとって、理由なんか実は何でもいいんですがね、そういう訳で、今日は何が何でも、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調だったのです(^^ゞ。

演奏は諏訪内晶子のヴァイオリン、ウラディーミル・アシュケナージの指揮チェコ・フィルの伴奏。2000年9月、プラハのドヴォルザーク・ホールでの録音、フィリップス盤。
諏訪内のヴァイオリンは1714年製作のストラディヴァリウス「ドルフィン」。アイザック・スターンが使っていたものという。

さて、第1楽章から諏訪内は「きっちり」弾く。一音一音、丁寧に命を吹き込むように弾く。1990年のコンクールでの優勝曲目の自信もあるのだろう。風格に満ちたところもある。安心して聴けるのだが、もう少し飛翔感のようなものも欲しいなぁ(というのは欲張り過ぎか?・・・・(^^ゞ)
チェコ・フィルの音は、落ち着いて穏やかな音。我が家のシステムでは、ややくすんだ感じに響く。「燻し銀」という言葉はよく使われるが、こういう派手にならない・ギラつかないオケの音のことを云うのかもしれない。

第2楽章は管楽器がとてもきれい。特に彼方から響くホルンが絶品。静謐なオケに合わせて、諏訪内のヴァイオリンも情感たっぷり。ここは、ポルタメントにビブラートを駆使して歌って欲しいところ、諏訪内は期待通りに弾いてくれる。

終楽章は諏訪内の胸のすくようなテクニックを味わえる。速いパッセージなど何のその、もっと速くても弾けてしまいそうな余裕ある弾きぶり。聴いていて身体が揺れてくるような、爽快なドライブ感を味わえる。オケも立派。素晴らしい協奏曲に仕上がっていると思う。

アシュケナージの指揮はまずまずといった感じ。実はよく分からないというのが本音で、印象的な指揮とは思えなかった。
指揮者アシュケナージとボクの相性かな?


ともあれ、今日は違いの分かる男を気取っていたわけであります。
「ゴールドブレンド」を飲みながら・・・・・・。
2005/11/19のBlog
吹奏楽部に所属する次男は、少しずつクラシック音楽に関心が出てきた模様。
結構なことであります。ただ、映画「スウィングル・ガールズ」の影響かジャズにも関心があるようです。あのスウィング感がたまらないのだそうです。
今日はその吹奏楽部は、県の高校総合文化祭で演奏するため松山へ。
コンバス奏者よ、頑張れ。

ということで、今日はガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を。
演奏はシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団。ピアノはルイ・ロルティ。1988年録音のDECCA盤。
このCDは、ガーシュウィン名曲集で、カップリングは「パリのアメリカ人」、交響的絵画「ポーギーとベス」、キューバ序曲。どれもが素晴らしい演奏・録音でお勧めの1枚であります。

{ラプソディ・イン・ブルー」は、アメリカ最高のジャズ王だったポール・ホワイトマンとガーシュウィンとの親交から生まれた曲。
ホワイトマンは、あの時代に低俗・卑俗な音楽と見られていたジャズを芸術的に高め、クラシック音楽と融合させようと、ガーシュウィンに作曲を勧めたらしい。そして、書かれたのが、ジャズの手法をふんだんに取りいれた、ピアノとオーケストラのためのこの曲だったのだという。
やがて、アメリカのクラシック界に熱狂的に迎えられ、ガーシュウィンは、一躍スターとなった。

ガーシュウィンといえば、ラヴェルとの間に有名なエピソードがある。パリに遊んだガーシュウィンが、ラヴェルにクラシックのオーケストレーションの方法を尋ねたところ、ラヴェルがこう答えたという。「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのに、なぜ、好んで二流のラヴェルになろうとするのか?」・・・・・・・・。
エエ話やなぁ。確かにラヴェルの編曲技術はスゴイが、ガーシュウィンの個性だってかけがえのないものだからなぁ・・・・。

そのあたり、このデュトワ/モントリオール響の演奏で聴くとよく分かる。
ガーシュウィンは、どうやったって、ガーシュウィンなのだ。
デュトワ/モントリオール響は、最高のラヴェル演奏を聴かせるコンビ。この両者が、実に鮮やかにガーシュウィンの「個性」を描き出したのがこのCDだと思う。

ピアノのロルティも大変に巧い。まるでピアノ協奏曲のように、前面に出てくる。ニュアンス豊かに、リズム感(スウィング感と言うべきか)も最高。自由闊達に弾きまくりながら、オケとの融合も見事で文句なし。

モントリオール交響楽団の名人芸も素晴らしい。冒頭のクラリネットはもちろん、他の木管・金管も、もう滅茶苦茶に巧い。ふと息をつくところで聴かれるデリカシーもたまらない。
デュトワの指揮もセンスに溢れ、ガーシュウィンの面白さ、新鮮さを上手に引き出している。


