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2005/04/06のBlog
[ 01:49 ]
[ 留学生活 ]
2005/04/04のBlog
[ 04:43 ]
[ 留学生活 ]
今日はサマータイムってやつらしい。
なんでも、一時間時間が早くなるんだって。夏の間だけ。
今日がその時間の変更の日だから、今日は23時間しかないってことになる。
これってなんのためのあるんですか?
だれか知ってる人教えてください。
しかも、サマータイムってことはもう夏ってこと?
春はもう終わったってこと?
気温も20°前後あるしな
なんでも、一時間時間が早くなるんだって。夏の間だけ。
今日がその時間の変更の日だから、今日は23時間しかないってことになる。
これってなんのためのあるんですか?
だれか知ってる人教えてください。
しかも、サマータイムってことはもう夏ってこと?
春はもう終わったってこと?
気温も20°前後あるしな
2005/04/03のBlog
[ 11:46 ]
[ 映画レビュ- ]
韓国映画「悪い男」が一週間限定でLAで公開されているので見てきました。
キム・ギドク監督は、ここアメリカでも注目度が上がってきているようです。また今度、去年のベネチアで賞を取った「3IRONS」が公開されるようです。
悪い男(韓国映画)
監督:キム・ギドク
出演:チョ・ジェヒョン、ソ・ウォン
ベルリン国際映画祭コンペティション
トロント国際映画祭ナショナル・シネマ・プログラム
公式サイト
http://www.kimki-duk.jp/badguy/index2.html
ストーリーと映画紹介
売春宿を仕切るハンギは、ある昼下がり美しい女子大生ソナを見初める。ハンギは一計を案じ、ソナを売春宿で働かせる。マジックミラー越しにハンギはソナが男に金で抱かれ続けるのを見守っていく。ある日、ハンギは舎弟の身代わりとして、刑務所に死刑囚として収監される。ハンギに対して憎悪の念を燃やし続けていたソナは、ハンギに対して次第に愛情を感じ始めていた。
韓国の鬼才、キム・ギドク監督の代表作。日本では2004年に公開。今韓国映画界では、国際的には最も評価の高い監督。
一点のヌルさのない恋愛映画
自分を絶望にたたき落とした男を愛する。そういうことはあり得るのでしょうか。僕らの普段の生活では想像し難い事態です。
この「悪い男」は、おそらくごく普通の生活を送ってきたであろう女性が、自分の知らない絶望的世界に放りこまれ、真実の愛に目覚めるという話です。おそらく何事も無く生活していたら気づくことはできなかったであろう、真実の愛に。
精神を病んだ人々が、普通の人には見えない真実の愛を育むというような作品は、過去たくさんありますが(ベティ・ブルーや奇跡の海など)、この作品では、社会の外で絶望を知ることにより、その「真実の愛」にたどり着くというパターンは僕はあまり知りません。僕らにも、真実の愛は開かれているのかもしれません。それは非常に困難な道程を経なければならないかもしれませんが。この映画のソナのように。
本当に貧しい社会はどっちか
ソナは売春宿を最後に出されることになるんですが、彼女はそれまでの生活に戻ろうとはしません。当初は、一刻も早くこの地獄から抜け出したいと願っていたにも関わらず、彼女は再びハンギに所に戻っていきます。
社会には豊かさが溢れているけど、売春宿を出た彼女には、その社会がヌルいものに感じてしまいます。ヌルさに耐えられないので、ソナはハンギと二人でトラックで売春行脚の旅に出ます。
僕らの普段生きる社会は、便利で豊かな社会です。でも、そんな社会をヌルいと感じる感覚は確かに僕にもある。こんなヌルい社会は、果たして本当に豊なのかどうか。どういう社会が本当に豊かな社会なのか。
いろんな国の映画を見てると感じることがあります。今の韓国のような社会が劇的に変化していたり、混乱の渦中にある国の作品は、非常にハリのある作品が多い。反対に今の日本やアメリカのような、すでにある程度物質的に豊かな国の作品は、非常にヌルい作品が多い。
本当に生きていて豊かさを感じる社会は、どっちなんでしょうか。
非常に今日的なテーマだと思います。と同時に、このような問題自体、一種のぜいたく病なのかな、とふと思ったりしますけど。貧しい国から見たら、そのようなハリを求めること自体、とんでもない話かもしれませんね。
キム・ギドク監督は、ここアメリカでも注目度が上がってきているようです。また今度、去年のベネチアで賞を取った「3IRONS」が公開されるようです。
悪い男(韓国映画)
監督:キム・ギドク
出演:チョ・ジェヒョン、ソ・ウォン
ベルリン国際映画祭コンペティション
トロント国際映画祭ナショナル・シネマ・プログラム
公式サイト
http://www.kimki-duk.jp/badguy/index2.html
ストーリーと映画紹介
売春宿を仕切るハンギは、ある昼下がり美しい女子大生ソナを見初める。ハンギは一計を案じ、ソナを売春宿で働かせる。マジックミラー越しにハンギはソナが男に金で抱かれ続けるのを見守っていく。ある日、ハンギは舎弟の身代わりとして、刑務所に死刑囚として収監される。ハンギに対して憎悪の念を燃やし続けていたソナは、ハンギに対して次第に愛情を感じ始めていた。
