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~三線の響きをイギリスより~
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2005/07/20のBlog
二日目の食事です。

懐石料理。

おいしかった~!

特に良いのは、鱧(はも)のてんぷら、鯛の刺身!
湯豆腐で有名な南禅寺。

寺の本堂の手前の巨大な門の上から写真を撮りました。

あの石川五右衛門が

「絶景かな、絶景かな」と言ったのがここ。

確かに絶景です!
銀閣寺。

寺の敷地内の一部が工事中でしたが、やっぱりここの庭は芸術。

木や葉の緑もすごかったけど、コケが一面に敷き詰められていて、それも美しかった。

イギリスの芝生ともまた違う印象があります。
この日、最後の訪問先。

北野天満宮。

学問の神様、菅原道真が祭ってあります。

その昔、自分の本懐を遂げることができない道真は北九州の大宰府に流された。

亡くなった後、京都に天災が続き、それが道真が怒っているからだとの噂が流れた。

(恐ろしいことや雷が起きた時に「くわばら、くわばら」と言ったのは、道真が雷神となり京都に雷を落とした時に、桑原(くわばら)だけが落雷の被害を受けなかったため)

そして鎮魂のためにこの神社を建てたのが始まり。

それで学問の祈願をするってちょっとおかしくない?
北野天満宮にあった牛の像。

なんでも、天神様のお使いが牛だからだそうだ。

実はこの日、本堂までいけませんでした。

行ったのが遅くて、時間外(泣)
ここは曽根崎心中で二人が自殺した舞台となった露天神社

実は、京都で宿泊先を見つけることができなくて、大阪駅の近く、梅田のホテルに泊まりました。

朝、京都に向かうためにトボトボ歩いていったんですが、たまたま発見しました。
祇園祭です。

京都の中心街を廻ります。

山車はものすごく高く、ビルの7~8階に相当していました。

その分、進路に電信柱はありません(笑)

台車の真ん中には祭りを取り仕切る子ども「稚児」。
具体的に言うとこれくらいの高さ。
京都、本能寺。

1582年。明智光秀は織田信長に対して謀反を起こし、この寺に攻め込む。

信長は他殺だか自殺だか詳しいことは分かっていませんが、寺の裏手には信長の塚がありました。

夜になると独りでに歩き出すんでしょうか??
進路の角になると台車を廻す。

「辻回し」

前輪の下に竹を敷いて、前輪だけ横滑りさせて方向転換します。

台車の前に立っている二人の団扇(うちわ)と掛け声で重い台車を引く。

とってもうまくいって2回。普通は3回かかって台車を90度にします。

一日目の昼食です。

湯葉、豆腐料理。

しかし、まあよくこれだけの料理があるもんだ。

しかもとってもおいしい!
八坂神社の続きです。

光の灯(とも)った提灯の行列を見るとなんだかワクワクしてきます!

眩暈がしそうです・・・。
八坂神社の鶴です。

ここの神社は鶴が有名だそうです。

この被り物をした子ども達が昼間、舞うそうです。

他にも別の舞台では日本書紀の神話を太鼓に合わせて演技していました。

うーん。興味深い。。。
これはビックリ!

メインの道沿いで芸者が座敷の芸を披露していました。

日本人、外国人のカメラ小僧達が邪魔で前で見ることができませんでした。

なかなか良い企画です。
祇園の前夜祭です。

各町内会が所持している山車を展示していました。

人が多くて、移動するのも大変です。。。セビリアみたい。

各山車の近くの神社に歴史的な織物や掛け軸、屏風の展示もしていました。

すごいカラフルです。
2005/07/19のBlog
今日からは京都で行われた祇園際の様子を紹介します!

・・・ですが、今日から地元の児童館でボランティアの活動があるので、長い文章は打てません。。。その代わりに写真はたくさんUpします。

京都駅の駅ビルの屋上にある日本庭園です。
すごくおいしかた抹茶パフェ!

