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Doblog-なんでも北海道
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2007/01/23のBlog
空に雲が多いですが晴れそうな天気。
そして風もなく穏やかです。
予想最高気温2℃。
2007/01/22のBlog
今日はイレギュラーの出張のため、朝早く起きて出掛けたので久々の「駅弁」を食べる事となりました。食べるとなるとそれなりに悩んでしまうのが貧乏人の癖でしょうか。朝早いため7種類しかないのですが、それでも選ぶのに一苦労です。予算の事もあり、あれだこれだと悩んだ挙句選んだのが「ほたて弁当」でした。
炊き込みご飯のうえに中くらいのホタテの本体(貝柱)が三つ、卵のそぼろ・しいたけ・竹の子の煮付け(これがとても美味しかった)・昆布巻き・漬物2種類・サクランボが入って780円(税込み)です。朝ごはんにはちょうど良い量で、ホタテと竹の子の歯ざわりが対照的で上手く作ってあるなあ~と思いました。
2007/01/21のBlog
「函館の坂」もとうとう今回でお終いです。
まだまだ坂はあるのですが名前の付いた坂はこれが最後。
その最後の坂が「青柳坂(あおやぎざか)」
青柳町といえば「石川啄木」が有名な句「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」を残していますが、この青柳坂を上った辺りに啄木が函館に引っ越してきた時の居住跡地があります。薄幸の啄木はこの地に家族を呼び寄せ一時的に幸せな時を過ごすのですが、その僅かな幸せな時間もたった4ヶ月ほどで「大火」のために失ってしまうのでした。その薄幸にはほんとうに涙せざるを得ないところがあります。
この坂のすぐ傍には「亀井勝一郎」の文学碑や「函館公園」もありゆったりと散策する事をお奨めします。

この坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
 昔はこの坂を「聖天坂(しょうでんざか)」といった。聖天とは大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)という仏教の守護神のことで,坂の途中にある天台宗天祐寺にまつられている。昭和40年まで坂上に春日町があったため「春日坂」ともいわれた。 現在は,青柳町の方へ向かって登ることから「青柳坂」と呼ばれている。
朝の空が随分明るくなりました。
昨日は「大寒」でしたが、これから2月の中頃にかけて一年で一番寒い時期が続きます。
予想最高気温2℃。
2007/01/20のBlog
[ 10:38 ] [ 函館の坂巡り ]
「函館の坂」も残り二つとなりました。今日は17番目の「あさり坂」。
現在の市電は松風町から函館駅へと右折してますが、昔は松風町から宝来町まで線路が繋がっていて、ちょうどその線路の延長線上にあるのがこの「あさり坂」です。
この電車道路との交差点にある肉屋とすきやき屋が「阿佐利(あさり)」という名前なのは偶然なのでしょうか?ここのすき焼きは老舗で美味いとの評判ですが、私は肉屋の「コロッケ」のほうが思い出があります。肉などほとんど食べる事のない時代に牛肉の挽肉?が入っていたとても美味しいコロッケでした。
この坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
明治11年(1878年),英人ジョン・ミルン,米人エドワード・モースらが来函し,函館在住の英人ブラキストンと協力して貝塚などを発掘したが,この坂の付近から古代人が食べたアサリ貝の殻が数多く発見されたので,「あさり坂」と命名された。
少し寝坊をしてしまい遅れた今朝の函館。(9:00の画像)
薄曇のところがありますが大方晴れてます。
予想最高気温2℃。
2007/01/19のBlog
ペコちゃんこと「不二家」の問題はより一層の拡がりを見せているようです。
スーパーやコンビニの棚からどんどん不二家製品が消えてしまい、とうとう飲料の「ネクター」まで撤去の動きが出てきました。そこまでしなくてもと思うのですが・・・
余りにもマスコミや消費者への対応が悪かった事がその主因だとは思いますが、果たしてそれだけなのでしょうか?

確かに不二家の対応は雪印の件を考えると余りにもお粗末なものでした。今もなお新しい問題が出てくるのだから今の段階で収拾のつけようが無い事も確かだと思います。しかし、事件が発覚する前から知っていたのなら、発覚した際の対策スキームくらい組んでおいても良かったのではと思ってしまいますね。
これからは経営者トップと経営陣がどれだけの事を把握していたのかが焦点と思われます。
雪印もそうでしたが、このような事件は会社のトップが現場を知らなさ過ぎる事が一番の原因ではないのかと思いますね。特に食品の製造現場は行けば一目瞭然のはずだと思うのですが・・・本社の事務所ばかりにいては現場を知りようが無いですよね。だから「ISO」を取得し書類で安心を買ったとしか思えません。

そこで疑問・ISOを取得したら定期監査があるはずなので、監査機関は一体何をしていたのでしょうか?その点が全く指摘されていないのは何故なのでしょうか?

