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2008/09/20のBlog


オランダライフル協会月報(出版部数 38250)の9月号の表紙は第23回世界大会でメダルを取った選手たちがそれぞれの試合の様子を頭の上の小さな写真に立ったり据わったりそれぞれ長銃、短銃の部で16カ国からオーストラリア、アデレードに集まって競った結果がメダル7個だというふうに出ている。

それで中をみてみると個人の部で34種目、チームの部で21種目、なのだが個人、チーム、団体の部門でドイツが圧倒的に強いことに驚かされる。 びっくるすることにアメリカはほぼ中ほどで小国オランダとあまりかわらない。 日本は残念ながら胴一つでブービー賞というところなのだが先日この大会に参加した日本代表の方からその様子を少しブログの書き込みで伺い日本の事情が少し分ったような気がした。

古式銃の競技会であるから1880年以前のレプリカ、オリジナルの長銃、短銃で競うわけで日本の種子島銃の部門も、タネガシマ、ヒザダイ、タンヅツ と言う風にあるのだからそこでの日本の優位を想ったのだが実際はそうでもないらしいようだ。

うちのクラブからはケースとマライカの夫婦が二人とも長銃の部門に参加して今回は嫁さんのほうがオランダ唯一の金をとりケースは銀で嫁さんに頭があがらない、と言っていた。

所帯が小さい古式銃部門はオランダ全国大会を私が属するクラブでやるのでこれら選手は日頃接する人たちでありそれぞれもう20年以上射撃に励んでいる連中だ。 それぞれヨーロッパ選手権でもいままでいくつもメダルを取っている。右端の男は短銃でいくつもの部門でオランダチャンピオンでもあるのだがとりわけオランダでただ一人タンヅツの所有者だ。 このあいだ彼の持ち物を写真にとって紹介した。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/54411646.html

我がクラブの会報には役員選手総勢8人の写真もあり当地や送迎の様子も楽しく見せている。 クラブの新人で昨年短銃の部でオランダ全国チャンピオンになった若者が期待を集めていたのだがこういうことは初めてで場の雰囲気に呑まれたのか成績が振るわず残念なことだったのだが若いことでもあるし他のベテランからまだまだこれから経験をつめばいいと慰められていた。 自分のクラブで全国大会をする雰囲気と外国のそれも地球の反対側でするのとは本人は達磨のような格好をしていても結構気の小さいところのある若者にはメンタルトレーニングがいるかな、とはケースの言だった。 

夫婦とも経営する会社が忙しくなりそろそろ引退することも考えているようだが毎日2時間ほどトレーニングする負担はかなりなものだ。 道楽とはいえ生半可なことではない。

明後日の日曜日には地区大会があり私も50m長銃の2部門で撃つことになっているのだがウインチェスターライフルの弾がない。 ぼさぼさとしていてこの何ヶ月も撃っておらず新しい弾を薬莢に詰めることすらしていないのだから話にならない。 火打ち石で発火させるフリントロックの50mの方は丸い鉛を黒色火薬のあとで筒につめればいいのだから薬莢もいらず楽でこれだけは参加できるようだ。

今日のテレビのニュースでパラリンピックで金メダルを取って戻ってきた選手団が女王から労いの言葉をうけていたのだがどういうわけか古式銃の世界大会でいい成績をあげたこれらの選手達には政府や女王からはなんの音沙汰もないらしい。 不公平なことだ。
[ 08:20 ] [ 日常 ]


昼過ぎからプールに泳ぎに行ったのだがさすがに金曜の午後は夏休み中のガキどもも今は学校でその時の喧騒はなく静かに空いていて、25mのプールには若いカップルと中年婦人が3人ほどしかおらず、一つだけコースを区切ってあるところは無人で、これをしめしめとそこでゆっくり500m泳ぎそのあと10分ほどサウナに入るということを3回繰り返した。

