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2004/06/05のBlog
[ 09:38 ]
このブログは6月5日をもって、筆者のもう一つの個人ブログである「世の中/観る・聴く・考える」に併合されました。今後は同ブログの一カテゴリーとして、週に2~3度をメドに記事をエントリーしていく予定です。よろしくお願いします。
■世の中/観る・聴く・考える
■世の中/観る・聴く・考える
2004/06/03のBlog
[ 13:13 ]
[ 我流経営学 ]
「利益」というものが企業にとっていかに重要であるかが説かれています。そして利益の役割として、次の3つを挙げています。
1)税として国や自治体に納められ、社会の基盤を作る
2)配当として株主に分配される
3)開発や投資など、企業が生成発展していくための活動の原資となる
その上で、赤字であることは責められこそすれ、決して同情されるべきものではないと、強い調子で論じます。
「適正な利益をあげ、それを国家、社会に還元することが、企業にとっての社会的な義務である以上、赤字を出すことは、その義務を果たし得ていない姿であり、本来それは許されないことではなかろうか。」(『実践経営哲学』57ページ)
赤字企業に同情する風潮があったとは驚くべきことですが、現在でも中小企業を「弱者」と見なして甘く見る向きは少なくありません。決して笑い事ではないですね。とはいえ、「適正利益」という考え方そのものは、松下氏がこれを書いた頃よりは浸透していると思われます。その点では健全化したと言っていいでしょう。
で、その利益が生まれるからくりですが、松下氏によれば「120円分の価値があるものを努力して90円で作り、100円で売る。すると10円の利益が出る」と説明しています。非常に明快で、本質をズバリ突いていると思いませんか? 他人に習ったものなのかどうかわかりませんが、こうしたビジネスの原理を我が物として経営を営んだからこそあれだけの事業を成し遂げられたんだろうと、改めて賛嘆を禁じえません。
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1)税として国や自治体に納められ、社会の基盤を作る
2)配当として株主に分配される
3)開発や投資など、企業が生成発展していくための活動の原資となる
その上で、赤字であることは責められこそすれ、決して同情されるべきものではないと、強い調子で論じます。
「適正な利益をあげ、それを国家、社会に還元することが、企業にとっての社会的な義務である以上、赤字を出すことは、その義務を果たし得ていない姿であり、本来それは許されないことではなかろうか。」(『実践経営哲学』57ページ)
赤字企業に同情する風潮があったとは驚くべきことですが、現在でも中小企業を「弱者」と見なして甘く見る向きは少なくありません。決して笑い事ではないですね。とはいえ、「適正利益」という考え方そのものは、松下氏がこれを書いた頃よりは浸透していると思われます。その点では健全化したと言っていいでしょう。
で、その利益が生まれるからくりですが、松下氏によれば「120円分の価値があるものを努力して90円で作り、100円で売る。すると10円の利益が出る」と説明しています。非常に明快で、本質をズバリ突いていると思いませんか? 他人に習ったものなのかどうかわかりませんが、こうしたビジネスの原理を我が物として経営を営んだからこそあれだけの事業を成し遂げられたんだろうと、改めて賛嘆を禁じえません。
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2004/06/01のBlog
[ 12:30 ]
[ 日々の雑感 ]
以前ある大学教師が、「レポートなどで抽象的な思考を展開できるのは、学生のうちでも一握りに過ぎない」といったことを書いているのを読んだ記憶があります。借り物の思考ならともかく、抽象的な概念を駆使して自ら思考できるのは、大学に行くほどの人の中でも一部に過ぎないんですね。割合は、たぶん全体の5~10%といったところでしょうか。
