ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
~三線の響きをイギリスより~
Blog
[ 総Blog数:582件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
前のページ   |   次のページ
2005/03/11のBlog
[ShiroさんのBlog「SHU CHOoo!!!]

昨日、一人でいるときに訳もなく「なんでボクはこのBlogを作ってんだろ?」と思っていた。色々なことを考えていたら、自分にとって3つ大きな転機があるんだなーと感じた。

一つ目はLeeds時代のともだちのりょーがウェブサイトを作っていたから。サイトは彼らしい感性で真っ直ぐとした意見があり、共感するところも多い。実際に会って話をしても面白いやつだが、サイトでもその面白さが如何なく発揮されている。このサイトを彼が始めたときは、サイトやBlogを作ることって自分の生活や内面を必要以上に曝け出すんじゃないかって思ってた。書かれた内容でボクも思うことがある時はメールで意見を送っていた。けど、それはあくまで1-1のコミュニケーションだったから自分の意見はりょーにしか伝わってなかったことがあった。

二つ目はボクの彼女。日本に帰ってるときに暇つぶしのためにネットで日記が書けるBlogを作ったらしいけど、そのことはボクにとって結構なショックだった。りょーだくじゃなくて彼女までもがBlogを作ってるよって思った。たぶん、自分だけが自身の世界でちまちましている存在に思えてきて妙に焦った。もちろん、ここブリストルでも心がければできるのかもしれないが、ネットがつかえる時代にそのツールを使わない手ないし、ちょっと焦っていた部分もある。実際、彼女が自分のBlogを作ったよ~ってメールをもらってすぐにボクもこのBlogを作り出したくらい。

三つ目はShiroさんのBlog「SHU CHOoo!!!」。週一で更新されるインターネット・ニュース番組のビデオニュースのブログで見つけたのがこのBlog。彼の問題意識は「地域の空洞化に対抗するための策があればどういうものか」ということ。このBlogを見てもわかるが、社会、地域の流動性が高まり=ファミレスやコンビニによって空洞化が加速し=不安ベースで他律的な社会を自分たちが選択するよりも、社会や地域の流動性が少しくらい低くして=多少不便な思いをしても=信頼ベースで成り立ち=善意と自発性を重視した社会の方が生きる時に実りがあるように感じるんじゃないか、と問い掛けてる。不安が増大した社会では、住民自身が監視カメラに象徴される監視社会を望み、犯罪者には重罰を要求し、浮浪者などを地域社会の邪魔者とカテゴライズし、また排除しようとする社会は果たして幸せな社会なのか。そのようなことを語りかけてくれる彼のBlogはボクにとってどんな社会を自分たちは望むのかを思考するときに良質な素材を提供してくれる。

これがボクにこのBlogを作るようにDriveしてくれた転機。(1)自分の思っていることをかけるし=表出、(2)自分だけが小さな存在に感じた焦りもあり=焦燥感、(3)自分の意見で読んでいる人の考えに少なからず影響を与えることができる=表現。だから、ボクはこのBlogを始めたんだと思う。

ここで2つアナウンスメントがあります。
まず、基本的に土日の更新はありません。学校のパソコンルームで更新していて、土日は閉まってしまっていて使えません。二つ目は土日に更新ができない分、月曜日に2つ更新する場合があります。例えば、献血の記事の前にラグビーの記事があるんで、見逃している人はぜひご覧ください。

では、またの機会に。

サンシン
2005/03/09のBlog
[ 22:05 ] [ Identity&"こだわり" ]
ボクの彼女が無事に日本から帰ってきた。一ヶ月弱の間、日本に滞在していたが、こっちへ来るときにボクのかーちゃんが彼女宛に送ってきた封筒も持って来てくれた。写真と新聞記事の切り抜きが入っていた。写真は新潟のじーちゃんが撮ったもので、19年ぶりの大雪の様子を物語るものだ。それともう一つ、地元の新聞社の切り抜き記事が入っていて、親戚の茅葺(かやぶき)職人のおじさんの話が掲載されていた。去年の10月に起こった中越地震で被災し、今現在おじさん自身も仮設住宅に住みながら地域の復興に尽力している。地震で生き残った屋根の手当てと大雪の為に雪下ろしをするために(本人曰く)「老体にムチ打ってがんばってる」様子を記事では丹念に綴っていた。

今日の写真は今年の正月に被災したボクの田舎に訪れたときのものだ。被災の援助に駆けつけた自衛隊が集落の小学校の跡地に仮設住宅を建てて、現在でも上の記事で紹介した親戚のおじさんを含めた数十人がこの中で生活している。写真の真ん中に写ってるかーちゃんとかーちゃんの懐に忍ばせた愛犬りゅうを連れてこのおじさんとおばさんに挨拶にしに行き、地震があったときの様子、余震が続く中の2週間の車中泊の話、仮設住宅に移ってからの生活などの話をしてきた。おばさんがしてくれた話の“現実”はあまりに生々しく、少なからずショックを受けた。

