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LOGOS-喜びを分かち合い、悲しみをともにするために-
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2005/12/28のBlog
聞いたことのあるだけだとそのCDはなかなか入手できないものだと思います。
以前からクリスマス時期になると有線などを通じてよくかかっていた曲。女性シンガーがジングルベルと歌っているという情報しかどうしても分からなかったんです。毎年かかっていたので有名な曲なんでしょうけれど・・・。

それが過日スパッツさんにお邪魔した時かかったんです。千載一遇のチャンス。マスターに聞けば、それはバーブラ・ストライサンドさんのJingle・Bell? でした。

そのまま家に帰りアマゾンで注文。今日クリスマスより一足遅いA Christmas Album が届きました。
ちょっとHappy!!
[ 14:43 ] [ |- ●平和・国際問題 ]
マガジン9条 で、憲法9条をどうすべきかのアンケートをしています。

平和とか憲法問題にご興味をもたれている方、是非アンケートに参加してみてください。
なお、このトピックスに対してのRESコメントは、勝手ですがアンケートに準じ選んだ番号と400字までの選んだ理由だけにしてください。
お互いの理由に関してのご意見はNGとさせてもらいます。

ちなみに僕は6番をチョイスしました。
世の中にはまだ自己勝手なことをする人も少なからず居て、その輩に対して不安を持っている日本人も多いので、理想だけで選ぶことには少し抵抗がありました。
ただ、武器・兵器は持てば持つほど、戦闘の最中に入りやすくなります。
持たないことにより回避できる可能性と、持つことによって攻めにくくする可能性のどちらが有効か、きちんとしたデータがないのなら、自分の直感のもたない可能性にかけてみたいからです。
5は少し時期尚早かな?少し中途半端な選択かもしれませんが、一番の現実だと思っています。

皆さんもぜひアンケートに参加してみてください。
2005/12/27のBlog
[ 19:18 ] [ ▲Fellowship ]
『まぁ、一杯』という言葉は嫌いだ、といったのは経団連の土光元会長だったでしょうか。会話を続けてもらいたくないという意思を明らかに含んでいる言葉だといわれました。確かに会話の腰を折る言葉です。
昨日は、17時を待ってタイムカードを押し、そのまま小田急に飛び乗り、新宿でのオフ会に参加してきました。蝶野部長率いる「ほろ酔い倶楽部」の忘年会でした。既に大半の方は一度お会いしているそうですが、僕はどなたも初めての席でした。
ところが、既にBlogという道具を使って腹の中まで分かり合って(?)いるせいか、最初から旧知の仲のように話が弾む弾む・・・。
もちろん、会話が楽しければ酒もおいしく、下戸の僕も日本酒、焼酎と杯を重ねさせて頂きました。
土光さんに言われるもなく、みな話の腰を折ることもなく会話を続けながら、手際よくては新しい酒を注ぎあっています。
よく笑いました。酒は百薬の長、とか言います。それは酒の力だけでなく、笑うこと、人を信頼することにより免疫力がぐんぐん上がるからなのかもしれません。
2時間+1.5時間という時間はあまりも短く、フラストレーションを残して、会話を仕切れずに帰路の電車に乗り込みました。
おいしい酒の席はいいですね。次回は新年会・・・。時間の都合がついたらぜひ参加したいものです。
皆さんお相手をどうもありがとうございました!!

蝶野部長
ナイ隊さん
くるくまさん
ピヨちゃん
KANAさん
にTBしました。残りの方もぜひぜひ忘年会記事お願いしますね。

20051229
PS 皆さんから当日の写真を送って頂きました。ありがとうございます。
写真を見るたび、当日醜態をさらしたのかも・・・と冷や汗物です(笑)
[ 18:26 ] [ ★信仰・教会 ]
午後は愛餐会を開催します。いわばイエス様のお誕生日会です。
一緒に食事をしている最中にも、夏に行ったファミリーキャンプの報告DVDが流されたり、有志のマジックショーを見たり、みんなで一緒に賛美歌を歌いました。

その間僕たちは、城址公園で炊き出しです。今年の冬は本当に寒いので温かいトン汁を飲みに来られる方は非常に多いです。
この1杯に、人とのふれあいという心の温かさと、生きる糧としての食事の温かさが取れてくれればいいなと本当に願います。

