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2005/08/22のBlog
[ 18:28 ]
[ イギリス生活 ]
2005/08/18のBlog
[ 19:27 ]
[ 日本での生活 ]
[ 19:27 ]
[ 日本での生活 ]
サンシンの8月の掲示板です。
8月19日にイギリスへ帰ります。
ブリストルはネット環境が余り良くないので、超不定期更新まっしぐらだと思います。
(ただでさえ、最近は更新できてないのに。。。)
最新記事は、8月17日(水曜日)「最近の読んだ本のリスト。 」
サンシン
8月19日にイギリスへ帰ります。
ブリストルはネット環境が余り良くないので、超不定期更新まっしぐらだと思います。
(ただでさえ、最近は更新できてないのに。。。)
最新記事は、8月17日(水曜日)「最近の読んだ本のリスト。 」
サンシン
2005/08/17のBlog
[ 06:58 ]
[ ┗映画・小説 ]
あまりBlogの更新をしないサンシンです。
色々と考えていることはあるんですが、Blogを書くモチベーションが上がりません・・・。
ちょっと今は充電中。
さて、今日は自分が読んだ本の感想。
(1)桜井亜美の「ワンダーウォール」
医学部に通う「きりな」には二つの秘密がある。一つは弟と肉体関係があること。もう一つは高校三年の時、恋人の子どもを堕胎したこと。ある日、研究室の仲間から、大学にある謎の水槽の存在を教えられた彼女は、自分の過去が大きな犯罪に関係していることを知る…。
全ての物事が淡々と過ぎ去っていく。弟と深い関係になろうが、中絶したショックから発作が起きようが。桜井亜美の作品はそんな世界観で被い尽くされている。無気力、無機質。ただ、自分達が社会の中でうまく生きようとすると、必然的にそのような感受性になってしまう。この世界を生きることが耐えられないものへ送られたメッセージ。
(2)団鬼六の「女教師」
不良の巣窟となっている男子高に美人で気の強い二十七歳の女教師が赴任してきた。早速、不良グループの撲滅をはかるが、一味の罠に堕ち、犯されるはめに。しかし教え子に嬲られるうち、被虐の妖しい悦びに火がつく…。美人教師が牝奴隷に転落していくまでの背徳の性宴を活写した官能学園小説の最高峰。
流石は「縛り」小説の巨匠。「花と蛇」から今までこの世界を走ってきた第一人者。団先生のスバラシイのは、縛る技術もさることながら、女を落とす技術にも長けている。この教師は気が強く、人一倍のモラルと正義感がある。女教師という設定は、聖なるものを冒すという感覚や、上下関係の逆転と言うのを鮮やかに描けるところがすごい。
(3)押井守の「イノセンス創作ノート ~人形・建築・身体の旅+対談~」
「イノセンス」をめぐる三つの旅(人形の旅(日本ロケ編 人間はなぜ、自分の似姿を造ろうとするのか。ニューヨークロケ編 三十年越しのテーマとの再会 ほか)建築の旅(僕らがアニメーションで目指してきたこと―「カリオストロの城」から「攻殻機動隊」へアニメーションを演出するとはどういうことか―映画の三要素 物語・世界観・キャラクター ほか)(身体の旅)「映画」をめぐる三つの旅(映画はどんな現実を語るか(対談・養老孟司)
人はなぜ人形を作るのか(対談・四谷シモン)描いてきたもの、描こうとしているもの(対談・鈴木敏夫))
押井守監督の映画「イノセンス」(2004年)を作るに当たって本人が書いた本。前作の「攻殻機動隊-Ghost in the shell-」から続く攻殻の世界観は一種独特。しかし、近未来の社会で発達した科学技術で被い尽くされた社会は果たして幸いなのか?電脳化し、身体も義体になり、記憶の外部化だできる社会。自分の脳にハックされ、疑似記憶を植えつけることができる社会。自分を証明するものは何か?身体?記憶?しかし、全ては「取替え可能なもの」で埋め尽くした社会の中で人々は何を信じて生きていけばいいのか。
また、今回の「イノセンス」は人形が主題となっている。なぜ、人は昔から人形を作り、人形劇をしていたのか。限りなく自分達に近い存在を作り、操作するのか。そのヒントを提示してくれた著書です。
では、また。
サンシン
色々と考えていることはあるんですが、Blogを書くモチベーションが上がりません・・・。
