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~三線の響きをイギリスより~
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2007/03/28のBlog
[ 09:30 ] [ フットボール・ラグビー ]
Number のサイトに記事を寄稿しているライターの杉山さんの記事
(この記事の最後↓に全文を紹介してます)
こうした見方は音楽、映画、ファッションなど、
様々な分野で適応するものだと思う。
日本のサッカーの方向性を考える上で
こうした見方(弱者から見た試合プラン)はどうしても必要であろう。

とある野球の監督が
試合に勝つ時には不思議があるが、負けるときには不思議は無いという。
分かりやすく言えば、負けるときには必ず訳がある。
その原因が解決しない限り、次の試合で勝つ可能性は低くなる。

日本のプロ・フットボールが誕生して十数年。
いまや日本代表の試合ともなると観客が動員され、
巨大なビックビジネスが誕生する。

だからこそ、経営者はサポーターを賢くする必要があるだろう。
観客を増やすことは勿論必要だが、バカが増えすぎても困る(笑)
サポーターは従順な消費者であってはならない。

鶏が先か、卵が先か?

俗に鶏卵論争とも言える議論がここでも言えるだろう。
国内のビジネスが消費者を従順にさせる方向に向けている可能性。
逆に、
消費者が従順だからこそビジネスがその勢いに火を注いでいる可能性。

自分達は現存の社会システムに存在している以上、
所属すること、消費することからは逃れることは出来ない。
しかし、知恵を持ち知識を駆使して情報を選別する能力は獲得できる。
情報を選別する能力しか獲得できないという言い方も出来る。
ただ、思考停止に陥り従順な消費者に「成り下がる」事から抗う能力は
必要だろう。これを「リテラシー」とも言うけど。

〔第42回〕最高峰の試合の見方

杉山茂樹=文
2007年3月27日


 「メッシ、ハットトリック!」

 クラシコを観戦した翌日、現地を発ち、帰国してみると、メッシの活躍に日本は湧いていた。「凄いですね!」。テレビのコメンテーターは、試合のダイジェストを眺めながら、そのプレイを大絶賛した。

 違和感を覚えずにはいられなかった。それはそうかもしれないけれど、だったら、その4日前、アンフィールドでリバプール相手に沈黙した事実は何だったのか。もはや昔話なのか。少なくともいま、メッシについて語るとき、重要になるのはクラシコではなくチャンピオンズリーグになる。

 なにより試合の重要度が違う。クラシコも重要な試合だが、チャンピオンズリーグの比ではない。スペインNo.1の好カードとはいえ今回の場合は、お互いチャンピオンズリーグで敗退を喫したばかり。敗戦のショックに包まれた中で行われた、締まりのない霞んで見えた一戦だ。そのあたりの区別は、しっかりしておく必要がある。とりわけ、ニュースを伝える側は。

 むしろ日本の場合は「凄い!」と言われるスター選手が、なぜリバプール戦で活躍できなかったのかを考えるべきだと思う。リバプールはどのようにして、メッシを押さえ込んだか。これこそが求められている視点だと思う。日本にはメッシはいないのだから。いずれ、メッシのような凄い選手と対戦する可能性があるのだから。

 出るところに出れば日本は弱者だ。チャンピオンズリーグで、バルサと対戦したリバプールと、立場は似ている。そのメッシ攻略法こそ、目を凝らすべきポイントになる。「メッシ凄い!」で終わるのは、素人サイドの見方といっても言い過ぎではない。

 リバプールはメッシにボールが渡ると、必ず2人がかりで詰め寄った。それでもメッシは、自慢のドリブルを仕掛けようと躍起になる。「マタ抜き」を成功させ、1人目を交わすと、アンフィールドには、瞬間、感嘆のため息がわずかながら漏れた。「敵ながら巧い!」。口にこそ出さないが、一人のサッカーファンとして、素直に脱帽する様子が見て取れた。しかし、2人連続は不可能なプレイになる。おのずと、停滞を余儀なくされる。マタ抜きされた1人目の選手も、すかさずカバーに回る。2秒、3秒、4秒……。時間は刻々と経過する。するとメッシはやむなくバックパスに及ぶ。

 こんなシーンに何度となく遭遇した。メッシが、自慢のドリブルで局面を打開したシーンは皆無に等しかった。マタ抜きを決めたところで、大局にはほとんど影響を及ぼさなかった。むしろマイナスに作用するケースの方が多いほどだった。戦犯とまでは言わないが、リバプールに敗れ去った原因の一つだと考えられる。メッシは確かに巧い。だが、チームプレイの役には立っていない。シンプルにプレイするジュリが出場した方が、リバプールにはさぞ嫌だったに違いない。

 凄い選手ではある。けれどもまだまだ超一流ではない。真のスーパースターは、リバプール戦のような、チャンピオンズリーグの大一番で活躍してナンボ。メッシはまだそこをクリアしていない。

