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2008/09/12のBlog



このところ温度が20度にもならない初秋が始まっていたのに何のことかこの2,3日夏が戻ったような陽気になった。 湿度と温度が少し上がったようだ。 ジャケットを羽織っていたのが少々暑いようでカッターシャツだけでいい。 

けれど20度を2,3度上がっただけでそれだけで夏だと感じるのだからこのことでも今年の夏が中途半端に終わったことを示しているのだろう。

それは我々人間だけだけのことだけではなく庭の植物にもそう感じさせるものがあるのかカンパープフリ(蘭名Kamperfoelie、 和名スイカズラ属の一種、ラテン名Lonicera)が咲いた。 この花は普通夏の暑い夕べに芳香を微かに漂わせて我々を和ませてくれるのだがそれには十分な水分が要り、家ではよっぽど屡水をやらねば中途半端に枯れながら咲いてしまい匂いもあまりでないということになっていたのだが今年は夏の暑いはずの時期に一度も庭に水を撒くことの必要のない夏だったからこの貧弱な蔓にもちゃんと葉がついて咲いた。 その時期が今なのだからこの蔓もこの何日かで夏を感じて開花、匂いを振り撒こうということになったのだろう。

和名を見ようとオランダ語のウィキぺディアでKamperfoelie(カンパーフリ)を出し、それを辿って英語に対応させたらHoneysucle(ハニーサックル)と出て、へえ、これが歌に時々歌われるハニーサックルローズかと意外な気がして更に調べてみればそういう植物、花は見当たらない。 歌や映画の引用ばかりでどうもこの花を冠した女性を薔薇に譬えたもののように見える。 もし、薔薇の一種だとしてもグーグルの英語、米語のサイトに植物関係で引っかかるはずなのだがないところを見ると多分そういうことなのだろう。

今までカンパーフリとして見ていたものが、スイカズラだとかハニーサックルだとか名前だけは聞いていたものと同一植物だったとは意外なことだ。



ウィキぺディア; スイカズラ属、の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9%E5%B1%9E
2008/09/10のBlog


昨夜、子供達が帰ってくるはずが二人とも夕食には戻らず結局夫婦二人だけで夕食にしたので白米が余り、それを今夜インドネシアの焼き飯、ナシゴーレンにしてそれにタレに浸しておいた鶏肉をフライパンで焼いて食卓に登らせた。

添え物はインドネシアの甘酢の漬物、アジャーと普通のサラダ、インドネシアの唐辛子のペースト、サンバルは欠かせない。 冷えたビールが夏の最後の夕を思わせる湿度と温度にはちょうどいいようだ。
2008/09/09のBlog


図らずしも今晩はドキュメンタリーの宵となった。 なにもセットされた映画会や一つのテレビ局などのものを観たわけではない。 一日の終わりに3つ観た、ということで直にこういうことの詳細を忘れる傾向にあるから後のために記録する。

1)9・11 (2002)

水曜日に翌週放映のテレビガイドが玄関に届くと土曜から一週間の目ぼしいものに印をつけて大抵はヴィデオに撮っておくように計画するのだがこの日の宵はこの7年ほど様々に語られ、イラク中東戦争の推進要素となったNYツインタワー事件だ。 これに関しては最近は映画にもなりまたCIA陰謀説まで出るほどの盛況ぶりだが今夜初めてこれに冠するドキュメント映画を観た。 

ジャーナリズムとしては結果的にいつもとおなじく、世界の不幸はメディアの米びつ、であるのだが幸か不幸か近くの消防署で新規採用の消防士がどう訓練されていくかを撮るべく3人のカメラマン、ドキュメンタリストがそこに駐在して若い候補生に焦点を絞って撮り始める6月からこれが始まるのだがそこでは何回も彼らの訓練中に今はないツインタワーが背景に移り初めの意図が9・11では勿論なかったものが貴重な記録となったことが不思議な印象を与える。

この何週間前か70年代の「タワリングインフェルノ」や「大地震」を観たことでここでの災害の違いが明らかになる。 要はここでの消防士はなすすべもなく救助だけが使命となりひいては自分の生命の危機から脱出すべくそのプロセスを見ることが出来る。

それまでにこのタワーで恒常的に防災の訓練や点検をする様子も映されるのだが実際にこの種の災害が起こったときにはなすすべがないことが直ぐに発覚する。 火は消せない、コミュニケーションは途絶える、ロビーで指揮をとる上層部には状況は把握できないし、外部からの情報に対応する猶予もなく茫然とそれぞれがウォーキートーキーを耳に必死に最善を尽くそうという姿だ。 経験を積んだ消防士がなすすべもなくカオスの中で自分自身生き残る様子が映される。 どういうことかこの分署で出動し生存者を誘導、何階かまで上るのだが元凶は何十階という雲の上でコミュニケーションが途切れたなかではなす術もなくやがて消防士たちは自分自身たちが生き残るために撤退し生還するのだがカメラマンは指令官に沿ってカメラを回すからそこでのこの場所、この種の災害には手の打ちようもないことが明らかになるのだ。

