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クラシック音楽のひとりごと
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2005/12/31のBlog
年末の大掃除で、家中の窓拭きであります。いやはや大変でした。
しかし、ピカピカになりました。

柔らかい陽射しの、四国の冬らしい穏やかな天気。
我が家の前に広がる田んぼは、金色に輝いております。
こういう日には「田園」を聴きたい。

で、交響曲第6番ヘ長調「田園」。
ベルナルド・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1986年4月、コンセルトヘボウでのフィリップス録音。
このベートーヴェン全集を最後に、ハイティンクは長年のパートナーであったコンセルトヘボウ管を離れたのだった。

ベートーヴェンの「田園」は作曲家自身の書いたプログラムに沿って聴いてゆくと、「田園の到着したときの爽やかな気分」から「神への収穫の感謝」まで連れて行ってくれる。途中、様々な鳥のさえずりや民謡風の踊りを楽しんだり、猛烈な嵐にドキドキしたり、感情が揺れ動くものの、ラストには、感動的な歌が待っている。人間として周囲のものに生かされていること、多くの人に世話になって幸福に生きられていること・・・諸々の思いが終楽章からこぼれてくる。
ホンマ、いつ聴いても素晴らしい。まこと、聴き手を幸福にさせる音楽であって、こういう音楽を知ることが出来ただけでも、クラシック音楽を聴いてきて良かったなぁと素直に思ってしまう。

第1楽章の冒頭、じっくり落ち着いたテンポから、あっという間にハイティンク/コンセルトヘボウ管の世界に連れ去られる。
この音、この響き!何という、ふくよかで暖かく、包み込むような優しい音!
弦楽器の高音が、さやさやと優しい風になって吹き渡り、低音は重厚に迫力があってしかも暖かく包み込むような音色。
まさに「田園に着いたときの晴れやかな気分」だなぁ。何も変わったことしているわけではなく、ふつうの演奏。爆発もしないし、演出もない。でも、ジワジワと感動が寄せてくるような演奏。

第2楽章も、ハイティンクの指揮は何の変哲もない。でも、「何にもしていない」のではなく、木管を繊細に歌わせたり、第2ヴァイオリンを優しく細かく刻ませて、「おっ?」というところもある。でも、基本は正調で清澄。正統的。テンポなんて殆ど揺れず、遅くも速くもない。中庸そのもの。木管の響きもホンマに渋い。輝かしくなく、ややくぐもったような響きなのだが、これがたまらない。

第3楽章の舞曲、第4楽章の嵐など、迫力も十分。録音水準は、名にし負うフィリップス、素晴らしくホール・トーンが美しい。だから、フォルティシモでガンガンとオケを鳴らしても、フワッとホールが包み込んでしまう、そんな大音量。

終楽章の感謝の歌も、テンポはふつうの速さ。遅くもなければ、そっけないわけでもない。「中庸」という言葉しか見あたらないのは我ながら情けないが、演奏は実に素晴らしい。素直に、周囲のものに感謝できる「田園」はそうはないよなぁ。冬の陽射しをのんびりと窓越しに浴びて、ほんわか温まりながらベートーヴェンに感謝しましょう。

そう、多謝深謝感謝であります。

大晦日であります。
2月からブログを書き続けた1年でありました。
沢山のコメントやトラック・バックを頂戴した方々、お世話になりました。有り難うございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
(いつまで続くか分かりませんが(^^ゞ・・・・・)
2005/12/30のBlog
今年はスウィトナーのCDを沢山聴きました。
懐かしさもありまして、ホンマに沢山買いました。

スウィトナーは、独墺系交響曲の「全集魔」。
ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シューマンは揃っているし、モーツァルトもめぼしい交響曲は殆ど録音している。
ブルックナーやマーラーもそこそこあるし、ドヴォルザークの全集だってある。
本来はモーツァルト指揮者なのだろう、「コシ・ファン・トゥッテ」や「魔笛」が素朴なのだが品の良い味わいがあって素敵だった。

ドレスデン・シュターツカペレやベルリン・シュターツカペレなど、主として東ドイツで活躍していたが、東西ドイツ統一以後、1990年代に入ると急速にその名が消えていった。今や全くその活動を聞かなくなったが、もう引退したのかな?(生きてますよねえ?)。
今年83歳になるはず。まぁ、おおかたのレパートリーはレコーディングしてしまったのだろうが、どこで隠遁生活してるのかな。

輸入盤のボックス物が激安だったこともあって、沢山購入してしまった。
DENONの再発売全集物も国内盤としては激安だったので(1枚800円はなかなかであるな)、これもGET。ダブリ買いも何のその、心の中の我が悪魔の囁きに従ったのでありますな。

「ここまで安ければどうってことないぞい。1枚3500円の時代を考えれば夢のようではないかい。」
「CDは欲しいときが買い時じゃがや。今、買わんかったら、なくなってしまうぞい」