 帰国してもう一つ驚いたことがある。それは再放送されていた試合を見ていたときの話だ。試合はアーセナル対PSVで、結果はPSVの勝ち。番狂わせが起きた一戦である。解説者は試合を振り返りながら、こういった。アーセナルの問題は引いて守る相手に、どう対処するかです。PSVの守備的なサッカーは、あまり好きになれない、とも。

 好き嫌いはともかく、PSVを引いて守るサッカーだとまとめた点には、さすがについて行くことができなかった。確かに第2戦は、アーセナルがボールを支配する時間は長かった。時間が深まるにつれ、その傾向は強まった。だが、それはPSVが引くサッカーだったからではない。アーセナルがホームだったから。基本的に強者だったから、に他ならない。

 その強者に対し、弱者を自認するPSVは第1戦で思い切った作戦に出た。本来の4-3-3を4-4-2に変更して臨んだのだが、その4-4-2が滅多にお目にかかれぬスタイルだったことは、知っておくべきである。ポイントは2トップがポジションを構えた場所だ。中央付近にいる一般的スタイルとは異なり、2人はそれぞれ、左右のウインガーとして構えたのだ。つまり、PSVは強者に対してセンターフォワードを置かずに、戦ったのだ。どうやって点を取るつもりなのか。一瞬、目を疑う布陣をクーマンは大一番で敢行した。

 彼は、その前に強者が嫌がることを考えた。両サイドに各3人を配置し、そこでの数的優位を活かそうと考えたのだ。強者の攻撃ルートは、自ずと中央に呼び込まれる格好になった。非効率を招いたのだ。強者は90分間、常にストレスを抱えたままだった。PSVにゴールを許した、これこそが最大の原因だ。

 アーセナルはPSVの注文にまんまとはまった。クーマン采配は光って見えた。ヒディンク(前監督)ばりの奇才を発揮したわけだ。これも弱者という点で共通する日本が参考にすべき作戦である。引いて守るサッカーとの間には、著しい開きがある。

 チャンピオンズリーグを眺めるとき、とかく日本人は、強者の側に立つ傾向がある。人気チームの側に立ち、人気選手を応援しながら、試合の行方を見守る。それはそれで構わないが、日本が置かれた状況を考えると、それは賢い観戦方法には映らない。せめて番狂わせが起きたときぐらい、弱者の工夫には目を凝らしたいものだ。でないと、チャンピオンズリーグから学ぶべきことは少ない。世界から遅れをとることになる。いったい我々は、何の目的のためにチャンピオンズリーグと向き合っているのか。スーパースターのプレイを鑑賞するだけの時代は、とっくに終わっていなければならないのだ。

サンシン
2007/03/23のBlog
サンシンが写真を撮り始めたのは初めてイギリスに来た頃。

枚数はあまり多くなかったけど、気に入った景色は撮っていた。



なんだか「ハリーポッター」に出てくる町並み。

ここはカンタベリー。イギリスで最初の土地。

彼女とであったのも付き合いだしたのもココ。


・・・ネタがなくなったわけじゃないですよ(笑)


サンシン
2007/03/22のBlog
リンク:

安倍司(Wiki):日本の食品添加物評論家
食品の裏側(Amazon.co.jp):添加物業界の裏側を暴露したベストセラー

動画:

それでもあなたは食べますか?(電子書店パピルス):丸激トークオンデマンドの番組が315円でダウンロード可能。全二話で二時間弱ほど。
それでもあなたは食べますか?(ビデオニュース):丸激の番組に登場した安倍さん。こちらからはプレビューのみ。

インタビュー:

食品の裏側を明らかにする(日経BPインタビュー):日経BPが行なったインタビュー。必見です!

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

安倍さんの発言は驚きの連続だった。

元々、食品添加物のメーカーのトップ・セールスマンだった安倍さんは「歩く添加物辞典」と言われるほど添加物業界では神様のような存在であった。かつては添加物を加えた食品を売ることは自分にとっても会社にとっても消費者にとっても得になり、尚且つ正し経済行為だと信じていた。しかし、自分の娘が食べているミートボールを見て愕然とした。

「このミートボールは自分が全身全霊を注ぎ込んで作ったもの。この中にどのくらいの添加物が入っているかを知ってる。。。自分は添加物で食品を作る立場ではなく、消費する立場だったんだ!」

この体験から彼は食品添加物の危険性について情報公開をしていく為に食品添加物評論家として活動していく。

しかし、彼のスタンスは食品業界の悪いところばかりを突いていかない。確かに、食品業界は添加物を加えて「安くて、早くて、美味しくて、便利な」食品を売ろうとしたが、その戦略に乗って「添加物まみれの食品」を買っていった消費者も悪いと言っている。

現在の外食産業は添加物無しにはありえない業界であり、逆に添加物を入れない食品は市場で戦えない。硬くてシワイ肉を柔らかく食べれるようにするには添加物が必要だし、コンビニなどで売られているサンドイッチのサラダもシャキシャキ感を出す為に添加物を使う。コンビには最たるものだけど、他のファミレスやファーストフード産業でも添加物無しにはありえない構造になっている。

彼は語る。添加物は光と闇の部分があり、闇の部分があまり公開されていない状況もあるけど、光の部分を十分に享受しておいて添加物が悪いとは一重に言えないことも確か。

しかし、添加物を使った食品を消費することで何が壊されたのか?