韓国の鬼才、キム・ギドク監督の代表作。日本では2004年に公開。今韓国映画界では、国際的には最も評価の高い監督。
一点のヌルさのない恋愛映画
自分を絶望にたたき落とした男を愛する。そういうことはあり得るのでしょうか。僕らの普段の生活では想像し難い事態です。
この「悪い男」は、おそらくごく普通の生活を送ってきたであろう女性が、自分の知らない絶望的世界に放りこまれ、真実の愛に目覚めるという話です。おそらく何事も無く生活していたら気づくことはできなかったであろう、真実の愛に。
精神を病んだ人々が、普通の人には見えない真実の愛を育むというような作品は、過去たくさんありますが(ベティ・ブルーや奇跡の海など)、この作品では、社会の外で絶望を知ることにより、その「真実の愛」にたどり着くというパターンは僕はあまり知りません。僕らにも、真実の愛は開かれているのかもしれません。それは非常に困難な道程を経なければならないかもしれませんが。この映画のソナのように。
本当に貧しい社会はどっちか
ソナは売春宿を最後に出されることになるんですが、彼女はそれまでの生活に戻ろうとはしません。当初は、一刻も早くこの地獄から抜け出したいと願っていたにも関わらず、彼女は再びハンギに所に戻っていきます。
社会には豊かさが溢れているけど、売春宿を出た彼女には、その社会がヌルいものに感じてしまいます。ヌルさに耐えられないので、ソナはハンギと二人でトラックで売春行脚の旅に出ます。
僕らの普段生きる社会は、便利で豊かな社会です。でも、そんな社会をヌルいと感じる感覚は確かに僕にもある。こんなヌルい社会は、果たして本当に豊なのかどうか。どういう社会が本当に豊かな社会なのか。
いろんな国の映画を見てると感じることがあります。今の韓国のような社会が劇的に変化していたり、混乱の渦中にある国の作品は、非常にハリのある作品が多い。反対に今の日本やアメリカのような、すでにある程度物質的に豊かな国の作品は、非常にヌルい作品が多い。
本当に生きていて豊かさを感じる社会は、どっちなんでしょうか。
非常に今日的なテーマだと思います。と同時に、このような問題自体、一種のぜいたく病なのかな、とふと思ったりしますけど。貧しい国から見たら、そのようなハリを求めること自体、とんでもない話かもしれませんね。
2005/04/02のBlog
[ 09:37 ]
[ 映画レビュ- ]
Melinda and Melinda(アメリカ映画)
監督:Woody Allen(アニーホール、地球は女で回ってる)
脚本:Woody Allen
出演:Radha Mitchell, Will Ferrell, Chiwetel Ejiofor, Chloe Sevigny
公式サイト
http://www2.foxsearchlight.com/melindaandmelinda/
ストーリーと映画紹介
二人のシナリオライターが、ディナー中に、一人の女性についての脚本のアイデアを出し合っている。一人は悲劇、一人はコメディを、メリンダという女性を主人公に同じ設定から始まる物語(友人宅のディナーパーティーに突然の来訪)として構想する。物語は、その二つのストーリーの再現ドラマ形式で、交互に進んでいく。悲劇のパートでは、親友の裏切りにより恋を失い、喜劇では、今まで意識していない思わぬ恋に気づく。悲劇と喜劇の表裏性をテーマにした、ウッディ・アレンの最新作。ウッディ・アレンは今回は監督・脚本のみ。出演は無し。
悲劇と喜劇は表裏一体
悲しみを引き起こす悲劇と、おかしみを引き起こす喜劇は、表裏一体の関係にあると、物作りの世界ではよく云われます。どういうことなのか、考えてみたいと思います。
喜劇というのは、認識のギャップによって生まれると考えられます。対象(登場人物)は、いたって真剣であるわけですが、それを観賞する観客からみたら、滑稽であるというような。このギャップは、ある程度、対象と観客の間に距離が無ければ生まれません。過度の感情移入は、滑稽さを殺してしまいます。反対に悲劇は、絶対条件として感情移入が必要になる。感情を共有しなければ、悲しみは生まれません。感情を共有させるには、対象と観客の距離は、近い方が良い。
要するに、同じ題材でも、観客との距離が遠くするか、近くするかによって悲劇になったり喜劇になったりするわけですね。
例えば以前レビューを書いた「DOWNFALL」では、すでに全滅してしまった部隊に対して命令しようとするヒトラーを描写してたりするんですが、この作品はコメデではないですが、考えようによっては、これは滑稽な事態です。演出次第では、かなり笑いを誘うシーンになります。もしウッディ・アレンがそのシーンを演出したらどうなるか、想像していただけたらわかりやすいと思います。「アビエイター」も同じです。むしろこちらは、感情移入させきることに失敗しているので、なんか妙に滑稽に見えたりするんですが。
この、悲劇と喜劇の使い分けが上手かったのは、云うまでもなくチャップリンですね。抱腹絶倒で進んでいたはずの物語が、突如として感動的なシーンに転じ、最後には涙させられるのがチャップリン映画の醍醐味ですね。映画史上現在に至るまで、これをやらせてチャップリンの右に出る者はいないでしょう。
