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2008/10/12のBlog
[ 19:22 ] [ 日常 ]


2008年 10月10日 (金)

アムステルダム中央駅から港にそってミュージックホールに向かって歩いていたら内港から運河に出る水路のうえにかかっている橋の欄干に沿って幟のようなものがヒラヒラしているのが見えたのだが、それはなんだか半透明のビニールで出来ていてとりわけ色がついているわけでもなく安っぽく、よく見ると魚の形をしており40、50ほどの鯉がその丸く開いた口から風を入れて右に左に揺れている。 

このあたりはときどき何か訳の分らないオブジェが展示され、イベントの一環のいろいろな形の旗のようなものが並ぶこともあるから、まあこれもそういうものだろうと思いながら通り過ぎたのだが、その形がなにか東洋的でまさか今の時期に鯉幟でもないだろう、とも思い、薄いビニールの魚の形をしたものを手にとって眺めてみた。

fish In The Sky, Experimenta design, URBAN PLAY In Amsterdam

design group in Korea, designed by NOTHING

と青いインクで東洋特有の小さな雲形模様の下にそう書かれていた。

下腹部が妙に大きく太っていて時期の過ぎた鰊にも見えなくはないが何故これを見て東洋的だと思ったのだか考えてみた。 一つには空に向かってあいた口から風をいれてたなびく形に鯉幟の相似をみた、ということがあるのだろうが多分、ヨーロッパではこのように魚をこのようなオブジェにするようなこと、とりわけ大量に吹流しのようにしているのをみたことがない、という消去法もそう考えた理由かと思う。 しかし、それにしても誰かが、例えば、こういうのをバルセロナで観たよ、と言われればこちらはそれに対して一言もない。 ノルウェーあたりでもあるのかもしれない。

いずれにせよ、わたしの推測は当らずとも遠からじ、韓国のデザイングループの製作になるものだったのだから。 オランダも他のヨーロッパの国と同じく日本からデザインを勉強に来る若者が多いがそれにも増して韓国からくる人たちが多いようで、これからは中国の若者が一層大挙して押し寄せるのではとの見方もささやかれている。 今のところは数は多くはないものの徐々に数が増加しているうようだ。

この間読んだ日本の雑誌の中にはこの10年間で海外に出る日本の若者の数が激減しているということが書かれていて、他のアジアの国の若者の海外渡航の数、伸び率との比較があったがその結果も自分がまわりのあちこちの国で観察した大雑把な感想、それはヨーロッパの地方から日本人の若者がみられなくなり逆に話しかけてみると韓国人だったり中国人だったりするという経験に合わせて納得の行くもので、この記事の統計が充分説得力のあるものだった。

つまり、これを今アジア的、という枠組みに当てはめれば、町中でアジア人をみて何人か問いただすときその結果は確率的には韓国、中国、日本の順番で当りに近づくということだ。

目の前の暗い空に泳ぐ鯉は韓国のものだったのだがここ何年もオランダでも人気になったKOIは日本からの輸入が多いと聞く。 ときどき趣味で錦鯉を飼っているというひとに会い写真も見せられ日本のものだぜ、いいだろう、あんたもあるの、と聞かれることもあるがそういう趣味も知識もないものにはただ単に価値も値段も高い、喰えそうかどうかとまよう魚だとしか承知しないのだが、金魚にしてももともとは中国のものだったのだから錦鯉にしても今、日本からだけだしか輸入されていないとは限らないような気がして、ここでも日本の影が他のアジアの国の後ろに引きそうになる。 

ときどき食卓に登らせるなんとかいう白身の魚は近年高騰した鱈の代わりとなって重宝するのだがこれもベトナムからの輸入である。 食卓に並ぶ魚の原産地をみていたら地球儀が要りそうなことにもなりかねないのは近年の趨勢だ。 ぶよぶよの半透明な夜空に泳ぐ鯉の原産地が東洋だと感じたその理由は今おぼろげに分るし、これが韓国産であったことは理由を裏付けるのには少しは貢献しているのだろうがそれも偶々の事だったのかもしれない。 いづれにしても夜空に泳ぐ何匹もの鯉は尋常ではない。
2008/10/11のBlog
[ 10:43 ] [ 見る ]


丁度半年前にこのような事を書いた。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/53762607.html


