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2007/04/26のBlog
[ 04:17 ]
[ 交響曲 ]
今日は大曲、マーラーの交響曲第9番 ニ長調。
ウーヴェ・ムント指揮京都市交響楽団の演奏。
2001年3月、京都コンサートホールでの録音。Arte Nova 原盤。
新品激安600円。新居浜のタワーレコードのバーゲンで購入したもの。
いやはや、マーラーの9番が600円で聴けてしまう、凄まじい時代。
演奏は京都市響の頑張りもあって、なかなか立派。佳演といっていいんじゃないかと思う。
第1楽章のテンポは速め。ドロドロせず、立ち止まりもせず、スーッと進んでゆく感じ。もう少し、ためらいがちの進み方の方がいいかなとも思う。
(ただ、コーダに入るとグッとテンポが落ちて、失速する感じ。止まってしまいそうなほどの遅さ)
弦楽セクションは、もう一歩かなという感じ。音色のニュアンスが乏しい。録音のせいか、音が少しザラつくところが惜しい。ライヴ録音なのだろうが、これでアンサンブルがビシッと決まると、ツルツルした輝きが出てきそうな演奏。
第2楽章のレントラーは、着実な歩み。ここも速めのテンポ設定で、サラサラと進んでゆくところがある。淡々とした中に、味わいも感じられるのだが、少々薄味。上品な味付けといった感じかな。
管楽器はバランスよく鳴っていて、これは好調。
第3楽章ロンド・ブルレスケは快速。速い速い、どんどん進んでゆく。
進むというより、何ものかから逃げてゆく感じ。遁走曲と言っていいかもしれない。
マーラーが感じていた死への恐怖、それからの逃走だろうか。音楽の軋みもイイ。この楽章では、楽器の間から悲鳴を聴きたいと思う。ムントの解釈は、軋みを立てながら逃げてゆく。弦や管の高音域に、その悲鳴を聴くような感じ。素晴らしい演奏と思う。
終楽章は、うん、やはり良い。曲がスゴイ。いつ聴いても、この終楽章はスゴイ音楽だと思う。マーラーは凄まじい音楽を書いたものだと思う。
京都市響は大健闘。ラストの壮絶な弦楽合奏に向かって、ひたひたと進みながら緊張感を高めてゆく。木管の侘びしさもたまらない魅力。
そして、感動的な終曲。ああ、絶品。
プロオケといっても、東洋の島国の、地方オケ。それがここまで素晴らしい9番を聴かせてくれるのは、素晴らしいことだと思います。
日本はエエ国やと思います。
新緑が眩しいくらいの良い季節になりました。
連休前です。大阪の息子たちも間もなく帰ってきます。
親戚も集まります。墓の修繕も済んで、納骨の準備も出来ました。
週末は亡父の満中陰法要であります。
ウーヴェ・ムント指揮京都市交響楽団の演奏。
2001年3月、京都コンサートホールでの録音。Arte Nova 原盤。
新品激安600円。新居浜のタワーレコードのバーゲンで購入したもの。
いやはや、マーラーの9番が600円で聴けてしまう、凄まじい時代。
演奏は京都市響の頑張りもあって、なかなか立派。佳演といっていいんじゃないかと思う。
第1楽章のテンポは速め。ドロドロせず、立ち止まりもせず、スーッと進んでゆく感じ。もう少し、ためらいがちの進み方の方がいいかなとも思う。
(ただ、コーダに入るとグッとテンポが落ちて、失速する感じ。止まってしまいそうなほどの遅さ)
弦楽セクションは、もう一歩かなという感じ。音色のニュアンスが乏しい。録音のせいか、音が少しザラつくところが惜しい。ライヴ録音なのだろうが、これでアンサンブルがビシッと決まると、ツルツルした輝きが出てきそうな演奏。
第2楽章のレントラーは、着実な歩み。ここも速めのテンポ設定で、サラサラと進んでゆくところがある。淡々とした中に、味わいも感じられるのだが、少々薄味。上品な味付けといった感じかな。
管楽器はバランスよく鳴っていて、これは好調。
第3楽章ロンド・ブルレスケは快速。速い速い、どんどん進んでゆく。
進むというより、何ものかから逃げてゆく感じ。遁走曲と言っていいかもしれない。
マーラーが感じていた死への恐怖、それからの逃走だろうか。音楽の軋みもイイ。この楽章では、楽器の間から悲鳴を聴きたいと思う。ムントの解釈は、軋みを立てながら逃げてゆく。弦や管の高音域に、その悲鳴を聴くような感じ。素晴らしい演奏と思う。
終楽章は、うん、やはり良い。曲がスゴイ。いつ聴いても、この終楽章はスゴイ音楽だと思う。マーラーは凄まじい音楽を書いたものだと思う。
京都市響は大健闘。ラストの壮絶な弦楽合奏に向かって、ひたひたと進みながら緊張感を高めてゆく。木管の侘びしさもたまらない魅力。
そして、感動的な終曲。ああ、絶品。
プロオケといっても、東洋の島国の、地方オケ。それがここまで素晴らしい9番を聴かせてくれるのは、素晴らしいことだと思います。
日本はエエ国やと思います。
新緑が眩しいくらいの良い季節になりました。
連休前です。大阪の息子たちも間もなく帰ってきます。
親戚も集まります。墓の修繕も済んで、納骨の準備も出来ました。
週末は亡父の満中陰法要であります。
2007/04/25のBlog
[ 05:11 ]
[ 管弦楽曲 ]
四国は冷たい雨でありました。4月末にしてはちと寒いです。
今日はラヴェルのバレエ音楽、「ダフニスとクロエ」全曲。
ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団の演奏。
1989年5月の録音。フィリップス盤。
ボストン響の音はシックで甘い。そして、ミュンシュ以来の伝統か、フランス音楽とは相性がよいように思われる。
演奏は、ハイティンクがいつものように、作曲者に忠実に、誠実に振ったもの。ただ、少し肩の力が抜けているように思えるのは、この時期にハイティンクが巨匠になりつつあったせいかな?
「ダフニスとクロエ」をシンフォニックに響かせた名演だと思うのだが、行間とでも云うか、演奏の隙間からフランス的な匂いが漂うところがイイ。
冒頭の弦楽セクションの秘やかな響きが、やがて部屋中に広がり、フランスの香りで満たされてゆく。ラヴェルは「オーケストラの魔術師」とか「スイスの時計職人」と称されたが、この作品を聴くと、なるほどなぁと首肯してしまう。
特に第1部の、「グロテスクな踊り」~「タランスの踊り」~「リュセイヨンの踊り」当たりは絶品と思う。ここでのトゥッティは壮絶な美しさ。スゴイ。
「戦いの踊り」の間奏曲では、ホルン・トランペット・フルートなどの管楽器が素敵な音を響かせる。。
ボストン響は華麗な名演。ただ、派手な音にならず、全体的に落ち着いた色調であるところが、また味わい深く、無限のニュアンスが漂ってくる。
これぞ、ボストンと云うべき音なんだろうな。
弦の音色の美しいこと!暖かく、渋く、そしてフランス風の軽やかさもある。
第2組曲での精妙な美しさも絶品。
フルートはドリオ・アントニー・ドワイヤー。素晴らしく巧い。ボストン響の音の広がりも申し分なし。
20年近く前の録音ですが、1980年代後半のフィリップス録音だけに、今も最高水準と言ってよろしい音だと思います。
ボストン響らしい、渋い響きが印象的。
キラキラしていないサウンド、黒光りするような音と云うべきでしょうか。
トシを取ると、こういう音が肌に合うような気がしますな。
相変わらず、妙なトラックバック攻撃を受けております。
いちいち削除するのもイヤになってきました。
こんな、四国の片隅の、田舎のオッサンの絵日記にナンボでもTBしてきて、いったいどうすんねん?・・・・・と聞いてみたくなりますな。
トシを取っても、これには腹が立つもんです。やれやれ。
今日はラヴェルのバレエ音楽、「ダフニスとクロエ」全曲。
ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団の演奏。
1989年5月の録音。フィリップス盤。
ボストン響の音はシックで甘い。そして、ミュンシュ以来の伝統か、フランス音楽とは相性がよいように思われる。
演奏は、ハイティンクがいつものように、作曲者に忠実に、誠実に振ったもの。ただ、少し肩の力が抜けているように思えるのは、この時期にハイティンクが巨匠になりつつあったせいかな?
