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2007/03/14のBlog
[ 04:34 ]
[ 管弦楽曲 ]
次男坊が大学でパソコンが必要ということで、ノートパソコンを久しぶりに買おうと思っております。で、Web上で探してみたら、今や時代はVistaなんですね。Officeは2007になってるし・・・・。OSもアプリもどんどん新しくして、一緒くたにして買わせて・・・う~ん・・・・またもMicrosoftを儲けさせることになるのかと思うと、ムカムカしてきますな・・・・。ありゃ、OSはHomeBasicばかりだが、それじゃ、「エアロ」が使えないやんか。
手持ちのXPに2003をセットアップできるノートパソコンでも探そうかなと思いますが、時代遅れでしょうかね?入学祝いに新しいのを買わないのも変やしなぁ・・・・・。
さて、今日はR・シュトラウスの管弦楽曲集。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏。
1989年2月、ドレスデンのルカ教会での録音。DENON原盤。
クレスト1000シリーズからの1枚。
一聴、その音のまろやかさに驚く。ほんのりと甘くまたほろ苦く、上質のチョコレートのようなまったり感。ああ、これぞ、ドレスデン・シュターツカペレの音。
いつ聴いても見事なアンサンブル、楽器の音の融け合い、味わい深い響き。
R・シュトラウスの管弦楽曲を聴くときの刺激音が全くと云っていいほど、ない。楽器のバランスや音量がちょうど良いのだろうが、ルカ教会の音響、楽器のブレンドも素晴らしいのだろうと思う。何とも云えない良い音で、耳をつんざくような金属音が皆無なのがスゴイ。
派手ではないし、聞こえよがしのところもない。それこそ、飾り気のない質朴な音なのだが、聴けば聴くほど、自然な感じで、肌に馴染んでくる音。
そして、初めに書いたように、甘かったりほろ苦かったり、実に味わい多彩の音。
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」では、ホルンの見事な音が聴ける。力強く朗々と、しかも深々とした包容力のある音が素晴らしい。男性的な逞しさもある。ペーター・ダムのホルンだろう。
これに絡んでくるオーボエやフルートの可愛らしさも良い。ティンパニの堅実で多彩な音もイイ。弦楽セクションの柔らかくほの暗い響きも、この曲に落ち着いたドイツの伝統の重みを加えている。
ブロムシュテットの設計・演出もあざとくないもので、見通しの良い見事なもの。その棒に敏感に反応するドレスデン・シュターツカペレの素晴らしさは、今さら云うまでもない。
「メタモルフォーゼン」の哀しみは痛切。爆撃を受けたドレスデンへの作曲者想いを、奏者も共有しているような演奏。R・シュトラウスの書いた23声部の対位法も見事だし、美しくも儚い祈りのオマージュになっている。弦楽セクションの落ち着いた音、見事なホールトーン。
同様のことが「死と変容」でも云える。全く、美しさの極み。その美しさに、ちっともイヤミがなく、こうとしか表現しようがないといった迫力、切羽詰まった緊張感も感じられるのがイイ。誠実で、真摯な演奏というのは、いつ聴いても心地よいものだと思う。
録音は今も最高レベル。
ブロムシュテットがドレスデン・シュターツカペレと録音したDENON盤は、すべてが優秀録音と云って良いと思う。
我が家では相性抜群に良し。
最高の席で、SKDの音を鑑賞できる贅沢・・・・。
いつも書いておりますが、この名演奏が1050円(税込み)で買えてしまう幸福。有り難い時代です。
手持ちのXPに2003をセットアップできるノートパソコンでも探そうかなと思いますが、時代遅れでしょうかね?入学祝いに新しいのを買わないのも変やしなぁ・・・・・。
さて、今日はR・シュトラウスの管弦楽曲集。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏。
1989年2月、ドレスデンのルカ教会での録音。DENON原盤。
クレスト1000シリーズからの1枚。
一聴、その音のまろやかさに驚く。ほんのりと甘くまたほろ苦く、上質のチョコレートのようなまったり感。ああ、これぞ、ドレスデン・シュターツカペレの音。
いつ聴いても見事なアンサンブル、楽器の音の融け合い、味わい深い響き。
R・シュトラウスの管弦楽曲を聴くときの刺激音が全くと云っていいほど、ない。楽器のバランスや音量がちょうど良いのだろうが、ルカ教会の音響、楽器のブレンドも素晴らしいのだろうと思う。何とも云えない良い音で、耳をつんざくような金属音が皆無なのがスゴイ。
派手ではないし、聞こえよがしのところもない。それこそ、飾り気のない質朴な音なのだが、聴けば聴くほど、自然な感じで、肌に馴染んでくる音。
そして、初めに書いたように、甘かったりほろ苦かったり、実に味わい多彩の音。
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」では、ホルンの見事な音が聴ける。力強く朗々と、しかも深々とした包容力のある音が素晴らしい。男性的な逞しさもある。ペーター・ダムのホルンだろう。
これに絡んでくるオーボエやフルートの可愛らしさも良い。ティンパニの堅実で多彩な音もイイ。弦楽セクションの柔らかくほの暗い響きも、この曲に落ち着いたドイツの伝統の重みを加えている。
ブロムシュテットの設計・演出もあざとくないもので、見通しの良い見事なもの。その棒に敏感に反応するドレスデン・シュターツカペレの素晴らしさは、今さら云うまでもない。
「メタモルフォーゼン」の哀しみは痛切。爆撃を受けたドレスデンへの作曲者想いを、奏者も共有しているような演奏。R・シュトラウスの書いた23声部の対位法も見事だし、美しくも儚い祈りのオマージュになっている。弦楽セクションの落ち着いた音、見事なホールトーン。
同様のことが「死と変容」でも云える。全く、美しさの極み。その美しさに、ちっともイヤミがなく、こうとしか表現しようがないといった迫力、切羽詰まった緊張感も感じられるのがイイ。誠実で、真摯な演奏というのは、いつ聴いても心地よいものだと思う。
録音は今も最高レベル。
ブロムシュテットがドレスデン・シュターツカペレと録音したDENON盤は、すべてが優秀録音と云って良いと思う。
我が家では相性抜群に良し。
最高の席で、SKDの音を鑑賞できる贅沢・・・・。
いつも書いておりますが、この名演奏が1050円(税込み)で買えてしまう幸福。有り難い時代です。
2007/03/13のBlog
[ 03:33 ]
[ 交響曲 ]
今日は通俗名曲の決定盤であります。
ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」。
この曲ほど、楽しく美しく、時にホロリとさせられ、最後には気分が昂奮、高揚する音楽はあまりないんじゃないかと思います。
第2楽章は小学校の下校の音楽、第4楽章はテレビのコマーシャルだったぞ・・・・クラシック音楽には無縁の、片田舎の貧乏な家庭に育った子供でも、ガキの頃から親しんでいる交響曲でもありました。
このブログでは、9回目のエントリーでもあります。
今日の演奏は・・・・。
イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏。
2000年2~3月、ブダペストでの録音。フィリップス盤。
第1楽章の序奏部が過ぎると、グングン加速してゆく。フォルティシモが劇的で、ダイナミズムが大きい。強弱をハッキリつけたメリハリのある演奏。ティンパニの最強打も凄まじい。
フィッシャーのテンポは速め。一気呵成に突っ走ってゆく感じ。しかし、その中に込められた想いがヒシヒシと伝わってくる浪漫的な演奏。血潮が滾る、情熱が迸る。
金管は逞しく鳴り渡り、弦楽セクションはひときわ美しいアンサンブル。輝かしいばかりでなく、よく揃ってしなやかな響きをつくり出している。
第2楽章は、イングリッシュ・ホルンの名旋律が、たっぷりと歌われて大変に美しい。録音がよいので、ソロがクッキリと左右スピーカーの中央に定位する。これはイイ。
その後の弦楽の静謐な歌わせ方も極上の美。懐かしく、センチメンタルな音楽だが、フィッシャーは情緒的に流されすぎず、その寸前で止めて構成感を前面に出してゆく。
これは交響曲であって、ソナタ形式の音楽なのだと云わんばかりに。