ボクはカキ氷でしたが、宇治金時と黒砂糖とミルクがかかっていておいしかった~♪
清水の舞台。

もみじがあったんで、秋に行ったら良さそうです。
清水寺から北の八坂神社に向けて歩いた道です。

木造の昔の町並みがそこにはありました。ショックです。まだこんな風景が残っていたんですね。
祇園祭といえばこの「八坂神社」らしいです。

人も屋台も提灯(ちょうちん)もたくさんありました。

浴衣もいっぱ~い♪
2005/07/18のBlog
[ 21:41 ] [ 日本での生活 ]
帰ってきました!

楽しんで参りました~♪

いや~、面白かった~。ぞんぶんに楽しんできた分、ちょっと疲れたんで、今日は寝ます。。。明日から本格的に旅の様子をUpしていきま~す。ひとまず、やったこと、行った所の一覧。


抹茶アイス。

清水寺。

八坂神社。

祭りの屋台。(はも天ぷら!)

祇園祭。

台車の廻し(辻廻し)。

南禅寺(石川五右衛門)。

銀閣寺。

北野天満宮。

大阪・国立文楽劇場(人形浄瑠璃)。


こんな感じで、また一日で区切って紹介していこうかな?そういえば、まだスペイン旅行の旅行記を読んでいない方はこちらから

では、また。

サンシン

2005/07/15のBlog
[ 17:25 ] [ 日本での生活 ]
ありがとうございます!ありがとうございます!

やっと、免許を取得して参りました~!!

正直、ほっとしました。。。今日の朝から府中の試験場まで自転車で行き、試験を受けてきました。実は、昨日も行ってきたんですが、落ちちゃいました。。。「そんなこともあるんだ。。。」と、かなりがっくりきて落ち込んでたんですが、今日は気を取り直して受けてきました。


合格!

おめでとう!

もうこんな苦労はしたくありません。車の教習所も嫌いだけど、本免試験も大っ嫌いだー!

ところでついでに国際免許ももらってきました~♪申請書とパスポートと大き目の写真(5×4cm)を持っていれば 2,600円くらいで作ってくれます。試験が終わって1時ごろ日本の免許証をもらってすぐに申請しに行きました。最初は作ってもらえるのか不安でしたが、大丈夫だった見たいです☆★

さ~、これでイギリスでも運転できるぞう!おう!

でも、たぶん運転するといってもレンタカーで地元の周りを回るくらいでしょう。それとすっっってごく気になるのが、写真(↑)にある「ラウンド・アバウト(信号なし交差点)」。スムーズに進めば、信号のある交差点よりも事故が少ないって聞いたことがあるんです。けど、この「スムーズに」って言うのがなんとも難しそうです。。。どうしよう・・・?

どなたか「ラウンド・アバウト」を通過するコツを教えてください。。。お願いします。。。

では、また。

サンシン
P.S. 明日から京都へ行ってきま~す♪

月曜日に帰ってくる予定なんで、それまで更新はありません。楽しみにしていた方、本っっ当に申し訳ありません(泣)

ボクは楽しんで来ま~す♪(笑)
2005/07/14のBlog
[ 21:23 ] [ 政治・社会 ]
昨日(7月13日)は「夜回り先生」の名で知られている水谷修さんの講演会に行ってきた。ボク自身、この先生のことは日本に帰ってきてから知りました。彼の書籍が書店の一番目立つところに平積みになっていて、しかも「夜回り先生」という冠がついているから、

「あ、そういう先生なのね」(繁華街を歩いてにーちゃんやねーちゃんの世話をする先生)

というある程度の予測はつけてこの講演会に参加しました。

さて、この講演会は調布市の市制50周年記念でこの市が主催しました。調布市の市民会館で講演会があったんですが、入場料が無料だったこともあり、小中学生やその親が中心となって参加し1500人ほど入るホールは満員。

(ここで少し、ごたごたがあったんですが、後で書きます)

講演会が始まり、水谷先生が登場しました。今年で49歳になるそうなんですが見た目はもう少し高く見えました。なんでもガンを患っているらしく、公演中も数回、咳払いをしていました。