「ダフニスとクロエ」をシンフォニックに響かせた名演だと思うのだが、行間とでも云うか、演奏の隙間からフランス的な匂いが漂うところがイイ。
冒頭の弦楽セクションの秘やかな響きが、やがて部屋中に広がり、フランスの香りで満たされてゆく。ラヴェルは「オーケストラの魔術師」とか「スイスの時計職人」と称されたが、この作品を聴くと、なるほどなぁと首肯してしまう。
特に第1部の、「グロテスクな踊り」~「タランスの踊り」~「リュセイヨンの踊り」当たりは絶品と思う。ここでのトゥッティは壮絶な美しさ。スゴイ。
「戦いの踊り」の間奏曲では、ホルン・トランペット・フルートなどの管楽器が素敵な音を響かせる。。
ボストン響は華麗な名演。ただ、派手な音にならず、全体的に落ち着いた色調であるところが、また味わい深く、無限のニュアンスが漂ってくる。
これぞ、ボストンと云うべき音なんだろうな。
弦の音色の美しいこと!暖かく、渋く、そしてフランス風の軽やかさもある。
第2組曲での精妙な美しさも絶品。
フルートはドリオ・アントニー・ドワイヤー。素晴らしく巧い。ボストン響の音の広がりも申し分なし。
20年近く前の録音ですが、1980年代後半のフィリップス録音だけに、今も最高水準と言ってよろしい音だと思います。
ボストン響らしい、渋い響きが印象的。
キラキラしていないサウンド、黒光りするような音と云うべきでしょうか。
トシを取ると、こういう音が肌に合うような気がしますな。
相変わらず、妙なトラックバック攻撃を受けております。
いちいち削除するのもイヤになってきました。
こんな、四国の片隅の、田舎のオッサンの絵日記にナンボでもTBしてきて、いったいどうすんねん?・・・・・と聞いてみたくなりますな。
トシを取っても、これには腹が立つもんです。やれやれ。
2007/04/24のBlog
[ 04:58 ]
[ 管弦楽曲 ]
春の声が聞こえます。だから、今日はウィンナ・ワルツ集です。
「春の声~シュトラウス・コンサート」と称した、ウィリー・ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルの演奏。
1950年代から1970年代にかけての録音。DECCA原盤なので、おそらくソフィエンザールでの録音。
長いこと、LP3000円シリーズの、1970年代としては廉価盤だったものを聴いてきたが、今日はCDを取り出して気楽に聴いてます。
何を今さら、と云うべきド定盤のワルツ集。
しかし、これは何度聴いてもエエんだなぁ。ウィーン・フィルの音が、ふるいつきたくなるようなイイ音であって、指揮はイキでイナセなボスコフスキー。
このウィーン・フィルの魅惑的な響きに浸っていると、それだけで幸福になってしまう。
テンポといい、リズムといい、心地よいことこの上なしだし、ここぞでのルバートがまたカッコよく、垣間見せる粋な表情は微笑みをたたえて、陳腐な言い方だが、それこそ筆舌に尽くしがたい。
ウィーン・フィルの音は優美で優雅で、しかもしなやかな弾力と清の強さもある。さらに軟体動物のような柔らかさもある。繊細な響き、ニュアンス多彩な音色も最高。まあ、これほどのオケはあるんかいなぁと思いつつ、そのオケが親しみやすいワルツを演奏するのだから、これはたまらん。
「美しく青きドナウ」など、ワシらが音楽と云わんばかり。楽しんで演奏しているのが伝わってくる。
「南国のバラ」の開始部分などは、ため息の出る美しさ。そして、ウットリするような音楽の運び。微妙に音がずれる(ずれるように演奏しているんだろう)ところも、たまらない魅力。ヴァイオリンの艶やかな響きはもちろんだが、金管群のオシャレな響きも素晴らしい。こればかりは、他のオケがナンボ真似しようとしたって、出来ないところだろう。
「春の声」も同様の鮮やかさ。ヴァイオリンのキュッ、キュッという軽く艶やかな音は、「小股の切れ上がった女」のようなカッコよさ、あでやかさ。(表現が古いか(^^ゞ)
「ウィーンの森の物語」、チターは名手アントン・カラス。「第三の男」を思い出す。
そして「皇帝円舞曲」に「こうもり」序曲も、一気に楽しみました。
手拍子で一緒に踊りたくなる楽しさ。
ウキウキするような音楽ってのも、エエもんです。
DECCA録音も優秀です。今も鮮やかな音でVPOを聴けます。
録音年の間隔があいているようですが、音は一様、さすがです。
バラツキがありません。
「春の声~シュトラウス・コンサート」と称した、ウィリー・ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルの演奏。
1950年代から1970年代にかけての録音。DECCA原盤なので、おそらくソフィエンザールでの録音。
長いこと、LP3000円シリーズの、1970年代としては廉価盤だったものを聴いてきたが、今日はCDを取り出して気楽に聴いてます。
何を今さら、と云うべきド定盤のワルツ集。
しかし、これは何度聴いてもエエんだなぁ。ウィーン・フィルの音が、ふるいつきたくなるようなイイ音であって、指揮はイキでイナセなボスコフスキー。
このウィーン・フィルの魅惑的な響きに浸っていると、それだけで幸福になってしまう。
テンポといい、リズムといい、心地よいことこの上なしだし、ここぞでのルバートがまたカッコよく、垣間見せる粋な表情は微笑みをたたえて、陳腐な言い方だが、それこそ筆舌に尽くしがたい。
ウィーン・フィルの音は優美で優雅で、しかもしなやかな弾力と清の強さもある。さらに軟体動物のような柔らかさもある。繊細な響き、ニュアンス多彩な音色も最高。まあ、これほどのオケはあるんかいなぁと思いつつ、そのオケが親しみやすいワルツを演奏するのだから、これはたまらん。
「美しく青きドナウ」など、ワシらが音楽と云わんばかり。楽しんで演奏しているのが伝わってくる。
「南国のバラ」の開始部分などは、ため息の出る美しさ。そして、ウットリするような音楽の運び。微妙に音がずれる(ずれるように演奏しているんだろう)ところも、たまらない魅力。ヴァイオリンの艶やかな響きはもちろんだが、金管群のオシャレな響きも素晴らしい。こればかりは、他のオケがナンボ真似しようとしたって、出来ないところだろう。
「春の声」も同様の鮮やかさ。ヴァイオリンのキュッ、キュッという軽く艶やかな音は、「小股の切れ上がった女」のようなカッコよさ、あでやかさ。(表現が古いか(^^ゞ)
「ウィーンの森の物語」、チターは名手アントン・カラス。「第三の男」を思い出す。
そして「皇帝円舞曲」に「こうもり」序曲も、一気に楽しみました。
手拍子で一緒に踊りたくなる楽しさ。
ウキウキするような音楽ってのも、エエもんです。
DECCA録音も優秀です。今も鮮やかな音でVPOを聴けます。
録音年の間隔があいているようですが、音は一様、さすがです。
バラツキがありません。
2007/04/23のBlog
[ 05:03 ]
[ 協奏曲 ]
春雨の中、自治会の会費などを集めておりました。
今年は我が家に役員が当たる年、区民運動会やお祭りなどのお世話をしなくちゃいけません。昨日はノンビリと、暖かい雨の中、地域を歩きました。
新緑が雨に濡れて、田舎らしい美しさでありました。田んぼも今年の準備が進んでます。春です。
さて、今日はモーツァルトのピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595。
アンネローゼ・シュミットのピアノ独奏、クルト・マズア指揮ドレスデン・フィルの演奏。
録音は1970年~77年頃、ベルリン・クラシックスから出た輸入廉価盤のCD10枚組全集からの1枚。この全集は激安もさることながら、どの演奏も粒ぞろいで質が高いのがイイ。録音も穏やかで豊かな残響を楽しめるもの。
この人はいいピアニストだったと思う。モーツァルトのピアノ協奏曲全集はその代表盤と思うが、どの曲も滋味あふれる佳演だった。
この第27番は、シュミット女史にしては力が入った演奏。他の演奏では、淡々と優美に弾くことが多かったが、ラスト27番は少し力みが聞こえる演奏になっている。
タッチは力強く克明。一音一音しっかり弾いている感じ。特に一拍目が強い。
モーツァルト最後のピアノ協奏曲。白鳥の歌のような曲、色で云えば純白のイメージ。彼岸の世界を表現しているような独特の曲想。