第3楽章は生き生きと弾むリズムが聴きもの。フィッシャーの指揮はボヘミアを意識したものだと思うが、特に中間部での舞曲の扱いは巧い。迫力も十分で、ブダペスト祝祭管も気持ちよく演奏しているのが分かる。自分たちの郷土の音楽であり、フレージングはとても自然で心地よい。
そして圧倒的な終楽章。
ダイナミクスが広く、楽器の鳴りっぷりも良い。ブダペスト祝祭管はフィッシャーが主宰する団体だと思うが、技術的には高いレベルにあると思う。腕っこきが揃っているんじゃなかろうか。
素晴らしいオーケストラ音楽。堂々たる終曲。
録音がまたよろしい。
フィリップスの最新録音であって、空気感が自然で、心地よい。
コンサートホールの最上席で聴いているような錯覚に陥る。
極上録音とはこういうのを云うんでしょうか。
音の輝き、音場の広さ、個々の楽器の美しさも十全に捉えきった名録音であります。
★「新世界交響曲」過去のエントリーであります★
ケルテス/ウィーン・フィル盤
バーンスタイン/NYP盤
ノイマン/チェコ・フィル盤
ジュリーニ/シカゴ響盤
フリッチャイ/ベルリン・フィル盤
ドホナーニ/クリーヴランド管盤
ショルティ/シカゴ響盤
ジュリーニ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管盤
ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」。
この曲ほど、楽しく美しく、時にホロリとさせられ、最後には気分が昂奮、高揚する音楽はあまりないんじゃないかと思います。
第2楽章は小学校の下校の音楽、第4楽章はテレビのコマーシャルだったぞ・・・・クラシック音楽には無縁の、片田舎の貧乏な家庭に育った子供でも、ガキの頃から親しんでいる交響曲でもありました。
このブログでは、9回目のエントリーでもあります。
今日の演奏は・・・・。
イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏。
2000年2~3月、ブダペストでの録音。フィリップス盤。
第1楽章の序奏部が過ぎると、グングン加速してゆく。フォルティシモが劇的で、ダイナミズムが大きい。強弱をハッキリつけたメリハリのある演奏。ティンパニの最強打も凄まじい。
フィッシャーのテンポは速め。一気呵成に突っ走ってゆく感じ。しかし、その中に込められた想いがヒシヒシと伝わってくる浪漫的な演奏。血潮が滾る、情熱が迸る。
金管は逞しく鳴り渡り、弦楽セクションはひときわ美しいアンサンブル。輝かしいばかりでなく、よく揃ってしなやかな響きをつくり出している。
第2楽章は、イングリッシュ・ホルンの名旋律が、たっぷりと歌われて大変に美しい。録音がよいので、ソロがクッキリと左右スピーカーの中央に定位する。これはイイ。
その後の弦楽の静謐な歌わせ方も極上の美。懐かしく、センチメンタルな音楽だが、フィッシャーは情緒的に流されすぎず、その寸前で止めて構成感を前面に出してゆく。
これは交響曲であって、ソナタ形式の音楽なのだと云わんばかりに。
第3楽章は生き生きと弾むリズムが聴きもの。フィッシャーの指揮はボヘミアを意識したものだと思うが、特に中間部での舞曲の扱いは巧い。迫力も十分で、ブダペスト祝祭管も気持ちよく演奏しているのが分かる。自分たちの郷土の音楽であり、フレージングはとても自然で心地よい。
そして圧倒的な終楽章。
ダイナミクスが広く、楽器の鳴りっぷりも良い。ブダペスト祝祭管はフィッシャーが主宰する団体だと思うが、技術的には高いレベルにあると思う。腕っこきが揃っているんじゃなかろうか。
素晴らしいオーケストラ音楽。堂々たる終曲。
録音がまたよろしい。
フィリップスの最新録音であって、空気感が自然で、心地よい。
コンサートホールの最上席で聴いているような錯覚に陥る。
極上録音とはこういうのを云うんでしょうか。
音の輝き、音場の広さ、個々の楽器の美しさも十全に捉えきった名録音であります。
★「新世界交響曲」過去のエントリーであります★
ケルテス/ウィーン・フィル盤
バーンスタイン/NYP盤
ノイマン/チェコ・フィル盤
ジュリーニ/シカゴ響盤
フリッチャイ/ベルリン・フィル盤
ドホナーニ/クリーヴランド管盤
ショルティ/シカゴ響盤
ジュリーニ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管盤
2007/03/12のBlog
[ 05:27 ]
[ 管弦楽曲 ]
春三月とはいえ、弥生の風は冷たかったですな。
日中の陽射しは春たけなわなんですが、風が強かった・・・。
今日はモーツァルトです。
ディヴェルティメント第17番 ニ長調 K.334。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏。
1987年4月、ベルリンでの録音。DG盤。
カラヤンは1960年代に同じDGにこの曲を録音しているので、再録音盤になる。
カラヤンは、モーツァルトと同じオーストリアのザルツブルクの生まれ。
だからモーツァルト指揮者かというと、そうでもない。オペラは4作しか録音していないし(ただし、録音したものは傾聴すべき演奏と思う)、交響曲も後期の名曲程度。あれほどのレパートリーを誇りながら、ピアノ協奏曲の伴奏録音も、殆どない。
でも、セレナードやディヴェルティメントは気に入っていたのか、このK.334を初め、難解も録音しているのが嬉しい。何しろ、カラヤンのモーツァルトはゴージャスで壮麗、豪華絢爛なものだから。
(だからカラヤンのモーツァルトはキライだ、と云う人も多いだろうけれど)
このK.334は、最も有名なディヴェルティメントの一つだと思うが、カラヤン/BPOで聴くと、ムード満点で、贅沢な雰囲気一杯。高級レストランで、上等なワインを飲みながらフルコースの料理を楽しんでいるような気持ちになってくる。
BPOの美しさは無類のもの。磨き上げられた美音と均質なアンサンブルで、極上の美しさ。
響きがやや厚ぼったいのと、リズムが少し重いのが特徴で、だからこそゴージャスな雰囲気が漂う。妖艶な美女が微笑みながら、モーツァルトの案内をしてくれているような感じ。もう少し軽快で爽やかな響きでもイイかな・・・とも思うが、そうなると、この妖しいまでの美しさは後退してしまうかもしれない。
聴きごたえがあるのは、やはり有名なメヌエット。
第2楽章の変奏曲では曲想の描き分けが見事だし、第4楽章のアダージョではまとわりつくようなストリングスが実にエロティック。
カラヤンのモーツァルトらしい、艶っぽいものであります。
録音は、デジタル録音のカラヤン共通の、響きの重さがあります。
やや詰まった感じ、高音のヌケがもう一つあればと思います。
残響は少し人工的な感じもしますが、デジタル時代に入っての1980年代のDGは、こういう音づくりだったように思います。
日中の陽射しは春たけなわなんですが、風が強かった・・・。
今日はモーツァルトです。
ディヴェルティメント第17番 ニ長調 K.334。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏。
1987年4月、ベルリンでの録音。DG盤。
カラヤンは1960年代に同じDGにこの曲を録音しているので、再録音盤になる。
カラヤンは、モーツァルトと同じオーストリアのザルツブルクの生まれ。
だからモーツァルト指揮者かというと、そうでもない。オペラは4作しか録音していないし(ただし、録音したものは傾聴すべき演奏と思う)、交響曲も後期の名曲程度。あれほどのレパートリーを誇りながら、ピアノ協奏曲の伴奏録音も、殆どない。
でも、セレナードやディヴェルティメントは気に入っていたのか、このK.334を初め、難解も録音しているのが嬉しい。何しろ、カラヤンのモーツァルトはゴージャスで壮麗、豪華絢爛なものだから。
(だからカラヤンのモーツァルトはキライだ、と云う人も多いだろうけれど)
このK.334は、最も有名なディヴェルティメントの一つだと思うが、カラヤン/BPOで聴くと、ムード満点で、贅沢な雰囲気一杯。高級レストランで、上等なワインを飲みながらフルコースの料理を楽しんでいるような気持ちになってくる。
BPOの美しさは無類のもの。磨き上げられた美音と均質なアンサンブルで、極上の美しさ。
響きがやや厚ぼったいのと、リズムが少し重いのが特徴で、だからこそゴージャスな雰囲気が漂う。妖艶な美女が微笑みながら、モーツァルトの案内をしてくれているような感じ。もう少し軽快で爽やかな響きでもイイかな・・・とも思うが、そうなると、この妖しいまでの美しさは後退してしまうかもしれない。
聴きごたえがあるのは、やはり有名なメヌエット。