ちょっと今は充電中。
さて、今日は自分が読んだ本の感想。
(1)桜井亜美の「ワンダーウォール」
医学部に通う「きりな」には二つの秘密がある。一つは弟と肉体関係があること。もう一つは高校三年の時、恋人の子どもを堕胎したこと。ある日、研究室の仲間から、大学にある謎の水槽の存在を教えられた彼女は、自分の過去が大きな犯罪に関係していることを知る…。
全ての物事が淡々と過ぎ去っていく。弟と深い関係になろうが、中絶したショックから発作が起きようが。桜井亜美の作品はそんな世界観で被い尽くされている。無気力、無機質。ただ、自分達が社会の中でうまく生きようとすると、必然的にそのような感受性になってしまう。この世界を生きることが耐えられないものへ送られたメッセージ。
(2)団鬼六の「女教師」
不良の巣窟となっている男子高に美人で気の強い二十七歳の女教師が赴任してきた。早速、不良グループの撲滅をはかるが、一味の罠に堕ち、犯されるはめに。しかし教え子に嬲られるうち、被虐の妖しい悦びに火がつく…。美人教師が牝奴隷に転落していくまでの背徳の性宴を活写した官能学園小説の最高峰。
流石は「縛り」小説の巨匠。「花と蛇」から今までこの世界を走ってきた第一人者。団先生のスバラシイのは、縛る技術もさることながら、女を落とす技術にも長けている。この教師は気が強く、人一倍のモラルと正義感がある。女教師という設定は、聖なるものを冒すという感覚や、上下関係の逆転と言うのを鮮やかに描けるところがすごい。
(3)押井守の「イノセンス創作ノート ~人形・建築・身体の旅+対談~」
「イノセンス」をめぐる三つの旅(人形の旅(日本ロケ編 人間はなぜ、自分の似姿を造ろうとするのか。ニューヨークロケ編 三十年越しのテーマとの再会 ほか)建築の旅(僕らがアニメーションで目指してきたこと―「カリオストロの城」から「攻殻機動隊」へアニメーションを演出するとはどういうことか―映画の三要素 物語・世界観・キャラクター ほか)(身体の旅)「映画」をめぐる三つの旅(映画はどんな現実を語るか(対談・養老孟司)
人はなぜ人形を作るのか(対談・四谷シモン)描いてきたもの、描こうとしているもの(対談・鈴木敏夫))
押井守監督の映画「イノセンス」(2004年)を作るに当たって本人が書いた本。前作の「攻殻機動隊-Ghost in the shell-」から続く攻殻の世界観は一種独特。しかし、近未来の社会で発達した科学技術で被い尽くされた社会は果たして幸いなのか?電脳化し、身体も義体になり、記憶の外部化だできる社会。自分の脳にハックされ、疑似記憶を植えつけることができる社会。自分を証明するものは何か?身体?記憶?しかし、全ては「取替え可能なもの」で埋め尽くした社会の中で人々は何を信じて生きていけばいいのか。
また、今回の「イノセンス」は人形が主題となっている。なぜ、人は昔から人形を作り、人形劇をしていたのか。限りなく自分達に近い存在を作り、操作するのか。そのヒントを提示してくれた著書です。
では、また。
サンシン
2005/08/14のBlog
[ 17:42 ]
[ 日本での生活 ]
さて、この頃自分の身内にドブロガーが一人増えました~♪
と、いってもかーちゃんなんですが、ボクに触発されたらしくて愛犬のりゅうと花のことについて書いているBlogです。
ryuukun「~りゅう君の散歩道~」
よろしく。。。
では、また
サンシン
と、いってもかーちゃんなんですが、ボクに触発されたらしくて愛犬のりゅうと花のことについて書いているBlogです。
ryuukun「~りゅう君の散歩道~」
よろしく。。。
では、また
サンシン
2005/08/10のBlog
[ 21:08 ]
[ サブカルチャー ]
belageさんの「TB募集:「戦後60年」あなたの記憶に残った出来事は?」にトラックバックです。
面白そうなTB企画があったので参加して見ます。戦後(たぶん、自分が生まれて)から印象に残ったことを3つ紹介する企画です。belageさんは、(1)東京オリンピック<1964年>、(2)浅間山荘事件<1972年>、(3)湾岸戦争<1990年>でした。
