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2007/10/28のBlog



日本風焼き蕎麦ともいえず、さりとて本場インドネシアのバミ・ゴーレンかといえばそうでもないような折衷バミ・ゴーレンを、てきぱきとスーパーで買ってきた即席バミ・ゴーレンの素ペーストを炒めた中華鉄鍋の野菜に放り込んで麺と混ぜ合わせ別鍋で焼いておいた七面鳥の我が家特製のタレが香ばしい一口の焼き鳥となったものを加える。

それに南方の熱風を持ち込む唐辛子のペースト、サンバルをからませキャベツの甘酢漬物アジャーを添えればなんとか形にはなる。
2007/10/27のBlog


Rahsaan Roland Kirk

I Talk With the Spirits

VERVE 558 076-2

1964



家にいる時間が多くなってから家事をすることが多くなり、定期的にトイレや浴場の掃除をする。 こういうときには今までCDウォークマンをポケットに何かを聞きながら何十分かをやり過ごしていたのだが、ついに何台目かのウォークマンが壊れて店頭から新製品が消えたこともありi-Podを買って面倒ながらCDを40枚ほど”同調”させて聞いている。

シャッフルさせてブラインドフォールドテストみたいなことをするのだが自分で選んだものだからすぐ分かるから誰がやっているのかを当てる遊びではつまらないのだがそれでも数百曲ある中から組み合わせの面白いものが出てくることがある。

体を動かしながら聴くのだから聴き込むものは避けようと選んだアルバムがこれだった。ジャズの世界でポップな演奏でありながらガリッとするところもあり、入るヴォーカルもミンガスに似たような、合いの手も重みと軽味がまざり体を折り曲げて家事をするのに合っているようだ。

この人の特徴は全ての音を捉えて反応しようというするどい盲人の感覚をもつジャズマンでありその過剰が時としてジャズのショーマンと誤解された時代もあったのだが今となっては正統なバップとそれ以後を継ぐ時代のジャズである。 典型的なのはカズーやいろいろなおもちゃの笛をマルチリードの延長にあるものとして用い、急に救急車の響きや警官の警笛のようなものが登場することでも特徴付けられる。 これは60年代にはこの人だけではなく例えばミンガスバンドや他でも聴かれたことでもあるがここでは最初の「はと時計のセレナーデ」でそれが始まる。 60年代フォークソングブームが起こったときにはやった「ワシントン広場の世はふけて」に似た旋律で導入されていくのだが、考えてみれば録音当時に流行っていたものだし高校当時、女子高生たちとフォークダンスで繋いだ手の周りに流れていた曲であり、自分が稚拙なギターコードを覚えようと指先にまめを作っていた頃のジャズだと思うと感慨深い。

それに次の「We'll be together/People」のメドレーにしても後年B.Evansを聴いていたころを思い出すし、Peopleのバーバラ・ストライサンドの歌唱とも重なって、その語りともハミングとも言えるCrystal-Joy Albertとカークのフルートとの組み合わせがほほえましくもユーモアがあり思索を滑らかに動かせていく。。

このアルバムの表題曲はガメランの金属ドラムの響きで始まりセクションの終わりには再度登場して間に緩やかなフルートのメロディーが挿入、緩く激しく瞑想風のアドリブが続くということになるのだが、それも様々な想い、幻想、亡霊などの精との対話ということとなり、その次の懐かしいオルゴールの音がはじき出す「Ruind Castle(荒城の月)」とともに自分には中学校当時のブラスバンドで選んだクラリネットを歯並びを調べられすぐにチューバに換えられたことが思い出されてくる。

ジョン・ルイスで70年ごろに聴いた「ジャンゴ」に続く歌詞の味わい深い「マイシップ」で様々な精との対話が出来、それに寄り添うカークの演奏はこのアルバムの前に録られた「Domino]とともに私の好むアルバムなだ。 