この地震の第一報を知ったのは日本の自宅に電話をした彼女が教えてくれた。なにやら新潟で大きな地震があったらしい。その時はちょうどバーミンガムに自分の残した荷物を取りに行っていた。夏休みの終わりにブリストルの大学に進学することが決まり、急遽バーミンガムからここへ引っ越す必要があったため、緊急に必要でないものをハウスメートの中国人に預けていたからだ。その彼に事情を説明し、パソコンを借りてニュース記事を見てみたら、「新潟地震で和南津トンネル崩落」との記事が眼に飛び込んできた。田舎のじーちゃん家の近くのトンネルじゃないか!他のニュースサイトも閲覧して何が起こっているかの情報をかき集めた。被害の状況。ガス、電気、水道は使えるのか。余震はまだ続いてないか。それよりもじーちゃんとばーちゃんは大丈夫なのか。そんな心配をしていたところにかーちゃんからメールが来た。「じーちゃんとばーちゃんは親戚のうちにいて安全が確認できた。数日中に親父と一緒に新潟に行ってくる」と書いてあった。

田舎のじーちゃん、ばーちゃんの集落(川口町和南津)はこの地震で最も被害の大きかった地域の一つだった。上で紹介した和南津トンネルが崩落し、集落南側にある国道が通る大きな橋が地震により傾いていたために、一時期「陸の孤島」化した地域。父親と母親は車を置いてこのトンネルが出来る前に住民が使っていた山道を通って田舎の家まで手伝いに行ったりもしていた。被災の様子を取材に来た上空のヘリに知らせようと住民が石灰で地面に「たべもの、SOS、オムツ、ミルク、くすり」と訴えかけてたのもこの集落。建築技師らが駆けつけて集落にある家を一軒ずつ見て廻り、「緑」の張り紙(安全が確認できて出入りが出来る家)、「黄色」の張り紙(半壊で中に入って行動する時は十分に注意が必要な家)と「赤」の張り紙(全壊、又は全壊寸前。入ること自体できない家)を張っていった。ほとんど家が「赤」「黄色」の張り紙を張られていたが、雪国特有のかまぼこ型の車庫は全般的に安全で自由に入れることが分かり、じーちゃん、ばーちゃんと手伝いに行った父親と母親はこの中に生活道具を持ち込み住んでいた。

じーちゃんは昔、町議会委員をしていてこの集落のまとめ役でもあったが、地震直後から全国から送られてくる物資を仕分ける仕事をしていた。これがとても大変だったらしく、毎日毎日大量の物資を集落の中の約100世帯に振り分けなければならず、また同時に住民の不満が出ないような仕分けをしなくてなわなく、ばーちゃんも手伝ったのだが相当苦労していた。被災した人はまず、休むところ(寝る所)と食べるものを手に入れなければならないのと、被害を受けた家の片付けや生活用品の運び出し、ごみの処分をしなければならない。しかし、家の片づけでみんな手一杯だったのでじーちゃんがその役を買って出た。自分の家のほうは父親と母親、父親の同級生の息子などが生活用品の持ち出し、剥がれ落ちた漆くいの掃除などをしていた。しかし、地震が起きてからも揺れの激しい余震が続き、身の危険を感じたこともあるらしい。

今回の正月はこの家とお別れを言うために行ってきた。雪が溶けたら(今回の大雪でいつになるかは分からないが)この家を壊して新しい家を建てる予定だから。この家は築50年でボクの小さい頃から冬と夏の休みが来ればいつもそこに遊びに行っていて色々な思いでも詰まっており、がっしりとしていて良い意味で味の出ている大きな家だった。ボクが正月に行ったときにはだいたいの片付けは済んでいて、何にもないだだっ広い部屋と剥がれ落ちた漆くいの後が残る壁が印象的だった。家は傾いていたためにそこらじゅうに隙間風が入り込んでいてものすごく寒くて、廊下にみかんを置いておけば冷蔵庫なんて要らなかったくらい。囲炉裏(いろり)のある部屋に泊まったが、無事だった引き戸を家中から持ってきてみんなで暖を取った。壁の傾きをこれ以上少なくするために部屋中にバッテン印の支えをじーちゃんが打ち込んで、またダンボールや発泡スチロールで作った物を隙間に入れて暖かい部屋を作ってくれた。この中でストーブを焚くとすぐに空気が悪くなるので、一晩中暖炉に火を灯して紅白や格闘技を見て正月を過ごした。じーちゃんと親父と美味い酒を呑んだんだが、ココロは晴れなかった。

ショックを受けたのはボクだけじゃない。弟は家の中の様子を見て言葉を失ったし、この家で育った親父も考えるものがあるんだと思う。本人はこの家の太くていい木材を使って囲炉裏付きのログハウスを作るんだと楽観的なことを言ってはいるものの、傷ついたのも確かだと思う。かーちゃんも昔読んでいた本や思い出のある品々を新潟に持ってきていたが、今回の地震でほとんどを(焼き)捨てたらしい。ボクと弟が通っていた時の保育園の先生と交わされた手帳は大事な二人の成長の日記なので捨てずに東京の自宅に持ってかえってきたが、その他のほとんどのものは焼却したから、かーちゃんも辛い思いをしていると思う。じーちゃんとばーちゃんもそうだ。しかし、正直ボクには想像が付かない。沢山のものが詰まった家を手放すのは。

