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2008/10/07のBlog
[ 13:46 ] [ ジャズ ]


Jazz Orchestra Of The Concertgebouw & Joe Cohn

Sun. 5 October in 2008 at BIMHUIS in Amsterdam

Main Guest; Joe Cohn (g)


1st Set
1) Silk Rush (Jesse van Ruller)
2) Bigband Move (Gil Evans)
3) Blues for Pablo (Gil Evans)
4) You and Me (Al Cohn)
5) Elington Mood ? (Al Cohn)
6) Cotton Tail (Al Cohn)

2nd Set
7) Here Come The Sun (Jesse van Ruller)
8) ?? (Gil Evans)
9) Bublicity (Gil Evans)
10) Nose Cone (Al Cohn)
11) Jump Blues Away (Al Cohn)
12) Big Cat (Al Cohn)

Encore
Here We Go (Al Cohn)


この宵の構成はジャズオーケストラの歴史の中で欠くことの出来ないギル・エヴァンスのものとこの宵のゲスト、ギタリストで父親が往年、ズート・シムスとテナー合戦をしたりテリー・ギブのドリームバンドに作品を提供していたアル・コーンの息子、ジョー・コーンを迎え幾分趣向の違ったオーケストレーションに加え、当オーケストラの花形ギター、Jesse van Rullerの作を前面に押し出したオーケストラ自主制作のCDも発売されたこともあり、また、今週金曜日には20人を超す大所帯でこのオーケストラが日本に発ち12日のホテルオークラでのオランダ大使館も含めた文化ミッションのレセプションもあるコンサートを皮切りに東京ブルーノートでの演奏会二つ、三島での演奏会と早稲田大学のビッグバンドとのワークショップも計画されているのだと休憩中にマネージャから混雑したバーでそのように聞かされた。

早いものだ、もう3年にはなるのだろう。 このオーケストラの発起人でもあり、Jesse van Ruller のトリオでは日本経験のあるベースの Frans van Geest にたまたま小さなコンサートで会ってそのときに、このビッグバンドで日本公演をしたいのだがなんせ大所帯なもので資金繰りが、、、と聞かされて以来のプロジェクトがやっと実現したのだ。 そのCDからの2曲がこの宵の各セットの初めに演奏された。

もう既に8月の中旬に日本では発売され好評で迎えられたそうな、このビッグバンドの常任ギタリスト、イェセ・ヴァン ルラーの作品を集めたCD, Silk Rush (3d system(DDD)(M) B001AMRB0O)はこの日がオランダではこのバンドのレーベルから出たお披露目ともなり日本とはカバーは違うが中身は同じCDが編曲ならびに指揮を担当するHenk Meutgeertから舞台の定位置左端のピアノの横に座るこのギタリストに贈られたちょっとしたセレモニーでコンサートは始まった。

この日も250km離れた北の街、グロニンゲンで午後の公演を終えそのまま移動で8時半開演の予定が開演時間になっても満員の観客がドアの外に待つのを尻目になにやら各自スコアを忙しく繰ってリハーサルをしている。 開演が新シーズンから30分早くなったのにまだ前の集合時間のままの調子かとも思ったのだが時間だけのことなら昼に演ったものをそのままやれば良い訳であまりにも多いレパートリーの中で絶えず新しくしようという試みからソロパートやコーダ、様々なソロイストが入る間合いを調整しているようだし演奏中に急にソロを誰にするかどの組み合わせでいくか即興の枠組みの可能性も指示しているように見受けられた。

現代ジャズオーケストラなりビッグバンドは楽譜中心の制約は小コンボに比べて比較にならないくらい大きいがそれでもジャズの神髄であるそのときの気分で自由にやりたい、と制約から如何に離れられるかへの試みも大きく含まれている。 それがなければダンスバンドやカクテルバンドやその辺のブラスバンド並になってしまう。 高度な技術に裏打ちされた即興の遊びがジャズなのだと思う。

