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2006/01/24のBlog
[ 04:39 ]
[ 管弦楽曲 ]
今日はDoblogのメンテナンスの日です。
14時から18時まで閲覧等が出来なくなる模様です。
お読みいただいている皆様にはご迷惑をおかけします。
さて、今日は勇壮な管弦楽曲を。
R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」作品40。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏。Vnソロはコンサート・マスターのレオン・シュピーラー。
1985年2月、ベルリンのフィルハーモニーでの録音。DG盤。
カラヤンとしては実に3回目の録音。1回目は1958年(DG)、2回目は1974年(EMI)、そしてこの演奏。オーケストラはいずれもベルリン・フィル。1・2回目のVnソロはコンマスのミシェル・シュヴァルベだった。
1回目の録音は未聴だが、2回目のEMI盤はレコードでよく聴いていた。ゴージャスで豪壮華麗、絢爛たるオーケストラ絵巻とでも言いたくなるような、ものの見事な演奏で、カラヤンこそ最高のR・シュトラウス指揮者だとボクは確信したものだ。
この3回目の演奏でも、その印象は変わらない。
ただ、この録音の時、思えばカラヤンの晩年であった。
そのせいか、音楽の作り方に強引な盛り上げやあざとい演出が消えて、カラヤンがオケの面々に任せて自発性を尊重しているようなフシがある。
天下の銘器、ベルリン・フィルのソロはどの楽器もメチャクチャ上手い。
トゥッティの厚みたるや、まさにR・シュトラウス。雄渾で強靱、骨太なのに艶やか、エロスの香りさえ漂うマスの響き。
冒頭のチェロやコンバスからして、もうドイツの重厚さ。この部分では、カラヤンにしては珍しく感情的な思い入れが感じられる(カラヤンは、純音楽的な指揮者で、そう感情的になる指揮者ではなかったと思うので)。
ソロ・ヴァイオリンのレオン・シュピーラーはやや細身の音で、細かなところまで弾き込んでゆく感じ。少々神経質なところも感じるのだが、細部までこだわる繊細さでは、シュヴァルベより上じゃなかろうか。
このシュピーラーのソロが縦横に活躍する「英雄の伴侶」の部分が、最も聴きものなのかもしれない。
後半部では、金管の強烈で逞しい響きが気持ちよい。スポーツ的な快感さえ感じる。スカッとする演奏。
スケールはますます雄大になり、ベルリン・フィルの圧倒的合奏力で、ものすごい盛り上がりを見せる。重厚で輝かしいオケの音、やはり世界最高のオーケストラと云うべきか。
ここまでゴージャスな演奏、そうは思い当たらない。こってりと脂のよく乗ったステーキで満腹になってしまいました・・・・そんな感じ。
カラヤン/ベルリン・フィル・・・・スゴイです。
さて、今日のメンテナンス・・・・・。
前回のメンテナンスでかなり軽くなりましたので、今回も期待しています。
その前のメンテナンスで、アダルトTBをシャットアウトしてくれるようになりました。
これは良かった。毎日毎日、「~待ってます」だの「お願い、見てね」だの、たまらんかったからなぁ・・・・。ええ加減にせえよ・・・・・という気分でありました。
だから、今回も期待してます。
このブログサービスは、数あるサービスの中で、マイナーな方だと思うんですがね。大手と比較して、ここは人口も少ないんじゃないかと思います。
でも、頑張ってね、Doblogさん。
今さら引っ越すのも面倒ですので。。。(^^ゞ
14時から18時まで閲覧等が出来なくなる模様です。
お読みいただいている皆様にはご迷惑をおかけします。
さて、今日は勇壮な管弦楽曲を。
R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」作品40。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏。Vnソロはコンサート・マスターのレオン・シュピーラー。
1985年2月、ベルリンのフィルハーモニーでの録音。DG盤。
カラヤンとしては実に3回目の録音。1回目は1958年(DG)、2回目は1974年(EMI)、そしてこの演奏。オーケストラはいずれもベルリン・フィル。1・2回目のVnソロはコンマスのミシェル・シュヴァルベだった。
1回目の録音は未聴だが、2回目のEMI盤はレコードでよく聴いていた。ゴージャスで豪壮華麗、絢爛たるオーケストラ絵巻とでも言いたくなるような、ものの見事な演奏で、カラヤンこそ最高のR・シュトラウス指揮者だとボクは確信したものだ。
この3回目の演奏でも、その印象は変わらない。
ただ、この録音の時、思えばカラヤンの晩年であった。
そのせいか、音楽の作り方に強引な盛り上げやあざとい演出が消えて、カラヤンがオケの面々に任せて自発性を尊重しているようなフシがある。
天下の銘器、ベルリン・フィルのソロはどの楽器もメチャクチャ上手い。
トゥッティの厚みたるや、まさにR・シュトラウス。雄渾で強靱、骨太なのに艶やか、エロスの香りさえ漂うマスの響き。
冒頭のチェロやコンバスからして、もうドイツの重厚さ。この部分では、カラヤンにしては珍しく感情的な思い入れが感じられる(カラヤンは、純音楽的な指揮者で、そう感情的になる指揮者ではなかったと思うので)。
ソロ・ヴァイオリンのレオン・シュピーラーはやや細身の音で、細かなところまで弾き込んでゆく感じ。少々神経質なところも感じるのだが、細部までこだわる繊細さでは、シュヴァルベより上じゃなかろうか。
このシュピーラーのソロが縦横に活躍する「英雄の伴侶」の部分が、最も聴きものなのかもしれない。
後半部では、金管の強烈で逞しい響きが気持ちよい。スポーツ的な快感さえ感じる。スカッとする演奏。
スケールはますます雄大になり、ベルリン・フィルの圧倒的合奏力で、ものすごい盛り上がりを見せる。重厚で輝かしいオケの音、やはり世界最高のオーケストラと云うべきか。
ここまでゴージャスな演奏、そうは思い当たらない。こってりと脂のよく乗ったステーキで満腹になってしまいました・・・・そんな感じ。
カラヤン/ベルリン・フィル・・・・スゴイです。
さて、今日のメンテナンス・・・・・。
前回のメンテナンスでかなり軽くなりましたので、今回も期待しています。
その前のメンテナンスで、アダルトTBをシャットアウトしてくれるようになりました。
これは良かった。毎日毎日、「~待ってます」だの「お願い、見てね」だの、たまらんかったからなぁ・・・・。ええ加減にせえよ・・・・・という気分でありました。
だから、今回も期待してます。
このブログサービスは、数あるサービスの中で、マイナーな方だと思うんですがね。大手と比較して、ここは人口も少ないんじゃないかと思います。
でも、頑張ってね、Doblogさん。
今さら引っ越すのも面倒ですので。。。(^^ゞ
2006/01/23のBlog
[ 05:35 ]
[ 交響曲 ]
忙しいですな。
せめて休日くらい、肉体も精神ものんびりしたいもんです。
四国の週末、土曜は大変な寒さでしたが、日曜日は陽射しが暖かかったですな。
さて、シベリウスの交響曲を今日も聴いています。
交響曲第1番ホ短調作品39。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルの演奏。1986年5月、ヘルシンキ文化ホールでの録音。
ベルグルンド2度目のシベリウス全集からの1枚。彼はボーンマス響と1回目を、ヨーロッパ室内管と3度目の全集を録音している、まさにシベリウスのスペシャリスト。
ボーンマス響との演奏は聴いたことがないのだが、交響曲第1番に関しては、ヨーロッパ室内管と録音した純度の高い、研ぎ澄まされた演奏よりも、今日エントリーする2度目のヘルシンキ・フィル盤の方が、オケの厚みがあって良いんじゃないかと思っている。
それに、ロマンの味わいを残しているこの交響曲らしさが出ているんじゃないかと思う。
シベリウスの交響曲第1番は、19世紀末に書かれた作品で、作曲家は当時34歳。チャイコフスキーの影響が強いと云われているが、すでにシベリウスらしさは出ていると思う。
もちろん国民楽派に共通する、独特の民族臭があるのだが、それもこの交響曲の魅力だろうと思う。
昨日聴いたバルビローリに比べると、ベルグルンドの演奏は、豪快でかつ緻密。
交響曲として、立派な演奏であります。
第1楽章アンダンテ・マ・ノン・トロッポ~アレグロ・エネルジーコ。冒頭から、ストリングスの響きが引き締まって、非常にクール。冷涼な響きをたたえて、いかにもシベリウス的。さすがベルグルンド、ボクは単細胞なので、もう最初からすっかりベルグルンドの棒に魅せられてしまう。フィンランドの自然の風景が刻々と変化してゆく、そのさまを描き出したような演奏。
情景描写のようでいて、実は作曲家の心象風景のような・・・・そんな感じ。
第2楽章アンダンテ。ここでもヘルシンキ・フィルの音色は派手ではないが、エネルギー感は充実していて、厚みがある。響きは通してクール。冒頭の木管群の掛け合いは、北欧の自然描写か、帝政ロシア圧政下のフィンランド人の嘆きか。響きが冷たいので、その声が一層悲痛に響く。