現代最高のコメディ作家、ウッディ・アレンはこれにもう一つの視点を加味して挑戦したと云えるかもしれません。その視点とは、喜劇だ、悲劇だ、とそのことに一喜一憂したり、論じたりしてる人間という生き物は、なんと滑稽でおかしい生き物だろうとものです(笑)
単に悲劇と喜劇を並べるだけでなく、二人の作家がそれを構想しあってるという設定を導入することによって、もう一つ上に視点を作り出し、映画全体を素晴らしいコメディ映画に仕立てています。
やはりウッディ・アレンは天才です。
そしてこの人は、本当に人間観察の達人ですね。心底人間に興味があるんでしょうね、きっと。人のちょっとした仕草に現れる感情の動きなどの捉え方は、熟練のなせる技というか、職人芸ですね。
もっと僕の英語力があれば、もっと楽しめたんだろうなあ、と思いますけど。
そういえば最近、ウッディ・アレンの作品は日本で公開されませんね。僕は今、アメリカだからいいけど、日本に帰って彼の作品が見れないのは、僕にとっては悲劇ですね。他の誰かから見たら、それは滑稽に見えるかもしれませんが(笑)
監督:Woody Allen(アニーホール、地球は女で回ってる)
脚本:Woody Allen
出演:Radha Mitchell, Will Ferrell, Chiwetel Ejiofor, Chloe Sevigny
公式サイト
http://www2.foxsearchlight.com/melindaandmelinda/
ストーリーと映画紹介
二人のシナリオライターが、ディナー中に、一人の女性についての脚本のアイデアを出し合っている。一人は悲劇、一人はコメディを、メリンダという女性を主人公に同じ設定から始まる物語(友人宅のディナーパーティーに突然の来訪)として構想する。物語は、その二つのストーリーの再現ドラマ形式で、交互に進んでいく。悲劇のパートでは、親友の裏切りにより恋を失い、喜劇では、今まで意識していない思わぬ恋に気づく。悲劇と喜劇の表裏性をテーマにした、ウッディ・アレンの最新作。ウッディ・アレンは今回は監督・脚本のみ。出演は無し。
悲劇と喜劇は表裏一体
悲しみを引き起こす悲劇と、おかしみを引き起こす喜劇は、表裏一体の関係にあると、物作りの世界ではよく云われます。どういうことなのか、考えてみたいと思います。
喜劇というのは、認識のギャップによって生まれると考えられます。対象(登場人物)は、いたって真剣であるわけですが、それを観賞する観客からみたら、滑稽であるというような。このギャップは、ある程度、対象と観客の間に距離が無ければ生まれません。過度の感情移入は、滑稽さを殺してしまいます。反対に悲劇は、絶対条件として感情移入が必要になる。感情を共有しなければ、悲しみは生まれません。感情を共有させるには、対象と観客の距離は、近い方が良い。
要するに、同じ題材でも、観客との距離が遠くするか、近くするかによって悲劇になったり喜劇になったりするわけですね。
例えば以前レビューを書いた「DOWNFALL」では、すでに全滅してしまった部隊に対して命令しようとするヒトラーを描写してたりするんですが、この作品はコメデではないですが、考えようによっては、これは滑稽な事態です。演出次第では、かなり笑いを誘うシーンになります。もしウッディ・アレンがそのシーンを演出したらどうなるか、想像していただけたらわかりやすいと思います。「アビエイター」も同じです。むしろこちらは、感情移入させきることに失敗しているので、なんか妙に滑稽に見えたりするんですが。
この、悲劇と喜劇の使い分けが上手かったのは、云うまでもなくチャップリンですね。抱腹絶倒で進んでいたはずの物語が、突如として感動的なシーンに転じ、最後には涙させられるのがチャップリン映画の醍醐味ですね。映画史上現在に至るまで、これをやらせてチャップリンの右に出る者はいないでしょう。
現代最高のコメディ作家、ウッディ・アレンはこれにもう一つの視点を加味して挑戦したと云えるかもしれません。その視点とは、喜劇だ、悲劇だ、とそのことに一喜一憂したり、論じたりしてる人間という生き物は、なんと滑稽でおかしい生き物だろうとものです(笑)
単に悲劇と喜劇を並べるだけでなく、二人の作家がそれを構想しあってるという設定を導入することによって、もう一つ上に視点を作り出し、映画全体を素晴らしいコメディ映画に仕立てています。
やはりウッディ・アレンは天才です。
そしてこの人は、本当に人間観察の達人ですね。心底人間に興味があるんでしょうね、きっと。人のちょっとした仕草に現れる感情の動きなどの捉え方は、熟練のなせる技というか、職人芸ですね。
もっと僕の英語力があれば、もっと楽しめたんだろうなあ、と思いますけど。
そういえば最近、ウッディ・アレンの作品は日本で公開されませんね。僕は今、アメリカだからいいけど、日本に帰って彼の作品が見れないのは、僕にとっては悲劇ですね。他の誰かから見たら、それは滑稽に見えるかもしれませんが(笑)
2005/04/01のBlog
[ 01:59 ]
[ FOOTBALL ]
勝ってよかった・・・ホッとしたよ、ホントに。
アメリカじゃ見れないから、昨日一日中、気が気じゃなかったっす。
しかしオウンゴールによる一点だけとは、酷いね。
得点力不足は深刻だな、前から思ってたけど、
鈴木と高原の2トップはやはり相性悪いんじゃないか?