さて、ボクはというとようやく1990年の中ごろに物心が付いてきたんでそれ以前の内容は正直覚えていません。。。自分の初体験の時も紹介したいんですが、さすがに聞きたくないですよね(笑)
気を取り直して・・・
1、「新世紀エヴァンゲリオン」のブーム(1996年終わり~1997年)
これが全ての始まりです。これ以前の記憶は本当に乏しいんですが、エヴァにはまった以降の記憶は鮮明に残っているんです。中学2年生(1997年)の春に劇場版のエヴァを映画館で見た時にすべてが弾けました。「なんだ、この世界観は!?」。興奮したボクはエヴァ関連の本を片っ端から読みまくった。たぶん、30冊とも40冊ともくだらない数。ただ、ここから自分が人(同年代の友人)からずれていることを悟った。自分がエヴァにはまったのはエヴァそのものが宗教学、生物学、物理学、心理学、軍事学のもろもろの知識が詰まっていると判断し、ボクはアニメに登場した情報の片鱗を頼りにその全てのピースをはめていくことをした。ただ、そんなことをしていたのは自分だけだとした時は大きな衝撃だった。友人達はエヴァに登場するキャラクターに”萌え”ているだけで、ボクの求めている「大きな物語」を共有するような感じではなかった。確かに主人公の碇シンジは父親から疎外され、エヴァに乗ることでしか自分の存在を確認することができなかった存在だし、アスカもその傾向はあった。14歳でドイツの大学まで卒業した逸材だったが、エヴァに乗ることで自己定義していたアスカはエヴァを操縦する成績でシンジに負けた時に”アイデンティティー・クライシス=自我の危機”を迎えてしまう。なぜ同世代の友人が彼らの実存しか興味なかったのかは理解できる。社会全体が「学校化」し、学校の成績というものさしで自分が受けられる愛情が決まってしまう現代の子どもは、親から愛情をもらうために無理してでも頑張っていた。そんな彼らがシンジとアスカをみて共感し、エヴァという作品自体が消費されていった経緯があった。そのような違いを理解したのは高校三年生になって宮台真司の野獣系で行こうという本だったんですが、それまでは葛藤の連続。しかも全寮制の男子校に住んでたんで相当考え込みましたね。
この友人達とボクの違いがサンシンを社会派にさせた根本的な原因です。その意味でも自分の人生の中でエヴァとの出会いはとっても良いチャンスだったと思います。
2、神戸須磨児童連続殺傷事件=酒鬼薔薇聖斗事件(1997年6月)
これも衝撃でした。逮捕された少年Aは14歳の中学三年生。当時、ボクも同じく14歳でしたが中学二年生でした。事件の残虐性も衝撃でしたが、ボクにはその後のメディアによる犯人の推理ごっこ、逮捕された時のバカ騒ぎ、週刊誌に少年Aの顔を晒す騒動が印象的だった。二年前の1995年にオウム真理教の地下鉄サリン事件もあり、「動機が不明なものによる犯行」がクローズアップされ、情報がそこに集中していたことに驚いた。少なくとも、同年代の間では少年Aの犯行文に共感する人さえいたし、普段おとなしい人が突発的な行動を起こすことも分かっていた。友人達は犯行声明文の「透明な存在」という言葉に強く反応していたが、根本的には上記したエヴァでシンジやアスカに共感したのと同じ理由です。その後、「14歳」という言葉は保護する対象ではなく、いつ何を起こすかもしれない危険な存在だというふうに世間からは見られていました。確かに、酒鬼薔薇聖斗事件以降も動機が希薄な少年による犯行はメディアでよく取り上げられ、(少し)肩身の狭い思いもした。少年A本人は「脱社会化」した人間で、社会の中に尊厳の基盤を作るのではなく、A本人の脳内にしか存在しない神、バモイドオキ神とのコミュニケーションによって”社会”にとどまることをしていた。自分を大切にしていたおばあちゃんが亡くなったことが原因ではないかという指摘もありましたが、ボクが見るには家、学校、地域に自分の居場所など無く、かろうじてバモイドオキ神と交信する事によって自己を定義していた「脱社会化した」人間です。しかもボクが一番注目したのはそうした子ども達がボクの同年代の友人を含めてかなりの人数が存在するという事実です。社会は10年前からあまり変わっていないのですでに10年分の「脱社会化した」人間達がボク達の社会で生活していることがあまりにも知られていない。彼らが事件を起こした時、彼らの動機詮索するのは無駄です。そもそも社会の外側に尊厳の源を持っているんで、犯行に対する敷居が圧倒的に低い。だから、タバコを買いに行く感覚で人を殺すことができる。こうした人種は時として多重人格や統合失調症などの症状を表に出します。彼らに「社会の側に戻って来い」と単純に言うこともできます。しかし彼らにして元々、社会(家、学校、会社、地域)で生きることは実りあることではないので彼らに社会のルールを守ってもらうには相当苦労します。まず、社会で生きることは実りあることだと提示した後に、大切な人を見つけてコミュニケーションをするしかありません。