第3楽章はスケルツォ。ティンパニの強調が勇壮な音楽をつくり出す。行進曲風の音楽が、空々しく響かないのはさすがベルグルンド。
それにしても、ティンパニの音はイイ。ずしっと腹にこたえたり、ステージの奥の方でオケ全体をグッと支えたり、素晴らしい奏者だと思う。
金管もここでは解放されて、爽快な響き。
第4楽章のフィナーレはクワジ・ウナ・ファンタジア。「幻想曲風に」と指定されている。リズムや旋律が、ややチャイコフスキー的。楽器の扱いも似ている感じ・・・・と素人考えだが、そう思う。ただ、息の長い旋律が出てくると、ああ、やはりシベリウス。この響きは、後年のシベリウスそのものだなぁと思う。
ベルグルンドの棒の冴えはもちろん、ヘルシンキ・フィルもいよいよ好演。あまり録音がないが(というより、我が家にはほとんどシベリウスしかないのだが)、大変巧いオケだなと思います。
せめて休日くらい、肉体も精神ものんびりしたいもんです。
四国の週末、土曜は大変な寒さでしたが、日曜日は陽射しが暖かかったですな。
さて、シベリウスの交響曲を今日も聴いています。
交響曲第1番ホ短調作品39。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルの演奏。1986年5月、ヘルシンキ文化ホールでの録音。
ベルグルンド2度目のシベリウス全集からの1枚。彼はボーンマス響と1回目を、ヨーロッパ室内管と3度目の全集を録音している、まさにシベリウスのスペシャリスト。
ボーンマス響との演奏は聴いたことがないのだが、交響曲第1番に関しては、ヨーロッパ室内管と録音した純度の高い、研ぎ澄まされた演奏よりも、今日エントリーする2度目のヘルシンキ・フィル盤の方が、オケの厚みがあって良いんじゃないかと思っている。
それに、ロマンの味わいを残しているこの交響曲らしさが出ているんじゃないかと思う。
シベリウスの交響曲第1番は、19世紀末に書かれた作品で、作曲家は当時34歳。チャイコフスキーの影響が強いと云われているが、すでにシベリウスらしさは出ていると思う。
もちろん国民楽派に共通する、独特の民族臭があるのだが、それもこの交響曲の魅力だろうと思う。
昨日聴いたバルビローリに比べると、ベルグルンドの演奏は、豪快でかつ緻密。
交響曲として、立派な演奏であります。
第1楽章アンダンテ・マ・ノン・トロッポ~アレグロ・エネルジーコ。冒頭から、ストリングスの響きが引き締まって、非常にクール。冷涼な響きをたたえて、いかにもシベリウス的。さすがベルグルンド、ボクは単細胞なので、もう最初からすっかりベルグルンドの棒に魅せられてしまう。フィンランドの自然の風景が刻々と変化してゆく、そのさまを描き出したような演奏。
情景描写のようでいて、実は作曲家の心象風景のような・・・・そんな感じ。
第2楽章アンダンテ。ここでもヘルシンキ・フィルの音色は派手ではないが、エネルギー感は充実していて、厚みがある。響きは通してクール。冒頭の木管群の掛け合いは、北欧の自然描写か、帝政ロシア圧政下のフィンランド人の嘆きか。響きが冷たいので、その声が一層悲痛に響く。
第3楽章はスケルツォ。ティンパニの強調が勇壮な音楽をつくり出す。行進曲風の音楽が、空々しく響かないのはさすがベルグルンド。
それにしても、ティンパニの音はイイ。ずしっと腹にこたえたり、ステージの奥の方でオケ全体をグッと支えたり、素晴らしい奏者だと思う。
金管もここでは解放されて、爽快な響き。
第4楽章のフィナーレはクワジ・ウナ・ファンタジア。「幻想曲風に」と指定されている。リズムや旋律が、ややチャイコフスキー的。楽器の扱いも似ている感じ・・・・と素人考えだが、そう思う。ただ、息の長い旋律が出てくると、ああ、やはりシベリウス。この響きは、後年のシベリウスそのものだなぁと思う。
ベルグルンドの棒の冴えはもちろん、ヘルシンキ・フィルもいよいよ好演。あまり録音がないが(というより、我が家にはほとんどシベリウスしかないのだが)、大変巧いオケだなと思います。
2006/01/22のBlog
[ 03:05 ]
[ 交響曲 ]
ああ、寒いですね・・・・・。って、毎日こればかりですが(^^ゞ。
寒い日にはシベリウスです。
部屋を暖かくして聴きましょう。
で、今日はシベリウスの交響曲第3番ハ長調op.52。
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏。1969年5月、キングズウェイ・ホールでの録音。
バルビローリが1966~70年にかけて録音したシベリウス交響曲全集からの1枚。この輸入盤全集には管弦楽曲集も収められているのがイイ。
バルビローリの音楽は、いつも戸惑い、立ち止まり、ためらう。
このシベリウス全集も、作曲家への愛情や深い共感に満ちているとともに、バルビローリの個性が加わって、素晴らしい演奏になっている。
滋味深く、柔らかく、一瞬一瞬に聴くべきものがある演奏・・・・。
第1楽章アレグロ・モデラートの歩みの遅さ。ちっともアレグロではなく、じっくりと音を積み重ねてゆく感じ。時にもたれるような遅さの中に、バルビローリの音楽の、良い意味での「甘ったるさ」を感じる。
ホルンの響きがあまりヒロイックにならず、柔らかい甘さをたたえて優しく響くのは、バルビローリならでは。
他の演奏だと、ちょいとキツイ感じになるのに、バルビローリの演奏は、優しいまなざしに貫かれている。そこを好きになると、もうバルビローリ節のとりこになってしまう。
第2楽章アンダンテ・コン・モート。この交響曲の最も美しいところ。いや、シベリウスの交響曲の中で最も抒情的な楽章かもしれない。
この美しい旋律に満ちた楽章、バルビローリは、泣くように音楽をつくってゆく。歌う、と云うよりは、すすり泣くような感じ。ためらいがちに、伏し目がちに、ヒソヒソと身の上話を進めてゆくように感じるのは、おかしな聴き方かな・・・・(^^ゞ。
木管の重なり方、対話は涙目の会話。
そして、背後で秘かに響く低音楽器。まるで、悲しみの通奏低音のよう。
ああ、何とシベリウスは抒情的作曲家だったのか。
本来、シベリウスはそうではないだろうに、バルビローリで聴くと、抒情になる。
終楽章は機智にに溢れた軽快なフィナーレ。最後にコラールの主題が現れて堂々としたクライマックスをつくってゆく。
ハレ管は全編健闘しているが、アンサンブルはすこし荒い感じ。でも、懸命さは伝わってくる。バルビローリに必死に奉仕する演奏ぶりで、これはこれで美しいと思う。
バルビローリの演奏は、終曲にしては若干重いかなと思うが、暖かい表情と説得力は素晴らしい。
イイ演奏でした。
バルビローリが振るシベリウスは、他の指揮者と全然違います。
とにかく、寒くない。かえって暖かい。
愛情一杯のシベリウスも、こんな寒い日にはエエもんです。
録音はEMIなので、こんなものかなという水準であります。
寒い日にはシベリウスです。
部屋を暖かくして聴きましょう。
で、今日はシベリウスの交響曲第3番ハ長調op.52。
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏。1969年5月、キングズウェイ・ホールでの録音。
バルビローリが1966~70年にかけて録音したシベリウス交響曲全集からの1枚。この輸入盤全集には管弦楽曲集も収められているのがイイ。
バルビローリの音楽は、いつも戸惑い、立ち止まり、ためらう。
このシベリウス全集も、作曲家への愛情や深い共感に満ちているとともに、バルビローリの個性が加わって、素晴らしい演奏になっている。
滋味深く、柔らかく、一瞬一瞬に聴くべきものがある演奏・・・・。
第1楽章アレグロ・モデラートの歩みの遅さ。ちっともアレグロではなく、じっくりと音を積み重ねてゆく感じ。時にもたれるような遅さの中に、バルビローリの音楽の、良い意味での「甘ったるさ」を感じる。
ホルンの響きがあまりヒロイックにならず、柔らかい甘さをたたえて優しく響くのは、バルビローリならでは。
他の演奏だと、ちょいとキツイ感じになるのに、バルビローリの演奏は、優しいまなざしに貫かれている。そこを好きになると、もうバルビローリ節のとりこになってしまう。
第2楽章アンダンテ・コン・モート。この交響曲の最も美しいところ。いや、シベリウスの交響曲の中で最も抒情的な楽章かもしれない。
この美しい旋律に満ちた楽章、バルビローリは、泣くように音楽をつくってゆく。歌う、と云うよりは、すすり泣くような感じ。ためらいがちに、伏し目がちに、ヒソヒソと身の上話を進めてゆくように感じるのは、おかしな聴き方かな・・・・(^^ゞ。
木管の重なり方、対話は涙目の会話。
そして、背後で秘かに響く低音楽器。まるで、悲しみの通奏低音のよう。
ああ、何とシベリウスは抒情的作曲家だったのか。
本来、シベリウスはそうではないだろうに、バルビローリで聴くと、抒情になる。
終楽章は機智にに溢れた軽快なフィナーレ。最後にコラールの主題が現れて堂々としたクライマックスをつくってゆく。
ハレ管は全編健闘しているが、アンサンブルはすこし荒い感じ。でも、懸命さは伝わってくる。バルビローリに必死に奉仕する演奏ぶりで、これはこれで美しいと思う。
