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2007/04/19のBlog
[ 07:07 ]
[ 政治・社会 ]
バージニア工科大学銃乱射事件も犯人がわかって彼が殺人鬼となった経緯が徐々に分かり始めてきた。ウィキペディアのサイトでも既に25ヶ国語で事件の経過を紹介している。速報もさることながら世界中で情報がデータベース的に消費していることを示しているのだろう。
さて、今回は韓国人学生による犯行だったこともあり、韓国国内の事件に対する反応も気になった。大手三社(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)の記事でもかなりな比重で事件の経過を紹介している。
朝鮮日報:米大学乱射:報復恐れる韓国人留学生
朝鮮日報:米大学乱射:「犯人は韓国人」にネットユーザー騒然
中央日報:<米銃乱射事件>‘韓国系憎悪犯罪’を憂慮する韓国人社会
東亜日報:米史上最悪の銃乱射事件 米社会に大きな衝撃
アメリカに留学している韓国人の立場に立ってみれば、憎悪の感情を持った人たちからの報復に頭を悩ませていると思う。過去最大の犠牲者を出した学校内での殺人事件を起こしたのだからそのような感情を抱いてしまうのは仕方ないし、様々な暴力を受けることになるだろう。それこそ、アメリカは9・11の事件で中東出身の方々が差別をされている状況を目の当たりにしているからだ。それを考えるとアメリカの韓国人社会は今後どのくらいの規模になるのかは分からないけど、萎縮してしまうだろう。
「韓国人でないことを、ずっと祈り続けてきたのに。米国での同時多発テロ以来、“アルカイダ”ではなくても、すべての中東人が不利な立場に置かれたのと同じように、今回の事件で韓国人に対するイメージが悪化するのは間違いなく、こういったイメージがどのくらい長引くのかを考えると先が思いやられる」(朝鮮日報)
バージニア工科大銃乱射事件の犯人が韓国系のチョ・スンヒと明らかになったことで、韓国人を対象にした‘憎悪犯罪’が起きている。 悪口や暴言を吐いて投石したり、唾を吐いたりしているという。
バージニア州に住むブライアン・キムさんは「マクドナルドの前を通った時、ある白人から『銃さえあればお前を撃ち殺す』と言われた」とし「当分は外出するのも怖い」と語った。 ロサンゼルスで中国料理店を経営する韓国人男性も「他の人種が街中で韓国人を向かって足で蹴るふりをするなど、怖い雰囲気」と伝えた。 ニュージャージー州の一部の学校では他人種の学生が韓国人学生に唾を吐いたり学用品を投げたりする事件も発生しているという。(中央日報)
2ちゃんねるの掲示板ではアメリカ社会で韓国人のイメージが悪くなって良い気味だ、といった言説もある。まあ、匿名をいいことに感情的に吹き上がっているだけだからいいんだけれど、韓国に悪感情を持っている人でもこのような思考をする可能性があるかもしれない。ただ、考えて欲しい。欧米の人にしてみたら日本人も韓国人も中国人も区別が付かない。それは彼らがバカだからとかそういう単純な理由ではなく、本当に分からない。と、いうことは今回の事件は韓国人が起こしたからといって悪感情が韓国人にだけ向かうとは決して思えない。逆に韓国人を含むアジア人全般にその矛先が向かうと思われる。その感覚は欧米に住んでみないと分からないと思う。
現にミクシー(Mixi)のサイトでもバージニア工科大学のコミュニティーを中心として日本人学生たちが「自分たちも報復があるんじゃないか」と心配するコメントが目立っている。その気持ちはものすごくよく分かるし、彼らの立場になってみると堪ったもんじゃないと悲しくなってくる。ただ、日本の報道や掲示板での言説を見ているとこうした視点が抜けているように思える。逆に留学経験がある人は日本人学生も危険なんじゃないかといった言葉が目立つが、日本に住んでいる人にもこのような感覚があって欲しいと思っている。
まあ、今回の事件も人々の感情が沈静化するのを待つしかないと思う。実行犯の彼がいくらマッド(狂った人物)で、自分たちとは違う次元の人間だと精神的に帰属処理を行なっても「同胞(アメリカ人)が無くなった悲しみと憎しみ」は簡単にはなくならないだろう。
それでは、また。
サンシン
さて、今回は韓国人学生による犯行だったこともあり、韓国国内の事件に対する反応も気になった。大手三社(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)の記事でもかなりな比重で事件の経過を紹介している。
朝鮮日報:米大学乱射:報復恐れる韓国人留学生
朝鮮日報:米大学乱射:「犯人は韓国人」にネットユーザー騒然
中央日報:<米銃乱射事件>‘韓国系憎悪犯罪’を憂慮する韓国人社会
東亜日報:米史上最悪の銃乱射事件 米社会に大きな衝撃
アメリカに留学している韓国人の立場に立ってみれば、憎悪の感情を持った人たちからの報復に頭を悩ませていると思う。過去最大の犠牲者を出した学校内での殺人事件を起こしたのだからそのような感情を抱いてしまうのは仕方ないし、様々な暴力を受けることになるだろう。それこそ、アメリカは9・11の事件で中東出身の方々が差別をされている状況を目の当たりにしているからだ。それを考えるとアメリカの韓国人社会は今後どのくらいの規模になるのかは分からないけど、萎縮してしまうだろう。
「韓国人でないことを、ずっと祈り続けてきたのに。米国での同時多発テロ以来、“アルカイダ”ではなくても、すべての中東人が不利な立場に置かれたのと同じように、今回の事件で韓国人に対するイメージが悪化するのは間違いなく、こういったイメージがどのくらい長引くのかを考えると先が思いやられる」(朝鮮日報)
バージニア工科大銃乱射事件の犯人が韓国系のチョ・スンヒと明らかになったことで、韓国人を対象にした‘憎悪犯罪’が起きている。 悪口や暴言を吐いて投石したり、唾を吐いたりしているという。
バージニア州に住むブライアン・キムさんは「マクドナルドの前を通った時、ある白人から『銃さえあればお前を撃ち殺す』と言われた」とし「当分は外出するのも怖い」と語った。 ロサンゼルスで中国料理店を経営する韓国人男性も「他の人種が街中で韓国人を向かって足で蹴るふりをするなど、怖い雰囲気」と伝えた。 ニュージャージー州の一部の学校では他人種の学生が韓国人学生に唾を吐いたり学用品を投げたりする事件も発生しているという。(中央日報)
2ちゃんねるの掲示板ではアメリカ社会で韓国人のイメージが悪くなって良い気味だ、といった言説もある。まあ、匿名をいいことに感情的に吹き上がっているだけだからいいんだけれど、韓国に悪感情を持っている人でもこのような思考をする可能性があるかもしれない。ただ、考えて欲しい。欧米の人にしてみたら日本人も韓国人も中国人も区別が付かない。それは彼らがバカだからとかそういう単純な理由ではなく、本当に分からない。と、いうことは今回の事件は韓国人が起こしたからといって悪感情が韓国人にだけ向かうとは決して思えない。逆に韓国人を含むアジア人全般にその矛先が向かうと思われる。その感覚は欧米に住んでみないと分からないと思う。
現にミクシー(Mixi)のサイトでもバージニア工科大学のコミュニティーを中心として日本人学生たちが「自分たちも報復があるんじゃないか」と心配するコメントが目立っている。その気持ちはものすごくよく分かるし、彼らの立場になってみると堪ったもんじゃないと悲しくなってくる。ただ、日本の報道や掲示板での言説を見ているとこうした視点が抜けているように思える。逆に留学経験がある人は日本人学生も危険なんじゃないかといった言葉が目立つが、日本に住んでいる人にもこのような感覚があって欲しいと思っている。
まあ、今回の事件も人々の感情が沈静化するのを待つしかないと思う。実行犯の彼がいくらマッド(狂った人物)で、自分たちとは違う次元の人間だと精神的に帰属処理を行なっても「同胞(アメリカ人)が無くなった悲しみと憎しみ」は簡単にはなくならないだろう。
それでは、また。
サンシン
2007/04/18のBlog
[ 16:34 ]
[ 政治・社会 ]
あまり長く書いても仕方が無いので、簡潔に。
この事件はもちろん、イギリス国内でも大きな事件として取り上げられている。ただ、やはりというか、報道局の性格で報道の仕方が変わっている。
(写真を追加!)