今晩もジャズのコンサートが済んでから駅に向かうのに歩いていて同じところに差し掛かると少々様子が違う。 これまで徐々にこのタイルの隙間から草がはいていたのだけれど今夜はそこにあらたに漫画の吹き出しのようなものが貼られていてそこにマジックインキみたいなもので稚拙なアルファベットで「AUW!(痛っ!)」と書かれている。 丸みの帯びた線から女手と思われるのだが、これもその場で思いついてできるものでもなくこれを知っているものがわざわざここに戻ってきてこの吹き出しを地面の上にくっつけたものだ。

暇な人もあるものだしユーモアに新たに付け加えられたここを通るものだけの遊びなのだ。 町のあちこちにこういうものがあるに違いない。 別に誰がということもない遊びで名前のない分遊び心が楽しい。
2008/10/09のBlog


2008年10月6日

オランダの南部リンブルグ州のドイツ国境地帯の森をを出入りしその国境を縫うように60kmほどRoemondからVenloを通って北上しながらその町の北のあたりで3日間の散歩を終えて200km車を運転して家に戻ると自分の町の10月3日の祭りはすでに終わっていて空の冷蔵庫に食料を補給すべく日曜のスーパーに出かけた家人がそこにまだ残っていた伝統料理の材料を買ってきてHutspot(フッツポット)を作り、その粗末なものを二人だけで喰った。

ビニールの袋にはすぐにそのまま鍋に放り込んで水と塩を加えて煮ればいいように人数分の量も形も整えられたジャガイモ、人参、玉葱が入っていてそれに肉の塊が添えられるのだがその肉は出来合いのものがもうなかったようで自分で肉の塊を鋳物の厚鍋で何時間もことこと煮なければならなかったようだ。

欧米では、特に北ヨーロッパではジャガイモが主食だといわれているがもともとジャガイモがスペイン人の手で南米からヨーロッパにもたらされたのは1537年でこの町がスペインから解放された1574年10月3日には渡来してから40年は経っていてもジャガイモはまだオランダには普及しておらず、解放された喜びの中でスペイン兵が残していったものでこの料理を作ったときにはジャガイモではなくパースニップとよばれる白くて人参様の根菜を用いていたといわれるものの現在ではオランダではパスティナークとよばれるこの根菜は八百屋の隅に置かれているだけで多くの人には料理法もあまり知られていないようだ。 家ではたまにこれを料理に添えるのだが子供はこのジャガイモは甘い、といっていたくらいなのだがこれがもうあまり使われなくなったのは時代の流れの中で大量生産されていったジャガイモにとってかわられたからなのだろう。

茹で上がったあとそれを潰すために器具を使って熱い蒸気をたてながら潰しあがったころには何種類かの香料、ハーブを入れて煮込んであった肉もできあがり家人は肉の塊を引っ張り出しまな板の上でほぐしたり小さく切ったりしていた。 

人参の色でオレンジ色になり、潰れたジャガイモを皿にとりこんもり盛って丘と見立ててそのテッペンに穴を開けそれを堤としてそこに肉と肉汁をみたし「堤」を崩しながら流れ出る肉汁を崩れた堤で混ぜながら食べるときには見てくれは悪い粗末な料理ながら味は見てくれほど悪くない。

これに合うのはぬるいビールだ。





英語版ウィキペディアのHutspotの項
http://en.wikipedia.org/wiki/Hutspot

パースニップの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%97
2008/10/07のBlog
[ 13:46 ] [ ジャズ ]


Jazz Orchestra Of The Concertgebouw & Joe Cohn

Sun. 5 October in 2008 at BIMHUIS in Amsterdam

Main Guest; Joe Cohn (g)


1st Set
1) Silk Rush (Jesse van Ruller)
2) Bigband Move (Gil Evans)
3) Blues for Pablo (Gil Evans)
4) You and Me (Al Cohn)
5) Elington Mood ? (Al Cohn)
6) Cotton Tail (Al Cohn)

2nd Set
7) Here Come The Sun (Jesse van Ruller)
8) ?? (Gil Evans)
9) Bublicity (Gil Evans)
10) Nose Cone (Al Cohn)
11) Jump Blues Away (Al Cohn)
12) Big Cat (Al Cohn)

Encore
Here We Go (Al Cohn)