バルビローリの演奏は、終曲にしては若干重いかなと思うが、暖かい表情と説得力は素晴らしい。
イイ演奏でした。
バルビローリが振るシベリウスは、他の指揮者と全然違います。
とにかく、寒くない。かえって暖かい。
愛情一杯のシベリウスも、こんな寒い日にはエエもんです。
録音はEMIなので、こんなものかなという水準であります。
2006/01/21のBlog
[ 03:57 ]
[ 協奏曲 ]
二十四節気、「大寒」です。
これから2月上旬まで最も寒い時期です。
ホンマに寒い。「大寒」とは、昔の人は、よく言ったもんです。
「節分」までもう一息・・・・節分過ぎれば、四国はぬくくなります。
さて、今日はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466。
アルフレート・ブレンデルのピアノ、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管の演奏。1973年6月、ロンドンでの録音。
今年はモーツァルト・イヤー。生誕250年を記念してのCDが各レーベルから出始めた。このCDは、フィリップスのモーツァルト全集のピアノ協奏曲編(12枚組)からの1枚。
ブレンデルの演奏はLPで愛聴してきたが、この際だからと中古屋で見つけて購入してしまった(^^ゞ。ヘブラーやコープマン、ラベック姉妹の演奏も若干含まれている。
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番といえば、彼の協奏曲の中で珍しい短調の作品。モーツァルトの短調作品は、デモーニッシュな音楽が多い。24番のピアノ協奏曲も、交響曲で云えば25番や40番もそうだし、弦楽五重奏の短調作品も独特だ。
第1楽章アレグロ。オケの序奏を経て、やや速めのテンポでブレンデルは弾きはじめる。気迫十分の滑り出し。モーツァルトの暗い感情を表出するようなピアノの動き。そして、いつもの知的なブレンデルとは違って、即興的な感じがする演奏になっている。
もちろん、そこはブレンデルだから、荒々しくなることはなく、逞しい中にも繊細な表情が随所に見える。
カデンツァはブレンデル自身の作品。鮮やかなピアニズムを聴かせてくれるし、味わいも深く素晴らしい。
第2楽章はロマンツェ。ブレンデルの演奏は、特に音色が美しく、決して派手にならない奥ゆかしいもの。穏やかで、静謐な感情が流れてゆく。しかし、この楽章は長調の緩徐楽章なのに、淋しさがまとわりつくような感じになる。
その揺れる動く感情、そこはかとなく漂う寂寥感を、ブレンデルのピアノは上品に描き出して止まない。
ああ、良いピアノだな。
マリナーの演奏も、ブレンデルにそっと寄り添って見事なもの。
そして、この楽章中間部の激烈な表情は、また静謐さとは対照的。激しい感情の吐露が聴ける。ここではオケも痛切な響きを作り出して名演。
終楽章ロンドはアレグロ・アッサイ。オケもピアノも速めのテンポで、モーツァルトの抑えきれない感情の高まりを描いてゆく。
ブレンデルのピアノは細かな動きのところまでよく神経が通ったデリケートなもの。ホンマにいつ聴いても美しく端正だと思う。
音色も、ベージュがかったような白さ。暖かみのある音色で好ましい。これはフィリップス録音の美しさなのかもしれないが・・・・。
ブレンデルが手管の限りを尽くして美しく仕上げているのに大して、マリナーはやや強引なところがある終楽章。チョイと惜しかったかな・・・・。
これからゆっくり、ブレンデルのピアノで、モーツァルトを聴き直していこうと思います。20番台はもちろん大好きなんですが、10番台も勉強しなくちゃね。
これから2月上旬まで最も寒い時期です。
ホンマに寒い。「大寒」とは、昔の人は、よく言ったもんです。
「節分」までもう一息・・・・節分過ぎれば、四国はぬくくなります。
さて、今日はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466。
アルフレート・ブレンデルのピアノ、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管の演奏。1973年6月、ロンドンでの録音。
今年はモーツァルト・イヤー。生誕250年を記念してのCDが各レーベルから出始めた。このCDは、フィリップスのモーツァルト全集のピアノ協奏曲編(12枚組)からの1枚。
ブレンデルの演奏はLPで愛聴してきたが、この際だからと中古屋で見つけて購入してしまった(^^ゞ。ヘブラーやコープマン、ラベック姉妹の演奏も若干含まれている。
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番といえば、彼の協奏曲の中で珍しい短調の作品。モーツァルトの短調作品は、デモーニッシュな音楽が多い。24番のピアノ協奏曲も、交響曲で云えば25番や40番もそうだし、弦楽五重奏の短調作品も独特だ。
第1楽章アレグロ。オケの序奏を経て、やや速めのテンポでブレンデルは弾きはじめる。気迫十分の滑り出し。モーツァルトの暗い感情を表出するようなピアノの動き。そして、いつもの知的なブレンデルとは違って、即興的な感じがする演奏になっている。
もちろん、そこはブレンデルだから、荒々しくなることはなく、逞しい中にも繊細な表情が随所に見える。
カデンツァはブレンデル自身の作品。鮮やかなピアニズムを聴かせてくれるし、味わいも深く素晴らしい。
第2楽章はロマンツェ。ブレンデルの演奏は、特に音色が美しく、決して派手にならない奥ゆかしいもの。穏やかで、静謐な感情が流れてゆく。しかし、この楽章は長調の緩徐楽章なのに、淋しさがまとわりつくような感じになる。
その揺れる動く感情、そこはかとなく漂う寂寥感を、ブレンデルのピアノは上品に描き出して止まない。
ああ、良いピアノだな。
マリナーの演奏も、ブレンデルにそっと寄り添って見事なもの。
そして、この楽章中間部の激烈な表情は、また静謐さとは対照的。激しい感情の吐露が聴ける。ここではオケも痛切な響きを作り出して名演。
終楽章ロンドはアレグロ・アッサイ。オケもピアノも速めのテンポで、モーツァルトの抑えきれない感情の高まりを描いてゆく。
ブレンデルのピアノは細かな動きのところまでよく神経が通ったデリケートなもの。ホンマにいつ聴いても美しく端正だと思う。
音色も、ベージュがかったような白さ。暖かみのある音色で好ましい。これはフィリップス録音の美しさなのかもしれないが・・・・。
ブレンデルが手管の限りを尽くして美しく仕上げているのに大して、マリナーはやや強引なところがある終楽章。チョイと惜しかったかな・・・・。
これからゆっくり、ブレンデルのピアノで、モーツァルトを聴き直していこうと思います。20番台はもちろん大好きなんですが、10番台も勉強しなくちゃね。
2006/01/20のBlog
[ 05:29 ]
[ 管弦楽曲 ]
厳寒再来。
寒いですよ・・・・・伊予路の最高気温は、予想では3度。
大雪になるんじゃないかと・・・・・ブルブル寒い・・・。
寒い日に、部屋の暖房を効かせて、出来ればストーブに手をかざしながらのんびり聴きたい曲があります。
今日はそんなクラシック音楽。
チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a。
冬の日にのんびり聴くのが好きなんですが、小学校の給食の時間にもよく放送されていました。昔々の話です。
埼玉の田舎の小学校では、昔のことなので、昼の時間にクラシック音楽を放送しておりました。「金婚式」とか「金と銀」とか、「ピーターと狼」、スッペの序曲などもありましたな。「くるみ割り人形」もそうした音楽の一つでした。
だから、これは、ボクが最も早く知ったクラシック音楽と云えるかもしれません。
今日は、小澤征爾の指揮ボストン交響楽団の演奏で。
1990年12月、ボストンのシンフォニー・ホールでの録音。DGの廉価盤。
小沢の精妙で中庸、しなやかな指揮はいつものとおり。そしてボストンの練り絹のようなストリングスも相変わらずの美しさ。特に弦の弱音が美しいのが、このオケの特徴。強奏でもしなやかな靱さが心地よい。輝かしいとか、鮮烈な、という音ではないのだが、味わい深い音色なので、何度聴いても飽きない良さがある。噛めば噛むほど味が出る・・・・スルメのような味わいと云うべきだろうか・・・・。
「小序曲」のヴァイオリンの音色が美しい。「行進曲」では金管の抑え気味の音が奥ゆかしくて好ましい。上品で端麗。涼やかで甘い音色が実にエエなぁ。
実はこの「くるみ割り人形」、聴いていて面白いのは木管の響き、音色、そして音の重なり方。
チャイコフスキーは、よく聴いていると実に凝った書き方をしていると思う。木管だけ聴いていても全く楽しい。
だから、「こんぺい糖の精の踊り」や「アラビアの踊り」でのファゴットやクラリネット、「あし笛の踊り」のフルートなど、聴きどころ満載。弱音が美しいボストンの弦に乗って響く木管群は、渋い大人の音楽だ。
小沢もよく心得ていて、「ボストンは弦だけじゃねえぞ」とでも言いたいか、精妙な指揮ぶり。特に弱音部でのデリカケートな演奏は、巧いもんだぁと思う。
