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Doblog-なんでも北海道
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2007/01/17のBlog
今朝5時に函館を発ち札幌へと行って来ました。つい先ほど帰ってきたのですが、やはり道中の雪の少なさが目立ちました。今のところは少雪の道内地方一帯のようです。

今日は「チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)」を入れて14番目の 「二十間坂(にじゅっけんざか)」の紹介です。その名のとおり道幅が20間(36m)あることから名付けられたようです。この坂を下りて真直ぐ進むと「明治館」や倉庫群が左手にあり、さらにその先に朝市や函館駅があります。
この坂の行き止まりを右に曲がると「カトリック元町教会」が建っています。
右手のお寺が「東本願寺函館別院」。

画像は東本願寺脇の歩道。
この坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
かつて,坂上に大工や工人が多く住んでいたことから「大工町坂」とも呼ばれた。函館は大火が多く,明治12年(1879年)の大火後,防火帯としてできた坂で,路幅が二十間(約36m)あるので「二十間坂」と呼ばれた。
2007/01/16のBlog
[ 13:48 ] [ 函館の史跡・公園など ]
弥生坂を上り坂の標柱が過ぎた辺りから坂が急勾配になります。
この急勾配になった坂を少し上ると、左手に案内標識が見えつい敷地に入ったのですが、この標識は「咬菜園跡」の標識なのですが民有地に建っているのでした。
この標識の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

安政4年(1857年)名主で慈善家として知られた堺屋新三郎が、箱館奉行から1140余坪(約3770㎡)の土地の払い下げを受けてここに庵を作り、各地の名花、名木を移植したので四季折々の美しい花が咲き乱れ、当時の住民は箱館第一の名園として親しんだ。
咬菜とは粗食のことで、五稜郭設計監督の蘭学者、武田斐三郎が名付親である。明治2年(1869年)箱館戦争時、追討令が下り、新政府軍艦が品川を出港したとの報に接した榎本軍(旧幕府脱走軍)総裁榎本武揚は同年3月14日幹部6人と共に、今宵最後と一夜の清遊をこの咬菜園で試みた。
箱館奉行並中鳥三郎助は、俳人としても知られ、数多くの秀作があるが、「ほととぎす われも血を吐く思い哉」「われもまた 死土で呼ばれん白牡丹」の辞世の句などはこの時残したものである。
同年5月16日、三郎助は五稜郭の前線基地千代ケ岡陣屋(現中島町)で最後まで降伏を拒み、長男恒太郎(22歳)次男英次郎(19歳)ともども壮烈な戦死を遂げた。
函館市

函館にはこのような旧幕府軍の足跡がたくさん残されており、時間の余裕が出来たらこのような史跡や足跡を辿って行きたいと思います。
今日は忘れていた7番目の坂「弥生坂(やよいざか)」。
山に向かい弥生小学校の右側がこの坂になります。
私も知らなかったのですが、弥生小学校の「弥生」はこの坂の名にちなんで付けられていたのでした。
この坂を下り港へ向かうと画像の「旧西警察署」があります。
・・・
坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

明治12年(1879年)の大火後改良された坂で,それまでは浄玄寺(現東本願寺別院),称名寺,実行寺が並び,「寺町の坂」といわれた。「弥生」とは,「春」を意味し,発展を祈念して付けられたといわれている。 明治15年(1882年),坂の横に小学校ができ,坂名に因んで弥生小学校と名付けられた。
晴れている函館。
予想最高気温0℃。
2007/01/15のBlog
[ 20:41 ] [ 釣り場情報と釣りの話 ]
久しく釣りの記事を書いてなかったのですが、今日大森浜から住吉漁港へ行く道を走っていたら、釣りをしている人を見かけたので、車を停めて聞いた話を書いてみました。
「どうですか?」と聞いたら「今釣り始めたばかりだよ」との事。「この時期イシモチ(イシガレイ)ですか?」と聞いたら「そうだね」と答えてくれました。釣る時間帯と日によって釣果がかなり違うと言ってましたが、昨日10枚揚げた人がいるらしいです。この場所は私が小さい時から釣り人が来てましたが、当時は道具の全てが違ったので遠投が利かず、あまり大漁の話を聞いたことが無かったのですが・・・聞いたら120m以上は飛ばさないと型の良いのが釣れないと言っていました。大体25~27cm位と言ってたので「手のひら」よりは一回り大きいようです。たまに「マコガレイ」が混ざるとも言ってましたので「腕と寒さ」に自信のある方は行ってみたらいかがでしょうか。(天気が良くても海辺は寒かったです)
今日は13番目の坂「チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)」。昨日アップした「大三坂(だいさんざか)」を上ると「港が丘通り」と交差するのですが、そこから先の坂が「チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)」と呼ばれています。
画像に写っている石垣から向こう側(上)がチャチャ登り。
チャチャ登りの左手に「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」、右手に「ハリストス正教会」が建っています。
画像は「カトリック元町教会」前から撮ってます。
坂が急なので冬季間は通行止めのようでした。
坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