BBC:
Virginia killings review pledged
Have Your Say
BBCは国際的な報道局ということでネットには様々な国からのアクセスがある。大きな事件がある時は記事に掲示板を付けて自由にコメントを書けるようにしている。自分の意見を言うということもあるし、他の人がどのように思っているのかがすぐに分かるようになっている。状況的に不安だからどのように解釈していいのかの「とりあえずの」処方箋が欲しいからかもしれない。
掲示板にはUK以外にもアメリカやカナダからのコメントが目立つ。イギリスの高級紙のサイトでも同じ傾向がある。掲示板でのコメントは昔から銃に関する問題に対する認識を再生産しているだけに過ぎない。
「銃が平然とある社会がこういう事件を生んでいるんだ」→「いや、銃に限らず武装する権利(Armed)は憲法で認められていて、政府(統治権力)が国民のためにならなかったときにはクーデターを起こすことが出来る権利だ」など。
みんな少し平常心が無いようにも見える。それこそ、マイケル・ムーアが「ボーリング・フォー・コロンバイン」で散々言っているじゃないか。
The Sun:
The warped face of hate
Have your say
次はイギリスで一番売れている「ゴミ」新聞。ザ・サン。アメリカのメディア王のマードックが新聞社を買収してから急激に売り上げを伸ばしているけど、その内容というのも「セックス・スポーツ・スキャンダル」といってもいいほど、国民の俗情にこびた記事を提供している。一番最初の見開きはトップレスの女の人だし(笑)こういう大きな事件が起きたときは事実報道というよりも感情を起こさせるような記事の書き方をしている。こんな新聞がなんで売れてるんだと思うけど。
ついでに日本の状況。
痛いニュース:容疑者は23歳の韓国人学生
All About:バージニア州で史上最悪の銃乱射事件
一番目のリンクは2ちゃんねるで交わされた内容を編集したもの。ここもいつも通りというか、「犯人が韓国人だからこの事件が起こった」と吹き上がってる。韓国人は日本でも犯罪を犯しているけど、ついにアメリカでも・・・みたいな。ただ、気になるのはこの事件が起きた要因がすべて「個人」に帰属していること。アメリカは銃社会だといった社会要因がすっぽり抜け落ちてる。少し前のニート論争もそうだけど、社会的要因が必ず存在するにもかかわらず、働かないのは個人の、若者の責任だといった言説が多すぎる気がする。人格や性格は社会要因という関数によって変化するのに。
それとオールアバウトのリンク。最後の文章は読んでてちょっと笑った。
結局、「アメリカは銃社会だから危険」とも一言では言えませんし、「私の留学先は田舎だから安全」とも言えません。では、どうすればよいのかというと、最終的には「自分の身は自分で守る」という考えのもと、どんな地域に留学したとしても、「危ない時間に危ないところに近づかない」ということを徹底すること、そして、周りの人たちとの人間関係を良好に保つこと。この2点が自分の身を守るためにできることではないかと思います。
なんだよそれ。全然、解決策になってねーよ。てか、それって当たり前の感覚だろ?と思うけど、留学経験が無い人にとってこういう認識はやっぱり不足しているんだろうか。社会の不透明さによる漠然とした不安があるのはわかる。ただ、清濁を併せ呑むくらいの感覚というか余裕は欲しいものだけど。キレイなもの、安全なもの、居心地が良い場所ばかりじゃない。こういう感覚。
それでは、また。
サンシン
この事件はもちろん、イギリス国内でも大きな事件として取り上げられている。ただ、やはりというか、報道局の性格で報道の仕方が変わっている。
(写真を追加!)
BBC:
Virginia killings review pledged
Have Your Say
BBCは国際的な報道局ということでネットには様々な国からのアクセスがある。大きな事件がある時は記事に掲示板を付けて自由にコメントを書けるようにしている。自分の意見を言うということもあるし、他の人がどのように思っているのかがすぐに分かるようになっている。状況的に不安だからどのように解釈していいのかの「とりあえずの」処方箋が欲しいからかもしれない。
掲示板にはUK以外にもアメリカやカナダからのコメントが目立つ。イギリスの高級紙のサイトでも同じ傾向がある。掲示板でのコメントは昔から銃に関する問題に対する認識を再生産しているだけに過ぎない。
「銃が平然とある社会がこういう事件を生んでいるんだ」→「いや、銃に限らず武装する権利(Armed)は憲法で認められていて、政府(統治権力)が国民のためにならなかったときにはクーデターを起こすことが出来る権利だ」など。
みんな少し平常心が無いようにも見える。それこそ、マイケル・ムーアが「ボーリング・フォー・コロンバイン」で散々言っているじゃないか。
The Sun:
The warped face of hate
Have your say
次はイギリスで一番売れている「ゴミ」新聞。ザ・サン。アメリカのメディア王のマードックが新聞社を買収してから急激に売り上げを伸ばしているけど、その内容というのも「セックス・スポーツ・スキャンダル」といってもいいほど、国民の俗情にこびた記事を提供している。一番最初の見開きはトップレスの女の人だし(笑)こういう大きな事件が起きたときは事実報道というよりも感情を起こさせるような記事の書き方をしている。こんな新聞がなんで売れてるんだと思うけど。
ついでに日本の状況。
痛いニュース:容疑者は23歳の韓国人学生
All About:バージニア州で史上最悪の銃乱射事件
一番目のリンクは2ちゃんねるで交わされた内容を編集したもの。ここもいつも通りというか、「犯人が韓国人だからこの事件が起こった」と吹き上がってる。韓国人は日本でも犯罪を犯しているけど、ついにアメリカでも・・・みたいな。ただ、気になるのはこの事件が起きた要因がすべて「個人」に帰属していること。アメリカは銃社会だといった社会要因がすっぽり抜け落ちてる。少し前のニート論争もそうだけど、社会的要因が必ず存在するにもかかわらず、働かないのは個人の、若者の責任だといった言説が多すぎる気がする。人格や性格は社会要因という関数によって変化するのに。
それとオールアバウトのリンク。最後の文章は読んでてちょっと笑った。
結局、「アメリカは銃社会だから危険」とも一言では言えませんし、「私の留学先は田舎だから安全」とも言えません。では、どうすればよいのかというと、最終的には「自分の身は自分で守る」という考えのもと、どんな地域に留学したとしても、「危ない時間に危ないところに近づかない」ということを徹底すること、そして、周りの人たちとの人間関係を良好に保つこと。この2点が自分の身を守るためにできることではないかと思います。
なんだよそれ。全然、解決策になってねーよ。てか、それって当たり前の感覚だろ?と思うけど、留学経験が無い人にとってこういう認識はやっぱり不足しているんだろうか。社会の不透明さによる漠然とした不安があるのはわかる。ただ、清濁を併せ呑むくらいの感覚というか余裕は欲しいものだけど。キレイなもの、安全なもの、居心地が良い場所ばかりじゃない。こういう感覚。
それでは、また。
サンシン
2007/04/09のBlog
[ 13:44 ]
[ 政治・社会 ]
えらく長いタイトルになってしまいました。
お久しぶりです。サンシンです。
気付いたら前回の記事から10日近くも経ってました。。。
写真は去年の児童館で行ったボランティアの仕事。
この日は飯ごう炊飯!!ピース!!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
さて、今日は充実した生活と仕事の生産性の話です。
リンクが多数あるので先に紹介しておきましょう。
・ビデオニュース:第312回日本が「子供を作りたくない国」であるこれだけの理由
現在、日本の出生率が1,28と先進国の中でも最低の数値を更新中ですが、少子化問題に向けて何が必要なのかを議論した番組。主にフランスの少子化対策と日本の少子化対策を比較して少子化を止める為の案を提案している。
・Oh My News:亀山早苗コラム
働く人々の性愛関係を取材するジャーナリストのコラム。仕事上では世に言う「オトナ」と言われる人々でも性愛になると奥手になったりコミュニケーション不足を露呈してしまう状況を紹介している。
・Oh My News:斎藤珠里コラム
早熟尊ぶ恋愛国の教育事情:コラム15
仕事とセックスの深い関係:コラム3
セクシーなお国の少子化対策:コラム4
パリ在住ジャーナリストの斉藤珠里さんのコラム。フランスの恋愛事情もさることながら、個人と会社の関係、フランス政府の積極的な少子化対策、教育におけるコミュニケーションの育成など、人生も社会も豊かにするような情報を紹介してくれる。フランスが「超」が付くほどの個人主義の国と言われるけど、それだけでは語りつくせない。
・All About:共働きに多い?疲れすぎセックスレス「妊娠・出産・教育」カテゴリ
・All About:SEX回数世界最低の日本人と不妊の関係「不妊治療」カテゴリ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
日本が先進国の中でもずば抜けて少子化社会である理由はいくつかある。
・少子化財源が圧倒的に少ない(フランスは7~8倍の財源を確保)
日本は高齢者への財源が各国に比べてかなり多めに確保されている為、少子化対策のための財源を確保できない。これから高齢者となる段階の世代をはじめ、やはり選挙権を持ている。かれらがより年金を多く配分する候補者を支持するため、女性の妊娠から子どもが成人するまでの費用が他の国よりもかかる。そうなれば、一家族当たりの子どもは少なくなるのは自然な流れ。
・長時間労働による生活への憔悴感
日本の労働環境はおかしい!!!!色んなところで指摘されてるけど、長時間労働による個人的な余暇の時間が確保できていないことが実はかなり大きい。要するに自分が自由に出来る時間が少ないこともさることながら、余暇が出来ない事から発生する「モチベーション不足」が問題となる。日本は時間当たりに見る仕事の生産性は著しく低い。各国の労働者と比べて「だらだらと長時間働く」生活を続けている。例えば、共働きしている夫婦がいるとして、その両方が10時や11時に帰ってくるような生活をしていると自然とセックスの回数が激減し、ストレスも体力も回復しないまま会社に戻って働くと言う悪循環に陥る。
逆にフランスなどでは仕事よりも個人的な充実感を社会的に重視している。かといって時間当たりの生産性はかなり高い。ということは、個人的な生活が充実しているから長時間働くなくともメリハリをつけることが出来るし、高いレベルでモチベーションが確保できる。
よく「子どもが出来ると考え方が変わる」人がいるけど、独身よりも既婚者、子どもがいない人よりも子持ちの労働者の方が生産力が高くなる。どういうことかというと、パートナーと過ごす時間がある人、子どもがいる人は自分の家族と一緒にいようと努力する。その行動が結果的に生産性を上げるし、仕事へのモチベーションが高い。
ビデオニュースで渥美さんは長い労働時間や取得率が0.5%にとどまる育児休暇など、日本では企業側にも、社会の一員として育児を支えていこうという発想が薄いと語る。確かに子育て支援は短期的に見れば企業にとって負担となり得るが、5年以上の長期的視野に立つと、より有能な人材が確保できたり生産性の向上が見込めるなど、子育て支援は企業にとって経済的なメリットも大きい。
・日本の妊娠中絶が頻繁に行われている
日本の妊娠中絶の件数がとても多いことは昔から議論されている。(1)フランスで婚外子が5割を越えているのに対し、日本はまだ0.5%にも満たないなどの「婚外子差別」が原因で中絶に踏み切る人。(2)欧米に浸透しているキリスト教の影響で中絶が頻繁に出来ない思想を持っている国に対して、日本は昔から「間引き」の伝統に見るように中絶に対して「タブー(禁忌)意識」が少ないから妊娠中絶をする人が多い。(30日本の産婦人科業界の圧力により中用量ピルの市販を遅らせていたために妊娠中絶が多くなった。妊娠中絶という「ビジネス」を成立させておく為にピルの市販を遅らせ、自分達の業界を成り立たせて置いた経緯がある。(BBCニュースより)