そういえば、数年前オランダ北部の小さな村で2時間ほどの演奏のためにシカゴから飛んできたKen Vandemarkが幾つかカークのものを演奏したのでその後、小さなチャペル前のこんもりした可愛い墓石がならぶところで立ち話をしていてどうしてカークなのか問うと、どうしてかなあ、いま、あちこちでやってるからこの墓石の霊のように立ち返ってくるのかもしれない、と言っていたのを思い出す。
2007/10/26のBlog
[ 20:52 ] [ 日常 ]



毎週スーパーで買い物をするショッピングセンターの外れに鶏屋がある。 今ではそれを「だった」、といわねばならない。 今日、そこを通るときにきれいな色のアルミニューム状のフィルムがガラスのドアの内側に貼られているのを見た。

牡蠣の殻の内側、セロファンの光沢、70年代のファッションレーンコートで使われているような輝きかただ。 ひょっとしてそういう色模様の紙を張ってあるのかと少し近寄ってみると光沢が場所によって変わるのでそれは普通のアルミ・フィルムだと分かる。

ここには少なくともこの15年以上鶏屋があって鶏、七面鳥、兎に雉、鶉、フォアグラ、加工品などを置いて、店の前にはオーブンを出して鶏を丸ごとグリルしながらいい匂いを周囲に巻き広げ通る人々の空腹をかきたてるようなところだ。 土曜の青空マーケットではさまざまな匂いが混じる場なのだが70年代の新興住宅地の中にあるショッピングセンターでは匂いが流れてくるのはせいぜいパン屋かこの鶏屋ぐらいなものだろう。

私の記憶ではこの12,3年は同じ経営者で、いつ行っても面白くなさそうな顔で鶏肉を切り分けて言わせるままに秤に肉を載せて対応するだけの男で忙しいこともないから一人だけでぼそぼそと店番をしていた。 あるときに店の改装をそろそろしなければならない、と言っていたのだが、そのあとすぐにヨーロッパにトリインフルエンザが猛威を振るい国中の鶏屋から肉が消えたことがあった。 それが一度だけではなかった。 殆ど何もない店に入っていくと、七面鳥だけがあってフランスの七面鳥は大丈夫だからこれだけだ、といわれ、また、あるときにはその七面鳥だけがが駆除されて入ってこない、というようなこともあった。

結局、ちょっと早いのだが、これを期に引退して定年生活に入ることにして店を閉めたのだが、そこには続けて若い鶏屋が来る、といっていた通り、それから半年ほどして2年ほど前に2mをはるかに超す30代なかごろの男がここに前とほぼ同じような店構えで鶏肉屋を開いたのだが、どうも客が定着しない。 店の内容も少々投げやりなところが見えなくも無くいつも手持ち無沙汰で、私が数軒先の魚屋でビールを飲みながら魚の揚げ物で昼食を立ち食いしているとその店に入ってきて魚屋夫婦と立ち話をしていることがしばしばあった。

そのあとしばらく閉店と張り紙が出て、このアルミのフィルムだ。 開店のときからの投資額も回収していないのにもかかわらずもうこのまま続けていっても見通しがたたないと見切りをつけてしまったのだ。 

この店の筋向いには八百屋がある。 そこは新鮮で質の高い野菜、果物をおいているのだが私が買い物をするときには時間に追われて大抵の野菜はごっそりスーパーで買ってしまうから、客の数も少なく、運命は鶏肉屋と大差はないのだが、しかし、ここでは50代なかばの主人夫婦とその若い息子が当分の間は店を切り盛りするだろう。質のいいこの店にはいつも客は見えて私も量はすくないものの、スーパーに無いような果物や野菜を買う。 

スーパー間の競争が熾烈で国境を越えた資本の買収、経営統合がしきりにニュースで聞かれ、その陰で家族経営の商店が消えていく。 この影響で鶏肉屋が消えたとは言わないが、それでもこの10年ほどで住宅街にある小さな八百屋、パン屋がうちの廻りからいくつか消えた。 その殆どが定年を期に、後継者がないことが理由だったように記憶しているが、たとえ後継者があってもなかなかつづけるのは楽ではないようだ。
2007/10/25のBlog