社会の中で生きるというのは大変なんだと実感した一連の事件でした。
3、アメリカ同時多発テロ(2001年9月)
前の記事でも紹介しましたが、この事件も衝撃でした。高校三年生の二学期。夏休みが終わり、全国から友人が寮に戻ってきて「またこの生活が始まるよう」と話していた時にこの事件は起こった。すると夜中に突然、別の友人が「おい!テレビつけて見ろ!なんかアメリカで大変なことになってるぞ!」という声が聞こえてきました。急いでサロンのTVをつけて見るとNYのツインタワーから煙がもくもく出てるのが見えました。その時点ではどうやら飛行機がビルに突っ込んだらしいということしか情報として入ってきませんでしたので、何がなんだかわけも分からず、目の前の光景を凝視するしかなかった。次の日の朝の新聞を見てみると、朝日、読売、毎日、日刊スポーツどの新聞もビルから煙が出てる写真が載っていました。学校の決まりで一日が終わるまで新聞を職員室から持っていってはいけなかったので、夜になってから先生に頼んで朝日と毎日の朝刊をもらってきました。その時、ボクが一番ショックだったのが、ビルから飛び降りて真っ逆さまに落ちていく黒人男性の写真でした。この写真が撮られた時は彼は生きています。しかし、その何秒か後には彼は亡くなります。そのことがとても恐怖に感じ、次の日の新聞(2001年9月12日)の新聞を保存してあることは紹介しました。始めの頃は「こんなにも無垢なアメリカ人を狂信的なイスラム原理主義者が攻撃したんだ!」という風潮でしたが、一ヵ月後のアフガン攻撃、二年半後のイラク攻撃と向かうにしたがって「あれっ!?アメリカがそういう態度ならイスラムの人は怒るよ~」という同情が徐々に増えてきた。しかもヨーロッパで繰り返されるテロにもイスラムの憎悪が見え隠れする。それが全世界の人間(情報が取得できる人)に分かりやすい形で示されたのがこの「9・11」という事件だったのではないか。だから、ここ数年でアメリカを批判している人への接し方が変わって来た。昔なら「何をお前は言っているんだ。ひがんでるだけだろう」としか言われなかったのが、「そうだよな、確かにアメリカはすごいけど、批判できるよな~」という状況に変わった。
9・11は新しい局面の始まりだとも言える。それは個人でも社会の構造を壊せるだけの力を保有できるという要因が加わったからだ。
と、いうことで紹介してみました。
1、「新世紀エヴァンゲリオン」のブーム
2、酒鬼薔薇聖斗事件
3、米国同時多発テロ
これがボクにとって大きかった事件です。
では、また。
サンシン
面白そうなTB企画があったので参加して見ます。戦後(たぶん、自分が生まれて)から印象に残ったことを3つ紹介する企画です。belageさんは、(1)東京オリンピック<1964年>、(2)浅間山荘事件<1972年>、(3)湾岸戦争<1990年>でした。
さて、ボクはというとようやく1990年の中ごろに物心が付いてきたんでそれ以前の内容は正直覚えていません。。。自分の初体験の時も紹介したいんですが、さすがに聞きたくないですよね(笑)
気を取り直して・・・
1、「新世紀エヴァンゲリオン」のブーム(1996年終わり~1997年)
