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LOGOS-喜びを分かち合い、悲しみをともにするために-
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2005/12/23のBlog
[ 17:28 ] [ ●社会問題 ]
今日のasahi.netのニュースで
 明治以降、人口が増え続けてきた日本社会が、大きな転換点を迎えた。厚生労働省の推計で05年に生まれた子どもの数が死亡者数を1万人下回り、政府の推計より1年早く人口の自然減が始まった。子どもが生まれにくくなったのは、将来への不安や経済的な負担などが理由だ。だが、30年前から、日本がいずれ少子化によって人口維持ができなくなることは分かっていた。それなのになぜ効果的な対応が打ち出せなかったのだろう。(後略)と伝えられている。
過日、子どものいないことで辛い思いをされた話がまだ頭の中に残っていたからかもしれないけれどとても気になるニュースです。

このニュースの報告では

年度 人口(1.34)
2000 1億2700万人
2006 1億2774万人 人口ピーク
2050 1億 922万人
2100 4282万人
2200 993万人
2300 230万人
2400 55万人
2830 0.1万人
3300 0人
厚労省の国立社会保障・人口問題研究所

を上回る早さであると記載されています。そして同記の幾人かの人へのアンケート報告を聞いて色々と感じさせられました。

まずは環境面・食品面の監視強化。内分泌かく乱物質が体内のホルモンへのアタックで生殖機能が落ちていることは、主たる理由かどうかは別として確かなことです。が、政府や関係省庁は取締りには消極的です。
それはプラスチックを使わない生活にすれば多くの企業が破綻をするからでしょう。農薬を使用しない若しくは低農薬での農法にも消極的です。
また、平飼いの鶏を規制しても、狂牛病の牛はOKという圧力に屈しやすい姿勢も見せています。各地の処分場周辺、そして大きな工場の周辺で起こった公害訴訟には積極的には動きません。
国民の健康については、経済より後回しの政策です。体内のホルモンバランスが崩れているのは、精子数の低下、精子の生存時間の低下でもわかります。

続いて生活負担を共用している点もあるのでしょう。国立社会保障・人口問題研究所によると「子育てや教育にお金がかかりすぎる」「育児の心理的・肉体的負担に耐えられない」などのために、子どもの数を減らそうと考えている方も多いと報告されています。

しかし、僕は故意に子どもを作らない家庭の大きな理由に、asahi.netの記者も言われている通り、未来に希望がない点があるのではないかと思います。上記2点の問題はもとより、いつ徴兵されるかもわからなくなること、罪もない子どもたちが殺されたり、過労死や単身赴任など、家庭が本来の家庭の役割を果たしていなく、不安が助長されている点。
経済大国になり、その地位を確保するために子どものうちから競争社会に加わらせる点。
ディズニーランドに代表されるように、お金を出せば楽しませてくれる施設は豊富にあっても、学校帰りに友達と凧揚げを出来る場所はなくなりました。
そうした中、将来に不安を持つ方々が子どもを生みたいと思わないとしたら、それは単なる個人の主義主張ではなく、国家の政策の不備であったと言われても致し方ないでしょう。希望を持てない国にしてしまった国の責務は重たいと思います。

人口のピークを一年早く迎えました。夫婦2人で子どもを生むことを考え、またその子どもが成人になるとも、結婚するとも、子どもを生むとも必ずしも確かではない以上1.29と言う出生率は次の世代には半分の人数になっていくでしょう。しかも生殖機能が女性に比べ弱い男性の出生率は著しく低下しています。

本気で日本が人口減少を気にするのなら、不安要素より希望要素の方が遥かに多い国づくりに政府が真摯に取り組むべきではないでしょうか。
人間性のリバイバルを中心に政策をおき、貧しくても良いからゆっくり精神的に豊かな国家になるようにしてもらいたいものです。

蝶野さんのBlogにTBしました
[ 12:24 ] [ ▼雑記 ]
会社の話題ついでに。
僕にとっては3つ目の会社なんですが、結構居心地はいいです。そんな会社(社長)のエピソードをいくつか。

