ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
MyDoblog 獣医学・獣医術の歴史データーベース
Blog
[ 総Blog数:189件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
前のページ   |   次のページ
2008/11/21のBlog
タイトル","責任表示","出版地 出版者 刊行年","NDC","全国書誌番号"

"牛病可治","ダムソン著,志賀雷山訳","東京 関農義会 明9.5","640","40063087"
"獣医外科書","ブ-ク,ツ-サン著,今泉六郎訳","東京 獣医書典出版義会 明19.3","640","40063180"
"相馬学","メルシュ著","〔東京〕 陸軍文庫 明12.8","640","40063251"
"畜疫治法","ファ-トン著,宗我彦麿訳","東京 有隣堂 明7.9","640","40063257"
"日本畜牛病論","阪東武編","洲本町(兵庫県) ゼ・メンウワ-ルド社 明40.12","640","40063324"
"豚","飯田吉英著","東京 成美堂 明43.6","640","40063394"
"牧馬及ビ軍馬之補充","ドヴォ-著,陸軍乗馬学校訳","東京 兵林館 明25.6","640","40063420"
"養兎全書","セバステ-ンデラマ著,本間自動(小左衛門)訳","東京 有隣堂 明23.7","640","40063493"
"仏国馬政事務報告",,"〔東京〕 農商務省農務局 明32.12","640","41019834"
"仏蘭西馬政","ポニ-著,陸軍乗馬学校訳","〔東京〕 陸軍乗馬学校 明26.1","396.5","41020309"
2008/10/22のBlog
水藩医官 原昌克著 改訂 瘈狗傷考
 編者 岸浩
前説
 わが国の家畜伝染病流行の起源に興味を抱いて,爾来十余年を過ぎた.その端緒は牛疫であり,すべて朝鮮半島における大流行の直後に一致するというドラマティックものであった.但し私は原典を見ない限りは引用を避ける頑固性分なので,正保牛疫(1646-)と貞享牛疫(1684-)は報告していない.しかし,何れも発生の起点は既報の寛永牛疫(1638-41)寛文牛疫(1672-73)と同じく,山口県か福岡県に限定している.
 牛疫以外に文献上判然とする家畜伝染病に狂犬病がある.この疫病は潜伏期が長く,温血動物の殆んどが感受性を持っており,余りも資料が断片的なので,医学史の中でも流行史の形では捉えられていない.江戸末期に定着した伝染病なのか,牛疫同様にその都度侵入を受けたのかも不明の侭である.確かにこの研究は至難の業だなというのが実感である. 長州藩においても五代将軍綱吉の「生類憐みの令」をうけて生類保護が講ぜられているが,萩城下における野犬の横行は目に余ったとみえ,正徳元年には捕獲野犬島流しの御触れが出されている.この野犬を棄てた島とは,現萩市三見沖の鯖島(無人島)である.但し殺処分した者(穢多)は,入牢となっている判例があるので,建前はあくまでも捕獲であったと見える.
 長州藩記録の中では,狂犬は「はしか犬」または「麻疹犬」と明記され,その初見は元文五年の,一,はしか犬見当次第早速捕へ,穢多へ相渡候様ニとの事「御触控目録(山口県文書館所蔵)」から始まっている.この事と野呂元丈の「狂犬咬傷治方(元文元年刊)」
の中に『それ狂犬の人の咬ふこと,我邦古来未だこれを聞かず,近年異邦り此病わたりて,西国に始まり,中国上方へ移り,近頃東国にもあり』の一節が,前述の至難の業と思いつつも,なお私の研究心を魅了して離さないのである.
 例えば西国に始まりであるが「両郡古談(大分県立図書館所蔵)」の享保十八年の条に,一.享保十八年五六月頃より犬夥敷麻疹に而多くるい人ニ喰付く.はれ候者ハ疵口甚痛,病犬の熱毒皮肉臓腑ニ通り多く死す.尤去子年,長崎辺より流行,牛馬等へも喰付候段,打殺川にも入る也.此薬玉霊丹妙也,小豆禁食也 とあるとおり,野呂元丈の認めた近年とは三年前のことで,西国とは長崎近辺と推察されるのである.長州萩城下街の狂犬捕獲令は,長崎発生から九年後の布令となるが,関門海峡が流行遅延のガードとなっていたのであろう.海峡が有るといっても,人牛馬から犬に至るまで一件につき○○文という舟賃規則も残っているので,潜伏期の狂犬が九州から本州に侵入することは易々たるものといえる.患者から健康人への感染があったことも否定はできまい.
 享保十七年,長崎近辺に発生した狂犬病の蔓延スピードは眼をみはるものがある.例えば 一.享保十七年壬子年,(前略)今年西国筋ハ不気候ニ有之.備前,備中,広島,備後辺之犬迄も病とつき,人民に噛付キ,多ク人損シも有之.播州辺迄も同様之由也.(後略) 「草間伊助筆記巻一(大阪市史第三)」 とあるとおり,現在の山陽沿線を,真一文字に東上している.野呂元丈の執筆と出版は如何にタイミングが良かったかと言わざるを得ない.また改めて狂犬病の猛威に驚くばかりである.
 さて,原昌克(字=子柔,通称=元与,号=南陽)の著作「瘈狗傷考」の字訳を思い立った理由は,偶々病を得て入院し,時間をもて余したことのほかに,野呂元丈が記した東国の発症事例と,昌克の治験例が明記されているからである.東国における発生の初めは,管見するところでは寛保元年正月,津軽藩領内の該当記録に見られる.
 一.元文六辛酉年正月地震,同月より犬に病付而有増ノ犬絶程死候.方々ニ而犬ニ喰付れ,死候人も有.其外並馬並狼等も病と見へ,多く所々ニ而死.「永禄日記」
 瘈狗傷考を字訳し終えて感銘を深めたのは,原昌克が随所に私見を開陳していることゝ,徹底した灸冶療法である.いみじくも昭和二十五年七月十四日,東京大学農学部会議室において狂犬病をめぐる座談会が開かれている.昭和二十三年から東京近辺で大流行したときのことで,その議事録は「日本獣医協会雑誌第三巻第八号255~263頁」に登載されているが,その終尾に「人の狂犬病の症状と手当」が記載されている.これを見ると,私は原昌克が自信を持って全治させたとする灸療法が,正しかったと思わざるを得ないのである.因みに左記に述べる局所療法,GHQ・ BEECHWOOD博士がMedical Times誌(1949)の中から紹介したと脚注されている.この米式焼灼法に用いられた「発煙硝酸」を,日本式灸治療法に置き換えた場合,瘈狗傷考は愈々その価値を見直される医書となるのではないだろうか.少なくとも私は瘈狗傷考の字訳を通じて,文政三年八月十六日,六十八歳を以て没した原昌克を尊敬すること頻りである.本書は当時三十歳の著作となる.
 人の狂犬病の症状と手当 抜粋 出典・・前掲
 焼灼法
 噛まれた部位を囲んで,健康な皮膚の上にワセリン軟膏(Petrolatum)の輪をかき,その内部に毛細ピペットを使って,一滴ずつ発煙硝酸を垂らす.酸は傷の各部にもれなく行きわたらせるが,健康な皮膚にはつけないようにする.この療法は,咬まれてから三~四日たった後に行っても有効である.
 その他傷を石鹸と水とで洗い,生理食塩水で灌注するという考案については,数年前に反対が起り,検討が行われた結果,次のような点が明らかにされた.
①リンパ液や血流は,狂犬病毒の侵入門戸ではない.
②狂犬病毒は,非常に遅い速度で神経幹を通って脳に達する.
③発煙硝酸は組織やウイルスを破壊殺滅する作用のほかに,ごく深部に存在するウイルスも,殺滅し得る深達力を有する.
④できるだけ多くのウイルスを,侵入門戸で殺滅すべきである.それは予防液を応用しても,それはある限られた量のウイルスに対して患者を保護するに過ぎないからである.
⑤顔面に傷痕を残すことは,焼灼法の適応を阻止する理由にならない.それは顔面の咬傷が中枢神経系と密接しているから,どうしても行わなければならないという理由の方が,一層急を要するからである.
 昭和五十五年七月二十日脱稿 於 長州吉敷郡・椹野川畔
 獣医学博士 岸 浩