ドヴォルザーク(ブラームスはダブリ買い)の箱物や、マーラー・ブルックナーの箱物はベルリン・シュターツカペレ。
ベートーヴェンとシューベルトはDENONの国内物でオケはこれもSKB。
モーツァルトの箱物は、ドレスデン・シュターツカペレ。
ついでにシューマンの2枚はクレスト1000シリーズで。

行く年を惜しみつつ、さあ、スウィトナーのCDを聴きましょう。

シューベルトの交響曲第9番ハ長調「グレート」。
(8番という表記もありますが、取りあえず昔ながらの9番で・・・・・)
オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレの演奏。
1984年9月、東ベルリン(当時)のキリスト教会での録音。DENON原盤。
(このジャケット、元々持っていたCDであります。箱物購入でダブってます。ガハハ)
演奏はスウィトナーらしく、キビキビと小回りが利くセダン車のような演奏。
トヨタのカローラ。大衆車、誰にも運転しやすく、平均的に分相応の車・・・・のような演奏。
第1楽章の序奏部など素っ気ない感じさえするが、スケール雄大に造形することを避けているのかもしれない。シューベルトの時代、そんなに大げさな演奏はなかったんじゃないかと云っているかのよう。(のちに出てくる古楽器団体はその解答を出しているが、スウィトナーの録音は、その「事始め」以前の演奏だ)。

しかし、全編に満ちるシューベルトの歌は素晴らしい。ちっとも素っ気なくない、十分にその歌を歌わせて、精気溢れる演奏になっている。
しかも格調高く、いかにも正統的。繰り返しもきちんとしている。
「グレート」好きにはこの繰り返しがたまらない。だって、シューベルトの美しい旋律は、何度繰り返して聴いても飽きないんだもの。その点でもスウィトナー盤はgood。
(「グレート嫌い」な人は、この目立たないスウィトナー盤なんて買わないでしょう?)

DENONの録音も素晴らしい。
個々の楽器が美しいだけでなく、ステージ一杯に楽団員が広がって奥行きも十分に深い。
教会での録音、しかもマイクはいつものB&Kマイク。出来るだけマイクの本数を減らして、妙なミキシングをせずに臨場感を高めていく録音。
これが20年も経過した録音か?
(DENONの録音の秀抜さ、あの意気込みはどこへ行った?)


年末大掃除進行中です。窓ふきに神棚のお掃除、注連飾りの準備、雨樋の清掃・・・・・あ、洗車もしなくちゃ。
息子どもをこきつかって、せっせとこなしましょうかいねぇ。
ボクらを差配する妻は、おせち料理に邁進中。
恒例の我が家の年末の風景であります。
2005/12/29のBlog
寒波が少し緩んで、四国に暖かい陽射しが戻りました。
太陽さえ射し込んでくれれば、伊予路は暖かいのです。
今日は松山へ最後の出張、懸案の仕事は片付かないものの、年内に出来ることはしてしまいました。紀伊國屋書店とBOOK・OFFで休暇に読む本を購入。CDの出物はなし。愛媛の値付けは高いぞ。正月、御茶ノ水のディスク・ユニオンまで軍資金は貯めておこう(^-^)。

で、年の瀬、冬の夜長。最近は大曲ばかり聴いております。

今日は、マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調。
クラウス・テンシュテットの指揮、ロンドン・フィルの演奏。
1978年5~10月、ロンドンのアビーロード・スタジオでの録音。EMIによる全集盤の1枚。15年前に輸入盤で15,000円くらいだったか。マーラー全集といえば、まあ3万円が相場の当時としては非常に安く買えた全集。

EMIでは、テンシュテット1988年のライヴ盤もあるが、これはスタジオ録音の方。1980年代に入って、テンシュテットの録音がどんどんリリースされていったが、このマーラーはその初期の部類に入ると思う。尤も、日本でのレコード・デビュー間もなくテンシュテットは病魔に冒されてレコーディングが減ってしまったのは残念であったが。

このマーラー全集はテンシュテットの生涯最高の傑作全集だと思う。特にこの5番(3・6・9番も素晴らしかった)は、出来がよいのじゃないかと思う。

テンシュテットのマーラーは、うねる。軋む。つまづく。楽曲のあちらこちらで悲鳴が聞こえる。
一気に加速して飛翔するような部分もあれば、足取りがフラフラになって止まってしまいそうな危うい部分もある。

「え?こんな風にマーラーは書いてたの?」と思うような、デフォルメしたマーラー。
そのデフォルメもマゼール的な知的遊戯ではなく、こうとしか演奏できない、せっぱ詰まった迫力があるデフォルメ。
情念的でもあるのだが、バーンスタインのように惑溺するわけでもない。

テンポもフレージングも、実に変わっている。
マーラーの情念が乗り移った異常に高ぶった演奏、とでも云おうか。
全く、聴いていて昂奮してくる音楽。

第1楽章の、トランペットももったいぶった節回し。楽章全体で、テンポがめまぐるしく変化する。速いところは激烈に、遅いところは足を引きずるように。テンションが高く熱い演奏。