1.ミッションネーム『4つ葉のクローバーを探せ』
うちの会社はいわゆる第1次産業系の会社。そんなこともあり入社直後のある日こんな電話がありました。
曰く、自分の娘が入院している。出来ることは何でもしてあげようと思って手を尽くしているのだがなかなかよくならない。藁をもすがるつもりで4つ葉のクローバーを探しているのだが、どこにも売っていない。ついては当社で入手して欲しい。
ご存知のように4つ葉のクローバーなどと言うものは突然変異体な物で、市販されているもではありません。しかし社長は、そのような事情ならと仕事を一時中断させ近所の大きな公園に僕らを連れて行きました。4つ葉のクローバーを探せ、と。
物事真剣になると以外に見つかるもので、1時間ほどの作業で10株(根ごとソォッと抜き取り)収穫。喜んで持っていってもらいました。

2.『どっちが大事なんだ』
20世紀の最後のころ、産業廃棄物の処分場問題で大きな騒動になりました。当社は事務局を引き受け、毎晩のように事務所を開放し、OA機器を使わせ対応していました。事態は許認可を既にとってしまった業者に有利に進んでいましたが、その申請書の根幹に過ちがあることが発覚。僕らは県行政の施設駐車場で座り込み行動をしました。その際に43日間連続で会社には出勤せずも出勤扱いにして頂きました。もちろん僕の仕事は他の従業員さんや社長の家族がみな手分けをして粛々とこなしてくれました。さすがに僕でも申し訳なく感じ、その後の平日昼間の出社時間は遠慮しがちになりました。
が、県の施設や交渉ごとの現場、弁護士との相談などはどうしても昼間に行かなくてはいけないことも多く、少し躊躇しながら、○○について行こうかどうしようか迷っている旨を話したところ、言われたのが『どっちが大事なんだ』
余りにも仕事をしなさ過ぎることにさすがの社長も腹に据えかねたかと首をすくめたところ、地元に根ざして生きていかなければならない会社が、地元のことで動かないでどうする、と尻を叩かれたのでした。その後も地域上げての運動に参加をさせてもらいました。

3.三方一両損
近所で家庭問題などがあると比較的うちの社長に相談にやってきます。あるとき、収入減で家を手放さなければならない方が相談に来ました。聞けば農家の方で、農地のまま転用をしないで家を建ててしまったので他には売れない。社長なら農家なので農地でも買ってもらえると思い相談に来た、とのこと。
先方の言い値は○○万円。そして支払額は▲▲万円。もちろん○○+αの金額です。社長の言い分は、まともな土地だったら○○万円どころではない。
うちは農家でもあるから、また何かの形で使用できるし大変なご様子を見過ごすのは気持ちのいいことではないので少し余分に包んでおいた、とのこと。(総務をしているので金額もわかりますが、ヲォそんなに、と言う金額です)
実はこの建物、うちの教会を通じて小田原で平和公演をしたいといってこられた劇団の宿舎になったり、平和行進の宿泊施設になったりと大活躍。
そういう使用をされるたびに社長はうれしそうに『(社会貢献の縁の下の力持ちになれるので購入して)やっぱり正解だった』といいます。

思い悩むな!さんにTBさせてもらいました
[ 09:46 ] [ ▼雑記 ]
会社の年賀状をやっと今書き終えました。ホカホカの話題です。
わが社は社長の方針で、裏面は市販の年賀状データ集から素材を取り出してインクジェットプリンターで作成するものの、宛名ぐらいは手書きですべきだと、こつこつと400枚の宛名書きをしたわけです。
それが終わりました。PCを使用することが多くなり、ペンを使用する機会が激減した昨今、筆ペンながらも筆を使う機会はいい機会なのかもしれません。

2005/12/21のBlog
[ 10:08 ] [ ★信仰・教会 ]
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、 旅の途中、そこに来合わせ、 彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、 ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、 介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、 宿屋の主人に渡して 言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」
するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
 ルカ10:30(後半)-37