いつもながら感心するのは、DECCAの録音の見事さ。
「ラプソディ・イン・ブルー」ならバーンスタイン、プレヴィンの新旧盤など、名演奏が沢山ある。でも、このデュトワ盤をついつい取り出してしまうのは、録音が極上だからという理由もあります。

そうそう、カップリングの交響的絵画「ポーギーとベス」も素晴らしい演奏であります。
またの機会にエントリーしたいと思います。
2005/11/18のBlog
ちょいと必要があって、イベリア半島のイスラーム国家のことを調べておりました。
ウマイヤ朝に後ウマイヤ朝、ムラビト朝、ナスル朝。コルドバにグラナダ。
その後イスパニアは、フェリペ2世のもとで大いなる繁栄を迎え・・・・・。

そこで、今日は、ロドリーゴのアランフェス協奏曲。
アルフォンソ・モレーノのギター独奏、エンリケ・バティス指揮ロンドン交響楽団の演奏。1981年8月、イギリス、ワトフォードのタウン・ホールでの録音。モレーノはこのCDが国内デビュー盤だった(といいつつ、その後どんな活躍をしているのかは知らないのだが・・・・(^^ゞ)。


当時、クラシック音楽を聴き始めた頃、友人が少女漫画を貸してくれまして(お恥ずかしい話だが)、「愛のアランフェス」というタイトル。
フィギュアスケートをメインに据えた、少女漫画らしい恋愛ものでありました。その中で、このアランフェス協奏曲をバックに、恋に落ちてゆく二人の男女が滑るんです(二人になったりソロになったり色々あるんですが)。
第2楽章の、あの有名な旋律に乗って、若い二人の美しいスケーターがデュエットで滑る・・・・・それだけで絵になるわけですがね。音楽の使い方、巧かったなぁ。
主人公の女の子が健気で良かったですし(この子はスケート界にデビューしたときは「ツィゴイネルワイゼン」で滑っていた)、物語のラストはなかなか良かった覚えがあります。
今は昔、懐かしいお話であります。

さて、その演奏。

第1楽章はサラッとした感じの演奏。ギターが慎ましく品がよい。哀愁を帯びた独奏ぶり。あまり粘らないのが良い。独奏者の技術も文句なし(といいつつ、そんなによく分からないのだが(^^ゞ)。

第2楽章のテンポはやや遅め。この楽章こそ、アランフェスの核心だと思うので、出来るだけゆっくりの方がよいとボクは思う。もともと哀感きわまる旋律なのだから、思い切り泣いてくれて構わない。
モレーノのギターがすすり泣く。ソロの部分など、ジワジワと哀しみが伝わってくる。装飾音も品が良く美しい。
情緒纏綿たるこの曲を、実に美しく哀しく仕上げてゆく管弦楽も見事。バティス/ロンドンSOもよく心得ていて、包み込むような暖かさでギターを支える。ストリングスの泣き節が特にイイ。
さらに素晴らしいのは木管。オーボエもファゴットも、何とも哀しく、はかなく歌わせる。
この楽章のラストでの管弦楽の強奏は、絶品の美しさ。バティスという指揮者、よくは知らないが巧いもんだなぁと思う。

終楽章は一転、明るく軽くスペインの陽光を思わせる快活さ。ただ、ときおり哀しみがそこはかとなく漂う。ギターの音色のためだと思うが、ソロにしても管弦楽にしても、微妙な色合いの変化が、聴いていて様々なイメージを誘う。時にギターと管弦楽との間合いが乱れることもあるが、モレーノはこの時31歳、まだまだ若いギタリスト、その辺はご愛敬。


この曲、長らくイエペスのレコードでよく聴いておりました。DG盤の名盤です。
ペペ・ロメロ/マリナーのフィリップス盤もイイですし、デュトワ盤も素晴らしい録音であります。
そして、今日のモレーノ/バティス盤、中古屋で見つけた超廉価盤ですが、良い演奏でありました。
2005/11/17のBlog
グッと冷え込んできました。
今日は寒かった。冬です。電気ストーブを出しました。
寒いと言っても、四国伊予路の冬は暖かいもんです。
我が部屋は、電気ストーブで足りるんですから。

