Blog
2005/12/18のBlog
[ 23:16 ]
[ ▲Fellowship ]
OCCのクリスマスパーティーとC夫妻の送別会があったので参加しました。
OCCの短期宣教師のスタッフは2年間をめどに日本に来て英会話教室の教師をしながら、その地においてのさまざまな活動に参加します。
歴々の方も本当に純粋な信仰心で心細くともFarEastの地において自身から小田原交流パトロールに飛び込んできてくださり、一緒に野宿者のところを回りました。Cさんも例外ではありませんでした。
当初はたどたどしい日本語ながらも、一生懸命語り合ううち、ご本人の語学力のアップと、野宿者のCさんへの信頼で聖書の学びを始める人もでました。
(もちろんこの活動はキリスト教の宣教活動ではありませんので、聖書の話をこちらからすることはありません。Cさんの日々の活動を見て、その人柄からキリスト教に興味をもたれたのです)
OCCの短期宣教師のスタッフは2年間をめどに日本に来て英会話教室の教師をしながら、その地においてのさまざまな活動に参加します。
歴々の方も本当に純粋な信仰心で心細くともFarEastの地において自身から小田原交流パトロールに飛び込んできてくださり、一緒に野宿者のところを回りました。Cさんも例外ではありませんでした。
当初はたどたどしい日本語ながらも、一生懸命語り合ううち、ご本人の語学力のアップと、野宿者のCさんへの信頼で聖書の学びを始める人もでました。
(もちろんこの活動はキリスト教の宣教活動ではありませんので、聖書の話をこちらからすることはありません。Cさんの日々の活動を見て、その人柄からキリスト教に興味をもたれたのです)
2005/12/17のBlog
[ 12:44 ]
[ ▼雑記 ]
近隣の本屋がなくなるそうです。いわゆる郊外型の駐車場も広い本屋なんですが、寄る年並みには勝てないのかも知れません。
いくつか理由は考えられます。そこはポツンと本屋だけしかないこと=少し離れたところには大型ショッピングデパートがあり、その中には複数軒本屋が入っています。
もう一点は、通販の発達=いわゆるアマゾンを代表する無店舗本屋からの購入があると思います。かくいう僕もこのアマゾンからの購入が一番多くなってしまっています。
一時少し活字から離れたものの、最近は月5冊は読んでいるのかもしれないのは、○○円以上だと送料無料の文字のせい? いえいえそれだけではなくBlogを廻ると、本の寸評が書いてあるからかもしれません。皆さん読書への誘惑を醸し出しているんです、お上手に(笑)。ジャンルも昔に比べて若干広がりを見せてきました。
エンゲル係数ならぬ通販係数は各家庭どんどん上昇するにしたがって、街の中身も様変わりして殺風景になってしまうのかもしれません。
活気があり、明るく文化的な町並みにするためには、住民自身も便利ばかり追求してはいけないのかもしれませんね。
いくつか理由は考えられます。そこはポツンと本屋だけしかないこと=少し離れたところには大型ショッピングデパートがあり、その中には複数軒本屋が入っています。
もう一点は、通販の発達=いわゆるアマゾンを代表する無店舗本屋からの購入があると思います。かくいう僕もこのアマゾンからの購入が一番多くなってしまっています。
一時少し活字から離れたものの、最近は月5冊は読んでいるのかもしれないのは、○○円以上だと送料無料の文字のせい? いえいえそれだけではなくBlogを廻ると、本の寸評が書いてあるからかもしれません。皆さん読書への誘惑を醸し出しているんです、お上手に(笑)。ジャンルも昔に比べて若干広がりを見せてきました。
エンゲル係数ならぬ通販係数は各家庭どんどん上昇するにしたがって、街の中身も様変わりして殺風景になってしまうのかもしれません。
活気があり、明るく文化的な町並みにするためには、住民自身も便利ばかり追求してはいけないのかもしれませんね。
2005/12/16のBlog
[ 22:51 ]
[ ●社会問題 ]
Blog仲間の蝶野さんがいつになく憤っていた。読めば僕も怒髪天にのぼるような話。
まぁ、一度ご本人(白鷺さん)のBlogを読んでみてください。
我が家も子どもは授かりませんでした。それはそれで別に運が悪いとも思いませんし、そういう夫婦もいてもいいと思っていますし、この年になると残念とかという気持ちもほとんどありません。子どもがいるいないで他人の家庭と比較するほうがナンセンスだと僕は思っています。
いれば子ども中心の家庭になったかもしれませんが、いなければ夫婦中心の生活になり、実の子どもがいない分だけ周囲の子どもが可愛く見え、いま少しだけですが教会のJC(昔の日曜学校とか教会学校)というパートで奉仕をしています。教会は教会と言う社会全体で週一度の子育てをしているような一面があるのです。
無神経に発言をする人は世にも多く、テーマが違えば僕も無神経な発言をして他人を傷つけてしまったことがあるのかもしれません。
ほどほどに親しい人、数人との会話の中で、子どものいないことに触れ、「なぜなの?」という興味だけの質問を浴びせられたこともあります。「あんたに話しても何の解決にもならない。」とうざく思いながらも、まぁ喧嘩してもしょうがないと流したこともあります。
また、連れ合いががんにかかり、同様の病気で闘病生活の人のBlogを見ても、治療に対して否定的なこといわれて凹んだ、などの記載を読んだこともあります。
でも、これらのことは、避けて通れば通れる事です。失言者とそれを受けた人間の立場は平等です。怒るもよし、無視するもよし、傷ついたと泣くもよし、平等だから対応も自分なりにできます。(だからといって何を言ってもいいとは僕も思っていませんが)
しかし白鷺さんの場合は違います。面接という立場を考えなければいけません。
この面接官は明らかにハラスメント行為をしています。答えなければならない立場に追い込んでいます。違法行為です。
蝶野氏がRESコメントで訴えるべきだ、といっていますが、僕も同じ気持ちです。
人の気持ちが分からないような、理解をしようとしないような、悲しみや痛みを想像できないような会社がまだ存在していることに大きな失望感を抱きました。
まぁ、一度ご本人(白鷺さん)のBlogを読んでみてください。
我が家も子どもは授かりませんでした。それはそれで別に運が悪いとも思いませんし、そういう夫婦もいてもいいと思っていますし、この年になると残念とかという気持ちもほとんどありません。子どもがいるいないで他人の家庭と比較するほうがナンセンスだと僕は思っています。
いれば子ども中心の家庭になったかもしれませんが、いなければ夫婦中心の生活になり、実の子どもがいない分だけ周囲の子どもが可愛く見え、いま少しだけですが教会のJC(昔の日曜学校とか教会学校)というパートで奉仕をしています。教会は教会と言う社会全体で週一度の子育てをしているような一面があるのです。
