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暇に任せて
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2008/08/27のBlog


夕食後、屋根裏部屋に上がってヤフーのチャットサイトでいろいろな人が歌ったり罵ったり内輪の話で盛り上がったり退屈だったりするのを聴いたり時々はキーボードから何か書き入れたりしていると家人が上がってきて風呂をたてたから入らないかという。

本来の暑い夏なら今の時期、シャワーで汗を流すだけなのだがもう何週間も秋模様で毛糸の靴下、カーデガンを羽織って家では過ごす夜では風呂はご馳走になる。

彼女が下に降りて行きがてら、庭に茂りすぎてるローズマリーとサリーでお風呂にしたからね、と言う。 え、まてよ、春に彼女が料理に使うのに幾つか買って庭に植えておいたハーブじゃないか。 これまでに何回かSalie(蘭名)サリー(英名セージ)は湯に放り込んでいたものの今度はローズマリーまでもかと服を脱いで湯に浸かりラジオを点けてBBCワールドサービスを聴いた。

ロシア大統領が今までに国連が認めていたグルジア領内の一部をグルジアからの独立地域と認めたという話をしていた。 で、この間やるき満々のフランス大統領がEU,NATOの共同責任者からか将来のエネルギー政策を見越して唾付けかその意図に興味があるものの兎に角停戦に持ち込むように話しかけ火花は鎮火したもののここに及んでそれが深く静かに陣取り合戦が進んでいたことを示していてまたもや東西冷戦第二幕目が始まる模様かと報道されている。 ヨーロッパでは危険な原子力発電に多くを頼っている現在、ここは東から西に石化天然燃料を輸送するパイプがしっかり通っている重要な地域であり、ロシアには干渉されたくないところであるから西側としては雪解け以後ロシアからエネルギーを大きく輸入していることから大きな口も叩けずこのあいだからチェコ、ポーランドに設置されるNATO軍ミサイルの矛先にいらいらするロシアのパワーゲームとしては理解できるところだ。 それにロシア軍が駐留する地域にはロシアパスポートを持つものが何割もおり今回のロシアの「平和部隊」の駐留に村人が祭りを祝う様子も報道されて生半可なことではない。 国連決議がどのように進むのかしれないがあまり期待は出来ないのではないか。 何十回と拒否権を発動している前例がどこにもあるからそこは大国どうしの綱の引き合い、線の引き合いになり小国は大国や他の連合国の犠牲になってロシアの技あり、で終結するような気がする。

ジンバブエのムガベ大統領がこの前の選挙で実質勝利したと伝えられる候補と折衝する意図があると述べたのはいままで通りだが今はそれを野党に一般の民衆がその必要なし、と反論、デモストレーションを始めているらしい。 独裁権力が権力の移譲を折衝するときには家族、一族、部下、どこかに蓄財してあった金品を第一の保護条件とするのだろうが本来国の長が守るべき国民を守れず自分が種を撒いた貧困によりなだれをうって周りの国へ人々が逃散する現在、これはついに実質権力の秤の腕が反対側に振れたようだと感じる。近頃は政府の要請があれば独裁者の築財金品もヨーロッパの金融立国から戻されるらしいからいくばくかの年金をもってムガベは政治的には死に体ながらあと長くて10年ぐらいの生物的余命を何処かの国で暮らすのだろうか。 しかし、これまで独裁者と外国からはいわれながらも自国民から大半の得票数を「民主的」と自分で言ういう選挙で勝ち取ってきた今は老人を新しい政府立法府はこの男の不正の数々を立件、断罪してどこかの島の監獄で余生を過ごさせるのだろうか。 


湯がぬるくなってきたので上がりその湯をみると自分はスープの中に浸かっていたのだという気がした。 

明日はバルカン諸国の一つクロアチアのバカンスから帰ってくる娘のために何か料理しろという家人に、それでは何人も来てもいいように厚鍋でカレーでも煮込もうと言ったから、その煮込みに使うハーブに触発されて自分もそのハーブが入ったブイヨンスープの中に浸りたいと思ったからなのかどうかそれは分らないもののもしそれならまだあと何種類か庭のものが要るのにとバスタオルで体を拭った。