要するに欧米では女性が妊娠すると思想的・社会的に生ませてあげようとする努力をする。キリスト教、特にカトリック信者は信条的に中絶が出来ないなど、一度妊娠すると産むしかない。そこで社会政策として出産・子育てを出来るようなシステムを作っておいて妊娠しても安心して子どもを育てられる環境を整える。だから自然と出生率は上がる仕組みになる。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
現在の日本の財界からは個人的な充実感を得るような仕組みをどんどん壊していくような仕組みを作ろうとしている。ホワイトカラー・エグゼンプション、法律の改定による派遣労働者の増大、それに煽られる形で発生する将来への財政不安。経済的に不安だから結婚を遅らせようとする動きがあったり、大量のDINKs(Double Income No Kids=ディンクス:子どもがいない共働きの夫婦)を発生させ、少子化が加速する。そうなれば、個人的な充実感を日常で得られることが出来ずに、モチベーションが高く保てず、生産性が低いまま長時間労働をする生活をするしかなくなると言う最悪の悪循環を経験しているのが今の日本の現状である。
日本の政界や財界は本来、生産性を向上させてグローバルな競争力を培う必要があるはずなのに、同じくグローバルな競争力を発揮する為に人件費を削減させようとする。本来ならば本末転倒な発想なんだけど、まだそれを分かっている経営者は少ないのだろう。
子育てに限らず、性愛でも旅行でもスポーツでも人間は充実できる。やはり個人的な時間を持つことが出来ないと、生活に余裕が出来なくなる。余裕が生まれないと進んで恋愛が出来ないし、満足するような性愛が営めないし、子どもを作ろうと思わなくなる。それが色々な形で出てきているけど、その一端は少子化だし、その一つはコミュニケーション不足で台無しになる恋愛だし、性愛関係がなくなるし(セックスレス)、家族旅行の減少にも繋がっているのだろう。逆にフランスは恋愛もセックスも家族も子供も大切にする社会を作ってきた。人間にとってどちらが「生きている実感」を得られるのか?生きている実感があるからこそ仕事の生産性が高いという現状がある。「べき論」でいえば、こうした社会の方が人にとって生きやすい社会だと思うし、そうあるべきだと思う。
世界第二位の経済力を持っている日本に住んでいるのに「自分は幸せか?」というアンケートには「そうでもない」と答える人がとても多い。「経済的な豊かさ=充実した暮らし」という幻想はもうすでに消えたはず。だけれど、まだまだそれを信じてやまない経済界の人たち。経済的にそんなに豊かでないラテンの国の人の方がよっぽど「幸せだ」と思って生活しているのにもかかわらず。
それでは、また。
サンシン
お久しぶりです。サンシンです。
気付いたら前回の記事から10日近くも経ってました。。。
写真は去年の児童館で行ったボランティアの仕事。
この日は飯ごう炊飯!!ピース!!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
さて、今日は充実した生活と仕事の生産性の話です。
リンクが多数あるので先に紹介しておきましょう。
・ビデオニュース:第312回日本が「子供を作りたくない国」であるこれだけの理由
現在、日本の出生率が1,28と先進国の中でも最低の数値を更新中ですが、少子化問題に向けて何が必要なのかを議論した番組。主にフランスの少子化対策と日本の少子化対策を比較して少子化を止める為の案を提案している。
・Oh My News:亀山早苗コラム
働く人々の性愛関係を取材するジャーナリストのコラム。仕事上では世に言う「オトナ」と言われる人々でも性愛になると奥手になったりコミュニケーション不足を露呈してしまう状況を紹介している。
・Oh My News:斎藤珠里コラム
早熟尊ぶ恋愛国の教育事情:コラム15
仕事とセックスの深い関係:コラム3
セクシーなお国の少子化対策:コラム4
パリ在住ジャーナリストの斉藤珠里さんのコラム。フランスの恋愛事情もさることながら、個人と会社の関係、フランス政府の積極的な少子化対策、教育におけるコミュニケーションの育成など、人生も社会も豊かにするような情報を紹介してくれる。フランスが「超」が付くほどの個人主義の国と言われるけど、それだけでは語りつくせない。
・All About:共働きに多い?疲れすぎセックスレス「妊娠・出産・教育」カテゴリ
・All About:SEX回数世界最低の日本人と不妊の関係「不妊治療」カテゴリ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
日本が先進国の中でもずば抜けて少子化社会である理由はいくつかある。
・少子化財源が圧倒的に少ない(フランスは7~8倍の財源を確保)
日本は高齢者への財源が各国に比べてかなり多めに確保されている為、少子化対策のための財源を確保できない。これから高齢者となる段階の世代をはじめ、やはり選挙権を持ている。かれらがより年金を多く配分する候補者を支持するため、女性の妊娠から子どもが成人するまでの費用が他の国よりもかかる。そうなれば、一家族当たりの子どもは少なくなるのは自然な流れ。
・長時間労働による生活への憔悴感
日本の労働環境はおかしい!!!!色んなところで指摘されてるけど、長時間労働による個人的な余暇の時間が確保できていないことが実はかなり大きい。要するに自分が自由に出来る時間が少ないこともさることながら、余暇が出来ない事から発生する「モチベーション不足」が問題となる。日本は時間当たりに見る仕事の生産性は著しく低い。各国の労働者と比べて「だらだらと長時間働く」生活を続けている。例えば、共働きしている夫婦がいるとして、その両方が10時や11時に帰ってくるような生活をしていると自然とセックスの回数が激減し、ストレスも体力も回復しないまま会社に戻って働くと言う悪循環に陥る。
逆にフランスなどでは仕事よりも個人的な充実感を社会的に重視している。かといって時間当たりの生産性はかなり高い。ということは、個人的な生活が充実しているから長時間働くなくともメリハリをつけることが出来るし、高いレベルでモチベーションが確保できる。
よく「子どもが出来ると考え方が変わる」人がいるけど、独身よりも既婚者、子どもがいない人よりも子持ちの労働者の方が生産力が高くなる。どういうことかというと、パートナーと過ごす時間がある人、子どもがいる人は自分の家族と一緒にいようと努力する。その行動が結果的に生産性を上げるし、仕事へのモチベーションが高い。
ビデオニュースで渥美さんは長い労働時間や取得率が0.5%にとどまる育児休暇など、日本では企業側にも、社会の一員として育児を支えていこうという発想が薄いと語る。確かに子育て支援は短期的に見れば企業にとって負担となり得るが、5年以上の長期的視野に立つと、より有能な人材が確保できたり生産性の向上が見込めるなど、子育て支援は企業にとって経済的なメリットも大きい。
・日本の妊娠中絶が頻繁に行われている
日本の妊娠中絶の件数がとても多いことは昔から議論されている。(1)フランスで婚外子が5割を越えているのに対し、日本はまだ0.5%にも満たないなどの「婚外子差別」が原因で中絶に踏み切る人。(2)欧米に浸透しているキリスト教の影響で中絶が頻繁に出来ない思想を持っている国に対して、日本は昔から「間引き」の伝統に見るように中絶に対して「タブー(禁忌)意識」が少ないから妊娠中絶をする人が多い。(30日本の産婦人科業界の圧力により中用量ピルの市販を遅らせていたために妊娠中絶が多くなった。妊娠中絶という「ビジネス」を成立させておく為にピルの市販を遅らせ、自分達の業界を成り立たせて置いた経緯がある。(BBCニュースより)
要するに欧米では女性が妊娠すると思想的・社会的に生ませてあげようとする努力をする。キリスト教、特にカトリック信者は信条的に中絶が出来ないなど、一度妊娠すると産むしかない。そこで社会政策として出産・子育てを出来るようなシステムを作っておいて妊娠しても安心して子どもを育てられる環境を整える。だから自然と出生率は上がる仕組みになる。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
現在の日本の財界からは個人的な充実感を得るような仕組みをどんどん壊していくような仕組みを作ろうとしている。ホワイトカラー・エグゼンプション、法律の改定による派遣労働者の増大、それに煽られる形で発生する将来への財政不安。経済的に不安だから結婚を遅らせようとする動きがあったり、大量のDINKs(Double Income No Kids=ディンクス:子どもがいない共働きの夫婦)を発生させ、少子化が加速する。そうなれば、個人的な充実感を日常で得られることが出来ずに、モチベーションが高く保てず、生産性が低いまま長時間労働をする生活をするしかなくなると言う最悪の悪循環を経験しているのが今の日本の現状である。
日本の政界や財界は本来、生産性を向上させてグローバルな競争力を培う必要があるはずなのに、同じくグローバルな競争力を発揮する為に人件費を削減させようとする。本来ならば本末転倒な発想なんだけど、まだそれを分かっている経営者は少ないのだろう。
子育てに限らず、性愛でも旅行でもスポーツでも人間は充実できる。やはり個人的な時間を持つことが出来ないと、生活に余裕が出来なくなる。余裕が生まれないと進んで恋愛が出来ないし、満足するような性愛が営めないし、子どもを作ろうと思わなくなる。それが色々な形で出てきているけど、その一端は少子化だし、その一つはコミュニケーション不足で台無しになる恋愛だし、性愛関係がなくなるし(セックスレス)、家族旅行の減少にも繋がっているのだろう。逆にフランスは恋愛もセックスも家族も子供も大切にする社会を作ってきた。人間にとってどちらが「生きている実感」を得られるのか?生きている実感があるからこそ仕事の生産性が高いという現状がある。「べき論」でいえば、こうした社会の方が人にとって生きやすい社会だと思うし、そうあるべきだと思う。
世界第二位の経済力を持っている日本に住んでいるのに「自分は幸せか?」というアンケートには「そうでもない」と答える人がとても多い。「経済的な豊かさ=充実した暮らし」という幻想はもうすでに消えたはず。だけれど、まだまだそれを信じてやまない経済界の人たち。経済的にそんなに豊かでないラテンの国の人の方がよっぽど「幸せだ」と思って生活しているのにもかかわらず。
それでは、また。
サンシン
2007/04/01のBlog
[ 14:47 ]
[ 政治・社会 ]
Yahooニュース
動画投稿サイトに政見放送、選管「法に抵触の可能性」
利用者が急増しているインターネットの動画投稿サイトに、東京都知事選(8日投開票)の立候補者の政見放送や街頭演説の映像が投稿され、いつでも自由に見られる状態になっている。
候補者の映像などの公開は、公職選挙法で決められた方法に限るのが原則だが、動画投稿サイトでの政見放送“放映”は想定外で、明確な定めはない。都選挙管理委員会は「公選法に抵触する可能性もある」としながらも、映像を前に手をこまぬいているのが実情だ。
動画投稿サイトは、もともと利用者が自分で撮影した映像などを公開するためのものだったが、テレビ番組などの録画映像が勝手に投稿されるケースも目立つ。米国の「YouTube(ユーチューブ)」が有名で、国内でも同様のサイトが運営され、急速に利用者が増えている。これらのサイトでは現在、複数の候補者の街頭演説や、支持者向けに作成された政策ビデオの映像などが視聴可能だ。
来年のアメリカ大統領選挙でYouTubeのを使った広告の戦略を今から練っている人間からしたら
「映像が無断に使用されている!!ケシカラン!!!!」
と憤慨している人たちが猿人類に見えるのではないか(笑)
政見放送がテレビ放映以外で見られることは「公共的」に見て国民(市民)にとって利益になることは明らかだろう。「政見放送は平等に放送されるべきだ」。こうした平等べき論は大事ではある。片方の情報が多ければ、国民がそちらの方向に動く可能性が出てくるから。平等べき論を展開する人はそういうだろう。
しかしながら、情報が多ければ人がそちらの方向に流れるなんていう考え方は人がバカにしてないか?