第2楽章の変奏曲では曲想の描き分けが見事だし、第4楽章のアダージョではまとわりつくようなストリングスが実にエロティック。
カラヤンのモーツァルトらしい、艶っぽいものであります。
録音は、デジタル録音のカラヤン共通の、響きの重さがあります。
やや詰まった感じ、高音のヌケがもう一つあればと思います。
残響は少し人工的な感じもしますが、デジタル時代に入っての1980年代のDGは、こういう音づくりだったように思います。
2007/03/11のBlog
[ 05:02 ]
[ 協奏曲 ]
昨日のエントリーではコメントを沢山頂戴しました。ありがとうございました。
嬉しいものですね。
どうぞ、初めてお立ち寄りの方も、コメントをお残し下さい。
それにしても、さすが、セル/クリーヴランド管。今なお絶大な人気です。そりゃ、そうです。演奏はスゴイですもん。録音状態のことも、コメント・助言を頂きましたので、少し再生に気をつけてみたいと思います。
さて、今日はホルンの音色を楽しみます。
R・シュトラウスのホルン協奏曲第1番変ホ長調 作品11。
ペーター・ダムのホルン独奏、ルドルフ・ケンペ指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏。
1975年9月、ドレスデンのルカ教会での収録。EMI盤。
ケンペ/SKDによるR・シュトラウス管弦楽曲集BOXに収められている1枚。
第1楽章の冒頭から、勇壮な音が響き渡る。いかにもR・シュトラウス。やや虚仮威し的なところがある。そして、英雄的な開始・・・・と思ったらこの曲は変ホ長調。ああ、この調性は、「エロイカ」のものだった。
名手、ペーター・ダムのホルンの、甘く太く朗々たる響きに耳を奪われてしまう。何という美しさ。大人の風格で暖かく聴き手を包み込んでしまうホルン。
高速パッセージも難なく吹いてしまう技術の確かさ。そして、そのテクニックをひけらかすことなく、サラッと進んでしまう潔さ。オーケストラの中に見事に収まって、妙に突出しないのも、奥ゆかしい美学、品格を感じさせる。素晴らしいソロだと思う。
第2楽章はアンダンテ。ここでもホルンの響きは冴え冴えとして哀しいほどに美しい。
春の夜の月のような麗しさとでも云おうか。
オーケストラも美しい。管楽器も弦楽器も、シルクタッチで柔らかくホルンに絡んでくる。その絡む音色の微妙なニュアンスの変化が、またたまらない魅力でもある。ドレスデン・シュターツカペレの響きは、ホンマにいつも素晴らしい。
終楽章では快活なホルンを楽しめる。小回りのきく演奏で、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」に通じる軽快さ、明るさが面白い。
オケの響きは相変わらず美しく、特に楽器のバランスや融け合いがイイ。
ケンペの指揮は堅実そのもので、変な節回しがない分、格調の高さを感じさせてくれる。
録音は標準的。
ルカ教会の残響は素晴らしいんですが、音そのものは少し古びてきた感じもします。
融け合いは良いんですが、個々の楽器は少しくすんだ音になってます。
(そういう音に録音しているのかもしれませんが)
日曜の朝、伊予路は雨です。春の雨がやさしく降ってます。
今朝はジョギングはおやすみです。
何事も無理はしない、身の丈相応、分相応がよろしいようで。
嬉しいものですね。
どうぞ、初めてお立ち寄りの方も、コメントをお残し下さい。
それにしても、さすが、セル/クリーヴランド管。今なお絶大な人気です。そりゃ、そうです。演奏はスゴイですもん。録音状態のことも、コメント・助言を頂きましたので、少し再生に気をつけてみたいと思います。
さて、今日はホルンの音色を楽しみます。
R・シュトラウスのホルン協奏曲第1番変ホ長調 作品11。
ペーター・ダムのホルン独奏、ルドルフ・ケンペ指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏。
1975年9月、ドレスデンのルカ教会での収録。EMI盤。
ケンペ/SKDによるR・シュトラウス管弦楽曲集BOXに収められている1枚。
第1楽章の冒頭から、勇壮な音が響き渡る。いかにもR・シュトラウス。やや虚仮威し的なところがある。そして、英雄的な開始・・・・と思ったらこの曲は変ホ長調。ああ、この調性は、「エロイカ」のものだった。
名手、ペーター・ダムのホルンの、甘く太く朗々たる響きに耳を奪われてしまう。何という美しさ。大人の風格で暖かく聴き手を包み込んでしまうホルン。
高速パッセージも難なく吹いてしまう技術の確かさ。そして、そのテクニックをひけらかすことなく、サラッと進んでしまう潔さ。オーケストラの中に見事に収まって、妙に突出しないのも、奥ゆかしい美学、品格を感じさせる。素晴らしいソロだと思う。
第2楽章はアンダンテ。ここでもホルンの響きは冴え冴えとして哀しいほどに美しい。
春の夜の月のような麗しさとでも云おうか。
オーケストラも美しい。管楽器も弦楽器も、シルクタッチで柔らかくホルンに絡んでくる。その絡む音色の微妙なニュアンスの変化が、またたまらない魅力でもある。ドレスデン・シュターツカペレの響きは、ホンマにいつも素晴らしい。
終楽章では快活なホルンを楽しめる。小回りのきく演奏で、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」に通じる軽快さ、明るさが面白い。
オケの響きは相変わらず美しく、特に楽器のバランスや融け合いがイイ。
ケンペの指揮は堅実そのもので、変な節回しがない分、格調の高さを感じさせてくれる。
録音は標準的。
ルカ教会の残響は素晴らしいんですが、音そのものは少し古びてきた感じもします。
融け合いは良いんですが、個々の楽器は少しくすんだ音になってます。
(そういう音に録音しているのかもしれませんが)
日曜の朝、伊予路は雨です。春の雨がやさしく降ってます。
今朝はジョギングはおやすみです。
何事も無理はしない、身の丈相応、分相応がよろしいようで。
2007/03/10のBlog
[ 06:08 ]
[ 交響曲 ]
いやはや、今週は激務でありました。
週末はノンビリしたいなと思ったんですが、これも、どうやらアカンようです。
休日出勤に法事等、仕事に加えて一族の当主たるものは冠婚葬祭もあって忙しいですな。やれやれ。
さて、今日はベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「英雄」。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏。
1957年2月の録音。CBS盤。
セルのベートーヴェン全集としては、最も早く録音されたもの。もう50年前の録音になってしまった。
セルの音楽は、襟を正して聴きたい。
峻厳にして、正確で精緻、息詰まるような迫力。雄渾無比の音楽がスピーカーから飛び出してくる。
クリーヴランド管のアンサンブルが抜群なので、響きはスッキリしていて実に見通しがよい音楽でもある。
セルの指揮はテンポが伸縮して、自在な面白さがある。楽譜に忠実と云うよりは、(ボクはスコアを読んでゆくのが苦手なのだが)、他の演奏と比べるとテンポの変化が特徴的でとても面白い。フッと力を抜くところ、逆にグッと力をためるようにテンポを落とすところなど、セルは結構自由にやっている感じ。
アンサンブルが精巧な機械のような感じなので、指揮者もそうかというと、実はそんなことはなく、いろいろやっているのが面白い。
第1楽章は音の切り方が特徴。
特にスフォルツァンドの動きがよく聞こえる。終止符の前で短く音を切ってしまうのも面白い。切れ味鋭い日本刀で、バッサリと斬ってゆく感じ。その感触の気持ちよさ。
第2楽章は感動的な葬送行進曲。全く高貴な響き。音楽は透明度が高く、セルらしい見通しのよい演奏。
この明瞭さがセルのベートーヴェンだと思う。作曲者の書いた音が、全て鳴っている感じ。テンポは伸縮しつつ、コントラバスの太い音やトランペットの思い切った突出など、聴いていてワクワクしてくる感じもある。しかも、トータルでは背筋が伸びて、格調高い音楽になる。「品格」という、ひと頃流行った言葉を使いたくなるような表現。
さらに素晴らしい第3楽章。弦楽セクションが一体となって、さざ波のようなリズムを演出するのだが、これが全く乱れない完璧さ。その上に響くホルンの合奏。音楽も技術も最高に美しい。
終楽章は艶やかでブリリアント。オケが名技を発揮し、しかもフルパワーで鳴りまくる。ホンマによく鳴る。素晴らしい終曲だと思う。
録音は古いです。良くないです。