それは食卓であり、家族の団欒であると安倍さんは語る。

簡単、便利、おいしい、(安い)料理を過程で出す行為がまず、子どもの舌を壊し、家族の団欒を壊す。添加物まみれの食品を食べれば、自分の家で食べる料理も外食も関係なくなる。家族の関係が疎かになれば、家の中で培われるはずのコミュニケーションのスキルが構築されず、人間として成熟しないまま大人になる可能性が高い。「食べ物を大切にする子は人を殺めない」と彼が語るように、添加物に頼ることなく、家で野手料理を作って食べることが一番いいと言う。

この精神はそのままスローフードの精神に繋がる。

日本では食品業界の戦略でスローフード=有機野菜を食べることやゆっくりと食べるなどのような誤解が広がってしまったけど、元々はファーストフードやファミレスでは味わうことが出来ない家族の団欒や食卓でのコミュニケーション、また自分達が所属するコミュニティーを支える運動である。要するに自分が所属するコミュニティーの尊厳や精神を守る運動。有機野菜を食べるかどうかは関係ない。有機野菜を使ったファミレスで食べる料理はスローフードか?否。大事なことは家族やコミュニティーで食事を取ることで生まれるコミュニケーションを大事にしようというのがスローフードの精神。

安倍さんはこうも言っている。

添加物を悪者にして終わる問題ではない。添加物を取らない食事をしようとすると食事を含めた生活も自分自身の生き方も変えなければ添加物からある程度の距離をおく生活が出来ない。では、どのような食生活が望ましいのか?

それは自分で料理を作る。または手料理を作ってもらう。安倍さんが語るに「台所においてある食品は安全。それは先祖代々人体実験をしてるからだ(笑)」。昔ながらの作り方で作ったしょうゆや味噌、塩などは昔から食べていて人体実験済みであり、それでも食べられるものだから安心できると。逆に食品添加物については出てきてからたかだか20~30年。それも一つの食品に複数の添加物を使っているから、その波及効果は未知数。厚生労働省で認可された添加物でもマウスで一つ一つ実験しているけど、自分達は人間であり、マウスではない。しかも、一つ一つでは出なかった影響が複数で使った場合にどのような効果が出るかは誰にも分からない。そんなものを食べるくらいなら家で食べた方が安全だし、家で食べたことによるコミュニケーションも生まれる為、外食で済ますことよりかはよっぽど良い。

こうしてみると添加物問題は自分達の食生活だけではなく、人生を生きる為の思想にも関わってくる問題であることがわかる。添加物を使った料理は確かに美味しく感じる。添加物を使わない食品が味気なく感じる位に。そして、添加物を多く消費してしまうと自分の舌が退化してしまうし、なによりも手料理のありがたさ、家族の団欒、得られるべきコミュニケーションが無くなったりと波及効果はことのほか広い。

リンクの最後に紹介したインタビューは読んでおくべき文章。これを機に自分の食生活を考えてみてはどうでしょうか。できれば、番組を見ていただくとより彼の主張がわかります。

それでは、また。

サンシン
2007/03/16のBlog
このブログでは初めてのジャンル「クルマ」です。

むかしはクルマに関心があったり、高額なカスタマイズをする人の考え方がよく分かりませんでしたが、一昨年に免許を取ってからというもの自分自身もクルマに関心を持つようになり、最近では外に出る度にクルマを見るくらいになってます(笑)

まだまだそこまで詳しいわけではないんですが、思ったことを書くのがブログなので、クルマについても書いていこうと思ってます。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

さて、今回は先月にホンダが発表したSUV(スポーツ・ユーティリティー・ヴィーヒクル)の新車「クロスロード」について。

サンシンが主にクルマについて調べるときはオートバイテル・ジャパン(こちらから)を使っています。新車の情報や試乗レポートなどの情報を手に入れることが出来ます。

クロスロード:自動車カタログ

クロスロード:新車情報

クロスロード:新車発表

上記のサイトの紹介のよると、「Active Life Navigator」というコンセプトのもと、アクティブという面で高いポテンシャルをもつSUVをベースに、日常性という高い価値を融合し、生活の幅や可能性を広げる新しいタイプのデイリーカーだそうだ。

新車の「クロスロード」は車体の大きさ、値段、スペックを見てみるとトヨタ・RAV4、三菱・パジェロイオ、スズキ・エスクードと同系統のクルマ。1,8リットルで200万(±20~30)、2,0リットルで250万(±30~40)。

 そんなクロスロードで最も重要なキーポイントは、このクルマが久しぶりに純粋な“日本メーカー発の日本市場専用車”であるという事柄。日本のために作られた日本のクルマは少なくないが、振り返ればそれらの大半は軽自動車もしくはミニバン、というのが多い。(サイトより引用)