原玄与先生著 瘈狗傷考 江都書舗 青藜閣発行
 序
 原子柔の黄岐の道に於ける,其れ心を用ひざる所無けん耶.琑々遣らず,以て常に有らざるに及ぶ.常に有らざる者,弁博及ばざるに非ず.亦或は稀に之に及ぶと雖も,未だ以て之を心に経ざるなり.則ち当に希有にして用いること無かるべし.
 夫れ瘈狗の毒は,水火より猛なり.而して常に有らず.有れば則ち一日二日にして一を以て萬に至る.如し若し苟くも触れば則ち人之に死す,水火に似たるを有す欤.火は以て撲滅すべく,水は以て雍ぐべく,以て決する可なり.瘈狗の毒は撲滅雍決の術なし.弁博亦希に及べば則ち薬石も竟にその治を失うなり.
 予の幼時,一日人来りて云く,某地に瘈狗ありと.明日又人来りて云く某里に瘈狗あり.戒む可しと.一日二日にして一を以て萬に至る.邑里州県,処として有らざるなし.然り,常にあらざれば則ち希に及ぶもの亦希なるが故に,治又其治を得ず.乃ち死者何ぞ限らん,爾来殆ど五十年.又常に有らず.弁博又希に及ぶと雖も今又かくの如く有り.
 予の幼時,嘗て見る所則ち至る.所謂其れ水火より猛なり.子柔,希に有る瘈狗を以て治其の治を得ず.故に之を諸書より蒐閲し,希に及べは則ち集む.竟に巻と為し,人をして其の所に及ばしめんと欲するも逮ばず.予菐に已に面視し,一を以て萬に至る.特に子柔心を用ふるの深きを嘆ず.年の後を我より先んずる者,一たび之を見れば則ち皆能く之を識る.子柔其れ勤めよ哉.
 安永辛丑仲春 淡園 埼 允明 序 印 印

 瘈狗傷考を刻するに叙す
 吾が友子柔の業たる,三世其の美を済す.生死骨肉,治を請うて市の如し.門人笈を負いて,諄々誘掖し,数を守ること清明,論着籍を成す.或は帳秘を問ひ,先ず此の莢を授く.毒の身に逼る何ぞ疾急がざらん.瘈狗人を囓む.其の毒深く入る.一に治療を失せば鍼石及び難し.犬と医と交も害を為す.是れ其の論の以て立つ所,先に急に後に緩し.行して将に習う所を伝へんとし,瘈狗傷考を刻す.
 天明三年癸卯冬 水戸 立原 萬 印

瘈狗傷考
 目次
 論第一
 治法第二
 薬法第三
 灸法第四
 刺法第五
 禁忌第六
 治験第七
 附録 毒蛇諸虫咬
 鼠咬

瘈狗傷考 叢桂亭随筆之一
 水藩医官 原昌克 子柔 甫 著 

論第一
 夫れ虫獣の人を咬害するもの多し.虎狼蛇蠍の害の若きは,深山幽谷,絶人の地,人稀に遇ふ所にして其の禍に罹るもの,亦た甚だ多からず.独り風犬の人を害するや,都鄙市朝を問はず.其の毒に触れるもの,比比相属す.若し夫れ理療一失すれば,即ち其の毒膏肓に入る.或は偶々瘥る者も亦た生冷油賦を誤食すれば則ち旧毒再発,口渇引飲し,妄語狂躁,狗叫の如し.其の証奇怪,名状すべからず.故に之を治するの法,必ず先づ躯内の毒を刈除するを以て要と為す.其の術,予め論定せざるにはあるべからず.夫れ風犬の行るや四五月の際尤も甚しと為す.城郭県鎮,烟火相臨の地,狂狗人を咬む有れば,則ち子弟悪少,相引て之を撲殺す.寒郭陋巷の若き,一犬横行,毒を数人に流す.又,常狗之と闘へば伝染して癲狗となる.是に於て禍に罹る者,亦た少からず.理療一失せば医と犬と,交々害を相為すもの虎狼より甚だし.要するに須く其の方法を照して,宿毒の遺患無かるべし.
 左氏伝に云く,国人瘈狗を逐と云う.即ち風犬なり.或は猘犬,癲狗,風犬,狂犬等の称,皆な同義なり.
 千金論に曰く,凡そ春末夏初,犬多く狂を発す.必ず小弱を戒め,杖を持して以て予め之を防ぐ.防ぎて免れざるもの,灸するに出るは莫し.百日の中,一日も闕けざるもの,方に難を免るることを得.若し初め瘡瘥へ,痛定るを見て即ち平復と言う者,是れ最も畏るべし.大禍即ち到る.死旦夕に在り.昌克按ずるに信なるかな此の言.多くは枯薬を以て傷処に貼し,瘡乾痂脱するを看て,驩て全痾と為す者,速なるは旦夕,遅きは旬月,終に鬼簿を免れざるに到る.
聖済総録に曰く,猘犬齧ば犬狂疾を発し,跑躁人を齧む.若し之に中れば,人をして疼痛止まざらしむ.発狂犬声の如し.急に之を治せざれば,亦た能く人を殺す.男子三日を過れば治せず.婦人五日を過れば治せずと.昌克按ずるに,犬毒の男女を以て理療の遅速を論ずるは蓋し妄誕也.
 胡濚曰く風狗咬傷は此れ乃ち九死に一生の病と.急ぎ斑蝥七枚を用いて,糯米を以て炒り黄にし,米を去り末と為し,酒一盞を半盞に煎じ空心温服して下を取る.小肉狗三四十枚を盡ると為す.数少なきが如きは,数日再服すること七次.狗形無れば永く再発せざる也.累に試み累に験ありと.
 孫一套曰く,斑猫七枚を用て頭足翅を去り,糯米少許を以て新尾上に於て同じく炒り,米黄香を以て度と為す.米を去りて用ひず.斑猫を以て研り砕き,好酒調へ下す.能く酒を飲む人は再び一盞を進む.傷の上下を看て服す.当日必ず毒物有り.小便に従って出づ.小狗の状の如し.未だ下らざる者の如きは,次日再進す.如し又下らざれば又之を進む.毒物出るを以て度と為す.進みて七服に至る.毒下らずと雖も亦害無し.薬を服するの後,腹中必ず安からず.小便茎中刺痛す.必ず慮からず.此毒薬の為に攻られて将に下らんとするのみ.痛甚しきもの,蕪青一匙を以て甘草湯を煎じ送下す.即ち止む.蕪青無きが如きは青黛亦可なり.疾癒て後,急に香白芷五銭,雄黄二銭半を以て末と為し,韮根を搗き,自然汁を湯酒に調へ下す.斑猫の毒を去り,水を以て浄漱し,口に青葱白を嚼み傷処に罨す.小竅を留め毒気を出す.他薬草を用て罨すべからず.
 又曰く,急に治せざれば小狗を生ず.必ず人を殺す.雄黄,蝉脱を等分に末と為し調へ,傷処に敷く.立ところに癒ゆ.
 医方大成に云く,大斑蝥三七枚を用て頭翅足を去り,糯米一勺を用て畧々炒り過し,別に七枚を以て前の如く炒り,色変せば復た之を去り,別に七枚を以て前の如く青烟に至るを度と為す.蝥を去り,只米を以て粉と為し,冷水を用て清油少許を入れ,空心に調服す,須叟に再進一服す.小便毒物を利下するを以て度と為す.若し利せざれば再進す.利後肚痛せば急ぎ冷水を用て青靛を調へ之を服す.以て其の毒を解す.否なれば則ち傷有り.黄連水も亦之を解すべし.但し宜く一切の熱物を服すべからず.
 李中梓曰く斑蝥は猘犬の悪物を下すと.
 張璐曰く,斑蝥七枚を以て翅足を去り,炙り黄にし,蟾蜍と同じく搗き汁にし之を服す.瘡口を風無き処に於て悪血を搠去り,小便にて洗浄し,髪灰之を敷く.服後小便当に瘀毒有て泄出すべし.三四日後,当に肉狗形有るべし.三四十枚を尽と為す.数少きが如きは再び七枚を服す.若し早く服せば,狗形無しと雖も永く発せずと.
龔廷賢曰く,斑猫翅足を去り七个,香附七个,共に細末と為し一服と作す.焼酒を調へ下す.腹痛忍ぶべからざるが如きは,猪肉湯一両口して吃して之を解すれ『馬経大全』,即ち止む.一時な
ならずして小便出ず.狗形下り来る.即ち已む.鑼鼓風を避ること一七日なり.
 又曰く,斑猫七箇を用いて翅足を去り末と為し,酒に調へ服す.小便桶内に於て,衣沫狗形に似たるものを見ば効と為す.無きが如しは再び服す.須く六七次なるべし.狗形無きも亦再発せず.甚だ効あり.
 呉珠曰く,風狗の咬傷は急に斑猫七箇を用て末と為し,温酒に調へ服す.其の毒小便中より去る.特に尿缸に清水を盛せんとし,患人をして其中に尿せ令むべし.半日を停め,濁気凝結し狗形の如きを見ば則ち毒去る.狗形を見ざる如きは,須く七次服すべきこと.方に可なり.狗形無れば乃ち再発せず.極めて験あり.若し小便渋れば,益元散を水に調へ服す.最も妙なり.陳実功曰く,之を治すること遅きものは,毒大にして小便出で難し.必ず臓腑を攻め,久しければ形を成す.
 昌克按ずるに,千金方の九漏を治する方中に,斑猫地蟾を用ゆ.其の方後に曰く,病小便より出づ.尿盆中に相視る.虫の形状有るが如し.又,膠汁に似たり.此れ病の出づるなり.此の他,古人,瘰癧血疝の病,斑蝥を用ゆるもの皆曰く,毒小便より出づと.或は粉片の如く,或は血塊の如く,或は爛肉の如し.皆其の験なり.但し毒の行く,小便必ず渋痛す.当るべからず.則ち李果破毒飲輩を以て之を道く.是れ斑猫を用るの常例にして袖珍方に猘犬傷を治する,蝦蟇を搗き爛らし水服す者も亦小便内に沫を見るの事を言ふが如きになる.
 張氏医通に曰く,蝦蟇一二枚を以て搗き汁し生食す.小便桶内に沫を見る.其の毒即ち解く.蓋し是れ犬毒に由て其の験を説くものなり.而して小便の穢物を利する,果して此の如きものの,余は未だ目に之を見ず.其の他風犬毒を治する方薬に斑猫を用ゆるもの,往々奇効を奏す.衆薬と同じからず.最も犬毒を攻るの良品なり.
 袖珍方に云く,先ず頂心に於て血髪三四根を抜き去ると.陳実功曰く,其の人頂心に必ず血髪一両根有り,宜く抜去すべしと.孫一奎曰く,頂上紅髪を抜き去ると.呉珠曰く,患人の頂心中に於て一紅髪有り.即ち当に抜き去るべし.後薬を服し快効すと.張璐曰く,先づ患人の頭上に於て,血髪二三茎を抜き去ると.廷賢曰く,宜く番木鼈を水に磨して吃すべしと.即ち脳頂上を看よ.紅頭髪有り.急に摘去ると.馮■張曰く,胎髪焼て性を存し新香附と野菊とを研細し,酒を調へ服す.酔を尽す.患人の頭を看よ.紅髪三根有り,速に抜き去れと.
 昌克按ずるに,近頃野呂元丈も亦た此の説有り.余嘗て之を索む.未だ其の謂ふ所の紅髪なるものを見ず.
 小品方に云く,蟾蜍膾を生食する,絶て良しと.張璐曰く,蟾蜍一二枚を以て搗汁を服すと.肘後方に云く,猘犬傷を治すに七日毎に一発す.蟾蜍膾を食して,絶て良しと.亦,之を炙食すべし.本人をして之を知らしむること勿れ.自後再び発せず.袖珍方に云く,風犬傷を治すに即ち蟾蜍の後足を用ひ搗爛し,水に調へ之を服すと.
 昌克按ずるに,李中梓も亦蟾蜍の條下に於て,猘犬の効を説く.また,況約か宋書に載す.張収(或は作牧)猘犬の為に傷せらる.人の云,宜く蟾蜍膾を噉ふべし.之を食て遂に癒ゆ.実に一奇良方なりと.野呂元丈も亦蟾蜍膾の説有りて蟾蜍の事に及ばず.蝦蟇は是れ蹩蟇.蟾蜍は是れ癩蚵■.是れ通説なり.而して又,毒蛇咬を療すに,急に癩蝦蟇を取り,搗き爛し上に敷き,之を帛縛するの法有り.諸書載する所の蝦蟇の如き.蓋し是れ癩蝦蟇なり. 李時珍曰く,古人蟾を通称して蝦蟇と為すのみ.今に物を攷するに,功用亦た甚だ遠からず.則ち古人用ふる所の多くは是れ蟾蜍.且つ近人又蟾蜍を用て説あり.而して蝦蟇は復た薬に入れず.
 又,鄭撨通志に云く,蝦蟇の類多し.蟾蜍を以て上と為す.曰く■,曰く去甫,曰く苦蝥と.昔張暢が弟,収,猘犬の為に傷せらる.医の云く,宜く蝦蟇膾を食すべし.収甚だ之を難ず.暢笑を含みて先ず嘗む.蓋し此の物,但し薬用に入る.食ふべきに非ず.爾雅に蝥は蟇,一種あり,田中に生ず.大なるもの三四枚,重さ一斤,南人名けて水鶏と為す.又,蛤と名づく.又,一種山谷中に生ず.黒色肉紅,石鱗魚と名づく.並に食すべし.其の小なるものを鼃と名づく.其の鼃より大にして青色なるものを青鼃と曰ふ.凡そ蝦蟇の類は皆交合せず.惟此れ雌雄相対し,沫を吐き漸々魚子と成る.遂に変して科斗と成る.爾雅に云く,科斗を活東亦は治師と曰ふ.古人科斗の書,蓋し象を此に取る.
 昌克,頃ろ久慈郡に遊び慈雲寺を訪ふ.語次犬毒の事に及ぶ.上人告て曰く,郡中其の患に遇う者,乃ち蛙膾を作り之を食ふ.遂に危篤に至る者無しと.因て知る,此の物,善く毒を治する.必ず蝦蟇蟾蜍の分に有らず,多用を妙と為す.諸書に載する所の如き,尤も以て信ずるに足る.
 上人又曰く,蝦蟇を噉ふ後に,その頭上に物を発して癩蚵■状の如きもの有りと.一奇事なり.月余を経れば則ち脱去すと.
 或は語て曰く,人有り猘犬の為に咬まる.急に小豆,麻物,油膩,一切の毒物を取て煮食す.終に再発の患無し.癒て後油膩を忌まず経日の者の如きは,此の法宜しからず甚だ害を為すと.昌克未だ信ぜず.而して世俗此の法を用て毎々効を取る.数々験有る者を見る.因て知る毒毒を攻ると.斑猫を用る者と一般,蓋し経日の者斑猫を与へば,則ち相害する此の法と同きか.余,未だ其の当否を知らざるなり.姑く記て後考に備ふ.
 医宗金鑑に云く,豆豉を用ひ研末し,香油調稠し,丸弾子大の如くす.常に齩る処を開拭し,搯開て豉丸を看る.内に若し狗毛茸茸然たる有れば,此れ毒気巳に出るに係る.丸を易へ再び揩て茸毛無きに至りて方に止む.甚だ効と.余,未だ試みざれども恐くは妄誕なり.

