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2007/10/29のBlog


日曜の午後、といってもほぼ曜日の区別がつかなくなっているものには、昨晩3時に一時間針を戻して夏時間から冬時間に戻った、というぐらいのかすかな意識しかないのだが、ごそごそ起きだしてシャワーを浴びたところで、さて、昨日の残り物の他人丼で朝昼兼用の食事を、と台所に来て唖然とした。

オランダでもそろそろ知られてきた和牛風に肉を薄切りにして、といっても和牛はステーキが知られているだけでカルパッチォはあるにしてもそれは前菜で、こちらではまだ普通には薄切りはない。 毎週でかける肉屋にハムなどをスライスする機械に肉の塊を載せ、それを削いで薄切りにしてもらうしかないのだが、キロ1800円ほどのものを500グラムほど目の前で削いでもらった。

主食用としてではなく数々種類のあるハムや、豚肉をハーブで蒸して味付けした肉を薄く削いだもの、ローストビーフを極薄く削いでパンの上に載せて食用にするようなものが盛られたセクションでは薄切りは見られるが主食用の肉類の陳列ケースでは小さいものもあるにしても様々な肉塊が普通だからこちらから指示して切ってもらわなければいけないし、家で削ぐにはむらがでる。 あらかじめ予定が立っていれば冷凍庫に固めておいてそれを取り出し半分解けたところでよく切れる包丁で削げばそれなりのが出来る。 けれどいちいちその手間が面倒でほとんどやらない。 肉屋にしてもオランダ各地ではこの方法でアジア人の需要に答えていると聞く。

たまたま赤味と脂がうまく混ざった塊が今週のサービスとして見えたから今夜は他人丼に、と求めたものだ。 肉屋の主人も「Het lijkt Japanse Wagyuu, niet? (和牛みたいだろ?)」と言いながら柔らかい塊を薄く削ぐのに苦労しながらぎこちなく削がれ少々雑にまとめられたものをこちらに渡しながら、それじゃおまいさん、これをどのように喰うのかと聞いてくる。 

アメリカでも少しは知られてきたビーフ・ボウル、牛丼というんだけどね、まあ、すき焼きと味の系統はおなじで、それに卵を加えるんだけど、ええとね、、これからマーケットにでかけて葱を3束ほど、キノコ専門店で今あちこちの森から摘んできたキノコの盛り合わせを50gと茶色の髭の無いしっかりとしたモヤシを50gとその脇の中国食料品屋で堅めの絹漉し豆腐をミソスープ用にね、モヤシはビーフ・ボールにいれるんじゃないよ、ミソスープ、しってる? ああ、名前だけはね、なんかソヤビーンのペーストだろ、そうそう、それにデザートは出始めたスペイン産ミカン、クレメンタインがピンポンビールよりちょっと大きめだから一人3個見当かな、ま、我が家は今夜はそうなるだろうね、と答えると、とウチは今日は魚だわ、とその主人が店のものはつまみ食いはしない、と冗談口を入れ、俺はデザートは梨だな、カミサンに叱られるのだけど腹の脂肪を増やすティラミスにホイップクリームをかけてもいいわ、と肉切り包丁を研ぎながら言うところに客が入ってきて、それじゃ、又来週、とこちらは店を出た。

家で丼の支度をしながらクリームシェリーをどぼどぼと鍋に注ぎながら、肉屋に言い忘れていたことを思い出した。 日本酒を使わなくともこれで充分だ。 こちらで日本酒をわざわざ買って使うのでは家計に響くからだ。 

ごきぶり親父としては夜中にごそごそとエネルギー補給のイラク給油活動ではないがアルコールと食い物を求めて徘徊する。 その供給源としてリザーブしておくのに食事はかなり余分に作っておく。 家族も猫も寝静まった深夜、夕食の薄切り肉がうまく絡まった小さな塊を一つ二つ口にしてビールの小瓶を片手に屋根裏部屋に戻りネットで遊んで明け方寝床に沈没した。