ギャラントな雰囲気は消えて、枯淡と云ってもいいような演奏がこの曲には多かった。
それだけに、(しかもシュミットだけに)、この力強さは特徴的だと思う。
ドレスデン・フィルの音が素晴らしく(ルカ教会での録音が効いている)、聴きごたえがある。何とも心地よく落ち着きのある音で、ドレスデン・シュターツカペレの音に近い。楽器の融け合いが美しく、優しい響きが全く印象的。
マズアの指揮は平均点的。可もなく不可もなしと云うべきか。テンポは中庸だが、時々個性的なアクセントがある。東独の実力者なのだろうが、僕にはちょっと、よく分からない。
第1楽章からフィナーレのロンドまで、克明で力強い演奏。早春の喜びというよりは、春たけなわの明朗さという感じ。
ピアノの響きは、よく粒が揃ってとても綺麗。
面白く、素敵な協奏曲に仕上がっております。
今年は我が家に役員が当たる年、区民運動会やお祭りなどのお世話をしなくちゃいけません。昨日はノンビリと、暖かい雨の中、地域を歩きました。
新緑が雨に濡れて、田舎らしい美しさでありました。田んぼも今年の準備が進んでます。春です。
さて、今日はモーツァルトのピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595。
アンネローゼ・シュミットのピアノ独奏、クルト・マズア指揮ドレスデン・フィルの演奏。
録音は1970年~77年頃、ベルリン・クラシックスから出た輸入廉価盤のCD10枚組全集からの1枚。この全集は激安もさることながら、どの演奏も粒ぞろいで質が高いのがイイ。録音も穏やかで豊かな残響を楽しめるもの。
この人はいいピアニストだったと思う。モーツァルトのピアノ協奏曲全集はその代表盤と思うが、どの曲も滋味あふれる佳演だった。
この第27番は、シュミット女史にしては力が入った演奏。他の演奏では、淡々と優美に弾くことが多かったが、ラスト27番は少し力みが聞こえる演奏になっている。
タッチは力強く克明。一音一音しっかり弾いている感じ。特に一拍目が強い。
モーツァルト最後のピアノ協奏曲。白鳥の歌のような曲、色で云えば純白のイメージ。彼岸の世界を表現しているような独特の曲想。
ギャラントな雰囲気は消えて、枯淡と云ってもいいような演奏がこの曲には多かった。
それだけに、(しかもシュミットだけに)、この力強さは特徴的だと思う。
ドレスデン・フィルの音が素晴らしく(ルカ教会での録音が効いている)、聴きごたえがある。何とも心地よく落ち着きのある音で、ドレスデン・シュターツカペレの音に近い。楽器の融け合いが美しく、優しい響きが全く印象的。
マズアの指揮は平均点的。可もなく不可もなしと云うべきか。テンポは中庸だが、時々個性的なアクセントがある。東独の実力者なのだろうが、僕にはちょっと、よく分からない。
第1楽章からフィナーレのロンドまで、克明で力強い演奏。早春の喜びというよりは、春たけなわの明朗さという感じ。
ピアノの響きは、よく粒が揃ってとても綺麗。
面白く、素敵な協奏曲に仕上がっております。
2007/04/22のBlog
[ 05:07 ]
[ 交響曲 ]
春らしい穏やかな休日でした。
日中は汗ばむくらい。春風が清々しかったですね。
HMVに注文しました。クリップスのモーツァルトに、ズスケ四重奏団のベートーヴェンとモーツァルト。いずれもボックス物廉価盤です。
ここのところ、コメントを沢山頂戴して、本当に嬉しく思います。有難うございます。その中で、皆さんがお褒めになるセットです。「なるほど、これは聴いてみなくちゃイカンわいなぁ」と思ったのです。少々散財ですが、一期一会でもありますし、人生楽しまなくちゃ損というのは、亡父の介護・看病と葬儀を通してこの半年ほどつくづく感じました。
健康第一、元気第一、顔で笑って心で泣いて、人生意気に感じつつ、人間至る処青山ありさ・・・・グズグズ言っているヒマがあったら、人生楽しまなくちゃ。
(と、いかにもそれっぽいことを書いて、この散財を正当化しておきまっしょい・・・・ガハハ(笑)・・・・)
さて、今日の音楽であります。
・・・・・・この人も人生を楽しんだクチだろうなぁと思います。
ハイドンの交響曲第103番 変ホ長調「太鼓連打」。
コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1976年11月、コンセルトヘボウでの録音。
何度聴いても飽きない、格調高く、凛とした名演。
穏健なイギリス紳士が、ヨーロッパ屈指の銘器を振った正調で優美なハイドン。
聴き手に安心と幸福とを約束してくれる演奏。
1970年代後半に、デイヴィスがアムステルダム・コンセルトヘボウ管と録音した演奏は、全く名演揃い。録音も素晴らしく、今も感動的な音。
第1楽章の主部の何という美しさ、品の良さ。
使い慣れた器で上質なコーヒーを呑んでいるような感じ。「ささやかな幸福」とは、こういう音楽を聴いているときではないかと思う。クラシック音楽を好きになって良かった、と思うような音であり、演奏。
ACOの響きは手に馴染む木製の道具、着慣れた服の優しい肌触り。アンサンブルはイイし、上質のホールトーンがさらに花を添えている。
第2楽章の静謐もまたイイ。音量が小さいときでも音が痩せず、ふっくらしているのはさすがにコンセルトヘボウ管。独奏のヴァイオリンも絶品。(コンマスのヘルマン・クレバースだと思う)
第3楽章はメヌエット。舞曲風の演奏は、デイヴィスの指揮で格調高いものになっている。
そして、オケが有機体のように多彩なニュアンスを発する第4楽章。みごとなフィナーレだと思う。
デイヴィス/ACOの「ロンドン・セット」はレコード発売当初から、1枚もので出るたびに絶賛されていた名盤ばかり。LPが2500円、2800円の時代でありました。
今、僕が聴いているこのCDは、フィリップスのDUOシリーズの廉価盤。2枚組×2で、この全集が揃ってしまいます。まったく、隔世の感があります。
日中は汗ばむくらい。春風が清々しかったですね。
HMVに注文しました。クリップスのモーツァルトに、ズスケ四重奏団のベートーヴェンとモーツァルト。いずれもボックス物廉価盤です。
ここのところ、コメントを沢山頂戴して、本当に嬉しく思います。有難うございます。その中で、皆さんがお褒めになるセットです。「なるほど、これは聴いてみなくちゃイカンわいなぁ」と思ったのです。少々散財ですが、一期一会でもありますし、人生楽しまなくちゃ損というのは、亡父の介護・看病と葬儀を通してこの半年ほどつくづく感じました。
健康第一、元気第一、顔で笑って心で泣いて、人生意気に感じつつ、人間至る処青山ありさ・・・・グズグズ言っているヒマがあったら、人生楽しまなくちゃ。
(と、いかにもそれっぽいことを書いて、この散財を正当化しておきまっしょい・・・・ガハハ(笑)・・・・)
さて、今日の音楽であります。
・・・・・・この人も人生を楽しんだクチだろうなぁと思います。
ハイドンの交響曲第103番 変ホ長調「太鼓連打」。
コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1976年11月、コンセルトヘボウでの録音。
何度聴いても飽きない、格調高く、凛とした名演。
穏健なイギリス紳士が、ヨーロッパ屈指の銘器を振った正調で優美なハイドン。
聴き手に安心と幸福とを約束してくれる演奏。
1970年代後半に、デイヴィスがアムステルダム・コンセルトヘボウ管と録音した演奏は、全く名演揃い。録音も素晴らしく、今も感動的な音。
第1楽章の主部の何という美しさ、品の良さ。
使い慣れた器で上質なコーヒーを呑んでいるような感じ。「ささやかな幸福」とは、こういう音楽を聴いているときではないかと思う。クラシック音楽を好きになって良かった、と思うような音であり、演奏。
ACOの響きは手に馴染む木製の道具、着慣れた服の優しい肌触り。アンサンブルはイイし、上質のホールトーンがさらに花を添えている。
第2楽章の静謐もまたイイ。音量が小さいときでも音が痩せず、ふっくらしているのはさすがにコンセルトヘボウ管。独奏のヴァイオリンも絶品。(コンマスのヘルマン・クレバースだと思う)
第3楽章はメヌエット。舞曲風の演奏は、デイヴィスの指揮で格調高いものになっている。