さて、今日は久しぶりに大曲を。
ブルックナーの交響曲第8番ハ短調<ハース版>。オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレの演奏。1986年8月、東ベルリンのキリスト教会での録音。
スウィトナーのブルックナー全集としてドイツ・シャルプラッテンが企画し、その第1弾だったが結局完成しなかった。
発売当時は2枚組で5400円!現在はBerlin ClassicsからBOXセットで非常な廉価で発売されている。つくづく、幸福な時代だなと思う。
しかも80分限界まで迫る1枚もの。LP時代に比べ、CDは格段に便利になった。裏返す手間がないから(その手間がイイと言うこともあるのだが(^^ゞ)。このスウィトナーのブル8も1枚で聴けちゃうスゴイ時代。何とまぁ・・・と思う。

ブルックナーの8番シンフォニーは、長大な彼の作品の中でも、5番と並ぶ長さ。慣れるのには苦労した。90分近く、じっとステレオの前にはなかなか居られないものだから。あまりの長さに途中で寝てしまうこともしばしばだった(^^ゞ。
ところが、マーラーにどっぷり浸かり出すと、ブルックナーの長さが別に何でもなくなった。マーラーとブルックナー、全く違う作曲家だが、長さはボクらド素人にとって同じ。マーラーはオーケストレーションを聴いているだけでも楽しくなったし、ブルックナーは山道を散歩するような楽しみが味わえるようになった。

そう、ブルックナーは、聴き進んでゆくと、ちょうど山登りのように、あちこちで風景が変わってゆく。途中で休憩したり(全休符がナンボでも出てくるしね)、雄大な山脈を眺めたり(金管の大爆発)、鳥の鳴き声が響いてきたり(弦の優しいユニゾンなんかたまらんなぁ)・・・・・・・。
交響曲だから真面目に初めから最後まで聴かなくちゃ・・・・・・なんて思っていた時期もあったが、今なんか、ブル8など、まず第3楽章だけ聴いて、そのあと4楽章を楽しんでいくことが多い。「おっ、やっぱり第4楽章はエエよなぁ」なんて思いながら、日を変えて初めからゆっくり楽しむ・・・・。そんな聴き方。

今日のスウィトナー盤は、久しぶりにまとまった時間が取れたので初めから聴き通しました。尤も、途中で家人に呼ばれたり、電話がかかってきたり、中断もありましたが、それでもブルックナーは、こんな不真面目なボクに安らぎをくれます。

さて、その演奏。全体的には「非常にきれいな造り」。料亭の「おつくり」のように上品で丁寧に仕事しているなぁという印象。ゴツゴツしたブルックナーではなく、耽美的とでも云えそうなブルックナー。

初めの2つの楽章、第1と第2楽章。
3管編成で8本のホルンを持つ大オーケストラだが、その音がとてもきれい。鮮やかで輝くのではなく、しっとりと落ち着いた響き。ベルリン・シュターツカペレ(SKB)の響きは、ややくすんだドイツ的な音がするのだが、スウィトナーはそれに磨きをかけてスベスベした音を引き出している感じ。野卑な音がしないのが味わい深く感じられる。

第3楽章は崇高なアダージョ。宗教的、敬虔な祈りと言ってもいいような楽章だが、スウィトナー盤からは哀しみが漂ってくる。他の演奏ではあまり感じなかった哀愁のようなものが、この演奏にはある。終盤でのオケの大爆発は見事。素晴らしい音響。

終楽章は、やや遅めのテンポですすんでゆく。煽り立てないのがスウィトナー流なのかな。ベートーヴェンやドヴォルザークの交響曲では煽る部分が結構あったのだが、ブルックナーでは端正な造形を心がけている感じ。

SKBの音がイイです。この響き、安定感。
アンサンブルが時々「オヤっ?」と思われるところもあるんですが、そこはどうでもイイでしょ。この響きで聴くブルックナーもイイものです。
ドレスデンの音も良いんだけれどな、・・・・・SKBもエエなぁ。
2005/11/16のBlog
ようやく咳がおさまりつつあるんですが、長かったなぁ。
今日で10日目。
熱は出なかったものの、身体のだるさと、咳はひどかった。そろそろジョギングを復活させなくちゃ。

さて、今日はベートーヴェンのピアノソナタ第17番ニ短調作品31の2「テンペスト」。
ウラディーミル・アシュケナージのピアノで。1976年4月、ロンドンのキングスウェイ・ホールでのDECCA録音。ユニヴァーサルが出している2CDシリーズの廉価輸入盤で購入。新品でも2000円しないのではないかと思う。

アシュケナージの弾くベートーヴェンは、ピアノ協奏曲がまず素晴らしかった。ショルティ/シカゴSO、メータ/VPO、クリーヴランド管との弾き振り、都合3回も全集録音を果たしているのだから、アシュケナージ自身、好きで得意としているのだろう。メータ/VPO盤はレコードで、クリーヴランド管盤はCDで、それぞれ聴いてきたが確かに素晴らしい出来。4番の協奏曲などは、ホンマ最高だなぁと思う。(ショルティ/シカゴ盤では「皇帝」のみレコードで聴いているが、若々しく覇気があって良い。セカセカしているのが少し気になるが)