 治方第二
 千金論に云く,凡そ狂犬人を咬む.著訖れば即ち人をして狂せしむ.精神巳に別る.何を以て知ることを得る.但し灸時を看よ.一度火下れば,即ち心中醒然惺惺了了を覚ふ.方に咬れて巳に即狂するを知る.是れ以て深く須く之を知るべし.此の病至て重し.世皆之を軽んず.以て意と為さず.是に坐して死するもの常に年々之れ有り.
 吾初めて医を学ぶ.未だ以て業と為さず.人有り此に遭ふ.時に以て吾に問はる.了に報答を知らず.是を以て吾手を経て,而して死する者一ならず.此に自り鋭意に之を覚ぶ.一解巳来,治する者皆癒ゆ.方に知る世に良医無く,狂死する者半云々.
 昌克謂らく,風犬の一毒,原是れ外来の病.死生を以て焉を論ずべからざるものに似たり.然り治療一たび失せば則ち必死に至る.起すべからざるときは,則ち膏肓難愈の病と何ぞ擇ばん.犬と医と交々相害す.懼れざるべけんや.是れ思邈が沈思留心する所以なり.
 凡そ狂犬人を咬むもの,須く急に黄金漿を与ふべし.若し吐する者更に之を与ふ.且つ須く熱人尿を用て傷口を洗去るもの一再次なるべし.此時傷口上に於て,宜く之を細視すべし.当に薄膜の如くなるもの有り.是れ狗牙根の垢査なり.謹て留むべからず.速に之を洗ひ去る.流血脉々として絶へざるものを妙と為す.若し血流滴せざるもの,方に鋒針を将て之を刺破し,血出れば紫金丹を与ふ.血止めば傷口を拭去す.仍て艾火を上すこと法の如し.而して白玉湯紫金丹を送下す.毒甚しきは連服す.
 傷口未だ癒ず,発汗禁ぜず,亡陽する者救い難し.宜く先づ足の委中を刺して血を出すべし.而して黄金漿両三合を与ふ.紫金丹之を主る.服後寸効無き者は死す.
 医,之を誤理し,或は飲食節を失し,旧毒再発する者は治し難し.
 傷口痊を報し,五六十日若しくは百余日,其の人悪風口渇,睾丸内吊し,二溲閉結し,行歩動作呼吸乃迫するもの将に痙を発せんとせば,宜く急に之を理すべし.紫円を与えて之を取る.(其の毒の緩急と其の人の少長を量りて剤を作る)二三日,若くは四五日,已に痙を発し,口禁咬牙,角弓反張,口涎沫を吐し,舌縮り声枯れ,眼昏み神無く,水飲下らざる者は死す.
 将に痙を発せんとする者,急に当に二溲を利すべし.而して手の尺中,足の委中を刺す.玉散之を去る.紫禁丹も亦之を主る.
 小品方に云く,衆療差へず.毒人を攻め,煩乱■し,已に犬声を作す者,方に髑髏骨を焼き灰にし末し,東流水を以て方寸匕を和服す.以て活し止む.昌克按ずるに,此方甚だ奇験有り.即ち下に載する所の白蝥散,是れなり.
 赤水玄珠云く,経久宿毒,復た発する者多くは救い難し.薬療す可きもの無し.雄黄散之を主る.
(本救良方に出ず) 若し牙関禁急,肯て服せざる者は則ち鼻を撚て之を潅ぐ.服薬の後,必ず驚起すること勿れ.其の自醒するに任す.再び前薬を進め,然して死を免る者僅かに千百中の一二のみ.

