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2007/06/13のBlog


James Carter Organ Trio at BIMHuis

16-5-07


James Carter (ss, as, ts, fl)
Gerald Gibbs (Hammond organ B3)
Leonard King (ds)

もうそろそろこのコンサートに陪席してから一ヶ月近く経つので記憶も定かでなくなっているものの、この日の印象を手元のアルバムと比較してみると数年前に初めて聴いたGardenias for Lady Dayには強く印象付けられなかったもののその後久しく名前を見なかったJames Blood Ulmerも聴けるOut of Nowhere; Live at Blue Note (Halfnote 4520)でJBUのギターもさることながらJCの実力のほどを収録の初めの2曲で驚きと関心をもって聴いたのだが、これ以上に当日のライブは興味深いものだったことを記憶している。

四本の楽器を手に入場するJCを待ち受けたのは満場の老若男女で、中でも熱狂的な2,3の女性のノリには当人も曲の合間の語りで受け答えをしていたものの時には当惑気味なほどだったのだがそれも本人のまいた種で興奮させた結果である。 

途中20分ほどの休憩を挟んで9時半に始まり12時を少し廻ってのアンコール終了まで第一セット3曲、第二セット4曲の熱演ではさまざまな意匠を開陳して飽かせることはなかった。 ハードバップからフリー、そして甘いバラードにカリプソ調まで慣れたユニットでアンサンブルも多様である。

4ヶ月前にここでその現在を確認したグレッグ・オズビーと同じく、次の演奏会が今から待ち焦がれる中堅トップたちである。
2007/06/12のBlog
[ 23:01 ] [ 日常 ]


昼食時にこれもやっと寝床から起き出してきて、時差がないにもかかわらず連日の馬鹿騒ぎで過ごした地中海気分がまだ抜け切れぬドラ息子とビールを飲みながら新聞を読んでいたらちょっとしたコラムに「誰がペット食の味見をするのか」、といような記事が出ていた。

以前テレビのバラエティー番組で缶入りのドッグフードやキャットフードをスプーンでそのまま掬って食べている人を見てウワッとおもったことがあるがそれは日頃足元をまとわりつく叔母さん猫に与える餌の缶を開けたときの匂いのすごさを思い出してたまらん、と閉口したからなのだろうが、しかし、振り返ってみると我々もかなり強くて癖のある匂いのものを口にしているのだから、それは、生臭い渾然とした強烈な、どうせこの食品業界はまともな材料を使っていないにちがいない、というような古い偏見がそう思わせるのだろう。 それにスーパーのペットコーナーで高級、ペットの健康を保証するデラックスと宣伝され、銀の皿に乗ったキャットフードのTVコマーシャルを見ていてもまだそういった偏見がそう思わせるのかもしれないと思い返すもののそこは凡人、あの匂いはどうもたまらない。

それで、何年も前にテレビで見たペット食品を食べる人のそのときの感想はどちらも人間の食うものに比べて薄味だと語っていたような気がする。

記事を読み進めていって納得がいった。 味覚、嗅覚がポイントで犬、猫などの嗅覚は人間の何十倍もあるのだけれど味覚は、犬は甘いものを好み、猫は酸っぱいものを好む傾向にあるもののそれらは人間の数十分の一でペットの好みに影響しないから業界は味付けコストを省略しているのだと世界的にもトップクラスのオランダ農業大学でペットフード研究で権威の教授が言っている。 なるほど、食品産業で無視できないペットフードであるのだからそういう人もいるのだなあ、と感心したのだが、だからテレビでむしゃむしゃ食っていた人の証言につながる。 そうするとあの人は鼻が鈍かったのだろうか。 まあ、慣れ、ということもあるのだが鼻のいい人と悪い人がいるのだから納得もできる。

しかし、まてよ、我々でも強烈なペット食の匂いを、その何十倍も利く鼻で犬、猫が嗅いで待てないほどムシャブリつかせる力があるのであるからそのインパクトを想像するだけで物凄いものがあるのだが、果たしてそれは何なのだろうか。

