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2006/04/24のBlog
[ 20:07 ]
東京日々新聞一月二十五日
駒場野農学校開校式
聖上御親臨勅語を賜ふ
昨日は兼て仰せ出されし如く、聖上は駒場野の農学校へ臨御あらせられ、親しく開校の式を行はせ給ひぬ、其の次第を記し奉つるに、当日聖上は午前八時三十分仮皇居を御出門あらせられ、御馬車には徳大寺宮内卿陪乗し奉り、供奉には岩倉右大臣杉宮内少輔、土方一等侍 補、山口三等侍補、香川宮内大書記、桜井宮内少書記官、竹内四等侍医、侍従には建野、仙石、 高辻等の人々ぞ侍ひける。御順路を経給ひて午前九時四十五分農学校へ着御ならせ玉へば、儀仗隊左右に整列して敬礼し奉り、陸海軍の楽隊は一斉に楽を奏す、是よりさき午前七寺り八時までに勧農局の官員併に内務卿、輔、警視官、書記官等何れも通常礼服にて参校せられ、第九時に皇族、大臣、参議、各院省使の長官書記官等も先着ありたれば、今御車の玄関に着かせ給ふを見て、一同に出迎へ奉り、内務卿、式部頭、御先導にて御休息所へ入らせ玉ふ、程な く内務卿より用意具はりし旨を言上し、式部頭と共に式場へ導きまゐらす、式場の玉座へ着せ給ふを見て奏楽の声止み、内務卿御前に進みて、農学校図及び学校の■を奉呈す、此時左 の勅語あり。
朕惟フニ、農ハ国ノ本ナリ、物産由テ以テ殖シ・・・
内務卿祝辞奏上。農学校御雇教師ジョンアダムマックブライド祝辞奏上
駒場野農学校開校式
聖上御親臨勅語を賜ふ
昨日は兼て仰せ出されし如く、聖上は駒場野の農学校へ臨御あらせられ、親しく開校の式を行はせ給ひぬ、其の次第を記し奉つるに、当日聖上は午前八時三十分仮皇居を御出門あらせられ、御馬車には徳大寺宮内卿陪乗し奉り、供奉には岩倉右大臣杉宮内少輔、土方一等侍 補、山口三等侍補、香川宮内大書記、桜井宮内少書記官、竹内四等侍医、侍従には建野、仙石、 高辻等の人々ぞ侍ひける。御順路を経給ひて午前九時四十五分農学校へ着御ならせ玉へば、儀仗隊左右に整列して敬礼し奉り、陸海軍の楽隊は一斉に楽を奏す、是よりさき午前七寺り八時までに勧農局の官員併に内務卿、輔、警視官、書記官等何れも通常礼服にて参校せられ、第九時に皇族、大臣、参議、各院省使の長官書記官等も先着ありたれば、今御車の玄関に着かせ給ふを見て、一同に出迎へ奉り、内務卿、式部頭、御先導にて御休息所へ入らせ玉ふ、程な く内務卿より用意具はりし旨を言上し、式部頭と共に式場へ導きまゐらす、式場の玉座へ着せ給ふを見て奏楽の声止み、内務卿御前に進みて、農学校図及び学校の■を奉呈す、此時左 の勅語あり。
朕惟フニ、農ハ国ノ本ナリ、物産由テ以テ殖シ・・・
内務卿祝辞奏上。農学校御雇教師ジョンアダムマックブライド祝辞奏上
[ 20:04 ]
陸軍省軍務局副課員兼陸軍重症病馬治療所長陸軍一等獣医正七位 黒瀬貞次先生序文
陸軍士官学校教官陸軍一等獣医正七位 一柳直宰先生校閲
大日本私立衛生会牛痘種継所技術員梅野信吉君 私立東京獣医学校教員山本廣吉君同編
「家畜比較解剖図譜」
緒言
一本図ハ仏国獣医学校総監博物館教頭学士会委員ショーボー及ビ同国リオン獣医学校教授兼リオン医学院教授アルロアン両氏ノ著述ニ・・・
明治二十五年七月十日印刷出版
編輯兼発行者 福岡県平民 梅野信吉 東京市牛込区市ケ谷加賀町壹丁目十壹番地
発行所 東京市牛込区市ケ谷加賀町壹丁目十番地 東京獣医新報社
彫刻者 東京市京橋区瀧山町壱番地 秀明堂 杉崎帰四之助
定価 金壱円廿五銭
陸軍士官学校教官陸軍一等獣医正七位 一柳直宰先生校閲
大日本私立衛生会牛痘種継所技術員梅野信吉君 私立東京獣医学校教員山本廣吉君同編
「家畜比較解剖図譜」
緒言
一本図ハ仏国獣医学校総監博物館教頭学士会委員ショーボー及ビ同国リオン獣医学校教授兼リオン医学院教授アルロアン両氏ノ著述ニ・・・
明治二十五年七月十日印刷出版
編輯兼発行者 福岡県平民 梅野信吉 東京市牛込区市ケ谷加賀町壹丁目十壹番地
発行所 東京市牛込区市ケ谷加賀町壹丁目十番地 東京獣医新報社
彫刻者 東京市京橋区瀧山町壱番地 秀明堂 杉崎帰四之助
定価 金壱円廿五銭
2006/04/18のBlog
[ 20:46 ]
長州藩身分制度下の牛馬を取り扱う者の身分
武士の身分で馬の療治を行う者は馬医.百姓・町人身分で牛馬の売買を周旋する者は馬喰,療治を行う者は伯楽.雑戸・穢多の身分は死牛馬の取扱が家業とされ,生牛馬は取り扱う事が出来ない.非人は生産活動に加わる事が禁止され,貰いによって生きることが定められている.百姓から米麦を貰い,謝礼に生牛馬の血取りや繕いをなす事は慣習として認められている.この他の非差別身分は生死を問わず牛馬の取扱が禁止されている.他の藩にあっては厩の加持祈祷や馬の療治の特権をあたえられた特別な身分がある.
武士の身分で馬の療治を行う者は馬医.百姓・町人身分で牛馬の売買を周旋する者は馬喰,療治を行う者は伯楽.雑戸・穢多の身分は死牛馬の取扱が家業とされ,生牛馬は取り扱う事が出来ない.非人は生産活動に加わる事が禁止され,貰いによって生きることが定められている.百姓から米麦を貰い,謝礼に生牛馬の血取りや繕いをなす事は慣習として認められている.この他の非差別身分は生死を問わず牛馬の取扱が禁止されている.他の藩にあっては厩の加持祈祷や馬の療治の特権をあたえられた特別な身分がある.
2006/04/17のBlog
[ 19:38 ]
武術諸流系図
◎馬術
小笠原流は射術にあり
○ 大坪流 大坪式部大輔慶秀 村上加賀守永幸 斎藤備前守芳連 斎藤安芸守好玄
〇佐々木流 佐々木近江守義賢 中村孫兵衛善佐 大西木工助吉久
細川左衛門佐康政 上田流 上田但馬守重秀 加藤勘助重益
〇荒木流 荒木志摩守元清 同十左衛門元満 同十左衛門元政
原田権左衛門種明
○ 八條流 八條近江守房繁 長尾丹後守景家 屋代玄番重高 同左近将監俊
弟 八條兵部大輔房隆 同 六郎朝繁 氏家三河守高継 君袋監物高胤
同 出雲守隆胤 篠原織部正清
○新八條流 関口八右衛門信重 同 六助信通
○新富流 [二代不明]新富流四世 大田原政通 同 大和守師正
○直鞍流 神尾織倍吉久 小野常吉政直 村松四兵衛歳久 村松四郎歳堅
渡邊勝兵衛尉良 松田傳兵衛名
村松四兵衛歳廣
松村太郎兵衛歳直 安藤久太郎
多賀外記常昭
○荒木流○内藤流○神當流○近授流
大日本人名辞書 大日本人名辞書刊行会昭和十二年増訂十一版再版
◎馬術
小笠原流は射術にあり
○ 大坪流 大坪式部大輔慶秀 村上加賀守永幸 斎藤備前守芳連 斎藤安芸守好玄
〇佐々木流 佐々木近江守義賢 中村孫兵衛善佐 大西木工助吉久
細川左衛門佐康政 上田流 上田但馬守重秀 加藤勘助重益
〇荒木流 荒木志摩守元清 同十左衛門元満 同十左衛門元政
原田権左衛門種明
○ 八條流 八條近江守房繁 長尾丹後守景家 屋代玄番重高 同左近将監俊
弟 八條兵部大輔房隆 同 六郎朝繁 氏家三河守高継 君袋監物高胤
同 出雲守隆胤 篠原織部正清
○新八條流 関口八右衛門信重 同 六助信通
○新富流 [二代不明]新富流四世 大田原政通 同 大和守師正
○直鞍流 神尾織倍吉久 小野常吉政直 村松四兵衛歳久 村松四郎歳堅
渡邊勝兵衛尉良 松田傳兵衛名
村松四兵衛歳廣
松村太郎兵衛歳直 安藤久太郎
多賀外記常昭
○荒木流○内藤流○神當流○近授流
大日本人名辞書 大日本人名辞書刊行会昭和十二年増訂十一版再版
2006/04/12のBlog
[ 20:35 ]
明治十七年十月六日、県令・原保太郎は「第二回山口県勧業諮問会」を召集した。委員は二十二名、県内の篤農家[豪農・庄屋]である。この時の会頭よりの諮問は『獣医の農家に必要にしてその養成の急務なるは、多弁を費やさずして明けし。然れども其の養成法宜しきを得ざるときは労多くして功寡し。本県の如きは如何なる方法に由て獣医を養成するを事情に適せりとするや?』とある。
「第二回山口県勧業諮問会日誌[明治十七年山口県・山口県立図書館所蔵]
会議
是より獣医養成法の事項に付意見を陳述あるべし。
[吉敷郡・徳田]
獣医の養成は今日の急務とす。在来の伯楽なるものは馬の血を取り或は針治をなす等の施術に過ぎず。偶々診断の上投薬するものあるも、其病名を問へば言を左右に託して之を確言する事能はず。概して馬喰の巧者なるものたるに過ぎず。
然れども伯楽は互いに受持区域ありて、其受持区域の牛馬は決して他の伯楽来りて施療する事を得ざるの旧慣あり。一伯楽の受持牛馬は多きもの四・五百、少なきは四・五十に過ぎず。此の受持区域を名づけて『柴内』*と唱う。故に今新たに真性獣医を各地に置く も難症の診察を請うに止まり、血を取り又針治等は従前の如く必ず柴内の伯楽に依頼するならん。伯楽も一朝治療を依頼するものなきに至らば、数百の伯楽は忽ち活路に窮すべし。吉敷郡南部は牛馬一匹につき飼養主より伯楽に対して毎年春麦二升、秋米二升を贈与するを以て謝礼とす。斯の如き旧慣は容易に一洗し難し。依て以往は、主として伯楽の子孫を獣医講習所に入学せしめ、家業を維持する事を得せしむるにしかず。
*柴内・芝・サラシ場・草場・垣之内は斃牛馬処理皮革乾燥場所
[美祢郡・阿部]
徳田の陳述する如く、伯楽なるものは一つの家業に属せり。今之れを改めしむるは実際上伯楽のため憐むべき情実なきにしもあらず。故に伯楽に対して講習会の主意を懇諭せられ、可成的其の子孫を入学せしむるを良策とす。然る時は姑息の伯楽も真性獣医と化し、先祖伝来の家業を維持し満足すべし、若し愚鈍にして学業を修め得ざるものは家業を停止するも憾みなかるべし。
[美祢郡・笠井]
伯楽中或は人医を兼たるものあり、彼等は他の馬喰同様に見做し難し。故に真性の獣医を養成するまでは、之れを試験して獣医の免許を与えられたし。
[阿武郡・原]
獣医の農家に必要なるは贅弁を待たずして明なり。然れども今日にありては、在来の伯楽に頼るの他牛馬の病痾を治するの途なし。故に数百の伯楽中には獣医講習会の入学試験に合格者あるべくれば、是等は可成奨励して入学せしめたし。且つ獣医講習会の生徒は伯楽に限るものと定められたし。然して毎年数十名を養成せば、終に一般の伯楽をして真正の獣医たらしむに至らん。
[吉敷郡・徳田]
質問を要す。本県獣医講習会も東京駒場農学校の如く畜類を解剖して教授することもありや。将た書籍のみに止まるか。
[会頭]
毎年何回の解剖を施す等は今日に於て確答するを得ざれども、修業の順序によりては素より解剖して其の病理を教授せしめざるを得ず。今之を確定し難き所以は費途の都合もあり。且つ今年は今年は事創始に属するを以てなり。
[吉敷郡・徳田]
先に述ぶるが如く、伯楽の子孫をして入学せしむるは最も希望する処なれど、在来の伯楽も一応獣医講習所に召集して、概略の病理等を授けらるるならば、独り伯楽の幸福のみならず、間接に農家へ与うる幸福も少なからずと思考す。
[厚狭郡・田口]
已に各員の縷述せらるる如く獣医の養成は最も急務なり。獣医講習会の生徒は少なくも一郡十名乃至二十名を募られん事を望む。然れども今年はすでに其の費金等決定したるものなれば今更人員を増加するを得ざるべし。先づ第一期の学生十二名の卒業したる後ち之を拡充するの良法もあるならん。今日の如き無学の伯楽は、早晩改良せざれば実に農家の不幸というべし。
[熊毛郡・矢田]
給費生は十二名に限ると雖も自費を以て入学するものは之れを許さるるか。本員は十二名の外自費を以て一郡区より二名の生徒を募りたき精神なり。
[会頭]
素より自費入学は許す事あるべし。然れども教場及び寄宿所の都合もあれば当分謝絶せざるを得ず。尤も他に寄宿して通学するものは敢て妨げなきと雖も、教場の授業時間に至りては、夫々時刻を制限するものなるを以て学力に等差ある時は二度にも三度にも授業を行なうに至るべし。然るときは教場も大いに差つどいを生ずるを以て先づ当年は十二名の外は、入学せしむる事或は難からん。
[熊毛郡・矢田]
学業等差なく、共に授業するを得るものなればあながち之れを謝絶するにあらずという意なるや。
[会頭]
然り。
[阿武郡・久保田]
此の業の未だ開けざるは今日の欠典というべし。阿武郡萩の如きは稍々学力ある青年輩の殆ど方向に迷惑するもの実に少なしとせず。彼等を募りて入学せしむる時は独り彼の方向を得るのみならず。則ち此業をして拡張するの一助ともならん。且つ又在来の伯楽なるものへ講習会より簡易なる獣医療治方を時々通報して、姑息の治療を改めしむるも亦た今日の急務にして、且つ此業の改良を計る一便法と考う。
[吉敷郡・徳田]
想うに明日は、獣医生の入学試験を施行せらるるならん。已に各郡より十二名の試験を請ひ来りたるや。
[御用係・粟屋]
郡によりては未だ願出ざるものあり。又一郡にて四・五名の多きに及べるあり。未だ願出ざるものは尚ほ促すつもりなり。
[吉敷郡・徳田]
新聞紙を以て募集の広告ありしは、各郡区応募のものなきによるならんと想う。我郡の如きも二名の志願者あり。一は已に小学校高等科を卒業したるものなり。然れども果して両名は志願して試験に応ずるや否は、帰村の上ならざれば確知し難し。
[御用係・粟屋]
希くは明日の試験に応せられん事を望む。
[佐波郡・貞弘]
阿武郡原の説の如く、伯楽の子弟をして先づ入学せしむるを可とす。依ては其の父兄に対して郡役所戸長役場等より懇諭せられん事を望む。人医を修業するものも多くは其の子弟より出づるは、祖先より連綿したる業を継続せんが為めなり。伯楽と雖も亦同じ。