「さすがは日本の事情に詳しい日本のメーカーが作ってくれただけの事はある」と好感を抱けるのがこのクルマのパッケージング・デザイン。海外市場をメインに開発されたものが片手間(?)に売られるという現在の多くの日本のモデルとは、やはり“生まれ”が違う事がそこでは実感出来る。その点では、久々に爽やかな印象を受けられるのがこのクロスロードでもある。(サイトより引用)

確かにヨーロッパ(特にイギリス)の道路を見ていると、日本車がけっこう走っています。しかし、日本と比べるとクルマの種類で言えば、スモールカー、ハッチバック、SUVしか見たことが無い(とくにヨーロッパはハッチバックの割合は日本の比では無いくらい多い)ということは、日本のメーカーはヨーロッパの市場で勝負する限り、この種類のクルマを開発のトップに置いて来る必要があった。そのため各社はSUVであれば、日本の市場よりヨーロッパ(北米も?)の市場に重点を置いてきた。

そこで出てきたのが、新しいコンセプト(欧米市場ではなく、日本で売る)と行っているのがホンダの「クロスロード」。オートバイテル・ジャパンの記事を見てみるとそういう印象を受ける。

だがしかし、

ホンダのサイトを見てみると「ホンダはどういうつもりでこのクルマを売っているんだろう」と思ってしまう。

ホンダ:クロスロード

日本車のメーカーはクルマごとにプロモーションのためのサイトを持っていて、会社ごと・クルマごとにカラーが違い、見ているとその先のマーケットが見えてくる。若者層なのか、高年齢なのか、高所得者などクルマ市場が見えてくる。

ホンダ「クロスロード」のメインサイトに行ってみると、これまたビックリ。プロモーションで登場している中に「日本人」は皆無である!クルマに乗る人、クルマを使う人は「白人」だった。。。

さっき紹介したとおり、ホンダ「クロスロード」は日本の市場で勝負するクルマ。今までの流れではヨーロッパや北米で開発されたSUV車を日本に逆輸入する形が支流だったが、日本人のためのSUV車という「新しいコンセプト」を売るのが「クロスロード」だったはず。

ということはプロモーションに「白人」を使うことはありえないはず。

最近のプロモーションはクルマに限らず、その商品を使っている自分(ボク、わたし)のモデルを提示する。テレビCMも雑誌の広告も有名タレントを使っていない限り、その商品を使っている客層の代表者であるモデルを商品に添えている。そうすることによりその商品を使っているという「物語」と人生の主人公である「自分(ボク、わたし)の物語」をシンクロさせ、購買意欲に繋げる戦略が主流である。

しかし、もしヨーロッパや北米で先行発売されて日本に輸入したクルマであれば、現地で使っている「白人」をモデルに使って「彼ら(白人)が使っている商品(クルマなど)」としてプロモーションするのであれば、多少無理があっても物語がリンクする可能性がある。

ただ先ほど紹介したとおり、ホンダ「クロスロード」は「日本の市場で勝負するクルマ」を目指しているのであれば、ヨーロッパでも北米でも使っていないSUV車であるにもかかわらずプロモーションのモデルを「白人」にすることに強烈な違和感がある。

この違和感は自分たちの「欧米コンプレックス」を見せ付けられている感覚だが、それを悪びれもせず「白人のモデル」を使っていることにホンダの節操の無さをまじまじと見ているようで嫌な気分になってくる。

イギリスに住んでみて分かったことだけど、日本に帰ったときとか他のアジアからの留学生などを見てみると「欧米コンプレックス」があるという感覚が芽生えてきた。顕著なのは少女漫画の世界観だけど、それ以外の分野でも「欧米の真似事」に違和感を覚えたり、日本性みたいなものを感じてみたいとボクは思う。留学生の中にも留学してからこっちのスタイルに合う人・合わない人、日本のことがさらに好きになる人・ならない人の差異が生まれる。ボクなんかは日本のことをさらに知りたいと思ってしまうけど、そうなればなるほど欧米コンプレックスに対する感覚が敏感になってしまう。

それでは、また。

サンシン
2007/03/15のBlog
いままでこのブログに色々な写真を掲載して来ましたけど、やっぱり人物が写ってる写真は控えてきた。まあ、理由は色々あるけど、控えた方がいいと思って。

だけど、それでも良い写真や貼りたい写真はあった。そこで登場したのが、写真のURLを入力するだけで右の写真のように顔を隠してくれるサイトを発見!