今回、かーちゃんからもらった写真とこの新聞記事で今話したことが次々に思い出されて少し辛くなってしまった。ヒトはこういうものを経験して大きくなるのか?しかし、経験するにしてもこれはあまりにも無残な形ではないのか?深く考えそうなんで今日はこれくらいにします。

では、

サンシン

P.S. 今年の新潟は歩きにくかった。地震が起きたときに地面の中に埋まってた消雪パイプ(穴あきのパイプに水を流し、道路の雪を溶かす)が寸断されて働いていなかった。いつもは道に止め処なく水が流れていて道路の地肌を歩くことが出来たが、今年はこれが働いてないために積もった雪の上を車や人が通るからアイスバーン状態になり、非常に滑りやすい。しかもこれに大雪があるからものすごく大変だと思う。
2005/03/07のBlog
ヤフー経由で見た読売新聞の記事。

ヤコブ病感染男性、英国滞在後の仏滞在も判明

英国に約1か月滞在していた男性が、BSE(牛海綿状脳症)感染牛を食べて発症する「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(VCJD)」に感染していた。この男性は90年代前半にイギリスに約一ヶ月間旅をし、BSE感染牛を食べたためにこの病気にかかった。厚生労働省はこれを受けて、80-96年の間にイギリス、フランスいずれかの国に一日でも滞在していた人について献血を制限すると発表した・・・。

・・・分かりにくいから噛み砕いて言うね。80年代半ばにイギリスで狂牛病(正式名称はBSE=牛海綿状脳症)が起こった。のちの研究によって解明されたこの症状は、牛の肉を軟らかくするために、牛に牛肉を粉状にしたものを食べさせ(共食い)、食べた牛の脳がスポンジ(=海綿状)になる病気で、それをたべた人間は変異型ヤコブ病に感染する可能性がある。人に感染すると痴呆に似た症状をもち、平均寿命は1.2年。致死率は90%以上(イギリスで130人あまりが感染して生存者は6名)で、しかも潜伏期間が10年というから困ったもの。感染したこの日本人男性も90年代前半にイギリスにきて感染したのが今年、約10年。しかも驚いたことに、イギリスは96年までこの共食い飼育を続けていて、それによってBSE感染した牛(と飼育方法)が世界各国に回り、ついこの間は日本でもBSE感染牛が確認された。

ちなみに、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の原因がわかったルーツは実は人類学にある。パプア・ニューギニア現住民族の中で蔓延したクールー(現地語で震える)を研究していた人類学、兼ウィルス学者が原因となるプリオンを発見した。原住民の中でクールーになった人を調べて見ると(近親者の)死体を食べえた事実が明らかになった。要するに頭がスポンジ状態になる病理は、共食いの習慣があった種族特有の現象でBSEとヤコブ病の研究はここから始まった。(一説に、彼らは住んでいる環境からベジタリアン的な生活習慣を持っていて、慢性的に動物性タンパク質が不足している。死者の肉を食べるのは、その足りないタンパク質を補ったのではないかという学者もいる)

BSEの話を調べてみると自分たちで蒔いた種が今ごろになって芽を出し始めたと思うと、なんて怖いことをしでかしたんだと痛感する。肉が軟らかくなるから?それにしてもやって良いことと悪いことが世の中にはあるだろうと嘆きたくもなる。

<献血ってアブナイの?>

つい最近、ボクは日本国内で献血できないことを知った。日本のあるニュース番組で知って、自分自身で調べてみたところ、海外のある地域に滞在した経験がある人は安全面の配慮により献血できない。このサイト(サイトを6割くらいスクロールしたところ)によれば、一方はマラリアが流行っている地域。もう一方は、ヨーロッパでBSEの流行、それに関連するヤコブ病の感染の疑いがあり、1980年以降に通算で6ヶ月以上ヨーロッパの10カ国(英国、仏国、スイス、アイルランド、スペイン、ドイツ、ポルトガル、イタリア、オランダ、ベルギー)に滞在暦のある人は安全が確認されるまで献血が受けられない!!最初にこれを見た時は、本当にびっくりした。感染の可能性が高いのは、危険部位(脊髄、眼球、脳、小腸)を食べることで、血液による感染が確認されてないのにもかかわらずボク達は献血できない!

