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LOGOS-喜びを分かち合い、悲しみをともにするために-
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2006/01/16のBlog
[ 10:05 ] [ |- ●平和・国際問題 ]
「正」は、もともと、“国”(口で表す)の中に、“足”(止で表す)がある漢字なのだという。
国の中に足がある形を以って、“「(兵士が)他の国に真直ぐ進撃する」の意味で、「征」を意味し、転じて「まっすぐ・正しい」の意味を表す。(大修館書店 新版 漢語林 第2版 鎌田正 米山寅太郎 著より)”

と言う語源を見て驚いたという記事が行きつけのBlogに載っているのを読んで、僕も驚きました。
いわゆる専守防衛は「正しい」と言う文字の語源になっているわけです。
僕はこの考えを一概に否定は出来ません。会話をもって相手のことを充分理解できない相手のことが『怖い』と思う気持ちは少なからず僕にもあるからです。

でも、それでも武力を持って、力で防衛する無力さを知っています。とともに「専守防衛」を言い訳にする詭弁も知っています。
武力の防衛が失敗したのは、アメリカの9・11テロがその顕著な一例です。いくら世界一の武力を持っても、国家を完全に守れることがないことを広く知らしめてしまったわけで、その末路は他国の政治や軍事と無縁な人の大量虐殺でした。1人殺されたら10人に仕返しをする、と言う残虐な行為でした。
専守防衛が言い訳かどうかは、皆さんが判断して頂きたいのですが、中国や北朝鮮もアメリカの武力に対抗するための戦力といっています。彼らの言い分も専守防衛です。そして日本でも一部の人は、その専守防衛といっている国の武力に恐怖を感じているわけです。その人たちは、中国や北朝鮮の防衛力に対抗するための防衛をしたいといいます。ようは、中国や北朝鮮の物まねをすることが正しいと判断しているのでしょう。彼らの国家の防衛のあり方を肯定しているわけです。
でも、僕はいやですね。国民が汗水流して稼いだお金をみな武器に変えて貧困に苦しむのは・・・。

後世の人が作った話なのか実話なのかは知りませんが、坂本竜馬が京の町を友と歩いていた際、向こう側から意見を異にする人たちが来て、竜馬を見かけて殺気立っているのを感じたそうです。竜馬は、友にこういう時どうするかみせちょる、といったそうです。
どんどん距離が短くなり、一触即発のその瞬間、しゃがみこみ足元にいた犬の頭を撫ぜた、といいます。専守防衛と言うのは本来はこのように、緊張をぬくことであり、現代においてそれは会話だと思います。
『正しい=他の国に真直ぐ進撃させない』ためには竜馬のような極意を活用してもらいたいです。

ハムスターパゾさんのBlogにTBさせてもらいました。
2006/01/13のBlog
5年ほど前に一応のピリオドを打てた久野の産廃焼却炉処理施設の解体に関して、管財人の方から有害物質の検査資料が送られてきました。
喉元過ぎれば何とやら・・・、で既に頭の中から労働省のダイオキシン被曝に対しての基準値などは飛んでしまっていて、ng(ナノグラム)とかpg(ピコグラム)と言う単位を見ると頭がくらくらしてしまいます(笑)。
汚染レベル1、レベル3、ってどの程度だっけ・・・?どういう作業をしなければいけないんだっけ・・・。ありゃりゃ、やばいよ、全く覚えていない(爆)
さぁ、これから基礎からざっと思い出して、約30ページの報告書を読んで、週明けの説明会に望まないと・・・。
2006/01/12のBlog
[ 15:03 ] [ ▼雑記 ]
臨済宗妙心寺派福聚寺の副住職を勤められながら作家活動をされている玄有宗久師の「リーラ」と言う自殺をテーマにした本があることを知りました。
その帯には、 -自ら命を絶った魂は救われるでしょうか。そして何も出来なかった私たちは- とあるそうです。
含蓄の深い言葉です。自ら命を断たざるを得ないほど追い込まれてしまった者と、その苦しみを共有できなかった者。どちらも神の前には同じなんですよね。

自殺なんかしない、と胸を張っていたことが愚かなことのように思えています。結局その思い下には、甘美な毎日に浸った自分の人生と、自分のことだけしか考えていない自分がいたんですネ。善きサマリア人の喩えのシーンが好きだとか言いながらも、本当懺悔の言葉もでやしません。
痛みを分かち合いたいと思っていても何にもしていなかったんだなぁ、としみじみ思います。