The Laughing Man Hacks You!
こちらから

顔を隠すデザインは言わずと知れた「攻殻機動隊」の笑い男事件で使用されたインパクトのある顔。作品の中では元々名前は無かったが、メディアに登場し「笑い男」として流通したデザイン。

写真は一昨年のハロウィンに撮った写真で。上からサンシン、彼女、かぼちゃ。
かぼちゃにナイフを入れる前で、顔が出来てなかったんですが笑い男の写真を自動的に貼られてしまいました。(笑)
もしかして円形のものに貼り付けるようなプログラムなのかもしれません。

これからサンシンの登場も多くなると思いま~す♪

サンシン
2007/03/05のBlog
[ 18:17 ] [ サブカルチャー ]
“YouTubeテレビ”続々 Wiiでネットとテレビが融合(Yahoo ニュース)

 YouTubeなど動画投稿サイトの人気映像を、テレビで見るための新サービスが続々と登場している。YouTubeのAPIを活用し、WiiブラウザとWiiリモコンで簡単に操作できるようインタフェースを工夫したもので、テレビ番組を見るように気軽に動画を楽しめるのが特徴だ。サービス提供元は、小規模なベンチャー企業や個人ばかり。2年ほど前に注目を集めた、大手ネット企業によるテレビ局買収劇とは異なる次元で、ネットとテレビは着実に融合してきていると言えそうだ。

 Wii対応の動画サービスで先陣を切ったのは、2月16日に公開されたはてなの「Rimo」(リィモ)だ。YouTubeの人気動画をエンドレスに再生できる仕組み。リモコン型のシンプルなインタフェースで、テレビのように気軽にダラダラと見られるサービスを目指した。Rimoはサービスインと同時に話題を集め、ユニークユーザー(UU)数は3日で10万人を突破。総アクセスの16%がWiiからの接続だったという。

以下省略


ネットの画像データベースにアクセスして動画を楽しむことはYouTubeが出てきてから急激に利用回数が増えてきた。ただ、記事の中ではパソコンではなく、Wiiをつかってネットの動画をテレビで見るサービスを紹介している。つーか、パソコンを持っていて、ランダムに動画を流すサイトのアドレスを知っていれば、「Wii」も「テレビ」も使わずに動画を楽しめると思うんだけど。利用する人の感覚がまだテレビからネット(パソコンの使用)に移行していない、もしくは日本はパソコンの普及率よりも携帯の普及率のほうが高く、ネット利用も携帯を使っての利用が多い為、パソコンを使わずに「情報は携帯」で「動画はテレビ」で楽しむ人が多いのかもしれない。

下のリンクにYahooで紹介してあった動画を楽しむサイトのアドレスがあったので張っておきます。確かにCSの音楽番組の様にずっとつけっぱなしで楽しめるようになってる。サイトによってはジャンルが選べたり、Youtube以外の動画サイトから動画を持ってくるサイトもあるから、これらを駆使すれば「何かしながらBGMとして楽しむ」ことは可能になる。

ただ、動画の画質はテレビに比べて荒いから音楽を楽しんで少し動画を見るくらいの感覚なら最適なんでしょう。

http://rimo.tv/

http://darao.tv/

http://oreseg.com/

サンシン
3月1日の「日経BP」の特集記事。

女の子の論理-「蒸し返し論」のナゾを解く

コラムニスト酒井冬雪さんの連載コラムで、「会社の中の女の子」をテーマに毎回目から鱗が落ちるような記事を書いている。「蒸し返し論」は連載の三回目。自分自身もかなり思い当たるフシがあるので、記事全文を引用したい。

注:  太字 はサンシンが付け加えました。


ケンカをすると、半年前のことまで持ち出す彼女

 今日のデートでケンカをすると、なぜか半年前の過ちまで蒸し返して怒り出してしまった彼女。「あれ、あの件は許してくれたんじゃなかったの?」――そんな疑問を抱いたことのある男性は多いと思います。

 例えば、話題のレストランへ彼女を連れて行ってみたのはいいけれど、長い行列ができていて、お店の人から「1時間ほどお待ちいただくことになりますが……」と言われてしまった。

 自分としては、スカートにハイヒール姿の彼女を寒空の下で1時間も並ばせるくらいなら、さっさと違う店へ行って早く温かいものを食べてもらいたいと思う。もちろん、自分だってハラペコだし、さっさと違う店に行った方がいいと判断した。

 それで彼女に、「別の店に行こうか?」といって歩き始めると、後からついてきた彼女は妙に不機嫌。そして、

 「っていうか、前々からあそこに行くって約束してなかった?」……(1)
 「え?」
 「いっつもそうなんだもん。前もそうだったじゃん」……(2)
 「前って何だよ?」
 「前に、こういうふうになって、結局いつも行ってる居酒屋でごはん食べたことあったでしょう」……(3)
 「はあ? なんでそこでその話が出てくるわけ?」
 「もうやだ。私の口の中はもう『イタリアンを食べる!』っていうふうになってたのに」
 「じゃあ、1時間並ぶ?」
 「もういいよ。並びたくないんでしょ」……(4)
 「はあ? わかった。今から戻って並ぼう」
 「もういいって、行ったり来たり恥ずかしいもん。結局、ぜんぜんやさしさとかがないんだよね、私に対して」……(5)
 「え? あの店が混んでたのは、オレがやさしくないせいなわけ? ホント、意味わかんないよ」

 男性の皆さんからすると、いったい彼女は何が不満なんだかワケがわからん……と、疑問に思える会話でしょうし、また、ハラも立つことでしょう。

 しかし、女性の立場からみると「そうそう、そういうことってあるよね」と納得ができますし、ワケのわからない会話だとは思いません。なぜなら、女性は彼女の言葉のウラにある気持ちをなんとなく想像することができるから。この会話の「行間」を読むことができるからだと思います。

 というわけで、(1)~(5)の彼女の言葉について解説をつけてみましょう。

彼女の言葉のウラに隠された気持ちとは?