加工食品でなくともそういうペット食に関する経験がある。

もう四半世紀ほど前に、それは家人と知り合った頃、彼女が飼っていた25kgほどあるベルギー牧羊犬のブービェー種で叔母さんムクイヌの餌に3週間に一度ほど肉屋の冷凍庫から大人の頭ほどある牛の胃の塊を買ってきて、半日ほど解凍した後、喰わせていた。 新鮮な牛の胃を冷凍したものであるから肉屋ではどうということはないものの、解体したときの牛の胃の内容物がそのまま入ったままであり、酵母や胃液にさまざまなものが混じってものすごい匂いが部屋中に充満してくるとこの叔母さん犬はもう堪らない。 そわそわしだして、それを与えたときには普通の餌に向かうときとはまるで違い、野生が露になり狂ったようにむしゃぶりつく。 匂いに関してはこっちの堪らなさと向こうの堪らなさは正反対のベクトルを向いている。 新鮮な牛の糞の匂いといってもいいだろうか。 だから、肉屋で塊を取り出しているときに他の客と顔をあわせると、互いにいくらペットのためとはいえ大変だな、とニヤリとしあうものだ。 しかし、これは栄養価が抜群なのだそうだ。 ことばがあるかないか定かでなかった頃のわれわれの祖先もそのようにむしゃぶりついたのだろうか。

さて、ここからが今日の日記の本題。 これも四半世紀ほど前、日本、オランダ航空チケットで一番安かったのが大韓航空で貧乏人の我々が座るエコノミーの食事でも食器には陶器を使っていた。 その小皿を家人がどこかで安売りショップで見つけてきて何組か使っているのだが一組を猫の乾物フードと水の入れ物にしている。

先日、家人が肉、野菜の乾物フードを誤って水の皿に入れてしまいそれに気が付かなかった。 あとで猫の皿を見た私は今までと形も色も少し違うのを見て娘がどこかでまた新製品を買って来たのかなと思った私の足元で叔母さん猫が餌をせがむのだ。

妙だ。 目の前に皿一杯の餌があるにもかかわらず食べない猫に腹を立てて、贅沢なものだ、口に合わないものは跨いで渡る、これをネコマタという、というような昔、古文の教師が冗談を今昔物語の話に引っ掛けて言っていたことを思い出したのだが放っておけばそのうち食べるだろうとこちらも少しは意地になりネコマタにさせずと我慢比べをしたのだが、この叔母さんだめらしい。 見てくれは悪くないし何が悪いのか匂ってみても殆ど香りもなく私にしてみてはたかがふやけた固形食なのだからと見たのが今考えてみれば誤りだったのだ。

家人が見かねて固形食を与えたら、いままでの空腹を満たすためと老猫の歯の訓練のためかカリカリと噛み始めた。 結局、匂いだったのだろう。 そうなのか。 ひょっとしてぶよぶよにふやけた餌の舌に感じる触感もあるのではないかと思うもののそれは同じようなものを食わせているのでそれはないようでもあるし、、、、、。

犬も猫も視覚はほぼ白黒の世界でペット食の見栄えがいいのは飼い主に買わせる為の操作だそうだ。
2007/06/11のBlog
[ 12:03 ] [ 喰う ]


丸みのあるロンバルディア米で家人が久しぶりにリゾットを作った。

この間からの暑さも急な雨の後、少し涼しくなってそれじゃビールは飲まなくてもい涼しさだし、ちょっと暖かいものを食べたいと思っていたところなので南アフリカのソビニョン・ブランク、白ワインでハーブとオリーブオイルでカリカリにトーストした黒パンをスターターにしてシシリアの義兄のうちで浅漬けしたオリーブをサラダに熱々のリゾットを喰った。 チェリートマトのはじけて中から熱い酸っぱい果汁がリゾットに合って旨かった。

いいパルメザンチーズが見つからずオランダ、ハウダのチーズだったのだがそれはそれで何とか折衷料理にはなったのでとりあえずご馳走様を言ったのだった。
[ 06:55 ] [ 日常 ]


十日ほど前にガーデンセンターで絨毯の切れ端のように巻いた芝生を買ってその日は時間がなくてそのまま3日ほど放っておいてから家人と息子が裏庭にそれを植えてから十日が経った。 夕食後毎晩水撒きをせねばならず2,3日ほど前にはちょっとした雨が降ったので水の補給は楽だったのだがこれでなんとか地面に根付いたようだ。