ちょっと読みたくなった本です。

PS ストイック過ぎるような生活をしようとかいう意味ではありませんよ。「自分と同じように隣人を愛す」ことを望んでいながら、痛みを見ていなかったな、と省みさせてくれた文章だった、ということを書きたかったんです。
相手が自分なら・・・、何時も考えていれればいいんでしょうね。
2006/01/10のBlog
[ 15:24 ] [ ●社会問題 ]
麻生外相は9日、福岡県飯塚市で開かれた後援会の会合で、10日からの豪州訪問を延期した理由にイスラエルのシャロン首相が脳卒中で入院治療中であることを挙げ、「容体が思わしくなく、非常事態が起きるとそのままお葬式ということになる。気乗りがしないので、3月まで延期することになった」と述べた。(読売新聞)

同じ自民党と言う組織を見ていても、昔の自民の執行部は揃ってこうも失言を繰り返さなかったような気がします。
病床に臥せっている人、それを支えている人、病状が気が気でない家族や友人・知人の耳に入る可能性の高いポジションにいる人(つまりはニュースとして発言が世界を駆け巡る可能性の高い人)が、何とか良くなって欲しいという祈りの言葉でなく、死ぬかもしれないから予定を空けておくなんていうことを平然と言う・・・。
日本人の思いやりのスキルの低さを露見させるようなニュースです。ため息しかでやしない。
2006/01/09のBlog
[ 12:30 ] [ ●社会問題 ]
最近読書量が以前並みに戻りました。
教会役員と言う以外に時間を割かなければならない大役を仰せつかり始めてから、読書量は激減したものの、またここに来て増えた理由の中で大きなウェイトを占めるのはBlogによるところが大きいです。
というのも、皆さん色々な本やCD, 映画(DVD)などを紹介してくれているんです。しかも、僕の購入心をくすぐるような上手な言葉を用いて・・・(笑)
重松さんの本を読み終えた最中、お二人の友が同じ本を推薦しています。
おふたりのBlogへは数日を開けずしてお邪魔しており、その思考にはいつも共感しているので、きっと良質の本だと思います。
今夕近隣の本屋で買ってみようかと思っています。
どんな本なのかな? と思われたあなた。早速下のリンクからお二人の感想を見てみてください。

・・・本当なら、昨日の役員会報告などを作らなければならないんですが・・・。

芦田っちさんジロー’sカフェさんのBlogにTBさせてもらいました。
2006/01/08のBlog
[ 22:56 ] [ ▲Fellowship ]
小田原教会は、神への礼拝という一面、地域への奉仕や社会活動という一面と共に、仲間との交わりという一面も大切にしています。
今日はその交わりとしての一面として僕個人が大切にしている「栄町集会」の日。
しかも教会の友MYKさんがフィアンセを連れてくるということで、何が何でも出席をしなければならない、と固く心に決めていました。

役員会が終わり、高橋牧師宅にお邪魔すると、既にMYKさんは彼女と来られておりました。フレンドリーな好青年同士のカップルの誕生に、いやいやめでたいと調子付いて飲んだお酒は、昨日きりたんぽと共に購入したもの。
秋田羽後の銘酒「両関」はなるほど口当たり良く、きりたんぽ鍋と共にクイクイと入っていきます。