今、このサイトをイギリスで見ている(ボクの知る限りの)人、あなたは安全が確認されるまで献血はできません。

厚生労働省は一方で、各国のBSE対策がしっかりと運営されていて、感染のリスクが低くなったので、今年の一月以降にヨーロッパの15カ国に滞在した人はこの制限を受けずに献血できると発表した。けれど、去年の12月までに6ヶ月以上の滞在が確認されるとアウト。ちなみにボクもアウト。献血できませ~ん。

ごめんなさい、かーちゃん。高校の時、いつか必ず献血を受ける約束したけど、こういう事情で献血できません(泣)大きくなったら別の方法で出世払いするから許してね。

では、また。

サンシン
[ 18:35 ] [ フットボール・ラグビー ]
今、テレビで去年の年末にあったスマトラ島沖地震ラグビーのチャリティーマッチを見ている。北半球と南半球に分かれて北にはイングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリアなど。南からはオーストラリア、ニュージーランド、フィジー、南アフリカなど。ラグビーのルールやポジションの役割なんかはフットボールよりも知らないけど、2003年にオーストラリアであったラグビーワールドカップDVDを買って見てみたら、思っていたよりも面白かった。しかも今、シックス・ネーションズ・カップ(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、イタリアの6チームが総当りの試合を行う大会)がここイギリスでやっていてボクは密かにラグビーにもはまりかけてる。大会は一ヶ月前からやっていて、週末に試合がある。今週はこのチャリティーマッチがあるために来週からまた再開されるが、その大会が始まったときに面白い事件が起こった。

彼女のハウスメートのウェールズ人のマーティンの右手に包帯が巻かれていた。みんなで「どうしたの?何があったの?」聞いてみると、彼の故郷のウェールズの初戦は(本人曰く)憎きイングランドだった。そして、その試合はウェールズが僅差で逆転勝ちしたからだと言っている。彼は昔からイングランドの歴史も人も全部嫌いだって言っていたこともあるが、その試合でウェールズは19年ぶりに勝利を収め、しかも逆転勝利だったから、あまりに嬉しくなって何度も床に向かってパンチしたんだて。気付いた時には手首が痛くなってて病院に行ってみたら骨折してた(笑)。

「何考えてんだろうね~」って彼女と話していたんだけど、実は同じことをしていたのが彼女の学校のウェールズ人の先生。翌日に彼女が教室に入ってみると彼が嬉しそうな顔をしていたらしい。理由は聞かなくても分かるが(笑)、聞いてみたら案の定ウェールズが勝ったからって答えた。家のテレビで見てたらしいが、勝ったのがあまりにも嬉しくて何度も何度も座っていたソファーを殴りつけたんだって。スイス人の奥さんにいっぱい怒られたらしいけど・・・。だからその週は宿題が無かったそうだ。なんだそりゃ!?ちなみに彼女がハウスメートの骨折した話をしたら、「分かる(ウン、ウン←深くうなずく)。俺もそうしたかったけど、ソファーで我慢したよ」って言ったそうな。試合は最後の5分に得たフリーキックで逆転して勝ったのだが、この先生にはボールが蹴り出されてからポールを通り抜けるまでがすごいスローモーションで、まるで10分位かかったって見えたらしい(笑)。骨折した彼のほうも「(試合のあった)翌日の病院はウェールズ人ばっかりなんじゃないの。俺みたいに。」って笑ってた。彼らウェールズ人にとってとてつもなく劇的な瞬間に違いなかっただろう。

ボクたちからしたら少し狂ったように見えるが、それは彼らの郷土愛があることの表れでもある。それが強い結束力を生み、選手たちに移入されればとてつもない力を生む事だってある。ニュージーランドのオールブラックス(ラグビーナショナルチーム。黒いラガーシャツから付いた愛称)だってそうだ。彼らのなかでラグビーの黒いユニフォームに袖を通すことはイギリスで爵位ナイトの称号)をもらうよりも名誉だと考えられている。だから彼らが国際試合で試合前に“ハカ”(マオリの伝統的な踊り)を踊ることは何よりも誇りになるのだろう。

ところで、試合は19-54で南半球の勝ち。2003年のワールドカップではイングランドが優勝し、今回の大会でもそのチャンピオンをウェールズ、フランス、アイルランドが破り、ヨーロッパのラグビーは強いのかなと思っていたが、やっぱり伝統的に南半球のラグビーは強い。この試合を見ていて、前に家庭教師をしてくれていた大学生との話を思い出した。彼は高校でも大学でもラグビー部で活動していて、色々とラグビーの話をしてくれた。ラグビーで一番怪我をしやすい時って気が緩んだときだそうだ。例えば、格上と格下が試合をした時に、格上の選手が骨折をする割合が高い。格下は一生懸命勝とうとがんばるけど、格上は楽勝と慢心してしまい怪我をするんだって。このチャリティーマッチも選手にとっては気が緩みやすい試合なんじゃないかと思った。なぜかというと、バルセロナであったフットボールのチャリティーマッチで選手たちは怪我をしないようにあんまりがつがつ当たらずに試合をしていたから。ラグビーはそうは行かないじゃないかと思っていたが、彼らは違った。プロフェッショナル。真剣に試合をしてたよ。感心した。けど、このチャリティー・マッチの目的は自分たちのできることで貢献しようと考えられたのがこの試合。ほとんどがキリスト教を信仰する国の出身だから、選手たちは元々そんなことすら考えてないのかも。