順調に育っているので明日あたり初めて芝刈りをしたほうがいいだろう。 夏のこの時期、これからは成長のテンポを助けるため一週間に一度ほどは芝刈りを続けよ、と説明書に書いてある。 あと2週間の間にしっかりと根付かせて息子の高校卒業パーティーの折に何十人もの客の足で踏みつけられてもあとで復帰できるぐらいの体力はつけておかなくてはならない。

さきほど夕食前に、クレタ島に高校の学校の連中150人ほどたちと自主卒業旅行にいっていた息子が帰りの飛行機が遅れるので朝の3時半にスキポール空港に着くから4時ごろ迎えにきてくれないかとギリシャの空港から電話があった。 電車で駅まで戻れば車で迎えにいってやると返事をしたのだが、それまでは酒が飲めない。

子供たちの夏休みはもう始まっている。
2007/06/09のBlog


刺青(しせい)
 
1966 
86分 カラー

監督 増村保造
助監督 宮嶋八蔵
脚本 新藤兼人
原作 谷崎潤一郎
撮影 宮川一夫

配役 
お艶 若尾文子
新助 長谷川明男
刺青師清吉 山本学
旗本芹沢 佐藤慶
権次 須賀不二男
徳兵衛 内田朝雄
権次の女房お瀧 藤原礼子
新助の母 毛利菊枝
嘉兵衛 南部彰三
お芳 橘公子



この間ドイツのテレビ、アート局から江戸川乱歩に材をとった「盲獣」という船越英二と緑魔子のものをみたのだが、今度は同じ監督の、谷崎のものである。 脚本を新藤兼人が担当していて後の新藤の「山姥」の官能とは少々種類の違うものに書き上げている。 

官能、それは人間の想像力を刺激して喚起されるものであるらしい。 その引き金を強く、また官能を発火させる雷管の役目を果たすのは視覚か聴覚か。 映画では嗅覚、触覚が排除されているゆえ視覚が主に引き金を引かせることになるようだがそれで十分に雷管を叩いてあまた詰まった官能の火薬を爆発させることが出来るのだろうかという一点がここでは問われている。 それが増村のテーマであるらしい。

若尾のファムファタールを配するのは「盲獣」での緑とほぼ同じ構図なのだが、刺青がテーマでその触覚から排除された我々は視覚だけで、すべてを巣に絡めとり奪いつくす女郎蜘蛛に向かうのだが、スクリーンの官能に同調しようとするものには話の展開が少々性急すぎるようで「盲獣」の場合の饒舌と同じく原作の意図するところから逸脱しようとする監督の意図なのかそれとも商業映画の制約に絡めとられたからか判断を付けかねて逡巡するうちに、もう40年ほど前に目を通したことがあったかどうか定かでない谷崎作に戻った。

私事、老母がまだ世界と格闘していた40年ほど前にスカーレット・オハラ作「風と共に去りぬ」の映画化、スピルバーグの「太陽の帝国」で日本軍が「進攻」して混乱する上海租界の街角のビルボードとしてクラーク・ゲーブル、ビビアン・リーの姿を効果的に見せていた当の映画を娘の時に見た中年女性の感想はこうだった。 映画はすばらしく、絶世の美男、美女ではあるけれど、しかし、原作を読んでしまっているので見事な映画であってもしかし原作が頭に描かせたそれにはかなわない、と。 これを昔の人の譬え、シシ喰った報い、とでもいうのだろうかか。 旨いものを一度喰えばその後の不味いものは甘受するしかない、と。

ここでは私は官能を触覚、嗅覚なしで追体験できるかというところで逡巡しているわけで、旨いものにはさまざまな相があるから谷崎ものを極上のものと限っているわけではない。 それはまな板に乗った谷崎の鯛の調理の仕方なのかもしれない。 ただ映画になって谷崎の鯛からは聞けなかった旨みの声を若尾の肉声で聴かれたのが引き金にかかった指をひくつかせたようだし原作には詳しくみられない佐藤慶の旗本も指の助けにはなるのだが引き金の耐圧力はかなりのものだ。 

それに23歳の谷崎が描く彫師の悪と官能ははここでは山本に結実しているのか私には判断がつかない。