我が家にあるステレオ録音のレコード・CDの中で、セル/クリーヴランド管の録音は、屈指の音の悪さであります。我が家の装置との相性が悪いのかもしれませんが。
ホンマに残念。この演奏が、現在の音で蘇ったら、その辺にありふれている「エロイカ」など吹っ飛んでしまうでしょう。惜しいなぁ。実に惜しいなぁ。
週末はノンビリしたいなと思ったんですが、これも、どうやらアカンようです。
休日出勤に法事等、仕事に加えて一族の当主たるものは冠婚葬祭もあって忙しいですな。やれやれ。
さて、今日はベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「英雄」。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏。
1957年2月の録音。CBS盤。
セルのベートーヴェン全集としては、最も早く録音されたもの。もう50年前の録音になってしまった。
セルの音楽は、襟を正して聴きたい。
峻厳にして、正確で精緻、息詰まるような迫力。雄渾無比の音楽がスピーカーから飛び出してくる。
クリーヴランド管のアンサンブルが抜群なので、響きはスッキリしていて実に見通しがよい音楽でもある。
セルの指揮はテンポが伸縮して、自在な面白さがある。楽譜に忠実と云うよりは、(ボクはスコアを読んでゆくのが苦手なのだが)、他の演奏と比べるとテンポの変化が特徴的でとても面白い。フッと力を抜くところ、逆にグッと力をためるようにテンポを落とすところなど、セルは結構自由にやっている感じ。
アンサンブルが精巧な機械のような感じなので、指揮者もそうかというと、実はそんなことはなく、いろいろやっているのが面白い。
第1楽章は音の切り方が特徴。
特にスフォルツァンドの動きがよく聞こえる。終止符の前で短く音を切ってしまうのも面白い。切れ味鋭い日本刀で、バッサリと斬ってゆく感じ。その感触の気持ちよさ。
第2楽章は感動的な葬送行進曲。全く高貴な響き。音楽は透明度が高く、セルらしい見通しのよい演奏。
この明瞭さがセルのベートーヴェンだと思う。作曲者の書いた音が、全て鳴っている感じ。テンポは伸縮しつつ、コントラバスの太い音やトランペットの思い切った突出など、聴いていてワクワクしてくる感じもある。しかも、トータルでは背筋が伸びて、格調高い音楽になる。「品格」という、ひと頃流行った言葉を使いたくなるような表現。
さらに素晴らしい第3楽章。弦楽セクションが一体となって、さざ波のようなリズムを演出するのだが、これが全く乱れない完璧さ。その上に響くホルンの合奏。音楽も技術も最高に美しい。
終楽章は艶やかでブリリアント。オケが名技を発揮し、しかもフルパワーで鳴りまくる。ホンマによく鳴る。素晴らしい終曲だと思う。
録音は古いです。良くないです。
我が家にあるステレオ録音のレコード・CDの中で、セル/クリーヴランド管の録音は、屈指の音の悪さであります。我が家の装置との相性が悪いのかもしれませんが。
ホンマに残念。この演奏が、現在の音で蘇ったら、その辺にありふれている「エロイカ」など吹っ飛んでしまうでしょう。惜しいなぁ。実に惜しいなぁ。
2007/03/09のBlog
[ 05:13 ]
[ 管弦楽曲 ]
春三月。
朝は少し寒いし、日中の風は冷たく感じるのは暖冬だったせいでしょう。
平年のことを考えれば、暖かい早春でありますな。
さて、今日はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61。
アルトゥール・グリュミオーのヴァイオリン独奏、コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1974年1月、コンセルトヘボウでの録音。フィリップス盤。このCDはDUOシリーズの2枚組、他にメンデルスゾーン・ブラームス・チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も入っている。いわゆる4大ヴァイオリン協奏集。
我が家にあるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の中で、最もヴァイオリンの美しい演奏。
というか、ヴァイオリン独奏の美しさが際だつ演奏。
第1楽章の序奏部、オーケストラが全く素晴らしい。コンセルトヘボウ管にしては、やや明るめの響きで堂々とした歩み。あまり重くならず、貴公子のような感じ。若々しさも漂う序奏部。
そして、何よりグリュミオーの美音がたまらない。
テクニックは切れ味鋭く、しなやかで心地よい。寄せては返す波のように何度も出現するテーマが、こんなに気持ちよく聴ける演奏、そうはないんじゃないか。グリュミオーも実に気持ちよさそうに弾く。
クライスラーによるカデンツァも大変決まっている。カッコイイ。
第2楽章は、高貴な表情と美音の洪水が心に残る。
グリュミオーの美音を最も味わえるのは、この第2楽章じゃないか思う。
ホンマに艶やかなヴァイオリン。虹色に色彩を変えて、キラキラと光がこぼれてくるような音色。清冽にしてたおやか、朝露に濡れた草花のようなしっとり感もイイ。
ヴァイオリンそのものの美音だけではない。独奏も伴奏も、実に真摯な演奏態度で、時に祈りの表情さえ見せる。
伴奏は控えめで、グリュミオーの美音を上手に引き出している感じ。抑え気味のところが心憎い。
終楽章は愉悦の演奏。
ヴァイオリンとオーケストラが楽しく会話してゆく。心弾むロンド。
春の息吹が周辺に漂ってくる。
イイ演奏を聴くと、心が明るくなる。
コンセルトヘボウ管の立派な伴奏で、グリュミオーのソロが一層引き立つ。楽器のバランス・音量も絶妙、ふっくらした肉厚の響きも、いや全く心地よい。
録音は、1970年代アナログ全盛期の見事なもの。
コンセルトヘボウの響きが、いつもながら素晴らしく、演奏の良さが十全に引き出された好録音と思います。
このホールトーン、我が家の装置と実に相性がよいのです。
朝は少し寒いし、日中の風は冷たく感じるのは暖冬だったせいでしょう。
平年のことを考えれば、暖かい早春でありますな。
さて、今日はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61。
アルトゥール・グリュミオーのヴァイオリン独奏、コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1974年1月、コンセルトヘボウでの録音。フィリップス盤。このCDはDUOシリーズの2枚組、他にメンデルスゾーン・ブラームス・チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も入っている。いわゆる4大ヴァイオリン協奏集。
我が家にあるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の中で、最もヴァイオリンの美しい演奏。
というか、ヴァイオリン独奏の美しさが際だつ演奏。
第1楽章の序奏部、オーケストラが全く素晴らしい。コンセルトヘボウ管にしては、やや明るめの響きで堂々とした歩み。あまり重くならず、貴公子のような感じ。若々しさも漂う序奏部。
そして、何よりグリュミオーの美音がたまらない。
テクニックは切れ味鋭く、しなやかで心地よい。寄せては返す波のように何度も出現するテーマが、こんなに気持ちよく聴ける演奏、そうはないんじゃないか。グリュミオーも実に気持ちよさそうに弾く。
クライスラーによるカデンツァも大変決まっている。カッコイイ。
第2楽章は、高貴な表情と美音の洪水が心に残る。
グリュミオーの美音を最も味わえるのは、この第2楽章じゃないか思う。
ホンマに艶やかなヴァイオリン。虹色に色彩を変えて、キラキラと光がこぼれてくるような音色。清冽にしてたおやか、朝露に濡れた草花のようなしっとり感もイイ。
ヴァイオリンそのものの美音だけではない。独奏も伴奏も、実に真摯な演奏態度で、時に祈りの表情さえ見せる。
伴奏は控えめで、グリュミオーの美音を上手に引き出している感じ。抑え気味のところが心憎い。
終楽章は愉悦の演奏。
ヴァイオリンとオーケストラが楽しく会話してゆく。心弾むロンド。
春の息吹が周辺に漂ってくる。
イイ演奏を聴くと、心が明るくなる。
コンセルトヘボウ管の立派な伴奏で、グリュミオーのソロが一層引き立つ。楽器のバランス・音量も絶妙、ふっくらした肉厚の響きも、いや全く心地よい。
録音は、1970年代アナログ全盛期の見事なもの。
コンセルトヘボウの響きが、いつもながら素晴らしく、演奏の良さが十全に引き出された好録音と思います。