カメラは政治的なものを出来るだけ排除して消防士の活動だけを追うのだが、この災害の中で初めの焦点を当てられていた見習い消防士は彼の同僚とともに生涯であるかないかの機会をくぐってこのように言う。 自分は人の命を奪う兵隊となるより人の命を救助する消防士の職業を選んだのだが今、この9・11を経験してから、もし国が自分に兵士となれと要求すれば躊躇なく兵士になる、と言う。 報復の観点からみれば至極当然に響くのだが何かが欠落しているようでそれが咽喉にひっかかった小骨のように気になる。

2) セルビアの神話 と題された50分ほどのドキュメントでBBC2局で放映されたものだ。 西側からみればサラエボを中心とするセルビアを拡張して民族浄化、モスリムを排除、殺戮して国際的戦争犯罪政府としてその首謀者、ラドヴァン・カラジッチ、スルプスカ共和国大統領は元ユーゴスラビア大統領ミロソビッチとならび戦争終結後、国際手配されていたものだが何年か前にミロソビッチ元大統領が捕まりハーグにある、何度かその前を通って見知った監獄に収監され国際裁判の途中で死亡した話はその収監されるときのドラマチックな光景と共にまだ記憶に新しいのだが、カラチッチに関しては今年の7月の22日だったかスイスのダボスのキャンプ場で夕食時新聞とニュースで、追跡されていた元大統領が髭に被われた見るものに感嘆の声を上げさせる風貌でついに捕まったと写っているのに驚いたものだ。 そして同じくハーグの監獄に収監されたこともそれに沿っていた。 その髭に被われた風貌はサダム・フセイン元大統領が捕らえられたときにも同様であったことをも思い出させる風でもあった。

そういうことを底辺にしてもこのドキュメントはその戦争の最中に取られたものでいかにセルビア人を中心にした国家を作り上げるか、その500年を経てもともとモスリムに奪われていた土地を取り戻すべく戦いを繰り広げるというキャンペーンに肉薄して彼の動きに沿うドキュメントである。 詩人であり心理学博士でもある当人はカメラの前で楽器を演奏し自国文化を称揚する。 それは戦争中、軍服の兵士たちが強い酒を壜からそのまま回しのみして歌う愛国歌でもあるのだがスラブ系、中東系の調べであり歌詞を理解しなければエキゾチックなものである。 小国の軍隊組織であるのだがその分だけ祖国を西欧諸国から守るという強固な意志となり若い兵士、国民の表情には明るささえ窺えるのだ。 西欧からみれば歴史の中のナチスや日本、それからサダム・フセインのイラクであるのだがここでのラドヴァン・カラジッチはカメラに向かって激昂するのでもなく淡々と英語で自国の歴史を語りロシアの詩人と一緒にサラエボを見下ろす丘の陣地から機関銃で狙撃する現場に立会い博士論文を執筆したアパートを双眼鏡でしめしてそれが瓦礫同然となっていることを言い、ロシア人の理解を得るのだ。 またムラビッチ将軍や首相とともに戦争をどのように収めるか、西側との交渉をどのように進めるかを小さな山小屋同然の会議でその模様もも興味深く映し出す。 このドキュメントを見て西側のもたらしたキャンペーンの結果の印象をコインの一方だとすればこれは同様の歴史をもう一枚のコインの片方として示したものであり必ずしも西欧メディアが描いてきた凶悪犯罪人とは見られないようでもある。 そして、もし自分がこの国家の一員で愛国心が強くあるものとしても民族浄化の事実は残るものとして存在し、それは断罪されるべきものだろう。 その事実は国を愛するということに鋭い痛みとしてのこるだろう。 バルカン諸国の歴史は長く複雑でありそこでの愛国心はそれぞれが歴史の中で共有する土地を巡って吹き出るものであり簡単には白黒を付けられるものではない。 現在、このようなことがグルジアの一部で取りざたされているのも同様である。 国際的にはロシアの巻き返しと言う風に見られているのだろうがその地区に住んでいるロシア系の住民には自分達の自治、独立の機会となるのだ。 勿論、国際法規による観点も当然なのだがそれぞれの立場に立って見ることも我々の眼が簡単に一方的な情報戦の礫で曇らされるのを防ぐ一助となるのだ。 我々は好むと好まざるに関わらずある立場を選ばされているのだが別の立場にたつ観点に触れることでコインの両側を交互に眺めることが出来るのだ。 その外側に立つものには一層それが望まれる。 息子の友人の一人はボスニア系オランダ人で彼の両親、親戚はこの映像の地区から逃れ今はヨーロッパ、北米とちりじりに散らばっているのでありカラチッチにミロソビッチは自分の親、親戚の運命を脅かした憎むべき敵なのである。