この宵の構成はジャズオーケストラの歴史の中で欠くことの出来ないギル・エヴァンスのものとこの宵のゲスト、ギタリストで父親が往年、ズート・シムスとテナー合戦をしたりテリー・ギブのドリームバンドに作品を提供していたアル・コーンの息子、ジョー・コーンを迎え幾分趣向の違ったオーケストレーションに加え、当オーケストラの花形ギター、Jesse van Rullerの作を前面に押し出したオーケストラ自主制作のCDも発売されたこともあり、また、今週金曜日には20人を超す大所帯でこのオーケストラが日本に発ち12日のホテルオークラでのオランダ大使館も含めた文化ミッションのレセプションもあるコンサートを皮切りに東京ブルーノートでの演奏会二つ、三島での演奏会と早稲田大学のビッグバンドとのワークショップも計画されているのだと休憩中にマネージャから混雑したバーでそのように聞かされた。

早いものだ、もう3年にはなるのだろう。 このオーケストラの発起人でもあり、Jesse van Ruller のトリオでは日本経験のあるベースの Frans van Geest にたまたま小さなコンサートで会ってそのときに、このビッグバンドで日本公演をしたいのだがなんせ大所帯なもので資金繰りが、、、と聞かされて以来のプロジェクトがやっと実現したのだ。 そのCDからの2曲がこの宵の各セットの初めに演奏された。

もう既に8月の中旬に日本では発売され好評で迎えられたそうな、このビッグバンドの常任ギタリスト、イェセ・ヴァン ルラーの作品を集めたCD, Silk Rush (3d system(DDD)(M) B001AMRB0O)はこの日がオランダではこのバンドのレーベルから出たお披露目ともなり日本とはカバーは違うが中身は同じCDが編曲ならびに指揮を担当するHenk Meutgeertから舞台の定位置左端のピアノの横に座るこのギタリストに贈られたちょっとしたセレモニーでコンサートは始まった。

この日も250km離れた北の街、グロニンゲンで午後の公演を終えそのまま移動で8時半開演の予定が開演時間になっても満員の観客がドアの外に待つのを尻目になにやら各自スコアを忙しく繰ってリハーサルをしている。 開演が新シーズンから30分早くなったのにまだ前の集合時間のままの調子かとも思ったのだが時間だけのことなら昼に演ったものをそのままやれば良い訳であまりにも多いレパートリーの中で絶えず新しくしようという試みからソロパートやコーダ、様々なソロイストが入る間合いを調整しているようだし演奏中に急にソロを誰にするかどの組み合わせでいくか即興の枠組みの可能性も指示しているように見受けられた。

現代ジャズオーケストラなりビッグバンドは楽譜中心の制約は小コンボに比べて比較にならないくらい大きいがそれでもジャズの神髄であるそのときの気分で自由にやりたい、と制約から如何に離れられるかへの試みも大きく含まれている。 それがなければダンスバンドやカクテルバンドやその辺のブラスバンド並になってしまう。 高度な技術に裏打ちされた即興の遊びがジャズなのだと思う。

メンバーの殆どが自分のバンドを持ち、また各地の音楽学校で教鞭をとるものも多いなかでビッグバンドのしっかりした楽譜が中心の曲目をもとに日頃自分たちの演奏する音楽とは一味違った編成でのものは団員各自の音楽の幅をひろげる好機でもありそのような中でしばしば各自には舞台前面に出てソロをとる快感は堪らないものだろう。 そしてそこでの出来のよしあし、のりの具合で指揮者の判断から伴奏なりソロの長短が代わるし急に全くのソロになったりデュオ、コンボともなるから団員の柔軟度、高度な技量が試されるのは当然だ。 ジャズは他のジャンルと同様、自分の個性を如何に前面に出していくかというところが味噌でそのために自分のバンドを持ち活動していくものが大半のソロイストが集まったバンドでは個性を束ねつつその個性を各所で発露させながらも20人近い団員の音をきっちりとリズム、メロデー、ハーモニーの中で束ね如何に協調させていくかというところが聴き所でもある。

曲は同じでもギルエヴァンスのサウンドとは一味違ったヨーロッパ調とでもいえるような少々トラッドな響きをさせ、50年代から60年代に入る頃のスイングするアメリカビッグバンドの最良部分との対照的な編曲になっている。 自分の親のペンになる曲をヨーロッパのビッグバンドでそれも自分がソロを多くとる機会に恵まれて小柄な体に少々大きくみえるギブソンのジャズギターを軽快、流麗に演奏するJoe Cohnは終始幸せそうな笑みをたたえていたし、何年か前にハーレムのジャズフェスティバルでこのピアノ、Peter Beetsのニューヨーク・クインテットのメンバーとして初めて聴いたときと比べるとこの日はリラックスしていたようにも見えた。 それに同僚ギタリストのJesse van Rullerとのチェースやユニゾン、ハーモニー、連続するソロを多く含んだ曲目ではスタイル、個性の違いが聴かれて興味深かった。