これが全ての始まりです。これ以前の記憶は本当に乏しいんですが、エヴァにはまった以降の記憶は鮮明に残っているんです。中学2年生(1997年)の春に劇場版のエヴァを映画館で見た時にすべてが弾けました。「なんだ、この世界観は!?」。興奮したボクはエヴァ関連の本を片っ端から読みまくった。たぶん、30冊とも40冊ともくだらない数。ただ、ここから自分が人(同年代の友人)からずれていることを悟った。自分がエヴァにはまったのはエヴァそのものが宗教学、生物学、物理学、心理学、軍事学のもろもろの知識が詰まっていると判断し、ボクはアニメに登場した情報の片鱗を頼りにその全てのピースをはめていくことをした。ただ、そんなことをしていたのは自分だけだとした時は大きな衝撃だった。友人達はエヴァに登場するキャラクターに”萌え”ているだけで、ボクの求めている「大きな物語」を共有するような感じではなかった。確かに主人公の碇シンジは父親から疎外され、エヴァに乗ることでしか自分の存在を確認することができなかった存在だし、アスカもその傾向はあった。14歳でドイツの大学まで卒業した逸材だったが、エヴァに乗ることで自己定義していたアスカはエヴァを操縦する成績でシンジに負けた時に”アイデンティティー・クライシス=自我の危機”を迎えてしまう。なぜ同世代の友人が彼らの実存しか興味なかったのかは理解できる。社会全体が「学校化」し、学校の成績というものさしで自分が受けられる愛情が決まってしまう現代の子どもは、親から愛情をもらうために無理してでも頑張っていた。そんな彼らがシンジとアスカをみて共感し、エヴァという作品自体が消費されていった経緯があった。そのような違いを理解したのは高校三年生になって宮台真司の野獣系で行こうという本だったんですが、それまでは葛藤の連続。しかも全寮制の男子校に住んでたんで相当考え込みましたね。
この友人達とボクの違いがサンシンを社会派にさせた根本的な原因です。その意味でも自分の人生の中でエヴァとの出会いはとっても良いチャンスだったと思います。
2、神戸須磨児童連続殺傷事件=酒鬼薔薇聖斗事件(1997年6月)
これも衝撃でした。逮捕された少年Aは14歳の中学三年生。当時、ボクも同じく14歳でしたが中学二年生でした。事件の残虐性も衝撃でしたが、ボクにはその後のメディアによる犯人の推理ごっこ、逮捕された時のバカ騒ぎ、週刊誌に少年Aの顔を晒す騒動が印象的だった。二年前の1995年にオウム真理教の地下鉄サリン事件もあり、「動機が不明なものによる犯行」がクローズアップされ、情報がそこに集中していたことに驚いた。少なくとも、同年代の間では少年Aの犯行文に共感する人さえいたし、普段おとなしい人が突発的な行動を起こすことも分かっていた。友人達は犯行声明文の「透明な存在」という言葉に強く反応していたが、根本的には上記したエヴァでシンジやアスカに共感したのと同じ理由です。その後、「14歳」という言葉は保護する対象ではなく、いつ何を起こすかもしれない危険な存在だというふうに世間からは見られていました。確かに、酒鬼薔薇聖斗事件以降も動機が希薄な少年による犯行はメディアでよく取り上げられ、(少し)肩身の狭い思いもした。少年A本人は「脱社会化」した人間で、社会の中に尊厳の基盤を作るのではなく、A本人の脳内にしか存在しない神、バモイドオキ神とのコミュニケーションによって”社会”にとどまることをしていた。自分を大切にしていたおばあちゃんが亡くなったことが原因ではないかという指摘もありましたが、ボクが見るには家、学校、地域に自分の居場所など無く、かろうじてバモイドオキ神と交信する事によって自己を定義していた「脱社会化した」人間です。しかもボクが一番注目したのはそうした子ども達がボクの同年代の友人を含めてかなりの人数が存在するという事実です。社会は10年前からあまり変わっていないのですでに10年分の「脱社会化した」人間達がボク達の社会で生活していることがあまりにも知られていない。彼らが事件を起こした時、彼らの動機詮索するのは無駄です。そもそも社会の外側に尊厳の源を持っているんで、犯行に対する敷居が圧倒的に低い。だから、タバコを買いに行く感覚で人を殺すことができる。こうした人種は時として多重人格や統合失調症などの症状を表に出します。彼らに「社会の側に戻って来い」と単純に言うこともできます。しかし彼らにして元々、社会(家、学校、会社、地域)で生きることは実りあることではないので彼らに社会のルールを守ってもらうには相当苦労します。まず、社会で生きることは実りあることだと提示した後に、大切な人を見つけてコミュニケーションをするしかありません。
社会の中で生きるというのは大変なんだと実感した一連の事件でした。
3、アメリカ同時多発テロ(2001年9月)