前半、ほとんどシュート撃ててないらしいね、この二人。
久保の復帰が待ち遠しいなあ、ホント。
しかし、中田英がボランチで出場したんだね。何故?
その出来具合いってどうだったんでしょう?
現チームで中田の力をどう生かすかは、今後の課題ですね。なんとか上手い解決策はないものか。もっと4バックができるようなメンツがそろってればな。
とにかく、6月のアウェー2連戦もがんばってくれ、日本代表!
アメリカじゃ見れないから、昨日一日中、気が気じゃなかったっす。
しかしオウンゴールによる一点だけとは、酷いね。
得点力不足は深刻だな、前から思ってたけど、
鈴木と高原の2トップはやはり相性悪いんじゃないか?
前半、ほとんどシュート撃ててないらしいね、この二人。
久保の復帰が待ち遠しいなあ、ホント。
しかし、中田英がボランチで出場したんだね。何故?
その出来具合いってどうだったんでしょう?
現チームで中田の力をどう生かすかは、今後の課題ですね。なんとか上手い解決策はないものか。もっと4バックができるようなメンツがそろってればな。
とにかく、6月のアウェー2連戦もがんばってくれ、日本代表!
2005/03/30のBlog
[ 02:19 ]
[ 留学生活 ]
昨日は、同じホスト宅に住んでる女の子とイタリアレストランに行ってみました。
僕を入れて、三人日本人が住んでるんですが、一人風邪でダウンしちゃったんので、二人で行くことに。
写真を取り忘れたけど、海沿いのキレイなレストランです。名前も忘れた。
やっぱり、イタリア料理だと上手い。普段、ホストファミリーが出すメシより格段に上手い。
二人とも、パスタ注文。メニューがイタリア語なので、読めないので、指差し注文(笑)かっこ悪いね。
そして、ワインで乾杯。近頃ワインがおいしいと感じるようになってきました。
オレも大人になったね(笑)
多分きっかけは、レビュー以前を書いた、「サイドウェイ」という映画だと思います。
そんで、帰りに風邪でダウンした子のお土産を買い、帰宅。アイスクリーム好きらしいんで、アイスクリームを買って帰りました。今朝はもう大分よくなってたようなんで、安心。
そうそう、先週の日曜日、韓国映画「old boy」を見ました。やっぱあのは映画すごい。日本でも見て、こっちでもみたんですが、いやあ、めちゃくちゃ面白いですね。
今、一番おもしろい映画を作ってるのは、韓国ですね。間違いない。
うらやましいなあ、韓国映画業界は。日本映画は元気ないもんなあ・・・・
僕を入れて、三人日本人が住んでるんですが、一人風邪でダウンしちゃったんので、二人で行くことに。
写真を取り忘れたけど、海沿いのキレイなレストランです。名前も忘れた。
やっぱり、イタリア料理だと上手い。普段、ホストファミリーが出すメシより格段に上手い。
二人とも、パスタ注文。メニューがイタリア語なので、読めないので、指差し注文(笑)かっこ悪いね。
そして、ワインで乾杯。近頃ワインがおいしいと感じるようになってきました。
オレも大人になったね(笑)
多分きっかけは、レビュー以前を書いた、「サイドウェイ」という映画だと思います。
そんで、帰りに風邪でダウンした子のお土産を買い、帰宅。アイスクリーム好きらしいんで、アイスクリームを買って帰りました。今朝はもう大分よくなってたようなんで、安心。
そうそう、先週の日曜日、韓国映画「old boy」を見ました。やっぱあのは映画すごい。日本でも見て、こっちでもみたんですが、いやあ、めちゃくちゃ面白いですね。
今、一番おもしろい映画を作ってるのは、韓国ですね。間違いない。
うらやましいなあ、韓国映画業界は。日本映画は元気ないもんなあ・・・・
2005/03/28のBlog
[ 07:00 ]
[ メディア ]
東京高裁でも新株予約券発行差し止めが追認されましたね。
以前も書いたうように、当然です。
ライブ、フジ以外のニッポン放送株主の方を完全にないがしろにしてますから。
とにかく、これでライブドアがニッポン放送を傘下に収めることが事実上決定したと
いっていいでしょう。
フジの方は、頑なに抵抗を続けてますね。ソフトバンクまでかつぎだして・・・
これはフジは自分の首をしめることにならないか?
適当なところで売りにだされたりしないかな?