ラスト「花のワルツ」は、素晴らしいストリングス。ここでも小沢は中庸にして精妙。激することなく、優美なワルツを聴かせてくれる。
1990年の録音なので、エエ音してます。もちろん現役レベルの水準。もう少し高音の伸びがあってもイイかなと思うが、この渋さがボストンの響きかもしれませんな。
寒いですよ・・・・・伊予路の最高気温は、予想では3度。
大雪になるんじゃないかと・・・・・ブルブル寒い・・・。
寒い日に、部屋の暖房を効かせて、出来ればストーブに手をかざしながらのんびり聴きたい曲があります。
今日はそんなクラシック音楽。
チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a。
冬の日にのんびり聴くのが好きなんですが、小学校の給食の時間にもよく放送されていました。昔々の話です。
埼玉の田舎の小学校では、昔のことなので、昼の時間にクラシック音楽を放送しておりました。「金婚式」とか「金と銀」とか、「ピーターと狼」、スッペの序曲などもありましたな。「くるみ割り人形」もそうした音楽の一つでした。
だから、これは、ボクが最も早く知ったクラシック音楽と云えるかもしれません。
今日は、小澤征爾の指揮ボストン交響楽団の演奏で。
1990年12月、ボストンのシンフォニー・ホールでの録音。DGの廉価盤。
小沢の精妙で中庸、しなやかな指揮はいつものとおり。そしてボストンの練り絹のようなストリングスも相変わらずの美しさ。特に弦の弱音が美しいのが、このオケの特徴。強奏でもしなやかな靱さが心地よい。輝かしいとか、鮮烈な、という音ではないのだが、味わい深い音色なので、何度聴いても飽きない良さがある。噛めば噛むほど味が出る・・・・スルメのような味わいと云うべきだろうか・・・・。
「小序曲」のヴァイオリンの音色が美しい。「行進曲」では金管の抑え気味の音が奥ゆかしくて好ましい。上品で端麗。涼やかで甘い音色が実にエエなぁ。
実はこの「くるみ割り人形」、聴いていて面白いのは木管の響き、音色、そして音の重なり方。
チャイコフスキーは、よく聴いていると実に凝った書き方をしていると思う。木管だけ聴いていても全く楽しい。
だから、「こんぺい糖の精の踊り」や「アラビアの踊り」でのファゴットやクラリネット、「あし笛の踊り」のフルートなど、聴きどころ満載。弱音が美しいボストンの弦に乗って響く木管群は、渋い大人の音楽だ。
小沢もよく心得ていて、「ボストンは弦だけじゃねえぞ」とでも言いたいか、精妙な指揮ぶり。特に弱音部でのデリカケートな演奏は、巧いもんだぁと思う。
ラスト「花のワルツ」は、素晴らしいストリングス。ここでも小沢は中庸にして精妙。激することなく、優美なワルツを聴かせてくれる。
1990年の録音なので、エエ音してます。もちろん現役レベルの水準。もう少し高音の伸びがあってもイイかなと思うが、この渋さがボストンの響きかもしれませんな。
2006/01/19のBlog
[ 04:58 ]
[ 交響曲 ]
一転、寒い一日。仕事もちょいとしんどいことが増えて、辛いところ。
まあ、なるようにしかならんわい・・・・・と腹をくくって、やっていくしかないですな。
さて、今日はベートーヴェンの交響曲第8番ヘ長調。
取り出したCDは、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルの演奏。
2000年3月、ベルリンのフィルハーモニーでの録音。
アバドとしては2度目のベートーヴェン全集からの1枚。1度目はウィーン・フィルとのDG盤だった。
交響曲第8番については、1960年代のデビュー盤でDECCAに録音しているので、これが3回目ということになる。
ウィーン・フィル、ウィーン・フィルと来て、ベルリン・フィル。さすがエリートのアバドとはいえ、華麗なる録音歴だわなぁ・・・・。
「バッカスの饗宴」のような交響曲第8番。
リズムの爆発、諧謔、皮肉、喧噪、阿鼻叫喚・・・・・時にそんな印象を受ける交響曲。
ボクはお酒が飲めないので(これまで、それでだいぶ苦労してきたのだが)、呑兵衛の気持ちが分からないのだが、大作曲家が酩酊したらこんな音楽になるのだろうかと、以前はよく思ったものだ。
初めて聴いたときは「これが運命や田園、合唱を作曲したあのベートーヴェンの作品か?」と思ったものっだ。
今まで沢山の第8番を聴いてきたが、今日のアバドの新盤はちょっと独特。
酔っぱらっていないんです。少々飲んでいるんだけれど(だから酒に強いのかなと思わせるほど)、やや醒めた感じで演奏している第8番。
ほろ酔い程度の酔い方・・・・いや、ほろ酔いと言うほど甘口の響きではない。非常に峻厳な響きで聴き手に迫ってくる演奏。
オケの人数は少なめだと思う。特に弦楽器は刈りこんでいる。
だから響きが軽めで明るくなる。もちろん、響きが薄くなるようなことはないのだが、非常にフットワークの軽いベルリン・フィルになっている。
演奏は、ベーレンライター版に依っていて、テンポは速い。かなり速い。
でもベルリン・フィルの響きが充実しているので、高速に聞こえないのが面白い。
それよりも響きの明るさ、透明度が素晴らしい。
特に第1楽章と第4楽章は、爽快で最も透明なベートーヴェンが聴けると思う。
アバドとくれば、「歌」だ。ところが、この全集ではウィーン・フィルと録った1度目の全集ほど歌ってくれない。歌を抑え気味にしても、響きの透明度・爽快さを追求したのではないかと思わせるほど、歌ってくれない・・・・やや残念。
でも第2楽章と、第3楽章のトリオの部分では、アバドらしい、しなやかな歌を聴かせてくれる。このしなやかさ、瑞々しさ・・・・・やはりアバドはアバドだわなぁ・・・。
録音は、2000年なのだからもっと鮮烈かと思いきや、そんなに良い録音には思えませんでした。
あ、それからですね。これ、ケースが素晴らしいです。
紙ジャケットで見開きの薄いケース。
これならふつうのCDの半分の厚み。増殖するCDに悩むボクにはとても有り難い。
こういうCDを沢山出して欲しいですね。
まあ、なるようにしかならんわい・・・・・と腹をくくって、やっていくしかないですな。
さて、今日はベートーヴェンの交響曲第8番ヘ長調。
取り出したCDは、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルの演奏。
2000年3月、ベルリンのフィルハーモニーでの録音。
アバドとしては2度目のベートーヴェン全集からの1枚。1度目はウィーン・フィルとのDG盤だった。
交響曲第8番については、1960年代のデビュー盤でDECCAに録音しているので、これが3回目ということになる。
ウィーン・フィル、ウィーン・フィルと来て、ベルリン・フィル。さすがエリートのアバドとはいえ、華麗なる録音歴だわなぁ・・・・。
「バッカスの饗宴」のような交響曲第8番。
リズムの爆発、諧謔、皮肉、喧噪、阿鼻叫喚・・・・・時にそんな印象を受ける交響曲。
ボクはお酒が飲めないので(これまで、それでだいぶ苦労してきたのだが)、呑兵衛の気持ちが分からないのだが、大作曲家が酩酊したらこんな音楽になるのだろうかと、以前はよく思ったものだ。
初めて聴いたときは「これが運命や田園、合唱を作曲したあのベートーヴェンの作品か?」と思ったものっだ。
今まで沢山の第8番を聴いてきたが、今日のアバドの新盤はちょっと独特。
酔っぱらっていないんです。少々飲んでいるんだけれど(だから酒に強いのかなと思わせるほど)、やや醒めた感じで演奏している第8番。
ほろ酔い程度の酔い方・・・・いや、ほろ酔いと言うほど甘口の響きではない。非常に峻厳な響きで聴き手に迫ってくる演奏。
オケの人数は少なめだと思う。特に弦楽器は刈りこんでいる。
だから響きが軽めで明るくなる。もちろん、響きが薄くなるようなことはないのだが、非常にフットワークの軽いベルリン・フィルになっている。
演奏は、ベーレンライター版に依っていて、テンポは速い。かなり速い。
でもベルリン・フィルの響きが充実しているので、高速に聞こえないのが面白い。
それよりも響きの明るさ、透明度が素晴らしい。
特に第1楽章と第4楽章は、爽快で最も透明なベートーヴェンが聴けると思う。
アバドとくれば、「歌」だ。ところが、この全集ではウィーン・フィルと録った1度目の全集ほど歌ってくれない。歌を抑え気味にしても、響きの透明度・爽快さを追求したのではないかと思わせるほど、歌ってくれない・・・・やや残念。
でも第2楽章と、第3楽章のトリオの部分では、アバドらしい、しなやかな歌を聴かせてくれる。このしなやかさ、瑞々しさ・・・・・やはりアバドはアバドだわなぁ・・・。
録音は、2000年なのだからもっと鮮烈かと思いきや、そんなに良い録音には思えませんでした。
あ、それからですね。これ、ケースが素晴らしいです。
紙ジャケットで見開きの薄いケース。
これならふつうのCDの半分の厚み。増殖するCDに悩むボクにはとても有り難い。
こういうCDを沢山出して欲しいですね。
2006/01/18のBlog
[ 05:26 ]
[ 管弦楽曲 ]
午後からの陽射しが柔らかく、気温もだいぶ上がりました。
3月くらいに陽気でした・・・・・。
いやはや、昼メシのあと、眠かったこと!
