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2008/12/07のBlog
[ 23:36 ]
[ 日常 ]
昼過ぎ居間の窓から裏庭を見ると何か青いものが木の枝を掠めてまだ片付けもせずに放っておいたテーブルに止まっていた。 何かと見るとこの冬空で庭の色彩の乏しいところに華やかなものを見せてくれた Vlaamse Gaai という鳥だ。 森を歩いていると時々木々の間を渡っていくのをみることはあるのだが人家のある町中では余り見ることはなく, 今までに家人や子供達は家の庭に来たのを見た事があると言っていたけれど私は自分の目で見るのは初めてだった。 カメラで撮ろうとしたらもうその時は飛んでいってしまって駄目、後の祭りだった。
それから大分して町に自転車で出かけ家に戻ってきたら前庭の植木から2,3羽の Ekster が前の芝生の広場に飛んでいくのも見えて今日は特徴のある鳥が二つも我が家を訪れたものだとこんな鬱陶しい冬の日に少しは気分も心も明るくなったものだ。 この Ekster も森を歩いていると低いところの枝を次から次へと飛んでいくのでびっくりすることもある。 その飛び方が何か普通の小鳥がそのまま即物的に飛び去るのと違って、長い尾を見せてまるで大きなヘリコプターが横に滑空してフワッと移動するかの如く、また、それが比較的低いところで起こるから目に長く残像が残るようなのだ。
エクスターの方は大分前に調べてそれが日本ではカササギというものに相当することを知ったのだがそれで昔高校の古文のときに習って名前だけは知っていた大伴家持の歌、かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける、の渡せる橋、の部分がこの鳥の飛び方で充分納得できたのだ。
カケスというのは、「泣けた泣けたこらえきれずに泣けたっけあの娘と別れた哀しさに山のかけすも鳴いていた一本杉の石の地蔵さんのよ村はずれ」、と昔、春日八郎の歌謡曲、「別れの一本杉」でよく歌われていた中でその「かけす」のイメージはあったのだが実際にどの鳥がこれなのか想像もつかなかった。 文字面から「カラス」「カケス」が類型のものだろうと想像していてこんな小振りのものだとは今回初めて知り、それが、この鳥を見ると家では見るたびに皆で、Vlaamse Gaaiがいたよ、と観たことを報告しあうような青が美しい華やかな色合いの鳥であることと、春日八郎の歌う、「あの娘と別れた哀しさに山のカケスも鳴いていた」その鳥とのギャップが意外だったことに驚いたことだ。 あの哀しみのなかにはこの色彩は似合わず、カラスの黒とか灰色がイメージとして浮かぶのが普通で、だからここではカラスがイメージとして出てきてもも当然なような気がするし、それ以上に鳴き方にしてもカケスの方はギャーギャーと喧しく聞こえ、カラスの、ときには山中で遠く離れて聞く時には茫洋としたものに聞こえるその鳴き方のほうがこの歌の哀しみを引き立てるのにはふさわしいと思えないでもないのだが、そういうことも自分の頭の中で生起されて今回長年の疑問というのか固定化していたイメージが覆ったのは何か神経衰弱と呼ばれる裏を向けて置いたトランプのカードを二枚裏返してペアを作るゲームでやっと「Vlaamse Gaai」と「カケス」のペアを探り当てたような気がしたのだが、それがペアだと言われても長年のイメージでまだ納得できないところも少しあるようなのだ。
Vlaamse Gaai
http://nl.wikipedia.org/wiki/Vlaamse_gaai
カケス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%82%B9
Ekster
http://nl.wikipedia.org/wiki/Ekster
カササギ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%AE
2008/12/06のBlog
[ 22:29 ]
[ 日常 ]
用事で町に出た帰り、鬱陶しい空模様下、近所まで戻ってくると歩道に何か明るい色の服装で何人かが動いているのが見えた。