抽象的な思考をできる人・できない人の分かれ目は、おそらく読書の量・質にあると思われます。一定以上の質の読書を一定量以上した経験がないと、抽象的な概念が自らのものとならないでしょうから。もちろん読書といっても、小説のたぐいであっては頭のトレーニングにはなりません。言うまでもないですが。
さてここで言いたいのは、抽象的な思考のできる人は優秀だ、ということではありません。むしろ、抽象的な思考のできる愚か者は手に負えない、ということです。
常に具体的なモノ・コトに即して考える人の直感や判断力は、概ね信用していいものです。けれども抽象的な思考が先に来る人は、根本的なところで間違っていることが少なくないんです。厄介なのは、自分にとって都合の悪い事象をわざと捻じ曲げて解釈したり、時には無視してしまうこと。これでは、自ら過ちに気付き、正すことなんて永久にできるはずがありません。
こういう人たちのためにこそ、あの言葉があるんじゃないでしょうか。つまり、「馬鹿は死ななきゃ直らない」。
抽象的な思考をできる人・できない人の分かれ目は、おそらく読書の量・質にあると思われます。一定以上の質の読書を一定量以上した経験がないと、抽象的な概念が自らのものとならないでしょうから。もちろん読書といっても、小説のたぐいであっては頭のトレーニングにはなりません。言うまでもないですが。
さてここで言いたいのは、抽象的な思考のできる人は優秀だ、ということではありません。むしろ、抽象的な思考のできる愚か者は手に負えない、ということです。
常に具体的なモノ・コトに即して考える人の直感や判断力は、概ね信用していいものです。けれども抽象的な思考が先に来る人は、根本的なところで間違っていることが少なくないんです。厄介なのは、自分にとって都合の悪い事象をわざと捻じ曲げて解釈したり、時には無視してしまうこと。これでは、自ら過ちに気付き、正すことなんて永久にできるはずがありません。
こういう人たちのためにこそ、あの言葉があるんじゃないでしょうか。つまり、「馬鹿は死ななきゃ直らない」。
2004/05/31のBlog
[ 13:14 ]
[ 日々の雑感 ]
「勝ち組・負け組」「勝ち犬・負け犬」など、社会全体が勝者と敗者に二分されるという議論が少なくありません。けれどこうした論者が見逃している重要なことは、「社会は決まったルールで戦われる一つの土俵のようなものではない」ということ。
ゲームやスポーツであれば勝ち負けははっきりしますが、実社会では何が勝ち負けを左右するかは自明でないことが多いのです。そもそも勝敗や敵味方の定義自体が、各当事者によって決めることのできる面があります。つまり「土俵は変えられる」んですね。
従って、賢明な人であれば自分に有利になるように土俵を設定します。差別化とか業態革命とか言われるものは、まさにそういうことでしょう。もちろん他方では、未知のライバルに土俵を変えられて足元を掬われる可能性もあるわけです。すでに確立された業界で「王者」「巨人」「ガリバー」などと言われている企業が時として惨めな凋落ぶりを見せるのは、その企業の土俵の定義が時代遅れになったためである場合が少なくありません。
戦うべき土俵が自明でないこと。そこにゲームやスポーツとは違った現実社会の面白さ、同時に難しさがあるように思います。そして「人生の意味」や「人生の目的」についてもきっと同様のことが言えるでしょう。
ゲームやスポーツであれば勝ち負けははっきりしますが、実社会では何が勝ち負けを左右するかは自明でないことが多いのです。そもそも勝敗や敵味方の定義自体が、各当事者によって決めることのできる面があります。つまり「土俵は変えられる」んですね。
従って、賢明な人であれば自分に有利になるように土俵を設定します。差別化とか業態革命とか言われるものは、まさにそういうことでしょう。もちろん他方では、未知のライバルに土俵を変えられて足元を掬われる可能性もあるわけです。すでに確立された業界で「王者」「巨人」「ガリバー」などと言われている企業が時として惨めな凋落ぶりを見せるのは、その企業の土俵の定義が時代遅れになったためである場合が少なくありません。
戦うべき土俵が自明でないこと。そこにゲームやスポーツとは違った現実社会の面白さ、同時に難しさがあるように思います。そして「人生の意味」や「人生の目的」についてもきっと同様のことが言えるでしょう。
2004/05/28のBlog
[ 09:00 ]
[ 日々の雑感 ]