そして、オケが有機体のように多彩なニュアンスを発する第4楽章。みごとなフィナーレだと思う。
デイヴィス/ACOの「ロンドン・セット」はレコード発売当初から、1枚もので出るたびに絶賛されていた名盤ばかり。LPが2500円、2800円の時代でありました。
今、僕が聴いているこのCDは、フィリップスのDUOシリーズの廉価盤。2枚組×2で、この全集が揃ってしまいます。まったく、隔世の感があります。
2007/04/21のBlog
[ 04:45 ]
[ 協奏曲 ]
春です。桜は散りましたが、ツツジが咲き始めました。
朝のジョギングコース、西条市のひうち総合運動場付近には、ツツジが沢山植えられています。これがもうそろそろ見頃。
そういえば、この1週間で走路の木々の緑が増えた感じ。新しい葉っぱがどんどん出てきているんですな。この緑のシャワーを浴びながらのジョギングはたいそう気持ちがエエんです。走り始めて30分後くらいが、もう最高の気分、いわゆる「ジョギング・ハイ」。
汗だくの後、今度は本当のシャワーを浴びて、朝食をむしゃむしゃ喰うのも、気分がよろしい。
健康第一、元気第一、ほんでもって聴くクラシック音楽は最高でありますな。王侯将相よりも、今のワタシの方が幸福なのかもしれません・・・・・。
そして、今日も爽快なモーツァルトであります。
モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.229。
ジェイムズ・ゴールウェイ(fl)とフリッツ・ヘルミス(hp)の独奏、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏。
1971年8月、サン・モリッツのフランス教会での録音。EMI盤。
(これはダブリ買いした2枚組。涙の出るような、いや、噴飯物の話はこちらであります)
ゴールウェイのフルートがたっぷりと豊かに歌い、音楽の運びはふくらみがあって柔らかい。直線的に進むのではなく、穏やかな曲線を描きながら、幸福感とともに進んでゆく感じ。フルートの音色は黄金色に輝く。鮮やかで伸びやかな響きも美しい。
ベルリン・フィルの首席奏者として、溌剌としていた頃のゴールウェイが聴ける、これは貴重なCDかもしれない。
ヘルミスのハープは、自己主張するよりもゴールウェイを支える側に回っている感じ。伴奏、通奏低音のような印象もある。品は良いし、清潔な演奏なのだが、もう少し前に出てもいいかな、とも思う。もともとハープは大きな音量が出る楽器ではないのだろうが・・・・。
カラヤン/BPOのゴージャスな音が背景としてあるからかもしれない。
カラヤンのモーツァルトは、逞しくスケール豊かな音楽になる。ここでも、BPOというオケを生かして、ギャラントでゴージャスな演奏ぶり。
現代のモーツァルトはこう演奏するしかないだろう、と云わんばかりの自信に満ちたモーツァルト。
カデンツァが聴きもの。
第1楽章では、二人のソロが美しさの限り。ガラス細工のような透明な響きで、ため息が出るような音。かけがえのない音。
第2楽章でも、柔らかく美しい。フルートとハープの、ネットリとした絡みを楽しみたい。ゴールウェイのフルートは自由闊達で、高音はしなやかに伸びてゆく。低音はグッと引き締まる音色で頼もしい感じ。この演奏で最も美しい瞬間が聴ける。
録音は水準以上だと思います。
EMIの1970年代の録音は、まずまずのものが多いんです。
CD時代になって、EMIは録音が悪くなりました(少なくとも、我が家では)。
アナログ時代のEMIには、残響豊かで柔らかく聴きやすい音が多いようです。
朝のジョギングコース、西条市のひうち総合運動場付近には、ツツジが沢山植えられています。これがもうそろそろ見頃。
そういえば、この1週間で走路の木々の緑が増えた感じ。新しい葉っぱがどんどん出てきているんですな。この緑のシャワーを浴びながらのジョギングはたいそう気持ちがエエんです。走り始めて30分後くらいが、もう最高の気分、いわゆる「ジョギング・ハイ」。
汗だくの後、今度は本当のシャワーを浴びて、朝食をむしゃむしゃ喰うのも、気分がよろしい。
健康第一、元気第一、ほんでもって聴くクラシック音楽は最高でありますな。王侯将相よりも、今のワタシの方が幸福なのかもしれません・・・・・。
そして、今日も爽快なモーツァルトであります。
モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.229。
ジェイムズ・ゴールウェイ(fl)とフリッツ・ヘルミス(hp)の独奏、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏。
1971年8月、サン・モリッツのフランス教会での録音。EMI盤。
(これはダブリ買いした2枚組。涙の出るような、いや、噴飯物の話はこちらであります)
ゴールウェイのフルートがたっぷりと豊かに歌い、音楽の運びはふくらみがあって柔らかい。直線的に進むのではなく、穏やかな曲線を描きながら、幸福感とともに進んでゆく感じ。フルートの音色は黄金色に輝く。鮮やかで伸びやかな響きも美しい。
ベルリン・フィルの首席奏者として、溌剌としていた頃のゴールウェイが聴ける、これは貴重なCDかもしれない。
ヘルミスのハープは、自己主張するよりもゴールウェイを支える側に回っている感じ。伴奏、通奏低音のような印象もある。品は良いし、清潔な演奏なのだが、もう少し前に出てもいいかな、とも思う。もともとハープは大きな音量が出る楽器ではないのだろうが・・・・。
カラヤン/BPOのゴージャスな音が背景としてあるからかもしれない。
カラヤンのモーツァルトは、逞しくスケール豊かな音楽になる。ここでも、BPOというオケを生かして、ギャラントでゴージャスな演奏ぶり。
現代のモーツァルトはこう演奏するしかないだろう、と云わんばかりの自信に満ちたモーツァルト。
カデンツァが聴きもの。
第1楽章では、二人のソロが美しさの限り。ガラス細工のような透明な響きで、ため息が出るような音。かけがえのない音。
第2楽章でも、柔らかく美しい。フルートとハープの、ネットリとした絡みを楽しみたい。ゴールウェイのフルートは自由闊達で、高音はしなやかに伸びてゆく。低音はグッと引き締まる音色で頼もしい感じ。この演奏で最も美しい瞬間が聴ける。
録音は水準以上だと思います。
EMIの1970年代の録音は、まずまずのものが多いんです。
CD時代になって、EMIは録音が悪くなりました(少なくとも、我が家では)。
アナログ時代のEMIには、残響豊かで柔らかく聴きやすい音が多いようです。
2007/04/20のBlog
[ 05:06 ]
[ 室内楽曲 ]
夜はまだ冷え込みます。
年度初めの仕事の山もようやく一息ついたかいなぁ・・・・・・・と思ったら、連休前に片付けなければいけない仕事がまたドンとやってきました。ヤレヤレであります。
さて、今日は室内楽をモゾモゾ聴いております。
モーツァルトの弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K.458「狩」。
ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の演奏。
1990年12月、ウィーンでの録音。
タワーレコードが発売しているウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の8枚組BOXセットからの1枚。モーツァルトやハイドン、シューベルト、ブラームスの室内楽の選集で、なかなか聴きごたえがある。
すでにベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集も同じ8枚組で出ており、いずれも6000円なので、廉価盤であります。
「狩」を聴くのは楽しい、冒頭のあのヴァイオリンの下降してくる弾むような旋律が耳に入ってくるだけで、心も弾んでくる。
鳥の囀りを思わせるヴァイオリンのトリル、ヴィオラの音色の渋さ、チェロの響きの豊かさ。いずれも計算され尽くした見事な室内楽だと思う。
(いや、モーツァルトの天才は、計算などこざかしい人間業を行うはずもないか?)