しかし、やっぱり飲み会の席で一番のご馳走は、気のあった仲間との気楽なおしゃべりですね。
Mさん、まぁ小田原教会というところはこんな感じのところです。気の利いたおもてなしもできませんが、気のいいやつばかりのところですので、ぜひまた遊びに来てください。
2006/01/05のBlog
[ 16:17 ] [ ▲Fellowship ]
4日の炊き出しを終え、高橋牧師夫妻とSMさんファミリー、Fさんファミリーと一緒に新年会。
御殿場「時之栖」に行ってきました。
多少の渋滞はあったものの、18時過ぎに到着。
まずはここの冬の名物のイルミネーションを楽しんでから、夕食会場へ。
しかし個室には、鍋が・・・。ここ時之栖は地ビールがおいしいということで、スペアリブコースで依頼をしたものの、どこで間違ったか鍋コースに変身していました。でも、クレームには丁寧に応じてくれ、鍋コースにスペアリブとソーセージを追加する、という提示に合意しおいしい夕食を頂きました。
本来地ビールで・・・、という予定でしたが、鍋となれば話は変わります。おいしい蔵出しの沢の鶴の冷酒で鍋をつつきました。ウ~ン至福の時ィ~。
部屋に帰りほろ酔い気分で牧師とベッドでダベリング。教会が抱えている社会問題について、今後そのほか力を発揮しなければならない問題について、良いながらの雑談でしたがいろいろと話し合えて有意義でした。
目が覚めれば外は銀世界。さっそく露天風呂で雪見風呂。といっても少しぬるめの風呂でしたが・・・。
朝食を食べて外に出ればSMさんのお子さんたちは、久々の之に大興奮。昨日のライトアップされたところはきれいな真っ白な天然のイルミネーション。
まさに一粒で二度おいしかった新年会でした。
2006/01/02のBlog
[ 21:43 ] [ ■アウトドア・趣味 ]
友と呼ぶには偉大すぎて憚(はばか)れますが、師と呼ぶと照れくさそうに「止めろ」と必ず言われてしまう、そんな関係の方がいます。金斗鉉さん。画家です。
下書きにひいた一本の線も意味があると、消しゴムで消して書き直すことをしない。絵の具の場所と下書きの線の位置が違うことも動じない、そういう絵です。
何でもかんでも神様とつなぐことは公開しているBlogとしてはふさわしくないのかもしれませんが、クリスチャンの氏は、そうした線の一本も神様にひかされたと言う気持ちがあるからそういう発言があるのかもしれません。
氏から今年も年賀状を頂きました。うれしいお知らせと共に、4月から一年間竹富島での個展を開催するとのご報告。
ステキなナチュラルな線、心の原風景を刺激するような懐かしいタッチ。その後ろに静かに広がる青い海・・・。
とたんに南の島が恋しくなりました。
オバアが織り込むミンサー。紺が基調なのかもしれませんが、ウコンの黄色が頭に広がっています。
そういえば金氏の絵も、僕はなぜか緑や茶がベースのような気がしてなりません。(別にここに載せた絵がそういう貴重の絵だから言うわけでなく、全般的に多いような気がするんです)

いけるかな・・・。絵を見に行く沖縄旅行・・・、いいなぁ・・・。

PS 絵は著作権があるので画像のコピーは不可よ!!
2006/01/01のBlog
[ 23:11 ] [ ▼雑記 ]
さて、夜は連れ合いの希望もあって「ハリーポッター 炎のゴブレット」を見てきました。
連作の難しさを痛感しますね。だんだん俗化した話にならざるを得なく、ワクワク感もドキドキ感も少なかったように思えます。スピード・技巧のみ目に付いた映画でした。
魔法学校という未知なる世界が、日常の子どもの成長にしか映画が描けないところに視覚的に表現するのは無理が生じたような気がします。これが本ならば、俗に言う行間を読むことで空想を膨らませるのでしょうけれど、残念ながら映画ではそれはできませんでした。

でもまったく無駄ではなかったです。いいシーンもありました。
「正しいこと」と「楽なこと」の二者択一ということは、これは何も勇気ある青年やリーダー、その仲間だけのものではないんですよね。
「正しいこと」の対語は「間違っていること」ではなく「楽なこと」・・・。言いえて妙のたとえです。
良薬は口に苦し、というたとえもあります。真実の追究は「間違ったこと」でもなく「安易」なことをしないことなのかもしれません。逃げない、愚直でも立ち向かう・・・これは辛く出口の見えない活動になるかもしれませんが、大切なことなんでしょう。

このせりふを聞いただけでも1000円の価値はありました(笑)
次作につなげるためのような話のつくりでしたが、見ないと次作困るでしょう。連続で見られている方はぜひどうぞ!