シンタクラースとその従者、黒ピートが3人だった。 普通はショッピングセンターや人通りの多いところでキャンペーンをするのが見えるが静かな住宅街にはあまり見えない種類の人たちで自転車を停めてカメラに収めようとするとカメラ慣れしているから止まってわたしにポーズをしてみせる。 私は従者の一人に、今日でおわりだね、いそがしかっただろう、まだこれからどこかへ行くのかい、というふうに訊ねたのだが、返答は、これから港までスペインから乗ってきた船に戻ってそれでスペインまで帰るのだ、というもので何があってもその役に徹するという「掟」を充実にまもっている。
小型のトヨタに皆が乗り込み従者の一人が運転して通りの向こうに消えた。 今の時期、オランダには何千というシンタクラースと従者達が跋扈しているに違いない。 今夜は各家庭、友人達が集まってそれぞれシンタクラースからもらったプレゼントをダシに一晩遊ぶのだ。 不況の中オランダ人は去年以上にプレゼントに金をつぎ込んでいるとニュースで報じられていた。
ネットで拾ったシンタクラース情報;
http://akakappa04.com/study/sinterklaas.htm
2008/12/05のBlog
[ 10:24 ]
[ 喰う ]
昼食を摂ったのが遅かったので買い物に入ったスーパーでは何を夕食にするか全く食指が動かなかった。 それであちこちを見て歩き結局、何も考えずに出てくるような典型的な献立にしたのがこれだ。
Blind Vink
茹でた豆(グリーンピー)
マッシュポテト
西洋梨の煮物の付け合せ
グリーンサラダ
デザートは蜜柑一個
Blind Vinkというのはミンチを子牛肉の薄切りで包んだものでそれをバターでこんがりと焼いてからクリームシェリーを加え20分ほど煮込みそれに塩、胡椒、トマトペースト少々に醤油を加えグレービーにして肉とマッシュポテトにかける。
Blind Vinkという言葉の意味はBlind(盲目の) Vink(英語でFinch、和名はズアオトリ)であって昔、小説を読んでいてFinchはヒワかそんな名前に訳されていたようなのだが何れにせよ美声で鳴く小鳥のようだ。 オランダの南部やベルギーなどで、日本で鶯のなき比べをさせるように、この鳥で鳴き比べをさせる習慣があり、よく鳴かせるためにこの小鳥を布切れで包んで鳴かせたというようなことがあったらしく、子牛肉の薄切りで包まれたその大きさや形が包まれて目隠しされた(Blind)鳥(Vink)のように見えるからこの名前がついたといわれている。
家に戻りテキパキとやっつけ仕事で仕上げ食卓に臨めば極普通の食い物が出来た。 冬の寒い夜だがこの料理はどの季節にも供されるものなのだがこの日の添え物の西洋梨をシナモンの入った甘いシロップで煮たものが秋から後の季節感を添えた、ということになるのだろうか。
オランダ版ウィキぺディア; Vink の項
http://nl.wikipedia.org/wiki/Vink_(vogel)
同じく日本版; Vink=ズアオトリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AA
2008/12/03のBlog
[ 10:32 ]
[ 日常 ]
昼過ぎ町に出るのに自転車を裏の物置から出していると急に降ってきた。 冬の典型的な天気だ。 青空の欠片が灰色の雲の間にあって外は冷たいけれど湿気のすくない寒空だ。 ポンチョを上から羽織ってそのまま5分ほど走っていると小止みになってポツポツという音も聞こえなくなりそのうちまた少し明るくなった。 けれど、センサーが付いた、暗くなれば自動的に明かりがつく自転車のライトは点いたままだ。
人間の目というものは便利に出来ていて暗くなれば眸を広げてその分だけ光をとりいれ、ある程度見えるようにしているのだろう。 もちろん猫や夜行性の動物のようではないからそれほどでもないけれど自転車のセンサーが暗いといってランプをつけているのに暗いと感じないのだから目のメカニズムが働いているのだろう。 もっとも、空も灰色と薄い青も見え、充分明かりがあるのだから夜や夕方の暗さではないのだけれど冬の外は太陽の光が少なく、夏や、とりわけ秋との光の差が圧倒的に大きいのだろう。 この時間に普通自転車の明かりが点くわけはないのだから計器が「暗い」と言っているわけだ。
することをして家に戻るときには角の電光掲示板には4時12分、5℃と出ていた。 2日ほど前ほど冷たくなかったからその差がたった2℃でしかなかったのかと意外に思ったもののその体感の違いは湿度の差も影響していたのではないかとも思った。
2008/12/02のBlog
[ 11:48 ]
[ ジャズ ]