そのアシュケナージの弾くソナタ集。まず、音が素晴らしい。冴え渡っている。
「テンペスト」は久しぶりに取り出してみたのだが、やはり、その音の美しさに参ってしまった。

いやはや、アシュケナージの音に身を任せて、酔ってしまった。


低音はジンジンと響く感じ(ズンズン・ドンドンではなく)。重厚な低音というよりは、透明感があって軽い感じの音。DECCAの録音の良さもあるのだろうが、モコモコしていない。深々としているのだが、厚ぼったい音になっていないのが気持ちよい。冬の湖がきれいに澄んで、底の方まで見えてくるような、そんな感じの低音。

高音は柔らかいけれどもクールな透明度を持つ音。暖かみよりもクールさが特徴、青白く燃えるような感じの音。冬空に煌々と輝く月のような感じの音。突き抜けてゆくような輝きが、実に素晴らしい。

第1楽章ラルゴ~アレグロ。緩急の部分の弾きわけがくっきり鮮やか。強弱のコントラストもカッコイイ。弱音部のデリカシー、ニュアンスの豊かさは、いつものアシュケナージ。巧いなぁと思う。
第2楽章はアダージョ。ほとんどテンポは揺れないのだが、時々、たっぷりと情感を歌うところがある。アシュケナージはそこでテンポを落として、聴き手に耳をそばだたせる。メカニック的な巧さはアシュケナージなら当たり前。こういう、演出が出来ることこそ「技術」なのではないかとボクは思う。
第3楽章は、いつぞや車のTVコマーシャルに使われたほどの超有名曲。メランコリックな旋律が、やはり美しい。いいメロディだなぁ。低音が強くなるところで、アシュケナージの音が生きる。モコモコしないでスッキリとピアノが響くので、高音の主旋律が鮮やかになる。巧いもんだなぁ。

そのうちにアシュケナージのベートーヴェン・ソナタ全集を買おうと思いながら、今も買いそびれています。この2枚組と後期ソナタ集2枚組を持っているだけです。
でも、この「音」。いつかGETしなくちゃね。
2005/11/15のBlog
午後から急に寒くなってきました。
帰宅すると、コタツで子供たちが勉強しておりました。
コタツの上にはミカンも。
四国の草深い田舎にも、小さな冬が訪れたようであります。


さて、今日はヴァイオリン協奏曲を聴きたいなぁ・・・・・と取り出したのは・・・・
ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26。
アンネ=ソフィー・ムターのヴァイオリン、伴奏はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル。1980年9月、ベルリンのフィルハーモニーでの録音。
当時ムターは17歳になったばかり。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を15歳で録音して衝撃的なデビューを飾った2年後のことだった。
今やプレヴィン夫人となって円熟した演奏を聴かせるムターが、「天才少女」ともてはやされたころのもの。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の録音を経て、この曲はメンデルスゾーンとのカップリングで発売されたものだったと思う。カラヤンとはこのあと、ブラームスのヴァイオリン協奏曲も録音している。

曲想そのまま、この演奏はそんなムターの青春の情熱が聴ける素晴らしいもの。

導入部(イントロダクション)と題された第1楽章、ヴァイオリンがカデンツァのように入ってくる、その表情が大変若々しく情熱的。ムターのヴァイオリンは情感に溢れて、表情も豊か。そもそもロマン性に富んだこの情熱的な旋律を、直線的に弾ききってしまう潔さもある。
ヴァイオリンの音色は飛び切り美しい。特に高音の「キュッ」という短いパッセージの時の音が何ともキュートで美しい。
カラヤンのバックはいつもながら、シンフォニックで逞しい。あまり逞しいと、ムターが可哀想だよなぁと思いつつ聴いていると、さすがカラヤン、ムターのソロの部分では意図的に音量を下げさせて、ヴァイオリンの目立つところと管弦楽を目立たせるところをきっちりと弾き分けさせる。
ただし、オケが目立つところでは、かなり色気たっぷり。これもカラヤン(^^ゞ。

第2楽章は、アダージョ。静謐で夢幻的な10分間。抑え気味に入ってくるムターのヴァイオリンが上品で慎ましい。これも少女の可憐さがなせるワザか。真摯でひたむき、時に祈りの表情まで見せるヴァイオリン。エエなぁ。女性ヴァイオリニストの演奏はこうでなくちゃと、ひとりごち。
ベルリン・フィルの木管がきれいで清潔。特にフルートがきれいな印象だった。