ついつい、デスクでウトウト・・・・・南に面した窓際にデスクがあるんですから(ん?窓際族かワシは・?)、全くたまりません・・・(^^ゞ
で、今日は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴こうと・・・・。
取り出したCDは、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏。1973年1月、パリのサル・ワグラムでの録音。
EMIの輸入盤では「クリスマス・ボックス」と称して激安バーゲン価格の箱物が沢山出ている。このマルティノンによる「ドビュッシー・ラヴェル管弦楽曲集」もそのひとつ。このフランスの芳香に満ちた名盤が、8枚組で3500円程度で買えてしまうのだから、いったい世の中はどうなっているのかと思う・・・・・・が、この恩恵にあずかれる幸福はホンマに有り難い。
ドビュッシーはあまり得意な作曲家ではないのだが、この「牧神の午後への前奏曲」だけは別格。
初めて聴いたときには、今まで聴いてきたクラシック音楽とは全く違う、別世界の音楽に聞こえたものだ。独特の和声、繊細で優美な響き、漂うような旋律。それまでべートーヴェンやバッハ、モーツァルト、シューベルトばかり聴いていたボクには、十分ショッキングな音楽だった。「これ、クラシック音楽かいな?」・・・・。
その「響き」・・・・。
管楽器がとにかく違う。
甘く切なく鼻にかかる音色。そして淡い光りが射し込んでくるようなデリケートな音。
ちょっとおきゃんなパリ娘・・・・・でもあるまいが、ドイツ・オーストリー系の音楽ではまず耳に出来ない音色。
フルートの漂うような繊細さ。ホルンが背後から柔らかくかぶってくる。
クラリネットは甘く、腰をくねらせるようにエロティックな響き。
これらがからみつく響きの美しさ、「ああ、これがフランスというものか」と昔々思ったものだった。
弦楽器の繊細さも、言葉を失うほど。静かに奏でる部分などはため息が出る。
強奏で崩れないのもイイ。
マルティノンの指揮は、ラテン的な色彩に満ちたもの。しかも上品で端正。
素敵な(でも豪勢ではないな)ファッションに身を包み、オシャレで、しかも背筋がよく伸びた紳士の音楽。
どこにも無理がなく、媚びたところもなく、淡々とドビュッシーの天才を伝えてくれる。
アンサンブルは、少々縦の線が不揃いで、おやっと思わせるところがあるが(特に後半)。でも、故意にアンサンブルを乱して独特の響きを作りだしているんじゃないかと思えるほど、音楽全体は見事なものだ。
こういう響き、こういう音楽作り・・・・・マルティノンは素晴らしい指揮者でありました。
3月くらいに陽気でした・・・・・。
いやはや、昼メシのあと、眠かったこと!
ついつい、デスクでウトウト・・・・・南に面した窓際にデスクがあるんですから(ん?窓際族かワシは・?)、全くたまりません・・・(^^ゞ
で、今日は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴こうと・・・・。
取り出したCDは、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏。1973年1月、パリのサル・ワグラムでの録音。
EMIの輸入盤では「クリスマス・ボックス」と称して激安バーゲン価格の箱物が沢山出ている。このマルティノンによる「ドビュッシー・ラヴェル管弦楽曲集」もそのひとつ。このフランスの芳香に満ちた名盤が、8枚組で3500円程度で買えてしまうのだから、いったい世の中はどうなっているのかと思う・・・・・・が、この恩恵にあずかれる幸福はホンマに有り難い。
ドビュッシーはあまり得意な作曲家ではないのだが、この「牧神の午後への前奏曲」だけは別格。
初めて聴いたときには、今まで聴いてきたクラシック音楽とは全く違う、別世界の音楽に聞こえたものだ。独特の和声、繊細で優美な響き、漂うような旋律。それまでべートーヴェンやバッハ、モーツァルト、シューベルトばかり聴いていたボクには、十分ショッキングな音楽だった。「これ、クラシック音楽かいな?」・・・・。
その「響き」・・・・。
管楽器がとにかく違う。
甘く切なく鼻にかかる音色。そして淡い光りが射し込んでくるようなデリケートな音。
ちょっとおきゃんなパリ娘・・・・・でもあるまいが、ドイツ・オーストリー系の音楽ではまず耳に出来ない音色。
フルートの漂うような繊細さ。ホルンが背後から柔らかくかぶってくる。
クラリネットは甘く、腰をくねらせるようにエロティックな響き。
これらがからみつく響きの美しさ、「ああ、これがフランスというものか」と昔々思ったものだった。
弦楽器の繊細さも、言葉を失うほど。静かに奏でる部分などはため息が出る。
強奏で崩れないのもイイ。
マルティノンの指揮は、ラテン的な色彩に満ちたもの。しかも上品で端正。
素敵な(でも豪勢ではないな)ファッションに身を包み、オシャレで、しかも背筋がよく伸びた紳士の音楽。
どこにも無理がなく、媚びたところもなく、淡々とドビュッシーの天才を伝えてくれる。
アンサンブルは、少々縦の線が不揃いで、おやっと思わせるところがあるが(特に後半)。でも、故意にアンサンブルを乱して独特の響きを作りだしているんじゃないかと思えるほど、音楽全体は見事なものだ。
こういう響き、こういう音楽作り・・・・・マルティノンは素晴らしい指揮者でありました。
2006/01/17のBlog
[ 04:48 ]
[ 協奏曲 ]
夕方から雨です。
昨日までの暖かさとうって変わって、寒い一日でした。
ただ、いつもの四国の冬の寒さ・・・・です。
こちらが寒さに慣れたのか、猛烈な寒気が弱くなったのか、ようやく「四国の冬」になったなという感じです。
こんな雨の日にはラフマニノフを聴きたい・・・・。
で、取り出したのは、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30。
ピアノはヴラディーミル・アシュケナージ、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。1985年8月、コンセルトヘボウでの録音。DECCA原盤。
アシュケナージにとっては4度目の録音になるという。よほど好きなのだろう。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・タント。オケの序奏のすぐあとにピアノが憂愁の主題を奏でる。今日のように、冬のどんよりと曇った空を思わせる、愁いを含んだような(少し涙ぐんだような)音楽。アシュケナージのピアノがとても綺麗。いつもの、アシュケナージ独特のクリスタルでやや冷たく輝く音色が、素晴らしい。タッチはやや軽め。ズシンと重厚に響く、いかにもロシア風の演奏もあるのだが、アシュケナージのは繊細で爽やかな音色。
ラフマニノフはロシア人だが、活躍したのはアメリカ。この3番協奏曲も、調べてみると「自分を評価してくれたアメリカのために」作曲したという。
暗く重く、腹にこたえるようなピアノより、アシュケナージの輝く音色で聴くのがイイように思うのだが、さて・・・・。
第2楽章は間奏曲。ピアノがもの悲しい主題を歌って、変奏曲のように表情を変えてゆく。抒情的な部分では、アシュケナージのデリケートな音色が特に似合う。
バックも好演。
管楽器の音色がもの悲しい。オーボエやホルンのソロが、何と寂しく感傷的に響くことか。それにかぶってくるチェロの深々とした音色や、その上を優しくなぞるヴァイオリンの艶やかな音色も素晴らしい。さすがはハイティンクと言いたい。
第3楽章フィナーレはアラ・ブレーヴェ。第2楽章の終わりから半休止で行進曲風の音楽がグイッと入ってくる。
アシュケナージのピアニズムはますます好調で、オケと豪快に対峙して、全くひけを取らない立派さ。テクニックのことはよく分からないが、これだけ指が回るのだから(しかも一つひとつの音が粒立っているのだから)、最高レベルの技術なのだろうと思う。
音色も透明度が高く瑞々しいし、高音は輝くばかりに鮮やか。聴いていてクラクラするようなピアノ。
この辺り、全くアシュケナージならではの演奏ぶり。
さらに、オケの優秀さ!
ハイティンク率いるコンセルトヘボウ管が、実に暖かく、堅実に、美しさの限りにアシュケナージを支えている。
録音も優秀。DECCAらしい、鮮烈な音。
フィリップス録音のコンセルトヘボウ管の、あの渋くくすんだ暖かい音色とはまた違って、鮮やかな色彩感が味わえます。
名録音と云えるでしょう。
昨日までの暖かさとうって変わって、寒い一日でした。
ただ、いつもの四国の冬の寒さ・・・・です。
こちらが寒さに慣れたのか、猛烈な寒気が弱くなったのか、ようやく「四国の冬」になったなという感じです。
こんな雨の日にはラフマニノフを聴きたい・・・・。
で、取り出したのは、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30。
ピアノはヴラディーミル・アシュケナージ、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。1985年8月、コンセルトヘボウでの録音。DECCA原盤。
アシュケナージにとっては4度目の録音になるという。よほど好きなのだろう。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・タント。オケの序奏のすぐあとにピアノが憂愁の主題を奏でる。今日のように、冬のどんよりと曇った空を思わせる、愁いを含んだような(少し涙ぐんだような)音楽。アシュケナージのピアノがとても綺麗。いつもの、アシュケナージ独特のクリスタルでやや冷たく輝く音色が、素晴らしい。タッチはやや軽め。ズシンと重厚に響く、いかにもロシア風の演奏もあるのだが、アシュケナージのは繊細で爽やかな音色。
ラフマニノフはロシア人だが、活躍したのはアメリカ。この3番協奏曲も、調べてみると「自分を評価してくれたアメリカのために」作曲したという。
暗く重く、腹にこたえるようなピアノより、アシュケナージの輝く音色で聴くのがイイように思うのだが、さて・・・・。
第2楽章は間奏曲。ピアノがもの悲しい主題を歌って、変奏曲のように表情を変えてゆく。抒情的な部分では、アシュケナージのデリケートな音色が特に似合う。
バックも好演。
管楽器の音色がもの悲しい。オーボエやホルンのソロが、何と寂しく感傷的に響くことか。それにかぶってくるチェロの深々とした音色や、その上を優しくなぞるヴァイオリンの艶やかな音色も素晴らしい。さすがはハイティンクと言いたい。
第3楽章フィナーレはアラ・ブレーヴェ。第2楽章の終わりから半休止で行進曲風の音楽がグイッと入ってくる。
アシュケナージのピアニズムはますます好調で、オケと豪快に対峙して、全くひけを取らない立派さ。テクニックのことはよく分からないが、これだけ指が回るのだから(しかも一つひとつの音が粒立っているのだから)、最高レベルの技術なのだろうと思う。
音色も透明度が高く瑞々しいし、高音は輝くばかりに鮮やか。聴いていてクラクラするようなピアノ。
この辺り、全くアシュケナージならではの演奏ぶり。
さらに、オケの優秀さ!