21グラム

2003年

21 GRAMS

124分


監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ


出演: ショーン・ペン ポール
ナオミ・ワッツ クリスティーナ
ベニチオ・デル・トロ ジャック
シャルロット・ゲンズブール
メリッサ・レオ
クレア・デュヴァル
ダニー・ヒューストン
ポール・カルデロン
デニス・オヘア
エディ・マーサン
アニー・コーレイ
トム・アーウィン
キャサリン・デント
ケヴィン・H・チャップマン

 人は死んだ時、21グラムだけ軽くなるという。そんな“魂の重さ”をモチーフに、「アモーレス・ペロス」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、ひとつの心臓を巡って交錯する3人の男女の運命を描いた衝撃の人間ドラマ。「ミスティック・リバー」のショーン・ペン、「トラフィック」のベニチオ・デル・トロ、「マルホランド・ドライブ」のナオミ・ワッツがリアリティ溢れる迫真の演技を展開。
 余命一ヶ月と宣告され、心臓移植を待ちわびる大学教授のポール。それを知った妻は、彼が死ぬ前に子供が欲しいと申し出てくる。昔はヤクザな生活をしていた前科者のジャック。今は改心し信仰に篤く、クジで当たったトラックも神からの授かり物と信じ、貧しくも懸命に働きながら妻と2人の娘を養っている。かつてドラッグに溺れていたクリスティーナ。今ではその依存も絶ち、優しい夫と2人の娘と共に幸せに暮らしていた。そんな出会うはずのない3人の運命が、ある事故をきっかけに交わり、思いもよらぬ結末へと導かれていくのだった…。

以上が映画データーベースの記載である。

今日、ブコウスキーの伝記・ドキュメンタリー映画を見ていてその中に生前から親しくしていた人々の中に俳優、監督、マドンナの前夫、ショーン・ペンが出ており、イーストウッドの「ミスティックリバー」の好演とは角度の違った、世間の印象とは違った味のある大学教授役を本作で好演するのを再び見た。

過去のある、今は裕福な夫と子供達もある中産階級の夫人が再び違った動機、形で苦悩するところにペンの屈託と交差する話がよくできたものだし、これも過去のある荒くれ男が宗教で過去の過ちを改め地域の人にも福音を、と家族に支えられ就職機会に乏しいものの更生し、説教師、牧師の偽善に触れながらも自分の誕生日の事故である。

造りがモザイク様で前後し最後まできめ細かく観察して話が整う結構になっているのは緊張感を持続することに貢献すると供に我々を映像の世界に釘付けにして謎解きの細紐をみつけようとする知力に刺激を与え、ばらばらの三つの生を絡めて、終結させるときにはモザイクの生の意味を我々につきつけ、鑑賞後は本作を脳の一部に納め我々を日常に送り返すこととなる。 

私事、義母の心臓手術の可能性を待つものにはこの話は心臓と心に痛いものである。


ブコウスキー: オールドパンク

2002年

BUKOWSKI: BORN INTO THIS

113分

ドキュメンタリー/伝記



憎みきれない ろくでなし

監督: ジョン・ダラガン

出演: チャールズ・ブコウスキー
リンダ・リー・ブコウスキー
トム・ウェイツ
ボノ
ショーン・ペン
ハリー・ディーン・スタントン


同時代のビート作家たちとは一線を画し、数々の逸話に彩られたアメリカ文学界の異才・チャールズ・ブコウスキーの実像に迫るドキュメンタリー。94年にこの世を去ったブコウスキーの貴重なインタビュー映像に加え、ショーン・ペンやトム・ウェイツ、U2のボノなど、彼と親交を持ち、彼を愛した人々が登場、その魅力と素顔を語ってゆく。