メンバーの殆どが自分のバンドを持ち、また各地の音楽学校で教鞭をとるものも多いなかでビッグバンドのしっかりした楽譜が中心の曲目をもとに日頃自分たちの演奏する音楽とは一味違った編成でのものは団員各自の音楽の幅をひろげる好機でもありそのような中でしばしば各自には舞台前面に出てソロをとる快感は堪らないものだろう。 そしてそこでの出来のよしあし、のりの具合で指揮者の判断から伴奏なりソロの長短が代わるし急に全くのソロになったりデュオ、コンボともなるから団員の柔軟度、高度な技量が試されるのは当然だ。 ジャズは他のジャンルと同様、自分の個性を如何に前面に出していくかというところが味噌でそのために自分のバンドを持ち活動していくものが大半のソロイストが集まったバンドでは個性を束ねつつその個性を各所で発露させながらも20人近い団員の音をきっちりとリズム、メロデー、ハーモニーの中で束ね如何に協調させていくかというところが聴き所でもある。

曲は同じでもギルエヴァンスのサウンドとは一味違ったヨーロッパ調とでもいえるような少々トラッドな響きをさせ、50年代から60年代に入る頃のスイングするアメリカビッグバンドの最良部分との対照的な編曲になっている。 自分の親のペンになる曲をヨーロッパのビッグバンドでそれも自分がソロを多くとる機会に恵まれて小柄な体に少々大きくみえるギブソンのジャズギターを軽快、流麗に演奏するJoe Cohnは終始幸せそうな笑みをたたえていたし、何年か前にハーレムのジャズフェスティバルでこのピアノ、Peter Beetsのニューヨーク・クインテットのメンバーとして初めて聴いたときと比べるとこの日はリラックスしていたようにも見えた。 それに同僚ギタリストのJesse van Rullerとのチェースやユニゾン、ハーモニー、連続するソロを多く含んだ曲目ではスタイル、個性の違いが聴かれて興味深かった。

勿論その他、アルト、テナー、ピアノにトランペット、ドラムスのソロは上記CDで聴かれるとおりだ。 ただ人気ドラマーMartijn Vinkは日本公演には参加できないということだ。 この日、ソロで素晴らしい演奏を聴かせたMarco Kegelが参加するのかCDでアルトを吹くJoris Roelofsが参加するのか不明なもののどちらにしても充分満足するもので来週金曜日の夜にはここでRoelofs君のカルテット演奏会があることも楽しみだ。 もし日本に行くとなると帰国の翌日あたりの仕事となる。

日本にいたときにはオーソドックスなビッグバンドは聴いていたもののオランダに来てビッグバンドの多様性、緊張と緩和の楽しみに触れたような気がする。 優れた個人がどれだけ束ねらつつそこから解けて一つの曲を創れるかということが見えるからなのだろう。 この日、会場で買った Dave Holland Sextet, Pass It On (Dare2 Records, 0600753106679)も同様の志向がみられるようだ。 ミニビッグバンドとしても聴くことができるようで再来週ここでそれを確かめられるのを楽しみにしている。 JOC & Joe Cohn, 05-10-08

日常 / 2008年10月06日 09時51分35秒

Jazz Orchestra Of The Concertgebouw & Joe Cohn

Sun. 5 October in 2008 at BIMHUIS in Amsterdam

Main Guest; Joe Cohn (g)


1st Set
1) Silk Rush (Jesse van Ruller)
2) Bigband Move (Gil Evans)
3) Blues for Pablo (Gil Evans)
4) You and Me (Al Cohn)
5) Elington Mood ? (Al Cohn)
6) Cotton Tail (Al Cohn)

2nd Set
7) Here Come The Sun (Jesse van Ruller)
8) ?? (Gil Evans)
9) Bublicity (Gil Evans)
10) Nose Cone (Al Cohn)
11) Jump Blues Away (Al Cohn)
12) Big Cat (Al Cohn)

Encore
Here We Go (Al Cohn)