炊き出しが終わると、JC(昔に日曜学校・教会学校と呼ばれたもの)の子どもたちと保護者との交流懇親会をしました。
初めての試みですが、忙しい日曜日の午前中、ともすれば子どもだけ教会に来ていて、どんなリーダーに接しているのか分からないというのは、昨今の事件ではないですが保護者としても不安でしょうし、僕たちも子どもたちが楽しんで来てくれているのならもっとつながりを太くしたいと思っています。
子ども達も今日(25日)は緊張の中ページェントもしたし、ずぅ~っと最後まで礼拝に出たし、午後の愛餐会もお行儀良くしていたので、少しは発散できればと、教会関係者のお店をオープン前にお借りして実施しました。
ゴスペルのグループが舞台で歌ってくれたり、ピアノの弾き語りがあったり・・・、そしてその間は子どもたちは子どもたちで大いにおしゃべりしたり、冬休みで里帰りしているH君にまとわりついて遊んだりと楽しんでいました。
ステキな場所を提供してくれたスパッツさんは小田原駅前です。
2005/12/26のBlog
[ 18:23 ] [ ★信仰・教会 ]
ご多分に漏れず教会も高齢化が進み、寒い夜に執り行われる聖夜賛美礼拝(クリスマスイブの礼拝)の出席者数は少なかったものの、日曜日の降誕日礼拝には多くの方が出席されました。

JCの子どもたちがオラトリオのようにページェントをささげました。小学生も日々忙しく、全員そろっての練習はとうとうできませんでしたが、せりふも賛美の歌も本当に大きな声で聞いている僕らも感激でした。

そしてフィリピの信徒への手紙2章1節から11節のみ言葉が与えられ、牧師を通じて『キリストの降誕』と題した説教を受けました。

そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
のため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。


過日、説教の中で一番心に響いた話を記しましたので今日はあえて書きません。
また、聖歌隊のコーラスには子ども達もピクリともせずに聞き入っており、『本物のよさ』を感じたようです。

この日2人の転入(ほかの日本キリスト教団教会から小田原教会に席を異動されること)と1人の幼子の幼児洗礼式がありました。
2005/12/25のBlog
[ 13:07 ] [ |- ★礼拝説教を聴いて ]
ケーキを出された瞬間、何を思うでしょうか?
「ワーッ、美味しそう」

・・・日本語では主語を省く習性がよくあります。上記の思いも主語はありません。主語は何でしょうか?「私」だと思います。
「自分が」「自分に」「自分で」「自分のために」・・・、僕らが無意識で考えている中心はいつでも「自分」があります。
「自分が楽しいからいいだろう。お前の知ったことじゃあない。関係ねーよ」よくテレビ番組で、暴走を繰り返している若者にインタビューするときに返ってくる言葉です。
「自分に被害があるといけないから、あなた(他人)を非難する」最近の国家同士の会話箱のレベルです。国家がそうであるから、国民もそれに右に習う人も多いようです。
「自分で勝手に生きるから・・・(あなたに)拘束されたくないから家を出て行くから」年頃の若者は親に反発して独立をしようと企てます。
暴走で迷惑をしている人、罪もなく権力争いの間で死傷した国民、一生懸命家族愛を教えた親御さん、そういった「自分」以外の人は二の次三の次です。

良質なケーキは誰が見ても美味しそうです。誰かに食べさせたい、誰々ならきっと喜ぶだろうな、上記例題ならこう考え続け、生き抜いた人がいます。イエス=キリストです。

僕たちはイエスに従い生きようと思っていても、心の中に自分中心の考えがいつも芽生えています。でも行動を起こす前に考える余裕を持つことは可能です。もし自分本位の行動を起こしてしまっても他人を省みてとりなすことも可能です。
そうした時に「みんなは」「みんなが」「みんなで」「みんなのために」と言う主語で物事を考えられればきっと平和はやってくると思います。
シャローム 平和がありますように・・・。

