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2008/10/14のBlog


この数日暖かい日が続いていたのだがめっきり街路樹の木の葉が黄色に色づき今は風もないのにその黄金色の葉がはらはらと落ち続けていてこの2日ほどの間に随分歩道や公園には落ち葉が溜まるようになってきている。

家の狭い庭には広葉落葉樹はないから別段変わりはないけれどそれでもあちこちに小さな黄ばみ、茶色になった葉が散らばっているのだがそろそろ家の前の歩道に落ちた葉を皆掃除して片付けるようになる。 まだ雨が降っていないから問題はないのだがひとたび雨が降って濡れ落ち葉となると歩行者にはあまり気持ちのいいものではない。

近年は冬には雪があまり降らないから歩道の雪かきはあまり必要ないものの、これからの季節には街路樹が裸になるまで何回かこの落ち葉掻きはどこでもみられ、それは毎年この季節の典型的な光景だ。

夏の間は庭に茂って剪定した蔓や枝葉は各家庭にある台所の野菜屑などコンポストにするコンテナーに入れて2週間に一度通りの外れにある、生ゴミ収集トラックが来るところにもっていくのだけれど夏のその時期には各家庭の庭から出るそういう緑の枝葉でどこのコンテナーも溢れている。 もちろん木を切ったりあまりにも多く庭仕事の緑の廃棄物がでる場合は自分でそういうものを車に積んで市の処理場に持って行くこともする。

この時期には主に家の前に落ち葉が積もり庭とは違い蔓や枝はなく、ただ落ち葉だけだから大きな箒のようなもので簡単に集めればいいだけのことなのだが嵩が高くて家庭のコンテナーでは納まりきれない。 そこで通りの端の緑地に金網を張った一角があらわれる。 各自家の前の歩道から掻き集めたものをここに放り込んでおいて一杯になると市の清掃車が運んでいって処理するという仕組みだ。

毎年これから2,3回は掃き集めたものを大きなゴミ用の大きなビニール袋に1m以上の高さまで詰めてもってくることを繰り返す。 今晩の天気予報ではこの3日ほど日中20度ほどの暖かい天気が続いたのだが明日辺りから雨が降り出し日中の気温が14度、夜間は6度ほどに下がるといっていた。 そうすると紅葉に拍車がかかり来週あたりはかなり落ち葉が積もることになるのかもしれないが、日中14度というのはオランダではこの季節の平均気温らしい。
2008/10/13のBlog


先週注文しておいたのが届きジャズコンサートへの行き帰り、会場での休憩や待ち時間に、上巻の前置き、第一章を読み、メモを記そうと思った。

新潮文庫 高橋義孝訳 トーマス・マン著

 魔の山 

上(582ページ)・下(649ページ)
ISBN4-10-202202-3 C0197
ISBN4-10-202203-1 C0197

この作品にたどり着いた経緯は全くの偶然で、それは今年のバカンスに戻る。 山歩きを夫婦ですると決めたのだが家族の都合で英国の湖水地方にはいけず間際になってオーストリアの氷河を歩きたいと目的を変更してオーストリアのSilvretta氷河の近くまで行く計画を立てヒュッテを予約しそれまでに足慣らしをするのにフランスのアルザス地方から歩いて氷河の裏側、スイス側の町でキャンプしようとしたのだが車でフランスからスイスを西から東に横切りボーデン湖のほとりからいよいよ両側に険しい山が迫るところを走りKlostersという町でキャンプ場を探したのだがひとつもなく、そこの観光案内所でこの付近ならDavosに行けばある、といわれきてみればDavos-Glaris駅に隣接する貧弱なキャンプ場で、ここがこのあたりでは唯一つだといわれたのも周りの山々のようすの、そんな平らな場所を悠長なキャンプ場として放っておく余裕のないような地形からうかがい知れた。 それにだれが好き好んでこういうところでキャンプなどするのだろうか。 せいぜい短い夏場にうろうろしている外国人ぐらいなものだろう。 実際、その夜、1700m高度の谷のそのキャンプ場のテントの外は真夏にもかかわらず0℃だったし、関係のない話だが粗末な食堂のテレビで国際戦争犯罪人として10年以上も追われていた旧セルビアの大統領ミロソヴィッチが捕まって自宅からもそう遠くないオランダ、ハーグにある刑務所に収監されたというニュースと共に忘れられない思い出となった。