しかし、先生は思っていた以上に素晴らしい先生でした。

まず、あの話し方は人の心を掴みます。ハッキリとしてるんだけど、抑揚があり、強調するところのポイントはしっかり抑えている。それに加わって、彼自身の人生は10代の若者と関わる事に全ての情熱が注がれています。夜の繁華街を歩き、若者に積極的に声をかけ、しかし説教をしないというのが彼のモットウです。公衆電話に貼ってあるビラを一つ一つはずし、道端の看板を取り除きながら暴走族に文句を言われ、暴力団から脅されながらも10年以上にわたって活動していたようです。

彼を紹介するには「信頼ベース」と「ホームベースの提供」と「対等な関係性」というキーワードをからめて言うと分かりやすいと思います。

まず、彼の行動は「信頼ベース」。彼自身、どんなに悪いことをしている少年も少女も元々、悪くなろうとして生まれてくるわけではなく、成長していくうちにそうなってしまった。だから彼は繁華街にいる少年、少女達と接する時は彼らを「信頼」します。また彼の経験上、彼らは「信頼」され「褒められた」ことが比較的に少ない。だから彼は愛情を持って彼らと接します。

二つ目が「ホームベース」の提供です。彼が10代の若者と接する時は彼らを「信頼」し、「褒める」ことによって、彼らが水谷先生を「信頼する」という好循環な関係を築こうとしていました。それにより、先生の言うところの「夜の世界」から「昼の世界」へ彼らを連れ戻そうとしています。彼が「ホームベース」を提供することで、若者が一人の人間として扱われ、信頼され、自信をつけ、そして彼らも信頼をベースとしたコミュニケーションをし始めるという試みです。

三つ目が「対等な関係性」です。彼が学校にいる時に他の先生が職員室の中で生徒と話すことをしないようにとどの先生にも話したそうです。要するに周りがみんな先生の環境である職員室で先生と生徒が話すことは立場的に不平等です。もし生徒が怒られるようなことがあっても、彼らには彼らなりの言い分があり、それを言わせない雰囲気の職員室で話すのは先生として卑怯だ。だから彼はそのような場面に遭遇すると先生に頼んで生徒が話したい場所で話すということをしたそうです。もちろん、彼もそれを実践して、トイレの中、体育館の裏、暴走族の集会にまで出向き、彼らの話を聞いたそうです。要するに、学校にいる先生は何かしらの「ゲタ」を履いています。年が上だとか、生徒の成績を決定するだとかの「ゲタ」を履いているために、先生と生徒が話す場合、必ず上下関係ができてしまい、対等な人付き合いができないから。そのことを自覚し、生徒と話す時は「対等な関係」で接することを求めていた先生です。

「信頼ベース」で若者と接し、「ホームベース」を提供することと「対等な関係」を生徒との間に求めることによって生徒を「夜の、薄暗い、汚い世界」から解放し、「昼の、明るい、信頼できる世界」へと導いてきました。これを見る限りでもこの先生の取り組みは素晴らしいし、この信頼の輪で社会が満ちたらさぞかし住みやすい世界でしょう。

言い忘れましたが、この講演会の主な目的はどのようにしてドラックの誘惑から若者を守るかでした。

まず、日常的に使っている風邪薬の使い方ひとつで人間を生かすことも殺すこともできるんだぞと教えてもらい、その後でドラックの快楽と身体への害を話しました。そこで彼はシンナー中毒で亡くなったまさふみ君と覚せい剤を使用した果てに中学でHIVに感染して亡くなったあいちゃんの話をしました。

まさふみ君は家が貧しくて、暴走族と知り合い、その中でシンナーを覚えて生きます。そして、傷害事件を起こしたために少年院で生活し、また社会に戻ってきたんですが、シンナーがやめられずにいたらしいです。そして自らシンナーなどの薬物中毒者の厚生施設へ入校することを決めたんですが、最後に”お別れシンナー”をしてしまい、トラックにはねられて10代で亡くなったそうです。まさふみ君のおかーさんと先生が火葬から出てきたまさふみ君の遺灰を箸で掴もうとするんですが、シンナーによって骨はボロボロになり、中はスカスカになった。それを見た二人は泣きながら高温の骨を手で掴んで骨壷に入れたこともあるそうです。