それで、振り出しに戻る。

予定の牛丼ブランチが消えていた。 炊飯器には猫の餌分しか飯が残っておらず、鍋はもう洗われて棚にもどっている。 残りは細かいサイコロが沈んだ味噌汁の小鍋に葱の刻みだけだ。 仕方がないから猫の餌がブランチとなった。 はて、昔、百姓家に何代もいた猫達はこういうものを食っていたような記憶があるのだがオランダの猫は味噌汁のぶっ掛けメシを喰うのだろうか。 試してみようかと思ったのだがオバサン猫にフンとネコマタにされたらもったいないからいじましく自分の口に掻き込んで味噌汁とビールでだぼだぼになった腹でまた屋根裏部屋に戻ったのだった。
2007/10/28のBlog


The Connection

モノクロ 1961年

監督; Shirley Clarke
脚本; Jack Gelber (出演)

粗筋;数名の麻薬ジャンキーがリーチ(蛭)と呼ばれる男のロフトでカウボーイと呼ばれる売人がヘロインをもたらすのを待ち、そのダンディーな売人が来てから起こるその模様を映画監督がドキュメンタリーにしたという体裁をとり、そこに集まる人物達のそれぞれの関係をあぶりだす。

出演;
Warren Finnerty ... Leach
Jerome Raphael ... Solly
Garry Goodrow ... Ernie
James Anderson ... Sam
Carl Lee ... Cowboy
Barbara Winchester ... Sister Salvation
Henry Proach ... Harry
Roscoe Lee Browne ... J. J. Burden (as Roscoe Brown)
William Redfield ... Jim Dunn

Freddie Redd ... Piano
Jackie McLean ... Alto Sax
Larry Richie ... Drums
Michael Mattos ... Bass

Jim Anderson
Giorgia Moll ... Francesca Vanini
Linda Veras ... Siren



この間アムステルダムに出かけたときに新教会裏の「ブルーノート」というジャズ専門店で時間をつぶしがてらCDやLPに加えてこの何年かで増え始めたDVDを眺めていたのだが。その中からドルフィーのヨーロッパツアーのものとマクリーンのDVD「コネクション」を買った。

アムステルダムならここがジャズがよく揃っているよ、といわれて以来時々覗くのだが、それでもハーグの中国人街にある「ジャズコーナー」には敵わない。 ジャズコーナーはこの頃はCD、DVDが多くなったがこの間まではLPが主流で店の人たちも所謂ジャズを知的なものとして扱う、というようなそぶりも格好もない、ジャズに精通した、裏の煮物の匂いが肩口から匂ってくるような普通のオジサン、伯母さんたちだし、若い店員にしてもそのうちジャズのセッションで演奏する中に混じっていて、ああ、君は店員の、、、、というそんな店だ。 最近は毎月日本からの輸入CD専門コーナーも出来ている。もっともここには残念ながら日本のジャズメンのものは殆ど入っていない。

兎に角、この「Connection]を、義父がどこかの広場の隅から拾ってきて我々にくれた韓国製DVDプレーヤーに放り込み見出した。 

この音楽は既に30年以上前に同名のLPで聞いていたものの映像は初めてで予想以上の面白さだった。音楽そのものはマクリーンのものでは他に数々の名演があるのでLPはターンテーブルに乗る機会を逃していたのだがマクリーンの実演と本人に会う機会を最近の訃報を聞いてそれも逃してしまったため、このような映画でみることになったのだが、パーカーがらみの生き残りをマックス・ローチも含めてこの頃ばたばたと失うのは誠にさびしい。