3) BBCテレビ Who Do You Think You Are
 Boris Jonson

何人か著名な人々の先祖数代にわたり家族の系譜を辿りそれを番組にしたものだ。 アメリカで一頃人気のあったジェリー・スプリンガー ショーのホストであるスプリンガーの父親がドイツ東部でユダヤ人として商店をもっていたものがナチの脅威、迫害からイギリスに逃れそこで彼が生まれ、その後アメリカに移るその父親の軌跡を追うとともに多くの叔父、伯母、祖父母の軌跡をを追い、アウシュビッツのガス室に送られる叔父伯母祖母の記録を現場で探し当てるというようなことを何週間か前に観たのだが、今週は現在ロンドン市長となったボリス・ジョンソンである。かれは保守党の議員としてマスコミでその陳腐で屡風刺の対象となる言説であまりまともに受け止められていなかったものとこの10年ほど承知していたのだが去年かのロンドン市長選で当選したのには驚きだった。 

彼の血を辿ると1930年代トルコのジャーナリストであり右傾化した政府から狙われフランスに逃げ、その後、フランス、イギリスの介入でトルコに新政府が作られたときに内務大臣となり直後、またもや愛国政府樹立で逆賊として捕らえられ民衆にリンチされ持ち物は奪われ死体が街角に吊るされる、という記事を見せられる。 今のトルコの歴史では逆賊記載されているのだとトルコの歴史家から聞かされる。 しかし、イギリス人の歴史家には民主主義のリベラルな国内政治の潮流に押し流された人物との評をも聞かされる。 これは1960年代に生まれたジョンソンには裕福な農民である父親の口からは聞けなかったことであり全てこの番組を通して祖父の移民、結婚登録の書類を辿って明らかになっていくことなのだ。 さらに幼少の祖母の雰囲気と言動の記憶から引っかかるものとして彼女の高貴な血ということの真偽を追うこととなる。 一枚の写真をめぐりフランス、ドイツを巡ってその祖母自身さえはっきりと知らなかった事実が明らかになる。 祖祖母は劇場の踊り子であり祖母の出生は当時ドイツのいくつもある国の王子の隠し子として1820年代の公文書のなかに記録されていることを辿りその王子が後にその国の王となった、広大な城のなかでその系譜がヨーロッパの歴史のなかで婚姻関係が広範であり、さらに遡ってアイルランドや英国の王に連なることに驚くわけだ。 ユダヤ人、トルコ人、フランス人にドイツ人、さらにはアイルランドに英国の貴族や王の血が混ざっているということに驚くということで彼の性格からすれば予想だにしていなかったことではあろうがこれから彼の言説、とくに英語に一層のアクセントを加えるに足るだろうということは想像に難くない。 確かに自分でも言うように自分と血を共有する人間は何千人といるに違いないのだが自分のように足で辿ってたどりつける人は少なくドラマチックでもない。 今回、系図のなかでコスモポリタン(不純系英国人)としての血をトルコ、ドイツとイギリスを離れて見てきてここドイツの城の広間にかけられたイギリス王に至り、駒が逆転したようで、保守党のメンバーとして英国人としての意識が一層他の高貴な血に増して彼のなかで湧き上がったように見受けられた。


図らずもこの3つに共通するのは様々な自己のアイデンティティー、それに続いて「愛国心」の形なのだ。
2008/09/08のBlog


2008年9月5日(金)

木曜の午後、いつものようにスーパーで買い物をしようと地区の住宅地の路地を走っていて通過する車の速度を路上の高低で自動的に落とすために10cmほど歩道を盛り上げてある部分をゆっくり乗り越そうとしたら突然ガツンというような反動があった。 それまで前を普通にずっと見ていて別段障害物も在った訳ではないし猫か犬が突然横切ったこともなく変だなと思いながらも停めようと思っても両側には駐車した車で一杯だし後続の車も何台かあるので直ぐには停められる気配でもなくそのまましばらく走った。 何かボソボソというかそんなタイヤの音がしている。