このホールトーン、我が家の装置と実に相性がよいのです。
2007/03/08のBlog
[ 05:21 ]
[ 交響曲 ]
今日はマーラーです。
交響曲第1番ニ長調「巨人」。
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏。
1961年1~2月の録音。プロデューサーはジョン・マックルーア。
人口に膾炙した名盤。
北陸の輸入通販の雄、ヤマチクの年末バーゲンで購入したワルターのオリジナル・ジャケット・コレクションBOXの1枚。このコレクションには何種類かあるはずだが、僕が入手したのは、マーラーとブルックナー選集BOX。
この「巨人」はLPで愛聴してきたもの。
LPはソニーがようやくワルターの廉価盤を発売した昭和56年に買ったもの。それでも、1500円は当時ビンボー学生だった自分には痛かったが。
CD時代直前、録音当時のエンジニア兼プロデューサーだったジョン・マックルーア自身がリミックスしたものとして話題になったものでもあって、懐かしい演奏でもある。
ワルターの音楽は、とにかく優しい。慈愛に満ちた母性の優しさとでも云おうか。
ちょうど今頃の、春の柔らかい陽射しのように、心の中が暖かくなってくるような演奏。メロディーラインが美しく歌われ、愛情にあふれている。ポルタメントが効いているのだろう、聴いていると、頬を優しく撫でられるような快感がある。
劇烈なところでも、絶叫しすぎないのもイイ。ワルターの作る音楽は、決してパワーが不足しているのではないのだが、血が噴き出してしまう寸前で安定を保つところがある。そのあたりが。優しさとか暖かさになるのだと思う。
この魅力に取り憑かれると、「やっぱり、マーラーを聴くにはワルターだな」としたり顔で云ってしまうことになるのだろう。
第1楽章では瑞々しい若者の目覚めと憧れとを見事に描き出しているし、第2楽章の青春の煩悶、第3楽章の若者特有の切なさの表現も良い。
終楽章も阿鼻叫喚にならない端正さ。
ああ、やっぱり、エエなぁ。
コロンビア響は、今の耳で聴くとやや非力かな。
アンサンブルはややユルく、大らかな感じでマーラーを奏でてゆく。
弦楽セクションにもう少し潤いがあれば・・・・とも思う。管楽器は立派。
ワルターの楽器の扱い方は、まさに巨匠の芸であって、木管の処理など巧いし、実に美しい。
録音からすでに45年。CDの音はまずまずだと思います。
巷間、最も良いワルターのステレオ録音のCDは、CD時代最初期のマックルーアによるものだったらしいです。
どうも、僕のCDはジョン・マックルーアのリミックスではないようですが、音はまずまずよろしいです。
次男坊の行く先は大阪になりました。
長男と一緒に住むことになりそうです。新しい季節の始まりです。
そんなわけで、今日は青春の交響曲を聴いてみたのです。
交響曲第1番ニ長調「巨人」。
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏。
1961年1~2月の録音。プロデューサーはジョン・マックルーア。
人口に膾炙した名盤。
北陸の輸入通販の雄、ヤマチクの年末バーゲンで購入したワルターのオリジナル・ジャケット・コレクションBOXの1枚。このコレクションには何種類かあるはずだが、僕が入手したのは、マーラーとブルックナー選集BOX。
この「巨人」はLPで愛聴してきたもの。
LPはソニーがようやくワルターの廉価盤を発売した昭和56年に買ったもの。それでも、1500円は当時ビンボー学生だった自分には痛かったが。
CD時代直前、録音当時のエンジニア兼プロデューサーだったジョン・マックルーア自身がリミックスしたものとして話題になったものでもあって、懐かしい演奏でもある。
ワルターの音楽は、とにかく優しい。慈愛に満ちた母性の優しさとでも云おうか。
ちょうど今頃の、春の柔らかい陽射しのように、心の中が暖かくなってくるような演奏。メロディーラインが美しく歌われ、愛情にあふれている。ポルタメントが効いているのだろう、聴いていると、頬を優しく撫でられるような快感がある。
劇烈なところでも、絶叫しすぎないのもイイ。ワルターの作る音楽は、決してパワーが不足しているのではないのだが、血が噴き出してしまう寸前で安定を保つところがある。そのあたりが。優しさとか暖かさになるのだと思う。
この魅力に取り憑かれると、「やっぱり、マーラーを聴くにはワルターだな」としたり顔で云ってしまうことになるのだろう。
第1楽章では瑞々しい若者の目覚めと憧れとを見事に描き出しているし、第2楽章の青春の煩悶、第3楽章の若者特有の切なさの表現も良い。
終楽章も阿鼻叫喚にならない端正さ。
ああ、やっぱり、エエなぁ。
コロンビア響は、今の耳で聴くとやや非力かな。
アンサンブルはややユルく、大らかな感じでマーラーを奏でてゆく。
弦楽セクションにもう少し潤いがあれば・・・・とも思う。管楽器は立派。
ワルターの楽器の扱い方は、まさに巨匠の芸であって、木管の処理など巧いし、実に美しい。
録音からすでに45年。CDの音はまずまずだと思います。
巷間、最も良いワルターのステレオ録音のCDは、CD時代最初期のマックルーアによるものだったらしいです。
どうも、僕のCDはジョン・マックルーアのリミックスではないようですが、音はまずまずよろしいです。
次男坊の行く先は大阪になりました。
長男と一緒に住むことになりそうです。新しい季節の始まりです。
そんなわけで、今日は青春の交響曲を聴いてみたのです。
2007/03/07のBlog
[ 05:44 ]
[ 管弦楽曲 ]
春の嵐の後は冷え込みました。
でも、冬の寒さではないですな。春先の、花冷えのような寒さ。日中は暖房が要らない程度の。
間もなく愛媛県は高校入試、中学校では卒業式であります。
高校を先日卒業した次男坊も、荷物をまとめ始めました。春です。
さて、今日はバレエ音楽を。
プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」。
リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏。
1981年2月18日、フィラデルフィアのオールド・メットでの録音。EMI盤。
何と、1日でのセッション。1200円の廉価盤CD。
この曲は、美しい旋律と場面描写の劇的な鮮やかさが素晴らしいプロコフィエフの名曲。
ムーティは、フィラデルフィア管のゴージャス・サウンドを生かして、大胆に、ダイナミックに描いてゆく。バレエ音楽というよりは、交響詩に近い感じの表現。シンフォニックなスケール感は、他の演奏と比べると、より際だつ感じ。バレエのための付随音楽ではない、大作名作の価値ある作品だと云わんばかりの迫力であり、豪快さ。
大袈裟な表現だなぁと思う部分もあるが、そこは若武者ムーティ、騎虎の勢いで乗り切ってしまう。
もちろん、ムーティらしい、輝かしいカンタービレも楽しい。よく歌い、元気よく演奏するオーケストラ。やっぱり、ムーティはこうでなくちゃね。
第1組曲の3曲目、「マドリガル」の美しさは絶品。
ヴァイオリンはロメオを、フルートはジュリエットを表しているのだが、このフルートの旋律は、プロコフィエフが書いた最も可憐なメロディの一つあって、フィラデルフィア管の演奏も素晴らしく美しい。フルートの音色など、ホンマに綺麗。
このジュリエットのテーマはその後も出てくるのだが、ムーティは実にデリケートに弾かせてゆく。ソロ・ヴァイオリンで出てくる時の美しさは、ちょっと表現できないほど、優しく美しい。匂うような艶やかさもある。
第2組曲の冒頭「モンタギュー家とキャプレット家」は、今や有名曲。
「のだめカンタービレ」ではシュトレーゼマン登場のテーマ、ソフトバンクの携帯電話のCMで、さんざん聴かされた音楽だが、フィラデルフィア管で聴くとまた格別の味わい。何しろ勇壮でシンフォニック、そして鮮烈なフィラデルフィア・サウンドが炸裂する。
いや、まことムーティはカッコイイ。
1981年といえば、オーマンディの後を受けて、ムーティはフィラデルフィア管の音楽監督に就任したばかりの頃だが、すっかりオケを掌握して指揮している感じ。
オケは生き生き、指揮者も楽しそうだ。
録音は標準的。
EMI的な平板さは致し方ないにしても、もう少し楽器の解像度が高ければ、あるいは奥行き感があればエエのにと思います。
弦楽セクションは良い音なんですが。
でも、冬の寒さではないですな。春先の、花冷えのような寒さ。日中は暖房が要らない程度の。
間もなく愛媛県は高校入試、中学校では卒業式であります。