キュッヒルのヴァイオリンはとても綺麗。
優しく典雅なウィーンスタイルに、厳しさと格調とを加えたような演奏ぶり。しなやかで流麗なヴァイオリンの中に、凛とした潔さを感じる。
第1楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイは全く快活爽快な演奏。アンサンブルも緊密で、聴きごたえ十分。キュッヒルのヴァイオリンはもちろん爽やかで素晴らしいし、ハインツ・コルのヴィオラがイイ味わい。やや控えめながら、存在感のある渋い音色で2本のヴァイオリンを下支えしている。
第2楽章は遅めのテンポ。メヌエットがクッキリと響く。
第3楽章はアダージョ。ハイドンセット唯一のアダージョ。
これはこの演奏の白眉かな。モーツァルトの憂愁と思索が聞こえてくるような音楽になっている。
アンサンブルがよいので、響きが透明。研ぎ澄まされた理性というべきか、理知的な演奏というべきか。
第4楽章アレグロ・アッサイは爽快躍動鮮烈な名演。
ああ、「狩」を聴く楽しさ、ここに極まれり。
録音は抜群であります。
室内楽の楽しみを最高に味わえる名録音。透明度、広がり、残響どれをとっても最高水準と思います。
演奏も録音も爽やかな8枚組のセット。ボチボチと聴いていきたいと思います。
年度初めの仕事の山もようやく一息ついたかいなぁ・・・・・・・と思ったら、連休前に片付けなければいけない仕事がまたドンとやってきました。ヤレヤレであります。
さて、今日は室内楽をモゾモゾ聴いております。
モーツァルトの弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K.458「狩」。
ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の演奏。
1990年12月、ウィーンでの録音。
タワーレコードが発売しているウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の8枚組BOXセットからの1枚。モーツァルトやハイドン、シューベルト、ブラームスの室内楽の選集で、なかなか聴きごたえがある。
すでにベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集も同じ8枚組で出ており、いずれも6000円なので、廉価盤であります。
「狩」を聴くのは楽しい、冒頭のあのヴァイオリンの下降してくる弾むような旋律が耳に入ってくるだけで、心も弾んでくる。
鳥の囀りを思わせるヴァイオリンのトリル、ヴィオラの音色の渋さ、チェロの響きの豊かさ。いずれも計算され尽くした見事な室内楽だと思う。
(いや、モーツァルトの天才は、計算などこざかしい人間業を行うはずもないか?)
キュッヒルのヴァイオリンはとても綺麗。
優しく典雅なウィーンスタイルに、厳しさと格調とを加えたような演奏ぶり。しなやかで流麗なヴァイオリンの中に、凛とした潔さを感じる。
第1楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイは全く快活爽快な演奏。アンサンブルも緊密で、聴きごたえ十分。キュッヒルのヴァイオリンはもちろん爽やかで素晴らしいし、ハインツ・コルのヴィオラがイイ味わい。やや控えめながら、存在感のある渋い音色で2本のヴァイオリンを下支えしている。
第2楽章は遅めのテンポ。メヌエットがクッキリと響く。
第3楽章はアダージョ。ハイドンセット唯一のアダージョ。
これはこの演奏の白眉かな。モーツァルトの憂愁と思索が聞こえてくるような音楽になっている。
アンサンブルがよいので、響きが透明。研ぎ澄まされた理性というべきか、理知的な演奏というべきか。
第4楽章アレグロ・アッサイは爽快躍動鮮烈な名演。
ああ、「狩」を聴く楽しさ、ここに極まれり。
録音は抜群であります。
室内楽の楽しみを最高に味わえる名録音。透明度、広がり、残響どれをとっても最高水準と思います。
演奏も録音も爽やかな8枚組のセット。ボチボチと聴いていきたいと思います。
2007/04/19のBlog
[ 05:40 ]
[ 交響曲 ]
冬に逆戻りしたような寒さでした。雨も一時的に強かったですね。
周囲ではインフルエンザが流行しています。
寒さも流感も、今年の「冬」は遅かったのかしら。
さて、今日はモーツァルトの爽やかな交響曲を。
モーツァルトの交響曲第29番 イ長調 K.201。
ハンス・グラーフ指揮モーツァルテウム管弦楽団の演奏。
録音は1980年代後半。13枚組2890円という超廉価盤・・・・・何という価格。
モーツァルテウム管弦楽団は、ザルツブルク音楽祭のマチネーコンサートでお馴染みの楽団。僕にとっては、正月三が日にこのコンサートの様子をNHK-FMが放送していたので、(そして、三が日といえばそんなに外出することもなく、酒を呑めない僕は結構ヒマであって)、よく聴いていた懐かしい楽団でもあります。
演奏は、この楽団(というよりアンサンブルか)らしく、小編成のオーケストラが美しく、アンサンブルも上々で実に心地よいもの。
合奏が整っているので、響きの余韻がとても美しい。
ヴァイオリン群の響きが消えてゆくときの美しさは、ため息が出るほど。よく揃っているのと、小編成なのと、録音が自然でシンプルなのと・・・・色々な要素がすべてプラスに働いて、美しい余韻になっているのだと思う。
そもそも、この交響曲は、モーツァルトにとってイタリア様式からオーストリア様式への分かれ目になった曲だということで、全体的に和やかで室内楽的な喜びにあふれている佳曲。
モーツァルテウム管弦楽団の、まさに室内楽をやっているような息のあった演奏が、実に楽しい。
グラーフの指揮は、のびのびと楽しんでやっていこうとする感じで、力みがなく、サラサラ系スッキリ系の演奏。これが、この曲には合っていると思う。
第1楽章は爽快な喜び。
第2楽章は穏やかな表情。弦楽セクションの抑えたトーンが何とも品が良い。優美でたおやかな演奏。
第3楽章は精密なメヌエット。アンサンブルの良さが生きている。
第4楽章は明朗で爽やかなフィナーレ。ロッシーニの序曲を思わせる爽快さ。
録音も爽やかな空間が広がる好録音。
激安でこんな全集が聴けてしまう、ホンマにエエ時代でありますな。
周囲ではインフルエンザが流行しています。
寒さも流感も、今年の「冬」は遅かったのかしら。
さて、今日はモーツァルトの爽やかな交響曲を。
モーツァルトの交響曲第29番 イ長調 K.201。
ハンス・グラーフ指揮モーツァルテウム管弦楽団の演奏。
録音は1980年代後半。13枚組2890円という超廉価盤・・・・・何という価格。
モーツァルテウム管弦楽団は、ザルツブルク音楽祭のマチネーコンサートでお馴染みの楽団。僕にとっては、正月三が日にこのコンサートの様子をNHK-FMが放送していたので、(そして、三が日といえばそんなに外出することもなく、酒を呑めない僕は結構ヒマであって)、よく聴いていた懐かしい楽団でもあります。
演奏は、この楽団(というよりアンサンブルか)らしく、小編成のオーケストラが美しく、アンサンブルも上々で実に心地よいもの。
合奏が整っているので、響きの余韻がとても美しい。
ヴァイオリン群の響きが消えてゆくときの美しさは、ため息が出るほど。よく揃っているのと、小編成なのと、録音が自然でシンプルなのと・・・・色々な要素がすべてプラスに働いて、美しい余韻になっているのだと思う。
そもそも、この交響曲は、モーツァルトにとってイタリア様式からオーストリア様式への分かれ目になった曲だということで、全体的に和やかで室内楽的な喜びにあふれている佳曲。