終曲はアレグロ・エネルジコ。独奏ヴァイオリンが出てくる前の、主題を徐々に生成させる管弦楽が巧い。緊張感を高めながら、ムターのヴァイオリンが登場するや一気に主題が燃えさかってゆく。このあたりは、カラヤンの手綱さばきの見事さか。ムターの青春の息吹を、カラヤンが広い胸で包み込み、受け止めているような感じ。素晴らしい終曲。

全編に渡って、ムターのヴァイオリンがきれいです。
ジャケット写真は、若いムターがふっくらして若々しいです(やや肥満気味か?)。
10代の女性の(あえて言えば、「女の子」の)、照れや恥じらい、憧れや空想など、もろもろの感情が溢れて、こぼれてしまいそうな演奏でもあります。
50歳も年上の老巨匠が若々しく支えているのも微笑ましい演奏でありますな。
2005/11/14のBlog
今週木曜日、当地の市民総合文化会館で、ロシア出身(だったか?)の若手ピアニストの演奏会が行われるので、その予習でもしておこうかと思います。
演奏曲目は、シューベルトのピアノ・ソナタ第4番とシューマンの「謝肉祭」、そしてラフマニノフの「音の絵」。

さて、「謝肉祭」と「音の絵」は持っているからいいとして、シューベルトの4番ソナタは家にあったのかいなぁと探して探して・・・・・。
なかなか見つからない。ふだんから、CDやレコードは整理しておかないとイカンなぁ。こういう時に見つからない・・・・(^^ゞ。

で、ようやく見つけた。と気がつくと、そうや、ブレンデルのもあるし、この間購入したカプリッチョの廉価盤全集(ミヒャエル・エンドレスという人のピアノ)もあるじゃないかと思いだした次第。
う~む・・・・だんだん老化が進んできているのを実感して、ショックでありますな(^^ゞ。

で、今日は、シューベルトのピアノ・ソナタ第4番イ短調 D.537を。
ピアノ独奏は内田光子。2001年、ウィーンのムジークフェライン・ザールでの録音。
内田光子がフィリップスに録音したシューベルト・シリーズの8枚目、完結編だったと思う。

第1楽章はアレグロ・マ・ノン・トロッポ。内田はサラッと弾き始める。テンポはやや速めかな。シューベルトらしく、速いと言っても「よく歌う」演奏。
内田のシューベルトは(他の作品でもそうなのだが)、弱音がとても繊細。ニュアンスに富んで、ほのかに色彩が変化するというか、表情が揺らめくように変わってゆくというか、ともかく一瞬たりとも聴きのがせない雰囲気が漂う。
古風な武士の、居合い抜きのような達人芸、よく手入れをしている日本刀の切れ味のような鋭さ・・・・・そんな感じでボクには聞こえる。
ピアノの音色は実にきれい。美しい。演奏は鋭いが、ピアノの音のエッジが丸く、柔らかさ・優しさを帯びた音色。高音も低音も均質な音色に聞こえる。
録音も、その特徴をよく捉えていると思う。さすがフィリップス。

第2楽章はアレグレット・クワジ・アンダンティーノ。穏やかな気分でゆったりと散歩しているような雰囲気がイイ。この曲、シューベルトの若書きのソナタだと思うのだが、初期の交響曲の緩徐楽章に似た、爽やかでメランコリックな曲想・旋律が心地よく、内田のピアノも弾むような軽やかさがある。

第3楽章。決意を込めたような開始。低音から湧き上がるような情熱。やがて快速に転じていくが、ふとした休符・休止に、ゾクッとするようなシューベルトの不安が聞こえる感じ。中間部からは快活に、ピアノが冴え渡る。穏やかな歌。慰めのような、安らぎのような歌。やがて、しかしまた情熱的な低音が繰り返される。
内田のピアノは、細やかな動きで繊細。速いパッセージでは、しなやか指の動きを彷彿とさせる。きれいなピアノやなぁ。
低音の靱さも印象的。音量が大きいという意味ではなく、音の一音一音がよく粒だって、芯があるという感じ。一つひとつの音符に命がある・・・・そんな感じの演奏に思えた。
ブレンデルやエンドレスでも聴いてみなくちゃね。
同曲異演盤を聴くと、その曲がよく分かってきますから。
2005/11/13のBlog
久しぶりの、いやホンマに久しぶりの休日。
咳止めの薬を飲みつつ、ゆっくりしてました。こういう日はブルックナーですね(^-^)。

ということで、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調<ノヴァーク版>。演奏はベルナルド・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。1978年10月、コンセルトヘボウでの録音。