[吉敷郡・石崎]
伯楽の弊害たる一にして足らずと雖も、其の最も恐るべきは手術の拙なるにより、深針又は深爪等を以て馬を死に至らしむるものあり。依て思うに在来の伯楽を一応試験の上沙汰せられん事を望む。
[会頭]
素より其の意なきにあらざれども、今試験を行う時は数多の伯楽中満足に試験を経過するものは、僅かに三分の一にも過ぎざるべし。然る時は地方より絶て伯楽なきに至り、為めに農家に不便を与うべし。各員陳述の如く言うべからざる弊害ありと雖も、如何にせん今日にありては牛馬の発病はこの伯楽に依らざれば、外に求むべき処なきを以て試験等も断行し能はざる所以なり。
[諮問会御用係・粟屋は駒場農学校獣医別科卒業の粟屋陽輔、栽培試験場内の獣医講習会の教授]
「第二回山口県勧業諮問会日誌[明治十七年山口県・山口県立図書館所蔵]
会議
是より獣医養成法の事項に付意見を陳述あるべし。
[吉敷郡・徳田]
獣医の養成は今日の急務とす。在来の伯楽なるものは馬の血を取り或は針治をなす等の施術に過ぎず。偶々診断の上投薬するものあるも、其病名を問へば言を左右に託して之を確言する事能はず。概して馬喰の巧者なるものたるに過ぎず。
然れども伯楽は互いに受持区域ありて、其受持区域の牛馬は決して他の伯楽来りて施療する事を得ざるの旧慣あり。一伯楽の受持牛馬は多きもの四・五百、少なきは四・五十に過ぎず。此の受持区域を名づけて『柴内』*と唱う。故に今新たに真性獣医を各地に置く も難症の診察を請うに止まり、血を取り又針治等は従前の如く必ず柴内の伯楽に依頼するならん。伯楽も一朝治療を依頼するものなきに至らば、数百の伯楽は忽ち活路に窮すべし。吉敷郡南部は牛馬一匹につき飼養主より伯楽に対して毎年春麦二升、秋米二升を贈与するを以て謝礼とす。斯の如き旧慣は容易に一洗し難し。依て以往は、主として伯楽の子孫を獣医講習所に入学せしめ、家業を維持する事を得せしむるにしかず。
*柴内・芝・サラシ場・草場・垣之内は斃牛馬処理皮革乾燥場所
[美祢郡・阿部]
徳田の陳述する如く、伯楽なるものは一つの家業に属せり。今之れを改めしむるは実際上伯楽のため憐むべき情実なきにしもあらず。故に伯楽に対して講習会の主意を懇諭せられ、可成的其の子孫を入学せしむるを良策とす。然る時は姑息の伯楽も真性獣医と化し、先祖伝来の家業を維持し満足すべし、若し愚鈍にして学業を修め得ざるものは家業を停止するも憾みなかるべし。
[美祢郡・笠井]
伯楽中或は人医を兼たるものあり、彼等は他の馬喰同様に見做し難し。故に真性の獣医を養成するまでは、之れを試験して獣医の免許を与えられたし。
[阿武郡・原]
獣医の農家に必要なるは贅弁を待たずして明なり。然れども今日にありては、在来の伯楽に頼るの他牛馬の病痾を治するの途なし。故に数百の伯楽中には獣医講習会の入学試験に合格者あるべくれば、是等は可成奨励して入学せしめたし。且つ獣医講習会の生徒は伯楽に限るものと定められたし。然して毎年数十名を養成せば、終に一般の伯楽をして真正の獣医たらしむに至らん。
[吉敷郡・徳田]
質問を要す。本県獣医講習会も東京駒場農学校の如く畜類を解剖して教授することもありや。将た書籍のみに止まるか。
[会頭]
毎年何回の解剖を施す等は今日に於て確答するを得ざれども、修業の順序によりては素より解剖して其の病理を教授せしめざるを得ず。今之を確定し難き所以は費途の都合もあり。且つ今年は今年は事創始に属するを以てなり。
[吉敷郡・徳田]
先に述ぶるが如く、伯楽の子孫をして入学せしむるは最も希望する処なれど、在来の伯楽も一応獣医講習所に召集して、概略の病理等を授けらるるならば、独り伯楽の幸福のみならず、間接に農家へ与うる幸福も少なからずと思考す。
[厚狭郡・田口]
已に各員の縷述せらるる如く獣医の養成は最も急務なり。獣医講習会の生徒は少なくも一郡十名乃至二十名を募られん事を望む。然れども今年はすでに其の費金等決定したるものなれば今更人員を増加するを得ざるべし。先づ第一期の学生十二名の卒業したる後ち之を拡充するの良法もあるならん。今日の如き無学の伯楽は、早晩改良せざれば実に農家の不幸というべし。
[熊毛郡・矢田]
給費生は十二名に限ると雖も自費を以て入学するものは之れを許さるるか。本員は十二名の外自費を以て一郡区より二名の生徒を募りたき精神なり。
[会頭]
素より自費入学は許す事あるべし。然れども教場及び寄宿所の都合もあれば当分謝絶せざるを得ず。尤も他に寄宿して通学するものは敢て妨げなきと雖も、教場の授業時間に至りては、夫々時刻を制限するものなるを以て学力に等差ある時は二度にも三度にも授業を行なうに至るべし。然るときは教場も大いに差つどいを生ずるを以て先づ当年は十二名の外は、入学せしむる事或は難からん。
[熊毛郡・矢田]
学業等差なく、共に授業するを得るものなればあながち之れを謝絶するにあらずという意なるや。
[会頭]
然り。
[阿武郡・久保田]
此の業の未だ開けざるは今日の欠典というべし。阿武郡萩の如きは稍々学力ある青年輩の殆ど方向に迷惑するもの実に少なしとせず。彼等を募りて入学せしむる時は独り彼の方向を得るのみならず。則ち此業をして拡張するの一助ともならん。且つ又在来の伯楽なるものへ講習会より簡易なる獣医療治方を時々通報して、姑息の治療を改めしむるも亦た今日の急務にして、且つ此業の改良を計る一便法と考う。
[吉敷郡・徳田]
想うに明日は、獣医生の入学試験を施行せらるるならん。已に各郡より十二名の試験を請ひ来りたるや。
[御用係・粟屋]
郡によりては未だ願出ざるものあり。又一郡にて四・五名の多きに及べるあり。未だ願出ざるものは尚ほ促すつもりなり。
[吉敷郡・徳田]
新聞紙を以て募集の広告ありしは、各郡区応募のものなきによるならんと想う。我郡の如きも二名の志願者あり。一は已に小学校高等科を卒業したるものなり。然れども果して両名は志願して試験に応ずるや否は、帰村の上ならざれば確知し難し。
[御用係・粟屋]
希くは明日の試験に応せられん事を望む。
[佐波郡・貞弘]
阿武郡原の説の如く、伯楽の子弟をして先づ入学せしむるを可とす。依ては其の父兄に対して郡役所戸長役場等より懇諭せられん事を望む。人医を修業するものも多くは其の子弟より出づるは、祖先より連綿したる業を継続せんが為めなり。伯楽と雖も亦同じ。
[吉敷郡・石崎]
伯楽の弊害たる一にして足らずと雖も、其の最も恐るべきは手術の拙なるにより、深針又は深爪等を以て馬を死に至らしむるものあり。依て思うに在来の伯楽を一応試験の上沙汰せられん事を望む。
[会頭]
素より其の意なきにあらざれども、今試験を行う時は数多の伯楽中満足に試験を経過するものは、僅かに三分の一にも過ぎざるべし。然る時は地方より絶て伯楽なきに至り、為めに農家に不便を与うべし。各員陳述の如く言うべからざる弊害ありと雖も、如何にせん今日にありては牛馬の発病はこの伯楽に依らざれば、外に求むべき処なきを以て試験等も断行し能はざる所以なり。
[諮問会御用係・粟屋は駒場農学校獣医別科卒業の粟屋陽輔、栽培試験場内の獣医講習会の教授]
[ 19:55 ]
牛馬の取扱を生業にする者の系譜・差別の構造
牛馬の診療に携わる者を「獣医」の名称で国家政府が取締るのは、明治十四年二月二十 一日の内務省乙第九号以来の事である。しかし、実際の法的な定めがなされるのは農商務省の設置(明治十四年四月七日)以降である。さらに、獣醫の法的身分が定められるのは明治十八年八月二十二日の太政官布告第二十八号以降の事である。政府はこの時同時に太政官 布達第十七号を以て獣医開業試験規則を制定した。
明治維新以前に牛馬の取扱に係わった者の名称は、対象が馬の場合は馬醫、うまのくすし、伯楽、馬喰等で身分は多くは武士、百姓・町人である。但し馬喰と称する者の中には、牛馬 の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々がいる。また、牛の場合はその所有者が百姓・町人であるために武士身分の者が取扱に係わる事は無い。牛の取扱に係わる者は 百姓・町人身分の伯楽か、牛馬の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々であ る。
一章 長州藩身分制度下の牛馬を取扱う者について
近世末の身分は士農工商の四つに分類されるが、武士を基準に支配関係を考えると、武士は武家の統領に支配され、百姓(農)・町方(工商)・雑戸の身分を直接的・間接的に支 配する。近世封建制度下の身分は貢租の様式で明確に区分されている。則ち、物成等の名目 で貢租する身分は百姓であり、運上等の名目で貢租する身分が町人である。また、雑戸の身 分は個々に貢租の方法が定められている。以下に長州藩における身分支配関係と、身分の所有する家畜動物の当時における一般的呼称及び身分に課せられた貢租方法を示した。
藩主・領主 召馬
藩士 御馬
百姓・町人 牛馬 生産活動が保障され、貢租の方法が定められている。
穢多(かわや・長吏) 特牛 死牛馬の取扱権保障、特牛皮上納が課せられている。 茶筅(はちや・道の者) 徘徊が保障され、茶筅献上が課せられている。
宮番(警番・火番) 生業が認められ、穢多に管轄される
猿引(さるまわし) 徘徊が許されて、穢多に管轄される
非人 貰いが許可、生産活動への従事は禁止されている。
被差別部落の支配機構
郡奉行 代官 大庄屋 庄屋 畔頭 百姓
頭取 小頭 年寄 穢多
馬醫の存在 『和漢三才図会』巻七[寺島良安] 人倫訓蒙図嚢 諸隊記録 諸流系図
内国獣医公会における深谷馬醫監の講演と勝島仙之介の記録 軍馬醫
非差別身分伯楽・馬喰の存在 開田村の記録。山口県勧業諮問会議の記録 馬喰の収入
身分制度の変更 平民と新平民 獣医制度の確立と新平民の切り捨て士族授産の意味するもの
牛馬の診療に携わる者を「獣医」の名称で国家政府が取締るのは、明治十四年二月二十 一日の内務省乙第九号以来の事である。しかし、実際の法的な定めがなされるのは農商務省の設置(明治十四年四月七日)以降である。さらに、獣醫の法的身分が定められるのは明治十八年八月二十二日の太政官布告第二十八号以降の事である。政府はこの時同時に太政官 布達第十七号を以て獣医開業試験規則を制定した。
明治維新以前に牛馬の取扱に係わった者の名称は、対象が馬の場合は馬醫、うまのくすし、伯楽、馬喰等で身分は多くは武士、百姓・町人である。但し馬喰と称する者の中には、牛馬 の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々がいる。また、牛の場合はその所有者が百姓・町人であるために武士身分の者が取扱に係わる事は無い。牛の取扱に係わる者は 百姓・町人身分の伯楽か、牛馬の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々であ る。
一章 長州藩身分制度下の牛馬を取扱う者について
近世末の身分は士農工商の四つに分類されるが、武士を基準に支配関係を考えると、武士は武家の統領に支配され、百姓(農)・町方(工商)・雑戸の身分を直接的・間接的に支 配する。近世封建制度下の身分は貢租の様式で明確に区分されている。則ち、物成等の名目 で貢租する身分は百姓であり、運上等の名目で貢租する身分が町人である。また、雑戸の身 分は個々に貢租の方法が定められている。以下に長州藩における身分支配関係と、身分の所有する家畜動物の当時における一般的呼称及び身分に課せられた貢租方法を示した。
藩主・領主 召馬
藩士 御馬
百姓・町人 牛馬 生産活動が保障され、貢租の方法が定められている。
穢多(かわや・長吏) 特牛 死牛馬の取扱権保障、特牛皮上納が課せられている。 茶筅(はちや・道の者) 徘徊が保障され、茶筅献上が課せられている。
宮番(警番・火番) 生業が認められ、穢多に管轄される
猿引(さるまわし) 徘徊が許されて、穢多に管轄される
非人 貰いが許可、生産活動への従事は禁止されている。
被差別部落の支配機構
郡奉行 代官 大庄屋 庄屋 畔頭 百姓
頭取 小頭 年寄 穢多
馬醫の存在 『和漢三才図会』巻七[寺島良安] 人倫訓蒙図嚢 諸隊記録 諸流系図
内国獣医公会における深谷馬醫監の講演と勝島仙之介の記録 軍馬醫
非差別身分伯楽・馬喰の存在 開田村の記録。山口県勧業諮問会議の記録 馬喰の収入
身分制度の変更 平民と新平民 獣医制度の確立と新平民の切り捨て士族授産の意味するもの
[ 14:16 ]
正保三年写本安驥抜書療治秘伝同複写本あんき
元禄六年写本安驥集灸法同複写本あんき
延寳三年写本安驥集抜書同複写本あんき
延寳七年写本安驥集抜書同複写本あんき
寛永十七年写本安驥集針書同複写本あんきしゅう
美祢市郷土文化研伊佐の売薬用具調1993年発行伊佐の売薬用具いさのばいやく
美祢市立図書館編昭和50年伊佐売薬史料集二いさばいやくしりょうしゅう
昭和五十五年複写本馬の古文献目録うま
昭和三年一巻一号応用獣医学雑誌おうよう
差別問題総鑑平成七年五刷同和文献保存会大江甚三郎おおえ
昭和五十四年小郡小郡町発行小郡町史おごおりちょうし
大系日本の歴史⑫小学館ライブラリ1997年華族・士族のゆくえかぞくしぞく
明治二十一年農商務省版全巻揃い家畜医範かちく