上のように映画データーベースの解説に記されていたドキュメンタリーDVDである。 どこかでブコウスキーの作品の映画化、「Factotum」のことを遅まきながら見てアマゾンで検索して一緒に注文した。 郵便の合理化、私有化と競争原理が働いてポストが届くのが10年前に比べると格段に早くなっているのだがアメリカからDVDの小包が届くのが少々遅れてネットで注文したものに今までトラブルがなかったのに今回初めてクレームか、と思った日に同時に別々の送り主から届いたのがブコウスキーの映像だった。 

このドキュメンタリーで印象づけられたことがいくつかあるがその一つはこの作家の郵便局務めの18年間である。 50年代のはじめの2年間の重い袋を提げての配達人時代、その後、依頼退職をしてから再就職し、ブラックスパロウ出版社のオーナーから一ヶ月100ドルの給料をもらい作家に専念するまで16年間郵便物の振り分けを小棚に向かって行った時代で、世間の印象とは裏腹にこの作家の経済的基盤に対するしっかりした見方と、自身がかたるよう「政府の仕事で糞仕事だけれどちゃんと定収入があって、ある程度の福祉がうけられるからね」がそれを裏付けている。

世間の印象はブコウスキーは飲んだくれのパンクである、というのだが作品中のヘンリー・チナンスキーはそうであっても作家はそうではない。 今までに写真やCDでその人となりは承知していても映像でさまざまなインタビュワーに答えながらなじみの古いフォルクスワーゲンを運転し洗濯しにコインランドリーに運ぶあたり、どうしてこんな遠くまでわざわざくるかとの70年代白黒フィルム中での問いに、安いからと他のところには胸糞の悪くなる小市民的雰囲気があってそういうとこよりここがおちつくから、というような作家のコメントがあったりする。 言葉面だけではこの作家、特別なことではない。 かれの全作品、これが満載なのだがこのドキュメントで炙られてくるのは彼の作品の言葉が自身のことばと違和感が無く少々小声のゆったりした小声とも言うべき音量で優しく語られるところがこの映画の印象づける第二点である。

この作家のことを知ったのは文学雑誌の「新潮」で作家、作品紹介があり翻訳の短編数編を読んでのことだ。 もう20年ぐらい前だったろうか。 日本語翻訳が手に入る環境に無くペーパーバックの「Factokum」に始まって
Women
Post Office
Note Of A Dirty Old Man
The Most Beutiful Woman In Town
Tales Of Rodinary Madness

と80年代には読み進めていた。 その間に青野聡訳の「ありきたりの狂気の物語」新潮文庫フ41-2にも目を通している。 しかし、この文庫の編者の写真のチョイスが藤原新也の撮った強い目を持ったわかものがアルコールか麻薬の錯乱かはたまた若い日の悲しみを持った若い女を掻き抱くポートレートで本文の内容のハードコアからは遠く、むしろこれなら戦後セーヌ川左岸の錯乱の恋や若者の生態をドキュメントしたエド・ヴァンデル エルスケンのカテゴリーにはいるものだと承知し、そのころにはチナンスキーの世界が日本語に翻訳された二、三のものには違和感を抱くようにもなっていた。 それは翻訳者の技量というより米語で読んできたブコウスキーの住む世界と日本語世界の隔たりの個人的感慨だと粗雑に結論付ける。

その頃、読み続けていたIris Murdochのものは書店のペンギンブックス、ブコウスキーのものは雑然とした英語版ペーパーバックの棚からを手にしてベッドに寝転がり読み進め、その伴にはビールやワインを口にするのが普通になっていたし、それがこの作家の狂気を矯めることでもありその世界でもあった。 90年代には上記出版社からそろった棚から詩篇をまじえたテキスト、Run With The Huntedや自叙伝、ビルドゥングス・ロマンでもあるHam On Ryeも読むようになり、その後の作品は密度の緩いものに変わった印象をもったのだがこのドキュメントでその事情が理解できた。

