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2007/02/06のBlog
[ 07:45 ]
[ 函館の歴史的建造物 ]
[ 07:36 ]
2007/02/05のBlog
[ 05:39 ]
[ 函館の史跡・公園など ]
今朝は出張先からのアップです。
「弁天台場」で使用されていた「石垣石」は、この記念碑の土台と周り一帯の防波堤にほぼそのまま残されていました。堤防の頂上部はかなり壊れていますが、周りにそれらしい材料があったので復元は可能なようでした。
「弁天台場」で使用されていた「石垣石」は、この記念碑の土台と周り一帯の防波堤にほぼそのまま残されていました。堤防の頂上部はかなり壊れていますが、周りにそれらしい材料があったので復元は可能なようでした。
2007/02/04のBlog
[ 14:25 ]
[ 函館の史跡・公園など ]
急いでアップしたせいか話につながりがなかったようです。
記念碑の横には案内標識が立てられていました。
この案内標識には
「函館港の改良を多年にわたり計画していた函館区は、明治28年改良工事の実施を決定し、翌29年6月工事に着手し、同33年9月に完成した。
改良工事は港内のしゅんせつ面積427,000㎡、土量238,000北及び北西風によって起こる港内の漂砂を防ぐため、海岸町地先海岸(現中央埠頭)より沖に延長454mの防砂提を築造し、また西風によって起こる港内波浪を防ぐため、弁天台場(安政3年~文久3年築造)地先海面を147,000㎡にわたり埋め立て、市街地、船渠用途、漁船舟入澗等を築造した。
この埋立工事には、弁天台場の土塁石垣石が多く利用され、いまも舟入澗防波堤、護岸防波堤として残り、記念碑の御影石も土塁石垣に使われた、あご石のひとつとも云われている。
函館港改良工事は、近代港湾整備の先駆者である廣井 勇博士の調査・設計に基づき進められた。
北海道で最初の近代港湾整備として国費助成(20万円)が投じられた。」
と書いてあります。
国費20万円は現在のお金にしてどれくらいでしょうか。
記念碑の横には案内標識が立てられていました。
この案内標識には
「函館港の改良を多年にわたり計画していた函館区は、明治28年改良工事の実施を決定し、翌29年6月工事に着手し、同33年9月に完成した。
改良工事は港内のしゅんせつ面積427,000㎡、土量238,000北及び北西風によって起こる港内の漂砂を防ぐため、海岸町地先海岸(現中央埠頭)より沖に延長454mの防砂提を築造し、また西風によって起こる港内波浪を防ぐため、弁天台場(安政3年~文久3年築造)地先海面を147,000㎡にわたり埋め立て、市街地、船渠用途、漁船舟入澗等を築造した。
この埋立工事には、弁天台場の土塁石垣石が多く利用され、いまも舟入澗防波堤、護岸防波堤として残り、記念碑の御影石も土塁石垣に使われた、あご石のひとつとも云われている。
函館港改良工事は、近代港湾整備の先駆者である廣井 勇博士の調査・設計に基づき進められた。
北海道で最初の近代港湾整備として国費助成(20万円)が投じられた。」
と書いてあります。
国費20万円は現在のお金にしてどれくらいでしょうか。
[ 09:04 ]
[ 函館の史跡・公園など ]
今日の函館は小雪が舞っています。
少し寒い感じ。
予想最高気温1℃。
市電ドッグ前の終点駅を真直ぐ進むとやがて入船漁港に辿り付きます。辿り付いたところに建っているのが「函館港改良工事記念碑」です。あまりにも辺ぴな感じのするところなので気が付きにくいですが、この記念碑はとても大事な事が書いてありました。
少し寒い感じ。
予想最高気温1℃。
市電ドッグ前の終点駅を真直ぐ進むとやがて入船漁港に辿り付きます。辿り付いたところに建っているのが「函館港改良工事記念碑」です。あまりにも辺ぴな感じのするところなので気が付きにくいですが、この記念碑はとても大事な事が書いてありました。
2007/02/03のBlog
[ 08:23 ]
2007/02/02のBlog