Aという情報がBよりも多かったらAが有利に見えるかもしれない。だけど、情報が多くても政治的な見解、論理、政治の未来性などが乏しいと国民が感じたなら情報が多い分だけ不人気になる可能性だってある。Aという人物が完璧なマーケット戦略を練ってそれを志向していたら平等べき論者のいう論理は整合性がある。しかし、政治の場面であるならば、支持母体以外の浮遊層をどれだけ取り込めるかが問題な昨今の選挙では何が決定的なファクター(要因)になっているかは誰にも分からない(予想は可能だけど)
そんな中でテレビなどでのコレまでと同じような情報しか取得できなかった以前の選挙よりはネットで各人の政見放送を自由に見ることが出来、その上で投票をする行動に出たならば、市民の反応がよりリアルに選挙結果に反映するだろう。
それでも、情報過多を利用した戦略が無いわけではないけど、現在の公職選挙法の範疇では遅滞できないでしょう。した時点で手が後ろに回っちゃう。
これまで何度かネットと情報について書いてきたけれど、日本の社会の中ではネットの公益性や巨大なマーケットとしての概念がまだまだ認識されてない。個人的な仮説としてネット社会の欧米と携帯社会の日本との違いがネットの重要性という視点の不足に繋がっているのではないかと思っている。まだ仮設の段階なので、論拠は不足しているけど、いつかはそれについても考えてみたい。
それでは、また。
サンシン
動画投稿サイトに政見放送、選管「法に抵触の可能性」
利用者が急増しているインターネットの動画投稿サイトに、東京都知事選(8日投開票)の立候補者の政見放送や街頭演説の映像が投稿され、いつでも自由に見られる状態になっている。
候補者の映像などの公開は、公職選挙法で決められた方法に限るのが原則だが、動画投稿サイトでの政見放送“放映”は想定外で、明確な定めはない。都選挙管理委員会は「公選法に抵触する可能性もある」としながらも、映像を前に手をこまぬいているのが実情だ。
動画投稿サイトは、もともと利用者が自分で撮影した映像などを公開するためのものだったが、テレビ番組などの録画映像が勝手に投稿されるケースも目立つ。米国の「YouTube(ユーチューブ)」が有名で、国内でも同様のサイトが運営され、急速に利用者が増えている。これらのサイトでは現在、複数の候補者の街頭演説や、支持者向けに作成された政策ビデオの映像などが視聴可能だ。
来年のアメリカ大統領選挙でYouTubeのを使った広告の戦略を今から練っている人間からしたら
「映像が無断に使用されている!!ケシカラン!!!!」
と憤慨している人たちが猿人類に見えるのではないか(笑)
政見放送がテレビ放映以外で見られることは「公共的」に見て国民(市民)にとって利益になることは明らかだろう。「政見放送は平等に放送されるべきだ」。こうした平等べき論は大事ではある。片方の情報が多ければ、国民がそちらの方向に動く可能性が出てくるから。平等べき論を展開する人はそういうだろう。
しかしながら、情報が多ければ人がそちらの方向に流れるなんていう考え方は人がバカにしてないか?
Aという情報がBよりも多かったらAが有利に見えるかもしれない。だけど、情報が多くても政治的な見解、論理、政治の未来性などが乏しいと国民が感じたなら情報が多い分だけ不人気になる可能性だってある。Aという人物が完璧なマーケット戦略を練ってそれを志向していたら平等べき論者のいう論理は整合性がある。しかし、政治の場面であるならば、支持母体以外の浮遊層をどれだけ取り込めるかが問題な昨今の選挙では何が決定的なファクター(要因)になっているかは誰にも分からない(予想は可能だけど)
そんな中でテレビなどでのコレまでと同じような情報しか取得できなかった以前の選挙よりはネットで各人の政見放送を自由に見ることが出来、その上で投票をする行動に出たならば、市民の反応がよりリアルに選挙結果に反映するだろう。
それでも、情報過多を利用した戦略が無いわけではないけど、現在の公職選挙法の範疇では遅滞できないでしょう。した時点で手が後ろに回っちゃう。
これまで何度かネットと情報について書いてきたけれど、日本の社会の中ではネットの公益性や巨大なマーケットとしての概念がまだまだ認識されてない。個人的な仮説としてネット社会の欧米と携帯社会の日本との違いがネットの重要性という視点の不足に繋がっているのではないかと思っている。まだ仮設の段階なので、論拠は不足しているけど、いつかはそれについても考えてみたい。
それでは、また。
サンシン
2007/03/30のBlog
[ 21:48 ]
[ ┣神・天皇・宗教 ]
沖縄関連のリンクをたどってったら見つけたお祭り。
「アカタマ・クロタマ」
八重山諸島に伝えられる仮面儀式で、ビックリしたのはその形態。何しろ、撮影禁止・メモ禁止・強力な箝口令がしかれている、、、などなど。この神々の姿を写真に撮ることはおろか、メモを取ることも許されていません。カメラを持っているとこを村人にみつかろうものなら、その場で取り上げられ壊されてしまう。…らしい。
この「アカマタ・クロマタ」はなぜ、「秘祭」なのだろうか。
「神高い儀式ゆえに禁忌(タブー)となっている」
なるほど、そうかもしれない。
神事はその共同体にとって重要性を増せば増すほど神秘性が高くなってゆく。
島の豊年の寿(ことほ)ぐ、“神”をむかえるのだから当然の事と思える。
元々、祭りは非日常的な空間・時間を利用して「ハレ」の雰囲気を出す。そのため、一年を通して何度も祭りは体験できない世界的に見て非日常的な空間は一年で二回のみ。それ以上の回数になると日常の中のイベントになってしまう。だからこそ、祭りは貴重であり、何度も祭りをしないようにルールを作る必要がある。
ただ、普通のルールでは効き目が無い。何しろ身体的にも精神的にも開放されるのが祭り。そこで考え出されたのは禁忌(タブー)の概念だろう。これがあれば、祭りを沢山する=禁忌を犯す行為として村人達にルールを強いることが出来る。
「アカタマ・クロタマ」の祭りもそれに付随するタブー(禁忌)があった。しかし、他の祭りと違うのは部外者の立ち入りを強く禁止し、口外無用だということ。タブーが明確に分かっていた時期もあるかもしれない。けど、全てのタブーにトレイサビリティー(事後確認の可能性)があるとは限らない。この祭りが「たまたま・偶然」にも口外無用の祭りであったと言うこと。世界的に見れば、祭りの形態、それに関するタブーは無数にあり、「アカタマ・クロタマ」のように撮影禁止の祭りもあるかもしれないし、もっと過酷で残酷な祭りがあるかもしれない。
けど、個人的にはスゴク見てみたい祭りですね。(笑)
今年の夏の旅の計画を練っているところですが、こういう情報を見てしまうと俄然言ってみたくなります!去年は奄美を回ったんで、今年は八重山かな・・・。時間はあるんだけど、旅費はかかるんだよな~八重山は。。。
リンク:「アカタマ・クロタマ」
神々があわられる祭り
秘祭の背景
祭りの取材を終えて
儀式の始まり
沖縄・八重山「アカタマ・クロタマ」
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
と、いうことで八重山を半ばあきらめてるサンシンは四国に行く可能性が高いです。
何をするかって?
もちろん!
「四国八十八箇所お遍路!」
去年の秋から考えていますけど、原付で八十八箇所を回ろうと思ってます。
見所はたくさん!
香川はうどん!高知は四万十川!愛媛は道後温泉!