日本で評価されないコトや人が海外で先に評価され、それを後追いする形で日本国内でも認められる、ということがよくあります。たとえばノーベル賞を受賞した研究とか、映画作品、あるいはビジネス上のアイデアなど。日本人の横並び意識が原因だというのが定説(?)のようです。「出る杭」が打たれるのが日本社会だ、というわけです。もっともな説明でしょう。
反面、海外のもの(特に欧米産のもの)をありがたがる「舶来信仰」は相変わらず強いように感じます。「舶来」という言葉がよく表しているように、素晴らしいものはすべて海の向こうから来る、というのが日本人のいわば集合無意識なんですね。国産のものに冷淡なのはその裏返し、とも言えないでしょうか。
これらの現象、日本人の意識に深く根ざしたものなので、一朝一夕に改めることはできないでしょう。けれどせめて、
・「人」は賛美しなくても、作品やアイデア、業績などの「コト」はきちんと評価する
・日本人だけが評価しているものを「海外では通用しない」などと冷笑しない
くらいのことはあっていいんじゃないでしょうか。
海外で評価されて最終的に日の目を見ればまだいいですが、国内で評価されずそのまま葬り去られたものも少なくないはずです。そうした不条理な仕打ちがあまりに頻繁だと、ゆくゆくは国内の創造性が衰えていく可能性があります。足をひっぱりあう社会は、やっぱりイヤですね。
個人的には、ヨーロッパ、特に北欧あたりをやたら賛美する人が鼻につきます。そんなにいいと思うなら、移住すりゃいいじゃん。。。
反面、海外のもの(特に欧米産のもの)をありがたがる「舶来信仰」は相変わらず強いように感じます。「舶来」という言葉がよく表しているように、素晴らしいものはすべて海の向こうから来る、というのが日本人のいわば集合無意識なんですね。国産のものに冷淡なのはその裏返し、とも言えないでしょうか。
これらの現象、日本人の意識に深く根ざしたものなので、一朝一夕に改めることはできないでしょう。けれどせめて、
・「人」は賛美しなくても、作品やアイデア、業績などの「コト」はきちんと評価する
・日本人だけが評価しているものを「海外では通用しない」などと冷笑しない
くらいのことはあっていいんじゃないでしょうか。
海外で評価されて最終的に日の目を見ればまだいいですが、国内で評価されずそのまま葬り去られたものも少なくないはずです。そうした不条理な仕打ちがあまりに頻繁だと、ゆくゆくは国内の創造性が衰えていく可能性があります。足をひっぱりあう社会は、やっぱりイヤですね。
個人的には、ヨーロッパ、特に北欧あたりをやたら賛美する人が鼻につきます。そんなにいいと思うなら、移住すりゃいいじゃん。。。
2004/05/26のBlog
[ 15:55 ]
[ 日々の雑感 ]
日本経済新聞社から出ている「新しい金融秩序」という本を読了しました。副題に「来たるべき巨大リスクに備える」とあるように、金融技術を活用した新たなリスク分割の手法、特に保険について論じている本です。不平等保険や所得連動ローンなど、興味深いアイデアに満ちていました。あと、情報の大事さも改めて教えられたな。
素人ながらに時々考えてみるんですが、金融という産業、今後華々しく発展することが期待できそうです。情報技術の発達やマネーのグローバル化で、金融商品や金融システムの「発明」が非常に起こりやすくなってるんですね。平成バブルの頃の「マネーゲーム」は株式や土地がほとんどでしたが、21世紀のマネーゲームは想像も付かないくらい多様なものが対象となりそうです。同書ではこれらをひっくるめて「金融の民主化」と呼んでいました。なるほど。
これらに関連して、私なりの関心事を2つ。
・自己開示の大事さ
いくつかの国では保険契約前の遺伝子診断を禁じています。けれどもこれはいつまでも続かないはず。遺伝子診断がリスク算定に役立つのであれば、それを使わない手はないからです。その伝で、将来は自己開示において透明であるほど有利な契約を勝ち取れるようになるでしょう。開示しない場合は、「最悪」と推定されて仕方ありませんから。「プライバシー」をことさらに重要視する感覚は、時代遅れとなりますね、きっと。
・志と金