函館では珍しいアイヌ語の坂名で,幕末頃ついた名前らしい。チャチャとはおじいさんのことで,この坂が急なため,前かがみに腰を曲げて登る姿が老人に似ていたことから「チャチャ登り」と呼ばれた。
空は晴れていますが小雪が舞っている函館。
車の屋根上に一センチほどの雪が積もっていました。
予想最高気温0℃。
2007/01/14のBlog
今朝は寝坊をしてしまい「今朝の函館」をアップする事ができません。
少し雪が積もったようで道路が白くなっていました。今の函館は曇り空。
予想最高気温0℃。

今日は西側から12番目の「大三坂(だいさんざか)」。
教会巡りをするとき必ずと言っていいほど上る坂です。画像左手が東本願寺、右手に「カトリック元町教会」が写ってます。この坂を上ると急に道幅が狭くなりのですが、それから先はチャチャ登り(ちゃちゃのぼり)と呼ばれていて、その右手に「ハリストス正教会」が建っています。
坂の途中にある洋風の民家。
・・
坂の途中に建っているこのような西洋風や和洋折衷的な建物が、この西部地区一帯のエキゾチックな雰囲気を醸し出しているようです。大切にしたいものですね。

この坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
昔,坂の入口に大三という家印の郷宿(ごうやど)があったのでこの名が付いた。郷宿というのは,地方から公用で出てくる村民が泊まった宿である。それ以前は,木下という人の家があったので,「木下の坂」といった。昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。
2007/01/13のBlog
先ほどなが~い地震がありましたがどこか被害が出たのではないでしょうか?心配です。
[ 12:28 ] [ 函館の坂巡り ]
今日は西側から11番目の「八幡坂」。
西部地区観光の中心的存在である教会群のすぐ先にあります。
ここは眺めの良い事で知られ、TVのドラマやCMで良く使われているので、ご存知の方が多いかもしれません。坂の正面に港と連絡船が見えるので撮影スポットとして観光客に人気があるようです。
この坂の一番上には我が母校の函館西高等学校(通称西高)があり、ここは演歌歌手の大御所「北島三郎」や作家「辻仁成」の出身高でもあります。ちょうど寄った時に画像にある垂れ幕がさがっており、第53回 NHK杯全国高校放送コンテスト 創作テレビドラマ部門 「机上のメッセージ」が全国優勝を果たしたようでした。出来の悪い先輩としてはとても嬉しいものですね。過去に野球では甲子園出場、ラグビーでは確か国体で準優勝?した事があるはずで、また吹奏楽部は全国大会の常連だったくらい活躍していたと思いました。元々は女学校だった事もあり男性トイレが1階にしかなかった事や、家政科というクラスがあった事などをつい思い出してしまいました。
坂の頂上のすぐ左下には画像の建物がありますが、ここは「白百合学園」という女学校(今は山の手に移転)だった所です。すぐ下には確か女子寮もあったと思いましたが、学生の頃うぶだった事もあり、恥ずかしくてこの学校の前を上って学校に行く事はなかったですね。今は良き思い出です。
「港が丘通り(画像に写っている区間はソフトクリーム通りと呼ばれているらしいです)」を「日和坂(ひよりざか)」と「旧函館区公会堂」に向かって眺めています。左手が西高の石垣、右手が色に特長のある「港の見える丘 クリフサイド」。
この道を道なりにずっと歩くと西側の一番目の「魚見坂」 に辿り付きます。
下から見た「八幡坂」。