全てを回るにはクルマで10日くらいかかるそうです。原付で行こうと思ってますし、一回で全部回れるとは思ってませんよ。
それでは、また。
サンシン
「アカタマ・クロタマ」
八重山諸島に伝えられる仮面儀式で、ビックリしたのはその形態。何しろ、撮影禁止・メモ禁止・強力な箝口令がしかれている、、、などなど。この神々の姿を写真に撮ることはおろか、メモを取ることも許されていません。カメラを持っているとこを村人にみつかろうものなら、その場で取り上げられ壊されてしまう。…らしい。
この「アカマタ・クロマタ」はなぜ、「秘祭」なのだろうか。
「神高い儀式ゆえに禁忌(タブー)となっている」
なるほど、そうかもしれない。
神事はその共同体にとって重要性を増せば増すほど神秘性が高くなってゆく。
島の豊年の寿(ことほ)ぐ、“神”をむかえるのだから当然の事と思える。
元々、祭りは非日常的な空間・時間を利用して「ハレ」の雰囲気を出す。そのため、一年を通して何度も祭りは体験できない世界的に見て非日常的な空間は一年で二回のみ。それ以上の回数になると日常の中のイベントになってしまう。だからこそ、祭りは貴重であり、何度も祭りをしないようにルールを作る必要がある。
ただ、普通のルールでは効き目が無い。何しろ身体的にも精神的にも開放されるのが祭り。そこで考え出されたのは禁忌(タブー)の概念だろう。これがあれば、祭りを沢山する=禁忌を犯す行為として村人達にルールを強いることが出来る。
「アカタマ・クロタマ」の祭りもそれに付随するタブー(禁忌)があった。しかし、他の祭りと違うのは部外者の立ち入りを強く禁止し、口外無用だということ。タブーが明確に分かっていた時期もあるかもしれない。けど、全てのタブーにトレイサビリティー(事後確認の可能性)があるとは限らない。この祭りが「たまたま・偶然」にも口外無用の祭りであったと言うこと。世界的に見れば、祭りの形態、それに関するタブーは無数にあり、「アカタマ・クロタマ」のように撮影禁止の祭りもあるかもしれないし、もっと過酷で残酷な祭りがあるかもしれない。
けど、個人的にはスゴク見てみたい祭りですね。(笑)
今年の夏の旅の計画を練っているところですが、こういう情報を見てしまうと俄然言ってみたくなります!去年は奄美を回ったんで、今年は八重山かな・・・。時間はあるんだけど、旅費はかかるんだよな~八重山は。。。
リンク:「アカタマ・クロタマ」
神々があわられる祭り
秘祭の背景
祭りの取材を終えて
儀式の始まり
沖縄・八重山「アカタマ・クロタマ」
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
と、いうことで八重山を半ばあきらめてるサンシンは四国に行く可能性が高いです。
何をするかって?
もちろん!
「四国八十八箇所お遍路!」
去年の秋から考えていますけど、原付で八十八箇所を回ろうと思ってます。
見所はたくさん!
香川はうどん!高知は四万十川!愛媛は道後温泉!
全てを回るにはクルマで10日くらいかかるそうです。原付で行こうと思ってますし、一回で全部回れるとは思ってませんよ。
それでは、また。
サンシン
2007/03/28のBlog
[ 09:30 ]
[ フットボール・ラグビー ]
Number のサイトに記事を寄稿しているライターの杉山さんの記事。
(この記事の最後↓に全文を紹介してます)
こうした見方は音楽、映画、ファッションなど、
様々な分野で適応するものだと思う。
日本のサッカーの方向性を考える上で
こうした見方(弱者から見た試合プラン)はどうしても必要であろう。
とある野球の監督が
試合に勝つ時には不思議があるが、負けるときには不思議は無いという。
分かりやすく言えば、負けるときには必ず訳がある。
その原因が解決しない限り、次の試合で勝つ可能性は低くなる。
日本のプロ・フットボールが誕生して十数年。
いまや日本代表の試合ともなると観客が動員され、
巨大なビックビジネスが誕生する。
だからこそ、経営者はサポーターを賢くする必要があるだろう。
観客を増やすことは勿論必要だが、バカが増えすぎても困る(笑)
サポーターは従順な消費者であってはならない。
鶏が先か、卵が先か?
俗に鶏卵論争とも言える議論がここでも言えるだろう。
国内のビジネスが消費者を従順にさせる方向に向けている可能性。
逆に、
消費者が従順だからこそビジネスがその勢いに火を注いでいる可能性。
自分達は現存の社会システムに存在している以上、
所属すること、消費することからは逃れることは出来ない。
しかし、知恵を持ち知識を駆使して情報を選別する能力は獲得できる。
情報を選別する能力しか獲得できないという言い方も出来る。
ただ、思考停止に陥り従順な消費者に「成り下がる」事から抗う能力は
必要だろう。これを「リテラシー」とも言うけど。
〔第42回〕最高峰の試合の見方
杉山茂樹=文
2007年3月27日
「メッシ、ハットトリック!」
クラシコを観戦した翌日、現地を発ち、帰国してみると、メッシの活躍に日本は湧いていた。「凄いですね!」。テレビのコメンテーターは、試合のダイジェストを眺めながら、そのプレイを大絶賛した。
違和感を覚えずにはいられなかった。それはそうかもしれないけれど、だったら、その4日前、アンフィールドでリバプール相手に沈黙した事実は何だったのか。もはや昔話なのか。少なくともいま、メッシについて語るとき、重要になるのはクラシコではなくチャンピオンズリーグになる。
なにより試合の重要度が違う。クラシコも重要な試合だが、チャンピオンズリーグの比ではない。スペインNo.1の好カードとはいえ今回の場合は、お互いチャンピオンズリーグで敗退を喫したばかり。敗戦のショックに包まれた中で行われた、締まりのない霞んで見えた一戦だ。そのあたりの区別は、しっかりしておく必要がある。とりわけ、ニュースを伝える側は。
むしろ日本の場合は「凄い!」と言われるスター選手が、なぜリバプール戦で活躍できなかったのかを考えるべきだと思う。リバプールはどのようにして、メッシを押さえ込んだか。これこそが求められている視点だと思う。日本にはメッシはいないのだから。いずれ、メッシのような凄い選手と対戦する可能性があるのだから。
出るところに出れば日本は弱者だ。チャンピオンズリーグで、バルサと対戦したリバプールと、立場は似ている。そのメッシ攻略法こそ、目を凝らすべきポイントになる。「メッシ凄い!」で終わるのは、素人サイドの見方といっても言い過ぎではない。
リバプールはメッシにボールが渡ると、必ず2人がかりで詰め寄った。それでもメッシは、自慢のドリブルを仕掛けようと躍起になる。「マタ抜き」を成功させ、1人目を交わすと、アンフィールドには、瞬間、感嘆のため息がわずかながら漏れた。「敵ながら巧い!」。口にこそ出さないが、一人のサッカーファンとして、素直に脱帽する様子が見て取れた。しかし、2人連続は不可能なプレイになる。おのずと、停滞を余儀なくされる。マタ抜きされた1人目の選手も、すかさずカバーに回る。2秒、3秒、4秒……。時間は刻々と経過する。するとメッシはやむなくバックパスに及ぶ。
こんなシーンに何度となく遭遇した。メッシが、自慢のドリブルで局面を打開したシーンは皆無に等しかった。マタ抜きを決めたところで、大局にはほとんど影響を及ぼさなかった。むしろマイナスに作用するケースの方が多いほどだった。戦犯とまでは言わないが、リバプールに敗れ去った原因の一つだと考えられる。メッシは確かに巧い。だが、チームプレイの役には立っていない。シンプルにプレイするジュリが出場した方が、リバプールにはさぞ嫌だったに違いない。
凄い選手ではある。けれどもまだまだ超一流ではない。真のスーパースターは、リバプール戦のような、チャンピオンズリーグの大一番で活躍してナンボ。メッシはまだそこをクリアしていない。
帰国してもう一つ驚いたことがある。それは再放送されていた試合を見ていたときの話だ。試合はアーセナル対PSVで、結果はPSVの勝ち。番狂わせが起きた一戦である。解説者は試合を振り返りながら、こういった。アーセナルの問題は引いて守る相手に、どう対処するかです。PSVの守備的なサッカーは、あまり好きになれない、とも。
好き嫌いはともかく、PSVを引いて守るサッカーだとまとめた点には、さすがについて行くことができなかった。確かに第2戦は、アーセナルがボールを支配する時間は長かった。時間が深まるにつれ、その傾向は強まった。だが、それはPSVが引くサッカーだったからではない。アーセナルがホームだったから。基本的に強者だったから、に他ならない。
その強者に対し、弱者を自認するPSVは第1戦で思い切った作戦に出た。本来の4-3-3を4-4-2に変更して臨んだのだが、その4-4-2が滅多にお目にかかれぬスタイルだったことは、知っておくべきである。ポイントは2トップがポジションを構えた場所だ。中央付近にいる一般的スタイルとは異なり、2人はそれぞれ、左右のウインガーとして構えたのだ。つまり、PSVは強者に対してセンターフォワードを置かずに、戦ったのだ。どうやって点を取るつもりなのか。一瞬、目を疑う布陣をクーマンは大一番で敢行した。
彼は、その前に強者が嫌がることを考えた。両サイドに各3人を配置し、そこでの数的優位を活かそうと考えたのだ。強者の攻撃ルートは、自ずと中央に呼び込まれる格好になった。非効率を招いたのだ。強者は90分間、常にストレスを抱えたままだった。PSVにゴールを許した、これこそが最大の原因だ。
アーセナルはPSVの注文にまんまとはまった。クーマン采配は光って見えた。ヒディンク(前監督)ばりの奇才を発揮したわけだ。これも弱者という点で共通する日本が参考にすべき作戦である。引いて守るサッカーとの間には、著しい開きがある。
チャンピオンズリーグを眺めるとき、とかく日本人は、強者の側に立つ傾向がある。人気チームの側に立ち、人気選手を応援しながら、試合の行方を見守る。それはそれで構わないが、日本が置かれた状況を考えると、それは賢い観戦方法には映らない。せめて番狂わせが起きたときぐらい、弱者の工夫には目を凝らしたいものだ。でないと、チャンピオンズリーグから学ぶべきことは少ない。世界から遅れをとることになる。いったい我々は、何の目的のためにチャンピオンズリーグと向き合っているのか。スーパースターのプレイを鑑賞するだけの時代は、とっくに終わっていなければならないのだ。
サンシン
(この記事の最後↓に全文を紹介してます)
こうした見方は音楽、映画、ファッションなど、
様々な分野で適応するものだと思う。
日本のサッカーの方向性を考える上で
こうした見方(弱者から見た試合プラン)はどうしても必要であろう。
とある野球の監督が
試合に勝つ時には不思議があるが、負けるときには不思議は無いという。
分かりやすく言えば、負けるときには必ず訳がある。
その原因が解決しない限り、次の試合で勝つ可能性は低くなる。
日本のプロ・フットボールが誕生して十数年。
いまや日本代表の試合ともなると観客が動員され、
巨大なビックビジネスが誕生する。
だからこそ、経営者はサポーターを賢くする必要があるだろう。
観客を増やすことは勿論必要だが、バカが増えすぎても困る(笑)
サポーターは従順な消費者であってはならない。
鶏が先か、卵が先か?