ハイティンク率いるコンセルトヘボウ管が、実に暖かく、堅実に、美しさの限りにアシュケナージを支えている。
録音も優秀。DECCAらしい、鮮烈な音。
フィリップス録音のコンセルトヘボウ管の、あの渋くくすんだ暖かい音色とはまた違って、鮮やかな色彩感が味わえます。
名録音と云えるでしょう。
2006/01/16のBlog
[ 06:30 ]
[ 交響曲 ]
今日は大曲であります。
マーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」。
ガリー・ベルティーニの指揮、ケルン放送交響楽団の演奏。1990年2月、ケルンでのライヴ録音。
先日訪れた御茶ノ水のディスクユニオンでは、ベルティーニによる5番までのマーラー選集がゴロゴロ売り出されていた。5枚組で3500円といったところ。
考えることはみんな同じか。きっと、我慢できずに買ってしまったんだろうなぁと思いつつ。ボクも同様であります。
とうとう買ってしまいました。ベルティーニのマーラー全集。HMVの通販でポイント使うと6000円なので・・・・・。
職場の同僚が急かすんです。「オマエ、早く買って、5番までのをワシに回せや。ダブリ買い、構わんがな。ワシがもらってやるんじゃけん、エエ供養になるよ」
そうやなぁ・・・先日コイツにCDもろたばかりやしなぁ・・・・・じゃ、買おうか。
・・・・なんて、理由などどうでもエエんです。どうせ買うんだから。
で、買って正解(^^)v。音が素晴らしく良くなってます。楽器は左右一杯に広がって、ステージの奥までクリアに聞こえます。もともとEMIにしては好録音だったんですが、リマスタリングが良いのか、音がさらに鮮やかに艶っぽくなってます。
そう。ベルティーニはボクにとっては耽美的指揮者。これほど、美しいマーラーを聴かせてくれる指揮者はそうはいない。(といって、マーラーの「毒」が無いというわけではない。ただ、ベルティーニにかかると、その「毒」さえも美しく聴かされてしまうような感じがする)。
そういうベルティーニの芸術を、この録音の良さは十分に伝えていると思う。
演奏は隅々まで血が通い、神経が行き届いた、まさに美しさの限りと云えるもの。
第1楽章冒頭のテナー・ホルンの甘い響きが素晴らしい。それに絡んでくる木管群のエロティックな響き。アンサンブルの揃い方も半端じゃない。これだけ揃わないと美しく聞こえないぞと言わんばかり。
第2楽章。木管群が闇に蠢く妖しい鳥になって「夜の歌」を囀る。打楽器の音色さえ美しく、しかも妖しい。
この楽章は、様々な楽器がソロのように次々に現れてくるのだが、その響き・音色が、実に練れたものになっている。ついつい耳をそばだてて聴いてしまう。万華鏡のように変わる楽想、そしてそれぞれの楽器特有の響き・・・・これぞマーラーだよなと思いつつ、これをオケから十分に引き出すベルティーニの凄さ。さすがだ。
第3楽章スケルツォは、2つの「夜曲」に挟まれたコワイ楽章。妖怪が跋扈するような音楽だが、ベルティーニの指揮は克明。細かなところまできっちりと演奏させている。ファゴットやクラリネットなど、目立たないところできちんと吹いているし、チェロやコンバスが、ずっとモゾモゾ弾いているのがまた妖しく美しい。
第4楽章の「夜曲」。たっぷりと妖艶に微笑むヴァイオリンの音色、ホルンの遠くで甘く秘かに吹く音色、マンドリンのひそひそ話の音色・・・素晴らしい録音もあって、実にその音がこちらの耳によく届く。ベルティーニが意識的にそう弾かせてるんだろうなぁ・・・・・。最後までスッキリとクリアな響きだ。
終楽章は、これ、いつ聴いても違和感がある。こちらが「夜の歌」と構えているせいかもしれないが、どう見たって(聴いたって)旭日昇天の音楽。ちっとも暗くない、太陽が煌々と輝く音楽。もう割り切って聴いているが、マーラーに慣れるまではこの違和感がたまらなくイヤでありましたな。でも、この終楽章こそ分裂症気味のマーラーそのもの。
ベルティーニ/ケルン放送響は、この巨大で妙ちくりんな終楽章を、前楽章までと同様、克明に、しかも美音でもって演奏してゆく。
まさに充実の79分。
ああ、この全集でまたマーラーが楽しめそうです。
マーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」。
ガリー・ベルティーニの指揮、ケルン放送交響楽団の演奏。1990年2月、ケルンでのライヴ録音。
先日訪れた御茶ノ水のディスクユニオンでは、ベルティーニによる5番までのマーラー選集がゴロゴロ売り出されていた。5枚組で3500円といったところ。
考えることはみんな同じか。きっと、我慢できずに買ってしまったんだろうなぁと思いつつ。ボクも同様であります。
とうとう買ってしまいました。ベルティーニのマーラー全集。HMVの通販でポイント使うと6000円なので・・・・・。
職場の同僚が急かすんです。「オマエ、早く買って、5番までのをワシに回せや。ダブリ買い、構わんがな。ワシがもらってやるんじゃけん、エエ供養になるよ」
そうやなぁ・・・先日コイツにCDもろたばかりやしなぁ・・・・・じゃ、買おうか。
・・・・なんて、理由などどうでもエエんです。どうせ買うんだから。
で、買って正解(^^)v。音が素晴らしく良くなってます。楽器は左右一杯に広がって、ステージの奥までクリアに聞こえます。もともとEMIにしては好録音だったんですが、リマスタリングが良いのか、音がさらに鮮やかに艶っぽくなってます。
そう。ベルティーニはボクにとっては耽美的指揮者。これほど、美しいマーラーを聴かせてくれる指揮者はそうはいない。(といって、マーラーの「毒」が無いというわけではない。ただ、ベルティーニにかかると、その「毒」さえも美しく聴かされてしまうような感じがする)。
そういうベルティーニの芸術を、この録音の良さは十分に伝えていると思う。
演奏は隅々まで血が通い、神経が行き届いた、まさに美しさの限りと云えるもの。
第1楽章冒頭のテナー・ホルンの甘い響きが素晴らしい。それに絡んでくる木管群のエロティックな響き。アンサンブルの揃い方も半端じゃない。これだけ揃わないと美しく聞こえないぞと言わんばかり。
第2楽章。木管群が闇に蠢く妖しい鳥になって「夜の歌」を囀る。打楽器の音色さえ美しく、しかも妖しい。
この楽章は、様々な楽器がソロのように次々に現れてくるのだが、その響き・音色が、実に練れたものになっている。ついつい耳をそばだてて聴いてしまう。万華鏡のように変わる楽想、そしてそれぞれの楽器特有の響き・・・・これぞマーラーだよなと思いつつ、これをオケから十分に引き出すベルティーニの凄さ。さすがだ。
第3楽章スケルツォは、2つの「夜曲」に挟まれたコワイ楽章。妖怪が跋扈するような音楽だが、ベルティーニの指揮は克明。細かなところまできっちりと演奏させている。ファゴットやクラリネットなど、目立たないところできちんと吹いているし、チェロやコンバスが、ずっとモゾモゾ弾いているのがまた妖しく美しい。
第4楽章の「夜曲」。たっぷりと妖艶に微笑むヴァイオリンの音色、ホルンの遠くで甘く秘かに吹く音色、マンドリンのひそひそ話の音色・・・素晴らしい録音もあって、実にその音がこちらの耳によく届く。ベルティーニが意識的にそう弾かせてるんだろうなぁ・・・・・。最後までスッキリとクリアな響きだ。
終楽章は、これ、いつ聴いても違和感がある。こちらが「夜の歌」と構えているせいかもしれないが、どう見たって(聴いたって)旭日昇天の音楽。ちっとも暗くない、太陽が煌々と輝く音楽。もう割り切って聴いているが、マーラーに慣れるまではこの違和感がたまらなくイヤでありましたな。でも、この終楽章こそ分裂症気味のマーラーそのもの。
ベルティーニ/ケルン放送響は、この巨大で妙ちくりんな終楽章を、前楽章までと同様、克明に、しかも美音でもって演奏してゆく。
まさに充実の79分。
ああ、この全集でまたマーラーが楽しめそうです。
2006/01/15のBlog
[ 05:13 ]
[ 管弦楽曲 ]
息子のパソコンのHDが一杯になってしまい(12Gだと、今はすぐに一杯になるなぁ・・・)、40GのHDと換装したのはエエんですが、環境移行が上手くいかずに結局「更地」にして、OSからセットアップ・・・・いやはや大変だった・・・・・・。
でも本音は楽しかった・・・・・(^^ゞ。久しぶりのクリーン・インストールだったので、気持ちよかったですなぁ。