それとも孫さんは、本気でメディアを欲しがっているんだろうか?以前のテレ朝の件もあるし。
さて、先週堀江氏のメディア構想について、生意気にも問題提起する形で書いたんですが、ちょうどよいタイミングで、videonews.comにて堀江氏がちょうどそれについて答えてくれてます。
「既存ジャーナリズムはいらない発言」の真意
堀江氏は、既存のジャーナリズムはいらない、といった発言をしたと、巷ではされていますが、堀江氏に云わせれば、これは言葉尻だけを捉えた誇張であるといいます。
堀江氏はこうした誇張、歪曲の例えとして、新聞の見出しのピックアップの仕方の問題を挙げています。新聞の見出しというのは、多くの読者にとって、新聞の見出しであるというだけで、それは真実になる。しかし、その真実は、空気のようにそこにある真実ではなく、だれかの手によって取捨選択された真実です。では、その取捨選択は、だれがどういう動機に基づいてなされているのか。当然、会社に属する記者さん達なわけですね。
堀江氏は、この情報化社会の中、あまりにも既存メディア側に真実を決める裁量がありすぎることを問題にしています。それが「既存ジャーナリズムはいらない」発言の真意だと云います。
堀江氏も指摘していますが、彼らはサラリーマンなので、ある程度経営側の意向を聞いてしまうのはしかたない。今のメディアはそういう動機に基づいて真実を決めている。会社の意向に反する情報は、社会的に貴重な情報でも流せない。僕らが普段接している情報は、そういう風に選別されたものなんです。
では、それに対する堀江氏の対案はというと、
ネットニュースサイトのベースに、組織に属さない、フリーランスジャーナリストの広範なネットワークを開拓していく、というものです。毎回彼らが記事を書き、ニュースサイトに持ち込み、それに対する対価もきちんと払う。そのネットワークを全国に拡大していき、読者は好きなニュースを検索して読んでいく。そしてそれが成熟した暁には、日刊紙の発行をしてもいいんじゃないかと堀江氏は提案しています。載せる記事は、投票によって決める。
僕は割とこの構想、可能性を感じました。先週も書いた、人気はないが、社会的に貴重な情報を駆逐されることなく配信できる可能性もあるし、500人の公共性もきちんとこれなら担保される。堀江さんは、成功の鍵は各プレイヤーの成熟度であることもちゃんとわかってらっしゃる。日刊紙は、成熟した暁には、という条件付きなのが重要ですね。同じ事件を扱った記事もいろんな人の記事を参照することも可能。読者にっとては、今よりも選択肢が増えることになります。
島宇宙化問題
では、情報の増大により起こるであろう、島宇宙化にはどう対処するか、との問いには、ネットのインタラクティブ性に解決の可能性があるのでは、と堀江氏は云います。インタビュー中では、宮台氏が島宇宙化の例として、アメリカのケーブルTVの多チャンネル化により生じた、自分の居心地の良い情報源しか見ない(FOX好きはFOXしか見ず、CNN派はCNNしか見ない)という現象を挙げていますが、堀江氏は、これはTVが一方向性のメディアだからだと指摘します。双方向性のネットであれば、それを中和できる可能性があると。堀江氏は、自分もよく誹謗中傷のメールはたくさん貰うが、それはそれですごく参考になると述べています。
僕もこれについては、思うところがあります。僕は、このライブドア問題は、非常に熱く見ているんですが、先週の記事を書いたところ、ある知り合いからのメールをいただきました。メールの内容は、自分はこの一連の騒動は冷めて見ている、なんでこんな大騒ぎしているのかわからんと。たかが一つの会社の買収劇だろうと。僕は、この冷めた視点は、ある意味重要だな、と思いました。そうなんですよ。この問題、騒ぎをでかくしているのは、インターネットという新興メディアの台頭に戦々恐々としている既存メディアなんです。必ずしも市井の人々が関心あるかと云うとそうではないんです。この気づきは、僕にとっても結構重要した。世の中が必ずしも欲しているわけじゃないかもしれない(欲している人もいるけど)情報を、自分たちが攻撃されているという理由で、騒ぎを煽る、マスコミの姿がそこにはあるわけです。
その冷めた視点を知ることにより、堀江さんの云ってることの妥当性がかえって認識できました。既存メディアがどういう動機に基づいて情報を出しているのか、の部分ですね。「堀江は公共性が何たるか理解していない」うんねんの批判を、大手メディアはよくしていますが、彼ら自身は本当に公共的な情報配信ができているのかどうか、甚だ疑問です。
確かにこのような自分と別の意見に触れる機会は、双方向性メディアだと、一方向性メディアよりは格段に多い。
人材育成にもっと注力を
しかし、問題がないわけではない。投票日刊紙にせよ、ネットのインタラクティブ性にせよ、やはり各人の成熟度が低ければ、宝の持ち腐れになります。
そのことについて、最後に一つ苦言を呈したいと思います。現在ライブドアでは、パブリックジャーナリスト(以下PJ)の募集をしています。PJとは、一種の市民メディアですね。堀江氏のフリーランスの育成、裾野を広げていくという構想の具現化したものだと思われますが、少し問題あるような気がします。これはジャーナリストの経験の有無は必要なく、だれでもなれるんです。それ自体はいいんですが、研修一日受ければだれでも慣れちゃうってのは、どうなんでしょう?人を育てるっていうのは、もっと大変なことだと思うんですよね。もっと継続的なフォローアップと高い要求が必要な気がするんですが。
先に書いたように、堀江氏の構想の成功条件は、成熟度を上げていくことです。人材の育成にもっと注力しなくてはいけない。
おそらく、既存メディアの方が、人材育成のノウハウなどは、さすがに長けているでしょうから、その辺をライブドアは、ニッポン放送と上手く連係していけたらいいんだろうな、と思いますけどね。
以前も書いたうように、当然です。
ライブ、フジ以外のニッポン放送株主の方を完全にないがしろにしてますから。
とにかく、これでライブドアがニッポン放送を傘下に収めることが事実上決定したと
いっていいでしょう。
フジの方は、頑なに抵抗を続けてますね。ソフトバンクまでかつぎだして・・・
これはフジは自分の首をしめることにならないか?