この宵の構成はジャズオーケストラの歴史の中で欠くことの出来ないギル・エヴァンスのものとこの宵のゲスト、ギタリストで父親が往年、ズート・シムスとテナー合戦をしたりテリー・ギブのドリームバンドに作品を提供していたアル・コーンの息子、ジョー・コーンを迎え幾分趣向の違ったオーケストレーションに加え、当オーケストラの花形ギター、Jesse van Rullerの作を前面に押し出したオーケストラ自主制作のCDも発売されたこともあり、また、今週金曜日には20人を超す大所帯でこのオーケストラが日本に発ち12日のホテルオークラでのオランダ大使館も含めた文化ミッションのレセプションもあるコンサートを皮切りに東京ブルーノートでの演奏会二つ、三島での演奏会と早稲田大学のビッグバンドとのワークショップも計画されているのだと休憩中にマネージャから混雑したバーでそのように聞かされた。

早いものだ、もう3年にはなるのだろう。 このオーケストラの発起人でもあり、Jesse van Ruller のトリオでは日本経験のあるベースの Frans van Geest にたまたま小さなコンサートで会ってそのときに、このビッグバンドで日本公演をしたいのだがなんせ大所帯なもので資金繰りが、、、と聞かされて以来のプロジェクトがやっと実現したのだ。 そのCDからの2曲がこの宵の各セットの初めに演奏された。

もう既に8月の中旬に日本では発売され好評で迎えられたそうな、このビッグバンドの常任ギタリスト、イェセ・ヴァン ルラーの作品を集めたCD, Silk Rush (3d system(DDD)(M) B001AMRB0O)はこの日がオランダではこのバンドのレーベルから出たお披露目ともなり日本とはカバーは違うが中身は同じCDが編曲ならびに指揮を担当するHenk Meutgeertから舞台の定位置左端のピアノの横に座るこのギタリストに贈られたちょっとしたセレモニーでコンサートは始まった。

この日も250km離れた北の街、グロニンゲンで午後の公演を終えそのまま移動で8時半開演の予定が開演時間になっても満員の観客がドアの外に待つのを尻目になにやら各自スコアを忙しく繰ってリハーサルをしている。 開演が新シーズンから30分早くなったのにまだ前の集合時間のままの調子かとも思ったのだが時間だけのことなら昼に演ったものをそのままやれば良い訳であまりにも多いレパートリーの中で絶えず新しくしようという試みからソロパートやコーダ、様々なソロイストが入る間合いを調整しているようだし演奏中に急にソロを誰にするかどの組み合わせでいくか即興の枠組みの可能性も指示しているように見受けられた。

現代ジャズオーケストラなりビッグバンドは楽譜中心の制約は小コンボに比べて比較にならないくらい大きいがそれでもジャズの神髄であるそのときの気分で自由にやりたい、と制約から如何に離れられるかへの試みも大きく含まれている。 それがなければダンスバンドやカクテルバンドやその辺のブラスバンド並になってしまう。 高度な技術に裏打ちされた即興の遊びがジャズなのだと思う。

メンバーの殆どが自分のバンドを持ち、また各地の音楽学校で教鞭をとるものも多いなかでビッグバンドのしっかりした楽譜が中心の曲目をもとに日頃自分たちの演奏する音楽とは一味違った編成でのものは団員各自の音楽の幅をひろげる好機でもありそのような中でしばしば各自には舞台前面に出てソロをとる快感は堪らないものだろう。 そしてそこでの出来のよしあし、のりの具合で指揮者の判断から伴奏なりソロの長短が代わるし急に全くのソロになったりデュオ、コンボともなるから団員の柔軟度、高度な技量が試されるのは当然だ。 ジャズは他のジャンルと同様、自分の個性を如何に前面に出していくかというところが味噌でそのために自分のバンドを持ち活動していくものが大半のソロイストが集まったバンドでは個性を束ねつつその個性を各所で発露させながらも20人近い団員の音をきっちりとリズム、メロデー、ハーモニーの中で束ね如何に協調させていくかというところが聴き所でもある。