ビールを片手にテレビの前に座るとコロラド・デンバーで開かれたアメリカ民主党の大統領・副大統領候補の旗揚げ大会の模様を見ていてふと日本の農水大臣たちの貧乏臭くけち臭い不当使用の金銭問題ニュースと比べてみようという気になったがこれはまったく話にもならない。 ここ何代か歴代農水大臣の政治家とは思えない阿呆でナイーブな発言とあくまで全てはショーに用いる国とは残念ながら桁が違うし同じく金と権力のためにはなんでもする国のオリンピックを観た後では金と権力行使の点でもベクトルは違うが日本は三流国だとの感慨をもつ。自分の国の政治家に舌打ち、ウンザリするのは楽しいことではないしブラックユーモアにもならない。

民主党大会会場付近でだれを狙うのか3人の白人男性が逮捕されたということもニュースで出ていた。 作家のドリス・レッシングがもう半年以上前に言っていたことが思い出される。 自分はクリントンは好みではないけれどクリントンに投票するだろう。 保守的なアメリカはオバマを受け入れず大統領になったとしても今までと同じように暗殺されるのだからということを聞いたときに私もそう思っていたしそれを家人に言うと一笑に付されてもいたから当ったといえども喜ぶことでもなく何とも大変な民主主義だとため息をついたことを覚えている。 そして案の定ライフルに弾丸、700m先が狙えるという。 ナチの指輪をしていたらしくある極右のスタイルではあるがそれを立件できないのではと観測されている。 歴史は繰り返されるのかどうか興味のあるところだ。

一方身近なニュースはと地元のローカルテレビ局のニュースをみていると家の近くに大きなロータリーが出来て街を取り囲む環状道路ができてその結果どうなるかというような興味ある話がでていた。 市議会の公共運輸担当がいつもの通り玉虫色の答えを出していずこも同じ経済効果優先とほざく。 これが通ればうちの前にある芝生の広場と運河沿いにある25mを越す並木が切り倒され排気ガスでおちおち窓も開けられないようなことになりかねない。 明日の夜はそのための第二回説明会が近くであるのでそのプランの行方を見ることにする。 第一回の様子を書いたのはいつのことだったのか、1年かそれぐらい前だったのではないか。 その当時から避けられないとは感じていたもののそれがどのように推移するか見なければこれから10年ぐらいの我が家のプランに抵触する。

調べたら去年の四月の初めだった
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/46566058.html

ローズマリーの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC
セージの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8
2008/08/26のBlog


日曜午後2時起床、 シャワーを浴びて外を眺めていると家人が妹の次男が13か14の誕生日だから家族のホームパーティーにもう出かけないと、と言いながら私を急かす。 朝3時ごろに何かを腹に入れビールを飲んでから11時間ほど何も口にしていないまま車を20分ほど運転して義弟の家に着くと姑女と義妹、義弟の友人夫婦がいてすぐさまコーヒーにケーキのお決まりの誕生日のスターターだ。 ここではハムエッグにビールを所望することは礼に反すると言わねばならぬ、とりわけ姑女のいるところでは。

その二日ほど前に姑夫婦の住む家の窓から50mも離れていない1936年製のほぼ歴史的建造物に指定されてもいいほどの橋が馬鹿なトラックドライバーのために橋梁を壊されて修理の仕様も無いと地方テレビ局で観たことを話し、あんな事故になるのだったらさぞかし家でも聞こえたのだろうと話を始めたら80を少し過ぎた姑女はここぞとばかりその後の情報をその場の皆に語り始め、余命いくばくもない我が身のことを暫し忘れて他人の不幸は蜜の味、のひと時を消費する。