明治三十一年家畜病名彙かちく
昭和八年創刊号より家畜衛生協会報かちくえいせい
明治四十一年生駒本家畜衛生学教科書かちくえいせい
梅野信吉編家畜解剖図譜かちくかいぼう
梅野信吉編有燐堂家畜解剖図譜かちくかいぼう
原島本上下家畜診断学かちくしんだん
大正十五年家畜新治療要覧かちくしんちりょう
明治四十年松本本家畜組織学かちくそしき
勝島仙之介版上下家畜内科学かちくないか
明治三十六年生駒本家畜病理通論時重初熊写真かちくびょうり
複写本仮名安驥集巻五かなあんき
岸浩遺品稿本喫狗傷考きっくしょう
[喜多村信節]平成八年『日本随別巻・吉川弘文館嬉遊笑覧きゆう
今泉実兵蔵本岸浩筆写稿本牛医一流の秘伝書ぎゅうい
富士川本複写本牛科撮要ぎゅうかさつよう
杏雨書屋本写真複牛書農書全集原本ぎゅうしょ
梅野家伝カラー複写牛書ぎゅうしょ
寳暦六年本複写本牛療治調法記ぎゅうりょうじちょうほうき
天明写本複写本牛療治調法記ぎゅうりょうじちょうほうき
延寳六年写本驍治秘伝書ぎょうじ
中国本農業出版社元亨療馬洗釈げんきょう
毛利家蔵本刊記附き貴重本複写本元亨療馬付駝経げんきょう
暁鐘成複写本契約書その他一式犬狗養畜伝複写本農書全集原本けんくようちく
昭和七年改題一巻一号現代の獣医界げんだいのじゅういかい
日本大学蔵長尾複写無意味書犬名補けんめいほ
明治四十二年古本購入工業薬品大辞典こうぎょうやくひんだいじてん
安藤圓秀編1960東京大学出版局駒場農学校等資料こまばのうがっこう
大正九年刊最新獣医宝典さいしんじゅういほうてん
台湾中華書局十後魏期書復刻本齊民要術さいみん
岸浩学位論文自家版参考論文Ⅱさんこうろんぶん
昭和二十二年復刊一号獣医界じゅういかい
昭和十二年創刊全巻揃い獣医界じゅういかい
大正二年津野本獣医警察じゅういけいさつ
農林水産省畜産局獣医事研究会編平成五年地球社獣医師法・獣医療法の解説
明治十六年獣医書典出版義会獣医内科学書第一号じゅういないかがくしょ
南方熊楠東洋文朝倉昭平校訂馬十二支考じゅうにし
大正五年刊処方三千集しょほうさんぜんしゅう
中国本農業出版社新刻注釈牛馬駝経大全集しんこく
浅野文庫本複写本新刻参補針医馬経大全しんこくさんぽしんい
西村一郎右衛門版各種写し狩野文庫本複写本新刻参補針医馬経大全しんこくさんぽしんい中国本農業出版楊時喬新刻馬書しんこくばしょ
房士良複写本全三冊新編集成牛医方しんぺんしゅうせい
中国本農業出版社新編集成馬医方牛医方校釈しんぺんしゅうせい
稲葉君山本影印複写本新編集成馬医方牛医方しんぺんしゅうせい
元禄十一年写本新編療馬書しんぺんりょうば
朝倉治彦校注東1990年馬乗馬医人倫訓蒙図彙じんりんくんもう
山脇東洋本複写原本下関市長府図臓志ぞうし
一部複写本装蹄師講本そうていしこうほん
昭和十一年相馬秘伝の研究そうまひでん
明治四十二年岩住本畜産教科書ちくさんきょうかしょ
寛永十七年写本畜養巻ちくようかん
中国本農業出版社中国農業遺産文献総録ちゅうごくのうぎょう
中国本河南科学技術出版社中獣医方剤学ちゅうじゅうい
昭和十四年創刊号日本獣医学雑誌にほんじゅういがく
昭和四年創刊号日本獣医師会雑誌にほんじゅういしかいざっし
山脇圭吉本昭和七年日本帝国家畜伝染予防史にほんていこく
明治四十五年柴山五郎作本複写本日本伝染病小史にほんでんせんびょう
昭和三年帝国競馬馬医日本馬政史にほんばせい
長州藩部落解放史1980年三一書房東京布引敏雄ぬのひき
昭和五十八年根岸競馬公苑古文目録ねぎしけいば
昭和三十二年刊農林省版複写本農務顛末のうむてんまつ
康徳七年創刊号馬疫研究所研究報告ばえきけんきゅう
浅野本写し原紙復刻本馬経大全ばぎょうたいぜん
別冊歴史読本考証1998年新人物吉成勇編集幕末維新考証総覧ばくまつ
陸軍兵学寮明治四年馬療新論ばりょうしんろん
兵学寮版複写製本馬療新論ばりょうしんろん
村松尚志軒天保十年稿本複写本馬療本草四巻揃いばりょうほんぞう
陸軍獣医学校病馬治験録びょうばちけん
前近代の部落問題広島県史・資料編昭和四十八年広島県史編さん室ひろしまけん
部落問題事典1986年大阪部落解放研究所ぶらくかいほう
部落問題事典1986年大阪部落解放研究所ぶらくかいほう
昭和五十八年山口県文書館刊行防長風土注進案と同和問題参考文献七十四編ぼうちょうふうどちゅうしんあん
原本天保十二年正山口県文書館編集山口県立山口図書防長風土注進案現行活字
本ぼうちょうふうどちゅうしんあん
写本本灌順目録ほんかんじゅん
人見必大島田勇平凡社395『齊民要術』引用本朝食鑑ほんちょう
大系日本の歴史⑬1997年坂野潤治近代日本の出発松方財政と激化民権まつかた
康徳九年創刊号満州獣医畜産学雑誌まんしゅうじゅうい
昭和五十七年美祢美祢市発行美祢市史みねしし
明治四年六月民部長崎県深水文書複写民部省達十四号みんぶしょうたつれい
農商務省蔵版家畜村上要信他松尾昭和六十年農山漁明治農書全集第八巻めいじのうしょ
吉益東洞活字本写本薬徴やくちょう
昭和二十七年創刊号山口県獣医師会雑誌やまぐちけんじゅういしかいざっし
岸浩遺品自家版1984年山口県種畜育成所創立史やまぐちけんしゅちくいくせいしょ
山口県内務部大正七年山口県畜産概況やまぐちけんちくさんがいきょう
山口県広報連絡協平成三年近現代山口県の歴史やまぐちけんのれきし
昭和四十九年創刊号山口獣医学雑誌やまぐちじゅういがくざっし
段成式東洋文庫『齊民要術』を引用酉陽雑俎ゆうようざっそ
明治四十二年創刊陸軍獸醫團報りくぐんじゅうい
明治八年刊複写本陸軍服制図例原本譲渡りくぐんふく
山口大学図書館蔵山口県版流行病予防法りゅうこう
一九八三年創刊号臨床獣医りんしょうじゅうい
一九二五年創刊号二冊臨床獣医学新報りんしょうじゅういがくしんぽう
長沢本複写本和漢古書目録記述法わかんこしょもくろくきじゅつほう
元禄六年写本安驥集灸法同複写本あんき
延寳三年写本安驥集抜書同複写本あんき
延寳七年写本安驥集抜書同複写本あんき
寛永十七年写本安驥集針書同複写本あんきしゅう
美祢市郷土文化研伊佐の売薬用具調1993年発行伊佐の売薬用具いさのばいやく
美祢市立図書館編昭和50年伊佐売薬史料集二いさばいやくしりょうしゅう
昭和五十五年複写本馬の古文献目録うま
昭和三年一巻一号応用獣医学雑誌おうよう
差別問題総鑑平成七年五刷同和文献保存会大江甚三郎おおえ
昭和五十四年小郡小郡町発行小郡町史おごおりちょうし
大系日本の歴史⑫小学館ライブラリ1997年華族・士族のゆくえかぞくしぞく
明治二十一年農商務省版全巻揃い家畜医範かちく
明治三十一年家畜病名彙かちく
昭和八年創刊号より家畜衛生協会報かちくえいせい
明治四十一年生駒本家畜衛生学教科書かちくえいせい
梅野信吉編家畜解剖図譜かちくかいぼう
梅野信吉編有燐堂家畜解剖図譜かちくかいぼう
原島本上下家畜診断学かちくしんだん
大正十五年家畜新治療要覧かちくしんちりょう
明治四十年松本本家畜組織学かちくそしき
勝島仙之介版上下家畜内科学かちくないか
明治三十六年生駒本家畜病理通論時重初熊写真かちくびょうり
複写本仮名安驥集巻五かなあんき
岸浩遺品稿本喫狗傷考きっくしょう
[喜多村信節]平成八年『日本随別巻・吉川弘文館嬉遊笑覧きゆう
今泉実兵蔵本岸浩筆写稿本牛医一流の秘伝書ぎゅうい
富士川本複写本牛科撮要ぎゅうかさつよう
杏雨書屋本写真複牛書農書全集原本ぎゅうしょ
梅野家伝カラー複写牛書ぎゅうしょ
寳暦六年本複写本牛療治調法記ぎゅうりょうじちょうほうき
天明写本複写本牛療治調法記ぎゅうりょうじちょうほうき
延寳六年写本驍治秘伝書ぎょうじ
中国本農業出版社元亨療馬洗釈げんきょう
毛利家蔵本刊記附き貴重本複写本元亨療馬付駝経げんきょう
暁鐘成複写本契約書その他一式犬狗養畜伝複写本農書全集原本けんくようちく
昭和七年改題一巻一号現代の獣医界げんだいのじゅういかい
日本大学蔵長尾複写無意味書犬名補けんめいほ
明治四十二年古本購入工業薬品大辞典こうぎょうやくひんだいじてん
安藤圓秀編1960東京大学出版局駒場農学校等資料こまばのうがっこう
大正九年刊最新獣医宝典さいしんじゅういほうてん
台湾中華書局十後魏期書復刻本齊民要術さいみん
岸浩学位論文自家版参考論文Ⅱさんこうろんぶん
昭和二十二年復刊一号獣医界じゅういかい
昭和十二年創刊全巻揃い獣医界じゅういかい
大正二年津野本獣医警察じゅういけいさつ
農林水産省畜産局獣医事研究会編平成五年地球社獣医師法・獣医療法の解説
明治十六年獣医書典出版義会獣医内科学書第一号じゅういないかがくしょ
南方熊楠東洋文朝倉昭平校訂馬十二支考じゅうにし
大正五年刊処方三千集しょほうさんぜんしゅう
中国本農業出版社新刻注釈牛馬駝経大全集しんこく
浅野文庫本複写本新刻参補針医馬経大全しんこくさんぽしんい
西村一郎右衛門版各種写し狩野文庫本複写本新刻参補針医馬経大全しんこくさんぽしんい中国本農業出版楊時喬新刻馬書しんこくばしょ
房士良複写本全三冊新編集成牛医方しんぺんしゅうせい
中国本農業出版社新編集成馬医方牛医方校釈しんぺんしゅうせい
稲葉君山本影印複写本新編集成馬医方牛医方しんぺんしゅうせい
元禄十一年写本新編療馬書しんぺんりょうば
朝倉治彦校注東1990年馬乗馬医人倫訓蒙図彙じんりんくんもう
山脇東洋本複写原本下関市長府図臓志ぞうし
一部複写本装蹄師講本そうていしこうほん
昭和十一年相馬秘伝の研究そうまひでん
明治四十二年岩住本畜産教科書ちくさんきょうかしょ
寛永十七年写本畜養巻ちくようかん
中国本農業出版社中国農業遺産文献総録ちゅうごくのうぎょう
中国本河南科学技術出版社中獣医方剤学ちゅうじゅうい
昭和十四年創刊号日本獣医学雑誌にほんじゅういがく
昭和四年創刊号日本獣医師会雑誌にほんじゅういしかいざっし
山脇圭吉本昭和七年日本帝国家畜伝染予防史にほんていこく
明治四十五年柴山五郎作本複写本日本伝染病小史にほんでんせんびょう
昭和三年帝国競馬馬医日本馬政史にほんばせい
長州藩部落解放史1980年三一書房東京布引敏雄ぬのひき
昭和五十八年根岸競馬公苑古文目録ねぎしけいば
昭和三十二年刊農林省版複写本農務顛末のうむてんまつ
康徳七年創刊号馬疫研究所研究報告ばえきけんきゅう
浅野本写し原紙復刻本馬経大全ばぎょうたいぜん
別冊歴史読本考証1998年新人物吉成勇編集幕末維新考証総覧ばくまつ
陸軍兵学寮明治四年馬療新論ばりょうしんろん
兵学寮版複写製本馬療新論ばりょうしんろん
村松尚志軒天保十年稿本複写本馬療本草四巻揃いばりょうほんぞう
陸軍獣医学校病馬治験録びょうばちけん
前近代の部落問題広島県史・資料編昭和四十八年広島県史編さん室ひろしまけん
部落問題事典1986年大阪部落解放研究所ぶらくかいほう
部落問題事典1986年大阪部落解放研究所ぶらくかいほう
昭和五十八年山口県文書館刊行防長風土注進案と同和問題参考文献七十四編ぼうちょうふうどちゅうしんあん
原本天保十二年正山口県文書館編集山口県立山口図書防長風土注進案現行活字
本ぼうちょうふうどちゅうしんあん
写本本灌順目録ほんかんじゅん
人見必大島田勇平凡社395『齊民要術』引用本朝食鑑ほんちょう
大系日本の歴史⑬1997年坂野潤治近代日本の出発松方財政と激化民権まつかた
康徳九年創刊号満州獣医畜産学雑誌まんしゅうじゅうい
昭和五十七年美祢美祢市発行美祢市史みねしし
明治四年六月民部長崎県深水文書複写民部省達十四号みんぶしょうたつれい
農商務省蔵版家畜村上要信他松尾昭和六十年農山漁明治農書全集第八巻めいじのうしょ
吉益東洞活字本写本薬徴やくちょう
昭和二十七年創刊号山口県獣医師会雑誌やまぐちけんじゅういしかいざっし
岸浩遺品自家版1984年山口県種畜育成所創立史やまぐちけんしゅちくいくせいしょ
山口県内務部大正七年山口県畜産概況やまぐちけんちくさんがいきょう
山口県広報連絡協平成三年近現代山口県の歴史やまぐちけんのれきし
昭和四十九年創刊号山口獣医学雑誌やまぐちじゅういがくざっし
段成式東洋文庫『齊民要術』を引用酉陽雑俎ゆうようざっそ
明治四十二年創刊陸軍獸醫團報りくぐんじゅうい
明治八年刊複写本陸軍服制図例原本譲渡りくぐんふく
山口大学図書館蔵山口県版流行病予防法りゅうこう
一九八三年創刊号臨床獣医りんしょうじゅうい
一九二五年創刊号二冊臨床獣医学新報りんしょうじゅういがくしんぽう
長沢本複写本和漢古書目録記述法わかんこしょもくろくきじゅつほう
[ 13:32 ]
未定稿 牛馬の取扱を生業にする者の系譜・差別の構造
牛馬の診療に携わる者を「獣医」の名称で国家政府が取締るのは、明治十四年二月二十 一日の内務省乙第九号以来の事である。しかし、実際の法的な定めがなされるのは農商務省の設置(明治十四年四月七日)以降である。さらに、獣醫の法的身分が定められるのは明治十八年八月二十二日の太政官布告第二十八号以降の事である。政府はこの時同時に太政官 布達第十七号を以て獣医開業試験規則を制定した。
明治維新以前に牛馬の取扱に係わった者の名称は、対象が馬の場合は馬醫、うまのくすし、伯楽、馬喰等で身分は多くは武士、百姓・町人である。但し馬喰と称する者の中には、牛馬 の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々がいる。また、牛の場合はその所有者が百姓・町人であるために武士身分の者が取扱に係わる事は無い。牛の取扱に係わる者は 百姓・町人身分の伯楽か、牛馬の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々であ る。