Michiel Borstlap / Ernest Glerum / Han Bebink
Wed. 12 Nov. 2008 at BIMHUIS in Amsterdam
Michiel Borstlap (p)
Ernst Glerum (b)
Han Benink (ds)
1St Set
1) Four in One
2) Round Midnight
3) Epistrophy
4) Mysterioso
5)
1nd Set
6)
7)
8)
9)
10) Mysterioso
11)
12)
13) Well you need't
このコンサートに出かける一週間ほど前にこの会場で買った Borstlap の新譜、 Monk / Beninnk,Gleeum、Borstlap GPM Recorded April 08 を聴いていた。 なるほど全曲モンクのものでよくスウィングする。
Borstlap はオランダのピアノ弾きの中で貴公子というふうに扱われている。 才能豊かなピアノで何でも弾きこなし、中には彼は自分の才能を持て余しているのではないかという者もいるほどだ。 曰く、親が作曲家で自身も作曲をして何年か前にはアラブの王様のために組曲をつくりそれで濡れ手に粟だ、とやっかむ者もいるとも聞く。 嘗てのポップの実力のある歌手と組んで世界ツアーをやるというのでその旗揚げをかねてテレビに登場したのも見て、おもちゃのようなシンセサイザーを上手に扱ってヒップな音を出していたのは2年ほど前だったのではないか。
彼がモンクを演奏して出来が悪いわけはない。 また、皆、モンクが好きだし、演奏する者はそれぞれのモンクをもっているのだからその解釈に興味が行くのは当然のことだ。
このアルバムを聴いて才能あるピアニストがモンクを演っている、と感じた。 それぞれのタイミングもとぼけた味のあるモンクもそこにありその後 Borstlap のピアノが続く。 どの曲もしっかりしたモンクのコンセプトで進みとそのあと彼の様々な解釈で綴られそれは徐々に自己のものに変成していく。 そのうち Borstlap がそれに替わって演奏している。 華やかで丹精で響きが素晴らしい。
舞台にはスタンウェーピアノ と コントラバスより小さくてチェロより大きなバス、それにポツリとスネアドラムが一つ置かれていて、それはCDのセッティングと同じなのだけれど響きがかなり違う。 CDではピアノとバスの響きが対応してそれに呼応する形でスイングするスネアドラムがからんでいるのだけれどライブではスネアドラム、すなわちドラムスの巧者、ベニンクが丹精に弾いてボルストラップを鼓舞し、ピアノをどんどんモンクからその彼方へ追いやる先導者を務めているようにも聴こえた。 とりわけピアノを主役にするような此の夜の構成ではスネアに加えて持ち前の、周りを全てリズムを叩き出すための楽器にする仕掛けが成功している。 自分の体、 口腔、 脛、 舞台のフロア、 フロアから控え室に降りる階段の鉄柵、スティックやブラシは言うに及ばず指、肘、頭、踵と肉体と環境の接触がリズムを刻みだすのだ。 興が乗れば寝転び両手両脚でリズムを鈍重に刻むこともある。
ライブのセッションの楽しみはそのダイナミズムだ。 各自ソロ部分を充分取って徐々に高みに乗せ上げては和やかなユニゾンへ、また各自平行して全力疾走へと変化するなどそれはCDと比べると熱量の差は明らかだろう。 特に第二セット以降の白熱する各自楽器の対話では息をもつかせぬ緊張感を漲らせる場面が多く 13)になだれ込む大団円には聴衆は充分このトリオを堪能した気配が窺えた。
コンサートが終わり夜汽車で30分ほど自分の町まで帰るのにビールでも飲みながら、と座った席でプルトップを引いた時私の前に一人の20代中ごろの女性が座り、見ると手に上記CDを持っていたので話し始めるとさっきのコンサートにいたのだという。 そして、コンセルバトワールでクラシックピアノを修めた彼女は今夜のボルストラップは今まで聴いたのとは違うと言う。 あの人らしからぬ、というようなことを言った。 確かに今夜は自分を切羽詰め、自分をどこかに追い込むような事をしていたのではないか、それはトリオのあとの二人の領分、フリー、インプロヴィゼーションの様子が彼のメリハリの利いた第一級のピアノをそこからどこかへずらせるようなことをやっていたのでは、、、というようなことを言った。 二人ともこのトリオでのベニンクの影響がそこに大きくあることには異存はなかった。