大人が立って膝ほどの深さの子供用プールと川の流れのようになったプールもあり爺さん婆さん達も子供に混じってぷかぷか浮かんでおりのどかなものだ。 偽の椰子の木の下、ジャクジーにはでっぷり肥った爺さんと30代と見える男がのんびりと駄弁っているといった風景もある。 監視員達ものんびりとして夏休みにはガキどもに目を光らせることも幼児とその親の様子を観察することもなく流れる音楽に身を任せて退屈を持て余している風でも在る。 彼らが暇な分我々の泳ぎ方に目をやってこうしたらいいよ、というようなアドバイスも時々もらえるほどだ。

サウナでピンクのビキニをつけた20代中ごろと見られるブロンド美人に行き合わせた。 今の時間にのんびりとしていられるのは主婦か定年老人達ぐらいなものだがさまざまな職場で労働時間のシフトが融通の利くオランダであるけれど今の時期に市営の室内プールにくる10代後半から40代の人は少ない。 爺さん婆さんたちのサウナであれば四方山話に花が咲くのだが若い女性と二人きりの場合にはなかなかそうは行かず結局10分ほどいて彼女は出た。 湯気のなかではっきりとは見えず、その上老眼ときているから夜目遠目傘のうち、といわれるようなものだろうか、そのプロポーションのよさに見とれていて少し若返ったような気がした。

サウナのあと冷水を浴びてまた25mプールに入るのだがよく頭を冷やしておかないと水中眼鏡、いまはゴーグルというのか、そういうものが内側から曇るので念入りに浴びたのだがまだ冷たくはない。 同じ事を真冬の1月2月にするとうだるようなサウナの後でもさすがにぶるぶると震えるのだがプールに入ったときに水が少し温かく感じるようにするにはこれがいい。


大抵三種競技の40前半の男性とか昔水泳をやっていたような30代の女性なども時々きて同じコースで泳ぐのだが今日は静かだ。 先ほどのピンクの女性は見えないから向こうの日光浴のライトの下で寝そべっているのかもしれない。 毎週見る70以上の鶴のような爺さんとでっぷりした婆さんが3回目にサウナに一人座っていると入ってきていつもの四方山話をぼそぼそとする。

2時ごろプールをでるとうらうらとした日和だ。 2,3日前の透き通った青空の午後は自分が育った大阪南部の11月中ごろの気候だったのが今日は10月の中ごろというところか。 自分の村で小さいときからダンジリを引き回していた頃の気候だ。 高校の友達の町の岸和田のダンジリの時期は先週あたりだったか、まだそのころは引き回しても汗ばむのだが10月中ごろの自分の村の爽やかであちこちで振舞われる冷酒の温かみで一層の力が入ったものだ。40年ほど前に比べて岸和田にしても自分の村にしても人が増え華やかになったものだと思う。

プールから家に戻って昨日の残り物のザワークラウトをビールで朝昼兼用にして腹に入れ、買い物に自転車で町に出た。 濠にそって並ぶ木もそろそろ紅葉しかけて黄ばんだ落ち葉が緑の芝生に沢山落ちていたから午後7時半の麗かな陽射しの中でもそこだけは秋が進んでいるのを感じる。

この週末にかけて何日か日中14度、夜間8度ほどの晴れた日が続くと天気予報は言っている。
2008/09/19のBlog


夕食後、毎年巡ってくる10月3日の、この町が1574年にスペインの圧政から開放された記念に今も残る伝統的祭りの朝に配られるパンと生鰊(我が家では四人家族だから生鰊8尾、こどもの頭ほどのパン2個)をもらうためのチケットを家族証明のIDをポケットに自転車で10分ほど漕いで歴史的建造物の旧公式計量所に向かった。

ウィキぺディアには町のこの行事の由来にはこう書かれている。

1572年、この町はスペイン支配に対する反乱でオランダ人反乱派につき、八十年戦争で重要な役割を担った。スペイン軍に1574年5月から10月まで包囲され、堤防を人為的に決壊させた結果解放された。水浸しになった住民へ物資を船で運搬するのを容易にしたのである。前の年に示した英雄的な防衛行動を讃え、オラニエ公ヴィレム1世は1575年に大学設立を許可しこれがオランダで最初めの大学となった。 そして包囲戦最後の日であった10月3日は、今も毎年祝われている。