 薬方 第三
黄金漿 
 生薑根(搗き汁を取る) 鉄漿
 右二味各等分.米服一合.冷服す.
紫禁丹方(即王璆百一選方.大乙紫禁丹.一名万病解毒丸.一名玉枢丹)
 山茲姑(皮を去り洗.二両) 川五倍子(洗 二両) 麝香 (三銭) 千金子仁(白者.研.
 紙に圧て油を去.一両) 大戟 (紅芽者.芦を去.一両半)
 右五味,重罹勺せしむ.糯米■飲を用い之を和し.木臼杵千杵,一銭一錠に作し,病甚き者は連服す.(湯火傷,蛇毒悪犬,一切の虫傷,並に冷水に和し磨塗す.仍て之を服す.百一選方に詳なり.
青玉散方 猘犬人を咬むを理す.
 青黛 雄黄
 右二味等分末と為す.毎服五分.桃根白皮の煎汁を送下す.日二夜一.白玉湯も亦得たり.
白玉湯方 猘犬人を咬むを理す.
 杏仁(三銭) 桃根白皮(二銭)
 右二味,水二合を以て,煮て一合を取る.日に二利.別に杏仁,葱白,倶に杵き泥と成し,傷口に敷く.灸すること数十壮.口をして合せざらしむ.甚だ妙なり.
白壁散方 旧毒再発し,狂躁悶乱する者を理す.
 天霊蓋
 右一味,研り末と為し水服す.
雄香散方(救急良方之方)
 雄黄 (五銭) 麝香 (二銭)
 右二味研り末し勺し,酒にて下す.二服に作す.
蝦蟇膾方
 蝦蟇切て両股を取り,皮を去り洗浄し,膾に作す.柚橘芳芽之類,其の宜きに適す.或は炙食する者,効少し.冬月の如きは,乾蝦蟇煎服す.多を以て妙となす.其の効大いに劣る.
小品方に云く,若し重発する者,蟾蜍膾を生食する,絶て良し.亦た之を焼き食すべし.必ず其の人をして初て知しめず,齧を得て便此と為す.則ち発らず.
 古籍用ひる所の薬品,頗る多し.其の散して緒言になるものを抄して,以て考索に備ふ.


内治
 蟾蜍 蝦蟇 葛根
 斑蝥 雄黄 青布汁
 頭髪 野菊 桃根白皮
 麝香 狼牙 猬頭灰 水服 桔梗
 故梳 韮根と同く煎服.又韮汁服す
 狼牙草灰 狼肉 天霊蓋 
 黒丑 梹榔 木鼈子
 番木鼈 鉄華粉 乳香 
 千金子仁 蔓菁 搗汁 紅娘子
 青娘子 沈香 海馬
外治
 冷水洗うこと数次 艾灸 甘草
 犬糞 紫蘇葉 嚼砕 人尿・洗
 石硫黄 百草霜 乾荷葉・煮搗汁
 胎髪 人乳汁 蓖麻子・塩水
 牛溲 牛糞・人尿洗て後塗る
 猘犬脳 天南星・防風等分細末
 虎牙 梔子・焼硫黄等分為散
 紫荊皮・砂糖に調へ塗る 塩水・蓖麻子にて洗井水研て膏と成し塗る.
 人参・犬咬風傷腫痛,焼性を存し之を敷く.
鴨跖草 銀杏・研砕
 薤 韮白 白礬
 金繰荷葉・犬咬破傷風,砂糖和勺
 黄蝋 豆醤清 鼠屎・先洗て牙垢土悪血を去り黒糖調へ塗る
 蚯蚓泥
 塩尿 鹿蹄草 蓼葉 搗泥
 粳米 瓦松・雄黄に同じ,研く 左盤龍・厚封,新なるもの佳
 赤地利・根は醋にて摩し之を伝く.又茎葉を搗て伝く
 ■草・末,椒水に浸し調る 青柚・乾収煎洗う
 羊躑躅花・半開のもの陰乾,煎じ洗う 牀脚下土
 豕耳垢 ■葵・搗伝
 内飲外塗
 生薑汁・又は生薑を以て炙り熱して之を慰す 蒼耳・酒服煎洗
 塩尿 虎骨・水服外塗 乾薑・水服,又薑汁服し末し侍く
 地黄汁 飯餅之を塗 頭垢・猬皮と同,焼灰にし水服す.尿洗て後伝
 韮根汁 杏仁 鉄漿・各百度
 砂糖 地楡 莨■・子は内治之を用ゆ.根は塩に和し搗き伝す
 鹿血 薤白
 青黛 黄檗子・研り水服す.外塗
 人血 瑞香葵・絞汁を取る 苦酒
 灰・熱湯又は苦酒に和す

 灸法 第四
 夫れ犬毒を灸するの法,従来已に久し.内経に曰く,犬に噛まるゝの処,之を灸するに三壮.犬
傷病法を以て之に灸す.千金方に曰く,猘犬の噛む所,未だ其の悪血毒を尽さざる者,上に灸すること一百壮.已後,当日灸すること一壮.若し血出でざれば其の血を刺し出す.百日灸せば乃ち止む.昌克按ずるに,凡そ艾灸の法,諸籍群載,是れ皆な抜毒の一法.是も欠くべからざるの良法なり.若し灸し肯せざる者は不治なり.
傷口に灸す.
 熱人尿若くは新汲水にて傷口を洗去し,血をして出さしむ.而して上に灸す.一百灼を以て定と為す.一百日を以て期と為す.綿若くは紙にて之を封定す.其の更に灸する時,韮葉煎汁にて痕上を洗ひ去り,艾火を上にす.百日内欠くべからず.艾柱の大小は傷口に随う.
又の法
 胡桃殻半個を用て,人糞を填て傷口に抵て,艾火を上す.其の殻を焼き去り痛を覚るを以て,度となす.
又の法
 蒜若くは韮の両頭を去り,中間を切ること三分.厚く瘡頭上に安す.艾柱を用て蒜上に於て之に灸す.百壮毎に蒜敗れば乃ち易し.
又の法
 人糞を用て瘡口上に貼し,之に灸すること七日.必ず百壮に至る.糞乾けば乃ち再び換ふ.百日の内,暫く減て三五壮に至る.
 刺方 第五
 鋒針刺烙の術,用て奇功を奏するもの多し.余已に別論有り.此に特り風犬一毒用ゆるところの一二を抄記す.凡そ鋒針を用ゆる者,世の所謂る管鍼の法の如し.管中に針を容れ,小しく鋒頭を露にす.須く鋭意之を行ふべし.心頭若し一点の疑気有れば,則ち要処に抵ることを得ず.刺浅して絡に及ばざれば,則ち血出でず.
 凡そ怯弱の者鍼刺の後,多く癲眩す.宜く患者をして静臥せしむべし.是れ防癲の一策なり.故に委中を刺すの法は側臥せしめて後針を用ゆ.決して癲眩の患無きなり.
 凡そ刺絡は宜く鍼を側し逆てて之を取るべし.鍼鋒絡し剖つれば則ち気を脱す.血収め難し.
尺中を刺す法
 予め絹三襞 ( 紗を用て上と為す.長さ五尺,濶一寸,縫て今の婦人腰帯の如くにする.佳と為す)溜血器(陶器佳なり.須く白色のものを用うべし.血色を弁するに便なり)酢(五勺癲眩者の為め之を備う)を設く.患者をして端坐せしめ,絹を将て肘後を縛す.手は満握の杖に伏す.而して力を用ふ.絡脈大に張る.乃ち血結の処を視て鍼を加ふ.鍼鋒未だ挙せず.■血迸飛す.乃ち人をして陶器を持たしめ,接して之を受く.血出ること二三勺より一二合に至る.隋証各異なり.宜く血自ら収せるものを以て度となすべし.若し血量已に足り,或は鮮血を出す者は須く肘後の縛を解くべし.杖を放ち力ら弛む.血乃ち止む.反鼻末少許を用ひ,鍼口上に撒き,紙若くは綿にて之を圧定す.而して安臥せしむるもの半時ばかり,宜しく風露を避け調養すべし.若し指頭妄に鍼口を按し,絡脈動せば其の口閉じ難し.肉裏痏痕を為す.凡そ■血迸出する時,胸中煩懐し吐せんと欲する者あり.驚くこと勿れ.是れ気の開通する也.若くは面色青黄,将に昏眩せんとする者,急に上法に依り,縛絹を去り,指頭徐かに鍼口を按し,別に綿を把り酢に漬し,鍼口に罨定し,茗一飲を与ふ.而して之を密室に臥せしむ.則ち復す.
委中を刺す方
 患者をして正立せしめ,膝上を緊縛す.一に刺尺の法の如し.鍼を加ふるの時に当りて,先づ患者をして側臥せしむ.左を刺すものは左側,右を刺すものは右側,両脚直斜し壁を踏む.猶を杖を握るの意の如し.医者膝前に着き,右膝頭,患者の膝頭を受け,以て用力の地と為す.乃ち委中の大脈怒張するものを視て,之を刺す.
 禁忌 第六
 凡そ瘡口未だ瘥へざる者,淡を食するを以て一策と為す.世の悍猾なる者,法を蔑み道を誣ゆ.軽々しく禁忌を犯す.恬然貧り食す.或は適々其の禍に遇はずと雖,豈に傍人をして寒心せしむること無からん.仮ひ一二禁忌の物,生涯食に供せざるも,亦生養の害なし.然ども世の所謂禁忌,口腹を空する者の如きは,論ずるに足る無し.
 千金方に曰く,凡そ猘犬の人を咬む,七日すなわち当に一発すべし.三七日発らざれば,則ち脱するなり.要するに百日を過ぎば,乃ち免るゝことを得たるのみ.七日に到る毎にすなわち当に韮汁をつき一二升を飲むべし.又,当に終身犬肉蚕蛹を食することを禁ずべし.此を食せば則ち発り死す.救ふべからず.