この聖書の言葉は、「隣人愛」を解り易く説明した箇所でもあり、また実は倒れている『ある人』は社会の様々な現象の中でもがいている私(自分自信)でサマリア人はイエスのことである、と言う2つ以上の側面から僕らに人生の指針や神の愛を教えてくれている言葉です。
特に前者の解釈として、好きな聖書の箇所といわれる人が多い場所でもあります。若いときこの言葉を聞いて海外協力隊に入った方やそれこそ小さな小学生などには隣人に出来ることとしてお年寄りに席を譲ることなどの実践と合わせて使われます。僕らの目はどうしても『人』対『人』としてこの聖書の箇所を解釈するように思ってしまっていました(って、僕だけかな?)
もう一点考えなければいけないのは、当時ユダヤの人たちの考えでは怪我人(血)は穢(けが)れたもので、それに聖職者は触ってはいけない。つまり介抱は自分の地位や働き場所の放棄であるということです。彼らには彼らなりの理がないわけではないのです。

さて、ここ数日2人のBlogで弱っている鳥を保護された話を聞きました。一羽は残念な結果に終わりましたが、いずれも多分弱っている鳥たちの横をいくばくかの人はただ通り過ぎたと思います。曰く面倒くさい。曰く時間がない。曰く医者に連れて行くお金がない。曰く・・・。
でも2人の人は「曰く」がありませんでした。多分純粋な気持ちで、弱っている動物を見逃すわけにはいかなかったんだと思います。
その優しさはBlogと言う文字を通じて僕にも充分伝わるものでした。いい話だというレベルで終わらず、そのうちこの聖書の箇所が頭の中に響いてきました。

なにも『人』だけではないんですね。見ず知らずの鳥を連れ帰って、介抱するのも、医者に連れて行くのも、全て自腹。何よりも多くの時間を費やさなければならない。その2人の行いは、周囲を見ようとしないで『倒れている人などいない』と思い込もうとしている自分自身を大いに反省させるものでした。

『行ってそのようにしなさい』再度身に染みました。

女将の一言 さま 
M家のゆかいな仲間たち さま 
Piece of cake! さま
[ 01:39 ] [ |- ●平和・国際問題 ]
エチオピア・・・、知っているのは東京オリンピックのマラソン選手アベベ氏の事ぐらい・・・。
そんな国に寿での野宿を余儀なくしている人への働きを通じて知ったはーちゃんが、日本国際飢餓対策機構のスタッフとして派遣されます。
ささやかながらも献金を送らせて頂こうと資料を取り寄せました。「飢餓対策ニュース」には、そのエチオピア・サシガ農村自立開発についての記事が載っていました。
94%の住民がきれいな(安全な)水が飲めないという現実。そのために多くの子どもたちが病気や飢餓でなくなってしまう現実。20mほど掘れば比較的井戸が作りやすくも、それすらできない現実。
そうしたいくつもの現実に直面した上で、祈り、住民とともに井戸を作ろうという費用は30万円だそうです。
ホワイトバンドが昨年はやりました。1本300円、しかしそこで集まったお金の動きに疑問視する人も多かったです。関心を持ってもらうだけで、だんだん流行り廃りで、その感心すらなくなってしまう恐怖を僕は持ちます。
しかし、同額の献金が1000人から集まれば、少なくともこのエチオピアの600人程度は安全な水を常時飲むことができます。
ファッショナブルな腕輪はないかもしれません。
でも現実に命を救う行動に参加できることは確かです。

詳しくは、同機構のWebSite をご覧ください。

また、現地からの報告は定期的に来るとの記載がありました。どうぞ、はるか遠くのアフリカの地を思い起こしながら、共に祈って、そしてわずかずつでも支えればいいな、と思っています。報告があった暁には、このBlogで皆さんと共有したいと思います。
2005/12/19のBlog
[ 23:37 ] [ |- ●PeaceCafe ]
Peaceな宵に20人もの方が小田原教会に集合しました。
第1回PeaceCafe です。
顔なじみの方も多いのですが、お初にお会いする方もまた多く、逆に始めて「教会」なる場所に足を踏み入れ少し緊張のお顔も・・・。
それでもおいしいコーヒーを飲みながら会話が始まればそこは同じ志の仲間。年齢差70を感じさせない(もっとも最小年齢はお母さんの周囲で座を盛り上げるお役目でしたが)活発な議論が交わされました。

自分自身は少しおしゃべりが過ぎたところもあったかと反省するところもありましたが、根がそういう性分なのでご理解を頂くとして、ステキな夜を過ごせたことに感謝です。
次回からは毎月17日に開催します。
あしがら平野にお住まいの方でPeaceな夜をともに語ろうと思わん方はぜひどうぞ!