あいちゃんは中学の頃、同級生や上級生に輪姦され、覚せい剤を打たれ、ぼろぼろの雑巾のような扱いを受けていたそうです。そのうちにHIVに感染し、復讐のために多くの中高年の男性と関係を持っていたそうです。身体が弱り、病院で入院しますが、日に日に髪は抜け、肌の色は薄くなり、体重はどんどん減っていった。50kgあった体重は20kgまで落ち、最後の延命治療のモルヒネを投与しながら最後まで生きることをあきらめなかったそうです。また、両親や水谷先生のことを感謝し、直ることを願いながら亡くなっていった。そして、亡くなる前にあいちゃんは先生と約束をしたそうです。もし先生が講演会をする時には必ず、あいのことを話してね、と。もうこれ以上、あいのような人を一人でも出したくないから。だから彼はこの講演会でもあいちゃんの話をしたのでしょう。

彼はこの二人の生徒は自分が殺したんだと言っています。救えなかった以上、自分の責任だと。しかも、彼は自分には29人分の責任があるとも言っていました。その29人分の責任を背負って生きている先生は恐れ入ります。素晴らしい先生です。

さて、そこでこの調布市長の長友さん(←)の登場です。

水谷先生は講演会の最後に、
「私は今日、講演会をするかどうか迷っていました。なぜかというと、この会を主催した市長が自分の挨拶が終わったら自らの所要のため抜けるという話があったからです。主催するトップの人が最後まで聞かないという態度でこの調布市のドラック撲滅運動をされるようです。調布市民には罪はありませんが、このような理由で今回は怒りを覚えました。

二度と調布には来ません。」

という言葉を残して満員の会場から喝采の拍手を受けながら彼は退場していきました。

お見事!

講演会は約二時間ありましたが、休憩することも水を飲むことも無く、ひたすらこの怒りを噛み締めながら若者や親に対して語り続けていたんです。その精神力はお見事です。伊達に暴走族やヤクザと渡り合ったわけではありません。自分の使命である講演会を終わらせた上で市長をチクリと刺したんです。

会場に来ていた人はただただあっけにとられて、ダメ市長憎しの感情を持って講演会を後にしたことでしょう。この市長の実態を知った市民は次の市長選挙のときにこの市長に票を入れないでしょう。おしいことをしたな~。。。もし市長が最後まで講演会を聞いていれば、良い教育の機会を作ったってことで株が上がって終わりだったのに、自分の軽薄な行動で人生最悪の日となったことでしょう。ただ、仕方ありませんね。そういう人なんでしょうから。


これを茶番劇と呼ばずに何と呼ぶ!


色々あった一日でした。実りがあって、笑いがあって、落ちまでついてくる!

では、また

サンシン

P.S.関連したBlog

なんちゃん「鳩ヶ谷雑記

夜回り先生応援ブログ「夜回り先生への手紙No.6~講演会レポートの前に[その1]~

mimiちゃん日記「7月13日の調布市の講演会。

ケイコさん「日本一のはきだめ箱

amiさん「吉日:水谷先生講演会
2005/07/13のBlog
ソーシャル・ネットワーキング・サービスのMixiを見ていて発見したコミュのトピック。

「B型によるB型のためのB型の研究」

というのがあって、面白かったので紹介します。

皆様初めまして。B型です。
このようなサイトを見つけました。

B型によるB型のためのB型の研究

B型を様々な視点から徹底的に研究されてます。B型の方が編集されてるので、共感できる部分が多く、楽しめました。他の血液型の人にも読んでもらいたいくらいです。勿論、B型である皆さんは一度読まれることを強くお勧めします。

読むのが面倒くさいという生粋のB型さんのために、
一部引用させていただきますと、

・全ての物事は一瞬にして好き・嫌い・どーでもいいに分類される。
・おだてに弱いがお世辞はムカつく。
・変なこだわりがあってどうしても譲れない事がある。
・熱しやすく冷めにくいが突然終了する。
・突飛な行動をしている自分が好きだ。
・団体行動に馴染まない。
・強制されると自動的に反発モードに入る。
・孤高を楽しむ反面、一人だと寂しい。
・最初は寡黙だが慣れると毒舌が始まる。
・世間が自分からずれている時が度々ある。
・人から相談されるが人に相談しない。
・凹むこともあるが自分を信じている。
・変人と言われると嬉しくなったりする。

サイトを読んでみての感想などありましたらどうぞ。

「誇り高き孤高の変人」

それが僕らに対する褒め言葉。B型万歳!