一章 長州藩身分制度下の牛馬を取扱う者について
近世末の身分は士農工商の四つに分類されるが、武士を基準に支配関係を考えると、武士は武家の統領に支配され、百姓(農)・町方(工商)・雑戸の身分を直接的・間接的に支 配する。近世封建制度下の身分は貢租の様式で明確に区分されている。則ち、物成等の名目 で貢租する身分は百姓であり、運上等の名目で貢租する身分が町方である。また、雑戸の身 分は個々に貢租の方法が定められている。以下に長州藩における身分支配関係と身分によ る貢租方法、身分の所有する家畜動物の当時における一般的呼称を示した。
藩主・領主 召馬
藩士 御馬
百姓・町人 牛馬
穢多 特牛
非人 取扱禁止
穢多(かわや・長吏)特牛皮上納
茶筅(はちや・道の者)茶筅献上
宮番 穢多に管轄される
猿引 なし
非人 生産活動への従事禁止
牛馬の診療に携わる者を「獣医」の名称で国家政府が取締るのは、明治十四年二月二十 一日の内務省乙第九号以来の事である。しかし、実際の法的な定めがなされるのは農商務省の設置(明治十四年四月七日)以降である。さらに、獣醫の法的身分が定められるのは明治十八年八月二十二日の太政官布告第二十八号以降の事である。政府はこの時同時に太政官 布達第十七号を以て獣医開業試験規則を制定した。
明治維新以前に牛馬の取扱に係わった者の名称は、対象が馬の場合は馬醫、うまのくすし、伯楽、馬喰等で身分は多くは武士、百姓・町人である。但し馬喰と称する者の中には、牛馬 の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々がいる。また、牛の場合はその所有者が百姓・町人であるために武士身分の者が取扱に係わる事は無い。牛の取扱に係わる者は 百姓・町人身分の伯楽か、牛馬の死体を処理する特権を与えられた被差別身分の人々であ る。
一章 長州藩身分制度下の牛馬を取扱う者について
近世末の身分は士農工商の四つに分類されるが、武士を基準に支配関係を考えると、武士は武家の統領に支配され、百姓(農)・町方(工商)・雑戸の身分を直接的・間接的に支 配する。近世封建制度下の身分は貢租の様式で明確に区分されている。則ち、物成等の名目 で貢租する身分は百姓であり、運上等の名目で貢租する身分が町方である。また、雑戸の身 分は個々に貢租の方法が定められている。以下に長州藩における身分支配関係と身分によ る貢租方法、身分の所有する家畜動物の当時における一般的呼称を示した。
藩主・領主 召馬
藩士 御馬
百姓・町人 牛馬
穢多 特牛
非人 取扱禁止
穢多(かわや・長吏)特牛皮上納
茶筅(はちや・道の者)茶筅献上
宮番 穢多に管轄される
猿引 なし
非人 生産活動への従事禁止
2006/04/03のBlog
[ 20:24 ]
木塚静雄のプロフィール
木塚静雄氏はかつて下関市長府の山口大学農学部獣医学科に奉職されていたので、詳細な履歴書があると考え、山口大学に問い合せたところ、個人情報の開示は出来ないとのそっけない返答であった。しかし、非常に協力的な図書館職員のお陰で、氏は図書館の分館長をつとめられ、その著書の一部と、職員録などの情報が残されていることが判明した。 ここまで判れば充分である。昔の専門書には奥付に著者の略歴が記されているのが一般的であり、後は山口大学の三十五年史や五十年史を繙けば開示出来ない内部抗争の情報までもが述べられている。更に何よりの強みは木塚静雄氏の勤務された下関市長府の校舎で半年間授業を受けた記憶である。
木塚静雄氏の勤務された山口大学農学部獣医学科は下関市長府の瀬戸内海に面した所にあった。この大学校舎と言う建物は元神戸製鋼の寮で、敗戦後にオーストラリア軍の兵舎として使用されていたもので、廊下の壁には鼻血が出そうなグラマスクな女性のペンキ絵が画かれていた。建物の配置は板塀の門をを入った所が家畜病院で、向って左に枠場があった。さらにその隣は病理解剖場で、ここで破傷風の動物を解剖したために、枠場で馬の去勢手術をすると必ず破傷風になると、臨床の先生方がが嘆いておられた記憶がある。家畜病院の裏手の棟の二階に畜産学の研究室があった。更に奥まった所に解剖学の研究室と教室があり、二年生の前期の授業は殆どここで行われた。授業の担当は木脇先生で解剖学・組織学・発生学は学生にとって三大難関であった。その理由は授業は英語・ドイツ語・ラテン語がチャンポン、喋りは早口で聞き取りにくいし、板書は無類の悪筆・・・
更に付け加えれば校舎の隣に散髪屋と食堂があった。散髪屋は「とらや」で何となくトラガリにされそうなので遠慮していたが、食堂の焼きうどんは安くて美味かった覚えがある。
さてさて、この下関長府の山口大学農学部獣医学科畜産学の教室へ赴任された木塚静雄先生とは、大正十五年福岡県立中学修猷館を卒業、昭和五年熊本第五高等学校理科を卒業して昭和八年東京帝国大学農学部獣医学科卒、九ー十二年農林省畜産局技手、十二ー十三年農林技師宮城県種畜場長、十三ー二十年満州大陸科学院研究官、二十一年九州大学農学部講師・畜産学、昭和二十五年山口大学農学部獣医学科家畜衛生学教授に赴任、昭和三十八年三月退官、日本獣医畜産大学教授になられ三年後に病没。従って最も詳細な履歴と業績はここに保存されているはずである。
木塚静雄氏の研究の分野は家畜衛生・乳肉衛生に限らず、畜産・畜産物全般の利用に関する幅広いもので、その中には「写真用フィルムのゼラチンに関する研究」までもある。
木脇先生の事
「あのお方が獣医専に赴任しておいでたのは、終戦の前の歳じゃったから、お前が生まれる前の事じゃ。本の入った背嚢を一つ背負うて、繰り上げ卒業でのう・・・血筋は薩摩の名家で西郷家の親戚じゃが、生まれは朝鮮の京城で、内地に戻ってから鹿児島の高校から、東大へ入られてのう・・・獣医専ちゅうのは、今の山陽電波学校、昔の小郡高女で高木の断食寮の隣にあった学校じゃ。で、繰り上げ卒業じゃったからおいでた時には生徒の方に年上が居ってから・・・それにカリエスのヤイトの跡が一杯あってのう・・・あの頃伊藤先生やら、角田先生やらも皆おいでたいのー。そうそう、赤司先生ちゅうごっぽう風呂の嫌いな先生が居ってから、生徒が皆アカシのアカは垢のアカちゅうてからかいよったのー。ほいで、こっちにおいでてから一時して新町の叔父さんの所の房ちゃんを好きになってから、どねーかしても貰うてくれーちゅうから、父ちゃんと仲人をやってあげたそいね。ありゃー拝み倒して房ちゃんを貰うたから、あれは房ちゃんには頭が上がらんじゃろうがね・・・」かつて獣医専の賄いをやっていた母・米子がこんな風に良く話していた。 木脇祐順氏の勤めた新制山口大学は昭和二十四年五月三十一日設置、翌六月一日に県立山口獣医畜産専門学校を母体に山口大学農学部を開設。二十五年六月三十日人事で木脇祐順先生は無給講師となり家畜解剖学の授業を担当、翌年九州大学農学部内地研究員となられた。昭和三十六年「上皮小体機能に関する研究」で医学博士の学位を取得、昭和四十二年に農学博士。
定年退官前は山口大学図書館長の役職を勤められた。ある時、家畜病院の小生の所へ木脇図書館長から早口の電話が入った。「完ちゃん?今病院に無料のコピーのデモ機が入ってるじゃろ?貴重図書の療馬集の館外持出しを館長が許可するから、二部複写して一部を持って来なさい・・・」後に小生が「馬経大全の書誌学的研究」として報告する刊記のある徳藩毛利家蔵「元亨療馬集」はこの様にして甦ったのである。この時、木脇先生は既に多くの古獣医書の写本を寄贈されていた。図書館々長の肩書と、各種の人脈をを利用して蒐集されたものであろうが、獣医史学の研究者にとっては垂涎の書ばかりである。
再び賄婦の母は語る
「お前も憶えてるじゃろう?先生はうちの隣に居られて、その隣は消防団の倉庫。朝、長府の学校に行くのに、駅まで茹でたジャガ芋を挟んだパンを食べながら、本を読みながら歩く・・・二宮金次郎は荷を背負うて勉強したが、木脇先生はその上にパンと芋まで食べちゃったのじゃから・・・やっぱり東大に行くようなお人はやる事が偉い・・・」
木塚静雄氏はかつて下関市長府の山口大学農学部獣医学科に奉職されていたので、詳細な履歴書があると考え、山口大学に問い合せたところ、個人情報の開示は出来ないとのそっけない返答であった。しかし、非常に協力的な図書館職員のお陰で、氏は図書館の分館長をつとめられ、その著書の一部と、職員録などの情報が残されていることが判明した。 ここまで判れば充分である。昔の専門書には奥付に著者の略歴が記されているのが一般的であり、後は山口大学の三十五年史や五十年史を繙けば開示出来ない内部抗争の情報までもが述べられている。更に何よりの強みは木塚静雄氏の勤務された下関市長府の校舎で半年間授業を受けた記憶である。
木塚静雄氏の勤務された山口大学農学部獣医学科は下関市長府の瀬戸内海に面した所にあった。この大学校舎と言う建物は元神戸製鋼の寮で、敗戦後にオーストラリア軍の兵舎として使用されていたもので、廊下の壁には鼻血が出そうなグラマスクな女性のペンキ絵が画かれていた。建物の配置は板塀の門をを入った所が家畜病院で、向って左に枠場があった。さらにその隣は病理解剖場で、ここで破傷風の動物を解剖したために、枠場で馬の去勢手術をすると必ず破傷風になると、臨床の先生方がが嘆いておられた記憶がある。家畜病院の裏手の棟の二階に畜産学の研究室があった。更に奥まった所に解剖学の研究室と教室があり、二年生の前期の授業は殆どここで行われた。授業の担当は木脇先生で解剖学・組織学・発生学は学生にとって三大難関であった。その理由は授業は英語・ドイツ語・ラテン語がチャンポン、喋りは早口で聞き取りにくいし、板書は無類の悪筆・・・
更に付け加えれば校舎の隣に散髪屋と食堂があった。散髪屋は「とらや」で何となくトラガリにされそうなので遠慮していたが、食堂の焼きうどんは安くて美味かった覚えがある。
さてさて、この下関長府の山口大学農学部獣医学科畜産学の教室へ赴任された木塚静雄先生とは、大正十五年福岡県立中学修猷館を卒業、昭和五年熊本第五高等学校理科を卒業して昭和八年東京帝国大学農学部獣医学科卒、九ー十二年農林省畜産局技手、十二ー十三年農林技師宮城県種畜場長、十三ー二十年満州大陸科学院研究官、二十一年九州大学農学部講師・畜産学、昭和二十五年山口大学農学部獣医学科家畜衛生学教授に赴任、昭和三十八年三月退官、日本獣医畜産大学教授になられ三年後に病没。従って最も詳細な履歴と業績はここに保存されているはずである。
木塚静雄氏の研究の分野は家畜衛生・乳肉衛生に限らず、畜産・畜産物全般の利用に関する幅広いもので、その中には「写真用フィルムのゼラチンに関する研究」までもある。
木脇先生の事
「あのお方が獣医専に赴任しておいでたのは、終戦の前の歳じゃったから、お前が生まれる前の事じゃ。本の入った背嚢を一つ背負うて、繰り上げ卒業でのう・・・血筋は薩摩の名家で西郷家の親戚じゃが、生まれは朝鮮の京城で、内地に戻ってから鹿児島の高校から、東大へ入られてのう・・・獣医専ちゅうのは、今の山陽電波学校、昔の小郡高女で高木の断食寮の隣にあった学校じゃ。で、繰り上げ卒業じゃったからおいでた時には生徒の方に年上が居ってから・・・それにカリエスのヤイトの跡が一杯あってのう・・・あの頃伊藤先生やら、角田先生やらも皆おいでたいのー。そうそう、赤司先生ちゅうごっぽう風呂の嫌いな先生が居ってから、生徒が皆アカシのアカは垢のアカちゅうてからかいよったのー。ほいで、こっちにおいでてから一時して新町の叔父さんの所の房ちゃんを好きになってから、どねーかしても貰うてくれーちゅうから、父ちゃんと仲人をやってあげたそいね。ありゃー拝み倒して房ちゃんを貰うたから、あれは房ちゃんには頭が上がらんじゃろうがね・・・」かつて獣医専の賄いをやっていた母・米子がこんな風に良く話していた。 木脇祐順氏の勤めた新制山口大学は昭和二十四年五月三十一日設置、翌六月一日に県立山口獣医畜産専門学校を母体に山口大学農学部を開設。二十五年六月三十日人事で木脇祐順先生は無給講師となり家畜解剖学の授業を担当、翌年九州大学農学部内地研究員となられた。昭和三十六年「上皮小体機能に関する研究」で医学博士の学位を取得、昭和四十二年に農学博士。
定年退官前は山口大学図書館長の役職を勤められた。ある時、家畜病院の小生の所へ木脇図書館長から早口の電話が入った。「完ちゃん?今病院に無料のコピーのデモ機が入ってるじゃろ?貴重図書の療馬集の館外持出しを館長が許可するから、二部複写して一部を持って来なさい・・・」後に小生が「馬経大全の書誌学的研究」として報告する刊記のある徳藩毛利家蔵「元亨療馬集」はこの様にして甦ったのである。この時、木脇先生は既に多くの古獣医書の写本を寄贈されていた。図書館々長の肩書と、各種の人脈をを利用して蒐集されたものであろうが、獣医史学の研究者にとっては垂涎の書ばかりである。
再び賄婦の母は語る
「お前も憶えてるじゃろう?先生はうちの隣に居られて、その隣は消防団の倉庫。朝、長府の学校に行くのに、駅まで茹でたジャガ芋を挟んだパンを食べながら、本を読みながら歩く・・・二宮金次郎は荷を背負うて勉強したが、木脇先生はその上にパンと芋まで食べちゃったのじゃから・・・やっぱり東大に行くようなお人はやる事が偉い・・・」