無神経に発言をする人は世にも多く、テーマが違えば僕も無神経な発言をして他人を傷つけてしまったことがあるのかもしれません。
ほどほどに親しい人、数人との会話の中で、子どものいないことに触れ、「なぜなの?」という興味だけの質問を浴びせられたこともあります。「あんたに話しても何の解決にもならない。」とうざく思いながらも、まぁ喧嘩してもしょうがないと流したこともあります。
また、連れ合いががんにかかり、同様の病気で闘病生活の人のBlogを見ても、治療に対して否定的なこといわれて凹んだ、などの記載を読んだこともあります。
でも、これらのことは、避けて通れば通れる事です。失言者とそれを受けた人間の立場は平等です。怒るもよし、無視するもよし、傷ついたと泣くもよし、平等だから対応も自分なりにできます。(だからといって何を言ってもいいとは僕も思っていませんが)
しかし白鷺さんの場合は違います。面接という立場を考えなければいけません。
この面接官は明らかにハラスメント行為をしています。答えなければならない立場に追い込んでいます。違法行為です。
蝶野氏がRESコメントで訴えるべきだ、といっていますが、僕も同じ気持ちです。
人の気持ちが分からないような、理解をしようとしないような、悲しみや痛みを想像できないような会社がまだ存在していることに大きな失望感を抱きました。
[ 11:24 ]
[ |- ■BayStars ]
仰木監督の訃報がインターネットに載っています。肺ガンだったとか・・・、またガンによる死亡記事かと愕然とすると共に、走りぬいた彼の人生に敬意を表します。
2軍に燻ぶっていたイチローを育て世界一の選手に開花させたのも、野茂を日本人初の大リーガーとして育て上げたのも、氏の功績であるでしょうし、仰木マジックは三原監督の再来のように見事決まり相手を惑わし、柔よく剛を制す、まさにジャパニーズベースボールここにあり、といった感じだったことを思い起こします。
ただ仰木オリックスの一番の印象は、肩に入れた『頑張れ!神戸』のワッペンでした。地元に根付いて何ぼのプロ野球、冠に企業名を入れない横浜と共に好感を持ちました。
一世代を築き上げた方がまた一人神様の御許に戻られたのは悲しいことですが、燃え尽きるまで走りきった仰木さん。どうぞ天国で酒を飲みながらプロ野球観戦をしてください。
2軍に燻ぶっていたイチローを育て世界一の選手に開花させたのも、野茂を日本人初の大リーガーとして育て上げたのも、氏の功績であるでしょうし、仰木マジックは三原監督の再来のように見事決まり相手を惑わし、柔よく剛を制す、まさにジャパニーズベースボールここにあり、といった感じだったことを思い起こします。
ただ仰木オリックスの一番の印象は、肩に入れた『頑張れ!神戸』のワッペンでした。地元に根付いて何ぼのプロ野球、冠に企業名を入れない横浜と共に好感を持ちました。
一世代を築き上げた方がまた一人神様の御許に戻られたのは悲しいことですが、燃え尽きるまで走りきった仰木さん。どうぞ天国で酒を飲みながらプロ野球観戦をしてください。
2005/12/15のBlog
[ 18:19 ]
[ |- ●野宿者(ホームレス)問題 ]
で、今日は野宿者支援のため、各「家」を訪問します。そのときに何時も「パト(ロール)ビラ」を持っていきます。
季節柄今日はクリスマスについて記しました。クリスチャンになってとか大それた野望は毛頭持ってはいませんが、「神を愛しなさい、隣人を自分のように愛しなさい」という言葉を胸に抱き、神様に愛されているという希望と安心感を持ってくれたらと思っています。
*********************************
欠陥住宅問題が世間を騒がせています。建築士、設計会社、検査会社がお互い罪のなすりあいをしています。昨日も姉歯氏が国会で、威圧を飲み違法設計をしたのは、体調不良の妻のため、と発言をしたそうです。
自分の罪を認めないで、他人のせいにするのはとても悲しく醜いことです。欠陥マンションに住んでいる人(被害者)のことも、仕事を共に築き上げた人のことも、そして家族のことまで、言い訳にして自分を守る姿。彼は何を守ろうとしているのでしょうか?
このあとの人生、みんな敵に廻し、疎遠になって生きていくことを選んでしまったのでしょうか?そこには生きる楽しみはあるのでしょうか?
クリスマスは、イエス=キリストの生まれた日です。二千年経った今も、世界中でうれしい日としてお祝いがされています。
なぜ、イエス=キリストが生まれたことがうれしいのか、といえば、姉歯氏と逆さまに、人間の罪をも自分で引き受けて磔にあうためこの世に神様から送られたからです。
神様の言葉を伝え、神様がどれほど私たちを隔たりなく愛してくださっているのかを伝えたのですが、自分の立場を守りたい権力者や神官として崇められたい人たちなどなど自分は偉いと思っている人たちの恨みを買いました。姉歯氏流の「お宅だけがメーカーじゃない」といわれたどころか、一番屈辱的な殺し方で殺してしまえ、と十字架にかけられます。
その時イエス=キリストは、十字架につけた人の罪をも庇って恨むことなく死んでいきました。
私たちは、所詮独りでは生きていけないため、みんなと仲良く助け合って生きていかなければなりません。時には間違いを起こすことがあっても、それを助けてくれる仲間がいます。
大きな間違いをして、それを他人や仲間や家族がなかなか許してくれない、としてもイエス様が許されたように神様はもちろん許してくれます。 でもそれとともに「隣人を愛しなさい」との言葉も私たちに言われました。
なかなか許してもらえなくても、許してもらえるように精一杯の努力をしなさい。それが神様からのメッセージだと思います。
25日のクリスマスにはぜひ教会に足を運んで神様の言葉に耳を傾けてください。
季節柄今日はクリスマスについて記しました。クリスチャンになってとか大それた野望は毛頭持ってはいませんが、「神を愛しなさい、隣人を自分のように愛しなさい」という言葉を胸に抱き、神様に愛されているという希望と安心感を持ってくれたらと思っています。
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欠陥住宅問題が世間を騒がせています。建築士、設計会社、検査会社がお互い罪のなすりあいをしています。昨日も姉歯氏が国会で、威圧を飲み違法設計をしたのは、体調不良の妻のため、と発言をしたそうです。
自分の罪を認めないで、他人のせいにするのはとても悲しく醜いことです。欠陥マンションに住んでいる人(被害者)のことも、仕事を共に築き上げた人のことも、そして家族のことまで、言い訳にして自分を守る姿。彼は何を守ろうとしているのでしょうか?