俗に鶏卵論争とも言える議論がここでも言えるだろう。
国内のビジネスが消費者を従順にさせる方向に向けている可能性。
逆に、
消費者が従順だからこそビジネスがその勢いに火を注いでいる可能性。
自分達は現存の社会システムに存在している以上、
所属すること、消費することからは逃れることは出来ない。
しかし、知恵を持ち知識を駆使して情報を選別する能力は獲得できる。
情報を選別する能力しか獲得できないという言い方も出来る。
ただ、思考停止に陥り従順な消費者に「成り下がる」事から抗う能力は
必要だろう。これを「リテラシー」とも言うけど。
〔第42回〕最高峰の試合の見方
杉山茂樹=文
2007年3月27日
「メッシ、ハットトリック!」
クラシコを観戦した翌日、現地を発ち、帰国してみると、メッシの活躍に日本は湧いていた。「凄いですね!」。テレビのコメンテーターは、試合のダイジェストを眺めながら、そのプレイを大絶賛した。
違和感を覚えずにはいられなかった。それはそうかもしれないけれど、だったら、その4日前、アンフィールドでリバプール相手に沈黙した事実は何だったのか。もはや昔話なのか。少なくともいま、メッシについて語るとき、重要になるのはクラシコではなくチャンピオンズリーグになる。
なにより試合の重要度が違う。クラシコも重要な試合だが、チャンピオンズリーグの比ではない。スペインNo.1の好カードとはいえ今回の場合は、お互いチャンピオンズリーグで敗退を喫したばかり。敗戦のショックに包まれた中で行われた、締まりのない霞んで見えた一戦だ。そのあたりの区別は、しっかりしておく必要がある。とりわけ、ニュースを伝える側は。
むしろ日本の場合は「凄い!」と言われるスター選手が、なぜリバプール戦で活躍できなかったのかを考えるべきだと思う。リバプールはどのようにして、メッシを押さえ込んだか。これこそが求められている視点だと思う。日本にはメッシはいないのだから。いずれ、メッシのような凄い選手と対戦する可能性があるのだから。
出るところに出れば日本は弱者だ。チャンピオンズリーグで、バルサと対戦したリバプールと、立場は似ている。そのメッシ攻略法こそ、目を凝らすべきポイントになる。「メッシ凄い!」で終わるのは、素人サイドの見方といっても言い過ぎではない。
リバプールはメッシにボールが渡ると、必ず2人がかりで詰め寄った。それでもメッシは、自慢のドリブルを仕掛けようと躍起になる。「マタ抜き」を成功させ、1人目を交わすと、アンフィールドには、瞬間、感嘆のため息がわずかながら漏れた。「敵ながら巧い!」。口にこそ出さないが、一人のサッカーファンとして、素直に脱帽する様子が見て取れた。しかし、2人連続は不可能なプレイになる。おのずと、停滞を余儀なくされる。マタ抜きされた1人目の選手も、すかさずカバーに回る。2秒、3秒、4秒……。時間は刻々と経過する。するとメッシはやむなくバックパスに及ぶ。
こんなシーンに何度となく遭遇した。メッシが、自慢のドリブルで局面を打開したシーンは皆無に等しかった。マタ抜きを決めたところで、大局にはほとんど影響を及ぼさなかった。むしろマイナスに作用するケースの方が多いほどだった。戦犯とまでは言わないが、リバプールに敗れ去った原因の一つだと考えられる。メッシは確かに巧い。だが、チームプレイの役には立っていない。シンプルにプレイするジュリが出場した方が、リバプールにはさぞ嫌だったに違いない。
凄い選手ではある。けれどもまだまだ超一流ではない。真のスーパースターは、リバプール戦のような、チャンピオンズリーグの大一番で活躍してナンボ。メッシはまだそこをクリアしていない。
帰国してもう一つ驚いたことがある。それは再放送されていた試合を見ていたときの話だ。試合はアーセナル対PSVで、結果はPSVの勝ち。番狂わせが起きた一戦である。解説者は試合を振り返りながら、こういった。アーセナルの問題は引いて守る相手に、どう対処するかです。PSVの守備的なサッカーは、あまり好きになれない、とも。
好き嫌いはともかく、PSVを引いて守るサッカーだとまとめた点には、さすがについて行くことができなかった。確かに第2戦は、アーセナルがボールを支配する時間は長かった。時間が深まるにつれ、その傾向は強まった。だが、それはPSVが引くサッカーだったからではない。アーセナルがホームだったから。基本的に強者だったから、に他ならない。
その強者に対し、弱者を自認するPSVは第1戦で思い切った作戦に出た。本来の4-3-3を4-4-2に変更して臨んだのだが、その4-4-2が滅多にお目にかかれぬスタイルだったことは、知っておくべきである。ポイントは2トップがポジションを構えた場所だ。中央付近にいる一般的スタイルとは異なり、2人はそれぞれ、左右のウインガーとして構えたのだ。つまり、PSVは強者に対してセンターフォワードを置かずに、戦ったのだ。どうやって点を取るつもりなのか。一瞬、目を疑う布陣をクーマンは大一番で敢行した。
彼は、その前に強者が嫌がることを考えた。両サイドに各3人を配置し、そこでの数的優位を活かそうと考えたのだ。強者の攻撃ルートは、自ずと中央に呼び込まれる格好になった。非効率を招いたのだ。強者は90分間、常にストレスを抱えたままだった。PSVにゴールを許した、これこそが最大の原因だ。
アーセナルはPSVの注文にまんまとはまった。クーマン采配は光って見えた。ヒディンク(前監督)ばりの奇才を発揮したわけだ。これも弱者という点で共通する日本が参考にすべき作戦である。引いて守るサッカーとの間には、著しい開きがある。
チャンピオンズリーグを眺めるとき、とかく日本人は、強者の側に立つ傾向がある。人気チームの側に立ち、人気選手を応援しながら、試合の行方を見守る。それはそれで構わないが、日本が置かれた状況を考えると、それは賢い観戦方法には映らない。せめて番狂わせが起きたときぐらい、弱者の工夫には目を凝らしたいものだ。でないと、チャンピオンズリーグから学ぶべきことは少ない。世界から遅れをとることになる。いったい我々は、何の目的のためにチャンピオンズリーグと向き合っているのか。スーパースターのプレイを鑑賞するだけの時代は、とっくに終わっていなければならないのだ。
サンシン
2007/03/23のBlog
[ 07:05 ]
[ 旅行記 ]
2007/03/22のBlog
[ 16:28 ]
[ 環境・科学 ]
リンク:
・安倍司(Wiki):日本の食品添加物評論家
・食品の裏側(Amazon.co.jp):添加物業界の裏側を暴露したベストセラー
動画:
・それでもあなたは食べますか?(電子書店パピルス):丸激トークオンデマンドの番組が315円でダウンロード可能。全二話で二時間弱ほど。
・それでもあなたは食べますか?(ビデオニュース):丸激の番組に登場した安倍さん。こちらからはプレビューのみ。
インタビュー:
・食品の裏側を明らかにする(日経BPインタビュー):日経BPが行なったインタビュー。必見です!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
安倍さんの発言は驚きの連続だった。
元々、食品添加物のメーカーのトップ・セールスマンだった安倍さんは「歩く添加物辞典」と言われるほど添加物業界では神様のような存在であった。かつては添加物を加えた食品を売ることは自分にとっても会社にとっても消費者にとっても得になり、尚且つ正し経済行為だと信じていた。しかし、自分の娘が食べているミートボールを見て愕然とした。
「このミートボールは自分が全身全霊を注ぎ込んで作ったもの。この中にどのくらいの添加物が入っているかを知ってる。。。自分は添加物で食品を作る立場ではなく、消費する立場だったんだ!」
この体験から彼は食品添加物の危険性について情報公開をしていく為に食品添加物評論家として活動していく。
しかし、彼のスタンスは食品業界の悪いところばかりを突いていかない。確かに、食品業界は添加物を加えて「安くて、早くて、美味しくて、便利な」食品を売ろうとしたが、その戦略に乗って「添加物まみれの食品」を買っていった消費者も悪いと言っている。
現在の外食産業は添加物無しにはありえない業界であり、逆に添加物を入れない食品は市場で戦えない。硬くてシワイ肉を柔らかく食べれるようにするには添加物が必要だし、コンビニなどで売られているサンドイッチのサラダもシャキシャキ感を出す為に添加物を使う。コンビには最たるものだけど、他のファミレスやファーストフード産業でも添加物無しにはありえない構造になっている。
彼は語る。添加物は光と闇の部分があり、闇の部分があまり公開されていない状況もあるけど、光の部分を十分に享受しておいて添加物が悪いとは一重に言えないことも確か。
しかし、添加物を使った食品を消費することで何が壊されたのか?