えんさんのBlogにTBさせてもらいました
アニジーさんのBlogにTBさせてもらいました
2005/12/23のBlog
[ 17:28 ] [ ●社会問題 ]
今日のasahi.netのニュースで
 明治以降、人口が増え続けてきた日本社会が、大きな転換点を迎えた。厚生労働省の推計で05年に生まれた子どもの数が死亡者数を1万人下回り、政府の推計より1年早く人口の自然減が始まった。子どもが生まれにくくなったのは、将来への不安や経済的な負担などが理由だ。だが、30年前から、日本がいずれ少子化によって人口維持ができなくなることは分かっていた。それなのになぜ効果的な対応が打ち出せなかったのだろう。(後略)と伝えられている。
過日、子どものいないことで辛い思いをされた話がまだ頭の中に残っていたからかもしれないけれどとても気になるニュースです。

このニュースの報告では

年度 人口(1.34)
2000 1億2700万人
2006 1億2774万人 人口ピーク
2050 1億 922万人
2100 4282万人
2200 993万人
2300 230万人
2400 55万人
2830 0.1万人
3300 0人
厚労省の国立社会保障・人口問題研究所

を上回る早さであると記載されています。そして同記の幾人かの人へのアンケート報告を聞いて色々と感じさせられました。

まずは環境面・食品面の監視強化。内分泌かく乱物質が体内のホルモンへのアタックで生殖機能が落ちていることは、主たる理由かどうかは別として確かなことです。が、政府や関係省庁は取締りには消極的です。
それはプラスチックを使わない生活にすれば多くの企業が破綻をするからでしょう。農薬を使用しない若しくは低農薬での農法にも消極的です。
また、平飼いの鶏を規制しても、狂牛病の牛はOKという圧力に屈しやすい姿勢も見せています。各地の処分場周辺、そして大きな工場の周辺で起こった公害訴訟には積極的には動きません。
国民の健康については、経済より後回しの政策です。体内のホルモンバランスが崩れているのは、精子数の低下、精子の生存時間の低下でもわかります。

続いて生活負担を共用している点もあるのでしょう。国立社会保障・人口問題研究所によると「子育てや教育にお金がかかりすぎる」「育児の心理的・肉体的負担に耐えられない」などのために、子どもの数を減らそうと考えている方も多いと報告されています。

しかし、僕は故意に子どもを作らない家庭の大きな理由に、asahi.netの記者も言われている通り、未来に希望がない点があるのではないかと思います。上記2点の問題はもとより、いつ徴兵されるかもわからなくなること、罪もない子どもたちが殺されたり、過労死や単身赴任など、家庭が本来の家庭の役割を果たしていなく、不安が助長されている点。
経済大国になり、その地位を確保するために子どものうちから競争社会に加わらせる点。
ディズニーランドに代表されるように、お金を出せば楽しませてくれる施設は豊富にあっても、学校帰りに友達と凧揚げを出来る場所はなくなりました。
そうした中、将来に不安を持つ方々が子どもを生みたいと思わないとしたら、それは単なる個人の主義主張ではなく、国家の政策の不備であったと言われても致し方ないでしょう。希望を持てない国にしてしまった国の責務は重たいと思います。

人口のピークを一年早く迎えました。夫婦2人で子どもを生むことを考え、またその子どもが成人になるとも、結婚するとも、子どもを生むとも必ずしも確かではない以上1.29と言う出生率は次の世代には半分の人数になっていくでしょう。しかも生殖機能が女性に比べ弱い男性の出生率は著しく低下しています。

本気で日本が人口減少を気にするのなら、不安要素より希望要素の方が遥かに多い国づくりに政府が真摯に取り組むべきではないでしょうか。
人間性のリバイバルを中心に政策をおき、貧しくても良いからゆっくり精神的に豊かな国家になるようにしてもらいたいものです。

蝶野さんのBlogにTBしました
[ 12:24 ] [ ▼雑記 ]
会社の話題ついでに。
僕にとっては3つ目の会社なんですが、結構居心地はいいです。そんな会社(社長)のエピソードをいくつか。

1.ミッションネーム『4つ葉のクローバーを探せ』
うちの会社はいわゆる第1次産業系の会社。そんなこともあり入社直後のある日こんな電話がありました。
曰く、自分の娘が入院している。出来ることは何でもしてあげようと思って手を尽くしているのだがなかなかよくならない。藁をもすがるつもりで4つ葉のクローバーを探しているのだが、どこにも売っていない。ついては当社で入手して欲しい。
ご存知のように4つ葉のクローバーなどと言うものは突然変異体な物で、市販されているもではありません。しかし社長は、そのような事情ならと仕事を一時中断させ近所の大きな公園に僕らを連れて行きました。4つ葉のクローバーを探せ、と。
物事真剣になると以外に見つかるもので、1時間ほどの作業で10株(根ごとソォッと抜き取り)収穫。喜んで持っていってもらいました。