この坂の由来は
「基坂上の箱館奉行所付近にあった八幡宮が文化元年(1804年)、奉行所の拡張工事に伴い、この坂上に移されたことからこの名が付いた。
八幡宮は明治11、12年(1878、1879年)と続いて大火にあい焼失、谷地頭に移った。」
という事でした。
もうお昼近くになってしまいましたが今朝の函館です。
昨夜降っていた雪は積もらずにすみました。
予想最高気温0℃。
2007/01/12のBlog
[ 18:56 ] [ 花・野草 ]
今日は朝から原因不明のアクセスが続きすでにカウンターが1000を超えました。カウンターのリセット忘れらしき事から加算され1000を超えた事は何度かあったのですが、今日のようなアクセスの伸びは初めての事なのでびっくりするやら驚くやらです。

さて、このところ「冬景色」や「坂」などの記事ばかりでしたので、たまには花の記事などアップしようと思います。当然、今の時期咲いている花はなく、昨年撮った未整理画像の中から選びました。
今日はその中から「ハコベ」のアップ。
昨年5月函館に赴任してすぐに撮ったもので、クローバー(ツメクサ)の葉の中にポツンと花を咲かしていたのが印象的で撮ったものでした。菜園をやっていた頃は草むしりの対象でしたが(あっという間に蔓延ってしまいますね)、こうやって冬に花を観ると癒されます。
今日は西側から10番目の「日和坂(ひよりざか)」。
幅の狭い坂ですが場所的には良いところで、坂の上りきったところに「船魂神社」が建っています。
画像の道路が「港が丘通り」で、交差点の右側に上ると「船魂神社」があります。
すぐ先が西高と「八幡坂」。


西高へ行く途中にある「港の見える丘 クリフサイド」。
私が学生の頃出来た喫茶店でしたが、今はレストランになっているようでした。
この辺りは他にも名が知れたレストランなどがあるようです。

坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
日和坂(ひよりざか)
 坂の上から港の景色を一望でき,空模様をよく判断できるということからこの名が付いた。また,坂の上にある船魂神社辺りからはトビの飛ぶ姿がよく見えたことから,坂の上の方を「トビ坂」と呼んだ。日和もトビも共に天気に関係がある。
晴れている函館。
すこしづつ明けるのが早くなってきたのを感じます。
予想最高気温0℃。
昨日より過ごしやすそうです。
2007/01/11のBlog
今日は西端から9番目の 「基坂(もといざか)」。
ベイエリアからも近く、坂の左右にそれぞれ「旧イギリス領事館」や「諸術調所跡」「宇須岸河野館跡」があり、突き当たりは「元町公園」になっています。さらにその上には「旧函館区公会堂」が建っており、この坂が過去に非常に重要な坂だった事が伺われます。



坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

かっては,函館から札幌へ向かう函館本道の起点で,坂下に里数を計る元標が建てられていたので「基板」といった。坂の上は箱館奉行所があった中心地で,江戸時代には「お役所坂」,「御殿坂」とも呼ばれた。
雲がかかって小雪が降っている函館。
予想最高気温-2℃の「真冬日」。
今日も寒い一日になるようです。
2007/01/10のBlog
久し振りに函館の記事となりました。
今日は西側から8番目の「東坂(あずまざか)」
電車道路から坂を登ると左手角に「中華会館」が在り、右手角に弥生小学校が建っています。
弥生小学校の敷地には「旧アメリカ領事館跡」の標識が建っていました。


坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
明治12年(1879年)の大火までは弥生小学校の東半分に浄玄寺(現東本願寺別院)があり,その下に坂が二本あった。西側の坂を「浄玄寺坂」、東側の坂を「東の坂」または「白鳥坂」ともいった。 大火後,坂は一本になり上まで通された。いまの「東坂」はその名残りである。

坂の登り口から見た「東坂」。
正面に見えているのが弥生小学校。