私はそのころはオランダ人の友人が持つベルギーの山間部にある小さな別荘で家人、小さな子供2人とともに幾夏か2週間ほどバカンスを過ごし、熱気を避けるゆったりした怠惰な時間にジャズやクラシックの音楽、酒に太い葉巻を40分燻らすのを一区切りにしてその家のベランダで読む本にはブコウスキーのものが必ず入っていた。 このベルギーにはブコウスキーに惹かれた映画作家がオランダ語で「ありきたりの、、」と「町中で一番の美女」を折衷した映画を製作していたし、「ありきたりの、、、」をフランス語で撮った作家もいた。

作品の中にはいつも安ワインとブラームスが漂っていたのだが何故ブラームスなのかがこのドキュメンタリーを見てもわからない。 古いワーゲンの窓ガラスが石つぶてか小口径の銃弾のあとにようにひび割れたフロントガラスをガールフレンドのハイヒールのかかとで割られたものだとコインランドリーに向かいながら若いガールフレンドに入揚げて町をぐるぐる廻っていたと説明するカーラジオから流れてくるものはブラームスではなかった。

実際にドキュメントで示される作家の女性たちとのやりとり、遍歴とそれが投影された作品群の女性から80年代初め頃、私が住んでいた街の市立図書館がこの作家の作品の貸し出しを凍結しそれはこの作家の女性観にたいする女性グループからの抗議の結果だったのだが、それも状況の違いを理解しない過保護で育った当時30代のオランダ女性群のヒステリーとも言われたものの、時代と場所が変わればヨーロッパで女性が政治に大きく進出しつつある時代の現象だったのだろう。 その糾弾は作家自身にも作家をめぐる女性たちには少しも届かないし、歯牙にもかけられないものであるのは、このドキュメントの中でオランダ人女性がファンレターをよこしてぜひともブコウスキーと寝たい、と迫ったというような当時のエピソードが語られていたことでも分かるということだ。 フェルディナンド・セリーヌに向かった半可通の刃の勢いが飲んだくれ親父に向かったということか。

へミングウエーからケロワック、ギンズバーグのロスト・ジェネレーションが過ぎ、遅れてラースト・ジェネレーションとこの作家にレッテルが貼られたことがあった。 けれど、明らかにロスト・ジェネレーションの作家とは一線を画しておりそれはインテリ作家たちを尻目に自分の孤独と怒りをタイプライターに向かい一週間に一度は父親のベルトの鞭を背中に浴びそれを黙認しながら介抱する母親に体現された戦前の社会から自分の居場所をタイプのキーボードを通して探し続けた作家の生き様だったのだ。 

偶然にも8月の終わりに出かけたオランダ北部の街でのジャズ・フェスティバルのおり、公園で野外芸術展が開かれており20代後半の若者達がブコウスキーの部屋、と題するインスとレーションを長方形の大型コンテナーの中に仕上げていた。 金を払ってワイヤレスヘッドフォーンを受け取ればブコウスキーの自作の詩の朗読、インタビューに答える声がながれ、そのごみごみした部屋に入り、安楽イスにすわると古いラジオからクラシックが、古い読書灯の小テーブルには脇にはマッチ、灰皿に盛り上がった吸殻、汚れたウイスキーグラスがころがり頭の上の書架にはペンギンブックスクラシックやDHローレンスにロストジェネレーションの作家のものがいくつか並んでいた。 部屋には紐が交差していて古いガラスが入ったドアを覆うようにいくつもの少々黄ばんだ下着が吊るされていて苦笑した。 

私の部屋の様でもあるがこれは作家の部屋ではない。 かといって作品中の部屋なのだろうか。 作品中のチナンスキーは本を読まなかったのではないか、書を捨てて町に出よ、といわれたことがあるのだがそれはインテリがプロパガンダとしていった事で、これが言われる前に作品の男には捨てる書など初めから持たなかったのだし関心も無い。 ただ、作家の講演や詩篇のなかにさまざまに登場する人格、ことばの礫にはそれが充分ありえたろうが当人が幼少のころからフィクションを紡ぎたいと望んでいた男のもとめた人格かどうかは私には疑問である。