スバラシイ!まさしく自分のことを適切に表現してるなーと感心しちゃいました(笑)世の中の人はB型を相手するのは大変だーとも思いました。。。


ちなみに、自分が一番当てはまってるな、と思ったものは、


(1)突飛な行動をしている自分が好きだ。

ハイッ!大好きです!


(2)世間が自分からずれている時が度々ある。

これってかなり問題。「世間が自分からずれてる」って自分が中心じゃなきゃ思わないよ!


(3)誇り高き孤高の変人

これがほめ言葉と思っちゃうところがまた好きです(笑)

ちなみに、B型とA型は性格的に合わないそうです。(ただ、ボクの彼女はA型なんだけどな。。。)

では、また

サンシン
2005/07/12のBlog
[ 16:31 ] [ ┣戦争・テロ関連 ]
今日、部屋の掃除をしていたら、高校の時に取って置いた新聞の切抜きを発見した。「懐かしいなー」って思って見ていたら、アメリカでの同時多発テロ直後の朝刊が出てきてビックリした。

あれは2001年、高三の夏休み明けの9月11日。学校の寮に帰ってきて、「また寮生活が始まるよう」って友達と話していた。すると夜中に突然、別の友人が「おい!テレビつけて見ろ!なんかアメリカで大変なことになってるぞ!」という声が聞こえてきました。

急いでサロンのTVをつけて見るとNYのツインタワーから煙がもくもく出てるのが見えました。その時点ではどうやら飛行機がビルに突っ込んだらしいということしか情報として入ってきませんでしたので、何がなんだかわけも分からず、目の前の光景を凝視するしかなかった。

次の日の朝の新聞を見てみると、朝日、読売、毎日、日刊スポーツどの新聞もビルから煙が出てる写真が載っていました。学校の決まりで一日が終わるまで新聞を職員室から持っていってはいけなかったので、夜になってから先生に頼んで朝日と毎日の朝刊をもらってきました。

その時、ボクが一番ショックだったのが、ビルから飛び降りて真っ逆さまに落ちていく黒人男性の写真でした。この写真が撮られた時は彼は生きています。しかし、その何秒か後には彼は亡くなります。そのことがとても恐怖に感じ、この新聞は取っておこうと思いました。
今、その新聞(2001年、9月12日。テロ事件の次の日の新聞)を読み返して見ると、その時に気づかなかったことが色々と分かってきます。

一番目が、翌日の新聞(9月12日)の時点ですでに犯人だとされるビン・ラディンの顔写真と情報が新聞に載っていることです。マイケル・ムーアの「華氏911」で政府は分かっていながら泳がせていたんだというふうに言っていますが、次の日の日本の新聞にそのことが出ているとすると情報自体はあった。しかし、市民には伝えられていなかったことを物語るのではないか?と思った。

二番目が、各所でブッシュ政権の危機との報告が出ていましたが、実際はテロ事件の後、一ヶ月そこらでアフガン攻撃をし、その一年半後にイラク攻撃も果たした。しかもその時の支持率が常に80%を超えているという。有事の時に市民は大統領によって結集する動きがあったわけです。要するに新聞の予想は当たっていなかったということです。しかし、もしこれが日本だったらその通りだとも思います。ハッキリ言って十分な有事の対策は取られていません。その中でこのようなテロ事件が起きれば、政府の不手際が非難され、首脳陣の進退問題に発展することは目に見えてます。たぶん、そこが日本とアメリカのトップの違いなんだろうと感じました。