(1)「っていうか、前々からあそこに行くって約束してなかった?」

→ この店に行くことは、前から決まっていたことなんだから、この日のために席を予約しておくとか…そういう考えはなかったのかしら?

(2)「いっつもそうなんだもん。前もそうだったじゃん」

→ 今回のような出来事は、3カ月前の○月○日に銀座の××へ行ったとき、半年前の△月△日に青山の×××××へ行ったとき、そして8カ月前の□月□日に表参道の×××へ行ったときにもあった。そのとき、自分から「こういうところは、予約しておかないとダメだ。今度からそうしよう」と言っていたのに。自分から、そう言ったのに

(3)「前に、こういうふうになって、結局いつも行ってる居酒屋でごはん食べたことあったでしょう」

→ 言う気もないけど、今日、あのお店に行けると思ったからこの服着てきたんだよ。このワンピース、いくらすると思ってるの? 正直、下着にも気合い入れちゃったし、靴もこの服に似合うやつを買わなきゃいけなかったんだから。せっかくここまでおしゃれしてきたのに、いつもの居酒屋でビールにモツ鍋なんてシャレになんないよー、ほんと、泣きそうなんですけど……。

(4)「もういいよ。並びたくないんでしょ」

→ っていうか、そもそも、並ぶか並ばないか、別の店に行くならどこにするか、私に聞きもしなかったよね。ここまで気合い入れてきたんだから、私としてはちょっと並んでもよかったのに……。お店の外にストーブだって出てたし、ヒザかけも貸してくれてたじゃん。それに、本当に気を利かせてくれるなら、私を向かいのカフェで待たせて、自分一人で並ぶとか、そういう選択肢だってあったんじゃないの? もちろん、私だって一緒に並ぶつもりだけど、一言そういってくれるだけで全然違うのに

(5)「もういいって、また戻ったりして恥ずかしいもん。結局、ぜんぜんやさしさとかがないんだよね、私に対して」

→ とにかく、釣った魚にエサをやる気はないから、お店に予約を入れておくとか、初めて着てきた服だってことに気付いてホメるとか、並ぶか並ばないか私に聞くとか、そういう気遣いは一切しないわけだよね。もし、これが私とのデートじゃなくて、取引先の人の接待とかだったら、そんなことはしないでしょうに。仕事での有能さもプライベートでは発揮できないってわけだ。もう、私にやさしさなんか見せなくてもいいって自信満々なんだよね。こっちはいっつも気を遣って、何をするにも意見を聞いてるのに。もうやだ、なんでこんな女心がわからない、やさしくない人のこと好きになっちゃったんだろう、私のバカ。バカバカ。

 ……とまあ、こんなふうに、女の子の心の中にはいろいろな葛藤があるわけです。そして、女の子は、「いったい全体、どこまで彼に本音をいっていいものなのか?」と、常に迷い、彼のプライドをキズつけないよう、気を遣っているわけなのです。

 今日のデートの身だしなみにどのくらいお金をかけてしまったか、しかも下着にも気合いが入ってるとか、そのようなことは言いたくないのです。男性だって、彼女とのデートのとき食事を「○○○○円おごってやっただろう」なんて恩着せがましいことは言わないと思いますが、それと同じなのです。

 また、よほど女王様気質でない限り「私は向かいのお店でお茶を飲んでいるから、あなたは一人で行列に並んでいなさい」なんていう人はいないと思います。彼と二人なら、寒い中で1時間座って待ってみるのも楽しいかもしれない……と健気に考えているかもしれないのです。死ぬほどお腹が空いていない限りは、ですが。

過去のことを“蒸し返す”本当のワケ 

もちろん、○月○日にもこのような事件があった、などと、過去のことを詳細に蒸し返すのはどうかと思います。どうかとは思うけれど、こと細かにあの日のあのことを覚えている女の子はとても多いものなのです。

 私の知人などは、スケジュール手帳に彼とデートした日、その日の彼の発言、SEXした回数まで書き込んでいたほどです。その手帳を見せられたとき、非常に驚きましたが、なんと「私もそういうの付けてる」「日記に書いてる」という女性の声を、ほかでもあちこちで聞いたので、もっとビックリしました。

 このように、女性は過去の経験を詳細に記憶していて、現在の彼の所業と引き比べ、恋人が「自分のためにこんなことをしてくれた」「まったくしてくれない」と、なるべく口には出さず、ただただ心に書き留めているものなのです。

 とにかく、ほとんどの女の子は、日ごろから言いたいことを言えず、グッとこらえていることが多い。ですから、「前にもこういうことあったよね」と、女の子が漠然と昔の話を持ち出したときは、彼が自分で記憶の引き出しから、○月○日事件、△月△日事件、□月□日事件を思い出してくれるようにうながしているということです