つぎの疑問・今のマスコミの報道姿勢は正しいのでしょうか?
私には今のマスコミの報道姿勢は「不二家は潰さなければならない」という前提があり、まるで「錦の御旗」を振りかざしている官軍のように見えます。特に新聞やTV報道はその影響力を鑑みれば「事実だけを報道すれば良い」のではないのでしょうか。
報道自体がワイドショー化してしまっており、見るのも聞くのも読むのも不愉快さを感じることが多いです。

大きな疑問・製品を撤去するスーパーやコンビニは、本当に消費者の事を考えて撤去しているのでしょうか?
私はそう思いませんね。確かに撤去せざるを得ない製品もあると思いますが、全ての商品を撤去する必要もないように思います。判断するのはあくまで消費者ですよ!!「不二家」のブランドを信用して仕入れをしたというなら論外でしょう。製品を取り扱う際に工場を自分たちの目で確かめたのでしょうか?そうでなければ取り扱ったスーパーやコンビニも同罪ではないのでしょうか?

最大の疑問・これは「不二家」だけの事なのでしょうか?他の全ての食品メーカーは「シロ」だというのでしょうか?
これは食品業界全体が抱えている問題ではないのでしょうか。週刊誌などで様々な不正が暴露されますが、それが大きな問題としてクローズアップされる事がないのは何故なのでしょうね。ここにもマスコミの報道姿勢に疑問を感じます。

ついでの疑問・コンビニの「おでん」は衛生的なの?
いつも思うのですが、コンビニで売っている「おでん」は「蓋もせず売っている」のに衛生的なのでしょうか?・・コンビニは人の出入りも多いので「ほこり」が舞っているのでは?と思うのですが、思い過ごしでしょうか。私はコンビニは利用しますが「おでん」だけは絶対に買いません。

従業員への疑問・不正を内部告発するなら判りますが、発覚してから「ああだった、こうだった」とマスコミの前で言うのは何故なのでしょうか?マスコミの前で話したからって免罪されるわけではないのですよ。今まで口を紡いでいたのですから最後まで紡いでいるべきでは?口を開くべきところはマスコミではなく警察や司法の場なのではないでしょうか。

色々な疑問を書いてみましたが、今後「不二家」は全てを正直に話すべきだと思います。この会社がこれから立ち直るのはかなり難しいかもしれませんが、我々の世代も含めて「ペコちゃん」に愛着を持っている人は多いと思うので何とか踏ん張って立ち直ってほしい(雪印のようになってほしくない!)と思います。「不二家」頑張れ!!

「函館の坂」も残り少なくなり、今日紹介する16番目の「護国神社坂(ごこくじんじゃざか)」を含めてあと三つとなりました。今からネタ切れが心配です。

函館山の観光道路を登る際にほとんどの車が利用するのがこの「護国神社坂」。
坂の下には前に紹介した「高田屋嘉兵衛像」が建っています。私が徒歩通学していた頃はこの坂を上って学校へ行く事が多く、とても思い出深い坂でもあるのでした。
この坂の特長はグリーンベルトの見事な黒松でしょうか。形が整っているものが多く見る目を楽しませてくれます。
坂の上に建っている「護国神社」。
ここには様々なものが奉られているので後日別途紹介します。
道路の中央からの画像。
別の日に撮った護国神社の階段を上った所からの画像。

坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
別名「汐見坂」ともいい,昔は「招魂社の坂」とも「倒産坂」ともいった。汐見坂は坂上に汐見町ができ,その町名からとったもの。招魂社の坂は明治2年(1869年)に建立された招魂社(現護国神社)に登る坂ということから呼ばれ,現在の名になった。倒産坂は坂に面して門を立てると罰が当たって”かまど”がつぶれるといわれ,昔は門を坂に面しないようにした。
1cmほど雪が積もった函館。
晴れてます。
予想最高気温-2℃。
2007/01/18のBlog
今日は西側から15番目の「南部坂(なんぶざか)」。
ロープウェイ乗り場の坂と言ったほうが判り良いかも知れません。
ちょうど工事中だったので無粋な画像となりました。
坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
幕府は,外国船の蝦夷地(北海道)近海への出没や,ロシアの南下など多難になってきたため,寛政11年(1799年)蝦夷地を直轄し,防衛のため奥羽諸藩に警備を命じた。日高海岸以東の警備にあたった南部藩の元陣屋がこの坂上にあったので「南部坂」と呼ばれた。
南部坂を下りて真直ぐ進むと電車道路に辿り付きますが、その手前左手に今改修中の旧丸井今井デパートが建っています。その向かいが現函館市水道局。
[ 07:53 ] [ 青森県(弘前近郊) ]
雲っていて暗い函館。
日中は雪が降りやすい天気のようです。
予想最高気温2℃。
2007/01/17のBlog
今朝5時に函館を発ち札幌へと行って来ました。つい先ほど帰ってきたのですが、やはり道中の雪の少なさが目立ちました。今のところは少雪の道内地方一帯のようです。