前の記事でも紹介しましたが、この事件も衝撃でした。高校三年生の二学期。夏休みが終わり、全国から友人が寮に戻ってきて「またこの生活が始まるよう」と話していた時にこの事件は起こった。すると夜中に突然、別の友人が「おい!テレビつけて見ろ!なんかアメリカで大変なことになってるぞ!」という声が聞こえてきました。急いでサロンのTVをつけて見るとNYのツインタワーから煙がもくもく出てるのが見えました。その時点ではどうやら飛行機がビルに突っ込んだらしいということしか情報として入ってきませんでしたので、何がなんだかわけも分からず、目の前の光景を凝視するしかなかった。次の日の朝の新聞を見てみると、朝日、読売、毎日、日刊スポーツどの新聞もビルから煙が出てる写真が載っていました。学校の決まりで一日が終わるまで新聞を職員室から持っていってはいけなかったので、夜になってから先生に頼んで朝日と毎日の朝刊をもらってきました。その時、ボクが一番ショックだったのが、ビルから飛び降りて真っ逆さまに落ちていく黒人男性の写真でした。この写真が撮られた時は彼は生きています。しかし、その何秒か後には彼は亡くなります。そのことがとても恐怖に感じ、次の日の新聞(2001年9月12日)の新聞を保存してあることは紹介しました。始めの頃は「こんなにも無垢なアメリカ人を狂信的なイスラム原理主義者が攻撃したんだ!」という風潮でしたが、一ヵ月後のアフガン攻撃、二年半後のイラク攻撃と向かうにしたがって「あれっ!?アメリカがそういう態度ならイスラムの人は怒るよ~」という同情が徐々に増えてきた。しかもヨーロッパで繰り返されるテロにもイスラムの憎悪が見え隠れする。それが全世界の人間(情報が取得できる人)に分かりやすい形で示されたのがこの「9・11」という事件だったのではないか。だから、ここ数年でアメリカを批判している人への接し方が変わって来た。昔なら「何をお前は言っているんだ。ひがんでるだけだろう」としか言われなかったのが、「そうだよな、確かにアメリカはすごいけど、批判できるよな~」という状況に変わった。
9・11は新しい局面の始まりだとも言える。それは個人でも社会の構造を壊せるだけの力を保有できるという要因が加わったからだ。
と、いうことで紹介してみました。
1、「新世紀エヴァンゲリオン」のブーム
2、酒鬼薔薇聖斗事件
3、米国同時多発テロ
これがボクにとって大きかった事件です。
では、また。
サンシン
[ 01:55 ]
[ 旅行記 ]
新潟・群馬の旅行記です。
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,1 」(実家の家)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,2 」(新潟の駅)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,3 」(長岡の花火大会)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,4 」(高崎の達磨)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,5 」(高崎の夏祭り)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,6」(浴衣特集)
サンシン
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「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,4 」(高崎の達磨)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,5 」(高崎の夏祭り)
「2005 新潟の実家・長岡の花火大会・高崎の夏祭り No,6」(浴衣特集)
サンシン
[ 01:50 ]
[ 旅行記 ]
[ 01:38 ]
[ 旅行記 ]
[ 01:15 ]
[ 旅行記 ]
2005/08/07のBlog
[ 21:37 ]
[ 旅行記 ]
[ 21:29 ]
[ 旅行記 ]
[ 21:15 ]
[ 旅行記 ]