では、また。

サンシン
2005/03/04のBlog
[ 20:09 ] [ ┣Animation ・漫画 ]
昨日、久しぶりにスタジオ・ジブリの映画「もののけ姫」(1997年、宮崎駿監督)を見直してみた。祟り神から呪いをもらったアシタカが村を出て、もののけの棲む森とエボシを中心とした森を削り、鉄を採取する蹈鞴場(たたらば)の人達との戦いの中に身を投じ、人と獣が共存する道を模索していく映画だ。全体的に良く出来た映画だと思う。この映画の内容(自分なりの解釈)を語ってもいいが、今日は映画の中の色と風水の考え方からくる色の効力について書いてみたい。

宮崎映画の特徴はあの鮮やかな色合いだ。青、赤、黄色、緑。どれを取っても映える色を使い、ヴァーチャル(仮想)ながらも鮮明な場面をボクたちの頭に刻み込んでくれる。「もののけ姫」では森が舞台となっていることもあり、「緑色」が多く使われていた。シシガミの森の「」とイシビア(筒砲)の「」のメタファー(隠喩、暗喩)を対照的に使い、「緑」=大いなるのも、安心するもの、どっしりと構えたもの、生命と、「赤」=素早いもの、破壊するもの、緊張感、血(死)を表現していた。ボクが感心したのは「緑」の使い方が鮮やかで、暗い森の中にいろんな種類の緑色の濃淡を使って上手に表現してたこと。アニメーションにとって暗い場所を描くときにはものすごい技術が必要だそうだ。世界的に有名な大友克洋監督の「アキラ」(1988年)では第三次世界大戦後のネオ・トーキョーが描かれていて、全体的に薄暗く、街がひしひしと荒廃していてる感じが際立った映画だった。その時、この監督さんもある場面で15種類の「赤色」を用いて「アキラ」と「アキラの世界観」を作った。世界のアニメ・クリエーターが「アキラ」を評価する一つでもある。実写の映画とは違い、アニメーターは自分たちで色を作り、効果的に色が出るような配置を考えなければならない。だから技術的な色使いでもこの二人の監督は世界から認められている。

ところで、「色」のもつ力とはなんだろう?「色」が人に与える影響や機能とは何だろう?この答えを出すときに一つのヒントとなるのが古来は中国で発明され、後に日本に輸入された「風水」的解釈だろう。そこでは「色」は「方向」と密接な関係にあると。「四神相応」の考え方では、北は玄武(「玄」とは「黒」の意味)で、南は朱雀(「朱」は「赤」)で、西は白虎で、東は青龍。中心は太陽と考えられていて「黄龍」と解釈する。それが日本に入ってきたときに民間信仰との融合がなされた。

例えば「赤」は「南」とか「南から来る暖かい風」を意味し、また様々な「(悪)気」や「(悪)霊」を撥ね退ける力があると信じられてきた。60歳の還暦にオジーちゃんやオバーちゃんが「赤いちゃんちゃんこ」を着るのは「赤色」がもつ効力で悪い気を寄せ付けなくし、長生きをしてもらうため。(ボクの田舎でもそうだが)古い民家の玄関に飾ってある「赤い天狗の仮面」はそれにより悪い気を寄せ付けないため。子供が「あっかんベー」とやるのは、元々「赤い眼」が訛ったもので、眼から発せられる赤の力で相手を自分に寄せ付けないため。皇族の子息たちがこぞって入学する学習院大学付属の学校の臨海学校で、今でも「赤いふんどし」で水泳をするのは、古いしきたりで「赤」がもつ悪い気を寄せ付けない効力を使って次期天皇家や皇族の子息の大事な沽券(股間!)を守るから。「赤い字」で人の名前を書いてはいけないのは、「赤」が書かれた人から様々な気をはじいてしまうから。昔、消毒液として使っていた「赤チンキ」も、実質的な消毒、殺菌機能と精神的な「別の悪い菌や気」を寄せ付けない機能を意味していたなど。

逆に「」は、「気」や「霊魂」を引き付ける効果があり、お盆に青い提灯(ちょうちん)を用いるのは先祖が霊界から来易くする為。自殺の名所とか災害が起きる場所には「青」の地名がつくこともある。青木ヶ原の樹海とか。。。(噂では、生気が少ない人が吸い寄せられ、死に至るそうだ・・・)

他にも「色」と「方向」に「季節」や「人生観」を重ねている。「赤(朱雀)」=「南」=「春」としてそれに「人生の始まり」が張り付く。「思春期」と言う言葉は、その典型。「青(青龍)」=「東」=「夏」は、さっき話した8月のお盆の青い提灯。「青二才」とか「お前もまだまだ青いな」って言葉も若者や若い成人男性、一人前になりきれてないのことを指す。「黒・玄(玄武)」=「北」=「秋」は、人として成熟したことを表す。「玄人(くろうと)」と言う言葉に表れえてるけど、その道に熟達した人(柔道の黒帯)や専門家のことを指す。そして「思秋期」という言葉。「白(白虎)」=「西」=「冬」は、人生の終わりを示唆する。死者に白装束を纏うのはここから来ている。

もちろん言っておくが、こんなのに科学的な根拠なんて無い。しかし、昔の人はこのような気の流れや自然の必然を自分たちの人生観や哲学に照らし合わせて生活(生=生きることや生気を、活=活発に)してきた。地名や人生を表す言葉に色を使い、時には警告の意味を発し、時には尊敬したり、蔑んできた。「風水」って自然の流れを上手に紡ぎ出して自分たちの目の前に提示してくれると思うと、その考え方って面白い。