 瘡未だ癒ざるの間は,生食及び諸肥膩冷食を食することを禁ず.但し飯下に於て魚を蒸し,及び肥器中に於て食せば便ち発す.宜く酒を飲むべからず.能く一年を過ぎば乃ち佳とす.
 酒(一年を過ぎば乃ち佳なり<千金方>)犬肉(終身之を禁ず<同上>)
 諸肥膩(瘡未だ癒ざるの間<同上>)
生魚(瘡未だ癒ざるの間<同上>○簡便方に云く,一年魚腥を食するを忌む
 冷食(同上)蚕蛹(終身之れを禁ず<同上>)猪肉(赤水玄珠)
 羊(同上)赤豆(外科正宗)麻物(同上)酸鹹(百日<簡便法>)

 治験第七
 余近頃歴験亦た多し.之れを治するに,毒食禁忌に拘らず.
其の法,咬るゝの始め,先ず餌するに赤豆,麻物,川鱗,海魚,水禽,林鳥,一切肥膩の類を以てす.凡そ適意遺さざるを以て妙と為す.咬処未だ癒えざるの際,之に灸し且つ毒を餌す.此の如くなれば則ち終身忌む所有ること無くして,決して再発の患無し.若し既に理を失し,咬処早く癒る
者は此の例に在らず.
 灸するの法,初日は人糞を貼し,瘡口焦黒,火熱徹することを度と為す.次日は之を洗去り,復た糞を用ひず.直ちに之に灸す.若し糞穢を忌む者は,貼せざるも佳なり.傷処爛潰するものは,灸壮漸く減して一二十壮に至つて止む.若し灸して爛れざるものには■礬巴豆輩を貼すること亦た良とす.
 狼も亦狂を発すること常狗と同じ.只其の囓する至て猛なり.■山幽僻に偶々此の害に係る者有り.諸州の門人,嘗て之を療する者,状を以て告ぐ.其の治法亦た同じ.乃ち今治験一二を附し,以て後世に示す.
太田大夫の臣,布施氏の子,五歳なり.眉上を咬まる.牙痕指を容るべし. 余 之に告て曰く,
灸し肯んぜずんば,多く薬を服するも亦生を望むべからず.只恐らくは姑息其の法を尽すこと能はずと.其の父,性快活,扼腕して曰く,児狗口に斃れば其れ之れ何をか謂ん.唯命之れ従わんと.仍て法の如く之れを洗ふ.傷処血を流すこと脈脈,人糞を貼し,大炷艾を上ること百壮,白玉湯,紫金丹を送下す.餌るに赤豆,麻物,諸肥膩を以てす.且つ戒て曰く,慎て飽停すること勿れ.須く将に息すべし.灸薬十日ばかりにして,傷口殆んど膿を為す.父曰く,公の療理は大費言ふべからず.其の将に灸せんとするや,児啼哭して哀を乞ふ.鉄心殆ど忍ぶべからず.先づ三大白を傾け酔に乗じて灸に就く.嚢中為に空し.余 曰くみだりに酒をかふことを愁ふこと莫れ.汝の児死せずと.日後膿汁漸く尽き,灸亦減ず.白玉湯を単服すること五十日ばかりにて診を解く.後三四年,肉起て其の灸痕を見ず.
 白石氏の奴,脚端を咬まる.洗灸法の如し.白玉湯に紫金丹を間す.諸油膩を食しむ.日後灸痕乾枯して癒んと欲す.仍て鋒針発用して之れに灸す.膿せざるもの数日,熱湯にて之れを洗ひ,痕痂を脱し去り,大艾之れを上す.微に膿気有り.余告ぐ,汝須く蝦蟇膾を以て酒を下すべしと.奴欣然として去る.二三日を経て傷口爛壊す.後,治を設け法の如くして癒ゆ.奴の曰く,蝦蟇の肥美言ふべからず.若し常に食して害を為さずんば,癒て後も猶を酒卒と為すべしと.
 向街先鋒伍長の女,年十三歳なり.隣児を携て門外に遊ぶ.時に狂犬奔跳して将に児を咬んとす.女身を以て之に当り,犬を抱て放さず.児乃ち逸することを得たり.女,肘臂を咬せらるゝ七八痕,隣人来りて乞て曰く,吾児の全うすることを得る所以のものは,一に女の力に依れり.彼若し起たずんば何を以てか彼の父母に巳んや,願くは恵を垂れよと.余 曰く,多く之に灸せば則ち良しと.隣人に難色あり.女の曰く,之れに灸するは犬を抱て噛るゝの時に勝れり,何ぞ敢て之を辞せんと.法の如く火を上する各百壮.白玉湯に紫金丹を送下す.更に教へて赤豆,麻物,魚鳥諸肥膩を喰わしむ.三四日にて傷口癒んと欲するの勢有り.仍ち壮数を倍し,且つ隣人に諭して曰く,傷処潰せざれば毒泄れずと.宜く■に蝦蟇膾を作り之れを餌せしむべし.女をして之を知らしめば,恐くは之を難せん.次日女来りて診を乞ひ,昨ふ蝦蟇膾を饗す,今日奈何にと.余 恠て問ふ,之れを知るやと.曰く,■親妾を愛し,早晩其の起たざるを患ふ.妾何ぞ彼の物を忌んやと.更に膾を餌すこと二三日,傷処大に潰し,膿汁衣服に徹す.灸壮半に減じ百日ばかりにして功を収む.後に一士人之れを聞て以て妾と為んと欲す.父母約有るを以て之を辞せり.
○桧物坊の一桶匠,肘後を咬まる.来りて乞ふ.余 曰く,灸せざれば治せず,若し灸し肯んぜざれば,須く他家に就て之を療すべしと.匠曰く,公の之れを治する万一を失せず.頗る其の法を聞く.既に黄金漿を飲み,人尿自ら傷口を洗ひ去り,痛を忍て捫按し,更に悪血を■却し,人糞を貼し灸すること百余壮.野鶏羹,鱒魚酢,大盃自ら酌み,又,赤小豆飯,胡麻豆腐,之れを煮て未だ熟せざるに先づ来りて診を乞ふ.余 曰く,好好,此の如くんば薬せざるも自妙なりと.紫金丹を与へ且つ戒て曰く,灸を縦にすること勿れと.唯唯として去る.月余にして来て曰く,灸すべきや否やと.之を診るに膿潰毒排,宜く灸を減ずべしと.又,旬余にして来れば既に疴を報ず.