モーツァルテウム管弦楽団の、まさに室内楽をやっているような息のあった演奏が、実に楽しい。
グラーフの指揮は、のびのびと楽しんでやっていこうとする感じで、力みがなく、サラサラ系スッキリ系の演奏。これが、この曲には合っていると思う。
第1楽章は爽快な喜び。
第2楽章は穏やかな表情。弦楽セクションの抑えたトーンが何とも品が良い。優美でたおやかな演奏。
第3楽章は精密なメヌエット。アンサンブルの良さが生きている。
第4楽章は明朗で爽やかなフィナーレ。ロッシーニの序曲を思わせる爽快さ。
録音も爽やかな空間が広がる好録音。
激安でこんな全集が聴けてしまう、ホンマにエエ時代でありますな。
2007/04/18のBlog
[ 05:03 ]
[ 管弦楽曲 ]
寒冷前線の影響か、冷え込みました。
風邪も流行っているそうで、遅まきながらインフルエンザが周囲で出てます。
年度初めの業務の多忙さはやや緩和してきましたが、連休まで、あと2つほど大きな仕事を完了させなくちゃいけません。
トシをとると責任が増えてシンドイですなぁ・・・・・。
さて、今日はR・シュトラウスの豪華な曲をいきましょう。
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30。
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
ヴァイオリンの独奏はヘルマン・クレバース。
1973年4月、コンセルトヘボウでの録音。フィリップス盤。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管の暖かく柔らかい音が印象的な佳演。
オーディオ的にも文句ない録音。冒頭だけ聴いてもスッキリする。
あの壮大華麗な冒頭は、ボクらが若い頃のオーディオ・ブームで盛んにデモされたものだった。1970年代から1980年代末は、ステレオの日進月歩の時代。R・シュトラウスやマーラーなどは、その時代にふさわしい作曲家だったろう。
このハイティンク盤もその中の一つ。
ただ、R・シュトラウスというと虚仮威し的な、音の饗宴に終わってしまって内容空疎な演奏が結構多かった中で、ハイティンクのR・シュトラウスは充実していて中身がはち切れんばかりなのが素晴らしい。外面よりも内面という感じ。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管の音も、フルスケールの最強奏でも崩れないのはさすが。テンポやフレージングも心地よく、妙なアゴーギクもないので実に耳あたりがよろしい。
特に冒頭の大演奏が終わって、「現実に背を向ける人々」の部分の安らかな響きが素晴らしい。激しい音響が済んで、暖かく包み込まれるような気持ちよさ。柔らかく、ふっくらとした響きは真綿のようで、これに身を任せるのは至福の境地か。
ハイティンクのフレージングが良いので、オケが気持ちよく演奏しているのが伝わってくる。
随所に感じるのはアンサンブルの緊密さ。お互いの音をよく聴き合いながら、それぞれの楽器がコンセルトヘボウの見事な残響の中で、様々な色彩となって融け合う様子は、ホンマに素晴らしい。
ヴァイオリンのソロはコンマスのヘルマン・クレバース。当時ヨーロッパ最高と謳われたという名コンマスを聴けるのは嬉しい。全くエエ音。
常任指揮者に就任して10年余、ハイティンクとコンセルトヘボウ管がお互いを理解し合う、円満な関係になっているのが聞こえてくるような演奏。
何も激しくガンガン鳴らすのがR・シュトラウスじゃないですな。
こういう「ツァラトゥストラ」もエエなぁと思います。
音響は、70年代アナログ録音の粋、大変聴きやすい録音であります。
オーディオ的な快感であり、オーケストラに包まれる幸福を味わえます。
風邪も流行っているそうで、遅まきながらインフルエンザが周囲で出てます。
年度初めの業務の多忙さはやや緩和してきましたが、連休まで、あと2つほど大きな仕事を完了させなくちゃいけません。
トシをとると責任が増えてシンドイですなぁ・・・・・。
さて、今日はR・シュトラウスの豪華な曲をいきましょう。
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30。
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
ヴァイオリンの独奏はヘルマン・クレバース。
1973年4月、コンセルトヘボウでの録音。フィリップス盤。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管の暖かく柔らかい音が印象的な佳演。
オーディオ的にも文句ない録音。冒頭だけ聴いてもスッキリする。
あの壮大華麗な冒頭は、ボクらが若い頃のオーディオ・ブームで盛んにデモされたものだった。1970年代から1980年代末は、ステレオの日進月歩の時代。R・シュトラウスやマーラーなどは、その時代にふさわしい作曲家だったろう。
このハイティンク盤もその中の一つ。
ただ、R・シュトラウスというと虚仮威し的な、音の饗宴に終わってしまって内容空疎な演奏が結構多かった中で、ハイティンクのR・シュトラウスは充実していて中身がはち切れんばかりなのが素晴らしい。外面よりも内面という感じ。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管の音も、フルスケールの最強奏でも崩れないのはさすが。テンポやフレージングも心地よく、妙なアゴーギクもないので実に耳あたりがよろしい。
特に冒頭の大演奏が終わって、「現実に背を向ける人々」の部分の安らかな響きが素晴らしい。激しい音響が済んで、暖かく包み込まれるような気持ちよさ。柔らかく、ふっくらとした響きは真綿のようで、これに身を任せるのは至福の境地か。
ハイティンクのフレージングが良いので、オケが気持ちよく演奏しているのが伝わってくる。
随所に感じるのはアンサンブルの緊密さ。お互いの音をよく聴き合いながら、それぞれの楽器がコンセルトヘボウの見事な残響の中で、様々な色彩となって融け合う様子は、ホンマに素晴らしい。
ヴァイオリンのソロはコンマスのヘルマン・クレバース。当時ヨーロッパ最高と謳われたという名コンマスを聴けるのは嬉しい。全くエエ音。
常任指揮者に就任して10年余、ハイティンクとコンセルトヘボウ管がお互いを理解し合う、円満な関係になっているのが聞こえてくるような演奏。
何も激しくガンガン鳴らすのがR・シュトラウスじゃないですな。
こういう「ツァラトゥストラ」もエエなぁと思います。
音響は、70年代アナログ録音の粋、大変聴きやすい録音であります。
オーディオ的な快感であり、オーケストラに包まれる幸福を味わえます。
2007/04/17のBlog
[ 04:15 ]
[ 器楽曲 ]
今日は怒っております。
まあ、ヒドイ数のトラックバック。全部アメリカのサイトからのもの。そして、いったんどこかに飛んで最後には何かの販売店(英語だから分からん!)にたどり着くことになっています。
昨日は特にひどかった。午後6時頃と9時頃、2度にわたる大TB攻撃が押し寄せたらしく、もう、TB欄が英語だらけ。ワタシャ、その削除に追われました。
「エエ加減にせぇよ、オラ。なめたらアカンぜよ。」と売られた喧嘩は買わなアカンと思うんですが、何せ相手はネットの世界、振り上げた拳を下ろす場所がない・・・・・やれやれであります(^^ゞ。
ここのDoblog、今や大変軽くなって、しかもシンプルな操作なので僕は気に入っているんですが、TBが時折文字化けするのと今回のような米国からの波状攻撃(実は他の国かもしれませんが)だけは、何とかして欲しいなと思います。