氷河の裏側を眺め、その高度辺りまで上がりたいとDavosを中心に何日かあちこちとロープウエーやスキーのリフトを用いて気持ちのいい山あるきをした。 近年は世界の首脳がここに集まって会議をする村だとは聞いていたけれど一体どこに忙しい首脳達を受け入れる大きな場所やとりわけ輸送のための飛行場があるのかと捜したのだが水上飛行機なら着陸できる湖はみえるもののそれならヘリコプターで運ぶのだろうか、飛行場は見えなかった、そういう地形の村で、さて、簡単に食事を済ませようとレストランを捜してもホテルや保養所のようなものが多くて普通よく知られた町にはあるような飲食店街のようなものはない。 来客は基本的にはホテルやヒュッテに逗留し、そこで食事をとるからなのだろう。 だから外食のための飲食店は建物の数やその規模の割りに少なくて我々のような流れ者には不便だ。 こういうホテルや療養所などで働くものたちも仕事場で採るか自宅で食事するということなのだろう。 つまり、従業員も地元ということで、それに加えて逗留客も内で済ますということだ。 夕方、まだ明るい時間、ホテルが立ち並ぶあたりでも8時近くなると今までの人気が途絶え寂しいくらいだ。 この場所は自己完結的に生存しているのだとも思い、観光地のようではあるけれどその本来の姿は別のようで、それはこちらで聞かれる「スイス的」ではあると感じた。

姪がオランダの病院で看護婦をしており2年ほど前に山歩きが好きな連れ合いに加え子供とともにこの町の療養所に看護婦として勤務したい、ついては家族で渡れないかと希望して面接の日を含め2週間ほどこの町、村に滞在していたのだがどういうことなのかはっきり知らないが子供の教育のためという理由でそこには落ち着かなかった。

これが私のこの村に関わることなのだがそのときまでこの村がトーマス・マンの「魔の山」の舞台だとは知らなかった。 マンのものは「トニオ・クレゲール」や「ベニスに死す」はもう何年も前に読んではいた。 何年も前にスーザン・ソンタグのエッセーを読んでいてカリフォルニアにあるマンの自宅を訪れてインタビューをしたときのことが書かれていて、そこでいかにこの大作家に対するのに畏怖の念をもったかというようなことを読んだような記憶もある。 

山歩きから帰ってきて
Davosのことをウィキぺディアで見ていて「魔の山」の記載があったので俄然興味が湧きすぐに注文してここに至ったということだ。

ビルドゥングス・ロマンだといわれている。 教養小説だともいわれているから若者が成人する過程に興味もありそれほど教養もない自分にはこの文庫本1100ページには現在何でも軽薄短小な小説世界の密度では測れないほど濃密なものが含まれ、この間経験したこの場所の雰囲気が想像力の乏しい自分をも1924年に出版され、また話もそれよりもずっと前と設定されている創作空間に誘導してくれるならそれに付き合うだけの時間を作ろうとおもう。


ウィキぺディア ; トーマス・マンの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3
2008/10/12のBlog
[ 19:22 ] [ 日常 ]


2008年 10月10日 (金)

アムステルダム中央駅から港にそってミュージックホールに向かって歩いていたら内港から運河に出る水路のうえにかかっている橋の欄干に沿って幟のようなものがヒラヒラしているのが見えたのだが、それはなんだか半透明のビニールで出来ていてとりわけ色がついているわけでもなく安っぽく、よく見ると魚の形をしており40、50ほどの鯉がその丸く開いた口から風を入れて右に左に揺れている。 

このあたりはときどき何か訳の分らないオブジェが展示され、イベントの一環のいろいろな形の旗のようなものが並ぶこともあるから、まあこれもそういうものだろうと思いながら通り過ぎたのだが、その形がなにか東洋的でまさか今の時期に鯉幟でもないだろう、とも思い、薄いビニールの魚の形をしたものを手にとって眺めてみた。

fish In The Sky, Experimenta design, URBAN PLAY In Amsterdam

design group in Korea, designed by NOTHING

と青いインクで東洋特有の小さな雲形模様の下にそう書かれていた。

下腹部が妙に大きく太っていて時期の過ぎた鰊にも見えなくはないが何故これを見て東洋的だと思ったのだか考えてみた。 一つには空に向かってあいた口から風をいれてたなびく形に鯉幟の相似をみた、ということがあるのだろうが多分、ヨーロッパではこのように魚をこのようなオブジェにするようなこと、とりわけ大量に吹流しのようにしているのをみたことがない、という消去法もそう考えた理由かと思う。 しかし、それにしても誰かが、例えば、こういうのをバルセロナで観たよ、と言われればこちらはそれに対して一言もない。 ノルウェーあたりでもあるのかもしれない。

いずれにせよ、わたしの推測は当らずとも遠からじ、韓国のデザイングループの製作になるものだったのだから。 オランダも他のヨーロッパの国と同じく日本からデザインを勉強に来る若者が多いがそれにも増して韓国からくる人たちが多いようで、これからは中国の若者が一層大挙して押し寄せるのではとの見方もささやかれている。 今のところは数は多くはないものの徐々に数が増加しているうようだ。

この間読んだ日本の雑誌の中にはこの10年間で海外に出る日本の若者の数が激減しているということが書かれていて、他のアジアの国の若者の海外渡航の数、伸び率との比較があったがその結果も自分がまわりのあちこちの国で観察した大雑把な感想、それはヨーロッパの地方から日本人の若者がみられなくなり逆に話しかけてみると韓国人だったり中国人だったりするという経験に合わせて納得の行くもので、この記事の統計が充分説得力のあるものだった。