息子のパソコン、マザーはASUSのP2Bという440BX系の懐かしい物で、今や勤続7年。この間、CPUだのメモリだの種々のボードだの、いろいろ加えてもまだまだ現役でがんばれそう。偉いもんです。
こんなことをしている間に、のんびりと聴いたのはラヴェルであります。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーの演奏。
1985年12月から翌年2月にかけて、ベルリンのフィルハーモニーでのの録音。カップリングはドビュッシーの「海」や「牧神」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲など。いわゆるフランス管弦楽曲集のDG盤。
ラヴェルの管弦楽作品としては比較的小さな曲。
fl2、ob1、cl2、fg2、hrn2、hp1、そして弦5部の簡素なオーケストラ編制。
さて、この演奏、冒頭からホルンの響きが深々として心地よい。
2本のホルンが絡む味わいは絶妙で、カラヤンの耽美的な個性を味わえるし、それを具現するBPOの技量もスゴイ。ピチカートで品良く支える低弦の奥ゆかしさ。ハープの、これも上品さ。たまらん。
カラヤンの採るテンポはかなり遅い。精妙に、情感豊かに描こうとする。この遅さが、実は心地よい。涙を誘うようなテンポ。執拗に絡んでくるレガート。
カラヤン嫌いは、こういうところが好かんのだろうなと、思う。
ボクは好き。「亡き王女のためのパヴァーヌ」だもの、そういう感情で聴きたい。
もちろん、ラヴェル自身は、死んだ人を送るとか、そんな意味は別になく作曲したピアノ曲なわけで、あまりの思い入れは禁物なのだろうが・・・。
でも、この3つの主題の旋律の美しさは格別だろう。
第2主題のオーボエは甘く哀愁漂う響き。綺麗なメロディ。
歌わせたら抜群のこの楽器を、ここに持ってくるラヴェルのオーケストレーションはスゴイ。そして、その抒情的旋律を衒いもなくポンと聴き手に示すカラヤンもまた巧い。
ファゴットがオーボエにまとわりついてくる、その響きはエロティックでさえある。
第3主題のフルートの響きが痛切。それに重なる弦の厚みも上品で、全く美しい。漸強漸弱の間合いがまた素晴らしく息を呑むような美麗さ。もう少し弦が軽くてもイイかなと思うが、これもまたBPOの音色だからなぁ(無い物ねだりをしちゃイカンな・・(^^ゞ)。
終曲に向かうと、その弦が軽みを帯びてくる。それにかすかに重なるハープがまたデリケート。囁くように重なってくる。
そして管弦楽が最後にスーッと消えてゆく、その美しさ。
こういう演奏を聴くと、カラヤンはやはりすごい指揮者だったなぁと思います。
ほんの7分の小品。
でも、カラヤンで聴くと、かけがえのない作品に思えてきますな。
でも本音は楽しかった・・・・・(^^ゞ。久しぶりのクリーン・インストールだったので、気持ちよかったですなぁ。
息子のパソコン、マザーはASUSのP2Bという440BX系の懐かしい物で、今や勤続7年。この間、CPUだのメモリだの種々のボードだの、いろいろ加えてもまだまだ現役でがんばれそう。偉いもんです。
こんなことをしている間に、のんびりと聴いたのはラヴェルであります。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーの演奏。
1985年12月から翌年2月にかけて、ベルリンのフィルハーモニーでのの録音。カップリングはドビュッシーの「海」や「牧神」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲など。いわゆるフランス管弦楽曲集のDG盤。
ラヴェルの管弦楽作品としては比較的小さな曲。
fl2、ob1、cl2、fg2、hrn2、hp1、そして弦5部の簡素なオーケストラ編制。
さて、この演奏、冒頭からホルンの響きが深々として心地よい。
2本のホルンが絡む味わいは絶妙で、カラヤンの耽美的な個性を味わえるし、それを具現するBPOの技量もスゴイ。ピチカートで品良く支える低弦の奥ゆかしさ。ハープの、これも上品さ。たまらん。
カラヤンの採るテンポはかなり遅い。精妙に、情感豊かに描こうとする。この遅さが、実は心地よい。涙を誘うようなテンポ。執拗に絡んでくるレガート。
カラヤン嫌いは、こういうところが好かんのだろうなと、思う。
ボクは好き。「亡き王女のためのパヴァーヌ」だもの、そういう感情で聴きたい。
もちろん、ラヴェル自身は、死んだ人を送るとか、そんな意味は別になく作曲したピアノ曲なわけで、あまりの思い入れは禁物なのだろうが・・・。
でも、この3つの主題の旋律の美しさは格別だろう。
第2主題のオーボエは甘く哀愁漂う響き。綺麗なメロディ。
歌わせたら抜群のこの楽器を、ここに持ってくるラヴェルのオーケストレーションはスゴイ。そして、その抒情的旋律を衒いもなくポンと聴き手に示すカラヤンもまた巧い。
ファゴットがオーボエにまとわりついてくる、その響きはエロティックでさえある。
第3主題のフルートの響きが痛切。それに重なる弦の厚みも上品で、全く美しい。漸強漸弱の間合いがまた素晴らしく息を呑むような美麗さ。もう少し弦が軽くてもイイかなと思うが、これもまたBPOの音色だからなぁ(無い物ねだりをしちゃイカンな・・(^^ゞ)。
終曲に向かうと、その弦が軽みを帯びてくる。それにかすかに重なるハープがまたデリケート。囁くように重なってくる。
そして管弦楽が最後にスーッと消えてゆく、その美しさ。
こういう演奏を聴くと、カラヤンはやはりすごい指揮者だったなぁと思います。
ほんの7分の小品。
でも、カラヤンで聴くと、かけがえのない作品に思えてきますな。
2006/01/14のBlog
[ 06:01 ]
[ 交響曲 ]
やや気温が上昇して、久しぶりの雨です。
寒波が緩んでの雨なので、春の雨のよう・・・・・まだ少し早いかな。
職場の梅の花のつぼみ、開花にはもう少し時間がかかりそうです。
今日は大曲。
ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調。拙ブログで取り上げるのは初めてです。
セルジウ・チェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏。1981年11月26日の実演をライヴ録音。DGによる8枚組からの1枚。スコアはハース版らしい。
1980年代初頭のライヴなので音質はこんなものかな。もう少し個々の楽器の鮮度が欲しいなと思うし、ステージの奥行きがやや不足している感もある。でも、全体的なバランスは上々と思う。
演奏は、もう巨大雄大圧倒的であって、そのスケール感は曰く言いがたい。しかも、細部の仕上げも実に繊細、神経が行き届いていて、この長大な交響曲を飽きさせずに聴かせてくれる。
ブルックナーの交響曲第5番は、とにかく長いので時々ウンザリしてしまう。第3楽章あたりで疲れ切ってしまうこともままある・・・・(ブルックナーの交響曲は、他の曲でも、スケルツォで退屈してしまうことが多い(^^ゞ・・・)
だが、チェリビダッケの演奏で聴くと、最後まで、「おぉ?」と耳をそばだてる部分も多いし、フレージングがゆったりしているので、ソファに沈み込んで、巨大な音楽の大河に身を浸せたままでいられる。これぞ、巨匠の芸というべきか。
長大なブルックナーは、長大だからこそ良いのだと巨匠に言われているみたい。
第1楽章からして、ゆったりと大変遅い。先が思いやられるほどの遅さだが、スケールの大きさは比類がない。
オケも好演。金管は「もう少しファイト!」という感じだが、全体的にはよく頑張っている。この城塞のような交響曲、その大伽藍を堂々と演奏している。特に弦の音色が渋く、動きもデリケートで好感が持てる。全体に見通しが良く、響きに透明感があるのは心地よいものだ。
絶品は第2楽章。このアダージョに23分もかけてゆく。ひっそりと、城塞の外の荒涼たる風景を歌っているような演奏と思いきや、だんだん内面的になって、作曲者の心象を表現し始めるような・・・・・そんな演奏。フレージングがゆったりとしてホンマに気持ちエエなぁ。
中盤以降の弦のトゥッティの見事なこと。もう美しさの限り。チェリビダッケは練習がキツイというが、このあたり何度もさらったんだろうなぁと思わせられる。この弦楽合奏の美麗さは、ちょっと他の演奏では聴けないんじゃないか?