2006/02/23のBlog
[ 20:38 ]
日本帝国家畜伝染病予防史
緒言
第一章 明治年代の家畜防疫事情
第一項 明治年代に於ける諸行政官庁
第二項 本邦家畜防疫の濫觴
第三項 明治六・七年に於ける牛疫の流行事情
第五項 家畜衛生使節の整備
1。 獣医事及家畜衛生事務の所管
2。 中央衛生会の開設
3。 獣類伝染病予防規則の制定
4。 獣類伝染病予防心得
5。 獣類伝染病予防の為傭入獣医の手当金
6。 獣類伝染病毎週調査表の様式
7。 軍馬伝染病取扱
8。 獣類伝染病予防規則発布に関し獣医採用の内訓
9。 本邦に於ける獣医教育の濫觴
10。 本邦獣医の沿革
11。 獣医免許規則の制定
12。 獣医開業試験規則の制定
13。 獣医仮開業免許手続
14。 蹄鉄工免許規則の制定
15。 蹄鉄工免許試験規則
16。 獣医免許規則
17。 獣医免許試験規則
18。 獣医蹄鉄工学則認可請求方
19。 獣疫調査機関の設置及獣疫調査所の沿革
獣疫調査所の沿革
獣疫調査所官制
獣疫調査所血清類売払規則
獣疫調査所に臨時職員増置
獣疫調査所試験及研究業績
獣疫予防法発布前後に於ける獣類伝染病の情勢
甲。牛疫の流行と之が予防対策
1。明治25,6年度牛疫流行の顛末
2。明治27年度牛疫流行の顛末
3。明治28年度牛疫流行の顛末
4。明治29年度牛疫流行の顛末
乙。牛疫以外の家畜伝染病の流行情勢
1。炭疽
2。皮疽及鼻疽
3。気腫疽
4。狂犬病
5。流行性鵞口瘡
6。豚の伝染病
丙。海外(欧州)に於ける獣疫流行の情勢
第7項 獣疫予防方発布の経緯
1。外国家畜伝染病予防法案の提出
2。朝鮮牛の輸入禁止及獣疫海港検疫所設置案
3。牛疫撲滅善後策に就て前田畜産協会々頭の奔走
4。関西獣医連合会の請願
5。外国獣疫予防法案を第5回帝国議会に提出
6。九州連合獣医会の請願
7。牛疫予防法案中央衛生会通過
8。獣類伝染病予防規則改正案の建議
9。津野慶太郎氏の朝鮮牛疫調査
第8項 獣疫予防法の発布
1。獣疫予防法の発布
2。獣疫予防法の実質
3。仮性皮疽の予防上獣疫予防法適用に関する件
4。獣疫予防法の改正
5。獣疫予防法施行細則
6。獣疫予防法施行細則の改正
7。獣疫予防の心得
8。獣疫予防の心得の改正
9。獣疫予防法実施に付内訓及照会の件
10。獣類伝染病予防規則に依り獣類の往来出入停止区域に関し内訓の件
11。獣疫予防に関する費用負担区分の勅令公布
12。獣疫予防に関する費用負担区分の説明
第9項 獣疫予防法発布前後に於ける獣医学術の進歩
1。牛疫の予防に関する研究
2。炭疽予防液の製造及実地応用
3。炭疽免疫血清の製造試験
4。気腫疽の研究及同免疫血清の製造
5。炭疽及鼻疽診断に関する調査及陸軍に於ける「マレイン」の実地応用
6。ツベルクリンの製造及応用試験
7。仮性皮疽の研究
8。家禽虎列刺免疫血清の製造及製造
第10項 獣疫予防法発布より明治末期に於ける家畜防疫事情
1。明治30年度獣疫流行の情況
2。朝鮮牛二十検疫の濫觴
3。牛疫検疫規則の制定
4。長崎港に於ける上海牛羊検疫の開始
5。朝鮮牛輸入港の制限
6。上海牛羊輸入港の制限
7。香港牛羊輸入港の制限
8。獣疫予防費用負担区分に関する勅令に関し内訓
9。明治31年度獣疫流行情況
10開港々則の制定
11開港港則施行細則の制定
12明治33年度獣疫流行情況
13。台湾の獣疫
14。台湾獣疫予防規則の発布
15。台湾獣疫血清製造所の沿革
16。獣医手当の義に付訓令の件
17。牛疫検疫規則の公布
18。明治33年の獣疫其他伝染病の流行情況
19。明治34年の獣疫流行情況
20。畜牛結核予防法の発布
21。獣疫及畜牛結核予防に関する費用負担区分の勅令発布
22。沖縄県に於ける獣疫予防費
23。明治35年の獣疫流行情況
24。港務部の設置
25。港務獣医官及港務医官補の設置
26。海港検疫並輸入獣類検疫及検査上管轄外に於ける地方長官の職権に関する件
27。明治36年の獣疫流行情況
28。明治37年の獣疫流行情況
29。獣医蹄鉄工免許試験規則の制定
30。明治38年に於ける獣疫及家畜伝染病流行の情況
31。明治39年の獣疫流行情況
32。獣疫検疫規則の制定
33。獣疫検疫規則の改正
34。軍馬管理規則制定
35。明治40年の獣疫流行情況
36。明治41.42年の獣疫流行情況
37。牛疫免疫血清注射心得の配付
38。豚罹斯免疫血清の製造配付
39。獣疫検疫規則の改正
40。牛疫病毒保続期間に関し照会の件
41。朝鮮牛の二十繋留検疫制度並清国韓国西伯利亜牛の輸入停止に関する経緯
42。牛畜密輸入取締に関する件
43。食用牛検疫方法に関し韓国政府より照会の件
44。馬匹伝染性貧血の流行
45。獣疫発生報告に関する通牒の件
46。明治43年の獣疫流行情況
47。豚コレラ免疫血清の製造配付
48。獣疫調査所農商務省の一分課となる
49。朝鮮の畜産と獣疫
50。塩蔵牛皮消毒免除方に付韓国政府より協議に関する件
51。明治44年獣疫及其他の伝染病流行と其の予防情況
52。腺疫予防液の製造
53。朝鮮釜山に農商務省牛疫血清製造所の設置
54。明治45年に於ける獣疫流行情況
第2章 大正・昭和年代の家畜防疫事情
第1項 大正・昭和両年間に於ける家畜伝染病の発生及防疫
(ロ)輸入獣皮毛骨の炭疽病毒保有率に就て
(ハ)本邦に於ける脾脱疽(人の炭疽)の調査
(ニ)税関獣医官会議及び獣皮炭疽検出法講習会の開催
(ホ)支那(満蒙を含む)産の獣皮毛骨に就いて
(ヘ)鹿児島県の炭疽
(ト)兵庫県の炭疽
(チ)広島県の炭疽
(リ)炭疽予防液応用の普及
(ヌ)炭疽予防上輸入獣骨消毒計画の経緯
(ル)関東庁獣骨消毒令制定の経緯
第2項 狂犬病の流行及防疫事情
一 狂犬病予防に関する通牒
二 本邦に於ける狂犬病予防液の研究
三 犬体用狂犬病予防液に関する調
四 狂犬病予防週間の実施
五 国際狂犬病予防協議会の開催
六 犬の狂犬病予防事務を内務省に移管の経緯
七 昭和4年度内務省主催狂犬病予防地方家畜衛生主任官会議
八 国際獣疫事務局第5回国際委員会議に於ける本邦狂犬病予防接種に関する報告
第3項 青島生牛生肉の輸入と家畜防疫
一 青島生牛生肉の輸入の由来
二 青島に於ける屠肉衛生及獣疫予防事情
以上 昭和八年六月より中央獣医学雑誌に掲載されたもの
緒言
第一章 明治年代の家畜防疫事情
第一項 明治年代に於ける諸行政官庁
第二項 本邦家畜防疫の濫觴
第三項 明治六・七年に於ける牛疫の流行事情
第五項 家畜衛生使節の整備
1。 獣医事及家畜衛生事務の所管
2。 中央衛生会の開設
3。 獣類伝染病予防規則の制定
4。 獣類伝染病予防心得
5。 獣類伝染病予防の為傭入獣医の手当金
6。 獣類伝染病毎週調査表の様式
7。 軍馬伝染病取扱
8。 獣類伝染病予防規則発布に関し獣医採用の内訓
9。 本邦に於ける獣医教育の濫觴
10。 本邦獣医の沿革
11。 獣医免許規則の制定
12。 獣医開業試験規則の制定
13。 獣医仮開業免許手続
14。 蹄鉄工免許規則の制定
15。 蹄鉄工免許試験規則
16。 獣医免許規則
17。 獣医免許試験規則
18。 獣医蹄鉄工学則認可請求方
19。 獣疫調査機関の設置及獣疫調査所の沿革
獣疫調査所の沿革
獣疫調査所官制
獣疫調査所血清類売払規則
獣疫調査所に臨時職員増置
獣疫調査所試験及研究業績
獣疫予防法発布前後に於ける獣類伝染病の情勢
甲。牛疫の流行と之が予防対策
1。明治25,6年度牛疫流行の顛末
2。明治27年度牛疫流行の顛末
3。明治28年度牛疫流行の顛末
4。明治29年度牛疫流行の顛末
乙。牛疫以外の家畜伝染病の流行情勢
1。炭疽
2。皮疽及鼻疽
3。気腫疽
4。狂犬病
5。流行性鵞口瘡
6。豚の伝染病
丙。海外(欧州)に於ける獣疫流行の情勢
第7項 獣疫予防方発布の経緯
1。外国家畜伝染病予防法案の提出
2。朝鮮牛の輸入禁止及獣疫海港検疫所設置案
3。牛疫撲滅善後策に就て前田畜産協会々頭の奔走
4。関西獣医連合会の請願
5。外国獣疫予防法案を第5回帝国議会に提出
6。九州連合獣医会の請願
7。牛疫予防法案中央衛生会通過
8。獣類伝染病予防規則改正案の建議
9。津野慶太郎氏の朝鮮牛疫調査
第8項 獣疫予防法の発布
1。獣疫予防法の発布
2。獣疫予防法の実質
3。仮性皮疽の予防上獣疫予防法適用に関する件
4。獣疫予防法の改正
5。獣疫予防法施行細則
6。獣疫予防法施行細則の改正
7。獣疫予防の心得
8。獣疫予防の心得の改正
9。獣疫予防法実施に付内訓及照会の件
10。獣類伝染病予防規則に依り獣類の往来出入停止区域に関し内訓の件
11。獣疫予防に関する費用負担区分の勅令公布
12。獣疫予防に関する費用負担区分の説明
第9項 獣疫予防法発布前後に於ける獣医学術の進歩
1。牛疫の予防に関する研究
2。炭疽予防液の製造及実地応用
3。炭疽免疫血清の製造試験
4。気腫疽の研究及同免疫血清の製造
5。炭疽及鼻疽診断に関する調査及陸軍に於ける「マレイン」の実地応用
6。ツベルクリンの製造及応用試験
7。仮性皮疽の研究
8。家禽虎列刺免疫血清の製造及製造
第10項 獣疫予防法発布より明治末期に於ける家畜防疫事情
1。明治30年度獣疫流行の情況
2。朝鮮牛二十検疫の濫觴
3。牛疫検疫規則の制定
4。長崎港に於ける上海牛羊検疫の開始
5。朝鮮牛輸入港の制限
6。上海牛羊輸入港の制限
7。香港牛羊輸入港の制限
8。獣疫予防費用負担区分に関する勅令に関し内訓
9。明治31年度獣疫流行情況
10開港々則の制定
11開港港則施行細則の制定
12明治33年度獣疫流行情況
13。台湾の獣疫
14。台湾獣疫予防規則の発布
15。台湾獣疫血清製造所の沿革
16。獣医手当の義に付訓令の件
17。牛疫検疫規則の公布
18。明治33年の獣疫其他伝染病の流行情況
19。明治34年の獣疫流行情況
20。畜牛結核予防法の発布
21。獣疫及畜牛結核予防に関する費用負担区分の勅令発布
22。沖縄県に於ける獣疫予防費
23。明治35年の獣疫流行情況
24。港務部の設置
25。港務獣医官及港務医官補の設置
26。海港検疫並輸入獣類検疫及検査上管轄外に於ける地方長官の職権に関する件
27。明治36年の獣疫流行情況
28。明治37年の獣疫流行情況
29。獣医蹄鉄工免許試験規則の制定
30。明治38年に於ける獣疫及家畜伝染病流行の情況
31。明治39年の獣疫流行情況
32。獣疫検疫規則の制定
33。獣疫検疫規則の改正
34。軍馬管理規則制定
35。明治40年の獣疫流行情況
36。明治41.42年の獣疫流行情況
37。牛疫免疫血清注射心得の配付
38。豚罹斯免疫血清の製造配付
39。獣疫検疫規則の改正
40。牛疫病毒保続期間に関し照会の件
41。朝鮮牛の二十繋留検疫制度並清国韓国西伯利亜牛の輸入停止に関する経緯
42。牛畜密輸入取締に関する件
43。食用牛検疫方法に関し韓国政府より照会の件
44。馬匹伝染性貧血の流行
45。獣疫発生報告に関する通牒の件
46。明治43年の獣疫流行情況
47。豚コレラ免疫血清の製造配付
48。獣疫調査所農商務省の一分課となる
49。朝鮮の畜産と獣疫
50。塩蔵牛皮消毒免除方に付韓国政府より協議に関する件
51。明治44年獣疫及其他の伝染病流行と其の予防情況
52。腺疫予防液の製造
53。朝鮮釜山に農商務省牛疫血清製造所の設置
54。明治45年に於ける獣疫流行情況
第2章 大正・昭和年代の家畜防疫事情
第1項 大正・昭和両年間に於ける家畜伝染病の発生及防疫
(ロ)輸入獣皮毛骨の炭疽病毒保有率に就て
(ハ)本邦に於ける脾脱疽(人の炭疽)の調査
(ニ)税関獣医官会議及び獣皮炭疽検出法講習会の開催
(ホ)支那(満蒙を含む)産の獣皮毛骨に就いて
(ヘ)鹿児島県の炭疽
(ト)兵庫県の炭疽
(チ)広島県の炭疽
(リ)炭疽予防液応用の普及
(ヌ)炭疽予防上輸入獣骨消毒計画の経緯
(ル)関東庁獣骨消毒令制定の経緯
第2項 狂犬病の流行及防疫事情
一 狂犬病予防に関する通牒
二 本邦に於ける狂犬病予防液の研究
三 犬体用狂犬病予防液に関する調
四 狂犬病予防週間の実施
五 国際狂犬病予防協議会の開催
六 犬の狂犬病予防事務を内務省に移管の経緯
七 昭和4年度内務省主催狂犬病予防地方家畜衛生主任官会議
八 国際獣疫事務局第5回国際委員会議に於ける本邦狂犬病予防接種に関する報告
第3項 青島生牛生肉の輸入と家畜防疫
一 青島生牛生肉の輸入の由来
二 青島に於ける屠肉衛生及獣疫予防事情
以上 昭和八年六月より中央獣医学雑誌に掲載されたもの
2006/01/25のBlog
[ 20:51 ]
丹下謙吉