三番目は、日本人の情報がありすぎ。インドネシアのスマトラ島沖地震でも日本人の安否情報がしつこく報道されていました。この翌日の新聞も、ビルの何階部分に日本の企業があったとか、日本人の行方不明者がどれくらいいるとか。よっぽど日本人の情報は高いんでしょうね。事件のインタビューが紹介されていますが、ほとんどが留学生か、働きに来ている日本人。これは明らかに情報が偏ってるでしょう。たしかに日本人しか朝日や読売なんて読んでいないんでしょうけど。こんなもんなんですか?
引越しする時にこういう新聞のスクラップってどうしようか迷うんですよね。捨てるかどうか。ただ、今日この記事を発見できたのはすごくうれしかったし、あの頃の思い出や感情がまた出てきたことも新鮮でした。ボクは高校を卒業した後、浪人を経験し、現在イギリスで留学生活をしていますが、事件に対する物の見方は確実に変わってるし、進化してると思いました。

今回のロンドンでのテロ事件は他人事ではないし、自分もその場所(三線の練習するロンドン大学SOAS)にいた可能性は十分にありました。だから亡くなった方に冥福を祈ります。

写真はブリストル(Bristol)にある大聖堂の中を描いた絵画です。

では、また

サンシン
2005/07/11のBlog
[ 10:22 ] [ 旅行記 ]
今日は岡山での旅行を紹介します~♪

今まで、生臭い話題ばかりだったんでね。気分を変えて。


さて、7月5日に車の卒業試験があって、無事合格。カナリひやひやしたんですが、ちょろいもんです(笑)

学校の職員に岡山駅まで送ってもらいました。学校は岡山の県北の津山の辺りにあったんで、駅までは約一時間半くらい。

(ところで、Takaさん、昔言っていた「美作(みまさか)」って街がありました。彼女の家に行って気づいたんですが、路上教習でも美作インターチェンジというところから高速道路の教習をしましたw)

7月7日は倉敷の美観地区へ遊びに行く。

抹茶アイスとお好み焼きがうまい!!(これはまたあとで。。。)

7月8日は香川県に行って、讃岐うどんと讃岐金刀比羅宮で有名な琴平へ行ってきました。

まずは、瀬戸大橋を渡るために岡山の児島という駅からJR本四備讃線を使い、香川県の県庁所在地の高松へ行く。特にすることは無かったんですが、ちょうどお昼ごろなんで、駅の周りをふらふらしながらうどん屋を探す。やっぱり、香川にきて讃岐を食べないわけには行かないでしょう(笑)

そこにちょうどいいお店が。彼女と一緒に入ったんですが、これがまた安いの!一杯が約280円!これくらいで食べられるんだ~って感心しました。二人でひとつずつ頼むのもなんなんで、かけうどんと冷やしうどんとざるうどんを頼んだ。

これがまたうまい。。。特に冷やしうどん。。。

そうめんを入れるような大きなおわんに冷たい水と氷とうどんが入っていて、名物のあっさりつゆでいただいたんですが。。。のど越し、うどんのコシ、つゆのおいしさ。どれをとってもおいしいです!

そのあと、讃岐金刀比羅宮に行ってみた。ここは江戸時代に伊勢神宮と並んで「お宮参り」で有名になった神社で、祭られている神も「スサノオの尊」やその后など、位の高い神ばかりでした。

本宮までは1300段を超える階段を上って行くんですが、これがまたつらいの。。。何がつらいって、暑いのがきついかった。。。階段の両脇にはたくさんのお土産やが並んでいたんですが、「あついですね~」とか「暑いから団扇(うちわ)持っててなー」って声をかけられるくらい。

山の頂上には立派な本堂がありました。また、逆を見ると琴平の町並みが一望できて良かったです。本堂の周りをちらほら見てると、離れの建物に様々な額があり、ちかづてみる。元々、この神社は海の神様だったらしくて、海上保安庁の船や海上自衛隊の船、海上保安学校の卒業生の写真など、興味深かったです。他にも、日中戦争に赴くために加護を受けた青年の肖像画や龍の絵画も建物の屋根の裏にかかっていました。