ももママさんのBlogにTBしました。
[ 23:06 ] [ |- ★礼拝説教を聴いて ]
2006年1月1日は日曜日でした。新春一回目の礼拝の聖書の箇所はマタイによる福音書2章1節から7節で『幼子のいる場所』と題した説教をうけました。

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。


武力制圧の世では、下克上・子の親殺し、クーデターは驚くことではなかったはずです。その世において、自分の実子以外が「王」になるということは、自分は殺され一族郎党の滅亡ということなのかもしれません。その預言に慄(おのの)き、このあとへロデ王は、自分の野心のために咎なき2歳以下の男の子を皆殺しにします。

でもそれは2000余年前の出来事だけではなく、今の世も同じような時代かもしれません。昨年末に続いた女児の殺戮も、その女児には何の咎もないのに殺されました。海外に目を向けても同様です。戦時下では、弱者である高齢者・女性、子どもが被害にあっています。
再度この説教のタイトルではないですが、幼子のいる場所について考えなければならないと思います。
某Blogで主宰者の方が苦しみを告白したことに端を発し、子どもがいないことを多くの方と話す機会が与えられました。
欲しくてもできない人、子どもを生もうと思えない人・・・そういう人もいますが、同時に生まれた最愛の子どもを殺されてしまう人も少なからずいたという当たり前のことを再確認しました。人口の問題という大きな枠組みでは、ごくごく微量のパーセンテージですが、殺されてしまった悲しみを抱え、ご夫婦で生活されている人もいましょう。
子どもたちを大人がみな愛せる世の中、そうしたことが生み出されなければならない・・・。ある意味失った悲しみはもてない悲しみよりも大きいかもしれません。

一年の契は元旦にあり、とか言いますが、年末・年始にかけてこの問題が継続的に僕の周辺で語られていることは、何かこの問題をしっかり見つめろ、という大きな意志が働いているような気すらします。
幼子に限らず、弱者のいる場所が、豊かであるように、すこしでも行動できるように、というのが今年の僕の目標のような気がした新年最初の礼拝でした。

PS
偶然本も重松清さんのものを幾冊か買い込んできました。あわせて考えさせられます。
2005/12/30のBlog
[ 17:00 ] [ |- ●野宿者(ホームレス)問題 ]
小田原には100余名の方が野宿生活をしています。年齢も体調も理由もそれぞれ違いますので、一概にどうこうとは言えません。客観的に見ても生活保護につなげたほうが言い方、自立するよう背中を押し続けてあげたほうがいい人、僕らの対処もそれぞれです。

その中にUさんというおじいちゃんがいます。
小田原において野宿者とのかかわり始めたころに出会ったのでもう8年にもなるとおもいます。毎年少しずつ歩く姿を見ても老いていくのが分かり、僕らも心配でした。

過日、迷惑をかけたくないと言われるUさんを説得し、市役所福祉総務課を訪問。
無事、生活保護につながったものの、年末の最中、市役所担当者も一生懸命してくれたものの、支払いは年明けになってしまうとの事。正月はアパートで・・・、という僕らののぞみは途切れたかと思いました。
しかし、不動産屋に交渉。不動産屋と大家さんとの交渉により、理由が理由ならと、本日鍵をお借りすることができました。不動産屋さんは礼金は取れないよ、といってくれた上、一切のお金が1月5日にしか出ないのに鍵を預けてくれました。

今日、炊き出しのあと荷物を運び込みました。
多くの方の善意が積み重なって、こんなすばらしいことが可能になったことに感動と感謝を覚えます。
すがすがしい気持ちで年を越せそうです。
2005/12/28のBlog
聞いたことのあるだけだとそのCDはなかなか入手できないものだと思います。
以前からクリスマス時期になると有線などを通じてよくかかっていた曲。女性シンガーがジングルベルと歌っているという情報しかどうしても分からなかったんです。毎年かかっていたので有名な曲なんでしょうけれど・・・。

それが過日スパッツさんにお邪魔した時かかったんです。千載一遇のチャンス。マスターに聞けば、それはバーブラ・ストライサンドさんのJingle・Bell? でした。

そのまま家に帰りアマゾンで注文。今日クリスマスより一足遅いA Christmas Album が届きました。
ちょっとHappy!!
[ 14:43 ] [ |- ●平和・国際問題 ]
マガジン9条 で、憲法9条をどうすべきかのアンケートをしています。

平和とか憲法問題にご興味をもたれている方、是非アンケートに参加してみてください。
なお、このトピックスに対してのRESコメントは、勝手ですがアンケートに準じ選んだ番号と400字までの選んだ理由だけにしてください。
お互いの理由に関してのご意見はNGとさせてもらいます。