つまり、これを今アジア的、という枠組みに当てはめれば、町中でアジア人をみて何人か問いただすときその結果は確率的には韓国、中国、日本の順番で当りに近づくということだ。

目の前の暗い空に泳ぐ鯉は韓国のものだったのだがここ何年もオランダでも人気になったKOIは日本からの輸入が多いと聞く。 ときどき趣味で錦鯉を飼っているというひとに会い写真も見せられ日本のものだぜ、いいだろう、あんたもあるの、と聞かれることもあるがそういう趣味も知識もないものにはただ単に価値も値段も高い、喰えそうかどうかとまよう魚だとしか承知しないのだが、金魚にしてももともとは中国のものだったのだから錦鯉にしても今、日本からだけだしか輸入されていないとは限らないような気がして、ここでも日本の影が他のアジアの国の後ろに引きそうになる。 

ときどき食卓に登らせるなんとかいう白身の魚は近年高騰した鱈の代わりとなって重宝するのだがこれもベトナムからの輸入である。 食卓に並ぶ魚の原産地をみていたら地球儀が要りそうなことにもなりかねないのは近年の趨勢だ。 ぶよぶよの半透明な夜空に泳ぐ鯉の原産地が東洋だと感じたその理由は今おぼろげに分るし、これが韓国産であったことは理由を裏付けるのには少しは貢献しているのだろうがそれも偶々の事だったのかもしれない。 いづれにしても夜空に泳ぐ何匹もの鯉は尋常ではない。
2008/10/11のBlog
[ 10:43 ] [ 見る ]


丁度半年前にこのような事を書いた。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/53762607.html


今晩もジャズのコンサートが済んでから駅に向かうのに歩いていて同じところに差し掛かると少々様子が違う。 これまで徐々にこのタイルの隙間から草がはいていたのだけれど今夜はそこにあらたに漫画の吹き出しのようなものが貼られていてそこにマジックインキみたいなもので稚拙なアルファベットで「AUW!(痛っ!)」と書かれている。 丸みの帯びた線から女手と思われるのだが、これもその場で思いついてできるものでもなくこれを知っているものがわざわざここに戻ってきてこの吹き出しを地面の上にくっつけたものだ。

暇な人もあるものだしユーモアに新たに付け加えられたここを通るものだけの遊びなのだ。 町のあちこちにこういうものがあるに違いない。 別に誰がということもない遊びで名前のない分遊び心が楽しい。
2008/10/09のBlog


2008年10月6日

オランダの南部リンブルグ州のドイツ国境地帯の森をを出入りしその国境を縫うように60kmほどRoemondからVenloを通って北上しながらその町の北のあたりで3日間の散歩を終えて200km車を運転して家に戻ると自分の町の10月3日の祭りはすでに終わっていて空の冷蔵庫に食料を補給すべく日曜のスーパーに出かけた家人がそこにまだ残っていた伝統料理の材料を買ってきてHutspot(フッツポット)を作り、その粗末なものを二人だけで喰った。

ビニールの袋にはすぐにそのまま鍋に放り込んで水と塩を加えて煮ればいいように人数分の量も形も整えられたジャガイモ、人参、玉葱が入っていてそれに肉の塊が添えられるのだがその肉は出来合いのものがもうなかったようで自分で肉の塊を鋳物の厚鍋で何時間もことこと煮なければならなかったようだ。

欧米では、特に北ヨーロッパではジャガイモが主食だといわれているがもともとジャガイモがスペイン人の手で南米からヨーロッパにもたらされたのは1537年でこの町がスペインから解放された1574年10月3日には渡来してから40年は経っていてもジャガイモはまだオランダには普及しておらず、解放された喜びの中でスペイン兵が残していったものでこの料理を作ったときにはジャガイモではなくパースニップとよばれる白くて人参様の根菜を用いていたといわれるものの現在ではオランダではパスティナークとよばれるこの根菜は八百屋の隅に置かれているだけで多くの人には料理法もあまり知られていないようだ。 家ではたまにこれを料理に添えるのだが子供はこのジャガイモは甘い、といっていたくらいなのだがこれがもうあまり使われなくなったのは時代の流れの中で大量生産されていったジャガイモにとってかわられたからなのだろう。

茹で上がったあとそれを潰すために器具を使って熱い蒸気をたてながら潰しあがったころには何種類かの香料、ハーブを入れて煮込んであった肉もできあがり家人は肉の塊を引っ張り出しまな板の上でほぐしたり小さく切ったりしていた。 

人参の色でオレンジ色になり、潰れたジャガイモを皿にとりこんもり盛って丘と見立ててそのテッペンに穴を開けそれを堤としてそこに肉と肉汁をみたし「堤」を崩しながら流れ出る肉汁を崩れた堤で混ぜながら食べるときには見てくれは悪い粗末な料理ながら味は見てくれほど悪くない。

これに合うのはぬるいビールだ。





英語版ウィキペディアのHutspotの項
http://en.wikipedia.org/wiki/Hutspot

パースニップの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%97