勿論その他、アルト、テナー、ピアノにトランペット、ドラムスのソロは上記CDで聴かれるとおりだ。 ただ人気ドラマーMartijn Vinkは日本公演には参加できないということだ。 この日、ソロで素晴らしい演奏を聴かせたMarco Kegelが参加するのかCDでアルトを吹くJoris Roelofsが参加するのか不明なもののどちらにしても充分満足するもので来週金曜日の夜にはここでRoelofs君のカルテット演奏会があることも楽しみだ。 もし日本に行くとなると帰国の翌日あたりの仕事となる。

日本にいたときにはオーソドックスなビッグバンドは聴いていたもののオランダに来てビッグバンドの多様性、緊張と緩和の楽しみに触れたような気がする。 優れた個人がどれだけ束ねらつつそこから解けて一つの曲を創れるかということが見えるからなのだろう。 この日、会場で買った Dave Holland Sextet, Pass It On (Dare2 Records, 0600753106679)も同様の志向がみられるようだ。 ミニビッグバンドとしても聴くことができるようで再来週ここでそれを確かめられるのを楽しみにしている。
[ 08:04 ] [ 日常 ]


毎年この時機になると町のデパートにでかけてオランダ語でいうagenda(カタカナで使われるアジェンダは政治日程というような意味で使われることが多いのだが)日程表、つまり日頃の予定表、手帳を買う。 

この国では子供のときから、小学校の教室で教師が子供達に予定を前もって伝えるときにはデザイン、色もとりどりの予定表に書き込みをさせることを普通にさせているから約束事をわすれない、という人とのつながりにおいて基本のことを予定表に書かせることを奨励していて自然と大人の仕事、プライベートな話の中でもこのアジェンダが大切なものとなる。 話の成り行きでそれでは今度のいつごろうちへこないか、そうしよう、というときには両方にこれが欠かせないものとなる。 電話やメールなど外に連絡ができるものの、親しい人でも何ヶ月も顔をあわせない、ということも多く、もう何年も会っていないという者も多い。 そんな人たちとたまたま顔をあわせるとこういうものが俄然、機能を発揮する。

今年も毎年おなじデザインのものを今日買った。 10月も始まるとそろそろ来年の予定まで話の射程に入ることにもなり年末年始の予定が目下の書き込みにもなるからだ。 自分の趣味で言えばジャズのコンサートの予定、射撃クラブの行事、仕事関連、休暇の予定、などで白いスペース徐々に予定のラインが入るということだ。 

新品の薄いアジェンダは2009年のものだ。 当たり前のことなのだが日頃、月日のことを考えることもあまりなくこういう機会にこういうことが頭をよぎるのだ。 ミレニアム・プロブレムといって既存のコンピューターシステムの日程システムに混乱が起こり、パニックになるのでは、と息を呑んで新年のテレビを見ていたのは2000年でありそれからもう10年近くになるとは驚きだ。

見開き2ページでそれぞれのページに月曜から日曜日まで、開ければ2週間分の予定が入るようになっていてそれぞれのスペースは小さい。 薄いもので、それを黒い皮のホールダーに差し込んでクレジットカードや幾つかのパスに名刺と共にいつも持ち歩いている。 2000年の夏に更新したぺらぺらのオランダの運転免許証も入っている。 1980年に日本から国際免許証とともに持ってきた日本の免許証はすでに当時にパスのような一枚のカードになっていたのだがここでは未だぺらぺらの三つ折にしたピンクの紙だ。 薄くプリント処理されたカラー写真には当時口ひげ、顎鬚はまだ黒く、少々その当時を思わせる眼鏡をかけた自分が写っている。 当時には10年先に更新か、随分先だなあ、との感慨を持ったがその更新時期があと2年弱となってそろそろそれを忘れないようにしなければならないようだ。

日頃職場に毎日通っていた頃には一週間の日程は殆ど同じようなもので仕事上のことは記すこともなく生活時間の大部分が仕事で塞がれていたからプライベートな約束など知人、親戚の誕生日や祝い事ぐらいでそういうことは家人のアジェンダにも記されているから気楽なものだったのだが幾分か仕事はするものの毎日ではなくプライベートな時間が大きく日頃の生活に広がった今は日常生活が自動運航装置で統率されていたような時間から何か茫洋とした余白の多い定年生活時間になり、このところこのアジェンダの重要さが増しているようだ。 ええと、今日は何曜日だったかな、というような日が多くなっている。 