適当なところで売りにだされたりしないかな?
それとも孫さんは、本気でメディアを欲しがっているんだろうか?以前のテレ朝の件もあるし。
さて、先週堀江氏のメディア構想について、生意気にも問題提起する形で書いたんですが、ちょうどよいタイミングで、videonews.comにて堀江氏がちょうどそれについて答えてくれてます。
「既存ジャーナリズムはいらない発言」の真意
堀江氏は、既存のジャーナリズムはいらない、といった発言をしたと、巷ではされていますが、堀江氏に云わせれば、これは言葉尻だけを捉えた誇張であるといいます。
堀江氏はこうした誇張、歪曲の例えとして、新聞の見出しのピックアップの仕方の問題を挙げています。新聞の見出しというのは、多くの読者にとって、新聞の見出しであるというだけで、それは真実になる。しかし、その真実は、空気のようにそこにある真実ではなく、だれかの手によって取捨選択された真実です。では、その取捨選択は、だれがどういう動機に基づいてなされているのか。当然、会社に属する記者さん達なわけですね。
堀江氏は、この情報化社会の中、あまりにも既存メディア側に真実を決める裁量がありすぎることを問題にしています。それが「既存ジャーナリズムはいらない」発言の真意だと云います。
堀江氏も指摘していますが、彼らはサラリーマンなので、ある程度経営側の意向を聞いてしまうのはしかたない。今のメディアはそういう動機に基づいて真実を決めている。会社の意向に反する情報は、社会的に貴重な情報でも流せない。僕らが普段接している情報は、そういう風に選別されたものなんです。
では、それに対する堀江氏の対案はというと、
ネットニュースサイトのベースに、組織に属さない、フリーランスジャーナリストの広範なネットワークを開拓していく、というものです。毎回彼らが記事を書き、ニュースサイトに持ち込み、それに対する対価もきちんと払う。そのネットワークを全国に拡大していき、読者は好きなニュースを検索して読んでいく。そしてそれが成熟した暁には、日刊紙の発行をしてもいいんじゃないかと堀江氏は提案しています。載せる記事は、投票によって決める。
僕は割とこの構想、可能性を感じました。先週も書いた、人気はないが、社会的に貴重な情報を駆逐されることなく配信できる可能性もあるし、500人の公共性もきちんとこれなら担保される。堀江さんは、成功の鍵は各プレイヤーの成熟度であることもちゃんとわかってらっしゃる。日刊紙は、成熟した暁には、という条件付きなのが重要ですね。同じ事件を扱った記事もいろんな人の記事を参照することも可能。読者にっとては、今よりも選択肢が増えることになります。
島宇宙化問題
では、情報の増大により起こるであろう、島宇宙化にはどう対処するか、との問いには、ネットのインタラクティブ性に解決の可能性があるのでは、と堀江氏は云います。インタビュー中では、宮台氏が島宇宙化の例として、アメリカのケーブルTVの多チャンネル化により生じた、自分の居心地の良い情報源しか見ない(FOX好きはFOXしか見ず、CNN派はCNNしか見ない)という現象を挙げていますが、堀江氏は、これはTVが一方向性のメディアだからだと指摘します。双方向性のネットであれば、それを中和できる可能性があると。堀江氏は、自分もよく誹謗中傷のメールはたくさん貰うが、それはそれですごく参考になると述べています。
僕もこれについては、思うところがあります。僕は、このライブドア問題は、非常に熱く見ているんですが、先週の記事を書いたところ、ある知り合いからのメールをいただきました。メールの内容は、自分はこの一連の騒動は冷めて見ている、なんでこんな大騒ぎしているのかわからんと。たかが一つの会社の買収劇だろうと。僕は、この冷めた視点は、ある意味重要だな、と思いました。そうなんですよ。この問題、騒ぎをでかくしているのは、インターネットという新興メディアの台頭に戦々恐々としている既存メディアなんです。必ずしも市井の人々が関心あるかと云うとそうではないんです。この気づきは、僕にとっても結構重要した。世の中が必ずしも欲しているわけじゃないかもしれない(欲している人もいるけど)情報を、自分たちが攻撃されているという理由で、騒ぎを煽る、マスコミの姿がそこにはあるわけです。