曲は同じでもギルエヴァンスのサウンドとは一味違ったヨーロッパ調とでもいえるような少々トラッドな響きをさせ、50年代から60年代に入る頃のスイングするアメリカビッグバンドの最良部分との対照的な編曲になっている。 自分の親のペンになる曲をヨーロッパのビッグバンドでそれも自分がソロを多くとる機会に恵まれて小柄な体に少々大きくみえるギブソンのジャズギターを軽快、流麗に演奏するJoe Cohnは終始幸せそうな笑みをたたえていたし、何年か前にハーレムのジャズフェスティバルでこのピアノ、Peter Beetsのニューヨーク・クインテットのメンバーとして初めて聴いたときと比べるとこの日はリラックスしていたようにも見えた。 それに同僚ギタリストのJesse van Rullerとのチェースやユニゾン、ハーモニー、連続するソロを多く含んだ曲目ではスタイル、個性の違いが聴かれて興味深かった。

勿論その他、アルト、テナー、ピアノにトランペット、ドラムスのソロは上記CDで聴かれるとおりだ。 ただ人気ドラマーMartijn Vinkは日本公演には参加できないということだ。 この日、ソロで素晴らしい演奏を聴かせたMarco Kegelが参加するのかCDでアルトを吹くJoris Roelofsが参加するのか不明なもののどちらにしても充分満足するもので来週金曜日の夜にはここでRoelofs君のカルテット演奏会があることも楽しみだ。 もし日本に行くとなると帰国の翌日あたりの仕事となる。

日本にいたときにはオーソドックスなビッグバンドは聴いていたもののオランダに来てビッグバンドの多様性、緊張と緩和の楽しみに触れたような気がする。 優れた個人がどれだけ束ねらつつそこから解けて一つの曲を創れるかということが見えるからなのだろう。 この日、会場で買った Dave Holland Sextet, Pass It On (Dare2 Records, 0600753106679)も同様の志向がみられるようだ。 ミニビッグバンドとしても聴くことができるようで再来週ここでそれを確かめられるのを楽しみにしている。
[ 08:04 ] [ 日常 ]


毎年この時機になると町のデパートにでかけてオランダ語でいうagenda(カタカナで使われるアジェンダは政治日程というような意味で使われることが多いのだが)日程表、つまり日頃の予定表、手帳を買う。 

この国では子供のときから、小学校の教室で教師が子供達に予定を前もって伝えるときにはデザイン、色もとりどりの予定表に書き込みをさせることを普通にさせているから約束事をわすれない、という人とのつながりにおいて基本のことを予定表に書かせることを奨励していて自然と大人の仕事、プライベートな話の中でもこのアジェンダが大切なものとなる。 話の成り行きでそれでは今度のいつごろうちへこないか、そうしよう、というときには両方にこれが欠かせないものとなる。 電話やメールなど外に連絡ができるものの、親しい人でも何ヶ月も顔をあわせない、ということも多く、もう何年も会っていないという者も多い。 そんな人たちとたまたま顔をあわせるとこういうものが俄然、機能を発揮する。

今年も毎年おなじデザインのものを今日買った。 10月も始まるとそろそろ来年の予定まで話の射程に入ることにもなり年末年始の予定が目下の書き込みにもなるからだ。 自分の趣味で言えばジャズのコンサートの予定、射撃クラブの行事、仕事関連、休暇の予定、などで白いスペース徐々に予定のラインが入るということだ。 

新品の薄いアジェンダは2009年のものだ。 当たり前のことなのだが日頃、月日のことを考えることもあまりなくこういう機会にこういうことが頭をよぎるのだ。 ミレニアム・プロブレムといって既存のコンピューターシステムの日程システムに混乱が起こり、パニックになるのでは、と息を呑んで新年のテレビを見ていたのは2000年でありそれからもう10年近くになるとは驚きだ。

見開き2ページでそれぞれのページに月曜から日曜日まで、開ければ2週間分の予定が入るようになっていてそれぞれのスペースは小さい。 薄いもので、それを黒い皮のホールダーに差し込んでクレジットカードや幾つかのパスに名刺と共にいつも持ち歩いている。 2000年の夏に更新したぺらぺらのオランダの運転免許証も入っている。 1980年に日本から国際免許証とともに持ってきた日本の免許証はすでに当時にパスのような一枚のカードになっていたのだがここでは未だぺらぺらの三つ折にしたピンクの紙だ。 薄くプリント処理されたカラー写真には当時口ひげ、顎鬚はまだ黒く、少々その当時を思わせる眼鏡をかけた自分が写っている。 当時には10年先に更新か、随分先だなあ、との感慨を持ったがその更新時期があと2年弱となってそろそろそれを忘れないようにしなければならないようだ。