2.『どっちが大事なんだ』
20世紀の最後のころ、産業廃棄物の処分場問題で大きな騒動になりました。当社は事務局を引き受け、毎晩のように事務所を開放し、OA機器を使わせ対応していました。事態は許認可を既にとってしまった業者に有利に進んでいましたが、その申請書の根幹に過ちがあることが発覚。僕らは県行政の施設駐車場で座り込み行動をしました。その際に43日間連続で会社には出勤せずも出勤扱いにして頂きました。もちろん僕の仕事は他の従業員さんや社長の家族がみな手分けをして粛々とこなしてくれました。さすがに僕でも申し訳なく感じ、その後の平日昼間の出社時間は遠慮しがちになりました。
が、県の施設や交渉ごとの現場、弁護士との相談などはどうしても昼間に行かなくてはいけないことも多く、少し躊躇しながら、○○について行こうかどうしようか迷っている旨を話したところ、言われたのが『どっちが大事なんだ』
余りにも仕事をしなさ過ぎることにさすがの社長も腹に据えかねたかと首をすくめたところ、地元に根ざして生きていかなければならない会社が、地元のことで動かないでどうする、と尻を叩かれたのでした。その後も地域上げての運動に参加をさせてもらいました。

3.三方一両損
近所で家庭問題などがあると比較的うちの社長に相談にやってきます。あるとき、収入減で家を手放さなければならない方が相談に来ました。聞けば農家の方で、農地のまま転用をしないで家を建ててしまったので他には売れない。社長なら農家なので農地でも買ってもらえると思い相談に来た、とのこと。
先方の言い値は○○万円。そして支払額は▲▲万円。もちろん○○+αの金額です。社長の言い分は、まともな土地だったら○○万円どころではない。
うちは農家でもあるから、また何かの形で使用できるし大変なご様子を見過ごすのは気持ちのいいことではないので少し余分に包んでおいた、とのこと。(総務をしているので金額もわかりますが、ヲォそんなに、と言う金額です)
実はこの建物、うちの教会を通じて小田原で平和公演をしたいといってこられた劇団の宿舎になったり、平和行進の宿泊施設になったりと大活躍。
そういう使用をされるたびに社長はうれしそうに『(社会貢献の縁の下の力持ちになれるので購入して)やっぱり正解だった』といいます。

思い悩むな!さんにTBさせてもらいました
[ 09:46 ] [ ▼雑記 ]
会社の年賀状をやっと今書き終えました。ホカホカの話題です。
わが社は社長の方針で、裏面は市販の年賀状データ集から素材を取り出してインクジェットプリンターで作成するものの、宛名ぐらいは手書きですべきだと、こつこつと400枚の宛名書きをしたわけです。
それが終わりました。PCを使用することが多くなり、ペンを使用する機会が激減した昨今、筆ペンながらも筆を使う機会はいい機会なのかもしれません。

2005/12/21のBlog
[ 10:08 ] [ ★信仰・教会 ]
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、 旅の途中、そこに来合わせ、 彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、 ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、 介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、 宿屋の主人に渡して 言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」
するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
 ルカ10:30(後半)-37

この聖書の言葉は、「隣人愛」を解り易く説明した箇所でもあり、また実は倒れている『ある人』は社会の様々な現象の中でもがいている私(自分自信)でサマリア人はイエスのことである、と言う2つ以上の側面から僕らに人生の指針や神の愛を教えてくれている言葉です。
特に前者の解釈として、好きな聖書の箇所といわれる人が多い場所でもあります。若いときこの言葉を聞いて海外協力隊に入った方やそれこそ小さな小学生などには隣人に出来ることとしてお年寄りに席を譲ることなどの実践と合わせて使われます。僕らの目はどうしても『人』対『人』としてこの聖書の箇所を解釈するように思ってしまっていました(って、僕だけかな?)
もう一点考えなければいけないのは、当時ユダヤの人たちの考えでは怪我人(血)は穢(けが)れたもので、それに聖職者は触ってはいけない。つまり介抱は自分の地位や働き場所の放棄であるということです。彼らには彼らなりの理がないわけではないのです。