年寄り達の話に興味がないものの誕生日の贈り物に惹かれて自室のコンピューターゲームを一通り済ませたこの日の主人公が居間で家人からマシュマロと現金を受け取っている耳に今のところプレゼントの中で何が一番嬉しかったのか問うと両親から貰ったエレキギターとアンプだという。 そういえばこの2年ほどクラシックギターの教師のところに通っていたのだがこれを機に新しくエレキギターの教師に付くことになっているのだという。 彼の姉が既に結婚し子供も二人おり、兄は陸軍のキャリアの後、消防署員となってこの日ポルダーの水路に落ちた乳牛を救助したのだということも話しているのを聴いていると私のもう一人の義妹が私の横に座りその朝ゼーランド州の海底9mのところで撮ったばかりの海馬(たつのおとしご)の写真を鼻の先に突きつけ我々のヴァカンスはどうだったのかと訊ねるので彼女夫婦が8年ほど前に訪れたスイス国境に近いフランスアルザスにある高名な建築家ル・コルビュジェ設計になるロンシャンの礼拝堂にその付近を走っていたときに訪ねた折の写真を見せたらそこに家人が割り込んで姉妹のお喋りとなったので居間を離れた。

キッチンで男たちとビールを飲んでいるこの日の主人公の父親のところでドイツビールを飲んでいたら自分の誕生年と同じ1956年製のオペル・Opel Kapitänを手に入れたとそのオリジナルカタログとミニチュアを見せてその家の主が言う。 10年ほど前にフォード・ムスタング66年製コンバーチブルを2年ほど乗り回してどうしたのか売り払っていたものがそれから10年ほどして前の車から時代を後戻する道楽だ。 オートバイではヨーロッパ第一と自認するドイツ製マシンの販売店を経営する2mを越す男だから排気量2500cc、総重量1250kgの修理は仕事の後のホビーとするのだろう。 私や隣人のプジョー407や207と同じ重量にのせた52年前に製造された2.5Lエンジンが最高時速140kmで走らせるのに同乗するのはいつのことだろうか。

家人にそのとき隣人の誕生日パーティーのため家に戻るといわれそれぞれに挨拶をしていると雷が鳴り大雨が降り始めた。

帰路の20分のうちに雨は止み家について見ると路面は濡れた形跡がない。 歩いて数分の隣人のパーティーに行くと近所の連中とその家の子供達がいた。 そこの長男は大学をほぼ卒業する頃でもう何年も前に市のホームページの管理をアルバイトとしておりコンピューター関連に鼻が利くから卒業旅行としてシベリア鉄道でロシアを渡りバイカル湖、ウラジオストク、モンゴル、中国、香港、バンコクを旅行してそれが2,3週間前にその数週間のスケジュールを終えるまでそのつど旅行記を現地から写真を加えて我々に送っていた。 その話にまたラップトップを操作しながら面白い話をいろいろ聞かせてくれた。

その家の主人がこの日の誕生パーティーの主人公で10月に3週間夫婦で思い立ってアマゾンの密林を歩くのだと言っていた。 物好きなというと、誰かとの話の行きがかり上そうなったのだという。 そして、何ヶ月かまえ、日本の造園の教授というひとの日本の庭園についての講演に行って、かねがね考えていた石組みのことを図を示して訪ねてみたらまるで駄目だと大上段に批判されて紙の上にその教授のスケッチをもらい、その通り作ってみたから見て欲しいというので庭に出た。 植物も水も使わず石だけでイメージするのが目的だというので、「枯山水」だろうというと、さあ、その先生はなんと言ったか覚えていないという。 その先生の英語が貧弱でかなり理解できない部分が多かったもののその批判の部分はあきれるほどはっきりしていたと笑う。

庭の隅の一角に白や灰色の石を両手でかかえればその中に入るほどの小さいままごとのような一角が見え、その珍気さに大笑いした。 本人もこれではだめだなあ、といいながらまあ、そのままにしておくさと苦笑いしながら私達の空のワイングラスをもってそれに新しい壜から白ワインを注ぐために家の中に入っていった。
2008/08/25のBlog
[ 16:43 ] [ ジャズ ]


古レコード屋で見つけたもの3枚

1) Music Harimax LSP9803141 1967

Wim Overgaauw
Rogier van Otterloo
Laurence van Rooyen
Louis van Dijk
Bobby Hacket
Tijs van Leer
Percy Faith
Caravelli
Jan Akkerman