日頃職場に毎日通っていた頃には一週間の日程は殆ど同じようなもので仕事上のことは記すこともなく生活時間の大部分が仕事で塞がれていたからプライベートな約束など知人、親戚の誕生日や祝い事ぐらいでそういうことは家人のアジェンダにも記されているから気楽なものだったのだが幾分か仕事はするものの毎日ではなくプライベートな時間が大きく日頃の生活に広がった今は日常生活が自動運航装置で統率されていたような時間から何か茫洋とした余白の多い定年生活時間になり、このところこのアジェンダの重要さが増しているようだ。 ええと、今日は何曜日だったかな、というような日が多くなっている。 

12月の一年の最終週に今のアジェンダから2009年のものに差し替えるのだがその頃には来年の3月頃までの予定が入っており2月ごろには夏休みをどうするか、どこかの国の避暑地か田舎のうちを2,3週間借りようかという話を詰めて今ではネットでそういうところを物色して安価でいいところは3月ごろには予約しておくことになっていた。 諸般の事情で遅れて5月頃に入って捜すといいところは既に殆ど予約済みということになっているのが一般だ。 この間の夏には、アルプスを歩いてきたところなのにもう来年はどうしようか、という話も出始めているのだが今年いけなかったイングランドの湖水地方が希望だとしてもこれも今年と同じく姑女の健康状態にバカンスの予定がかかっているので不確定要素が大きく5月頃まで、いや、もっと後まで決まらないのかもしれない。

この国に28年住んでこのような手帳をメモ、忘備録がわりにしているのだが今のデザインは1984年以来だ。 過去のあの日に何をしたかは大体分る。 子供のときから日記をつける習慣がなかったものだからこの国に来て以来の習慣となり今では欠かせぬものとなっている。 クレジットカードや様々なパスは失くしても再発行が利くものが多いから問題がないのだがこの薄いアジェンダとほかのものを入れた黒の手帳を失くせば困るのがアジェンダ、日程と住所録だ。

押入れの中には過去のアジェンダがそのまま残してあるのだが1994年ものが一つだけ欠落している。 まだ下の娘が保育所に行っているときに仕事に出かける前に朝、自転車の前に今ではとても両手で頭の上まで差し上げることも出来ない、当時3つの娘を、軽々と載せて近所の静かなところに在る保育所に連れて行き、ほんの2,3分自転車を離れる間、書類とサンドイッチに林檎のはいったアタッシュケースを自転車のバッグに放り込んだまま20mほど離れたその入り口の保育師の若い娘に自分の娘を届け、自転車のところに戻ってみればアタッシュケースが消えていた。

金目のものは一切なく、書類はコピーがしてあったから問題はないもののアジェンダが悔やまれた。 警察に届けを出し、書類を作りいろいろなものの再発行をするのに何日か煩わされたもののそのうち支障がなくなったもののポカッとあいた空間がこの予定表と住所録だ。 もし誰かどこかで捨てられたものを見つけたようなことがあれば親切な人は警察にとどけるのだろうが殆どそういうことは期待できないと言われ、実際どこからも連絡はなかった。 物取りにしても何の利があるのだろうか。 ビニール袋に入った貧しいサンドイッチに林檎一つを見てそれを喰ったようにも思われない。 何も金目のものが入っていないことに怒ってどこかに捨てたに違いないのだがなんとも無意味なことだ。 金目のものを期待すること自体がおかど違いだ。 

このようにこの30年近くこのような日程表を使ってきて一年分のものだけがないというのは自分の行動に空白があるようでこころもちすわり心地が悪いようなのだが、しかし、日頃の生活には何の支障もないのだから大きく見れば失くしても別段世の終わりということでもない。