個人的には、ちっちゃな「夢」や「プロジェクト」にお金が回る仕組みを期待したいですね。お店だったり個人のキャリア形成だったり、あるいはNPOの立ち上げだったり。出資になるか融資になるかは、それが生み出すキャッシュフロー次第でしょうが。志に共鳴した人が金を出し、口やときには手も出して、実現可能性を高めることに寄与する。そうした志と金のネットワークが、これからの社会を活性化する上で不可欠だと思います。
素人ながらに時々考えてみるんですが、金融という産業、今後華々しく発展することが期待できそうです。情報技術の発達やマネーのグローバル化で、金融商品や金融システムの「発明」が非常に起こりやすくなってるんですね。平成バブルの頃の「マネーゲーム」は株式や土地がほとんどでしたが、21世紀のマネーゲームは想像も付かないくらい多様なものが対象となりそうです。同書ではこれらをひっくるめて「金融の民主化」と呼んでいました。なるほど。
これらに関連して、私なりの関心事を2つ。
・自己開示の大事さ
いくつかの国では保険契約前の遺伝子診断を禁じています。けれどもこれはいつまでも続かないはず。遺伝子診断がリスク算定に役立つのであれば、それを使わない手はないからです。その伝で、将来は自己開示において透明であるほど有利な契約を勝ち取れるようになるでしょう。開示しない場合は、「最悪」と推定されて仕方ありませんから。「プライバシー」をことさらに重要視する感覚は、時代遅れとなりますね、きっと。
・志と金
個人的には、ちっちゃな「夢」や「プロジェクト」にお金が回る仕組みを期待したいですね。お店だったり個人のキャリア形成だったり、あるいはNPOの立ち上げだったり。出資になるか融資になるかは、それが生み出すキャッシュフロー次第でしょうが。志に共鳴した人が金を出し、口やときには手も出して、実現可能性を高めることに寄与する。そうした志と金のネットワークが、これからの社会を活性化する上で不可欠だと思います。
2004/05/25のBlog
[ 10:11 ]
[ 日々の雑感 ]
片山恭一氏の「世界の中心で、愛をさけぶ」は300万部突破の大ベストセラーになっているようです。ご同慶の至り。この本もそうですし、少し前の「白い犬とワルツを」もそうですが、書店員による手書きPOPが火付け役になったベストセラーが最近目に付きます。
本が爆発的に売れるというと、以前は大手出版社による積極的なプロモーションと、友人知人間の口コミというのが主な要因だったのでしょう。ところが今はそれと並んで、あるいはそれ以上に、書店のおすすめやテレビの情報番組なども大きなカギになってきています。そしてもちろん、ネットでの口コミと。
書店員のおすすめについて言えば、読書の達人によるおすすめということで、一定の信頼を得やすい、ということがあるんだと思います。広告と違って、大げさに書いていることはないだろう、と見てもらえるんですね、お客様から。しかも思い入れたっぷりの文を手書きで書いてますから、そのことで親しみ感も増します。感覚としては、本好きの友達に教えてもらうのに近似しているのではないでしょうか。
(ちなみに私自身はひねくれ者なので、手書きPOPはほとんど見ません・・・)
影響に関する心理学で、「オピニオン・リーダー」という概念があります。書店員はまさにオピニオン・リーダーとして、「この本は読んでみる価値、あるよ!」って教えてくれてるんですね。こうしたヒットの構造は、他の業界でも大いに学んでみる価値がありそうです。
最後に余談。「世界の中心で・・・」の映画CM、試写会か何かで涙を流して観る女性が立て続けに映されます。「泣ける映画だよ」というのを強調しすぎな気がして、ちょっと不快ですね。そもそも映画CMで素人が「**(←映画のタイトルや主演俳優の名前)、サイコー!」とか言ってるのもウソっぽく感じられて、いつも嫌な気分になります。。。
本が爆発的に売れるというと、以前は大手出版社による積極的なプロモーションと、友人知人間の口コミというのが主な要因だったのでしょう。ところが今はそれと並んで、あるいはそれ以上に、書店のおすすめやテレビの情報番組なども大きなカギになってきています。そしてもちろん、ネットでの口コミと。
書店員のおすすめについて言えば、読書の達人によるおすすめということで、一定の信頼を得やすい、ということがあるんだと思います。広告と違って、大げさに書いていることはないだろう、と見てもらえるんですね、お客様から。しかも思い入れたっぷりの文を手書きで書いてますから、そのことで親しみ感も増します。感覚としては、本好きの友達に教えてもらうのに近似しているのではないでしょうか。