さて、ここ数日2人のBlogで弱っている鳥を保護された話を聞きました。一羽は残念な結果に終わりましたが、いずれも多分弱っている鳥たちの横をいくばくかの人はただ通り過ぎたと思います。曰く面倒くさい。曰く時間がない。曰く医者に連れて行くお金がない。曰く・・・。
でも2人の人は「曰く」がありませんでした。多分純粋な気持ちで、弱っている動物を見逃すわけにはいかなかったんだと思います。
その優しさはBlogと言う文字を通じて僕にも充分伝わるものでした。いい話だというレベルで終わらず、そのうちこの聖書の箇所が頭の中に響いてきました。

なにも『人』だけではないんですね。見ず知らずの鳥を連れ帰って、介抱するのも、医者に連れて行くのも、全て自腹。何よりも多くの時間を費やさなければならない。その2人の行いは、周囲を見ようとしないで『倒れている人などいない』と思い込もうとしている自分自身を大いに反省させるものでした。

『行ってそのようにしなさい』再度身に染みました。

女将の一言 さま 
M家のゆかいな仲間たち さま 
Piece of cake! さま
[ 01:39 ] [ |- ●平和・国際問題 ]
エチオピア・・・、知っているのは東京オリンピックのマラソン選手アベベ氏の事ぐらい・・・。
そんな国に寿での野宿を余儀なくしている人への働きを通じて知ったはーちゃんが、日本国際飢餓対策機構のスタッフとして派遣されます。
ささやかながらも献金を送らせて頂こうと資料を取り寄せました。「飢餓対策ニュース」には、そのエチオピア・サシガ農村自立開発についての記事が載っていました。
94%の住民がきれいな(安全な)水が飲めないという現実。そのために多くの子どもたちが病気や飢餓でなくなってしまう現実。20mほど掘れば比較的井戸が作りやすくも、それすらできない現実。
そうしたいくつもの現実に直面した上で、祈り、住民とともに井戸を作ろうという費用は30万円だそうです。
ホワイトバンドが昨年はやりました。1本300円、しかしそこで集まったお金の動きに疑問視する人も多かったです。関心を持ってもらうだけで、だんだん流行り廃りで、その感心すらなくなってしまう恐怖を僕は持ちます。
しかし、同額の献金が1000人から集まれば、少なくともこのエチオピアの600人程度は安全な水を常時飲むことができます。
ファッショナブルな腕輪はないかもしれません。
でも現実に命を救う行動に参加できることは確かです。

詳しくは、同機構のWebSite をご覧ください。

また、現地からの報告は定期的に来るとの記載がありました。どうぞ、はるか遠くのアフリカの地を思い起こしながら、共に祈って、そしてわずかずつでも支えればいいな、と思っています。報告があった暁には、このBlogで皆さんと共有したいと思います。
2005/12/19のBlog
[ 23:37 ] [ |- ●PeaceCafe ]
Peaceな宵に20人もの方が小田原教会に集合しました。
第1回PeaceCafe です。
顔なじみの方も多いのですが、お初にお会いする方もまた多く、逆に始めて「教会」なる場所に足を踏み入れ少し緊張のお顔も・・・。
それでもおいしいコーヒーを飲みながら会話が始まればそこは同じ志の仲間。年齢差70を感じさせない(もっとも最小年齢はお母さんの周囲で座を盛り上げるお役目でしたが)活発な議論が交わされました。

自分自身は少しおしゃべりが過ぎたところもあったかと反省するところもありましたが、根がそういう性分なのでご理解を頂くとして、ステキな夜を過ごせたことに感謝です。
次回からは毎月17日に開催します。
あしがら平野にお住まいの方でPeaceな夜をともに語ろうと思わん方はぜひどうぞ!