ハイティンクとしては、すでにACOとブルックナー全集を完成していたのだが、これは再録音にあたる(旧録音は1966年)。このあと、ハイティンクは第8・9番もACOと再録音したのだが、結局ウィーン・フィルと新しく録音を始めてしまった。ウィーン・フィルとは3~5番と8番を録音して終わってしまったので、このACOとの再録音の7番は貴重だと思う。
このころから、ハイティンクの演奏は正統的でかつスケール雄大なものとなって、円熟味が増してきた。そのさきがけとなった演奏ではないかと思う。ACOとのマーラーの再録音シリーズ(4番や7番)、ベートーヴェンのライヴでの「合唱」などと並んで、ハイティンクが大器晩成型であることを示した1枚ではなかろうか。

ところで、ブルックナーの交響曲第7番は、彼の晩年の交響曲の世界を開く大傑作。ワーグナーテューバ4本にバステューバ1本が加わる大編成のオーケストラが、全く豪快。
特に前の2つの楽章が素晴らしい。旋律もオーケストレーションも、いつ聴いても素晴らしいなと思う。このハイティンク盤では、第1楽章に21分、第2楽章に22分、第3・4楽章に22分と、ほぼ前の2つの楽章で全曲の3分の2を占める。

第1楽章はアレグロ・モデラート。ヴァイオリンのトレモロに乗ってチェロとホルンが第1主題を奏でる、典型的な「ブルックナー開始」で曲が始まる。この開始がゆったりとして、また広々とした包容力がある。ハイティンクらしい、ぬくもりのある指揮ぶり。時に金管が強烈に響くのだが、それも暖かさを失わない。
そして、コンセルトヘボウ管の音が何とも素晴らしい。いつものヘボウの音、しかもフィリップスの奥行きのある穏やかな録音がまた最高の出来。アナログ録音時代の最末期、とても柔らかく温かい。

第2楽章のアダージョは全曲の白眉。ハイティンク/コンセルトヘボウのコンビが、いたずらに演出することなく、ただひたすら作曲者の意思を伝えようと真摯に演奏しているのが、こちらにビンビン伝わってくる。ホンマに崇高なアダージョ。LP時代からの愛聴盤だが、この楽章だけ、何度も繰り返して聴いたものだ。
ノヴァーク版なので、この楽章のクライマックスでティンパニ・シンバル・トライアングルが打ち鳴らされる。効果バツグン。
(尤も、ハース版でも、これらを付け加える指揮者が多いが)。

第3楽章スケルツォ。ハイティンクは、極めて変化に富んだこの楽章を、しっかりと着実に、克明に演奏させてゆく。いかにもハイティンク。中間部は、美しい歌が続く。ゆったりと深々とした歌がまた素晴らしい。(褒めてばかりだが・・・・・(^^ゞ)

第4楽章は「快速に、あまり速くなく」。ここではコンセルトヘボウ管の金管が炸裂。実によく揃って見事な音。豪快、スケール雄大で、実に気持ちよい。といって、金属的なパワーに頼った演奏というわけではない。あくまで音楽的であって、ブルックナーの意図を反映させようとしたら、こんなにスケールが大きい演奏になってしまったという感じ。
それにしても、ヘボウ管の音は弦も管も、どうしてこんなにエエ音なんでしょうか・・・・・。

ジャケットはLPのもので。
今は、CDで買い直して聴いてますが(しかも廉価盤になってます)、マスタリングが良かったんでしょう、LPと変わらぬ素晴らしい音です。
2005/11/12のBlog
伊予路は一日中冷たい雨が降りました。気温も下がってきました。
松山での出張は研修会であったのですが、そこで、鳥取の友人に偶然再会。
夜は、しっかり楽しめました(^-^)。

さて、今日はシューベルト「未完成交響曲」。交響曲第8番ロ短調 D.759。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏。
この全集は1979~81年、ドレスデンのルカ教会での録音。アナログ録音末期の名作で、個々には日本では徳間音工(ドイツ・シャルプラッテン)から発売されていたが、今やBerlin Classicsのボックスで全集が廉価で発売されている。しかも2000円程度なのだから恐れ入る。天下の大名盤がこの価格とは・・・嘆息でありますな。

さて、その演奏は・・・・・。

SKDの響きがたいそう柔和。ルカ教会の残響の美しさがものをいっているのだろうが、この響きの美しさ・まろやかさ・とろけてしまいそうな楽器のブレンド・・・・・オーケストラ音楽の最高水準に近い姿がここにあるとボクは思う。

アンサンブルの確かさも素晴らしい。峻厳な合奏というより、アンサンブルの力が身体に染みついてしまったので、肩の力を抜いて楽しんでいる趣きの合奏。
だから、オケが有機体のように様々に音色や色彩を変えて、ニュアンス豊かに鳴る。