2) At The Alhambra Funckler MGAR 9213
Ahmad Jamal Trio recorded in 1961

3) In The Wee Small Hours Capitol H1 581
Frank Sinatra

1)は現代オランダジャズの基礎を作り殆どが物故しているものの今も活躍するジャズメンも2,3人含む40年前のオランダジャズの当時を紹介した30cmLPだ。 殊に現在世界最良水準オランダジャズ・ギター奏者たちをコンセルバトワールで指導し彼の愛用のギターが今も弟子達に愛用されている Wim Overgaaw、メトロポール・オーケストラの編曲・指揮を司った故Rogier van Otterloo、今もポップ、フュージョンと活躍するギターのJan Akkermanを含むLPはオランダジャズというミクロの世界では貴重なものだ。

2)他のものは何枚かLPやCDであるのだがこれはなかったので少々のスクラッチがあってもと求めたオリジナルはArgoレーベルのオランダエディションだ。

3)LPでもCDでもキャピトル版を持っておりシナトラのもののなかでもこれが愛聴版であるから手が伸びた。 これが10インチ版でなければいくら安価であっても求めなかっただろう。 2枚で後のLPやCD1枚分となるもののPart 1であり、8曲しか納められていなくとも10インチ版というのが10ユーロ紙幣を財布から出す力になったのだろう。

結局 3枚で11ユーロ払った。
2008/08/24のBlog


土曜のマーケットに寝不足気味の頭ででかけ午前中に家人があらかた夕食の材料を買っていたので何もすることもなくブラブラしていた。

白身魚の揚げ物を歩きながら平らげ口の脂を濯ごうと入り口付近に座って日光浴を楽しんでいる年寄り達の間をぬってカフェーのカウンターで冷たいビールを頼んでテレビを眺めると相変わらずオランダ金メダルの瞬間をいくつも映していた。

その後、八百屋の屋台をいつものように眺めながら歩いているのだが買い物がないから野菜や果物などには目は行かず様々な人たちが行き交うその様子の方にもっと眼が行きがちだ。 レタスが一つ、切り売りのスイカ、苺一箱の入ったビニールの袋をぶら下げぶらぶら運河にかかった小さな橋を渡っているとチーチーと鳴き声が水面から聞こえそこにはまだ幼鳥と思われるカイツブリ(Fuut)の雄と雌が浮かんでいた。 喧しく鳴き交わすのだから動きがあるのかと見ていても付かず離れずの距離をおいて毛繕いをのんびりしているだけで興奮しているのでも何かを警戒している風でもない。 これがツガイかどうか確かではないが、母親と息子でないことは確かだ。 鳴き方からすると幼い高校生のカップル、とでもいうものかもしれない。

そのうち橋のたもとに昔からのStroopwafelを売る屋台が見え、久しぶりに甘いものが食べたいと焼きたてのストロープ・ワーフルを一枚作ってもらい温かいものを屋台の脇で喰った。 ストロープというのはオランダ語の蜜という意味でパンケーキには欠かせないものだ。 パンケーキには普通半液体のカラメルのストロープがつかわれる。 カナダのメープルシロップのようなものだと考えて差支えがない。 多分、ここでは蜂蜜がシロップにくわえられているのだろう。 冷たく硬い市販のストロープ・ワーフルは私はあまり食べないが家人は昔からスーパーで売られているものをコーヒーのお茶請けとして暫く熱いコーヒーの入ったマグカップの上にかぶせて湯気で柔らかくなったものを食べている。

この屋台では小麦粉にバター、卵を混ぜたものをピンポンボールぐらいの玉にしてそれを電気で熱した二枚の鉄板で1分ほど挟み狐色の柔らかく熱い円盤ビスケットができたものをナイフで薄い円盤を2枚にしてその内部にこのストロープ、蜜を塗り、もう半分で蜜をサンドイッチにして紙に包んで売るというそれだけの小商いだ。 熱くて柔らかくバターの香りと蜜の甘さが、硬くなる5分以内にはなかなかいける。 

喰い終えた後もそのままダラダラとそこに立って行き交う人々を見ていた。 1枚1ユーロの小商いなのだがバターと甘い香りで多くの人をひきつけている。 とりわけ子供に少女たち、若い女性が多い。 老人達となれば男女の違いはないようだ。 オランダの伝統的なお菓子だといえるが暖かくて柔らかいものに限る。