また、PeaceCafeのフリーペーパーは、日本キリスト教団小田原教会、小田原カトリック教会、聖公会小田原教会、ルーテル小田原教会、OCC(小田原クリスチャンセンター)にございます。
2005/12/18のBlog
[ 23:16 ] [ ▲Fellowship ]
OCCのクリスマスパーティーとC夫妻の送別会があったので参加しました。
OCCの短期宣教師のスタッフは2年間をめどに日本に来て英会話教室の教師をしながら、その地においてのさまざまな活動に参加します。
歴々の方も本当に純粋な信仰心で心細くともFarEastの地において自身から小田原交流パトロールに飛び込んできてくださり、一緒に野宿者のところを回りました。Cさんも例外ではありませんでした。
当初はたどたどしい日本語ながらも、一生懸命語り合ううち、ご本人の語学力のアップと、野宿者のCさんへの信頼で聖書の学びを始める人もでました。
(もちろんこの活動はキリスト教の宣教活動ではありませんので、聖書の話をこちらからすることはありません。Cさんの日々の活動を見て、その人柄からキリスト教に興味をもたれたのです)
別れはつらいですが、Cさんご夫妻も、また以前に同じようにパトメンバーだったアラスカ州のEさんも小田原交流パト創立期のメンバーだったH師も小田原をこよなく愛してくださり、できれば日本に、できれば小田原に戻りたいといってくださったことはとてもうれしいことです。神様の御心でしたらいつの日かまた日本で再会できると思っています。
久々にH師と教会のこと、信仰のこと、さまざまな話をすることができました。いい指導者のとおしゃべりは心を豊かに弾ませます。とてもうれしい主日でした。感謝。
2005/12/17のBlog
[ 12:44 ] [ ▼雑記 ]
近隣の本屋がなくなるそうです。いわゆる郊外型の駐車場も広い本屋なんですが、寄る年並みには勝てないのかも知れません。
いくつか理由は考えられます。そこはポツンと本屋だけしかないこと=少し離れたところには大型ショッピングデパートがあり、その中には複数軒本屋が入っています。
もう一点は、通販の発達=いわゆるアマゾンを代表する無店舗本屋からの購入があると思います。かくいう僕もこのアマゾンからの購入が一番多くなってしまっています。
一時少し活字から離れたものの、最近は月5冊は読んでいるのかもしれないのは、○○円以上だと送料無料の文字のせい? いえいえそれだけではなくBlogを廻ると、本の寸評が書いてあるからかもしれません。皆さん読書への誘惑を醸し出しているんです、お上手に(笑)。ジャンルも昔に比べて若干広がりを見せてきました。

エンゲル係数ならぬ通販係数は各家庭どんどん上昇するにしたがって、街の中身も様変わりして殺風景になってしまうのかもしれません。
活気があり、明るく文化的な町並みにするためには、住民自身も便利ばかり追求してはいけないのかもしれませんね。
2005/12/16のBlog
[ 22:51 ] [ ●社会問題 ]
Blog仲間の蝶野さんがいつになく憤っていた。読めば僕も怒髪天にのぼるような話。
まぁ、一度ご本人(白鷺さん)のBlogを読んでみてください。

我が家も子どもは授かりませんでした。それはそれで別に運が悪いとも思いませんし、そういう夫婦もいてもいいと思っていますし、この年になると残念とかという気持ちもほとんどありません。子どもがいるいないで他人の家庭と比較するほうがナンセンスだと僕は思っています。
いれば子ども中心の家庭になったかもしれませんが、いなければ夫婦中心の生活になり、実の子どもがいない分だけ周囲の子どもが可愛く見え、いま少しだけですが教会のJC(昔の日曜学校とか教会学校)というパートで奉仕をしています。教会は教会と言う社会全体で週一度の子育てをしているような一面があるのです。