高校を先日卒業した次男坊も、荷物をまとめ始めました。春です。
さて、今日はバレエ音楽を。
プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」。
リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏。
1981年2月18日、フィラデルフィアのオールド・メットでの録音。EMI盤。
何と、1日でのセッション。1200円の廉価盤CD。
この曲は、美しい旋律と場面描写の劇的な鮮やかさが素晴らしいプロコフィエフの名曲。
ムーティは、フィラデルフィア管のゴージャス・サウンドを生かして、大胆に、ダイナミックに描いてゆく。バレエ音楽というよりは、交響詩に近い感じの表現。シンフォニックなスケール感は、他の演奏と比べると、より際だつ感じ。バレエのための付随音楽ではない、大作名作の価値ある作品だと云わんばかりの迫力であり、豪快さ。
大袈裟な表現だなぁと思う部分もあるが、そこは若武者ムーティ、騎虎の勢いで乗り切ってしまう。
もちろん、ムーティらしい、輝かしいカンタービレも楽しい。よく歌い、元気よく演奏するオーケストラ。やっぱり、ムーティはこうでなくちゃね。
第1組曲の3曲目、「マドリガル」の美しさは絶品。
ヴァイオリンはロメオを、フルートはジュリエットを表しているのだが、このフルートの旋律は、プロコフィエフが書いた最も可憐なメロディの一つあって、フィラデルフィア管の演奏も素晴らしく美しい。フルートの音色など、ホンマに綺麗。
このジュリエットのテーマはその後も出てくるのだが、ムーティは実にデリケートに弾かせてゆく。ソロ・ヴァイオリンで出てくる時の美しさは、ちょっと表現できないほど、優しく美しい。匂うような艶やかさもある。
第2組曲の冒頭「モンタギュー家とキャプレット家」は、今や有名曲。
「のだめカンタービレ」ではシュトレーゼマン登場のテーマ、ソフトバンクの携帯電話のCMで、さんざん聴かされた音楽だが、フィラデルフィア管で聴くとまた格別の味わい。何しろ勇壮でシンフォニック、そして鮮烈なフィラデルフィア・サウンドが炸裂する。
いや、まことムーティはカッコイイ。
1981年といえば、オーマンディの後を受けて、ムーティはフィラデルフィア管の音楽監督に就任したばかりの頃だが、すっかりオケを掌握して指揮している感じ。
オケは生き生き、指揮者も楽しそうだ。
録音は標準的。
EMI的な平板さは致し方ないにしても、もう少し楽器の解像度が高ければ、あるいは奥行き感があればエエのにと思います。
弦楽セクションは良い音なんですが。
2007/03/06のBlog
[ 04:05 ]
[ 協奏曲 ]
春の嵐でした。
凄まじい風。一時、雨も激しく降りました。台風なみの暴風雨でした。
そこで(と云うわけでもないんですが)、今日は嵐のような演奏を。
シューマンのピアノ協奏曲イ短調。
マルタ・アルゲリッチのピアノ独奏、チョン・ミュンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニーの演奏。
2001年12月1日、パリのシャトレー劇場でのライヴ録音。DG盤。
エイズ撲滅キャンペーンのチャリティ・コンサートの録音らしいのだが、英語仏語不調法のため、よく分かりません(^^ゞ。
これは、職場の同僚にして盤鬼盤友が紹介してくれ、とにかくエエぞというので、入手したCDだが、どうも日本国内では発売されなかったらしい。輸入盤でも入らなかったのではなかろうか。何か、契約の関係かな。
演奏はもう、アルゲリッチの奔放なピアノを満喫できるもので、圧倒的、感動的。
この人の気質・音楽性に、シューマンのピアノ協奏曲はピッタリだと思う。あふれるロマン、奔流のように湧きだしてくる感情。
ピアノのダイナミズムも素晴らしいし、アーティキュレーションはアルゲリッチの個性丸出し。テンポの伸縮も自由自在、というか好き勝手に弾いている感じ。聴いていて、のけ反るような面白さ。アルゲリッチのライヴはこのくらいじゃないと面白くないわなぁ。
スタジオ録音では同じDGにロストロポーヴィチとの共演盤があったが、ありゃ、いったい何だったノダ?・・・と云いたいくらい。あんな大人しい演奏、アルゲリッチではないぞい。
融通無碍、勝手気まま、気の向くまま、情熱の奔流・・・・のようなピアノについたオケは、これ大健闘。
チョン・ミュンフンは立派な指揮者だと思う。アルゲリッチにつけるのだけでも大変だと思う。アンサンブルは乱れるところもあるのだが、致し方なし。協奏曲としても面白さは十分に堪能できる。
ピアノは即興的。たった今、生まれたばかりの曲のように演奏する。これぞ、アルゲリッチの真骨頂。聴き進むうちに、聴き手もどんどん興奮する。「おお、こんな風に弾くのか」とか、「ややっ、ここでこんなに突っ込むか」とか・・・感嘆しきり。
聴き慣れた曲なのに、新鮮なことこの上ない。
テンポが遅くなるところでは、これがまたゾクゾクするほど美しい。
清冽な石清水。生まれたばかりの赤ん坊の肌触り。青年の熱い憧憬と情熱 。・・・・とでも云おうか。
テンポが速くなるところでの、劇的な変化。アルゲリッチには経過句だの助走だのはない。バッサリと曲を斬ってゆく。一気に最高速へ突入してゆく潔さ。ギア・チェンジはローからトップへ一気に行く。凄まじい魂の燃焼。
いやはや、全編聴きどころだが、あえて云えば、第1楽章と第3楽章が面白い。
フォルティシモの美しさと速度の変化、ダイナミズムが、凄まじい表現意欲となって噴出する。スゴイ。絶句。
録音はピアノの音をしっかり捉えた好録音。
オケはやや平板なのが残念ですが、これはシャトレー劇場の音響がイマイチなのかもしれません。ライヴのハンディもありますしね。
アルゲリッチの鬼気迫るピアノは、十全に捉えきっていると思います。
凄まじい風。一時、雨も激しく降りました。台風なみの暴風雨でした。
そこで(と云うわけでもないんですが)、今日は嵐のような演奏を。
シューマンのピアノ協奏曲イ短調。
マルタ・アルゲリッチのピアノ独奏、チョン・ミュンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニーの演奏。
2001年12月1日、パリのシャトレー劇場でのライヴ録音。DG盤。
エイズ撲滅キャンペーンのチャリティ・コンサートの録音らしいのだが、英語仏語不調法のため、よく分かりません(^^ゞ。
これは、職場の同僚にして盤鬼盤友が紹介してくれ、とにかくエエぞというので、入手したCDだが、どうも日本国内では発売されなかったらしい。輸入盤でも入らなかったのではなかろうか。何か、契約の関係かな。
演奏はもう、アルゲリッチの奔放なピアノを満喫できるもので、圧倒的、感動的。
この人の気質・音楽性に、シューマンのピアノ協奏曲はピッタリだと思う。あふれるロマン、奔流のように湧きだしてくる感情。
ピアノのダイナミズムも素晴らしいし、アーティキュレーションはアルゲリッチの個性丸出し。テンポの伸縮も自由自在、というか好き勝手に弾いている感じ。聴いていて、のけ反るような面白さ。アルゲリッチのライヴはこのくらいじゃないと面白くないわなぁ。
スタジオ録音では同じDGにロストロポーヴィチとの共演盤があったが、ありゃ、いったい何だったノダ?・・・と云いたいくらい。あんな大人しい演奏、アルゲリッチではないぞい。
融通無碍、勝手気まま、気の向くまま、情熱の奔流・・・・のようなピアノについたオケは、これ大健闘。
チョン・ミュンフンは立派な指揮者だと思う。アルゲリッチにつけるのだけでも大変だと思う。アンサンブルは乱れるところもあるのだが、致し方なし。協奏曲としても面白さは十分に堪能できる。
ピアノは即興的。たった今、生まれたばかりの曲のように演奏する。これぞ、アルゲリッチの真骨頂。聴き進むうちに、聴き手もどんどん興奮する。「おお、こんな風に弾くのか」とか、「ややっ、ここでこんなに突っ込むか」とか・・・感嘆しきり。
聴き慣れた曲なのに、新鮮なことこの上ない。
テンポが遅くなるところでは、これがまたゾクゾクするほど美しい。
清冽な石清水。生まれたばかりの赤ん坊の肌触り。青年の熱い憧憬と情熱 。・・・・とでも云おうか。
テンポが速くなるところでの、劇的な変化。アルゲリッチには経過句だの助走だのはない。バッサリと曲を斬ってゆく。一気に最高速へ突入してゆく潔さ。ギア・チェンジはローからトップへ一気に行く。凄まじい魂の燃焼。
いやはや、全編聴きどころだが、あえて云えば、第1楽章と第3楽章が面白い。
フォルティシモの美しさと速度の変化、ダイナミズムが、凄まじい表現意欲となって噴出する。スゴイ。絶句。