第2楽章もその熱さは変わらない。せっぱ詰まった迫力は格別。

第3楽章は聴きもののスケルツォ。この楽章の中心はホルン。そのホルン。録音のせいか、音がデカイ。ステージ奥の方で演奏しているのだが、音量大きく録られている。弦楽器が時々軋むような音色を奏でる。全体的には明るい音楽作りなのだが、耳を澄ましているとマーラーの「悲鳴」が聞こえるような演奏になっている。

第4楽章のアダージェットの意味深さ。たっぷりとした情感。溢れてしまうほどの真剣な想い・・・・そんな重量感のあるアダージェットにボクには聞こえる。決して綺麗な演奏ではない。やはり音楽は軋んでいる。オケも頑張ってはいるが、そんなに巧くはない。
ふつうに演奏すれば綺麗で美しい抒情的な楽章なのに、テンシュテットが振ると、妙な言い方だが「美しくない」音楽になってしまう。でも、思いの重さはスゴイ。

第5楽章。落ち着いたテンポで堂々と進む。壮大に盛り上がり音楽、大げさな勝利の音楽なのだが、その明るさの周辺に隈取りがあって、スッカラカンの明るさにならないのがテンシュテット流。それにしてもラストのスケール感は圧巻。


久しぶりに聴き直してみて、テンシュテットのマーラー、やはり格別と思いました。
凄いマーラー指揮者だと思います。
2005/12/28のBlog
年末年始、何日か休暇が取れました。
仕事が嫌いな訳じゃないんですが、休みがもらえるというのは嬉しいもんです。
元旦から4日間、3年ぶりに埼玉に帰れそうであります。

さて今日は、シューマンの交響曲第4番ニ短調作品120。
演奏はレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル。1984年2月、ムジークフェライン・ザールでのDG録音。このCDはバーンスタインの交響曲全集(ピアノ協奏曲とチェロ協奏曲も含めて)3枚組からの1枚。

バーンスタイン絶好調時の録音。このころ、バーンスタインは次から次へDGに交響曲を録音していた。ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトにこのシューマン、そして畢生の傑作、マーラー全集。そのすべてが、いかにもバーンスタインらしい名演だったと思う。
尤も、20年経過した今、聴き返してみると、どれもマーラー的に聞こえてしまうという特徴があったりするが(^^ゞ。

このシューマンの第4番も、バーンスタインの体臭でむせ返ってしまうような素晴らしさ。
だいたいこの交響曲はロマンの香りがムンムンして、どこをどう切り取ってみてもシューマン的な名作だとボクは思う。この交響曲の演奏、昔々はフルトヴェングラー、昔はバーンスタインが非常に良かった(今は誰なんだろうか?ちょっと思い当たらんぞい・・・)。

第1楽章、序奏部からして恰幅が良く、大柄な演奏。バーンスタイン的な(と云うべきか)「うねり」が徐々に大きくなってゆく。情念がだんだんと湧き上がって、沸騰するのを待っている感じ。そして主部、一気にそのパッションが炸裂する。猛烈なうねり、悶えるような振幅の大きさ。これぞシューマン。こうでなくちゃバーンスタインじゃないわいなぁ。

第2楽章は「かなり遅く」と作曲者の指示。バーンスタインは、この抒情的な(・・・・・でも暗い情熱を内面に秘めたような)楽章を銘器ウィーン・フィルを存分に働かせて歌い込んでゆく。弦楽器群の綺麗なこと。細身だが芯が通ってしかも輝かしいヴァイオリンの音色などホンマに魅力的だなぁと思う。

第3楽章は「いきいきと」。弾むようなスケルツォだが、音符がだいぶ重なって書かれているせいか、響きはどうしてもモコッとしてしまう。バーンスタインの指揮は非常に精力的。汗一杯になって指揮している姿が目に浮かぶような演奏。うねったり、軋んだり、爆発したり、沈潜したり・・・様々感情が揺れ動く。ああ、やはりシューマンの交響曲では、この4番が最高傑作なんじゃないか。

終楽章は第1楽章と同じく、序奏と主部からなっている。バーンスタインで聴くとこの対照(というか落差)がたいそう面白い。聴かせ上手なのだろう。聴いていると、楽譜が見えてくるような演奏。「ああ、ここはこうなっているのか」と聴いていると分かる。
(僕は楽譜が読めません。楽器も出来ません。でも、楽譜が分かるように聞こえるんですな。バーンスタインは名指揮者であるとともに、名解説者だったんだろうと思います。)それにしても、この終楽章の主部の溌剌なこと!活気があると同時に、暗い情念も噴出する。素晴らしい。このごった煮的名曲の非常な名演であるとボクは思う。