無神経に発言をする人は世にも多く、テーマが違えば僕も無神経な発言をして他人を傷つけてしまったことがあるのかもしれません。
ほどほどに親しい人、数人との会話の中で、子どものいないことに触れ、「なぜなの?」という興味だけの質問を浴びせられたこともあります。「あんたに話しても何の解決にもならない。」とうざく思いながらも、まぁ喧嘩してもしょうがないと流したこともあります。
また、連れ合いががんにかかり、同様の病気で闘病生活の人のBlogを見ても、治療に対して否定的なこといわれて凹んだ、などの記載を読んだこともあります。
でも、これらのことは、避けて通れば通れる事です。失言者とそれを受けた人間の立場は平等です。怒るもよし、無視するもよし、傷ついたと泣くもよし、平等だから対応も自分なりにできます。(だからといって何を言ってもいいとは僕も思っていませんが)

しかし白鷺さんの場合は違います。面接という立場を考えなければいけません。
この面接官は明らかにハラスメント行為をしています。答えなければならない立場に追い込んでいます。違法行為です。

蝶野氏がRESコメントで訴えるべきだ、といっていますが、僕も同じ気持ちです。
人の気持ちが分からないような、理解をしようとしないような、悲しみや痛みを想像できないような会社がまだ存在していることに大きな失望感を抱きました。
[ 11:24 ] [ |- ■BayStars ]
仰木監督の訃報がインターネットに載っています。肺ガンだったとか・・・、またガンによる死亡記事かと愕然とすると共に、走りぬいた彼の人生に敬意を表します。

2軍に燻ぶっていたイチローを育て世界一の選手に開花させたのも、野茂を日本人初の大リーガーとして育て上げたのも、氏の功績であるでしょうし、仰木マジックは三原監督の再来のように見事決まり相手を惑わし、柔よく剛を制す、まさにジャパニーズベースボールここにあり、といった感じだったことを思い起こします。

ただ仰木オリックスの一番の印象は、肩に入れた『頑張れ!神戸』のワッペンでした。地元に根付いて何ぼのプロ野球、冠に企業名を入れない横浜と共に好感を持ちました。

一世代を築き上げた方がまた一人神様の御許に戻られたのは悲しいことですが、燃え尽きるまで走りきった仰木さん。どうぞ天国で酒を飲みながらプロ野球観戦をしてください。
2005/12/15のBlog
[ 18:19 ] [ |- ●野宿者(ホームレス)問題 ]
で、今日は野宿者支援のため、各「家」を訪問します。そのときに何時も「パト(ロール)ビラ」を持っていきます。
季節柄今日はクリスマスについて記しました。クリスチャンになってとか大それた野望は毛頭持ってはいませんが、「神を愛しなさい、隣人を自分のように愛しなさい」という言葉を胸に抱き、神様に愛されているという希望と安心感を持ってくれたらと思っています。


*********************************
 欠陥住宅問題が世間を騒がせています。建築士、設計会社、検査会社がお互い罪のなすりあいをしています。昨日も姉歯氏が国会で、威圧を飲み違法設計をしたのは、体調不良の妻のため、と発言をしたそうです。
 自分の罪を認めないで、他人のせいにするのはとても悲しく醜いことです。欠陥マンションに住んでいる人(被害者)のことも、仕事を共に築き上げた人のことも、そして家族のことまで、言い訳にして自分を守る姿。彼は何を守ろうとしているのでしょうか?
このあとの人生、みんな敵に廻し、疎遠になって生きていくことを選んでしまったのでしょうか?そこには生きる楽しみはあるのでしょうか?

クリスマスは、イエス=キリストの生まれた日です。二千年経った今も、世界中でうれしい日としてお祝いがされています。
 なぜ、イエス=キリストが生まれたことがうれしいのか、といえば、姉歯氏と逆さまに、人間の罪をも自分で引き受けて磔にあうためこの世に神様から送られたからです。
神様の言葉を伝え、神様がどれほど私たちを隔たりなく愛してくださっているのかを伝えたのですが、自分の立場を守りたい権力者や神官として崇められたい人たちなどなど自分は偉いと思っている人たちの恨みを買いました。姉歯氏流の「お宅だけがメーカーじゃない」といわれたどころか、一番屈辱的な殺し方で殺してしまえ、と十字架にかけられます。
その時イエス=キリストは、十字架につけた人の罪をも庇って恨むことなく死んでいきました。