スーパーまでは500mほどの処にたどり着きあとはスーパーの駐車場に入れればかなりスペースがあるからゆったりと予備の車輪と取り替えができるし対処できる。 上手くいかない場合はそこからガレージにも連絡して待ち時間中にショッピングセンターをぶらぶらしていればいいと踏んでいたのだが、そこで急にハンドルに衝撃が来だしてガタガタと金属まで地面と擦れる音が激しくなった。 空気がなくなりタイヤが完全にペシャンコとなり金属の枠がほぼ直接に地面と接しているのだ。 そこで仕方なく最寄の交差点で右折して幸いなことに一箇所だけ空いていた駐車スペースにガラガラいう車を滑り込ませた。 それに先ほどから雷を伴った激しい雨も降り始めていた。

外に出て確かめて見ると予想道理完全に右側後輪がぺシャンコになっていた。 10分ほど雨が小止みになるまで車内でFM放送のジャズを聞いていてそのうち雨脚が緩くなったので外に出てステーションワゴンの荷物を納めるところの床を挙げて予備のタイヤと工具を出してジャッキで車輪を持ち上げ車輪の保護か装飾かしらないけれどタイヤと車軸を繋ぐ4つのネジに被せてあるプラスチック製のカバーを取り外そうとしたのだが上手くいかない。

この20年以上これまで自分の車をいくつか持ち、何回もパンク修理でタイヤの取替えをしているのだがこの車に関しては記憶がない。 はて、どうだったんだろうかとこの6年か8年ほどの記憶を辿っているのだがあいまいだ。 どの車も同じようなので記憶が混乱するのかはっきりしない。 大体しょっちゅうこういうことをするわけではない。 それに前回が何処でだったかも記憶がない。 金属の棒の尖った方をプラスチックカバーの隙間に入れて奥に微かにみえる車輪の内側にめぐらせてある針金の円とプラスチックの小片のつなぎ目の辺りを押したり少しひっぱり上げたりするのだが上手くいかない。 ダッシュボードを開けてプジョー406ブレーク、ステーションワゴンの分厚い説明書を見るのだがこのホイールカバーの外し方が書いてない。

ここまででもう20分は経過している。 いや、もっとだ。 雨と雷を凌いでいる約10分をいれれば30分以上か。 いらいらしてどうせプラスチックだから割れたものは接着剤で貼り付けるなり、もしそれがだめならどこかから中古のものを捜してくればいいと無理に力を入れてこじ開けたら簡単に開いた。 しかし、こういう風に開くとは予想もつかなかった。 これぐらいの力ならすでにここで出しているはずなのに。 それでは今までは少しこれに足りなかったのか、それとも、、、、、、。 まあいい、新しいにせよ中古にせよ次のを捜す手間が省けた。 

それから10分ほどで予備のタイヤを履かせたのだが今度はこのキャップがこれに装着できない。 予備は予備でも本当の予備で最高時速80kmしかこれで走れないようなしろもの、本当の予備タイヤである。 どうしてちゃんとしたものを入れておかないのか。 もしそうすると今度はパンクしたものをここに入れておきそのうちそれを忘れてしまい次にパンクしたときにパニックにおちいるからそれを防ぐためになのか。 そんな馬鹿がいるのだろうか。 私なら忘れそうだから、理由もないではないなと納得してそろそろと車を走らせ家に戻った。 既にいくら近くでももう車修理に、いや、タイヤ修理にガレージにもって行ける時間はとっくに過ぎている。 明日の早朝持って行かねばならない。

買い物を済ませベトナムから空輸されスーパーに並んだなんとかいう白身の淡水魚の開いたものにパン粉をつけてバターとオリーブ・オイルで熱くした中に両方 4分ほど焼いたものにジャガイモの茹でたもの、ホウレン草のクリーム煮で二人の夕食にしてそのあと義姉の誕生日のパーティーに出かけた。 20kmほど離れた義姉とその夫の住む町までソロソロと車を走らせ出かけて戻ってきた。
2008/09/04のBlog


家人と二人だけの夕食となると残り物が多くなる。

残り物といっても元々が二人分のものだったから四人分の時の残り物とは量が違う。 従って少量の残り物が幾つか冷蔵庫にあったり中途半端な量の食材が見られる、と言った具合だ。

どこから見つけてきたのか、多分いつだったか買っておいたポークチョップの切れが2つ冷凍庫の奥にあったのだろう。 それに2,3日前に茹でたジャガイモの残りがあったからこれで決まりだ。

ニガ瓜、長ネギ、パプリカの屑と一緒に炒めてそこにゴンゾーラチーズを加え蓋をした。

町の八百屋で新鮮な玉蜀黍があったのだそうだ。 それを一つ買ってきて二つに切って茹でた。 とても甘く柔らかくて我が家の今年の玉蜀黍の初物だ。