それは食卓であり、家族の団欒であると安倍さんは語る。
簡単、便利、おいしい、(安い)料理を過程で出す行為がまず、子どもの舌を壊し、家族の団欒を壊す。添加物まみれの食品を食べれば、自分の家で食べる料理も外食も関係なくなる。家族の関係が疎かになれば、家の中で培われるはずのコミュニケーションのスキルが構築されず、人間として成熟しないまま大人になる可能性が高い。「食べ物を大切にする子は人を殺めない」と彼が語るように、添加物に頼ることなく、家で野手料理を作って食べることが一番いいと言う。
この精神はそのままスローフードの精神に繋がる。
日本では食品業界の戦略でスローフード=有機野菜を食べることやゆっくりと食べるなどのような誤解が広がってしまったけど、元々はファーストフードやファミレスでは味わうことが出来ない家族の団欒や食卓でのコミュニケーション、また自分達が所属するコミュニティーを支える運動である。要するに自分が所属するコミュニティーの尊厳や精神を守る運動。有機野菜を食べるかどうかは関係ない。有機野菜を使ったファミレスで食べる料理はスローフードか?否。大事なことは家族やコミュニティーで食事を取ることで生まれるコミュニケーションを大事にしようというのがスローフードの精神。
安倍さんはこうも言っている。
添加物を悪者にして終わる問題ではない。添加物を取らない食事をしようとすると食事を含めた生活も自分自身の生き方も変えなければ添加物からある程度の距離をおく生活が出来ない。では、どのような食生活が望ましいのか?
それは自分で料理を作る。または手料理を作ってもらう。安倍さんが語るに「台所においてある食品は安全。それは先祖代々人体実験をしてるからだ(笑)」。昔ながらの作り方で作ったしょうゆや味噌、塩などは昔から食べていて人体実験済みであり、それでも食べられるものだから安心できると。逆に食品添加物については出てきてからたかだか20~30年。それも一つの食品に複数の添加物を使っているから、その波及効果は未知数。厚生労働省で認可された添加物でもマウスで一つ一つ実験しているけど、自分達は人間であり、マウスではない。しかも、一つ一つでは出なかった影響が複数で使った場合にどのような効果が出るかは誰にも分からない。そんなものを食べるくらいなら家で食べた方が安全だし、家で食べたことによるコミュニケーションも生まれる為、外食で済ますことよりかはよっぽど良い。
こうしてみると添加物問題は自分達の食生活だけではなく、人生を生きる為の思想にも関わってくる問題であることがわかる。添加物を使った料理は確かに美味しく感じる。添加物を使わない食品が味気なく感じる位に。そして、添加物を多く消費してしまうと自分の舌が退化してしまうし、なによりも手料理のありがたさ、家族の団欒、得られるべきコミュニケーションが無くなったりと波及効果はことのほか広い。
リンクの最後に紹介したインタビューは読んでおくべき文章。これを機に自分の食生活を考えてみてはどうでしょうか。できれば、番組を見ていただくとより彼の主張がわかります。
それでは、また。
サンシン
・安倍司(Wiki):日本の食品添加物評論家
・食品の裏側(Amazon.co.jp):添加物業界の裏側を暴露したベストセラー
動画:
・それでもあなたは食べますか?(電子書店パピルス):丸激トークオンデマンドの番組が315円でダウンロード可能。全二話で二時間弱ほど。
・それでもあなたは食べますか?(ビデオニュース):丸激の番組に登場した安倍さん。こちらからはプレビューのみ。
インタビュー:
・食品の裏側を明らかにする(日経BPインタビュー):日経BPが行なったインタビュー。必見です!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
安倍さんの発言は驚きの連続だった。
元々、食品添加物のメーカーのトップ・セールスマンだった安倍さんは「歩く添加物辞典」と言われるほど添加物業界では神様のような存在であった。かつては添加物を加えた食品を売ることは自分にとっても会社にとっても消費者にとっても得になり、尚且つ正し経済行為だと信じていた。しかし、自分の娘が食べているミートボールを見て愕然とした。
「このミートボールは自分が全身全霊を注ぎ込んで作ったもの。この中にどのくらいの添加物が入っているかを知ってる。。。自分は添加物で食品を作る立場ではなく、消費する立場だったんだ!」
この体験から彼は食品添加物の危険性について情報公開をしていく為に食品添加物評論家として活動していく。
しかし、彼のスタンスは食品業界の悪いところばかりを突いていかない。確かに、食品業界は添加物を加えて「安くて、早くて、美味しくて、便利な」食品を売ろうとしたが、その戦略に乗って「添加物まみれの食品」を買っていった消費者も悪いと言っている。
現在の外食産業は添加物無しにはありえない業界であり、逆に添加物を入れない食品は市場で戦えない。硬くてシワイ肉を柔らかく食べれるようにするには添加物が必要だし、コンビニなどで売られているサンドイッチのサラダもシャキシャキ感を出す為に添加物を使う。コンビには最たるものだけど、他のファミレスやファーストフード産業でも添加物無しにはありえない構造になっている。
彼は語る。添加物は光と闇の部分があり、闇の部分があまり公開されていない状況もあるけど、光の部分を十分に享受しておいて添加物が悪いとは一重に言えないことも確か。
しかし、添加物を使った食品を消費することで何が壊されたのか?
それは食卓であり、家族の団欒であると安倍さんは語る。
簡単、便利、おいしい、(安い)料理を過程で出す行為がまず、子どもの舌を壊し、家族の団欒を壊す。添加物まみれの食品を食べれば、自分の家で食べる料理も外食も関係なくなる。家族の関係が疎かになれば、家の中で培われるはずのコミュニケーションのスキルが構築されず、人間として成熟しないまま大人になる可能性が高い。「食べ物を大切にする子は人を殺めない」と彼が語るように、添加物に頼ることなく、家で野手料理を作って食べることが一番いいと言う。
この精神はそのままスローフードの精神に繋がる。
日本では食品業界の戦略でスローフード=有機野菜を食べることやゆっくりと食べるなどのような誤解が広がってしまったけど、元々はファーストフードやファミレスでは味わうことが出来ない家族の団欒や食卓でのコミュニケーション、また自分達が所属するコミュニティーを支える運動である。要するに自分が所属するコミュニティーの尊厳や精神を守る運動。有機野菜を食べるかどうかは関係ない。有機野菜を使ったファミレスで食べる料理はスローフードか?否。大事なことは家族やコミュニティーで食事を取ることで生まれるコミュニケーションを大事にしようというのがスローフードの精神。
安倍さんはこうも言っている。
添加物を悪者にして終わる問題ではない。添加物を取らない食事をしようとすると食事を含めた生活も自分自身の生き方も変えなければ添加物からある程度の距離をおく生活が出来ない。では、どのような食生活が望ましいのか?
それは自分で料理を作る。または手料理を作ってもらう。安倍さんが語るに「台所においてある食品は安全。それは先祖代々人体実験をしてるからだ(笑)」。昔ながらの作り方で作ったしょうゆや味噌、塩などは昔から食べていて人体実験済みであり、それでも食べられるものだから安心できると。逆に食品添加物については出てきてからたかだか20~30年。それも一つの食品に複数の添加物を使っているから、その波及効果は未知数。厚生労働省で認可された添加物でもマウスで一つ一つ実験しているけど、自分達は人間であり、マウスではない。しかも、一つ一つでは出なかった影響が複数で使った場合にどのような効果が出るかは誰にも分からない。そんなものを食べるくらいなら家で食べた方が安全だし、家で食べたことによるコミュニケーションも生まれる為、外食で済ますことよりかはよっぽど良い。
こうしてみると添加物問題は自分達の食生活だけではなく、人生を生きる為の思想にも関わってくる問題であることがわかる。添加物を使った料理は確かに美味しく感じる。添加物を使わない食品が味気なく感じる位に。そして、添加物を多く消費してしまうと自分の舌が退化してしまうし、なによりも手料理のありがたさ、家族の団欒、得られるべきコミュニケーションが無くなったりと波及効果はことのほか広い。
リンクの最後に紹介したインタビューは読んでおくべき文章。これを機に自分の食生活を考えてみてはどうでしょうか。できれば、番組を見ていただくとより彼の主張がわかります。
それでは、また。
サンシン
2007/03/16のBlog
[ 01:41 ]
[ クルマ ]
このブログでは初めてのジャンル「クルマ」です。
むかしはクルマに関心があったり、高額なカスタマイズをする人の考え方がよく分かりませんでしたが、一昨年に免許を取ってからというもの自分自身もクルマに関心を持つようになり、最近では外に出る度にクルマを見るくらいになってます(笑)
まだまだそこまで詳しいわけではないんですが、思ったことを書くのがブログなので、クルマについても書いていこうと思ってます。
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さて、今回は先月にホンダが発表したSUV(スポーツ・ユーティリティー・ヴィーヒクル)の新車「クロスロード」について。
サンシンが主にクルマについて調べるときはオートバイテル・ジャパン(こちらから)を使っています。新車の情報や試乗レポートなどの情報を手に入れることが出来ます。
クロスロード:自動車カタログ
クロスロード:新車情報
クロスロード:新車発表
上記のサイトの紹介のよると、「Active Life Navigator」というコンセプトのもと、アクティブという面で高いポテンシャルをもつSUVをベースに、日常性という高い価値を融合し、生活の幅や可能性を広げる新しいタイプのデイリーカーだそうだ。
新車の「クロスロード」は車体の大きさ、値段、スペックを見てみるとトヨタ・RAV4、三菱・パジェロイオ、スズキ・エスクードと同系統のクルマ。1,8リットルで200万(±20~30)、2,0リットルで250万(±30~40)。