 私たちは、所詮独りでは生きていけないため、みんなと仲良く助け合って生きていかなければなりません。時には間違いを起こすことがあっても、それを助けてくれる仲間がいます。
 大きな間違いをして、それを他人や仲間や家族がなかなか許してくれない、としてもイエス様が許されたように神様はもちろん許してくれます。 でもそれとともに「隣人を愛しなさい」との言葉も私たちに言われました。
 なかなか許してもらえなくても、許してもらえるように精一杯の努力をしなさい。それが神様からのメッセージだと思います。
 25日のクリスマスにはぜひ教会に足を運んで神様の言葉に耳を傾けてください。
[ 18:18 ] [ ▼雑記 ]
クリスマスを前にして、子どもたちへのクリスマスカード、祝会の準備・・・、普段以上に忙しい毎日です。
なかなかコメントを書くに至りません。
お許しを・・・。
2005/12/13のBlog
[ 23:59 ] [ ▼雑記 ]
Doblogの機能を有効に活用しようと思います。
例えば勧誘のためのTB(機械は悪意の判断はできませんので一律に)トラックバック元情報をチェックする機能を持たせました。

トラックバックを他のブログから受けた際にトラックバックを送ってきた先をチェックし、トラックバック元に自分のブログのURLが存在するかを調べます。
自分のブログのURLがみつからなかった場合には、トラックバックを拒否し、トラックバック一覧には記載されません。

すみませんが、TBを貼っていただける方、コメント内にTB先(つまり僕のどの記事)にTBを這ったかURLを記載の上お載せ下さいます様お願い致します。
2005/12/10のBlog
[ 18:37 ] [ ●社会問題 ]
自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配るため昨年1~2月、東京都立川市の防衛庁官舎に立ち入ったとして住居侵入罪に問われた市民団体メンバー3人の控訴審で、東京高裁は9日、無罪とした1審・東京地裁八王子支部判決(04年12月)を破棄し、罰金10万~20万円の判決を言い渡した。(毎日新聞)

官舎には多数の自衛官が住んでいるので、誰の客なのかどうか分からないので立ち入ることをすべて拒否はできません。そうした中、主義主張を持ったビラ配り、そして商業ベースのビラ配りも入ってきます。ビラどころか営業マンも来ます。

そこで警察が何で彼ら『だけ』を忠告もしないで逮捕したか、が一番の問題だと思います。明らかに意思を持った逮捕である気がします。
過日沖縄では日本山妙法寺の木津博充さんが平和行進中に逮捕されるという弾圧もありました。
法を破ったからとかではなく、政府方針からぶれているからという理由だけでの権力行使に見えてきます。
小泉劇場とマスコミが囃した中での、意見対立者に刺客を送るのと同じで、気に入らないのは逮捕でもなんでもする姿勢には納得できません。ましてや、上記2例は信教の自由を脅かす憲法違反そのものです。
一連の出来事を見聞きして、こんな詩を思い出しました。

ナチが共産主義者を襲ったとき,
自分はやや不安になった.
けれども結局自分は共産主義者ではなかったので
何もしなかった.
それからナチは社会主義者を攻撃した.
自分の不安はやや増大した.
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった.
そこでやはり何もしなかった.
それから学校が,新聞が,ユダヤ教徒が,
というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり,
そのたびに自分の不安は増したが,
なおも何事も行わなかった.
さてそれからナチは教会を攻撃した.
私は教会の人間であった.
そこで自分は何事かをした.
しかし,そのときにはすでに手遅れであった.

 マルティン=ニーメラー(神学者)

子どもの遊びの『はじめの一歩』のように、目をつぶって数を数えているとだんだん近づいてきてタッチされてしまう恐怖を感じます。

国立のぞみ教会の牧師を勤める『伝道師のひとり言』さまにTBさせて頂きました。
ジロー’sカフェさまにTBをさせて頂きました。
2005/12/09のBlog
[ 15:08 ] [ ★信仰・教会 ]
『九助』を検索して伺ったBlogの持ち主は、実はクリスチャンでした。ヲォ、偶然!と思わず思いましたが、本当に偶然なんだろうか?とそんな気持ちがふつふつ湧き上がります。
読めば読むほど味ある文章、一つあらたに素敵なBlogに出会えました。これは、何かの導きと言うか、ストーリーを感じます。だって日本のクリスチャンは1%程度しかいないのに、全く違うジャンルのお菓子を追いかけたことによって知り合えることはすごいことだと思いませんか。