また、PeaceCafeのフリーペーパーは、日本キリスト教団小田原教会、小田原カトリック教会、聖公会小田原教会、ルーテル小田原教会、OCC(小田原クリスチャンセンター)にございます。
2005/12/18のBlog
[ 23:16 ] [ ▲Fellowship ]
OCCのクリスマスパーティーとC夫妻の送別会があったので参加しました。
OCCの短期宣教師のスタッフは2年間をめどに日本に来て英会話教室の教師をしながら、その地においてのさまざまな活動に参加します。
歴々の方も本当に純粋な信仰心で心細くともFarEastの地において自身から小田原交流パトロールに飛び込んできてくださり、一緒に野宿者のところを回りました。Cさんも例外ではありませんでした。
当初はたどたどしい日本語ながらも、一生懸命語り合ううち、ご本人の語学力のアップと、野宿者のCさんへの信頼で聖書の学びを始める人もでました。
(もちろんこの活動はキリスト教の宣教活動ではありませんので、聖書の話をこちらからすることはありません。Cさんの日々の活動を見て、その人柄からキリスト教に興味をもたれたのです)
別れはつらいですが、Cさんご夫妻も、また以前に同じようにパトメンバーだったアラスカ州のEさんも小田原交流パト創立期のメンバーだったH師も小田原をこよなく愛してくださり、できれば日本に、できれば小田原に戻りたいといってくださったことはとてもうれしいことです。神様の御心でしたらいつの日かまた日本で再会できると思っています。
久々にH師と教会のこと、信仰のこと、さまざまな話をすることができました。いい指導者のとおしゃべりは心を豊かに弾ませます。とてもうれしい主日でした。感謝。
2005/12/17のBlog
[ 12:44 ] [ ▼雑記 ]
近隣の本屋がなくなるそうです。いわゆる郊外型の駐車場も広い本屋なんですが、寄る年並みには勝てないのかも知れません。
いくつか理由は考えられます。そこはポツンと本屋だけしかないこと=少し離れたところには大型ショッピングデパートがあり、その中には複数軒本屋が入っています。
もう一点は、通販の発達=いわゆるアマゾンを代表する無店舗本屋からの購入があると思います。かくいう僕もこのアマゾンからの購入が一番多くなってしまっています。
一時少し活字から離れたものの、最近は月5冊は読んでいるのかもしれないのは、○○円以上だと送料無料の文字のせい? いえいえそれだけではなくBlogを廻ると、本の寸評が書いてあるからかもしれません。皆さん読書への誘惑を醸し出しているんです、お上手に(笑)。ジャンルも昔に比べて若干広がりを見せてきました。

エンゲル係数ならぬ通販係数は各家庭どんどん上昇するにしたがって、街の中身も様変わりして殺風景になってしまうのかもしれません。
活気があり、明るく文化的な町並みにするためには、住民自身も便利ばかり追求してはいけないのかもしれませんね。
2005/12/16のBlog
[ 22:51 ] [ ●社会問題 ]
Blog仲間の蝶野さんがいつになく憤っていた。読めば僕も怒髪天にのぼるような話。
まぁ、一度ご本人(白鷺さん)のBlogを読んでみてください。

我が家も子どもは授かりませんでした。それはそれで別に運が悪いとも思いませんし、そういう夫婦もいてもいいと思っていますし、この年になると残念とかという気持ちもほとんどありません。子どもがいるいないで他人の家庭と比較するほうがナンセンスだと僕は思っています。
いれば子ども中心の家庭になったかもしれませんが、いなければ夫婦中心の生活になり、実の子どもがいない分だけ周囲の子どもが可愛く見え、いま少しだけですが教会のJC(昔の日曜学校とか教会学校)というパートで奉仕をしています。教会は教会と言う社会全体で週一度の子育てをしているような一面があるのです。

無神経に発言をする人は世にも多く、テーマが違えば僕も無神経な発言をして他人を傷つけてしまったことがあるのかもしれません。
ほどほどに親しい人、数人との会話の中で、子どものいないことに触れ、「なぜなの?」という興味だけの質問を浴びせられたこともあります。「あんたに話しても何の解決にもならない。」とうざく思いながらも、まぁ喧嘩してもしょうがないと流したこともあります。
また、連れ合いががんにかかり、同様の病気で闘病生活の人のBlogを見ても、治療に対して否定的なこといわれて凹んだ、などの記載を読んだこともあります。
でも、これらのことは、避けて通れば通れる事です。失言者とそれを受けた人間の立場は平等です。怒るもよし、無視するもよし、傷ついたと泣くもよし、平等だから対応も自分なりにできます。(だからといって何を言ってもいいとは僕も思っていませんが)

しかし白鷺さんの場合は違います。面接という立場を考えなければいけません。
この面接官は明らかにハラスメント行為をしています。答えなければならない立場に追い込んでいます。違法行為で