今日、ある知人から激励メールをいただいた。そこで彼は、ここのBlogでボク自身の動機付け(なんでこんなことをしているのか)を読んで見たいなーとのこと。ボクなりに考えると、自分が過去に感じた気付きや眼から鱗のような経験を他の人に伝播させたい気持ちがある思う。そういう体験で得たことによって自分の考えが変わることってすごく面白いし、貴重だと個人的に思うからかな。

要約。
「赤(朱雀)」=「南」=「春」=「人生の始まり(思春期)」
「青(青)」=「東」=「夏」=「成人期(青二才)」
「黒(玄武)」=「北」=「秋」=「成熟期(玄人)(思秋期)」
「白(白虎)」=「西」=「冬」=「人生の終焉(白装束)」

では、また

サンシン

2005/03/03のBlog
そこのあなた。今、なんてイヤラシイ記事を書こうとしているんだ、と思ったでしょ!半分正解で半分不正解。

フランス書院」はご存知の通り、官能小説の御三家(フランス書院、グリーンドア文庫、マドンナメイト)のうちの一つ。ボクは高校時代から普通のエロ本やエロ漫画も読んでいたが、それよりも好んで読んでいたのが官能小説。寮生活をしていたから手に入れるのは大変苦労した。三年間も一緒に過ごした戦友たちは好き好んでそんな小説なんか読んでいるわけもなく、一人で八王子の南口にある書店に定期的に通ってたこともある。

フランス書院のサイトで面白い企画(「今月の放言」、サイトの左上をクリック)がある。月一で各界の有名人たちが自分自身の性愛遍歴、若気の至り、オカズのネタ、エロスクラップ集め、筆おろしの時ことなどの赤裸々な体験談のインタビューを紹介している。今まで58人分の記事が載っているが、これがアク、クセのある人たちの香ばしい、生の声が聞けて面白い。人によって性的嗜好がまったく違うから読んでて新しい気づきがあったり、色んな意味で突き抜けちゃっている人もいるし(笑) ボクが腹を抱えて爆笑したのは大槻ゲンジのオナニー話と浅草キッド、水道橋博士(背の小さいほう)が話していた自分の兄貴とのマッサージ器を巡る戦い。他にもエロスクラップの大御所のみうらじゅん、イラストレーター兼コラムニストのリリーフランキー、フェチ漫画を描かせたら世界一の八神ひろき、評論家の宮崎哲也、性人類学者のキム・キョンガン、心理学者の富田隆、元イエローキャブ社長の野田義治、マザコン冬彦さんを演じた佐野史郎、オタキングこと岡田斗司夫、グラビアアイドルとして絶大な人気を誇った細川ふみえなどが思い思いに自分自身が感じたこと、性的嗜好、悩んだことを語っている。

人によってはこういう話はいやらしいもので、聞きたくも見たくもない人もいるだろう。だが、あえてこのインタビュー群を読んで自分の性的シコウ(嗜好、思考、志向)をリフレーミングしたり、新しい価値観を自身に取り入れるとても良い機会だと思った。自分たちがモラルと思っているものは自分自身で作り出した障壁で、その中でちまちま悩んだりすることは外から見ればあんまり取るに足らないことである意味どうでもいいことなのかも。それよりも性の分野で言えばマンネリ化を防ぐ工夫は星の数ほどあるし、自分がタブーと思っていることにあえて挑戦してみることで新しい価値に目覚めることがあると思う。そういう色々な幅広い知恵をこの「今週の放言」で仕入れることができるのは、クォリティーオブライフ(Quality of Life=人生、生活の質)向上のために活用してみるのも面白いかも。

では、また。

サンシン

P.S.官能小説のサイトなんで入るのに勇気があるのかもしれないが、それも挑戦!!学校で見ようと思っている人は要注意。肩身の狭い思いをします(笑)
このオジー(沖縄では尊敬の意味を込めて年配の男性をこう呼ぶらしい)はすごい、登川誠仁!!

沖縄民謡の大御所。三線(サンシン)の早引き“カチャーシー(1)”の名手。その早さたるや、熱狂的なファンには“沖縄のジミー・ヘンドリックス”とも称され親しまれてる。民謡の普及、発展、門下生の育成に尽力し、現在「登川流」は沖縄最大の権威ある流派として認知されている。8歳のタバコと9歳で覚えた酒でノドをつぶしたとの豪傑。さらに11歳で“カチャーシー”を引いていたと言う天才的音感をもつ。三線、三板(サンバ)、島太鼓など島民謡に必要な修行は10代のうちに全てマスターし、20代を過ぎた頃から、のど自慢やカチャーシー大会で賞を総なめにする。‘56年に沖縄で初の「民謡ショー」を企画、TVの民謡番組にも積極的に活動した。‘62年、琉球民謡教会の設立に参加。同協会の名誉会長であり、琉球民謡名人の認定を受けている。現在は、海外にも多くの支部をもつ琉球民謡登川流宗家であり、沖縄県無形文化財技能保持者である。