偶然という言葉で片付けることは難しいことではありません。非常に小さな確立の出来事が降りかかったとき、人智を越えた出来事に遭遇したときに、それを偶然と呼ぶ人は少なくありません。
その際たるものはビッグバン(宇宙の始まり)なのかもしれません。誰も見たこともない出来事、誰も感じることの出来ない出来事、宇宙の前には何も存在しないと言う僕らが認識できない出来事。それが突然にこれも僕らが認識できなく体験の出来ない大きな力がはたらいで宇宙は誕生します。
この瞬間の出来事は偶然だという人は少なくありません。その偶然の積み重ねで人間の誕生があり、『私』の誕生も偶然の産物だと言うのです。
リンクにも貼ってある『象牙の塔』さまのBlogには以下の言葉が記されています。『ペンローズによれば、この物質宇宙をつくる初期の特異点が偶発する確率は10~10~123 分の1と見積もられ、(後略)』
10~123と言うのは10×10×10×・・・10と123回繰り返すことを意味します。1億の1億倍の1000万倍です。つまり10~10~123とは、10×10×・・・10と、1億の1億倍の1000万倍繰り返すことになります。10×10×・・・10と8回繰り返すだけで1億ですから10億回繰り替えすと何と言う桁数になるのかは僕は分かりません。それの1億倍のまた1000万倍だそうです。たぶん打鍵するだけでも僕の一生をかけても出来ない桁数になるでしょう。
それでも宇宙の発生偶発説はいまだ存在します。

もし僕が、このBlogにジグソーパズルの完成写真を載せ、昨日大きな箱の中にピースを全部入れてガラガラ振っていたら全部がつながっちゃって完成したんだ、と言ったら誰もその偶然の出来事は信じてもらえないかもしれません。でも多分その可能性のほうが宇宙の発生より大きいんです。つまり宇宙が偶然に発生できるのなら、ジグソーピースが偶然につながることのほうが簡単にありえるんです。
でも偶然に出来たといっても信じてもらえないのはきっとそのレベルの確立なら頭の中で想像ができるからなのでしょう。宇宙の始まりより想定しやすい問題だからでしょう。人間の範疇で納まる事象だからでしょう。
そしてジグソーが全てピタッと収まる確率たるや余りにも低いので、偶然ではないと言い切るのでしょう。
もしジグソーほど可能性の高いものが偶然でないなら、そうだとしたら、全ての出来事は必然だと思いませんか?

歴史を英語で言うとHISTORYと言うのは中学生でも判るかと思います。これ二つに分けると、Hi(e)-Story、彼の物語と読み取れます。彼の物語の彼とは誰でしょうか?それは宇宙の始まりを作られた方だと思います。人格を与えると胡散臭く感じるのならそのチカラと言い直しましょう。
彼はその壮大な物語に様々な登場人物を与えてくれました。そして今もなおその舞台の演出を続けています。上演されているのは西暦2005年と言う舞台。そこには様々な役柄を与えられた全てのものが一生懸命演じているのです。
出会いはすべてそのストーリーの中です。
与えられた役も全て彼の演出です。そして観客も演じている僕らです。
理不尽な役割が与えられた仲間がいることは確かです。でも、この演出家は、勝手に演出を続けるのでなく、出演者に考える機会を与えてくれます。創作に参加をさせてくれます。アドリブの涙のわけを考える時間を与えてくれたり、喜びを共有するうれしさの表現を与えてくれます。そこに出てくる全てはロボットではなく、人格を持って考える喜びを持った人にしてくれています。

袖触れ合うも他生の縁、新しい出会いはいつもワクワクドキドキさせてくれます。その喜びはまさにゴスペル(福音)なんでしょう。人生の折り返し地点を遠に過ぎたオヤジにしてみれば、ラップとかヒップホップと言うジャンルの音楽は一番縁のない音楽でしたが、この出会いはそういう音楽とのつながりにもなるのかもしれません。