歌曲やピアノ曲が苦手なボクにとって、シューマンは素晴らしい交響曲作家であります。1番の「春」からこの4番まで駄作なし。
しかもCD時代になって殆ど2枚組で買えてしまうんです。
ああ、またCDショップの2枚組(廉価盤も多いでしょ?)に手が伸びてしまう・・。

2005/12/27のBlog
今年も残すところあと1週間。

さあ、そして、またもベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱」。

今日はゲオルク・ショルティの指揮、シカゴ交響楽団・シカゴ交響楽団合唱団の演奏で。
1986年9月、シカゴのメディナ・テンプルでのDECCA録音。ショルティの新しいデジタル録音のベートーヴェン全集からの1枚。

シカゴのオーケストラ・ホールに比べて、ここはテンプルというくらいだから寺院なのだろうが(何の寺院かな?メディナってことはムスリム系かな?よく知りません)、ホール・トーンが豊かでスケールの大きなオーケストラ音楽を楽しめる。

独唱者はソプラノがジェシー・ノーマン、アルトがラインハルト・ルンケル、テノールにロベルト・シュテンク、そしてバリトンがハンス・ゾーティン。

第1楽章からして、スケール雄大、テンポもやや遅め。シカゴ響らしく金管の響きが輝かしい。これほど金管の強奏が鮮やかな第九は、ちょっと思いつかない。素晴らしい迫力。出来ればステレオのボリュームを大きくして聴きたい。造形が実に見事。

ショルティの演奏は楽譜に忠実で、音符を克明に拾ってゆく感じ。実にスタンダードな演奏になっている。
旧盤もそうだった。繰り返しはきちんと行うし、楽譜のまま演奏するので、通例になっている楽器の補強もしていなかった。
この楽章でも、ひたすらベートーヴェンに忠実。しかし、今や円熟したショルティ、原典を尊重しつつも、細やかな神経を行き届かせて、円満な音楽を作り出してゆく。
キビキビと筋肉質で剛毅な造形なのに、響きは決して固くならない。優美なところも随所にあって、つくづく、ああショルティも丸くなったんじゃないのかい・・・・と思う。

第2楽章は中庸のテンポ。第1楽章が遅めだったので、やや速い感じに聞こえる。録音がクッキリと鮮明なので(さすがDECCA。モコモコしない澄んだ録音だなぁ)、第1ヴァイオリンの後ろで第2ヴァイオリンが細かく刻んでいるのがよく分かる。オケの右手後方で咆吼するホルンも見事。ここでも金管がカッコイイ。

第3楽章はまた遅め。悠然とした流れ。風格十分。あの天国的なアダージョを、実にゆっくりと落ち着いたテンポでショルティは進めてゆく。
ああ、このテンポ。この楽章を書きながら、おそらく楽聖はもうこの世に思い残すことはないなと思っただろう・・・・と聴いていて涙がこぼれそうになる。いやぁ、ショルティだって泣かせてくれるもんだわいと感心。特にシカゴの弦楽群が素晴らしい。(第3楽章なのだから、弦が美しくて当たり前か(^^ゞ)

終楽章は合唱が綺麗。独唱者も美しい。ノーマンのソプラノは辺りを振り払う堂々とした名唱。さすがだ。ショルティの指揮も威厳十分。完璧にオケと合唱をコントロールして、圧倒的なベートーヴェンを創出する。
それでも息が詰まらないのが、この新盤のいいところ。
豊かな包容力さえ感じさせるのは。ショルティの円熟か。それとも、そもそも第九が名曲であるからか・・・。


今年も良い第九を沢山聴けました。
そう大きな不満もなく、病気もせず、ささやかでありますが、幸福に暮らせたことを感謝する気持ちになれました。
2005/12/26のBlog
寒さが緩んだ連休最終日でありました。
良い天気。太陽が恋しい寒波だったからねぇ。

三男はボランティア合唱で商店街へ、次男は吹奏楽アンサンブル・コンテストで土居町へ(ではない、四国中央市になったんだった・・・・・「平成の大合併」で(^^ゞ)。
夫婦で応援、東へ西へ。こんなこと出来るのは、あと僅かだと妻に励まされ、まぁそうだわいのぉ・・・とついて行くワタクシ。息子たちも健闘、上出来でありましたな。


さて、綺麗な青空を眺めながら取り出したのは、モーツァルトの交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」。この空の色にふさわしい。

演奏は、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル。
DGのバーンスタインのモーツァルト後期交響曲集(3枚組)からの1枚。1984年10月9日、ムジークフェラインザールでのライヴ録音。僅か1日でのモーツァルト録音、さすがウィーン・フィルにとっては造作もないことのだろう。

バーンスタインの創りだすモーツァルトは豪快でスケールが大きい。緩徐楽章のところでは、繊細な弦の動きや木管の秘かな会話などが聴けるのだが、総じてオーケストラを存分に鳴らした、ゆったりした音楽を紡いでゆく。