[ 13:12 ]
[ 函館近郊の鳥 ]
「クリカニ」を取材した際港で潜って盛んに餌を獲っていたのが「ウミアイサ」でした。釣り人の話では、この鳥が近づくと「チカ」が釣れなくなると言っていたので、潜ってチカを獲っているのだと思いました。(画像は雄)
[ 07:44 ]
2007/02/01のBlog
[ 17:59 ]
[ 野鳥・動物 ]
前に汐泊川のオオハクチョウを紹介しましたが、今日は茂辺地川河口付近の「オオハクチョウ」を紹介します。オオハクチョウは道南の河川の河口付近にかなり見られますね。また、白くて大きく目立つので探す苦労がないので助かります。
[ 07:23 ]
2007/01/31のBlog
[ 19:53 ]
[ 函館近郊の海の生き物 ]
携帯電話と比べると大きさが判ると思いますが、まあまあの大きさですね。
カニ釣りしていた方に聞いたのですが、時期的にはピークを過ぎたと言っていました。
また早い時期は脱皮カニが多かったが今はしっかりしたカニばかりだとも言っておりました。
カニ釣りしていた方に聞いたのですが、時期的にはピークを過ぎたと言っていました。
また早い時期は脱皮カニが多かったが今はしっかりしたカニばかりだとも言っておりました。
[ 07:41 ]
[ 函館港の船 ]
先日海鳥がいないかなと思い函館港へ行ってきました。海鳥の姿はなかったのですが、ドッグのゴライアスクレーン前に護衛艦が停泊していたので早速の撮影です。調べてみたら青森県陸奥市大湊所属の「ちくま」でした。青森からは近いのでオーバーホール?に来ているのかもしれません。
[ 07:39 ]
2007/01/30のBlog
[ 12:38 ]
[ 函館近郊探索 ]
鷲ノ木の上陸地跡の広場横に墓地があるのですが、この墓地の手前に立っていたのが「水準点」の看板でした。水準点とは高さの測量を行うとき基準になるもので、通常、国道・測量当時の旧国道や主要街道沿いに約2km間隔に埋設されていて、基準となる柱石または金属標が設置されているようです。約2万箇所に設置されているようですが、私は初めて見たような気がしました。仮に目の前にあっても気がつきにくい物かもしれません。
[ 07:33 ]
2007/01/29のBlog
[ 12:56 ]
[ 箱館戦争(戊辰戦争)の足跡 ]
鷲ノ木に終結した旧幕府軍のうち「大鳥圭介隊」は大沼を経由して「峠下」に向かいました。峠下というのは現在の国道5号線を森町方面から函館へと向かい、現在の大沼トンネルを抜けさらに下り坂を下りきった辺りの地域を言います。
当時は当然トンネルがなかったのですが、トンネルが出来るまでは九十九折れの峠道を私たちも越えていたので、どの道を抜けて峠下へ行ったのか興味のある所です。
そして大鳥隊はこの地で箱館府兵と緒戦を交わすのでした。
画像は坂を下り函館新道側へ進行しているところです。
この道路の左右一帯が峠下。
当時は当然トンネルがなかったのですが、トンネルが出来るまでは九十九折れの峠道を私たちも越えていたので、どの道を抜けて峠下へ行ったのか興味のある所です。
そして大鳥隊はこの地で箱館府兵と緒戦を交わすのでした。
画像は坂を下り函館新道側へ進行しているところです。
この道路の左右一帯が峠下。
[ 08:43 ]
2007/01/28のBlog
[ 13:52 ]
[ 雑談 ]
今朝100000アクセスに到達しました。
このブログを始めたのが2005年3月ですので、約1年10ヶ月での到達となりました。
始めた頃を考えると万感の思いがあります。今後は次なる目標50万アクセスを目指して頑張ってみようと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
このブログを始めたのが2005年3月ですので、約1年10ヶ月での到達となりました。
始めた頃を考えると万感の思いがあります。今後は次なる目標50万アクセスを目指して頑張ってみようと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