若いときに無頼の英雄パーカーにアルトを巻き上げられそれがバードのドラッグに消えたことなどの証言を読んだのは晶文社からいくつも出版されたジャズ関係の書籍のうち、パーカーの評伝のいくつかの中で、それはもう30年以上だし、オーネット・コールマンほか3人ほどのジャズメンの評伝を集めた書物にその一人としてジャッキー・マクリーンが入っていたのでこの映画の事が何か書かれていないか調べようとしたがその本が見つからないしもう30年ほど前に目を通したのだろうがマクリーンのことは記憶にない。

70年代初め学生当時にぶらぶらしているとき当時最高級の装置で7000枚ほどあるLPを聴かせるジャズ喫茶で手伝ったことがある。 手伝いといっても好き勝手にLP片面30分ほどを廻しリクエストがあればそれをかけ、間に客の注文の飲み物を出すというだけの気楽なものだったが、そのオーナーの気に入りがこの映画の翌年に吹き込まれた「Let Freedom Ring」だった。 あるとき、町に来たマル・ウォルドンに地方放送局の依頼で30分ほどインタビューしたことがあった。 当時、ウォルドロンはビリー・ホリデーの最後のピアニスト、ということをうたい文句にして日本を巡業しておりそのLPでアルトを吹いていたのはこのマクリーンだった。 わたしはマイルスを別格として当時はコルトレーンにロリンズ、ビル・エヴァンスをよく聴いたのだが、30を越してオランダに住むようになり学生のときに聴いたステープルチェース盤の、主にデンマークのコペンハーゲンで録音されたマクリーンの乾いた音の記憶に誘われて深みに嵌った感がある。 「ゲットーララバイ」や「スマイル」が入ったLPがその頃の録音では気に入っていた。 それに80年代の中ごろベルギーのカフェーで当時出始めのデジタルレコーダーでライブ録音されたCDが晩年では一番印象に残っている。

この映画の面白さは60年代中頃から台頭したアングラ劇を思い出させる体臭をもっていることだ。 第一に、屋根裏部屋のアトリエ然としたところにジャンキーがいてそれらが新劇臭い台詞回しでおまけに映画監督が記録映画を撮るとの体裁をとっていてそこにジャズメンたちが映画に参加しているのかしていないのか中途半端ななりで演奏するのであるからその胡散臭さのただようヒップな「芸術」臭にぞくぞくする。 マクリーンの演奏は以前にLPで聴いていたのだがここではとりわけ印象深いものはなくこの30年ほどLPには針を落としていない。 LPは映画の中で演奏されたものなのだろうが若いマクリーンが演奏するところが見られるし、彼の素早い指の動きもみられるのだがストーリーに追われて音楽の方に向か注意も削がれがちであるし、かれらの数少ない台詞にも演奏家達ぎこちなくうつるそれこそに60年代初頭の若き「芸術」映画に好感が持てるのだ。

翌晩、食後の洗い物をしながらFMを聞いていて DIG が聴こえてきた。 アルトは紛れも無くマクリーンであるのだがそこでの2つ聞こえるトランペットのうち一つは柔らかく丸いフレーズをだしクラークテリーでなし、もう一つのトランペットは颯爽として、マイルスでなし、ウディー・ショーでなし、はて、ただ、マクリーンだけが確かだったのでそれをネットで調べたらドナルド・バードとアート・ファーマーだとわかった。 1956年プレステッジ盤のバード、ファーマー競演アルバムだったのだ。 50年経ってもまだお倉にはなっていない。 


Prestige Records PR 7344 Art Farmer/Donald Byrd - Trumpets All Out

Donald Byrd (tp -1,2,4,5) Art Farmer (tp, flh -1/3,5) Jackie McLean (as -1,2,5) Barry Harris (p) Doug Watkins (b) Art Taylor (d)

Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, August 3, 1956
1. 950 The Third
2. 951 Contour
3. 952 When Your Lover Has Gone
4. 953 'Round About Midnight
5. 954 Dig