我が国に於ては「馬の丹下しとして周く知られ、欧洲諸国に於ては「日本の丹下」と称へられ、一生を馬事に捧げ馬産界に其の名を馳せたる獣醫學博士丹下謙吉氏は、本邦馬匹改良の先駆となり。実施の衝に當り、産馬改良の基点を確立し今日の進境を招致したる斯界の大恩人にして、其の功績は燦換として輝いで居る。氏は安攻四年十二月二十日愛媛縣今冶市に於て藩士丹下逸翁の二男として生れ、夙に藩黌に學び英才を認められて居たが、明治維新の際家祿を奉還したる時一時鍛冶職を手伝い居たることもあつた。然し池中の龍は何時ま でも、小成に安んじて蟄居する能はず。明治七年氏が十八歳の時決意固く笈を負ふて帝都に上り、当時の大蔵少書記官川路寛堂氏の食客となり独学をなし海軍士官を志望したるも、資を得るの方途なき氏は二十歳の時勧農局農事修學場に官費生として入學し、獣醫學を専修 して居た。後同場が駒場に移り駒場農學校となると共に氏も亦同校に転じ明治十三年九月 卒業して學士の称号を受けた。同年十月岩手縣勧業課雇となり、十五年月給二十二円を給 せられ、同年南部藩の軍師田頭氏の長女現未亡人美恵子夫人と盛岡に於て新家庭を創設し 分家して岩手縣平民となつた。同十七年岩手縣獣医学校教諭を兼任し、十九年縣属となり、 二十二年農商務省に輯じ農商務属を拝命。翌年十二月主馬寮技手となり新冠御料牧場在勤 を命ぜらる。明治二十七年日清戦役の教訓に鑑み二十八年六月勅令第七十七号を以て馬匹 調査会が設置せられ審議の結果二十九年四月農商務省農務局に牧馬課を新設し、種馬牧場 及び種馬所官制の発布せらるに及び氏は選ばれて種馬所技師となり、岩手種馬所長となつ た。岩手種馬所は東北産馬地の中心であるから所長たる氏の栄達は勿論であるが其の責任 も亦重大であつた。同三十三年北清事変に際し我が軍馬が世界の何れの国に比較するも其 の劣等なることが如實に立証されたので、政府は氏の学識手腕を認め欧米に派して種牡馬 購入の大任を負はしめた。同三十五年には更に抜擢されて本省に入り農商務省技師となり 同三十六年には第二回の外遊をなし、同三十八年には高等官三等に叙せられた。明治三十七八年の戦役にて苦き経験を嘗めたる我が国は馬匹改良事業の緊急なるを痛感し、臨時馬制調査委員会を設けて審議し同三十九年五月勅令第一二一号にて内閣直属の馬政局官制の発布せらるゝや氏は第一部監督課長となつた、同年第三回日の外遊をなし同四十一年仏国政府より勲章の贈與を受け其の佩用を允許された、同四十三年欧洲出張を命ぜられ、同年馬政局第二課長となり、大正元年高等官二等に陛叙せられ、同二年第五回目の渡欧をなし帰朝するや勲功により勲三等に叙せられ、同八年獣醫學博士の學位を授けられた、同十年には欧洲及び埃及に遊び十一年勲二等に進み高等官一等に陛叙された同十二年四月陸軍省所管の馬政局廃止せられ農商務省に畜産局が新設されて馬政の事務が農商務省に移り畜産行政が統一せられたるを以つて氏も亦農商務省技師となり畜産局馬産課長となつた、同十三年十二月依願退職したる際特旨を以て従三位に叙せられ、同十四年馬政委員倉委員嘱託尚ほ特別の御恩召により綿雉間祓候を仰付けられた、昭和二年主馬寮の懇望によりて英国に渡り十万円の英国サラブレッド種牡馬トーネソルを購入して帰朝同三年十月二十六日御大典記念全国馬匹博覧会を代々木原頭に開催したるを機とし、全国馬事畜産関係者千餘名より神宮外苑青年会館に於て、宮中顧問官新山博士と共に功労表彰祝賀会を盛大に挙行され、共の功績を表彰さるゝと同時に益々邦家の為め盡瘁を希望されたが、同四年一月五日不図病魔に襲はれ,慶応病院に入院して病床にあること僅か十数日、同月二十日午前十時七十三歳を一期として遂に逝く.然れども一方の権威として産馬畜産界に遺したる足跡は偉大にして萬古不朽であらねばなちぬ。
古来風雲に乗じて共の名を成したるもの少しとせざるも、氏が雲上の人となり馬の大御所として栄誉を一身に集むるに至つたのは遇然ではなく倦まざる研鑽と謹厳にして稜角なき人格により馬事振興と馬匹改良に直往邁進したる賜にして、一歩一歩地歩を進め四十有九年の久しきに亘り健康と精勤にて築き上けたのである.而して氏の業績は枚挙に遑なき程であるが馬制調査委員会に於て制定したる十八年計劃は蓋し其の尤なるものであらねばならぬ、氏は叉温厚なる君子人で技術方面に於て優に一頭地を抜いて居たことは勿論であるが事務上に於ても円転滑達核心を攫むに巧妙であつた、氏は大酒豪ならざるも酒を嗜み、囲基も好む處であつたが如何なる場合にも根気と謙譲を忘れなかつたのは其の特性であつて人格の一つの現れである。
我が国に於ては「馬の丹下しとして周く知られ、欧洲諸国に於ては「日本の丹下」と称へられ、一生を馬事に捧げ馬産界に其の名を馳せたる獣醫學博士丹下謙吉氏は、本邦馬匹改良の先駆となり。実施の衝に當り、産馬改良の基点を確立し今日の進境を招致したる斯界の大恩人にして、其の功績は燦換として輝いで居る。氏は安攻四年十二月二十日愛媛縣今冶市に於て藩士丹下逸翁の二男として生れ、夙に藩黌に學び英才を認められて居たが、明治維新の際家祿を奉還したる時一時鍛冶職を手伝い居たることもあつた。然し池中の龍は何時ま でも、小成に安んじて蟄居する能はず。明治七年氏が十八歳の時決意固く笈を負ふて帝都に上り、当時の大蔵少書記官川路寛堂氏の食客となり独学をなし海軍士官を志望したるも、資を得るの方途なき氏は二十歳の時勧農局農事修學場に官費生として入學し、獣醫學を専修 して居た。後同場が駒場に移り駒場農學校となると共に氏も亦同校に転じ明治十三年九月 卒業して學士の称号を受けた。同年十月岩手縣勧業課雇となり、十五年月給二十二円を給 せられ、同年南部藩の軍師田頭氏の長女現未亡人美恵子夫人と盛岡に於て新家庭を創設し 分家して岩手縣平民となつた。同十七年岩手縣獣医学校教諭を兼任し、十九年縣属となり、 二十二年農商務省に輯じ農商務属を拝命。翌年十二月主馬寮技手となり新冠御料牧場在勤 を命ぜらる。明治二十七年日清戦役の教訓に鑑み二十八年六月勅令第七十七号を以て馬匹 調査会が設置せられ審議の結果二十九年四月農商務省農務局に牧馬課を新設し、種馬牧場 及び種馬所官制の発布せらるに及び氏は選ばれて種馬所技師となり、岩手種馬所長となつ た。岩手種馬所は東北産馬地の中心であるから所長たる氏の栄達は勿論であるが其の責任 も亦重大であつた。同三十三年北清事変に際し我が軍馬が世界の何れの国に比較するも其 の劣等なることが如實に立証されたので、政府は氏の学識手腕を認め欧米に派して種牡馬 購入の大任を負はしめた。同三十五年には更に抜擢されて本省に入り農商務省技師となり 同三十六年には第二回の外遊をなし、同三十八年には高等官三等に叙せられた。明治三十七八年の戦役にて苦き経験を嘗めたる我が国は馬匹改良事業の緊急なるを痛感し、臨時馬制調査委員会を設けて審議し同三十九年五月勅令第一二一号にて内閣直属の馬政局官制の発布せらるゝや氏は第一部監督課長となつた、同年第三回日の外遊をなし同四十一年仏国政府より勲章の贈與を受け其の佩用を允許された、同四十三年欧洲出張を命ぜられ、同年馬政局第二課長となり、大正元年高等官二等に陛叙せられ、同二年第五回目の渡欧をなし帰朝するや勲功により勲三等に叙せられ、同八年獣醫學博士の學位を授けられた、同十年には欧洲及び埃及に遊び十一年勲二等に進み高等官一等に陛叙された同十二年四月陸軍省所管の馬政局廃止せられ農商務省に畜産局が新設されて馬政の事務が農商務省に移り畜産行政が統一せられたるを以つて氏も亦農商務省技師となり畜産局馬産課長となつた、同十三年十二月依願退職したる際特旨を以て従三位に叙せられ、同十四年馬政委員倉委員嘱託尚ほ特別の御恩召により綿雉間祓候を仰付けられた、昭和二年主馬寮の懇望によりて英国に渡り十万円の英国サラブレッド種牡馬トーネソルを購入して帰朝同三年十月二十六日御大典記念全国馬匹博覧会を代々木原頭に開催したるを機とし、全国馬事畜産関係者千餘名より神宮外苑青年会館に於て、宮中顧問官新山博士と共に功労表彰祝賀会を盛大に挙行され、共の功績を表彰さるゝと同時に益々邦家の為め盡瘁を希望されたが、同四年一月五日不図病魔に襲はれ,慶応病院に入院して病床にあること僅か十数日、同月二十日午前十時七十三歳を一期として遂に逝く.然れども一方の権威として産馬畜産界に遺したる足跡は偉大にして萬古不朽であらねばなちぬ。
古来風雲に乗じて共の名を成したるもの少しとせざるも、氏が雲上の人となり馬の大御所として栄誉を一身に集むるに至つたのは遇然ではなく倦まざる研鑽と謹厳にして稜角なき人格により馬事振興と馬匹改良に直往邁進したる賜にして、一歩一歩地歩を進め四十有九年の久しきに亘り健康と精勤にて築き上けたのである.而して氏の業績は枚挙に遑なき程であるが馬制調査委員会に於て制定したる十八年計劃は蓋し其の尤なるものであらねばならぬ、氏は叉温厚なる君子人で技術方面に於て優に一頭地を抜いて居たことは勿論であるが事務上に於ても円転滑達核心を攫むに巧妙であつた、氏は大酒豪ならざるも酒を嗜み、囲基も好む處であつたが如何なる場合にも根気と謙譲を忘れなかつたのは其の特性であつて人格の一つの現れである。
[ 14:01 ]
梅野信吉
文久二年十一月十三日福岡県朝倉郡甘木町字甘木生れ
明治十一年十月福岡県師範学校小学師範卒業
十一月より小學校教員に奉職 十四年三月まで
同年五月より十月まで福岡県依頼獣医生として農商務省下総種畜場獣医科に於て獣医学 修行
同年十一月一日福岡県公費獣医生として東京私立獣医学校に入学
明治十七年十二月二十七日同校卒業
明治十八年二月十五日甘木町に開業
明治十八年三月私立甘木獣医医学校学校を設立
明治十八年四月一日福岡県獣医巡回教師
明治十九年七月一日農商務大臣より獣医開業免許状を受領
明治二十二年三月二十日福岡県獣医巡回教師を願ひによつて解かれる
明治二十四年十一月東京獣医新報社創立
明治二十五年十月東京私立獣医学校を牛込区市ヶ谷加賀町に設立
明治二十五年二月十四日大日本私立衛生会附属牛痘種継所技術員を嘱託
明治二十七年二月一日伝染病研究所助手
明治二十九年六月三十日牛痘種継所技術員嘱託を辞す
同年六月三十日血清薬院技手
明治三十二年五月十日伝染病研究所助手
同年八月二十三日痘苗一製造所技手
同年八月二十六日東京種苗製造所技術部長
明治三十三年六月十八日痘苗製造所技手兼血清薬院技手・伝染病研究所助手
明治三十四年五月二十三日痘苗製造所技師、高等官七等
同年七月二十六日血清薬院技術部長事務取扱を嘱託
同年九月三十日従七位に叔せられる。
明治三十五年麻布獣医学校校長
明治三十六年一月二十三日高等官六等
同年四月十日正七位
明治三十八年四月一日伝染病研究所技師、高等官五等、第五部長
明治三十八年五月従六位に叙せられ
明治三十九年二月牛痘苗犢体継続法の発見により勲六等
明治三十九年四月勲五等
明治四十年九月六日高等官四等
同年十一月正六位
明治四十一年十月二十七日獣医学博士学位授与
明治四十三年私立日本獣医学校創立
明治四十四年二月高等官三等
同年三月従五位
明治四十五年勲四等
大正三年正五位
昭和五年危篤の時勲三等
大正三年北里研究所を創立。飼畜部長、研究部獣疫課長
業績 純牛痘苗を創製。犬体用狂犬予防液の創製
牛痘苗の研究 明治二十九年五月
馬の破傷風症に於ける血清療法実験に就いて 明治三十年四月
同第二報告 同 六月
品川に発生したる病原研究報告 明治三十二年三月
痘苗犢体継続法研究報告 明治三十四年五月
同 追加 同三十五年六月
本邦馬匹の腺疫病原報告 明治三十五年四月
純牛痘苗に就て 明治三十六年六月
腺疫撲滅策に就て 明治三十六年六月
人工牛痘に就いて 明治三十八年三、四月
天然牛痘に就て 明治四十年七月
犬瘟熱病原研究に就いて 明治四十年十月
腺疫病原研究報告 明治四十一年三月
痘苗犢体免疫試験第一報告 明治四十二年五月
痘苗種類と種痘成績の開係 明治四十三年六月
痘瘡系箱崎幹苗第一報告 同同年九月
痘苗小体の由来に就いて 大正三年十一月
犬体狂犬病予防接種法研究第一報告 大正五年五月
同、第二報告 大正七年七月
インフルエンザ血清の免疫学畢的試験 大正八年五月
インフルエンザ牛免疫血清知見 同同年九月
犬狂犬病予防接種成績報告 大正九年四月
博士は大兵肥満にして眞撃厳格の風貌を備へ小心翼々事に首や細心の用意を怠らなかつた.拳止平素礼譲に富み規律を守り、家庭は子福者にして和気家に満ちて居た。
北里研究所長男爵北里博士の弔辞によれば昭和五年三月十二日午前零時十五分死去。三 月十五日北里研究所々葬。
文久二年十一月十三日福岡県朝倉郡甘木町字甘木生れ
明治十一年十月福岡県師範学校小学師範卒業
十一月より小學校教員に奉職 十四年三月まで
同年五月より十月まで福岡県依頼獣医生として農商務省下総種畜場獣医科に於て獣医学 修行
同年十一月一日福岡県公費獣医生として東京私立獣医学校に入学
明治十七年十二月二十七日同校卒業
明治十八年二月十五日甘木町に開業
明治十八年三月私立甘木獣医医学校学校を設立
明治十八年四月一日福岡県獣医巡回教師
明治十九年七月一日農商務大臣より獣医開業免許状を受領
明治二十二年三月二十日福岡県獣医巡回教師を願ひによつて解かれる
明治二十四年十一月東京獣医新報社創立
明治二十五年十月東京私立獣医学校を牛込区市ヶ谷加賀町に設立
明治二十五年二月十四日大日本私立衛生会附属牛痘種継所技術員を嘱託
明治二十七年二月一日伝染病研究所助手
明治二十九年六月三十日牛痘種継所技術員嘱託を辞す
同年六月三十日血清薬院技手
明治三十二年五月十日伝染病研究所助手
同年八月二十三日痘苗一製造所技手
同年八月二十六日東京種苗製造所技術部長
明治三十三年六月十八日痘苗製造所技手兼血清薬院技手・伝染病研究所助手
明治三十四年五月二十三日痘苗製造所技師、高等官七等
同年七月二十六日血清薬院技術部長事務取扱を嘱託
同年九月三十日従七位に叔せられる。
明治三十五年麻布獣医学校校長
明治三十六年一月二十三日高等官六等
同年四月十日正七位
明治三十八年四月一日伝染病研究所技師、高等官五等、第五部長