12月の一年の最終週に今のアジェンダから2009年のものに差し替えるのだがその頃には来年の3月頃までの予定が入っており2月ごろには夏休みをどうするか、どこかの国の避暑地か田舎のうちを2,3週間借りようかという話を詰めて今ではネットでそういうところを物色して安価でいいところは3月ごろには予約しておくことになっていた。 諸般の事情で遅れて5月頃に入って捜すといいところは既に殆ど予約済みということになっているのが一般だ。 この間の夏には、アルプスを歩いてきたところなのにもう来年はどうしようか、という話も出始めているのだが今年いけなかったイングランドの湖水地方が希望だとしてもこれも今年と同じく姑女の健康状態にバカンスの予定がかかっているので不確定要素が大きく5月頃まで、いや、もっと後まで決まらないのかもしれない。

この国に28年住んでこのような手帳をメモ、忘備録がわりにしているのだが今のデザインは1984年以来だ。 過去のあの日に何をしたかは大体分る。 子供のときから日記をつける習慣がなかったものだからこの国に来て以来の習慣となり今では欠かせぬものとなっている。 クレジットカードや様々なパスは失くしても再発行が利くものが多いから問題がないのだがこの薄いアジェンダとほかのものを入れた黒の手帳を失くせば困るのがアジェンダ、日程と住所録だ。

押入れの中には過去のアジェンダがそのまま残してあるのだが1994年ものが一つだけ欠落している。 まだ下の娘が保育所に行っているときに仕事に出かける前に朝、自転車の前に今ではとても両手で頭の上まで差し上げることも出来ない、当時3つの娘を、軽々と載せて近所の静かなところに在る保育所に連れて行き、ほんの2,3分自転車を離れる間、書類とサンドイッチに林檎のはいったアタッシュケースを自転車のバッグに放り込んだまま20mほど離れたその入り口の保育師の若い娘に自分の娘を届け、自転車のところに戻ってみればアタッシュケースが消えていた。

金目のものは一切なく、書類はコピーがしてあったから問題はないもののアジェンダが悔やまれた。 警察に届けを出し、書類を作りいろいろなものの再発行をするのに何日か煩わされたもののそのうち支障がなくなったもののポカッとあいた空間がこの予定表と住所録だ。 もし誰かどこかで捨てられたものを見つけたようなことがあれば親切な人は警察にとどけるのだろうが殆どそういうことは期待できないと言われ、実際どこからも連絡はなかった。 物取りにしても何の利があるのだろうか。 ビニール袋に入った貧しいサンドイッチに林檎一つを見てそれを喰ったようにも思われない。 何も金目のものが入っていないことに怒ってどこかに捨てたに違いないのだがなんとも無意味なことだ。 金目のものを期待すること自体がおかど違いだ。 

このようにこの30年近くこのような日程表を使ってきて一年分のものだけがないというのは自分の行動に空白があるようでこころもちすわり心地が悪いようなのだが、しかし、日頃の生活には何の支障もないのだから大きく見れば失くしても別段世の終わりということでもない。

夕食前にうちの前で立ち話をした隣人の老人はこの半年ほどで大きく衰えていた。 毎日運動のため歩くのに杖を突いて運河を越えてとぼとぼと買い物に出かけたり住宅街のブロックを一回りしているのだが92になり目が衰えたといい、だから半年前に比べてしっかり歩けないから衰えが加速しているようだと言い、テレビが見えず、新聞も読めず、ただラジオやテレビの音を聴くだけだという。 四方山話をしても話は大抵50年ほど前に飛ぶ。 その頃にはこの人も日常、アジェンダを手に生活していたのだろうが、今ではそれも必要なく、一日一日がのこり少ない短い日程表をこなすことになるのだ。 そうしているとこの間転んで腰を負傷して長らく入院していたその先に住む老人が同じく杖をついて我々の横を通り過ぎたのだが隣人が挨拶をしても反応は鈍かった。 隣人が言うのにはあれは小学校の同じクラスにいたのだが自分よりも耄碌が進んでいるようだ、と言ってビニール袋に入った少々の買い物をぶら下げて自宅の玄関に入っていった。

92歳になるまで自分のアジェンダはもう34冊いる勘定になるがせいぜい20冊が限度ではないかと思い、それにしてもそれまでの時間を想うと一層茫洋とした気持ちに襲われる。