日本風焼き蕎麦ともいえず、さりとて本場インドネシアのバミ・ゴーレンかといえばそうでもないような折衷バミ・ゴーレンを、てきぱきとスーパーで買ってきた即席バミ・ゴーレンの素ペーストを炒めた中華鉄鍋の野菜に放り込んで麺と混ぜ合わせ別鍋で焼いておいた七面鳥の我が家特製のタレが香ばしい一口の焼き鳥となったものを加える。

それに南方の熱風を持ち込む唐辛子のペースト、サンバルをからませキャベツの甘酢漬物アジャーを添えればなんとか形にはなる。
2007/10/27のBlog


Rahsaan Roland Kirk

I Talk With the Spirits

VERVE 558 076-2

1964



家にいる時間が多くなってから家事をすることが多くなり、定期的にトイレや浴場の掃除をする。 こういうときには今までCDウォークマンをポケットに何かを聞きながら何十分かをやり過ごしていたのだが、ついに何台目かのウォークマンが壊れて店頭から新製品が消えたこともありi-Podを買って面倒ながらCDを40枚ほど”同調”させて聞いている。

シャッフルさせてブラインドフォールドテストみたいなことをするのだが自分で選んだものだからすぐ分かるから誰がやっているのかを当てる遊びではつまらないのだがそれでも数百曲ある中から組み合わせの面白いものが出てくることがある。

体を動かしながら聴くのだから聴き込むものは避けようと選んだアルバムがこれだった。ジャズの世界でポップな演奏でありながらガリッとするところもあり、入るヴォーカルもミンガスに似たような、合いの手も重みと軽味がまざり体を折り曲げて家事をするのに合っているようだ。

この人の特徴は全ての音を捉えて反応しようというするどい盲人の感覚をもつジャズマンでありその過剰が時としてジャズのショーマンと誤解された時代もあったのだが今となっては正統なバップとそれ以後を継ぐ時代のジャズである。 典型的なのはカズーやいろいろなおもちゃの笛をマルチリードの延長にあるものとして用い、急に救急車の響きや警官の警笛のようなものが登場することでも特徴付けられる。 これは60年代にはこの人だけではなく例えばミンガスバンドや他でも聴かれたことでもあるがここでは最初の「はと時計のセレナーデ」でそれが始まる。 60年代フォークソングブームが起こったときにはやった「ワシントン広場の世はふけて」に似た旋律で導入されていくのだが、考えてみれば録音当時に流行っていたものだし高校当時、女子高生たちとフォークダンスで繋いだ手の周りに流れていた曲であり、自分が稚拙なギターコードを覚えようと指先にまめを作っていた頃のジャズだと思うと感慨深い。

それに次の「We'll be together/People」のメドレーにしても後年B.Evansを聴いていたころを思い出すし、Peopleのバーバラ・ストライサンドの歌唱とも重なって、その語りともハミングとも言えるCrystal-Joy Albertとカークのフルートとの組み合わせがほほえましくもユーモアがあり思索を滑らかに動かせていく。。

このアルバムの表題曲はガメランの金属ドラムの響きで始まりセクションの終わりには再度登場して間に緩やかなフルートのメロディーが挿入、緩く激しく瞑想風のアドリブが続くということになるのだが、それも様々な想い、幻想、亡霊などの精との対話ということとなり、その次の懐かしいオルゴールの音がはじき出す「Ruind Castle(荒城の月)」とともに自分には中学校当時のブラスバンドで選んだクラリネットを歯並びを調べられすぐにチューバに換えられたことが思い出されてくる。

ジョン・ルイスで70年ごろに聴いた「ジャンゴ」に続く歌詞の味わい深い「マイシップ」で様々な精との対話が出来、それに寄り添うカークの演奏はこのアルバムの前に録られた「Domino]とともに私の好むアルバムなだ。 