今日は「チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)」を入れて14番目の 「二十間坂(にじゅっけんざか)」の紹介です。その名のとおり道幅が20間(36m)あることから名付けられたようです。この坂を下りて真直ぐ進むと「明治館」や倉庫群が左手にあり、さらにその先に朝市や函館駅があります。
この坂の行き止まりを右に曲がると「カトリック元町教会」が建っています。
右手のお寺が「東本願寺函館別院」。

画像は東本願寺脇の歩道。
この坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。
かつて,坂上に大工や工人が多く住んでいたことから「大工町坂」とも呼ばれた。函館は大火が多く,明治12年(1879年)の大火後,防火帯としてできた坂で,路幅が二十間(約36m)あるので「二十間坂」と呼ばれた。
2007/01/16のBlog
[ 13:48 ] [ 函館の史跡・公園など ]
弥生坂を上り坂の標柱が過ぎた辺りから坂が急勾配になります。
この急勾配になった坂を少し上ると、左手に案内標識が見えつい敷地に入ったのですが、この標識は「咬菜園跡」の標識なのですが民有地に建っているのでした。
この標識の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

安政4年(1857年)名主で慈善家として知られた堺屋新三郎が、箱館奉行から1140余坪(約3770㎡)の土地の払い下げを受けてここに庵を作り、各地の名花、名木を移植したので四季折々の美しい花が咲き乱れ、当時の住民は箱館第一の名園として親しんだ。
咬菜とは粗食のことで、五稜郭設計監督の蘭学者、武田斐三郎が名付親である。明治2年(1869年)箱館戦争時、追討令が下り、新政府軍艦が品川を出港したとの報に接した榎本軍(旧幕府脱走軍)総裁榎本武揚は同年3月14日幹部6人と共に、今宵最後と一夜の清遊をこの咬菜園で試みた。
箱館奉行並中鳥三郎助は、俳人としても知られ、数多くの秀作があるが、「ほととぎす われも血を吐く思い哉」「われもまた 死土で呼ばれん白牡丹」の辞世の句などはこの時残したものである。
同年5月16日、三郎助は五稜郭の前線基地千代ケ岡陣屋(現中島町)で最後まで降伏を拒み、長男恒太郎(22歳)次男英次郎(19歳)ともども壮烈な戦死を遂げた。
函館市

函館にはこのような旧幕府軍の足跡がたくさん残されており、時間の余裕が出来たらこのような史跡や足跡を辿って行きたいと思います。
今日は忘れていた7番目の坂「弥生坂(やよいざか)」。
山に向かい弥生小学校の右側がこの坂になります。
私も知らなかったのですが、弥生小学校の「弥生」はこの坂の名にちなんで付けられていたのでした。
この坂を下り港へ向かうと画像の「旧西警察署」があります。
・・・
坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

明治12年(1879年)の大火後改良された坂で,それまでは浄玄寺(現東本願寺別院),称名寺,実行寺が並び,「寺町の坂」といわれた。「弥生」とは,「春」を意味し,発展を祈念して付けられたといわれている。 明治15年(1882年),坂の横に小学校ができ,坂名に因んで弥生小学校と名付けられた。
晴れている函館。
予想最高気温0℃。
2007/01/15のBlog
[ 20:41 ] [ 釣り場情報と釣りの話 ]
久しく釣りの記事を書いてなかったのですが、今日大森浜から住吉漁港へ行く道を走っていたら、釣りをしている人を見かけたので、車を停めて聞いた話を書いてみました。
「どうですか?」と聞いたら「今釣り始めたばかりだよ」との事。「この時期イシモチ(イシガレイ)ですか?」と聞いたら「そうだね」と答えてくれました。釣る時間帯と日によって釣果がかなり違うと言ってましたが、昨日10枚揚げた人がいるらしいです。この場所は私が小さい時から釣り人が来てましたが、当時は道具の全てが違ったので遠投が利かず、あまり大漁の話を聞いたことが無かったのですが・・・聞いたら120m以上は飛ばさないと型の良いのが釣れないと言っていました。大体25~27cm位と言ってたので「手のひら」よりは一回り大きいようです。たまに「マコガレイ」が混ざるとも言ってましたので「腕と寒さ」に自信のある方は行ってみたらいかがでしょうか。(天気が良くても海辺は寒かったです)
今日は13番目の坂「チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)」。昨日アップした「大三坂(だいさんざか)」を上ると「港が丘通り」と交差するのですが、そこから先の坂が「チャチャ登り(ちゃちゃのぼり)」と呼ばれています。
画像に写っている石垣から向こう側(上)がチャチャ登り。
チャチャ登りの左手に「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」、右手に「ハリストス正教会」が建っています。
画像は「カトリック元町教会」前から撮ってます。
坂が急なので冬季間は通行止めのようでした。
坂の説明は「道南ミュージアム」様から借用しました。

函館では珍しいアイヌ語の坂名で,幕末頃ついた名前らしい。チャチャとはおじいさんのことで,この坂が急なため,前かがみに腰を曲げて登る姿が老人に似ていたことから「チャチャ登り」と呼ばれた。