建物の前には夕方4時から9時までに一日で15000人分町が市民にプレゼントする伝統的な食べ物をもらうために一家族4人として4000人弱がここを訪れるのだろうがまだ明るい今の7時半には400年程前には大きなクレーンがここにあったあたりを長蛇の列が出来ていた。 もう何年も5時に仕事が終わって職場からの帰りにここに来ていたときには難なく入って5分ほどで終わったものがこの時間帯にはジャズバンドが30mほど並んだ人の列の間を縫って景気のいい音楽を奏でており祭りの景気付けはもう始まっていている。 列の最後尾についてゆるゆると建物の中に入るとまた一年が巡ってきたと感じられた。 その様子は去年書いた通りだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/40333608.html

そして今年の10月3日はこれからもらうチケットで生臭くもあるプレゼントを自分でもらいに来ることは出来ない。 家人と3日間この国の南部、マーストリヒトの北を歩くことになっているからだ。 朝7時からのお祭り騒ぎを味わうことも出来ずこの計量所のなかに充満する新鮮なパンとの3万尾の生鰊の匂いは来年までお預けとなる。 ことしはここから歩いて来れるところに下宿し始めた息子に鍋とビニール袋をもって取りにこさせよう。飼い猫の分ももらえればいいのだが、、、、。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/50488041.html
2008/09/18のBlog


9月6(土)、7(日)と二日間マストリヒトに行ってきた。 昨年と同じく、古い教会の広場で芸術家たちのオープンマーケットがありそこに土日と半日すわり、教会内部でその教会の本尊、聖マリアにちなんだ作品を展示する小さなギャラリーに招待作として他の何人かの作家のものと並んで家人のものも展示された、ということがあって250kmほど車を飛ばして出かけたという訳だ。

去年のこの時期、同じ事を経験していたからその広場やこのイベントを組織する地元の芸術協会員たちとも顔見知りになり家人が午後、さんさん訪れる人々に自作を説明している間、私は町の中を歩いたり広場の周りにあるカフェーで昼食を採ったりぼやーっと行き交う人々を眺めてながらのんびりした時間を過ごすことが出来た。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/49905596.html
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/50012557.html

上のように去年も書いたとおりマストリヒトはEUの出発地であり様々なEUの研究所やオフィスが古い建物の中にある。 そういう場所にこの時期、地元の作家の作品が展示されていたりして日頃はオフィスや研究所として機能している場所をギャラリーとしてこの週末に開放していたのだ。 廊下やちょっとした建物内部の空間オブジェや絵画が展示されているのだがその建物自体を観るのもおもしろい。 100年ほど前の金融機関の建物として当時の建築家に依頼して作らせた当時のモダニズムがそのまま残っているのを観るのは単なる本や写真集でみるだけでなく実際に現在も保存されているものを町のなかに見ることでその来歴を感じるし建築家が自分の理想と美観の体現としての製作物でもあるからこれらの建築を通じてヨーロッパの美術史を辿るようでもある。

広場の展示場のものを車に載せてかたずけたあとどこかのカフェーで夕食を済ませ去年と同じ宿舎の老婦人の家に来れば84歳になる彼女はテレビを見ながら大きな籠に一杯入ったパセリを小さく毟ってビニールの袋に入れていた。 沢山取れたものを冷凍にしておいてあちこちに配ったりなんやかやと冬の間の料理に使うのだそうだ。 私達にも持って帰れと勧められるのだが家にもパセリは庭に植わっているので辞退した。 翌朝、台所のテーブルで朝食を採る時には他の部屋に泊まっていた70歳代の男女二組と同席した。 彼らは従姉妹会の集まりでマストリヒトに来たのだそうだが60人もこの町に集まるのだから一所には宿舎をとれなく何箇所かに分散して泊まったのだそうだ。 四方山の話をしながらゆっくり朝食を採りその後、一期一会の別れをして、また教会の広場に車で戻った。 不思議なものでこの町が徐々に分ってくると親しみがどんどん増すようになるのだがこの町が普通のオランダの町のようでなくドイツやベルギー、ひいてはそれに連なるフランス的な町の佇まいに惹かれるのが大きな理由だと思う。異国情緒一杯なのだ。