オケの音色も、もういつも云うのだが、全く素晴らしい。
弦の音色の、何と輝かしいこと。しかも時々そぼ濡れたような色気を見せる。
化粧の上手な美女が、ふと振り返ったときに見せる妖艶な微笑み、とでも云おうか。もう何とも艶やか。この音を聴けるだけでも、バーンスタインのモーツァルト交響曲集は素晴らしい(と褒めてしまう・・・(^^ゞ)。

第1楽章の提示部で小さなルバートがかかる(・・・ようにボクには聞こえる)。そこから、もうすでにバーンスタインの世界。ゆったりとしたテンポで、しかもやや粘着質。
オーケストラは活力に満ちて、繊細というよりは豪放な感じ。木管や金管も元気に鳴っている。
表情も豊かで、味付け濃厚、こってりした料理がどんどん目の前に出されてくる感じ。古典的ではなく、ロマンティックでさえある。バーンスタイン的と云うのが適当かな?

第2・3楽章の静謐な部分では、ウィーン・フィルの音色が実にデリカシーに富んでいて味わい豊か。抒情的によく歌うのもエエなぁ。

終楽章は圧倒的な盛り上がり。濃密でロマンの香りが漂うほど、素晴らしいフーガ。バーンスタインの体臭でむせ返りそうになるのだが、そこがまたたまらない。
テンポが揺れて、適度にギア・チェンジしている。時にアッチェランドがかかるところなど、昔のバーンスタインを思い出してしまった。
ラストの部分など壮烈な盛り上がり。豪放豪快な「ジュピター」となった。

長い盤歴を誇るバーンスタインの、これは晩年の演奏になるんでしょう。
もう、バーンスタインが好き勝手にやっている印象はぬぐえませんが、このくらい自由に演奏すると気分エエでしょうなぁ。
ボクは好きですよ。こんな豪快でロマンティック、しかも妖艶な熟女のようなジュピター。
2005/12/25のBlog
押し詰まってきました。この連休は年賀状書きです。
文面さえ作ってしまえば、あとは住所も含めて年賀状ソフトがやってくれますしね、プリンターの速度次第の作業なんです。
でも、我が家は家族が多いので大変。結局、今年も800枚くらい印刷しましたなぁ。
EPSONのもう旧式になったPM870C君、ご苦労様だね。

さて、久しぶりの柔らかな陽光。今日は爽やかに音楽を聴くぞい。
そこで、シューベルトの交響曲第5番変ロ長調D.485。

ロイ・グッドマン指揮ハノーヴァー・バンドの演奏。
シューベルト19歳の作品。これも、先日のチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」と同じく、青春の情熱や憧れ、不安や戸惑いが横溢している佳品。

それにしても19歳!
我が身振り返って、自分は19歳当時、いったい何をしていたのか、何が出来たのかと思う。
毎日が夢のように、弾丸のように過ぎ去り・・・・・、しかしその速さの中で、不思議と時間はたっぷりあったような気がする。あっという間の我が青春だったが、しかし今と比べて、時間だけは山ほどあったように思う。
金はなかった。シューベルトほどの貧困ではなかったが、哀しいほど金はなかった。LPを買う金を作るために昼飯を抜いて(だから、いつも腹は空いていた )、中古盤屋や2割引で新譜が帰る大学生協に入り浸った。
名曲喫茶にも通った。コーヒー1杯で、何枚もLPが聴けた。しかもイイ音で。

第1楽章はアレグロ。オリジナル楽器による演奏なので、響きはたいそうフレッシュ。フレージングもアッサリしたもので、濃厚なロマンの味付けとは無縁。青年の情熱が爽やかに伝わってくる。オリジナル楽器団体の演奏は、えてして前のめりになるくらいに快速なのだが、グッドマン/ハノーヴァー・バンドのコンビはあまりセカセカ音楽を運ばない。中庸のテンポが実に心地よい。

第2楽章はアンダンテ・コンモート。初々しい抒情。弦楽器の響きがここでも爽やか。管楽器の音がやや不安定かなという部分もあるが、古楽器だもの仕方ないね。でも、全体的に技術は巧いしアンサンブルもエエなぁ。

第3楽章のアレグロ・モルトから終楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェまで、淀みなく清冽な音楽が流れてゆく。管楽器の野卑な音も、かえって爽快な感じがするのは、演奏の確かさの証明かな。


このシューベルト全集は、1988~90年の録音。
ニンバス原盤だが、ブリリアントの激安ライセンス発売で、4枚組の全集が1500円程度で買えてしまう。なんという時代。

残響が豊かで(教会での録音かな?)、素直で癖のない録音。オリジナル楽器の「抜けのイイ音」を楽しめる好録音と思います。

2005/12/24のBlog
伯父の四十九日の法要、そして納骨を済ませてきました。
東予市の(いまは西条市に統合したが)の干拓地の、きっと地元の人々が江戸時代の干拓の頃から営んできたんだろう小さな墓地でありました。
やはり、今日も寒い一日でした。