最近はもう作らなくなったが姑夫婦は何年か前まで1年に2,3回は自宅でこれを作っていた。 自分達のお茶請けはもちろん、来客用、こども、孫たちのため、と半日がかりで100枚以上つくり冷凍庫に保存しておく。 解凍しても蜜やワッフルの柔らかさは戻ってとりわけアーモンドの練り物を混ぜた蜜が皆に喜ばれ今はそれを恋しがる。

夏の今頃はあちこちから観光客が興味本位で買い求めて頬張るのが見受けられる。 アメリカの高校生かと見られる3人組が買って喰いながら向こうに消えたと思えば20分ぐらいしてからあとの仲間なのか3人ほどを連れてもどって新しい3人も主人に作ってもらっている。 中国人らしいグループもロシア人らしいカップルも英語でやり取りするのだがドイツ人だけはドイツ語で買い物をするのは普通のことだ。 

目の前で小さなスピッツの耳に触る鳴き声が聞こえるのだが姿は見えない。 年寄りの男が赤い子供用玩具の乳母車ほどのものに子犬を入れて押しているのだ。 道行く人はそれをみて妙におかしいその姿に笑い声をあげるし、その横では家庭の主婦2人が癌撲滅の街灯募金のボックスをもって道いく人に募金するのだがなかなか財布の口はあかないようだ。 

客が途切れたときに店の主人とおしゃべりをしたのだが土曜のこの市が一番賑やかで面白いという。 この町の別々の地区にある広場に市が立つときにも三箇所、他のまちでも二箇所、一週間に6日働くのだというが一日で200枚ほどなのだろうがそれでやっていけるのだろうか。 小商いであるのだが商品の種類が極めて少なくプロセスも簡単でゆったりとした商売ではある。

そこから30mほど歩いたところにある古レコード、CD屋の前に停めてある自転車の手前でこの2年ほど見かけるロシア人の街頭芸人、アコーデオン奏者がバッハをかなり早いスピードで弾いていた。
2008/08/23のBlog


夜中の2時、3時に腹が空いて何か喰おうと台所を徘徊するのだが育ち盛りの子供達も10時や11時ごろには勝手にいろいろそのあたりを漁り、夕食の残り物と冷蔵庫の隅にあったあれを組み合わせて電子レンジに3分ほど放り込んでおけばワインやビールと組み合わせテレビの前に座って世界のあちこちで起こっていることをいろんな国のテレビを見ながらもぐもぐ咀嚼すれば翌日、南中時間を過ぎた頃のブランチまではエネルギーの補給ができると計算してこの地域にハイエナに化身して来たのだがそれも地球外生物がUFOに乗ってきて地球の食物研究のサンプルとして跡形もなく持ち帰りあまつさえそれを研究のためとして消費したあとなのを残骸にたたずみ、それならそれでもっと裕福な食生活を送っている隣人家族があるのだから何故そこにいかなかったのかと歯噛みし、地球外生物でなければお前かと飼い猫を見れば別段興味もなさそうに隅の自分の寝床で川の魚を追いかける夢でも見ているのか頭の周りに絡めた脚を細かく動かせている。 これは自分に先立つこと数時間前自分の撒いた種から繁殖した若いゴキブリたちが素早く攫ったものに違いなくそれを舌打ちしながら仕方なく、例え新鮮であっても果物に手が行かないのは野菜や果物が健康にいいと脳では知覚するものの、自分を徘徊させるものは健康な脳が欲しているのではなく、貪欲な胃が映画エイリアンの中で羽化し怪体なものからぬるぬるする頭を徐々に冷蔵庫の中に伸ばし貪っていたそのエイリアンに間違いないのだ。

このエイリアンはターミネーターと結託していくら掃討しようとしても庭の雑草のごとく「I'll be back」と蘇る。 そしてここで雑草の如く、というのは強く逞しくということの喩えだが果たしてこの場合の喩えは小さな脳の私の中に巣く知性にではなく胃から這い登るエイリアンやターミネーターに対してのエールなのだろう。