 そのうえで、「そうかー、そういえば、いっつも予約とか取るのを忘れてたんだな、オレ。今度から予約を取らないと)と気付き、次から行動に移してくれることを期待しているのです。

 ところが男性は、一度あったことはサラリと水に流してすべてを忘れ切って「あの件はあのとき謝った」「あのときは謝ったから、もう終わっている話」という考え方をしている様子です。

 なので、なんで前の話を蒸し返すわけ?」と、今のことだけでなく、以前のことまで持ち出されたことにさらなる怒りを覚え、2倍にハラを立ててしまう。

 女の子は「ほらね、また怒り出した。やっぱり私がどうして悲しんでるのか、話を聞く気がないみたい。今は何を言っても聞いてもらえそうもないし、黙っていよう。でも、心の手帳にはきっちり書きとめるし、ちょっとうらんじゃうぞ~」と、ますます自分一人だけで抱え込んでしまうのです。

 恋愛している女の子が、彼との間にあった出来事を心にどんどん溜めていくのに対し、男性のほうは流れに身を任せて漂っている…というような図があるのかもしれません。

彼女が何か“蒸し返し”たら、立ち止まって考えてみる 

ところが逆に、恋人と別れたときや離婚したときは、女性は早めに心を切り替えてスッキリするのに対して、男性の方が立ち直るのに時間がかかることが多いものです。

 私はその理由が、「女性は恋人と付き合っている間ずっと、彼の一挙手一投足についてあれこれ考え悩んでいるのに、男性は彼女が恋人になった時点から、その作業を怠っていることが多いから」という部分にあるような気がしています。

 つまり男性は、好きな子ができてアプローチを始めると、その間、とても労力を使ってしまいます。なので、一度好きな彼女を振り向かせることができてしまうと、後は信じて甘えきって、話もろくに聞かなくなってしまう。

 その結果、とうとう別れることになってしまってから「ええ? なんでこうなってしまったんだ?」と戸惑い、そこから悩み始めるので、気持ちを整理するのに時間がかかってしまうんだと思います。

 女性は、口説かれている間や付き合い始めてから、さらにはマンネリ化してからも、自分たちの関係をいつもあれこれと悩んでいるのに。

 つまるところ、彼女の「前にもこういうことがあったけど」という“蒸し返し論”は、彼に対して、彼の自分への愛情に疑問や不信がイロイロあるのだが…というサイン(兆し)であるといっても過言ではないような気がいたします。

 ある意味、そういうケンカができるようになったくらい、二人の関係は深まったともいえますが、深まっているからといって安心しきって、彼女に甘えて好き勝手をしていいということではないのです。

 「言わなくてもわかってくれているだろう」
 「そこまでしなくても彼女ならガマンしてくれるだろう」
 「前にもやっちゃったかもしれないけど、それぐらい大目に見てよ」

 ……と、なあなあで済ませ、彼女をおざなりにしてこなかったか?

 常に、とは言いませんが、定期的に立ち止まって、二人の関係を振り返ってみる。彼女の目に、今も付き合いはじめたばかりのころと同じように、星がキラキラと輝いているか、ジッと目をのぞいて確かめてみる。

 それを怠っていなければ、「あなたは前にもそうだった」とケンカのたびに、半年、1年、3年前の話を蒸し返されるようなことが、たぶん少しは減るのではないかと思います。

 会社での人間関係や仕事で気を遣い、そのうえ彼女にまで気を遣わなきゃいけないなんてつらすぎる…と思う男性もいらっしゃることでしょう。しかし、大半の女性が当たり前のようにそれをやってのけています。ですから、男性の皆さんにも、ぜひとも、付き合い始めた当初の恋のときめきを思い出してみてほしいのです。

 「あのころのオレだったら、寒空の下、1時間、あの店に並んだかもしれないなあ」
 「付き合いはじめたばかりのころは、何をするにも彼女の意見を聞いていたかも」

 そんなふうに思い当たるフシがあるのでしたら、二人の関係をリフレッシュさせるためにも、ぜひ昔を思い出して、やさしく思いやりのある態度を取ってみてください。そうすれば「半年前にあんなことをされた」「一年前にあんなことをいわれた」という過去の悪行リストに、これ以上、何かを書き込まれる心配はなくなるはずです。

 女の子は、こと恋人のこととなると、ふだん以上に記憶力が良くなるもの。これを肝に銘じて、なるべく恋人にはやさしく接し、よく話を聞いてあげるようにしてくださることを願ってやまない私です。

なんとも、まあ。。。

そ、その通りでございます。。。

太字で強調した部分は過去、確かにそういう経験をした覚えがあるんで。他にも「仕事場での女の涙論」とか、「女の気分論」なんかも女性の視点から分かりやすく解説してあるので、勉強になります。。。いや、今の彼女に「蒸し返」されてるわけじゃないですよ(笑)