以下附録・毒蛇諸虫咬 





















2008/09/30のBlog
『ザブ』について
中山英一著『被差別部落の暮らしから』朝日選書606.朝日新聞社発行2000年11月第5刷
 長野県の部落の人たちは部落外の人を『一般』『一般の人』『百姓』『ザブ』『シュク』と呼んでいた.
 食べ物については「兎の肉」「ナカモノ」「モツ」「スジ」「サクラ」「オタンポ」があった.「オタンポ」とは「落ち馬」で,明治の始め頃まで部落には斃牛馬の処理権があった.斃牛馬は駐在巡査立会いで,馬捨て場で石油をかけて焼却するように定められていたが,実際は解体されて,皮革,食べ物として利用されていた.立会いの巡査は火をつけるまねをすると駐在所に帰った.その日の夜には新聞紙に包んだ一貫目ほどの肉が駐在所の勝手口に置いてあった.
2008/09/02のBlog
流来日本的中国医


「元亨集」依照序文作者分成两版本。分丁序文的「丁序本」和序文的「序本」。两本有序文的「元亨集」分以写序的来「元亨集」的出版年份,但是原版没有序文的「元亨集」出版在志学上并无明确。那是因目前在中国存的「元亨集」并没有出版年份。1988年中国行木刻版元亨集380周年学研会,根据金陵三山街世徳堂梓「刻板全相大字符亨集」,完成于大明嘉靖丙午歳
(公元1546年),最早的『集』收藏于四的内藏,但是元亨兄弟所写的明版医并没有序文,名『医方』。元亨兄弟在着本搜集了全中国古典医,『元亨集』七十二症病形図歌治法的古典籍以下的三十七。


方, 発蒙, 玉照集, 渊源, 秦襄王, 纂要経, 卞宝, 阳集 李林経, 安集, 八十一, 黄, 坐観経, 岐伯対, 穆公, 造父経, 明験方, 岐伯, 造父経, 王御集, 胡卜経, 金朝, 御集, 氏集,卞氏, 起, 公集, 田猟集, 皇秘集, 伯楽新, 発蒙纂要, 元朝集, 皇集, 通玄, 岐伯治対症, 李陵坐観経, 伯楽.


在書誌學上西元1546年出版的木刻版「元亨療馬集」,官方太僕寺卿・楊時喬修改為書名「新刻馬書」,刻版為西元1546年底。接下來由太僕寺卿・丁賓寫序文改編的版本為西元1608年。此,「元亨集」改名「経大全」,之后并沿用「牛経大全」。并且一部份内容被改,写上新的序文是在清朝之后,本「元亨集」就是所的「序本」(公元1736年)。在追溯的源由,不可否有序文的「元亨集」是太仆寺官僚的所完成的成就功。


太仆寺卿所作成没有序文的木刻版「元亨集」就是由宝善堂撰的「新刻参医経大全」更改名所行的版本,也有流至日本。広市立図浅野文藏「経大全」从装到朝本目都有,上是将中国版稍微修改的朝本。本「経大全」那是用化名所覆刻,和中文的「新刻参医経大全」从明代中期到后期止都被广泛的运用。(詳細請參照「馬経大全の書誌的研究」日本獸醫史學雜誌23、27號)


在『元亨集』以前流到日本的医也并非没有那多。有确小河乗澄的『安』名著有刊在天文元年(公元1532年)完成的『塵添壒嚢抄』。从本完成年份来判断,是引用元亨兄弟的『集』的『安集』。与九年本道派所着『仮名安集』的『古唐洞羊  重校』,可看出有唐本流的述。另外,關於唐本有記載的『延暦○○年,肥後之国,經由平仲国硯山勅入唐・・・』等等民間流傳的謠言,所以在研究大陸流傳來的馬醫書時要審慎的調資料。

毛利藩医村井句聴子所著『安集抜粋』『安集』『本灌』『新』『畜巻』等著作,名『安集』但内容都是『元亨集』。



2008/08/20のBlog
徳山毛利家蔵書『元亨療馬集』の解題
題箋書名『元亨療馬集』.扉書名(金陵三山街世徳堂梓)『刻蘇板全相大字元亨療馬集』
新刻蘇板元亨療馬集目録書名『療馬全集』
『療馬全集』の構成:一百三十九論,春夏秋冬四巻,一百一十二図,三賦一百五十歌,三百余方.
○元亨療馬集巻之一 六安州医獣喩本元・亨集 
 東渓主人 袁希■校 金陵唐少橋 汝顕堂梓
 春巻 直講十二論
(巻末)六安州医獣楊潮字東源朱釭字従璽 同集
○元亨療馬集巻之二 夏巻 七十二大病
 元亨療馬法
 曲川 喩仁字本元編
 六安州 月波 喩傑字本亨集
 金陵 少橋 唐氏汝顕堂梓
(巻末)元亨療馬集巻之二終
○元亨療馬集巻之三
 秋巻 評講八證論 碎金四十七論
(巻末)六安州医獣楊潮字東源朱釭字従璽 同集 元亨療馬集巻之三終
○元亨療馬集巻之四
 冬巻 五知十四部方 驢騾通用経験良方
(巻末)元亨療馬集巻之四終
○新刊医駱駝薬方附後
 駱駝病症 
(書末・蓮台木記文字削除)

(蔵書印)徳藩蔵書 明治二十九年改済徳山毛利家蔵書 山口大学図書之印
2008/08/16のBlog
書名と刊記
書誌学では書名を採る順は次のように決められている.
①巻頭書名 書の本文冒頭にある書名で,一般に書名と呼ぶ時はこの巻頭書名を言う.巻頭書名が同じ書が複数ある場合は,判別のために編者,版元,序文著者等の特徴を記す必要がある.
②序文の書名 刊頭書名の無い書の時は,序文に書名が記されていればこの書名を,また序文が無く,本文中に書名が記されている場合はこれを書名として採用する.
③版芯書名巻頭書名も本文中にも書名が無い場合は丁の中心・版芯に印刷された書名を採用するが,版芯の書名は略名が記されている事が多い.
④外題書名 巻頭書名,序文書名,版芯書名のいずれも無い時は,表紙の外題か,背の外題を採る.外題を題箋に記して貼り付けらている時は題箋書名と呼ぶこともある.
 今,『馬経大全』と呼ぶ書の多くは,和刻・寶善堂梓・馬師問編・西村載文堂版『新刻参補針医馬経大全』であるが,浅野文庫蔵本・伝朝鮮渡来本.寶善堂梓.馬師問編・白文『新刻参補針医馬経大全』や,版元の異なる和刻本がある.また,序文のある『元亨療馬集』の外題書名,一部の書写・版本『元亨療馬集』の版芯書名には『馬経大全』と記されたものがある.浅野文庫蔵本の『新刻参補針医馬経大全』の版芯書名も『馬経大全』である.
 書誌学では,刊記は書の著編者の氏名,出版年月日,出版元,出版地が正確に記されたものを採用する.一般に刊記は書の巻末にあり,奥書とも呼ばれる.奥書に刊記が無い場合は本文中から,本文中にも刊記が無い場合は序文の刊年月日を刊記とする.序文も無い場合は本文の内容や所持者の書き込み,体裁・装丁等から刊年を推定する.
 先の『元亨療馬集』の場合,丁・許序本は序文の刊記を以て刊年とする.従って丁序本は明刊,許序本は清刊となる.

参考書 長沢規矩也著『和漢古書目録記述法』,山岸徳平著『書誌学序説』,陳国慶著 沢谷昭次訳 『漢籍版本入門』1984年 研文出版
2008/08/12のBlog
『 為 御 褒 美 銀 三 枚 被 下 置 馬 療 書』
 架夢茶庵完児

書物奉行近藤正齊(1771-1829)の「好書故事 巻第五十八、九 書籍八」に『享保七寅年十二月、同八年馬書ヲ唐商ヨリ捜求セラル』とある。辰年十一月一日入港の五番船は南京船で、船主施翼亭持渡の馬医書は「元亨療馬集」である。また、巳年二月五日入港の寧波船、六番船主朱允光持渡の馬医書も「元亨療馬集」で、いずれも『為御褒美銀三枚被下置馬療書』である。
 宮内庁書寮部蔵「舶載書目」によれば、施翼亭持渡の馬医書「元亨療馬集」は『丁賓改亭氏題』とあって、丁序本であることが明かにされる。
 太僕寺卿丁賓が序文を認めたのは、萬暦三十六年(1608)、「元亨療馬集」の成立(1547年)から実に六十一年も後のことである。
 愈本元・本亨兄弟の著作「療馬集」は古典馬医書の集大成として、人気を博し、『馬経大全』の名を完せられて広く流布した事は想像に難くない。内容からすれば丁序本「元亨療馬集」、許序本「元亨療馬集」、『馬経大全』、和刻「新刻参補針醫馬経大全」それに官刻「馬書」までも類本である。
 元禄十二年(1699年)以前の輸入書目は記録に無いが、舶載の『馬経大全』から和刻の「新刻参補針醫馬経大全」が作られ、明治維新後まで使われた様子を、木版印刷技法も交えて紹介するものである。
 近代の日本は鎖国であった。馬の医療書は東支那海の波頭を越えて長崎に渡来した。獣医学を含む科学技術情報は国境を越えて交換されて来た。


 ”THREE SILVER INGOTS WERE GIVEN AS REWARD FOR
A BOOKS ON EQUINE MEDICINE”
Kanji Kamusaan

 