このあとの人生、みんな敵に廻し、疎遠になって生きていくことを選んでしまったのでしょうか?そこには生きる楽しみはあるのでしょうか?
クリスマスは、イエス=キリストの生まれた日です。二千年経った今も、世界中でうれしい日としてお祝いがされています。
なぜ、イエス=キリストが生まれたことがうれしいのか、といえば、姉歯氏と逆さまに、人間の罪をも自分で引き受けて磔にあうためこの世に神様から送られたからです。
神様の言葉を伝え、神様がどれほど私たちを隔たりなく愛してくださっているのかを伝えたのですが、自分の立場を守りたい権力者や神官として崇められたい人たちなどなど自分は偉いと思っている人たちの恨みを買いました。姉歯氏流の「お宅だけがメーカーじゃない」といわれたどころか、一番屈辱的な殺し方で殺してしまえ、と十字架にかけられます。
その時イエス=キリストは、十字架につけた人の罪をも庇って恨むことなく死んでいきました。
私たちは、所詮独りでは生きていけないため、みんなと仲良く助け合って生きていかなければなりません。時には間違いを起こすことがあっても、それを助けてくれる仲間がいます。
大きな間違いをして、それを他人や仲間や家族がなかなか許してくれない、としてもイエス様が許されたように神様はもちろん許してくれます。 でもそれとともに「隣人を愛しなさい」との言葉も私たちに言われました。
なかなか許してもらえなくても、許してもらえるように精一杯の努力をしなさい。それが神様からのメッセージだと思います。
25日のクリスマスにはぜひ教会に足を運んで神様の言葉に耳を傾けてください。
[ 18:18 ]
[ ▼雑記 ]
クリスマスを前にして、子どもたちへのクリスマスカード、祝会の準備・・・、普段以上に忙しい毎日です。
なかなかコメントを書くに至りません。
お許しを・・・。
なかなかコメントを書くに至りません。
お許しを・・・。
2005/12/13のBlog
[ 23:59 ]
[ ▼雑記 ]
Doblogの機能を有効に活用しようと思います。
例えば勧誘のためのTB(機械は悪意の判断はできませんので一律に)トラックバック元情報をチェックする機能を持たせました。
トラックバックを他のブログから受けた際にトラックバックを送ってきた先をチェックし、トラックバック元に自分のブログのURLが存在するかを調べます。
自分のブログのURLがみつからなかった場合には、トラックバックを拒否し、トラックバック一覧には記載されません。
すみませんが、TBを貼っていただける方、コメント内にTB先(つまり僕のどの記事)にTBを這ったかURLを記載の上お載せ下さいます様お願い致します。
例えば勧誘のためのTB(機械は悪意の判断はできませんので一律に)トラックバック元情報をチェックする機能を持たせました。
トラックバックを他のブログから受けた際にトラックバックを送ってきた先をチェックし、トラックバック元に自分のブログのURLが存在するかを調べます。
自分のブログのURLがみつからなかった場合には、トラックバックを拒否し、トラックバック一覧には記載されません。
すみませんが、TBを貼っていただける方、コメント内にTB先(つまり僕のどの記事)にTBを這ったかURLを記載の上お載せ下さいます様お願い致します。
2005/12/10のBlog
[ 18:37 ]
[ ●社会問題 ]
自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配るため昨年1~2月、東京都立川市の防衛庁官舎に立ち入ったとして住居侵入罪に問われた市民団体メンバー3人の控訴審で、東京高裁は9日、無罪とした1審・東京地裁八王子支部判決(04年12月)を破棄し、罰金10万~20万円の判決を言い渡した。(毎日新聞)
官舎には多数の自衛官が住んでいるので、誰の客なのかどうか分からないので立ち入ることをすべて拒否はできません。そうした中、主義主張を持ったビラ配り、そして商業ベースのビラ配りも入ってきます。ビラどころか営業マンも来ます。
そこで警察が何で彼ら『だけ』を忠告もしないで逮捕したか、が一番の問題だと思います。明らかに意思を持った逮捕である気がします。
過日沖縄では日本山妙法寺の木津博充さんが平和行進中に逮捕されるという弾圧もありました。
法を破ったからとかではなく、政府方針からぶれているからという理由だけでの権力行使に見えてきます。
小泉劇場とマスコミが囃した中での、意見対立者に刺客を送るのと同じで、気に入らないのは逮捕でもなんでもする姿勢には納得できません。ましてや、上記2例は信教の自由を脅かす憲法違反そのものです。
一連の出来事を見聞きして、こんな詩を思い出しました。
ナチが共産主義者を襲ったとき,
自分はやや不安になった.
けれども結局自分は共産主義者ではなかったので
何もしなかった.
それからナチは社会主義者を攻撃した.
自分の不安はやや増大した.
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった.
そこでやはり何もしなかった.
それから学校が,新聞が,ユダヤ教徒が,
というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり,
そのたびに自分の不安は増したが,
なおも何事も行わなかった.
さてそれからナチは教会を攻撃した.
私は教会の人間であった.
そこで自分は何事かをした.
しかし,そのときにはすでに手遅れであった.
マルティン=ニーメラー(神学者)
子どもの遊びの『はじめの一歩』のように、目をつぶって数を数えているとだんだん近づいてきてタッチされてしまう恐怖を感じます。
国立のぞみ教会の牧師を勤める『伝道師のひとり言』さまにTBさせて頂きました。
ジロー’sカフェさまにTBをさせて頂きました。
官舎には多数の自衛官が住んでいるので、誰の客なのかどうか分からないので立ち入ることをすべて拒否はできません。そうした中、主義主張を持ったビラ配り、そして商業ベースのビラ配りも入ってきます。ビラどころか営業マンも来ます。
そこで警察が何で彼ら『だけ』を忠告もしないで逮捕したか、が一番の問題だと思います。明らかに意思を持った逮捕である気がします。
過日沖縄では日本山妙法寺の木津博充さんが平和行進中に逮捕されるという弾圧もありました。
法を破ったからとかではなく、政府方針からぶれているからという理由だけでの権力行使に見えてきます。
小泉劇場とマスコミが囃した中での、意見対立者に刺客を送るのと同じで、気に入らないのは逮捕でもなんでもする姿勢には納得できません。ましてや、上記2例は信教の自由を脅かす憲法違反そのものです。
一連の出来事を見聞きして、こんな詩を思い出しました。
ナチが共産主義者を襲ったとき,
自分はやや不安になった.
けれども結局自分は共産主義者ではなかったので
何もしなかった.
それからナチは社会主義者を攻撃した.
自分の不安はやや増大した.
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった.
そこでやはり何もしなかった.
それから学校が,新聞が,ユダヤ教徒が,
というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり,
そのたびに自分の不安は増したが,
なおも何事も行わなかった.
さてそれからナチは教会を攻撃した.
私は教会の人間であった.
そこで自分は何事かをした.
しかし,そのときにはすでに手遅れであった.
マルティン=ニーメラー(神学者)
子どもの遊びの『はじめの一歩』のように、目をつぶって数を数えているとだんだん近づいてきてタッチされてしまう恐怖を感じます。
国立のぞみ教会の牧師を勤める『伝道師のひとり言』さまにTBさせて頂きました。
ジロー’sカフェさまにTBをさせて頂きました。
2005/12/09のBlog
[ 15:08 ]
[ ★信仰・教会 ]
『九助』を検索して伺ったBlogの持ち主は、実はクリスチャンでした。ヲォ、偶然!と思わず思いましたが、本当に偶然なんだろうか?とそんな気持ちがふつふつ湧き上がります。
読めば読むほど味ある文章、一つあらたに素敵なBlogに出会えました。これは、何かの導きと言うか、ストーリーを感じます。だって日本のクリスチャンは1%程度しかいないのに、全く違うジャンルのお菓子を追いかけたことによって知り合えることはすごいことだと思いませんか。
偶然という言葉で片付けることは難しいことではありません。非常に小さな確立の出来事が降りかかったとき、人智を越えた出来事に遭遇したときに、それを偶然と呼ぶ人は少なくありません。
その際たるものはビッグバン(宇宙の始まり)なのかもしれません。誰も見たこともない出来事、誰も感じることの出来ない出来事、宇宙の前には何も存在しないと言う僕らが認識できない出来事。それが突然にこれも僕らが認識できなく体験の出来ない大きな力がはたらいで宇宙は誕生します。
この瞬間の出来事は偶然だという人は少なくありません。その偶然の積み重ねで人間の誕生があり、『私』の誕生も偶然の産物だと言うのです。
リンクにも貼ってある『象牙の塔』さまのBlogには以下の言葉が記されています。『ペンローズによれば、この物質宇宙をつくる初期の特異点が偶発する確率は10~10~123 分の1と見積もられ、(後略)』
10~123と言うのは10×10×10×・・・10と123回繰り返すことを意味します。1億の1億倍の1000万倍です。つまり10~10~123とは、10×10×・・・10と、1億の1億倍の1000万倍繰り返すことになります。10×10×・・・10と8回繰り返すだけで1億ですから10億回繰り替えすと何と言う桁数になるのかは僕は分かりません。それの1億倍のまた1000万倍だそうです。たぶん打鍵するだけでも僕の一生をかけても出来ない桁数になるでしょう。
それでも宇宙の発生偶発説はいまだ存在します。
もし僕が、このBlogにジグソーパズルの完成写真を載せ、昨日大きな箱の中にピースを全部入れてガラガラ振っていたら全部がつながっちゃって完成したんだ、と言ったら誰もその偶然の出来事は信じてもらえないかもしれません。でも多分その可能性のほうが宇宙の発生より大きいんです。つまり宇宙が偶然に発生できるのなら、ジグソーピースが偶然につながることのほうが簡単にありえるんです。
でも偶然に出来たといっても信じてもらえないのはきっとそのレベルの確立なら頭の中で想像ができるからなのでしょう。宇宙の始まりより想定しやすい問題だからでしょう。人間の範疇で納まる事象だからでしょう。
そしてジグソーが全てピタッと収まる確率たるや余りにも低いので、偶然ではないと言い切るのでしょう。
もしジグソーほど可能性の高いものが偶然でないなら、そうだとしたら、全ての出来事は必然だと思いませんか?
歴史を英語で言うとHISTORYと言うのは中学生でも判るかと思います。これ二つに分けると、Hi(e)-Story、彼の物語と読み取れます。彼の物語の彼とは誰でしょうか?それは宇宙の始まりを作られた方だと思います。人格を与えると胡散臭く感じるのならそのチカラと言い直しましょう。
彼はその壮大な物語に様々な登場人物を与えてくれました。そして今もなおその舞台の演出を続けています。上演されているのは西暦2005年と言う舞台。そこには様々な役柄を与えられた全てのものが一生懸命演じているのです。
出会いはすべてそのストーリーの中です。
与えられた役も全て彼の演出です。そして観客も演じている僕らです。
理不尽な役割が与えられた仲間がいることは確かです。でも、この演出家は、勝手に演出を続けるのでなく、出演者に考える機会を与えてくれます。創作に参加をさせてくれます。アドリブの涙のわけを考える時間を与えてくれたり、喜びを共有するうれしさの表現を与えてくれます。そこに出てくる全てはロボットではなく、人格を持って考える喜びを持った人にしてくれています。
袖触れ合うも他生の縁、新しい出会いはいつもワクワクドキドキさせてくれます。その喜びはまさにゴスペル(福音)なんでしょう。人生の折り返し地点を遠に過ぎたオヤジにしてみれば、ラップとかヒップホップと言うジャンルの音楽は一番縁のない音楽でしたが、この出会いはそういう音楽とのつながりにもなるのかもしれません。
読めば読むほど味ある文章、一つあらたに素敵なBlogに出会えました。これは、何かの導きと言うか、ストーリーを感じます。だって日本のクリスチャンは1%程度しかいないのに、全く違うジャンルのお菓子を追いかけたことによって知り合えることはすごいことだと思いませんか。
偶然という言葉で片付けることは難しいことではありません。非常に小さな確立の出来事が降りかかったとき、人智を越えた出来事に遭遇したときに、それを偶然と呼ぶ人は少なくありません。
その際たるものはビッグバン(宇宙の始まり)なのかもしれません。誰も見たこともない出来事、誰も感じることの出来ない出来事、宇宙の前には何も存在しないと言う僕らが認識できない出来事。それが突然にこれも僕らが認識できなく体験の出来ない大きな力がはたらいで宇宙は誕生します。
この瞬間の出来事は偶然だという人は少なくありません。その偶然の積み重ねで人間の誕生があり、『私』の誕生も偶然の産物だと言うのです。
リンクにも貼ってある『象牙の塔』さまのBlogには以下の言葉が記されています。『ペンローズによれば、この物質宇宙をつくる初期の特異点が偶発する確率は10~10~123 分の1と見積もられ、(後略)』
10~123と言うのは10×10×10×・・・10と123回繰り返すことを意味します。1億の1億倍の1000万倍です。つまり10~10~123とは、10×10×・・・10と、1億の1億倍の1000万倍繰り返すことになります。10×10×・・・10と8回繰り返すだけで1億ですから10億回繰り替えすと何と言う桁数になるのかは僕は分かりません。それの1億倍のまた1000万倍だそうです。たぶん打鍵するだけでも僕の一生をかけても出来ない桁数になるでしょう。
それでも宇宙の発生偶発説はいまだ存在します。
もし僕が、このBlogにジグソーパズルの完成写真を載せ、昨日大きな箱の中にピースを全部入れてガラガラ振っていたら全部がつながっちゃって完成したんだ、と言ったら誰もその偶然の出来事は信じてもらえないかもしれません。でも多分その可能性のほうが宇宙の発生より大きいんです。つまり宇宙が偶然に発生できるのなら、ジグソーピースが偶然につながることのほうが簡単にありえるんです。
でも偶然に出来たといっても信じてもらえないのはきっとそのレベルの確立なら頭の中で想像ができるからなのでしょう。宇宙の始まりより想定しやすい問題だからでしょう。人間の範疇で納まる事象だからでしょう。
そしてジグソーが全てピタッと収まる確率たるや余りにも低いので、偶然ではないと言い切るのでしょう。
もしジグソーほど可能性の高いものが偶然でないなら、そうだとしたら、全ての出来事は必然だと思いませんか?
歴史を英語で言うとHISTORYと言うのは中学生でも判るかと思います。これ二つに分けると、Hi(e)-Story、彼の物語と読み取れます。彼の物語の彼とは誰でしょうか?それは宇宙の始まりを作られた方だと思います。人格を与えると胡散臭く感じるのならそのチカラと言い直しましょう。
彼はその壮大な物語に様々な登場人物を与えてくれました。そして今もなおその舞台の演出を続けています。上演されているのは西暦2005年と言う舞台。そこには様々な役柄を与えられた全てのものが一生懸命演じているのです。
出会いはすべてそのストーリーの中です。
与えられた役も全て彼の演出です。そして観客も演じている僕らです。
理不尽な役割が与えられた仲間がいることは確かです。でも、この演出家は、勝手に演出を続けるのでなく、出演者に考える機会を与えてくれます。創作に参加をさせてくれます。アドリブの涙のわけを考える時間を与えてくれたり、喜びを共有するうれしさの表現を与えてくれます。そこに出てくる全てはロボットではなく、人格を持って考える喜びを持った人にしてくれています。
袖触れ合うも他生の縁、新しい出会いはいつもワクワクドキドキさせてくれます。その喜びはまさにゴスペル(福音)なんでしょう。人生の折り返し地点を遠に過ぎたオヤジにしてみれば、ラップとかヒップホップと言うジャンルの音楽は一番縁のない音楽でしたが、この出会いはそういう音楽とのつながりにもなるのかもしれません。
[ 12:07 ]
[ ▼雑記 ]
会社でお茶菓子として『九助』と言うお菓子をもらいました。
なにげなく、袋に記載されたタグを見ると、原材料名の下に『(注)九助ですから、上記原料の含まれていない時もあります。』との文字・・・。
九助だから、って九助っていったい何もんなのよ!原材料の含まれていない時もあります、って品質がばらばらなの?
そう思うと、高級クッキーの文字すら不安に見えてきます。こんなビニール袋に入った菓子だもんなぁ・・・。
少し不安なので『九助』をBoogleで調べてみました。『九助』だけだと目的のものに辿り着けません。今度は『九助_菓子』でくぐるとありました。どうもこの菓子のことを記したBlogのようです。
早速、お邪魔。するとE Speaksさんも、この一言が気になった様子。よかった、仲間(笑)。安堵して頂きました。高級クッキーの名に恥じず美味しいクッキーでした。
E SpeaksさんのBlogをしっかり読んだところ、どうもこのクッキー、大手の箱入り・缶入りクッキーの下請けか何かでアウトレッドものを袋詰めにしているんじゃないかな?と言う感じです。
なにげなく、袋に記載されたタグを見ると、原材料名の下に『(注)九助ですから、上記原料の含まれていない時もあります。』との文字・・・。
九助だから、って九助っていったい何もんなのよ!原材料の含まれていない時もあります、って品質がばらばらなの?
そう思うと、高級クッキーの文字すら不安に見えてきます。こんなビニール袋に入った菓子だもんなぁ・・・。
少し不安なので『九助』をBoogleで調べてみました。『九助』だけだと目的のものに辿り着けません。今度は『九助_菓子』でくぐるとありました。どうもこの菓子のことを記したBlogのようです。
早速、お邪魔。するとE Speaksさんも、この一言が気になった様子。よかった、仲間(笑)。安堵して頂きました。高級クッキーの名に恥じず美味しいクッキーでした。
E SpeaksさんのBlogをしっかり読んだところ、どうもこのクッキー、大手の箱入り・缶入りクッキーの下請けか何かでアウトレッドものを袋詰めにしているんじゃないかな?と言う感じです。
2005/12/08のBlog
[ 17:27 ]
[ ●社会問題 ]
その年を表す漢字が、公募され毎年年の瀬に清水寺で発表されます。
1995年「震」、1996年「食」、1997年「倒」、1998年「毒」、1999年「末」、2000年「金」、2001年「戦」、2002年「帰」、2003年「虎」、そして2004年は「災」でした。
既に5日には公募の締め切りがなされたそうで、今12日の発表を待つばかりです。
そう、もうあと3週間で今年も終わりなんですねぇ~(シミジミ)
今年一年を振り返る意味もこめて、僕なりの今年の漢字を選んでみました。
この一年の日本全体で思い起こすと、靖国神社問題で中・韓からもう非難を浴びながらも、参拝を続けるといったこと。郵政民営化で解散総選挙をし、小泉チルドレンを配置し自民党の威圧政策が支持されたこと。米軍は英軍と共に幻の武力を求め盲進し、多くの非難の中多くの犠牲者を出したこと。山北町は地権者の全員反対の中にも民間の企業であるELCを誘致しようとして躍起になったこと。沖縄では多くの反対者が抗議している中米軍基地の移動を強行したり、横須賀には核3原則を無視して原子力空母を配置しようとしたり、狂牛病の心配が解決されない中牛肉の輸出を押し付けてるアメリカ。
Take個人や友人の話題を除くと、こんなことが僕のBlogのおもなトピックスでした。
これらを見ると一つの共通点が見えます。それは聞く耳を持たず、猪突猛進した点。威圧して突破しちゃえばいいさ、と言う風潮の強かった年と思えます。
そういう訳で、僕の選んだ今年の漢字は「突」とします。
さて、12日清水寺では何と言う字が選ばれるでしょうか?また、皆さんはどんな字を選ばれますか?
12/10 親父の独り言さまにTBを貼らせて頂きました
1995年「震」、1996年「食」、1997年「倒」、1998年「毒」、1999年「末」、2000年「金」、2001年「戦」、2002年「帰」、2003年「虎」、そして2004年は「災」でした。
既に5日には公募の締め切りがなされたそうで、今12日の発表を待つばかりです。
そう、もうあと3週間で今年も終わりなんですねぇ~(シミジミ)
今年一年を振り返る意味もこめて、僕なりの今年の漢字を選んでみました。
この一年の日本全体で思い起こすと、靖国神社問題で中・韓からもう非難を浴びながらも、参拝を続けるといったこと。郵政民営化で解散総選挙をし、小泉チルドレンを配置し自民党の威圧政策が支持されたこと。米軍は英軍と共に幻の武力を求め盲進し、多くの非難の中多くの犠牲者を出したこと。山北町は地権者の全員反対の中にも民間の企業であるELCを誘致しようとして躍起になったこと。沖縄では多くの反対者が抗議している中米軍基地の移動を強行したり、横須賀には核3原則を無視して原子力空母を配置しようとしたり、狂牛病の心配が解決されない中牛肉の輸出を押し付けてるアメリカ。
Take個人や友人の話題を除くと、こんなことが僕のBlogのおもなトピックスでした。
これらを見ると一つの共通点が見えます。それは聞く耳を持たず、猪突猛進した点。威圧して突破しちゃえばいいさ、と言う風潮の強かった年と思えます。
そういう訳で、僕の選んだ今年の漢字は「突」とします。
さて、12日清水寺では何と言う字が選ばれるでしょうか?また、皆さんはどんな字を選ばれますか?
12/10 親父の独り言さまにTBを貼らせて頂きました
[ 12:42 ]
[ |- ■BayStars ]
1998年の優勝以来、戦力が低下しているのは確かだったように見えます。と共に他球団が生き残りをかけスター選手の獲得に走ったこともあり、ベイスターズの成績は下降の一途をだどり、一昨年、昨年と最下位に甘んじました。
そのなかでも驚異的なパワーで4番を打ったTウッズ選手は数少ない新聞報道に載るスター選手でした。今日の飛距離は何mとその並外れたパワーをマスコミは報道続けました。
しかし、横浜球団は複数年契約をしない、と頑なに言い伝え彼は横浜ベイスターズを去りました。
年が変わり今年はパのボビーマジックに匹敵する、牛島マジックで戦力はほとんど変わらない中で大方の予想を覆し堂々の3位の成績を収めました。
そこには一人、スター選手がいました。日本球界最速オトコの異名をとる160km/h投手のクルーン選手です。
シーズンが終わり、彼のビジネス的要求の一つに、複数年契約があり、会社は慰留を最優先して彼と2年契約を結びます。
面白くないのは他の選手。「なぜ、彼だけ特例措置をするのか?」と契約は荒れていると聞いています。
僕は彼の複数年契約はいいと思っています。外国人選手は、後の保証がないのは日本人以上であるからです。成績が悪くても、負傷をしても日本人選手はクビになることはありませんが、外国人選手は即路頭に迷うからです。その分、複数年と言うオプションがあってもいいと思います。
堂々とそう日本人の選手に説明をしてから、シーズンインすべきだったのでしょう。シーズンオフ、このようにしこりを残さないためにも・・・。
もう一点、なら何故ウッズのときにそうしなかったのか?球団の姿勢の甘さが目に付きます。今年4番に彼が座ったなら打撃の層がもっと厚くなり優勝に絡めたかもしれない。それをみすみす逃したのは球団の頑なで画一的な姿勢だったような気がします。
近々にフジサンケイグループはヤクルトか横浜のどちらか株を売却すると発表しました。多分横浜株を欲しがっているUSEN社が筆頭株主になると思います。
若い会社、若い社長、若い発想で、成績と共に新聞を賑わす破天荒なヒーローたちを誕生させてくださるように願います。
勝つことにより集客力は上がります。でもそれだけではありません。日本ハムを引き合いに出すまでもなく、ヒーローの居るチームは目に付きやすいものです。
そんなチームを目指してくれるといいですね。
そのなかでも驚異的なパワーで4番を打ったTウッズ選手は数少ない新聞報道に載るスター選手でした。今日の飛距離は何mとその並外れたパワーをマスコミは報道続けました。
しかし、横浜球団は複数年契約をしない、と頑なに言い伝え彼は横浜ベイスターズを去りました。
年が変わり今年はパのボビーマジックに匹敵する、牛島マジックで戦力はほとんど変わらない中で大方の予想を覆し堂々の3位の成績を収めました。
そこには一人、スター選手がいました。日本球界最速オトコの異名をとる160km/h投手のクルーン選手です。
シーズンが終わり、彼のビジネス的要求の一つに、複数年契約があり、会社は慰留を最優先して彼と2年契約を結びます。
面白くないのは他の選手。「なぜ、彼だけ特例措置をするのか?」と契約は荒れていると聞いています。
僕は彼の複数年契約はいいと思っています。外国人選手は、後の保証がないのは日本人以上であるからです。成績が悪くても、負傷をしても日本人選手はクビになることはありませんが、外国人選手は即路頭に迷うからです。その分、複数年と言うオプションがあってもいいと思います。
堂々とそう日本人の選手に説明をしてから、シーズンインすべきだったのでしょう。シーズンオフ、このようにしこりを残さないためにも・・・。
もう一点、なら何故ウッズのときにそうしなかったのか?球団の姿勢の甘さが目に付きます。今年4番に彼が座ったなら打撃の層がもっと厚くなり優勝に絡めたかもしれない。それをみすみす逃したのは球団の頑なで画一的な姿勢だったような気がします。
近々にフジサンケイグループはヤクルトか横浜のどちらか株を売却すると発表しました。多分横浜株を欲しがっているUSEN社が筆頭株主になると思います。
若い会社、若い社長、若い発想で、成績と共に新聞を賑わす破天荒なヒーローたちを誕生させてくださるように願います。
勝つことにより集客力は上がります。でもそれだけではありません。日本ハムを引き合いに出すまでもなく、ヒーローの居るチームは目に付きやすいものです。
そんなチームを目指してくれるといいですね。
2005/12/07のBlog
[ 23:08 ]
[ |- ●平和・国際問題 ]
創刊準備号の発行を済ませ、いよいよPeaceCafeあしがらを定期発行していきます。
PeaceCafeの名前どおり、みなで協力して作業する際にも、会議をする時にも、お茶をしながら、人と人とのつながりを大切にしながら、まったりとしながら、やっていこうと思っています。
日本キリスト教団小田原教会は、市街地にあります。駐車場も20台程度でしたら優に停められます。台所設備もOA設備もあります。そんなことでこのPeaceCafeの定例会を小田原教会でやりませんか?とお申し出をしたところ皆さん賛同してくださいました。
Peaceな運動の拠点として教会が使われることは、とてもうれしいことです。
このBlogでも、トップコメントの今後のスケジュールの中で定例会をご紹介していきますので、お気軽にご参加ください。
さて今日Blog仲間のナイ隊さんのところに「9条を守ろう!ブロガーズリンク」というのがありましたので、さっそくTBを貼らせていただきます。
以前にも書きましたがPeaceであることは、何も9条だけではない、というのが僕の持論でもあり、この仲間の総意です。
ですから、この足柄という一地方で始まるこの小さな運動体の発行する通信には、廃棄物のことも野宿を余儀なくしている人のこともみんな載せてもらうつもりです。
だれもが幸せに生活をしたいという当たり前の希望がかなうようにお互い協力できるように・・・。
そういう意味では、このコメントのTB 先は前文なのでしょうか。
ブロガー同士の交流もはかれたらいいですね。
ちなみに9条を守ろう!ブロガーズリンクのSiteはこちらです!
興味深く素敵なBlogがこのリングにはたくさんあります。
その中のいくつかをご紹介します。
2005/12/15 大学の真相 海外で考える さま
I want to be the minority さま
PeaceCafeの名前どおり、みなで協力して作業する際にも、会議をする時にも、お茶をしながら、人と人とのつながりを大切にしながら、まったりとしながら、やっていこうと思っています。
日本キリスト教団小田原教会は、市街地にあります。駐車場も20台程度でしたら優に停められます。台所設備もOA設備もあります。そんなことでこのPeaceCafeの定例会を小田原教会でやりませんか?とお申し出をしたところ皆さん賛同してくださいました。
Peaceな運動の拠点として教会が使われることは、とてもうれしいことです。
このBlogでも、トップコメントの今後のスケジュールの中で定例会をご紹介していきますので、お気軽にご参加ください。
さて今日Blog仲間のナイ隊さんのところに「9条を守ろう!ブロガーズリンク」というのがありましたので、さっそくTBを貼らせていただきます。
以前にも書きましたがPeaceであることは、何も9条だけではない、というのが僕の持論でもあり、この仲間の総意です。
ですから、この足柄という一地方で始まるこの小さな運動体の発行する通信には、廃棄物のことも野宿を余儀なくしている人のこともみんな載せてもらうつもりです。
だれもが幸せに生活をしたいという当たり前の希望がかなうようにお互い協力できるように・・・。
そういう意味では、このコメントのTB 先は前文なのでしょうか。
ブロガー同士の交流もはかれたらいいですね。
ちなみに9条を守ろう!ブロガーズリンクのSiteはこちらです!
興味深く素敵なBlogがこのリングにはたくさんあります。
その中のいくつかをご紹介します。
2005/12/15 大学の真相 海外で考える さま
I want to be the minority さま
2005/12/06のBlog
[ 12:33 ]
[ |- ●野宿者(ホームレス)問題 ]
週明け(僕らクリスチャンは日曜から週が始まると考えていますので・・・)から日本中は寒波に襲われています。
僕の地元も富士山はもちろん真っ白になりましたし、標高の少し高い箱根でも雪が積もったそうです。我が家は部屋の中に居ても寒かったです(って、僕が寒がりなだけ?)
急に寒くなると気がかりなのは、野宿生活を余儀無くされている方々。特に80歳近くの高齢の方が小田原には生活をされています。
小田原交流パトを始めた頃からお会いしている方ですが、さすがに高齢で最近は体力的に衰えが目立つために、小田原市福祉総務課に相談したところ、生活扶助の手続きに入りましょう、との回答をいただけました。
うまくいったら正月はアパートには入れるかもしれない、と言う直前にこうした天候。
どうぞお体を壊しませんようにと祈ります。
さて、そんな悪天候ですので12月4日の越冬炊き出しには29名の方に食事を提供することが出来ました。例年なら12月の1週目は人数は多くありません。おまけに雨も降っていましたので、みんな来てくれないかな、と思ったら意に反して大勢の方が来てくれました。
これは、僕らの越冬炊き出しの時期以外は、やはりクリスチャンのS姉が個人で8ヶ月間同じ場所でカレーを配食しているからだと思います。
僕らは3つの教会が力を合わせてやっと4ヶ月間続けているのに、個人で8ヶ月間していることにはただただ頭が下がります。しかし、区切れなく日曜日には城址公園に行けば食事がとれる、と言う認識が3年目になり広まったことで、メンバーの変わった12月にも変わらず集まってきてくれるのだと思います。姉の活動に感謝すると共に、一人の餓死者凍死者を出さずに春を迎えられるようにと活動を開始します。
僕の地元も富士山はもちろん真っ白になりましたし、標高の少し高い箱根でも雪が積もったそうです。我が家は部屋の中に居ても寒かったです(って、僕が寒がりなだけ?)
急に寒くなると気がかりなのは、野宿生活を余儀無くされている方々。特に80歳近くの高齢の方が小田原には生活をされています。
小田原交流パトを始めた頃からお会いしている方ですが、さすがに高齢で最近は体力的に衰えが目立つために、小田原市福祉総務課に相談したところ、生活扶助の手続きに入りましょう、との回答をいただけました。
うまくいったら正月はアパートには入れるかもしれない、と言う直前にこうした天候。
どうぞお体を壊しませんようにと祈ります。
さて、そんな悪天候ですので12月4日の越冬炊き出しには29名の方に食事を提供することが出来ました。例年なら12月の1週目は人数は多くありません。おまけに雨も降っていましたので、みんな来てくれないかな、と思ったら意に反して大勢の方が来てくれました。
これは、僕らの越冬炊き出しの時期以外は、やはりクリスチャンのS姉が個人で8ヶ月間同じ場所でカレーを配食しているからだと思います。
僕らは3つの教会が力を合わせてやっと4ヶ月間続けているのに、個人で8ヶ月間していることにはただただ頭が下がります。しかし、区切れなく日曜日には城址公園に行けば食事がとれる、と言う認識が3年目になり広まったことで、メンバーの変わった12月にも変わらず集まってきてくれるのだと思います。姉の活動に感謝すると共に、一人の餓死者凍死者を出さずに春を迎えられるようにと活動を開始します。
2005/12/05のBlog
[ 18:45 ]
[ |- ★礼拝説教を聴いて ]
アドベント第2主日の朝(あした)、僕たちはマルコによる福音書7章1節から13節のみ言葉を聴き、そして高橋牧師より『旧約における神の言』と題した説教を受けました。
ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――
そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」
イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。
モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。
こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
自己主義・・・、人は多かれ少なかれ自分が可愛く、自分のために生きているところがあります。自分の幸せを追求しています。自分の幸せがある程度満足すると自分の家族や友人、など親しい人の幸せを求めます。
そしてそれができないと神をも恨みます。
そこには神より人、人より自分、という図式が出来上がります。
このところ小学生が続いて殺戮の目にあいました。人の命を無視するほど重い行為はないわけですが、それにしても、あまりにも短絡で自分勝手な行為で命が失われていることにショックを受けます。
が、同時に自分はどうなのか?と省みます。もちろん、人を殺めた事はありませんが、周囲の人にどう接したかといえば、自己弁明を自分自身でしながら、自分の行為を正当化しながら、相手に同意をさせたり、自分の意に沿った行為を通したことも多々あります。「50歩100歩」といえば、それは少し言い過ぎではないか、と自己弁明をしますが、でも自己主義という意味においては同じベクトルの行為なんですよね。
殺戮をした人より自分は少し冷静だっただけなのかもしれませんし、何よりも周囲の人が寛容だから喧嘩にならなかったこともあるとおもいます。しかしその場においてはそれすら気がつかない毎日なんです。
『むなしく神をあがめている』イエスはそう言いました。さまざまな場面で祈ることは多いです。感謝や願いとともに、とりなしを祈ります。でもその祈りと日々の行為の間に差があるのなら、その祈りは偽者なのかもしれません。
自己弁明という『コルバン』を語らないように、行わないように、と思っても所詮、無理はありますが、少しでもイエス様のみ後をついて行けるようにと思います。
小田原教会における高橋牧師の説教は、リンク集の小田原教会の中に入っています。
ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――
そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」
イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。
モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。
こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
自己主義・・・、人は多かれ少なかれ自分が可愛く、自分のために生きているところがあります。自分の幸せを追求しています。自分の幸せがある程度満足すると自分の家族や友人、など親しい人の幸せを求めます。
そしてそれができないと神をも恨みます。
そこには神より人、人より自分、という図式が出来上がります。
このところ小学生が続いて殺戮の目にあいました。人の命を無視するほど重い行為はないわけですが、それにしても、あまりにも短絡で自分勝手な行為で命が失われていることにショックを受けます。
が、同時に自分はどうなのか?と省みます。もちろん、人を殺めた事はありませんが、周囲の人にどう接したかといえば、自己弁明を自分自身でしながら、自分の行為を正当化しながら、相手に同意をさせたり、自分の意に沿った行為を通したことも多々あります。「50歩100歩」といえば、それは少し言い過ぎではないか、と自己弁明をしますが、でも自己主義という意味においては同じベクトルの行為なんですよね。
殺戮をした人より自分は少し冷静だっただけなのかもしれませんし、何よりも周囲の人が寛容だから喧嘩にならなかったこともあるとおもいます。しかしその場においてはそれすら気がつかない毎日なんです。
『むなしく神をあがめている』イエスはそう言いました。さまざまな場面で祈ることは多いです。感謝や願いとともに、とりなしを祈ります。でもその祈りと日々の行為の間に差があるのなら、その祈りは偽者なのかもしれません。
自己弁明という『コルバン』を語らないように、行わないように、と思っても所詮、無理はありますが、少しでもイエス様のみ後をついて行けるようにと思います。
小田原教会における高橋牧師の説教は、リンク集の小田原教会の中に入っています。