と、まあ岡山、香川で歴史の厚さを感じてきたサンシンでした。


(今日はこれまで。限界です。。。)
2005/07/10のBlog
[ 11:16 ] [ ┣戦争・テロ関連 ]
の話をするのはもうそろそろやめにします。

ただ、その前にまだ話さなければならないこともたくさんあります。


まず、テロの手法と事件後のロンドン警察の対応。ボクのBlogに数回登場している軍事ジャーナリストの神浦元彰さんのHPから

最新情報

今回の目的だが、あくまでG8サミットの開催日を狙ったもので、イスラム原理主義過激派のテロ攻撃である。

 ヨーロッパには各地にイスラム・コミニティーが存在し、それぞれの差別や貧困から「過激派の温床」になっている。またEUの統合で交通が自由になり、テロ作戦で国境を越えて統合・分散がやりやすく、ネットや携帯電話で通信も容易になった。今後ますますヨーロッパでは爆破テロが起きる可能性が高い。

 なお、イギリスはIRAと長年のテロの戦いで、テロ対処の方法を熟知している。またSAS特殊部隊のように世界で最高レベルの対テロ部隊を持っている。今回のテロ後の対処は見事というしか言葉がない。


ヨーロッパにおけるイスラム・コミュニティーの扱いはますます難しくなるでしょう。イギリスを見てみても200万人のムスリムの人々が生活しています。それを隠れ蓑にしてテロ攻撃をすることもあるでしょう。しかし、彼らは経済、軍事、環境難民として移ってきた人たちでもあり、イギリスの中で生活することでさえ大変な苦労があります。アメリカの同時多発テロ以降、反テロ法なるものが成立し、疑わしい人物は拘束できるようになったが、人権侵害をしていたために法律自体が無効化した事実もあります。一度は「疑わしきは罰せず(推定無罪)」から「疑わしきは拘束、罰する(推定有罪)」になった。しかし、人権NGO(アムネスティーなど)の人力により、推定無罪の方向に流れが向きかけていたのに今回のテロ事件でまた「推定有罪」の方向に向かいそうです。

ただ、問題はこれだけではありません。上の流れは「国家(State)」のテロに対する対応ですが、「国民、市民(Nation)」の受け止め方はさらに厳しいものだと思います。様々な人が混在しているので、イスラム系の人たちがイギリスで生活すること自体、よく思っていない人もたくさんいます。そうなると、イギリスの中のイスラム・コミュニティーはますます住みにくくなるでしょう。そんなのはいやです。

彼女のクラスメートでサウジ・アラビア出身のおにーちゃんがいます。彼は去年、イギリスに来て、大学院で勉強しようとしています。ただ、お世辞にも英語力はそんなにあるとはいえません。しかし、彼はすごく温かい人間で、ラマダン(断食)明けのパーティーにもイスラムの仲間以外のクラスメートを招待したり。ある時、授業で街に出て環境問題について質問をして統計を取ってくるのがあったそうです。彼女はその彼と一緒になって道行く人に聞いて回ったそうです。彼女は順調に回答してもらえるそうなんですが、アラビア人の彼のはあんまり。。。彼も腐らずにがんばっているんですが、色々な偏見があるんでしょう。

そこで彼はこんなことを言っていました。

「オレは爆弾なんか持っていないのに。。。」

この言葉を聞いて、彼女はいたたまれなくなったそうです。ボクもそうです。自分は何もしていないのに、普段からテロリストだとの「レッテル」を貼られている感覚は想像を絶します。こういう話を聞けば聞くほど、彼らをなんとかしてあげたいと思うし、このテロの恐怖からも開放したい。イギリスにいる200万人すべてのイスラム教徒がこのような体験をしているわけではないと信じますが、このような事態は容易に想像できます。彼らの生活の安定はボク達の彼らの文化に対する尊敬が必要でしょう。

しかも、イスラム社会の政治的怨念はボク達を含めた先進国の人間がもたらしたものなんですが、今日は話しません。

日本にいると分かりませんが、イギリスで生活しているとイスラムの人々との交流もあり、等身大のムスリムと話をすることができます。宗教的に彼らは家族を、コミュニティーを、友達を、取引相手を大切にします。しかし、彼らがいつもテロリストだとレッテルを貼られている事実もあります。それが今のイギリスです。他にもアフリカ系のコミュニティー、インド系のコミュニティー、中国系のコミュニティーが存在しますが、世間の目が一番厳しいのはイスラム系コミュニティーでしょう。

では、また。