明治三十八年五月従六位に叙せられ
明治三十九年二月牛痘苗犢体継続法の発見により勲六等
明治三十九年四月勲五等
明治四十年九月六日高等官四等
同年十一月正六位
明治四十一年十月二十七日獣医学博士学位授与
明治四十三年私立日本獣医学校創立
明治四十四年二月高等官三等
同年三月従五位
明治四十五年勲四等
大正三年正五位
昭和五年危篤の時勲三等
大正三年北里研究所を創立。飼畜部長、研究部獣疫課長
業績 純牛痘苗を創製。犬体用狂犬予防液の創製
牛痘苗の研究 明治二十九年五月
馬の破傷風症に於ける血清療法実験に就いて 明治三十年四月
同第二報告 同 六月
品川に発生したる病原研究報告 明治三十二年三月
痘苗犢体継続法研究報告 明治三十四年五月
同 追加 同三十五年六月
本邦馬匹の腺疫病原報告 明治三十五年四月
純牛痘苗に就て 明治三十六年六月
腺疫撲滅策に就て 明治三十六年六月
人工牛痘に就いて 明治三十八年三、四月
天然牛痘に就て 明治四十年七月
犬瘟熱病原研究に就いて 明治四十年十月
腺疫病原研究報告 明治四十一年三月
痘苗犢体免疫試験第一報告 明治四十二年五月
痘苗種類と種痘成績の開係 明治四十三年六月
痘瘡系箱崎幹苗第一報告 同同年九月
痘苗小体の由来に就いて 大正三年十一月
犬体狂犬病予防接種法研究第一報告 大正五年五月
同、第二報告 大正七年七月
インフルエンザ血清の免疫学畢的試験 大正八年五月
インフルエンザ牛免疫血清知見 同同年九月
犬狂犬病予防接種成績報告 大正九年四月
博士は大兵肥満にして眞撃厳格の風貌を備へ小心翼々事に首や細心の用意を怠らなかつた.拳止平素礼譲に富み規律を守り、家庭は子福者にして和気家に満ちて居た。
北里研究所長男爵北里博士の弔辞によれば昭和五年三月十二日午前零時十五分死去。三 月十五日北里研究所々葬。
2006/01/23のBlog
[ 20:57 ]
牛馬疫流行の節畜主心得のこと
一、畜主は常に牛馬の健康に注意し該畜に病兆あるとき若くは病兆あるものと疑ふときは 直に獣医委員の診断を乞ふものとす。但し所轄郡役所最寄警察本分署へ直ちに其旨届出る ものとす
一、平生健康及び病畜を問はず之に飲しむる用水は必ず濾過して之に予防薬を加へ与ふる ものとす。但し該薬は所轄郡役所より預て受取置ものとす
一、飼料は和かにして消し易きものに限る。且つ青草は最良なれども可成的塵埃を除き、之 に少許の塩水を潅ぎて与ふるものとす。但し炎天に刈集したる青草は日熱を去るにあらざ れば直ちに牛馬に与ふべからざるものとす
一、健康なる牛馬は日々近傍の清流に沐浴せしむべし但し労働後直ちに行ふべからず
一、一戸数頭の牛馬を飼養するものは万一該畜の内に流行性の病症を発見せば其他の健畜 を直に牛馬なき他家に移すべし。但し健畜を他家に移すには可成的流行病なき場処たるも のとす
一、各畜舎に於る在来の寝藁等及び該舎内の土を厚五寸程採去り更に新しき土を置き充分 に生石灰を撒布し一日二三回必ず硫黄の燻蒸法を施行するものとす
一、畜舎内に予防薬を屡々散布し適宜の窓戸を穿ち空気の流通を宜くし極めて清潔ならし むるものとす
一、畜舎に用ゆる寝藁は毎日必ず取換へきものとす
一、獣病発見するや多人数集合して来訪するかの如きは即ち病毒伝染の媒介をなす原因な るを以て該病に関するものゝ外決して集合せしめざるものとす
一、病畜を看護するものは他畜に決して触接せざるものとす。但し犬猫家禽等は病畜舎に接近せしめざるものとす
一、病畜斃死の後は畜舎の内外を石鹸及び沸湯にてよく洗浄し石灰併に石炭酸溶液を散布 し硫黄の燻蒸法を施行するものとす
一、斃牛馬に接触したる寝藁其他の器具は必ず焼棄するか或は斃畜と共に埋没せしむるも のとす。但し止を得ざる場合に於て再び之を用んと欲せば四十倍の石炭酸溶液に二十四時 間以上浸置き消毒の后用ゆべし且つ鉄器は火を以て充分に焼き而后之を用ゆるは障りなしとす
罹疫斃牛馬埋没の事
一、埋没地は毎村若しくは連村共同の上可成的高燥の土地を選択し人家併に来往の道路を 隔離せしむるものとす
一、埋没地を選択するの方法は獣医委員をして地質の適否を判別せしめ而して相当の場処 を定むるものとす
一、在来不適当の斃牛馬取捨場は廃毀し更に牛馬の埋没地を設け而して四方に標柱を立し め牛馬は勿論人民たりも平常出入を許さざるものとす
一、埋穴は深さ一丈二尺に塹り之に生石灰を厚さ五寸にしき体皮を縦横に裁切して粗製石 炭酸及び生石灰を以て充分に被ひ而して其土を以て埋むるものとす
一、斃牛馬に触接したる人夫は足袋草鞋等は其場に於て必ず焼棄し而して消毒法を行いた る後にらざれば該所をさらしめさるものとす
一、斃牛馬を取扱ひたる人夫は消毒法を施行せしむるものと雖とも三日間を過ぎざれば健 畜に決して触接せしめざるものとす。但し止むを得ざるものは其旨獣医委員へ申出特別の 消毒を受け而して後触接するものとす
一、斃牛馬を運搬するには該畜を厳重に包括し血液糞尿は勿論決して汚物等の道路に漏れ さるよふ厚く注意するものとす。但し運搬するに車を用ゆるときは埋没地に於て四十倍の 石炭酸を以て洗滌せざれば該地を出ざるものとす
予防線のこと
一、警察署に於ては牛馬疫病発見したる場処より凡方一里以内の地を限り直に道筋に標札 をたて而して牛馬の往復行通を禁ずといへども若し要衝の場所にて禁するを得さる道路に於ては消毒処を設け厳重消毒法を行ふものとす
一、病毒の全く殲滅を確認せば標札を撤し牛馬の往復行通を許すものとす
明治十四年十月五日 五等属 村上要信 御用掛 三浦清吉
一、畜主は常に牛馬の健康に注意し該畜に病兆あるとき若くは病兆あるものと疑ふときは 直に獣医委員の診断を乞ふものとす。但し所轄郡役所最寄警察本分署へ直ちに其旨届出る ものとす
一、平生健康及び病畜を問はず之に飲しむる用水は必ず濾過して之に予防薬を加へ与ふる ものとす。但し該薬は所轄郡役所より預て受取置ものとす
一、飼料は和かにして消し易きものに限る。且つ青草は最良なれども可成的塵埃を除き、之 に少許の塩水を潅ぎて与ふるものとす。但し炎天に刈集したる青草は日熱を去るにあらざ れば直ちに牛馬に与ふべからざるものとす
一、健康なる牛馬は日々近傍の清流に沐浴せしむべし但し労働後直ちに行ふべからず
一、一戸数頭の牛馬を飼養するものは万一該畜の内に流行性の病症を発見せば其他の健畜 を直に牛馬なき他家に移すべし。但し健畜を他家に移すには可成的流行病なき場処たるも のとす
一、各畜舎に於る在来の寝藁等及び該舎内の土を厚五寸程採去り更に新しき土を置き充分 に生石灰を撒布し一日二三回必ず硫黄の燻蒸法を施行するものとす
一、畜舎内に予防薬を屡々散布し適宜の窓戸を穿ち空気の流通を宜くし極めて清潔ならし むるものとす
一、畜舎に用ゆる寝藁は毎日必ず取換へきものとす
一、獣病発見するや多人数集合して来訪するかの如きは即ち病毒伝染の媒介をなす原因な るを以て該病に関するものゝ外決して集合せしめざるものとす
一、病畜を看護するものは他畜に決して触接せざるものとす。但し犬猫家禽等は病畜舎に接近せしめざるものとす
一、病畜斃死の後は畜舎の内外を石鹸及び沸湯にてよく洗浄し石灰併に石炭酸溶液を散布 し硫黄の燻蒸法を施行するものとす
一、斃牛馬に接触したる寝藁其他の器具は必ず焼棄するか或は斃畜と共に埋没せしむるも のとす。但し止を得ざる場合に於て再び之を用んと欲せば四十倍の石炭酸溶液に二十四時 間以上浸置き消毒の后用ゆべし且つ鉄器は火を以て充分に焼き而后之を用ゆるは障りなしとす
罹疫斃牛馬埋没の事
一、埋没地は毎村若しくは連村共同の上可成的高燥の土地を選択し人家併に来往の道路を 隔離せしむるものとす
一、埋没地を選択するの方法は獣医委員をして地質の適否を判別せしめ而して相当の場処 を定むるものとす
一、在来不適当の斃牛馬取捨場は廃毀し更に牛馬の埋没地を設け而して四方に標柱を立し め牛馬は勿論人民たりも平常出入を許さざるものとす
一、埋穴は深さ一丈二尺に塹り之に生石灰を厚さ五寸にしき体皮を縦横に裁切して粗製石 炭酸及び生石灰を以て充分に被ひ而して其土を以て埋むるものとす
一、斃牛馬に触接したる人夫は足袋草鞋等は其場に於て必ず焼棄し而して消毒法を行いた る後にらざれば該所をさらしめさるものとす
一、斃牛馬を取扱ひたる人夫は消毒法を施行せしむるものと雖とも三日間を過ぎざれば健 畜に決して触接せしめざるものとす。但し止むを得ざるものは其旨獣医委員へ申出特別の 消毒を受け而して後触接するものとす
一、斃牛馬を運搬するには該畜を厳重に包括し血液糞尿は勿論決して汚物等の道路に漏れ さるよふ厚く注意するものとす。但し運搬するに車を用ゆるときは埋没地に於て四十倍の 石炭酸を以て洗滌せざれば該地を出ざるものとす
予防線のこと
一、警察署に於ては牛馬疫病発見したる場処より凡方一里以内の地を限り直に道筋に標札 をたて而して牛馬の往復行通を禁ずといへども若し要衝の場所にて禁するを得さる道路に於ては消毒処を設け厳重消毒法を行ふものとす
一、病毒の全く殲滅を確認せば標札を撤し牛馬の往復行通を許すものとす
明治十四年十月五日 五等属 村上要信 御用掛 三浦清吉
2006/01/19のBlog
[ 14:44 ]
開田村郷土館蔵
二十九所
二十九処 二十九処ト云ハ其形ヲ
見テ病ノ元源ヲ知ル
先ツ見ヨ口 色 目 耳 毛
外 腎 尾 歯 後 蹄 体
肥 痩 涎 沫 鼻 水 膿
腹 鳴 起 臥 窺 糞 尿
一脉 シツムヲソキハ寒
ウキテ早ク大イナルハ熱
一舌色 白キハ内羅肺病
赤キハ心気
白黄イハ脾胃桃蓮ノ色常子ニ上
赤ク紫ハ難病
竪ニシワ有ハ肺病
ナイラノコト也
一唇 サカルハ子ツ
チヾムハカン
一眼 スムハカン
ニゴルハ子ツ
一外腎 下ルハ子ツ
上ルハカン
一陰陽 昼ハ陽
夜ハ陰
夜九ツ前ハ陰
九ツ後ハ陽是ニ順ス
一毛 臥ハ子ツ
立ハカン
一耳 立ハカン
臥ハ子ツ
一尾 向フヘハ子ル如クスルハ糞ツマリ
マタヘマク如クスルハ尿ツマリ
一後蹄体 四ツフミタルハ病
カタアシ休ムハ常
一起臥 フサザルハカン子ツ
ヨクフスハ吉
起臥シツカナルハ病軽シ
アラキハ悪シ
一歯 ウルヲフハ吉
カワクハ悪シ
一糞 細カナルハ難病
粘レテ悪敷香イハ悪シ
シルキハ熱
一尿 黄又赤キハ熱
スムハ寒
一肥痩 肥タル馬ハ常ニ口伝
痩タル馬ハ内ニ口伝
病ノ時先温シザイ内ヲ強クスルザイ
一脊筋 是ハ別戸口伝
病ノ時イタミ不知時ハトリカミヨリ
百会七穴マテヲシテ見ル口伝
一涎 寒
一沫 熱
一歩 石上リ三本アユミ爪ノマワリ向フ立
コウデヨリ上ヘハ上ケタルママ出ス
後ハナヲ並ニアユム
一腹鳴 腹堅キハ吉シ然共後ツマルハ悪シ
ヘソアタリ鳴ハ下タル
一鼻水膿 水ハ寒
ウミハ熱
一汗 耳キシヘ汗出ルハ病重シ
一腫処 キョウトウキン心ノ愈子ツヲツカサトル
口伝大事ノ所也
一酔狗 歩ムニ物ノエイタル如クフラツクハ死相
無生事
一問聴 先病ノ起リヲ問事委ク
一時 夜昼ヤミツキナン時ト云事ヲ
尋子酉ノ時ナラバ半前ヘ湯
外皆是ニ順ズ
一高低 ツナチヲガクノベ両口ニテヒク時
頭ヲ上ルハ上ニイタミ中ニハカタ
下ケルハアシノイタミ
高低ハツナグ事
一舌瘡 舌ノヲクニ舌ノ如ク瘡ヲ生ス子ツナリ
一乾湿 是ハ馬屋ノシツ子ツヲ先見
斗ラウベシ
明和五歳
子正月吉 森田氏
二十九所
二十九処 二十九処ト云ハ其形ヲ
見テ病ノ元源ヲ知ル
先ツ見ヨ口 色 目 耳 毛
外 腎 尾 歯 後 蹄 体
肥 痩 涎 沫 鼻 水 膿
腹 鳴 起 臥 窺 糞 尿
一脉 シツムヲソキハ寒
ウキテ早ク大イナルハ熱
一舌色 白キハ内羅肺病
赤キハ心気
白黄イハ脾胃桃蓮ノ色常子ニ上
赤ク紫ハ難病
竪ニシワ有ハ肺病
ナイラノコト也
一唇 サカルハ子ツ
チヾムハカン
一眼 スムハカン
ニゴルハ子ツ
一外腎 下ルハ子ツ
上ルハカン
一陰陽 昼ハ陽
夜ハ陰
夜九ツ前ハ陰
九ツ後ハ陽是ニ順ス
一毛 臥ハ子ツ
立ハカン
一耳 立ハカン
臥ハ子ツ
一尾 向フヘハ子ル如クスルハ糞ツマリ
マタヘマク如クスルハ尿ツマリ
一後蹄体 四ツフミタルハ病
カタアシ休ムハ常
一起臥 フサザルハカン子ツ
ヨクフスハ吉
起臥シツカナルハ病軽シ
アラキハ悪シ
一歯 ウルヲフハ吉
カワクハ悪シ
一糞 細カナルハ難病
粘レテ悪敷香イハ悪シ
シルキハ熱
一尿 黄又赤キハ熱
スムハ寒
一肥痩 肥タル馬ハ常ニ口伝
痩タル馬ハ内ニ口伝
病ノ時先温シザイ内ヲ強クスルザイ
一脊筋 是ハ別戸口伝
病ノ時イタミ不知時ハトリカミヨリ
百会七穴マテヲシテ見ル口伝
一涎 寒
一沫 熱
一歩 石上リ三本アユミ爪ノマワリ向フ立
コウデヨリ上ヘハ上ケタルママ出ス
後ハナヲ並ニアユム
一腹鳴 腹堅キハ吉シ然共後ツマルハ悪シ
ヘソアタリ鳴ハ下タル
一鼻水膿 水ハ寒
ウミハ熱
一汗 耳キシヘ汗出ルハ病重シ
一腫処 キョウトウキン心ノ愈子ツヲツカサトル
口伝大事ノ所也
一酔狗 歩ムニ物ノエイタル如クフラツクハ死相
無生事
一問聴 先病ノ起リヲ問事委ク
一時 夜昼ヤミツキナン時ト云事ヲ
尋子酉ノ時ナラバ半前ヘ湯
外皆是ニ順ズ
一高低 ツナチヲガクノベ両口ニテヒク時
頭ヲ上ルハ上ニイタミ中ニハカタ
下ケルハアシノイタミ
高低ハツナグ事
一舌瘡 舌ノヲクニ舌ノ如ク瘡ヲ生ス子ツナリ
一乾湿 是ハ馬屋ノシツ子ツヲ先見
斗ラウベシ
明和五歳
子正月吉 森田氏
2006/01/16のBlog
[ 21:01 ]
平仲国は実在したか?