・・・すごい。何がすごいって、実はこのオジー、映画「ナヴィの恋」でナヴィ(平良とみ)の旦那さんの役として出演していた。三線は上手だが、ちょっとエッチでユーモアあふれる“オジー”。映画は前から知っていたが、この人がまさかあの“登川誠仁”だと知ったのは実はつい最近になってから。何枚か持っている沖縄民謡のCDでひときわ早い曲をすらすら弾いている“登川誠仁”はどんな人だろうと思っていた。ここイギリスで生活しているとCDショップに行っても沖縄音楽なんて全然無いから調べようも無い。まあ、日本に帰ってじっくり調べてみようかな~なんて呑気にしていたところ、この「ナヴィの恋」の映像特典で偶然にも発見!!上の文章で紹介したのはその映像特典で入っていたデータの要約だが、これが思っていた以上にすごかった。このオジーの"カチャーシー(2)"は沖縄一だと。

ちなみにボクが一番好きな曲調は“カチャーシー(3)”。もう、聞いているだけで2段階で“トリップ”できてしまう。一段階目はまず、ここ“イギリス”から“沖縄”に飛ぶ。ポップスでも民謡でも普通の沖縄音楽はここまでだが、カチャーシーは二段階目“沖縄”から“世界”に向けて解き放ってくれる。ウチナー(沖縄人を指す)の人は祭りや宴の最後に数曲のカチャーシーを弾き、参加している全員が踊り狂って(トランス=世界に向けて解き放たれて)から宴が終わる。人によってはダンス・ミュージックやトランス・ミュージック、おクスリで“飛ぶ”人もいるが、ボクは断然“カチャーシー(4)”で飛ぶことを好む。だからカチャーシーを自在に操るオジー(登川誠仁)はボクにとっての“シャーマン”である。一般的にシャーマンは時間と空間を用いて庶民に非日常的な空間=トランス状態を<世界>から連れてきてくれる(祭り、宴、カーニバルなど)。しかし、オジーの場合は音楽=カチャーシーを用いている。その意味で“シャーマン”なのだ。

しかし、早く日本に帰れないかな~。持っているCDの中でカチャーシーは2-3曲しかないから飽きる。曲に飽きるわけじゃなくて、身体が曲に対する抗体が付くと“トリップ”出来にくくなってしまう。だから早く帰ってカチャーシーのCDを買い込んで、楽譜を見つける必要が・・・。

今度、「ナヴィの恋」の紹介をするから待っててね!じゃ、また。

サンシン

今、自分が暖めている問題(Issue)がある。

それは「死」について。特に「魂」について。
自分は哲学専攻じゃないんでそちらの話は出来ないが、社会学、特に宗教社会学や人類学を最近勉強してて思ったこと。結論的に言えば、魂は存在しないし、見ることも感じることも出来ない。けれども、人には魂が宿っていて死と共に魂が天国に行ったり、地獄に行ったり、たまに現世に下りてきて人々と交信したりというような概念は個人的にはアリなんじゃないか。

最近、脱カルトに関する本を読んだ。著者は脱カルトを支援する団体の寺の住職で、主にオウムのような破滅型のカルト教や新新興宗教での係わり合いから生じた問題を扱っている団体に所属している。近代的人権概念(信仰の自由)を踏まえたうえでの脱カルトへの勧めを書いている本で良く出来ている本だと思った。特に人がカルト教に奔る理由をまるで社会学者のように説明しているところがスバラシイ!!話はそれたが、住職は葬式のときの香典を巻き上げることを問題視していた。金額によって死者への改名を上げたり下げたりする行為は良くないと。二つ側面があって、まず仏教の本義から離れてるというのと、人々に仏教の葬式=「地獄の沙汰も金次第」のイメージがついてしまい、葬式や三回忌、七回忌などの本来持ち合わせている人の淋しさを和らげたり、魂と会話して生きているものがより良い生をまっとう出来るような制度的な装置を無効化する行為だと。確かに自分も仏教とは原理化をすすめてして俗世に端的な救いを求めるなとは思っていましたが、自分にとって目から鱗だったのは、葬式やその後の行事などは半ば強制的に組まれた遺族の死者へ対するLossを和らげる働きがあると知ったこと。魂は科学的には証明できないけれど、あると仮定してそれらとコミュニケーションを取り、残された者たちが癒されることは大切なことではないのかと。

ここに来るまでに複線が二つある。

一つ目はぶんまおさんが運営する個人サイトで「死」や「死者との交流」を「ちょっとしたえっせい」で扱っているのを見たこと。彼についてわかることは50代で大学で哲学を教えているけれども、書いていることが年長世代特有のあのうざい感じは無く、逆に物事に対して許容量があるひとだなと。個人的に共感する部分や同感する部分の多い人で好きなサイト。ちなみにこの年で少女漫画や女性向け漫画が許容できるのも魅力の一つ(笑)