カフェーを渡り歩きながら旧市街を散策しているとこの町にはいくつも大小の広場が点々とありいろいろな違った雰囲気に観光客気分を味わえるのだ。 どの町にもある大手本屋のチェーン店にしてもここでは古い教会の内部がそのまま本屋になっているところもあり、普通は祭壇になっているあたりがレストランか喫茶スペースになっていたり鉄骨で枠組みが中心に作られており小さなエレベーターで昇降できる3階建てほどの普通の町の本屋の書架がすっぽり教会のスペースの中に小さく納まっているのには感心した。 79年に中国を旅行したときに蘇州だったか古い寺に入れば仏像や飾りは全て取り払われていてそのだだっ広いスペースに粗末な紙質の書籍を売る書店になっていてその妙な空間のことをこの教会の本屋の空間に接して思い出した。 

二日の日程を終え、帰宅前の夕食にはそんな広場に面したテラスでブリュッセル気分になり鍋一杯のムール貝の白ワイン蒸しを食べた。 来年も招待があればまた来る事になるのだろう。

 
ウィキペディア、マーストリヒトの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88
上記日本語ウィキぺディアの記載は今だ乏しいものの左端の英語、オランダ語のスイッチを辿るにしたがって豊かなものとなり写真を含め情報が得られる。
2008/09/15のBlog


昨日はマーケットで中ぐらいの鯖を二尾買って醤油、砂糖、酒(シェリー)生姜で煮た。 久しぶりに子供のときから親しんだ味で、それに茸、と茄子を別々にソテーにしたものミックスサラダと白米で食事にしたのだが動物性の脂に慣れているのか腹の具合が軽く少々頼りない気もしたのだが、これがこれからの食生活によい事は確かで徐々にこういう食事に移行すべきだとも思う。 菜食とは言わずとも肉食から少しずつシフトを移動することが無駄な肥満を軽減することになるのだろう。 デザートは果肉が薄い黄色のフロリダ産「白」グレープフルーツにした。

日曜日の今日は子供達もおらず昨日と同様夫婦二人だけの夕食だったのだが午後には私はジャズのコンサート、家人はクラブで20kmほど田舎を歩くなど別々に不在だったものだから家人がありあわせの残り物で簡単に間に合わせた。

もともとは北アフリカのタジンの残りを冷凍してあったものに同じく残り物の煮込んであったカレーを冷凍してあったものを加え更にサツマイモ、アプリコットの干物、パプリカにパースニップ(16世紀に南アメリカからジャガイモが渡来するまでにジャガイモ同様に使われていた白い人参、カブのような植物)をこの日はジャガイモの代わりに加え煮込んだから残り物の組み合わせとなったようだ。 カレーにしてもタジンにしても同様の香料を使うから香りは違うけれど全くの違和感はなくアジア、アフリカのあたり中近東でもあるようなものができてそれにイタリアのパンは悪くない組み合わせだった。

サラダはちしゃ菜に小さなトマト、アボガド、今、庭に沢山実ったラズベリー(オランダ名フランボーズ、ラテン名Rubus idaeus)を盛ったものだがトマトとラズベリーの酸味でドレッシングは要らなかった。

白ワインが欲しかったのだが無くなっていたのでフランス南西部ルシヨン(フランス語があやしいので今までRoussillonをルザロンと呼んでいた)の安い赤を開けたのだがタジン=カレーの混ぜ物の羊肉に合った。



ウィキぺディア; パースニップの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%97

ラズベリーの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC