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2007/08/16のBlog
[ 07:06 ]
2007/08/15のBlog
[ 09:08 ]
[ 函館山の動植物 ]
[ 08:07 ]
2007/08/14のBlog
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2007/08/13のBlog
[ 14:56 ]
[ 函館山の動植物 ]
[ 14:35 ]
[ 函館山周辺探索 ]
先々週の、雨の晴れ間を見て近場の立待岬へ行ってきました。(8月3日)
駐車場から海岸への階段を降り、懐かしい”飛び込み台”と呼んでいた岩場まで登ってみました。高校以来です、ここへ来たのは。当時はもっと高く感じたと思いましたが、思ったほど高くなかったようです。
この立待岬は今は”遊泳禁止”なのですが、私達は小さい頃から親しんでいたのでどうして?なのかよくわかりません。岩場で深いですから危険といえば危険ですが・・事情は色々察しがつくのですが、こうやって子供達の”冒険心”や”危険察知能力”そして自然を体で覚える機会の場をを奪ってきたのでしょうね。
”飛び込み台”です。高さ5mくらい。
駐車場から海岸への階段を降り、懐かしい”飛び込み台”と呼んでいた岩場まで登ってみました。高校以来です、ここへ来たのは。当時はもっと高く感じたと思いましたが、思ったほど高くなかったようです。
この立待岬は今は”遊泳禁止”なのですが、私達は小さい頃から親しんでいたのでどうして?なのかよくわかりません。岩場で深いですから危険といえば危険ですが・・事情は色々察しがつくのですが、こうやって子供達の”冒険心”や”危険察知能力”そして自然を体で覚える機会の場をを奪ってきたのでしょうね。
”飛び込み台”です。高さ5mくらい。
[ 10:28 ]
昨日は函館も30℃を越えたようですね。
私は今札幌にいますが、昨日朝の久し振りの強い日差しだったので、横津岳~烏帽子岳を登山してから札幌へと帰りました。とにかく日差しが強く露出していた肌の部分は真っ黒に焼けてしまいました。二週間振りの横津岳はすっかり様子が変わっていましたが、その中で”秋”を見つけたので紹介します。それは「エゾオヤマリンドウ」。もうこの花が咲き出す時期なんですね。去年、初めてこの花の大群落を観て感動しましたが、今年もその時期が間近に来ているのでした。
私は今札幌にいますが、昨日朝の久し振りの強い日差しだったので、横津岳~烏帽子岳を登山してから札幌へと帰りました。とにかく日差しが強く露出していた肌の部分は真っ黒に焼けてしまいました。二週間振りの横津岳はすっかり様子が変わっていましたが、その中で”秋”を見つけたので紹介します。それは「エゾオヤマリンドウ」。もうこの花が咲き出す時期なんですね。去年、初めてこの花の大群落を観て感動しましたが、今年もその時期が間近に来ているのでした。
[ 08:19 ]
2007/08/12のBlog
[ 20:04 ]
最高気温が34℃とこの夏一番の暑さとなりました。
今日は函館から札幌へと移動したのですが、道中暑さに閉口しました。
明日も予報では暑くなりそうなのでやっと巡ってきた”短い夏”を満喫しようと思います。
今日は函館から札幌へと移動したのですが、道中暑さに閉口しました。
明日も予報では暑くなりそうなのでやっと巡ってきた”短い夏”を満喫しようと思います。
2007/08/11のBlog
[ 09:17 ]
2007/08/10のBlog
[ 16:26 ]
[ 函館近郊の花・野草など ]
[ 09:35 ]
[ 横津岳より ]
1971年7月3日、当時の東亜国内航空(JASー現在日本航空)のYS11型機が、横津岳の山腹に墜落(おそらく激突)した航空事故がありました。私がとっても若い頃の話です。
事故当時は気象状況がが悪く結果として墜落したのでした。原因は様々考えられたようですが、その原因を特定するにあたり事故調査委員会が紛糾し、一部委員が辞表を出したりしています。
そして、この事故により無くなった運航乗務員2名、客室乗務員2名、乗客64名計68名全員を慰霊するために建立されたのが「ばんだい号遭難者慰霊碑」です。
事故当時は気象状況がが悪く結果として墜落したのでした。原因は様々考えられたようですが、その原因を特定するにあたり事故調査委員会が紛糾し、一部委員が辞表を出したりしています。
そして、この事故により無くなった運航乗務員2名、客室乗務員2名、乗客64名計68名全員を慰霊するために建立されたのが「ばんだい号遭難者慰霊碑」です。
駐車場から道路を横切ると西側に砂利道があり、その道を約500mほど登ると慰霊碑がありました。登った時は雲が薄かったのですが、到着した途端に雲が湧き上がってきたので満足な写真を撮る事が出来なかったです。墜落したその日もこんな天気の日だったはずなので、妙な実感が湧いてきて生々しさを感じました。また、慰霊碑前で手を合わせ、慰霊碑に刻まれた名前をみると、亡くなられた方の無念さが伝わってくるような気がしました。
[ 07:24 ]
2007/08/09のBlog
[ 17:39 ]
[ 横津岳より ]
横津岳を下山する時、新しい道が七飯岳方面に向かって付いていることに気が付きました。何だろうと思い霧(雲)のなか先が見えなかったのですが、行ってみる事に。100m位?歩いたでしょうか、そこにはなんと”お地蔵さん”があるではないですか!!しかも大きな岩の上に背中を向けて。いつの間に?ですね。
”お地蔵さん”は山の下界の方に向けて置かれていたので、もしかすると”旧登山道”がここにあったのか?ばんだい号が墜落したのがこの辺りだったのか?どちらかではないかと勝手な推測をしてみましたが、どなたかご存知の方おられませんでしょうか。
”お地蔵さん”は山の下界の方に向けて置かれていたので、もしかすると”旧登山道”がここにあったのか?ばんだい号が墜落したのがこの辺りだったのか?どちらかではないかと勝手な推測をしてみましたが、どなたかご存知の方おられませんでしょうか。
[ 08:58 ]
[ ちょっと、政治の話 ]
自民党の敗因は?
それにしてもよくもここまで負けたものです、自民党は。今回は前の衆議院と結果が全く違うわけですが、何故このよう結果が出てしまったのか、私なりに考えてみました。
前回衆議院の時私は「国民が迷っていた、だからこそ自民党に多く票が流れた」とブログに自分の分析を書きました。今回は全くその逆で民主党に票が流れてしまった。何故でしょう?
答えの一つは「外交」。
日本では外交は票にならないというのが通説のようですが、今は決してそうではないと私は考えています。思い出してみてください、小泉首相当時の日本を取り巻く状況を。靖国参拝に対する度重なる「中韓両国の内政干渉」、首脳会談を行なおうとしない「胡錦涛」の「居丈高な姿勢」。これがおとなしい日本人の琴線に触れしまい、それに迎合しなかった小泉首相を国民はそっと応援していたという事を。要は左巻きが嫌う「民族意識の高揚」があったのです。
安部首相は就任してすぐ「胡錦涛」に会いに行きましたね。これは首相がどう言い訳をしても“屈服”したとしか見えないのです。拉致問題での阿部首相の“強気”と“ぶれない言動”に対する期待感があり、政治的に“未知”な部分はあるけれども一応小泉前首相の後継としてふさわしいのではないか、と自民党に票を入れた有権者は思っていた。だから「胡錦涛」との“あちら”での会談が高揚した“民族意識”を引っ込ませてしまい、「現実的な問題」が票を入れる判断材料になってしまったのだ、と私は思うのです。
そこへ“年金”問題という余りにも身近な大問題が起こされ?一斉に票が流れてしまったのが今回の結果ではないでしょうか。小泉前首相の時に当てはめると「郵政改革」が今回の「年金問題」と同じなわけです。年金問題で得をしたのが唯一「民主党」、結果、自民党の地滑り的敗北となった。そういうことではないでしょうか。
二つ目は「造反組」の再合流。
これは「ひとつも理がない」としか有権者は思えなかったでしょう。当時、小泉前首相が「そんな事をしたら負けるぞ」と言った記憶がありますが、まさにその通りになったのではないでしょうか。造反組の再合流に際し安部首相は「お帰りなさい」と言った場面があるのですが、この時、私は「何がお帰りなさいだ!」という怒りがこみ上げてきた記憶があります。当たり前でしょう!身内でさんざん悪態ついておきながら、選挙が終わったら「ご免なさい私を助けて下さい」、「はいよろしいですよ」では“あの選挙は一体何だったのだ”ではありませんか。結局有権者を見ていなかったのです。
三つ目は「組閣」。私は安部首相が任命された後、一体どんな組閣をするのか楽しみでした。そして官房長官が発表された時に?次々に発表される名前を聞いて??ばかり。要は「え~~」なのです。正直がっかりしました。あとの大臣の自殺や失言そして事務所費の問題は全てここから発生しているのですから。一体何をやろうとして組閣をしたのだろう?そんな疑問しか起きない組閣でした。この組閣はおそらく勝ちすぎてしまった自民党(総理の派閥の古狸)の驕りがそうさせたのだと思いまが、「少々の傷は何とかなるだろう」と、当の安部首相もそう思っていたのではないでしょうか。数の多いうちに派閥の順送り人事の“在庫”を減らし参議院戦後に内閣改造を行えば良い。そんな甘い考えが頭にあったのではないかと思うわけです。
以上三つの事が前回自民党に票を入れた有権者の心の底流にあり、「年金問題」「事務所問題」「絆創膏」を上手く“小沢”と“マスコミ”に利用され、無防備で安閑としていた自民党が攻められ続けた結果大敗北したのだと思います。ですから、流れとしては前回の衆議院選とさほど変わらないものだったのではないでしょうか。
個人的には自民党が勝ってほしいとは思いましたが、あまりのふがいなさに「しょうがないかな~」などとも考えています。けれども、理由は色々ありますが、今回の参議院の敗北をもって安部首相が辞める必要はないと思っています。
“絆創膏”は確かに戦犯ではありますが、他の議員だって“明日は我が身”なはず。しかしながら、民主党の小沢党首が言う“秘書のための寮”とかの「不動産の取得」が認められるのであれば、「政治家(や)丸儲け」ではないのか?という疑問が強く起きてこない(自民党も言ってはいたが返り血を恐れた?)「政治風土」やメディアを含めた「社会風土」の方が心配です。
次はわりと早い時期に「衆議院選挙」があるかも知れません。こちらは参議院と違い、出来た“法案”が“直接”「国の行方・将来」や「庶民の生活」に影響します。どんな政治家が出てこようとも、どんな国家になろうとも「全ては選んだ有権者の責任」である事を自覚して投票をしなければいけないと思う私です。
それにしてもよくもここまで負けたものです、自民党は。今回は前の衆議院と結果が全く違うわけですが、何故このよう結果が出てしまったのか、私なりに考えてみました。
前回衆議院の時私は「国民が迷っていた、だからこそ自民党に多く票が流れた」とブログに自分の分析を書きました。今回は全くその逆で民主党に票が流れてしまった。何故でしょう?
答えの一つは「外交」。
日本では外交は票にならないというのが通説のようですが、今は決してそうではないと私は考えています。思い出してみてください、小泉首相当時の日本を取り巻く状況を。靖国参拝に対する度重なる「中韓両国の内政干渉」、首脳会談を行なおうとしない「胡錦涛」の「居丈高な姿勢」。これがおとなしい日本人の琴線に触れしまい、それに迎合しなかった小泉首相を国民はそっと応援していたという事を。要は左巻きが嫌う「民族意識の高揚」があったのです。
安部首相は就任してすぐ「胡錦涛」に会いに行きましたね。これは首相がどう言い訳をしても“屈服”したとしか見えないのです。拉致問題での阿部首相の“強気”と“ぶれない言動”に対する期待感があり、政治的に“未知”な部分はあるけれども一応小泉前首相の後継としてふさわしいのではないか、と自民党に票を入れた有権者は思っていた。だから「胡錦涛」との“あちら”での会談が高揚した“民族意識”を引っ込ませてしまい、「現実的な問題」が票を入れる判断材料になってしまったのだ、と私は思うのです。
そこへ“年金”問題という余りにも身近な大問題が起こされ?一斉に票が流れてしまったのが今回の結果ではないでしょうか。小泉前首相の時に当てはめると「郵政改革」が今回の「年金問題」と同じなわけです。年金問題で得をしたのが唯一「民主党」、結果、自民党の地滑り的敗北となった。そういうことではないでしょうか。
二つ目は「造反組」の再合流。
これは「ひとつも理がない」としか有権者は思えなかったでしょう。当時、小泉前首相が「そんな事をしたら負けるぞ」と言った記憶がありますが、まさにその通りになったのではないでしょうか。造反組の再合流に際し安部首相は「お帰りなさい」と言った場面があるのですが、この時、私は「何がお帰りなさいだ!」という怒りがこみ上げてきた記憶があります。当たり前でしょう!身内でさんざん悪態ついておきながら、選挙が終わったら「ご免なさい私を助けて下さい」、「はいよろしいですよ」では“あの選挙は一体何だったのだ”ではありませんか。結局有権者を見ていなかったのです。
三つ目は「組閣」。私は安部首相が任命された後、一体どんな組閣をするのか楽しみでした。そして官房長官が発表された時に?次々に発表される名前を聞いて??ばかり。要は「え~~」なのです。正直がっかりしました。あとの大臣の自殺や失言そして事務所費の問題は全てここから発生しているのですから。一体何をやろうとして組閣をしたのだろう?そんな疑問しか起きない組閣でした。この組閣はおそらく勝ちすぎてしまった自民党(総理の派閥の古狸)の驕りがそうさせたのだと思いまが、「少々の傷は何とかなるだろう」と、当の安部首相もそう思っていたのではないでしょうか。数の多いうちに派閥の順送り人事の“在庫”を減らし参議院戦後に内閣改造を行えば良い。そんな甘い考えが頭にあったのではないかと思うわけです。
以上三つの事が前回自民党に票を入れた有権者の心の底流にあり、「年金問題」「事務所問題」「絆創膏」を上手く“小沢”と“マスコミ”に利用され、無防備で安閑としていた自民党が攻められ続けた結果大敗北したのだと思います。ですから、流れとしては前回の衆議院選とさほど変わらないものだったのではないでしょうか。
個人的には自民党が勝ってほしいとは思いましたが、あまりのふがいなさに「しょうがないかな~」などとも考えています。けれども、理由は色々ありますが、今回の参議院の敗北をもって安部首相が辞める必要はないと思っています。
“絆創膏”は確かに戦犯ではありますが、他の議員だって“明日は我が身”なはず。しかしながら、民主党の小沢党首が言う“秘書のための寮”とかの「不動産の取得」が認められるのであれば、「政治家(や)丸儲け」ではないのか?という疑問が強く起きてこない(自民党も言ってはいたが返り血を恐れた?)「政治風土」やメディアを含めた「社会風土」の方が心配です。
次はわりと早い時期に「衆議院選挙」があるかも知れません。こちらは参議院と違い、出来た“法案”が“直接”「国の行方・将来」や「庶民の生活」に影響します。どんな政治家が出てこようとも、どんな国家になろうとも「全ては選んだ有権者の責任」である事を自覚して投票をしなければいけないと思う私です。
[ 07:26 ]
2007/08/08のBlog
[ 18:16 ]
[ 横津岳より ]
昨日から出張し先ほど函館へと帰ってきました。今は雨が止んでますが、時折小雨がが降る不安定な天気でとにかく蒸し暑いです。
さて、静狩湿原を足早に探索して函館へと向かいました。八雲を過ぎた辺りから雲がだんだん多くなり、噴火湾沿いを走ると見えるはずの駒ケ岳も全く見えません。そして大沼のトンネルを抜けて峠下から横津岳方面を見ると雲に覆われていたのですが、歩き足りなかったので横津岳を登る事に。
大川の入り口からゴルフ場まではさほどではなかったのですが、スキー場付近から雲が濃くなり前が全く見えなくなったのですが、雨が降ってこないので構わず進み駐車場へ向かいました。途中道路に砂利が散乱していたり、路肩が崩れていたりと大雨の影響が出ていました。着いてみると、駐車場には私の車のほかに一台あるのみ。急いで支度をし、入山名簿に書き込む際に前の人の入山時間をみたら、私より約一時間前に入山していました。
さて、静狩湿原を足早に探索して函館へと向かいました。八雲を過ぎた辺りから雲がだんだん多くなり、噴火湾沿いを走ると見えるはずの駒ケ岳も全く見えません。そして大沼のトンネルを抜けて峠下から横津岳方面を見ると雲に覆われていたのですが、歩き足りなかったので横津岳を登る事に。
大川の入り口からゴルフ場まではさほどではなかったのですが、スキー場付近から雲が濃くなり前が全く見えなくなったのですが、雨が降ってこないので構わず進み駐車場へ向かいました。途中道路に砂利が散乱していたり、路肩が崩れていたりと大雨の影響が出ていました。着いてみると、駐車場には私の車のほかに一台あるのみ。急いで支度をし、入山名簿に書き込む際に前の人の入山時間をみたら、私より約一時間前に入山していました。