録音はピアノの音をしっかり捉えた好録音。
オケはやや平板なのが残念ですが、これはシャトレー劇場の音響がイマイチなのかもしれません。ライヴのハンディもありますしね。
アルゲリッチの鬼気迫るピアノは、十全に捉えきっていると思います。
2007/03/05のBlog
[ 03:05 ]
[ 交響曲 ]
昨日の「ロマンティック」に続いて、今日もブルックナーです。
ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調。
ベルナルト・ハイティンク指揮ウィーン・フィルの演奏。
1988年3月と12月、ムジークフェラインザールでの録音。フィリップス盤。
第1楽章の冒頭は厳粛な開始。ここを聴くたび、ブルックナーはキリスト教会の人だったと思う。信仰告白のような粛々たる開始であり、オルガン奏者であった作曲者を偲ばせる重層的な響きが素晴らしい。
フォルティシモの爆発はウィーン・フィルらしく輝かしい。
ハイティンクの指揮も、フレージングが深々としていて、ブルックナーにはピッタリ。録音当時の1980年代後半は、ハイティンクがますます円熟して、悠揚迫らぬスケール雄大な指揮をするようになった時期だった。このCDを初めて聴いたとき、ハイティンクが真の巨匠になったことを実感したものだった。
第2楽章は、中世の吟遊詩人が歌うエレジーのような旋律が、ひときわ美しい。
ウィーン・フィルの弦楽セクションがしっとりと濡れたような音色で、味わい深い。シルクタッチの肌触りで、トロッとした響きも最高。フィリップスの録音スタッフの技術の冴えもあるのだろうが、全く美しい。
ここにも、ブルックナーの信仰が聴けるのだが、聴いている打ちにその渦に呑み込まれて、ああ、自分もキリスト教徒になってしまいそうな・・・それほどにウィーン・フィルの響きは感覚に迫ってくる。
第3楽章のスケルツォは豪快に演奏できるところだが、ハイティンクの指揮で聴くと、豪快さより優美さが前面に出てくる。ブルックナーの野人的な雰囲気よりも、穏やかで気品のある風貌が前に出てくる感じ。ハイティンクの表現は、荒々しさよりも、穏和さ・優美さを重視しているようだ。
それを支えているのが、ウィーン・フィルの響きだろうと思う。ここでも、弦の美しさは超絶的。
フィナーレは悠々と流れる大河。仰ぎ見る高峰。感動的な表現になっている。
ウィーン・フィルの響きが素晴らしいので、ここでも厳めしいブルックナーではなく、大人の風格であって、親しみやすく微笑みを絶やさない誠実なブルックナーになっている。
壮大なフォルティシモも腰砕けにならず、オケの力にはまだ余裕がある感じ。
ハイティンクのまとめ方も上手い。実に構成のどっしりしたブルックナーだった。
録音は、いつものフィリップス、万全であります。
ホールトーンが豊かで、楽器の溶け合いも素晴らしく、ホールの上席で聴いている感じ。ムジークフェラインザールには行ったことがありませんが、こんな感じで鳴っているのだろうなと想像されます。
ナマなら、当然もっとエエ音がするんでしょう。一度、行ってみたいもんです。
そんなに気にさせられる優秀録音でした。
全国的に春の嵐。
もの凄い風です。台風なみの暴風。
この風のあと、またポカポカ陽気が戻るんでしょう。
今朝はジョギングはお休み。無理をしないことも大事ですな。
ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調。
ベルナルト・ハイティンク指揮ウィーン・フィルの演奏。
1988年3月と12月、ムジークフェラインザールでの録音。フィリップス盤。
第1楽章の冒頭は厳粛な開始。ここを聴くたび、ブルックナーはキリスト教会の人だったと思う。信仰告白のような粛々たる開始であり、オルガン奏者であった作曲者を偲ばせる重層的な響きが素晴らしい。
フォルティシモの爆発はウィーン・フィルらしく輝かしい。
ハイティンクの指揮も、フレージングが深々としていて、ブルックナーにはピッタリ。録音当時の1980年代後半は、ハイティンクがますます円熟して、悠揚迫らぬスケール雄大な指揮をするようになった時期だった。このCDを初めて聴いたとき、ハイティンクが真の巨匠になったことを実感したものだった。
第2楽章は、中世の吟遊詩人が歌うエレジーのような旋律が、ひときわ美しい。
ウィーン・フィルの弦楽セクションがしっとりと濡れたような音色で、味わい深い。シルクタッチの肌触りで、トロッとした響きも最高。フィリップスの録音スタッフの技術の冴えもあるのだろうが、全く美しい。
ここにも、ブルックナーの信仰が聴けるのだが、聴いている打ちにその渦に呑み込まれて、ああ、自分もキリスト教徒になってしまいそうな・・・それほどにウィーン・フィルの響きは感覚に迫ってくる。
第3楽章のスケルツォは豪快に演奏できるところだが、ハイティンクの指揮で聴くと、豪快さより優美さが前面に出てくる。ブルックナーの野人的な雰囲気よりも、穏やかで気品のある風貌が前に出てくる感じ。ハイティンクの表現は、荒々しさよりも、穏和さ・優美さを重視しているようだ。
それを支えているのが、ウィーン・フィルの響きだろうと思う。ここでも、弦の美しさは超絶的。
フィナーレは悠々と流れる大河。仰ぎ見る高峰。感動的な表現になっている。
ウィーン・フィルの響きが素晴らしいので、ここでも厳めしいブルックナーではなく、大人の風格であって、親しみやすく微笑みを絶やさない誠実なブルックナーになっている。
壮大なフォルティシモも腰砕けにならず、オケの力にはまだ余裕がある感じ。
ハイティンクのまとめ方も上手い。実に構成のどっしりしたブルックナーだった。
録音は、いつものフィリップス、万全であります。
ホールトーンが豊かで、楽器の溶け合いも素晴らしく、ホールの上席で聴いている感じ。ムジークフェラインザールには行ったことがありませんが、こんな感じで鳴っているのだろうなと想像されます。
ナマなら、当然もっとエエ音がするんでしょう。一度、行ってみたいもんです。
そんなに気にさせられる優秀録音でした。
全国的に春の嵐。
もの凄い風です。台風なみの暴風。
この風のあと、またポカポカ陽気が戻るんでしょう。
今朝はジョギングはお休み。無理をしないことも大事ですな。
2007/03/04のBlog
[ 04:33 ]
[ 交響曲 ]
今日は休日出勤でした。
今月いっぱいは、どうにもこうにもならんくらい、忙しいでしょう。でも、午後4時には帰宅して、春の柔らかい陽射しを窓辺に楽しみつつクラシック音楽三昧であります。
これが楽しい。嬉しい。幸福を感じるときであります。
こういう時には、大好きな「ロマンティック」を聴きましょう。
で・・・・。
ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」。
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管の演奏。
1963年9月、ロンドンのキングズウェイホールでの録音。EMI盤。楽譜はノヴァーク版。
金管楽器が咆吼しまくり、壮大に鳴りまくる「ロマンティック」。聴き終えた後、胸がすっとする。
第1楽章は、クレンペラーにしてはかなり速めのテンポで、グイグイ進んでゆく。表情づけはあまりなく、素っ気ないくらい。ヴァイオリンの両翼配置が効果的で、掛け合いは面白いし、左右への広がり感がなかなかイイ。
木管などもサッパリした響きで、味わいは淡泊な印象を受けるが、技巧は万全。
スゴイのは金管。バリバリ鳴るのが心地よい。
第2楽章は着実な歩み。ホルンがやや明るめの音色、オーボエは逆にツンと澄まして寂寥感漂う音色。対比が面白い。弱音器つきの弦楽セクションが透明感のある響き。やや硬質なところもあるが、それがまた侘びしさを引き出している。名演と思う。
第3楽章になると、金管がさらに吼えまくる。全体的にギンギン鳴っているし、特にトランペットなど凄まじい響かせ方。バランス感はイマイチかな。アンサンブルもあまり揃っていないようだけれども、面白いことこの上なし。
トリオは一転、懐かしさを帯びた木管の音色が、涼やかな風のような感触で実にイイ音。絡んでくるヴァイオリン群も絶品。
この静けさと、金管の咆吼との対照が、何とも楽しい演奏。
終楽章はさらに劇的な表現。即興的というか、好き放題というか、緩急自在にクレンペラーは進めてゆく。フィルハーモニア管も好演、バリバリ鳴る金管は爽快で気持ちよい。ちょっとやり過ぎかなと思わないでもないが。
テンポが遅くなる穏やかな曲想では、優美きわまりない表現で、ウットリするほど。この終楽章は、他の演奏では得られない感動がある。