その冷めた視点を知ることにより、堀江さんの云ってることの妥当性がかえって認識できました。既存メディアがどういう動機に基づいて情報を出しているのか、の部分ですね。「堀江は公共性が何たるか理解していない」うんねんの批判を、大手メディアはよくしていますが、彼ら自身は本当に公共的な情報配信ができているのかどうか、甚だ疑問です。
確かにこのような自分と別の意見に触れる機会は、双方向性メディアだと、一方向性メディアよりは格段に多い。
人材育成にもっと注力を
しかし、問題がないわけではない。投票日刊紙にせよ、ネットのインタラクティブ性にせよ、やはり各人の成熟度が低ければ、宝の持ち腐れになります。
そのことについて、最後に一つ苦言を呈したいと思います。現在ライブドアでは、パブリックジャーナリスト(以下PJ)の募集をしています。PJとは、一種の市民メディアですね。堀江氏のフリーランスの育成、裾野を広げていくという構想の具現化したものだと思われますが、少し問題あるような気がします。これはジャーナリストの経験の有無は必要なく、だれでもなれるんです。それ自体はいいんですが、研修一日受ければだれでも慣れちゃうってのは、どうなんでしょう?人を育てるっていうのは、もっと大変なことだと思うんですよね。もっと継続的なフォローアップと高い要求が必要な気がするんですが。
先に書いたように、堀江氏の構想の成功条件は、成熟度を上げていくことです。人材の育成にもっと注力しなくてはいけない。
おそらく、既存メディアの方が、人材育成のノウハウなどは、さすがに長けているでしょうから、その辺をライブドアは、ニッポン放送と上手く連係していけたらいいんだろうな、と思いますけどね。
2005/03/27のBlog
[ 08:38 ]
ライブドアとメディアに関する記事かいてたんですけど、アップする一歩手前で、記事が消えた・・・・
また気が向いたら書きます。
また気が向いたら書きます。
2005/03/26のBlog
[ 08:32 ]
[ FOOTBALL ]
負けたらしいですな・・・・
アメリカじゃ当然見れないので、どんな内容だったのかわからないけど、
それほど悪い試合ではなかったのかな?
どなたか見た方、コメントに試合のレビューなど書いていただけたら非常に嬉しい。
或いは、どこかいいレビューのサイトがあれば教えてください。
致命的な一敗じゃないし、次のホームに向けてしっかり気持ちを
切り替えてほしいね。
しかし、これでまた4バック批判やら、中田不要論とかいらない言説がでてきそうだな。
僕は、中田は日本代表に必要な男だと思いますよ。
ただ、今すぐにではないですけど。今はコンビネーション熟成の時間が足りなさすぎる。
今回の結果もやはりコンビネーション熟成の時間が足りなかった、っていう側面もあるんでしょう、きっと。
サッカーは、数ある球技のなかでも、最もチームの総合力が必要とされるスポーツ。
個の力が高いだけでは勝てないもの。
次のホームは絶対負けられない試合。これに勝てば2位に浮上できる、大事な試合だ。
遠くアメリカから応援してるぞ!日本代表!
アメリカじゃ当然見れないので、どんな内容だったのかわからないけど、
それほど悪い試合ではなかったのかな?
どなたか見た方、コメントに試合のレビューなど書いていただけたら非常に嬉しい。
或いは、どこかいいレビューのサイトがあれば教えてください。
致命的な一敗じゃないし、次のホームに向けてしっかり気持ちを
切り替えてほしいね。
しかし、これでまた4バック批判やら、中田不要論とかいらない言説がでてきそうだな。
僕は、中田は日本代表に必要な男だと思いますよ。
ただ、今すぐにではないですけど。今はコンビネーション熟成の時間が足りなさすぎる。
今回の結果もやはりコンビネーション熟成の時間が足りなかった、っていう側面もあるんでしょう、きっと。
サッカーは、数ある球技のなかでも、最もチームの総合力が必要とされるスポーツ。
個の力が高いだけでは勝てないもの。
次のホームは絶対負けられない試合。これに勝てば2位に浮上できる、大事な試合だ。
遠くアメリカから応援してるぞ!日本代表!