さて、今日はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23。
イーヴォ・ポゴレリチのピアノ、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団の演奏。1985年6月、ロンドンのワトフォード・タウン・ホールでのDG録音。
カラヤンとの共演予定だったのが、話が合わず流れてしまい、アバドになったと発売当初から云われているが、真相は知らない。
ボクにはアバドで十分。この管弦楽は大変立派で素晴らしい。
オケの面々が、ポゴレリチの繊細かつ豪快なピアニズムに触発されて、大いに乗り気になって演奏したんじゃないかと思われる。

「繊細で豪快」、相反するような感じだが、このチャイコフスキーを聴いていると、この繊細さと豪快さが入れ替わり立ち替わり出現する。全く面白い。そしてスリリング。
ジャケット写真も素晴らしい。なんと自信に満ちた表情。野心のようなものさえうかがわせる。

録音も、20年経過した今聴いても実に素晴らしい。奥行きが広々としていてオケのスケール感が見事だし、各楽器の定位も良い。ピアノの音色も透明感があって(ポゴレリチのピアノはややブルー系。クールで透きとおった音色)、スッキリと録られている。モコモコしないのが良い。

第1楽章の序奏部。ゆっくりしたテンポで、ポゴレリチは威風堂々と弾き進めてゆく。ピアノが豪快に鳴り渡る。録音の良さもあるのだろうが、高音から低音までこもることなく、全部の音に開放感がある。圧倒的な音。
アバド/ロンドン響の伴奏もスケール雄大。ポゴレリチのピアノと渡りあって一歩も引かない強靱さ、懐の広さ。アンサンブルも緊密で、ゆっくりと進むピアノによく合わせている。
この序奏部の豪快さは、ボクの手持ちのCD・レコードの中で、最高。素晴らしいの一語に尽きる。

展開部からは、目眩くピアニズムを味わえる。テクニックなんてもんじゃない、速いパッセージのところなど、スカッと飛んでゆくような快感がある。
そして抒情的な旋律の部分では(このCDでは開始から9分くらいの部分)、繊細なタッチで切々と訴えかけてくる。あの序奏部の豪快さを思い出せば、この落差はいったい何じゃ?と思わせるほど、ニュアンス豊かで宝石のようなタッチ、デリカシー。

第2楽章の初めの部分、木管と弦楽の会話がとても美しい。そこに、澄みきってやや硬質なポゴレリチのピアノが絡んでくる。ああ、たまらん。ため息が出る瞬間でもある。磨き上げたような演奏。

そして終楽章の威容。ピアノのダイナミック・レンジが広いのは、録音の良さだけではないだろう。フィナーレに向かって驀進する迫力。オケも最高。グングンとスピードが上がって、「カッ飛び」状態。もう大満足で聴き終えることが出来た。


ポゴレリチの演奏、そんなに聴いている訳じゃありません。
協奏曲はショパンの2番があったくらいかな?

このチャイコフスキーを聴くと、もっと協奏曲を聴いてみたいと思うのが人情ですな。
さあ、ポゴレリチに合わせられる指揮者は・・・・・う~~~む。
2005/12/23のBlog
路面の凍結でスリップしたんでしょう、田んぼに突っ込んでいる車が何台か・・・・。
12月の四国でのこの寒さは、近年ありませんでした。
いやぁ、ホンマに寒い。
気象庁によれば、20年ぶりの寒さですって?

そういえば、今日は冬至であります。カボチャを喰ってゆず湯に入りました。
ああ、日本人。こういう文化、慣習は大切にしなくちゃね。
伝統文化を息子たちに伝えてゆくのも、オヤジの務めであります。

カボチャなんてふだん美味いと思って喰うことなどないんですがね、帰省した長男を含めて家族揃って喰うと、また格別であります。

さて、ゆず湯で温もったあとに取り出したのは、「日本の四季」というCD。
ハインツ・ホリガーのオーボエ(コーラングレ)とイ・ムジチ合奏団による演奏。

イ・ムジチの希望によって実現した「日本のメロディ」の企画。日本フォノグラムの協力で録音されたもの。1985年7月、スイスのラ・ショー・ド・フォンでの録音。

編曲は藤掛廣幸。1977年のエリーザベト・コンクール作曲部門で優勝した人だという。
全部で12曲。

「春」早春賦、城ケ島の雨、春の海。
「夏」宵待草、この道、浜辺の歌
「秋」荒城の月、やしの実、赤とんぼ
「冬」小諸馬子唄、叱られて、雪の降る街を

冬至の今日は、「冬」が身に染みました。

小諸馬子唄の懐かしさ。
ホリガーのコーラングレが素晴らしい「叱られて」。
同じくオーボエ・ダモーレの音色が艶やかに響く「雪の降る街を」。

イ・ムジチの合奏も見事なもので、フィリップス録音も、いつも通り大変美しい。
奥行き十分だし、弦楽器のフワッとした空気感が特によろしい。

もう一度「叱られて」と「雪の降る街を」を聴いて就寝。

ああ日本人!
2005/12/22のBlog
大寒波再来。
昨晩など「嵐」と云いたくなるような強風。今日も暴風雪警報が出てます。
チェーンを持っていないので、雪になると困るんです。
伊予路の人々、特に海沿いの住人はチェーンなど殆ど使わないので持っていないです。
いったん雪でも積もった日には(それも年間で殆どないんですが)、大変なのろのろ運転になります。さて、今日はどうなることやら、心配ではありますなぁ。