平仲国硯山左近将監(長尾7:8大越9:7島田13:14坂本17:49浜25:3.29:18)が大延(大越9:7)からの馬醫術を我が国に伝えたとするのは深谷周三(篠永3:17山根6:213:30大越7:28:1黒川13:42小澤29:34)で、この時伝えられた馬醫術は仲国流で桑島流の祖である。桑島に ついては桑島流(島田23:60)桑島嘉八清貞(長尾10:6)桑島喜六(訃報25:2坂本5:11大 越8:1岩根9:20間庭25:1)桑島新右衛門(長尾7:8白井10:36五味24:3)同仲綱(篠永3:17 村井13:1.15:1.16:1.島田13:14長尾20:7浜29:18)同新五右衛門忠久(岸24:40)同新助忠陳(岸24:40)の報告がある。また、深谷周三の報告は内国獣医公會の講演で、我が国獣医沿革と称する講演内容は陸軍獣医学雑誌に掲載され、獣疫調査所々長・山脇圭吉(桑原27:44)も調査で引用している。勝島仙之介も同じ内容の文章を自筆で筆記している。勝島仙之介の筆記ノートには西欧諸国の獣医学校の記録がある事から、獣医沿革の文章は明らかに留 学前に書かれたものである。深谷は平仲国の出典を明らかにしない.このため,多くの研究が出典を明らかにしないままこの文章を引用する.過去出版された獣医学史の教科書さえ・・・
◎平仲国について
平の姓は九世紀の末に桓武天皇の曾孫の高望王が上総介として下行、その子・国香らが 常陸、上総、下総あたりに土着。桓武天皇延暦二十三年(804)に勅を奉じて入唐した肥 後の国の平仲国とはどのような人物であろうか?桓武天皇延暦二十三年(804)の遣唐使は記録がある。第十六次の遣唐使で、この時は四隻の船の二隻が往路で遭難、帰国は二年 後の臨時船によっている。この時の使節に空海や最澄が加わっている。
平仲国硯山左近将監(長尾7:8大越9:7島田13:14坂本17:49浜25:3.29:18)が大延(大越9:7)からの馬醫術を我が国に伝えたとするのは深谷周三(篠永3:17山根6:213:30大越7:28:1黒川13:42小澤29:34)で、この時伝えられた馬醫術は仲国流で桑島流の祖である。桑島に ついては桑島流(島田23:60)桑島嘉八清貞(長尾10:6)桑島喜六(訃報25:2坂本5:11大 越8:1岩根9:20間庭25:1)桑島新右衛門(長尾7:8白井10:36五味24:3)同仲綱(篠永3:17 村井13:1.15:1.16:1.島田13:14長尾20:7浜29:18)同新五右衛門忠久(岸24:40)同新助忠陳(岸24:40)の報告がある。また、深谷周三の報告は内国獣医公會の講演で、我が国獣医沿革と称する講演内容は陸軍獣医学雑誌に掲載され、獣疫調査所々長・山脇圭吉(桑原27:44)も調査で引用している。勝島仙之介も同じ内容の文章を自筆で筆記している。勝島仙之介の筆記ノートには西欧諸国の獣医学校の記録がある事から、獣医沿革の文章は明らかに留 学前に書かれたものである。深谷は平仲国の出典を明らかにしない.このため,多くの研究が出典を明らかにしないままこの文章を引用する.過去出版された獣医学史の教科書さえ・・・
◎平仲国について
平の姓は九世紀の末に桓武天皇の曾孫の高望王が上総介として下行、その子・国香らが 常陸、上総、下総あたりに土着。桓武天皇延暦二十三年(804)に勅を奉じて入唐した肥 後の国の平仲国とはどのような人物であろうか?桓武天皇延暦二十三年(804)の遣唐使は記録がある。第十六次の遣唐使で、この時は四隻の船の二隻が往路で遭難、帰国は二年 後の臨時船によっている。この時の使節に空海や最澄が加わっている。
2006/01/08のBlog
[ 15:20 ]
2006/01/05のBlog
[ 20:59 ]
大日本獸醫會誌1號1~6頁。明治18年9月 小澤温吉 論説「讀獸醫免許規則」
獸醫の職業は之れを分けては甚だ多端にして一人の兼ね能すべきにあらず。其用は頗る広 大にして一言の説き尽くすべきにあらず。官衛に市街に牧場に軍隊に往く処として用あら ざるは無く、之れを大にして公衆の資産を保護し、之れを小にして細民の家畜を救済し、其 世に効益を与うる事決して小々ならず。我邦維新前に於ては真正の獸醫なく、唯に伯楽及び馬醫なる者ありて五幾七道の間に散在せりと雖も、職業とする処は専ら馬牛の治療とその 蹄鬣を修理するに止まり、其目的とする処は斗升の米麥を甘受するにあり。其状恰も靴工髭師に異ならず(其中或いは大志を抱いて夙に泰西の獸醫学術に苦心せし者なきに非ずと雖も寥々数うるに足らず)。獸畜の衛生、伝染病流行病の予防、畜産の改良、食獸の検査の如きは夢だにも之れを感ぜざりしなり。況んや其治療と称するものは口蓋蹄冠の刺烙、附蝉の烙鐵に止まり、會々内科に属する病に遭えば妄りに無効の草根木皮を投じ、以て袖手傍観の謗りを免れんとするに於いておや。此類の輩は全國を通じて一万人に下らず。就中其性質を分析すれば十の七八は農或いは商を本業とし、病獸治療、蹄鬣修理の如きは其の内職に過きず殆んど農夫の雨天に草鞋を造り夜間に縄索を綯ふと一般なり。其治療を本職とするの輩に 在りても概ね馬商を兼ね或は主を馬商を業とする者あり。豈に之を以て伯楽と称し馬醫と 呼ふに足らんや。況ん乎之に獸醫の名を冠せんとするは、濁酒店の縄簾に傍ふて曾席料理の招牌を掲くるよりも甚たしきおや。此の如き名實不適當の輩に二百五十餘萬頭の貫重なる 畜産を委任せん事は甚た不安心の至りと云ふべし。我明治政府は夙とに此等の事情を洞察 せられ、陸軍省に於ては明治五年地方有力の馬醫を徴して軍馬の衛生治療の事を司らしめ、仝七年に彿國陸軍獸醫アンゴーを聘して獸醫生徒を教育し、内務省に於ては明治九年英國 獸醫ドクトル・マツクプライドを、農商務省に於ては仝十四年獨國獸醫ドクトル・ヤンソ ンを聘して前後数十名の生徒を養成し、以て之を各地方に派遣し其希望する處の業に就か しめたり。然るに地方の人民は数百年来の古俗舊慣に安し、西洋の獸醫に依頼して高貴の薬石を購はんより、寧口有合の来麥を出たして低価の伯楽を聘するの便且つ利なるに如かす と愚信し、伯楽も亦た米麥の扶持に甘んじ、唯々其佳客を失はん事を是れ恐れ、日夜狂奔疲 労して尚ほ願みざるの有様なれ。眞正の獸醫は連も民間に於て其伎倆を逞ふするの餘地を 視ず。何そ共効積を奏するの日あらんや。然れとも全國を挙けて皆此の如して云ふにあらす。近来岩手、秋田には縣立獸醫学校あり。山形、仙台、石川、福岡、熊本其他の數縣には獸醫学校或は講習所等の設ありて、眞正の獸醫を聘し盛んに獸醫の生徒を教育せり。是に於てか獸醫の需要稍々端緒を開けり。然るに全國の廣き獸畜の多き僅かに二三獸醫の其所を得 たりとて満足すべきにあらず。宜しく益々眞正の獸醫をして普くひ真正の事業に就かしむ へきなり。政府も亦た早く茲に見るあり。明治十八年八月二十二日を以て雑録欄内に掲くる獸醫免許規則及ひ獸醫開業試験規則を発布せられたり。此規則の施行せらるゝに至らば従 来各地方に於て累世馬牛の治療を業するの輩は(現今獸醫の学術を講習する者を除き)勿論三稜鍼を放ち烙鐵を棄て、転業若く
獸醫の職業は之れを分けては甚だ多端にして一人の兼ね能すべきにあらず。其用は頗る広 大にして一言の説き尽くすべきにあらず。官衛に市街に牧場に軍隊に往く処として用あら ざるは無く、之れを大にして公衆の資産を保護し、之れを小にして細民の家畜を救済し、其 世に効益を与うる事決して小々ならず。我邦維新前に於ては真正の獸醫なく、唯に伯楽及び馬醫なる者ありて五幾七道の間に散在せりと雖も、職業とする処は専ら馬牛の治療とその 蹄鬣を修理するに止まり、其目的とする処は斗升の米麥を甘受するにあり。其状恰も靴工髭師に異ならず(其中或いは大志を抱いて夙に泰西の獸醫学術に苦心せし者なきに非ずと雖も寥々数うるに足らず)。獸畜の衛生、伝染病流行病の予防、畜産の改良、食獸の検査の如きは夢だにも之れを感ぜざりしなり。況んや其治療と称するものは口蓋蹄冠の刺烙、附蝉の烙鐵に止まり、會々内科に属する病に遭えば妄りに無効の草根木皮を投じ、以て袖手傍観の謗りを免れんとするに於いておや。此類の輩は全國を通じて一万人に下らず。就中其性質を分析すれば十の七八は農或いは商を本業とし、病獸治療、蹄鬣修理の如きは其の内職に過きず殆んど農夫の雨天に草鞋を造り夜間に縄索を綯ふと一般なり。其治療を本職とするの輩に 在りても概ね馬商を兼ね或は主を馬商を業とする者あり。豈に之を以て伯楽と称し馬醫と 呼ふに足らんや。況ん乎之に獸醫の名を冠せんとするは、濁酒店の縄簾に傍ふて曾席料理の招牌を掲くるよりも甚たしきおや。此の如き名實不適當の輩に二百五十餘萬頭の貫重なる 畜産を委任せん事は甚た不安心の至りと云ふべし。我明治政府は夙とに此等の事情を洞察 せられ、陸軍省に於ては明治五年地方有力の馬醫を徴して軍馬の衛生治療の事を司らしめ、仝七年に彿國陸軍獸醫アンゴーを聘して獸醫生徒を教育し、内務省に於ては明治九年英國 獸醫ドクトル・マツクプライドを、農商務省に於ては仝十四年獨國獸醫ドクトル・ヤンソ ンを聘して前後数十名の生徒を養成し、以て之を各地方に派遣し其希望する處の業に就か しめたり。然るに地方の人民は数百年来の古俗舊慣に安し、西洋の獸醫に依頼して高貴の薬石を購はんより、寧口有合の来麥を出たして低価の伯楽を聘するの便且つ利なるに如かす と愚信し、伯楽も亦た米麥の扶持に甘んじ、唯々其佳客を失はん事を是れ恐れ、日夜狂奔疲 労して尚ほ願みざるの有様なれ。眞正の獸醫は連も民間に於て其伎倆を逞ふするの餘地を 視ず。何そ共効積を奏するの日あらんや。然れとも全國を挙けて皆此の如して云ふにあらす。近来岩手、秋田には縣立獸醫学校あり。山形、仙台、石川、福岡、熊本其他の數縣には獸醫学校或は講習所等の設ありて、眞正の獸醫を聘し盛んに獸醫の生徒を教育せり。是に於てか獸醫の需要稍々端緒を開けり。然るに全國の廣き獸畜の多き僅かに二三獸醫の其所を得 たりとて満足すべきにあらず。宜しく益々眞正の獸醫をして普くひ真正の事業に就かしむ へきなり。政府も亦た早く茲に見るあり。明治十八年八月二十二日を以て雑録欄内に掲くる獸醫免許規則及ひ獸醫開業試験規則を発布せられたり。此規則の施行せらるゝに至らば従 来各地方に於て累世馬牛の治療を業するの輩は(現今獸醫の学術を講習する者を除き)勿論三稜鍼を放ち烙鐵を棄て、転業若く