(ちなみに私自身はひねくれ者なので、手書きPOPはほとんど見ません・・・)
影響に関する心理学で、「オピニオン・リーダー」という概念があります。書店員はまさにオピニオン・リーダーとして、「この本は読んでみる価値、あるよ!」って教えてくれてるんですね。こうしたヒットの構造は、他の業界でも大いに学んでみる価値がありそうです。
最後に余談。「世界の中心で・・・」の映画CM、試写会か何かで涙を流して観る女性が立て続けに映されます。「泣ける映画だよ」というのを強調しすぎな気がして、ちょっと不快ですね。そもそも映画CMで素人が「**(←映画のタイトルや主演俳優の名前)、サイコー!」とか言ってるのもウソっぽく感じられて、いつも嫌な気分になります。。。
2004/05/24のBlog
[ 11:09 ]
[ 日々の雑感 ]
一昨日来、テレビは「小泉再訪朝」と「家族の帰国」で持ちきりですね。訪朝全体の評価については、かなり意見が分かれているように見受けられます。私自身の意見は別のところに書いてあるので、繰り返しません。
ここで言いたいのは、今回の件のように意見にバラつきがある場合、発言者の大まかな立場を前もって示してくれるメタ・データ(一種のマッピングですね)があれば非常に助かるなぁ、ということ。
話をネット上での議論に限定しますが、ホットな論争テーマが起こったとき、私はRSSフィード検索サイトでブログを検索してみたり、いくつかの掲示板を覗いてみたりします。その際、書き手の文章力に幅があるせいもあって、ひとつひとつ読んでいくのがひどく疲れるんですね。そして、厄介なことに独創的な着眼を示す人は必ずしも多くないものですし。そうしたときに、個々の文を参照にするに当たって「それがどういう立場のものか」「その意見はどの程度のオリジナリティ(あるいは、読む価値)があるか」といったことがあらかじめわかっていれば、すごく便利ではないでしょうか。
具体的に「それがどういう立場のものか」をマッピングするには、
1.書き手がいわば自己申告で立場をマッピングする
2.誰かが「管理者」となって、意見を整理してマッピングする
3.人工知能のようなものを用いて、自動的にマップを作成する(ちょっと、夢物語入ってる・・・)
といったことが考えられます。
「その意見はどの程度のオリジナリティがあるか」といったことは、いずれの場合でも、実際に読んだ人の評価に任せるしかないでしょう。あるいは専任のレビュアーを設けて、厳格に採点させるか。
いずれにしろ、こうした意見のマッピングのようなものができれば、人々の対話は今よりもいくらかは建設的なものになると思います。
さてこうしたこととは別に、何らかの意見表明をするのであれば、結論を冒頭に持ってくる習慣を誰しも身に付けてもらいたいものです。思いつきのままに文を書く人にありがちなことですが、長くて論理の筋道のはっきりしない文ほど迷惑なものはありませんから。
■類似の記事
ブログのトラックバックとブレーンストーミング(中小企業診断士ブログ コンサル的思考法の実践道場)
ここで言いたいのは、今回の件のように意見にバラつきがある場合、発言者の大まかな立場を前もって示してくれるメタ・データ(一種のマッピングですね)があれば非常に助かるなぁ、ということ。
話をネット上での議論に限定しますが、ホットな論争テーマが起こったとき、私はRSSフィード検索サイトでブログを検索してみたり、いくつかの掲示板を覗いてみたりします。その際、書き手の文章力に幅があるせいもあって、ひとつひとつ読んでいくのがひどく疲れるんですね。そして、厄介なことに独創的な着眼を示す人は必ずしも多くないものですし。そうしたときに、個々の文を参照にするに当たって「それがどういう立場のものか」「その意見はどの程度のオリジナリティ(あるいは、読む価値)があるか」といったことがあらかじめわかっていれば、すごく便利ではないでしょうか。
具体的に「それがどういう立場のものか」をマッピングするには、
1.書き手がいわば自己申告で立場をマッピングする
2.誰かが「管理者」となって、意見を整理してマッピングする