ちなみに僕は6番をチョイスしました。
世の中にはまだ自己勝手なことをする人も少なからず居て、その輩に対して不安を持っている日本人も多いので、理想だけで選ぶことには少し抵抗がありました。
ただ、武器・兵器は持てば持つほど、戦闘の最中に入りやすくなります。
持たないことにより回避できる可能性と、持つことによって攻めにくくする可能性のどちらが有効か、きちんとしたデータがないのなら、自分の直感のもたない可能性にかけてみたいからです。
5は少し時期尚早かな?少し中途半端な選択かもしれませんが、一番の現実だと思っています。

皆さんもぜひアンケートに参加してみてください。
2005/12/27のBlog
[ 19:18 ] [ ▲Fellowship ]
『まぁ、一杯』という言葉は嫌いだ、といったのは経団連の土光元会長だったでしょうか。会話を続けてもらいたくないという意思を明らかに含んでいる言葉だといわれました。確かに会話の腰を折る言葉です。
昨日は、17時を待ってタイムカードを押し、そのまま小田急に飛び乗り、新宿でのオフ会に参加してきました。蝶野部長率いる「ほろ酔い倶楽部」の忘年会でした。既に大半の方は一度お会いしているそうですが、僕はどなたも初めての席でした。
ところが、既にBlogという道具を使って腹の中まで分かり合って(?)いるせいか、最初から旧知の仲のように話が弾む弾む・・・。
もちろん、会話が楽しければ酒もおいしく、下戸の僕も日本酒、焼酎と杯を重ねさせて頂きました。
土光さんに言われるもなく、みな話の腰を折ることもなく会話を続けながら、手際よくては新しい酒を注ぎあっています。
よく笑いました。酒は百薬の長、とか言います。それは酒の力だけでなく、笑うこと、人を信頼することにより免疫力がぐんぐん上がるからなのかもしれません。
2時間+1.5時間という時間はあまりも短く、フラストレーションを残して、会話を仕切れずに帰路の電車に乗り込みました。
おいしい酒の席はいいですね。次回は新年会・・・。時間の都合がついたらぜひ参加したいものです。
皆さんお相手をどうもありがとうございました!!

蝶野部長
ナイ隊さん
くるくまさん
ピヨちゃん
KANAさん
にTBしました。残りの方もぜひぜひ忘年会記事お願いしますね。

20051229
PS 皆さんから当日の写真を送って頂きました。ありがとうございます。
写真を見るたび、当日醜態をさらしたのかも・・・と冷や汗物です(笑)
[ 18:26 ] [ ★信仰・教会 ]
午後は愛餐会を開催します。いわばイエス様のお誕生日会です。
一緒に食事をしている最中にも、夏に行ったファミリーキャンプの報告DVDが流されたり、有志のマジックショーを見たり、みんなで一緒に賛美歌を歌いました。

その間僕たちは、城址公園で炊き出しです。今年の冬は本当に寒いので温かいトン汁を飲みに来られる方は非常に多いです。
この1杯に、人とのふれあいという心の温かさと、生きる糧としての食事の温かさが取れてくれればいいなと本当に願います。

炊き出しが終わると、JC(昔に日曜学校・教会学校と呼ばれたもの)の子どもたちと保護者との交流懇親会をしました。
初めての試みですが、忙しい日曜日の午前中、ともすれば子どもだけ教会に来ていて、どんなリーダーに接しているのか分からないというのは、昨今の事件ではないですが保護者としても不安でしょうし、僕たちも子どもたちが楽しんで来てくれているのならもっとつながりを太くしたいと思っています。
子ども達も今日(25日)は緊張の中ページェントもしたし、ずぅ~っと最後まで礼拝に出たし、午後の愛餐会もお行儀良くしていたので、少しは発散できればと、教会関係者のお店をオープン前にお借りして実施しました。
ゴスペルのグループが舞台で歌ってくれたり、ピアノの弾き語りがあったり・・・、そしてその間は子どもたちは子どもたちで大いにおしゃべりしたり、冬休みで里帰りしているH君にまとわりついて遊んだりと楽しんでいました。
ステキな場所を提供してくれたスパッツさんは小田原駅前です。