1963年の録音なので、もう40年以上になるのに、音そのものは実に素晴らしいですな。
EMI録音にしては、実にイイ・・・・・というより、この時期の方が、EMIはイイ音を遺してくれていると思います。
解像度はさほど高くはないんですが、アナログ特有の暖かい音で、耳あたりがとても良く、ホールトーンもよく拾っております。
今月いっぱいは、どうにもこうにもならんくらい、忙しいでしょう。でも、午後4時には帰宅して、春の柔らかい陽射しを窓辺に楽しみつつクラシック音楽三昧であります。
これが楽しい。嬉しい。幸福を感じるときであります。
こういう時には、大好きな「ロマンティック」を聴きましょう。
で・・・・。
ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」。
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管の演奏。
1963年9月、ロンドンのキングズウェイホールでの録音。EMI盤。楽譜はノヴァーク版。
金管楽器が咆吼しまくり、壮大に鳴りまくる「ロマンティック」。聴き終えた後、胸がすっとする。
第1楽章は、クレンペラーにしてはかなり速めのテンポで、グイグイ進んでゆく。表情づけはあまりなく、素っ気ないくらい。ヴァイオリンの両翼配置が効果的で、掛け合いは面白いし、左右への広がり感がなかなかイイ。
木管などもサッパリした響きで、味わいは淡泊な印象を受けるが、技巧は万全。
スゴイのは金管。バリバリ鳴るのが心地よい。
第2楽章は着実な歩み。ホルンがやや明るめの音色、オーボエは逆にツンと澄まして寂寥感漂う音色。対比が面白い。弱音器つきの弦楽セクションが透明感のある響き。やや硬質なところもあるが、それがまた侘びしさを引き出している。名演と思う。
第3楽章になると、金管がさらに吼えまくる。全体的にギンギン鳴っているし、特にトランペットなど凄まじい響かせ方。バランス感はイマイチかな。アンサンブルもあまり揃っていないようだけれども、面白いことこの上なし。
トリオは一転、懐かしさを帯びた木管の音色が、涼やかな風のような感触で実にイイ音。絡んでくるヴァイオリン群も絶品。
この静けさと、金管の咆吼との対照が、何とも楽しい演奏。
終楽章はさらに劇的な表現。即興的というか、好き放題というか、緩急自在にクレンペラーは進めてゆく。フィルハーモニア管も好演、バリバリ鳴る金管は爽快で気持ちよい。ちょっとやり過ぎかなと思わないでもないが。
テンポが遅くなる穏やかな曲想では、優美きわまりない表現で、ウットリするほど。この終楽章は、他の演奏では得られない感動がある。
1963年の録音なので、もう40年以上になるのに、音そのものは実に素晴らしいですな。
EMI録音にしては、実にイイ・・・・・というより、この時期の方が、EMIはイイ音を遺してくれていると思います。
解像度はさほど高くはないんですが、アナログ特有の暖かい音で、耳あたりがとても良く、ホールトーンもよく拾っております。
2007/03/03のBlog
[ 04:01 ]
[ 室内楽曲 ]
今日は渋い曲です。
時に、室内楽をモゾモゾ聴くのもエエもんです。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番 イ短調 作品132。
アマデウス弦楽四重奏団の演奏。
1962年4月、西ベルリンのイエス・キリスト教会での録音。DG盤。
ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲は、とっつきにくい。しかし、じっくり聴いていると、人生の深淵を垣間見るような不思議な気分になる。
この作品132もそう。
第1楽章のアッサイ・ソステヌートの厳粛な開始。襟を正して聴かざるを得ない気分。ただ、アマデウスSQの演奏は、穏やかな表情で始まり、旋律線を柔らかく歌わせてゆくのがイイ。
第2楽章はアレグロ・マ・ノン・タント。スケルツォ楽章にあたるものだろう。アンサンブルは緊密だが、それが厳しさ・いかめしさにならず、独特の柔らかさや微笑みのような表情になっているのがアマデウスの良さだろうと思う。
そして、第3楽章のモルト・アダージョ。
約15分かかるこの曲の核心。「病癒えたものの神に対する聖なる感謝の歌」とベートーヴェンも書いている、まさに言葉通りの演奏。
アマデウスSQの演奏は、しなやかに旋律を歌わせ、甘美な音色(これが往時のウィーン・スタイルか)で、この緩徐楽章の魅力を余すところなく引き出してゆく。
2つのヴァイオリンが息長く旋律を歌っていく。そのフレージングがとても自然で深々としている。ヴィオラもチェロも呼吸が見事に合っている。聴いていて目頭が熱くなってくる。
ああ、ベートーヴェン晩年の境地は、こんなに澄んだ心を歌っている。神への畏敬というか、偉大なるものへの帰依というか。心の奥底で深い感動が広がる演奏。
第4楽章のアラ・マルチア・アッサイ・ヴィヴァーチェは経過句。これを過ぎると感動的なフィナーレ、アレグロ・アッパシオナート。
アマデウスの柔和な表現がここでも美しい。よく歌う旋律はここでも変わらないが、曲想もあって、音楽の表情は、一層雄渾なものになっている。
最後のプレストは見事な締めくくり。
アマデウスSQは、1948年にロンドンで結成されたイギリスの団体。メンバーは3人がウィーン出身、チェロのマーティン・ロヴェットが英国出身。結成当時からのメンバーで活躍し続けたのだが、ヴィオラのピーター・シドロフが1987年に急逝し、惜しくも解散となった名クワルテットだった。
これアマデウスSQによるベートーヴェン弦楽四重奏曲全集からの1枚。
録音はさすがに古びてきました。
惜しいかな、弦がザラつくところもあります。
教会録音の余韻が美しいだけに、う~ん・・・・ちょいと惜しいですな。
時に、室内楽をモゾモゾ聴くのもエエもんです。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番 イ短調 作品132。
アマデウス弦楽四重奏団の演奏。
1962年4月、西ベルリンのイエス・キリスト教会での録音。DG盤。
ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲は、とっつきにくい。しかし、じっくり聴いていると、人生の深淵を垣間見るような不思議な気分になる。
この作品132もそう。
第1楽章のアッサイ・ソステヌートの厳粛な開始。襟を正して聴かざるを得ない気分。ただ、アマデウスSQの演奏は、穏やかな表情で始まり、旋律線を柔らかく歌わせてゆくのがイイ。
第2楽章はアレグロ・マ・ノン・タント。スケルツォ楽章にあたるものだろう。アンサンブルは緊密だが、それが厳しさ・いかめしさにならず、独特の柔らかさや微笑みのような表情になっているのがアマデウスの良さだろうと思う。
そして、第3楽章のモルト・アダージョ。
約15分かかるこの曲の核心。「病癒えたものの神に対する聖なる感謝の歌」とベートーヴェンも書いている、まさに言葉通りの演奏。
アマデウスSQの演奏は、しなやかに旋律を歌わせ、甘美な音色(これが往時のウィーン・スタイルか)で、この緩徐楽章の魅力を余すところなく引き出してゆく。
2つのヴァイオリンが息長く旋律を歌っていく。そのフレージングがとても自然で深々としている。ヴィオラもチェロも呼吸が見事に合っている。聴いていて目頭が熱くなってくる。
ああ、ベートーヴェン晩年の境地は、こんなに澄んだ心を歌っている。神への畏敬というか、偉大なるものへの帰依というか。心の奥底で深い感動が広がる演奏。
第4楽章のアラ・マルチア・アッサイ・ヴィヴァーチェは経過句。これを過ぎると感動的なフィナーレ、アレグロ・アッパシオナート。
アマデウスの柔和な表現がここでも美しい。よく歌う旋律はここでも変わらないが、曲想もあって、音楽の表情は、一層雄渾なものになっている。
最後のプレストは見事な締めくくり。
アマデウスSQは、1948年にロンドンで結成されたイギリスの団体。メンバーは3人がウィーン出身、チェロのマーティン・ロヴェットが英国出身。結成当時からのメンバーで活躍し続けたのだが、ヴィオラのピーター・シドロフが1987年に急逝し、惜しくも解散となった名クワルテットだった。
これアマデウスSQによるベートーヴェン弦楽四重奏曲全集からの1枚。
録音はさすがに古びてきました。
惜しいかな、弦がザラつくところもあります。
教会録音の余韻が美しいだけに、う~ん・・・・ちょいと惜しいですな。