第3楽章はちょっと持て余し気味(持て余しているのはボクです(^^ゞ)
そして終楽章。この第5は、ベートーヴェンの第9のようなフィナーレ交響曲。
全く見事な終楽章。コラールとフーガと、壮大な二重フーガをチェリビダッケは最大級のスケールで演奏させる。オケの響きは最後まで清澄、殆ど混濁しないのは立派。よく練習したんだろうなぁ・・・・。
もう一度、第2楽章のアダージョを聴き直したくらい。
この演奏は、もう少し録音が良ければ・・・・無い物ねだりでありますな。
チェリビダッケ、その有名さだけボクの中では先行していた指揮者でありますが、こうしてじっくり聴いてみると、やはり端倪すべからざる人です。
寒波が緩んでの雨なので、春の雨のよう・・・・・まだ少し早いかな。
職場の梅の花のつぼみ、開花にはもう少し時間がかかりそうです。
今日は大曲。
ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調。拙ブログで取り上げるのは初めてです。
セルジウ・チェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏。1981年11月26日の実演をライヴ録音。DGによる8枚組からの1枚。スコアはハース版らしい。
1980年代初頭のライヴなので音質はこんなものかな。もう少し個々の楽器の鮮度が欲しいなと思うし、ステージの奥行きがやや不足している感もある。でも、全体的なバランスは上々と思う。
演奏は、もう巨大雄大圧倒的であって、そのスケール感は曰く言いがたい。しかも、細部の仕上げも実に繊細、神経が行き届いていて、この長大な交響曲を飽きさせずに聴かせてくれる。
ブルックナーの交響曲第5番は、とにかく長いので時々ウンザリしてしまう。第3楽章あたりで疲れ切ってしまうこともままある・・・・(ブルックナーの交響曲は、他の曲でも、スケルツォで退屈してしまうことが多い(^^ゞ・・・)
だが、チェリビダッケの演奏で聴くと、最後まで、「おぉ?」と耳をそばだてる部分も多いし、フレージングがゆったりしているので、ソファに沈み込んで、巨大な音楽の大河に身を浸せたままでいられる。これぞ、巨匠の芸というべきか。
長大なブルックナーは、長大だからこそ良いのだと巨匠に言われているみたい。
第1楽章からして、ゆったりと大変遅い。先が思いやられるほどの遅さだが、スケールの大きさは比類がない。
オケも好演。金管は「もう少しファイト!」という感じだが、全体的にはよく頑張っている。この城塞のような交響曲、その大伽藍を堂々と演奏している。特に弦の音色が渋く、動きもデリケートで好感が持てる。全体に見通しが良く、響きに透明感があるのは心地よいものだ。
絶品は第2楽章。このアダージョに23分もかけてゆく。ひっそりと、城塞の外の荒涼たる風景を歌っているような演奏と思いきや、だんだん内面的になって、作曲者の心象を表現し始めるような・・・・・そんな演奏。フレージングがゆったりとしてホンマに気持ちエエなぁ。
中盤以降の弦のトゥッティの見事なこと。もう美しさの限り。チェリビダッケは練習がキツイというが、このあたり何度もさらったんだろうなぁと思わせられる。この弦楽合奏の美麗さは、ちょっと他の演奏では聴けないんじゃないか?
第3楽章はちょっと持て余し気味(持て余しているのはボクです(^^ゞ)
そして終楽章。この第5は、ベートーヴェンの第9のようなフィナーレ交響曲。
全く見事な終楽章。コラールとフーガと、壮大な二重フーガをチェリビダッケは最大級のスケールで演奏させる。オケの響きは最後まで清澄、殆ど混濁しないのは立派。よく練習したんだろうなぁ・・・・。
もう一度、第2楽章のアダージョを聴き直したくらい。
この演奏は、もう少し録音が良ければ・・・・無い物ねだりでありますな。
チェリビダッケ、その有名さだけボクの中では先行していた指揮者でありますが、こうしてじっくり聴いてみると、やはり端倪すべからざる人です。
2006/01/13のBlog
[ 05:38 ]
[ 管弦楽曲 ]
暖かい冬の日でした。
四国の冬はこんな日が多いんです。ポカポカとした日中は、つい居眠りをしてしまうような・・・・・。今年の寒波はキツイので、このホンワカしか日は、懐かしい感じがしますな。
さて、ほのぼのとした日にふさわしく・・・・今日はモーツァルトのセレナードを。
第10番変ロ長調K.361(370a)「グラン・パルティータ」。
ニコラウス・アーノンクールの指揮、演奏はウィーン・モーツァルト管弦合奏団 。1983年9月、テルデック・スタジオでの録音。原盤はTELDEC。
「グラン・パルティータ」は「13管楽器のためのセレナード」が本来の言い方なのだが、アーノンクール盤は12人の管楽器とコントラバスによる演奏。
ふだんコントラバスを含む演奏はあまり聴いたことがないので響きが新鮮。右スピーカーの手前でコントラバス奏者がモゾモゾと(こう書いては可哀想なのだが、確かにモゾッとした感じで)弾いているのが分かる。
第1楽章、冒頭はラルゴ。テンポはやや速めかなと思うが、いたって「ふつう」の始まり方。というのは指揮がアーノンクールだから。「何か、やらかしてくれるのでは」と期待して聴き始めたので、見事な空振り。堂々とした古典音楽の開始になっている。
途中からモルト・アレグロに速まるのだが、響きは典雅で穏やか。実にウィーン・スタイルで美しい。華やかさもある。
第2楽章のメヌエットも同様。合奏はさすがに巧い。部屋中に幸福なモーツァルトが流れてゆく・・・・。
と思っていたら第3楽章からは、アーノンクールらしさがビンビン出てくる。
速い、速い。とにかく速い。これアダージョだぞ?ええ?・・・・と云っているうちにサッサと流れていってしまう。
このアダージョは、大ヒットした映画「アマデウス」で、サリエリに「神の声」と賞賛させた音楽。観ていてゾクッとするほど映画でのこの楽章の使用は見事だった・・・・。
だから、情緒たっぷりにやってくれる演奏が好きなのだが、アーノンクールはそんなこと気にもとめない(映画制作前の録音だから当たり前なのだが)。スカッと爽快に仕上げてしまう。思い入れなど、一切なし。音楽の美しさだけ。
第4楽章のメヌエットもアーノンクール風。ホルンの音を割った演奏など、「グラン・パルティータ」ではあまり聴いたことがなかった。音楽は一気に溌剌で新鮮な感じに舞い上がる。第2楽章までの雅やかな演奏が嘘のよう。若者、青春の音楽になっているし、野心的な響きさえ漂ってくる。
そういえば、この作品はモーツァルトがウィーンに定住してからの第1作だったか?・・・・・若々しさと同時に、モーツァルトの野心が見えてくるのは当然か。
第5楽章の ロマンツェでは典雅がまた戻ってくる。アーノンクールは百面相か。
面白いのは第6楽章の変奏曲。野卑な響きあり、穏やかでマイルドな響きあり、抒情的な旋律を歌うところもあれば、コロコロと春の野を転がるような快感がつたわってくるところもある。一気にフィナーレまで聴けてしまう。
録音良好、大音量でも崩れない見事なもの。
それにしてもアーノンクールは変幻自在。面白い指揮者やなぁ。
(でも今や風格十分の大指揮者なんですよねぇ・・・・)
四国の冬はこんな日が多いんです。ポカポカとした日中は、つい居眠りをしてしまうような・・・・・。今年の寒波はキツイので、このホンワカしか日は、懐かしい感じがしますな。
さて、ほのぼのとした日にふさわしく・・・・今日はモーツァルトのセレナードを。
第10番変ロ長調K.361(370a)「グラン・パルティータ」。
ニコラウス・アーノンクールの指揮、演奏はウィーン・モーツァルト管弦合奏団 。1983年9月、テルデック・スタジオでの録音。原盤はTELDEC。
「グラン・パルティータ」は「13管楽器のためのセレナード」が本来の言い方なのだが、アーノンクール盤は12人の管楽器とコントラバスによる演奏。
ふだんコントラバスを含む演奏はあまり聴いたことがないので響きが新鮮。右スピーカーの手前でコントラバス奏者がモゾモゾと(こう書いては可哀想なのだが、確かにモゾッとした感じで)弾いているのが分かる。
第1楽章、冒頭はラルゴ。テンポはやや速めかなと思うが、いたって「ふつう」の始まり方。というのは指揮がアーノンクールだから。「何か、やらかしてくれるのでは」と期待して聴き始めたので、見事な空振り。堂々とした古典音楽の開始になっている。
途中からモルト・アレグロに速まるのだが、響きは典雅で穏やか。実にウィーン・スタイルで美しい。華やかさもある。
第2楽章のメヌエットも同様。合奏はさすがに巧い。部屋中に幸福なモーツァルトが流れてゆく・・・・。
と思っていたら第3楽章からは、アーノンクールらしさがビンビン出てくる。
速い、速い。とにかく速い。これアダージョだぞ?ええ?・・・・と云っているうちにサッサと流れていってしまう。
このアダージョは、大ヒットした映画「アマデウス」で、サリエリに「神の声」と賞賛させた音楽。観ていてゾクッとするほど映画でのこの楽章の使用は見事だった・・・・。
だから、情緒たっぷりにやってくれる演奏が好きなのだが、アーノンクールはそんなこと気にもとめない(映画制作前の録音だから当たり前なのだが)。スカッと爽快に仕上げてしまう。思い入れなど、一切なし。音楽の美しさだけ。
第4楽章のメヌエットもアーノンクール風。ホルンの音を割った演奏など、「グラン・パルティータ」ではあまり聴いたことがなかった。音楽は一気に溌剌で新鮮な感じに舞い上がる。第2楽章までの雅やかな演奏が嘘のよう。若者、青春の音楽になっているし、野心的な響きさえ漂ってくる。
そういえば、この作品はモーツァルトがウィーンに定住してからの第1作だったか?・・・・・若々しさと同時に、モーツァルトの野心が見えてくるのは当然か。
第5楽章の ロマンツェでは典雅がまた戻ってくる。アーノンクールは百面相か。
面白いのは第6楽章の変奏曲。野卑な響きあり、穏やかでマイルドな響きあり、抒情的な旋律を歌うところもあれば、コロコロと春の野を転がるような快感がつたわってくるところもある。一気にフィナーレまで聴けてしまう。
録音良好、大音量でも崩れない見事なもの。
それにしてもアーノンクールは変幻自在。面白い指揮者やなぁ。
(でも今や風格十分の大指揮者なんですよねぇ・・・・)