この人にはこんな寒波、当たり前だったろうなぁ・・・・・という作曲家。
今日はチャイコフスキーの、カリンニコフっぽい作品を。
(カリンニコフがチャイコフスキーっぽいのか。。。。。(^^ゞ・・・・)

で、チャイコフスキーの交響曲第1番 ト短調 「冬の日の幻想」。
演奏はロリン・マゼール指揮ウィーン・フィル。1964年録音のDECCAの輸入廉価盤。

このチャイコフスキー最初の交響曲は1866年、作曲者26歳の作品。若者の作品らしい初々しさと清冽な抒情に満ちた佳品だと思う。

第1楽章はAllegro tranquillo で「冬の旅についての夢想」とタイトルがついている。カリンニコフの交響曲第1番を思わせるような抒情的な楽章。第1主題が、まさに青春の戸惑いを感じさせる旋律。若者らしく活気があって自信があるような、それでいて時に不安な気持ちになるような、そういった趣の旋律。ウィーン・フィルの木管と弦楽群がとても美しく、抒情的に聴かせる。マゼールの指揮は積極的。楽章の後半から推進力がついて、前へ前へ進んでゆくのは爽快。

第2楽章はAdagio cantabile non tanto。これも「荒野の土地、霧の土地」というタイトルつきだが、情景の描写というより、心象風景だろうと思う。この交響曲で最も印象的な楽章。チャイコフスキーらしい、旋律美に溢れている。序奏の弦のユニゾンがいい。ため息のような休止。
ウィーン・フィルの管楽器が美しい。特に木管が綺麗。白眉はウィンナ・オーボエ。やや細身、きつめの音色で歌いまくってくれる。それにフルートやファゴットが絡んでくるところなどは、涙なしには聴けない。遙か遠くに過ぎ去ったものを思い出すような、懐かしい気分になる。
終盤で豪快に咆吼するウィンナ・ホルンも心地よい。ピアニシモからフォルティシモまで、美しさが崩れないのはさすがウィーン・フィルと云うべきか。

第3楽章はスケルツォ。指示はAllegro scherzando giocoso。中間部のワルツが楽しい。後年のバレエ音楽を思い出すような美しさ。やはりチャイコフスキーはワルツだ、とひとりごち。

終楽章のフィナーレからは、スラヴの情感というか、凍てつくロシアの大地というか、そんなイメージの音楽が続いてゆく。重厚なつくりの管弦楽なのだが、マゼールが振ると、妙に鈍重な音楽にならない。軽快に爽やかにオケが鳴り響く。マゼールはどんどん煽ってゆくのだが、それについていくウィーン・フィルの音もホンマに素晴らしい。マゼールの大胆さが気持ちいいが、それは曲への共感が感じ取れるからだなぁ。


このチャイコフスキー交響曲全集は、1960年代前半、若きマゼールの大傑作だと思います。
しかも天下の名門(と言い切ってしまう^^;)ウィーン・フィルをここまでドライヴしてしまうバトン・テクニック。幾多の賛辞を受けてきたとは思うんですが、改めて聴き直して、すごいなぁと感じ入りました。
恐るべしは、マゼールなり。

2005/12/21のBlog
ボクはふつうの日本人なので年末になると第九を聴きたくなります。
逆に1月から11月までは第九をあまり聴きません。
聴く気にならないと云った方がよいかも・・・・・?

というわけで、今日もベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱」。
年末恒例、第九のまとめ聴きであります。

今日は、バーンスタインの「自由の第九」。

「ベルリンの壁」開放を祝って、1989年12月25日に東ベルリンのシャウシュピール・ハウスで行われたバーンスタイン指揮の第九演奏会の実況録音盤。
バイエルン放送響と合唱団を中心に東西ドイツと米英仏ソのオケと東西ドイツの合唱団のメンバーが参加し、独唱者も米英と東西ドイツ出身という、国際色豊かな演奏。
それ以上に、世界史上に残る演奏と云えるかもしれない。