3.人工知能のようなものを用いて、自動的にマップを作成する(ちょっと、夢物語入ってる・・・)
といったことが考えられます。
「その意見はどの程度のオリジナリティがあるか」といったことは、いずれの場合でも、実際に読んだ人の評価に任せるしかないでしょう。あるいは専任のレビュアーを設けて、厳格に採点させるか。
いずれにしろ、こうした意見のマッピングのようなものができれば、人々の対話は今よりもいくらかは建設的なものになると思います。
さてこうしたこととは別に、何らかの意見表明をするのであれば、結論を冒頭に持ってくる習慣を誰しも身に付けてもらいたいものです。思いつきのままに文を書く人にありがちなことですが、長くて論理の筋道のはっきりしない文ほど迷惑なものはありませんから。
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2004/05/22のBlog
[ 08:52 ]
[ 日々の雑感 ]
誰しも避けることのできない営みの一つに睡眠があります。忙しかったりするとついつい削ってしまいがちですが、睡眠の大事さは否定できません。睡眠不足がもたらす様々な不都合を考えただけでも、それは明らかでしょう。
睡眠を考えるとき、長さと質の両面から見ることができます。
睡眠の長さ
効率至上主義で行けば、睡眠時間は短くて済むならそれに越したことはない、ということになるでしょう。よくナポレオンやエジソンが引き合いに出されますが、実際に3~4時間の睡眠で支障ないという人が一定の割合で存在するようです。他方で、睡眠を何よりの生理的快楽と捉えて、できるだけ長くその快楽を貪っていたいという人も少なくないでしょう。
私自身は、どちらかというと前者に近いですね。「シュートスリーパー」なる人の話を聞いたときも、興味津々でしたし。次に述べる「質」を向上させつつ、できるだけ短い時間で必要なだけの睡眠を取りたいものだと思っています。ちなみに現在は、平均して6時間程度といったところでしょうか。
睡眠の質
長さ以上に重要なのが、睡眠の質でしょう。最近は心地よい眠りを演出するための小道具(枕などの寝具、アロマグッズなどなど)がいろいろ売り出されていますが、「上質な睡眠」を買うのだ、と思えば高くないはずです。
あるサイトによれば、良い眠りとは
・すぐ眠れる
・夜中に目が覚めることがない
・レム睡眠、ノンレム睡眠が規則的な間隔(90~100分のサイクル)で起こる
・夜明けが近づくにつれ、徐々に眠りが浅くなっていく
・朝、すっきりと目が覚め、気分爽快な感じがする
ものだとか。悪い睡眠は、それぞれこの逆だというわけ。
質の悪い睡眠だと、疲れが取れないだけでなく、だるさや眠気などによって日中の生活が妨げられます。さらには、心身の病気にかかるリスクを高めてしまいます。由々しき問題ですね。
34年近く生きてきたわけですが、まだ自分流の睡眠術を確立した、というところまでは行きません。それによく言われるように、年を取ると眠りが浅く短くなってくるそうでもありますし。「理想の睡眠」を求めての模索は、まだまだ続きそうです。
あ、でもだからと言って、今現在、具体的な睡眠上の悩みを抱えてるわけではないんですが。睡眠で悩まれている方、お気の毒様です。。。
■厚生労働省:健康づくりのための睡眠指針検討会報告書
■All About Japan:睡眠・快眠
睡眠を考えるとき、長さと質の両面から見ることができます。
睡眠の長さ
効率至上主義で行けば、睡眠時間は短くて済むならそれに越したことはない、ということになるでしょう。よくナポレオンやエジソンが引き合いに出されますが、実際に3~4時間の睡眠で支障ないという人が一定の割合で存在するようです。他方で、睡眠を何よりの生理的快楽と捉えて、できるだけ長くその快楽を貪っていたいという人も少なくないでしょう。
私自身は、どちらかというと前者に近いですね。「シュートスリーパー」なる人の話を聞いたときも、興味津々でしたし。次に述べる「質」を向上させつつ、できるだけ短い時間で必要なだけの睡眠を取りたいものだと思っています。ちなみに現在は、平均して6時間程度といったところでしょうか。
睡眠の質
長さ以上に重要なのが、睡眠の質でしょう。最近は心地よい眠りを演出するための小道具(枕などの寝具、アロマグッズなどなど)がいろいろ売り出されていますが、「上質な睡眠」を買うのだ、と思えば高くないはずです。