そんなSKDと、おそらく最も相性が良かったと思われる指揮者ブロムシュテット。
ブロムシュテットが振ると、SKDの能力が最大限に引き出されていると思う。いや、引き出しているのだが、一杯一杯になっているということもなく、まだ余裕があるような底力。そんなものを聴きながら感じてしまう。


第1楽章のフォルティシモ、そしてピアニッシモに変わってゆくところなど、シューベルトが見てしまった人生の深淵がある(と書いたら、ちょいと言い過ぎかな(^^ゞ)。でも、そんなところには、ポッカリ口を開けて聴き手を誘い込むような恐ろしい音楽が確かにある(とボクは思うんです・・・・(^^ゞ)。最強奏でも崩れないSKDは、さすが。ホルンの柔らかい響きも格別。

第2楽章は木管の響きがスゴイ。フルートもオーボエもクラリネットも・・・・歌うと言うよりは、声にならない痛切な叫び。ニュアンスが豊かで、夢見るような響きもあれば、峻烈な響きもある。
素晴らしいのはラストの3分間。ゆっくり、本当にゆっくりと音楽が消えてゆく。「未完成」ではなく、この曲はこの2楽章のラストで完結しているのだと言わんばかりの、説得力のある演奏。
ああ、この音楽は、これでやはり終わっていたのだと、ブロムシュテット盤を聴いてボクは思ったものだ。
(クライバー/VPO盤を聴いたときは、ああ、やはりこの曲は「未完成」だったのだと思ったものだが・・・・・・)


録音状態はアナログ末期のレベルとしては水準だと思う。
ブロムシュテット/SKDは、1980年代にDENONに盛んにデジタル録音したが、あのブルックナーやR・シュトラウスに比較すると、音色は暗めで、弦楽器の伸びが今一歩。高音の艶やかさもDENONの方が上。
ただ、ドイツ・シャルプラッテン原盤のこのシューベルト全集、さらにベートーヴェン全集は演奏の素晴らしさも含めて、永く聴き続けていきたいボクにとっての名盤であります。


2005/11/10のBlog
のんびり、ゆっくりモーツァルトを聴きたい。
難しく考えることなく、椅子にかけて、半分居眠りなどしながら寛いで。
ステレオの音量はあまり大きくせずに。
(ふだんは大音量で聴いているので、家族からは顰蹙を買ってますが・・・・(^^ゞ)

そんなときには、セレナード第13番。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。

今日は、ウィリー・ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で。
録音は1968年10月、ウィーンのソフィエンザール。
ウィーン・モーツァルト合奏団は、ウィーン・フィルのメンバーがほとんどらしい。そもそも、指揮者のボスコフスキー自身がウィーン・フィルのヴァイオリンのトップだった。
(ボスコフスキーのウィンナ・ワルツがボクは好き。DECCAのLP2枚組は愛聴してきたし、70年代にEMIから出たィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団とのワルツも良かった。)

さて、第1楽章から溌剌として爽快、ウィーン・フィルらしい(ウィーン・モーツァルト合奏団だが)輝くばかりの弦楽合奏を楽しめる。エエ音やなぁ。アンサンブルも極上。ガチガチの合奏ではなく、柔らかく余裕のある合奏。お互いの音を聴き合いながら、アンサンブルを楽しんでいる感じ。ボスコフスキーが、身体を少し揺らしながら微笑んで指揮している姿が浮かぶような。愉悦に富んだ演奏。テンポはさほど速くない。ゆったりと聴ける。

第2楽章の「ロマンス」は、繊細な響きがたまらない。甘くて柔らかく、薫るような弦楽合奏。こういう音楽を「ウィーン的」というのだろうが、眩惑されてしまうほど魅力的。室内楽的な響きの部分は、ニュアンスに富んで全く美しいし、トゥッティでは弾力性のある厚みがまた何とも云えない。

第3楽章から終楽章へはテンポもスッキリして気持ちよい運び。第1と第2楽章がそれぞれ5分、第3と4楽章を合わせて5分。冒頭の颯爽とした気分が戻ってくる。
心地よい風のような終曲。

録音状態はさすがに古びてきましたな。
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」なら、他にも夥しいほどの演奏があります。
ただ、ウィーンの雰囲気を味わいたいとき、ボクはこの演奏を取り出すことが多いです。


さて、今日から泊つきの出張。
喉のイガイガ感と咳、気分が悪いままに出張するのもしんどいなぁ。

2005/11/09のBlog
深まりゆく秋、冬の足音が聞こえるようになりました。
そういえば、一昨日が「立冬」だったようです。
南国の四国でもようやく紅葉が目につくようになりました。
街路樹の色が日々変化していくのを眺めるのも楽しいもの。
落ち葉の音もカサコソと耳につくようになっています。