夕食前にうちの前で立ち話をした隣人の老人はこの半年ほどで大きく衰えていた。 毎日運動のため歩くのに杖を突いて運河を越えてとぼとぼと買い物に出かけたり住宅街のブロックを一回りしているのだが92になり目が衰えたといい、だから半年前に比べてしっかり歩けないから衰えが加速しているようだと言い、テレビが見えず、新聞も読めず、ただラジオやテレビの音を聴くだけだという。 四方山話をしても話は大抵50年ほど前に飛ぶ。 その頃にはこの人も日常、アジェンダを手に生活していたのだろうが、今ではそれも必要なく、一日一日がのこり少ない短い日程表をこなすことになるのだ。 そうしているとこの間転んで腰を負傷して長らく入院していたその先に住む老人が同じく杖をついて我々の横を通り過ぎたのだが隣人が挨拶をしても反応は鈍かった。 隣人が言うのにはあれは小学校の同じクラスにいたのだが自分よりも耄碌が進んでいるようだ、と言ってビニール袋に入った少々の買い物をぶら下げて自宅の玄関に入っていった。

92歳になるまで自分のアジェンダはもう34冊いる勘定になるがせいぜい20冊が限度ではないかと思い、それにしてもそれまでの時間を想うと一層茫洋とした気持ちに襲われる。
2008/10/02のBlog
[ 09:15 ] [ 見る ]


この間寿司を巻くのに合わせ酢を作っていたら何か計量カップの表面に模様が出てきていたので面白く思った。

普通は規則的に適当に混ぜているのだが大抵次にすることにかまけて眺めることなどしないが時間があったのだろう。 なんとなく渦巻きがゆるく流れているのを見てそのあといくらか経って戻ってみれば薄く合わせ酢の表面に渦巻きをひっぱって周りから徐々に星型になるような模様が出来ていた。

フラクタル模様というのかコンピューターの進歩でもう何年も前にそういう模様が作り出されるようになりそれが自然界でも巻貝とかブロッコリや花野菜の巻き方にそういうものを見ることもあるから自然に在る物理とか数学の摂理がこういう動植物に体現されているのを面白く思ったことが再々あるからこの日の合わせ酢の模様もそのようなものだったのかと少々違うような気もしつつ納得する。

5人分ほどの酢メシをこれで作り、そのあと少々余った合わせ酢に新しく酢を足してそれに2尾の開いた生鰊を一晩漬け込んであくる日に締め鯖ならぬ「締め鰊」にして山葵醤油で喰った。
2008/09/30のBlog


2008年 9月 28日 (日)

秋の日和が嬉しい日曜日、気持ちのいい週末をすごした。

町の美術協会が主催する催しに家人が他の144人と共に参加し金曜の夜にその開幕パーティーに出かけ旧知の人たちと歓談し、いよいよ秋に入り新しい活動の季節が訪れたことを実感した。 家人はこの3,4年ほど町の中心にあるモダンな美容院に自分の作品をこの週末に展示して多くの訪問者を得、満足のようだった。

その場所は先週私がこの町の例年の行事である10月3日に町の市民への贈り物として生鰊とパンをもらうために並んだ旧公式計量所から石を投げると届くほどの距離のところにある。 主人である美容師は一週間ほどイタリアの修道院に瞑想にでかけており火曜日には戻って開店することから家人の作品や展示のためにちょっとした美術ギャラリーにも見えなくもない現代美術のインテリアがあちこちにみられる店内を直ぐに美容院として営業できるように戻すため夕方の催し物の終了後あとかたずけを手伝ったのだった。

子供達もそれぞれ出かけて戻ることもなくうちは夫婦二人であるから催し物の終了の打ち上げパーティーに出かけ子供たちの食事のことにも煩わされることもなく気楽な夕べとなるからとりあえず荷物を自宅にもちかえるべく二人で自転車を漕いで町外れに在る自宅に向けてのんびり夕空の下をうちの近くの交差点のあたりに近づくと午後6時半の夕日に映えて燃えるような光景に息を奪われた。 普通に日頃行き来するところではあるのだが別段注意を引くようなものはなかったのだが今の時期、紅葉が始まっていることをこの燃えるような赤い蔦の葉がべったり建物の壁に絨毯となり張り付いている光景に接してそれを思い知らされたのだ。 