あるサイトによれば、良い眠りとは
・すぐ眠れる
・夜中に目が覚めることがない
・レム睡眠、ノンレム睡眠が規則的な間隔(90~100分のサイクル)で起こる
・夜明けが近づくにつれ、徐々に眠りが浅くなっていく
・朝、すっきりと目が覚め、気分爽快な感じがする
ものだとか。悪い睡眠は、それぞれこの逆だというわけ。
質の悪い睡眠だと、疲れが取れないだけでなく、だるさや眠気などによって日中の生活が妨げられます。さらには、心身の病気にかかるリスクを高めてしまいます。由々しき問題ですね。
34年近く生きてきたわけですが、まだ自分流の睡眠術を確立した、というところまでは行きません。それによく言われるように、年を取ると眠りが浅く短くなってくるそうでもありますし。「理想の睡眠」を求めての模索は、まだまだ続きそうです。
あ、でもだからと言って、今現在、具体的な睡眠上の悩みを抱えてるわけではないんですが。睡眠で悩まれている方、お気の毒様です。。。
■厚生労働省:健康づくりのための睡眠指針検討会報告書
■All About Japan:睡眠・快眠
2004/05/20のBlog
[ 13:02 ]
[ 我流経営学 ]
前回の世界観に引き続き、今回は人間観を持つことの大事さと、そして松下氏自身の人間観がいかなるものであるかが、書かれている部分です。
人間観の大事さ、これは誰しも賛同するでしょう。「人間通」という言葉がありますが、経営とは人を相手にした営みである以上、経営に携わる者はみな人間通でなければなりません。いろんな経営手法や制度を導入するときに人間的要素に無頓着であるとしたら、その取り組みは確実に失敗するでしょう。
さて、松下氏の人間観はどんなものでしょうか。これまたちょっと特異、なんですね。
・人間は万物の王者ともいうべき偉大にして崇高な存在である
・私が考える王者というものは、一方においてすべてを支配、活用する権能を有すると同時に、いつくしみと公正な心をもっていっさいを生かしていく責務をもあわせ負うものである
力点は、「責務」の方にあるのかもしれません。特に上記のあとで経営者に当てはめて氏が語っている部分を見ると、まさにノブレス・オブリージュについて語っている感があります。「じゃあ、その人間観が日々の経営行動にどう結びつくんだ?」となると、私にも腑に落ちないところがあるのですが。
ともあれ、これが最終的に人間尊重につながるのであれば、私も賛成です。人間を軽視し、あるいは蔑ろにした組織は、持続的に良い成果を上げることが難しいと思うし、仮に成果が上がったとしても、ちっとも羨ましくありませんから。敢えて私流に言えば、「人間の底知れぬ可能性に畏敬の念を持つ」という風な人間観でありたいものです。
人間観の大事さ、これは誰しも賛同するでしょう。「人間通」という言葉がありますが、経営とは人を相手にした営みである以上、経営に携わる者はみな人間通でなければなりません。いろんな経営手法や制度を導入するときに人間的要素に無頓着であるとしたら、その取り組みは確実に失敗するでしょう。
さて、松下氏の人間観はどんなものでしょうか。これまたちょっと特異、なんですね。
・人間は万物の王者ともいうべき偉大にして崇高な存在である
・私が考える王者というものは、一方においてすべてを支配、活用する権能を有すると同時に、いつくしみと公正な心をもっていっさいを生かしていく責務をもあわせ負うものである
力点は、「責務」の方にあるのかもしれません。特に上記のあとで経営者に当てはめて氏が語っている部分を見ると、まさにノブレス・オブリージュについて語っている感があります。「じゃあ、その人間観が日々の経営行動にどう結びつくんだ?」となると、私にも腑に落ちないところがあるのですが。
ともあれ、これが最終的に人間尊重につながるのであれば、私も賛成です。人間を軽視し、あるいは蔑ろにした組織は、持続的に良い成果を上げることが難しいと思うし、仮に成果が上がったとしても、ちっとも羨ましくありませんから。敢えて私流に言えば、「人間の底知れぬ可能性に畏敬の念を持つ」という風な人間観でありたいものです。
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