そんなクロスロードで最も重要なキーポイントは、このクルマが久しぶりに純粋な“日本メーカー発の日本市場専用車”であるという事柄。日本のために作られた日本のクルマは少なくないが、振り返ればそれらの大半は軽自動車もしくはミニバン、というのが多い。(サイトより引用)
「さすがは日本の事情に詳しい日本のメーカーが作ってくれただけの事はある」と好感を抱けるのがこのクルマのパッケージング・デザイン。海外市場をメインに開発されたものが片手間(?)に売られるという現在の多くの日本のモデルとは、やはり“生まれ”が違う事がそこでは実感出来る。その点では、久々に爽やかな印象を受けられるのがこのクロスロードでもある。(サイトより引用)
確かにヨーロッパ(特にイギリス)の道路を見ていると、日本車がけっこう走っています。しかし、日本と比べるとクルマの種類で言えば、スモールカー、ハッチバック、SUVしか見たことが無い(とくにヨーロッパはハッチバックの割合は日本の比では無いくらい多い)ということは、日本のメーカーはヨーロッパの市場で勝負する限り、この種類のクルマを開発のトップに置いて来る必要があった。そのため各社はSUVであれば、日本の市場よりヨーロッパ(北米も?)の市場に重点を置いてきた。
そこで出てきたのが、新しいコンセプト(欧米市場ではなく、日本で売る)と行っているのがホンダの「クロスロード」。オートバイテル・ジャパンの記事を見てみるとそういう印象を受ける。
だがしかし、
ホンダのサイトを見てみると「ホンダはどういうつもりでこのクルマを売っているんだろう」と思ってしまう。
ホンダ:クロスロード
日本車のメーカーはクルマごとにプロモーションのためのサイトを持っていて、会社ごと・クルマごとにカラーが違い、見ているとその先のマーケットが見えてくる。若者層なのか、高年齢なのか、高所得者などクルマ市場が見えてくる。
ホンダ「クロスロード」のメインサイトに行ってみると、これまたビックリ。プロモーションで登場している中に「日本人」は皆無である!クルマに乗る人、クルマを使う人は「白人」だった。。。
さっき紹介したとおり、ホンダ「クロスロード」は日本の市場で勝負するクルマ。今までの流れではヨーロッパや北米で開発されたSUV車を日本に逆輸入する形が支流だったが、日本人のためのSUV車という「新しいコンセプト」を売るのが「クロスロード」だったはず。
ということはプロモーションに「白人」を使うことはありえないはず。
最近のプロモーションはクルマに限らず、その商品を使っている自分(ボク、わたし)のモデルを提示する。テレビCMも雑誌の広告も有名タレントを使っていない限り、その商品を使っている客層の代表者であるモデルを商品に添えている。そうすることによりその商品を使っているという「物語」と人生の主人公である「自分(ボク、わたし)の物語」をシンクロさせ、購買意欲に繋げる戦略が主流である。
しかし、もしヨーロッパや北米で先行発売されて日本に輸入したクルマであれば、現地で使っている「白人」をモデルに使って「彼ら(白人)が使っている商品(クルマなど)」としてプロモーションするのであれば、多少無理があっても物語がリンクする可能性がある。
ただ先ほど紹介したとおり、ホンダ「クロスロード」は「日本の市場で勝負するクルマ」を目指しているのであれば、ヨーロッパでも北米でも使っていないSUV車であるにもかかわらずプロモーションのモデルを「白人」にすることに強烈な違和感がある。
この違和感は自分たちの「欧米コンプレックス」を見せ付けられている感覚だが、それを悪びれもせず「白人のモデル」を使っていることにホンダの節操の無さをまじまじと見ているようで嫌な気分になってくる。
イギリスに住んでみて分かったことだけど、日本に帰ったときとか他のアジアからの留学生などを見てみると「欧米コンプレックス」があるという感覚が芽生えてきた。顕著なのは少女漫画の世界観だけど、それ以外の分野でも「欧米の真似事」に違和感を覚えたり、日本性みたいなものを感じてみたいとボクは思う。留学生の中にも留学してからこっちのスタイルに合う人・合わない人、日本のことがさらに好きになる人・ならない人の差異が生まれる。ボクなんかは日本のことをさらに知りたいと思ってしまうけど、そうなればなるほど欧米コンプレックスに対する感覚が敏感になってしまう。
それでは、また。
サンシン
むかしはクルマに関心があったり、高額なカスタマイズをする人の考え方がよく分かりませんでしたが、一昨年に免許を取ってからというもの自分自身もクルマに関心を持つようになり、最近では外に出る度にクルマを見るくらいになってます(笑)
まだまだそこまで詳しいわけではないんですが、思ったことを書くのがブログなので、クルマについても書いていこうと思ってます。
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さて、今回は先月にホンダが発表したSUV(スポーツ・ユーティリティー・ヴィーヒクル)の新車「クロスロード」について。
サンシンが主にクルマについて調べるときはオートバイテル・ジャパン(こちらから)を使っています。新車の情報や試乗レポートなどの情報を手に入れることが出来ます。
クロスロード:自動車カタログ
クロスロード:新車情報
クロスロード:新車発表
上記のサイトの紹介のよると、「Active Life Navigator」というコンセプトのもと、アクティブという面で高いポテンシャルをもつSUVをベースに、日常性という高い価値を融合し、生活の幅や可能性を広げる新しいタイプのデイリーカーだそうだ。
新車の「クロスロード」は車体の大きさ、値段、スペックを見てみるとトヨタ・RAV4、三菱・パジェロイオ、スズキ・エスクードと同系統のクルマ。1,8リットルで200万(±20~30)、2,0リットルで250万(±30~40)。
そんなクロスロードで最も重要なキーポイントは、このクルマが久しぶりに純粋な“日本メーカー発の日本市場専用車”であるという事柄。日本のために作られた日本のクルマは少なくないが、振り返ればそれらの大半は軽自動車もしくはミニバン、というのが多い。(サイトより引用)
「さすがは日本の事情に詳しい日本のメーカーが作ってくれただけの事はある」と好感を抱けるのがこのクルマのパッケージング・デザイン。海外市場をメインに開発されたものが片手間(?)に売られるという現在の多くの日本のモデルとは、やはり“生まれ”が違う事がそこでは実感出来る。その点では、久々に爽やかな印象を受けられるのがこのクロスロードでもある。(サイトより引用)
確かにヨーロッパ(特にイギリス)の道路を見ていると、日本車がけっこう走っています。しかし、日本と比べるとクルマの種類で言えば、スモールカー、ハッチバック、SUVしか見たことが無い(とくにヨーロッパはハッチバックの割合は日本の比では無いくらい多い)ということは、日本のメーカーはヨーロッパの市場で勝負する限り、この種類のクルマを開発のトップに置いて来る必要があった。そのため各社はSUVであれば、日本の市場よりヨーロッパ(北米も?)の市場に重点を置いてきた。
そこで出てきたのが、新しいコンセプト(欧米市場ではなく、日本で売る)と行っているのがホンダの「クロスロード」。オートバイテル・ジャパンの記事を見てみるとそういう印象を受ける。
だがしかし、
ホンダのサイトを見てみると「ホンダはどういうつもりでこのクルマを売っているんだろう」と思ってしまう。
ホンダ:クロスロード
日本車のメーカーはクルマごとにプロモーションのためのサイトを持っていて、会社ごと・クルマごとにカラーが違い、見ているとその先のマーケットが見えてくる。若者層なのか、高年齢なのか、高所得者などクルマ市場が見えてくる。
ホンダ「クロスロード」のメインサイトに行ってみると、これまたビックリ。プロモーションで登場している中に「日本人」は皆無である!クルマに乗る人、クルマを使う人は「白人」だった。。。
さっき紹介したとおり、ホンダ「クロスロード」は日本の市場で勝負するクルマ。今までの流れではヨーロッパや北米で開発されたSUV車を日本に逆輸入する形が支流だったが、日本人のためのSUV車という「新しいコンセプト」を売るのが「クロスロード」だったはず。
ということはプロモーションに「白人」を使うことはありえないはず。
最近のプロモーションはクルマに限らず、その商品を使っている自分(ボク、わたし)のモデルを提示する。テレビCMも雑誌の広告も有名タレントを使っていない限り、その商品を使っている客層の代表者であるモデルを商品に添えている。そうすることによりその商品を使っているという「物語」と人生の主人公である「自分(ボク、わたし)の物語」をシンクロさせ、購買意欲に繋げる戦略が主流である。
しかし、もしヨーロッパや北米で先行発売されて日本に輸入したクルマであれば、現地で使っている「白人」をモデルに使って「彼ら(白人)が使っている商品(クルマなど)」としてプロモーションするのであれば、多少無理があっても物語がリンクする可能性がある。
ただ先ほど紹介したとおり、ホンダ「クロスロード」は「日本の市場で勝負するクルマ」を目指しているのであれば、ヨーロッパでも北米でも使っていないSUV車であるにもかかわらずプロモーションのモデルを「白人」にすることに強烈な違和感がある。
この違和感は自分たちの「欧米コンプレックス」を見せ付けられている感覚だが、それを悪びれもせず「白人のモデル」を使っていることにホンダの節操の無さをまじまじと見ているようで嫌な気分になってくる。
イギリスに住んでみて分かったことだけど、日本に帰ったときとか他のアジアからの留学生などを見てみると「欧米コンプレックス」があるという感覚が芽生えてきた。顕著なのは少女漫画の世界観だけど、それ以外の分野でも「欧米の真似事」に違和感を覚えたり、日本性みたいなものを感じてみたいとボクは思う。留学生の中にも留学してからこっちのスタイルに合う人・合わない人、日本のことがさらに好きになる人・ならない人の差異が生まれる。ボクなんかは日本のことをさらに知りたいと思ってしまうけど、そうなればなるほど欧米コンプレックスに対する感覚が敏感になってしまう。
それでは、また。
サンシン
2007/03/15のBlog