それでは、また。

サンシン
2007/03/03のBlog
英BBC、動画投稿のユーチューブに番組提供(asahi.com)

英BBC、動画投稿のユーチューブに番組提供

2007年03月03日11時47分

 英国放送協会(BBC)は2日、動画投稿サイトのユーチューブと提携し、ニュースや娯楽番組を提供すると発表した。広告付き番組を流して収入増につなげるほか、BBCの番組を見たユーチューブの利用者を自社のウェブサイトに誘導する効果も狙う。

 連日30本程度のニュースを提供し、娯楽番組では宣伝効果を期待している。ユーチューブの利用者は月間7000万人にのぼるといい、BBCは「事業の拡大に役立つ存在だ」として提携に踏み切る。

 ユーチューブには著作権問題がつきまとい、放送局などとの間で対立がしばしば起きている。BBCに著作権がある動画もすでに投稿されているが、BBCは、ブランドを傷つけるような改編が加えられていたり、第三者の著作権が絡んでいたりする場合を除き、問題視しない考えを示した。


ユーチューブ(http://www.youtube.com/)はもう言わずと知れたグローバルな動画サイトだけど、当初から著作権絡みの問題と常に付き合ってきた。テレビ番組や映画制作会社からしたら自分たちの作品を「無料」でたくさんの人に晒されている。日本のテレビ会社や映画制作者はかなり厳密なルールで国内の著作権侵害対象のサイトを取り上げてきたし、ユーチューブにも大量の削除依頼をし、アップされたドラマや番組なんかが片っ端に削除されていった。

ただ、アサヒ.コムの速報ではイギリスのBBCが悪質な番組内容の変質が無い限りはBBCがユーチューブに動画を載せてもいいことを認めたぶんしょうになっている。

個人的な意見ではこの流れが不可逆なものであり、厳密な法の執行は即ちマーケットの縮小に他ならない。90年代以降の音楽セールスの売り上げの減少を見ても分かるが、厳密なルールを敷けば敷くほど全体のパイは小さくなる。しかも、著作権で守ってるのはクリエイター(創作者・製作者)ではなく、販売を担ってる中間業者の利権を守るもの。

逆にユーチューブが無料広告サイトだという発想になってみるとマーケットとしては巨大なもの。聞いた話では、アメリカで一番お金がかかるといわれている広告はアメフトの全米No,1を決める「スーパーボール」のテレビ広告であるが、ユーチューブはそれ以上の効果を挙げたといわれているほど。2008年のアメリカ大統領選挙の時もこのサイトに各候補の広告が載る予定だし、ユーチューブで広告しているイギリスの大企業も多い。(携帯の会社など)

一般的にはあまり知られていないけど、去年のヒットアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」も同じような方法で大ヒット作品にまで上りつめた。元々、キー局ではなく独立局で放送されたアニメだったが、他のアニメ同様にユーチューブに動画がアップさせれ行った。しかし、このアニメは動画がアップされてからも積極的に削除をせず、ある程度自由に見ることができた。アニメの質も良かったことからネットで大反響を呼び、放送を逃した人もユーチューブで動画を見るようになり、アニメ・小説・CDが売れるという循環を作り出した。

このように無料で広告を載せているという感覚であれば、番組やアニメの質を高め、周辺商品の充実を目指していけば、ビジネスとしてはかなり美味しいはず。

ビジネスとして考えなくても、BBCは元々「公共放送」という倫理観が強い会社で、報道やドキュメンタリーの質が高いこともさることながら、ネットで見られる環境も充実させている。例えば、過去に放送された番組は新しいものであれば、ほぼすべてを見ることができる。

確かに「公共性」の観点から考えれば、一度放送したドキュメンタリーが以後お蔵入りするような環境は製作者も不満だろうし、なによりBBCを見ている人に責任を果たせない。ご存知の通り、イギリスはカラーテレビを持っていれば、年間に24,000円をBBCに支払わなければならない法律があり、BBCはテレビを持っている全ての世帯からお金を徴収する代わりに質の高い放送を目指さなくてはならない。5年に一度の投票でBBCの報道をめぐる制度があるため、年間に24,000円分の仕事をしていないと思われるような番組つくりをしていたらそれこそ、自分たちの首を絞めるようなもの。だから、質の高いドキュメンタリーを作ったり、ネットで過去に放送された番組を見れるような環境を作ったりしている。

この視点から見れば、イギリスの国民からお金を徴収して番組を作っているのでユーチューブで動画が流れてもBBC自体は痛くもかゆくも無い。それどころか、巨大な広告サイトとして機能しているユーチューブに動画が載れば、質の高い番組を見る人が増えるということになり、それこそ「公共性」に資する行動ではないのか。

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自分自身も昔、ユーチューブでNHKが作ったドキュメンタリーで「フランス外人部隊に入隊する若者たち」という番組を見たことがある。非常によくできた番組で歴史的な背景から移民問題、外交問題、軍事問題が顕著に現れている外人部隊を知ることが出来て感動した経験がある。たぶん、NHK以外にもこうしたドキュメンタリーは各局で作って