彼の目下の問題意識は「どのように死者と交流するか」。日本人には古来から死者との交信をする伝統、感受性があり、自分たちがこの世に生まれている上で死者を思いやることは必要ではないかと。しかしながら、現代では死者(戦没者を含めて)と対話する機会がそもそも少ないんじゃなのかと。靖国神社や広島の戦没者記念館を訪れた時に、記念碑の前で参拝するくらいしか出来ないことに危機感を持っていた。このサイトを見て思ったことは、アイデンティティーの問題とも絡むが、自分たちが今いるこの環境は多数の死者たちが残してくれた伝統、遺産の上で自分たちが生活している以上、自分たちと死者を切り離したり、ないがしろにする行為はすべきでないか、と。社会学で眼の敵にしているのが「フリーライダー」。分かりやすく言うとただ乗り野朗。どういう人かというと、たいした社会的貢献もしてない奴が公共物を勝手に使ったり、ないがしろにする人のことを指す。この公共物の中にバスや電車などのトランスポーテーション、街の雰囲気や景観、それに文化的、伝統的なものがある。結論をいうと、彼らのような存在を増やすような社会制度を作ってしまい、自分たちは良いかもしれないけど、後世の人に残すべき伝統やらヘリテイジを破壊することを抑止しないといけないんじゃないか。

もう一つが、TBSラジオで深夜にやっている「Battle Talk Radio Access」という番組があって毎日、あるIssueについてコメンテーターとリスナーの人が議論をします。その中で、「佐世保の事件を受けての調査で、小中学校の15%が「人は死んでも生き返る」と回答。今の時代、家や学校で「死」とは何かを、ちゃんと教えることは可能だと思いますか?」という議論があった。学校の先生が命を教えることが出来るかは非常に疑問だが(笑)、僕が注目するのは約15%の小学生が死者は生き返ると言った点です。このときにどういう風に子供たちに説明できるだろうかと自分なりに考えた。約2割の子供にただ死者は生き返らないと教えるよりも、多数派の8割の子供を取り込んで実在はしないが魂があることを教えてたとえ死者でもコミュニケーションができるんだよと教えたほうが感受性の幅が膨らむのではないか。もちろん、そのあとで新興宗教に嵌まってしまう危険性や国粋主義に走ってしまう可能性はあるが(笑)、ぶんまおさんの問題設定と一緒で魂や死者などをフックにして伝統とは何かや自分たちが所有している文化的な遺産は何かとかを考えさせる試みも悪くは無いのかナーと。

結論。
1、「魂」とか「霊魂」とかは存在はしないが、概念的に許容して、あるかのようなコミュニケーションもあっても良いんじゃないか。
2、さらにそのことをフックにして自分たちの伝統、所有物、国家戦略を議論することは可能ではないのか。

今回の記事は僕のいくつかある問題意識の中のひとつ。最後まで読んでいただければ管理者冥利に尽きます。ありがとう。

では、また。

サンシン

P.S.今回の写真は沖縄、首里城の守礼門。
2005/03/02のBlog
[ 22:22 ] [ イギリス生活 ]
[関連したBlog]

イギリスはあっちこっちに芝があり、通行人や犬の散歩をする人、フットボールをしている若い人。学校の校庭も芝。だから僕の彼女のように花粉症、特に芝に反応する人がここで生活するのはものすごく大変。僕はその辺、何にも感じないからいっつもかわいそうだねーと言って看病をするほうにまわる。時期的にはまだで彼女が帰ってきて、イースターの休み(春休み)が終わったあたりから、目が赤くなって、ティッシュが手放せなくなり、鼻まで真っ赤になる。。。本当にかわいそう・・・。できるなら自分が変わってあげたいけど、それができるなら苦労しないって。。。

最近、ここイギリスの日照時間が増えてきて春の兆しが感じられたんだけど、まだまだ寒いし、毎日雪もちらほら。しかも雪の降り方がイギリスの雨の降り方といっしょで、1~2時間周期で晴れたり、曇ったり、雪が降ったり(みぞれまじり・・・)本当に嫌んなる。降るなら一日中降ってくれ!!晴れるなら一日中晴れてくれ!!と言いたい。だからこっちの天気予報は当たらない。というよりも、いつも晴れ、曇り、雨が交互にくるから、予報も三つの記号を一緒に出す。三つ出しておけばどれかに当たる。と、言うかほとんどの場合一日のうちに全部出会ってしまうから天気予報の意味がない。あえて言うなら気温の上がり下がりくらいだ。イギリスに来た初めのほうは「何じゃそりゃ!!」と思っていたが、住んでみて日本との違いを痛感したけど、慣れてしまった。

今回は初めてトラックバック(TB)を使って記事を書いてみた。確かにTBをする前にブログの解説を読んでいたんだけど、わかりにくい。。。やり方が分かんねー。。。と、まあ何とかかんとか僕の彼女のブログにリンクしてみた。成功しても失敗しても続けて試行錯誤しながらやってってみよう。まだまだ自分で書きたいものがあるから続けてこう。

では、また。

サンシン
[ 21:09 ] [ イギリス生活 ]
僕は今、イギリスの大学1年生です。(日本の2年生に相当)ブログの名前「イギリスの中の三線の響き」は元々、