これはモミジではないので「秋の夕日に照る山、モミジ、、、」といような唱歌ではなく、「蔦の絡まるチャペルで祈りを捧げた日、、、」と学生時代として流行った歌の歌詞が思わず浮かんで来る。 宗教には全く染まっておらず重い鞄を抱えて図書館に通うような学生時代も送ったわけではないので自分では歌うことはないけれど昔聞きなれた歌の「蔦」という言葉にに絡んで連想したのだろう。 けれどその歌詞の蔦はこのように燃えるような赤だったかどうかは知る由もない。

暫く見とれて写真を撮っているとこちらを窺う家人の自転車に気付き彼女を追って家に向かったのだった。


2008年 9月 27日 (土)

もう10年ほどボランティアで翻訳や通訳をしたり求められると何か日本の事を説明したりしている。 それで今日はそういった会合があり出かけてきた。 100kmほど離れた町から帰宅する途中で日が沈む美しい景色に誘われて舅姑女の処に寄ったら年寄りも含めた集合住宅の中庭で80を越した多くの人たちがバーベキューの宵を楽しんでおりその中で病弱の姑女が元気なことを喜びまた突然の訪問に年寄り達に日本人の息子だといつものように紹介されてもおりイタリア人の息子もいると誇らしげにいわれるのに少々面映い思いもした。 この人たちの所に行くたびに彼らの様々な思い出を聞くこととなり時代が今から50年60年と一気に戻るような気分になるものだ。

オランダには「JINの会」という協会があって会員は50-60人ぐらいはいるだろうか。 JINというのは漢字の人(ひと)、何人のジンでもある。

Japans-Indische Nakomelingen (日本人、インドネシア人の子孫)の略で、第二次大戦中(後)に生まれインドネシア系オランダ人を母に、日本人を父に持つ子孫を略してJINの会である。 つまり彼らは1942年から1948年の間に旧オランダ領インドネシアで生まれた人たち、もしくはその子供達だ。

この会は1991年、つまりつい最近設立された協会だ。 それは戦後63年経った現在、17年前というのは戦後史的には最近ということだ。 現在かれらは60-66歳で、すでに人生の秋を迎え自分のアイデンティティーをしっかり見据える時期でもある。 つまり、自分は何処から来てどう生きてこれからどうなるのか、自分は何なのか、ということを落ち着いて確認する時期にあるということだ。

Identityというのは厄介だ。 自分が自分である、ということの確かさはどこにあるのか。 この年になると充分世間を渡り、家庭をなしそろそろ孫もできる頃だ。 戦中(後)そして自分の青春期、壮年期を思い起こし自分の人生に影を落としてきた茫漠として見えない父親のことを知り自分が何者かということを捜そうとするのはもっともなことだ。 自分の親、先祖のことについて知りたいというのは古今東西おおむね一般の傾向でもあるが彼らがそれを行おうとするには幾つもの障害が伴う。 

今、日本の若者のなかで嘗て日本がアメリカ、ひいては連合国と戦争をしたということを理解しない若者が増えていると聞く。 そしてそういう質問があるとどっちが勝ったの?とは逆に訊くような阿呆もいるそうだ。 それが戦後、金儲けだけにまい進してきて過去の歴史を都合よく捨て去ってきた国の現在だ。 それで今その国は富んでいるといえるのか。 