移ろいゆく季節感、日本人らしい感情ではありますなぁ。
憂愁の思いを抱きつつ、冬支度しましょう。

という訳で、この季節に聴きたくなる曲を取り出してみました。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調。ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル、スタニスラフ・ヴィスロツキの指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。
1959年録音のDG原盤。もう46年も前の録音になる。

初めて聴いたときの印象は強烈だった。
柔と剛が同居したような、静かにたたずむものと激しく動くものとが併存しているような演奏。コントラストが際だって、スケール雄大なものすごいピアノ演奏。

止まってしまうようなゆったりとしたテンポで、情緒纏綿と歌い上げるところもあれば、激しく感情のおもむくままに叩きつけるように弾くところもある。
強弱の対比が極端で、息を呑むような緊張感があった。

今もこの演奏の印象は変わらない。

ヴィスロツキ/ワルシャワ・フィルも健闘。録音の古さもあって、オケそのものの魅力はあまり伝わってこない。弦楽器も管楽器も頑張っていると思うが、音色のコクや艶、柔和な表情には不足しているかな。
でも、リヒテルの嵐のようなピアノに、よくつけていると思う。合わせるだけでも大変だったんじゃないかなと思う。
その点で、ヴィスロツキの指揮は上出来じゃなかろうか。

第1楽章の冒頭、ピアノが登場しただけで圧倒的な存在感が部屋に充満する。スケールの大きい男性的なロマンが炸裂する感じ。時にゴツゴツした肌触りが見られるが、それもたまらない魅力。

第2楽章の抒情も素晴らしい。抒情的・情緒纏綿と言っても、ヒソヒソ・メソメソにならないのがリヒテル。志操が高く、集中力に満ちている。
個人的な感情の吐露というより、もっと大きなものを目指しているかのように聞こえる。
第3楽章は、目眩くような演奏、ピアノの振幅の幅が広く、強烈なコントラスト。オケもついていくのが一杯一杯。圧倒的なフィナーレ。


リヒテルの手は、バカでかかったそうな。超人的な手だったといいます。
だから、こんなダイナミックな演奏になったんでしょうか。

カップリングはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
これも超絶的な名演奏なんですが、これについては機会を改めて。

2005/11/08のBlog
雲一つない秋晴れ。「青天」の一日でした。

久しぶりにゆっくり出来たので、今日はブルックナーの8番を聴こうと思い、最近入手したギュンター・ヴァントの2枚組を取り出した。
1枚目が9番、その後に8番の第1楽章が入っているので、じゃ、まぁ取りあえず9番から聴き始めようと思ったら、「取りあえず」どころではなくなってしまった(^^ゞ。
素晴らしい演奏でありました。

とう訳で、今日はブルックナーの交響曲第9番ニ短調、版は「原典版」。
ギュンター・ヴァントの指揮北ドイツ放送交響楽団の演奏。
1988年6月シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭での演奏、リューベック大聖堂でのライヴ録音。

教会でのブルックナー録音、他にボクが持っているのはヨッフムのオットーボイレンでの5番だが、これは素晴らしい録音だった(だいぶ古びてきたが)。
期待通りの「残響」。北ドイツ放送響は機能的なオケだと思うし、ヴァントのブルックナーは集中力のある凝集的な演奏になるのだが、教会録音のこの残響で、適度な柔らかさが加わって、印象としてはとても聴きやすくなっていると思う。

のちの1993年のものや、最晩年のBPOとの演奏も確かにスゴイのだが、このリューベック大聖堂でのライヴは、存在価値が十分にあるとボクは思う。

第1楽章の開始から、雰囲気たっぷり。ヴァントはもちろん雰囲気で聴かせるような指揮者ではないが、でも、この開始の残響とスケールは捨てがたい。ただ、曲が進んでいくと、スケールの雄大さはあまり感じなくなる。アンサンブルが素晴らしいからか、金管・木管も弦楽器群もよく揃って、音楽が中へ中へと集まってくる感じ。
金管は抑え気味かな。もっと逞しく咆吼しても良いかなというところで、グッと慎重に吹いているように聞こえる。しかし、響きは美しい。

第2楽章のスケルツォ。ヴァントは音楽を丁寧に美しく響かせる。ブンチャカブンチャカに鳴りやすいこの楽章を、かえって繊細に響かせるのがヴァントだ。だから、中間部の弦楽合奏の、あの室内楽的なところが、ことのほか見事。迫力もあるのだが、音楽のフォルム、楽器のバランスを重視した演奏になっていると思う。

終楽章は、至高絶美のアダージョ。ブルックナーが自分の死を知りつつ書いた白鳥の歌。ヴァント/北ド