合唱部分は「歓喜」(Fredue)を「自由」(Freiheit)に変更して歌っている。
これは、「自由の第九」だ。

オケは、レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送響がメイン。

合唱にはバイエルン放送合唱団(西独)、ドレスデン・フィルハーモニー児童合唱団(東独)、ベルリン放送合唱団員(東独)。
オーケストラに参加している団員は、ドレスデン・シュターツカペレ(東独)、ニューヨーク・フィル(米)、ロンドン響(英)、レニングラード・キーロフ劇場管(ソ連)、パリ管(仏)。

独唱はジューン・アンダーソン(ソプラノ・米)、サラ・ウォーカー(メゾソプラノ・英)、クラウス・ケーニヒ(テノール・東独)、ヤン=ヘンドリク・ロータリング(バス・西独)。


第1楽章、熱気を孕みつつ、厳粛な雰囲気の中に始まる。重々しい開始。
テンポはゆっくり。弦楽器の響きや歌い方、管楽器の鳴り方を聴いていると、今でのドイツ分断という不幸・悲しみ、そしてその怒りを彷彿とさせる。弱奏から強奏への盛り上がりは大変素晴らしい。アンサンブルは今一歩だと思うが、何より楽団員から実演らしい熱気が漂う。その熱気が半端じゃない。特別。

第2楽章の攻撃的な演奏もスゴイ。ティンパニの生々しさ。強いアタック。ヴァイオリンもヴィオラも、チェロも息を合わせて必死に弾いている。意志の強さというか、感激の大きさというか、気合いが入った演奏。
これ、バーンスタインの熱気ももちろんだが、楽団員の迫力の方が上回っているんじゃないか?みんな必死に演奏しているのが、聴いていて「見える」。

第3楽章に20分!超スローテンポのアダージョ。歌うと云うよりは、この遅さの中で、晩年のバーンスタインらしく、粘りに粘る演奏。その粘りには鬼気迫るものがある。
(晩年のチャイコフスキー「悲愴」終楽章や、ドヴォルザーク「新世界」の第2楽章など、遅さの極み、超絶的なゆったりテンポだった)。
ただ、オケの面々が一生懸命なので、涙なしには聴けない。良かったなぁ、ドイツ統一、ベルリンの壁の崩壊、ホンマに良かったなぁ。民族がひとつになるのはエエことやなぁ。幸せなことやなぁ。

さて、「自由」の終楽章。バスの独唱が素晴らしい。透明感があって重量感もあって、イイ声。大合唱の冒頭にふさわしい澄んだ歌声。「自由」(Freiheit )が響く。
独唱者に釣られてオケのテンションも上がっていくし、独唱者も必死に歌っている。ソプラノの声がまた大きい。合唱も負けじとパワーを炸裂させる。誰もが喜びに満ちている。ライヴならではの高揚感も素晴らしい。

途中、ドスン、ドスンと何かを蹴るような音が聞こえるのも実況録音盤らしいです。
録音はまずます。こんなものでしょう。
しかし、そんなこと全く気にならない、多くの仲間たちと音楽する喜びに満ちた幸福な演奏。素晴らしい。バーンスタインらしい雄弁な名盤であります。


バーンスタインは、こんな歴史的な大仕事をして、翌年、世を去りました。
2005/12/20のBlog
世間のみなさんは、師走で多忙な日々でございましょう。
かく言うボクも、連日の忙しさで悲鳴を上げております。
今の仕事内容は一種の苦情処理、何でも屋でして、「この仕事は、取りあえずアイツに回しておけ」とされる時の、ボクは「アイツ」であります。
ん~~、それで給料もボーナスも貰えているのだから文句は言いません。言いませんとも。このご時世ですしねぇ。
でもね、職場の若い士たち、もう少し仕事してくれよなぁ。「あとはお願いします」ってね、その「後」始末が一番しんどいんだぜよぉ。


さて、口直しであります。爽やかなクラシック音楽を聴きましょう。

今日は、モーツァルトのディベルティメント第17番ニ長調 K.334。
シャンドール・ヴェーグ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカの演奏。カプリッチョ原盤。10枚組の廉価盤からの1枚で、以前にも「ハフナー」をエントリーしたが、この17番もとても素敵な演奏になっている。録音も優秀。文句なし。

ディベルティメントK334は、モーツァルトがマンハイムとパリへの旅から帰った後の作品らしく、ダイナミクスやメロディの処理が洗練され、エレガントな美しさを持っている名品。楽器編成は2つのホルンと弦楽器というシンプルなもので、室内楽として演奏する方が最近は多いのかな。第1ヴァイオリンが活躍して、優美な演奏を展開する。(だからテクニックにもアンサンブルにも優れたヴァイオリニストに弾いて欲しい)
室内オーケストラでの演奏も結構あって、ボクは両者とも好き。今日は、ヴェーグの清新で溌剌とした指揮、息のあったオケの合奏を聴きたかったのでこの演奏を取り出してみた。

ヴェーグの指揮は、ホンマに新鮮で生き生きと弾む。アーティキュレーションが独特で、スパッと切ったよ