そういえば、数年前オランダ北部の小さな村で2時間ほどの演奏のためにシカゴから飛んできたKen Vandemarkが幾つかカークのものを演奏したのでその後、小さなチャペル前のこんもりした可愛い墓石がならぶところで立ち話をしていてどうしてカークなのか問うと、どうしてかなあ、いま、あちこちでやってるからこの墓石の霊のように立ち返ってくるのかもしれない、と言っていたのを思い出す。
2007/10/26のBlog
[ 20:52 ] [ 日常 ]



毎週スーパーで買い物をするショッピングセンターの外れに鶏屋がある。 今ではそれを「だった」、といわねばならない。 今日、そこを通るときにきれいな色のアルミニューム状のフィルムがガラスのドアの内側に貼られているのを見た。

牡蠣の殻の内側、セロファンの光沢、70年代のファッションレーンコートで使われているような輝きかただ。 ひょっとしてそういう色模様の紙を張ってあるのかと少し近寄ってみると光沢が場所によって変わるのでそれは普通のアルミ・フィルムだと分かる。

ここには少なくともこの15年以上鶏屋があって鶏、七面鳥、兎に雉、鶉、フォアグラ、加工品などを置いて、店の前にはオーブンを出して鶏を丸ごとグリルしながらいい匂いを周囲に巻き広げ通る人々の空腹をかきたてるようなところだ。 土曜の青空マーケットではさまざまな匂いが混じる場なのだが70年代の新興住宅地の中にあるショッピングセンターでは匂いが流れてくるのはせいぜいパン屋かこの鶏屋ぐらいなものだろう。

私の記憶ではこの12,3年は同じ経営者で、いつ行っても面白くなさそうな顔で鶏肉を切り分けて言わせるままに秤に肉を載せて対応するだけの男で忙しいこともないから一人だけでぼそぼそと店番をしていた。 あるときに店の改装をそろそろしなければならない、と言っていたのだが、そのあとすぐにヨーロッパにトリインフルエンザが猛威を振るい国中の鶏屋から肉が消えたことがあった。 それが一度だけではなかった。 殆ど何もない店に入っていくと、七面鳥だけがあってフランスの七面鳥は大丈夫だからこれだけだ、といわれ、また、あるときにはその七面鳥だけがが駆除されて入ってこない、というようなこともあった。

結局、ちょっと早いのだが、これを期に引退して定年生活に入ることにして店を閉めたのだが、そこには続けて若い鶏屋が来る、といっていた通り、それから半年ほどして2年ほど前に2mをはるかに超す30代なかごろの男がここに前とほぼ同じような店構えで鶏肉屋を開いたのだが、どうも客が定着しない。 店の内容も少々投げやりなところが見えなくも無くいつも手持ち無沙汰で、私が数軒先の魚屋でビールを飲みながら魚の揚げ物で昼食を立ち食いしているとその店に入ってきて魚屋夫婦と立ち話をしていることがしばしばあった。

そのあとしばらく閉店と張り紙が出て、このアルミのフィルムだ。 開店のときからの投資額も回収していないのにもかかわらずもうこのまま続けていっても見通しがたたないと見切りをつけてしまったのだ。 

この店の筋向いには八百屋がある。 そこは新鮮で質の高い野菜、果物をおいているのだが私が買い物をするときには時間に追われて大抵の野菜はごっそりスーパーで買ってしまうから、客の数も少なく、運命は鶏肉屋と大差はないのだが、しかし、ここでは50代なかばの主人夫婦とその若い息子が当分の間は店を切り盛りするだろう。質のいいこの店にはいつも客は見えて私も量はすくないものの、スーパーに無いような果物や野菜を買う。 

スーパー間の競争が熾烈で国境を越えた資本の買収、経営統合がしきりにニュースで聞かれ、その陰で家族経営の商店が消えていく。 この影響で鶏肉屋が消えたとは言わないが、それでもこの10年ほどで住宅街にある小さな八百屋、パン屋がうちの廻りからいくつか消えた。 その殆どが定年を期に、後継者がないことが理由だったように記憶しているが、たとえ後継者があってもなかなかつづけるのは楽ではないようだ。