さて、音楽であります。
J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調 BWV1002。
ナタン・ミルシテインのヴァイオリン独奏。
1973年9月録音のDG盤。
ミルシテイン70歳とは信じられないような瑞々しい演奏。技巧も素晴らしいし、音楽が精気に濡れて若々しい。
尤も、バッハの「無伴奏のヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のような高みにある作品ともなると、ヴァイオリニストがどうだの、演奏がどうだのと云っても、そんなものは超越しまうような気がする。
そこそこの腕のヴァイオリンで聴かせてくれれば、大概、感動してしまう。そんな作品。
クラシック音楽を聴くのはボクの趣味であって、楽しみのために聴いているので、くつろいで本など読みながら聴いているときもあるし、家での持ち帰り仕事中に流しっぱなしで聴いていることも多い。
でも、時々、聴いていて襟を正してしまう、背筋を伸ばして聴きたい(聴かざるを得ない)という音楽もある。スピーカーに正対して、耳を澄ませてしまう音楽。
バッハのこの作品集も、その一つであって、聴くたびに、やはりこれはスゴイ音楽だわいなぁと思う。
さて、演奏。
ミルシテインのバッハは音が濃密。美しく艶があって、ため息が出るほど。
精神の充実も深い。集中力もスゴイ。鬼気迫るところもある。
もちろん、舞曲の楽しいところでは、リズミカルに弾むところもあるのだが、技巧が素晴らしいのとフレージングが清潔なのとで、易きに流れない。
聴きながら、遙か遠い世界のもの、ふだん意識しない形而上的なもの、或いは、もうとうの昔に忘れてしまった若き日々の純粋な物思いのようなもの・・・・そんなものを思ったり、気づかされたり・・・・・。
ヴァイオリン1本の音楽、たったそれだけなのに・・・・。
ああ、バッハの音楽はスゴイなぁ・・・と思うんです。
バッハの名曲、そしてミルシテインの名演のおかげで、冒頭の怒りが少しおさまりました。
まあ、ヒドイ数のトラックバック。全部アメリカのサイトからのもの。そして、いったんどこかに飛んで最後には何かの販売店(英語だから分からん!)にたどり着くことになっています。
昨日は特にひどかった。午後6時頃と9時頃、2度にわたる大TB攻撃が押し寄せたらしく、もう、TB欄が英語だらけ。ワタシャ、その削除に追われました。
「エエ加減にせぇよ、オラ。なめたらアカンぜよ。」と売られた喧嘩は買わなアカンと思うんですが、何せ相手はネットの世界、振り上げた拳を下ろす場所がない・・・・・やれやれであります(^^ゞ。
ここのDoblog、今や大変軽くなって、しかもシンプルな操作なので僕は気に入っているんですが、TBが時折文字化けするのと今回のような米国からの波状攻撃(実は他の国かもしれませんが)だけは、何とかして欲しいなと思います。
さて、音楽であります。
J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調 BWV1002。
ナタン・ミルシテインのヴァイオリン独奏。
1973年9月録音のDG盤。
ミルシテイン70歳とは信じられないような瑞々しい演奏。技巧も素晴らしいし、音楽が精気に濡れて若々しい。
尤も、バッハの「無伴奏のヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のような高みにある作品ともなると、ヴァイオリニストがどうだの、演奏がどうだのと云っても、そんなものは超越しまうような気がする。
そこそこの腕のヴァイオリンで聴かせてくれれば、大概、感動してしまう。そんな作品。
クラシック音楽を聴くのはボクの趣味であって、楽しみのために聴いているので、くつろいで本など読みながら聴いているときもあるし、家での持ち帰り仕事中に流しっぱなしで聴いていることも多い。
でも、時々、聴いていて襟を正してしまう、背筋を伸ばして聴きたい(聴かざるを得ない)という音楽もある。スピーカーに正対して、耳を澄ませてしまう音楽。
バッハのこの作品集も、その一つであって、聴くたびに、やはりこれはスゴイ音楽だわいなぁと思う。
さて、演奏。
ミルシテインのバッハは音が濃密。美しく艶があって、ため息が出るほど。
精神の充実も深い。集中力もスゴイ。鬼気迫るところもある。
もちろん、舞曲の楽しいところでは、リズミカルに弾むところもあるのだが、技巧が素晴らしいのとフレージングが清潔なのとで、易きに流れない。
聴きながら、遙か遠い世界のもの、ふだん意識しない形而上的なもの、或いは、もうとうの昔に忘れてしまった若き日々の純粋な物思いのようなもの・・・・そんなものを思ったり、気づかされたり・・・・・。
ヴァイオリン1本の音楽、たったそれだけなのに・・・・。
ああ、バッハの音楽はスゴイなぁ・・・と思うんです。
バッハの名曲、そしてミルシテインの名演のおかげで、冒頭の怒りが少しおさまりました。
2007/04/16のBlog
[ 05:06 ]
[ 協奏曲 ]
暖かい春の夜でありました。
こういう日にはロマンティックな音楽を聴きたくなります。
そこで・・・・・・。
ショパンのピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21。
ホルヘ・ボレットのピアノ独奏、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の演奏。
1988年6月、モントリオールのサン・ウスタシュでの録音。
第1楽章はマエストーソ。
オーケストラの甘い旋律が印象的な序奏部。柔らかく甘やかな表情の響きが実にイイ。
ボレットのソロはゆったりしたテンポで、ルバートも随所にあって風格十分。ピアノは粒ぞろいで輝くような音。響きには透明感があって、しかも中身には芯があってみっしりと充実している感じ。ヴィルトゥオジティも十分、高速パッセージではボレットの技の冴えを堪能できる。
デュトワとの呼吸もピッタリ、互いを尊重しつつ演奏している様子がよく分かる。言わば、「協調曲」。ベテラン同士の、互いを思いやる演奏が美しい。
第2楽章はラルゲット。
春の夜を思わせる美しい曲。ボレットのソロは柔らかく、草書風の弾き方。
ピアニシモでは、月の光がこぼれてくるような蒼白い輝き。ため息が出るような瞬間。
装飾音もあるし、タッチも微妙に変化させて、ニュアンスが実に多彩。
ああ、それにしても美しい旋律。ショパンが書いた最も綺麗なメロディの一つではなかろうか。青春時代に胸をときめかせて聴き入った思い出が甦ってくる。
フィナーレはアレグロ・ヴィヴァーチェ。
ボレットのピアノはますます好調。さすがにヴィルトゥオーゾ、目まぐるしく指が回転して、メランコリックな終曲を演出してゆく。オケとの協調も見事で文句なしの名演。
録音はDECCAらしい鮮やかなもの。
ピアノを前面に出して、オケを後方に配置。奥行き・左右ともよく広がり、コンサートホールで聴くような快感あり。
ボレットのピアノのカツンとした音もよく録れていると思う。
この演奏を聴きながら、ふと窓の外を見やると、夕食を終えたのか、近くのレストランから出てくる二人連れあり。仲のよい若いカップル。
ああ、このショパンも、恋人を思いながら作曲したのだった。第2楽章の美しさは、この春の夜、若い恋人たちにこそふさわしい。
ホンマ、若いってエエですね。
こういう日にはロマンティックな音楽を聴きたくなります。
そこで・・・・・・。
ショパンのピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21。
ホルヘ・ボレットのピアノ独奏、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の演奏。
1988年6月、モントリオールのサン・ウスタシュでの録音。
第1楽章はマエストーソ。
オーケストラの甘い旋律が印象的な序奏部。柔らかく甘やかな表情の響きが実にイイ。
ボレットのソロはゆったりしたテンポで、ルバートも随所にあって風格十分。ピアノは粒ぞろいで輝くような音。響きには透明感があって、しかも中身には芯があってみっしりと充実している感じ。ヴィルトゥオジティも十分、高速パッセージではボレットの技の冴えを堪能できる。
デュトワとの呼吸もピッタリ、互いを尊重しつつ演奏している様子がよく分かる。言わば、「協調曲」。ベテラン同士の、互いを思いやる演奏が美しい。
第2楽章はラルゲット。
春の夜を思わせる美しい曲。ボレットのソロは柔らかく、草書風の弾き方。
ピアニシモでは、月の光がこぼれてくるような蒼白い輝き。ため息が出るような瞬間。
装飾音もあるし、タッチも微妙に変化させて、ニュアンスが実に多彩。
ああ、それにしても美しい旋律。ショパンが書いた最も綺麗なメロディの一つではなかろうか。青春時代に胸をときめかせて聴き入った思い出が甦ってくる。
フィナーレはアレグロ・ヴィヴァーチェ。
ボレットのピアノはますます好調。さすがにヴィルトゥオーゾ、目まぐるしく指が回転して、メランコリックな終曲を演出してゆく。オケとの協調も見事で文句なしの名演。
録音はDECCAらしい鮮やかなもの。
ピアノを前面に出して、オケを後方に配置。奥行き・左右ともよく広がり、コンサートホールで聴くような快感あり。
ボレットのピアノのカツンとした音もよく録れていると思う。
この演奏を聴きながら、ふと窓の外を見やると、夕食を終えたのか、近くのレストランから出てくる二人連れあり。仲のよい若いカップル。
ああ、このショパンも、恋人を思いながら作曲したのだった。第2楽章の美しさは、この春の夜、若い恋人たちにこそふさわしい。
ホンマ、若いってエエですね。
2007/04/15のBlog
[ 06:08 ]
[ 交響曲 ]
汗ばむほどの暖かい陽気。
久しぶりの休日、昼下がりは音楽三昧でありました。
なかでも良かったのはモーツァルトの交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」。
ヨーゼフ・クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1972年6月、コンセルトヘボウでの録音。フィリップス盤。
モーツァルト最高の交響曲が、素晴らしく幸福に鳴り渡る。ああ、「ジュピター」はかくあって欲しいと思う気持ちを満たしてくれる演奏。
30分間、ひたすらモーツァルトの天才の響きに身を浸しても良し、クリップスの指揮にいちいち頷くも良し、コンセルトヘボウ管のあの懐かしさを伴う暖かい響きに酔うのも良し。
ふっくらと豊かで、愉悦に満ちたモーツァルト。
大編成のオーケストラによる、往年の懐かしいスタイルだが、音楽は清潔で端正、ブヨブヨしたところがないので、爽やかな聴感。
フレージングもアーティキュレーションも自然で穏やかなので、聴いていて実に心地よい。懐かしいオールディーズ、スタンダードナンバーを聴くような安心感がある。
音も素晴らしい。35年も昔の録音とは思えない新鮮さ、自然さ、暖かさ。
コンセルトヘボウの豊かなホールトーンに、アムステルダム・コンセルトヘボウ管特有のほの暗く落ち着いたサウンドが、温もりを伴って部屋中に広がってゆく。
これ、最高の幸福感。至福のひととき。
クリップスの指揮は、ゆったりしたテンポで、気持ちよく進んでゆく。適度な推進力もあるし、リズム感もイイ。
どこにも無理がなく、自然な音楽の運び方で、全く心安まる感じ。
奇をてらったところとか、これ見よがしの(聴きよがしか?)ところがない。
言わば何の変哲もないモーツァルト。
でも、いや、だからこそと云うべきか、様々な味わいが楽しめるモーツァルト。
微妙なニュアンスや味わい深い響きの変化、心の襞をくすぐるような音色の陰影・・・・じっくり聴いていると何とも云えないニュアンス。
そして、音楽全体の品の良さ。
これは、例えていえば、日本人なら飽きることのないコメのメシ。汲み上げた井戸水の美味さ。
昔ながらのやり方で自然に演奏したら、こんなに味わい深いものになってしまった・・・・という感じかな。
もう、肌に染みついてしまった感覚のようなものかもしれない。
ああ、クリップスは素晴らしいモーツァルト指揮者でありました。
21番以降の全集がHMVのサイトで発売されています。(DECCA盤のようですが、同じ音源でしょう)
非常に欲しい気持ちでいます。物欲であります。買うべきでしょうか・・・・・。
久しぶりの休日、昼下がりは音楽三昧でありました。
なかでも良かったのはモーツァルトの交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」。
ヨーゼフ・クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管の演奏。
1972年6月、コンセルトヘボウでの録音。フィリップス盤。
モーツァルト最高の交響曲が、素晴らしく幸福に鳴り渡る。ああ、「ジュピター」はかくあって欲しいと思う気持ちを満たしてくれる演奏。
30分間、ひたすらモーツァルトの天才の響きに身を浸しても良し、クリップスの指揮にいちいち頷くも良し、コンセルトヘボウ管のあの懐かしさを伴う暖かい響きに酔うのも良し。
ふっくらと豊かで、愉悦に満ちたモーツァルト。
大編成のオーケストラによる、往年の懐かしいスタイルだが、音楽は清潔で端正、ブヨブヨしたところがないので、爽やかな聴感。
フレージングもアーティキュレーションも自然で穏やかなので、聴いていて実に心地よい。懐かしいオールディーズ、スタンダードナンバーを聴くような安心感がある。
音も素晴らしい。35年も昔の録音とは思えない新鮮さ、自然さ、暖かさ。
コンセルトヘボウの豊かなホールトーンに、アムステルダム・コンセルトヘボウ管特有のほの暗く落ち着いたサウンドが、温もりを伴って部屋中に広がってゆく。
これ、最高の幸福感。至福のひととき。
クリップスの指揮は、ゆったりしたテンポで、気持ちよく進んでゆく。適度な推進力もあるし、リズム感もイイ。
どこにも無理がなく、自然な音楽の運び方で、全く心安まる感じ。
奇をてらったところとか、これ見よがしの(聴きよがしか?)ところがない。
言わば何の変哲もないモーツァルト。
でも、いや、だからこそと云うべきか、様々な味わいが楽しめるモーツァルト。
微妙なニュアンスや味わい深い響きの変化、心の襞をくすぐるような音色の陰影・・・・じっくり聴いていると何とも云えないニュアンス。
そして、音楽全体の品の良さ。
これは、例えていえば、日本人なら飽きることのないコメのメシ。汲み上げた井戸水の美味さ。
昔ながらのやり方で自然に演奏したら、こんなに味わい深いものになってしまった・・・・という感じかな。
もう、肌に染みついてしまった感覚のようなものかもしれない。
ああ、クリップスは素晴らしいモーツァルト指揮者でありました。
21番以降の全集がHMVのサイトで発売されています。(DECCA盤のようですが、同じ音源でしょう)
非常に欲しい気持ちでいます。物欲であります。買うべきでしょうか・・・・・。