会員である彼らのことを考えてみよう。 生まれたとき敵国の兵士が自分の父親で、母親はインドネシア系オランダ国籍だから戦後旧植民地から旧宗主国であるオランダに引揚者としてくれば、オランダ、インドネシア両文化に対して正面から溶け込む難しさに加えて旧敵国日本の父親をもつことでオランダ、インドネシア系両方のコミュニティーから自分の生い立ちについて有象無象の自分には故のない罪悪感、圧力を感じてほとんどの会員は生涯をこのことが重く自分のアイデンティティを考える上でなかなか抜けない棘となっている。 その経過を経て今は社会に根付き落ち着いたものの今、中年以降となり自分の父親を捜し、自分の血の中に流れている日本を確認したいということになるのは当然のなりゆきだろう。今までオランダ人でもない、インドネシア人でもない、また両国の血を引く人たちのグループとも異なった者である、と自覚してきた人生なのだから一層社会の中の少数派として同類を求める方向に進むことにもなる。 そして、そのような「運命」をともにする人々が自分たちで立ち上げたグループがオランダのメディアで紹介されてから集まったのがこのグループだ。

オランダには政府機関、学術研究機関の概算でこういう人が1000人前後いるだろうといわれているが確かな数字はでていない。 この子供達は自分の父親に興味がないか、それとも親から彼らは敵国の父親ではなくインドネシア系の父親だといわれているのか、はたまたそれが分っていても旧敵国の兵士を父に持つことを恥としてそれを隠そうとするのか、こういう会の存在を知らなく個人的は行動をとれないということもあるのか、この会が確認している名簿では概算の一割程度で会員は更にその半分程度でしかない。 そして、この17年の活動で30人ほどが父親もしくはその家族、日本の兄弟姉妹と接触をとることに成功している。 会員は父親をある程度確認できる糸口をもっていたものが多いけれど、中にはそれが殆どない者もいて希望はほぼゼロに近いにもかかわらず父親の祖国の文化、歴史を会員と共有したいと会合に参加する人々がいる。 殆どが父親から与えられた日本名をもっていることも父親と母親の関係が普通以上に深かったことを示すものと考えられる。 誰が自分の望まない子供に自分の祖国の名前をつけるだろうか。

明治以前の日蘭関係は教科書に載りオランダは日本人には親しいものとなっているが第二次大戦以後のアジアにおける戦争の歴史は暗部としてその取り扱いについては未だ明確なものとはなっていない。 それにそこでの日蘭関係以上にアジアの地政学上重要な日中関係の圧力の影が覆っていて小国オランダとの過去を清算する努力はおざなりにされてきたきらいはあるものの現在、徐々に彼らの努力が日本政府、外務省、厚生労働省を動かしつつあるようだ。 この10年以上複数の会員が、旧蘭領インドネシアにおける日本軍収容所ですごした旧軍人、軍属、その遺族の会の会員とともに日本各地を毎年訪れて対話の機会を持ち戦争がもたらした後遺症を様々なかたちで治癒するべく努力を続けている。2000年には日蘭修好400年を記念して訪蘭なさった天皇皇后両陛下とも直接面会する機会も得ていて両陛下の彼らにたいする理解と対応には皆、過去の苦労に報いるありがたいものとして喜び、将来に向けて建設的な一歩になると評価している。

けれど歴史の中でこのような運命を背負って生きている人たちに何らかの心の安らぎを与えるべき、自分のアイデンティティーを捜す旅の何がしかの助けができるのは少なくとも50年代に生まれ戦後、いつも戦争の影が纏わりついていた年代の者にとっては自分のアイデンティティーを確かにするプロセスでもある。 還暦に近づく自分にとっては彼らは自分の兄や姉であってもおかしくないのだ。

この集会に出かけるたびに奇妙な感じにとらわれる。 それはオランダ人でありインドネシア文化の中にも根を持ち彼らとオランダ語で対応する彼らが私の故郷の村人、親戚の伯父さん、伯母に相当するような懐かしい感じに捉われる事だ。 そして日本名を持ち、、、、、、。 

彼らが還暦を越しているという事実は彼らの父親はもう殆ど鬼籍に入っているということを示している。 これからは彼らの次世代と日本の家族との交流がここでの活動の主流となるのだがまだ多くの会員は父親の影を追って自分探しの旅を続けることになる。

我々の年代はともかく今の若い人たちはこのような歴史の事実をどのようにうけとめるのだろうか。


オランダにある「太平洋戦争とその後をめぐる日蘭対話の集い」のホームページ
http://www.djdialogue.org/index.htm
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