 According to "Kosho Koji"(好書故事)(Vol.8,9 Part of Books No.8) recorded by Kondo Seisai(近藤正齊)(1771-1829), a magistrate of books, Shogun ordered to ask Chinese marchants to look for the books on equine medicine in 1722 and 1723.
Chinese marchants, Se Yoku Tei(施翼亭) brought the book on equine medicine, "Yuan Heng Kiao Mu Ji"(元亨療馬集) by his ship No.5 which arrived at Nagasaki from Nangjing(南京)on December 16, 1724 and Shu In Ko(朱允光) also brought the same book by his ship No.6 which arrived at Nagasaki from Ningbo(寧波)on March 19, 1775.
 These two marchants were given three silver ingots each as a reward by Shogun.
 According to "Hakusai Shomoku"(舶載書目)owned by Archievs and Mausolea Department, Imperial Household Agency, the preface of "Yuan Heng Kiao Mu Ji" brought by SE Yoku Tei was written by Cho in 1608, sity one years after the publication of the book.
 It is not to imagine that the book on equine medicine written by brothers Yu Ben-Yuan and Yu Ben-Heng(愈本元および本亨)became popular.
The contents of "Yuan Heng Kiao Mu Ji" with the preface by Cho and Kyo, "Ba Gyo Tai Zen", "Shin Koku Hari-i Ba Gyo Tai Zen" (新刻針醫馬経大全) in Japanese and "Ba Sho"(馬書)published by the goverment are similar.
Though the imported books were not recorded before 1699, the author explains the spread of "Shin Koku Hari-i Ba Gyo Tai Zen" which is Japanese translation of "Ba Gyo Tai Zen" in Japan even after Meiji Restoration, and the author explains the wood block print technique.
Even during Japan's period of isolation, Sakoku books on equine medicine were imported over waves of East Chinese Sea.
 Information regarding scientific technique including veterinary medicine was exchanged over a border.






2008/08/11のBlog
Primitive Veterinary Medicine of Korea and Influence
of Chinese Veterinary Science on It
Myun Hee KANG (College of Agriculture, Korea University)
(1) Legendary originator of veterinary medicine in Korea
Legend has it that Hwan-Woong, the heavenly king, was the originator of Korean veterinary medicine.
Nevertheless, more noticeable is that it was the animals such as bear and tiger to which the medicinal wormwood and
garlics were applied.
(2) Veterinary art in primitive age
Although it is difficult to determine definitely when agriculture or livestock farming began in the 2000 year period
between Age of Tan-Gun Legend and Age of Three Kingdoms, various domestic animals were raised and utilised
undoubtedly. Therefore, it is thought likely that knowledge of animal physiology, anatomy and hygiene, as well as
healing art, was acquired from experiences in the course of stock-farming in this time. This is indicated, for example,
by the fact that in the late period of Old-Chosun a healing technique using stone needles called Pyom-Suk ( ) for
acupuncture was developed and propagated to Han China.
(3) Introduction of Chinese veterinary medicine
The foundation of Han-Sa Gun in 108 B.C. gave a turning point for the beginning of Korean cultural history.
Presumably, the Chinese veterinary art was directly introduced in this time, but it seems to have been no more than
a simple medicinal therapy or even a shamanistic one. It is therefore regarded as reasonable to say that the full-scale
import of Chinese literature on veterinary science was not done before the middle of the Age of Three Kingdoms. Such
veterinary literatures, as Shin Gak Cham Bo (新刻参補), Ma Kyong Dae Jon (『馬経大全』) and Won Hyong Ryo Ma Jip

(『元亨療馬集』), are main examples which laid the basis of Korean veterinary medicine in the ancient period.

2008/07/23のBlog
『元亨療馬集』七十二症

1翻胃吐草 師皇秘集 
2胎気風 伯楽遺書
3胎病 李陵坐観経
4掲鞍風 王御車集
5薑芽 発蒙纂要 
6脱肛 岐治対症
7黒汗 安驥集
8寒傷閃傷腰跨症 金朝論
9敗血凝蹄 淵源論
10肺寒吐沫 造父難経
11慢症 療驥方
12羅膈傷 胡卜経
13水掠肝 玉照集
14蜱虫咬袖 発蒙論
15前結 安驥集
16中結 起臥論
17後結 通玄論
18冷痛 穆公論
19熱通 賈公集
20胞転 起臥論 
21陰腎黄 瘡黄論
22偏次黄 瘡黄論 
23脾気痛 坐観経
24草噎 発蒙論
25新駒妳寫 元朝集
26五攢痛 玉照集
26腸入陰 金朝論
28腸断 療驥方
29肺風毛燥 ***
30項脊恡 造父経
31胃冷吐涎 伯楽新書
32鐮黄 岐伯対症
33冷拖桿 御車集
34舌瘡 李林経
35宿水停水 玉照集
36心黄 八十一問
37破傷風 胡卜経
38垂縷不収 趙氏集
39遍身黄 岐伯論
40肝熱伝眼 卞宝論
41喉骨張 *** 
42板腸結 趙氏集
43胃寒不食草 田猟集
44慢腸黄 造父経
45骨眼 秦襄王論
46内障眼 纂要経
47混晴虫 通玄論
48心熱伏熱 孫陽集
49胸転痛 発蒙論
50蹄頭痛 師皇集
51腰黄 胡卜経
52腎冷拖腰 安驥集
53肺敗 明験集
54心痛 安驥集
55傷水起臥 金朝論
56肝経風熱 淵源論
57肺壅 造父経
58吐張 御車集
59尿血 卞氏論
60腎虚 療驥方
61傷料 李林経
62腎経痛 玉照集
63心絶 発蒙論
64肝絶 発蒙論
65脾絶 発蒙論
66肺絶 発蒙論
67腎絶 発蒙論
68脾虚湿邪 岐伯治対症
69冷腸水瀉 師皇集
70胡骨把跨 胡卜経
71束顙黄 穆公論
72心熱風邪 安驥集

丁序本『元亨療馬集』では夏巻・七十二大病.許序本『元亨療馬集』では巻之三・七十二症である.

『元亨療馬集』七十二症に引用された古典籍は三十七書で,これらの大半は失われてしまっている.
療驥方4 発蒙論8 玉照集4 淵源論2 秦襄王論 纂要経 卞宝論 孫陽集 李林経 2 安驥集5 八十一問 瘡黄論2 坐観経 岐伯対證2 穆公論2 造父経3 明験方 岐伯論 造父難経 王御車集 胡卜経3 金朝論5 御車集3 趙氏集 卞氏論 起臥論2 賈公集 田猟集 師皇秘集 伯楽新書 発蒙纂要 元朝集 師皇集2 通玄論2 岐伯治対症 李陵坐観経 伯楽遺書

汝顕丁賓(礼源)序本.汝顕堂梓尚息堂重刻丁賓序本.大徳松蔵版丁賓序本.桂華楼版許鏘(賢声)序本.興文堂版許鏘序本.聚文堂版許鏘序本.中華書局版許鏘序本.致盛堂許鏘序本.桐石山房許鏘序本.
2008/07/02のBlog
金陵三山街世徳堂梓刻蘇板全相大字『元亨療馬集』巻之一十八丁・五疔十毒病源之図に
『大明嘉靖丙午歳秋八月吉旦慮州府六安州医獣喩仁字本元号曲川弟喩傑字本亨号月波』と刊記が記されている.
2008/05/29のBlog
高橋貞樹「被差別部落一千年史」の参考書

神武記
古事記
日本書紀
新撰姓氏録
続日本紀
応神紀
雄略紀
魏志倭人伝
魏書
後漢書
武烈記

日本書紀
六国史
律令格式
日本霊異記
今昔物語
養老律
雄略記
河原細工由緒考

雍州府志
続日本紀
塵袋
壒嚢抄
和漢三才図会
和名抄
今昔物語
百科全書
塵添壒嚢抄
芸苑日渉
和訓栞
類聚名物考
塩尻
師守記
文正記
小法師由緒書
延喜式
古事類苑
三十二番職人歌合
貞永式目
自然居士
臥雲日件録
地方凡例録
江談抄
今物語
法曹後鑑
国制記
風俗見聞録
諸事留
2008/05/12のBlog
『塵添壒嚢鈔』巻第十「五十」伯楽の事 付張里の事 小河乗澄安驥秘薬の事 五臓の事
一臓三味の薬事 内火薬事 灌頂煎溲事
△馬薬師を伯楽と云何そ文字如何に伯楽と書く.是古人の名也.昔漢朝の七雄戦国の時の馬を相する人と也.故に日本にも馬医師を伯楽と云也.又伯楽は元より星の名也.此の星典天馬.仍て相馬者を伯楽と云.和けて云心にや.又云誤る菓歟.文選には張里をむまのくすしとよめり.然ればむまのくすしと云はん時は張里と可書也.近比は小河の乗澄こそ無双の伯楽にて安驥と云名書を作られける也.彼文頗ふる名物なれば,甲乙飼の秘薬許り注し侍り.
春三箇月分
肝木王する.酸し. 心火本苦子味甘母味酸し.脾苦し仲人薬 肺金しは々ゆし仲人薬.
腎水本味はしは々ゆし母味酸し子味からし
夏三箇月分
心火.王にかし 脾土.本味あまし母味にかし 肺金.あまし仲人薬 腎水すし仲人薬
肝木.本味すし子しは々ゆし母味にかし
四季土用分
脾土.王あまし 肺金.本味辛母甘子味しは々ゆし 腎水からし仲人薬 肝木.にかし仲人薬 心火.本味にかし母味あまし子すし
秋三箇月分
肺金.王からし 腎水本味しは々ゆし母辛子すし 肝木.しは々ゆし仲人薬 心火.あまし仲人薬 脾土.本あまし子にかし母からし
冬三箇月分
腎水.王しは々ゆし 肝木.酸し母しは々ゆし子にかし 心火.すし仲人薬 脾土.からし仲人薬 肺金.からし母しほはゆし子あまし.