2005/03/25のBlog
[ 04:20 ]
[ 映画レビュ- ]
Dear Frankie(イギリス映画)
監督:Shona Auerbach
出演:Emily Mortimer, Gerard Butler, Sharon small
カンヌ国際映画祭正式出品作品
公式サイト
http://www.dearfrankie.com/
ストーリーと映画紹介
耳の不自由な少年Frankieは、母親のLizzieとスコットランド中を転々と暮らしていた。Frankieは父親を知らず、母Lizzieは、船での長い航海に出ていると嘘をついてきた。Frankieは、父親宛の手紙をよく出しているが、その返事も実はLizzieの手によるもの。ずっとそうやってLizzieはFrankieを満足させてきたが、ある日、その架空の父親の乗っている船が、Frankieの町に停泊することをFrankieは知ってしまう。この町にお父さんが来るなら、会いたいと言い出す。Lizzieは、Frankieの願いを叶えるため、偽の父親を演じてくれる男を探しだす・・・イギリス映画の十八番とも云える、小さいが心温まるハートウォーミングストーリー。
今この瞬間を共有することの大切さ。
いい映画です。感動します。もうこれだけで批評終わりたいぐらいです(笑)
父親を知らない少年と母親の葛藤という、伝統的なモチーフを正面からチャレンジするのは、実は結構勇気のいることなんです。過去にすでに数多くの名作があるので、それらに対して、必然的に挑戦しなくてはならない。これは本当に大変なことだと思います。この作品の挑戦は見事成功だと思います。
この作品を非凡なものにしているのは、今ここの瞬間を共有による、感情の伝染によるものです。そしてもう一点が家族が成立するということは、それ自体一種の奇跡のようなものであると描いた点にあります。
本当なら一日だけ、父親を演じるはずだったが、なぜか、自らもう一日一緒に過ごさせてくれと名乗り出てしまう。少年の父親に対する思いは、この男に伝染し、彼の気持ちを変えていきます。まったくの見ず知らずに少年にです。やがてそれは母親にも伝染していきます。この見ず知らずの男と口づけすらかわします。そしてそれは、ごく自然に、というか奇をてらうことなくというか、あたかも必然的であるかのようなんですね。
何者だかわからない男とですら、その場を共有することにやって生まれる、感情の連鎖があり得ることを、この映画は示しています。そしてそれが家族を成り立たせる奇跡の正体でもあるんです。そもそも家族とは、なにを持って家族なのか。この映画なら、親子の情愛が伝染しあったもの同士ということになるでしょうか。
確かにFrankieと母Lizzieにとって、男と過ごした2日間は、一つの家族であったはずです。男にとってすらそうだったでしょう。
その後、本物の父親がLizzieの前に現れることになりますが、彼とはそうした、感情の連鎖が起こらない。時間を重ねれば、また伝染は起きるのかわかりませんが、Lizzieは、彼をFrankieに会わせることを拒否してしまいます。
舌足らずな感(オレの文章の方が舌足らずだけど)もある映画ですが、実に心温まるいい作品です。なにより人間がしっかり描けている。
日本公開は未定みたいですけど、公開されたら是非ご覧ください。
監督:Shona Auerbach
出演:Emily Mortimer, Gerard Butler, Sharon small
カンヌ国際映画祭正式出品作品
公式サイト
http://www.dearfrankie.com/
ストーリーと映画紹介
耳の不自由な少年Frankieは、母親のLizzieとスコットランド中を転々と暮らしていた。Frankieは父親を知らず、母Lizzieは、船での長い航海に出ていると嘘をついてきた。Frankieは、父親宛の手紙をよく出しているが、その返事も実はLizzieの手によるもの。ずっとそうやってLizzieはFrankieを満足させてきたが、ある日、その架空の父親の乗っている船が、Frankieの町に停泊することをFrankieは知ってしまう。この町にお父さんが来るなら、会いたいと言い出す。Lizzieは、Frankieの願いを叶えるため、偽の父親を演じてくれる男を探しだす・・・イギリス映画の十八番とも云える、小さいが心温まるハートウォーミングストーリー。
今この瞬間を共有することの大切さ。
いい映画です。感動します。もうこれだけで批評終わりたいぐらいです(笑)
父親を知らない少年と母親の葛藤という、伝統的なモチーフを正面からチャレンジするのは、実は結構勇気のいることなんです。過去にすでに数多くの名作があるので、それらに対して、必然的に挑戦しなくてはならない。これは本当に大変なことだと思います。この作品の挑戦は見事成功だと思います。
この作品を非凡なものにしているのは、今ここの瞬間を共有による、感情の伝染によるものです。そしてもう一点が家族が成立するということは、それ自体一種の奇跡のようなものであると描いた点にあります。
本当なら一日だけ、父親を演じるはずだったが、なぜか、自らもう一日一緒に過ごさせてくれと名乗り出てしまう。少年の父親に対する思いは、この男に伝染し、彼の気持ちを変えていきます。まったくの見ず知らずに少年にです。やがてそれは母親にも伝染していきます。この見ず知らずの男と口づけすらかわします。そしてそれは、ごく自然に、というか奇をてらうことなくというか、あたかも必然的であるかのようなんですね。
何者だかわからない男とですら、その場を共有することにやって生まれる、感情の連鎖があり得ることを、この映画は示しています。そしてそれが家族を成り立たせる奇跡の正体でもあるんです。そもそも家族とは、なにを持って家族なのか。この映画なら、親子の情愛が伝染しあったもの同士ということになるでしょうか。
確かにFrankieと母Lizzieにとって、男と過ごした2日間は、一つの家族であったはずです。男にとってすらそうだったでしょう。
その後、本物の父親がLizzieの前に現れることになりますが、彼とはそうした、感情の連鎖が起こらない。時間を重ねれば、また伝染は起きるのかわかりませんが、Lizzieは、彼をFrankieに会わせることを拒否してしまいます。
舌足らずな感(オレの文章の方が舌足らずだけど)もある映画ですが、実に心温まるいい作品です。なにより人間がしっかり描けている。
日本公開は未定みたいですけど、公開されたら是非ご覧ください。