先日、ミクシの「世の中これでいいのか」というような、いろいろなことに対して大概は憤慨したり批判、同調するグループの書き込みでYouTubeか何かそんなところに現れたヴィデオ映像を載せて、アメリカの屠殺業者の牛に対する仕打ちを見せていた。 その人の意見はこんなものをみてからはどうして人間は肉を食うことができるのか、というナイーブな(ここでは産毛のまだ残る少年少女の無垢にたいする肯定的な日本的な言葉の解釈ではなくアングロサクソン、ラテン系のなかで普通に使われる意味の、世間知らずの大多数の若者、大人になれない、成りたくない阿呆といういみで使うのだが)ほぼ宗教の域に達するベジタリアン教ともいうべき十字軍の進撃の書き込みだった。 ある屠殺人は旨い肉を愛しそれをもたらす良質の牛を愛し、それを仕事に誇りをもつ。 ただ、私のみたそのYouTubeの映像は残酷だ。 70年代初頭、イタリア映画、世界残酷物語というようなもので、人間を含む生き物のなかでの殺戮の模様を編集したものでその残酷さが娯楽にもなるような映画であったから話題を呼んだというようなものだったのだが、そのハイライトは中東かどこかで儀式のために首を一刀両断し、がばがば血をはきながら数秒で崩れ落ちる牛の映像だった。 牛は苦痛を感じる暇もなく絶命する。

その後は各国で様々なこういう映像を隠すような傾向にある。 こういうことは映像として現れないから存在しないとはいえない。 大抵はこういう屠殺は原始的であるともいわれ我々はもう原始時代に生きていないから「人間の進歩」に「遅れた」ものと喧伝される。 はたしてそうか。

エロ・グロ・ナンセンス時代というのは享楽・堕落社会に対する後年のネーミングだ。 またそれは世界歴史のなかである文明なり社会が崩壊する前兆だとも解釈されることがある。 それではこの屠殺は何にあたるのか。

これを見て性的欲情が鼓舞される人は稀だろう。 人の食事に貢献する牛を、その肉をナンセンスだという言う人も稀だろう。 では、この映像はどうだったか。 瞬時に生命を絶つべく牛の眉間上方に打ち込む弾丸は流れ作業のあとでも効果なく、何百キロと肥え、つるされたまま咽喉を引き裂かれ血が泡となって迸り、開かれた腹の中に頭を埋めるようにして働く屠殺人の耳に聞こえる断末魔の細かな牛の引きつりとあえぎが20分ほども続くのはグロテスクである。 即死させるべく使用される屠殺銃が効果がなくともそのまま使用されるのはナンセンスかもしれない。 

それがこの映像をみた感想で、これをみてから肉をどうして食えるのかということに対する答えは、日本はどうか知らないけれど自分の住んでいる周りの肉はちゃんと動物虐待禁止法を守って提供された肉だということを漠然と知り喰っているからで、どうしてこの肉が食えるのか、に対しては、はひところ、もう30年も前から絶滅する鯨を食う、またその種を絶やすことは神への冒涜である、とか、賢いから、可愛いから動物を殺すなと主張することへのそのナイーブな考えに組しないからであると言える。

要は我々が病院のベッドでくもの巣のように機械から管を体の中に通され、肉体的でなく精神的は苦痛にあえぐのを見るとき、人の最も恐れるのはこの苦痛であるからこの苦痛を感じることもなく瞬時に苦痛を終えることが「人間的」であり動物に対しても適応されるべきだと考える。 また、古くから年寄り達が神社や寺に参拝する目的の多くがこの精神的、肉体的苦痛のない「お迎え」を望む故だし、何事もなく「ぽっくり」と逝くのを希求しているものと解している。 「精神的、肉体的苦痛」からの自由がキーワードなのだと理解して夜中にごそごそ冷たい肉と肉の繊維をほぐしたものをサラダに混ぜたものを口に含み世界中から集まった原始的な肉体的な技能を競うお祭りもその国で何万人にも精神的苦痛を与えている事実を隠蔽するためのカーテンでしかない、その精神的苦痛を報道するものたちを虐待する政府のそのお祭りに参加した日本を含む世界列強の指導者達は偽善者たちだとテレビ画面でパリを本拠とする「国境のないジャーナリスト」という組織の代表が声明文を読み上げるのを飲み喰いながら見る。

健全な精神は健全な肉体に宿る、といわれるのだが健全とは何かということを検証しなければならないのではないか。 小人閑居して不善をなす、というのもあるのだがもしそうなら「我閑居して肉を喰らい色抜きの食に耽る」のである。