五臓薬分
酢天目七分水一皿入へし.苦辛一皿,甘草一分煎ずべし.甘草の代,串柿五きさみする也.胡椒三十五粒磨て用べし.胡椒の代,土薑五節きさみする.塩一皿煎りて,するべし.
是は相加相剋の馬に可飼薬の分是也.是は長六寸七寸の分也
一蔵三味に可飼薬方
酢天目半分.水一皿入へし.三分二母味.三分一子味.苦辛八杓.母味は三分二.子味三分一.串柿三つ.母味二.子味一.土薑五節.母味三節.子味一節.塩銭十銭.母味七銭
子味三銭.是も六寸七寸の馬之分也.此加減を以て,馬の大小に依て可飼者也.
内火薬
苦辛ヲカフ也。次二女ノ付ルカ子。天目半分。赤子ノ糞。小土器一。夏子ノヒヽイルノコ二銭。是レ三色ヲ合テ。冷キ水ニテ飼也。キヨウタウヨリ。血ヲ出スへシ。能々頭へ
ヲ冷スべシ。其後一身ヲ冷ス也。猶ヲ能モ不成抜熊ノヰ。
榎ノ子三種ヲ。水二能々ヲロシテ夏子ノヒヽルノコ三銭。是ニツヲ合入テ。水天目ニ七八分ニカキ立テヽ飼也。此等ハ尤最上ノ秘薬也。灌頂煎ジユハリノ様。鯉
ヲ少ニ切りテ鰹一節人参一分粉ニスべシ。塩ニ合。古酒二升。水一升入テ。一時ニ煎ジテ。其汁ヲ茶碗ノ鉢ニ入テ.檀紙ヲ十二二切テ」青竹ニ懸テ。十二染干べシ。次一竹ツヽ竹ノ子ノ皮ニテツヽムへシ。是ヲ飼ハンニハ。大馬ナラハ.一竹.小馬ナラバ.半分.冷キ水天目八部に.此紙ヲ。ヲロシテ。薬ニ合テ。可飼。灌頂ノ眞言有ル也。亦灌頂ノ返薬ノ事。馬能成テ半時有テ甘草一寸ヲ。キサミテ。薬袋ニ人テ。葱ノ白根七筋水天目一余入テ。一盃煎シテ。可飼也。於此書者.最上ノ秘薬也。敢テ聊爾卜云々。

2008/05/10のBlog
九州肥後平仲国息安国 伊勢国源道義息尚義 越後国平盛頼 備前国平義親 奥州藤原心海入道息仲時,仲綱の母,息藤原仲綱 桑嶋平六息藤原宗綱 天下一桑島肥前掾藤原実綱 桑嶋采女正藤原重綱 日本馬政史掲載桑嶋家系譜

桑嶋政近心海,慶長の頃,仲国流流名を定め桑島姓を与える.下野那須の人,岡本宮内少輔の裔,岡本勤右衛門忠清流名を受け徳川幕府馬医桑嶋氏の祖となる.深谷周三 1836-1916 旧幕臣,桑原新助に馬医学を学ぶ.文久三年幕府馬医となるの説.

インターネットで検索してみると 平安国 刀鍛冶か?源尚義 該当なし 平盛頼 あり 平義親 なし 藤原仲時,仲綱の母,藤原仲綱 藤原宗綱 藤原実綱 藤原重綱 あり,藤原と平を混同する.桑島功の新聞記事引用あり.
2008/05/07のBlog
『未開放部落の史的研究』渡邊廣・昭和四十八年五版吉川弘文館発行
「ゑとり」八三三年の太政官符
九三一から九三八年源順の「倭名類聚鈔」に屠児,恵止利
「今昔物語」餌取
鎌倉時代の『塵袋』『壒嚢抄』『塵添壒嚢抄』へと続く
律令制下の餌取は主鷹司に隷属する部で「犬養」「鳥養」「餌取」.延喜式で主鷹司が廃止されると餌取は失業した.
明治四年の開放令では賎民総数三十八万二千八百八十六人,穢多二十八万三百十一人,非人二万三千四百八十人,雑種賎民七万九千九十五人
皮田の斃牛馬取扱特権は地域によって差がある.また,皮田と皮細工は異なる身分である.
雑種賎民茶筅の中には産婆や医者が多く,北陸道の藤内筋には名医が多い.雑種賎民は公家・寺社とのかかわりを強調し,皮田は武家とのかかわりを強調する.
2008/05/06のBlog
幕府の馬政機関と馬医・伯楽

馬預は江戸幕府の職名,六所の官馬の調習,其他大名旗本に下賜の馬,幕府領の牧より取来る野駒の飼立仙台駒牽入方等一切厩馬の事を掌る.諏訪部,曲木二氏の世職にして三員あり,二百俵高役料十五人扶持,若年寄の支配にて焼火の間詰とす.其下に馬乗各三人附隷す.五十俵高三人扶持,馬方四人,高二百俵役料十人扶持を給し,若年寄の支配にて焼火間詰とす,大武,岩波の二氏世襲し,又馬術に優なる者新に補する事あり,其下に見習四人付属す,十五人扶持を給す,其他馬医三人二百俵高(桑嶋氏の世襲)爪髪役四人,廿俵二人扶持,馬飼小頭十五俵二人扶持,馬飼五十人,十俵二人扶持等あり.

元和六年桑嶋家伝伯楽病理口伝に本朝伯楽開起平仲国也.桑嶋の系図を見るに・・・九州肥後平仲国息安国
徳川実記では寛文三年正月二十九日日光御供伯楽へ銀二十枚下さるとある.
2008/05/05のBlog
『人倫訓蒙図彙』元禄三年刊の翻刻本・平凡社東洋文庫より
巻一には「馬廻」
巻二は芸能部で「馬乗」「馬医」
巻三は作業部に「牛飼」「馬方」
巻六は職の部に「革師」
巻七「猿舞」

『和漢三才図会』巻七
馬医うまのいしゃ伯楽.博労は人名とする.
牧童うしかいわらわ
圉人うまかい馬子うまかた
屠児えとり・えた.せんだら

『日本馬政史』第三巻・(十)幕府御用馬買上の件(十一)馬商
馬喰 南部藩記録 岩手県産馬誌 津軽藩御日記 馬事萬御用留 
古博労 仙台藩岩淵良實覚書
博労 仙台藩叢書 加賀藩駒方御仕法
伯楽・馬喰 南部藩新渡戸家文書
古博労・横目博労 仙台馬養録 加賀藩駒方御仕法
伯楽 馬苦労 馬喰 博労 風俗,所行,言葉使い,衣服の縞柄,胴乱煙草入れの模様,足拵えに物の云い様まで全国皆同じである.維新以前の家業であった.維新以前には御厩方,駒奉行,御厩別当の下に御用博労あり.福島県産馬沿革誌

徳川幕府末世期の牧場は,幕府直轄と南部藩,津軽藩,水戸藩,薩摩藩,仙台藩,萩藩について記載がある. 

北海道の方言に馬喰に関連した用語があるが,北海道の産馬は新しい事で,蝦夷地の時代には馬そのものが存在しない.馬喰の語源は『馬の売買でおまんまを喰らわしてもらっている者』で『馬を喰らった者』ではない.『馬を喰らえる者』は馬の所有者か斃馬の処理権を持つ者である.
2008/05/03のBlog
畜産技術講習叢書『畜牛に関する市場慣用語』昭和十七年畜産技術協会発行

一匹馬喰 貧弱な牛馬商
牛馬喰 牛を取扱う商人
下段師 屠畜を取扱う商人
師走馬喰 懐具合の悪い牛馬商
博打馬喰 行儀正からざる牛馬商
馬喰 牛馬商
2008/05/01のBlog
黒田三郎著『信州/木曽馬ものがたり』昭和五十二年信濃路発行に
「馬の売買を業とする人,馬を飼う人は,大部分の者が馬肉を食べないので馬喰と書くことを忌む人が多い・・・語源は,博楽の手伝いをする労務者で,博楽の博と労務者の労をとって博労となったとの説もある」
伯楽は博楽で馬の病を治す者の事.『日本馬政史』牛馬の売買明治元年に牛馬売買渡世,馬喰営業取締とあるから,この説は正しいかもしれない.
2008/04/28のBlog